東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

山手線

2008-06-13 00:10:10 | 日記・エッセイ・コラム

Yamamote  
 今度は山手線。ずっと昔、通勤路線の一部に入っていました。
 今はすっかり田舎人になったので、久しぶりに乗ると新鮮な感じがします(笑)



 わずか1区間(1分47秒)の運転席から見た動画ですが、どこの区間なのか当てられそう?
 動画の中にヒントがたくさん詰まっているので、難易度ゼロのクイズかも。
 青梅線に乗る機会があったら、多摩川渓谷の美しい景色を編集したいなと思っています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都会の野良猫

2008-06-13 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

 過去の記事を読み返してみると、ほぼ毎日「青ヶ島」のネタでした。
 青ヶ島の話は山々ありますが、しばらくお休みにして、今日は都会のネタを載せようかと思います。
 
0001tokyocat  ここは品川駅前のオフィス街。
 人によくなついてくる子猫(見た目では、生後半年くらい?)がいました。
 カメラを近づいてもご覧のとおり。



0005tokyocat  猫背。

 

0004tokyocat  今度は真正面。





0002tokyocat  地面の上から。

0003tokyocat  最も興味があるのは、地面をついばむ野鳥たち。
 本能的に飛び掛ります。




0006tokyocat_2

 こっち向け~と顔をカメラに合わせようとしましたが、
 なかなかカメラ目線にしてくれません。
 「いや、このポーズのほうがいいのよ」
 撮られていること、わかっているのかな??
 名前をつけるとしたら、品川だから「シナちゃん」かな。(笑)

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青ヶ島かぞえ唄

2008-06-12 00:00:00 | 青ヶ島

 以前、郷土芸能保存会の「島唄」や「島踊り」の挨拶音声部分を聞こえる友人に頼んだところ、「カ・・・唄」と聞こえるけど、「カトリ唄なのかな?」と自信なさそうに答えてくれました。
 どんな「歌詞」になっているだろうね、と気にしていました。
 たぶん、方言なんだろうと「カトリ唄」とそのまま載せてしまいました。

 すると、ご案内しているのは「かぞえ唄」ですとコメント欄にて教えてくださいました。

  ほぼ日刊青ヶ島日記:2007年11月 の記事にあった、かぞえ唄を抜粋させていただきました。(2007年11月3日の記事)

  

♪一つとせ 人里離れた池の沢 通る人影懐かし 声をかけやれお互いに 
   二つとせ 見渡す向こうに丸山が 湯葉から白煙立ち上り  おじゃれおじゃれと呼びよせる 
   三つとせ 両親離れて出るからは 志おば大に持ち はばたけ世界の大空へ 
   四つとせ 心残して島を出る 都会のよいとこ身につけて帰るその日を楽しみに 
   五つとせ 東京へ八丈へ行くけれど 思えば懐かしい父母の里
                       
   生まれ故郷を忘らりょか
(本当は10番まであります)

  この唄は「哀歌」というよりも、「希望」と「羽ばたき」に近い感じがします。
  牛祭りや運動会などのイベントで歌われるのは、このかぞえ唄のようですね。
 
 高津勉著「くろしおの子:青ヶ島生活と記録」1955年発刊(出版社:新日本教育協会)に載っていたような気がする・・・ともう1度読み返してみましたら、やはりありました。

       一つとせ 人に知られぬ青ガ島  船は  年に四航海
      二つとせ 二人相びきチョン平  牛がやきもち  もうやめろ
      三つとせ 水は天からもらい水  村の世帯は  国頼み
      四つとせ 世直しお祈り巫女さんは  朝から晩まで  デイラホン
      五つとせ いきな娘はいないけど  子どもは平均七・三
      六つとせ 麦も実らぬ  火山島  カンモで生きる  四百名
      七つとせ なにもないけど  島酒は  老いも若きも  浴びるほど
      八つとせ 八重の椿は咲くけれど  咲くに咲けない  文化の灯
      九つとせ 来る日来る日も船待てど  港がないのが  恨めしや
      十とせ   東京都からは忘れられ  文化果てたる  青ガ島
 

 まるで哀歌のようだけど、この唄だけで当時(昭和30年頃)の様子を凝縮しています。
 今の時代、東京から飛行機とヘリコプター、うまく乗り継げば、わずか2時間で東京都最後の秘境に着陸。
 ヘリコプターが満席で乗れないときは、八丈空港から八重根漁港にタクシーで移動、10時半発の還住丸に乗り込めば13時には着いてしまいます。
 簡単に三宝港に着岸できるわけではなく、少し前にアップした動画みたいに木の葉のようにゆらゆら揺れながら接近してきます。
 ちょっと波が出ていると、タイミングを見計らい、何度もリトライしているとか・・・。
 日曜日以外は毎日運航していますが、昔は年に数回しか船が来なかったそうです。

  教えていただいた、かぞえ唄はぱっとみてもすぐわかりますが、昔はちょっとわかりずらいので、ちょっと補足してみます。

 「水は天からのもらいもの」
   →水道もなかった昔、桶のようなものを外に出しておき、雨水をためていました。
    尾山展望台付近の山肌にコンクリートで固まったスキー場のような斜面は簡易水道の取水施設。今でも雨水を塩素で消毒し、各家庭の蛇口に配水しています。
    青ヶ島の水道は御蔵島の源水と同じくらい美味しい。
    ふれあいサウナで汗をたくさん流したあと、備え付けの冷水器で飲むと爽やかな気分になれます。

 「子どもは平均七・三」
   →当時人口400名(現在約200名)のうち、子どもは3分の1を占めていました。

 「いきな娘はいないけど・・・」
   →昔から八丈島は女島、青ヶ島は男島と言われていたとおり、男性が多かったそうです。でも、今の青ヶ島を見ていると、島とは思えないほどお洒落できれいな人ばかり。

 「カンモで生きる」
   →昔は船があまり来なかったため、カンモ(さつま芋)を食料にしていました。港もないため、魚を食卓にあがることはなかったみたい。

 「島酒」
   →今は商品化されている焼酎の「あおちゅう」。原材料は島で採れた「カンモ」。
    なぜかわが家では何本かストックしています(笑)

 「咲くに咲けない 文化の灯」
   →不便なのは交通事情だけで、生活水準は街と変わらなくなりました。


000220080612  中村太郎作品展 「東京都青ヶ島」
 出版社:フォトサロン
 発刊年:2000年
 価格:800円

 唄に謳われている、昔の様子を知りたいときはこの写真集がお勧め。
 表紙は昔の三宝港。港とはいえ、ただの船着場でした。
 背後に見える大きな岩は現在でも見られますが、真ん中より下はコンクリートが打ち付けられています。
 著者の中村太郎氏は論文作成のため、1959(昭和34)年、青ヶ島に上陸。
 ネガを眠らせておくのはもったいない、写真集にしてくださったそうです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おめでとう!ろう者の教師3人誕生

2008-06-11 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

Meisei1  今年4月、新しく開校したばかりの、日本で唯一バイリンガル教育を行っている「明晴学園」のホームページにアクセスすると、目を見張るような記事を見つけました。


 ・明晴学園 オフィシャルホームページ

Meisei2  お友達の3人が小学校教諭第1種免許を取得、6月から晴れて「先生」になられたとのことです。
 大学の夏季集中講義を受けたりして、ここまでの道のりは本当に長かっただろうと思います。おめでとうございます\(^o^)/

 ・ろう者の先生3人誕生

 明晴学園も開校2ケ月目、ホームページのコンテンツも濃くなってきました。
 「もっと明晴」のコーナーでは、目の人(ろう者)の文化と聞こえる人の文化をどのように共有するか、工夫もなされています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ここでも青ヶ島気分!?

2008-06-10 00:00:00 | 青ヶ島

000120080610  また送られてきました、アジとヒラソ(関東では「ヒラマサ」)。
 千葉県は海に囲まれている房総半島のはず、魚を口にするのはほとんど伯母から送られてくる山口の鮮魚。
 平成大合併で「下関市」に変わってしまいましたが、駅前に商店1軒、小学校、郵便局、漁業組合があるだけで本当に何もない田舎なんです。

 電話番号も大昔は市外局番6ケタ、市内通話は下4ケタだけでつながったのですが、最近は市外局番3ケタに変わってしまい、ご近所さんにかけるのに7個もダイヤルしなければならなくなりました。
 
 20年位前は 
 市内局番が1ケタ → 町・村、 2ケタ → 市、 3ケタ → 東京・大阪などの政令都市。
 電話番号を見ただけで、田舎の規模などの大まかに想像できたのですが、今だと区別ができなくなってしまいました。  

Img118  これは1982(昭和57)年の電電公社電話帳(伊豆諸島・小笠原版)。
 「青ヶ島会館」とは八丈島にあって、船が出れないときの村民宿泊施設。
 ダイレクトに繋がる電話番号は村役場と郵便局の2ケ所しかなく、個人宛は 049969 をダイヤルし、役場の交換手に名前を告げて繋いでもらう方法だったのです。
 今の時代だと、インターネットのブロードバンド、携帯電話も島内全地域通話エリアになっています。
 そんな時代もあったのですねぇ・・・。

 すっかり話をそらしてしまいました。

 わさびは混ぜずに刺身に少々乗せたほうが美味しいのですが、こちらは青ヶ島産「鬼辛」を醤油と混ぜると、とても美味しいです。

 青ヶ島のお土産いろいろ・・・は今後アップしたいと思いますので、お楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広報あおがしま

2008-06-09 02:17:45 | 青ヶ島

   青ヶ島の話題はまだまだ続きます。
 ふだんは内地に住んでいながら、青ヶ島に想いを馳せているエセ島民なんです(笑)
 
 ほぼ全国光ファーバーやADSL回線などの高速回線が行き届いているのに、小笠原村だけは未だにISDNのナローバンドのままになっています。
 何十万キロも離れた衛星回線を通すので、メールも電話もインターネットもそのような距離でやりとりをしています。
 DoCoMoのFOMAも以前までは音声通話のみでしたが、現在iモードも使えるようになりました。通信速度は内地に比べると若干遅いようです。
 もし、行けたら、検証も兼ね、携帯電話でのブログ更新を試そうかと思います。

 さて、青ヶ島にブロードバンドが導入されたのは2004年。
 
 参考文献:NTT東、伊豆諸島でもフレッツ・ADSL

Aogashimakoho_2  その恩恵もあってか、数年前からホームページも大幅にリニューアルされました。
 そのなかで1番楽しみにしているのは、月1回更新される、「広報あおがしま」。
 バックナンバーも2006年4月から今月まで全て見られるようになっています。
 なんと街の広報と匹敵するほどカラー印刷で8ページ構成、しかも最後のページに保健師が健康についてわかりやすく解説されていて、内容もとても充実しています。

 ・青ヶ島村役場

 お住まいの地域の広報もお忘れなく・・・

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

還住丸(青ヶ島→八丈島)

2008-06-08 00:00:00 | 青ヶ島

 ヘリコプターは往復とも載っているのに、還住丸のは1度も載っていないのに気付き、今日は還住丸の動画を編集してみました。
 離任シーズンの3月になると、三宝港では還住太鼓の演奏などで盛大なお見送りが行われるそうです。
 離島される方はどんな気持ちで見ているだろうね・・・。

 島じまん2008の動画の音声部分を2人の友人に聞いてもらい、文字を起こしてみました。
 実際、舞台では詳しい挨拶がありましたが、動画では一部カットさせていただきました。

 ★還住太鼓の挨拶★(6月2日UP)

   -拍手- 皆さん、こんにちは。今までこの島じまんでは、噴火から村おこしまでを叩いてきました。今年は リョクセイ という曲をたたきます。

 ★島踊りの挨拶★(6月3日UP)

   -拍手- これから、唄と踊りを披露します。かぞえ唄を唄っていただきます。ひとつ、よろしくお願いします。

 
※最初は「カトリ唄」と書いてしまいましたが、「かぞえ唄」でした。訂正させていただきます。
 Pandaさん、ありがとうございます。
 かぞえ唄については、下のコメント欄に詳しくありますので、ご覧くださいね。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぜひご覧戴きたいBLOG集

2008-06-07 00:00:00 | 青ヶ島

  このブログのタイトルは「東京アイランド」。
このタイトルにふさわしく、伊豆大島から利島、新島・・・といったように1つ1つ丁寧にレポートを書けばよかったのに、各ブースとも人波ですごくごった返していました。
 
 自分の好きな青ヶ島と小笠原を回り、還住太鼓と郷土芸能保存会の鑑賞でもう十分、帰っちゃいました。
 各島の皆さん、せっかく遠いところからお越しくださったのに大変申し訳ございません。

 「島じまん2008」の様子を詳しくレポートされているという情報を見つけましたので、ここでご紹介させていただきます。

Yadokari2tomiyake_3Aogashimashinpuru_2  ・青ヶ島に暮らす+++1/200のシンプルライフ+++

で、私の拙いブログをご紹介いただきました。


 映画「アイランドタイムズ」では、青ヶ島の新聞を世帯に配る場面が冒頭になっています。
 こちらでは、ブロードバンドの恩恵にあずかり、青ヶ島の新鮮な情報をオンラインで発信中。
 まるでインターネット版の「アイランドライムズ」のようです。

Log


 アクセス数が急激に増え、予想を超える反響に正直驚いています。
 アクセス状況を調べてみますと、ほとんど、aura*さんのブログからご来訪いただいています。
 本当にありがとうございます。

Aogashimablog_2  ・青ヶ島BLOG

 青ヶ島のお天気キャスターのようなものでしょうか、毎日現地のお天気を伝えてくださいます。
 これで内地とリアルタイムで青ヶ島と同じ空間を持てるようになります。


Aogashimanikki_2  ・ほぼ日刊青ヶ島日記

 このブログは青ヶ島OBですが、去年4月から今年3月まで1年限定で青ヶ島でお暮らしになったご家族の楽しいブログです。
 昔は「鳥もかよわぬ鬼ガ島」と言われていた、青ヶ島での暮らしは大変そうだと思われそうですが、この一家のお陰で青ヶ島はとてもにぎやかになりました。
 お子さんはとても礼儀正しく、生まれも育ちも青ヶ島っ子と間違われるくらい真っ黒に日焼けしていました。(去年の夏休みのお話なんですが・・・)

 青ヶ島の主なブログをご紹介させていただきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひんぎゃの塩販促チラシ

2008-06-06 00:05:16 | 青ヶ島

 昨日は小笠原、今日は青ヶ島の話題に戻ります。
 三宝港(青ヶ島)から二見港(小笠原)までの直線距離はおよそ640キロ、直行便がないため、いったん東京に行かなければならないのです。
 370キロと1000キロ、都内の片道移動にしては最長かなと思います。

 青ヶ島ブースでひんぎゃの塩販促チラシを見たところ、デザインが新しく変わったみたいですが、今までのチラシをご紹介しましょう。

Hingya01158  記憶は定かではないけど、数年前の十一屋商店に置かれてあったチラシ。
 (たぶん、1999年か2001年頃)
 外輪の内側に天明の大噴火(1785年)でできた、丸山が見えます。
 プリンのようなデザインは自然に出来たわけではなく、人間の手によって整備されたものです。
 三宝港の様子を見てみますと、今みたいに新堤や青翔(せいしょう)橋も見えませんね。
 「ん」の文字横には「大千代港」が見えます。
 三宝港の状態が悪ければ、大千代港に寄港する計画があったのですが、難工事のため中止になったと聞きます。
 1つの島に2つ以上の港があれば、風向きや波の状態によりどちらか入港できるので、欠航になることはないそうです。

Hingya02159  これは今の新しいデザインより1つ前(?)のようですね。
 上のデザインは南部から見た航空写真、こちらは住民たちが暮らしている北部。
 去年の夏、青ヶ島行きのヘリコプターに乗る前、きっと丸山の上空をくるりと回り、ヘリポートに着陸するだろうと過大な期待をしながら乗ったのですが・・・やっと島影が見えたぞ!と思ったら、あっという間にヘリポートに着陸。
 まるで路線バスのようにわずか5分で引き返してしまいました。


Hingya03160  今度はテレホンカード。
 1999年、デザインに惹かれ、村役場で購入したような気がします。(なぜ手元にあるのか、よく覚えていませんが・・・)
 手前に筋のような線が見えますね。
 これは都道236号線、港から集落への近道なんですけど、港付近にすごい急勾配のジクザク道があり、クルマで行くのは難しいです。
 しょっちゅう崖崩れを起こし、通行止めになっているため丸山を通る道が大動脈になっています。
 もし、通行止めでなければ集落から港までウォーキングすると健康によさそうですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今度は小笠原へ

2008-06-05 01:16:00 | 小笠原

 青ヶ島の話題はまだまだ続きますが、ちょっと気分転換に「小笠原」ブースに移動します。
 週1便の「おがさわら丸」が竹芝桟橋を出航するのは午前10時。
 父島に着くのは翌日の午前11時半、25時間半の船旅しかありません。
 「おがさわら丸」の速力はおよそ20~25ノット(≒時速30~40キロ)なので、1000キロの船旅にどうしてもその時間を要しなければならないのです。

 さらに50キロ離れた母島への乗り継ぎは、13時発、14時30分着なので、計算してみると、なんと28時間半。
 日本の裏側、ブラジルのリオデジャネイロに行くよりも遠い「東京」なんです。

 父島は小笠原村の中心地なので、1000人乗りの「おがさわら丸」からどっと押し寄せるように降りて行きますが、母島行きの「ははじま丸」はとても空いていました。
 言い換えれば、父島は八丈島、母島は青ヶ島、といったような雰囲気に似ています。
 道理で小笠原へはいつも母島へ直行してしまいます。(笑)

000520080602 小笠原ブースにあった、大きな宣伝ポスター。
 小笠原村も今年で40年目。
 戦前までは5つの村がありました。
 父島に大村、扇村袋沢村、母島に沖村、北村、硫黄島に硫黄島村
 昔は東京から1250キロ離れた硫黄島でも家が建っていたり、さとうきびを栽培したり、多くの住民が暮らしていました。
 アメリカ軍が硫黄島を本土を攻める戦闘基地にしようと制圧、交戦した日本軍は玉砕した場所として有名です。
 隆起が激しく、港も作れず、旧島民の帰島も許されず、現在に至っています。
 終戦後、小笠原諸島は沖縄と同じくアメリカ軍の占領下に置かれました。
 1968(昭和43)年6月26日にアメリカ軍から返還、本土復帰してからもう40年目になります。

Ogasawarastamp 小笠原復帰記念は右側のオレンジ色。
 左側は国立公園シリーズとして発行されたものだけど、なぜか「小笠原」だけ買い占めてしまい、数枚も・・・。
 ハガキに貼る切手として小笠原へは必ずかばんの中にしのばせていました。

 青ヶ島をモチーフにした切手は今まで1度も発行されたことはないのですが、丸山などの写真を切手にしてもらうことも可能になりました。

 ・ フレーム切手(郵便局株式会社)

000720080602
 小笠原ブースだけは南国情緒が漂いますね・・・。
 


 002520080602
 珍しいものを見つけてしまいました。
 なんと「沖ノ鳥島産 マグロくんせい」。
 沖ノ鳥島は確か、「小笠原村」に属するもので、もともとは海面上に突き出た岩のようなもの。
 その岩が削られてしまうと、排他的経済水域が失われてしまうので、消波ブロックやコンクリート護岸工事などを施し、外国に「ここは日本領土である」と主張するために「小笠原村沖ノ鳥島1番地」とかのプレートを立てたとか、1、2年前のニュースで聞いたことあります。

000820080602  
 こちらは「小笠原弁当」コーナー。
 島寿司や小笠原の食材を使ったおかずなどで豪勢になっていました。

 
000620080602 
 小笠原の特産品販売コーナー。
 沖縄とほぼ同じ緯度なので、売られている商品もなんとなく沖縄っぽいです。

 初めての小笠原は右も左もわからず地図を頼りにして回っていたのですが、何度も行っているうちに把握できるようになりました。というか、私は父島より母島のほうが詳しいかも??(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島巡りスタンプラリー

2008-06-04 00:00:00 | 青ヶ島

002220080602  会場内の1階と3階にある9島のスタンプを集め、抽選で何かのプレゼントがもらえるというので、参加してみました。
 1階の会場ではごった返していて、スタンプを見つけるのに苦労してしまいましたが、3階は比較的空いていて、簡単に見つけることはできました。
 
 主催者の意図なのか、「青ヶ島」のスタンプは3階の奥、ひっそりした場所に置かれてありました。伊豆諸島最南端だもんね・・・。

 1階に戻り、「八丈島」のスタンプを押し、これで完結!!と思ったら、年輩のご婦人に「すみません、青ヶ島がなかなか見つからなくて・・・」と声をかけられてしまいました。
 職場でもお客さんに「どこですか~?」と聞かれても紙に書くよりもその場所に案内してあげたほうがてっとり早いので、3階の「青ヶ島」まで案内することにしました。
 
 「あの・・・青ヶ島に行かれたことありますか?伊豆諸島最南端なので、置く場所も最も奥のところにあるんですよ」と声をかけようかと思いましたが、私はろう者なので、はぐれないようにただ黙って手を引きながら・・・・。
 会場にケーブルやらで段差が多く、つまづかせないように段差のあるところに立ち止って、「段差があります。足元に気をつけて」と身振りで注意を促しながら進みました。

001120080602_2
 最後に「青ヶ島」のスタンプを押したのだから、思い出に特賞でも引いてあげたいなと念じましたが、残念賞でした・・・。


 会場ではたくさんの人がいたはず、私は別に「青ヶ島大好きだから、案内してあげますよ」のオーロラを出していたわけではないのに、よく気付いてくれました。\(^o^)/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青ヶ島で日焼けしました(続き)

2008-06-03 00:00:00 | 青ヶ島

 昨日の島じまん2008ではまるで真夏の青ヶ島と思わせるようなお天気だったのに、今日は梅雨空模様。
 正午ごろテレビで「今日から関東甲信越では梅雨入りしました」と発表がありました。
 去年は6月22日頃でしたので、20日早い入梅となります。
 ということは、梅雨明けも早くなるかな?
 梅雨明けが早ければ、また夏の島旅に出かけたいなと思うときがあります。

001320080602  今度は青ヶ島芸能保存会の「島踊り」演奏がありました。
 歌手が唄を歌いながら、「アッ、シッチョウ~」という掛け声とともに手を動かす踊りです。うっとりしてしまいそうな、振り付けですね。
 島踊りの魅力をお伝えしたくて、一部だけ動画を編集してみました。

 本来なら還住太鼓や島踊りは青ヶ島でしか見られない、郷土芸能。
 この日のためにはるばる青ヶ島からお越し下さって本当にありがとうございます。

<script language="javascript" type="text/javascript" src="http://dl.video.nifty.com/js/player.js?user_id=0000007297&amp;catalog_id=080602092077&amp;category_id=0&amp;lg=0&amp;width=300&amp;height=245"></script><noscript></noscript>      
      

001720080602  

 青ヶ島ブース内にあった、写真展示。

 

001620080602 
 特産品の販売コーナー。
 

 

001420080602 今回は「とびくん」、「ひんぎゃの塩」、「鬼辛」、「島だれ」、「池之沢ウコン」、色々な銘柄の「あおちゅう」(焼酎)、無番地Tシャツ、牛祭りTシャツなどなど。
 ブースの中では人だかりができるほど大繁盛でした。

 友人にも「青ヶ島の売上に貢献しましょう~!」と今家にあるものの「鬼辛」などを勧めましたが、買ってくれたかな??

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青ヶ島で日焼けしました

2008-06-02 00:27:30 | 青ヶ島

000120080602_2  あっという間に今日から6月1日。
 昨日の冷たい雨とうってかわって、今日は暑くてよいお天気でした。
 時々夢にまで見る青ヶ島、今日はふらりと青ヶ島に出かけてしまいました。
 厳密に言えば、伊豆諸島・小笠原の「島じまん2008」という2年ごとのイベントが竹芝桟橋で行われています。

 つまり、今日は「青ヶ島村竹芝出張所」のようなものなのでしょうか。

000320080602_2 会場に着くなり、足がおのずと「青ヶ島ブース」へ。
 のぞいてみますと、いました!!いました!!
 港で出会った、若いお兄さんです。
 「私、覚えている?」
 「おお~久しぶりですね」
 十一屋商店の女将さんも私に手を振ってくださいました。
 去年は5年ぶりの青ヶ島だというのに、女将さんはしっかりと私のことを覚えていらっしゃたのはとても嬉しいです。

000220080602_2  以前から食べてみたいメニューは決まっていて、「和牛ステーキ丼」と「クジラヨ塩焼き」を注文しようとしたら、予想のとおり大行列でした。
 1999年(うわっ、今から8年前)、中学のときからずっと憧れの青ヶ島に一緒に来てくれた友人の036さんも会場に来ているはずなので、「今、青ヶ島ブースで並んでいる」とメール。
 すると、すぐに現れてくれました。本当に久しぶりです。
 「青ヶ島だけすごい行列できているねー」
 「昼ごはん食べた?」
 「ここのところすごい行列できているから、他の明日葉麺にしといたよ」
 「じゃあ、和牛丼1個追加しようか?」

000420080602_4  2、30分待った甲斐があって、やっとゲット!!
 青ヶ島だと待ち時間ゼロだというのに、ここだと長く待たされるんですねぇ・・。
 友人いわく「青ヶ島って和牛が名産らしいだけど、島では和牛ステーキ出たのかな?」
 「いや、島寿司とか出たけど、和牛は出なかった。育てるだけで内地に出荷しているみたい」

 和牛は半焼きのようだけど、すごくやわらかくて美味しい。
 クジラヨの塩焼きを口にしたとたん、三宝港の香りと味がしました。
 数年前の浜遊びでおすそわけしていただいたときと全く同じ味。
 本当に懐かしい味!!
 和牛ステーキ丼は初めてですが、特にクジラヨの塩焼きは青ヶ島に帰ったかような気分をさせてくれました。

001220080602  還住太鼓の演奏がありました。
 4回も青ヶ島に行っているくせに、つかの間の滞在なので、見たことも聞いたこともありませんでした。
 今日、やっと初めての観賞です。

 太鼓は体に響いているのがわかるので、とても素敵な演奏でした。
 ハイライト部分はバチを投げて回す部分だと思われるので、その一部だけ動画を編集してみました。
 バチさばきの中でバチを回すのは相当な技なのです。
 青ヶ島では昇級システムがあり、バチを1回も落とさなければ、上の階級にあがることができるらしいです。
 お見事な演奏でした。今でも太鼓の余韻が響いています。(笑)
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紙リサイクル・ちりも積もれば山に

2008-06-01 00:11:23 | 日記・エッセイ・コラム

000120080601  今日は1日中雨が降っていて、異常なほどの寒さでした。
 明日から6月だというのに、この異常気象は何でしょう??

 「貸出期限票」が本にはさんだまま返ってくるのが多く、今まではその都度ゴミ箱に捨てていたのを着眼し、急遽、リサイクルボックスを作成。
 ゴミ箱に捨てるのは、リサイクルできない紙類(感熱紙のレシート、セロテープで止めている紙など)に限るとし、分別を試みたところ、1日でこんな量になってしまいました。

 小さな紙ぎれでも、「ちりも積もれば山になる」という言葉があるとおりです。

 今までは何十年かけて成長した木をあっという間に燃やしてしまうようなことをしてしまいましたが、これからは古紙再生としての第2の人生を歩ませることにします。

0005080405  言い方が大袈裟だけど、このまま木の伐採を続けていれば、やがて青ヶ島の丸山も伐採・・・という事態になって欲しくないと思うだけで、おのずと紙のリサイクルは取り組むようになるのは不思議です。(笑)


 いつも自動券売機で切符を買わず、携帯電話のsuicaで電車に乗っていますが、あれはヘーパー(切符)の削減による地球環境保全の一環だそうです。
 自動改札機に回収された切符たちはその後どうなるかと言いますと、紙部分と黒く塗られた磁気情報を分離し、トイレットペーパーに再生したり、磁気部分は駅ベンチに再生しているそうです。
 「リサイクル」のキーワードでヒットした情報なんですが、今まで回収された切符は燃やすものと思い込んでしまいました。

Amaariki 地元の小湊鉄道さんは良質な紙で硬い切符を使っているみたいですが、昭和30年代の概念を捨て、ペーパーレス化のsuicaで乗れるようにしたいです。


Goikominato リサイクル可能なJRで発券された小湊鉄道線の切符。
 キセル目的ではなく、当時最低運賃区間エリアに住んでいましたので、たまたま持ち帰っただけ。(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

便利ツール