エペソ人への手紙 2章1−10節
二人とも風邪気味で、ちょっと「グダグダと」していましたが。夕方にいつものように公園歩きをしましたら、からだが「シャキッ」としてきました。なぜか擬態語だらけの導入文となってしまいました。
ここには、キリスト者の過去と現在、そしてこの先が明らかにされていると思いました。
パウロはまず、イエス・キリストに会う前の人の姿を「背きと罪」ということばで表します。どちらも人間が神によって創造されたという前提に基づく姿です。神に背き、罪ある者だということは、誰にも仕えていないということではありません。2節に「この世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者…に従って」歩んでいたとあります。そこから出てくる生き方、歩みとは「自分の肉の欲のままに生き」ているということばでまとめられます。
しかしここでは、神がそのような者をあわれみ、慈しみ、キリストとともに生かしてくださったと続きます。5−6節は、背く者、罪ある者がイエス・キリストを信じることのみによっていただくことのできたまさに、恵みなのです。「恵みのゆえに」というのは神の私たちを救われた力のもと、信仰によってとは罪人に与えられた一つだけの道だと理解することもできます。
そして、ここには生かされた者、よみがえらされた者の姿と歩むべき道も明示されています。「神の作品」ということばと「良い行いに歩む」がそれです。
何度読んでも、感謝が湧き出てきます。それこそ、シャキッとさせられることばです。