法要の昼食は伯母が手配した、津波敷(つばしき)温泉の海浜荘。
3月11日に発生した大地震の「津波」はトラウマになってしまうほどインパクトが強すぎました。
「津波」と「敷」、この3文字で「つばしき」と読むのかと意識してしまいました。
昭和のレトロっぽい雰囲気はどこかで見たような?と思ったら、伊豆大島の波浮港・旧「港屋旅館」。
津波敷の海浜荘は1969(昭和44)年開業ですが、伊豆大島・波浮港の旧港屋旅館はもっと古い。
旅館としての営業はやっておらず、旧港屋旅館は、建物の造りや雰囲気をそのままに『踊り子の里資料館』となっています。
ドックおじさん(父)が真顔で「今夜の宿泊はここなんですか!?ずいぶんと趣のある宿だな」と言っていたことが忘れられません。
(2009年3月)
海浜荘の内部。
昭和っぽい雰囲気が漂います。
階段の上はおそらく2階の客室でしょう。
今回は日帰りの会席なので、どんなお部屋になっているか見られませんでした。
海浜荘の向かいにある、日本海。
赤く見えるのは3月に多量発生する海藻、とのことです。
漂着物(対岸の韓国からも)のゴミが気になりますが・・・。
昼食だというのに、海の幸が盛りだくさん!!
夕食にしていいのに、全部食べきれずにふぐの天ぷらやメバルの煮物、ちらし寿司は折詰めにして持ち帰ってしまいました。
ごちそうさまでした~!
サザエの刺身はサザエの炊き込みごはんにしようと冷凍庫に入れてしまいました。
・津波敷温泉 海浜荘 (オフィシャルホームページ)
今回の帰省は、29日に祖母の13回忌法要が行われるので、27日に現地入りしました。
祖母は親の代わりに毎日学校に連れてもらった思い出がありますので、大事な人を偲ぶためにどんなに遠くても時間を作って出席させていただいています。
山口県では、野菜も原産地はどこなのか気にすることはなく、普段と変わらぬの生活です。
商業施設や下関駅、コンビニや24時間営業のレストランも節電することはなく、いつもの通り。
29日の最終便(山口宇部19:00 → 東京20:35)の飛行機は、往路と同じくミニ飛行機のE170。時刻表では150人乗りのM90だと載っているのに、今日はなぜか76人乗りでした。
ミニ飛行機だというのに、伯母や親戚などのお土産が12箱も!!
カウンター職員も多量の荷物にビックリしていたかも知れません・・・。
窓側に座り、空から見下ろせる夜景を楽しんでいたら、急に街並みが暗くなってしまいました。東京に近づいているのに活気がなくて、街灯もまばら。西日本から東京行きは必ず房総半島上空を通るわけだが、暗すぎます。
やがて低空飛行になり、いつもならライトアップされた東京タワーや新宿の高層ビル群が見えるはずなのに、今回は暗くて辛うじてやっと見える程度。
羽田空港着陸~!!本当にここは東京!?暗くて違和感がしました。
西日本の上空はキラキラ~と宝石のように輝いていたというのに、東京電力管内に入ると急に暗くなってしまいます。
アクアラインも道路沿いの設置されている街路灯もすべて消され、真っ暗。金田料金所で「ETC」のゲートを通過するのに、以前まではバーがついていたのに今回はなぜか取り外されていました。
首都高速みたいにバーのないゲートだと「←ETC通行可」の文字が見えるので、気兼ねなく通過するのですが、今回はそのような表示がないので、係員の顔色をうかがってから通過しようとしたら、「ちょっと待て~!!」と身振りでおとがめを受けました。
何かしゃべっていたので、メモを取り出そうと慌てて探そうとしたが、見当たらず。
係員がメモ帳を持ってきてくれたので、「すみません、ここはETC専用じゃなかったのですか?」「震災の影響でETCでも対面清算になります」とのこと。ETCカードを抜き取り、対面清算。
木更津金田インターチェンジはETCで通過する車が極端に少ないため、「ETC」の通路でも一般と同じ扱いのようです。
一般道路も真っ暗、クルマのライトで反射するセンターラインを頼りに走行していたので、いつもよりも神経を使ってしまいました。
街路灯がなく、暗いからとハイビーム(前照灯を上向き)にするマナーの悪いドライバーも多い。「まぶしいぞ!!!」とバッシングしながら反撃しています。
もしかすると、青ヶ島の道よりも暗くなっているかも知れません・・・。
東京電力管内の電気不足により、物資支援として山口県も需要が上がったかも知れません。
スーパーで並ぶ野菜の産地はほとんど県内、福岡県、大分県。首都圏だと、産地を見て、これはどうなんだろう?とちょっと気になりますが、ここは安心。 田舎の水道水も涌き水または上流を水源にしているので、蛇口から出てくる水そのまま飲んでも美味しい。
首都圏だと福島原発の放射能がどうのこうの…野菜出荷を停止、水道水もヨウ素が検出したとかビリビリになっていますが、ここは平和です。
下関市の奥座敷、川棚温泉。駅舎は2002年から「豊浦コミュニティ情報プラザ」に生まれ変わりました。 自由に使えるインターネット端末はありましたが、Windows2000、IE5.0のまま。キーボードはなく、タッチパネルで操作してみたら、フリーズ。再起動し、少し使ってみただけでもフリーズ。
川棚温泉で買い物し、見通しのよい信号機のないT字交差点に差し掛かった。 あの場所はいつも一時停止違反の取締をしているのはずっと昔から知っているので、今日はやっているかな~?と思ったら、やっていました!!
取り締まられたクルマは九州とか他県ナンバーばかりです。
違反をして、警察官の待ち構えているところに向かうと検挙。もし気付かずに反対方向だとすると無罪放免になるらしい…。
ほとんど国道方向に左折するので検挙率は高いかも。
自宅近所でも信号のない踏切の交差点があり、踏切の手前で完全停車してもらわないとなかなか進めない。ここで警察官が目を光らせていたら、流れがスムーズになるのに…。
川棚温泉駅の業務は豊浦コミュニティー情報プラザの職員に委託しているのですが、平成23年3月31日まで。
それ以降は無人駅になり、自動券売機のみ稼動。
山口宇部行きの搭乗口は85番、飛行機までは構内バスに乗らなければならない。
第1ターミナルはすべてJALだから直接乗れるようにしたらいいのに~と思っていたら、機体を見て納得。「えっ?小さすぎる飛行機!?」と目を丸くしてしまいました。
ジャンボ機で見慣れた目で見ると、まるでおもちゃのようです。
76人乗りの小さな飛行機。
八丈島行きの飛行機は150人乗りなので、およそ半分の小ささ。
沖縄の小さな島々を結ぶミニ飛行機のようだ。
E17という形式の飛行機でした。
機内は2列、通路、2列。小さい飛行機なので、ドリンクサービスはないだろうな?と思ったら、しばらくするとドリンクを乗せた小さなワゴンが…。
ありがたく、美味しいホットコーヒーを頂戴しました。
ANAだとお茶とミネラルウォーターは無料。ホットコーヒーはスターバックスなので有料(300円)。
羽田~八丈島よりも小さくて可愛い飛行機に乗ったのは初めてです。
E17は76人乗り、M90は150人乗り。
羽田~福岡や、札幌、沖縄だといっぺんに多数のお客様を運ぶために大型のジャンボにしているみたいですが、山口宇部はローカルなので飛行機の大きさもちょうどよいです。
今まではほとんどレンタカーばかりなので、こうして長門二見駅のホームに降り立つのは何年ぶりです。 田舎なので空気が美しいです。この辺は杉があまりないので、花粉症に悩まされることはなさそうです。
日本海に沈む夕景色。 宇賀本郷~長門二見間は海岸沿いになります。 空港からクルマで1時間半なのに、高速バスと汽車だと遠回りになるので、ここにたどり着くまでが遠かった…。
小串からは極端に本数が減ってしまい、小串以遠は1両のワンマンカー。
昔の国鉄時代は6両や8両とか長編成の客車だったのに時代の流れなのかほとんど1両単行に変わってしまいました。
座席はいつも幼い時から海側にしているので、この習慣が抜けられず今回もおのずと海側に陣取ってしまいました。
福江~吉見間。
山陰本線の汽車に乗ったのは10年ぶりかな、幼い頃見た風景と全く変わりません。
汽車もコトコトとゆっくり走っています。
山口県の最西端なので、今の時間まだ明るいです。
高速バスができるだけ遅れを取り戻そうと頑張ってくれたのですが…下関駅に着いたのは17時5分。残念。
このカラーはもうすぐ見納めになる、広島支社のオリジナルです。
下関駅の放火事件があり、「見慣れた下関駅」ではなかった。
ちょっと小さくなった感じです。
下関駅みどりの窓口で未使用の国鉄一万円券(券売機では受け付けてもらえず低額券に交換要す)を差し出して見た。
若い駅員さんなのですぐに融通がきき、三千円券三枚と千円、一万円券のプレミアム額700円に交換できました~(^O^)
首都圏だとSuicaがほとんどなのでオレンジカード見かけなくなり、交換してもらえるかわからないので下関駅にして正確だったかも?
羽田空港13時5分に離陸するはずなのに、長い間待機。
スチュワーデスさんに聞いたら、申し訳ありません。滑走路が混み合っています。山口宇部空港には15時35分に着陸の予定です。
山陰本線リゾート列車は下関発16時47分。せっかく指定席確保しているので、急げっ!急げっ!と心の中で叫んでいます。
16時15分現在、埴生~小月間走行中。
間に合わないだろうな、たぶん。(-.-;)
リゾート列車の次は、通学によく乗ったノーマルのキハ47。まあ、昔の国鉄色(全面朱色)なので、昔を懐かしむことにするか…。
このパッケージを見て、懐かしい!!と思った人は、故郷が九州の方。
このパッケージを見ても、何とも思わない人は九州在住者。
故郷は山口県の最西端なので、生活圏は北九州になります。
近所のスーパーでは滅多に九州の牛乳を並ぶことはなかったのに、珍しく入荷していました。
私が幼いころの牛乳は「シモラク」(下関酪農農業共同組合の略、今は「やまぐち県酪」に改称)と「みどり牛乳」なので、千葉県に居ながらそれを見かけるのは非常に珍しく、故郷を懐かしく思い出しました。
ここでは「千葉県酪農」、「東京牛乳」(多摩で生産されたもの)「北海道牛乳」だというのに、震災が起きてから連日のように在庫切れ。
このような現象が続いているため、在庫を確保するためわざわざ九州から取り寄せているようです。
毎日新聞 3月26日(土)18時47分配信
指摘があったのは09年6月、原発の耐震指針の改定を受け電力会社が実施した耐震性再評価の中間報告書について検討する審議会だった。産業技術総合研究所(茨城県つくば市)の岡村行信・活断層研究センター長が、869年に発生したマグニチュード(M)8以上とみられる「貞観(じょうがん)地震」を取り上げ、「非常にでかいもの(地震)が来ているのがもう分かっている」と、東電が考慮していない理由を問いただした。
(ここまで)
これまで三陸沖に大きな地震があったのは、ネットで調べてみたところ・・・・
・貞観地震 貞観11年(869年)5月26日
・慶長三陸地震 慶長16年(1611)年12月2日 14時頃
・明治三陸地震 明治29年(1896)年6月15日 19時32分
・昭和三陸地震 昭和8年(1933)年3月3日 2時30分
・東北地方太平洋沖地震 平成23(2011)年3月11日 14時46分
この表を見て、気づいたこと。
貞観11年、1611年、2011年3月11日、「11」に関するもの
1933年3月3日は「3」並びに関するものです。
阪神大震災は5時46分、アメリカの同時テロも8時46分、先ほどの大地震も14時46分。
どうして!?「魔の46分」の記事を書いたばかりなのに、過去の記録を調べてみると偶然の一致を発見しました。
どうしてそのようになるか、人間の力では説明ができないはずです。まさしく、神のみぞ知る。
1000年以上前の津波だからと疎かにしたため、今回の原発事故が起きてしまったのは非常に残念。
福島より被害が甚大だったはずの東北電力の女川原発は問題なく停止。津波対策として海抜15Mの高台に設置していたため、津波の影響をおさえられたそうです。
一刻も早く福島原発も収束に向かい、事故の原因を解明し、2度とそのようなことが起きないようにして欲しい。