今日の「田舎に泊まろう」はなんと3時間スペシャル。
東京から10時間!離島の旅・・・と番組の冒頭に出ていたので、東京から10時間といえば、どこなんだろう?八丈島?(八丈島は過去に放送済)、神津島も出ていましたし・・・。
東京から10時間ではなく、「鹿児島から10時間」が正しかったかも。
芸能人の古瀬絵里さんが「横溝正史の小説に出てくるようなミステリアスな田舎に泊まりたい」とリクエスト。
配達先郵便番号を持たせたところ、「891・・・」になっていたので、伊豆諸島ではなく九州のどこかなんだろうと推測。
伊豆諸島・小笠原は全部、東京中央郵便局と同じく「100」から始まる番号になっています。
大島は100-01と02、利島03、新島04、式根島05、神津島06。
ここまでは竹芝桟橋から神津島行きの高速船「アイランドセブン」、「さるびあ丸」が就航している、東京から「近い島のグループ」に属しています。
八丈島行き「かめりあ丸」は「遠いグループ」とし、三宅島・御蔵島・八丈島・青ヶ島は11から17に割り当て、小笠原の父島は「21」、母島は「22」。
連れて行かれたところは、鹿児島市から南へ293キロ、トカラ諸島で5番目の悪石島。
断崖絶壁にジクザク道の映像。「うわぁー、青ヶ島にそっくり!」と感動してしまいました。
島のプロフィールが出ていましたが、人口77名だそうです。
島の正式名称は「悪石島(あくせきじま)」、自然景観も素晴らしいところなのに、何で「悪」の字が付くのか??あまりにもインパクトが強すぎます。
青ヶ島は海も青々しく、丸山の緑も青々しい。「あおがしま」の手話「青」「ガ」「島」は聞き手も青々しくて美しい島と連想してしまいます。
悪石島に興味があったので、ちょっと調べたところ・・・・
な、な、なんと鹿児島郡十島村に属し、村役場の本庁は鹿児島市にあるそうです。
・十島村役場
悪石島の周囲 12.64キロ、面積 7.49キロ平方メートル 人口77名
(ちなみに青ヶ島はひとまわり小さくて人口約200名)
交通アクセスは十島村営のフェリー「フェリーとしま」で鹿児島から週2回。
夏ダイヤ 鹿児島23:00 → 悪石島10:15/(翌日)8:20→ 鹿児島19:30
青ヶ島へのアクセスは羽田空港からわずか2時間、(うまく飛行機とヘリコプター両方予約が取れていれば)帰りも還住丸が八丈発の最終便にうまく接続しているので、5~6時間の旅になります。
それよりも超える秘境な島が日本にあったとは驚きです。
2009(平成21)年7月22日、日本で皆既日食が観測され、その中心線が悪石島を通るため多数の天文マニアが押しかけ、島内5軒にある民宿が満室になり、食料や水の確保も懸念されているそうです。
悪石島の様子はこちらがわかりやすいかも?
・十島村立悪石島小中学校
「田舎に泊まろう」で全国的に「悪石島」の知名度が上がったわけですので、芸能人が「360度海が見渡せる田舎に行きたい」とリクエストしたら、青ヶ島を企画して下さいな。
今年の6月26日は小笠原諸島返還40周年記念日でした。
40年前の小笠原ではアメリカ星条旗を降ろし、日の丸を揚げた日でもあります。
あれから40年、父島の小笠原村役場周辺では飲食店、お土産ショップ、宿泊施設が次々と形成され、都会のようになってしまいました。
さらに50キロ離れた母島は、多数の観光客が押しかける父島に比べるとひっそり静まり返っています。
小笠原に行くときはなぜか母島に直行してしまいます。
東京午前10時出発、父島で「ははじま丸」に乗り継ぎ、翌日の午後2時半頃着きます。
交通手段は船しかなく、国内旅行で最も時間のかかるところかなと思います。
島じまん2008の「カクテルコーナー」で思わず、小笠原のを選んでしまいました。
小笠原のはずだが、なぜか青ヶ島の「あおちゅう」も混じっていました。
いろんなお酒とシェイクしているのかな・・・?
これは母島の評議平(ここまで地名を書かなくてもいいのですが・・・)で作られた、小笠原ラム&リキュールの「パッションリキュール」(アルコール度12%)。
赤いパッケージのは「ラムリキュール」(アルコール度40%)、欲張って2本買おうと思いましたが、青ヶ島のお土産もたくさんなので、重たくて持ち帰るのが大変。
今回はパッションリキュールだけにしました。
(ラムリキュールはアルコール度40%もあり、「あおちゅう」(青ヶ島焼酎)の35%と同じくらい強いです)
割り方は・・・各々の好みによりますが、
コーラ、ソーダ、ウーロン茶、オレンジ(「あおちゅう」も同じ)
このパッションリキュールだけのオリジナルは牛乳、アイス紅茶で割っても美味しいです。
今度はアイスコーヒーで割って試してみようかな。(笑)
「お土産」なのか微妙なんですが・・・。(笑)
左の冊子は最新版の青ヶ島観光ガイド。(村役場編集)
右側のチクマ離島シリーズ・青ヶ島(同じく村役場編集)と真ん中のチラシは昔、山口に住んでいた頃わざわざ青ヶ島から郵便で取り寄せたものなので、平成4年(1992年)刊になっていました。
新しい観光情報冊子は全部で39ページ、どのページもボリュームたっぷりです。
チクマ離島シリーズは63ページ。歴史から自然観察、名産品、料理、産業などなど青ヶ島をまるごと知ることができます。
今でも購入できるかどうか、ネットで検索してみましたが、残念ながら絶版になっているようです。
チクマ離島シリーズ青ヶ島・41ページに載っていた写真
青宝トンネル開通前の三宝港の様子。
青宝トンネルは1985(昭和60)年開通なので、この写真は23年以上前だと思われます。
すごいジクザク道を通って、集落まで道が繋がっていました。
ここでも東京都が作り上げた、都道236号線になっていますが、クルマで運転するのにすごく怖い場所です。
(今は青宝トンネルのおかげで道幅はそんなに狭くはないのですが・・・)
39ページに載っていた、写真。
これも同じく昭和の終わり頃の市街地です。
今は新しい住宅や近代的な建築物が多いです。
いくつか変わっているところを見つけられそう?まるで7つの間違い探しのようですが・・・。
答えは ①ヘリポートが草むらになっている ②村役場隣のおじゃれセンター(保健所、診療所)がない(平成14年新築) ③小中学校の建物が変わった(平成9年新築)、④体育館も変わった(平成19年新築)、⑤信号機・横断歩道がない(平成9年設置) ⑥水道施設が今の様子と変わっている ⑦巨体な通信アンテナがない。
今日はいつもよりは肌寒さを感じる雨の日。
職場のまわりで咲いているアジサイがきれいです。 アジサイと聞けば、真っ先に思いつくのは青ヶ島の民宿「アジサイ荘」。
従来の青ヶ島伝統的な住宅に
都会的な新しい建物が増築されました。
ビアガーデン、パン屋さん、フリースペースをカフェコーナーにするなど青ヶ島にないものを次々と開発されています。
昼休み、携帯電話からの更新でした(^o^)
これも幻の「島ダレ」です。
青ヶ島産なら味見しなくても、すごく美味しいはずなのでたくさん買ってしまいました。
用途は刺身用になっていました。
山口の伯母から日本海で釣り上げた鮮魚をよく送ってくれるので、今度の刺身につけてみようかと思っています。
そういえば、青ヶ島も毎日のように新鮮な魚ばかりなので、まるでここでも向こうと同じようにさせているのかな、なんて思ったりしています。
「秘伝 マツミおばちゃんち 島だれ」も青ヶ島産。
今回の島じまん2008での販売はありませんでしたが、去年青ヶ島からの帰りに八丈空港の売店で見つけたものです。
この島だれは刺身だけではなく、パスタなどにも色んな料理にも合いました。
何本か欲しくて問い合わせをして見ましたが、今は生産していなくて、今後の販売はいつになるのかは不明とのこと。
韓国ドラマ「チャングムの誓い」みたいに秘伝レシピが宮廷のどこかに隠されていると同じように「超」がつくほどの「幻」になっています。
近所のチャングムさんにもおすそわけしたのですが、どんな料理にも合っていて、こんなに美味しいものは見たことがないという感想。
島ダレ1本作るのに長い歳月をかけて作られているみたいなので、そう簡単に生産できるわけではないだろうか。
入手できれば、超ラッキーの商品です。
ジョンホ先生から戴いた、韓国の「冷麺」。
冷麺といっても、いろんなバリエーションがあり、こちらは直接コチュ(唐辛子)のタレをつけて混ぜる、「ビピムネンミョン」。
(有名な「ビビンバ」と同じく混ぜるものなので、「ビピム」になります))
盛岡の「ぴょんぴょん舎」で食したものはムルレンミョン。「ムル」とは「水」のことで、冷たいスープ付き。
具はもやし、きゅうり、ハム、卵、鶏ササミ、梨(今はないけど)などにもよく合います。
日本だと「ソーメン」、中国は「冷やし中華」、韓国はこれ。
コチュ(唐辛子)はあまりにも辛くはなく、さっぱりした味になっていました。
ラーメンみたいにあまりにも辛すぎると余計に暑くなるだろうか、タレの味付けは素晴らしい。
17日のニュースが20日になって韓国のメディアに伝わってしまいました。
「オタク」という言葉は、あの事件でマスコミがとりあげてから否定的なニュアンスとして社会に広まりました。
今、韓国でも日本語そのままの「オタク(???)」が通じるようになってしまいました。
「私は何々オタクです」と謙遜的な言い方をしますが、パソコンなど特定のジャンルだけ知識豊富な人に対しては何々博士などの表現にすれば喜ばれるかも知れませんね。
さて、マンガのハングルは 「オタクとは違うんだ!!」(左)「アニメーションなら好きなんだけど」(右)「説得力のない説得をする人がいます」(下)。
島じまん2008・「青ヶ島ブース」の大半を占めていた、「とびくん」。
トビウオの水揚げ量が多くなるのは毎年2月下旬から3月の間。
夏に行っても、トビウオが食卓にあがることはなく、その味を知ったのは今年の3月。
詳しくは過去の記事 こちら へ
(日付を指定してのリンクはできなかったので、もう少し下のほうの、3月26日・27日の記事をご覧くださいね)
内地のトビウオはちょっと小さめなのですが、青ヶ島のはとても大きいです。
さばくのに骨がたくさんついていて、非常に大変だそうです。
味付けも心をこめて作られた一夜干し、あっという間に平らげてしまいました。
また食べたくなってしまうほどの美味しさでした。
前回のトビウオは家庭的な味の「一夜干し」でしたが、今回は「燻製(くんせい)」でした。
そのまま食べても美味しい、炙るともっと美味しいとパッケージに書かれていました。
ひんぎゃ(火口)の熱でいぶしたのかなと思いましたが、炭の煙でいぶしたかような味がしました。加工過程を見たことはないですけど、この商品はひんぎゃの塩をまぶし、炭火でいぶしたものかな?(これは私の推測)
そのまま食べるともちろん美味しいのですが、今回は蒸して食べました。
青ヶ島の味、本当に懐かしいです。
新鮮な魚が獲れたり、大物が釣れるようになったのは港が整備されてからだそうです。
港がなかった頃の船着場だと、近くに大物が流れても獲れることはできなかったらしい。
以前住んでいた山口の漁村では、漁船を係留させるスペース、つまり船の駐車場があるのですが、波の状態がよく変わる三宝港ではスペースがありません。
道路交通法で言うと「駐停車禁止」の場所なので、船は陸から常に出し入れをしなければならないのです。
船を港に下ろす作業は10~15分くらい、クレーンでゆっくりと。
初めて見たときは空飛ぶ船だとびっくりしてしまいましたが、見慣れると「青ヶ島ならでの風景」に変わってしまいました。
漁に出る方は大変でしょうが、お疲れ様です。
6月20日 19時20分頃の空。
真っ暗、ということはなく、印刷物の文字が見えるほどの明るさになっていました。
ここは東日本なので、朝4時頃から明るくなり、夕方7時過ぎに少しずつ暗くなります。
沖縄はここよりも1時間遅いので、8時過ぎてもまだ明るいかも・・・。
ついこの間までは午後3時に太陽がかなり西に傾き、4時頃からは暗くなっていたのに、いつの間にかに1年のなかで最も日が長くなる夏至を迎えてしまいました。
本当に早いですな・・・。
夏至を過ぎると、少しずつ日が短くなり、1ケ月後の7月20日は・・・
18時45分の空模様。
うろ覚えですが、70キロ先の八丈島が見えるので意識して撮ったかも知れません。
(こちらの写真はもちろん、青ヶ島小中学校付近)
今日はお留守番中のマナちゃんのところへエサやり、トイレ掃除、水やりを頼まれたので、行ってみました。
お腹がすごく減っていて、ちょっと興奮気味。
日ごろは「お手!」の儀式してから与えるようになっているので、私も「お手!」をやってみました。
マナちゃんがちょっとふてくされたかような表情で「お手」。
すると、エサの置かれている場所に視線を送り、「あれ、ちょうだいニャ」。
テーブルにアルバムみたいなようなものが置かれてあったので、ちょっとだけ覗いてみました。
これはジョンホ先生が撮った、2年前のマナちゃん。
赤ちゃんのときからずっと見ているのに、かわいい時代もあったんだ。
2年前に作ってあげたものも大切に保管されていました。
うわっ、こわ!!怒った!?
牙向くマナちゃんの姿、初めてみた。
ジョンホ先生って、その瞬間まで撮れているなんて、カメラの腕は相当すごいだろうね・・・。
今度はトイレの掃除。
見た目ではきれいになっているのに、スコップで土をならすと、やはり出てきました。
誰も教えたわけではないのに、ネコは用を足すと砂をかけて隠す習性があるらしいです。
ネコババを漢字変換するとちゃんと「猫糞」と出てきますしね・・・。
<<おまけ>>
青ヶ島村ふれあいサウナのネコちゃん。(2002年)
去年行ったときはどこかに出かけているのか、見かけませんでした。
もう1匹もいましたね。
よくなついてくれたのは、上のネコちゃん。
サウナの休憩室で。
エサ目当ての「お手!」ではなく、本当に手を乗せてくれました。
決して「やらせ」の画像ではありません。
ひまつぶしに戯れることもできるし、癒されます。
今でもいるのかな??車も少ないし、天敵の動物もいないし、みんな仲良し?(笑)
書くネタがなければ、休刊と思っていたのですが、ブログを書くことが習慣化してしまったので、今日のネタは・・・・これです。
2001年(今から7年前ですね)8月14日の東京新聞夕刊の記事。
「伊豆諸島は今 -三宅避難から1年-」というシリーズ、伊豆大島から青ヶ島まで日替わりで紹介されました。
伊豆諸島全シリーズを集めればよかったのに、新聞切抜きのファイルになぜか青ヶ島だけ・・・。はてな??青ヶ島だけなんて、どこが好きなんだろうね?
(東京新聞 2001年8月14日 夕刊)
丸山がプリンのようになったのは、1981(昭和56)年から。
「青ヶ島島史」 小林亥一著 青ヶ島村役場編纂
1980(昭和55)年刊 の見開きページに丸山が整備される前の写真が付いていました。
島じまん2008の青ヶ島ブースで購入した、毎年8月10日に行われる牛祭りのTシャツ。
このデザインは去年(第31回)のものだけど、とてもにぎやかなデザインになっていますね。
布地やプリントも非常に上質なものが使われているので、この先何年かも着られそうです。
東京などの街に出かけるときに着ていれば、まわりの人にも「AOGASHIMA」を宣伝できるし、一石二鳥かも。
青ヶ島に暮らす+++1/200シンプルライフ+++や青ヶ島牛祭りの記事によると、毎年6月になると、Tシャツのデザインを村民、島外問わず公募を行い、審査員は実行委員会。
今年度(第32回)はすでにデザインや色が決まったらしいだけど、8月10日(牛祭り当日)以降でないと見られないそうです。
いつもならデザインや色を見て購入するかどうか決めるのですが、タオルなどの青ヶ島グッズは毎年の事ながら抜群なものばかりなので、見なくても即買いになりそう。(笑)
青ヶ島を想ってのデザインなので、どれも力作のものばかりなんですね。
私?絵を描くことやデザインを創作するのは、昔からすこぶる苦手なんです。
庭に猫の額ほどの小さな畑があって、夏野菜を栽培中。
もっぱら親に任せっきり・・・
山口の実家では、伯母が趣味で畑をやっているので、育て方などを伝授してくれたらしいです。
久しぶりに畑に出てみると、可愛らしい「きゅうり」が出来ているのに気付きました。
地元で買った「なす」の苗は育て方が悪かったらしく、途中でしおれてしまったので、先月の奥多摩旅でゲットした「なす」。
紫色の花がきれいですね。
「なす」だけは東京都産。(笑)
3年位前に八丈島から取り寄せたアシタバ。
「島じまん2008」の八丈島ブースでもアシタバの苗を販売していました。
大きくなると花が咲き、種が出来てしまいます。
種が出来たら、袋に入れるなりにすればよかったのに、そのまま放置。
散った種から芽が出てご覧のとおり。
同じ場所で繰り返し育つとなかなか大きくならないみたいなので、来年は種を回収し、よく土をならした場所に変えようかと思案中。
キャベツ。
無農薬のため、ドックおじさん(父)が暇を見つけては青虫などを取り除いているそうです。
小さな蟻も野菜の苗を食いつぶすので、蟻の駆除も・・・。
庭先にあった、南国情緒のする観賞植物。
ずっと昔からあったもので、誰が植えていったのかは不明。
青ヶ島の「フェニックス」も大きくなるとこのようになるのかな?
あたりを見回すと、似たような植物がいっぱいあります。
過日アップした「中村太郎作品展 東京都青ヶ島」の写真がちょっとピンボケでしたので、もう1度撮りなおしてみました。
(本船「黒潮丸」からの艀(はしけ)でようやく着いたときの様子らしいです)
中村太郎作品展 「東京都青ヶ島」
出版社:フォトサロン
発刊年:2000年
価格:800円
2007年7月、新堤からの眺め。
上の撮影場所と異なりますが、昔と比べるとちょっと小さくなっています。
三宝港待合室の屋上からの風景。
(撮影日 2002年7月)
本文は50年前の貴重な写真が色々載っていますが、スキャンして載せることは著作権法などに絡み、ちょっと難しいです。
当時の人口は400名近く、小学校の児童も83名(1959年)。
写真集に載っている子どもたちはちょうど還暦を迎える頃。
今回は写真集の紹介として、「表紙」だけにさせていただきました。
今朝、ハン尚宮(母)のちょっとした旅に羽田空港までクルマで見送り。
次いでに昨日開通したばかりの副都心線に乗ってみたくて、行ってみました。
都心の移動にクルマは非常に不便。
渋谷駅周辺の駐車料金だって、30分で300円、つまり1時間600円・・・。
土地もめらぼうに高いので、その料金は妥当なのかも知れませんが・・・(笑)
梅雨の中休みでしょうか、今日の渋谷は晴れていました。
湿っぽさもなく、からっとした空気でした。
青ヶ島BLOGなどで島の写真ばかり見ていたせいか、こういう写真もたまにいいかも?
渋谷といえば、昔、姉が学生時代に過ごしていた街。
何もない漁村の田舎で暮らしていた私は夜でも明るい東京に憧れ、夏休みを利用して何度か来ているはず。
伊豆大島に連れてもらったのがきっかけで、この先もずっと飛び石伝いで島が続き、最南端は青ヶ島というのも知ったのはその頃。
東京はすごくめまぐるしく変わっているので、右も左もわからなくなってしまいました。
とりあえず、ハチ公像へ。
豊多摩郡渋谷町(昭和初期頃)だった頃、毎日のように主人の帰りを改札口付近で待っていたエピソードで有名ですね。
ハチ公像横の地下鉄入口。
半蔵門線のとなりに「副都心線」の表示が見えます。
エスカレーターで地下にもぐると、新しい香りがあちこち漂ってきます。
日本で一番古い銀座線(昭和2年開通)渋谷駅は地上3階、こちらは地下5階までもあるのですよ。(笑)
副都心線の路線図。
従来の路線図のイメージを翻すようなデザインになっていました。
渋谷駅ホーム。
最初、これを見たときは終点だから、この線路に電車が入ってくるだろうと思いましたが、なんと延伸工事中なので、開通すると取り除かれるそうです。
延伸先は東急線と連結し、横浜のみなとみらい線にも乗り入れる予定。
埼玉の東武線や西武線から副都心線に乗り入れ、横浜まで1本で行ける時代がやってくるそうです。
埼玉・東京・神奈川は次々に便利になっていくのに、わが街千葉のは全然進捗ありませんね・・・。
地下鉄東西線を房総半島各方面に直通する計画はないのかな。
各駅停車先発、後発「急行」だったので、その電車にしてしまいました。
昔の地下鉄は通過するのは東西線の東陽町-西船橋間のみだったのに、最近は都営新宿線、千代田線に箱根湯本行き「メトロはこね」の特急など次々と。
電車もすご~く新しい。
2008年製造なので、出来たてほやほや。
2年前にマイカーを新しくしたときの「香り」を思い出してしまいました。
渋谷→新宿三丁目→池袋!!
あっという間に到着です。
JR山手線 160円区間、15分。
副都心線 190円区間 11分(急行)でした。
池袋を過ぎると、有楽町線と共用なので、見慣れた風景に変わってしまいました。
すれ違いの電車は西武線や東武線からの乗り入れ、行き先は全て「渋谷」。
数年前見慣れた電車とはちょっと違和感が・・・。
和光市駅(駅管理は東武鉄道)での最新型電車のツーショット。
東武線との中間改札もなく、東京メトロとの共用なので、「急行池袋行き」の白い電車は東武線、ステンレスの東武電車の「急行渋谷行き」も池袋を通るが、こちらは副都心線。
初めての方はちょっと紛らわしいかも知れませんね・・・。
渋谷-和光市間の20.4キロを1分34秒に凝縮した、副都心線の動画をお楽しみください。
特記すべき映像は、転落防止の柵がついていて、まずホーム側の柵が開いてから電車のドアが開くようになっていました。
現地でお土産をたくさん買ったとしても、持ち帰るのがすごく大変。
ヘリコプターに持ち込める荷物は1人5キロまで、1キロ超えるたびに別途運賃が加算されてしまいます。(1キロごと230円)
還住丸は荷物の限度はなく、両手抱えながら「重たい、重たい・・・」と帰途に着くのも大変だし・・・(笑)
今回はたった2日間の「青ヶ島竹芝出張所」のおかげで色々買えました。
青ヶ島の植物といえば、オオタニワタリしか思い浮かばなかったのですが、フェニックスもあったのですね。
風景印は上から丸山、三宝港、右のあたりに「オオタニワタリ」のデザインが描かれています。
もし、内地で「オオタニワタリ」を育てるにしても越冬ができずに枯れてしまうのは目に見えるので、「フェニックス」にしたのだろうと思います。
大きな鉢に移し替え、秋頃までは屋外、冬季の間は日の当たる屋内での管理ができそうです。
わが家に青ヶ島の植物1つ増えました。
自然環境の豊かな場所からここに来て、しばらくカルチャーショックを受けるかも知れないけど、大きくなってね。
ついでに東京の最果て地、檜原村の植物もご紹介しましょう。
すこぶる「いなか~」のところの、檜原村特産物直売所の「ばんば」というお店。
必ず立ち寄るお店なので、数ヶ月ぶりでもしっかり顔を覚えてくれました。
「もとは御岳山の名産だけど、幻のお花が咲きますよ~」という女将さんの言葉(メモ)につられて買ってしまいました。
名前は「レンゲショウマ」。
花を見たことはなく、ネットで検索してみると、やはり不思議な形をした花が咲くらしいです。
これは盆栽系の「紅シタン」。
わが家の庭では、山口から移し替えた観賞植物、地元、そして今回みたいに檜原・青ヶ島といったようなチャンプルー(ごちゃ混ぜ)になってしまいました。