転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



清志郎が復活した以上、きっとあると思っていた野音が、
とうとう、発表になった。

9月6日(土)17:30START 日比谷野外大音楽堂(雨天決行)
YAON 2008 GLORY OF LOVE
忌野清志郎&NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS
plus 仲井戸"CHABO"麗市

やっっったっっっ!!
嬉しい、そりゃーもう、嬉しいには違いない!
…………のだけど、
これって2学期始まっているぢゃないか。
ワタシはてっきり8月かと……。

私のような痴(し)れ者でも、
9月というと娘の学校があるから、家を留守にしにくいじゃないか、
と思ってしまうのだが、
それ以上に、いつも一緒に行っているRC仲間の友人が問題だ。
彼女は実はガッコの先生なので、2学期早々に東京旅行なんて、
仕事の面だけを考えても、かなり厳しいのではなかろうか~。

しかし、清志郎の野音なんて、私には何年ぶりだろう。
聴きたいのはヤマヤマだ。
♪9月に なったのに~ いいことなんか ありゃしない~
と家で虚しく歌っていることになったら、いやだ~(泣)

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この15日から中国の南京大学で、フー・ツォンの父フー・レイの、
生誕百周年記念シンポジウムが行われるので、
君よ弦外の音を聴け』の御著書のある榎本泰子先生と、
先日、『望郷のマズルカ』を出版なさった森岡葉氏とが、
揃って招かれ、出席し論文発表などをされることになっている。
フー・レイ(傅雷)は文化大革命以前の中国の近代知識人のひとりであり、
『ジャン・クリストフ』の翻訳などの業績を持つ仏文学者だった。
ピアニストのフー・ツォン(傅聡)は、その長男である。

亡父の生誕百周年ということで、フー・ツォンも中国に滞在し、
16日夜は南京大学でシンポジウム関連行事の一環としてリサイタルを、
19日夜は上海音楽学院でマスタークラスを行うことになっている。
更に、25日には上海音楽庁でもコンサートが予定されている。
演奏予定曲目は、森岡氏の情報によれば、
ハイドンの2つのソナタ(Hob.32・33)
シューベルトのソナタD.959
ショパンのエチュード op.25の1・2・3・4・7・12、
などだそうだ。

実は、森岡氏は大変に気さくな方なので、
この予定がほぼ決まった昨年暮れに、私のような者に、
「よしこさんも一緒に行きませんか」
と、あまりにも気軽に、声をかけて下さったのだった。
榎本・森岡両氏というフー研究最強コンビが参加なさる中国旅行、
それに、91年以来十数年ぶりのフー・ツォンが聴ける!とあって、
私は一気に頭に血が昇ってしまい
(年末はまだ他の病気のために出血多量だったというのに・爆)
ほ、ほ、ほ、本当に行ってしまおうかっっ、と思った。
なにしろ、広島から上海までなら直行便があるし、
そのフライト所要時間は、広島―東京の新幹線より短い。
ヨーロッパまでポゴレリチを聴きに行くなどという話とは
全然、規模の違う気楽さである。

だが、道楽に目のくらんでいる私などと違って、
ごくフツーの日本人である主人は、言った。
カネないヒマない以前の問題として、
アンタは危機管理意識が無さ過ぎだから、駄目だ

海外旅行というだけでもとんでもないのに、ましてや、
今のような時期に、不慣れな新参者が中国などへ行くんじゃない、
とゆーワケですね。ごもっともです(泣)。

かくなるうえは、なんとしてでも、近いうちに、
フー・ツォンに来日して貰わなくてはならない。
とりあえず、長年のファンのひとりである今の私にできることとして、
作りかけては挫折を繰り返している、フー・ツォン・ファンサイトを
早くどうにかしなくてはと、改めて誓ったことだった。

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客席の側が、観る前から演目の展開をよく知っていて、
出だしがどうで、次はどうなって、結末は、こう、
という前提を持って鑑賞するのが「古典」だ。
同じ演目が、何十年、どうかすると何百年でも
繰り返し上演され続けて来ているのだから、
過去のプレイヤーの解釈や、昔からの演出が既に知れ渡っており、
「今までと較べて今回のはどうか」
と、観る者が比較して味わうのが醍醐味なのであって、
ネタバレしたらガッカリ、という分野とは、最初から存在意義が違っている。

音楽でも、演劇でも、舞踊でも、古典とはそういうものだが、
その中で、バレエというのは、「クラシック」ではあっても、
例えば楽器の演奏などよりずっと、表現内容に取捨選択の自由があり、
振付家や踊り手の感性や時代感覚が存分に発揮されていると思う。
音符や言葉のように、紙の上に記録して残すことが出来なかったために、
ベースとなる振付が複数のパターンで伝えられていることが多いし、
どう組み合わせるか、新しく何を入れるかの許容範囲は、極めて広い。
それでもクラシック・バレエというジャンルは揺るぎないものなのだから
「再生芸術」としては、実に興味深い分野ではないだろうか。

……などと書いたのは、きょうはここで、その好例としての、
キトリのバリエーションについて語りたいと思ったからだ。
昨夜、検索していてアスィルムラートワのキトリに偶然に出会い、
幾度か繰り返して再生しているうちに、
キトリが自分にとって少し特別な意味を持つ踊りだったことを思い出し、
私がこれまで観てきていろいろと思ったり感じたりしたことを、
この際、まとめて記録しておきたいと考えたのだ。

前にも触れたが、昔、カルチャースクールのバレエ講座で、
ポワントも履けずバレエシューズで不格好にヨロヨロとやっていた頃、
天啓のように、この曲の不思議な魅力を体感する機会があって
以来、私は、キトリに格別の思い入れを抱くようになった。
それで、いざ注意して観るようになってみると、
この有名なバリエーションひとつでさえ、
実に様々な踊り方があることがわかり、
クラシック・バレエの創造性というものについて改めて、
ど素人のレベルではあるが自分なりに考えさせられたわけだ。
そういう意味で、キトリは見る側の私にとっても、
ひとつの「きっかけ」になった踊りだった。

私は、キトリの三幕のバリエーションについては、
生理的な好みみたいなものがあって、
まず、分散和音の前奏のあと音楽が「ジャン!」と一瞬止まったときに、
歌舞伎の見得みたいに、カっと扇を開いて十分にキメて欲しい、
それから、中盤のエシャッペ(両足を開閉して交差させるステップ)は
早過ぎないテンポでたっぷりと、1セットで4回くらいは見せて欲しい、
それと、終盤に向かうパ・ド・シュバル(馬のステップの意味で、
ずっとポワントで立ったまま、つま先で床をひっかくようにして
片足ずつ進んでいく部分)では、右に左にと目力を発揮して、
クドいくらいのアピールをして欲しい、・・・というふうに、思っている。
要するに、全体を通して、表面的にはお転婆娘の愛らしさをふんだんに、
同時に根底のところでは、『まなじりを決した』みたいな強さを秘めて、
メリハリのある踊りを見せて欲しいのだ。

そういう意味で、私にとって、観ていて最も爽快感があるのは、
以前にもご紹介したことがあるのだが、パロマ・エレーラの踊りだ。

パロマ・エレーラのキトリ(YouTube)
なんとも、粋でおしゃれで、躍動感のあるキトリ、
体のラインも、ギスギスしていなくて、しなやかで美しい。
エシャッペがどれも物凄く綺麗に入っている、
というか効果的に見せる角度になっているし、
3セット目のエシャッペの四回目で脚を5番ポジションに戻す瞬間、
扇をパン!と勢いよく閉じる呼吸なども、実に小気味よい。
何より、最後のシュバルのところの扇づかいが細かに変化しているのと、
目線がくるくると愛らしく動いているところが、
いかにもじゃじゃ馬キトリという感じがして良いと思うのだ。
アチチュードで決めるポーズまで安定感が持続していて素晴らしい。

一方、同じ音楽、同じ場面、基本的に同じ振付のキトリでも、
私の愛するアスィルムラートワのものは、かなり違っている。

アルテイナイ・アスィルムラートワのキトリ(YouTube)
袖から走っての登場~イントロ終わってジャン!の箇所が
ここでは収録されていなくて、とても残念なのだが、
グラン・パ・ド・シャで後の脚の膝を曲げているのは、
「猫の脚」ステップ本来の感じで、新鮮で可愛いし、
シュバルでの多彩で鮮やかな表現は、彼女ならではだと思った。
巧い言い方が見当たらないが、彼女の、一拍一拍が終わる瞬間の表情付け、
のようなものが私にとっては大変に魅力がある、と改めて感じた。
ただ、彼女の持ち味の問題なので仕方がないが、
キトリの野性味には乏しいので、好みが分かれるところだろう。
ちなみに、エシャッペのあとのアチチュード・ターンになったとき、
アスィルムラートワは扇をきっちりと閉じていないようで、
なんだかハリセンみたいだと思ってしまった(殴)。

(ハリセンでバジルを追い回し、かぱーん!と叩くキトリ、
というのも、踊り手にテクがあれば、パロディとして面白いかも。
グランディーバ・バレエあたりが、既にやっていないだろうか(^_^;?)

さて最後は、多くの人が認めるキトリ決定版を。
これが見事であることを否定する人は、
とても少ないのではないかと思う。

ニーナ・アナニアシヴィリのキトリ(YouTube)
ニーナ・アナニアシヴィリは本当に伸びやかな肢体を持ったダンサーだ。
手を挙げても、ジャンプしても、ほかのキトリより高い感じがする。
それでいて、スピード感も十分で、緩急の変化が明瞭・鮮やかだ。
セクシーというより「コケティッシュ」と言いたい魅力があると思う。
キトリというキャラクターの熱さ・美しさ・奔放さを表現するのに
彼女ほどぴったりの踊り手は、ほかにないだろう。

たった一分半のバリエーションでも、これだけ違うことが、
ダンサーによって、あるいは振付家によって行われているのだ。
ピアノの楽譜のエディション違いとは比較にならない多様性だし、
解釈の差異を具体的なステップの変更によって表現できるのは、
クラシック・バレエというジャンルが備えた創造性として、
大変、興味深い現象だと思う。

なお、日舞と同様、バレエも、衣装には踊り手の好みが反映され、
デザインがそれぞれ細かく違っていて、個性を楽しむことができるが、
キトリの衣装は、大きく分けて赤と白の二種類がある。
情熱のスペイン・華麗なキトリ、というイメージからは赤になるようで、
ボリショイ系のダンサーは赤が多いように思う。
一方、物語としては、この踊りが出て来るのはキトリとバジルの、
婚礼の場面としてなので、花嫁の白をまとうことも理に適っている訳だ。
上にリンクを貼った中では、アスィルムラートワだけが、
髪飾りにも扇にも全く「赤」を使っていない。

それと、そもそも衣装だけでなく、振付にも大まかには二種類あって、
今まで観てきたものとは異なり、もうひとつのはフェッテで始まり、
中間部はエシャッペでなくルティレ、終盤もシュバルのステップは無く、
ルティレとパ・ド・ブレ、またはトゥールピケなどが見せ場となる。
ヨーロッパ・アメリカ系と、ソビエト・ロシア系という、主立った二系統で、
それぞれの振付が伝えられているのだと、以前読んだことがある
(『バレエ入門―バレリーナの手紙―』川路明・土屋書店・1992年)。

エカテリーナ・シプリーナのキトリ(YouTube)
スヴェトラーナ・ザハロワのキトリ(YouTube)

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母の日なので、T園にいる姑のところに、
朝から、主人とふたり揃って行った。
娘は中高合同の体育大会があって、留守だった
(A中高ならではの五色対抗のアレだ。今年の娘は黄色組)。

姑は、お風呂が終わってさっぱりしたところで、御機嫌も良く、
私たちが持参した「桃プリン」を瞬く間に平らげた。
それから昼食になると、最初は自分でスプーンを持って食べられて、
きょうは、なかなか調子が良いようだった。

姑の介助をしていると、近くにいる別のおばーちゃんズの
世間話が、なんとなく、聞こえてきた。
別に聞き耳を立てなくても、とても声が大きく発音が明瞭で、
話し手のおばあちゃまの物語は、わかりやすかった。
わかったが、その内容はとんでもなかった。
なにしろ、話に出て来る人物が最後には皆『子宮がん』になるのだ。
ドキュメンタリー風味だったが、フィクションも入っているかも?
と思いながら、あまりの『子宮がん』繋がりにウケていた私だった。

5人目の『○○さんの奥さん』についての話が始まったときだけは、
「血圧が250あるんと」という説明だったので、
ヨカッタこの方の病名は他と違って高血圧症なのか、
と私が意味もなく安堵していたら、最後にはやっぱりこの奥さんも、
『子宮がん』になってしまった。そして、
「ほいじゃが、食欲が旺盛なけ、なんにも心配要らんと
お医者さんが言うちゃった。大丈夫じゃった」
というオチがついた。

と、突然、私の背後で、別のおばあちゃまが、悲鳴のような声で、
「だっ、だれか来てーーーー!!!」
と叫ばれた。どうしたのかと私はドキっとしたが、近くの職員さんが、
「はい。今行きますよ」
と顔色も変えずに返答をされた。単に介助を頼んだだけだった。
誰か来てーーーー!!
「はぁい」
おいっ!はよ来い!!
「今行きますからね」
早く来やがれ!!

見事な三段活用であった。
職員さんは慣れたものだったが、そばに来てから、
「お待たせしました。すみません。
 でもねえ、そんな乱暴な言葉で呼ばれるの、慣れとらんのよ私。
 どして、そんな言い方するん?」
と、穏やかにたしなめられた。こういう返し方は、さすがだった。
するとおばあちゃまの返答がふるっていた。
江戸っ子だから

どのおばあちゃまも、自分なりの自己主張をなさっていて、
今だって十分に、お元気では、あるのだ。
多分、何年か前までは、どの方も、明るく世話好きで、
よく働く『近所のおばちゃん』だったに違いないし、
場合によっては、とても慎ましやかな江戸っ子だったかもしれない。
それが、ほんのちょっと、どこかで回路の調子が悪くなってしまうだけで、
人間というのは、様々な面を見せるようになるのだなと
毎度のことながら、しみじみ、思ってしまった。

うちのばーちゃんは、そんな周囲の騒動も全然耳に入らず、
ひたすらにお昼御飯を食べ続け、最後のほうになると、
ありがたーくなったようで、目を閉じてウトウトし始めてしまった。

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この「ロシア演劇の話」というカテゴリーを設けたのは、
そもそも、私が83年に初めて観たソビエト演劇の、
「レニングラード・ボリショイ・ドラマ劇場」の話を
どうしても一度は書き留めておきたいと考えたからだった。

ロシア演劇の話2で書いたことなのだが、最初の出会いは、
大学1年のとき偶然に選択した、「ソビエト演劇」の授業だった。
担当なさった佐藤恭子先生の講義が物凄く面白くて、
私はこの分野の虜になり、翌年からは第二外国語をロシア語に変え、
専攻の言語学とは直接関係のない科目だったにも関わらず、
佐藤先生には在学中4年間のうち3年間もお世話になった。

いつかお礼を申し上げたい、と思っていた。
佐藤先生は電話がかかってくるのが嫌いだ、と仰っていたから、
そのうち、お手紙か葉書などのかたちでご挨拶してみよう、
私のことなど、もう覚えていらっしゃらない可能性が高いけれど、
・・・などと、懐かしく思ったりしていた。

その佐藤先生が、既にお亡くなりになっていたことが、今夜、わかった。
母校の大学に勤務している元・同期生にメールを出し、
佐藤先生の現住所や御近況を知る方法はないだろうかと尋ねたら、
そのレスがさきほど来て、それに、
『大変悲しいことですが、佐藤恭子先生は数年前に、
突然、お亡くなりになりました』
と、あったのだ。
学期途中の、本当に予期せぬご逝去だったとのことだった。

今でも持っている、『ソビエト演劇』を受講したときの、
講義のノートを、改めて開いてみた。
1983年5月13日、ちょうど今から25年前のこの時期のページを見ると、
テーマは「ソ連の民族演劇」となっていた。

「民族演劇―形式的には民族色ゆたかであるべき、
 イデオロギー的にはソビエト社会主義路線を守るべき
 →創作の自由がせばめられる クレムリン色が強い」
 →統制の中で実ったもの」
「例1:グルジア共和国
  ・グルジア劇団(グルジア人によるグルジア語の芝居)
  ・ロシア劇団(ロシア人によるロシア語の芝居)
   ―民族の独立を建前としながらも、ロシア文化を輸出
  ・アルメニア劇団(アルメニア人のため)」

グルジアは、ソ連の一部ではあっても、ロシアとは異なり、
民族性を反映した『グルジア風写実主義』を持っている、
と佐藤先生は仰った。
それはつまり、現実を誇張した、すべてにおいて大袈裟なものである、と。

「そして、なぜか、詐欺師を主人公とする芝居が多いのよ!」
と仰って、楽しそうに笑われた先生のお顔や、
その素敵なまろやかなお声を、
今も私は、ありありと思い出すことが、できる。

この世でお礼を申し上げることが、ついぞ出来ませんでしたが、
先生から教わったことは、今でも私の中に、大切な財産として、
たくさん蓄積されています。
先生がいらっしゃらなければ、メイエルホリドを知ることもなく、
ロシア演劇を観る機会も得られなかったのではないかと思います。
本当に、心から、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。

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今朝8時半頃のことだった。
主人も娘も既に出かけており、家の中には私だけで、
恒例のNHKラジオ『まいにちスペイン語』も終わったし、
さて掃除をするかと、思ったときだった。

『ピ!ピ!ピ!ピ!ピ!』
『ピピーーーー!!』

と、玄関ドアのセキュリティ・システムの音がした。
最初の『ピ!ピ!ピ!ピ!ピ!』は暗証番号を入力した音で、
あとの『ピピーーーー!!』は、それが拒否された音だった。

『ピ!ピ!ピ!ピ!ピ!』
『ピピーーーー!!』

『ピ!ピ!ピ!ピ!ピ!!』
『ピピーーーー!!』

『ピ!ピ!ピ!ピ!ピ!!!』
『ピピーーーー!!』

主人か娘が、忘れ物でもして、急いで帰ってきたに違いないのだが、
よほど慌てているらしく、凄い勢いで立て続けに暗証番号を入れ、
操作が早すぎて押し間違えるのか、何度入力しても拒否され、
しまいに、ドアは、ピピピピー!!と鳴いて、凍結してしまった。

もちつけ。ホンマに。
トイレに間に合わんとか、そういう理由か。
と苦笑しながら私が玄関まで出て行って、内側から開けた。

・・・すると!外には、
全然知らない女性が立っていた。

女性「わっっっ!!」
転妻「あれっっ!????」
女性「え・・・、あっ!!すみません~!!階を、間違えました!!!」

・・・・・・・・・・・・(^_^;。
いや、こっちこそすみませんでした。
おバケでも見たようなリアクションを取ってしまいました。
相手のほうも驚愕してた様子ではありましたが。

このことで、私は、あまりにも自分が不用心であったことを知った。
なんであれ、内側からドアを開けるときは、
外にいるのが何者であるか、ドアスコープから確認すべきだった
(官舎にはドアスコープの無いのが結構あったので、どうも習慣にならず)。
今回は偶然、部屋を間違えただけの、同じマンションの住人だったが、
これがもし、意図的に侵入しようとした強盗だったら、どうなっていたか。

しかし、まあ、家宅侵入をする側としても、
このやり方はリスキーでは、あるかもしれない。
よほどリサーチしてかからないと、内側からドアを開けるのが、
果たしてどんな人物なのか、わからないからだ。
神取忍(私、同い年です)みたいな奥さんやったら、凄いぞ。

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連休の金沢で見かけた光景なのだが。

金沢城趾の近くに、鎧武者の像があって、
土地柄からして加賀の前田公の誰かだと思うのだが、
そこが、ちょっとした記念撮影のポイントになっていた。

私が通りかかったとき、ちょうど、旅行者らしい、
若い男の子たち数人のグループが来ていた。
彼らは茶髪で、「どこで買ったの?」と聞きたくなるような、
迷彩服まがいの上着や、極彩色のツナギみたいなものを着ていた。
その姿で、彼らは大はしゃぎで、
鎧武者の前でピースしながら互いに写真を撮っていた。

殺ス

と背後の前田公が仰っているように、私には思えた(逃)。

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<冷蔵庫の細菌>水ぶきNG!30~700倍に大増殖(毎日新聞)
『家庭用冷蔵庫の野菜室にくずが残っていると細菌が繁殖しやすく、ふきんの水ぶきだけでは菌が増えることが、兵庫県立生活科学研究所のテストで分かった。消毒用エタノールを使った掃除が効果的だ。』

食品が賞味期限を過ぎただけですぐ捨てる感覚は、
私は持っていないけれども、
傷んだ野菜や果物などが冷蔵庫に入っているのは
確かに不衛生だと思う。
清掃以前に、冷蔵庫にモノを貯め込まないのが先決だろう。

掃除の仕方に関しては、記事の文章よりも、
グラフのほうがインパクトがあるのだが(野菜室清掃前後の生菌数)、
これを見ると、多くの主婦の感覚とは裏腹に、
冷蔵庫の水拭きなどは、しないほうが遙かにマシである、
ということがハッキリわかる。
見た目が綺麗になっても、掃除のせいで黴菌が増えまくっているのだ。

一般的に、乾いたところでは細菌は増えず、
水分を与えると途端に増える。
手洗いだって、乱暴にざっと濡らしてタオルで拭くような洗い方は、
本人の気休めにはなっても、その実、黴菌を元気にしているだけだ。
そんなことなら、しないほうがずっと良い。
濡らす以上は、石鹸や洗浄液をつけて根こそぎ洗い落とす、
というくらいの気でやらないと、本当はいけないのだ。
・・・という話を、以前、PTA保健部の学習会で聞いたことがあった。

それと同じで、冷蔵庫だって、消毒薬で拭くのがベストだが、
そう出来ないのなら、変に水拭きしたりせず、
むしろ何もしないで、少々の汚れなどは放置したほうがマシ、
ということが、今回の記事を見て、わかった。
・・・いや勿論、比較の問題ですよ。
細菌が爆発的に増えることに較べたら、普通程度に汚れているほうが
まだしも良いだろうという、低次元の比較の話です(汗)。

しかし、そういうこととは別に、
冷蔵庫の中をエタノールで拭くような神経質さが、
本当に我々の健康のためになるのかと、私はやや疑問にも思っている。
生物というのは、いろいろな細菌に接しながら、
適当に折り合いをつけて生きていくのが本来ではないのだろうか。
冷蔵庫を無菌に近いところまで清掃しないと、たまらなく気持ち悪い、
という人間よりも、
バイキンが居ようが居まいが死にやせん、少々のことならノーカウント、
というほうが、よほど生命力に溢れた健康な人間なのではあるまいか?
何かというと、殺菌!無菌!除菌!抗菌!と徹底しようとすることに、
私は実のところ、どうも、不健康さを感じているのだ。

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若い男から110番、出てみれば「ゴキブリが気持ち悪い」(読売新聞)
『「ゴキブリが家の中に出てきて、気持ちが悪い」昨年夏、大阪府内の警察署に、若い男性から電話がかかってきた。対応した署員は「自分で駆除できるはず」と考え、この依頼を1度は断った。』『しばらくして再び同じ男性から「本当に困っている。来てくれ」。最寄りの交番にいた50歳代の男性警部補が男性宅を訪ねると、おびえた目つきでゴキブリを見つめる若いカップルが待っていた。警部補はゴキブリを駆除し、死骸(しがい)をビニール袋に入れて持ち帰った。』

一読したとき、ケーサツを呼ぶなんてよくよくのことだから、
多分、家じゅうがゴキ邸になるほどいたのだろう、と思った。
だが警部補が簡単に駆除し、ビニール袋に入れて持ち帰った、
というのは、つまり、ゴキ男くんは、たった一匹だったのか。
そんな、ツノの取れたカブトムシくらいで騒がなくても、
殺害するに忍びないと思うなら、共存だって可能だろうに、
どんだけデリケートなカップルですかと、ワタシは感心してしまった。

でももしかしたら、このふたりは、ゴキのいない北海道とか、
あるいは緯度の高い外国で育った人たちだったのかもしれない。
官舎で知り合った、小樽出身の若い奥さんが、
ミミズは素手で触れるし、ネズミの観察も怠らないヒトだったが、
ゴキだけは心底驚かれていたことがあった。
あんな物凄い生き物は見たことがない、これで覚えました、
と後から真剣に仰っていたものだった。
でもこの方だって、110番通報はされませんでしたがね。

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・昨日の夜、広島に戻ってきた。
金沢は実に良い街だった。とても気に入った。
何しろ三十年前の記憶しかなかったので、行く前の私は、
金沢は新幹線もまだ来ていない北陸の、穏やかでひなびた街、
というイメージしか持っていなかった。
ところが、今回目の当たりにした金沢は、
昔ながらの、しっとりと落ち着きのある風情が維持されていると同時に、
明るく洗練された、開放的な気分が街のあちこちに満ちていて、
とてもセンスの良い都市計画がなされていることがわかった。
古い町並みや雰囲気が魅力である地域はいろいろと他県にもあるが、
そこに、新しい者もヨソ者も全部を受け入れる、
軽やかな空気を併せ持っているのは金沢独特で、とても面白いと思った。

・金沢から大阪まで特急サンダーバードで来て、一度降りて食事をした。
帰りに、新大阪から新幹線に乗るのに、ふと売店を見たら、
以前のように赤福がたくさん売られていた。ので、早速、買った。
私は本当に赤福という製品のファンなのだ。
ちなみに友人によると、なぜか、前の赤福のほうが美味しかった、
ような気がする、という話だった。
いっぺん冷凍したほうが、良い味が出るのだったりして(殴)。

・帰ってきたら、中国の胡錦濤国家主席が、
上野にパンダを貸して下さりたい意向であることが報じられていた。
私は動物が好きなので、パンダが日本で見られるのは有り難いのだが、
高額有料での貸し出し、という点が気にならないワケではない。
前に書いたが、和歌山に既に六頭もレンタルパンダがいて
これらが親子関係であることが繁殖という観点からは問題のようなので
二頭か三頭を中国に返して、交換で新しい「つがい」を
日本に来させて貰うというのは駄目ですか、
と思うのは、・・・・・やはり私がケチなせいでしょうか。
ときに、和歌山の子パンダ達のうち、ひとりだけ母の連れ子だった長女が、
先日、母の夫(つまり義理の父)と結婚(?)したようで、
ここの家族関係はますます複雑化している。

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