魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

不思議な

2010年07月03日 | 日記・エッセイ・コラム

No.949

悲しいかな、人生一度も、誰かに憧れたことがない。
魅力的な人とか、尊敬できる人とか、感心する人とか、色々な人がいるが、憧れたことはない。

憧れは、そのようになりたいと思う心で、他者を自分の目的とすることだから、「あのようになりたい」か、または、それを自分の物にしたいという強い思いだ。

スポ-ツなどでも、優秀な選手が出てくると、マスコミは「00二世」などと言いたがり、当の本人はたいてい嫌な顔をする。
マスコミにとっては類型だが、やっているのは本人であり、本人は本人以外にはならない。

多くの子供は、ヒーローに憧れ、人生の手本とし、目標として自分も努力を始める。その結果、次の世代の優秀な人材が現れる。

しかし、そうした動機付けで始めた子供達も、やがて、自分との対決に気づき、それを乗り越えヒーローになる。その時には、もう、憧れの人の二世になるのではなく、自分自身の成長に向かっている。

そのようにして、社会は引き継がれていく。
子供の頃から誰にも憧れなかったから、何の努力もしなかった。
だから、こんな人間になってしまったのだろう。悔やまれる。

永遠の恋人
誰かを好きになるのも、大抵は、憧れから始まる。
恋愛論の結晶現象で、よく相手を確かめもしないで、理想の人と思い込むから、実際に付き合っていると、失望に変わる。

ところが、スターなど、現実に自分との接点がない相手は、失望させない。永遠の恋人だ。
同じことは、自分の思い込みに反応してくれるペットにも言える。
犬が喜んでいると、思い込んでも、犬は「違うよ」とは言わない。

ペットに気が狂わんばかりの愛情を注ぐ人と、スターの追っかけは、同じ動機から始まる。
スターは、海王星の「幻想」であり、ペットも同じ海王星だ。

対象の相手に憧れたり、可愛がったりするのは、完全な自己愛だ。
心の現象は、誰にも止められない。
だから、動物愛護団体や、スターの追っかけには、歯止めがない。

熱烈なファンを生むスターには、ペットと共通する、無表情と媚びがある。もし、スターが「地」でしゃべっていたら、思い込みができない。ペットとは違う、人格が見えるからだ。
だから、スターを作るには、素顔を見せない演出が必要となる。

ところが、外国のスターには、あまりその必要はない。たとえ言葉が解っても、ニュアンスはよく解らないから、思い込みができる。

韓流スターの葬式で阿鼻叫喚で泣き叫ぶ、日本のおばさん達を見て、
動物愛護団体や、宗教団体に通ずる、異様さを感じた。

誰にも憧れたことがない者にとっては、摩訶不思議な世界だ。