東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

ロワジールホテル那覇のディナー(その2)

2014-01-08 00:25:17 | 2013沖縄&古宇利島

201401080001 12月19日にアップした続きです。今度は「大海老のマヨネーズソース うちな~サラダ添え」。うちな~サラダって書いてあるけど、レタスじゃないの!?
 



201401080002 

 「島豚といろいろ野菜の香り炒め」。いろいろ野菜って省略するのではなく、真ん中に見えるものは島らっきょう、ゴーヤ、まわりはパプリカ。「3種類野菜」でいいんじゃないの!?

201401080003
 「生湯葉と季節野菜のサッと煮」。生湯葉はわかるけど、季節野菜って!?
 9月だから、小松菜かな?
 あまり細かいことを求めない、うちなーらしい献立名。

201401080004
 「本日のおすすめチャーハン」
 「本日のおすすめスープ」。
 これも沖縄らしい。その日の気分により、チャーハンの味を変えるテーゲー主義。(沖縄のテーゲー主義とは徹底的に細かいことを考えず適当にという沖縄方言)
201401080005
 「オリジナルデザート 紅芋ムース」
 中華を選んで正解でした~!!本当にごちそうさまでした。


201401080006
201401080007
 ホテルの部屋から見える夜景。那覇港フェリーターミナルの近くです。

 

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沖縄最終日はロワジールホテル那覇

2013-12-19 00:58:57 | 2013沖縄&古宇利島
 

201312180003ひめゆり平和祈念資料館の内部では写真撮影が禁じられていましたので、撮っていません。
 ひめゆり学徒隊を経験した証言が放映されています。
 ずっと昔に来たときは、字幕がついていなかったのに、今は聴力障がい者の方々も訪ねてくるのを想定し、字幕付きで表示されるようになりました。そのようなバリアーフリーは本当にありがたいです。
 証言の中では衝撃的な内容も含まれていましたが、メモを取っていなかったため割愛させていただきます。
 沖縄最終日は午後2時那覇空港離陸なので、空港やショッピングに便利な、那覇市内のロワジールホテルにしました。案内された部屋の窓から見える風景。港が目の前にありました。
201312180004
 旅行中、いつも楽しみにしているのは、食事タイム。
 朝夕込みのプランなので、「夕食は中華、和食、バーベキューのどれかご自由にお選びいただけます」とのこと。

 沖縄に和食はちょっともったいない。せっかくここまで来たので、中華をセレクト。
201312180005
 レストランから見える風景。


201312180006  まず、飲み物は泡盛をオーダー。
 琉球グラスで運ばれてきました。


201312180007  
 前菜は少量の盛り付け。そのほうが上品に見えます。
 私だったら、今度出される料理を考えず最初からいきなりメガ盛りにしてしまいそう・・・。(笑)

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ひめゆり平和祈念資料館

2013-12-17 00:22:28 | 2013沖縄&古宇利島
 

201312170001 沖縄に行ったのは9月中旬頃。今はもう12月の半ばを過ぎてしまいました。まだまだ沖縄の話は終わっていませんので、これから少しずつアップしていきます。
 沖縄陸軍病院南風原壕群20号壕内見学を終え、カーナビを「ひめゆり平和祈念資料館」に設定。一般道路でおよそ15キロ先と出ていました。スローライフを好まれている沖縄県民なので、前のクルマもゆったり。そのほうが安全運転です。
 30分でひめゆり平和祈念資料館に到着。資料館前のポストは昔ながらの丸型でした。沖縄本島の最南端に近いので、管轄は糸満郵便局。逆に最北端の奥集落は、名護郵便局(奥)。かつては名護支店奥集配センターでしたが、2012年10月1日から郵便局と日本郵便が統合。支店や集配センターの呼び名は廃止し、旧支店の名称は郵便局に旧集配センター(かっこ)の中に配達を行う郵便局名が入るようになりました。離島でもゆうパック等の追跡情報の表示が新東京郵便局のままになっているのは、利島、御蔵島、青ヶ島、小笠原の4ケ所。新東京郵便局(かっこ)の中に局名が入りません。新東京郵便局だけだと、江東区と混同してしまいそうなので、ちゃんと表示すべきです。
201312170003
 沖縄陸軍病院第三外科壕跡。
 奥に見える、壕は戦時中に使われたものです。
 資料館内にある展示物は、この壕の内部を再現したレプリカ。

201312170004  201312170002 1945(昭和20)年3月・・・その年の2月は小笠原諸島の硫黄島陥落。日米両軍合わせて2万人の兵士が犠牲になり、硫黄島で1番高い山の擂鉢山にアメリカ国旗の星条旗掲揚。
 硫黄島はもともと日本だけど、日本が最初にアメリカを攻撃したため、報復措置として硫黄島を日本へ攻撃する航空基地としてアメリカが勝ち取り。今度は沖縄本島をアメリカにしようという作戦が出るようになり、日本軍もアメリカ軍の上陸を阻むように戦争勃発。日本軍兵士の負傷者を救護するために沖縄県女子師範学校の女子生徒240名を狩り出し、働かせました。アメリカ軍の攻撃により、亡くなられた女子生徒、勝つ見込みがなく、敗戦濃厚となった6月18日に突然解散命令が出され、アメリカ兵士に捕まると殺されるととんでもない勘違いを犯し、自決してしまった女子生徒たち。
 犠牲になられた女子生徒たちのご冥福を祈りながら、父母が献花。毎日のように資料館に訪ねる方々たちの献花で途切れることはないそうです。

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南風原陸軍病院壕(続き)

2013-12-12 00:17:44 | 2013沖縄&古宇利島

 中に潜んでいる日本軍をしらみつぶしに殺すため、201312100010米軍の火炎放射攻撃により、現在も残るまっ黒焦げの壕内。
 そもそも米軍は沖縄戦争を望んでいませんでした。日本軍が天皇陛下のために無駄あがきをしながら鬼畜米軍を攻撃しているため、米軍もやむを得ず応戦。
 何度も米軍が日本語のビラで降伏するようにと通達してあるのに、従わなかった。太平洋戦争を仕掛けたのは大日本帝國のせい。
 この壕内に幅90センチの2段ベッドが置かれ、負傷兵の入院室として使われていたようです。気管が切られ、喉元からピューピュー息漏れする患者さん、下顎がない患者さん、火炎放射攻撃により全身やけどを負った患者さん・・・・。

201312100011  
 坑木も一部焼けて、炭化。



201312100012
 あまりにも暗くて奥のほうは見えませんでしたが、手術場。
 麻酔なしで負傷により壊死した手足を切断していたようです。
 助からない患者はこれ以上生かしておくのは仕方がないと、ミルクに青酸カリを混ぜて強制自決ということもありました。
201312100013   

 

壕内見学を終え、ここが出口。

 手話ができる学生さんのお陰でガイドさんの話している内容を通訳してくれてありがとう。
 「あなたはどちらから来たんですか?」と聞くと、「私はここ、地元です。(友人に指差して)この人は内地から」「沖縄の方なんですか」「はい、大学で少し手話を勉強しています」「今日は本当にありがとう、助かりました。手話の勉強頑張ってね~」とお礼。
 「聞こえない人でも、ガイドさんの話を少しでも伝わっていれば・・・」という気持ちは本当にありがたいです。

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南風原陸軍病院壕

2013-12-07 00:40:38 | 2013沖縄&古宇利島

 今までの「ひめゆり平和祈念資料館」「沖縄県立平和祈念資料館」「海軍司令部壕跡地」は特に予約はせず現地で受付すれば、見学させてくれるのですが・・・南風原陸軍病院壕跡地は要予約でした。
201312070001  何で予約が必要なんだろうと思いましたが、謎が解けました。
 海軍司令部壕跡地は壕の中に照明を設置し、ガイドさんがなくても見学できます。内部は明るく、通行の妨げにならなうようにコースも整備。しかし、ここは当時そのままを再現するため、壕内に照明はありません。内部も舗装されていません。懐中電灯を頼りにしているため、壕の内部を熟知しているガイドさんと同行でなければ入れません。
 受付にいたガイド「あなたは聞こえないんですか?」私「はい」両親に指差しながら「この方も?」私「はい」ガイド「はぁー、困ったな、説明ができないな」。この様子を見た私は少しカチンと来ました。ここに訪ねてくる人はすべて健常者というわけではありません。外国人や、ろう者も訪ねてくる可能性もある。どうやら、ろう者が訪ねてきた実績がないらしい。ろう者が何度も来る実績があれば、あらかじめ説明文を書いた大きな用紙を準備していたかも知れません。
 壕の中はかなりデコボコだから、頭に当たらないようにヘルメット着用して、片手に懐中電灯。
201312070002
 入口にあった、説明。ガイドさんは説明文に書かれた内容を音声で説明。
 壕の中に入る前の事前学習。


201312070003  普段は慎重に施錠してあり、ガイドさんが開錠し、真っ先に目についたものはこれでした。
 発見されたときの様子をそのままにしてあります。
 南部撤退するのに、いろんな医療品を持ち運べないため、その場所で埋められました。
201312070004  見学を申し込んだのは、私たちだけではなく、もう1組がいました。沖縄戦争を研究する若い人が2人。
 ガイドさんが音声で説明しているのに、私たちは聞こえない。見かねた学生さんが手話で「これは、アメリカ軍が焼き払った跡です。今も、まっ黒です」。
 これは奇遇。学生さんも手話ができないと思っていたのに、ガイドさんの言っていることを通訳してくれるなんて、天の助け。どのように伝わればいいか、自分なりによく考えての表現でした。困っている人を放っておけない、優しい学生さんありがとうございますっ!!
 沖縄の話はまだまだ続きます。

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南風原文化センター展示品コーナー

2013-12-05 00:39:16 | 2013沖縄&古宇利島

201312050001今はもう12月。書いている記事は、9月中旬・・・。いっぺんにまとめずに少しずつアップしていくので、すっかり季節外れになってしまいました。
 南風原文化センター内で無造作に置かれた、戦前の瓶や陶器など。

201312050002 
 戦後しばらくのタバコ屋さん??

 

201312050003  沖縄県が日本に復帰したのは1972(昭和47)年5月15日。それまでの沖縄はアメリカの占領下に置かれ、県内の通貨はアメリカのドル。郵便切手も、ドル建ての「琉球郵便」。クルマの通行も、アメリカと全く同じく右側。
 琉球切手は琉球郵政庁が発行し、製造は本土の「大蔵省印刷局」。しかし・・・現在は「琉球郵政庁」は郵政省、日本郵政公社、日本郵便株式会社に引き継がず、解散しているため、琉球切手は未使用であっても、通用できなくなってしまいました。
 クルマの通行だけは復帰していきなり右側通行から左側通行はかなり混乱を招き、交通事故も頻繁に発生する恐れもありました。「一国一交通制度」を遵守するため、6年の準備期間も設け、1978(昭和53)年7月30日をもって与那国島も含む沖縄県全地域で左側通行に戻すことになりました。前日の7月29日午後10時から翌日午前6時まで緊急自動車以外のクルマの通行が禁じられ、8時間の間に日本様式の道路標識・道路標識の変更を一斉に行われたようです。
 もし、現在も変更が行われていなかったら、内地からの観光客はアメリカの右側通行に慣れていなくてハラハラドキドキしてしまいます。
201312050004
 沖縄に初めてコンビニのローソンが入ったのは、1997(平成9)年。
 その頃はわずか数店舗しかなかったのに、今は本島最北端の国頭(くにがみ)村まであります。ファミリーマートも圧倒的に多い。
 

201312050005  昭和時代のワープロ。
 今の時代、ワープロを使う人はいないと思います。文書を作成するとしたら、パソコンで済ませる時代。昔はこういう白黒でも、信じられないほどの高額。
 平成初め頃の富士通ワープロ、OASYSという機種も10万近く。もちろん、インターネット接続なし。オンライン端末でもないし、白黒のモニターにただ文章を入力し、印刷する機能だけ。カラーモニターの機種だと20万近く。
201312050006
 本土の仏壇とは少し異なる、沖縄の仏壇。
 


201312050007
 ガスがなかった頃のかまど。



 「今度は、南風原陸軍病院壕を見学したい」と受付の人にそう申し出ると、「ご予約はされていませんか?」予約はしていない旨を伝えると「しばらくお待ちくださいね」とどこかに電話をしている様子でした。
 「お待たせしました、豪の入り口に受付の人がいますので、今から見学に行かれても大丈夫です」
201312050008  
 南風原陸軍病院壕跡地付近の風景。
 今の風景は爽やかになっていますが・・・68年前だと想像を絶するほどの地獄絵図になっていたかも・・・。

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沖縄戦争の生々しい展示

2013-11-30 00:49:29 | 2013沖縄&古宇利島

201311300001 沖縄戦争は日米軍だけではなく、子どもからお年寄りまで多くの一般住民やひめゆり隊なども巻き添えし、多くの方々が亡くなられた地上戦です。
 その頃の朝鮮半島は今の北朝鮮も大日本帝國。明治時代に「韓国併合」の調印が行われ、ハングルを撤廃、日本語を使え!と抑圧。
 さらに・・・アメリカ領のハワイを大日本帝國領にしようと、アメリカへの通告なし真珠湾攻撃。アメリカからの報復により、太平洋戦争勃発。小笠原諸島最南端の硫黄島も、戦前までは1000人以上の住民がいた、「東京府硫黄島村」。サトウキビ栽培など平和な島なはず、戦争がきっかけで硫黄島を日本国土への攻撃基地にしようと日米軍合わせて2万人が亡くなられる激戦地。戦前まで住んでいた一般住民の帰島は許されず、現在は自衛隊のみが暮らしています。あんなに小さな島だというのに2万人が亡くなられ、多くの遺骨もまだ見つかっていない。戦後60年以上経っても、自衛隊宿舎に兵士の亡霊が現れるため、就寝前に一杯のコップを英霊に捧げなければならない風習があります。硫黄島は湧き水がないため、水を求めながらお亡くなりになられた兵士さんも多いと伺っています。大日本帝國が仕掛けた蛮行が最終的に降伏という結果になりました。
 「米國軍は多くの住民たちを殺すことは望んでいません。日本軍が無駄な抵抗するために皆さん達も食べ物が足らなかったり、住むところがなかったりすることはあろう。日本軍が降伏すれば、皆さんの家を壊しません。日本軍がさらに戦えば、米國軍も戦い、皆さんも気の毒ですが、他に方法はありません。日本軍が沖縄の人々を殺したり、住み家を壊したりしていることは明らかでしょう」と沖縄の住民に飛行機からばらまかれた、米軍が日本語で書かれたビラ。
 これを読んでも、日本軍は最後まで無駄あがきを続けたため、多くの方々が犠牲になられました。
201311300002
 耳が聞こえない人でもれっきとした日本人。当時の日本軍は残念ながら障がい者に対する理解はなかったようです。 
 日本軍にスパイだと疑いをかけられそうになり、身振りで聞こえないことを伝えたが、なかなか伝わらずに紙に書いて渡したとのこと。
 日本軍に捕まり、「何をしている?」と殺されるかも知れないという緊迫とした雰囲気もあったようです。
 1923年の関東大震災は、大日本帝國下に置かれた朝鮮人の暴動だ!ととんでもないデマがあり、朝鮮人っぽい人を捕まえては「50円50銭」と言ってみろ!朝鮮人は日本語の「濁音」が苦手のようで「こちゅーえんこちゅーせん」。その発音であれば殺していたようです。もちろん、ろう者は「ごじゅうえんごじゅうせん」という正しい発音ができるわけがありません。「発音が違う!」だけで、多くのろう者も犠牲になったという話も聞いています。
201311300003   
 沖縄戦争中の残骸を無造作で置かれていました。


201311300004
 一般住民の家まで巻き添えになり、破壊された食器も・・・。


201311300005
 貫通された壁。実物を展示。


201311300006  遺骨収集。危機にさられた兵士は、見つからないように自決を図っているので、南部あたりで、まだ見つかっていないところもあるそうです。1日でも早く見つかり、遺族のもとにお返しできるように願っています。

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南風原文化センター

2013-11-25 01:04:32 | 2013沖縄&古宇利島

 4年ぶりのリベンジです・・・。何年前に行ったか忘れたので、「沖縄」カテゴリーで調べてみたら、2009(平成21)年に訪ねたが、文化センターは改修工事中で見られず。2010年はマイレージ使わずに京都、2011年はえっとどこでしたっけ?鹿児島の嘉例川駅、指宿、福岡、山口。2012年はマイレージ使わず長野へ。今年は沖縄、無料航空券のマイレージを使うのは2年ごとなので4年前でした。
201311230001
 201311230002 文化センターで受付を済ませ、展示室に入室していきなり・・・戦時中の陸軍病院壕をリアルに再現、模擬体験もできます。
 召集を受けても、戦争はすぐ終わると思い、陸軍病院へ配備。
 ところが、すぐ終わるところが長期戦。
 敵に見つからないように野外でご飯を炊き、治療中の負傷兵がいる壕へ運ぶシーンを人形で再現。
201311230003
 負傷兵を収容するベッド。
 模擬体験もOKだったので、試しに横になってみました。
 敷き布団もなく木でできた床なので、寝心地は悪いです。

201311230004
 戦局が激しくなるつれに、配給されるおにぎりのサイズが小さくなり、ピンポン玉のような大きさで1日分の食事。


201311230005
 注射器とか医療道具。


201311230006
 201311230007濠内の明かりを再現。ロウソクや空き缶に油を入れた簡易ランプがあるだけ。
 非常に暗い環境で麻酔なし手術(激しい傷のある手足を切断)も行われたそうです。執刀医は衛生兵、切られた手足を運んで捨てるのも、ひめゆりのお仕事でした。
 今の南風原町は那覇市に隣接しており、人口も増え続け住宅が建ち並ぶ街並みに変わっていて、昔の面影は全く見られなくなりました。
 続きはまだあります。(2013年9月17日)

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沖縄なのに、九州とんこつラーメン

2013-11-23 00:24:41 | 2013沖縄&古宇利島

 1日目は東京第一オキナワグランメールリゾート(沖縄市)、2日目はKAYARESORT古宇利島(今帰仁村)、3日目は泊港フェリーターミナルに近いロワジールホテル(那覇市)。泊港は、沖縄本島周辺の離島へのアクセス拠点地になっていますが、今回は本島のみ。
 母が「もう1度、沖縄戦争の歴史について勉強したい」とリクエストしていたため、本島北部の古宇利島から一般道路で沖縄自動車道の許田ICを経て那覇まで全区間高速利用。
 沖縄自動車道の速度制限は全区間80キロ。かっ飛ばすのは内地からの観光客「わ」ナンバー。
 許田に行くときに、路肩で沖縄県警の覆面パトカーに検挙されたレンタカーを見ていますので、焦らず、ゆったりとした速度で走行。沖縄自動車道の風景は何だかのどかな風景が続くので、かっ飛ばすなんて、そぐわない。沖縄はスローライフが好まれるので、ゆっくり走ったほうがよろしい。逆にせっかちなのは大阪。東京では、待ち時間秒付きの信号機はあまり見かけないのに、大阪では当たり前のように設置されているらしい。あと何秒で青になりますよという表示がついていれば、イライラしないらしい??うちなーんちゅ(沖縄人)が大阪に行けば、せっかちさにびっくりするかも・・・。
 ランチは中城パーキング上り線の「味千ラーメン」。沖縄では、許田方面が「下り」、那覇方面は「上り」。私の感覚からにすれば、本島の北方面は東京に近いから「上り」、南方面は「下り」になってしまいますが、沖縄本島の首都は那覇なので、那覇に向かう道は「上り」。
 「上り」「下り」の意味を知ったのは、小学生だった頃だと思います。下関方面は「下り」で長門市方面は「上り」。「東京に向かう汽車は上り、逆に東京から遠さがる汽車は下り」と伯母から教わってくれました。飯田線は豊橋で東京行きの新幹線に接続するので、豊橋方面は「上り」、辰野方面は「下り」。
201311230008
 201311230009 201311230010 手頃な価格だというのに、ボリュームたっぷり。
 ここは沖縄だというのに、九州のとんこつスープになっていました。

 これを食べると、沖縄に来たという感じはしませんでした。まるで九州。あとで調べてみると、このお店は国内100店舗(東京都は池袋西口、北海道の帯広も)、海外(中国・台湾・アメリカ・韓国・グアム・オーストラリア・・・)684店を持つ熊本ラーメンのお店でした。
 「味千」のラーメンならまた食べたくなってしまいました。しかし、ここから近いのは池袋駅西口・・・。千葉県は南柏にあるらしいだが、ここからだとアクセスが不便。
 (2013年9月17日)

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屋我地(やがじ)郵便局

2013-11-21 01:42:48 | 2013沖縄&古宇利島

201311210001 すごく居心地がいいところなので、チェックアウト時間までのんびり滞在。ここまで来るのにすごく遠いところだけど、古宇利島の海が恋しくなったら、また行きますから!!

201311210002
 古宇利島の道。
 台風の通り道なので、古い民家はほとんど低めに建てられているところが多いです。

201311210003  どんなに秘境なところでも郵便局があるはずなのに、この島は1軒もありません。
 郵便局は1つの市町村に最低でも1つを置かなければならないので、古宇利島は今帰仁村(なきじんそん)に属しているため、郵便局はありません。
 島を1周するときに、道端にポストはあるか意識しながらドライブしてみましたが、見つかりませんでした。青ヶ島の郵便事情は熟知しているくせに古宇利島における郵便事情は謎・・・。
201311210004
 古宇利島に近い郵便局は、大橋を渡って、しばらくすると「屋我地郵便局」。
 厳密に言うと、ここでも本島から屋我地大橋でつながっている、「屋我地島」。 行政区域は名護市。

201311210005   
 ここでも島らしい雰囲気がただようので、「屋我地」じゃなくて、「島」をつけたほうがわかりやすいかも。
 「沖縄に関する切手ありますか??」と頼んでみると、紅型やゴーヤーとかいろいろありますと見せてくれました。
 本土では入手が難しくなっているJPの前身、郵政公社時代(2003~2007年)に発行されたものなので、購入。
201311210006
 局舎前の古いポスト。平日は11時20分と16時30分収集。休日は11時20分のみ。

201311210007
 屋我地の名産はパイナップルなので、風景印のデザインに使われています。
 何枚か送ったところ・・・翌日の9月18日、青ヶ島に届いたそうです。
 沖縄から青ヶ島まで翌日配達の超速達便!?ポストに11時20分収集と書いてあったので、沖縄本島は午前中までに出せば青ヶ島宛は翌日かも・・・。
 本島各地または八重山諸島から集められた郵便物は、那覇空港に近い那覇中央郵便局へ集約。本土宛は、千歳(北海道)、仙台(東北)、羽田(関東信越)、中部(東海)、関西(近畿・四国・中国の一部)、福岡(九州・中国の一部)空港行きの飛行機ごとに仕分け。山口宛の荷物は追跡履歴に「新福岡郵便局」と表示されるので、福岡行きの飛行機に搭載。
 青ヶ島宛は羽田行きの飛行機、さらに八丈島行きの飛行機に積み替え。手紙やはがきはヘリコプターで空輸なので、沖縄からずーっと空の旅で届いたようです。まるで新サービスの「スーパー速達郵便」!?

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KAYA RESORT古宇利島の朝食

2013-11-15 00:29:27 | 2013沖縄&古宇利島
 

201311150001前日、チェックインしたときは西日が当たって、すご~く暑かったですが・・・朝はご覧のとおり。9月17日はまだまだ夏、今の季節だったら西日でも暖かいかなと思います。

201311150002  
 玄関とフロント周辺。


201311150003

 

前日は日没後のディナーなので、海が見えませんでした。

201311150004  
 ディナーは琉球の食材をふんだんに使われた洋食のコースなので、朝も洋食かなと思ったら・・・なんと!!和食でした!!
 昨夜に続き、スタッフたちとおしゃべり。本当にフレンドリーなお宿でした。

201311150005
 建物内、喫煙場所は外。各部屋のベランタでも、シャコ貝の灰皿あり。
 沖縄や小笠原は亜熱帯に属しているので、父島、母島の宿でも、同じようなシャコ貝の灰皿。

201311150006
 朝食後のデザート。


201311150007  部屋から見える海は絶景。
 母いわく「手話のできるスタッフがいて、楽しかったわ~!!今度、またオキナワに行くんだったら、この宿に決まり!!」
 はい、私もお気に入りです。沖縄の海が恋しくなったら、また泊まりたいと思える宿です。

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お待ちかねのディナー(後半)

2013-11-09 00:00:00 | 2013沖縄&古宇利島

201311090001 沖縄・古宇利島のお洒落なペンション、KAYARESORT古宇利島で出されたディナー。今日は後半編です。
 沖縄県産シチューマチ(青鯛)とラタトゥイユのパピヨット。
 沖縄方言でシチューマチ(青鯛)はわかるけど、ラタトゥイユやパピヨットって何語なんだ??
 調べてみたら、ラタトゥイユはフランス語で煮込み料理。パピヨットも同じく、フランス語でホイル焼き。フランス語にあんまり馴染みのない日本人ですけど・・・。意味がわからなくても、メニューにこう書かれていると、超高級料理という感覚になってしまいますね。
 沖縄でも青鯛は獲れるそうです。青ヶ島も「アオゼ」というネーミングになっています。
201311090002
 今度は肉料理の「やんばる島豚あぐーのハンバーグ KAYA特製ソースデミグラス」。

201311090003  最後の〆は、ひとくち蕎麦。
 今まで出されたお料理のなかで、炭水化物はこのお蕎麦と、途中で時々出される、自家製フォカッチャ。フォカッチャは、イタリア語で「パン」。
 フランス語、イタリア語、日本語ごちゃ混ぜの沖縄チャンプルー文化。メニューにフランス語やイタリア語で書かれても、私は理解できませんからね・・・。
 洋風の洒落たペンションなので、メニューも欧米仕立て。糖質制限食の方にとっては、この分量はすごくヘルシー。
201311090004
 「地元、今帰仁(なきじん)村の泡盛です。一杯いかがですか~」と勧められました。

201311090005  
 きれいな琉球グラス。最近、これにはまってしまい、我が家で飲むグラスは琉球仕様。(笑)

201311090007  オーナー夫婦はすごく気さくな方で、特に奥さんはずっと昔、内地に住んでいた頃、地域の手話サークルに通ったことがあり、うろ覚えの手話で渾身の表現。
 あれっ!?手話できるの!?ここに来て、手話を知っている人に巡り合えるなんて奇跡に近いですよ~!!外国人のお客さんを迎え入れても慌てないように外国語も勉強中だとか・・・。道理で、メニューもフランス語やイタリア語とか??
 「手話を覚えても、ずーっと使ったことがないので、なかなか思い出せなくてね・・・」手話と筆談、両方使いながらおしゃべり。「出身は北海道」と北海道の地図を書いて、ペンで真ん中。「旭川なんですね」「えーっ、何で知っているんですか!?」「全国都道府県旅したことがあり、おおまかな市町村は知っています。それにしても、北海道から沖縄なんてすごいな~」出身は北海道とはいえ、沖縄で長く住んでいるせいか肌黒くなっていました。
 気が付けば、もう9時前。お客さんだからと余計に気遣うことはなく、フレンドリーな感じがすごくよかったですよ。このお宿はお勧め度100%!!
 箸置きがサンゴの白いものなので、母が「この箸置きって何ですか?」と尋ねたところ、「これはね、目の前にある海岸で拾ったサンゴの砂利なんです。海の中にいるサンゴは生きているもの、海岸にあるものは死んでいるもの」と説明。「集めたものいっぱいありますから、記念にどうぞ」と差し出されました。古宇利島の思い出として、数点お持ち帰り。
201311090006  最後にデザート。
 「黒糖クラシックショコラ」。クラッシュンクショコラはどこの国の言葉なのかわかりませんが、美味しかったです。
 本当にごちそうさまでした~!!

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お待ちかねのディナー

2013-11-04 00:00:00 | 2013沖縄&古宇利島
 

201311040001ここは沖縄県国頭(くにがみ)郡今帰仁(なきじん)村の古宇利島。
 (沖縄は難読地名が多いので、とりあえずカッコ内の読み方を入れました)
 本島から橋を渡ると、屋我地(やがじ)島。行政区域は名護市。古宇利島大橋を渡ると、今帰仁村の飛び地、古宇利島。
 部屋からの夕日鑑賞、とっぷりと暮れたあとはお待ちかねのディナー。
 お酒は何でもOKなので、これからのお料理に合う飲み物は何ですか?と聞いたら、「シークァーサーオリオンビールがお勧めです」とのこと。
201311040002
 シーファーサーの酸っぱさにオリオンビール。内地では滅多に味わえない、オキナワっぽい口当たり。

201311040003  
 もずく酢、田舎風お肉のテリーヌ。野菜のピクルス。


201311040004  
 山原(ヤンバル)若鶏とキノコの洋風茶碗蒸し。ヤンバルとは、沖縄本島北部の森林部を意味します。
 九州では、「原」を「ばる」と読むところが多いようです。沖縄戦の激戦地だった、「南風原」も「はえばる」。
201311040005  
 福岡市営地下鉄からJR筑肥線に直通する、筑前前原も「ちくぜんまえばる」。
 今から21年前なので、感熱紙の印字が薄くなってしまいました。

201311040006  日本海側の小さな何もない漁村で過ごしていた頃の切符。
 九郎原と書いて、「くろうばる」。篠栗線内で秘境駅だからとふらりと出かけたかも知れません・・。
 長者原も「ちょうじゃばる」、その隣も「原町」という駅も「はるまち」。

 まだまだ御馳走は続きます。 

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古宇利島でサンセット鑑賞

2013-10-29 00:47:07 | 2013沖縄&古宇利島

 今まで沖縄に行った回数は?と聞かれても、数えきれないほど・・・。飛行機のマイレージマイルを貯めた自分へのご褒美や、誕生割(昔は全国どこでも誕生割片道1万円均一をやっていた)、友人と超割(これも片道1万円均一)。タダまたは安く沖縄へ。今は燃料高騰や不景気のあおりなのか、ANA、JALどちらも昔みたいに誕生割や超割の企画はなくなったみたいです。元日のみ無制限で全国どこでも乗り放題というANAさんの企画もあったのに、最近は実施しなくなりました。元日のみ無制限で乗り放題だったら、羽田~沖縄~千歳~羽田。お正月の1日だけは、沖縄に行って、その日のうちに北海道に行って、東京に戻っても1万円っ!!しかし、元日は1日中「機上の人」はやはりきつい。飛行機が大好きなら、1日中飛行機に乗っても快適かと思いますが・・・。
 今まで何回も沖縄に行っているのに、こんなに素敵なサンセットに巡り合えたのは古宇利島が初めてです。
201310290004  
 部屋にいながらサンセット鑑賞ができるなんて、贅沢。


201310290005 201310290006 201310290007  

 

9月中旬、日没時刻18時30分。(沖縄)

201310290008_2 小さな、まん丸い太陽が完全に沈んでしまいました。
 その頃の母は、山口県に住むお友達とテレビ電話に夢中。
 KAYARESORT古宇利島は若い人が経営しているので、Wi-Fi完備。
 辺鄙な島に来ているのに、無線LANでビデオチャットなんて、時代が変わりましたね。

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ずっと前から目星つけていた宿到着!

2013-10-25 00:12:06 | 2013沖縄&古宇利島
 

201310250010故郷の角島大橋を連想させるような、古宇利島大橋。山口県の角島はミレニアムの年、2000年11月3日開通。全長1780メートル。
 沖縄の古宇利島は角島より5年後の2005年2月8日開通。全長1960メートル。

201310250011  数年前、古宇利島一周をドライブして、きれいなマリンブルーに感動。
 古宇利島で泊まれるところはないかな~とネットで検索すると、口コミが5つ星に輝いている「KAYA RESORT 古宇利島」というペンションを発見!!
 今度の宿はここにしよう!とずっとあこがれ続け、やっと予約が取れました。
 玄関に着いても、なかなか宿の人は現れてきません。そこが呑気なうちなーんちゅ(沖縄人)。玄関や客室は駐車場に面し、2階。スタッフは1階にいるみたいなので、下に降りて見ました。聞こえる人だったら、「ごめんくださーい」という声に気づいてくれるはず。顔がまっ黒で坊主姿、ここのオーナーっぽい男性が出迎え。

201310250007 「ようこそ、よくいらっしゃいました~!!さっそくですが、お部屋はあちらになります」と案内されたお部屋は・・・全面ガラス張りの角部屋でした。眼下にマリンブルーの海が広がり、とても快適なお部屋なんですっ!!
 部屋に入ったときからエアコンは入っていましたが、猛烈な西日のせいか、暑いっ!!沖縄の温泉に入ってきたばかりなのに、汗が噴き出てしまいました。
201310250008
201310250009  
 ベランタからの眺め。
 離島とはいえとも、大橋で本島とつながっています。
 そこから見える風景は喧騒さもなく、ゆったりした気分をさせてくれます。まだまだ続きはあります。

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