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OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

【回想】岩泉線シリーズ・浅内駅(その2)

2014-04-27 00:24:42 | 岩泉線

201404270003 懐かしい國鐵様式の駅名票。岩泉線が廃止になるまでそのまま現役で使われたかと思います。



201404270004 浅内駅前の様子。民家が建っているので、駅前の集落でしょうか。

201404270005 エネオスと旧日本石油を混在しているガソリンスタンド。
 私もずっと昔からNissekiユーザー。
 ANAカードで支払うと、マイルも2倍っ!!
 当時、旅先のレンタカーで「Nisseki」の看板があるスタンドを探すのに大変でしたが、今は旧JOMO、旧三菱石油、旧九州石油がエネオスに統合しているので、見つけやすくなりました。出光石油もマイルが貯まるけど、出光は200円につき1マイル。エネオスは100円につき1マイルなので、エネオスで入れたほうがお得。そこまでやるなんてせこいヤツかも知れませんが、1円でもお得ならとことん利用するしか!!
201404270006
 浅内簡易郵便局(2001年)。
 もろくて素質な建物、セキュリティーになっていなくて、強行突破できそう。しかし、局員さんがいなくなる夜間は現金を持ち帰っているので、そこにはないかも知れません。
201404270007 簡易郵便局とは、日本郵便株式会社が民間人または商店、コンビニ、農協、漁業組合などの団体に郵便業務を委託。
 今でも浅内簡易郵便局はあるかと調べてみたら、局舎が建っていたところは更地。別の場所に移転しているので、現在も営業中です。
参考URL:浅内・岩泉線 のホームページ

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【回想】岩泉線シリーズ・浅内駅(その1)

2014-04-25 00:02:19 | 岩泉線

201404250002 2001年10月6日の浅内駅。
 最初、この建物を見たとき駅の顔といえるべき、「浅内駅」の看板がないっ!!


201404250001  ウィキペディアの「浅内駅」で検索してみると、「JR東日本・浅内駅」の看板が後から取り付けられていました。出入口のところに目立つような「禁煙」マーク。


201404250003
 無人改札口を潜って、ホームへ行こうと思ったら、少し離れていました。かつてはホームに行くまでの間に線路が何本も敷かれていたでしょうか。
201404250004 出札窓口跡。切符受け皿が2つもあるので、昔は、2人の駅員さんが出札していたことがうかがえます。

201404250005
 寂しすぎる、時刻表。「禁煙」の上に「not」と落書き。否定の否定は肯定を意味する「二重否定」だから、「喫煙」かよ!?ダメですよ、駅舎は公共施設なんだから。
201404250006
 ホーム側から見たラッチ(改札口)。


201404250007
 ホームからかなり離れています。


201404250008201404250009 奥に見える塔のようなものは、國鐵時代、蒸気機関車が走っていた頃の名残。機関車に水を入れる給水塔。
 岩泉線内で1番標高の高い押角まで何両も連なった汽車が駆け上がるわけなので、車輪を動かす原動力に石炭の消費量は莫大。蒸気の水もすっかり食うので、ここ浅内駅で給水していたと思われます。浅内駅の話はまだまだ続きます。

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【回想】岩泉線シリーズ・岩手大川駅

2014-04-24 00:23:55 | 岩泉線

201404240001(注意:取材日は2001年10月6日です。現況とは異なる場合もあります)
 岩手大川駅前にあった、岩手運輸のバス停留所。そのまわりを見ていると、人が暮らしている民家がちらほら・・・。
 駅は1日3本しかないのに、バス停の時刻表は6本。川崎口1本、上町2本、岩泉1本、唐地2本。汽車との接続がなくても、地域の足として利用者もそこそこいたかも知れません。
201404240002 駅舎を見ると、ちょっと不自然。左側に本線のレールが敷かれてありますが、右側は使われていないのか草が生えていました。



201404240004_2  ホームの手前にも、待合室の建物が・・・。2つもあるなんて、1957(昭和32)年開業当時は栄えていたに違いない。



201404240003 こんな駅でも、東日本旅客鉄道株式会社に所属しているので、駅名票も渋谷駅や新宿駅と同じ様式。


201404240005
 駅前の様子。10月6日は土曜日、世間では休みの日なのに、1人も会わず。人影全くなし。

201404240006 現役だった頃の鉄橋。昭和30年代の技術でこんなに出来上がっているのに、廃線なんてもったいないこと・・・。
 次の駅は、岩手大川駅と同じく岩泉町内の、浅内駅です。秘境駅の押角は5回なのに、ここは1回で終わり!?これ以上語ることはあまりありませんし・・・ 。

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【回想】岩泉線シリーズ・押角駅~岩手大川駅

2014-04-22 00:52:46 | 岩泉線

201404220001 押角駅探検を終え、次の駅、岩手大川駅に向かう途中です。押角駅は下閉伊郡新里村。岩手大川駅は下閉伊郡岩泉町。このあたりだと岩泉線のなかで1番標高が高いところなので、押角を出ると、ほとんどトンネル区間です。戦前から戦後にかけて、たくさんの人がトンネル工事に携わり、貫通してきたのに、後世に伝わることはなく開通70年後は集中豪雨により脱線事故。復旧させるのに莫大な費用がかかるという理由により、JR東日本が2014(平成26)年3月31日をもって廃線。地元の東日本交通バス会社に引き継いでいますが、いわてホリデーパス(フリーきっぷ)は東日本交通バスの旧岩泉線区間もフリーパス券適用になっています。

201404220002 酷道340号線。
 道幅がとてもせまく、対向車がいたら、退避できるスペースがあれば道を譲るとかとても大変でした。
 現在は東日本交通バスが運行中ですが、数人乗りのマイクロバスかも知れません。




201404220003  岩泉線はトンネル区間。クルマはくねくね曲がる道をのぼっていかなければたどり着けません。

201404220004
 すごーい秘境にやってきましたっ!!押角を出ると、となりの岩手大川まで10キロ。消費税5%時代の運賃は山手線なら160円、幹線190円、岩泉線は地方交通線なので、200円区間。10キロという区切りのよいところ、少しでも超えていたら230円区間です。
 昔は押角から4.5キロ時点に「宇津野」駅があったみたいですが、開業10年後の昭和32年に廃駅。
201404220005  2001年当時、マイカーに1994年製造のカーナビ搭載。94年当時のカーナビは20万円くらい。8ミリビデオも10万円くらい。その頃は新米のくせによく買える金あったな~と我ながら感心。預金残高ゼロ(いや、借金のマイナスだったかも)でもなんくるないさーと平然と過ごしていたから??(今の時代、カーナビは多機能でも3万円台、ビデオカメラも2万円台で購入可能)今みたいに目的地まであと何キロだとか、予想目的地到着時刻、渋滞情報、ルートを選定する機能はまったくなく、現時点の情報のみ。
 岩手大川駅は、酷道340号線から離れた県道沿いなので、カーナビがなければ駅を見つけるのに難しかったかも知れません。次の記事は岩手大川駅です。

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【回想】岩泉線シリーズ・押角駅(その5)

2014-04-21 00:34:35 | 岩泉線

201404210001 ここは・・・押角駅前です。駅前とは思えないような風景。



201404210002  奥へ進むと、1軒の廃屋がありました。今は誰も住んでいないようです。大昔、立派な押角駅舎があった頃の駅利用者だったに違いない。

201404210003 201404210004_3
 人がいるっ!!とびっくりしてしまいましたが・・・石原裕次郎さんのポスターでした。カレンダーは1979(昭和54)年。
 撮影当時は2001年なので、22年前にこの家を捨てていったのか、真相は不明。

201404210006  農具を収納する小屋でしょうか。朽ち果て、自然と同化しつつ・・・。


201404210005 左に見えるのは刈屋川。最近の様子はどうなっている?と気になり、グーグルマップで調べてみました。

201404210007
 な、な、なんとあれから10年経過した、2011年10月。
 取り壊されず、そのままきれいに残されていましたっ!!
 廃屋に固定資産税は・・・?

 それは多分??地方税法による固定資産評価審査委員会が査定額を調査し、この建物の所有者に課税するわけですが・・・住居として利用できないほど傷みが激しい廃墟同然の家屋は、減免対象になっているかも知れません。
 10年経っても、自然と同化せず手入れされているようです。
201404210008
 2011年10月、押角駅入口の案内表示。道路は酷道340号線。

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【回想】岩泉線シリーズ・押角駅(その4)

2014-04-18 00:03:08 | 岩泉線

201404180001 当時は筋金入り押角駅マニアだったので、2001年の次は2003年も訪問。同時に青ヶ島マニア、1999年の次は2001年、2002年。立て続けに毎年帰って、その次は2007年、2010年。6回目の青ヶ島は今年か!?この時刻表は2003年9月20日のものです。

201404170002_2
 2001年に比べると、数分時間が変わっただけです。
 2003年は押角駅から各駅行きの運賃表撤去。

201404180002  
 盛岡駅で借りたレンタカーで岩泉に向かう途中、ちょうど押角には15時58分発の汽車がやってくるとわかったので、しばらくその駅で滞在。
 時刻表通りにやってきました!!キハ52、1両です。(2003年9月20日)
201404180003
 変な駅に変な人がいるっ!!と車内にいた乗客の視線が私に注目。車掌さんも降りてきて、「乗っていかないですか」。クルマで来たとはさすがに言えず、首を横に振り、「大丈夫です」。この駅を見にくる変な人もいるもんだなぁといった表情で安全確認のため、指差し呼称し、ドア閉め。心の中で「す、すいません・・・」。
 ホームの奥にいる人影は友人です。押角というすごい秘境を自慢したくて、わざわざ連れてきたと思います。(笑)
201404180004
 岩泉行き始発は7時24分、その次の2本目は15時58分なんて、究極。2本目をお見送り。

201404180005  押角駅ホームにあった温度計。2003(平成15)年は冷夏だったため、かなり低温でした。東京から半そでで来たため、ここに来てブルブル・・・。

 

201404180006  押角駅から対岸の国道へ行くには、この危なっかしい橋を渡って行きます。手すりが片方しかないのは、予算の関係??押角駅の利用者は1日ゼロまたは1人のために手すりをつける予算なんかないというJR東日本さんの見解だけど、東北新幹線でがっぽり儲かってんだから、それくらいは投資すればよかったのでは。今は廃駅になっているので、それはもう「あとの祭り」ですが・・・。押角駅の話はまだまだあります。

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【回想】2001年岩泉線シリーズ・押角駅(その3)

2014-04-17 00:59:50 | 岩泉線

201404170001 板張りのホームがあるだけで、屋根もないです。もちろん、改札口もありません。ホームにあがって、最初に目に付く設備は押角の顔といえるべき、JR東日本様式の駅名票と時刻表。

201404170002  1日3本っ!!今の時間は正午なので、次に来る汽車は15時53分岩泉行き。なんと4時間待ち。
 アウトドアグッズを持ち込み、押角駅ホームで昼食を調理して、最後に透き通るほどの川の水を沸かし、ホットコーヒー。究極の秘境ランチをやってみたくても、なかなか実現できず・・・。
201404170003
 ホーム出入り口近くの駅名票はJR様式だけど、あちらは國鐡仕様になっていました。JR東日本は市町村名併記ではないけど、國鐡仕様は「岩手県下閉伊郡新里村」とちゃんと明記。(2001年当時。現在は岩手県宮古市)
201404170004
 こんなところに駅があるなんてすごいです。


201404170005  8時32分発の宮古行きが出ると、次に来るのは15時53分岩泉行き。日中の8時間は汽車が来ない。ここにいれば、世間の喧噪さを忘れさせてくれる、ひとときを過ごせます。
 押角駅の話はまだまだあります。

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【回想】2001年岩泉線シリーズ・押角駅(その2)

2014-04-15 00:39:10 | 岩泉線

201404150001 2001年10月6日なので、うっすらと紅葉が入り交っていました。



201404150002 刈屋川にかかっている簡素な橋を渡って、階段を上がると目の前にレールが・・・。ホームに向かう途中、もし汽車が来たら轢かれるんじゃないかと思ったら・・・

201404150003  錆びているので、使われていないことが判明。右側に見えるレールが本線。ここはかつてのスイッチバック跡でした。


201404150004  後ろを振り返ってみたら、レールは行き止まり。この先はかなり急こう配、蒸気機関車が何両も連なった客車をけん引できなくなるので、いったん、ここにバックで入線し、駆け上がる仕組みになっているようです。左側は有人の旧駅舎があったところだと思われます。
201404150005 駅ホームが見えましたっ!!人里離れた秘境駅。照明は20ワットの蛍光灯2基のみ。 これだけの明かり、夜はかなり真っ暗なんだろうな・・・。1日3本のうち、最終列車は日没後の時間帯。手すりが片方しかない簡素な橋は暗くて踏み外して川に転落する恐れもあります。
 日没後の乗降客はゼロだとわかっていても、時刻表とおり律義に停車。もし、日没後、降りて行く人がいたら、車掌さんはかなりびっくりして呼び止めるかも知れません。だったら、停車してドアを開ける意味はなさそうですが・・・。(押角駅のまわりに人が住んでいるような民家は1軒もありません)
 押角駅のハナシはまだまだ続きます。秘境なら得意分野です(笑)

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【回想】2001年岩泉線シリーズ・押角駅(その1)

2014-04-12 00:51:49 | 岩泉線

201404110008 「押角駅」の標識がなければ、うっかり通過してしまいそうなところです。押角駅は秘境駅のなかで上位にランキングされていましたが・・・廃止に伴い、除外。今はJRとして営業はやっていないので、仕方がありません。

201404110007 「押角」の文字を見つけ、ブレーキをかけたわけですが・・・国道340号線です。道幅がせまくて、すれ違うのにギリギリです。国道ならぬ「酷道」そのもの。

201404110005 押角駅に行くのに、この橋を渡っていきます。(注:2014年4月現在、この橋は自然と同化し、崩壊寸前なので、 使用禁止になっています。 押角駅跡地を見に行きたくても、この橋を絶対に使わないように。万が一、渡る途中に橋が壊れ、川に転落したとしてもすぐ救急車は来ませんし、橋のたもとに「使用禁止」の告知があるので、国や岩手県に損害賠償を請求するのは難しいです)
201404110006 

 

 手すりがあるのは片方だけ。こっち側はありません。注意して歩かないと川に転落してしまいそう。

201404110003
 刈屋川の水がとてもきれいですっ!!このまま飲めてしまいそう。

201404110002

 これは、国道から駅に向かう橋の様子。

201404110004
 押角駅から見た橋。なんで、こんなところに駅があるかって、秘境駅キングオブの小幌駅(北海道・室蘭本線)と同じく、戦前、数軒の民家があったため。
 秘境へ行くことが趣味なので、押角駅の話はまだまだたくさんあります。

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【回想】2001年岩泉線シリーズ・岩手和井内駅

2014-04-10 00:05:28 | 岩泉線

201404100001 2001年10月6日午前11時頃、岩手和井内駅。朝の1本だけ、通学生のため、茂市発岩手和井内行きの往復が設定されており、ここから岩泉方面は1日3本っ!!まず、茂市から岩手和井内間を開通させたのは戦時中真っ盛りの1942(昭和17)年。
 この駅舎も開業時からそのまま使われており、2004(平成16)年に取り壊し。小さな駅舎に建て替えられて、6年目の2010年集中豪雨に遭い、列車は不通。2014年、ついに廃駅。建物はJR東日本から、地域のバス会社に譲渡してしまったのか詳しくはわかりません。
201404100004 小本線開業時の終着駅なので、貫禄のある木造駅舎でした。



201404100002  駅前にあった菊池商店。私が訪ねたときは、すでに閉店状態。
 グーグルマップで現在の様子を確認したところ・・・この建物は取り壊され、国道340号線を拡張していました。

201404100003
 菊池商店の向かいにあった、民家もなくなっていました。

201404100005  かつての出札窓口跡。1つだけではなく、2番、3番窓口もあったかも・・・??


201404100006  

 改札ラッチ。昔は駅員さんが立って、硬いきっぷに鋏を入れていたに違いない?

201404100007
 花も植えられたりして、きれいに手入れされていますね。


201404100008
201404100009  多くの人がにぎわっていたと思われる待合室。
 きれいなお花が飾られていました。旅人を和ませてくれます。

201404100011

 今はなき、農協。もし、今もATMが置かれていたら、都市銀行の三菱東京UFJ銀行のキャッシュカードでも平日の時間内なら手数料無料っ!!
201404100012  和井内周辺の金融機関といえば、郵便局しかありません。三井住友銀行のキャッシュカードは平日時間内なら、ゆうちょ銀行のATMで預入や払戻は手数料無料!!三菱東京UFJや三井住友は何もない田舎や秘境に強い都市銀行。次は押角駅。

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【回想】2001年岩泉線シリーズ・中里駅

2014-04-08 01:17:59 | 岩泉線

201404080009 今度は起点から2駅目の中里駅。(茂市から7.2キロ)駅前の道路は、国道340号線。中里の頭に「上」を付けていれば、東京都北区の上中里駅。【区】東京都区内の駅でありながら、1日の平均利用者は6793人。江東区の越中島(4230人)に次いで少ない駅だそうです。どちらも昔は「みどりの窓口」がありましたが、合理化のため現在は撤去されています。
201404080003
 東京の「上中里」の本家、「中里」。
 東京とは違ってほっこりする田舎。

201404080004  上中里駅は京浜東北線、時刻表は日中の快速も停車するので数分ごと。
 田端から品川間は山手線も平行し、ほぼ同時に発車するとウグイス色帯とスカイブルー帯が一緒に競争するかように少し追い抜かれたり、追い越したりするので、差別化を図るため10時半から15時半までスカイブルー帯は快速。途中の停車は上野・秋葉原・東京・浜松町・田町。それなのに、本家の中里は1日4本!!
201404080008 

 住民の請願により、途中でできた駅なので、開業日は昭和41年になっていました。民家がまばらになっています。

201404080006
 お手洗い。


201404080007 宮古は海岸沿いのイメージが強いはずなのに、 ここでも宮古市内になりました。撮影した2001年当時は「岩手県下閉伊郡新里村」という自治体でした。そのような風景は「村」のほうがお似合いなのに、「市」になっています。
 次は岩手和井内駅です。

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列車の来なくなった岩泉町に寝台特急

2014-04-08 00:00:00 | 岩泉線

 ・ありがとう岩泉線 廃線からブルートレインの住む町へ 

 
 岩泉線全線開通は1972(昭和47)年。当初計画では、三陸鉄道北リアル線の小本(おもと)まで結ぶ予定なので、「小本線」という名称でした。小本までの延伸を断念した時点で終着駅が岩泉なので、「岩泉線」に変更。
 岩泉線に関する情報を検索してみたら・・・岩泉町に鉄道が来なくなっても、廃止になったブルートレインの車両を宿泊施設にしようとプロジェクト中という記事を見つけました。
 昭和47年3月1日号の岩泉町広報トップページに開通式の様子が載ってあり、人があふれるほどのホームに初入線のキハ58ディーゼルカー。当時は開通を喜んでいたというのに、開通してからわずか15年後の1987(昭和62)年。国鉄からJRに変わる前に赤字ローカル線の廃線候補に上がっていました。沿線の国道340号線は道幅が狭く、バスの通行が困難という理由で免れ、沿線の足を守るため1日3本運行。ところが・・・2010(平成22)年7月31日。集中豪雨により、崖崩れ。脱線事故発生。全線を調査したところ、地盤がもろく補強しなければならない箇所がたくさん見つかった。収益が少ない赤字ローカル線を復旧するための巨額を投じるのは難しい。三陸鉄道は国の補助もあって、全線復興開通にこぎつけたが、JR東日本は新幹線や首都圏で稼いでいるため、補助は出ない。いくつかの鉄橋が流された只見線(新潟県~福島県)も廃止する話もあがっていましたが、只見町民が猛烈に反対しているため、振替代行バスで存続中。
 走る寝台特急はまるでゆりかごのような寝心地スッキリ。走らない寝台特急で横になっても、全く動かないので寝心地はどうなんだろう。全国的に次々と廃止に追いやられているので、昔懐かしさを求めに1度は泊まりに行ってみたい。

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【回想】2001年岩泉線シリーズ・岩手刈屋駅

2014-04-07 01:20:07 | 岩泉線

 東日本大震災の甚大な被災地、三陸鉄道の北リアル線、南リアル線全線3年ぶりに復興開通しました。津波で流されたレールを再び敷設し、開通にこぎつけたというのに、海岸沿いのJR山田線(宮古~釜石)は振替バス、大船渡線(盛~気仙沼)、気仙沼線(気仙沼~柳津)はレールを再び敷くより、費用が安いBRT(バス高速輸送システム)導入。岩泉線も2010年の大雨災害の崖崩れで復旧するのが難しく、振替バス輸送をしていましたが、4月1日から廃止。それでも沿線の足を確保するため、JRの振替バスからの地元のバス会社に引継ぎ。4月1日から岩泉線は全国のマルスシステムから抹消すべきなのに、うっかり消し忘れたため、指定席券発売機で4月1日から有効とする乗車券を誤発売。払い戻しに応じると言っていますが、ほとんどは記念のため購入しているので、払い戻しを申し出る人はいないでしょう。そのままJRの収入になります。
 ハードごと吹っ飛んだはずのパソコンが辛うじてCD-ROMにコピーしてあったため、2001年岩泉線旅は残せました。日付は2001年10月6日(土)、7日(日)、8日(祝日)の3日。3連休だし、どこかに行きたいなとうずうずし、突然の思い付きで「そうだ、岩泉線に行こう」と前夜の勤務終了後、国道16号線。ルートは柏から常磐道に入り、ひたすら北上。福島県のいわきあたりで磐越道、郡山、東北道。盛岡まで500キロ以上あっても、あの頃は平然でした。今はもうオジさんになっているので、ひたすら運転し続ける体力はもうありません。ちょっと疲れたな~と思ったら、サービスエリアに入って仮眠。「そうだ、青ヶ島へ行こう!」、「明日は利島へ行きたい」「ソウルまで無料航空券ゲット!北朝鮮ギリギリのところまで行ってみたい」とか、突然の思い付きばかり・・・。そのときの状況や成り行きに任せる行き当たりバッタリでも旅の醍醐味もあっていいかも・・・。
201404070001
 岩泉線最初の駅、岩手刈屋駅。時間は2001年10月6日午前10時20分。前夜の8時か9時頃出発したのは記憶にあるので、およそ13時間後。(600キロくらい)
 茂市から岩手和井内間の10キロを先行開業。この駅も1942(昭和17)年6月25日開業以来、そのままの姿。
201404070002
 無人駅とはいえ、開業時は多くの駅員さんが駐在していたの違いない。

201404070003

 
 

 山口県の山陰本線にも似たような風景。どこか懐かしさを感じさせます。

201404070004
 起点の茂市から4.3キロ。

201404070005  

 出札窓口跡。ウィキペディアによれば、無人化は昭和47年から。
 秘境路線とはいえとも、待合室は掃除が行き届いているようで、綺麗でした。たぶん、地元の方が気持ちよく利用して欲しいという願いを込めているかも知れません。廃止後の駅舎はどうなるか気になるところです。次は中里駅。

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岩泉線廃線後もMV機で発券 ファンが記念に貢献?

2014-04-05 00:13:47 | 岩泉線

(2014年3月7日の朝日新聞記事)
 有効なのは廃線後?誤って乗車券販売 岩手のJR岩泉線

 4月1日に廃線となる岩手県内のJR岩泉線(茂市―岩泉間)で、廃線日以降の利用を有効とする乗車券65枚(計1万6540円)が販売されていたことがわかった。JR東日本が指定席券売機のシステムに今回の廃線を反映させていなかったことが原因で、これに気づいた鉄道ファンが記念に購入したケースが多いとみられる。

 同社が7日発表した。東京、神奈川、埼玉、千葉、長野の5都県内の22駅の指定席券売機で今月1~6日に販売されていた。指定席券売機は1カ月先までの乗車券を購入することが可能。65枚すべてが廃線区間を行き来するもので、うち54枚(計1万5430円)は、廃線日の4月1日有効の乗車券だった。

 同社は今月2日、外部から指摘を受け、6日までに、廃線日以降の岩泉線の乗車券を販売できないようにシステムを変更した。「深くおわび申し上げます」として、対象の乗車券の払い戻しには手数料無料で応じる。

(ここまで)

 私も知っていたら、秘境駅の「押角~岩手和井内 経由:岩泉線」を4月1日を乗車日として、MV機(指定席販売機)で購入して取っておくつもりでした。今はもう手遅れ。残念。もし、発券でき、手元に残っていたら非常にレアな券になっていたかも・・・。みどりの窓口でもMV機も同じシステムを採用しているので、もしかしたら、窓口の端末でも廃線後を有効とする乗車券発券できていたかも知れない。岩泉線から遠く離れた、関東圏の駅で「押角から岩手和井内まで」を申し込むのは非常に気が引けるし、恥ずかしい。MV機なら機械相手なので、そういう乗車券でも気兼ねなく買えるのが原因のようです。

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