転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「熱狂の日」の演奏会で、ベートーベンのソナタ2曲、
月光とワルトシュタイン。
超一流の演奏家は何を弾いても超一流、
と改めて実感したリサイタルだった。

300席程度の小さいホールだったので
昨年と違い、エル=バシャの熱さを感じることができたし
多分エル=バシャにも、聴衆の興奮が
ダイレクトに伝わっていただろうと思われた。

サイン会があり、イチかバチかとフランス語で感想を言ったら
それまで下を向いて淡々とサインしていたエル=バシャが
途端に顔をあげてにっこりしてくれた。
「良かったと感想を言うとるらしい」
という程度には、かろうじて通じたようだった(苦笑)。

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特急サンダーバードで金沢に向かっている。
娘は車内でDVDを見ている。

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昨日は大阪に来る前に神戸で途中下車した。
神戸転勤のとき住んでいた官舎を見るためだった。
今更、見たって別に何もないし、
当時の住人は皆それぞれ転勤して今は全部入れ替わっているのだが
せっかく近くまで来たのだし
懐かしいから行ってみようと主人が言い、私も賛成した。
娘は神戸の官舎はほとんど覚えていないと言った。
二歳から五歳までの期間だから、
微かな記憶しかないのは無理もなかった。

最寄り駅で降りてみると、街並みは変わっていないように見えたが、
よく利用したパン屋さんが閉店していて
何度か行った筈のケーキ屋さんはヘアサロンになり
たびたびお世話になった内科医院は代替わりしていた。
私たちが神戸を出てから、既に8年か9年経っているので、
そうした変化があるのも当然のことと思われた。
ただ、主人がかつて「下手で許せん」と怒った理容室は
今も変わりなく営業していて
「信じられん」と主人は呆れていた。

官舎は、あった。
震災を生き延びた、雨漏りのする、ピサの斜塔状態のヤツだ。
まったく、あんなボロなものがどうして震災でも無事だったのか、
・・・あそこで多少とも壊れていれば、改築くらいして貰えたのに
『単に壁にヒビが入り雨漏りがひどくなっただけだった』
と、我々が震災の二年後に入居したとき先住民から聞いた。
その後も、全く手入れされた様子は無かった。
昭和の建物は変なところで堅牢で困ると思った。

この、門扉が廃屋のそれのようになっている官舎を見た途端に、
「あ~、思い出した!」
と娘が言った。
建物の前が小さな林のようになっていて
そこで同じ官舎の子供たちと何時間も遊んでいたことを
覚えているということだった。
「でも、こんなに狭いとこだったんだね~」
小さな子供だった娘には、深い森のように見えていたのだろう。

神戸の思い出は私にとっては
主人が忙しすぎて脂肪肝になったこと、
娘が幼稚園に入ったこと、ヤマハやスイミングに通っていたこと、
こべっこランドに行くたびに、ロタウィルスやコクサッキーウィルスを貰い、
それが私にまで感染して、つまりは母娘ふたりして風邪を繰り返したこと、
娘と王子動物園や籠池児童館や布引ハーブ園に行ったこと、
それに、阪急電車を駆使して宝塚に通いまくったこと(爆)、
…そんなところだろうか。
あとは、南北方向の急な坂道に閉口したことが、
何かにつけて思い出されるのだけれど…。

と、唐突に主人が、
「掃除しとらんやないか」
と指摘した。
「溝に、落ち葉がいっぱい溜まっとる!」
今はどうか知らないが、私たちがいた頃は、確か、
毎月第二土曜日が全戸一斉清掃の日に当たっていて、
よほどの雨天でない限り、住人総出で外掃除をしたものだった。
男性方は毎回、溝のフタを全部外して、中を綺麗にしていたから、
主人はそのことを思い出したのだろう。

それにしても、別に掃除の鬼でもなかったハズの主人が
じーちゃんみたいな目の付けどころで
さすが父子、と私ひとり感心してしまった。

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