東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

金沢駅

2015-06-24 00:07:46 | 2015北陸新幹線で富山&石川
 兼六園の次は、近江町市場・・・と思っていましたが、高齢の両親は足が棒のようになり、疲れたとのこと。新しくなった金沢駅の中で休憩。
 JR東日本のえきねっとで予約した指定席券等は和倉温泉駅で発行してもらいましたが、東京駅に着いて、エレベーター付近になるように車両変更。

 金沢駅MK5発行。JR西日本の「みどりの券売機」は「MK」が固有記号のようです。ちなみにJR東日本は「MV」または「VF」。クレジットカード専用機なら「D」。「みどりの窓口」での対面販売は、「MR」(JR東海、JR九州)、「M」(JR北海道、JR四国)、「@1」(JR西日本、JR東日本)、「A1」(JR東日本)、「MR」や「@」、「M」の端末は日立製作所製、「A1」はOKI製。これだけ覚えていれば、マルス券を見ただけで、対面販売か、自分で操作して発券したものなのか区別できそうです。暗号めいた記号ばかり出すから、どういう意味なのか解析。
 赤い文字は原券、最初に購入したところは、和倉温泉駅@1(4)。差額はないので「差無」。(4)は発行会社識別数字。4は西日本を意味します。えきねっとで発券しても、西日本自社扱いの(4-タ)でした。
 JR東海のEX予約で西日本の駅で発券させると、地紋は西日本でも東海の(3- )と印字。

 駅が新しくなっても、どこか懐かしい風景。

 そう、昔ながらの有人改札。首都圏はどこに行っても、無機質な自動改札機。駅に行けば、自動改札機の光景に目が慣れてくると、こういう風景は人の温もりがあって、懐かしい。國鐵時代は坪尻(香川県と徳島県の山間にある秘境駅)や抜海(稚内駅から2つ目)とか、今やとんでもない秘境駅でも改札口に駅員さんが立っている風景。クルマ社会になり、駅を利用する人が減ったからと急速に無人駅化が進み、現在に至っています。

 有人改札のとなりは、新幹線改札なので、こちらは自動改札機。
 自動改札機のない、都道府県を調べたところ・・・福井県・鳥取県・島根県(JR西日本)、愛媛県・徳島県(JR四国)・宮崎県(JR九州)。
 福井県の福井駅は将来北陸新幹線が延伸予定地に含まれているため、福井まで開通すれば自動改札機設置。
 鳥取県の県庁所在地は鳥取駅、島根県は松江駅。人口が集中しているのはこの辺だけなので、自動改札機を設置するメリットはなさそう。山口県は意外と自動改札機あり。まず、北九州都市圏との往来が多い下関駅。JR九州が自動改札機を設置する構想が出たのは1996(平成8)年頃。1998(平成10)年に福岡都市圏に設置、北九州市内は1999(平成11)年頃。北九州と山口県下関市は関わりがとても深く、往来も多い。下関駅の切符は裏面が白。小倉駅の自動改札機に投入してもピンポン!!扉が閉まってしまう。下関駅はJR西日本、九州とは関係ないときっぱり線引きするつもりが・・・苦情が相次いだため、廣島支社が重たい腰を上げ、下関駅の券売機も磁化券が出るように改修し、ようやく改札機が設置されたのは2003(平成15)年。山口県内初の自動改札機として珍しがられていました。
 その後、JR九州がICカードのsugocaも出るようになり、下関の改札機もsugocaが使えるように改修。JR西日本の駅であっても、改札機だけは九州仕様。
 2011(平成23)年3月ダイヤ改正から、全国の交通系ICカードを全国相互共有化。ここでもJR北海道のkitacaが使えるようになりました。
 愛媛県の県庁所在地、松山駅はかなり都会なんだけど、いまだに未設置。高知駅は設置、香川県の高松駅は西日本のイコカ対応。徳島駅もまだなので、「記念に持ち帰りたいんですが・・・」と気軽にお願いしやすい。
 JR九州で空白地帯だった、宮崎県も今年の秋からようやく設置されますっ!!3億円の投資で、宮崎市内の11駅にsugocaが使えるようになります。たぶん、宮崎駅、南宮崎駅、宮崎空港駅の3駅は扉付きの改札機、青島、折生迫(かなり、難読駅です。「おりゅうざこ」)、子供の国、運動公園などの日南線は簡易改札機になると思います。
 「海 路 → 青 島  経由:肥薩・吉都・日豊・日南  6月24日から2日間有効 ¥3,670」。
 この切符の意味は「船で青ヶ島に行きますっ!」かも。
 「高 崎 → 東高崎  経由:高崎・新幹線・東京・新幹線・博多・新幹線・鹿児島中・日豊・吉都 6月24日から9日間有効 ¥17,930」。
 高崎から東高崎までなんて、一瞬、隣の駅!?かと思ったら、東高崎は宮崎県の吉都線にあり!!
 
 金沢駅ホーム。

 東京行きはE725なので、JR東日本所有。

 HITACHI 2015年なので、真新しくって、ピカピカの新幹線。車内の香りはマイカーの新車を購入した直後に似ていて、気持ちいい。

 後発は、W726。全く同じデザインでも、こちらはJR西日本所有。他社に車両を貸し出すと、使用料を支払わなければならないが、北陸新幹線は東日本と西日本。使用料はお互いに相殺。
 少し前まではJR九州が新山口まで、JR西日本のディーゼルカーが小倉まで。九州は下関から新山口まで貸出、西日本は下関から小倉まで貸出。距離は九州のほうが長くて損するから、現在は下関できっぱりと線引きしています。

 東京方面の進行方向の、右側に立山連峰が見えます。かなり人気があるらしく、ほとんど埋まっていました。

 今夜の夕食。金沢駅弁。

 石川県をぎゅっと詰まったもの。ごちそうさまでした~。
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和倉昭和博物館とおもちゃ館(その3)

2015-06-17 00:00:28 | 2015北陸新幹線で富山&石川

 今度は昭和の文具屋さん。山口県の何もない小さな漁村でも、当時は子どもが多いせいか、食料品売場のとなりにこのような文具店も併設。文具だけではなく、駄菓子も。
 しかし、現在もお店はやっていますが、子どもが少なく、高齢者化。クルマを持たない高齢者でも買えるように最低限の生鮮食品や野菜、缶詰などの品揃えになっています。もちろん、昔はあった文具や駄菓子は撤廃。

 鉛筆は子どもの頃に購入したのが最後だったような??

 これはクレパス。懐かしい。子どもの頃のお描き用。

 鉛筆削りのナイフ。昭和30年代は、鉛筆削り器とかあまりなかったため、ナイフで削り取っていました。今だったら、子どもにナイフを持たせると危険っ!!なのに、昭和30年代の小学生は鉛筆削り用のナイフを所持。

 これは昭和3、40年代の学習用ノート。しかし、私が子どもの頃よく使っていいたのはジャポニカ学習帳。表紙は珍しい虫の写真もあったり。
 やがて時代が変わり、「虫が気持ち悪い」と言いだす子どもが増えたため、「虫」は撤廃。美しい花に変わったそうです。

 昭和28年(1953)年当時の価格。クレパス12色で30円っ!!その頃発行された10円玉も現在と全く同じデザイン。その頃は100円玉と同じ価値なのか、ふちが、ギザギザになっています。ギザギザの10円玉3枚で12色のクレパス買えましたっ!!今の価格は500円前後。

 昭和30年代の子どもたちは小柄なのか、ランドセルもサイズ小さめ。左から2番目までは野球なので、男の子用。右は、可愛らしい鳥さんにお花なので、女の子用。

 そういえば、鉛筆のメーカーに「コーリン」もありました。
 調べてみたら、1916(大正5年創業)→1997(平成9)年倒産となっているので、「コーリン」マークの鉛筆は見かけません。もし、見かけたとしたら、平成9年以前に製造された商品になります。
 コーリンの鉛筆を使った記憶もありますので、懐かしい。今の時代はトンボ、三菱がシェアを誇っています。無印良品、ぺんてるさんもありますが、シャープペンシルの芯かな。まだまだ続きはあります・・・。
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和倉昭和博物館とおもちゃ館(その2)

2015-06-15 00:01:40 | 2015北陸新幹線で富山&石川

 これを見て「懐かしい!」と思える世代は、40代以上かな。今年で30歳を迎える方は1985(昭和60)年生まれ。幼年期は平成時代なので、それらのものに見覚えはないかも知れない。

 ナショナルハイトップ乾電池。昔の補聴器は箱型ボックスなので、単3乾電池はよく使っていました。旧字体のNATIONALではなく、新しいほうのNational。赤は安くて、黒は少し高かったような記憶が・・・。
 今はパナソニックに変わり、こういう電池はあまり見かけませんが、黒はたまに見かけます。しかし、黒は棚の片隅に追いやられ、エルボタやアルカリ電池が目立つように置かれています。黒はあまり電力を要しない時計やリモコン、アルカリ電池はモーターなどパワーを要す機器向けとして作られていますが、家庭内に装着してある電池はすべてアルカリ。アルカリも単価が安くなっているので、用途をあまり意識しなくなったかも知れません。

 今上天皇のご成婚記念。1959(昭和34)年。この肖像と全く同じデザインの10円、30円記念切手発行。(昭和34年4月10日)なぜか数枚も保存中。郵便に使いたいと思いつつも、消印が顔にかかったら・・・と思うだけでなかなか出番なし。たぶん、顔にかからないように押すかも知れませんが・・・。

 昭和30年代の電気ポット。これも少し見覚えあり。

 ぜんまい式目覚まし時計。電池の代わりにぜんまいを巻いて・・・・。今みたいに電子制御ではなく、アナログの機械式。時間になったら、ベルが鳴る仕組み。

 三輪の軽トラック。とても小さくて、まるでおもちゃのようだけど、あの時代なら公道を走っていました。

 これも懐かしいです。ガラス瓶入りのコカコーラなんて、滅多に見かけなくなりました。赤コーラは元祖のものなので、糖分がたっぷり。子どもの頃だったかな、赤だけではなく、白いコカ・コーラ新発売。100円ワンコインで買えた時代なので、新しいもの大好きな私は速攻で購入。あの白いコカ・コーラって何なんだ?と調べてみたら、ダイエット甘味料が含まれた「ライト」。カロリー低めの「ゼロ」や、さらに今年の3月から緑ラベルの「ライフ」新発売。

 一部、王冠のあるのものは、未開封。王冠という言葉で正しいのか調べてみたら、瓶の栓を王冠というそうです。デザインから見るとたぶん、30年前のものだと思われる。上のコカコーラも未開封。今飲んでも味はどうなんだろう??

 昔のたばこ自販機。ハイライト、光、ホープ、チェリー、ピース。チェリーはタール15mg、ハイライト17mg、ピース28mg。タールとは、正常な細胞をガンに変性させる粘り気のある物質。タール1mgの軽いタバコならたくさん吸っても大丈夫だという誤った認識を持つ方が多いみたいですが・・・タバコの葉は全く同じで違うのはフィルターだけ。フィルターの層を多くして、吸った煙の濃度を薄くしただけです。1mgのは物足りないから、思いっきり吸い込んだり、立て続けに吸うとか・・・結局最終的に死神のお迎えが来るわけです。

 ここまでは家電具コーナー。次回は違うジャンルに移ります。
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和倉昭和博物館とおもちゃ館(その1)

2015-06-14 00:03:47 | 2015北陸新幹線で富山&石川
 和倉温泉街から少し離れたところに「和倉昭和博物館とおもちゃ館」があります。建物は新しく、2007(平成19)年オープン。館長さんが30年かけて収集した、昔懐かしい昭和のもの1万点展示。

 昭和30年代、日本じゅうのどこに行ってもよく見かけたミゼット。

 いつ頃だったかな??と確認してみたら・・・24年11月23日なので、もう3年前近く。本当に早いです。
 1ケ月前の10時打ちしてもらったときは、コンパートメント席(4人向かい合わせ)。進行方向に向かっての席を希望していたけど、瞬時に満席。
 出発前、東京駅で空席を確認すると、空席があったので「座席位置変更」。原本の磁気情報を引継ぎ、赤文字で「差無(差額なし) (2)」(2)はJR東日本発行。替えてもらったのはJR東海の東京駅なので、自社完結の(3- )になっています。

 秘境駅3位の小和田駅。1位はもちろん、JR北海道の小幌駅。小和田駅付近で転がっていた、ミゼット。1番上の写真と見比べてみると、ボンネット型だということも全く同じです。

 佐久間ダムが出来る前までは、小和田駅までクルマで往来できたのに、湖ができてしまった。そこに取り残されてしまったようです。

 昭和30年代の人間は小柄なサイズが多いせいか、運転席は少し窮屈。そういえば・・・映画の「ALWAYS 三丁目の夕日」でお父さん役の堀真一さんが東京タワー付近で暴れるゴジラを避けるためミセッドを運転するシーン出ていました。初上映は2005(平成17)年なので、あっと言う間にもう10年前か・・・。

 昭和30年代のタバコ。ハイライト、わかば、エコー、ゴールデンバットなどなど。調べてみたら、ゴールデンバットは1906(明治39)年発売、エコー、わかばも昭和20年代発売。現在も販売中。それらは3級品なので、価格も安い。1級品は自動販売機でよく見かける銘柄のもの。460円とか、高いもの。3級品は250円前後。
 1級品・・・上質の葉たばこを主原料に用い、精選した他の原料葉たばこと配合し、上級銘柄としての特色及び品位を保つように調製したもの
 2級品・・・上質及び中質の葉たばこを主原料に用い、選別した他の原料葉たばこと配合し、中級銘柄としての特色を保つように調製したもの
 3級品・・・中質及び下質の葉たばこを主原料に用いて調製したもの
 このように分類されています。タバコなんかクソくらえ!!という立場なのに、そこまで細かく知っているなんて変っ!!
 職場では敷地内も含め終日禁煙と定められています。ビルメンテナンスのおじさん達が休憩時間になると外で携行灰皿を持って喫煙。風に乗って事務室まで流れてくる。メンテナンス会社とは私の組織とは異なるので、上司をうまく使って注意。「この季節になると、窓を全開して仕事をしなければならないんですよね・・・ビルメンテナンスの方が外でタバコを吸われてると、風に乗って事務室に煙が入ってしまいます。受動喫煙になるので、おちおちしていられませんっ!!」。最高責任者の上司が「外であっても、公共施設の敷地内であることは変わりありません。喫煙はご遠慮願えますか」と外であっても大きく「敷地内は終日禁煙 (マーク) ○○○長」掲示。要は、敷地内を禁煙にさせた張本人は私であることは変わりないけど、これなら恨まれなくてすみます(笑)

 昭和の食堂。

 カレー、焼き飯、うどん、そば、かつ丼が定番。

 電気冷蔵庫のない時代、氷屋さんから大きな氷の塊を購入し、1番上に収納。下は冷やしたい食品や飲み物を入れていたようです。

 なんと!テレビも映っていました。今の地上デジタル放送ではなく、録画済みのビデオでした。地上デジタルも映っていたらすごいかも・・・。

 昭和30年代の居間を再現。

 季節は夏でしょうか。女の子用の浴衣。

 あちらは男の子用の浴衣。

 懐かしいものばかり。しかも新品のようで新しい。あの時代にタイムスリップしたかような気分。

 シャープ製品のテレビ。昭和31(1956)年製造、99500円っ!当時の高卒初任給は6000円。
 モニターは14型インチ、今の時代から見ると、とても小さいです。ブラウン管の14型テレビなんて、今は滅多に見かけません。リサイクルショップに行けば、「ジャンク扱い」として、1円とか山積みになって積んでいました。これらは地上デジタルでは見られないので、実質的に「欲しければどうぞ持っていって欲しい」でしょうか。
 我が家もずっと前に14型ブラウン管テレビを持っていました。まだ使えるのに捨てるなんてもったいないとリサイクルショップに引き取ってくれたときの査定額は「0円」。昭和30年代なら、目玉が飛び出すほどの価格なのに~(笑)

 ここは石川県。札幌や苫小牧とか、なぜか北海道モノが・・・。
 長くなってしまいました。まだまだ続きはあります。
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朝食も美味しかったでした~!!

2015-06-12 00:31:31 | 2015北陸新幹線で富山&石川

 朝ごはんも、豪勢でした~!!

 「ふく」も付いていました。下関では「ふぐ」とはいわず、「福」にあやかり「ふく」って言います。

 2日目の朝。この写真を見たとき、中央付近の少し左側に未確認飛行物っぽいのが映っているのに気付きました。最初はカメラのレンズにゴミがついていたから?と思い、次の写真を見るとそれらしきものはついていませんでした。
 UFOだったら、怖いな・・・と画像を拡大してみたら・・・

 ツバメちゃまでした。びっくりしました~!!

 朝食後は朝風呂。殿方は「ぽかぽか」。

 婦人は「ぷくぷく」。プクプクと聞くだけで、「太っている」を連想してしまいそう。漢字が「福福」だから、私の思い描いているイメージとは全然別のものです(笑)

 多田屋の玄関。ホスタビリティ抜群の旅館でした。石川あたりに来れば、また利用したくなってしまいます。ホスタビリティとはおもてなしの心を意味します。

 金沢方面に向かう途中、和倉温泉郵便局見っけ!!しかし、親は郵便局が趣味ではない。旅先からはがきを書いて、珍しい切手を貼って風景印・・・最低でも20分くらいかかる。クルマの中で待っていて、とは退屈すぎる。郵便局巡りが趣味だという友人と一緒なら間違いなく立ち寄る場所でした。
 郵便局から少し走らせたところに、何か見っけ!!「懐かしい昭和時代へ」という博物館っぽい建物でした。
 数年前から平成元年生まれの方が社会人として活躍、今年は平成6年や7年の新人さんが入っているし、現役で活躍する國鐵車両も減少。モノを大切にするJR西日本も大阪環状線に新鋭323系(2016年から)、國鐵車両宝庫の廣島支社も223系の後継、225系配備(2015年ダイヤ改正から酷鐵消滅)。昭和3、40年代に製造された111系や113系のさびたところにガムテープで補修するなど、古くてボロ車両を酷使。ボティは鋼鉄なので、國鐵ならぬ酷鐵。それで「昭和は遠くになりにけり」。薄れゆく昭和の記憶をもう一度しっかり見てみたいと思わず、ハンドルを切り、駐車場へ。

 続きは、後日アップします。
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和倉温泉・多田屋のディナー(その3)

2015-06-11 00:00:39 | 2015北陸新幹線で富山&石川

 これでもかというほど、また運ばれてきました。
 5月なので、春野菜とサーモン砧(きぬた)巻き。

 今度は、お食事の能登こしひかり、赤出汁、香のものが運ばれてきました。
 能登のお米はとても美味しくって、はまってしまいそうです。
 近所のスーパーで「富山米」があると、それをセレクト。富山と石川県の能登。地理的には近いから・・・。

 最後にデザート。
 食事開始から、ここまでおよそ2時間近く。どれも美味しくって、舌鼓を打ちました~!!

 能登のワイン。父と1本まるごと空けてしまいました。アルコール度数14%なので、1人400mlも!?そりゃ、酔いますね~(笑)
 このあとも、夜の温泉を堪能。目の前が海なので、潮の香りがほのかに漂います。
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多田屋の温泉

2015-06-10 00:32:42 | 2015北陸新幹線で富山&石川

 ここは和倉温泉の多田屋、天然温泉です。海に近いせいか、お湯は少ししょっぱい。山口県の油谷湾温泉の楊貴館も似たような環境です。

 爽やかな潮風を受けながらの露天温泉。
 これで千葉からの長旅の疲れが吹っ飛びました!!
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和倉温泉・多田屋のディナー(その2)

2015-06-06 00:00:00 | 2015北陸新幹線で富山&石川

 山菜小茶碗蒸し。

 煮物 桜蒸しと、目鯛西京朴葉焼き。

 今度はどれが来るんでしょうか・・・。

 中島菜うどん と、国産牛ステーキ。

 焼きたてを好みのタレにつけて・・・。
 19時から食事開始、この時点では、20時過ぎ。1時間半くらいの長~いディナータイム。まだまだありますっ!今日はこの辺で・・・。
 いつもの生活の拠点地を離れ、非日常的空間はメンタル面もリフレッシュ。
 うちの職場って、よく旅に出かける人と、滅多に旅しない人が二極分化。
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和倉温泉・多田屋のディナー(その1)

2015-06-03 23:44:31 | 2015北陸新幹線で富山&石川

 真っ先にテーブルに着席して、目に付くものです。

 おしながき。いろいろと細かく書かれていますが、運ばれてきたときに音声で説明してもらう代わりに、これが便利。必ず順番通りではないので、今のはこれです、と指差してもらいました。

 まず、鮮度抜群のお刺身。我が家はいつもどか盛りですが、ここでは上品な盛り付け。能登の旬魚の盛り合わせ。地魚、サヨリ。
 サヨリは千葉とかは滅多に見かけません。珍しい魚。
 すると、父が「山口の日本海では、今ならよく獲れていた」と。なるほど、ここでも山口と同じく日本海側。しかも、山口までJR西日本でつながっています。
 「和倉温泉 → 長門二見
  経由:七尾線・津幡・IRいしかわ・北陸・小浜線・舞鶴・山陰 ¥11,930
  5月 7日から 6日間有効
  和倉温泉駅@1発行 (4- )」 ←同じ西日本なので、他社絡みの「タ」は付かない。
(計算方法はIRいしかわ 連絡通過運賃込み 876.1キロ)の乗車券で、ず~~~っと鈍行で日本海を眺めながらの故郷まで汽車旅だったら・・・どのくらいかかるか気になります。
 800キロ以上1000キロ以内は6日間有効なので、もしかしたら6日間なのかも知れない。
 山陰本線は600キロ以上もあるローカル線、幡生から京都市内まで 経由:山陰 だけでも 9830円、5日間有効。(673.8キロ)
 山陰はほとんど漁師町なので、きまぐれで途中下車して、魚料理がたくさん出る旅館で泊まって・・・という旅もよいかも。

 
 
  
 
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和倉温泉・多田屋

2015-06-02 00:20:56 | 2015北陸新幹線で富山&石川

 和倉温泉駅からクルマで数分後、今夜の宿、多田屋到着~!!
 オンライン予約のため、特に私は聞こえないということは伝えていません。チェックインのときに私から筆談なので、フロント担当者も真っ先に気付いたのか、メモ用紙を用意し、筆談。多田屋はコミュニケーションリテラシーの高いところでした。突然、ろう者が訪ねられて、コミュニケーションができないっ!パニックになるところはリテラシーが低いところ。
 青ヶ島村は日本一ミニ自治体だというのに「聞こえない人=筆談または手話を知らなくてもそれに近い身振りを要す」と認識しているのか、リテラシーは高いほうです。だから、何度も訪ねたくなってしまう島。

 担当してくれた仲居さんも、メモ用紙と書くものを用意してお部屋にあがってくださいました。
 希望する夕食時間や朝食時間の確認や、非常口の場所や、お食事処、温泉のところなどなどの説明。
 「ほかにお尋ねしたいことはございませんか?」
 「今日の日没時刻は?」
 「18時40分ですが・・・今日はあいにく雲が出ておりまして、夕陽は難しいです」
 よく晴れた日なら、真っ赤に染まるはずなんですが・・・今日はご覧とおり。眼下に広がる、石川県の七尾湾。

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和倉温泉駅発行

2015-05-31 00:05:53 | 2015北陸新幹線で富山&石川

 窓口の担当は、若い女性の駅員さん。先客の時刻表調べに長く待たせてしまったことに「お待たせしました」と平謝り。大威張りの親方日の丸の國鐵ではなく、お客様の視点に立ったJR。
 1個下の記事でJR西日本さんといろいろと話し合いましたが、故郷の山口県はJR西日本なので、愛着のある企業であることは変わりないです。もちろん、北海道から九州までも、そう。
 えきねっとで予約した切符はあっという間に発券。
 今度は乗車券。えきねっとで発券した新幹線特急券は金沢発なので、乗車券も金沢発。

 今度は、これ。東京からのグリーン券。
 駅員さんはJR西日本なので、首都圏の列車のことは熟知しているわけではなく、操作に悪戦苦闘。
 東京 蘇我   B自由席特急券  自由席グリーン券 などなど画面に項目らしきものが出ているのに、B自由席特急券しか出せないと。
 画面を見たところ、経由を 東京‐蘇我 (京葉線)を選択して、グリーン券を出そうとしていたことが判明。
 「あのー、京葉線ではなく、経由候補2の東京‐千葉‐蘇我の総武線です」と指示。
 私はJR社員でもないのに、マルス画面を見て、指摘すること何度か・・・。
 東京都区内など大都市近郊区間内相互発着となる乗車券はマルスが自動的に最短距離になるような「経路補正」されます。自動的に経路補正されると、東京都区内を出て、再び東京都区内に戻って、千葉となると「エラー」。
 「補正禁止」を出して、経路通りに入力すると指示したところ、すんなり発券・・・という過去のケースも。
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雨晴駅の次はいきなり和倉温泉駅っ!?

2015-05-30 00:30:43 | 2015北陸新幹線で富山&石川
 雨晴駅で目的地を「和倉温泉駅」にカーナビ設定。最短距離で案内されたところは、くねくね曲がったところでかなり山を越えなければならない。
 途中で氷見市の市街地。氷見線の終着駅、氷見駅に寄るべきだけど、今回はクルマなのでスルー。みどりの窓口があるが、JR東日本で予約したえきねっとの受け取りは不可。和倉温泉駅なら、えきねっとの受け取りは可能だ。
 氷見駅に近い市街地では、ほとんどがシャッター通りになっていました。氷見市の活性化も見られなくなってしまいました。地方都市の駅前はどこでもそうなんでしょうか。クルマ社会になり、郊外に大型ショッピングモールが相次いで出来ているので、そこに住んでいる方がいっせいにそっちに行ってしまう。駅前の商店街は売り上げが減ってしまい、閉店に追いやられてしまったのではと思います。千葉県の木更津駅前もそう。三井アウトレットパーク木更津やイオンモール木更津、アクアラインの800円効果がすさまじく、出口の金田地区開発で新しい店舗の開店が相次ぐようになりました。古くからあった駅前の商店街に人が集まらなくなり、寂れてしまう一方。

 ここは今夜の宿の近く、和倉温泉駅。JR西日本の七尾線。ここからはえっと何という鉄道でしたっけ・・・穴水までは「のと鉄道」になります。もともとNHKの朝の連続ドラマ「まれ」のロケ地、輪島までつながっていたのに人口減少に伴い廃線。
 和島温泉までは周辺の温泉宿も多く、利用者も見込めるので、ここまでは鉄路存続。和倉から輪島方面はJRとしての経営は撤退し、第三セクターに。

 和倉温泉駅は、みどりの券売機がなく、窓口で対面。予約した時に使ったカードを差し出すだけでワンタッチ発券のはず、前の人がつっかえていて、なかなか私の番にならない。15分くらい経過。しびれを切らし、何をしているんだっ!?と真後ろで様子を見たら、なんと!!駅員さんに時刻表を調べさせているんじゃないですかっ!発券乗務に手間取るなら、まあ、目をつぶすが、時刻表くらいは駅備え付けのものがあるから、自分で調べろーっ!!!と足でバタバタさせ、無言で退かす作動。後ろで怒っているのに気付いたのか、撤退。駅員さんも後ろでお待ちのお客様もいらっしゃいますので・・・と言えばよかったのでは。

 JR西日本標準の駅名表。都道府県名、市町村名は付かないが、七尾線だけは小さく( )で石川県七尾市 と表示。駅名票に市町村名が入っているJRは東海と四国の2社のみ。平成の大合併で市町村名変更が相次ぎ、東海と四国は新しい表示に付け替える作業が大変だったのでは・・・。
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氷見線・雨晴駅(その3)

2015-05-28 00:00:26 | 2015北陸新幹線で富山&石川

 ここは雨晴駅全景。厳密に言うと、富山県高岡市内にあります。氷見線は富山湾の沿岸を走行する路線なので、キハ40や47の海側座席に座ると、光風明媚な風景が見られます。
 山口県の山陰本線、宇賀本郷から長門二見の間も、日本海側のブルーライン。子どもの頃から毎日のように通学でそのような風景を見せつけられてはうんざりしてたほど。しかし、今となっては本当に懐かしいです。汽車に乗りながら眼下に青ヶ島の高台から見下ろせる風景と同じように青々しい風景。至福の一時じゃないですか。今から4年前の2011年3月、山口の故郷へ帰ったときの動画をアップします。海は夕方撮影したものなので、海の色がはっきりしていませんが、よく晴れた日だとすごく青々しく輝きます。もしかしたら、故郷つながりで青ヶ島が好きになってしまったかも知れない??


 踏切を渡るとすぐそこは海岸。

 んー??今日は快晴ではなく、雲がかかっています。

 ここからは立山連峰が見えるはずなんですが・・・

 なかなか見えないので、仕方がなく、カメラのズームアップ。辛うじて見えました。

 小さな島。

 見えにくかったので、これで我慢しました。

 立山連峰から昇る朝日もすごいらしい。
 せっかくここまで来たのに、見えないじゃん!!とブーイングする方が多くなってきたため、雨晴駅も苦肉の策。苦肉の策というよりも「はかりごと」かな。

 今日のような絶景が見られない日もあるかも知れませんので、駅舎内の写真展で我慢してください、ってことですね。
 この写真を見て、雨晴駅の満足度は100に達しました!!
 そもそも、氷見線と城端線はどちらも行き止まりの盲腸路線なので、北陸新幹線開通に伴い、廃線にしようとJR西日本は考えていたそうです。沿線住民がなんとか存続させようと運動を起こし、観光客誘致のため、氷見線にハットリ君をあしらった汽車を走らせようといった工夫もありました。
 氷見市はどらえもんやハットリ君、おばけQ太郎、パーマンなど小学生向けの漫画家、藤子不二雄ユニットの安孫子さんの出生地です。
 同じく、JR西日本の境港(さかいみなと)線もゲゲゲの鬼太郎の漫画家、水木しげるさんの出生地なので、鬼太郎とその仲間たちをあしらった鬼太郎列車運行中。
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氷見線・雨晴駅(その2)

2015-05-27 00:05:19 | 2015北陸新幹線で富山&石川

 これは・・・雨晴駅の中にあった、展示。駅の少し離れたところにご覧のような景観が見られますっ!!
 「雨晴」(あまはらし)という地名は源義経が奥州へ落ちのびる途中、にわか雨の晴れるのを待ったというのが由来になっており、お天気回復によい縁起切符として、入場券が売れたそうです。しかし、今は薄っぺらのレシートタイプなので、購入する気なし。今も昔ながらの硬券入場券があったら、それを購入してホーム探検するつもりでした(笑)
 ここでも青ヶ島に関係ありそうです。「雨 晴 → 船 引 経由:氷見線・あい風とやま・富山・新幹線・大宮・新幹線・郡山・磐越東  ¥9,650(610.8キロ)」が青ヶ島にとって縁起切符。
 あまはらし(富山県) から ふねひき(福島県) 。「雨も晴れて、お天気も回復し、三宝港に船引き入港」。
 あいの風は、もともとJR北陸本線でした。新幹線開業に伴い、在来線は第三セクターに転換。しかし、みどりの窓口のマルスは「あいの風とやま鉄道」として、収録。経由欄の印字は「あい風とやま」と省略。
 まだまだ続きはあります。雨晴駅だけでも、長すぎる!!(笑)
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氷見線・雨晴駅(その1)

2015-05-26 00:00:00 | 2015北陸新幹線で富山&石川
 氷見線は高岡駅から氷見駅までわずか16.5キロ、わずか8駅。山口県の山陰本線と同じく国鉄キハ40、キハ47運行。キハ40は去年の小幌旅以来、ずっと乗っていません。JR四国は国鉄車両が淘汰され、土讃線や牟岐線は新型のディーゼル。キハ40や47は子供のころ通学によく乗っていて、かつ山口県の山陰本線では今も現役。懐かしさもあり、氷見線に乗ってみたいなという気持ちはありましたが、今回はレンタカーなので、乗れず。残念。

 雨晴駅の改札口。ホームに入ろうとしたら・・・

 入場券を購入してくださいという張り紙が・・・ということは、有人駅っ!?

 簡易委託駅なので、駅員さん駐在。

 入場券は車掌さんの携行する小型POS端末でした。無人駅の多い路線で車掌さんが車内を巡回し、乗客から申し出があったときにその場でレシートのような乗車券を発行。特急の自由席に駆け込み乗車して、車内で自由席特急券を購入するなどでよく見かけます。携行POS端末で、JR全線全駅のどんな駅からでも購入可能なのか、検証はまだしていませんが・・・。
 雨晴駅で「抜海から南稚内まで1枚」ってなかなか言えず。えきねっとで変な駅から変な駅まで事前予約しておき、自分で券売機を操作して発券する方法は平気だけど、対面販売だと「抜海から南稚内なんですか?それって北海道なんでしょ?」なんて思われるに決まっている。原則として雨晴駅からを発駅とする乗車券を発券することとJR西日本から指導されているかも知れない。

 車掌さんの携行POS端末を見て、ずっと昔のことを思い出しました。

 山口県の小野田線、雀田駅も簡易委託駅。雨晴駅と同じく携行POS端末設置。10年08月08日と印字されていますが、2010年ではなく、今から17年前の平成10年。感熱紙でも印字状態は良好。

 小野田線本山支線のわずか2.3キロ、国内で最後まで最古参のクモハ42が活躍していたところです。山手線にウグイス色の101系電車が導入された昭和32(1957)年に山口県の宇部電車区に転属。小野田線本山支線専用車になったのは、昭和56(1981)年から。2003(平成15年)3月14日まで活躍。

 昭和8(1933)年生まれ、平成15(2003)年引退。車歴70年。まだまだ動けるはずなのに、もしも、故障したときの部品調達ができない理由で廃車。さようならクモハ42のオレンジカード、なぜか持っていました。記念に発売されたのは2003年3月なので、あっという間に12年前。
 今の時代、IC交通系カードが主流になっており、オレンジカードを受け付けてくれる券売機も減少。幸いにもJR東日本の首都圏ではオレンジカード、イオカード、ICカードすべて使えるが、JR北海道や四国の新型券売機はオレンジカードが使えなくなっています。JR北海道や四国がJR他社で使ってもらうように観光客にあれほどたくさんの図柄を発行しておきながら無責任。郵便切手は昭和20年代に発行された円以上の切手なら現在も有効な有価証券だが、磁気タイプのオレンジカードはどうよ?

 さようならクモハ42の台紙にあった写真。ずっと昔、乗りに行ったとき、乗り心地が如何にも吊り掛け駆動方式なので、今の電車と全く違う。吊掛けの構造はよくわかりませんが、明治時代に開発された、電車の古典的な駆動方式なので、モーターの音がうるさくて振動もすごいです。初めて乗ったときはあの乗り心地にビックリするとともに、昔の電車はこうなのかと衝撃を覚えたのは確かです。
 雨晴駅の携行POS端末を見ただけで山口県の小野田線本山支線に脱線・・・。次の記事は、ちゃんと雨晴駅周辺の観光をアップします。

 
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