みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

暗闇を照らす

2024年05月10日 | 出エジプト記

出エジプト記 25章23−40節

 キリスト昇天日の木曜日は祝日。さわやかな晴天の下どこかに出かけたいところでしたが、日曜日の礼拝の準備などをしました。きょうから火曜日まで、ドイツ南部そしてスイスを訪ねます。いろいろな出会いを楽しみにしています。

 25章後半には、幕屋の聖所に置く机と燭台を作るようにとの命令があります。

 机は、「臨在のパン」を置くためのものです。「臨在のパン(供えのパン)」は、十二部族を象徴する12個のパンを安息日ごとに二列に並べて、机の上に置かれます。サウルに追われたダビデは祭司アヒメレクに食べ物を求め、ちょうど主の前から取り下げられた臨在のパンを得ることができたという、サムエル記第一、21章1−9節に記されている出来事を覚えます。通常、取り下げられたパンは祭司とその子どもたちが食べることになっていました。

 31節以降には、金の燭台を作るようにという命令があります。幕屋はその名のとおり天幕で覆いますので、聖所は明かりを灯さなければ暗闇です。ですから聖所を照らすために燭台を置く必要がありました。幕屋は神が臨在を約束された所。燭台に灯された光は、神がともにいることによって自分たちが光の中にある、ということを常に覚えさせたのだと思います。

 イエスはご自分を「わたしは世の光です」と宣言されました。(ヨハネの福音書8章12節) パウロは、エペソ人への手紙5章8節で「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい」と書き、テサロニケの教会へは「あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもなのです。私たちは夜の者、闇の者ではありません」と書きました(1テサロニケ5章5節)。

 暗闇の時代、神の子どもたちが信仰によって賜った「光」を升の下に隠すことないようにという挑戦を、ここからいただきます。


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