エペソ人への手紙 4章17−32節
気がついてみたら、街路樹が少しずつ色づき風が吹くとぱらぱらと黄色い葉が落ちてくるようになりました。夏から秋への変わり目ですが、当地ではそれが急いでやって来るという印象があります。風邪を引いている方も多いようです。私たちも…。
4章以降の「実践編」で、パウロは最初に召しにふさわしく歩むようにと「勧め」ました。そして今日の箇所のはじめでは「厳かに勧めます」(新共同訳聖書は「強く勧めます」)と書いています。このように書くのには、理由があったのではないかと考えます。それは「むなしい心で歩んでいる」人々がいたということです。
そのような人々は、パウロがこの手紙のはじめから熱意を込めて書いてきたように、神がキリストにあって異邦人もユダヤ人も信仰によってお救いになり、神との和解、そして互いに一つになるという遠大な計画についての知識に乏しいのだとパウロは言いたいのです。
自分の人生にはっきりとした方向性、目的を持つことがなければ、どうしても私たちの毎日はその時その時の楽しみを追い求めるようになります。パウロはここで、むなしい心で歩むことによってせっかくの可能性や希望を台無しにしないようにと、「厳かに勧める」のです。
なぜむなしい心で歩まないのか、それはキリストを信じた人々は、情欲によって腐敗していく古い人を脱ぎ捨て、神にかたどり造られた新しい人を着たからだと、パウロは書きます。
そして、25節以降には、新しい人を着た人にふさわしい生活について、具体的に勧められています。私がこの中で心に留めたのは、この章最後のことば。「互いに親切にし、やさしい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。」
自分はさておき、誰かのミスをほじくりたくなうようなときがあります。そんなとき、キリストにおいて神に赦された者という自覚を忘れずに、この一日をすごします。