秋、別れの季節。
枯葉舞い散る道を初老の男性が、ひとりさみしくコンビニに弁当を買いに行く姿を見た。あれは、妻に捨てられた男か。明日はわが身か。
石原裕次郎の唄に「粋な別れ」というのがあった。浜口庫之介の作詞で、「秋には枯葉が小枝と別れ・・・」ときて、「粋な別れをしようぜ」と結ばれる。世にさまざまな別れがあるが、男女の色恋の末の生きながらの別れは、なかなか粋な別れとはいかないようだ。男女ともそれなりに傷ついてしまうのが、通例のように思う。時と場合によれば、殺傷沙汰となる。あの唄は、別れたいサイドの切実な願いの表れともいえようか。
男女間のことは、さておき、落葉樹の葉っぱの方は、時いたらば、つべこべ言わずに小枝と別れる。葉は、風に吹きちぎられて落ちるわけではない。みずから、落ちてもよい状態をつくってのことである。葉に残っていた養分を木にもどし、葉の柄の決まった部分に離層をつくり、落ちる準備を整えているのである。ゆえに、落ち葉は、同じ形をしている。
人も葉っぱくらいの自然さがあればいいのに。どっちみち、そのうち、枯れて呆けて、落ちるというわけだ。