エペソ人への手紙 1章15−23節
合間を見つけて、以前出版された書籍の新しい版を作成しています。時々スキャンミスがあり、思わぬ文字が登場することになります。詳細に読めるので、良い時間をすごせています。そして好著、発行が楽しみです。
ここにはパウロの祈りがあります。この書にはパウロの祈りが二つあるのですが、そのどれもがエペソの教会を覚え、エペソの教会のための「とりなし」です。そして、二つともスケールの大きな祈りだということに驚かされます。ちなみに、二つ目の祈りは3章14−21節です。
まず目が留まるのは、16節です。彼はエペソの一人一人のことを覚え神に感謝していると書いています。エペソの教会にもさまざまな課題がありました。大きな課題があったからこそ、パウロは手紙を送ったのです。しかし彼はまず、エペソの教会ののことを神に感謝しているのです。
このような祈りに接する私は、いつも自分の祈りの貧しさに気づかされます。「祈ってください」と言われて祈る時、あの問題、この問題に解決が与えられるようにと祈るのですが、なによりもその方の存在を神に感謝したいと願います。
彼は、エペソの主にある人々のために何を祈っているのでしょうか。神をより深くより豊かに知るようにと言うことです。さらに、神が世界の基の置かれる前からキリストにあって選んでおられたこの私が、私たちが、世界大の教会が、賜わった望みがどれほど栄光に富んだものかを、そして私たちのうちに神が、どれほどの力をもって働かれるのかを知ることができるようにととりなしています。
キリストをよみがえらせた大能の力の偉大さを知るように、それをあなたがたの生活の中で知るように、とはなんという祈りでしょう。
とりなす自分の目や耳をそして口を、上に向けたいと思いました。