「国譲り」の実際は

2008-10-24 | 読書
 古事記、国譲りの話が続く。
 古事記の表現からだけでは分からぬが、権力をめぐっての戦いがそこにあり、かなりの政治ドラマが展開されたことが想像される箇所である。
 高天原の神々は、天若日子の派遣も失敗に終わり、次に、建御雷之男神(タケミカヅチノカミ)の派遣を決めた。天鳥船神(アメノトリフネノカミ)が同行する。同行するというよりは、実際は援軍としてつけたというところか。この派遣の人選をめぐっても、高天原の神々の間では、おそらくさまざまな思惑なども渦巻いたのでなかろうか。
 いずれにしろ、この二神は、武に秀でていた。
 「十掬剣を抜き、逆に浪の穂に刺し立て、その剣の前に跌み坐して、その大国主命に問いて言りたまはく・・・・」とある。
 武をバックにして、地上の国は、天照大御神の御子が治めるべきところであるので、お前は出て行けというわけである。通常、このようなことは、穏便には解決しない。表面的に穏便に見えても、裏では血みどろの戦いがあるというのが通例である。
 まず、大国主命の息子の一人である八重事代主神(ヤヘコトシロヌシノカミ)が、「この国は天つ国の御子に立奉らむ」と屈する。「天の逆手を青柴垣に打ち成して隠りき」とある。殺されたか、自害したかでなかろうか。
 ついで、大国主命のもう一人の息子である建御名方神(タケミナカタノカミ)は、敢然と戦いをいどむが、建御雷之男神の圧倒的な力の前に破れてしまう。建御名方神は逃走し、ついには追っ手の前に「この葦原中国は、天つ神の御子のまにまに献らむ」と言うことになる。そして、信濃の国の諏訪に「幽閉」される。
 大国主命自身は戦っていない。戦わずして、「国譲り」を認めている。なんらかの事情があったことが想定される。子息達より先に、拘束され、自由を失っていたのでないか。大国主命は、わたしの住むところとして、高天原の最高神を祀る社に匹敵する社を造ってくれと言う。これ以上、争乱を拡大させたりしないから、その代わり、わたしを祀る大きな社を造ってくれというところか。
 建御雷之男神は、高天原に帰り、葦原中国を平定したことを報告する。
 大国主命が望んだ大きな社は、実際に造られる。出雲大社である。比類ない規模をもつものである。比類なきものとなったのは、地の国の統治上、そうしなくてはならぬ世情があったのでないかと、聞いたことがある。
 そして、高天原の神々が仕組んだことも。大社のなかに祀られた大国主命は、拝みに来る世人からは、遥か離れた高殿におさめられ、見ることはかなわず、警護というより見張りの神々に取り巻かれていると。その上、拝む世人にそっぽを向いた配置とされていると。
 出雲大社に行き、神殿をぐるりとまわり、その気になってさがせば、大国主命は、こちらに向かっているとの表示を見つけられる。