魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

タコ占い

2010年07月12日 | 占いばなし

No.961

とうとう、タコのパウル君のサッカー占いが、100%的中した。
世界中が、タコに注目して、負けた国では、タコを食べてしまえと怒りが沸騰した。

こうなると、占いブログとしては、やはり、一言コメントしておかなければならないだろう。

勝ち負けを的中させたのはパウル君ではない。
水族館の係員だ。サッカーの勝敗をパウル君に占わせようと思いつくぐらいだから、この係員はサッカーもパウル君も大好きに違いない。

係員はパウル君の性質を熟知しており、どうすれば、どこのふたを開けるか知っている。そして、サッカーの本場だから当然、サッカーも熟知している。

だったら、彼自身が予想すれば良さそうなものだが、それが、そういうものではない。
もし彼が予想したら、むしろ、100%外れていただろう。

ここが、占いというものの妙味なのだ。

先ず、彼の性格を考えてみよう、水族館でタコに愛情を注ぐような、優しく控えめで、少し変わった性格だろう。
サッカーに熱い国で、うかつに勝敗を口にするだけで、総攻撃をくらう。ましてや、自国の負けなど口にするだけでも危険なのに、本当に負けたら、タコ並みに八つ当たりされ、命も危ない。

占う者は、常に依頼者に都合の良い答えを求められ、どう転んでも良い結果は待っていない。
和気清麻呂は称徳天皇(孝謙)の命で、宇佐八幡のお告げを聞きに行き、気に入らない答えを持ち帰っただけで、ひどい目にあった。

そこで、昔から、自分が言うのではないという姿勢で話す。巫女の神懸かりであったり、筮竹であったり、タロットであったり・・・
実際、予知力があるような人は、とても世間にのさばるようなパワーがない、影の薄い人間だ。だからこそ、違うパワーに共鳴する。

サッカー好きなタコの係員はおそらく、どちらが勝つか予知していただろうが、自分の口を通して言えるようなことではない。それどころか、彼自身、とてもそんな能力が自分にあるとは思ってない。

で、「タコに占わせてみます」と、タコを介して、自分の潜在意識を代行させる。もちろん、自分が操作している意識はない。
誰に遠慮もない判断なのだ。

もし、このことを見抜き、彼に直接言わせようとすれば、元々、気の優しい人間だから、周囲を気遣って言うことが変わってくる。その結果、ほとんど、当たらなくなる。

占いの妙味とは、人間世界の生存競争の外にある事実を、人間ではない次元で感知することだ。
係員とタコと偶然性。この三者が一体になって、一つの答えが出る。

八本足のタコが、八試合を当てて「パー」フェクト
「サッカーって何ですか?」タコ