転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日は、午後から、姑を例の五日市の施設まで送るため、
昼過ぎに佐伯区まで出向いた。
行ってから大至急、姑の荷造りをしたのだが、
案外、時間に余裕があったので、続けて舅用の荷物も作った。
舅のほうも一日遅れで、某個人病院に入院することになっている。

私「ヒゲ剃りは・・・」
舅「それはワシが荷物に入れるけ、気にせんでええよ」
私「大事なタバコも、そいじゃご自分で御願いします」
舅「へへ(苦笑)」
私「パジャマのほかに、上下揃いの部屋着も入れときますね」
舅「おう。外に出るときゃ、そいつを着よう」

舅は今、自宅ではほとんど寝たきりで過ごしているのだが、
ちゃんと、外出する気はあるのだ。大いに結構ではないか。
その意気だ。

ところで、舅が全く運転できなくなって以来、
姑の送迎には介護タクシーを頼んで私が同乗しているのだが、
きょうは、いつもの業者さんの予約が取れず、
我々にとって全く新しい会社のタクシーさんが来た。

これが・・・・、新人さんのドライバーだった(^_^;。
姑の状態に関する情報が伝わっていなかったのかもしれないが、
姑を車椅子に移乗させるのに、手を取って立たせようとしたり、
姑が車椅子を指さして、『もっとあっちへやって云々』、
と小さい声で指示らしきことを言ったのを、マトモに聞いて、
車椅子を物凄く姑から遠ざけたりなさっていた(^^ゞ。

見かねて、ヘルパーさんが手伝って下さり
(本当は手出ししてはいけないことになっていたらしいが)、
なんとか、車椅子に座らせることが出来て、
さて出発するという段になったのだが、
今度は、タクシー内への車椅子の固定がこれまた手間取った。

舅がもうちょっと元気だったら、起きて見送っただろうから、
こんな光景を見たら、短気な彼は大噴火したに違いない。
今回、舅がベッドで寝ててくれたのは、これに限っては
とても良かった(爆)。

施設のほうでは、前回退所してまだ一週間経っていないので、
ほとんど、「お帰りなさい」な雰囲気だった。
姑は車中でもずっと上機嫌で、何も違和感がない様子だったし、
着いたらすぐ元通りの部屋に案内され、
ほどなく、姑はベッドでスヤスヤ眠った。
姑があまり活発なので、今回は低いベッドが用意されていた(^_^;。

ということで、姑のほうはひとまず、慣れたところに落ち着いたので、
次はいよいよ、舅の治療のほうだ。
広大から紹介された某個人病院に、きょうから入院なので、
今、主人が佐伯区の家のほうに行っている。
広大の主治医も直接、病院のほうに来て下さるそうだ。
そこで本人と家族の希望を聞いて、今後の方針を決め、
一般病棟にするか緩和ケア病棟にするかを選択するという。

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1.「記憶喪失は芝居だった」謎のピアノマン(産経新聞)

『英国南東部の海岸で四月に保護され、「謎のピアノマン」として世界的に話題となった身元不明の男性は実はドイツ人で、「芝居をして医師らをかついでいた」と二十二日付の英大衆紙デーリー・ミラーが報じた。』

要はサギだった、と?
肝心なところが伏せられているニュースなので、
結局彼が誰で何をしたかったのかが不明のままだが、
私がいちばん解せないのは、

『礼拝堂のピアノでクラシックの曲を弾き続けたというのも間違いで、実際は一つの鍵盤をたたき続けただけ。』

という箇所だ。もしこっち↑が本当なのなら、
この男性が見事な演奏を二時間に渡って披露したなどと、
事実と全然違うことを最初に言ったのは、誰?
故意か偶然か知らないが、大嘘だったではないか?
単調に同じ音が鳴り続けるのを、超前衛的な現代音楽だと
勝手に勘違いしたというのだろうか(^_^;?


2.ディスカバリー、輸送機で空軍基地から母港へ(読売新聞)

『宇宙飛行士・野口聡一さん(40)が搭乗し、今月9日に米カリフォルニア州のエドワーズ空軍基地に帰還したスペースシャトル「ディスカバリー」が19日、専用ジャンボ輸送機の背中に載せられ、フロリダ州の米航空宇宙局(NASA)ケネディ宇宙センターへ向かった。』

スペースシャトルがカリフォルニアに着陸したときから、
私は、この日の来るのを楽しみに待っていた。
・・・というとオオゲサだが、この、
ディスカバリーをオンブして飛ぶボーイング747、
というのは、いかにも現代工学の粋!という趣のある図柄で
私には、なかなか、楽しく思われるのだ。

ところで私は、実は、飛行機に乗るときは
事前に時刻表などで機種を必ずチェックして、
私なりの理由と縁起担ぎとで、出来る限り、
ボーイングに乗るようにしているというプチヲタである。
以前、某掲示板で、ボーイング747とエアバス330、
及びDC10とエアバス300とトライスターの、それぞれの中で
いずれが優れた機種であるか、という議論が盛りあがっていて、
身の程もわきまえず、参加したい気分に、ちょっと、なったのだが、
シロウトおばちゃんのくせに、そこまでヲタったらオシマイだ、
という気が、我ながらしたので、思いとどまったことがある(^_^;。

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食欲の全然沸かない舅は、このところ、
目に見えて衰弱して来た。
本人はしっかりしていて、言動も全くマトモなのだが、
目が落ちくぼみ、体もやせ細って、どう見ても、
・・・じーちゃん、死兆星が見えるやろ?(爆)

『ちゃんと食え』と主人は今までも幾度も心配して言ったし、
舅は舅で、『食うとるわい』と反抗していたのだが、
きょう、どう考えてもこれではモたない、と我々には思えたので、
舅を通さずに広大の主治医に主人から直接、電話をかけた。

それで広大から某個人病院を紹介して貰い、
そこへ入院して、高カロリー輸液などの点滴を受け、
体を建て直す、という方針がほぼ、決まった。
何も思い詰めたふうに考えなくても、
そこで体調が良くなれば、また退院すればいいのだ。

舅は、『入院なんかで元気もりもりになる訳じゃない』
とまだ反論していたが、
『癌は悪くなってないのに、栄養失調で倒れてしまうなんて
モトもコもないじゃないですか』と私が強引に言ったので、
オナゴには怒れん、という男らしい(^_^;じーちゃんは、
『ほんなら、あんたのええように、してみてくれ』
と、しぶしぶ、同意してくれた。ありがとう、じーちゃん。

それで広大のほうにまた連絡を取り、
先の話にあった通りに個人病院の手配をして貰い、
明後日の午前中に、そこへ入院する、ということが決まった。

姑のほうはきょうも絶好調でトばしていて、
姑「私は、○○さんよ(←自分の旧姓)」
夫「そうやな、おかあちゃんは、○○さんやったな」
姑「○○さんって、だれ?」
夫「自分が○○さんいう名前だったんだろ」
姑「え」
夫「自分じゃろ?」
姑「ユリ・ゲラー?」

と完全に腰砕けな会話を展開してくれていた。
姑のステイ先はすぐケアマネさんが手配してくれたので、
私は明日、一足先に姑のほうの支度をして、
介護タクシーでステイ先に送り届ける手はずになった。

じーちゃんの行く病院は、総合病院に緩和ケア病棟が併設されていて、
緩和ケアと治療とを、並行して行うホスピスを持っている。
例えば、モルヒネ等による疼痛管理と同時に抗ガン剤治療を受けて
一時的にせよ社会復帰できるような患者もある、
ということが病院HPには書いてあるのだ。

マミヤみたいに、じーちゃんの死兆星はきっと消えるよ。
全然慰めにも元気付けにもなってない、意味不明な例えだけど(逃)。

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今夜は、娘のピアノ発表会のための会場リハーサル。
本番は一週間後。

私は正直、娘の習い事どころではない日常だったが、
先生がきめ細かく教えて下さった御陰で、
なんとか格好になっていた。

ありがとうございます~~~<(_ _)>。

本当に、プロの指導者は偉大だ。
ああ、勿論、娘が彼女なりに努力したことは
良かったと思っている。頑張ったね(*^_^*)。

テンポが乱れるとか、左手のリズム感が悪いとか、
右手の和音のバランスがおかしい箇所があるとか、
私にとっては娘への注文がまだまだあるのだが、
とにもかくにも、人前で弾く手応えを知るというのが、
今回の発表会の課題だな(^^ゞ。

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今週末に披露宴をする友人Uから電話がかかってきた。
彼女は年若い歌舞伎仲間で、私が独身の頃までは、よく、
なんだかんだと一緒に道楽をしていたものだった。

彼女が、私にスピーチを頼みたいと言ってくれたので、
光栄なことだとは思ったけれども、こうなると話は、
我々がいかに非常識な遊び人だったか、という中身になりそうだ。
そんな話でいいんだろうか?

U「いいです、いいです。笑いが取れたほうが」
私「どういう種類の笑いか、わからんが(^_^;」
U「いえもう、なんでも」

私「UちゃんとNと私とで、よく歌舞伎行ったよね」
U「行きましたねー。三人旅の初めは、大阪まで
 えんちゃん(猿之助)見に行ったときでしたっけ」
私「大阪っても、あれ、八尾だったよ」
U「そうです、八尾プリズムホール!」
私「遠かったね・・・。延々と半蔵門線みたいな色の電車に乗った」
U「よしこさん、あのとき八ヶ岳から来られたんですよ」
私「げっ。そうだっけ」
U「Nさんと私とで大阪まで行って、よしこさんが合流して」
私「・・・・・・・・・・・(^_^;」

U「私、猿之助見て、『なぜ空飛ばないんですか』と言ったんですよ」
私「地方公演だから宙乗りが無かった・・・」
U「そーなんです(^◇^;)」

私「だけど確か、あの翌日、私はNと帰った気がする」
U「そうです。私はまだ大阪に居残りました」
私「何があったんでしたっけ」
U「中座へ行ってました」
私「思い出した!扇雀の公演があって昼は三人で観て、
 夜はUちゃんだけ見ると言って残ったんだ!」
U「あのときは多分、扇雀じゃなくて、もう鴈治郎ですよ(^_^;」
私「そうか」
(こういうニュアンスがわかるUちゃんはやはり遊び人だ。
 私の言っている扇雀が、現・扇雀ではなく、その父のほうだと、
 文脈からちゃんと察してくれているのだ(^^ゞ)

U「道成寺かなんか、やってて。で、よしこさんとNさんが
 先にお帰りになったあと、私、夜の部に戻ってきたんですけど
 そのとき、なんか、劇場前に凄い列が出来てたんですよね」
私「へえ。なんの列だったんだろ」
U「私もなんだかわからないままに、並んで。そうしたら、
 扇千景サイン会だったんですよ~!」
私「へえええ!!」
U「私、扇千景のサイン、貰っちゃいました」

U「私は歌舞伎座で、葛城七穂(元・宝塚雪組。現声優)と
 隣の席になって、サイン貰ったこともあるんですよ~!」
私「Uちゃんのサインコレクションって、凄い~」
U「ふふ。だってあのとき、隣を見たら、物凄く綺麗な人がいて、
 絶対にどう見ても普通の人じゃない!と直感して、
 あの~宝塚のかたですか?って訊いちゃったんですよ。
 すごーく格好良かったですよ~(T.T)!!
 それでですね、私が葛城さんに・・・・・」


・・・・・私でなく、花嫁本人が喋ったほうが百倍面白そうだ(爆)。

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朝10時から、ケアマネさんと、ヘルパーさんのチーフの方とで、
舅宅に集まって、今月からのケア計画についての話し合いをした。

姑については、以前通りの生活ということで、特に変更はなかったが、
強いて言えば、とても体が活発になって来たので、
『見守り』というかたちでの訪問を増やすことも視野に入れておこう、
ということになった。

問題は舅のほうで、食欲がないことで体力が低下しているので、
当面は訪問看護の点滴と、エンシュアリキッドの摂取で補い、
家事についてはヘルパーさんからの支援を増やして貰う、
という方針が、ほぼ決まった。
ちょうど、舅は介護保険の更新時期にあたっていて、
病状から言っても介護度はおそらく上がると思うので、
訪問時間は保険の範囲で確保できるだろうということだった。

舅は、家事に関してはもともと彼一流のやり方がいろいろあって、
私やヘルパーさんに家事を任せることを好まなかったのだが、
この際、療養が優先だし、現に本人も倦怠感が強いので、
全面的に家事支援を受ける方向で、本人も一応、納得した。

ケアマネさん「洗濯物を干したり取り込んだりも、
 ヘルパーさんに御願いしましょうね」
舅「ああ。そうしてもらわにゃ、ワシがもたんからな」
ヘルパーさん「そうしましたら、朝の時間配分によっては、
 洗濯物を干すのが午後になる日もあるかもしれませんが、
 それは、よろしいでしょうか」
舅「・・・・・・・・・・・・・」

舅は、気に入らないらしく、返事をしなかった(^_^;。
そうなのだ、舅流には、洗濯物は朝十時までに干さねばならず、
午後四時までに取り込まなければならないのだった。
朝っぱらから早く干してしまうと、朝露などの湿気が来るし、
午後は、三時に取り込んだのでは日が高いのに勿体ないし、
五時になってしまっては、冷えと湿気が来るから遅いのだという。
私自身、同居していた頃、そのご高説は幾度も拝聴したので、
ここで私が勝手に返事をする訳にいかず、黙っていたら、
この件は誰も返答せず、宙に浮いてしまった(爆)。

話し合いが終わって、午前のサービスのヘルパーさんが入られ、
まずは掃除から始まった。
掃除にも舅は恐るべきコダワリがある。
きょうも、ヘルパーさんが粘着テープのついたコロコロで
床を掃除しようとして、テープがベタっと貼り付いてしまった時、
舅はすかさず、それを見とがめ、

舅「それは床をやっちゃ、いけんのじゃ。
 そいつで、まず、布団をコロコロやって、粘着力が落ちて来た頃に
 最後に床をなでるとええんじゃ」

と指導した。
ヘルパーさん、どうか、じーちゃんのコダワリを許して下さい<(_ _)>。

これからしばらく、家事指導が彼の生き甲斐になるかも(逃)。

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一昨日、姑は、私の同乗する介護タクシーで、
施設から自宅に戻ったのだが、
「さあっ、帰って来ましたよ~!」
と盛りあがっているのは私ひとりで、
姑は、運転手さんの介助で、車椅子で家に上がると、
迎えに出た舅を見て、
「どしたん。あんたも、よそのうちに泊まっとるん
と、すっかり、お客さんに来た的な立場で発言していた。

姑はどうやら、なんらかの知人(=私)に連れられて、
どこかの家に遊びに来たという気分だったらしいのだが、
そこにひょっこり、パジャマ姿の舅が現れたので、
夫まで同じ家に招かれて泊まっていたのかと感心したらしかった。

舅は、退院以来、食欲がなく、あまり元気でなかったのだが、
昨日は、私が姑を迎えに行っている間に、
雨戸を全部開け、洗濯をして干し、玄関も全開にして、
起きて待っていた。嬉しかったのだね(*^_^*)。

姑は居間に入ると、
「まあ。ええがに(良い具合に)しとるね」
と片づき具合を誉めたが、それは勿論、舅が片づけたものだった。
そして、姑は舅の顔を改めて見ると、
「おとうちゃん。あんた、顔があおいよ」
と指摘した。
さすがに、姑の目にも、舅は具合が悪そうに見えたようだ。

なんも食いたくない、なんぞノドごしのええもんはないか、
と悩んでいる舅とは正反対に、
なんと姑はこの一ヶ月で、とても健康になっていた。
太っていたのだ
姑は、入所時に持参した服がキツくなりかけていて、
去年まで外出時に着ていたブラウスやパンツなど、
家に起きっぱなしにしていた服に至っては、
どれもこれも、ぱつんぱつんになっていた(O_O)。

しかも、施設からの申し送り事項には、
姑の体動はかなり激しく、ベッドから落ちそうなこともあるので、
観察を充分にし、目を離さないように、などとも書かれてあった。
入所前は、褥創が出来そうなほど体が不自由だったのに、
この一ヶ月、施設でリハビリに励んだ効果が出て、
姑は筋力がついて来たらしかった。

良かった。ばーちゃん、元気になったね。
良かった。良かった。

良かった。んだけどさ。

ヲイ。
ばーちゃんがベッドの柵から足や顔を出して
乗り越えようとしているのを、
四六時中見張る者は、この家には、居ないぞ(^_^;?

どうするだ?

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すみません<(_ _)>。
掲示板もメールも完全に放置プレイです。
ちょっと最近、尋常ではない日々です。
どうかお許し下さいませ。

そんな中、友人から来たメールに、下記リンクが貼ってありました。
お米まであった! 華麗なるベルばらグッズの世界

以前、『お腸夫人』なる整腸ドリンク剤があって、
結構、笑わせて貰ったものでしたが、
オスカル様の愛の籠もったお米があったなんてオドロキでした。
ご興味おありの方は、是非、ご一読を。

ああ、ヒトのフンドシで相撲取ってるような日記だわ(^_^;。

(Special thanks to すたぁしあ様)

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これから五日市まで、ばーちゃんを迎えに行く。
きょうからおうちに帰れるぞ♪

写真は今食べてる本日の私の昼食だ。
昨日、歯のワイヤーを調整したら今日は痛くて仕方ない。
この程度を食べるのも一仕事だ。
ったく、なんとゆー時期に矯正を始めてしまったのか。
我ながら短慮であった。

しかし、部分矯正だけあって、歯はすでにほぼ並んだ。
ゴール間近と昨日も先生から励まされた。
がんばろう……。

ちなみに写真の背景に写っているシマ模様のブツは、
和央ようかオフィシャルグッズのバッグだ。
どうだ、ファンの鑑だろーが(殴)。

では、いってきます♪

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午後、佐伯区からの帰りにバスに乗っていたら、
私の数席前に座っていた中年女性が、
どうやら背中が痒い様子で、さかんに手を後ろにまわして
もぞもぞと難儀なさっているのが見えた。

私の、どうでもいい特技のひとつに、
『背中じゅうどこでも自分の手で掻ける』
というのがあって(全く人様のためには役立たない特技だ)、
私は自分の背中だったら届かない場所がないので、
自在に存分に自分で掻けるのだが、
目の前の女性は、どうも、そういう特技は持たない人らしかった。

彼女はしばらく、もそもそ、もぞもぞと動き続けた挙げ句、
おもむろに、持っていた日傘を振り上げると、
後ろクビの襟のところから、服の中に日傘の先を突っ込んで
ごしごし、ごしごし、と掻き始めた(O_O)。
まさに、日傘を孫の手の代わりに使用した訳だ。

もしもし。バスの中ですよ奥さん。

彼女はしばらく日傘で背中を掻いたあと、
得心したのか、傘を元通り抜いて、静かになり、やがて、
JR西広島駅前で、何事もなかったようにバスを降りて行った。

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