転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



私がコロナをやっていた間に、友人某氏が見つけてくださいました
(ありがとうございました!)。
ポゴレリチ(ポゴレリッチ)来年1月25日の君津公演のチケット、
8月31日(土)9:00~発売開始です。

君津市民文化ホール
★8/31㈯発売開始★2025/1/25㈯ イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノリサイタル

……は、ともかくとして、君津の演奏予定曲目って、これでいいのかね(^_^;?
【予定曲】
モーツァルト:幻想曲 ハ短調 K.475
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K.331「トルコ行進曲付き」
ショパン:ノクターン 変ホ長調 op.55-2
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ長調 op.35「葬送」 ほか

翌日の所沢ミューズのと一曲もカブってないし、しかも『ほか』って、
こんだけ弾いて、まだ弾くの!??
最近の彼なら、後半ショパンもう一曲くらいイケるか。
しかしそれにしてもノクターン、懐かしの作品55-2やるんだ?
48-1でも62-2でもなく……?
いやイイんだけどさ、どうしたのかなと思って……(汗)。

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今回、初めてコロナに罹ったわけだが(汗)、
陽性になったときに備えて考えていたことをだいたい実行できたので、
自分に関しては、少なくともやれることはやった、と納得している。
いざ寝込んでから、どうしたら良いかわからず困った、
ということはなかった。
また、最も近所のかかりつけ医が、常日頃から、
COVID-19に関する認識や、ワクチン接種・治療薬処方への考え方に関して、
私の求める方向と合っていたことも、大変幸運であった。

今回、検査キットで陽性がわかったとき、既に前日から症状があったので、
私は治療薬を希望する旨、すぐに申し出たのだが、
その段階では、ゾコーバを提案されるかなと思っていた。
現在三つある治療薬の中ではゾコーバが一番安価なので、
値段ゆえに今、最も多く処方されていることを私は知っていた。
しかし私の主治医はわかりやすいヒトだった(^_^;。
「パキロビッドにしよう、これが一番効くからね」
と最初からアッサリ仰ったのだ。ありがとうございます<(_ _)>。

3万円を薬代にすると思ったら、確かにひどく高い。
私も20年前なら「今月のパート代が…」「子供の一ヶ月の塾代が…」と思った筈だ。
しかし今は婆なので躊躇は無かった。
また、道楽代金に較べたら格別高いワケではないことも、前回書いた通りだ。
今月は計画していた東京遠征が実現していなかった。その代金なら、ある(^_^;。
できることは全部やって被害を最小限に食い止めるのが、私の第一の務めであった。
という次第で、私はパキロビッドを、
症状発現の翌日、Day1の昼前から服用開始したのであった。

パキロビッドは、それなりに大きめな3錠を一度に飲む。
ニルマトレルビル2錠とリトナビル1錠が一組、これを12時間ごとに服用する。
このピンク色のニルマトレルビルが、結構、苦い。
内服したあと、体を巡っている10時間くらいの間、口の中に苦みが涌いて来る。
私には許容範囲だったが、人によってはこれが不快過ぎて、
ずっとスポーツドリンクなどを少量ずつ口に含んでやり過ごしていた、
という体験談もあった。
副作用として「味覚不全」も説明書には出ているが、
私の場合、口の中が苦くても、食事をすればものの味や匂いは
問題なくわかったので、その点は有り難かった。

もうひとつ、副作用かなと思ったのは服用3日目にお腹を壊したことだ。
発作的なシャアが昼食前の1時間くらい続いて、
このまま止まらなかったら救急に行くべきか、と悩んだ瞬間があった。
幸い下痢はそのときだけで、新ビオフェルミンS+を飲んでいたら何とかなり、
翌日からはそこまで酷い目には遭わなかったので助かったが、
コロナそのものでも胃腸症状はあるので、これは薬の副作用だったのか、
コロナのせいだったのかは、判断がつかなかった。

パキロビッドを服用しても、最初は熱が38度7分まで上がり、
少なくとも症状発現から服用初日は普通にコロナが進行していたと思うが、
服用2日目には熱が37度台に下がり、よく言われるような
「連日の高熱」「ひどい頭痛」「焼け付くような咽喉痛」
「眠れないほどの咳」「嗅覚障害」「味覚障害」
などを経験しなかったので、服用の効果は大きかったのではないかと思っている。
また、併せて処方された、メジコン、ムコスタ、トランサミンを
毎日三度三度、真面目に飲んでいたら、とても鼻が通ってスッキリしてきて、
鼻粘膜がよく修復された実感があった(汗)。

ときにパキロビッド登場直後、この薬を使用した患者では
一旦完全寛解が得られたあと、リバウンドが観察される、
という可能性について指摘があったが(バイデン大統領の再陽性の件など)、
最近の研究では、抗ウイルス剤を投与した患者と投与しない患者を比較すると、
リバウンドは未投与群でも起こり、投与の有無との関連が見られない、
という結果が出ている。
SARS-CoV-2 Rebound With and Without Use of COVID-19 Oral Antivirals
(CDC、December 22, 2023)

ゆえに、治療法がどうであれ、リバウンド(定義にもよるが一種のぶり返し)は
コロナ患者の間で見られる現象なのであり、
その意味において、私もまた、気を付けなくてはならない。
なおりかけに無理したことは、その後も長く祟る場合があるので、
このあとも心がけて、サボるようにしなくては、と思っている(汗)。
なお、リバウンドはあっても軽症で、皆、短期間で回復しているが、
その間、周囲への感染性は維持されているようである。

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なんとついに私、コロナ陽性になった。23日のことであった。
感染経路もハッキリしていた。
陽性判明後ただちに、自分にできる最善の対処をしたので、
本日27日現在、有り難いことに、ほぼ何も症状はなくなった。
療養推奨期間「5日」は本日で終わるが、
統計的に、罹患後10日は感染性のあるウイルスを排出しているから、
私はこのあとも外出自粛は続ける意向だ。
以下、時系列に沿って、何が起きたかを記録しておく。


8月20日(火)午後:仕事関係のA氏とB氏と会い、2時間、打ち合わせ。
今どきなので両名ともノーマスク、私はいつも通りKF94を着用していたが、
話をしながらA氏が咳をしているのが、気には、なった。

8月21日(水)朝:A氏から「コロナ陽性になった」と朝イチでB氏に連絡。
 (↑ただし、私には連絡が無かったので、私がこれを知ったのは23日になってから)

8月22日(木)Day 0:午後から咽喉に乾燥のような違和感を覚えて、嫌な予感。

8月23日(金)Day 1:B氏「昨日から発熱、今39度2分になった」と私に連絡あり、
 ここで初めて事態を知る。
 私はこの時点で37度3分、昨日からの咽喉の炎症に加え倦怠感があり、
 買い置きの検査薬でテストしたところ、うっすらだが陽性線が(汗)。
 母の病院に電話し、陽性の件と、昨日昼に面会に行ってしまったことを報告。
 それから、いつも血圧を診て貰っている内科に電話し検査キットの結果を伝え、
 「必要なら確定診断をして貰い、適応があるなら治療薬を貰いたい」
 と申し出た。
 電話で症状の問診と感染経路の確認があり、自己テスト陽性をそのまま診断とし、
 処方箋を出すので来たら医院の外から電話して欲しい、等々と指示が。
 年齢60歳、BMI25以上、高血圧の既往、で適応があることになりパキロビッド処方。
 このあと発熱38度7分、左の咽頭側索の腫れと若干の痛み、鼻炎、咳ときどき。
 ロキソニン服用で夜には36度5分まで解熱。

8月24日(土)Day 2:熱は朝36度6分、昼の37度8分が最高。SpO2=98
 気怠い風邪程度の自覚症状だが、やはり細かいことはシンドく感じて
 仕事用スマホを留守電状態にして一日、寝まくり。

8月25日(日)Day 3:平熱に戻り、気力体力が戻ったことを実感したが、
 お腹がユルめ(^_^;。咽喉の痛みは改善。
 電話は通常通りにして、応対再開。SpO2=99

8月26日(月)Day 4:朝少し頭痛、午後からほぼすべての症状が消失。SpO2=99
 家事その他再開して動き回っていたら、夕方、息が上がり期外収縮が出たので、
 さすがに急に動いてはいけなかったかと反省し、早めに就寝。


……という顛末で、発端はつまり20日のA氏だったとしか言い様がない。
ワクチンアップデートをしKF94着用していても、
ノーマスクで咳をする人が、室内の目の前で2時間、喋って行ったら
感染は避けられなかった。
お茶を飲みながら喋るときは、私もマスクは外していたし。
至近距離の、目の前の人からウイルスが来ていたとはね(^_^;。
しかし吸い込んだウイルス量が少なかったか、パキロビッドが効いたか、
ワクチンアップデートの甲斐があったか、諸々、確認しようはないが、
ここまでのところあまり苦痛なく過ごすことが出来て、その点は有り難いことだった。
パキロビッドは有効性が高いが、リバウンドもあり得るし、まだ注意せねばならない。

なお、パキロビッドは5日分3割負担で約3万円であった。
これを「高い」として却下するかどうかは、ひとえに各自の価値観であろう。
私は日頃、3万円の服だったら高すぎると感じ絶対に買わないが、
道楽生活においては、その金額の意味は異なる。
東京一泊で歌舞伎座昼夜観劇となれば、総計5万円は出している。
和央ようかディナーショーなら一公演で4万円、
オペラの来日公演であれば3万円はD席1枚だ。
ポゴレリチのリサイタルを聴くなら東京で2公演相当か。
肉体的な苦痛を軽減するためなら、私は3万円はポケットマネーで出せる(汗)。
若い人には適応がないのだから、ババアの特権である!
後悔はしていない(汗)。


追記:『ほぼすべての症状が消失』などと威勢の良いことを書いたが、
考えてみると、私にとって今回のコロナは胃腸にキている感じが結構ある。
味覚嗅覚の異常はないのだが、食欲があまり湧かないし、腸も気持ち良くはない。
オミクロン以降のコロナの症状として、胃腸関係は結構よく見られるものだが、
パキロビッドの副作用としてもあり得るので、今のところ何のせいとも判断できない。
あとは少し痰が絡む感じも残っている。まだまだ療養に努めたい(汗)。
これで終わったとは思われない(汗)。
しかしこんなことでもないと、これだけ何日も連続して休むことなど、
到底許されなかったので、その点ではコロナに感謝(大汗)している。

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いつも血圧を診て戴いている循環器内科で、昨日、
ちょうど空きがあるから3年ぶりに心臓エコーをしませんか、
と先生から言われ、良い機会と思い、やって戴いた。
結果、有り難いことに、何も問題はなかった。

3年前と全く同じで、すべての所見で「-」のところにチェックが入っており、
MR(僧帽弁逆流)とTR(三尖弁逆流)に各々trivial(些少)の表示があったが、
これも前回から変わらず、生理的な範囲で通常見られるものだから心配ない、
と先生が仰った。有り難いことだった(^_^;。
血圧にチャットが多い(上がり下がりが激しい)ことは自覚しているので
心肥大などが知らないうちに進行していたらいけない、
という懸念は頭の隅にあったのだが、現時点では大丈夫とわかり、安堵した。

昨日も暑くて疲れを感じていたので、夜9時から寝た。
ソラナックスは全く使わなかったが、朝まで9時間、爆睡できた。
今年の夏はとにかく連日、ひどい暑さで、疲れ方が半端ではない。
気を付けてはいるが、暑さ対策にも限度がある(汗)。

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あまりにも疲労した自覚があったので、昨日は、
ソラナックス0.4を1錠そのまま飲んで、夜9時半に寝た。
1錠は私にとっていつもの倍量なので、むちゃくちゃ効いて、
夢も何も見ず、あり得ないほど朝まで爆睡できた(^_^;。

このところずっと、最高気温が36度とか37度とか報道されており、
アスファルトの照り返しを受けて歩けば実際には40度超だろうと思われ、
そのような毎日、暑さをものともせずに母の病院に通う自分は、
結構体力があるのではないか、
……と勝手に自信を深めていたが、それは錯覚であった。
やはり大変、疲れ、弱っていたのであった。

どこがどう悪い訳ではないが、外の熱が体にこもった感じが抜けず、
すぐに気怠くなるし、原因不明だが左手首周囲に筋肉痛があるしで、
昨日はさすがに、我ながら、「勢いがない、しんどい」と自覚した。
幸い、転夫ころもん氏は17日から三泊四日の出張中であり、
この期間中は、朝食や夕食の心配が全く要らなかったし、
私自身の神社仕事その他も、昨日の午前中で終わったので、
昨夜から、「寝たいとき寝て、目が覚めたら起きる」を実践することにした。

勿論、病院その他から連絡が入ったら、私はすぐ出動せねばならないが、
とりあえず、呼ばれるまではダラダラしていよう、と決め、
きょうは、母の病院に、最初から行かないことにした。
布団も敷いたままにしておいたので、午前も午後も昼寝をした。
折しも、久しぶりに雨模様になり、気温も下がった。
家に居てさえ、強烈な陽射しがないだけで、随分と体が休まる気がした。

今夜も早寝する予定だが、明日と明後日は用事がある(汗)。
まだ、休み足りないのではないか、という気がするが、
……仕方がないな。

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母の様子からして、脳梗塞か何かがあると思うと申し出て、
数日前、脳CTを撮って戴いたところ、右脳出血のあることがわかった。
時期的にはおそらく、今回の感染症で高熱を出した頃に起こったもので、
昨日今日のような、真新しい出血跡ではないということだった。

今、お世話になっている病院では、独立の脳神経外科がないので、
翌日にでも、前に父が幾度もお世話になった某脳神経外科病院に搬送して、
更に詳しい検査を行い、出血場所が詳細につきとめられたら、
部位によっては血を抜く処置を施すことが可能かもしれない、
と今の病院の主治医の先生は仰った。
どの程度、それができるかは、やってみないとわからないが、
95歳という高齢ではそのあたりが限界で、それ以上の積極的な治療、
たとえば開頭手術などには、とても耐えられまい、とも。

私は、自分の責任において、
「脳外科病院への搬送や治療は、希望しない」
と返答した。
訊けば、母は今、苦痛のある状態ではないし、
幸い、脳室には余裕があり、脳ヘルニアには至っていないそうだ。
「ぼんやりとした状態で、痛いところなどは特にないと思います」
と先生は仰った。
ならば、この先もう、しんどいこと・痛いことは一切、しないのが良い。
搬送も、検査も、治療も、緩和ケア以外には何も要らない。

このところ、危険なほどの高温で毎日暑いのに、
遠くない脳神経外科病院まで搬送されるのは、母にとって楽ではない。
私は去年、父とともに一緒に行ったから、道中がどういうものであるか、
また行った先で検査を受けるとはどういうことか、およそ知っている。
95歳にもなる、もともと寝たきりに近かった老人に対して、
あれこれ検査してなんとかして治療をしろと要求するのが、
医療の、良い在り方であるとは、少なくとも私には思われない。

検査や治療の苦痛もゼロではなく、もし無事にやりおおせたとしてても、
治療やストレスが引き金となって、再度の出血が起こる可能性もある。
もし仮に、すべてが奏功して最善の結果が得られ、「元通り」になるとしても、
その「元通り」自体が、認知症で車椅子生活の状態だったのだから、
努力をしてそこまで戻すことに、いかほどの意味があるだろうか。

このあとの懸念は、再度の脳出血と、
中心静脈栄養のカテーテルからの感染だろう。
それももう、私としては末梢静脈栄養で良いのではないかと思っている。
腎機能も悪いし、鬱血性心不全もあるし、甲状腺機能低下症もあり、
しかも95歳、全身状態の維持に努めて時間を稼ぎたいとは、私は思わない。
むしろ、ぼんやりと穏やかに過ごせれば満点ではないか。
残りの時間がそれにより短くなったとしても、何の悪いことがあろうか。
身体的な苦痛が出て来るようなら、鎮静剤で意識を下げて貰えれば有り難い。

できるかもしれない治療があるのに、受けさせないと、勝手に決めたのは私だ。
問題があるようなら、全部私が悪いということでOK。
母の意向は既に訊けないからわからないが、違ったらごめんね(爆)。

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南海トラフ地震臨時情報「巨大地震注意」対象地域は(NHK 2024年8月9日 19時11分)
『8日、宮崎県で震度6弱の揺れを観測したマグニチュード7.1の地震で、気象庁は南海トラフ地震の想定震源域では大規模地震が発生する可能性がふだんと比べて高まっているとして臨時情報を出し、引き続き巨大地震への注意を呼びかけています。』『これまでのところ、ひずみの変化はふだん見られるもの以外に特段観測されていないということで、引き続き監視を続けています。』

今回の『巨大地震注意』は、特段の変化がなければ明日15日で終わるが、
別に、明日以降が安全になる訳ではないし、あまり意味がない。
危険という意味では、既に以前からずっと危険なのであり、
今後、年月が経つほど危険度は上がって行く、と考えるべきだ。
南海トラフ地震は、今後30年以内に70~80%の確率で発生する、
という試算があり、厳密な数字はともかくとしても、
計算上、時間の経過に従って発生確率は高まることになるだろう。
南海トラフの「ひずみ」は、たまっていく一方なのだから。

会社の元同僚の外国人が、前に、
「日本に来るまで、日本がこんなに危険なところだなんて、
誰も教えてくれなかったよ(^_^;!」
と、笑いながらではあるが、言っていたことがあった。
日本じゅう活断層だらけで、日々、高確率で地震が起こるし、
あちこちで火山が噴火していて、四方が海だから津波の危険性が常にあり、
川や山の迫った地形が多く大洪水や土砂災害が毎年発生しており、
しかも、地理的・政治的にはロシアと中国と北朝鮮が隣国だしで、
よくもまあ、こんな危うい場所に平気でいられるね(^_^;!?
というのが、彼の見解であった。

彼はヨソの人だから、いずれ安定的な大陸地塊の国に帰るだろうが、
私は日本で生まれ育ったのだから、仕方ないのだ。
各国それぞれの事情があり、どこの国にも100%の安全は無いとなれば、
母国なりの危なさを、私は受け入れる以外にない(^_^;。
他国より地震災害が多いとしてもなお、
私にとって自分の今の居場所の変わりになるところは、ほかに無い。
自然災害は、備えたつもりでも運次第で助からない場合が大いにあるが、
同じ目に遭うなら、わざわざ外国に行ってそうなるより、
母国に居た結果として、…というほうが、私はまだしも諦めがつく(^_^;。

その点で、これから新たに移民として日本に来ようとする人は、
ちょっと考えたほうが良いだろう。
日本の治安の良さや永住権の得やすさ、福祉の手厚さ等に惹かれ、
住み着いてなんとか生活しようと考える、一部の若い外国人らが居るが、
キミら、これからは、大地震に遭うために来るようなものだよ(^_^;。
ほぼ、確実に、巨大地震は来るよ?
現に、阪神淡路大震災があったし、東日本大震災では物凄い津波が来たし、
この正月には能登半島地震を見たばかりだ。
あのテのことはまたすぐにあるってば(^_^;。

私ら日本人は、生まれたときからそういう場所で暮らしていて、
地震の備えや発生時の行動について、学校で習っているし、
国内の災害に関する報道もリアルタイムで見聞きして生きて来た。
我々の努力で地震が起きないようにすることは不可能なのだから、
「起きる」ことを前提に、各自可能な範囲で備蓄や対策をし、
住居の耐震・制震・免震構造などに注意を払ったうえで、
表面上、ごく普通に暮らしている、というのが現状だ。
自然はコントロールできない・完璧な備えなどないのは当たり前だが、
だからと言って、何も考えず無策で過ごしている訳ではないのだ。

一方、外国人はそれほど地震の知識を持っていないことが多い。
「マグニチュード」は知っていても、彼らは「震度」の概念はわからない。
出身国によっては、体に感じる地震に遭ったことのない人も結構いる。
基本的な経済力もなく、日本語もろくに出来ず、
震度3でパニックになるような外国人一家だったら、
南海トラフ巨大地震では、まず、生き残れないのではないか(^_^;。
津波が来るときは瞬時の判断が問われるし、大きな余震も再現なく起こる。
震源となり得る地域は、東海から沖縄までと範囲が広いから、
「ここなら安心」な場所など無いし、
もし東海寄りで起こったら全国の物流もアウトだ。
まあ、日本語すら不自由な、安易な移民計画だったら、
考え直したほうがいいだろうね。

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さすがに連日、母の病院に通い続けて、
心身ともに疲れがたまってきた自覚があったので、
昨夜はソラナックス0.4を半錠のんで、夜9時半に布団に入った。
疲労感が強く、何もしなくてもそのまま眠れることはわかっていたのだが、
安定剤を服用すると、うっとりと落ち着いた気分になって快眠できるので、
私はこの薬が、ナイトキャップ的に気に入っている(汗)。
すぐさまキモちよく寝入って、途中、午前3時頃に一度起きたが、
またすぐ寝続け、起床したのは今朝8時。
10時間あまりの睡眠であった。よー寝た(^_^;。

それで元気が出て、きょうも午後から母の病院に行った。
ちょうど、リハビリの時間になって、担当の方がベッドサイドに来られ、
母の体を抱き起こしてくださった。
一昨日あたりは、まったく姿勢が維持できていなかったが、
きょうは、背中を片手で支えて貰えば、崩れない程度には座っていられた。
それから、抱えて車椅子に座らせて貰った。

母は無表情で、体にも全く力が入らず、特に左側が不自由に見えた。
左手がすぐにだらんと垂れてしまうし、
顔の表情も、右側のほうが口角がやや上がっていて左右差があったし、
目線も、右上のほうを凝視するような感じだった。
服薬のときも、右の奥歯付近を指で触れられると開口する、
という反応があるそうなので、右側は総じて感覚があるようだ。
座った姿勢も、概して右方向へと傾きがちだった。

脳梗塞があるのではないか、という気がしたが、
伺ってみると、脳CTは撮影されていないとのことだった。
仮にこのあと、脳梗塞が確認できたとしても、
年齢的にも、もはやできることは限られるだろう。
血圧も高いし(リハビリ前の測定で142/84ほどあった)、
95歳で、心疾患や腎不全、甲状腺機能低下なども以前からあるので、
状況の大半は、老衰として受け入れざるを得ないだろうと思っている。
しかし勿論、リハビリの効果が徐々にでも上がってくれば、
超高齢とはいえ、本人なりに元気が出て来るかもしれない。
きょうは、多少は呼ばれたほうを見たり、微かに頷くような動作はあり、
明確な意思表示とは言えないが、やや、生気が感じられるようにも思った。
母の体力がこのあとももってくれれば、有り難いことではあるのだが、
そうなればなったで、案外、長期戦かもしれない(^_^;。

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母の容態が変わらないのは、良いことなのか、悪いことなのか(汗)。
毎日、顔を見に行っているのだが、はかばかしくない。
しかし、日々悪化してどうしようもない、というのでもない。

多少、追視めいた目の動きはあるように思うのだが、
私が居ても、すぐに視線を外してしまい、長続きしない。
僅かに頷くような動きは見せるが、声は全く出ていないし、
表情もほとんど変わらない。
目覚めている時間はそれなりにあるようになったし、
寝返りはできないが、身じろぎくらいの動きはするようになったので、
入院直後の頃よりは、体は回復しているように見える。
しかし、発熱以前の、サ高住で暮らしていたときの状態には
到底、戻れそうには見えない。

飲食は全く無理で、点滴だけで繋いでいる状態だが、
看護師さんに伺ったところ、最近は薬を、
小さいスプーンで飲めるかどうか、試しているとのことだった。
母は、右の奥歯あたりに指で触れられると、高確率で開口するそうで、
そのタイミングで薬を口に入れて、飲み込みの具合を見ているそうだ。
巧く飲めるようになって来ると良いのだが。

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母の入院騒動で、ここに記録する機会を逸しかけていたのだが、
あれから、7月終わりに、転姑ばーちゃんの形見の帯を、
当初の計画どおり、テーブルランナーとしてリメイクして貰った。
今回はいつもお世話になっているインテリアショップのマダム経由となったので、
前回とは異なる某縫製業者さまのお世話になった。
帯の色合いの御蔭で、思いがけず出窓がとても明るくなった。

併せて、購入しようかどうしようかと実に3年熟慮していた、
鶴亀のテーブルランプ一対を、この際なので思い切って買った。
いつものショップで、前々から心惹かれていて、途中で一旦売れてしまい、
縁がなかったかなと思っていたら、しばらくしてまた入荷したので、
今回ついに『お迎え』することにした。
壁が少ないので、コンソールがわりに出窓をフォーカルポイントにしたい、
と計画していたことが、実現できた。

「ランプの間の、真ん中は、アートフラワーではどうですか?」
とマダムが提案してくださったので、
「それだったら、是非、白とグリーンだけでお願いします!」
と特にリクエストして作って戴いた。
私はこういう、様々な種類の白い小さい花をたくさん束ねたのが好みなのだ。
既製品のアレンジメントの場合、白い花限定にしようとすると、
大ぶりな胡蝶蘭や百合以外では「お悔やみの花」しか設定がなく、
常々残念に思っていたので、今回は自分の趣味を最優先して貰った。

下の、左の写真が、2006年3月4日マンション内覧会のときに撮影したもので、
中央のが2010年夏頃、そして右側が、2024年7月26日のダイニングの状態だ。
18年超をかけてひとつずつ買い整えて、現在に至った。
いつの日か家を持ちたい、室内を思いどおりに飾りたいと、
雑誌『美しい部屋』(主婦と生活社)を毎号買って実例写真に見入っていたのは、
25年前の、官舎住まいの頃であった。
自分にとっては、一朝一夕にとは行かずとも、
それなりの年月をかけたのち叶う夢もあった、と嬉しく思っている。

  

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