東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

【完】内地に戻ってしまいました

2020-10-10 00:41:30 | 2019_夏_小笠原

 2019(令和元)年7月。その後来る甚大な災害が見舞われた台風15・19号やコロナが無かった頃。来ないのをわかっていて出かけたのではなく、青ヶ島や小笠原行きは7月20日頃から10日程度がベストコンディション。台風の発生もあまりなく、8月に入ると人の動きが激しくなり、下旬頃はもう台風シーズン。今年の9月は珍しく大人しかったんですけど、例年のデータから見るとちょっと危うい。11月なら暑くも寒くも無く快適に過ごせるけど、日の入りが早いのがネック。

 2019(令和元)年7月25日12時半頃。ついこの間の7月20日はまだ梅雨が明けていなくて出発時はちょっと肌寒かった記憶がしましたが、この頃は内地に戻っても小笠原と同じく夏本番になりました。

 7階のカフェ「ははじま」でパスタをオーダー。すると、電子レンジでチン。粉チーズや青のりを少々ふりかけて完成。粉チーズたっぷり欲しいんですけど・・・。「ちちじま」は本格的なレストランなので、冷凍や即席のものは使わない。「ははじま」はカフェ的なものなので、すぐ出せるようにしているようです。料理を頼まなくてもどなたでも寛ぐことができるスペースがあります。

 予定より10分早めの15時20分到着予定。小笠原からずーっとベタ凪ぎなので、揺れることはなくすごく快適な船旅。

 13時半。千葉県の富津岬と対岸の横須賀に挟まれた位置。東京湾に入ってもどこかに寄港せず、東京を目指す理由は江戸時代からそうなっています。伊豆諸島では主食であるお米が取れない代わりに島の特産品を江戸に送り、生活の糧を得るなどインフラに欠かせなかった。館山に寄港できれば房総半島の住民は早く自宅に帰れるメリットはあるけど、対岸の三浦半島あたりだと不公平になってしまうので、発着地は東京の竹芝が妥当だと言える。

 まもなくアクアラインの真上を通過。

 羽田空港も見えるので、ひっきりなく着陸や離陸する様子が見られます。

 小笠原で見た海の色が違うわ・・・。
 15時20分、竹芝桟橋着陸。およそ24時間の船旅でした。
 「長旅で疲れたので、早く帰りましょう!!急げ、急げ!!」
 ゆりかもめで新橋へ。
 総武横須賀線快速の案内にちょうど「君津行き」が!!
 ボロ房線はほとんど千葉で乗り換えなければならず、かなり億劫。
 待たずにボロ房線直通の電車に乗れるなんてラッキー。

 小湊鐵道の五井駅は乗換通路内の簡易スイカにタッチして、小湊鐵道の券売機で切符が買えるんですけど、こちらは現金専用。中間の簡易スイカ改札はキセルし放題の原因になるので、両社とも業務改善に務めるようにしたまえ。たとえば、JR側は西船橋駅のJRおよび東京メトロの中間改札にちゃんとした自動改札機設置。小湊鐵道側もパスモを導入したり、券売機の裏面を磁化券にしてどちらも五井でちゃんと運賃を精算できるような仕組みを構築しなさいってば。

 ・昔の記事 (2013年)もう7年経つんですかね・・・。あれから全然改善しとらんな。

 いったんJRの改札を出て、JRの券売機ならオレンジカードで小湊鐵道の切符が買える。

 小湊鐵道も国鉄のキハ20に似たような雰囲気なので、国鉄のオレンジカードで乗車。
 小笠原旅行記はこれで完結しました。長い間お読みいただき、ありがとうございます。

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硫黄島展示コーナー

2020-10-07 00:47:35 | 2019_夏_小笠原

 2016(平成28)年にデビューした今の新しい「おがさわら丸」はスイートルームに相当する「特等室」から順に「特1等室」、「1等室」、「特2等寝台」、「2等寝台」、「2等和室」の6つのランキングがあります。若かった頃は1番リーズナブルな2等和室の雑魚寝でも平然だったけれど、ジジィになった今はやはり長旅にテレビが必要なので、「特2等寝台」か、「1等」。さらに上のランキングだと富豪の方がご利用になるお部屋なので、私にとっては高嶺の花。
 地上波の番組は東京を出て伊豆大島あたりまでが目安。あとはBS衛星放送でしたら、24時間好きなように見られます。
 「1等室」のイメージはビジネスホテルの「ツイン部屋」。2台のベッド、窓際にテーブル、テレビ、小さなソファ、電気ケトル、最小限の備え付けはあります。お手洗いやシャワーは室外の共同。「特等室」だったら、室内にお手洗いや浴槽、冷蔵庫付き。

 翌朝の8時頃起床。現在位置を確認すると、八丈島の東側を通過中。東京までおよそ300キロ。

 朝ご飯。セットだけではなく、自分好みのオプションを選べるようになり、サラダをもう1品追加。

 船内に硫黄島展示コーナーがありました。硫黄島も「小笠原村」なので、今乗っている「おがさわら丸」も深い関わりがあります。年に1回は硫黄島3島(北硫黄島、硫黄島、南硫黄島)へクルーズツアーがありますが、今年はこの時世なので、中止になりました。
 おがさわら丸が寄港できる港がないため、東京都主催の戦死者遺族による追悼式は航空機をチャーターして羽田空港から硫黄島へ数時間で行けることはできます。条件は硫黄島で戦死された方のご遺族のみになります。

 戦前は「東京府小笠原支庁硫黄島村」。およそ1000名の島民が暮らしていました。戦争さえなければ、写真のような穏やかで平和な日々だったのに・・・。

 1000名なので、児童生徒の数も多かった。

 一般住民の定住は困難と答申が出たのは1984(昭和59)年。

 この島に自衛隊がおよそ400名が暮らしています。数年前から海底光ファイバーが小笠原諸島まで開通しているので、250キロ離れた硫黄島まで携帯電話3社の基地局が置かれたのは2017(平成29)年頃。つまり、硫黄島でもインターネット回線があり、瞬時に内地の情報を得られる時代になりましたが、ネット通販でポチッとしても、宛先が「東京都小笠原村硫黄島」だとなかなか配達してもらえないのがネック。
 自衛隊の輸送機に個人宛の荷物を乗せてもらえるかどうかは不明ですが、硫黄島宛に送ってもらうには内地の自衛隊基地の住所でないと送ってもらえないそうです。(ネットで調べたものなので、この情報は正しいのかどうかは不明)

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2019(令和元)年7月24日の夕陽

2020-10-04 00:41:42 | 2019_夏_小笠原


 令和元年7月24日の18時20分頃。360度見渡す限り大海原なので、ここはもう八丈支庁の海域になっていると思います。無人島の鳥島は深夜1時頃通過予定。八丈島付近は翌朝の7時40分頃。東京・竹芝桟橋には15時半。

 10分すれば、表情が変わり・・・

 もう日没。

 あっという間でした。

 ディナーはレストラン父島で食事。新しいおがさわら丸がデビューした直後の2016(平成28)年に乗船したときの島塩ステーキは美味しくなかった。利用後のアンケートもあったので、島塩ステーキは硬くって非常にまずかった。と、書いて提出した甲斐もあったのか、改善。ガーリックチキンソテーの味は合格。途中で委託業者さんが変わったのかどうかは不明だけど、美味しくなったのは確か。
 たまたま、北海道からろう者の旅行者と乗り合わせ、一緒に食事。明日、竹芝桟橋に着いたらそのまま羽田へ向かい、北海道へ帰るとのこと・・・。せっかくはるばる遠いところからやってきてトンボ返りはもったいない。在職中はなかなか実現できなかったんですけど、退職後はたっぷりと時間があり、2週間近く父島と母島両方楽しんできたという話でした。

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婿島列島

2020-10-01 00:22:14 | 2019_夏_小笠原

 出港してからおよそ1時間半後。

 小笠原村最北端の婿島列島が見えます。婿島は別名「ケータ島」。

 父島行きのおがさわら丸が翌朝、最初に出迎えてくれる島々の風景。東京竹芝を午前11時に出発、三浦半島と房総半島に挟まれた東京湾、伊豆大島の島影、そして父島は東寄りなので、伊豆諸島伝いではなく、少し離れたところを通ります。7月でしたら18時頃、八丈島の島影が薄らと見え、お天気がよければ青ヶ島も見えるときがあります。
 青ヶ島の島影が見えたら、次の島影が見えるのは翌朝の9時頃。つまり、15時間は島影1つも見えない大海原を航海。

 小笠原の海域は日付変更線に近い南鳥島から日本最南端の沖ノ鳥島、とてつもない広域な範囲なんですが、この島影が見えたら、しばらくすると小笠原村から抜け、八丈支庁の海域。24時間のうち、小笠原村はおよそ3時間、残りの21時間は大島支庁、三宅支庁、八丈支庁の伊豆諸島ってことになります。ここからおよそ300キロ先の孀婦岩は伊豆諸島最南端になりますが、行きも帰りも未明または夜間にこの付近を通過するので見えません。

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小笠原のお見送り

2020-09-25 00:05:49 | 2019_夏_小笠原

 東京の竹芝桟橋で父島に向かう「おがさわら丸」のお見送りは無いに等しいですが、逆に父島から東京行きは出港時刻間近になると、小笠原太鼓のセレモニー。出港後も陸から島の人々たちが「内地へ行っていらっしゃーい」と手を振ったり、青灯台で子ども達が海にダイブしておが丸を見送ります。 さらに、たくさんの船が競うように併走し、船長がもうこの辺でいいでしょうと合図を送ると、船からダイブして海の中から手を振ってくれる風景もかなり盛大。二見湾からはみ出そうなところまで遠くまで追いかけてきた船もありました。東京行きの「おがさわら丸」にたくさんの船が追いかける風景はおそらくここだけなのかも知れません。
 こうやって見送られた方はまた小笠原へ帰るぞ!と何度もリピーターが出るのもうなずけます。内地でしばらく過ごして再び父島に着くと「おかえりなさーい」の文化が定着。

 本来なら二見湾内の海に投げ落として、桟橋に流れ着くように祈るものだけど、ちゃっかり内地へお持ち帰り。今はすっかりドライフラワーになっているけど、2016年にいただいたものと差し替え。

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15時30分出航

2020-09-23 00:00:41 | 2019_夏_小笠原

 新しい「おがさわら丸」は乗船手続きはコンピュータで処理されているので、わざわざ乗船票に記入しなくても窓口で名前を告げるだけでQRコード付きの乗船券を発券。帰りも1等室なので、部屋のカードキーも一緒に交付。「あおがしま丸」や「ははじま丸」は予約無し、乗船前に手続きなので、紙による乗船申込書に記入してから、紙の切符を交付。船に乗る前に昔懐かしい改札鋏で入鋏してもらってから乗船。記念に持ち帰りたいと要請しても、下船した証拠に必要なので、どうしても回収されます。発券しておきながら着札がないと、途中で海に落ちてしまったのか捜索の対象になります。これと同じようにQRコード付きの乗船券にハンディターミナルで改札を受けているので、もし、誤ってゴミ箱に捨てたり、紛失してしまったりすると、身分証明書などで名前を確認し、出港地で乗船手続きを済ませた方なのかどうか照会に時間がかかります。下船時に回収したQRコード付き乗船券の枚数が改札を受けた数と一致していれば、オッケー。

 出港の合図とともに岸壁からおがさわら丸が離れていきます。そのとたん、レイを海に落とす乗船客もいらしゃるんですけど、岸壁に流れ着くのは確かだけど、まだ早すぎますよ・・・。
 合図の音がすると、離岸する準備は整えています。これからロープを外すので、業者さんなどの関係者は退出するようにという合図。この風景のちょうど24時間後は、竹芝桟橋・・・。

 あそこは「青灯台」。白く塗られているのになんで「青」なのかと言いますと、ランプが緑色で灯っているので、地元では青灯台と呼ばれているようです。青信号と同じ原理。信号機は緑、黄、赤なのに、「青」が定着しているのかというチコちゃんに叱られるという番組で日本で最初にが設置されたのは、昭和5(1930)年3月に東京の日比谷に設置。当時の新聞記事には信号の色が「青、黄、赤」と書かれていました。実際の信号は緑だったが、当時の新聞に白黒写真で刷り込まれており、青と報じられた情報が浸透し、広まったという説が有力だそうです。

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いよいよ・・・

2020-09-21 00:12:59 | 2019_夏_小笠原


 あっという間に3日間。もっと長く居たがったんですが、これから内地へ。小笠原だけの文化なのかも知れませんが、内地へ旅立つ人にレイを贈り、また再び小笠原へ帰って来れますようにと祈るそうです。受け取った人が離岸した「おがさわら丸」から海に落とし、体は内地に行ってしまうけど、身に付けたレイが再び桟橋に流れ着いたら、いつかは再び帰って来ると言い伝えがあるそうです。
 し、し、し、し、しかし・・・せっかく編んでくれた美しいものを海に投げ落とすなんてそんな勇気はなく、ちゃっかり内地へ持ち帰り、トライフラワー化に・・・。

 10日程度の小笠原を楽しまれた、北海道からの「ろう者」も同じ船で帰るとのこと、初対面の方だけど一緒に記念撮影。戦争跡ツアーのガイドでお世話になったマルベリーさん、ホテルの方もちゃっかりお見送りまで来てくださるなんて嬉しい。ホテルビーチコマさんは筆談でとても丁寧に対応してくださったので、街からかなり離れている扇浦でもまた泊まりに行きたくなってしまいます。(二見港から車で10分くらいの立地なので6~7キロ)

 いつかはまた帰りますからね~!!

 出航時間になると、小笠原太鼓が響き鳴ります。「祈 航海安全 皆再会」。

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出航時間が延びた分、ぜひここで見学を・・・

2020-09-18 00:00:13 | 2019_夏_小笠原

 今の新しい「おがさわら丸」のチェックインは出航30分前までに改札を受ければ船に乗れます。しかし、コロナのせいで8月11日から8月いっぱいまでは東京出航当日、唾液採取によるPRC検査。ところが9月からは出港日当日に行っていた検査を、出港前日または前々日に変更し実施することとなりました。(出港日当日の検査は実施致しません)とのことです。当日の飛び入り乗船はもちろん不可。
 東京から小笠原まで船で24時間。コロナ無症状の方が上陸してしまわないように厳しい水際対策を実施することになっています。
 コロナ渦前のチェックインは少なくとも出航30分前までだったのですが、今は変わっているかも知れません。
 東京発は午前10時30分まで、父島発15時まで。先代の旧「おがさわら丸」は13時半までなので、1時間30分も余裕が出るようになりました。半日のツアーに出かけても、15時前まではフリータイムになり、是非ご覧いただきたい施設があります。

 二見港から徒歩10分程度の、「小笠原ビジターセンタ-」。


 ここで小笠原の歴史を学べます。

 入館料はもちろん無料~!!

 200年前、人類で初めて小笠原に住み始めた頃の風景。(1828年)

 昭和初めの頃の様子。

 100年前の大村メインストリート。今だったら、生協あたり?右側は小祝スーパー?

 母島の北港付近では今はもうすっかり昔の名残、1本道があるだけのジャングルに様変わりしていますが、昭和の初め頃は小学校や北村役場、旅館などもありました。

 終戦後・・・小笠原諸島はアメリカの占領下に置かれ、東京都最南端は青ヶ島村に。終戦23年後の1968(昭和43)年6月26日の正午、アメリカから日本に返還。5年後の1973(昭和48)年から東京と父島を38時間で結ぶ定期船の「父島丸」が就航するとともに母島への入居が始まりました。
 これだけではなく、いろーんな展示もありますが、割愛させていただきます。

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小笠原世界遺産センター

2020-09-15 00:04:56 | 2019_夏_小笠原

 コロナ渦により、2020年3月半ば頃から1度も市外に出たことがないため、毎日の話題が底尽きてしまいそうです。少しずつアップして次の旅につないでおこうと思っています。

 左側の建物は小笠原ユースホステル。先代おがさわら丸が新しく就航した年(1997年)から何度もリピーターした佳き宿。ほとんど若い人ばかりですが、ご家族だったり、1人旅だったり、老若男女幅広い年齢増が利用されています。食事タイムは全員協力し合いながら配膳しますので、人のお世話大好きな方でも全然大丈夫です。他の民宿に比べるとリーズナブルで泊まれる分、部屋は個室ではなく男女別の2段ベッドの相部屋。B寝台の開放型だと思っていいかなと思います。4~5人のグループで予約なら和室1部屋だけになります。早いもの勝ちかな。
 2016(平成28)年の夏、真新しいおがさわら丸で来たときは、建築中だったんですが、あれって新たな宿泊施設でもできるんですかと思ったら・・・

 小笠原世界遺産センターでした。

 動物や昆虫の生態を調査したり、稀少類の保護や増殖を行うところです。

 ゲスト向けとして、世界遺産になった経緯などをパネルで展示。小笠原の動植物も紹介されています。小笠原固有のアカポッポ(アカガシラカラスバト)の写真もあります。一時は絶滅状態になりましたが、父島で増殖している野良猫を捕獲し、内地へ新たな里親へ送り込むなど保全対策を行ったため、最近はアカポッポの数が増えています。
 
 新しいマンホール!?と思いましたが、英語で小笠原島世界遺産って書かれていますね。右側にアカポッポちゃまが見えます。


 ほとんど真っ赤なハイビスカスなのに、真っ白なのは珍しいかも・・・。

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ぼにん=小笠原諸島

2020-09-11 00:30:16 | 2019_夏_小笠原

 小笠原産のマンゴー、1個3000円もするそうです・・・。

 これも小笠原産のパパイヤ。大きさによりますが、300円台から700円台。マンゴーはフルーツ、パパイヤは野菜。沖縄でもよく見かけ、完熟前の緑色をしたものが多い。こちらはしばらく経過したもの??内地へ持ち帰っても調理する方法がわからないので、ただ見るだけ・・・。

 小笠原村役場前にあったもの。沖ノ鳥島968キロ、母島59キロ、硫黄島310キロ。これらの島で共通するのは、「東京都小笠原村」。沖ノ鳥島は海面から突き出たもので満潮時でも水没しない状態なので、れっきとした日本領土の「島」なんです。波で削り取られてしまわないようにチタンで守られており、「東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地」、「2番地」の番地を付与。戸籍を沖ノ鳥島に移す人が多いんですが、今の運転免許証は戸籍の表示が省略されているので、戸籍を沖ノ鳥島に移すメリットが薄い。今も印字されていたら、見栄を張るため、本当に戸籍を沖ノ鳥島にしていたかも知れない。戸籍謄本を取り寄せるのに小笠原村役場へ郵送依頼するなど、往復するだけでも日数がかかりそう。

 

 グアムまで1538キロもあるんですかっ!?東京と同じくらいの1000キロかなと思っていたんですが・・・。

 小笠原村役場の開庁時間は8時から17時15分まで。朝8時からなので、その分昼休みは長いです。1時間30分。村役場職員のランチはどうしているのか気になるところ。テレビのサラメシ番組が是非とも、取材してくださいな~。もしかしたら、1時間半もあるので自宅に帰ってランチにするか、近辺の飲食店に出向くか、出前で届けてくれた南国情緒たっぷりのランチ!?

 小笠原村もマンホールカードを是非とも作ってくださいな~。マンホールカード収集家も小笠原に訪ね、その魅力をたっぷりと体験して欲しい。そして、何度も小笠原に行きたくなるようなリピーターも増えれば・・・。

 
 父島でもコーヒー農家があり、小笠原産のコーヒーを出してくれるところがあります。ここで出してくれると思いきや、「ボニンコーヒー友の会」。「ぼにん」の語源は、江戸時代、小笠原諸島を発見したとき「無人島(ぶにんしま)」と命名。その後、移住した欧米系島民の間で「ぶにん」を「ぼにん」と転訛した経緯があるそうです。ボニンといえば、小笠原諸島を指す地名となっています。

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ずっと将来の小手調べ

2020-09-08 00:00:30 | 2019_夏_小笠原

 「そうだ、小笠原に住もう!」と容易く引っ越しするのは無理なんだけど、もしも、本当に父島に移住してしまった場合の仮想化。いろんな飲食店があって、食べ歩きも可能なんだけど、自宅でごはんを作るときはスーパーの食材はどうしても欠かせない。

 野菜は本土に比べると輸送費も上乗せされているので、内地より若干高めになっています。

 ウィンナーの内地価格に比べると、400円から700円の価格帯。やはり高いね・・・。

 唯一、内地とあまり変わらないと思ったのは豚肉のこま切れ。重要と供給の均衡により価格が決まるらしいですが、昨年(令和元年)の夏は豚肉が安かった。

 えええー!小笠原近海マグロの目玉。200円だけど、食べられるんですかねぇ・・??

 200グラムで1105円なーり。青ヶ島のお友達が釣れたてのマグロまるごとどーん!と届いたときがあるんですけど、福澤諭吉さんが何枚も相当する重量。

 小笠原近海の尾長鯛。100グラムでも700円もするんですよ!!たかっ!!青ヶ島から発砲スチロールの箱に尾長鯛がたくさん入っている状態で送られてきたこともありますが、まあ、我が家では非常に贅沢なものを口にしてばかりなんです。本当にありがとうございますっ!!

 マグロといえば、ほとんど太平洋の冷凍なんだけど、こちらは小笠原近海で釣れたもの。
 お世話になったホテルの夕食に「メカジキ」尽くしのいろんなレパートリーが出たんですけど・・・

 小笠原近海でよく獲れるせいもあって、この量で350円でした!美味しくってリーズナブル!!内地だと新鮮な「メカジキ」を見かけたことがないので、10倍の価格になりそう。

 スーパー小祝さんの向かいは、何でも屋さんの「まるひ」さん。小笠原村でも光ファイバーが来ており、ネット通販も盛んです。しかし、ポチッ!と注文しても、アマゾンさんのプレミアムやヨドバシカメラさんのように翌日配達は無理です。小笠原村でも都内と同じ送料で届けてくれるのは日本郵便とヤマト運輸の2社のみ。佐川急便や西濃運輸など他の運送業者さんだと離島中継料金として2000円前後かかります。
 おがさわら丸が父島を発ったタイミングでポチッ!とすれば、次に入港するときに頼んだ商品を乗せてくれるんですけど、どうしても数日間はかかります。「まるひ」さんに行けば、お土産から文房具、マリンスポーツ用品、船酔い防止のお薬や風邪薬、湿布などの医薬品、DIY(日曜大工に必要な道具)なども最低限のものは揃えています。内地ではあまり見かけないカラフルなギョサン(漁師サンダル)も大人気。
 「まるひ」さんは小笠原でいち早くキャッシュレス化を導入。クレジットカードも使えます。最近はJR東日本のスイカも導入っ!クレジットカードはもちろんオンライン回線でオーソリゼーション(承認)。父島で決済すると1000キロ先の内地にあるデータ管理センターで承認番号を発行し、ふたたび1000キロ先へ。往復2000キロでも要所時間は瞬時。
 前の、「出前はいらねーっ!」っていう文化が長年も根付いている職場では私がいちから開拓し、毎日メシアシ。出前の注文をとりまとめたら、スマホの空いている通訳事業者にタッチ。「沖縄県聴覚障がい者協会」も電話リレーサービスに加盟。出前屋さんが出たら、「沖縄県聴覚障がい者協会電話リレーサービスです。耳の聞こえない方からの通話が入っています」と事前に伝えなければならず、はじめの頃は(沖縄からの注文?なんだそりゃ?)って感じだったけれど、「電話の主は〇〇市の〇〇さんですよね?」注文者はいつも私だっていうことはもう慣れてしまったのかその後は沖縄ではなく、全国の何々県と名乗っても「いつもの人からの電話」だと理解し、スムーズ。全国各地の通訳事業者にお世話になりっぱなしでした。電話回線と同じく距離に関係なく瞬時にインターネット回線も便利になりました。
 実際、小笠原村はネット予約が可能だったのはマルベリーさんだけ。マルベリーさんは連絡手段を電話だけではなくWebフォームやメールでも受け付けているので、私みたいなろう者でもネットで予約が可能。民宿や旅館、ホテルはほぼ電話予約です。電話予約するときも何度か電話リレーサービスにお世話になり、旅行も実現できています。今のような電話リレーサービスがない時代だと、職場の同僚に昼休みや定時後を利用して電話を頼んだりしていましたが、ガラケーの携帯電話を耳にして、「耳の聞こえない方から頼まれ、お電話を差し上げました。お伝えしたい内容は・・・(メモに書いたとおり話してもらう)」先方が話した内容を利き手でメモで要約をまとめるため、通話先の相手をしばらく待たせる。内容を見た私が返事の内容もメモで書いて話してもらう。同僚は電話通訳が専門ではないので、リアルタイムでのやりとりではなく、かなり労力をかけたのは確か・・。今は同僚に頼まなくても電話リレーサービスのオペレーターさんがマイクやイヤホンも兼ねているヘッドホンを付けてキーボード入力または手話通訳なので、相手を待たせなくてもかなりリアルタイムで会話ができるレベルに達しています。

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小笠原最終日のランチ

2020-09-04 00:00:01 | 2019_夏_小笠原

 今日のランチはどこにしようかな~、とメインストリートを歩いていたら、「パパスアイランドリゾート」という洋風の洒落たお店。ランチはここにしますか~??

 友人はカレーを注文。

 私は牛丼。東京から南へ1000キロ、小笠原村という辺境な地に韓国料理、中華、洋風、カレー、和風、小笠原の食材をふんだんに使った居酒屋・・・・いろんなジャンルの飲食店があって食べ歩きに飽きないのは確かです。ごちそうさまでした~!

 パパスの隣はスーパーマーケットの「小祝商店」。3日前、私が父島行きに積んでいた野菜がまだ残っていました。この時期は週2回入荷される父島折り返し便なので、あっという間に空になることはなさそうです。週に1回だと、私が帰る頃はもう棚にはないケースがほとんど。

 長野県産のえのき、96円なーり。近所のスーパーでも同じパッケージだけど、こちらは78円。小笠原の食材は輸送費も上乗せされるので、内地に比べると若干高めになっています。

 牛乳は税込みで297円。内地は198円から230円の価格帯。

 ふじは、青森産。アボカドははるばる遠いところのメキシコ産。

 沖縄の泡盛や宮崎県と鹿児島県境で作られた「黒霧島」はありましたが、伊豆諸島の焼酎などはありません。よく考えてみれば、おがさわら丸は東京を発つと次は父島。途中の伊豆諸島に寄らないので、それらの商品は置いていないってことだ。

 

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小笠原村の図書室

2020-08-30 00:45:09 | 2019_夏_小笠原

 「図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。」

 北海道の稚内市、根室市から沖縄県の与那国島まで「図書館」または「図書室」もあります。伊豆諸島でも御蔵島のように学校の図書室を島民向けに解放されているところもあります。青ヶ島村立図書館も20年前初めて上陸したときはNDC(日本十進分類法)に沿った並べ方ではなく、でたらめに無造作に置かれている状況にカルチャーショック。さすがにこのままでまずいと思ったのか、2007(平成19)年頃からある程度、NDCに沿った仕分けが行われ、目的の資料を探しやすくなりました。新しい体育館ができると、武道室も移転。空いたスペースを図書室拡張。青ヶ島に関する郷土コーナーも設けられ、高津勉先生(※)がまとめた資料とかいろいろ閲覧できるので1日居ても飽きないかと思います。

 (※)時代は遡って昭和25(1950)年頃。内地から青ヶ島に赴任して来た教師が過酷な環境にお手上げ。青ヶ島方言のみの会話が行われ、内地から来た先生はちんぷんかんぷん。数ヶ月ごと来る船に乗っては逃亡する教師が多いさなか、高津勉先生だけは最初の頃は次に船が来たら逃げようと考えてばかりでしたが、このままだと青ヶ島の子ども達に未来はないとずーっと留まって島で初めて修学旅行を実現させたり、学校に図書室を設け資料を揃えるなど教育改革を施し、様々な偉業を成し遂げた先生です。

 小笠原村に本屋があるかといえば、生協に1週間分まとめた新聞や週刊誌や月刊誌を並べているのを数年前見かけたことはあります。近年、光ファイバーが導入されているので、「紙」よりも「デジタル」で情報を入手する時代。今は紙の雑誌を並べておいても、どなたも購入する人はいない。需要減少により、小笠原村における雑誌の販売はしなくなったと思いますが、図書室は先ほど申したとおり、国民の知る権利として、ここでも「おがさわら丸」で新刊が納入されています。

 新刊はできるだけ多くの人に読んでもらいたい。どこでも新着本のルールがあります。

 ここにある資料はぜんぶ、小笠原に関する郷土資料。

 全部読破するのに、1ヶ月程度、島に滞在する必要はありそう・・・。もちろん、母島でも村民会館内に図書室はあります。

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クールビズは今年(令和2年)限り

2020-08-23 00:00:02 | 2019_夏_小笠原

 令和元(2019)年7月24日 午前10時半頃。あと数時間で私も東京行きの船・・・。前日の午前11時東京を出発し、24時間後の午前11時父島入港。夏休み期間中の折り返し便なので、わずか数時間で清掃、シーツや毛布の取り替え、廃棄物回収、給油、給水・・・。レストランのシェフさんも含む乗務員も2日間ぶっ通しで勤務ではなく、父島でしばらく滞在し、次の便で東京に向けての勤務開始になりそう。私の憶測ですが・・・。

 夜明山のちょっとした岬にこんな建物が・・・旧日本軍の詰所っぽい雰囲気。よく父島まで落書きするためのスプレー持参ですかね・・・。

 夜明山の岬につながる道。砂利道で舗装されていません。

 世界自然遺産になってから、水のない辺境の地でも悪臭が出ないように、「おがくず」による微生物分解力を最大に引き出すバイオトイレ設置。日本一秘境駅の小幌駅(北海道・室蘭本線)も観光客誘致のため、豊浦町の負担により、おぞましい雰囲気がするポットン便所から近代的なバイオトイレに改造。

 小笠原郵便局。

 出航日の「ゆうパック」締め切り時刻は午前10時まで。郵政省、郵政公社時代は小笠原村という地域の特性により、郵便窓口は8時から16時までだったんですけど、現在は内地に準じて、平日のみ9時から17時まで。ただし、土日および祝日が出航日と重なっていれば、午前8時から午前10時まで臨時開局し、ゆうパックの受付も行われています。小笠原郵便局の局員さんは涼しげなアロハシャツ。

 郵便局の向かいは村役場。開庁時間は内地と少し異なり、アメリカ軍政期のライフスタイルが色濃く残っているため、平日のみ午前8時から午後5時15分まで。(うち、12時から13時30分まで昼休み)昼休みが30分長い分、午前8時からになっています。小笠原村立小中学校や都立小笠原高校も、給食がないため、昼休みを官庁と同じく12時から13時半までに設定し、ほとんどの児童生徒はいったん自宅に帰り、ランチを取るそうです。村役場周辺は郵便局や観光案内所、警察署などの中心地になっており、飲食店もたくさんあります。昼休みは窓口を完璧に閉まるのではなく、交代制になっていると思いますが、休憩が1時間半もあれば、いろんな飲食店を出回りながらランチを楽しめそう。ここの職員達も、アロハシャツですな・・・。

 うちのところも沖縄や小笠原、南の国が大好きな社長さんとかも、「クールビズ期間中はアロハシャツの着用を認める!」といった通達が出ればいいんですけれど・・・。クールビズは5月1日から9月30日までですけど、これも2020(令和2)年限りで廃止。小泉環境大臣が2005(平成17)年から取り組みを開始し、社会的に定着しつつであるが、今後は、気温などを考慮して各自が取り組んでいくべきだとの考え。5月のゴールデンウィーク明け直後に半袖姿は寒い日が続くこともあるし、10月1日になったとたん、長袖にネクタイ姿は暑くってたまらない日が続くこともある。2021(令和3)年以降は、各自の判断により、服装をどのようにするか委ねるとのこと。私は小泉環境大臣の考えに同意。

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父島で1番高い山の中央山登頂(でも都道からわずか480mの距離)

2020-08-19 00:00:18 | 2019_夏_小笠原
 小笠原村内で1番高い山は母島にある乳房山。海抜ゼロメートルから登って、標高462.6m。一般人の上陸は難しいけれど、太平洋戦争末期の激戦地だった硫黄島で1番高い山は摺鉢山の169m。現在は自衛隊基地になっており、長年も携帯電話空白地帯でしたが、2011(平成23)年に海底ケーブルによる光りファーバーが父島、母島に敷設。2013(平成25)年にソフトバンクが硫黄島に基地局設置、ドコモやauも追随し、2017(平成29)年から携帯電話全キャリアのエリアになりました。硫黄島に居ながらにしても、瞬時に内地のニュースが入る時代に・・・。
 父島で1番高い山は中央山。標高は319m。バイクで標高280m地点で駆け上がり、中央山入り口の駐車場にバイクを停め、徒歩350mで・・・

 標高319メートルの中央山に登頂!!

 珊瑚礁の化石なんですけど、どこから持ち込まれ、看板の礎石??

 360度見晴らしがいいので、太平洋戦争中、ここに回転台を設置し、大砲を乗せたのではないかと思われる。

 中央山展望台の全景。

 下山中・・・。

 夜明山道路まで170m、見晴らし台まで310mの標識。道路からわずか480m。母島の乳房山は出発から登頂、下山するまでおよそ4~5時間かかりますが、ここはバイクで登頂し、遊歩道をわずかな距離を歩くだけで登頂できてしまいます。

 亜熱帯気候なので、つる植物やシダ植物が繁茂。真冬でも15度以下になることは滅多になく、内地だと凍えるような寒さでもここに来ればもう暖かい。しかし、小笠原に長年も住み慣れた島民は20度以下になると寒く感じるそうです。

 中央山観光はこれで終了。おがさわら丸が新しくなり、従来なら14時出航のところを1時間半延長し、15時30分出航。竹芝桟橋には24時間後の同じ時間の15時30分入港。最終日といっても少しは余裕が出ているので、何をして過ごすのも悩んでしまいそう。
 アメリカから小笠原諸島を返還されてから4年後の1972(昭和47)年、東海汽船さんからお借りした「椿丸」で父島定期航海便に就航。当時はなんと44時間。翌年の1973(昭和48)年から関西汽船さんから中古の浮島丸を購入し、父島丸に改名。44時間から6時間短縮し、38時間。さらに6年後の1979(昭和54)年に初代「おがさわら丸」就航。10時間も短縮し、28時間。古い船だし、船内どこに行っても国鉄の長距離列車や電車と同じく喫煙可。分煙対策を施す2代目の新しい「おがさわら丸」が1997(平成9)年にデビューするのを待ち、ピカピカな状態で初めての小笠原を果たす!!28時間から25時間半に短縮。2時間半短くなりました。分煙といっても、2等和室の室内は禁煙だけど出入口に灰皿。健康増進法の施行に伴い、出入口にあった灰皿は撤去し、船内に新しく喫煙ルーム設置。19年の歳月が流れ、今の新しいおがさわら丸が2016(平成28)年にデビュー。これもまたピカピカな状態で小笠原へ。何度も25時間半の旅を経験しているので、24時間はもう本当にあっという間。
 44時間から24時間、半世紀で20時間近くも短縮。父島がぐーんと近くなります。
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