真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「股がり天使 火照りの桃源郷」(2022/制作:Blue Forest Film/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典/撮影監督:坂元啓二/録音:山口勉/編集:竹洞哲也/音楽:與語一平/整音:吉方淳二/助監督:赤羽一真/監督助手:神森仁斗/制作応援:山本宗介/撮影助手:原伸也・田中彩野/録音助手:西田壮汰/スチール:須藤未悠/仕上げ:東映ラボ・テック/協力:ロケットワイフ/出演:高橋りほ・友田彩也香・辰巳ゆい・工藤翔子・吉田憲明・伊神忠聡・なかみつせいじ・バクザン・モリマサ・野間清史・巌屋拳児)。出演者中、モリマサと野間清史は本篇クレジットのみ、ではあるけれど。
 カラカラ回るダーツの的にタイトル開巻、風俗店オーナーの木津公平(巌屋)が恐々見守る中、新人嬢の東田舞花(高橋)が源氏名をダーツで決める、的の回転が止まつてから。こゝで、拳磁的な何だかプロレスラー風の改名をしてゐるものの、巌屋拳児といふのはお馴染み、あるいは単なる岩谷健司(a.k.a.イワヤケンジ)。
 店の看板も実名で抜かれる、特殊浴場「ロケットワイフ」(吉原)、何でロケットなのか。ロケットワーイフ!無性に人を石丸博也の声色で叫びたくさせる、闇雲な勢ひの語感はなくもない。閑話、休題。ベテランのなおみ(本名は北川梢/辰巳ゆい)が、ナンバーワンのかおるには辿り着けなかつた、常連客・萬田良介(伊神)に掟破りのNS殺法。一方、仕事場となる個室に、新居感覚で―のち劇中に於いても自ら謳ふ―公称Hカップ92cmのお胸をときめかせる舞花改めメイを木津と、元嬢で女番頭格の寺本洋子(工藤)は不安がる、工藤翔子て当サイトとタメなんだ。
 一番の大物は後に回すとして、配役残り友田彩也香が、件のかおり嬢こと南条いつき。確かに乳は太いにせよ全般といふか全体的に過積載のきらひも否めない気持ち鈍重なビリング頭に対し、二三番手の美麗ぶりが殊更際立つ。如何なる付き合ひなのか小松公典と距離の近しいバクザンは、かおりお気に入りのストリートミュージシャン、大体ヒムセルフ造形。類型的なトラックが、挿入歌に使用される。竹洞哲也五作前の2020年第二作「温泉情話 湯船で揉みがへり」(主演:きみと歩実)ぶりのピンク通算五本目、本隊二本目となる吉田憲明は洋子に女手一つで育て上げられ、就職も決まつた息子の優一。話を戻して伊神忠聡は、新橋探偵物語から初めて外征した、即ち外様から外れての本隊筆下し作。野間清史はメイ・かおると二輪車を戦ふ常連客、この人はちやんと出て来る、この人は。その他、辰巳ゆいとの濡れ場の恩恵にも与る、何か少し痩せた麻原彰晃みたいな赤羽一真以下、山宗なり竹洞哲也・小松公典(a.k.a.近藤力etc.)は含まない客要員が若干名投入。内定祝に優一をロケワイに連れて来る、同じ大学のパイセンは神森仁斗。問題が、モリマサが何処にゐたのか本当に全然皆目判らん、寝てないよ。
 無駄口が枝葉も茂らせ損ねる、2021年第一作「生つば美人妻 妄想で寝取られて」(全て脚本は小松公典/主演:神納花)と、第二作「恋愛相談 おクチにできないお年頃」(主演:あけみみう)。寡黙な戦術に転じたら転じたで、霞より希薄な第三作「義父と未亡人 一夜だけの秘め事」(主演:乙白さやか)に、前作の「はまぐり三景 吸つていぢつて」(2022/主演:並木塔子)。相変らずか性懲りもなく大蔵の寵愛を受け、順調なのは撮らせて貰へてゐる本数ばかり。内容的には黒星が四つ並んだ三ならぬ黒い四連星の竹洞哲也2022年第二作は、二ヶ月後にほぼ同じ布陣の続篇が控へる要は二本撮り案件。
 泡風呂を舞台にしてゐる以上、三本柱の裸は潤沢、な割に。裸映画的には千歩譲つてまあまあ、といつた程度。時間に追はれたか、ものぐさなフィックスが動かうとしない画角は押並べて平板で、踏み込んで来る気迫の希薄な、絡みは大体淡白。終ぞ地に足の着かない浮ついたヒロイン始め、後述する偉大な存在感を轟かせる御仁以外、詰まるところ全員何となくしか生きてゐない。何でもないやうなことが何でもないまゝの、観客を揺さぶるサムシングに乏しい非力な物語も例によつて面白くも何ともなければ、大して詰まらなくさへない始末。始末といふか、不始末といふか。ベクトルの正負は仕方がないのでさて措くと、辛うじて琴線が触れかけたのは豚汁を如何に読むかの件。凡百のシークエンスに劣るとも勝らない、凄まじいまでの他愛なさにはグルッと一周して吃驚させられたか。路上にてメイが銭を投げようかとしたところ、被せるが如く不自然に割り込んで来られる、不格好なラスト・シーンなんてもう完璧、ある意味通り越して逆の意味で完璧。
 尤も、箸にも棒にもかゝらないだけで、終らなかつたのね、今回は。かおるが姿を消したロケワイに飛び込んで来るのが、来店は年に一回、業界単位で名を馳せる伝説の巨根客・富士山富男(なかみつ)。富士山並と畏れられる正しく超弩級の逸物は、なおみ曰く富士山どころかエベレスト。そのチョモランマを、デジタル撮影の果実を大人しく甘受、マットの上に寝た富士山の然るべき位置に、なかみつせいじの顔面を綺麗に合成処理する破天荒な奇手が大噴火。怒張の状態を、捧腹の顔芸で表現してみせるのもなほ超絶。事後、鼻を中折られた富士山からなおみが、太平洋はおろかブラックホールを拝命される無体なオチには、辰巳ゆいに対する不憫さも禁じ得なくもあれ、安田清美なら許されるのか。とまれ一発大逆転が鮮やかにキマりはする、無碍に匙を投げる訳にも行かない、一点ならぬワン・カット・突破で捨て難い一作。“だーれも触れーない、ふーたりだけーの国”。「ロビンソン」のコーラスを爆音で鳴らしたくなる、締めの濡れ場への空前絶後にスマートな導入で深い鮮烈を刻み込んだ、加藤義一の「すけべ繁忙期 モーレツたらし込み」(2021/脚本:筆鬼一=鎌田一利/主演:折笠慎也・久留木玲)に匹敵する一撃必殺を、昨今の直截に不甲斐ない竹洞哲也が叩き込んで来ようとは思なんだ、油断してゐた。


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 「欲情妻 むかしの愛人」(1993『人妻・密会 不倫がいつぱい』の2004年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/監督:渡辺元嗣/脚本:双美零/製作・企画:田中岩夫/撮影:稲吉雅志/照明:伊和手健/編集:酒井正次/助監督:今岡信治/監督助手:北本剛・徳永恵実子/撮影助手:斉藤博/照明助手:広瀬寛己/録音:銀座サウンド/スチール:佐藤初太郎/現像:東映化学/出演:小川真実・井上あんり・杉原みさお・荒木太郎・杉本まこと・平賀勘一)。
 六時四十五分の時計にタイトル開巻、どうやら小屋に端折られたスタッフのクレジットは、小川真実と小林夏樹を混同してのける、当サイトに劣るとも勝らず覚束ないnfajで補ふ、出鱈目にもほどがある。なので照明助手の広瀬寛己が、本当に寛巳でなく寛己でクレジットされてゐるのか否かは不明。寛巳を寛己で誤記するくらゐ、奴さんには茶飯事か朝飯前だろ。
 蘭(小川)が保険外交員の夫・槍田馬太郎(平賀)に朝食を食べさせようかとしたところ、団地の隣家から最初は犬の鳴き声かと聞き紛ふ箍の外れた嬌声が。当人いはく、日々槍田家が生じさせる夫婦生活騒音への対抗との、カラオケ感覚でマイクを握つた米子(杉原)の、朝つぱらから爆音轟かせる未亡人ONANIE。百歩譲つて対槍田家はまだしも、両隣の反対側―あと上下も―には如何に申し開くつもりなのか。それと僅かに見切れなくもない、亡夫の遺影は識別不能。この面子だと、定石的には渡辺元嗣かしら。さて措き、馬太郎はそゝくさ出勤。送り出しがてら帰宅時間を確認した蘭には、実はアメリカから一時帰国してゐる、馬太郎と結婚する以前からの不倫相手・精野サトシと日中密会。した上で、先に戻り素知らぬ顔で馬太郎を待ち構へる目論見があつた。一方、馬太郎は高額契約に判を捺させたい、米子宅に直行ないし並行移動する。こゝで画面(ゑづら)的にはスチールのみの出演であれ、電話越しの声は聞かせる精野役が中田新太郎。もしかすると誰も知らない、今何処。
 配役残り井上あんりは蘭の妹で、昨晩から家を空け男漁りに耽る恵。荒木太郎が姿を消した妻を捜し、それどころでない蘭に泣きつく義弟の太。恵が二時から会ふ予定の間男といふのが、蘭も蘭なら馬太郎も馬太郎。実はのクロスカウンターで、保険の顧客に金持ちの娘を紹介する交換条件で寝る、逆に義理の兄にあたる馬太郎だつた。杉本まことは米子に捕まり恵との逢瀬に行けなくなつた馬太郎が、代りに向かはせる部下の穴多。どうも社名不詳のこの会社、いはゆる枕営業が横行してゐる模様。それもそれで、女子社員も兎も角男は体力的にキツいだらう。実際終日米子の相手をしてゐたといふかさせられてゐた馬太郎が、終には凄惨な荒淫の果て死にさうな顔をしてゐる。
 国費を使ひながら所蔵プリントの翻刻も満足に出来ないnfaj共々、タイトルバックに裸がない隙あらばクレジットを割愛する悪弊が甚だ宜しくない、地元駅前ロマンに飛び込んで来た未配信の渡辺元嗣1993年第二作。何はともあれ、未見の旧作に触れられる機会は無上の僥倖。どうせクレジットなんて、新東宝ビデオ用に改竄された素材を使はれてしまへば木端微塵、それは“どうせ”で済む話なのか。
 元々恵が馬太郎のために押さへてゐた901号室にて、妹に引き合はせるべく―恵は801号に退避―連れて行つた太と、ドンピシャの入れ違ひで―恵がゐるものと―現れた穴多と蘭が二連戦を戦つたのち、結局会ひ損ねた精野をイマジンして米子のお株を奪ふ、朝まではふざけないワンマンショー。馬太郎と米子、あるいは平勘と杉原みさお(a.k.a.大滝加代)は全篇の大半を貫き、竜虎相搏つ壮絶な死闘を展開。シャワーこそ浴びるものの、よもや二番手―そもそも三番手が全てを食ひ尽くすか焼き払ふ勢ひでもあるのだけれど―が誰とも絡まぬまゝ映画が終るのか?と地味にでなく危惧させられた恵は、901号を辞した穴多と上手いこと合流。並走する漸くの槍田家夫婦生活と、遠回りの末辿り着いた恵と穴多のビジネス情事が、クロスカッティングで目まぐるしく交錯するのが締めの濡れ場。ラスト・カットも、来月精野が帰国する二十日に、赤丸のつけられたカレンダーといふ徹底ぶり。となると、要はナベもへつたくれもない。連れ込みの一室を軸に登場人物が器用に交錯する、グランドホテル的な面白味も幾許かはあるにせよ、深町章でクレジットされてゐたとて恐らく気づく者もゐまい、まあ清々しいまでに女の裸しかない純度の高い裸映画。いよー、ポン!歌舞伎調の掛け声と鼓を徒に多用通り越して濫用する、素頓狂な選曲。普通に美味しさうな、奮発してすき焼きの夕食。牛肉を満喫する小川真実と平賀勘一の、口元を妙な執拗さで狙ひ抜くのは、まさか―舌―鼓にフィーチャさせた奇手ではなからうな。顕示的なナベぽくなさすらちらほら際立つ、どうかしたのか軽く心配なほど風変りな一作ではある。


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 「女教師 生徒の眼の前で」(昭和57/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:上垣保朗/脚本:大工原正泰/プロデューサー:三浦朗/企画:奥村幸士/撮影:野田悌男/照明:内田勝成/録音:木村瑛二/美術:中澤克巳/編集:山田真司/選曲:伊藤晴康/助監督:村上修/色彩計測:福沢正典/現像:東洋現像所/製作進行:三浦増博/出演:三東ルシア・岡里奈⦅新人⦆・嵯峨美京子・中根徹・堀広道・北見敏之・吉川敏夫・岸正明・小旗拓郎・水木京一)。
 軽く廃墟みさへ漂ふ古い校舎を背景に、体育の授業のサッカーにクレジット起動。校内に入つたカメラが、歩を進めるタイトルバック。英語の授業中の、教室のドアを開けトリの上垣保朗。教科書を朗読する、校名不詳高校英語教師のヨシザワ令子(三東)に、案外ぞんざいな書体でタイトル・イン。一学級優に賄ふ潤沢な生徒部に関しては、潔く白旗を揚げる。凄腕の人が見たら、何処に後年の誰それがとかあるのかな。
 令子に当てられ、教科書を読み始めたシマノ貴志(堀)をリーダー格の酒井拓也(中根)以下、ガールフレンドの久美(岡)。桑田(岸)と名なし悪ガキ要員(小旗)に、若森(古川)の三馬鹿が点取り虫云々と揶揄する。フと調べてみると初陣にして二番手に起用されたオカリナに、以降の戦歴が見当たらない件。ザックリ譬へるならば、縦方向に引き伸ばした相沢知美(ex.青井みずき/a.k.a.会澤ともみ)。閑話、休題。令子が顧問で、冷やかしに来た三馬鹿をテニスには真面目に取り組む拓也が排除する、テニス部の部活を経て。女子職員更衣室のシャワーで汗を流す令子を、拓也と同じジャージなのは多分学校指定の、ストッキングを顔に被つた暴漢が襲撃。令子が誰も見てゐないところで犯された事後、現場には何故かジグゾーパズルがひとピース残されてゐた。
 配役残り、嵯峨美京子は令子の同僚かつ友人の祥子。北見敏之は祥子の恋人・秋山、多分サッカー部の顧問。令子は普通のアパートに住んでゐる割に、秋山が妙にゴージャスなマンション住まひであつたりするのが不可解な所得格差。そして画期的ならしさで飛び込んで来る水木京一が、件のワンピースを携へ、令子が話を訊きに行く玩具店店主。ピースひとつ持参してどのジグゾーパズルのものかなんて、判る訳ないだろ。
 第四作「女教師 汚れた放課後」(昭和56/監督:根岸吉太郎/脚本:田中陽造/主演:風祭ゆき)が地元駅前ロマンに来た流れで、ぼちぼち見進めて行くかとした、全九作で一応括られる「女教師」シリーズ第六作。ex.DMMに全部入つてゐるゆゑ、見る分には容易いとしても第一作のそのまゝ「女教師」(昭和52/監督:田中登)が、何をトチ狂ふたか尺が百分もあるのが正直結構面倒臭い。上垣保朗(a.k.a.佐々木尚)のフィルモグラフィとしては昭和57年第一作、といふより通算第二作にあたり、一方、三東ルシアにとつては初の量産型裸映画。演出部と俳優部、期待の新星を日活が揃へて来た布陣ないし風情も窺へる。
 ロマポの一種お約束事でもあれ、若かりし時分に要はオナペットとしてしこたまお世話になつたイカ臭い思ひ込み、もとい青臭いエモーションにじつくり醸成された闇雲な激賞もそこかしこに見当たりつつ、そもそも強姦された女が、ジグゾーパズルを手掛かりにレイプ犯を自力で捜し出さうとする。だなどと土台頓珍漢な無理筋に貫かれた物語が、特段面白い訳でも別になく。反面、男が立ち去つた後の方が寧ろエロい最初の凶行と、久美に連れて行かれるまんまと鴨葱の体で、令子が日曜日と創立記念日の二連休、矢鱈豪勢な酒井邸に囚はれる。当時観客の精巣を空つぽにしたにさうゐない、轟然と畳みかける怒涛の中盤が大いに充実。屈折した劣情をヒロインが正体不明か御都合的な懐の広さで受け容れる、シークエンス自体は―よしんば歪んでしかゐないにせよ―感動的な締めの濡れ場まで含め、女の乳尻を愛でる分にはひとまづの完成度。端々でズッタズタ平然とカットを飛ばす乱雑さと、締めの濡れ場の、不用意な暗さに加へ距離と構図何れも中途半端な、ヤル気の有無が微妙に怪しいフィックスは頂けないけれど。裸と映画を天秤にかけた場合明らかに裸が重い、ぼちぼちの一作。でも別に構ひはしないともいへ、今作最もメタ的に解せないのが、公式のイントロ―当時のプレスが、シリーズの第10弾を謳つてゐるへべれけさは微笑ましい―から貴志が自閉症とされてある謎設定。精々線の細い、優等生くらゐにしか映らない。女教師が生徒(久美と三馬鹿)の眼の前で生徒(拓也)の尺八を吹かされてゐる体育倉庫に、ぐるぐるパンチばりの原初的な勢ひで実力介入、したはいゝものの。秒殺でボッコボコに返り討たれる情けない貴志の姿は、無体な無様さがグルッと一周する清々しさを呼ぶ。

 それと、前年に勝アカデミー(四期)を卒業してゐる、カメラの前に立つ仕事的には最初期の中根徹が、幼さを残すほど若いのも側面的な見所。


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 「したがる先生 濡れて教へて」(2002/制作:国映株式会社/配給:新東宝映画/監督:今岡信治/脚本:今岡信治・星川運送/企画:朝倉大介/音楽:gaou/撮影:鈴木一博/助監督:坂本礼・伊藤一平/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/撮影助手:清水慎司・川又太治/監督助手:松本唯史・白石香織/タイトル:道川タイトル/現像:東映化学/出演:高野まりえ・吉岡睦雄・小倉あずき・松島圭二朗・米倉あや・土橋大輔・羅門ナカ・イッペイ・理佐ライオン・岩越留美)。共同脚本の、星川運送なる人を食つた名義の正体は不明、星川隆宣?
 国映のみクレジットした上でタイトル開巻、「よーい、スタート」。第一声から早速覚束ない口跡で、校名も担当科目も不詳の高校教師・藤沢紀子(高野)が、土でなくタータンのトラックを戯れにダッシュする。ミニスカと踵の高いブーツで危なかしく走る紀子を、遠く盛岡から編入して来た、中村圭介(土橋)が校舎の窓から見やる。視線に気づいた紀子が二年二組の教室を覘いてみると、驚く勿れ中村はフルチン、時々日に当てないと“暴走”するらしい。その癖、中盤絵のモデルを乞ひ中村が紀子を招く、一人暮らしの自宅は眩しいを方便に、ヤバいバイブスで窓を塞いでゐたりもした。閑話休題校庭の中まで紀子をチャリンコで迎へに来た、漫画喫茶アルバイト店員の彼氏・城山耕一(吉岡)との事後。耕一が紀子の顔を跨ぐ、その所作はもう少しどうにかならんのかと重疑問がバクチクするのは兎も角。兎に角跨いだ弾みで、紀子は耕一が火遊びした女・チサト(一切登場せず)が、耕一の足の裏に連絡先を書き残してゐる火種を見つける。
 配役残り、イコール今岡信治の羅門ナカは主に紀子が入り浸る勢ひで使ふ、安くしないと客が来て呉れないのに、安くても来ない悲しい店「gina」の店長。本厚木のレストランバーである「gina」と、紀子が暮らす「伽羅ハイツ」(世田谷区北烏山)は二十余年の歳月に耐へ現存する。小倉あずきは紀子の同僚・脇坂智美で、松島圭二朗が智美の彼氏、兼漫喫の多分社員・石本正人。元々耕一含め、四人で何時もつるんでゐる仲、合コンでもしたのかな。米倉あやは耕一がコインランドリーで出会ふ浪人生・大河内孝子、今度はイコール伊藤一平のイッペイは、催した孝子が二尻のチャリを停めさせた、ゲーセンの表にて。その場に通りがかり孝子がヤリマンである旨、耕一に告げる輩・崎山。美紀が「gina」で事実上の自棄酒を呷つてゐると、智美と石本が来店。耕一の不在を尋ねられた、美紀がスッ惚ける「オラシラネー」。痴話喧嘩がてら幅広の畦道を並走する、紀子と耕一のママチャリ。袖にされた耕一が、田圃に突つ込むカット。そして、 例によつてウェーイな造形を宛がはれた伊藤一平の、「あいつ、ヤリマンな」。何処で観たのかは忘れたけれど、端々を結構覚えてゐた。そ、れと。大勢に影響を及ぼす大問題でもなくはあれ、そこかしこぼちぼち見切れる頭数のうち、理佐ライオンと岩越留美がどの二人を指すのかが全ッ然判らん。理佐ライオンて、ラジャ・ライオンにかけた訳ではあるまいな。
 エクセスから買取拒否を喰らつた案件を、国映経由で新東宝に救済して貰つた。リアルタイムでm@stervision大哥が大胆な憶測を展開してをられる、所詮関係者が口を割つて呉れない限り、真偽のほどが定かにならない疑惑は一旦さて措き。端役とはいへ当時既にテレビアニメでのレギュラーも持つてゐた、声優の米倉あやが変名を用ゐもせず、堂々と脱いで絡んでゐる今岡信治通算第九作で国映大戦第五十九戦。全くの門外漢につき、声優界に於けるこの人のネームバリューについては清々しく与り知らないけれど、高野まりえと小倉あずきが共倒れ、もとい共々面相から難も否めない一方、三番手ながら米倉あやが一番可愛く撮られてある。といふ評価も十二分に成立する布陣につきクラスタ諸氏は必見、とだけは間違ひなく断言し得よう。耕一が移す心に納得といふ形で感情移入の容易な、イチャイチャいやらしく且つ愛ほしく。体のみならず心も重なる対面座位の濡れ場などは、裸で映画の裸映画として普通に素晴らしい。あ、あと忘れてゐたのが今作、吉岡睦雄のピンク初陣でもあつた。素頓狂な発声等々よくいへば既に出来上がつてゐて、悪くいふと初々しさとは無縁。
 エクセス買取拒否の件に関しては、前貼りを貼るのが面倒臭かつたのか、あるいは劇中季節ないし撮影時期が冬―ちなみに封切りは六月中旬―であるのを踏まへた、些末なリアリズムか。結合した下半身が基本布団の中から出て来ない点と、各々の絶頂を概ね無造作に端折る、あるいはより積極的に描かうとはしない。頑なか小癪な態度にさへ目を瞑れば、女の裸ナメてんのかと腹は立たないあるいは、もしも仮に万が一、元々対エクセスの代物であつたとしても、辛うじて頷けはする程度。寧ろビリング頭二人のキャスティング自体に、何処から連れて来たんだなエクセスライクをより強く感じつつ、何れにせよ、映画を見ただけでは何ともいひかねる。
 実は手洗にカメラが仕掛けてあつた、紀子が敷居を跨いだ中村拓ならぬ中村宅には、中村が描いたヒバリの絵が。曰くヒバリは死んだ人間の魂を肩に乗せ、地上に運んで来るのです。この目の見えないヒバリは、地上に未練を残した人間の魂が、痛ましくて堪りません。拗れ倒す紀子と耕一の恋路に、試しにググッてみても何も出て来ないゆゑ、恐らく中村発案によるヒバリの伝承が木に竹を接ぐ。美紀に突き飛ばされ球体噴水を被弾した耕一が、何も全裸になることはない、コインランドリの乾燥機で濡れた衣服を乾かしてゐて孝子とミーツ。近しくなつた二人が「gina」に行き、紀子ら三人と鉢合はせる。土台無茶なシークエンスに不自然をもう一手被せそれなりに不時着させる、クロスカウンター的な展開はグルッと一周して鮮やかにキマる。予め現し世に居場所を持たずに生まれて来たかのやうな、中村の歪んだエモーションも歪んだものは歪んだまゝに、なほ高い純度で起動しなくはない。尤も、地味にアキレス腱たる松島圭二朗の壊滅的な薄ッぺらさに加へ、箸が転べば「gina」で話が進行する、手数を欠いたロケーションの限界は終盤流石に食傷も禁じ難い。何より土橋大輔は確かに撃ち抜けたヒバリ云々を、改めて心許ない、主演女優の口跡は持て余しすらし損ねる。中村クンの魂を運んで来る、ヒバリなんて飛んでゐないショボ暮れた冬空の試合終了ぶりが象徴的な、大魚を釣り逃がした感なら漂ふ最終的には貧しい一作。特に相好を崩しもせず、用意した衣装に着替へる紀子の映像を、中村が録画しつつ同時視聴する無表情な至福。死後紀子に送りつけられて来た自身の盗撮VHSは、未だ中村が家族の皆から愛されてゐた、幸福な幼少期のホームビデオに上書きされたものだつた。確かに必殺が、一撃どころか二撃あるにはあるの。惜しいのね、凄まじく惜しいのよ。不完全なればこそ、なほこの映画が好きで好きで仕方ないといふ声に対しては、当サイトは異を唱へない。


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 「不倫女医の舌技カルテ」(1999/制作:セメントマッチ/配給:大蔵映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:森山茂雄/監督助手:横井有紀・長谷川光隆/撮影助手:石野朝子/照明助手:森角威之/録音:シネキャビン/スチール:佐藤初太郎/現像:東映化学/出演:佐倉萌・水原かなえ・河村栞⦅新人⦆・千葉誠樹・幸野賀一・池島ゆたか・おくの剛・平川ナオヒ・かわさきひろゆき・山ノ手ぐり子・間中朱音・As・小池蓮・錠三枝子・HITOMI・神戸顕一・のろけん・石動三六・白木努・山本幹雄・佐川一政)。出演者中、のろけんがポスターには本名の木村健二で、河村栞の新人特記と間中朱音から神戸顕一までに、石動三六以降は本篇クレジットのみ。
 公園の木陰で草臥れてゐたかわさきひろゆきが起動、水飲み場で飲むのでなく水を顔に浴びてゐると、背後からフェイスタオルを差し出される。礼がてら、かわさきひろゆきは竹宮探偵事務所と印刷された封筒で調査報告書をタオルの主に手渡す。振込の念を押した上で、竹宮がタオルを返してタイトル・イン。このアバン、こゝで御役御免のかわさきひろゆきには、いふほどの意味もない、かわさきひろゆきには。
 タオル氏と甚だ紛らはしい、主観視点が「湊メンタルクリニック」に来院。この辺りの無造作さが、実に池島ゆたか。もしも仮に万が一、ミスリーディングだとしたらそれは流石にリーディング自体がミスだろ。終盤、男子トイレの千葉誠樹に、再びタオルが差し出される件は折角綺麗にキマッてゐたのに。閑話、休題。結構美人の受付(多分間中朱音)を通過、既に八人待つてゐる待合室が序盤最大の見せ場。手前から抜かれる順に、箍の外れたマザコンの横須賀正一は、小池蓮名義かなあ。本クレと本篇の、頭数は一応合ふ、イコール大場一魅のHITOMIはハードコアな不眠症。診察を撮影した―体の―ビデオ映像に於いて、神戸顕一がたゞ一言叩き込む「なんだばかやろ」が何気に超絶。池島ゆたか監督作に神戸顕一が兎にも角にも何が何でも、百本連続出演する。要は悪し様に片づけるならばノルマごなしのキャスティングにあつて、ドリフ狂で知られる神顕らしい一撃離脱を披露する披露させる、案外完璧なタクティクスには感心した。間中朱音との消去法で錠三枝子は、特徴らしい特徴にも欠く純然たるワン・ノブ・ゼン。そして何処から連れて来たのかギャランティは幾ら発生したのかしなかつたのか、限りなくヒムセルフ造形の佐川一政に度肝を抜かれる。いはずと知れた、サンテ刑務所から唐十郎に手紙を寄越したあの佐川君。寧ろある意味、石動三六なり木村健二を載せるくらゐなら、馬鹿デカくポスターに佐川一政の名を大書して巷間の耳目を惹かうとする色気をみせても、別に構はなかつたところではある折角の飛び道具。白木努は吃音、後述するさやか先生に岡惚れを拗らせる通り越して爆ぜさせる八神(千葉)挿んで、山本幹雄は終始ぐるんぐるんバンギングとふよりヘッドローリングしてゐる人。
 配役残り、来院視点の主は不眠を訴へる、「薬はヤるもんぢやなくて売るもん」とか利いた風な口を叩く幸野賀一。幸野賀一がクリニックの敷居を跨いだ時点で、診察を受けてゐた石動三六を手短か適当に切り上げる、内科医の亡父から居抜きで医院を継いだ、湊さやか先生(佐倉)が漸く大登場。水原かなえと山ノ手ぐり子(=五代暁子)は別室でカウンセリング中の、臨床心理士・榊久美と患者のサイトウ。河村栞が、軽く眠れない女子高生・阿久津リカコ。池島ゆたかはさやかの目下不倫相手、大学病院時代の恐らく上司・一ノ瀬。未配信かつ、nfajもプリントを所蔵してゐない前作「魅惑の令嬢 Gの快感」に出てゐない場合、初めてののろけん名義での出演作となるのろけんは、間男を作つた嫁に逃げられて以来、壊れてしまつた瓶投げオジサン。午後八時きつかりに、ガード下で悪態つきながら大量の空瓶を投げ割り始める、物騒で哀しい御仁。たゞ、その午後八時といふ時刻には、職業は映写技師といふこの人もヒムセルフ造形からすると、些かならず無理も否めない、終映何時なのよ。そ、れとも、オールナイトの小屋で交代制?今度は小池蓮との消去法でAsと平川ナオヒ(a.k.a.平川直大)はさやかが使ふ飲み屋のバーテンと、大学の同期・ナカハラ。そしておくの剛が、さやかに入れ揚げ勝手に離婚し妻と娘を捨てた挙句、逆鱗に触れさやかから捨てられたかつての不倫相手・阿久津。元来、相手は妻子持ちの方が却つて楽とするのがさやかの恋愛観ないし性愛観につき、この点に関しては阿久津が要は自壊したに過ぎないと捉へる、さやかの徹底して自己中心的な言ひ分にも決して分がなくはない。
 池島ゆたか1999年最終第六作、薔薇族入れると第七作は、森山茂雄の通算第三作となる2003年第一作「美人保健婦 覗かれた医務室」(脚本:黒沢久子/主演:麻木涼子)の三番手で事実上引退した、河村栞のデビュー作。“事実上”とか回りくどい物言ひを選択したのが河村栞にはその後、矢張り池島ゆたかの2006年第五作「ホスト狂ひ 渇かない蜜汁」(脚本:五代暁子/主演:日高ゆりあ)に於ける、カメオもあるにはある。
 初陣にして河村栞が思ひきり完成してゐる早熟ぶりと、形式的な濡れ場の回数も踏まへるとなほさら、河村栞と水原かなえのビリングがおかしい疑問にさへ目を瞑るか気づかなかつたフリをするならば、裸映画としてとりあへず以上に安定する。周囲からガン見えの結構スリリングなオープンから、豪快な跨ぎで突入する連れ込み。河村栞と千葉誠樹の一戦は、気合の入つた艶出の力も借り裸仕事ごとの初土俵らしからぬ堂々としたエクストリーム。尤もその前段、大概ノーガードな外階段踊り場にて、リカコが八神に吹く尺八。ジョイトイを咥へる以上ノー修正で攻めろやといふのも兎も角、大人しくディルドにしておけばいゝものをバイブを使つた結果、陰核を責める突起がボカシ越しに見切れてゐるのは、地味なのか派手なのか議論の分かれる粗忽。何れにせよ、劇映画的には佐川一政をも擁し枝葉を茂らせるのに躍起になつてゐるうちに、本丸が掘立になつた印象は如何せん否み難い一作。そもそも本筋の復讐自体が逆恨みと紙一重な上、さやかが絶体絶命まで追ひ詰められた修羅場に、上手いことしかも飛び道具持ちのGAICHIが闖入するクライマックス。所在なさげにブリ一でもじもじするチバマサが逆の意味で可笑しくて可笑しくて堪らない、四人をほぼ棒立ちで捉へる画角もクソもない引きのフィックスにも、匙かタオルを投げるワインドアップの勢ひ余つて引つ繰り返つたが、其処が底ではないんだな、これが。一貫して利己的なさやかが一件を経て全てを失ひもせず、ナカハラに何となく救済して貰ふ、霞より希薄なラストには畏れ入つた。観る者見る者のエモーションないしカタルシスを何処に持つて行きたいのか皆目釈然としない、へべれけなドラマツルギーこそ演者としても演出家としても大根と当サイトは目する、池島ゆたかの池島ゆたかたる所以。


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 「ママと私 とろけモードで感じちやふ」(2022/制作:オフィス吉行/提供:オーピー映画/脚本・監督:吉行由実/撮影:小山田勝治/録音:池田知久/編集:西山秀明/助監督:江尻大/小道具:愛河シゲル/選曲:効果:うみねこ音響/整音:竹内雅乃/グラフィック:佐藤京介/スチール:本田あきら/監督助手:吉岡純平/撮影助手:邊母木伸治/ポストプロダクション:スノビッシュ・プロダクツ/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:花音うらら・愛葉るび・可児正光・二葉エマ・橘聖人・加藤絵莉・只埜なつみ・豊岡んみ・かわいゆうな・樹カズ)。その後就職して足を洗つた模様の、愛河シゲルのピンク映画参戦は同じく吉行由実の2014年第二作「妹の匂ひ よろめきの爆乳」(2020/主演:奥田咲)と、小山悟2015年第二作「果てなき欲望 監禁シェアハウス」(脚本:当方ボーカル=小松公典/主演:神咲詩織)ぶりの当サイトに抜けがなければ恐らく三戦目。コドーグコドーグいふほどの小道具が、何を指すのかは知らん。
 線路を跨ぐ歩道橋、エリカ(花音)が彼氏を寝取つた親友の佐藤樹里(二葉)に、憤然と決別を叩きつける。半ベソで踵を返すエリカ(花音)に入つた、母・真紀子(愛葉るびのゼロ役目)からの電話は父ないし、真紀子目線では夫の誕生日に合はせた温泉家族旅行のお誘ひ。尤もそれどころでない娘にはやんはりと参加を見合はされ、慎吾(樹)当人からは祝ふ齢でもないと企画自体否定された真紀子が、溜息ついてタイトル・イン。申し訳ないが花音うららは国沢実2020年第二作「性鬼人間第三号 ~異次元の快楽~」(脚本:高橋祐太/主演:東凛/二番手)を、全く覚えてゐなかつた。
 適当に散らかされた部屋に帰宅したエリカが、煙草に火を点けがてら樹里にカッ攫はれた元カレの直樹(橘聖人/橘秀樹には非ず)を想起。カットの割り具合から窺ふに、恐らく花音うらら当人は嗜まぬにさうゐない。絡み初戦は軽くイチャつく程度で一旦茶を濁し、玄関を開けるや勝手に上がり込んで来る仲の、幼馴染・秀一(可児)がハンバーグを作りに遊びに来る。上がり込むはおろか、それで事がオッ始まらないのが不思議な秀一はそのまゝ一泊。寝込みに手を出さうかしたところ、淫夢―で本格的な濡れ場初戦―を見るエリカが洩らす直樹の名前に、秀一が踏み止(とど)まつた翌朝。元々秀一と約束はしてゐたジョギングにエリカが音を上げてゐると、真紀子が家に戻らないとの電話が今度は慎吾からかゝつて来る。その通話を終へるや否やの正直へべれけなタイミングで、素頓狂に華美な扮装の真紀子改めマッキー(愛葉)が二人の前に大登場。どうやらエリカにとつて母親でなく、少しだけ年上のマブダチといふアイデンティティと思しきマッキーを、秀一の助言に従ひエリカは大人しく自室に転がり込ませる。
 配役残り、豪華四番手の加藤絵莉は、慎吾の浮気相手・佳奈、香菜なら頭をよくしてあげなくては。当然行くつもりのなかつたエリカは、今度はマッキーに背中を押され招待されてゐた、樹里の誕生日パーティー出撃を決定。只埜なつみと豊岡んみにかわいゆうなは、何故か主役が一番地味なドレスを着てゐるパーティーの名なし招待客。ビリング頭が三番手より着飾るのは別に構はないにせよ、そこはどうにかしてやれよと思へなくもない。その他吉行由実と、招待されてゐるのか店の従業員なのか微妙なEJD、更に特定不能の若い男が二人の計四名見切れる。画面の片隅に見え隠れする吉行由実の、ロイドのグラサンが浜野佐知みを爆裂させてゐるのが地味に可笑しくて可笑しくて堪らない。あと、秀一とのある意味プラトニックな関係以上に、エリカがホイホイ乗り気なのがなほパラノーマルに思へて仕方ない、結局樹里とも別れた慎吾がマキシワンピの中に淫具を仕込ませたエリカを、往来に連れ出す羞恥プレイ。の件に投入される通行人部が、潤沢を軽くオーバーシュート。
 上野の旗艦館始め公式に言祝がれてゐる割にその旨のクレジットは見当たらない、吉行由実監督生活二十五年の周年記念作。一年ずれるのは、撮影時カウントか。前作「同棲性活 恥部とあなたと…」(2020/主演:佐藤りこ)での、「新婚OL いたづらな桃尻」(2010/監督:小川欽也/脚本:岡桜文一/協力≒脚本監修:関根和美)以来となる電撃復帰に驚かされた、愛葉るび的には芸能生活二十年の周年記念作。監督生活二十五年に話を戻すと、だから荒木太郎も同期なのに、清水大敬に関しては―当サイトが―忘れてゐた。
 母と娘が親友同士としての新しい関係を築きつつ、各々新しいパートナーにも恵まれる。量産型娯楽映画作家として吉行由実は既に成熟、大筋がとりあへず酌めるやうに撮られては、ゐるけれど。いやいやいや、この物語で、目出度し目出度しといふのは土台通らない相談。可児正光の男前力と、電飾ブランコの大技―こゝで装飾部の出番?―もそれなりに綺麗に決まり、エリカが秀一と結ばれる乃至、秀一積年の片想ひが漸く実るエモーションは素直に吞み込み得る。さうは、いへ。マッキー造形の痛々しさ以前だか以下に、全員偶さかな本命扱ひで、女優部三冠を華麗にでなく達成してのける達成しやがる、直樹の自堕落な浮気男ぶりが兎にも角にも即死級の致命傷。主演女優の裸を拝ませる方便以外に、そもそもさういふクソ男の相手を、何時までもエリカが嬉々と務めてゐる正しく腐れ縁が途轍もなく理解に遠い。挙句の、果てに。結果的かつファンタな母娘丼についてはまだしも、自分の気持ちを確かめるためにだとかで、女二人に目隠しさせた巴戦を仕込むやうな出鱈目な男を、エリカが母親に譲る構図が根本的に木端微塵。その場のショックで正気を取り戻した真紀子も真紀子で、「有難う、私を選んで呉れて」ぢやねえだろ。言葉を選ぶと二人とも頭おかしいのか、マッチポンプで恐縮ながら、全然正気取り戻せてない。性懲りもなく白馬の王子様を待ち焦がれてゐたりする、かつての―とうに少女ではない女が拗らせる―少女趣味を吉行由実が卒業したはいゝものの、これはこれで底の抜けたガッハッハに過ぎる。生まれ落ちて半世紀を通過、怠惰に堕ち続けるオッサンでも立ち止まらざるを得ないレベル。流石に幾ら何でも、ハッピー(風の)エンドを見せておけば、脊髄で折り返して客は喜ぶとでも思つてゐるのなら大間違ひだらう。


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 「女教師 汚れた放課後」(昭和56/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:根岸吉太郎/脚本:田中陽造/プロデューサー:岡田裕/撮影:米田実/照明:田島武志/録音:小野寺修/美術:徳田博/編集:川島章正/音楽:甲斐八郎/助監督:鈴木潤一/色彩計測:松川健次郎/現像:東洋現像所/製作進行:三浦増博/出演:風祭ゆき・太田あや子・鹿沼えり・三谷昇・藤ひろ子・小池雄介・花上晃・木島一郎・浜口竜哉・粟津號・北見敏之・ 影山英俊・ 水木京一・南部寅太・溝口拳/協力:松丸家辨太郎一座)。出演者中、粟津號と南部寅太は本篇クレジットのみ、協力の松丸家辨太郎一座も。配給に関しては、実質“提供:Xces Film”。
 最初の画は刑務官も見切れる留置場、都立第一高校に勤務する倉田咲子(風祭)宅に、渋谷署少年係(声の主なんて不明)から電話がかゝつて来る。咲子が名前も知らない、第一高生徒の野本スエ子が補導されたとのこと。ところでその時咲子はといふと、男と乳繰り合つてゐる真最中。「兎に角そちらに伺へばいゝんですね」、とりあへず咲子が受話器を置いた流れで画面左半分を占めるテレビに入れる、案外頓着ない構図のタイトル・イン。アバンは大人しく隠れてゐた小沢(小池)と咲子が背面座位で交はりつつ、一旦俳優部限定のクレジットが先行する。あの男の、名前のない。
 スエ子(太田)を迎へに行つた上で、一緒に住んでゐるのかといふ勢ひで改めて咲子は小沢と寝る。咲子は忘れてゐたが、スエ子は教育実習先である中学分校の生徒だつた。当時手洗でストッキング男(実は南部寅太/現:南部虎弾)に犯された咲子は、ストッキングを被せた男を三人並べた面通しに於いて、体に染みついたシンナーの匂ひからスエ子の父親を犯人認定してゐた。
 配役残り、滔々とした説明台詞も的確なメソッドで卒なく聞かせる粟津號は、スエ子の外堀を埋める担任か学年主任的な山川先生。三谷昇が件のスエ子父・末吉である鼻の差、面通しの場にて睨みを利かせる刑事役で、ノンクレの高橋明が飛び込んで来るのが今作最大の衝撃。台詞の与へられない高橋明はまだしも、粟津號に至つては後述する水京より余程大きな役に思へなくもないのは、ポスターに名前が載る載らぬの不遇に関しての疑問。閑話休題、北見敏之はスエ子をナンパする男・三井。金を払ふ気満々につき、世間一般的なナンパといふのとは少し違ふのかも。咲子の婦女暴行事件はのちにアンパン常習者のフーテンが真犯人―が南部虎弾―である旨明らかとなつたものの、末吉が出稼ぎ先で蒸発したスエ子は、母親と姉を頼り上京、藤ひろ子が母親のサチ。木島一郎は、サチがレジ打ちのパートで働くスーパーの、正確な役職は不明ながら管理職ポジションにある人・杉原。鹿沼えりが紅丸物産に就職した姉のトモ子、一間のヤサに転がり込んで来た、母と妹を邪険に煙たがる。影山英俊は、トモ子が結婚を迫る恋人・遠藤。そして水木京一が咲子と末吉を繋ぐ、掃除夫の同僚。浜口竜哉は小沢と事実上破局を迎へた咲子に、「レイズ・ザ・タイタニック」(昭和55)上映館の表で声をかける男・伊東。当初気配を殺すが如く雑踏に潜んでゐたハマタツが、悄然と一人佇む咲子を認めるや俄かに起動する瞬間が、二つ目の白眉、そんなとこしか見てゐないのか。溝口拳は、殴つた末吉に後ろから石で殴られるヤクザ。伊東との事後、凄まじいタイミングでその場に居合はせた咲子と、末吉を東京から離れさせる動因。咲子と末吉は、末吉にとつて思ひでの場所とかいふ海町の旅館に流れ着き、電車の中で昏倒した父親の様子を見に、スエ子も合流する。松丸家辨太郎一座の皆さんは、そこで大衆演劇を上演中のゼムセルフ、花上晃が座長の板東栄次郎。その、他。どうも根岸吉太郎は、背景に通行人を歩かせてゐないと不安で不安で仕方のない御仁らしく、全篇通して不自然なほど潤沢にエキストラが投入される。その中でも、咲子がスエ子と入る旅館の女風呂に、五十路前後の裸要員をも配してのけるクルーエルな逆眼福には目を覆ひはしないが流石に疑つた、誰得なのよ。
 同年監督に昇進した鈴木潤一(=すずきじゅんいち)の、翌昭和57年第二作が第七作「女教師狩り」(脚本:斎藤博/主演:風祭ゆき)で、西村昭五郎の昭和58年第六作が最終第九作「女教師は二度犯される」(脚本:熊谷禄朗・城谷亜代/原作:佐治乾/主演:志水季里子)。買取系にも門戸を開いてゐる、団地妻はその点もう少し緩いのかも知れない、上の句を共有してゐるだけで括る漠然とした連作構成には正直無理も否み難い、「女教師」シリーズ第四作とされる根岸吉太郎昭和56年第一作。要は、単なる女教師ものといふ話に過ぎまい。兎も角唯一複数作主演を果たす風祭ゆきは、第八作「襲はれる女教師」(昭和58/監督:斉藤信幸/脚本:桂千穂)でも相変らず襲はれてゐる。
 冤罪に加担してしまつた、被害者であると同時に一種の加害者でもある女教師。明確にドロップアウトした父親と、道を踏み外すにしては眼差しのしつかりした娘。三人を軸に、物語が織り成されは、するけれど。風祭ゆきのバッキバキにソリッドな絶対美人ぶりは四十有余年の時を経て、世紀と二つの元号をも跨いだ今なほ、一くすみたりとて輝きを失ひはしない。さうは、いへ。三谷昇相手でも堂々と互角以上に渡り合ふ、二番手が方言まで含め達者な反面、主演女優の口跡が最終的には宙に浮いてゐる、三角形の一角に穴の開いた土台破綻気味のパワーバランスが地味でないアキレス腱。結局咲子はといふと、重たい過去を持て余した小沢と、別れるのが精々関の山。何時しか“女教師”も“放課後”もへつたくれもなく、彷徨するスエ子いはく“欠陥人間”の父娘が、偶さか出会つた剣劇の世界に身を投じて更生を果たす。だなどと大概素頓狂なホームドラマに帰結してみせる、癖の強いドラマツルギーが出色。相手を欠いた咲子が末吉と突入する時点で、既に十分か随分な飛躍をものともせず。早朝の一人稽古を目撃したスエ子が、座長に抱かれる模様をクロスカッティングで放り込む、力技に力技を合はせて来る壮大か壮絶な締めの濡れ場にも軽く吃驚した。結局、咲子と山川が会話を交す、二人以外誰もゐない職員室と、セピア色が判り易い回想パートの手洗。あとはラストのどうもそこら辺の公園臭いグラウンド脇―と出勤時の校門ロング―くらゐしか校内が舞台に使はれず、挙句劇中終ぞ不登校のスエ子が制服姿を拝ませる訳でもない、どころか。咲子とスエ子に山川以外、生徒教職員問はず学校関係者なんて猫一匹出て来やしないぞ。全九作といはれても元々掴み処のない以前に、そもそも相当「女教師」みの薄い、電車に乗らない痴漢電車のやうなフォースである。


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 「SM ロリータ」(昭和59/製作・配給:新東宝映画/監督:影山明文/撮影:伊東英男/照明:出雲静二/出演:早坂明記・香川留美・田代葉子・中山あずさ・杉本未央・池島ゆたか・久須美欽一・北浦圭一郎・南郷健二・山本竜二・荻谷雅光)。如何にも怪しい殺風景なタイトルの入り具合に、脊髄で折り返した危惧がまんまと的中。キャストの頭数が揃つてゐるだけまだマシ、なのかも知れない、豪快だか箆棒に脚本をも等閑視して済ますビデオ版爆縮クレジットに散る。さて措き出演者中、中山あずさがVHSのジャケには中山あづさ。どうも正解はあずさぽいものの、ザッと検索してみたところで少なすぎるヒット数が大まかな当寸法すら拒む。とりあへず新田栄の「女子大生連続ONANIE」(昭和59/脚本:池田正一)主演を、jmdbが中山あずさにしてゐてnfajは中山あづさにしてゐるのは、全体どちらが正しいのか。挙句難しいのがこの辺り、ポスターはあずさで本クレあづさ、とかいふ事例もまゝあるジャミングぶり。その場合、当サイトは基本的に本篇クレジットを尊重してゐる。
 交錯する電車にタイトル・イン、駅前の雑踏に制服の主演女優が現れる。五丁目三番地までヒッチハイクした車に送つて貰つた交通遺児の千秋(早坂)が、今日から厄介になる遠縁の健三(久須美)に赤電話。近くなので道を尋ねながら来いとする健三の、迎へに行つてやれといふ早速の非道ムーブ。健三の妻・吉江(香川)が小娘を預かつて大丈夫なのか不安を隠さない一方、実に久須欽らしいメソッドで健三はしたり顔。実は三年前から千秋に目をつけてゐた健三が、買春させるつもりであるのに吉江は驚く、それは確かに驚く。ちなみに劇中設定で千秋十四歳、にも見えないがな。何れにせよ、ヒューマニティーといふ言葉を知らんのか、昭和。
 健三がマスターで吉江がママの、看板ママで“小さなクラブ「エリカ」”、なかなか斬新な業態ではある。配役残り、端役臭い覚束ないビリング推定で、荻谷雅光はエリカの名無し客。頻りに抱かせて呉れるやう口説く吉江に、手コキと生乳までは揉ませて貰ふ。田代葉子が奥の間どころか、平然とボックス席で客に跨るエリカのホステス・ユーコ。問題が、ユーコを抱くエリカの上客・大崎が吉岡市郎なんだな、これが。あれこれググッてみるに薔薇族で吉岡市郎と共演作のある、南郷健二は明らかに別人。男優部主役作―「拷問 車輪責め」(昭和60/監督:藤井智憲か藤井知憲か藤井智恵)―もある、北浦圭一郎が多分イコール吉岡市郎。吉岡市郎に、吉岡圭一郎なる別名が存在するのは確認してゐる。中山あずさは、健三の下を離れた千秋が働く、お食事屋「かるかや」のママ、固有名詞不詳。杉本未央は店の二階で客に抱かれる、「かるかや」の女・ルミで山本竜二が常連客。さういふ店ばかりの、マッドな町。池島ゆたかが「かるかや」のオーナーで、要は中山あずさを妾に囲ふ御仁・イワミ。但し正妻の存在は必ずしも描かれないのと、糖尿でイワミは勃起不全気味。そんなこんなで恐らく南郷健二が、中山あずさがイワミの目を盗み密会する情夫。さういふ名前の並びと役の重さで、しつくり来るやうに思ふ、より直截には期待する。
 松浦康と同一人物説が何処から出て来るのかよく判らない、元々俳優部に出自を持つ名和三平の変名かつ、更にa.k.a.蔵田優でもあるらしい影山明文の最後期作。名和三平名義での監督作もある一方、影山明文と蔵田優は演出部専。時期的には昭和48年から60年までの間に、三人のjmdb合算で全六十六作。脱けの可能性を鑑みると八十は兎も角、七十本くらゐは行つてゐるのでなからうか。
 そもそも遠いとはいへ血縁でもある、好色漢に散らされた破瓜の血も乾かぬうちに、客まで取らされる。大概な児童虐待を受けてゐる割に、千秋が最初以外はさしたる痛手を負ふでなく。寧ろホイホイ得られる現金に案外味を占めた千秋が、イワミを何だかんだ篭絡。とりあへず「かるかや」のママにまで上り詰める、ある意味『悪徳の栄え』のやうな一作、一滴の精神性も見当たらないけれど。テーマなりメッセージなんぞ端からあるでなく、実はビリング頭が一番弱く映る気もする、全員脱いで絡む女優部が豪華五人態勢。となると物量で攻めて来る重量級の裸映画を望めば普通に望めた、筈なのに。千秋が大崎に売られた絡みを刈るが如く端折つた、次のカットがまさかの御満悦でシャワーを浴びる大崎。そこで吉岡市郎単独の裸を見せて何がしたいのか、濡れ場さへ大切にしようとしない、底無しといふか底の抜けた虚無に限りなく近い、殆ど絶対的なぞんざいさにはグルグル何周かした感興も覚えた、バターになるぞ。看板に仰々しく謳はれるサドマゾは、勃たないイワミが気分ないし趣向を変へる気紛れに、しかもラスト五分を切つて漸く木に縄を接ぐ程度。さうはいへ千秋が浣腸液を噴く、もしかすると今では許されないエクストリームは、当時の観客を大いに滾らせた可能性も否めなくはない。結局、千秋の預金残高が順調に増えて行く以外には、イワミの回春すら描かない徹底した物語の放棄に関しては、嫌悪を通り越した憎悪に近いドス黒い感情も覚えかねない反面、針に糸を通す精度で琴線に触れたのが、千秋が健三宅から「かるかや」に流れて行く道程。草叢に制服を無造作に捨てる、即ち一度は夢見た高校進学を千秋がこともなげに放棄、截然とドロップアウトする姿には偶さか劇映画が正方向に輝くといふか仄かに煌めいた。


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 「悶絶本番 ぶちこむ」(1995 冬/製作:国映株式会社/配給:新東宝映画/製作協力:アウトキャストプロデュース/監督:サトウトシキ/脚本:立花信次/企画:朝倉大介/プロデューサー:岩田治樹⦅アウトキャスト・プロデュース⦆/撮影:小西泰正/照明:櫻井雅章/編集:金子尚樹《フィルムクラフト》/音楽:E.tone/美術:タケ/助監督:女池充/監督助手:戸部美奈子・坂本礼/撮影助手:高橋秀明/照明助手:加藤義明・加藤賢也/制作進行:藤川佳三・根本泰成・広瀬寛巳/現像:東映化学/タイミング:永沢幸治/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/タイトル:道川昭/スチール:スタジオ601/協力:上野俊哉、中野貴雄、福島佳紀、田中昭二、丹治史彦、菅数浩、石田章、河野恒彦、橋場一男、古川和弘、スノビッシュ・プロダクツ、タオ・コミュニケーションズ、無人駅/詩引用:福間健二『トラブル』『むかうみず』より/出演:本多菊雄・南口るみね・葉月螢・吉行由美・飯田孝男・今泉浩一・上田和弘・伊藤猛・細谷隆広・立花信次・岩元がんこ・牧田泰子・田中要次)。出演もしてゐる脚本の立花信次は、福間健二の変名。出演もしてゐるといふか、出演してしまつた更には出やがつたといふか。
 タイトル開巻、失業中の池山修司(本多)がイントロによつて配偶者と同棲相手の二説分かれる、兎も角一緒に住んではゐる麻紀に、旧友と再会したゆゑ遅くなる旨電話を入れる。本当は呼び出した、前職の同僚・ルミコかユミコ(吉行)のオープンカーに乗り込む。福島出身である吉行由美(大体ex.吉行由美で吉行由実)の、他愛ない似非関西弁に躓きを覚えるのは否み難い。さて措き印刷会社勤めにしては、妙に高いユミコかルミコの生活水準について修司も疑問を呈しこそすれ、結局語らずに済ます、一体何だつたんだろ。坂崎麻紀(南口)と暮らす緑荘に帰宅した修司に、麻紀はハムラビ式の浮気を公言する。
 配役残り、田中要次が麻紀の火遊び相手に修司が名前を挙げる、修司の親友で麻紀に気のある野川シゲオ。一級建築士、かつ詩人とかいふ何気にへべれけなハイスペック。『現代詩手帖』等々の並ぶ、シゲオ宅―多分実際には福間健二宅―の面倒臭い本棚を舐めるなら舐めるで、もう少し書名が満足に見えるやう舐めればとは思ふ。不必要に、やきもきさせるか煙に巻いてどうするの。麻紀が繰り出した繁華街、細谷隆広が麻紀を買はなかつた男で、今泉浩一が麻紀を買ふ男。葉月螢と上田和弘は、出奔した修司が電車で乗り合はせる、“笑はない女”―といふキー造形は正直伝はり辛い―の中村佐知子と佐知子を口説く、ドラ倅臭漂はせる輩。凄まじく不自然か無防備なロケーションでカーセックロスに励む、上田和弘の―案外ショボい―車の傍らを修司が通りがかる。殴りかゝつて来た上和を返り討つた流れで、修司と佐知子が偶さか接近。「何してる人ですか?」、「仕事探してる人」。そんな棚牡丹会話を通して、修司は最低でも佐知子の実家が営む「中村印刷」に拾はれる。映画の世界は無職に優しい、しかも無宿の。腐れ現し世がクソ優しくない以上、軽く底が抜けてゐるくらゐで寧ろちやうどいゝのか、この期に及んで正しい匙加減に辿り着いた。飯田孝男は中村印刷のネームド従業員・木村、画面奥にもう一人見切れるのは知らん。修司が姿を消したのち、麻紀はシゲオのマンションに転がり込む。その後通算二度目で消えた麻紀を追ひ、シゲオと修司は前回失踪時麻紀が見つかつた、地元である横浜に。伊藤猛は、二人と交錯するために交錯する、一幕どころかワンカット・アンド・アウェイの強面。火を噴く、わざわざ横浜まで連れて行つたのに感。岩元がんこは喫茶スナック「無人駅」のママ、麻紀の知己。「ライク・ア・ローリング・ストーンつて知つてる?」、悶絶必至の恥づかしさで飛び込んで来る、立花信次は茶も濁し損なふ御仁、間抜けすぎて吃驚した。最後に牧田泰子は、麻紀と別れたシゲオの車に乗る、覚束なく遠くに行きたガール。
 所詮は配信動画ながら35mmでなく、どうも16mmの画に映りググッてみたところ。昨年の上映イベントに際し新東宝が使つたプリントが、現に16mmであつたりもするサトウトシキ第十五作で国映大戦第五十八戦。ピンク上映館に16の映写機を望めもせず、少なくとも1995年当時は、普通に35のプリントが津々浦々を巡つてゐたのではなからうか。ところで“ぶちこむ”映画が、確認出来る限り全部ピンクで計四作。一本目が稲生実(=深町章)の「ぶちこむ!」(昭和52)で、雨垂れをトッ払つた二本目が市村譲の「ぶちこむ」(昭和60/脚本:夢野春雄)。ぞんざいな公開題が、市村譲にはよく似合ふ。三本目が今作、そして現状最後にぶちこんだ四本目が再び深町章の、2005年第五作「セクシー剣法 一本ぶちこむ」(主演:吉沢明歩)。なほ終止形でなくとも、本数はさほど増えない模様。
 漫然と漂泊する本多菊雄(a.k.a.本多菊次朗/a.k.a.吉田春兎etc.)を、美しいほどカッコよく捉へるショットに全てを賭けたやうな一作。の割に間を取つてリュミコ―何だそれ―の半ば露悪的なキャラクターが気にならなければ、女の乳尻も満更でもなく愉しませる。転がり続ける修司を、田中要次が持ち前の頑丈な安定感で的確に援護、「お前とは暫く会ひたくない」の切れ味には痺れた。「俺は間違つてるか!?」とシゲオに問ふた修司が「間違つてるな」と自己完結した上で、「でももの凄く間違つてる訳ぢやないだろ?」。『むかうみず』―表題とも原文は珍かな―の一節をそのまゝ台詞に採用した、主モチーフを直撃させるクライマックスは見事にエモーショナル。そ、れだけに。改めて際立つのは、のこのこ腹か頭を抱へさせに来た福間健二の蛇に足を生やしぶり。いつそ修司とシゲオの別れで映画を綺麗に畳む、フィニッシュの選択もあつたのではなからうか。

 前貼りは使つてゐないと流石に撮影が成立しない、後方に建物を望むロケーションで、カメラが全裸―風―の本多菊雄をぐるぐる周回する。幾多の小屋から端折られたにさうゐない、木に竹を接ぐオーラスが商業―の筈の―映画を徒に濁らせる、履き違へた作家性的にはグルッと一周して完璧。これが薔薇族なら、素直にひとつのエクストラ見せ場たり得たのかも知れないけれど。


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