創世記 30章25−43節
耳の掃除にお医者さんに行きました。予想していたように、右と左にそれぞれ薬剤の入った液体を勢いよく入れ、そのあとで頭をかしげて水を出すという方法でした。月曜日に専門医に診てもらうことになりました。さて…?
最愛の妻ラケルとの間にヨセフを設けたヤコブは、故郷の地に帰ろうとして、伯父のラバンに申し出ます。この間ヤコブは、ラバンにだまされながらも忠実に仕え、結果としてラバンはヤコブのゆえに豊かな富を持つようになりました。このことはラバン自身も認めるほどでした。
ラバンから独立し故郷の地に戻るにあたり、ヤコブはラバンに報酬を求めます。ラバンは表向きヤコブの願いを受け入れますが、ヤコブが求めた家畜を息子たちに渡すというごまかしを平気でするのです。ラバンは、自分に富をもたらしたヤコブを手放したくはなかったのでしょう。
しかし、ヤコブはふてくされず怒ることをしません。このヤコブの姿勢について読みながら、「悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい」というローマ人への手紙12章21節を覚えました。
この時にヤコブが取った対応は、一見ラバンとのだまし合いのように思えるのですが、そうでしょうか。確かに、この時ヤコブは自分でできる精一杯のことをしたのでしょう。けれどもある解説には、このようなことがどれほどの効果をもたらしたのかは疑問だとありました。結果として弱い家畜がラバンのものに、強い家畜がヤコブのものになったのは、彼ががんばったということによるのではなく、神がヤコブをあわれみ、恵みを施して祝福してくださったということなのです。
「この人は大いに富み」ということばが目に留まります。書かれていないことばを加えると、「主が恵みを与えられたので、この人は大いに富み」ということになります。自分でがんばったのだから…という思いに陥りやすい者への大切な気づきです。