魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

昔日の犬

2010年07月30日 | 動物

No.982

近所の忠犬、ゴンちゃんの本名が判明した。(実は2
先日、ゴンちゃんの柵の前を通りかかると、学校帰りの小学生の女の子が3人、ゴンちゃんの鼻を撫でている。ゴンちゃんは黙って柵から鼻を突き出して、シッポも振らずにじっとしている。

近づいて、女の子に
「名前知ってる?」と尋ねると、一瞬ぎょっとした顔になったが、
「うん、ジョン・・・」
「そうかあ、ジョン君か」と言うと、
「うん、男の子・・・」と、少しはにかむように答えながら、撫でている。

雰囲気を壊さないように、その場はそのまま立ち去ったが、後日、独りで通りかかった時、例のごとく、『怪しいヤツ!』と改まって起きてきたので、
「ジョン」と呼びかけると、オットットと立ち止まって、
『えーっと、何だっけ?』と、困ったような顔をして、こっちを見たり見なかったりしているから、もう一度「ジョン」と呼んだら座ってしまった。

今度はジャーキーでもお土産に持って行きたいところだが、よその犬なので、我慢している。

昔は
犬はたいてい放し飼いだったから、犬を必ず散歩させる必要もなく、当然、道ばたは犬の糞だらけだった。
飼い犬と野良犬の区別は「首輪」だけで、「首輪のない犬」と言えば、野良犬のことだった。(ハチ公の時代

ただ、その頃でも、闘犬は繋いでおくのが常識だったが、中には非常識な人もいたし、闘犬とまで行かなくても、かなりの大型犬も街をうろついていた。追っかけられたり噛まれたりした子も少なくなかったから、オバQの犬嫌いが自然に理解された。(今の子には理解できないかも知れない)

それでも、大抵は犬と人の「間」はとれていて、放し飼いにしている家では、よく、顔なじみの犬が、『遊びに行こう』と、玄関先に来て出かけていくこともあったし、数匹で誘いに来ることもあった。

犬が勝手に出かけていって、帰ってきて餌を食べないと、
「どっかで、何んか食べさせてもらったんだろう」と、気にもしなかった。

しかし、だんだん、世の中に秩序が生まれ、狂犬病が流行ったり、糞害が問題になったりするようになって、法律が定められ、無責任な飼い方ができなくなると、犬の飼い方は一変し、独立した犬はいなくなった。
20年ほど前に、近所の商店街を挨拶回りして歩く老犬がTVで紹介されていたが、あの時すでに、珍しい光景になっていた。あの商店街も、今ではシャッター街になったかも知れない。

近年は、日本でも、ペットと人間の区別ができない人が増えてきた。
犬を家族と思い、犬や猫に財産相続をさせたり、犬猫の葬式に大金を掛けたりする。
人とペットの優先順位が解らない人は、ペットを人間扱いしているのではなく、自分がペット並みになっていることに気づかない。

日本犬」、「犬の散歩