東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

【完】トーキョーへ

2021-05-12 00:00:24 | 2020_秋_JR九州放浪記


 2020(令和2)年9月27日(日曜日)。以前までは休日であっても行楽客がそこそこいたのに、今はご覧のとおりガラガラ。中国ウイルスのせいでオンラインによるミーティングが急速に進み、新幹線の需要が減ってしまっては困りますし・・・。

 小郡を出る・・・いや、新山口でした。眼下に広がる機関区の車庫。

 この風景、まさしく「国鉄」そのものだけど、JR西日本発足してから数年後の1991(平成3)年頃から国鉄のイメージを払拭するため、イエローとホワイトの境目にグレーの帯を纏ったカラーリングでデビュー。ところが・・・20年後の2011(平成23)年頃から塗装代節約のため、ディーゼルカーは国鉄のタラコ一色のみに戻し、電車はイエローのみに。JR西日本だけではなく、他社もリバイバルカラーとして、この色を採択。

 いったん、東京に戻り、1ヶ月後の10月終わり、GOTOキャンペーンの割引を利用して再び山口へ。地域振興のために政府から半額の支援があったんですけれども・・・売り上げが伸びる一方、中国ウイルスをかえって拡散させた結果になり、12月20日頃からキャンペーン取りやめ。歳末のJR四国旅は12月18日にチェックインなので、助成を受けられました。

 新山口を発って4時間10分頃。多摩川を渡り、東京都内に入りました。山口県の何もない田舎に住んでいた頃、東京は本当に遠いところと思っていたんですけど、今はもうあっという間に東京へ行ける時代。半年以上続いた旅行記はこれで終了いたします。現在は中国ウイルスのせいで思うように鉄分補充ができず、もうストレスの度合いはマックスに。

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厚狭→東京の特急券なので、途中下車は不可

2021-05-10 00:00:08 | 2020_秋_JR九州放浪記


 わずか9分で新山口駅に到着したのはよかったんですけれど・・・

 のぞみ40号に乗り替えるまで30分の開きがある。各駅停車から超速達列車への接続が悪い。

 改札口の向かいは山口県内の特産物を取り扱う「お土産街道」。新山口はローカルな駅なので、改札内にレストランやお土産ショップなどの洒落ているお店は無し。セブンイレブンがあるだけなので、小倉駅で用意して正解だった。

 改札内にみどりの窓口がないので、きっぷの変更などが生じたら、有人改札の駅員さんに声かけすれば通してくれそう。

 こちらは新幹線の出口だけど、在来線乗りかえ口はこちら。EX専用乗り継ぎ券売機が置かれていました。EXカードは新山口までの乗車券と特急券が一緒になったものなので、新山口から別途乗車券が必要になります。JRのきっぷに遠距離逓減制があるので、ここで新たにきっぷを買い直さなくても、在来線の目的地までのきっぷと特急券のほうがお得になるケースがあるかも知れません。
 在来線乗りかえ口に自動改札機があるので、ここで購入したきっぷをさきに投入してからEXカードをタッチすれば改札機の扉が開く。

 EXカードの乗車券はここで一旦打ち切りになるので、もし、長門二見までだったら1690円かかってしまう。EXカードは特急券のみにして、乗車券は紙のきっぷで出したほうがいいかも。

 山口弁なら「おいでませ!やまぐちへ!」のはずだけど・・・。

 新幹線ホームからの眺め。旧小郡駅時代のときは新幹線と在来線が分離されており、新幹線から向こうへ渡りたいと思えば、遠回りにするか、140円の入場券が必要でした。

 新幹線側出口と在来線側出口を結ぶコンコースができています。

 そろそろ東京行きの発車時刻。

 もし、急遽、山口宇部空港から羽田空港まで飛行機で帰るとしたら、ルートは新山口駅16時5分→山口宇部空港16時35分(宇部市交通局の連絡バス)搭乗手続き、出発20分前までに手荷物検査、ANA700便 17時40分→羽田空港 19時15分 京急線またはモノレールで東京駅に着くのは20時頃。
(※)中国ウイルスによる減便が実施されているので、現在のANA700便は欠航です。
 
 飛行機と新幹線、どちらもほぼ同時刻に着いてしまうとは「のぞみ」も速くなりました。国鉄時代の小倉から東京まで停車駅が少ない0系の「ひかり」でさえ6時間もかかりました。
   

 2003(平成15)年、東海道新幹線の品川駅開業と同時に「小郡」から「新山口」に改名。それまでの「のぞみ」は山口県内全駅通過していたのに、改名後は一部の「のぞみ」が停まるようになりました。今年2021年なので、停まるようになってからもう20年近くになります。

 実はこれ・・・7月、鹿児島中央から特急「きりしま」、「にちりん」で大分、久大本線の特急「ゆふ」で久留米・・・のルートを確定し、EX予約。ところが、九州豪雨により、久大本線の鉄橋が流失し、不通区間発生。しかも、中国ウイルスの第2波。ネットのJR九州列車予約で指定席の予約はしてあったものの、不通区間も発生していることから手数料なしで取り消しはできましたが、EX予約はJR九州とは全く関係ないJR西日本およびJR東海。JR九州の不通区間が発生し、予定にしていた旅行はキャンセルしたいと電話をしましたが、「新型コロナウイルスの緊急事態宣言が発出されていた期間は手数料をいただかず取り消しはできましたが、現在はそのようなお取り扱いは出来かねます。ご予約のみでまだ発券されていない状態でしたら、ご予約日から90日間は何度も区間や日付の変更ができますのでご検討ください」とのこと。
 それで・・・厚狭から東京までの7590円を、1ヶ月後の厚狭から新下関の自由席870円に変更。差額の6720円をカード口座に返金。また1ヶ月近くになってもまた予定が決まらず、1ヶ月後の小倉から博多の自由席に変更。旅行の計画を決めたのは9月3日なので、再び、厚狭から東京までの指定席を確保。返金してもらった6720円を再度決済。手数料なしで90日以内に何度も変更。EXカード会員の特権なんです。

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登場してからあっという間に20年目

2021-05-07 00:12:05 | 2020_秋_JR九州放浪記


 厚狭駅の九州方面ホーム。そんなに離れている理由は真ん中に「のぞみ」の通過用レール。ここは各駅停車タイプの「こだま」しか停まらないので、超高速の「のぞみ」が追い越し。

 ここに新幹線ホームが出来る前も、厚狭駅ホームの屋根を見つめながら通過。100系でも富士山が見える側をリクエストをしていたため、東京に行くときは必ずE席。今もそう。

 もう少し先に行けば、旧厚狭機関区。いろんな汽車が待機しており、瞬時の通過タイムでも密かな楽しみ。

 こだまが入線。JR西日本管内のみ運用の「ひかりレールスタ-」の700系がデビューしたのは2000(平成12)年。もう20年選手になります。2000年生まれも今年21歳になります。本当に早い。

 JR西日本管内のみなので、2&2シート。このほうが座席幅は少し広め。私のような体型でもゆったり。JR東海さんは普通車でも多くのビジネスマンを乗せてもらいたい。2&3列仕様なので、JR西日本の「のぞみ」も東海の規格に統一。「のぞみ」なのに、2&3列と、2&2列が混在すると、座席予約システムのマルスも混乱してしまう。

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あさからとうきょうへ

2021-05-05 00:06:22 | 2020_秋_JR九州放浪記

 タイトルの「あさからとうきょうへ」は試しに正確に変換されるかテスト。「厚狭から東京へ」と一発で思い通りに変換。駅名同士だと判断したATOKは偉い!

 在来線ホームの跨線橋。昔からあったものだけど、突き当たりは今から22年前の1999年に開業した新しい新幹線の改札口。

 自動改札機の向かいは「みどりの窓口」。「鹿児島中央→【区】東京都区内」の細長い120ミリのきっぷは自動改札機に対応していないので、みどりの窓口の駅員さんに提示。

 長門市駅のみどりの窓口で発券されたものだけど、EX予約は発行駅が載っていなくて不便。

 2枚ともチケッターで入鋏済。

 (どうやって改札口へ?)と聞きましたが、(自動改札機をそのままお通りください)の「どうぞ」身振りをしてくれたので、自動改札機にきっぷを入れなくても、扉は閉まることはなく通り過ぎることはできました。改札機の前にみどりの窓口があるので、改札機非対応のきっぷでも対応可能。

 9月27日 13時13分頃発生した地震の影響により、岡山から東京まで走行中の新幹線に遅れが出ていますとのこと。
スマホで調べてみたら、浜松市で震度4。JR東海の新幹線位置情報では20分から40分遅れの幅があり、1時間以上とか大幅に遅れているところはなさそう。

 こだま856号で「のぞみ」停車駅の新山口へ向かいます。山陽本線の普通電車で新山口、と考えていましたが、本数がかなり減らされ、希望する「のぞみ」号に接続できなくなる。

 山口県では「厚狭」の地名を「朝」と同じ手話表現。山口県内なら「朝」と表現されても「厚狭」のことだとすぐ通じるけど、遠く離れたところの東京だと通じない。「山口県の、厚い、狭いの字であ、さ というところ」を付け足しが必要。

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美祢線の終点、厚狭駅

2021-05-03 00:00:14 | 2020_秋_JR九州放浪記


 まもなく、終点厚狭駅。地元の請願により、各駅停車タイプの「こだま」のみ停車する条件を受け入れ、1999(平成11)年開業。

 厚狭駅到着。向こう側に新幹線の厚狭駅が見えます。駅が出来る前に新幹線の車窓から今は無き厚狭機関区でいろんなディーゼルカーが待機中。一瞬の風景に「ここは厚狭駅を通過中」くらいの認識でしたが、まさか新幹線駅ができるとは思いもしませんでした。

 厚狭駅舎側から美祢線、山陽本線、新幹線の配置になっており、美祢線のホームはわざわざ跨線橋を使わなくても目の前に在来線の改札口。山陽本線利用者は改札口から入って、跨線橋で向こう側のホームへ。美祢線は本数が少ないのに贅沢な環境。

 改札口にICカードをかざす簡易改札機が設置されていますが、新幹線のチケットレスEX-ICカード利用者向け。私は今までチケットレスを利用したことはなく、きっぷ形式で発券。

 厚狭駅前の風景。ずーっと昔から変わらぬの風景ですが、変わったのは右側の真新しい建物。調べてみたら、ビジネスホテルでした。

 新幹線の厚狭駅は反対側。みどりの窓口も2ヶ所もあります。営業時間はどちらも6時から22時40分まで(2021年5月2日現在)。中国ウイルスのせいで店じまいを早くする駅やリモートのオペレータが対応してくれる「みどりの券売機」に任せ、昼間は窓口を閉める駅が続出しているのに、ここは16時間40分も開いています。

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山陽小野田市に入りました

2021-05-01 00:15:12 | 2020_秋_JR九州放浪記


 厚保は美祢市内だけど、次の駅からは山陽小野田市。平成の大合併により、どちらも譲らなかったので旧山陽町と旧小野田市が一緒になった珍しい事例。

 湯ノ峠駅。ずーっと昔の記憶をたどると・・・この駅の近くに駅名のとおり、温泉があります。旅館の温泉だったんですけど、宿泊客だけではなく、日帰りでも入れました。温泉は昭和っぽい雰囲気が漂い、浴室は真ん中にどーんと楕円形の湯船に古めかしいタイル張りだったとは覚えています。今でもやっているのかと調べてみましたが、残念ながら廃業。

 「湯」が付く駅名はほとんど温泉が湧き出ているところですが、例外的に山陰本線の「湯玉」。この駅の近くに温泉はございません。

 次の駅は新幹線停車駅の、厚狭。もともとは厚狭郡山陽町だったけれど、現在は山陽小野田市。
 

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ダジャレで暑~い駅

2021-04-29 00:21:50 | 2020_秋_JR九州放浪記

 2年前の平成最後の4月。26日は金曜日、27日の土曜日から5月6日の月曜日まで令和への改元も含め異例の10連休でした。平成から令和へ跨いだ瞬間は当時24時間営業だった千葉中央郵便局の「ゆうゆう窓口」。平成最終日の31.4.30 18-24および令和最初の瞬間、1.5.1 0-8 の記念押印のつもりだったのに、時間外のゆうゆう窓口では改元に伴う記念押印は実施していないとのこと。記念押印も実施していたら、マニアが殺到してしまい、深夜時間帯の限られた人員のなか、従来の業務ができなくなる恐れがあるからでしょうか。
 あれから1年後の令和2年。中国ウイルスの緊急事態宣言が全国の都道府県で出ているさなかなので、計画していた「東根室(最東端)→ 佐世保(最西端) 経由:ほとんど日本海側に沿った路線。山陰本線も含む。」の旅行は飛行機、駅前のホテルやえきねっと、e5489、JR九州列車予約もすべて特例により手数料無しでキャンセル。MADE IN CHINAの生物兵器はかなりしぶとく現在は様々なタイプの変異株も出るほど。まさか、令和3年も引きずるとは思いもしませんでした。

 四郎ヶ原駅を出ると、次は「暑い」のダジャレに使えそうな厚保(あつ)駅。

 厚保と書いて「あつ」と読む。ちょっと難読駅。「あほ」と読めそうなので、注意が必要です。

 ここでも古めかしい駅舎でした。山陰本線は新しい簡素な駅舎に建て替えられているところが多いのに、美祢線は時間が止まったかような貫禄のある駅舎ばかりです。

 晩夏の厚狭川。キハ120の車内ではエアコンが入っています。9月の終わり頃はさすがに川遊びの風景はほとんど見られず、でした。 
 

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四郎ヶ原駅。ふと思い出したかように検索

2021-04-27 00:14:21 | 2020_秋_JR九州放浪記


 ここでは、しろうがはら、と読みます。九州では「原」を「ばる」と読む駅が多いけど、日豊本線の大隅大川原は「おおすみおおかわら」、佐土原も「さどわら」。常夏の小笠原も「おがさわら」。いつ頃だったのか忘れましたが、職場に「小笠原」のローラー消しが押された郵便物が届き、一瞬、小笠原から!?いったい何だろう!?とハッスルしながら開封すると神奈川県小田原市からでした。印影をよく見たら「笠」ではなくうっすらと「田」。
 高校の時にこの駅を通ったときに、一瞬・・・極悪レフェリーとして名を馳せていた「阿部四郎」さんを連想。極悪レスラーのダンプ松本やブル中野が相手のライオネス飛鳥や長与千種を押さえつけている間は1、2、3の間隔を短くして高速カウント。それなのに、ダンプ松本を押さえつけているときはわざと1・・2・・とスローカウント。阿部四郎は極悪同盟とグルを組んで悪いことしてんな!とテレビを見るたびに何度も思ったことも・・・。

 今どうしているのかなって、ふと思い出したかように検索。

 ・長与千種&ダンプ松本
 
 ダンプ松本さんは  1960(昭和35)年生まれ、現在61歳。
 長与千種さんは   1964(昭和39)年生まれ、現在57歳。
 ライオネス飛鳥さんは1963(昭和38)年生まれ、現在58歳。
 
 あの極悪レフェリーの阿部四郎さんは・・・?1940(昭和15)年生まれ、2017(平成29)年に76歳で逝去されました。ご健在かと思っていましたが、今でもすごく印象に残るレフェリーでした。ご冥福をお祈りします。


 旧大嶺駅舎は明治時代の開業当時からずーっと1997(平成9)年に廃線になるまで使われていたのは確かだけど、この駅も大嶺駅と同期、明治38(1905)年建築物に違いない?と調べてみたら、この建物も明治の遺産でした。

 出所は こちら 。 建物財産票に「明治38年9月30日」と刻印されている証拠写真があります。明治、大正、昭和、平成、令和と116年。元号が5つも経験している建物。1912(明治45)年7月30日 までに生まれた方は明治生まれと分類され、2021年現在、109歳の方です。「2020(令和2)年9月1日時点の住民基本台帳に基づく100歳以上の高齢者の数が前年より9176人増加し、初めて8万人を突破、80,450人となった」と報じられており、今も明治生まれの方が多くいらっしゃるのではと思います。

 美祢線は大正や明治の遺産がたくさんあり、当時を思い馳せるため車ではなく、美祢線に乗車する旅はいかがですか~。   

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南大嶺駅

2021-04-25 00:21:33 | 2020_秋_JR九州放浪記


 線路が見えてきたら、次の駅の接近。今度は南大嶺駅。

 駅舎はあそこなんですけど、駅舎側の1番線は旧大嶺支線の跡。使われていないのなら、構内踏切でも作ってすぐホームに出られるようになればいいんですが・・。

 こちらの駅名票は美祢線本線用。

 駅舎側のある駅名票を拡大してみると・・・

 1997(平成9)年に廃止された大嶺支線用の駅名票。次の駅は「おおみね」になっていますが、ちょうど美祢と同じ読み方なので、「おお」のところを青いペンキで塗りつぶされた跡が見えます。

 大嶺支線に乗車したのは、高校の時に1回。2回目は・・・1997(平成9)年3月31日をもって廃止されるので、わざわざ東京から駆けつけ、乗車。長門市駅#発行の「#(シャープ)」が入っている機種は日立製作所の熱転写MR12型(平成4年頃~平成22年頃まで)。「@(アット)」が付くものは感熱タイプのMR32型(平成17年~平成30年頃まで)。現在はMR52型で統一。(JR九州は「R」、JR西日本およびJR東日本の東京支社、横浜支社は「F」、JR東海およびJR北海道は「MR」、JR四国は「M」。「E」はJR東日本の東京、横浜を除く全地域のみでOKI電気製ME4型端末。)10年経てば、これまでの法則に従うとしたら、MR72型か!?
 大嶺駅に着いたら、きっぷは回収されるのが決まりなんだけど、無効印の代わりに運転士さんのサインお願いしますとリクエスト。もう24年前なんですかね・・・。当時50代おぼしい方だったので、今はもう定年退職されているかと思います。変わっているマニアでも丁寧に応えてくれる、とても親切な運転士さんでした。

 1997(平成9)年2月27日撮影の大嶺駅。1905(明治38)年に建てられた建築物。駅前にある石のタイルも明治時代からのもの。

 1997(平成9)年3月31日、JR西日本広島支社主催の「さようなら大嶺支線」の盛大なセレモニーが行われ、翌日の4月1日からもう列車は来なくなりました。ゴールデンウィークの帰省に東京からマイカーで美祢インターをおりて、大嶺駅へ。クルマは1994(平成6)年製造の5変速マニュアル。あの頃はむちゃくちゃ無謀に全国のあちこち出かけたため、10万キロを達した2001(平成13)年頃。上信越道の路上でクラッチが繋がらなくなり、とっさに故障と気づき、「とりあえず、今は路肩へ」と惰行運転で路肩へ停車。今だったら、スマホからJAFに助けを求められるが、2001年当時はなかった。路肩に停まって、1番近い「非常電話」へ。ろう者は電話で状況を説明できない代わりに受話器を外したまま待機。すると、黄色い高速道路パトロールカーが受話器を外された電話ボックスまで急行してくれます。10万キロを達してもクラッチ板を交換しないままだとすり減ってしまい、回転力の伝達ができなくなる現象。あの頃は乗り潰すまでセコい乗り方をしていたんですけど、今はジジィになっているので、車検費用のことも考え、最初の3年目で車検、その次の車検前に手放すサイクルを採用。
 ちなみに青ヶ島はAT車でも走行可能ですが、きびきびな走りができるのはマニュアル。急勾配のつづら折り、しかもジグザクなので、上がるときは1か2ギア。下りのときはまるでジェットコースターが下に降りるような感覚なので速度を出しすぎのないように低速ギアでエンジンブレーキをかけながら・・・。青ヶ島の道路はまるでジェットコースターの軌道を運転するような感覚なので内地と異なる運転テクニックが必要になります。しかも、道幅が狭いところが多いので、常に対向車が来ないか神経を使います。次は四郎ヶ原(しろうがはら)駅です。

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美祢駅

2021-04-23 00:29:45 | 2020_秋_JR九州放浪記


 次は美祢線の中で唯一の「みどりの窓口」がある美祢駅。

 大正5(1916)年、私鉄の美祢軽便鉄道の吉則(よしのり)停留場として開業。大正9(1920)年、日本国有鉄道になった際に美禰線の吉則駅に、昭和38(1963)年に路線名、駅名も「美祢」に改称。

 この近くに中国自動車道の美祢インターがあり、若かった頃の帰省はいつも東京からマイカー。当時最寄りのインターチェンジは国立府中。東名高速に乗るには東名川崎インターまで市街地の一般道路なので、それが面倒臭くて国立府中から険しい山岳高速道路の中央道経由で。岡谷まではJR中央線と並行し、岡谷を過ぎると、ほとんど秘境路線を抱えている飯田線で並行しながら飯田まで通れば、今度は恵那山トンネルで険しい山を貫通し、中津川。中央線と並行し、愛知県の小牧まで。名神高速、中国山地を貫通する中国道では福知山線、加古川線、播但線、姫新線、津山線、芸備線、三江線、山口線とクロスしながら美祢インター。ガソリンはおよそ80リットル前後、1人でぶっ通しで運転するときは途中で仮眠タイムを入れるので15時間。2人でおよそ200キロずつ交替すると、11時間~12時間。20代なら全国どこでも車だけど、ジジィになった今はそんな体力は持たない。飛行機または鉄道の公共交通機関を利用し、現地でレンタカー。

 改札口は駅員さんが立っていないので、無人駅かと間違われそうですが・・・ちゃんといます。駅事務室側で集札。本来なら、改札ラッチで駅員さんがきちんと立っていたほうが見送る姿が見えるので、そのほうがいいんだけど。

 山口県のガードレールはオレンジ色なら県道。国道は白色といったように区別されています。

 厚狭川かな。まだまだ美祢線の旅は続きます。 

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重安駅

2021-04-20 00:00:53 | 2020_秋_JR九州放浪記


 次は重安駅。駅舎は向こう側にあり、その間に線路があるので構内踏切で渡る必要があります。駅舎側の線路は使われていないようです。

 構内に線路がたくさんあるのは、むかし、石灰石積み込み施設の名残。

 美祢線は本数の少なさからにすると「地方交通線」に分類されるべきなんですが・・・国鉄の再建時に幹線または地方交通線に仕分けする際に当時の美祢線は貨物列車が頻繁に運行されていたために「幹線」と指定され、2013(平成25)年に貨物輸送は廃止されてもそのままになっています。
 JR北海道の最北端に向かう宗谷本線は「地方交通線」だけど、最東端へ向かう根室本線は「幹線」。国鉄時代に制定されたものだけど、あれから40年経過した現在の変化により実態と合わなくなった路線も多くなっています。

 仕出し弁当屋さんの建物。窓ガラスに養生テープが貼られていて、まるで戦時中のようだけど・・・2020(令和2)年の9月に発生した2個の台風は九州に向かい、「令和元年9月、千葉県を襲った台風15号と匹敵するほどの強さになるでしょう」と報じられたこともあり、鹿児島中央から九州各地に向かうときに車窓からは雨戸のない窓ガラスに養生テープの民家を多く目にしました。

 令和元年9月、千葉県を襲った台風は非常に熾烈でした。養生テープを貼るなどの対策をしていなかったため、風圧で窓ガラスが割れて怪我をするのではと身に危険を感じ、雨戸のある1階に避難したほど。雨戸がついていなければ段ボールで窓に貼り付け、ガムテープで補強したほうがよさそうです。

 次は美祢線の中心駅、美祢駅です。

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「〇谷」は繁華街、「〇木」は日本の原風景

2021-04-16 00:00:56 | 2020_秋_JR九州放浪記

 タイトルの「〇谷」は繁華街、「〇木」は日本の原風景」。〇に入る漢字は何でしょう?というクイズ、即答できた方はかなり地理や駅名に詳しいかと思います。
 ヒントは、東京に行きたくて都会生活に憧れていた中学のとき。〇木駅に停まったときの駅名票。「ここが谷」だったら、いいな~。

 美祢線沿線ものどかな風景が続きます。

 線路が見えました。ここはどこなんでしょう・・・?

 渋木駅でーす。

 おそらく開業当時の姿のまま保っている貫禄のある木造駅舎。中学のときに通ったときは駅員さんがいたかどうかはちょっと記憶にないんですけど、ウィキペディアで調べてみたら、1985(昭和60)年に無人駅化と記載。
 1924(大正13)年建築の建物が今も健在。今年2021年なので、100年近くになります。

 国鉄時代の駅名票は 「しぶき(大きな文字) 渋 木 SHIBUKI(山口県長門市)」。あの頃、夜でも昼間のように明るい喧騒な渋谷に身を置いてみたいとか、そんな夢を抱いていましたが、あれからもう何十年。渋谷の街よりも、青ヶ島や小笠原とかなーにもない絶海の孤島のほうがいいに決まっていると考えはじめるように。檜原村の山奥や北海道や沖縄もいいし~。

 渋谷なら、多くの人が行き交うスクランブル交差点。その近くに山手線の鉄橋。最近、中国ウィルスどうでもええわ!という感じに再び大勢の人が行き交うようになりました。4月15日の大阪府で新たな中国ウィルス感染者は1208名。ここ数日間、新たな感染者が千人超えの状態です。東京都も729人。

 渋谷は不夜城だけど、1字違いの渋木は日本の原風景。

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長門湯本駅

2021-04-14 00:10:34 | 2020_秋_JR九州放浪記

 2021年4月13日、大阪府における中国ウィルス感染者はなんと1099名。東京都510名。このままでは再び緊急事態宣言が出るかどうかの状態ですが、最初の緊急事態宣言が出たのは2020(令和2)年4月。緊迫感もあり、その年の5月にはもう収束したかように見えたんですけど、令和2年7月から再び雲行きが怪しくなり、第2波。年末を迎えると全国的に急増し、令和3年の年明け、東京都における中国ウィルス感染者は2000名を超えたため、2度目の緊急事態宣言発令。1月7日から3月21日まで。解除されてからまもなく1ケ月になりますが・・・このありさまです。

 板持駅を出ると、次は長門湯本駅。温泉郷の旅館街もこの近く。駅舎はかなり貫禄がありますが、無人駅です。

 家族旅行でこの近くの温泉宿に泊まったのはいつ頃でしたっけ??とアルバムを確認してみたら、2018(平成30)年の7月でした。

 お世話になった宿は「西京」さんなんだけど、線路からは見えず・・。

 VIP御用達の宿。安倍晋三前首相がロシアのプーチン大統領をおもてなしした宿。あそこに泊まってみたくても、高嶺の花。

 2018(平成30)年、長門湯本駅に出かけたときの記事は こちら

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板持駅

2021-04-12 00:29:35 | 2020_秋_JR九州放浪記


 国鉄の古めかしいキハ40だったら嬉しいんですけれど、残念ながらJRのキハ120でした。

 山陰本線は国鉄のキハ40や47がメインになっている理由は、勾配が少なく比較的平らなところを走行しているので、キハ120みたいに強力なエンジンを積まなくても大丈夫。3000番台はエンジンを置換し、改造しているんですけど、ほとんどは国鉄時代からのオリジナルばかりです。
 美祢線もキハ120がデビューする前まではキハ40。非力なエンジンなので、美祢線の山間を走るのに床下のエンジンがものすごく響き、苦しそうにもがくので走行スピードは遅かったのは記憶している。オリジナルのキハ40だったら、長門市から厚狭まで46キロを1時間半。現在は軽量のキハ120なので、時間も大幅に短縮し、1時間くらい。
 JR東日本の只見線で活躍していたキハ40を小湊鐵道さんが昨年に購入し、本線を試運転する様子をツイッターなどで投稿あり。子どもの頃通学で何度も乗ったキハ40が再び地元で巡り会えるようになります。どの列車がキハ40で運行だとわかっていれば、きっぷを購入して乗りに行くんですけど、はやく判明できれば・・・。

 仙崎始発なんだけど、貸切状態でした。

 長門市駅を出ると、次は板持駅。美祢線の歴史はとても古いけれど、宇賀本郷駅と同じく地元の請願駅なので、1958(昭和33)年設置。

 次は2016(平成28年)、安倍前首相がロシアのプーチン大統領をおもてなしをしたという、温泉郷の長門湯本駅です。

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うどん屋さん、ありました!

2021-04-08 00:00:29 | 2020_秋_JR九州放浪記


 駅前1等地だというのに残念・・・。車でしか行けない場所に大型の複合施設が出来ているので、みんなあっちに行くんでしょうかね・・・。

 ウェーブから少し離れた場所に

 うどん屋さんの「どんどん」ありました!!これでランチにありつける。

 店内の様子は地元のお客さん、部活帰りの高校生がたくさん。

 ざるうどん、ミニかつ丼セット。うどんはまるで讃岐うどんのようでコシがあって美味しい。
 高校生がお財布を取り出すときに定期券ケースが見えたので、ちらっと拝見。なるほど、ここはICOCAエリア外なので、プラスチックでできた磁気定期券。JR西日本では、毎年、定期券の柄模様を変更して不正利用防止。さらに有効期限も和暦ではなく西暦表示の「2020」に。定期券の模様を毎年変えるのはどうやらJR西日本だけのよう。自動改札機は去年の定期券を挿入すると、エラーを検知し、扉が閉まる。しかし、自動改札機のない有人改札だと年のところを指で隠して無賃乗車されても気づくのは難しい。毎年柄模様を変えていれば、ぱっと見てこれは過年度のものなんでしょ!?と摘発。さすがにJR西日本。

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