いぶろぐ

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44年目の初クリスマス

2019-12-24 20:03:26 | パパと呼ばれて〜親バカデレデレ日記


ふと気づくと極めてナチュラルに「親子連れ」になっている自分が新鮮だ。
ベビーカーを手回ししたり、チャイルドシートに載せ替えたり、
持参した水筒のお湯でミルクつくって飲ませたり、
赤ん坊抱っこしながらクリスマスディナーなんて、
いちいち手間暇かかってしようがない、しかしそのどれもが楽しくて仕方ない。

自分のことしか考えなかった15年前はこんなこと、まったく想像だにしなかった。
赤ちゃん連れを傍目に見て、大変そうだなあとしか感じていなかった。
僕はといえば自分のことで精一杯、家族なんてとても責任負えないし、
たぶん生涯独身で親にもならずに終わるのだろうと思ってた。
その方が自由だし勝手気ままだし…なんて気取ってた。

バンドやめて、カッコつけなくてよくなって、仕事頑張って、
そこから紆余曲折あって、歳とって、
目の前のものを大切にし続けてきたら、ここにたどり着けた。
そうなってみないとわからないものは確かにある。
いまなら素直にそう理解できる。

自由にはいまでも何より価値を置いているし、
年甲斐もなく青臭い反骨精神だって肌身離さず持ち歩いている。
けれど自由とはどことも繋がらない浮草のような漂泊とは違う。
自ら望んで根を下ろし、守りたくなるものがある。
自ら望んで果たしたくなる責任というものだってある。

自由でありたいと願うのはあくまでも魂の在り様であり、
いまあるがままを肯定的に受け容れるかどうかという心の持ち様でもある。
畢竟、それは「幸福」の自覚とも通底する。

他人より1周も2周も遅れた人生だけど、
僕みたいな我慢のきかないワガママ人間が、よもやこんな境地に達しようとは。
不惑とはこういうことか。
まったく人生は奥深い。

まだまだ思いもしなかったこと、知らなかったことがこの先待っているのだろうか。
15年後、中3になる息子と共に、
還暦の僕はこの記事をどんな思いで見返すのだろうか。

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