東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

下関市過疎地の深刻な問題

2015-04-27 00:38:09 | 2015北九州・山口
 国王様からLINEメッセージが届き、開けてみたら・・・

 ・急激な衰退進む農漁村の典型 下関市豊北町 拍車かけた行政効率化の犯罪 (アンダーラインの引いているところにクリックすると内容が表示されます)
 
 下関市豊北町はわが故郷で出身地。そこで暮らしていた頃はそんなに深刻な問題はありませんでしたが、長年も離れて生活していると少しずつ変化も見られました。
 
 1.買い物や通院も困難に スーパーも撤退、通勤や通学環境も悪化 
 2.JRもバスも便数減
 3.医療体制の充実も切実 検査や入院も困難に
 4.金融機関縮小も相次ぐ 郵便局集約も動く
 5.「低コスト」威張る転倒 子供激減し学校統合・・

 ネガティブな情報ばっかりで私も心配になってしまいました。JRの本数も減らされ、買い物や通院、通学環境も悪化。医療体制も悪化し、近くて診てくれるところなし。伯母も時間をかけてでも下関都市部まで通院。金融機関も縮小。無人店舗(ATMのみ)化とか・・・。
 二見小学校も100年以上の歴史を閉じ、閉校。町内4校もあった中学校が1校のみ集約。豊北町といっても、面積はかなり広く、角島から滝部まで通わせるのも苦労する。
 
 わが故郷は青ヶ島に似たような田舎とはいえ、青ヶ島は診療所・老人保健・福祉施設、集会室が一体となった近代的な設備のおじゃれセンター、保育園、小中学校、商店、ガソリンスタンド、自動車整備工場、郵便局、診療所、民宿、体育館、図書館、村役場、暮らしに必要なものが身近にあるので、豊北町のような深刻さは見られないようです。「ないない尽くし」は意外と陸続きの豊北町なのかも知れません・・・。
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北浦の「寿し秀」で会食ランチ

2015-04-23 00:00:00 | 2015北九州・山口

 今は下関市になってしまいましたが、もともとは「豊浦郡豊北町(ほうほくちょう)」。日本一秘境駅の北海道、小幌駅から苫小牧方面の3つ目に「豊浦駅」があります。小幌駅の住所は「北海道虻田(あぶた)郡豊浦町字礼文華」。厳密に言うと、小幌駅のホームで豊浦町と長万部(おしゃまんべ)町の境界にあり、以前「小幌駅に熊が出るといった情報はありますか?夏季の間は毒蛇が出ますか?」と両方の役場に問い合わせたことがあります。すると、詳しい回答があったのは豊浦町役場からでした。よく調べてみたら、小幌駅ホームの8分の1は豊浦町内、残りは長万部町なので、豊浦町の割合が多い。
 北海道の豊浦は海に面したところ、やはり、ここ、山口県でも海に面しているので「豊浦」という地名が付いたと思います。

 ここはサザエがよく獲れます。生ウニも・・・。

 生ウニは苦手なので、エビと交換。(笑)

 故郷の親戚たち。遠い親戚になりますが・・・従兄弟の息子、20代の若い人が今年の4月から東京消防庁に拝命。「まず、渋谷の消防学校で訓練です」とのこと。消防士だから、規律よく、厳しい生活になるかも知れません。都民の生命や財産を守る立派な消防士になってくださいな~。
 同じく従兄弟の息子も警視庁。大森警察署からスタートし、都内の警察署を転々し、現在は霞ヶ関に落ち着いているとのこと。ということは、階級も上がったということに!?青ヶ島駐在所の警察官は毎年8月の牛祭り終了後に交代します。警察官本人だけではなく、奥さまと子連れがほとんどです。従兄弟の息子もそれに該当しますので「八丈署青ヶ島駐在所へ転勤希望しますっ!!」だったら、よかったのに。山口の故郷も、青ヶ島と同じく辺境なので、すぐ順応できるはずだったのに~。青ヶ島村は保育園や小中学校のお友達が増えるように移転者に子連れは大歓迎しているようです。青ヶ島小中学校の給食は海鮮塩焼きそばや、島野菜たっぷりのポトフとか、レストランに匹敵するほどのご馳走だし・・・。
 同じく従兄弟の息子も、下関市議員。4年ごとの任期で、今年の選挙はトップで再当選。「下関を全国に誇れる素晴らしいまちへ!!」をキャッチフレーズにしているので、支持者も多いのは頷けます。
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BS朝日の絶景鐡道に特牛駅・梅ヶ峠駅っ!懐かしいです

2015-04-17 01:20:46 | 2015北九州・山口
たまたま、その番組を見ていた友人からのメール。「今、BS朝日で特牛(こっとい)駅が出ていますっ!!」と。
 BSは以前の台風でやられてしまい、映らないかも知れないと切り替えてみたら、ちゃんと映っていましたっ!!
 特牛駅は見逃してしまいましたが、川棚温泉から。瓦そばも出るかも知れないと思ったら、下関ふくの雑炊とかの紹介。
 首都圏色のキハ47 1102。子どもの頃乗ったキハ47の番号は脳裏に刷り込まれており、1102は他の線区から転入されたもの。ン十年前の昔だけど、通学に乗るたびに番号を記憶。山陰本線に割り当てられた車両はかなり少数なので、覚えやすかったのも一因かも知れません。

 今度は梅ヶ峠。読みはうめがとう。子どもの頃、何回も通りました。「ケ」はどうして「が」になるか・・・ずーっと疑問を抱いていました。小倉でも「霧ヶ丘」(きりがおか)という地名もありますし、おのずと自然に「ケ」を「が」と読めるようになり、現在も千葉の「袖ヶ浦」も違和感なく「そでがうら」、さらに極め付けは青ヶ島の「あおがしま」。そのように名付けたのか、私もよくわかりません。日本語は奥深いものです。
 梅ヶ峠駅は・・・本州最西端の駅でした!!といっても、本州最西端の駅ですとか、地元ではあまり宣伝していません。
 駅の近くに本州最西端の岬、毘沙ノ鼻(びしゃのはな)がありますと、テレビでは言っていましたが、まだ行ったことはありません。
 日本一最果ての青ヶ島は何回も行っているくせに、故郷の蓋井島(ふたおいじま)もまだ。

 2001年(今から14年前)の特牛駅。

 出札窓口。当時は簡易委託駅なので、特牛駅を自宅兼売店にしている方が切符売り。


 1928(昭和3年)開業時からそのまま使われている木製のラッチ。開業時は鐵道省(國鐵の前身)の駅員さんが多数行き交う和服姿の乗降客をさばいていたに違いない。
 キハ47を観光列車に改造した、「みすゞ潮彩」は2007(平成19)年からだというのに、まだ乗ったことはありません・・・。今年でなんと8年目っ!!
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朝早くチェックアウト

2015-04-14 23:29:50 | 2015北九州・山口

 写真撮り忘れたと以前の記事に書いてしまいましたが・・・ちゃんと撮ってありました。恐怖のウニ釜飯。中を開けてみたら、うわわわっ!オレンジ色の生うにが一面。超高級食材ということは理解できますが・・・子どもの頃見た風景がトラウマになって、いまだに口にすることはできぬ。
 生ウニはダメだけど、加熱済みのものはまあ、なんとか・・・というのが少し進歩したかな。(笑)ウニの出汁がたっぷり効いているウニ釜飯を少しだけいただきました。少し潮の風味がしますが、食べられないっていうことはないかなと思います。

 ベッドがふわふわしていて、朝まで爆睡。何だか動くような明りに気づいて目覚めてしまいました。国王様が目覚まし時計の代わりに、時間になったら自動的にONにするテレビをタイマーセットした、とのこと。なるほど、こういう使い方もあったのか!!
 ホテルに出かける前、伯母が「明日の朝早く、ごはんを作らなきゃあかんのよ~」とつぶやき。あの~、ホテルに朝食が出ますけど・・と言おうかと思いましたが、とりあえず沈黙。
 伯母のリクエストに従い、「朝8時半に着けるのを目標し、8時頃チェックアウト!」。6時に起きて、朝風呂として目の前の海を眺めながらの温泉。

 朝食も豪華ですっ!!

 7時20分から朝食なので、宿泊客のなかで1番早い朝食だったかも知れません。
 昨夜と同じ仲居さんが「あさりのお味噌汁は、おかわりができます。御用の方はこちらの内線をご利用ください」と話していたのを伯母が手話通訳。
 あさりの身が大きくて美味しいから、おかわりしたい。伯母が「内線で電話してあげましょうか」横で見ていた国王様が「アンタが直接仲居さんに申しつけたまえっ!!」「はははっ!!」食事部屋を出て、ずっと奥に配膳室のようなものが見えたので、「あの・・・お味噌汁のおかわりをお願いしたいんですが・・・」
 仲居さんのろう者に対する配慮が足りないことを気付かせるため。「内線をご利用ください」ではなく、「受話器を上げるだけでご用件をお伺いします」が正しい。これもちゃんとメモに書いて伝えるべきです。高級旅館とはいえとも、その面だけは失格かも知れない。来客者の中に1人でも手話を使える人がいて、通訳させるのもダメ。手話ができる人がいても、この人はあくまでも通訳者ではなく来客であることを意識すべきです。
 8時頃チェックアウト、7人乗りのワゴンを運転。8時半到着、バタバタ・・・と朝食づくり。あれれ?ホテルで朝食を済ませたばかりなんだけど、作るんですかね??と思ったら、やっと事情を呑み込めました。

 仏前に捧げる御霊供膳(おりくぜん)でした。宗派により異なりますが、基本的に和食で故人の好物だったものを供えます。豆ご飯が好物だったので、そのように供えています。

 お坊さんもお見えになられ、なんとか間に合いました・・・。
 
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楊貴館のディナー

2015-04-08 00:00:37 | 2015北九州・山口
 19時から夕食タイム。お食事処は2階の個室ですとチェックインのときに仲居さんに案内されたので、エレベーターで降りると目の前に「夕食会場」。広い宴会場になっていて、部屋ごとのテーブル席。「ここじゃないですよね・・・」
 ずっと奥へ進むと、少数グループの個室部屋の出入口に「○○様」の張り紙がありました。広い宴会場はノーマル(普通)プラン。個室は国王さまらしくワンランクアップ。

 テーブル席に着席して、真っ先に目に付くお料理。
 配膳担当の仲居さんが何か私に話しかけていました。「はっ?」と気付き、視線は斜め横の伯母に。すると、伯母が手話で「どちらからお越しになりましたかっておっしゃっています・・・」「東京・・・千葉からです」伯母が音声で「すいませんね・・・私はこの方たちに連れていただきましたので、私は何も喋らずに手話を使うつもりでした」。伯母は手話通訳者として連れてきたわけではないです。ここにいる人たちが全員ろう者だと仲人さんが気付き、コミュニケーション手段を考えさせるつもりでしたが、とっさのことで思わず私が伯母に通訳を求めたのがいけなかったようです。このままだと、この中に手話のできる人がいるから、筆談を省いてよいと思われてはまずい。

 マグロの高級部位、大トロっ!!

 「お飲物はいかがいたしましょうか?」と仲居さん。各々飲みたいものを確認し、メモを渡しました。
 私は山口県銘柄の焼酎ロック。

 下関ふくの刺身。今の季節なら、身が引き締まって美味しい。ふくは1年じゅう獲れますが・・・夏より冬のほうが美味しくなります。

 芽キャベツが可愛い。


 和牛。

 目の前で焼いて、美味しくいただきました。
 ご飯は・・・写真省略してしまいましたが・・・炊きたてのウニ釜飯っ!!ここは山口県の日本海側。ウニの名産でもあります。なぜか、小さいときに見た光景がトラウマになってしまいました。父が獲ってきた、サッカーボールのような大きさのウニ。(実際はサッカーボールのような大きさではないです。子どもの目から見るとかなり大きく映る)ウニ割り専用バサミでパカッと真っ二つに割り、オレンジ色のようなものを取り出し、殻はポイっ。中身がえぐり取られても、針のようなトゲトゲが動く動く。バラバラになっても生きているモンスターのように見えて怖いっと。
 三陸鉄道の久慈駅。電話予約したときにウニ丼弁当1つと、ホタテ弁当1つを注文したのに、当日用意されたのはウニ丼と、ウニアワビ弁当。ウニ丼は友人の分で、私はホタテ弁当を注文したはずなんですよっ!おたくが間違えたんじゃないですかっ!だから、昨日のうちに私が弁当注文したのを確認取れたのか聞いたんですよ!(ちゃんと伝わったのかどうか前日のうちに確認したのは確か)と頭ごなしに怒っていたので、「本当に申し訳ございません。宮古の担当者が取り違えていたようです。ウニアワビ弁当の代金をお返しいたします。ウニの部分だけ取り除いてお召し上がりください」と平身低頭。三陸鉄道車内で、弁当箱を開けてみたら、ウニが少なくて、アワビが多い。それだったら、代金は払ってもよいのに、怒って受け取ってしまったのが悪かったな・・・と苦い思い出が・・・。
 父も子どもの頃、ニワトリをつぶすシーンを見てしまったので、一生、口にしないと同じように。
 ウニの身は食べられないけど、ウニのダシがたっぷり効いている、釜飯をいただきました。美味しかったです・・・。

 デザート。

 2時間のディナータイムを楽しみました。ごちそうさまです。その後1時間くらい、海の見える露天温泉でたっぷり浸かりました。
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ホテル楊貴館(その1)

2015-04-05 00:11:11 | 2015北九州・山口
 いまさら・・・4月4日。父が「あの長門市で泊まったホテル1泊いくらだった?」「○◎★円だったと思う」目を大きくオーバーリアクションしながら「○○○(国王様の本名、しかも呼び捨て)が全員分をポーンと(数枚の万札を投げるような仕草)出したのか!」「はい、そのとおり」「負担をかけすぎて、可哀想じゃないですかね、もっと安いところにしないのかね」と貧乏性の父が。「幸せな一時を過ごせました、ありがとうございますって言えばいいってば・・・」。


 さすがに国王様が手配したものなので、スケールが大きいです。階上に他人の足が乗っかるような状態を避けるため、最上階の角部屋。国王様が予約すると、私たちは建物の1番上。私が予約すると、庶民派のノーマルなので、建物の真ん中あたりかな。

 今日は少し天気が悪く残念。よいお天気だと、この部屋から夕陽を楽しめるそうです。

 鳩さんが遊びに来ました。長州版のキジバトちゃま?と思って、近づけてみました。ただのカワラバトでした(笑)

 床の間にあったお花。まだまだ続きはあります。今日はこの辺で。
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懐かしいものばかり

2015-03-31 00:00:01 | 2015北九州・山口

 1個下の記事に「首都圏色のキハ47」と書いてしまいました。キハ40や47に詳しい人なら首都圏色イコール朱色5号だということは認識できますが、鉄道ファンでなければ、山口県の山陰本線なのに、首都圏色って何ぞやと思われているかも知れません。
 その理由を詳しく書かれたサイトを見つけました。こちら「鉄道トリビア (175) 首都圏ではあまり見かけない「首都圏色」の謎」 です。首都圏色のキハ40は1977(昭和52)年に新製造されたときのカラーリングなので、馴染み深い色です。

 二見へ帰る前、小倉駅前のシロヤでオムレットをお土産にしました。老舗のお店なので、昭和50年代から父がよく買ってくれました。たくさん買ってきては親戚にも差し上げていたので、小さなお子さんたちも大好物、とのこと。そのきっかけを作ってくれたのは父のおかげだと感謝されてしまいました。まあ、1箱全部平らげるほどすごく美味しいのは確かなんです。(笑)
 油谷湾温泉の楊貴館ホテルに向かう途中、長門二見駅を発車したばかりの長門市行きキハ40 2132と並行走行。長門二見から滝部間はこう配が続くので、キハ40はそんなに速度は出ません。私の運転するクルマもキハ40に合わせるようにゆっくり・・・。

 滝部の踏切。ここでも本当に懐かしい。数年前は黄色にクリーム色を纏った「広島色」が主流だったというのに、現在は國鐵の首都圏色に戻しています。

 長門二見尽くし。

 このまままっすぐ粟野方面に抜けたほうが近道だけど、わざと特牛駅、阿川駅、長門粟野駅前を通過し、伊上(いがみ)の楊貴館ホテルへ。長門粟野までは下関市、伊上から長門市に入ります。豊浦郡豊北町(とようらぐんほうほくちょう)と大津郡油谷(ゆや)町のほうがわかりやすかったのに。この地域も下関市になってしまい、「下関に行く」と言っても「ここでも下関だよ」と突っ込まれるため、「旧市内に行く」という言い方に変わってしまったそうです。旧市内=昔の下関市内という範囲らしい。
 ずっと昔の生活の拠点地は山陰本線の長門二見だったということもあり・・・全国各地で活躍しているキハ40や47を見かけると懐かしく思い出してしまいます。
 まずは・・・JR北海道

 小幌駅のキハ40。

 今度はJR東日本。只見線(新潟県-福島県)のキハ40。友人が撮ってくれました。5月だというのに、まだ雪が残っています。
 JR東海は早くも全滅、JR西日本は今回の記事。

 JR四国も数少なくなってしまいました。

 JR九州。筑豊本線の非電化区間(折尾-若松)や、肥薩線、吉都線、日田彦山線、日南線、指宿枕崎線などのローカル線で活躍中。JR九州さんは、次々と相次いで新型を導入していますが、意外と国鉄型ディーゼルカーは大切に使われているようです。
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長門二見駅

2015-03-30 01:01:57 | 2015北九州・山口

 京都の叔母を迎えに、長門二見駅へ。私がこの駅を利用したのは3歳から18歳の15年くらい。昔は貫禄のある木造駅舎で、駅員さんも駐在。もちろん、長門二見から国鉄線の硬券(昔の硬い切符)もありました。無人駅化は1989(平成元)年10月1日から。
 大正14(1925)年開業時から使われた木造駅舎は平成11(1999)年に取り壊し。

 これもあとから増築した、夫婦岩ふれあいステーション。駅寝もできそうな施設ですが、JRは駅舎の中で泊まることは禁じられているので、夜間は施錠されます。

 平成元年に比べると、本数がかなり減らされてしまいました。日本一秘境駅の小幌駅(1日3本(東室蘭方面)&5本(長万部方面)に比べると12本はまだマシなほうですかね・・・。

 子どもの頃は、幅の広い階段だったということは記憶しているのに、今見ると狭くなったような感じ。子どもの目で見ると、小さいものが大きく映っていたかも知れません。ウニも然り。子どもの目からもみるとサッカーボールのような大きさでした。

 15年間も昇り降りしていた階段。(うち3年は亡き祖母と通学)

 本当に懐かしい風景。マルス端末の電報略号は「ヒロフタ」。今だったら、JR北海道のマルスでも「ナガト」を入力しただけでも「長門」の付く駅名候補一覧が自動的に出ますが、昔の駅名の穴に緑色のピンで差し込む端末は不可。穴にあらかじめ登録された駅名がないときは、「ヒロフタ」を入力。

 しばらく待っていたら、子どもの頃みた風景と全く同じ國鐵(首都圏)色に戻したキハ47がやってきました!!

 キハ47 11は見慣れない番号です。子どもの頃乗ったキハ40、47の番号をすべて脳裏に記録。番号を見ただけで、子どもの頃からあったものと、途中で転属されたものの見分けができるほど。当時の若番は、キハ47 22。調べてみたら、数年前に豊岡地区の山陰本線から転属されたものでした。

 叔母下車!!相変わらずお元気な姿に安心しました。来年は傘寿だけど、京都から新幹線で乗り継いでここまで来れるのはすごいだと思います。キハの話はまだまだあります。本当に懐かしいと思うなら、汽車に乗ればいいのに今回は残念ながらレンタカー。
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小倉・旦過市場付近の「えしぇ蔵」は穴場でした

2015-03-30 01:00:20 | 2015北九州・山口

 両親は旧友たちと食事へ、私たちはここで国王様と食事。

 国王様いわく「南アフリカのワインが1番美味しい」とボトルごと注文。2人で空けてしまいましたが・・・1本のお値段、5万ウォンなり。(韓国の万は、日本円にすると千です)目玉が飛び出すほど高いですが・・・。私だったら、ワイン1本5万ウォーン!はできっこないです。

 エビとアボカドサラダ。エビまるごと食べても美味しいです。カルシウムたっぷり。

 メニューを見ても、炭水化物すなわち、ご飯ものや、パスタはないです。「あのー、すいません。ご飯類やパスタとかはないですか?」と直接店員さんに聞いてみました。「はい、あります」とポケットからメモを取り出し、パスタメニューを見せてくれました。5種類はあったと思いますが、博多や小倉といえば、明太子!!
 お会計時の金額を聞いて、驚愕。16万ウォンなり。ここは富豪な方がいらっしゃるお店なんです。全部、おごってくれました。

 小倉に来ても、寝るだけなので、ビジネス系ホテルにしました。もちろんWi-Fiあり。湯船とお手洗いが一緒になった、ユニットバスでした。
 父にユニットバスの使い方を丁寧に説明。なぜかと言いますと・・・沖縄のホテルで。ユニットバスでも、お手洗いのスペースで頭を洗ったり・・・なので、全面水浸し。父が出たあと、私がユニットバスに入ると目が点に。そういうこともあったので、「ここはユニットバスなので、ビニールのシャワーカーテンを湯船の内側に拡げておく。カーテンでシャワーの水が飛び散るのを遮るので、ここ(お手洗い)まで水ってことはありませんからね」「体を洗う場所は?」「湯船の中で漬かりながら頭や体を洗って、出る前に栓を抜いておく」。
 長年も浴場と、お手洗い別々の生活が根付いていると、間違った使い方をするのも仕方がありません・・・。(笑)
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無事帰還

2015-03-29 00:31:45 | 2015北九州・山口
 3月28日 
 6:10 起床 油谷湾温泉にたっぷり漬かる
 7:20 朝食スタート!
 8:00 ホテルチェックアウト 国道191号→長門粟野から県道で最短距離で実家へ。本当は191号線そのまままっすぐ進んだほうがブルーライン(海岸沿い)。早く帰って、御霊供膳(おりくぜん)を作らないといけないので、急行。ミニサイズの御膳にご飯・お吸い物、和え物、煮物、漬物を盛ります。故人の大好物だった、豆ごはんを炊いていました。
10:00 お坊さんが来場。前回の法要では、年を召された方でしたが、今回は後継ぎの若い人でした。
11:00 完了。お坊さんとの雑談。初めてお見えになられる方なので、故人と参列者との関係を紹介。
11:40 近所の鮨料亭へ出発。
14:00 料亭出発
15:30 小倉南区の親戚宅到着。昭和40年代に撮影した16ミリフィルム動画をデジタル化にしたものを持っているので、アイパットで上映。16ミリは動画のみで音声なし。昭和60年代の8ミリは動画と音声入り。2,30年前でも声が入っているっ!と驚愕。デジタルビデオやデジタルカメラは劣化の恐れなし。昔のフィルム形式はカラーが褪せてしまったり、カビにやられてしまったり・・・消滅の危惧があります。自分ではできないので、大昔のフィルムでもDVDにや焼いてくれるプロショップに頼んでしまいました。プロショップは、16ミリ、8ミリ・・・なんでも再生できる機器を持っているので、その映像をもとにデジタルに変換し、DVDにコピーすることも可能になりました。
16:30 下曽根の中華料理店へ
18:45 出発、北九州空港へ。レンタカ―の給油、返却手続き。前回は出発10分前ギリギリ。玄関前に横付けしてあわてて駆け込みセーフ。そのため、満タン返却していなかったため、走行距離に応じて清算。あのときは平戸、嬉野温泉を回って、途中で給油したのにそれも無効。およそ600キロなので、ガソリン代も相当な金額に・・・。そういうこともあったので、今回は何度も時刻を確認し、返却したので、割増料金なし。
19:45 離陸
21:20 羽田空港到着。田舎からのお土産が7つもあるので、多量荷物お預け、受け取り・・・で時間がかかりました。
23:00 帰宅到着~!!
 今日はとってもハードな1日でした。詳しくは後日。
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山口県長門市

2015-03-28 07:05:58 | 2015北九州・山口
今日もよいお天気です。朝は寒かったけど、昼は暖かくなりそうです。
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フォアグラ

2015-03-27 00:00:52 | 2015北九州・山口
 両親は、旧友の同窓会としての食事会へ。
 私たちは、ホテルに1番近いグルメを模索したところ・・・

 このお店が★4個という評判のよいお店。旦過市場の隠れ穴場。
 思わず「フォアグラのステーキ」を注文。すると、国王様が「フォアグラって知ってますか?」「さあ、さっぱりわかりません」「世界三大珍味とはトリュフ、キャビア、フォアグラの三種」それぞれの特徴を解説。さすがに国王様なので、私みたいな庶民が口にすることのできない食材までご存じ。

 じゃーん!フォアグラのステーキ。2万ウォン近く。(韓国通貨だけど、1万ウォンは日本円にすると千円)
 
 ここは九州だというのに、牛タンステーキも出ました。牛タンといえば宮城県仙台のイメージが強い。

 タイのカルパッチョ。
 ほかにも数品頼んでしまいました。すごーく美味しかったです。ごちそうさま。
 明日は山口の日本海側です。
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サプライズ

2015-03-26 23:37:25 | 2015北九州・山口
14時10分定刻とおり、北九州空港到着。今日は高気圧に覆われていて、東京からでも雲1つもありませんので、終点まで空中散歩。富士山山頂も見えたし、数分後に山陽の瀬戸内海。四国も。着陸前に山口県山陽側の工業地帯。あっという間に着陸。
 両親のお友達がクルマで出迎え。いつもいつも田舎へ帰るたびにクルマに乗せてもらえるなんてありがたいです。
 両親のお友達が母へのサプライズ。

 達筆なので、そのまま載せちゃいます!!

 お互い顔を見ながら手話で会話できるビデオチャットをよくしているため、母が出るたびにいつもエプロン姿なので、気を利かせ、小倉織の高級なエプロンをプレゼント。
 本当にありがとうございます。プレゼントした方は、母の年齢とそんなに違わないので、もう少ししたら傘寿です。それまでにピンピンお元気でいられますように。
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田舎へ

2015-03-26 12:04:20 | 2015北九州・山口
法要のため、スピードUターンします。年度末なので、田舎に帰ったときについでに、は、なかなか難しい。(+_+)
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