昔撮影し、保存しておいた動画を再アップ。2008年なので、何と今から5年前。抜海(ばっかい)駅は、最果ての駅、稚内から2駅目、本当に何もない原野にポツリと抜海駅があります。秘境駅度は全国45位(「秘境駅へ行こうの著者、牛山氏の判定)
昨日の記事に書いた新聞店について。穏便に済ませたいのがホンネだというのに、「二兎を追うものは一兎を逃す」という言葉があるとおり、顧客を逃したということになります。
「新聞断ったの?困りましたね ・・・社会の動きを収集していたのに~」とさすがに親は困った様子。
同じ店舗での銘柄変更を希望しているのに、融通が利かず高慢な態度をするなら二度と近づきたくない。
いまのところ、長年もお世話になった店舗以外の別のところから購読を検討中。
二の舞を踏まないように、契約内容を徹底しておかないと思います。
「特に契約を意識していなかった」とか、うやむやになり後になって話がこじれては困りますし・・・。 注文しておいた、本がTODAY便で届きました~!
超特急便は別途料金がかかるので、通常配送をリクエストしたのに、800ページもある分厚い本なので、特別にTODAY便で手配してくれました。
TODAY便はクロネコヤマトの午前中都区内発首都圏宛てなら当日配達。
完読するまで時間がかかりそうですが、今も現役の小幌駅を書かれた内容は大変興味深い。
平成13年6月30日に廃駅になった、奥白滝駅までも取り上げられています。
当時の私は「奥白滝」マニアでした(笑)
入場券までちゃっかりゲット。
手元に残しておくだけで満足!?売るとしたら、いったいどのくらいの値がつくかわかりませんが・・・。 なんと!3000円分のオレンジカードを大切に保管していました。
こういう記念台紙付きのオレンジカードは未使用のまま、とっておこうという心理が働くので、JR北海道の経営戦略にはまってしまいました。
天幕 → 中越 の乗車券は、マルスシステム(※)から抹消される前日に購入。
(※)みどりの窓口最北端の稚内駅、最南端の指宿駅から、乗車券発券や指定席券の要求があるとオンラインで東京都国立市にあるホストコンピューター(中央装置)を介してからになります。
廃駅は登録されている駅名が抹消されるので、「おくしらたき」と入力しても、発券不可になります。
「奥白滝」は発券されなくなりましたが、「上白滝」は現在も発券可能。1日1本の駅です。
上白滝駅の時刻表は・・・(平成24年2月18日現在)
網走行き 7:04 (網走駅到着11:46) / 旭川行き 17:27 (旭川駅到着 20:05)
「北の無人駅から」は、北海道の紀行文に属する291.1の誤りではないかと書いてしまいました。
よく調べてみると、302は「政治・社会・経済・文化事情」に属し、11は北海道を意味します。
私の勘違いしていた、北朝鮮の社会は「302.21」でした。
302.11 北海道の社会、経済、文化事情
302.21 朝鮮半島の社会、経済、文化事情
「北の無人駅から」のタイトルからにすると、頭では「北朝鮮」になってしまいました。
図書館流通センターの作成した書誌データは正しいということになります。
昨日の記事に誤りがありました。お詫びします。
この本をパラパラとめぐってみると、紀行文というよりも、何もない辺鄙なところにどのようないきさつで駅を設置したか、地元の住民に取材したり、資料館、郷土博物館などでいろいろ調査しているので、分類は302.11になります。
全ページで800ページもあり、読者に大変興味を引くような文章で書きつづられているので、ネット通販で購入してしまいました。
本書で紹介されている、奥白滝駅は今から11年前の2001年6月30日廃止。
去年、神津島へ一緒に出かけた友人からオリジナルの「奥白滝・中越・天幕駅廃止記念」ハガキが届いているのに思い出したので、スキャンしてみます。 廃止の前に奥白滝駅に訪ねたことや、秘境駅が一気に3駅も減ってしまい、残念なことだと書かれています。
3駅の写真に所在地と、開業日、駅名の解説が載っていて、今となっては貴重な台紙。
奥白滝駅は、旭川方面、遠軽方面ともに1日1本。始発兼終電のようなものです。
今週の新刊本です。収受後、乱丁はないか検品。
予約が入っていれば、ブックトラックに乗せ、カウンターへ。
表紙の写真と背番号(NDC 日本図書十進分類法)をぱっと見たところ、302.11/ワタ。
302は、確か、朝鮮半島の社会や政治に関する本が並んでいるので、チョソン(※)かと思いました。
(※ 朝鮮 チョソン 民主主義 ミンチュチュイ 人民 インミン 共和国 ゴンワググ)あの国で「北」を冠するような言い方をすると、思想犯とし、強制労働所に連れて行かれるそうです・・・。
でも、表紙の写真をよく見ると、日本のローカル線によくあるワンマンカー用のミラーが取り付けられているので、チョソンっぽくない。
目次を開いてみると、北海道でした!!NDC(日本図書十進法)は異議あり。
全国統一のデータを作成した図書館流通センターが「北の無人駅から」というタイトルだけで北朝鮮と勘違いしたな?
内容からにすると、北海道の紀行文に分類される、291.1のはず。
予約が入っているので、冒頭だけちらっと読みました。
日本一秘境駅だとランキングされている、室蘭本線の小幌駅が詳しく取り上げられています。
室蘭本線は通常「海線」と言われ、主に特急、ブルートレイン、急行はまなすの動脈になっています。「山線」の函館本線は本州からの貨物列車がメインルート。
小幌駅は1日3本しか停まらず、優等列車はすべて通過。長万部(おしゃまんべ)で室蘭本線に分岐し、最初の駅は、静狩。
「静狩」の文字は、本州から札幌市内行きの乗車券に印字されるので、目に触れる機会が多い。東京から新幹線の場合、経由欄は「東京・新幹線・新青森・奥羽・海峡・函館線・静狩・千歳線」。在来線の北斗星に乗ると、第三セクターのいわて銀河鉄道と青い森鉄道を通るため、「槻木(つきのき)・盛岡・目時(めとき)・八戸・千歳線」。
槻木は岩沼の1つ手前、常磐線経由ではなく上野から東北本線であること、目時はいわて銀河鉄道と青い森鉄道の境界駅。
静狩の隣は、日本一秘境駅の小幌。
小幌駅のまわりは四方のうち三方が険しい坂、一方は内浦湾に接しているため、鉄道と船以外の交通手段ではアクセスが非常に難しい。
東京都の青ヶ島も、「そうだ、青ヶ島へ行こう」と思いつきで行くのは、非常に難しい。
でも、過去1回実際に実行したことがあります。
「そうだ、青ヶ島に行こう!」と突然、その日の思いつきで勤務後、バッグに着替えなどを詰め、22時過ぎ就航の「かめりあ丸」に乗船。
底土港の反対側の八重根漁港までタクシーで行き、青ヶ島行きのチケットを購入。
突然の思いつきで青ヶ島に上陸できたのは、たまたま天気がよくて海上状態がよかったから。青ヶ島に着いたのはよかったけど、民宿の予約をしていなかったため、大変な思いが・・・。青ヶ島は人情が厚いので、助けられました。2001年の出来事、今から11年前の話。
そのようなことがあったため、青ヶ島に行くことが決まったら、ちゃんと民宿の予約を取ってから。
本書では、車で行けない、自然環境の険しいところになぜ小幌駅があるのか、設置した国鉄関係者に取材した内容が載っています。
小幌駅だけではなく、釧網本線の茅沼駅、札沼線の新十津川駅、釧網本線の北浜駅、留萌本線の増毛駅、石北本線の奥白滝駅も収録。
新十津川駅、北浜駅(この本の表紙写真)、奥白滝駅はすでに探訪したことがあるので、1冊まるごと興味あり!!
今の奥白滝駅は信号場に降格してしまいましたが、駅としての現役時代は2000年に探訪。1日1本の時刻表に驚愕した記憶がよみがえります。
おすすめ度:★★★★★
かろうじて文字が見える、「石狩当別(いしかりとうべつ)」駅。
豪雪に慣れている、JR北海道はほぼ定刻とおりです。
滅多に雪が降らない首都圏だと雪が降っただけで大騒ぎ、運休になったり、間引き運行になったり・・・。
札幌~稚内、ほぼ400キロを5時間で疾走する特急の「スーパー宗谷」号も豪雪の宗谷本線も何事もないかように走行していると思われる。
下の動画は夏の間に撮ったものだが、冬は真っ白の原野が広がる風景になるでしょう。
昨日アップしたばかりの画像です。
隣の駅、「なかとっぷ(中徳富)」駅は利用者が1日1人未満と極端に少ないので、2006(平成18)年3月17日をもって廃止されました。
「しんとつかわ」の文字の上にあるものは雪で覆われて見えないのですが、「学園都市線」と書かれています。
1日3本しか来ないのに、「学園都市線」なんてつじつまがあわないような・・・?
今度は札幌。
2001年当時のデジタルカメラはコダック社製の230万画素、DC280J。
2000年に購入したもので70万ウォン(≒5万円)も大金を果たして買ったもの。
夜景モードにしては、美しく撮れています。
今使っているデジカメは2008(平成20)年製の1010万画素の高精細なのに、夜景を撮るのに難しい。
DC280Jはどうしたかというと・・・、電源を入れても起動せず。残念ながらお亡くなりになってしまいました。
昔のデジカメにしては、きれいです。
コダックは大手写真メーカーのはずなのに、量販家電の店頭ではあまり見かけません。
さすがに北海道。
氷彫刻の中にカニ、鮭、ホタテが・・・。
今はなくなっている、ボンネット型の特急485系。
「ボロ国鉄」は語弊かも知れませんが・・・その古めかしい電車が廃止になる前に1度全区間乗っておこうと思いついたのが、なんと!!
大阪から青森まで1023.4キロを12時間ぶっ通し。
大阪を10時12分に発車して、青森に着くのは22時59分到着とキップに印字されています。
グリーン車でもなく、普通車でよくこんなに乗れたな~と我ながら感心。
10年前の昼行特急で日本一長距離はこの「白鳥」だったと思います。
長距離は「新幹線」にバトンタッチし、東京から新山口まで1000キロもあるのにわずか4時間半で着いてしまいます。
あれから10年、今の長距離特急はやはり、新幹線の走っていない日本海側の「いなほ」、青森から新潟間、7時間かかってしまいます。(458.8キロ)
千葉6時38分発南小谷(長野県)行きの特急あずさ3号も長距離。終点南小谷には11時42分に着くので、およそ5時間の旅になってしまいます。(341.6キロ) 大阪から12時間ぶっ通しで青森に到着!!
車両は青の「JR」マークがついているものなので、JR西日本所属です。
JR西日本が最果て地までやってくるのは思いもしませんでしたね~。
豪雪地帯を通過したため、白鳥は2、30分遅れでした。
それでも、青森発札幌行きの急行「はまなす」号は待ってくれました。 翌朝6時過ぎ、札幌到着~!!
2月 9日 東京 23:43発
2月11日 札幌 6:07着
計算してみたら、54時間乗っていたことに。
東京~小笠原間の「おがさわら丸」は25時半なので、小笠原まで往復した計算になります。
ゴールは札幌駅ではなかった。
この先もまだまだ旅が続き、札沼線に乗り換え。
終着駅の新十津川までやってきました。
1日3本しか来ない、終着駅の新十津川駅。
札幌から78.1キロかけて最果ての新十津川。
首都圏の感覚からにすると、信じられないほどの時刻表。
1日に1本!!というところは今はなき奥白滝駅。
東京都の青ヶ島も1日に2本!!その内訳はヘリコプターが1便、船が1便。
青ヶ島に駅があるとしたらの時刻表は次のとおりになります。
当駅発 行先 到着時刻
9:45 八丈島 ヘリコプター 9:40
13:30 八丈島 船 13:00
新十津川駅遠景。
北海道らしい冬のたたずまい。
去年(2009)年は丑年にちなみ、山口県の山陰本線「特牛(こっとい)」駅を紹介しました。
今年は寅年なので、北海道の根室本線、「幾寅」駅を年賀状の素材として使わせていただきました。
発駅が「幾寅」なら着駅はお正月に関連するようなものがいいかもと路線図を眺めていたら、根室本線の「大成」。経由:根室線 (69.8キロ 1230円)
牛から寅にバトンタッチするなら、「美馬牛(びばうし)」→「幾寅」。経由:富良野線・根室線
(68.4キロ 1410円)
今回は「幾寅」から初日の出にちなみ、「北日ノ出」行きに決定。
経由:根室線・富良野線・宗谷・石北 (110キロ 2100円)
これなら、「幾つかの寅が初日の出を拝んだ」という意味になりそう。
個人経営の店舗を持ち、商売繁盛を願うなら「幾寅 → (根)金山 経由:根室線 (17.2キロ 350円)」。
根から金が出てきて、山ほどになるという意味に。
この切符を頼むのに、みどりの窓口だと「何で北海道なんですか?」なんて突っ込まれそうなので、えきねっとで自分の好きな区間を指定し、駅構内の指定席券売機で購入。
滋賀県の北陸本線にも「虎姫(とらひめ)」駅がありますが、それに関連付けるような駅名が見つからず。
ここは旭山動物園の最寄り駅、「北日ノ出」駅です。
最寄駅といっても、3キロ離れているため、旭山動物園に行くのにこの駅を利用する人はいない。
旭川駅からの本数も始発は旭川13:43 →北日ノ出 14:02
この次は16時。
旭川駅から旭山動物園行きのバスが30分ごと出ているので、そちらのほうが便利です。
ここでも旭川都市圏内だが、背景はのどかな北海道らしい風景が広がります。
話は戻りまして、幾寅駅。
今から10年前の1999年、高倉健と広末涼子主演の「鉄道員(ぽっぽや)」(原作は浅田次郎氏)。小説本も出ていますし、ベストセラーになっているようです。
映画に出ていた、「幌舞駅」は終着駅のように見えますが、実在する「幾寅駅」が使われています。終着駅ではないですが、駅舎や待合室、出札窓口の雰囲気が原作のイメージに似ているので選ばれたらしい。
あっという間に11月。
北海道は8月下旬なので、あれから2ヶ月過ぎてしまいました。
最近の最低気温7度、旭川は2度。
旭川は北海道のほぼ真ん中に位置するのに、最果ての稚内よりは非常に寒いらしいです。
ここは最北端の都市、稚内を展望できる「稚内公園」です。
札幌はヨドバシ・ビック・ヤマダ電機など首都圏で見られる電気屋さんがそろえているのですが、こちら稚内は「ベスト電器」でした。
「ベスト電器」はわが故郷山口県、日本最西端の沖縄県でもよく見かけたし、全国津々浦々・・・ですな。
稚内店は大型ではなく、こじんまりとした店舗でした。
上の写真の左側。
稚内駅周辺は市街地になっていますが、こちらは住宅地。
最果ての都市でも人口は約4万人、面積は760.83キロ平方メートル。
稚内市を身近なところに例えると、東京23区の面積は621.81平方メートルなので、23区と多摩地域の一部の大きさでおよそ900万人。
人が住んでいるところはこのあたりだけで、サロベツの原野続きだそうです。
宗谷本線だって、抜海駅を過ぎたあたりまで何もない、単純な風景ばかり続いていました。
南稚内あたりから急に都会になってしまいます。 ここは悲しい歴史がたくさんありました。
戦前、稚内の人々が樺太に渡り、終戦後まもなく、稚内から樺太の交通が途切れてしまい、閉鎖。
樺太に残された日本人は稚内に帰りたくても、手段がない。
樺太で亡くなった同胞を慰めるために「氷雪の門」が建てられたそうです。
「氷雪の門」の解説文。
「みなさん、これが最後です。さよなら、さよなら」
終戦日は1945(昭和20)年8月15日正午 昭和天皇の玉音放送による。
この日を境に、樺太はソビエト連邦(現ロシア)になり、樺太真岡郵便局の9人の女性交換手が最後まで職務を遂行し、服毒自決。
「教学之碑」
樺太の豊原にあった、「樺太師範学校」に通った人々の記念事業として建てられたそうです。
ここでもサハリンとのつながりがあったのですね。
わずか43キロ先はロシア。
ロシア語 は Д (デー)、Ж(ジェー)、Я(ヤー)、Ф(エフ)、Ю(ユー)・・・
見慣れない文字ばかりです。
韓国語は日本語と同じ文法なのですが、ロシア語はどうなんだろう??
稚内市の友好都市は、サハリン州コルサコフ市なので、副港市場の向かいにロシア料理店「ペチカ」があります。
店内を覗いてみると、厨房に金髪のロシア人の姿が見えたので、ランチはここに決定。 メニューを開いてみると、ロシア語!!
ペチカランチのピロシキ、ボルシチ、ウズベク風ピラフ、ブィニングレット。
全然わかりませんでしたが、写真を見て美味しそうなので、これにしました。 ビーフストロガノフ。
「ビーフ」といえば、牛肉かな?と思ったら、「きのこ」。
名前はメモするのを忘れてしまいましたが、エビとマッシュルームの入っているクリームでした。
常夏の沖縄はあっさり系、北に行くほど味が濃くなるはずなのに、ロシア料理はほとんどあっさりしています。
初めてのロシア料理はとても美味しかった~。
今まで海外料理で1番多く食しているのは、韓国。
(辛いものが大好き。韓国では、キムチ何回もおかわりできます)
インド人経営のインドカレーも本場の味を再現、「ナン」が美味しい。
タイ料理のトクヤンクンという香味料がクセになりそう。
中華料理は、東京駅新丸の内ビル5階の「隨園別館」がお勧め。
韓国、インド、タイ、中国、ロシア、アメリカの6ケ国しかないけど、もっと海外料理を味わってみたいな、と思うこの頃。
日本最北端の地、宗谷岬から車で2分のところに「宗谷岬郵便局」。
ポストに投函すると「稚内」になってしまうので、宗谷岬のお土産店で購入した絵葉書にメッセージをその場で書きしたため、窓口に押印依頼。
乾きにくい紙質だったため、ちょっとべたついてしまいました。
押印するのにはがき料金50円以上の切手が必要になるので、北海道らしい切手も貼付。
最北端の地、三角の真ん中に見えるものは、日本海とオホーツクの境界を示す目印だそうです。
真ん中より左側は、わが故郷山口とつながっている「日本海」、朝鮮半島の東側の「東海(??)」(読み方:トンヘ)、右側はオホーツク海。
ここからもサハリンが見えるはずだが、いくら待てどなかなか見えませんでした。
ちなみに郵便局が閉まる夕方5時前に出したというのに、東京へは2日後、九州も2日後配達されたそうです。
沖縄からもそうでした。
那覇市内からだと空港に近いので、午前中出したものは翌日配達。
たぶん貨物専用の飛行機で輸送かな、と思います。
国内で配達に最も日数のかかるエリアは、たぶん、小笠原かな。
父島・母島も「新東京」の消印になるので、ポストに御蔵島と同じく「風景印希望の方は窓口にお出しください」とテプラで貼られているそうです。
週1便に出航する「おがさわら丸」への搭載に間に合えば、首都圏へは最短で2日後。
間に合わなかったら、およそ1週間後になってしまいます。
「おがさわら丸」が竹芝に到着すると、郵袋や小包は江東区の新東京支店に運ばれ、全国に向けての仕分け作業だそうです。
「ノシャップ岬」とカナ表示になっていますが、漢字にすると「野寒布岬」。
「ノサップ岬」は納沙布岬。
似たようなものだけど、ノシャップ は稚内、納沙布岬は根室市にある日本最東端。
記事を書く前に「ノサップだったかな?ノシャップ?」と混乱してしまったので、ここで整理。
日本最東端は厳密に言うと、東京都内にあります。
もう少しで東経180度の日付変更線に届きそうな、小笠原村南鳥島(「はなのはね南鳥島ガイド」のサイトにジャンプします。詳しい記事が書かれています)いう小さな島。
(東京の東経は139度、南鳥島は153度、東京からおよそ1800キロ離れているため、日の出や日の入りは本土より1時間ズレがあるそうです)
稚内は「ノシャップ」、根室は「ノサップ」。区別がついたところで・・・ 8月26日 17時18分。
稚内は141度もあるので、日の入りが東京よりも早かった。
でも、鼻の先のサハリンは日本時間よりサマータイムで2時間早く進んでいるので、この風景でも19時18分。
(11月から冬時間になり、時差は+1時間。日本だと早く真っ暗になりますが、サハリンはまだまだ明るい)
17時37分。
水平線に沈みかけようとしています。
夕陽に染まった(?)利尻富士。
本間水産の店員さんに教えられた場所、「車屋・源氏」で郷土料理のたこしゃぶを味わってみることにしました。
高級感のする割烹にハン尚宮(母)はホクホク顔。
一般のテーブル席もありましたが、特にリクエストしたわけでもないのに個室に案内されました。
お通しの「もずく」。
沖縄名産のはず、最北端もありましたね。
せっかくここまで来たので、カニも食べなくちゃ・・・・。
カニサラダ。 やっと、来ました~!!
タコしゃぶ!!
「これがタコなんですかっ!?」
びっくりしたぁぁぁ・・・、と驚愕。
タコしゃぶといえば、普通のタコと思っていたのに、とても大きいです。
(このお客さんは初めてだろうか?)と察し、食べ方を教えてくれました。
お肉のしゃぶしゃぶと同じ要領で、タコが波打ったら食べ頃とのことでした。
(あまり長く鍋に入れると縮んでしまい、味が落ちるらしいです)
味噌のタレも非常においしく、あっという間に平らげてしまいました。
野菜のレタスもあっという間になくなってしまったので、おかわり。
本当にごちそうさまでした~(^o^)
場所は稚内駅から徒歩5分の「車屋・源氏」というお店です。
数年前の稚内は最北端の宗谷岬、日帰り温泉施設の「童夢」、稚内公園・・・でしたが、稚内~南稚内間の国道40号線沿いに新しいスポットができました。
副港市場は特産品だけではなく、松坂大輔スタジアム、戦前の樺太にタイムスリップしたかような常設コーナーもあります。
樺太庁豊原中学校を模した教室で戦前の映像や、展示資料などが見られます。
すみすみまでじっくり見学するのに半日あれば回れそうです。 一部を復元した、「稚内港」駅舎。
初代の稚内駅は今の「南稚内駅」、1922(大正11)年開業。
稚内港駅は1923(大正12)年開業。
当時はレールもなく、大泊港(樺太)との稚泊連絡船の駅として開業。
稚内港駅~稚内(今の南稚内)間のレールは1928(昭和3)年敷設。 フェリーなのに、鉄道の改札口に準じているみたいですね。
昭和3年以降の宗谷本線は
・稚内-稚内港-(稚泊連絡船乗り換え)
昭和14(1939)年に駅名改称。
・南稚内(旧稚内)-稚内(旧稚内港)-(稚泊連絡船乗り換え)
昭和20(1945)年8月の終戦間もなく、稚泊連絡船は廃止。
・南稚内-稚内(日本最北端の駅になる)
樺太も日本の市町村名。
今はロシア語の地名に変わっています。 昔の稚内港駅。
今の稚内駅に位置しているのではなく、桟橋寄りにあったそうです。
稚内駅構内で車止めが施されているのですが、昔はさらに北に延び、北防波堤ドーム内に滑り込み、汽車から直接船に乗り換えるようにしていたそうです。
大正8(1919)年の樺太地図。
北限は50度きっかり、陸続きでソビエト連邦(現ロシア)につながっていました。
★おまけ★
1909(明治42)年刊行の大日本帝國地図帳の朝鮮。
日本の地図に今の北朝鮮と韓国の地図が入っていました。
38度線で分断する国境線はなく、中国とソビエト連邦に国境線ですね。 今のソウル近辺を拡大してみました。
大日本帝国時代のソウルは「京城」(けいじょう)と呼んでいました。
今もソウルを起点とする、
「京釜(キョンプ)線(ソウル-釜山)」
「京義(キョンウィ)線(ソウル-新義州といっても今の北朝鮮)」
「京元(キョンウォン)線(ソウル-元山(今の北朝鮮)」
の路線名称が使われています。
樺太はロシア語の地名に変わっていますが、朝鮮半島も漢字文化圏なので、冬のソナタで有名になった「春川(?? チュンチョン)」、韓国民族村のある「水原(?? スウォン)」、国際空港の「仁川(?? インチョン)などの地名が残っています。
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稚内副港市場は去年(2007年)4月にオープン。
稚内周辺で採れる鮮魚やカニの販売、2階は海の幸中心のレストラン、3階は天然温泉「港のゆ」、市場のとなりに歴史マニアにとってはたまらない、戦前の「樺太」展示コーナーも併設。
市場の付近に昭和の街並みを再現した「屋台村」ストリート、北のガラス館、松坂大輔スタジアム(記念館)。
最近できたばかりなので、北海道のガイドブックには載っていない稚内の穴場だったのです。
レンタカーを借りるときに「カニを買うなら、ココがお勧め」と教えられたとおり、市場の中に複数の商店が競うようにカニを販売していました。
ハン尚宮(母)が選んだのは「本間水産」さん。
そこの店員さんと筆談を交えていろいろ話してみました。
本間水産さんは鮮度にこだわっているらしく、冷凍では出さないとのことでした。
「カニは冷凍というイメージがあるのですが、冷蔵のままで内地に送れるのですか?」
「はい、そのとおりです。獲れたてなので、冷凍はせず、冷蔵で送るようにしています」
「カニは冬に獲れるものかと思っていましたが、夏でも獲れるのですか?」
「はい、年中獲れます」
「九州まで送るのにどのくらいの日数ですか?」
「今日送ると翌々日ですね」
(・・・速すぎる!)
「はい、これに決まり!」
「ありがとうございます」
「今夜は郷土料理にしたいと思うのですが、この近くにお勧めのお店はありますか?」
「うーん、えっと・・・郷土料理といえば、「たこしゃぶ」なので、稚内駅から歩いて5分の「車屋・源氏」がお勧め」と言いながら大雑把な地図を書いてくれました。
お店の人も無事にたどり着けるかちょっと心配していたみたい。
「カーナビに電話番号を入れるだけで案内してくれるので、教えてください」
教えられた電話番号をカーナビにセッティングし、「車屋・源氏」にたどり着きました。
ここで食事した数日後にフジテレビの「もしもツアーズ(9月27日放送)」の最北端(稚内駅)VS最南端(枕崎駅)のローカル線旅に芸能人一行が来ていたそうです。
やはり、稚内のグルメといえば、ここなんでしょうね。
「たこしゃぶ」とはどんなものなのか、またアップしたいと思います。
改札口跡。
駅舎はとても大きく、待合室も広い。
駅事務室や窓口跡もあるので、昔はここで駅員さんが切符を切っていたかも・・・?
最果ての真冬はとても厳しい。
冬季の間はラッセル(除雪車)の運行でJRの職員が駐在しているみたいです。
あくまでも旅客を取り扱わない「無人駅」なので、待合室の暖かいストーブはなく、氷点下の世界!? 国鉄の遺産?
文字から推測すると「たしかめよう」ですね。
線路を横切って、向こうのホームに行くのに注意を促す看板かも?
無造作に置かれてあるところが北の最果てらしい・・・。
稚内方面のホーム。
きれいな花も植えられたりして、地元の方々が手入れをしているみたいですね。
有人駅だった頃の煙突も見えます。
特急に乗っていると、抜海駅通過はほんの数秒。
せっかく最果ての郷愁が漂う風景が見られるので、速度を落としながら通過するサービスがあれば・・・。 抜海駅の開業は大正13(1924)年6月25日。
サハリンも大正時代は日本統治下にあり、「樺太東線」としてすでに敷設されているので、ここから最果ての駅までは稚泊連絡船も含め400キロ先。
駅舎は開業当時から現存、80年以上も厳しい吹雪や想像を超えるほどの氷点下の世界でも耐えてきたようです。
もし、抜海駅に訪ねる機会があれば、その雰囲気を1つ1つ確かめてください。
抜海駅のほかに現存する古い駅舎はおよそ60キロ先の雄信内(おのっぷない)駅。
それでは抜海駅の動画を編集してみましたので、ご覧ください。