転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



客席の側が、観る前から演目の展開をよく知っていて、
出だしがどうで、次はどうなって、結末は、こう、
という前提を持って鑑賞するのが「古典」だ。
同じ演目が、何十年、どうかすると何百年でも
繰り返し上演され続けて来ているのだから、
過去のプレイヤーの解釈や、昔からの演出が既に知れ渡っており、
「今までと較べて今回のはどうか」
と、観る者が比較して味わうのが醍醐味なのであって、
ネタバレしたらガッカリ、という分野とは、最初から存在意義が違っている。

音楽でも、演劇でも、舞踊でも、古典とはそういうものだが、
その中で、バレエというのは、「クラシック」ではあっても、
例えば楽器の演奏などよりずっと、表現内容に取捨選択の自由があり、
振付家や踊り手の感性や時代感覚が存分に発揮されていると思う。
音符や言葉のように、紙の上に記録して残すことが出来なかったために、
ベースとなる振付が複数のパターンで伝えられていることが多いし、
どう組み合わせるか、新しく何を入れるかの許容範囲は、極めて広い。
それでもクラシック・バレエというジャンルは揺るぎないものなのだから
「再生芸術」としては、実に興味深い分野ではないだろうか。

・・・などと書いたのは、きょうはここで、その好例としての、
キトリのバリエーションについて語りたいと思ったからだ。
昨夜、検索していてアスィルムラートワのキトリに偶然に出会い、
幾度か繰り返して再生しているうちに、
キトリが自分にとって少し特別な意味を持つ踊りだったことを思い出し、
私がこれまで観てきていろいろと思ったり感じたりしたことを、
この際、まとめて記録しておきたいと考えたのだ。

前にも触れたが、昔、カルチャースクールのバレエ講座で、
ポワントも履けずバレエシューズで不格好にヨロヨロとやっていた頃、
天啓のように、この曲の不思議な魅力を体感する機会があって
以来、私は、キトリに格別の思い入れを抱くようになった。
それで、いざ注意して観るようになってみると、
この有名なバリエーションひとつでさえ、
実に様々な踊り方があることがわかり、
クラシック・バレエの創造性というものについて改めて、
ど素人のレベルではあるが自分なりに考えさせられたわけだ。
そういう意味で、キトリは見る側の私にとっても、
ひとつの「きっかけ」になった踊りだった。

私は、キトリの三幕のバリエーションについては、
生理的な好みみたいなものがあって、
まず、分散和音の前奏のあと音楽が「ジャン!」と一瞬止まったときに、
歌舞伎の見得みたいに、カっと扇を開いて十分にキメて欲しい、
それから、中盤のエシャッペ(両足を開閉して交差させるステップ)は
早過ぎないテンポでたっぷりと、1セットで4回くらいは見せて欲しい、
それと、終盤に向かうパ・ド・シュバル(馬のステップの意味で、
ずっとポワントで立ったまま、つま先で床をひっかくようにして
片足ずつ進んでいく部分)では、右に左にと目力を発揮して、
クドいくらいのアピールをして欲しい、・・・というふうに、思っている。
要するに、全体を通して、表面的にはお転婆娘の愛らしさをふんだんに、
同時に根底のところでは、『まなじりを決した』みたいな強さを秘めて、
メリハリのある踊りを見せて欲しいのだ。

そういう意味で、私にとって、観ていて最も爽快感があるのは、
以前にもご紹介したことがあるのだが、パロマ・エレーラの踊りだ。

パロマ・エレーラのキトリ(YouTube)
なんとも、粋でおしゃれで、躍動感のあるキトリ、
体のラインも、ギスギスしていなくて、しなやかで美しい。
エシャッペがどれも物凄く綺麗に入っている、
というか効果的に見せる角度になっているし、
3セット目のエシャッペの四回目で脚を5番ポジションに戻す瞬間、
扇をパン!と勢いよく閉じる呼吸なども、実に小気味よい。
何より、最後のシュバルのところの扇づかいが細かに変化しているのと、
目線がくるくると愛らしく動いているところが、
いかにもじゃじゃ馬キトリという感じがして良いと思うのだ。
アチチュードで決めるポーズまで安定感が持続していて素晴らしい。

一方、同じ音楽、同じ場面、基本的に同じ振付のキトリでも、
私の愛するアスィルムラートワのものは、かなり違っている。

アルテイナイ・アスィルムラートワのキトリ(YouTube)
袖から走っての登場~イントロ終わってジャン!の箇所が
ここでは収録されていなくて、とても残念なのだが、
グラン・パ・ド・シャで後の脚の膝を曲げているのは、
「猫の脚」ステップ本来の感じで、新鮮で可愛いし、
シュバルでの多彩で鮮やかな表現は、彼女ならではだと思った。
巧い言い方が見当たらないが、彼女の、一拍一拍が終わる瞬間の表情付け、
のようなものが私にとっては大変に魅力がある、と改めて感じた。
ただ、彼女の持ち味の問題なので仕方がないが、
キトリの野性味には乏しいので、好みが分かれるところだろう。
ちなみに、エシャッペのあとのアチチュード・ターンになったとき、
アスィルムラートワは扇をきっちりと閉じていないようで、
なんだかハリセンみたいだと思ってしまった(殴)。

(ハリセンでバジルを追い回し、かぱーん!と叩くキトリ、
というのも、踊り手にテクがあれば、パロディとして面白いかも。
グランディーバ・バレエあたりが、既にやっていないだろうか(^_^;?)

さて最後は、多くの人が認めるキトリ決定版を。
これが見事であることを否定する人は、
とても少ないのではないかと思う。

ニーナ・アナニアシヴィリのキトリ(YouTube)
ニーナ・アナニアシヴィリは本当に伸びやかな肢体を持ったダンサーだ。
手を挙げても、ジャンプしても、ほかのキトリより高い感じがする。
それでいて、スピード感も十分で、緩急の変化が明瞭・鮮やかだ。
セクシーというより「コケティッシュ」と言いたい魅力があると思う。
キトリというキャラクターの熱さ・美しさ・奔放さを表現するのに
彼女ほどぴったりの踊り手は、ほかにないだろう。

たった一分半のバリエーションでも、これだけ違うことが、
ダンサーによって、あるいは振付家によって行われているのだ。
ピアノの楽譜のエディション違いとは比較にならない多様性だし、
解釈の差異を具体的なステップの変更によって表現できるのは、
クラシック・バレエというジャンルが備えた創造性として、
大変、興味深い現象だと思う。

なお、日舞と同様、バレエも、衣装には踊り手の好みが反映され、
デザインがそれぞれ細かく違っていて、個性を楽しむことができるが、
キトリの衣装は、大きく分けて赤と白の二種類がある。
情熱のスペイン・華麗なキトリ、というイメージからは赤になるようで、
ボリショイ系のダンサーは赤が多いように思う。
一方、物語としては、この踊りが出て来るのはキトリとバジルの、
婚礼の場面としてなので、花嫁の白をまとうことも理に適っている訳だ。
上にリンクを貼った中では、アスィルムラートワだけが、
髪飾りにも扇にも全く「赤」を使っていない。

それと、そもそも衣装だけでなく、振付にも大まかには二種類あって、
今まで観てきたものとは異なり、もうひとつのはフェッテで始まり、
中間部はエシャッペでなくルティレ、終盤もシュバルのステップは無く、
ルティレとパ・ド・ブレ、またはトゥールピケなどが見せ場となる。
ヨーロッパ・アメリカ系と、ソビエト・ロシア系という、主立った二系統で、
それぞれの振付が伝えられているのだと、以前読んだことがある
(『バレエ入門―バレリーナの手紙―』川路明・土屋書店・1992年)。

エカテリーナ・シプリーナのキトリ(YouTube)
スヴェトラーナ・ザハロワのキトリ(YouTube)

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