東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

韓国旅行 No1

2005-09-30 22:45:00 | 日記・エッセイ・コラム

今回は羽田空港の国際線ターミナルからの出発。国内線の第1ターミナル、新しく出来たばかりの第2ターミナルは大規模なビルだが、少し離れた国際線ターミナルは地方空港のようで小さな建物。成田空港は出国手続き、手荷物検査に時間がかかったりするが、羽田はあっけなく終わってしまった。

座席は窓側を指定しておいたので、どこを通っているのか推測することができた。

飛行機が離陸するとまもなく富士山頂の付近を通り、富山か福井の海岸を抜け、日本海上。あっという間に韓国の陸地が見える。韓国の南北を縦断し、羽田を発ってから2時間15分後に金浦空港に到着!!

飛行機のタラップから降りると、キムチの香りがほのかに漂う。韓国に長時間滞在すると、においがわからなくなるが、日本の空気から韓国の空気に切り替える瞬間だけはキムチの香りがするのだ。

ponsukk 空港の出口で友人と待ち合わせ、それから市内へ。といっても、金浦空港は???(江西区 kangseo-ku)なので、数分後に友人の家だ。

「ひぇー!あまりにも近すぎる!!」

韓流ドラマ漬けの毎日、ドラマに出ている街並みや人々、部屋の中(オンドル式)とかを目にすごく焼きついているせいか、1年ぶりの韓国だというのに新鮮な気分はあまりなかった。明日への「みなぎ」のため毎日1話ずつ家族と見ているから、頭の中はもう韓国人と同化しているのかなあ!?(笑)

今日の昼ごはんは・・・・韓流のお店へ。友人はどの店がおいしいのか把握しているので、地元では知られているお粥専門店へ。朝鮮人参と鶏肉の入っているお粥がお勧めだというので、それにした。滋養満点だし、キムチも何回もおかわりもできる。

wontangtoso 今度はソウル市の北部にある高陽市(??? koyang-shi)の友人宅に向かう途中、高陽市立元堂(?? Wondang)図書館へ。

toso1 外国語コーナーに日本語学習者向けの本が色々・・・。手話の本をカウンターの端末で検索してみたら、何数冊があるが、書架にあるのは3冊だけ。

背ラベルの請求記号は379。日本十進分類法で手話関係なら378。なんと同じじゃん!?韓国手話といっても、日本とほぼ同じなので、手話の写真を見ただけで意味がわかるので、ハングルの単語も同時に覚えられる。一石二鳥ってことかな・・・?(笑)

貸出は1人3冊まで2週間。長期延滞で返却がなければ、貸出禁止というペナルティ付き。開館時間は一般図書室8:00~22:00、資料閲覧室は9:00~18:00。休館日は隔週月曜日、祝日。

zimusho 韓国ろうあ者協会城北支部の事務所内。鞄、衣服などの工場もとなりにある。

私が韓国人に間違われたらしく、何だかの仕事の話のようだ。「私は日本から来ました」と話すと「えっ!?日本人!?何でここに来たの?」「友人に連れられてここに」友人は日本人に合わせてゆっくり話してくれるが、ここは本物の韓国手話を早いスピードで動かしている。一部読み取れないところがある。日本にない韓国手話を友人から少しずつ教えてもらっているところだ。(笑)

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最後の夏休み・・・韓国へ

2005-09-26 01:01:00 | 日記・エッセイ・コラム

ana 買い物に航空会社のクレジットカードで支払いをすれば、マイルが貯まっていき、15000マイルに達すれば、稚内から沖縄までの国内線全路線と羽田~金浦、成田~仁川線の往復が無料になる。

同じ15000マイルを使うなら、国内線より国際線の羽田~金浦線のほうがお得なので、友人にMSNビデオチャットで「26日から遊びに行っていいのかな?」とアポントを取り、ネットで航空券をゲット。

パソコンにWebカメラを取り付けただけで国境を越えてリアルタイムで会話ができる便利な時代になったものだ。韓国手話は日本手話とほぼ共通なので、ハングルを知らなくても日本人のろう者と同じように会話ができるのだ。

両国の国内線専用空港同士の発着便、羽田~金浦間にANA、JAL、大韓航空、アシアナの4社が参入しているので、韓国行きとはいえ、まるで国内旅行のようだ・・・。

韓流ドラマでお母さん役の俳優が驚いたときに「オモオモ」「オモモモ・・・・」と発音しているが、「あらま~」や「あらあら」(日本語字幕)というニュアンスになる。

どこかの本で見たけど、韓国語を覚えたての聴者の男性が韓国に行ったとき、驚きの気持ちを表現するため「オモモモ・・・・」と発音。それでまわりにいた韓国人の目が点に。

韓国のろう者女性が「オモオモ」と言うのを見かけたことないし、日本のろう者女性も「あらま~」という言葉をあまり見かけない。日韓聴者文化のずれだけど、面白いなあと思った。(笑)

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埼玉県の中に東京都練馬区!?

2005-09-25 03:10:00 | 日記・エッセイ・コラム

東京都の最果て地といえば、日本最南端の沖ノ鳥島、最東端の南鳥島を思い出すが、23区内にも珍しい最果て地があるという記事を見つけました。

東京の果て

私的旅人

埼玉県新座市片山2丁目の中に「東京都練馬区西大泉町」があります。西大泉1丁目から6丁目ありますが、ここだけは「西大泉町」として独立しているみたい。東京の果てホームページの拡大地図をよく見たら、真四角ではなく、2軒だけ埼玉県にはみ出し、両隣の家は埼玉県。6軒だけ東京23区の市外局番、03になっているのだろうかと思ったら、埼玉の048になっていました。ゴミの出し方も学校の通学地域も異なるらしいです。

なぜそのようになったのかは真相は未だに不明だそうです。

URAROUT のホームページも面白いので、是非アクセスしてみてくださいね。

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これからの季節にお勧め!東京都最西端・檜原村

2005-09-24 23:10:00 | 日記・エッセイ・コラム

伊豆七島、小笠原をのぞき、本土内の東京都にただひとつ残された村~西多摩郡檜原村~

hinohara2 私が東京の多摩地域に住んでいた頃、休みの日によく奥多摩路に通っていた。四季の中で1番美しいと思ったのは、秋の紅葉シーズンと初夏の新緑シーズン。

去年の秋、韓国でお世話になっている友人が来日、わが国の文化をまるごと凝縮した、東京都最西端の温泉「たから荘」へ。

清らかな秋川源流のせせらぎ苔むす原生森を背にかぶと造りの重厚な棟が数馬の大自然に融合する。500年の歳月を経ても変わらぬ風情は心温まるなつかしいふる里の香り。(たから荘のパンフレットより)

部屋からは美しい紅葉の風景が見られます。

hinohara1 自然の味そのままに四季の味、渓流の味(季節により、鮎またはやまめ)などが盛りだくさん。小さなお皿に何十品もあるので、少しずつ味わっていくと満腹になります。

hinohara3 今度は初夏の新緑シーズン、両親を連れてまた「たから荘」へ。両親もいろいろな、ふるさとの夏の味覚と御膳にびっくり。

韓国の友人も両親も四季の味覚がする食事と森の香りがする温泉がお気に入り、四季を通して何度も訪ねたくなるリピーターの地に選ばれました。

たから荘 190-0221 東京都西多摩郡檜原村2465番地 TEL042-598-6001、FAX042-598-6139 アクセス方法は 中央道 八王子ICから国道411号線→五日市街道→檜原街道42キロ、およそ1時間半。上野原ICから檜原方面だと27キロなので約40分。

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韓国人も行けるオドウ山展望台

2005-09-23 01:59:57 | 日記・エッセイ・コラム

korea7 2002年12月、某焼肉屋で「韓国旅行プレゼント」に応募。どうせ当たらないのだろうと思ったら、「おめでとうございます。韓国旅行プレゼントに当選しました」と手紙が来たときは本当にビックリ!無料で韓国に行けるなんて思わなかった。真冬の2月15日から18日までソウルへ。

korea8 さすが韓国。プルゴキだけを注文したのに、キムチ、ナルム盛り合わせとか次々と食卓に運ばれてくる。しかも無料~!

korea9 日本のJR駅だと改札口に入り、各方面のホームに進むわけだが、ソウル駅は各方面ごとに改札口。「??? 京義(キョンウィ)線」の文字を見つけ、改札口近くのキップ売り場で「??(金村)」と書いたメモを渡し、キップを購入。およそ35キロで運賃は1300ウォン(130円)。山手線の初乗り運賃で35キロも乗れるとはね・・・。金村と書いて、読みは「クムチョン」。

今年の1月、鉄道庁から鉄道公社に改組され、国鉄線ではなくなった。2003年当時のキップは昔ながらの硬いキップだったが、公社に変わってからはみどりの窓口みたいに乗車券発行機に変わったみたい。

京義線のホームに下ると、臨津江行きのディーセルカー。日本のローカル線の雰囲気によく似ていた。1時間揺らされると、オドウ山展望台の最寄り駅、金村駅に到着。ローカル線とはいえ、沿線に高層アパートが乱立している風景をよく見かけた。

駅からタクシーでオドウ山展望台の入口で下車。そこから無料のシャトルバスに乗り換え、オドウ山展望台へ。

korea11 臨津江と漢江の合流点の中州はおそらく韓国領、その先は北朝鮮。離散家族の方がここに訪ね、北朝鮮を眺めながら涙することもあるそうだ。

今回は残念ながら霧がかかっていたが、霧のない日は町並みがハッキリ見えるそうだ。2月16日といえば、金正日総書記の誕生日。望遠鏡で覗くと、無数の北朝鮮国旗が掲揚しているのが見えた。家や学校、アパートなどの建物が見えるが、人が歩いているとかは全く見えない。必死に探すとやっと自転車に乗った人を見かけた。

korea12 展望台の下に資料館があり、北朝鮮から取り寄せた生活雑貨品、薬品、衣服、文房具などが展示されている。学校の内部、一般家庭の内部なども再現しているコーナーもある。どれも昭和30年代のレトロっぽい商品。部屋の中に必ず金日成主席と金正日総書記の肖像画が掛けられている。地下鉄の車両も1両ごとに掛けられている。粗末に扱うと不敬罪に問われ、強制労働所に連れて行かれるみたい。

人民も必ず心臓部付近に肖像バッジをつけなければならないそうだ。

korea14 一般家庭の内部を再現したコーナー。オンドル部屋になっているのは、南北共通。テレビはほとんど日本製。メーカーの上に北朝鮮の社名シールで覆っている。カレンダーの年号は主体(シュチェ)。金日成主席誕生日を主体元年とし、今年(2005年)は主体94年だ。

korea13 北朝鮮の教科書。紙質が劣っていた。国語や算数の教科書に「???(南朝鮮)」の文字が入っていたが、これはほとんど韓国に非難する内容らしい。

その見学が終わった後は帰ろうと思ったが、タクシーやバスがない!!食堂のおじさんに「金村駅行きバス、どこ?」と聞いてみたが、身振りで「2時のがあるよ、あっち、出たところ」。バス停留所らしい場所もないし、時間になってもバスがなかなか来ない。

駐車場から見学を終えた人が次々と出て行くから、「車に便乗してもらおうか」と旅行に役立つ韓国語の本から例文を拾い、ハングルで「金村駅方面行きますか?乗せてください」と書き写した紙を見せるが、「ノー」「金村駅行かない」「うーん、ミアンネ(ごめんね)」と否定的な動作。

金村駅方面の道端でヒッチハイクしたが、次々と通り過ぎていく。やっと止まったかと思ったら、「金村駅はね、えーっと・・・・」と地図を描いてくれた。「歩いていけって?」「いやー乗せてくれない?」「私は違う方面だからダメ」

今度は若い青年の車だ。よく見たら、駐車場で断られた青年。行く手もなく困り果てていた私たちを見かねたのか、「乗せてけ」と身振り。ありがたく乗せてもらった貴重な思い出がある。(笑)

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韓国と北朝鮮の国境 ???(板門店 パンムンジョム)

2005-09-21 23:14:13 | 日記・エッセイ・コラム

私が小学生頃、新聞記事で「板門店」という文字を目にしたときは、何かのお店かと思っていた。うろ覚えだが、韓国と北朝鮮の兵士がお互いににらみ合っている場所としか記憶にない。

私の母も釜山近郊の馬山(マサン)生まれ、「戦争に負けると日本が朝鮮半島を手放したため、私たち家族は荷物を抱えながら日本行きの船に乗って帰ったのよ、たまたま日本に近い釜山だったため、引き揚げに苦労しなかったけど、38度以北に住んでいた日本人は逃げ遅れたりしてとても大変だったみたい」と教えられたことがあり、朝鮮半島に興味持つようになった。

2002年6月、たまたまソウルの旅行社で「板門店ツアー募集」のポスターをみかけ、申し込んでみたが、「その服装では行けません。ワイシャツにズボンで来てください。今日は出発しましたので、明日以降になります」と断られてしまう。

これに懲りず、3ケ月後の9月、またソウルへ。事前に予約を済ませたことだし、準備も万全。受付で「あなたたちはろう者!?そこで座って待って」とぶきらっぽうな態度。ほかの観光客はバスに乗っているのに、私たちはそこで待っていろと言うのか!?じゃ、乗っていくわと黙ってバスに乗車。

同じ旅行会社だというのに、受付嬢はぶきらっぽう、バスガイドさんはとても親切。音声日本語によるガイドが終わったあとは丁寧にメモ用紙に書記日本語でガイド。その差は何だろう!?

ソウルから約1時間、検問所をくぐると兵士さんがバスに乗り込み、パスポートチェック。「このあたりは民間人統制エリアなので、そこの住民は農作業に従事しており、納税義務はありません。外出できるのは日の出から日没まで」と説明があった。

キャンプ場に着き、板門店に入る前の説明と「板門店で何か起きても命の保障はしません」と誓約書を書かされる。「北朝鮮側に指を差したり、大声を出したり、手を振ったり、北朝鮮兵士に何かのサインを送ってはいけません」とガイドさんに注意されるが、友人同士の手話は大丈夫とのこと。ここでも手話禁止だったら、堪らないだもの・・・・。

専用バスに乗り換え、停戦会談場へ移動。

korea1 北朝鮮側のゲストが会談場で見学中だということもあり、韓国側からのゲストは自由の家でしばらく待機。目の前に北朝鮮の建物、「板門閣」があり、そこに行きたければ、中国かロシアを経由しなければならない。鼻の先にあっても、韓国→中国かロシア→北朝鮮の遠回りしなければならないのだ。なんと理不尽な・・・。

「北朝鮮側の見学が終わったので、どうぞ」と南北兵士同士がお互いにコミュニケーションしているわけではなく、目視で帰ったことを確認してから、今度は韓国側の番。

korea3 韓国兵士が建物の中に異常はないかと確認したあと、国境線をまたぎ、中央付近の窓側と北朝鮮側の出入り扉に配置。サングラスをかけた兵士がろう人形みたいに直立。北朝鮮兵士と視線が合わないようにサングラスをかけているみたい。

準備OKという合図が入ると、ゲスト一行は会談場の中に入り、国境線をまたぎ、左目は韓国、右目は北朝鮮という国境ごっこをやったり、5分間写真撮影をやったり・・・。この建物は国際連合の所有なので、建物の中はどちらの領土のものではないそうだ。北朝鮮側の扉から一歩でも出ると、北朝鮮への不法入国になり、亡命者として平壌に連れて行かれるかも。そのため、亡命者が出ないように韓国兵が慎重に警備している。2002年9月といえば、拉致被害者の日本人(蓮池夫妻、地村夫妻、曽我さん)がまだ平壌に住んでいた。北朝鮮側の扉からは陸続きで(彼らに)繋がっていたのだ。

korea4 1976年、韓国領に生えたポプラの木が邪魔で北朝鮮兵士が切り倒したのが発端で止めに入った韓国兵が殺されたという事件が起きた。コンクリートで国境線を定め、両国の兵士が南北を自由に出入りできなくなった。

korea5 足を大きく上げながら歩く北朝鮮兵士が定位置につくシーンを目撃!銃砲から身を守るため、建物の半分に身を潜めながら北朝鮮を監視しているのは韓国兵。停戦から52年経過しても365日24時間体制で警備をしているわけだが、もともと同じ民族だし、お互いに敵意を抱くのも人情的にうんざりしているはず・・・。夜中になると両国軍が仲良くお酒を酌み交わすという映画のJSAに出ているけど、実際はどうなんだろう??

korea2 映画JSAにも出ている、有名な橋。1953年の休戦以後、この橋で捕虜交換が行われた。捕虜交換の時、南か北かを決めたら2度とこの橋を渡って帰ることができないという理由で「帰らざる橋」とつけられた。

軍事境界線・板門店 というホームページに韓国側から訪問と北朝鮮側からの訪問のレポートが書かれてあり、北朝鮮側は韓国みたいに服装とか細かな規定もなく比較的に自由だとか。

北朝鮮に旅行すると、監視員付きで必ず板門店観光ツアーもセットされているので、強制的に連れて行かれるみたいです。それにしても20万とか30万もするのはね・・・。貧乏な私にとっては「近くて世界の中で最も遠い国」、手の届かないところだ。

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デフアート フェスティバル2005 in Yokohama

2005-09-19 23:50:22 | 日記・エッセイ・コラム

デフアート フェスティバル2005 in Yokohama

聾ろうロウ デフアートフェスティバルとは?
 「聾ろうロウ デフアートフェスティバル2005」は絵画、写真、演劇、映像などを通じて聾者による多彩な表現と聾文化に対する社会的理解を関心を高めることを目的とした、聾者運営による芸術祭です」(パンフレットより引用)

日時:2005年11月23日(水・祝)~27日(日)
場所:横浜ラポール

詳細はホームページをご覧になってください。

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9月に見た映画

2005-09-18 23:22:52 | 日記・エッセイ・コラム

四月の雪」(韓国)

韓国の映画だから、何となく行ってみました。県央の千葉より外房の小さな街にある映画館のほうが駐車無料になるので、そっちに行ってみた。

きらびやかなおば様達の大行列、なるほど今月1日、ヨン様とイェジンの宣伝挨拶で来日したときはおば様達が殺到したという新聞記事でにぎわっていたし。

海外映画は日本語字幕が必ず付くので、事前にストーリーやレビューなどを調べず、映画館で楽しむのが私のポリシー。

そういえば、その映画、一緒に小笠原に行った友人によく似ているヨングク(本名はリュウ・スンス)が出ているので、期待してみたが、がっかりしました。

その映画、「不倫」をテーマにしているらしく、既婚の夫婦2組がいて、現場監督の仕事をしているヨン様に妻が交通事故に遭ったという連絡が入る。病院に駆けつけると、事故に遭遇した車はイェジンの夫も同乗していたという。つまり、不倫して事故を起こしたということ。配偶者に裏切られ、やがて、ヨン様とイェジンがお互いに愛してはいけない相手を恋してしまう・・・という内容。のどかな田舎の風景、心の中の葛藤をうまく演技で引き出している。しかし、最後のところが中途半端で終わってしまったという感じ。

イェジンの夫、事故で意識不明、医療器具で顔を覆っていたので、最初は誰なのかわからなかった。葬儀の遺影写真でやっとヨングクだとわかった。ヨングクは最初から最後までセリフなし。彼はDプロ主催の「手話語りを楽しむ会」で優勝したこともあり、人を笑わせる特技を持っている。そういう映画にコメディ系を得意とする役者が出ていても、つり合わないからもの言わぬの役者になったかもな・・・と映画館を後にしました。

ヨン様主演の「冬のソナタ」「ホテリアー」、イェジン主演の「夏の香り」のほうがず~っとよかった。今回の映画で2人のイメージが・・・・ (ーー;) 夏の香りに出ているイェジンのほうが純粋な少女でフローリスト(花屋さんの活花を飾る職人)のほうが爽やかな役柄なのに。

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韓国の終着駅・都羅山駅

2005-09-16 23:48:41 | 日記・エッセイ・コラム

猛暑続きでしたが、昨日(9月15日)を境目に急に秋らしい季節に変わってしまいましたね。わが家もアイスコーヒーからホットコーヒーに切り替えです(笑)

日本一の秘境駅をブログに書きましたが、今度は韓国の秘境を書こうと思います。

まず、歴史を簡単に紹介。1910年、日韓併合条約で今の北朝鮮と韓国に相当する地域の朝鮮半島が日本の領土になる。その条文に「朝鮮の統治権を完全かつ永久に大日本帝国に譲渡する」と書かれている。

1910年から終戦の1945年までの35年間、朝鮮半島は日本の所有になり、ハングルの使用を禁じられたり、日本の姓名を名乗るように強要。日本人による釜山から京城(ソウル)間の京釜線、ソウルから新義州(中国の国境近くの北朝鮮)までの京義線などの鉄道敷設。

終戦後、朝鮮半島を解放し、38度を境に南は資本主義陣営のアメリカ軍、北は共産主義陣営のソビエト軍が駐在。北から南を攻めたのがきっかけで1950年6月25日に朝鮮戦争勃発。一時は釜山まで陥落したことがあり、アメリカに応援を依頼し、よりを戻し、38度でストップ。映画のプラザーフッドで見たとおり、さらに北上し、平壌を占領。その頃、中国軍からの応援が来て南北が逆転し、再び38度で止まったところ、1953年に休戦宣伝調印。

あれから52年経過してもまた戦争が終わっていない状態。そのため、韓国民の成人男性は必ず2年か3年の徴兵義務が課せられ、兵隊に行くことになっている。映画のプラザーフッドで「兵隊に行けないのは肢体障害者、目が見えない者だけだ!」というセリフが入っていて、「ろう者も兵隊に行ってたのかな?」と韓国の友人に聞いてみたところ、「うん、昔はろう者といっても、手足があって見かけでは普通の人とは変わらないから徴兵義務があった。しかし、銃声が聞こえず、戦死してしまったろう者が多かったため、今は徴兵検査でろう者だと判明すると免除される」とのこと。

朝鮮戦争が原因で南北に離散されてしまった家族の方もいらっしゃるそうです。

北朝鮮とはどんな国だろうか、報道写真やテレビの映像よりも、この目で確かめたい。しかし、旅行代1人30万円とか、北朝鮮に入国するには、第三国の北京(中国)やロシア(ウラジオストク)でビザを取得してからでないとダメだとか、手続きがすごく大変だし、自由行動もできず24時間体制で案内人兼監視員付き添いになるとか・・・。それで韓国側から北朝鮮がよく見渡せる場所に4回も訪ねてしまいました。02年9月、03年2月、03年7月、03年12月・・・。なんだこりゃ、03年に3回も!?去年からは韓国の友人に「君は何であの場所に行くのが好きなのかね、2度と行くんじゃないぞ!」と止められてからは行っていません(笑)でも、北朝鮮に行きたい・・・。そりゃ、もし、私が韓国人になったとしたら、外国の友人を敵地の国境近くに行かせたくないという気持ちになるのだろう。

dorasan 03年12月、南侵第三トンネル&都羅山駅ツアーに参加したときの写真。

南侵第三トンネルとは北朝鮮がソウルを奇襲させる目的で国境線の地下をトンネルのように掘られ、1978年に発見。トロッコに乗り、地下320mのところに降り、しばらく歩くと突き当たりに有刺鉄線で覆われた国境線のコンクリート。コンクリートといっても、小さなドアがついていて、ドアの隙間から北朝鮮の明かりが見えるのです。まるで「どうぞご自由に南北を往来してください」とドアがついているかようで、「立入禁止だ」と有刺鉄線。疑問の残る矛盾な光景を目にして、首をかしげながら帰ったのだ。写真でも撮って載せようかと思ったけど、トンネルに入る前、「持ち物は全てロッカに預けること」という指示があり、画像はありません。残念・・・。

dorasan1 都羅山展望台から望む北朝鮮の開城市風景。 望遠鏡で覗くと、北朝鮮軍人の訓練シーン、金日成主席の銅像が見えるわ、朝鮮人の庶民生活の垣間見られ、興奮していると「さあ、バスが出るので、早く乗ってください」とガイドさん。写真を撮ろうとしたら、今度は「ここのラインからは撮影禁止です!もう少しさがって」。さがると、風景がカメラに収まらず、両手を上に伸ばし撮影。おじさんが邪魔ですな~。「もう少しゆっくり観光させろよな~」とそう思いながらバスへ。

都羅山駅は京義線の終着駅だが、民間人統制線内にあるため、韓国人は行けないところです。ソウル発都羅山行きの列車があっても、1つ手前の臨津江(イムジンガン)駅で乗客を全て降ろし、パスポートを持っている外人のみ臨津江~都羅山間の乗車を許されるそうです。

都羅山駅は2002年、離散家族の寄付により新しく建てられたもの。新しくて立派な駅舎、とても秘境駅とは思えないのです。

dorasan2 この先もレールは続き、2004年10月、ついに北朝鮮のレールと連結。都羅山駅の改札口も「???????(平壌方面乗車場)pyongyang Track」の表示が付くようになった。事実上、釜山からヨーロッパまで1本のレールで結ばれているのだが・・・。

戦前の日本も関釜トンネルの計画を立てたことがあり、もし、成功すれば、東京からソウル間の「のぞみ」と「KTX」(韓国新幹線)の相互乗り入れができていたかも・・・。

机上シミュレーションしてみたら・・・・【のぞみ1号】東京6:00→小倉10:41→??(釜山)11:41→??(九浦)11:54→??(大邱)12:47→??(大田)13:35→ソウル14:25。 

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日本一の秘境路線・岩泉線の終着駅

2005-09-14 23:12:06 | 日記・エッセイ・コラム

iwaizumi6 押角駅を出たあたり・・・・といっても、クルマだけど。(笑)国道340号線といっても、クルマがやっとすれ違う程度の道幅です。

似たような国道ナンバーの357号線(千葉市~東京)を時々利用しているが、ギャップが激しい。

iwaizumi7 終着駅の岩泉駅。1日3本の駅なのに、鉄筋の2階建て。

iwaizumi8 駅舎の中はご覧のとおり。待合室がとても広く、ベンチがたくさん置かれてありました。駅そばやキヨスクがあってもおかしくないが、残念ながら自動販売機があるだけ。昔は多くの人々でにぎわっていたに違いない。

iwaizumi9 1日3本の駅なのに、駅員配置の有人駅。岩泉線内各駅のキップ、その下に定期券も。私が小さいときの通学は定期券。通学生はピンク色、大人の通勤客は淡い青色といった色分けされていて、ここにあるものは通学生用。写真が小さくて申し訳ないが、岩泉から2駅目の浅内、3駅目の岩手大川間。1日3本でも通学生の足として需要があるわけだ。すごいですね~!

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日本一の秘境駅・JR岩泉線押角駅

2005-09-13 23:30:49 | 日記・エッセイ・コラム

9月半ばを過ぎたというのに、真夏日を思わせるような猛暑続き・・・。

冷夏だった2003年9月、岩手県の押角駅へ旅したときは気温11度。同じ9月だというのに、今年は猛暑なんて信じられない。

iwaizumi4 押角駅のホームに掛けられた温度計。2003年9月20日16時03分撮影で11度!!

青ヶ島は日本一の秘境村、押角駅は日本一の秘境駅。何もない秘境駅なのに、今まで3回も行ってしまった。1回目は学校の春休み、夏休み、冬休みに合わせて発売されるJR全線普通列車乗り放題の青春18キップ、2回目は紅葉散策を兼ねて千葉からマイカーでJR岩泉線各駅停車、今回は盛岡まで新幹線、レンタカーで岩泉線沿線ドライブ。

JR岩泉線は盛岡から三陸方面に向かう山田線の途中、茂市駅が起点。茂市から山間の岩泉を経て三陸の海岸側にある小本までレールを敷く予定だったが、国鉄が赤字になってしまい、岩泉駅が終着駅。

赤字ローカル線の廃止対象になったが、平行する国道の道幅が非常に狭く、代替バスの通行が困難という理由で廃止が免れ、1日3本のディーセルカーが運行中。

押角駅は「秘境駅に行こう!」のホームページにも全国で5位にランキングされているほど、ものすごい秘境の中に駅があります。

iwaizumi1 押角駅は川の向かいにあり、国道をドライブするときは注意しないと、見落としてしまいそうです。

iwaizumi2 押角駅の時刻表。朝1本、昼間は運休、夕方1本、夜1本。昼間は待てと暮らせど汽車が来ないのです。周囲は廃屋が2、3軒あるだけで、何もないところです。

なぜ、そんなところに駅があるのだろうと思っていましたが、歴史を調べてみると、1944年に鉱物資源輸送のため、敷設。当初は貨物駅だったが、1947年に一般旅客駅に昇格。当時の駅舎は田舎によく見かけるこじんまりとした駅舎。画像は ここ 。

それなのに、今は・・・

iwaizumi3 板張りのホームだけになっていました。偶然にも1日に2本目の15時58分、岩泉行きのディーセルカー(このディーセルカーも昭和30年代に製造され、小湊鉄道と同じ形式)がホームに滑り込む。

数名の乗客が押角駅ホームに立つ私たちに一斉に注目。もちろん、乗降客はいなかった。押角駅から乗る人といえば、奇妙な人間に見られたかも。

ワンマンカーではないので、車掌も乗務。「まったく、こんなところに好奇心で来たマニアか?」といった目つきでドアが閉まり、エンジンの唸り音を上げながら山間の中に消えて行った。

iwaizumi5 駅名票もご覧のとおり懐かしい国鉄様式。

押角駅の住所は「岩手県下閉伊(しもへい)郡新里村」だが、今年6月6日から宮古市と合併し、宮古市内にある。

「○○市は都会で、○○町や○○村は田舎だよ」と小さいときに親から教えられたが、平成の大合併で秘境な場所なのに○○市と名乗っているなんてちょっと違和感がするね。

岩泉線沿線の中で最大の観光スポットは日本三大鍾乳洞(山口県の秋芳洞、高知県の龍河洞、岩手県の龍泉洞)のひとつ、龍泉洞

水がと~っても清くて、コーヒーも香ばしくておいしいところです。これからは紅葉シーズン、紅葉を眺めながらのコーヒーはうまいかも?

 

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気まぐれ?台風15号の進路

2005-09-12 22:45:26 | 日記・エッセイ・コラム

050912japan インターネットの天気予報(朝日新聞)を見てビックリ!台風15号が沖縄の宮古島→台湾→中国→朝鮮半島→再び山陰から北陸にかけて上陸!?何カ国かを旅して再び日本に戻るコースは滅多にないのに。

台風といえば、上陸すれば必ず日本列島を縦断しながら東北や北海道に抜けるコース、日本に近い釜山あたりならたびたび台風の影響を受けることはあるが、台風の目がソウルに直撃する天気図は非常に珍しい気象現象だな・・・。

050912korea この天気図は韓国のMSN天気情報。左側タイトルの2段目の真ん中あたりの台風情報「???? (テプンジョンポ)」にクリックすると、15号の足跡が細かく刻まれていました。そういえば、職場の先輩が沖縄旅行に行かれているのだが、無事楽しめたのだろうか・・・?

kinoko わが家に珍客!?でかいキノコ!?

1番最初に見つけたのは母。家の中から窓を差しながら「毒~!!」とつぶやいていた。

ここは市街地から約15キロ離れた、田園地帯。この間も父が家のそばの道で車につぶされた毒蛇を見かけたと言っていたし、母の「毒~」という一言で、また毒蛇か毒ぐもとか人に危害を与える物騒なものが出てきたのかと思い、覗いてみたらビックリ!!でかいキノコが地面からにゅっと生えていたのです。「昨日は小さくて傘も閉じていたのに、今日は傘も開いたし、急に大きくなったよ。もしかしたら毒キノコかも?」と母。9月になっても連日のように30度を越す猛暑が続きますが、そのキノコを見ると「もう秋だな」と実感できました。

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交通違反 日韓対照表

2005-09-11 23:31:17 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の交通違反の話を書いていて、韓国の交通取締り事情はどうなんだろうとふと思い出しました。

韓国にろう友人がいて、私が韓国へ遊びに行くと空港から家まで、観光などで車によく乗せてもらっている。

初めて乗せてもらったときは心臓がパクパク・・・しました。猛スピード、急な割り込みもしょっちゅう。

「日本だと速度30キロ超えると、赤キップになり、罰金は70万ウォン以上(日本円7万円)だよ」と友人に話したら、「えーっ!そんなにかかるの!?すげー高いな・・・」「韓国は3万か6万(3~6千円)それぐらいでケンチャナヨ(気にしない)という返事があり、韓国ってそんなに甘いのかなと調べてみました。(庶民が犯しやすい、速度違反、駐車違反、黄信号なのに突進する信号無視、自家用車を対象)飲酒運転の場合、厳しい罰則が課せられるのは日韓共通だそうです。

★日本の交通違反反則金表★ 参考URL 交通違反の基礎知識

15キロ未満        1点 7,000円

15キロ~20キロ未満  1点   9,000円

20キロ~25キロ未満   2点  12,000円

25キロ~30キロ未満  3点 15,000円

30キロ~50キロ未満  6点 70,000円~100,000円 裁判所の裁量で決まる

50キロ超過      12点 100,000円~140,000円 裁判所の裁量で決まる

高速道路の場合、40キロ未満まで3点 35,000円、40キロ超えると一気に6点になり、7万円以上。

駐車違反 2点 15,000円 駐停車違反などの細かい規定あり。

信号無視(黄色点滅) 2点 7,000円

さて、韓国は・・・??

★韓国の交通違反反則金表★参考URL 総合法律サービス の交通交通法編 

20キロ未満まで3万ウォン(3千円)、20キロ超過6万ウォン(6千円)だけ。つまり、40キロオーバーでも100キロオーバーでも6千円!?

駐車違反 4万ウォン(4千円)

信号無視(黄色、赤でも同じく指示を無視すると) 6万ウォン(6千円)

日本だと、6点以上になると1ケ月の免停などの行政処分も付き、5年間1度も違反がなければゴールド免許になるとかご褒美付きだが、韓国の場合は速度違反20キロ超過すると15点、信号無視すると15点。(駐車違反は点数加算されず)累積され、1年間121点以上、2年間201点以上、3年以上271点以上に達すれば、免許取り消し。1回の違反で40点以上達すると、行政処分。ご褒美は、累積点数が40点未満で最終の違反から1年間以上無違反であれば、点数は消滅。(日本の場合、3点以内の軽微な違反をした日から3ケ月間無違反であれば、消滅)交通事故でひき逃げや当て逃げを目撃し、届出すると自分の累積点数より40点差し引かれる。

これはWebなどで調べたもので実際とは異なる場合もあります。ちなみに翻訳はhttp://honyaku.yahoo.co.jp/url 

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青ヶ島にあるもの(忘れていたもの)

2005-09-10 23:35:12 | 青ヶ島

aogashima30 あまりにも平和な島なので、警察のこときれいに忘れてしまいました。

警視庁八丈島警察署青ヶ島駐在所があります。おまわりさんは2,3年ごと交替でやってくるらしいです。

青ヶ島駐在所常備の青切符や赤切符は滅多に使われることがなく、もしかしたら、「昭和」の表示が入っているかも・・・??

あの道路状況から見ると速度30キロ以上出すのは物理的に無理だし、狭い道に駐車すると通行の妨げになるし、駐車しても、寄れる場所はない。

 ↑の切符は青ヶ島でもらったものではなく、10年前以上の昔、本土で。赤切符は広島県高田郡美土里町大字本郷(現 安芸高田市)の中国道上り318.5キロポスト地点で80キロ制限のところを48キロ超過、6点減点。

普通なら、「止まれ~!」とパーキングエリアに誘導するはずだが、今回は取り締まりが始まった直後のようで、いきなり車線に飛びつき、「止まれ~!」と赤い旗を振るんだから、本当に心臓が止まりそうになった。もし、ハンドルを切っていなければ、警察官をはねてしまったかも。あの時は・・・。高速道路の車線でまさか人が飛び出すのも思わなかったし、急ブレーキをかけると後続車に追突される恐れもある。そのような事態にようやく気づいたのは、パーキングの出口あたり。警察官も(轢かれるかと思った)と顔をすごくひきつっていたのを今でも鮮明に覚えている。

1ケ月後、運転免許センターより免停通知書、武蔵野区検察庁からの呼び出し状。運転免許センターで1日講習を受け、最後にテスト。結果は「優」なので、免停期間は1ケ月から1日に短縮され、その日のうちに免許証を返してもらえる。ただし、運転できるのは翌日から。

検察庁に行ったときは「通常の規定による審判を受けられることもよく分かりましたが、略式手続きによって審理されることに異議がありません」という赤キップの裏にサインするだけ。

赤キップ裏面下に略式命令謄本があらかじめ印字され、事件名:道路交通法違反、裁判:主文 被告人を罰金70,000円に処す。これを完納することができないときは金5,000円を1日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。武蔵野簡易裁判所 裁判官 ○○○ (印)。

罰金を納めなければ、労役場(刑務所)行きになるってこと。簡易裁判所に直接納入するか、現金書留で送付せよと送付先の書類も同封されていた。金券の指定が書かれていないから、1円玉を7万枚ダンボールに詰めて送ろうかと思ったが、重さが70キロになる。送料がかかるから千円札70枚両替して送付。10年前の私はこういう発想ができたんだなと我ながら感心・・・(笑)

さて、青キップも多摩地域に住んでいた頃の話。反対車線に右折すれば、アパートというような道があり、日夜問わずいつものように右折していた。右折レーンもついているので、まさか禁止だと思わなかった。そのとき、パトカーが私の後ろにペッタリくっ付いていて、何だか私を呼んでいるかようだった。

仕方がなく、車を停めたら「あなたは違反しましたので、パトカーに乗ってください」と言うのではありませんか。車内に備え付けのメモ用紙で「うちは違反した覚えはありません!」と抵抗したら、「午前7時から午後10時まで右折禁止の場所で右折したのですよ。現場の標識を見てみますか?」

軽微な違反はいきなりキップを切るのではなく、指導・警告にとどめるべきだと強く主張したが、「違反は違反だ!書かせてもらう!」「書かない」「書いてもらう」・・・の繰り返しで結局こっちが負け、サイン。反則金は7000円。

去年、免許証を更新したときは5年間有効のゴールドに変わったが、1点減点の違反をすれば次の更新は3年間有効のブルーになってしまう。

皆さんも安全運転で神出鬼没の警察官に気をつけましょう・・・。

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青ヶ島での生活(Part4)

2005-09-08 23:24:51 | 青ヶ島

aogashima26 青ヶ島で見かけた動物たち。

池之沢荘のワンちゃん。食事中、「オラもくれ!!」と言っているかようでよく吠えていました。

aogashima27 ずっと昔、実家で飼っていた犬。よく似ていました。

aogashima28 ふれあいサウナにいた、ネコ。人間によくなついている。「お手!」と手を差し出すと、私の手にタッチ。ネコのくせに「お手!」が出来るとはね・・・。(ヤラセではない)

aogashima29 「おもうわよう~!」(青ヶ島独特の方言で、船場で島を離れる人に対して言う言葉)。サウナで出会った工事関係者の人も見えなくなるまでお互いに手を振りながら島影が小さくなるまで・・・。やがて黒潮の大海原を横切ると、船の揺れが大きくなる。窓に目をやると、イルカの親子が楽しそうに併走しながらジャンプ。

立っていられないほどの大きな揺れなので、八丈島に着くまではずっと横になったまま。

16時頃、八丈島の八重根漁港に到着。タクシーで空港に向かい、最終便で羽田へ。約160名乗りの小さなジェット機、飛行時間はわずか45分。17時30分に離陸、「あの島は煙が出ているので三宅島かな?とんがりコーンみたいな島は利島?」と眺めているうちに、もう房総半島の上空だ。18時15分に羽田。信じられないほどの速さ。

行くときはすべて船だったので、13時間かかった。帰りは船と飛行機なので、わずか5時間。日本最後の秘境、青ヶ島からでも5時間で都心に出れるとはすごいとは思いません?(笑)

★青ヶ島にあるもの★

食品や雑貨を扱う商店2軒、郵便局(新型のATM付き)、村役場、図書館のとなりに武道館、小中学校、民宿6軒、地熱を利用した温泉施設のふれあいサウナ、ガソリンスタンド(島での移動はほとんど便乗させてもらったものなので、1リットル何円なのか調べられなかった。きっと小笠原よりは高いかも)。食堂や居酒屋は1軒もなかった。公衆電話は三宝港、村役場前、ヘリポートの3ケ所。(インターネットに接続できるモジューラ付きのISDNのグレー電話ではなく、緑の電話機)、ドコモのアンテナ。(2002年当時のデータ)

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