なんだか、じーちゃんが、いっぺんに、だめになってしまった。
苦痛がさほどあるようでないのが救いだが(モルヒネの御陰?)、
じーちゃんは、ベッドの上り下りにも難儀するようになり、
何度言われても畜尿が巧くいかずに忘れてしまうし
何より、自分がどうしてこの病院にいるのか、
ときどき、わからなくなってきたようだった。
舅「わしは、なんでここにおるんや?」
夫「家におったが、食事が取れんで体が弱ったから、
治療するためにここに来たんやろ」
舅「いつや」
夫「三日ほど前やったか。ワシとタクシーで来たろ」
舅「タクシーに乗ったんは、覚えとる。
それから、どうしたんや。中山に行って・・・」
夫「中山?誰や?」
舅「地名よ、地名」
夫「中山なんちゅうとこ、ワシは行ったことないぞ」
舅「わしも、無いが」
夫「・・・・(^_^;」
舅はしばらく会話したあと、自分の状況を把握し、
「認知症、いうんかいの。ワシも情けないもんじゃ」
と自嘲的に言った。
そのあともまだ、階下のカーテンをなおすとかなんとか、
意味不明なことを言っていた。
でも、じーちゃんは、うとうとしながらも、笑っていた。
何か、夢を見ているようだった。
目を開けて、私のほうを見て、また笑って、
「ヒロ(うちの娘)が、行かん言うんかと思うた・・・」
と曖昧だが何か娘のことを話題にして、にっこりした。
そしてまた、ほとんど寝たきりなのに、
「下へ行って、コーヒーでも飲もうか」
と言いだして、主人が、
「この病院には下にレストランは無いで」
と言ったら、
「ほうか。ほうじゃのう」
と頷いた。階下に喫茶店があったのは、
五日市記念病院か、四国がんセンターの記憶ではないだろうか。
主人と私は病室で短い時間、話し合って、
緩和ケア病棟へ移ることをナースセンターに申し込んで来た。
今後、どうなるかわからないが、
とりあえず、じーちゃんには、快適な住環境を整えて、
我々も心おきなく一緒に過ごせるようにしたい、と思ったからだ。
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