転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日は、いろいろあって家を出るのが遅くなったので、
大劇場昼の部に全然間に合わないことはわかっていたのだが、
とにかく、行った。

ひと目、マンリーコに会わせて・・・(T.T)、
という願いは叶えられ、私が大劇場に入ったとき、
吟遊詩人は、まさに、ハリツケになっていた(爆)。
どうにか、まだ息があって、歌っていた(激爆)。

なので、芝居は残念ながら「観た」とは言えず、
今回については『炎に・・・』関連の感想は書きようがない。
うまく行けば、今月後半にもう一度観ることが出来そうなので
そのときまでお楽しみは取っておきたいと思う。

が、立ち見席に駆け込んだ私が唯一観ることのできた、
最後の場面は、息をのむほどに完成された美しい活人画だった。
あれは何かの絵画の構図そのままではなかったかしら???
既視感の強い、見事な絵だった。

それと、誰かも書いていたが、囚人服で銀髪でハリツケで(爆)、
なおかつ、堂々たる主演男役という姿だった和央ようかは凄かった。
善意の象徴とか何か、とんでもなく価値のあるものを、
誤ってその手で処刑してしまったのだな、伯爵?
ということが一目でわかるラストシーンだった。

更に感心したことに、キムシン先生が立ち見していらした。
あの舞台全景を最後列から観るのは、確かに
演出家にとって非常に有益なことだと(僭越ながら)思った。
そう、五列だか六列だかで居眠りするよりも、遙かに(逃)。

で、第二部のショーから、ようやくまともに、
自分の席(二階のS席)について観ることが出来た。
今、手元に資料が無さ過ぎて、何の場面の誰がどうのと、
こまかく書くことが出来ないのだが、
大昔の花組を知っている者にとってはあちこち、
隠し味のように懐かしい香りがちりばめられていて面白かった。

初風緑が大浦時代のショーの曲を見事に歌うのを聴くと、
ああ、なんと立派になってガイチ(T.T)、とPTAの心境だった。
大浦みずきがトップだった頃に最下級生だった生徒さんたちが、
この舞台では主役クラスの役どころを余裕綽々で務めている、
というのが目に見えるので、大変に感慨深かった。
こういう懐古趣味的な楽しみ方がひとつ設定されているのは、
宝塚のとても良いところだと改めて思った。

とりわけ、ショーの後半になってラフマニノフで踊る、
主演者としての和央ようかを観るのは実に感動的なものがあった。
これは大浦みずき二番手時代の名場面『はつ恋』の曲だ。
あのミハイルを踊る大浦みずきを観たときに、
高校生の和央ようかは自分も宝塚に入りたいと思ったのだそうだが、
彼女自身がその曲で主演男役として舞台に立つことになろうとは、
なんとも感慨深い巡り合わせではないか。

ピアノといえば、大和悠河が「ピアノマン」を演じる場では、
彼女自身はとても動きが良くて綺麗だったのだが、
バックに、ショパンの名曲が断片的に使われていたために、
『こ~れ~は~、・・・あの曲だよな、題、なんだっけ?』
と聴きながら悩む曲がいくつかあって、集中を妨げられた(^_^;。

特に、最初に大和悠河が歌いだしたとき、
それがバラード四番の途中に歌詞のついたものだとわかるまでに、
私はしばらく逡巡し、題がのど元まで出かかっている状態で
続きをアタマの中で歌って思いだそうとしていたのだが、そのうち、
舞台はソナタ2番の第一楽章のこれまた途中の旋律になってしまい、
『待って!さっきのが、まだ!』と私は悶絶しそうになった(^_^;。

ともあれ、ショーもまた、再度の観劇時にいろいろ確認したい箇所が
たくさん目について印象にも残っているので、
次回を楽しみにしたいと思っている。


このあと、私は終わってすぐ、バウホールのほうに移動した。
北翔海莉の『バーボンストリート・ブルース』を観るために。
宙組遅刻でもきょうの遠征を敢行した理由は、実はこの月組にあった。

この件は、また後ほど。

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