地上デジタル放送が始まったのは2003(平成15)年12月からだが、導入方法がよくわからなかったし、地上デジタル対応のテレビが少なく、目玉が飛び出すほど高額。
今すぐ地上デジタルに飛びつく必要はなく、アナログに文字放送チューナー(字幕)さえあれば十分だと思っていました。
ところが、最近、手ごろな値段で購入できるようになりました。
東京タワーから遠い内陸部なので、受信感度はギリギリの状態。
この近くに中継局を設置してくれれば、ワンセグも難なく見れるはずですが・・・。
ブースター(微小な電波をより大きくする増幅器)のおかげで何とか見れるようになりました。
ここまでの道のりは遠く、何回も工事をさせられたので、余計な出費も強いられました。
「地上デジタルに振り回された」という感じですね。
新しいものにすぐ飛びつかなくても、来年(2011年)になれば地上デジタルの環境は整えているはずなので、それまでに待てばよかったかも知れません。
山口の田舎もすでに地上デジタル放送のエリア内、伯母が私のためにわざわざテレビを買い替えたそうだ。田舎に帰っても字幕を楽しめるようにという配慮らしい。
(いろいろなことがあったので、あまりテレビを見なかったような気がする)
日本一ミニ自治体の青ヶ島村も今年(平成22年)中に地上デジタル放送に対応できるように共同受信施設を改修、島内全地域に光ファーバーを敷設する予定だそうです。
青ヶ島へふらりと遊びに行って、宿のテレビは地上デジタルに対応し、字幕を楽しめたらいいな~と思っています。
以前のWindow Vistaならパソコンで地上デジタルは見れたのに、Windows7にアップグレードすると全チャンネル受信できず。
対応できるのはVistaとXP SP2版以降で、Windows7はただいま検証中です。公開時期は未定ですが、ドライバーも含めWindows7も対応できるようになれば、弊社サイト上で公開させていただきますとのこと。
じゃあ、待つことにしますかと思ったら、近所の電気屋さんが「BUFFALO社のパソコンで今日から地デジ!Windows7、Vista、XP対応 DT-H10/U2 現金特価!6980円。クレジットカード 7980円」と値札。
いつもは飛行機のマイルを稼ぐため、クレジットカード払いにしているのに、今回は珍しく現金払い。
さっそく取り付けてみたら、字幕付きで録画もできるし、画質も非常にきれいだし、期待に沿うような機器でした。
最近、5時過ぎになっても先月みたいに真っ暗・・・ということはなくなりました。
これから少しずつ日が長くなるでしょう。
国立天文台の「暦計算室(日の出日の入)」は各都市の大まかな時刻、こちらのサイトは細かな場所の時刻を計算し、表示してくれます。
・日の出日の入り計算高精度計算
1月29日の
日本最南端の小笠原村・沖ノ鳥島【東京都】(東経136.05度 緯度20.25度)
日の出 6:33 日の入 17:45
日本最西端の与那国島【沖縄県】 最西端の地(東経122.93度 緯度24.44度)
日の出 7:31 日の入 18:32
日本最東端の小笠原村・南鳥島【東京都】(東経153.59度 緯度24.16度)
日の出 5:28 日の入 16:29
-----------------
一般人の行ける、東京都最南端【小笠原村・母島南崎】
(東経142.17度 緯度26.60度)
日の出 6:18 日の入 17:11
日本最東端の南鳥島は気象庁や自衛隊などが駐在、夏の間は2時に明るくなり、暗くなるのも早いかなと試してみたところ、4時前に明るくなり、夏だというのに5時半には暗くなるみたいです。(東京は夕方の7時頃)
ご旅行に行かれる前にこの高精度計算で日没の時間をあらかじめ調べておいたほうがよさそうです。きれいな夕暮れとか撮れそうですし・・・。
気がつけばもう平成22年の2月。
公印と同じような効力を持つ、郵便局の消印は本日以外は押せません。
過去に遡ったり、未来の日付に付け替えようとすると、公文書偽造罪で訴えられることになります。
このはがきは「1」が6個も並ぶ、11.11.11 に押印されたものです。
平成1ケタ時代は、同じ数字が並ぶ「ぞろ目」が毎年来ていましたが、2ケタになると11年ごとになってしまいます。
まもなく、22.2.2 と 22.2.22がやってきます。
自分で作った、記念押印のオリジナル台帳。
平成11年10月30日17時52分 米子発小倉行きの「いそかぜ」 長門二見駅通過記念)
私の母が懐中電灯で「ヤッホー」、いそかぜに乗っているあなたも応じたことを証明します。
と書かれていますね。これを見ても何のことなのかわからないと思います。
長門二見駅は山の斜面の高いところにあり、家から上に向かって懐中電灯で合図。
「いそかぜ」車内の友人もそれに応えるように手を振る、ほんの数秒間の出来事でした。
東京に戻るときも後ろ髪を引かれるような気持ちで汽車に乗ると、見下ろせる我が家をつい見てしまいます。
すると、必ず手を振る母親の姿。
今は一緒に暮らしているので、そんな習慣はいつの間にか消滅してしまいました。
最近はほとんどレンタカーなので、故郷を出るときは必ずバックミラーをチラチラ見ながら姿が見えなくなるまで・・・。
この写真はどこでしょう??
今日撮ったものではないですけど、今日はこの写真みたいに雲1つもなく、青空が広がっていました。
いつものとおり、出勤すると左側にとがっているようなものが見えます。
それは・・・なんと富士山でした。
わざわざ車を止めて撮るほどではないので、脳裏にしっかり焼き付いておきました。
今の時期になるとまるで富士山がこちらに移動したかように見えるときがあります。
空気の澄んだ日だけ見られる、不思議な現象。
そういえば、アクアラインの「海ほたる」からも東京タワーがくっきり見え、さらに奥多摩の山々まで見えるときがあります。
毎年、この季節になると困ってしまうのは静電気と結露。
除電グッズをいつも持ち歩いているので、車やノアノブにタッチする前に必ず除電。
結露も窓際によく付着し、放っておくとカビ胞子が浮遊し、アレルギーの原因になってしまいます。
暖房していない、隣のクロス(収納庫)のほうがひどく、その都度拭きとっています。
なんでそうなるのか、いろいろ調べたところ、湿気は温かい部屋から寒い部屋へと移動する性質があるとのこと・・・。
ずっと昔、東京・多摩地域で暮らしていた頃、九州の味を求めに近くのリンガーハットによく行っていました。
数日前、テレビでリンガーハットの野菜や麺もすべて国産に切り替え、スタッフが国内農家と契約を結ぶため、全国各地を奔走しているとのこと。
市内にリンガーハットがあるのは以前から知っていましたが、あまり通らない場所なので、しばらくは疎遠になっていました。今日はテレビの影響もあってか、久しぶりに行ってみました。
野菜たっぷりチャンポン 650円。
夕方5時からは値段そのままで大盛り(1.5倍)、ダブル(2倍)の麺増量サービスも提供中。
今回はランチタイムなので、増量サービスはなく、これが標準です。
これだけでも満腹。
メニューの名とおり、野菜中心なので、豚肉、イカ、かまぼこの量はわずかでした。
小麦粉ほとんどオーストラリアからの輸入に頼っているのに、今回食したものは純国産。
すべて国産だというのに、650円は安いほうかなと思います。
ごちそうさまでした。
これもハン尚宮(母)の肉じゃが。
じゃかいもは北海道産の「北あかり」、ねぎも近所のわくわく広場で購入した千葉県産、ドックおじさん(父)が肉を買うのに国産にこだわっているので、牛肉も国産のはず。
ただ、1つだけは例外。春雨は???(オトッギ)のチャプチェ用の「湯麺」。
原材料は国産(ここでは韓国産)のサツマイモと書かれています。
日本の春雨は、じゃがいもが原料になっていますが、向こうの国はサツマイモでした。
ハン尚宮(母)いわく「初めて韓国のを試してみたけど、いけているね~」。
モチモチして美味しい。
1キロの沖縄そば(生)、賞味期限は23日まで。
買おうかな・・・と迷っていましたが、結局インスタント麺にしてしまいました。
あとで考えてみれば、1食ずつサランラップに包み、冷凍保存すれば大丈夫だった。
沖縄そば5食パック525円でした。輸送費も上乗せされているだろうと調べてみたところ、沖縄県内とあまり変わらない値段でした。
ソーキは1個 294円なり。
ハン尚宮(母)いわく・・・「味が薄く、さっぱりしているねぇ。やはり、韓国の???(カムジャメン=じゃがいも麺)が美味しい」とのこと。
スープの濃さは西日本のほうが薄味になっています。
下関駅ホームのうどん屋も薄味、ふく天、えび天などが選べます。
山手線内の駅うどんは味が濃く、なかなか馴染めず。
東と西の「うどんスープ」がそんなに違うのに気付いたのは、東京に越してから。
ドックおじさん(父)は「味が薄くてはっきりしない」と言いながら、多量のキムチを乗せてしまいました。
「沖縄に韓国なんてとんでもない」と思いましたが、沖縄はいろんな国の文化を取り入れる「チャンプルー」が好まれているので、そんな食べ方でも許されそうです。
ハン尚宮のビビンパ。
本当は?????(トルソッビビンパム=石焼き)にしたがったのですが、石焼きの器がないので、どんぶりを十分熱したものです。
石焼きの器も調達する必要ありそうだな。
韓国では「にんにく」を??(マヌル)と言い、それをたくさん消費します。
このビビンパだけでもマヌルを1個まるごとみじん切りだそうです。
コチュジャン、キムチもたっぷり乗せるので、明日がちょっと心配。
仕事中はインフルエンザ予防を兼ね、いつもマスクをしているので、まあ、大丈夫でしょう。(笑)
山口に帰ったのはついこの間、と思っていたのに、今日は1月23日。
あれから1ヶ月経とうとするのは早すぎます・・・。
当初、行きはサンライズ出雲、帰りは新しい「のぞみ」のN700系にしようと思っていました。東海道・山陽新幹線に乗車する機会が減ってしまい、今回は新型の「のぞみ」にしようと目論んでいたのですが、山口に帰ると多量のお土産を抱えるのはいつものパターン。
新幹線に乗っても置く場所がないし、在来線に乗り換えるのも大変だな・・・と帰りは飛行機。
案の定、伯母の育てた野菜や魚などで段ボール箱が4個。
レンタカー後ろのシートを倒し、ほとんどお土産で埋まってしまいました。
ここから美祢を通ったほうが空港への近道、山間の道路は凍っていて危ないかもと思っていましたが、晴れているので、まあ大丈夫でしょうとタカをくくってしまいました。
3~5センチ積雪、道路も凍っているところもありました。
スリップで車がへこんでしまい、立ち往生するドライバー発見。
車間を十分離し、ヒヤヒヤしながらの運転。
ようやく、空港に到着。カートに段ボールをたくさん積み、手荷物受付へ。係員も膨大な量にびっくりしてしまったらしい。
2009年12月1日から手荷物に関するルールが変わり、荷物の個数は制限なし、おひとりさま最大20キロまで。1個あたりの大きさは3辺の合計203センチ以内。
預けたときの総量は32キロ(お土産とスーツケース)、父と一緒なので、40キロ以内に収まりました。
16:25離陸。
まもなく、細長い半島らしきものを発見。
愛媛県の佐田岬でした。
しばらくすると、「本日はご搭乗ありがとうございます。東京到着は予定通り17時50分になります。今年最後の日に弊社便のご搭乗、光栄に思います・・・・」とメッセージカードをいただきました。
たぶん手荷物受付の係員がスチュワーデスさんに伝えていたかも知れません。
そのような気配り、嬉しいですね。
上の写真は16時53分。
10分後(17:03)・・・太陽の残光、ピンク色に染まりました。
17:40には千葉県の房総半島上空。
17:50 羽田空港着陸。
姉がクルマで空港まで迎えに来てくれたので、こんなにたくさんの段ボール箱でも楽ちんでした。
いち早く伊豆諸島・小笠原諸島で携帯電話が使えるようになったのはDoCoMo。
父島と母島における携帯電話はDoCoMoが独壇場。
auも小笠原に進出、エリアは父島のみでしたが、今年に入ってから母島も使えるようになりました。
ソフトバンクも最近、伊豆諸島に基地局を設置、青ヶ島も含む伊豆諸島全地域エリア内になりましたが、小笠原はまだのようです。
・auのサービスエリア(関東エリア)
auの母島エリアマップを見て気になったこと。
ブルーのかかっている場所はエリア内になっていますが、集落の「元地」や「静沢」あたりは空白になっています。
海岸沿いはつながるみたいですが、実際はどうなんだろう?
これはDoCoMoのエリアマップ。
一般人の行ける、東京都最南端の地、南崎でもつながります。
南崎で携帯をちらっと見たところ、アンテナは3本。
ここでも使えるんですかっ!?とびっくりした記憶が・・・。
でも、小笠原でメールやiモードするのに、衛星回線を通すため、2~3秒のタイムラグが発生してしまいます。
今日は大寒だというのに、3月下旬を思わせるような暖かさでした。
それでも暖房中なので、室温がぐんぐん上昇し、まるで小笠原に帰ったかような暑さになってしまいました。
この本は今月上旬、著者から直接図書館に寄贈があり、所蔵登録を終えたばかりです。
小笠原戦跡一覧
著者:待島 亮
発刊年月日:2003年11月(今回は2008年3月加筆修正一覧表付き)
出版社:創英社/三省堂書店
定価:1600円+税
ISBN:4-88142-241-3
父島と母島に戦争の残骸がたくさんあることは知っていましたが、この本は地元住民ですら知らない戦争遺構や陣地を網羅し、資料収集や自らの足で現地調査や取材。
小笠原の戦跡について細かく書かれている資料は他にないかと思います。
この本は土地所有者に無断で入らないようにするために場所(地図)の掲載は見合わせているようです。
母島観光協会が整備した、静沢の森戦跡遊歩道沿いにありました。
沖港の防衛のため、静沢の高台に砲台建設が始まったのは1941(昭和16)年。
今年は2010年なので、70年近くこの状態でひっそりたたずんでいます。
表紙の写真と同じものだと思われます。
こちらは?? (龍國 ヨングク)さんの作品。
本文の写真にもあった、門柱跡。
父島も意外たくさんあったのは驚きです。
小笠原の海は、とてもピュアで熱帯魚やイルカと戯れますが、陸地は戦争を風化させないため、こちらのコースもお勧め。
数日前、この本の返却があったとき「予約票」なるものが出てきました。
氏名を見ると、同僚の鉄子さん(鉄道が大好きな女性)。
私もこの本を予約してしまい、今日やっと借りられました。
目を引くような表紙になっていますね。
鉄道ファンなら1度はあこがれてしまう、肥薩線の嘉例川(かれいがわ)駅です。
開業は1903(明治36)年1月15日、駅舎も開業当時からそのまま変わらぬ。
有形文化財に登録されているので、永久的に保存されます。
本文で写真などで詳しく紹介されていますが、107年前の雰囲気が味わえそうです。
嘉例川駅・・・アクセスは鹿児島中央駅から特急「はやとの風」で約45分。距離は43キロ。
どれも捨てがたいですが、あえて1枚にするなら、「採銅所(さいどうしょ)駅」。
小倉駅から日田彦山線でおよそ40分くらいのところなので、この古めかしい駅舎はインパクトが強く、忘れられない光景でした。
採銅所駅・・・1915(大正4)年開業 駅舎も95歳。アクセスは小倉駅から24.2キロ。およそ40分。
もしかしたら・・・と昔の古いアルバムを開いてみたら・・・
呼野(よぶの)駅でした。
長門二見 → 博 多
経由:山陰・山陽・鹿児島線・日豊・日田彦山・後藤寺・筑豊・篠栗線・鹿児島線
平成4年3月7日なので、なんと18年前!?
経由欄を見ると、かなりへそ曲がり。「普通」だと面白くないから変な経路・・・というのは今も変わらぬ。
山口の田舎に帰るのに、内房・外房・総武・東海・山陽・伯備・山陰・山口線。
「これでも小倉南区内ですぞ~」とアルバムのコメントに書かれていました。
政令都市だというのに、この風景や駅舎は信じられないと写真を撮った記憶があります。なぜか採銅所駅は抜けていました。
北九州市内は当駅までで、そのとなりは採銅所。行政区域も変わり、田川郡香春(かわら)町になります。
九州から北海道まで現存する古き良き昭和の懐かしい駅舎がたくさん収録されています。
にっぽん木造駅舎の旅 100選
著者:萩原 義弘
発刊日:2009年12月15日
出版社:平凡社
定価:本体1600円(税別)
ISBN:978-4-582-63448-8
今年は平成22年。
新成人を迎える対象者は全員、平成生まれになります。
まさしく、昭和は遠くなりにけり。
ついこの間までは「明治は遠くなりにけり」だというのに、平成も22年になると、昭和が遠さがっているような感じがします。
平成2年1月生まれの同僚が今年で成人を迎えたので、仲間たちとささやかなお祝い。
アットホームな職場なので、おめでたいことがあると必ずパーティー。
プレゼントに手作りのカードを添えて。
ここは千葉県なのに、なぜか「もつ鍋」でした。
店内に張られたメニューの札によると、博多名物とのこと。
刺身6点セット。
ここは東京湾側だが、近場の房総半島で揚がったのか、鮮度は抜群でした。
今日、借りてきた「食わせろ!県民メシ」を読んでみると、47都道府県の郷土料理が漫画を交えて紹介されているので、とても面白いです。
北海道はジンギスカン(ラム肉)、岩手県は盛岡冷麺、宮城県は牛タン、・・・沖縄県チャンプルー・・・どれもその土地で食したものばかりなので、それはどんなものだったのか、懐かしく思い出すこともできました。
福岡県のページを開くと、やはり「もつ鍋」。
昨日のは、シメに「ちゃんぽん麺」。
この本にも同じようなこと書かれていました。
韓国のチゲはシメでなくても、途中に「ラーメン」を入れます。
ごはんを入れて雑炊風にしてもよいし、いろんなバリエーションで楽しめる方法を発見。
山口県はたぶん「ふく」になるでしょうと思ったら、「瓦そば」でした。
実家から車で15分のところの川棚温泉「たかせ」の瓦そばは最高に美味しい。
このあいだの帰省で瓦そばを食べに行こうと思いつつ、行き損ねてしまいました。2004年が最後なので、数年ぶり!?
<番外編>
奮発して買った、山菜の王「タラの芽」(6個で3700?≒298円)をフライにしてみました。
少し苦味がして、美味しいです。
「カーナビがなくても大丈夫!」という今までのポリシー、グルメの宿「政右ヱ門」に行くのにパソコンの電子地図帳で確認、周辺だけを拡大してプリントアウト。
410号線沿いなので、127号線が410号線に変わってもそのまま直進。
途中、「千倉方面左折、直進410号白浜」の標識が出ても、「410号線沿いだから、直進が正解かも」と知ったかぶり。
途中で様子が変だと気付き、引き返したので、「やはり、カーナビがないと不便だねぇ」とぼやき。
すると、即座に国王さまが「カーナビをプレゼント」と。
目を丸くして、「えええええーっ!とても高~いものなのに、いいですか?」
首都高速を経て檜原村、奥多摩町の道はすでに頭にインプットしているので、地図帳を見なくて確実に辿り着けますが、今回みたいに初めて行く土地だと道を間違えると大きなタイムロスが出る。
プレゼントされるのは思わなかったので、本当に嬉しいです。
ソニー製 NV-U75という機種、ポータブルなので、本体の取り外しが可能。
「歩行ナビ」機能がついているので、歩きながら現位置も確認できそうです。
バッテリー内臓なので、フル充電で連続使用3時間は使えそうです。
昔は東芝製のNP-A50という機種を使っていました。発売年は1994(平成6)年9月。
最も安い秋葉原周辺でさがしたところ、世宗大王のお札200枚をはたいて購入。
(※世宗大王お札200枚=?2,000,000) 日本円にすると約20万円。
シートの下に地図のCD-ROMを読み取る装置を置き、ケーブル配線。
GPSのアンテナを車の屋根に乗せ、操作するのにリモコンを使うなど装着がとても大変。
目的地を設定し、距離はどのくらいあるか、道順を教えてくれる機能はなく、単に現位置を表示するだけだったのに、今はこの機種に比べモノにならないほど多機能になっていました。
今回プレゼントされたものは昔に比べると非常にコンパクトになっています。
技術の進歩は本当にすさまじい。
青ヶ島村も入っていました。
もちろん、本体を持ち運べるので、青ヶ島でレンタカーを借りたときも使えます。
御蔵島も自分の足で歩くハイキングをやってみました。紙のガイド地図を見ながら「今の位置はこのあたりかな」と思っても、大雑把。
通りすがりの車に「同じ方向だから、乗っていけば」と言われても、早く着いても手持ち無沙汰になってしまう。(ありがとう、私は歩いていきます)とジェスチャーで返事。
あと何キロなのかなあ?と道端のキロポストを見ながら歩いていったのですが、今度からこれさえあれば、目的地までの距離をリアルタイムで瞬時に表示してくれそうです。
小笠原の母島も使えますね。
都道最南端から南崎まで徒歩1時間程度の遊歩道になっています。
この道は何回も歩いたことがあるので、位置を把握しているのですが、これを持っていったほうが目的地まであとどのくらいあるかわかるので、モチベーションアップにつながりそう。
本当にありがとうございます。大切に使わせていただきますね。
仕様書によると、使用温度範囲は 5度~45度でした。
夏場の車内は70度まで上がることがあるので、取り外しておいたほうがよさそうです。
東京都檜原村の第23回拭沢(ほっさわ)の滝氷瀑クイズの氷結状況 を毎日チェックしていますが、今が1番冷え込みが厳しく、マイナス4.5度、氷結率は60%。
ここでも夜間は2度、朝になると霜が降りるのであたり一面真っ白になります。
それなのに、沖縄産のゴーヤーがスーパーの店頭に。
触ってみて、ふにゃふにゃになっていれば腐っているもの。
この商品はパリッと張っていたので、迷わず購入。
韓国の通貨単位に換算すると、3700?。
今の季節、バカ高くなりますが、奮発してしまいました。
ゴーヤーチャンプルーに豆腐やもやしなどのアイテムがいるかも・・・と野菜と一緒に用意したのに、
うちなー風味ゴーヤー炒飯でした。
沖縄では今の季節になってもゴーヤーが収穫できるなんて、羨ましいです。
韓国ドラマの「チャングムの誓い」に出ていましたが、ハン尚宮のお得意料理は??(チャプチェ)。
春雨ももちろん韓国産、本格的です。
年末帰省したとき、伯母の畑で育てていた白菜をキムチにしました。
朝鮮半島近しの地だというのに、山口県ではキムチを食する習慣はあまりなさそうです。
<embed height="240" type="application/x-shockwave-flash" width="320" src="http://slide.alpslab.jp/fslide.swf" flashvars="pos=34/14/33.36,130/54/54.921&scale=25000&link=base"></embed>
(上のマップにマウスを近づけ、真ん中のホイールを上下させると、尺度変更ができます)
ここに帰ったのは、4年ぶり。
平成の大合併が進み、2005(平成17)年から下関市になりました。
旧豊浦郡の「豊」と下関の「関」を組み合わせ、「豊関(ほうかん)市」になるかなと思いましたが、日本最初の市制施行(1889(明治22)年)で下関市が選ばれたので、伝統の市名を変えずそのまま引き継いだと思われます。
交差点の名称を示すプレートが下関市に変わってから取り付けたみたいです。
なんと「新二見」交差点と名付けられていました。
地名の上に「新」をつけるのは、新しい街をイメージするのですが、ここは何もない田舎。
長い歳月をかけ、やっと開通した「二見トンネル」。
実家の前がトンネルの入口で出口は海。
毎年夏になると素潜りを非常に楽しみにしていたドックおじさん(父)も開通を心待ちしていましたが、それを利用できたのはわずかワンシーズン。
転居の朝、ドックおじさんはずっと目をつむりながら「海への高速道路」を抜け、遠い異国の地へ・・・。
まるで胸が張り裂けそうになる、韓国ドラマ「秋の童話」のワンシーンみたいに。
でも、これが最後ではなく、あれ以来からちょくちょく帰っています。
霊園に出かけるのに踏切のない線路をまたいで往来していたため、トンネル開通に伴い、線路の下に通路を整備。
ここは猛烈に風が強く、立っていられないほどの寒さでした。
長らく帰っていなかったので、新しい発見の連続でした。
こんな何もない田舎に住んでいられるか!と東京に来てしまいましたが、今は千葉の田舎暮らしに逆戻りです(笑)
最もあこがれているのは、伊豆諸島最南端の青ヶ島かな。小笠原も常夏なので、それもいいかも・・・。