真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「巨乳令嬢 何度もイカされたい」(2023/制作:鯨屋商店/提供:オーピー映画/企画・監督:小関裕次郎/脚本:小栗はるひ/撮影監督:創優和/録音・整音:大塚学/特殊メイク:土肥良成/音楽:與語一平/編集:鷹野朋子/助監督:可児正光/監督助手:高木翔/撮影助手:岡村浩代/スチール:本田あきら/車両:別府スナッチ/協力:ナベシネマ/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:白峰ミウ・森羅万象・安藤ヒロキオ・西本竜樹・石川雄也・卯水咲流・橘聖人・市川洋・ほたる・ケイチャン・きみと歩実)。
 「愛しきあの人よ、あまげのみやげ?今日もまた」。開巻第一声からヒロインが何をいつてゐるのか釈然としない、覚束ない口跡は早速の御愛嬌、もしくは致命傷。オリカ(白峰)は森の中の洋館、といふほどでもなく、ペンションみたいな一応お屋敷に暮らす。同居人は心臓病で再起不能の父親(森羅)と、メイド服常用の家政婦(きみと)。恋多きオリカを、近隣の人間はみな口を揃へて“可愛い女”と言祝いだ。
 配役残り、石川雄也は後々オリカと再々々婚、しはしない医者、最初は親爺の往診で登場。誰に何をするのか事前に見当のつかなかつた土肥良成は、顔の腫瘍を森羅万象に施す。道の駅的な販売所の店員が、その人と識別可能な角度から抜かれはしないものの、役名併記のクレジットによると市川洋のゼロ役目。ほたるとケイチャンは、「クリーニング屋」だなどとプリミティブな屋号の洗濯屋夫妻。二十年―では効かない―前には想像もつかなかつたらうが、今はex.葉月螢とex.けーすけの夫婦役が思ひのほかしつくり来る。そして安藤ヒロキオが、オリカにとつて最初の夫となるマジシャン。ドンキで道具が揃ひさうな、セコい手品はどうにかならないものか。端から二兎を追ひ、一般公開もするんだらう。市川洋はマジシャンの同業者と、世界大会に出場した夫の客死をオリカに伝へる、官憲の電話が二役目。湖畔で悲嘆に暮れる喪服のオリカに、「誰か死んだのか?」。西本竜樹は想像を絶するぞんざいな出会ひを果たす、ほどなく二人目の夫・材木屋。卯水咲流は、医者の別居中の妻。市川洋の三役目が、台風百号の接近を告げるラジオ音声。百号て、また随分とキリか威勢のいゝ異常気象ではある。最後に橘聖人は、医者の大分大きくなつてゐる息子、医学生。
 自身が愛読するチェーホフの『可愛い女』から着想を得たとかいふ、小関裕次郎第六作。尤も、ならばと青空に目を通してみたところ。最初の夫で小屋主のクーキンに相当する、マジシャンが左官屋的な恨み節を垂れる辺りから結構そのまゝ。原案どころか、実質原作の様相は否み難い。そもそも誤魔化す素振りも覗かせないのが、三月半フェス先行したR15+題が「かはいゝオリカ」といふどストレートさ、それともオネスト。『可愛い女』に於けるヒロインの名前を、片仮名表記するとオーレンカとなるのがオリカの所以。
 多情かつ、一度惚れるや忽ち相手に染まる。それでゐて固有のアイデンティティには甚だ希薄な、寧ろ一種の器としての資質にこそ、個性を見出すべきなのかも知れない女の物語。チェーホフの原作では不器量な女とされる医者の妻に、卯水咲流を宛がふのは許されるのを超え、望ましい裸映画の嘘と通り過ぎると、きみと歩実扮する、炊事女ならぬ家政婦が狂言回しを担ふのは今作完全新規。マジシャンと材木屋に続く、医者篇の再起動を大家と店子の関係でなく、倒れた家政婦の往診で処理。当然の如く、寝てゐた家政婦が目を覚ますと、オリカと医者は歌留多に戯れてゐたりする。世間の声を一手に引き受ける形で、再三再四オリカを愛でるクリニング屋夫婦の、ほたるが何気に大きくなつたお腹を摩つてゐるのに、何事かと目を疑つてゐるとオリカが滔々と開陳する受け売りで医者との深い仲を、クリニング屋夫婦を通し観客にも諒解させるのは優れた娯楽映画必須の、さりげなく秀逸な論理性。尤も、渾身のポリアニズムで探し当て得る「よかつた」も、あとは卯水咲流が持ち前のエッジを効かせ叩き込む、家が古い×田舎臭い×道が悪い×学校まで遠い。そして「この子―橘聖人を指す―にはこゝは合はない」の、ソリッドな悪態五連撃くらゐ。
 強靭な二三番手と比べた場合なほさら脆弱さが際立つ、映画初出演―舞台経験はある模様―にして主演。綺麗なエクセスライクを体現する白峰ミウの心許なさは、旧い口語体準拠の大仰な台詞ないし口上を逆の意味で見事に持て余す、ついでで安藤ヒロキオも。煽情性のみならず映画的なエモーションにも正直遠い、プレーンな濡れ場をビリング頭が手数だけならひとまづ稼ぎつつ、ともに一発限りの二番手と三番手は―殊に後者が大概―唐突に、無理から木に往時とイマジンをそれぞれ接ぐ始末。亡父の服喪期間なんて何処吹く風、オリカとマジシャンの祝言を、途轍もなくそこいらの適当な土手で事済ます。小関裕次郎にとつては大師匠、ないし伊豆映画の巨匠で知られる今上御大。小川欽也にも匹敵する底の抜けた無頓着、もしくは安普請。何れにせよな、イズイズムには畏れ入つた。量産型裸映画の、どちらかといはずとも宜しくない部分まで、律儀に継承することも別にあるまい。マジシャン出演のテレビ番組にときめくオリカの胸を過(よぎ)る、良人が誰かに似てゐる疑問。よもやまさか、大輪の百合を狂ひ咲かせるつもりかと―いゝ意味で―慌てさせた、きみと歩実(ex.きみの歩美)が藪蛇な決定力で撃ち抜く「私が一緒にゐます」。広げるだけ広げ散らかした、畳まない風呂敷もちらほら目立つ。プラスでは畳むでも畳まない、なんて知るかボケ。何より衝撃的であつたのが、一欠片の精神性も見当たらない、たゞ単に粗野なばかりのガッハッハ。挙句上げ底ばりに底の浅い、他愛ないマチズモまで振り回させるに及んでは。デビュー作「ツンデレ娘 奥手な初体験」(2019/脚本:井上淳一/主演:あべみかこ)ぶりで純粋ピンクに飛び込んで来た西本竜樹の、クソ以下に酷い造形には度肝を抜かれた。こんな役に、この人連れて来る必要全然ない。本当に誰でもいゝのだけれど、強ひて名前を挙げるなら重松隆志で十分、斯くも全方位的に毒を吐くのが楽しいか。主演女優に苦労してゐる気配も窺へなくないとはいへ、初陣さへ確かに気を吐きながら、早くも二作目から地を這ふかの如く底値安定。竹洞曲線を上回るだか下回る、小関裕次郎の低調が激しく気懸りな限り。五十音順に荒木太郎と池島ゆたかは不在、旦々舎も。当たればデカい加藤義一は、何時当たるか判らない。国沢実は座付きに大穴が開き、清水大敬はダイウッドの我が道。だから竹洞哲也も相変らず竹洞哲也で、森山茂雄の超復活作が、関門海峡以西に着弾するのはまだまだ当分先、随分先。吉行由実は一昨日に安定気味で、ナベも今一つ元気がないと来た日には。本隊ローテ中最新の意で最後のサラブレットたる、小関裕次郎にもう少し―でなく―しつかりして貰はぬでは終つてしまふとはいひたくないゆゑ、話が始まらない手詰り感。


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