真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「人妻弁護士 真つ赤なざくろ」(1998『女弁護士 強制愛撫』の2011年旧作改題版/製作:ワイ・ワン企画/提供:Xces Film/脚本・監督:関良平/企画:稲山悌二/プロデューサー:戸川八郎/撮影:鷹野聖一郎/照明:宮崎輝夫/録音:シネキャビン/音楽:マイキー・田中/助監督:斉藤博士/メイク:Q-Parts/ネガ編集:フィルムクラフト/スチール:桜井栄一/監督助手:森木正巳/撮影助手:相模昌宏/照明助手:服部卓爾/出演:冴島奈緒・村上ゆう・相沢知美・幸野賀一・友松タケホ・塚本一郎)。
 イメージ・ショット風の、水島法律事務所代表の弁護士・水島一喜(幸野)と、水島からドレスを贈られた、事務所に在籍する弁護士兼、水島とは男女の仲にもある門村沙貴(冴島)の絡みで開巻。主演女優の裸もさて措き一際目を引くのが、幸野賀一が若過ぎて、まるで違ふ人に見える。浅黒く日焼けしてゐるのに加へ、意外にもこの頃は結構チョコボール級にマッシブで、直截にいふと、弁護士には清々しく見えない。抜粋版のオープニング・クレジットが、冴島奈緒に差しかゝつたところでタイトル・イン。ところで、後々登場する自宅の様子からも、沙貴は未婚女性としか思へない件につき。一体何処から新題中の“人妻”は湧いて来たのか、大体が劇中、法律婚してゐると思しき女は一人も出て来ないぞ。珍しく比較的おとなしめの改題に納まつたかと思へば、別の意味で執拗に流石エクセスである。
 カット明けると、元々舞台を通した縁があるらしき、関組の一応看板役者・塚本一郎が出所する。といふか、足を伸ばすのを横着した、塀ではなく単に門が大きいだけのロケーションは、逆の意味で感動的に拘置所には見えない。かつて水島に弁護を依頼したものの、五年の実刑を喰らつた若竹組所属の暴力団員・千葉構造(塚本)は、それほどの剣幕にも別に見えない―見えない事物ばかりだ―が、兎も角お礼参りとでもいふ寸法なのか水島法律事務所を訪ねる。幸か不幸か水島は不在で、応対した司法書士志望の受付嬢・佐藤ミサ(相沢)に続き姿を見せた、沙貴に千葉は目を留める。その足で内縁の妻・洋子(村上)が雇はれママを務めるバー「6th AVENUE」に向かつた千葉を、今しがた洋子を抱いてもゐた、若竹組の二代目・亀松末吉(友松)が臆面もなく迎へる。千葉と亀松が下卑た噂話の花を咲かせる沙貴は、近所に住んでゐるらしく、「6th AVENUE」に顔を出すこともあつた。再々度法律事務所を訪れ、終に面会を果たした千葉を、水島は徒に邪険に扱ふ。静かに激昂した千葉は、夜道を行く沙貴を水のないプール。沙貴が意識を取り戻すと、裸に剥かれ両手を吊るされてゐた。喚くでもない気丈な沙貴に、頓珍漢な千葉の宣告がそれでもいい塩梅の外連で轟く、「被告人門村沙貴を、監禁及びレイプの刑に処する!」。
 些かの誇張でなく共に伝説的怪作、第二作「三十路兄嫁 夜這ひ狂ひ」(2000/製作:ワイ・ワン企画/提供:Xces Film/主演:鈴木エリカ)、事実上と同義の現時点最終作「わいせつ女獣」(2002/製作:SEKI-プロ/製作協力:クリエイティブ・オフィス・モア/提供:オーピー映画/主演:麻倉エミリ=鈴木エリカ)に遡る、かつてm@stervision大哥から、“ピンク映画界のエド・ウッド”と称へられ、は別にしなかつた関良平のデビュー作。さうは、いへ。観る者を正しく眩惑させる、余人の手を届かせ得る領域を明々後日に超越した、グルッと一周して画期的なまでに支離滅裂な作劇も、三十路兄嫁に於いては自らの手により火を噴く魔編集もともに影を潜め、逆の意味での期待には違(たが)ひ、良くなくも悪くも破壊力的には特にも何も、全く大したことはない。改めて気づいたが、麻倉エミリex.鈴木エリカ―更にex.松島エミ―の不在といふ要因も否応なく大きいのか。派手な寄り道をしてみせるでもない、薄さと表裏一体のシンプルな今作の大筋としては、沙貴といふ“最高の女”を抱いた千葉が、久方振りに娑婆に戻つたばかりだといふのに、早速再び物騒な“最高の仕事”に手を汚しに行くとかいふもの。その中で若干乱雑にも思へなくもないが、ともあれチャッチャと相沢知美の濡れ場も消化し、千葉と何時の間にか共闘した沙貴が水島に牙を剥く、飼ひ主が犬に噛まれる展開の跳躍の高さは幾分光りつつ、最終的には中途半端に勿体つけたタラタラした流れの中で、漫然と当初予定通りの着地点に惰性のみで辿り着いて済ます始末。時期的に離れ過ぎてもゐるので、比較にならないやうな気もするが、「アラフォー離婚妻 くはへて失神」(2009/脚本・監督:吉行由実)を木端微塵にした冴島奈緒大先生地のへべれけさも、シャワー中の鼻唄などに若干窺へぬでもない反面、寧ろ当時未だ些かも衰へない超絶裸身の、我々の腰から下をチン圧もとい鎮圧する、正方向に迸る煽情性の方が兎にも角にも上回る。壮絶な頓珍漢を希望寄りに予想する心性からが、土台如何なものかといつてしまへば自戒に頭を垂れるばかりだが、方向の正否は問はずベクトルの絶対値が大きくすらない、端的にキレを欠いた、捉へ処にさへ乏しい出来栄えと首を横に振らざるを得ない。あるいは実績のある何者かの変名に違ひない、斉藤博士なる助監督の、余程の健闘を想像すべきなのやも知れないが。兎にも角にも、関良平の監督作をコンプリートする夢が叶つた字義通りの禍福は、ここはひとまづ喜びたい。与太を吹くにも、何はともあれ一旦は観てからだ。木戸銭を、落とした小屋にて。

 よくよく考へてみると、そもそも人妻どころか、石榴も劇中全然関係ない!最早活きてるのは“弁護士”だけだ(;´Д`)


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 「兄嫁の夜這ひ すすり泣く三十七歳」(2000『三十路兄嫁 夜這ひ狂ひ』の2008年旧作改題版/製作:ワイワン企画/提供:Xces Film/脚本・監督・編集:関良平/企画:稲山悌二/プロデューサー:戸川八郎/撮影:鷹野聖一郎/照明:市城徹/助監督:水島貞之/メイク:田代晴美/スチール:勝村勲/製作主任:鈴木トモユキ/ネガ編集:フィルムクラフト/録音・効果:シネキャビン/ロケ協力:王子工房・厚木スタジオ/音楽:寺嶋琢哉/出演:鈴木エリカ・渡辺健一・大沢広美・沢井ひかる・塚本一郎・飯島大介)。
 ログハウス、斉藤みさ(鈴木)が入浴する。少し引き気味のカメラから見切れるやう、不自然にバスタブの向かつて左端に寄つて風呂に入る姿に、伝説の迷監督・関良平の、もう一歩のところで紙一重を越えられなかつた残念な作家性が早くも濃厚に漂ふ。ところで、何故(なにゆゑ)にさういふ真似をわざわざしなくてはならないのかは全く判らないが、今作主演の鈴木エリカと、二年後の次作にして現時点に於ける一応関良平最終作、「わいせつ女獣」主演の麻倉エミリとは同一人物である。風呂上り、屈託ないカメラ目線を呉れながら自らバスタオルを解いての御開帳なんぞ披露した上で、みさは外出。鈴木エリカの天衣無縫なカメラ目線は、以降些かも憚るでなく全篇を通し性懲りもなく繰り出され続ける。「ゴーストワールド」(2001/米/監督・共同脚本:テリー・ツワイゴフ/主演:ソーラ・バーチ、スカーレット・ヨハンソン)のラスト・シーンよろしく(大ロ虚)、みさを乗せたバスが画面奥に走り行く画でタイトル・イン。外光をてんでコントロール出来ずにルックがコロコロ変る撮影が、開巻早々消極的な意味でのオフ・ビートを加速する。
 カット変るといきなり、ソファーとマットだけが置かれた黒バックの一室での、みさと岩井おさむ(塚本)の絡み。横臥位を、ちつとも扇情的ではない角度から捉へる画が多い点に、本作を貫く如実な特色が見られる濡れ場を通して、みさと岩井の関係は、この情交の時制は、といつた観客の理解と物語のスムーズな進行とに必要な情報は、清々しいまでに一ッ欠片たりとて提供されない。「さあて始まつた」、といふ感を強くする。ベジータ風にいふならば、「これからが本当の地獄だ」。帰宅した―ならば岩井は誰だ―みさの夫・ひろし(飯島)が、同居してゐたものの三年前に不意に家を出た、ひろしの弟でみさからは小舅に当たる、あきら(渡辺)が戻つて来る旨を伝へる。しかも明日、藪から棒にもほどがある。そんな夫婦も世の中にはあるものなのか、みさは歳の離れた夫を、終始“オッチャン”と呼ぶ。矢張り佐伯をひろみが“オッチャン”と呼ぶ、「わいせつ女獣」との共通性が見出される点如き、そもそも大した問題ではない。風呂にするか飯にするかと問はれたひろしは風呂と答へておきながら、カット跨ぐとその夜の夫婦生活。妙にベッド・メイクに神経質なひろしの描写や、みさは半年前に流産してゐたとかいふ、その後一切活かされないまるで木に竹を接いだディテールを織り込みつつ、無茶苦茶な、といふかグチャグチャな自編集による濡れ場の乱れ撃ちで、みさは義弟であるあきらとも関係を持つてゐた過去が語られる。挙句に、ひろしは背面騎乗位の最中に寝てしまつてゐたりなんかする。画期的過ぎる、関良平の綾なす展開には何人もついて行けぬのではないか、関良平以外は。
 翌日、あきらの帰宅を思ひ出しがてら家事を済ませ、買ひ物に出たみさが家に戻ると、鍵は開いてゐた。ひろしがあきらを伴ひ既に帰宅してゐたのだ。変に説教臭いひろしの姿には何某かのテーマでも滲ませたつもりなのか、三人で酒を酌み交はすと、ひろしは酔ひ潰れて寝てしまふ。みさがあきらを風呂に入れたところで、場面移つて客のゐないスナックでの、ママの早苗(沢井)と岩井の情事。岩井は店のオーナーか、といふかだからこいつ誰なんだよ。早苗は、岩井とみさの関係を知つてゐるらしい。更に翌日外出したひろしは、早苗の店「アルタミラ」へ。何とアルタミラは裏ではデートクラブも経営してをり、ひろしは早苗の紹介で19歳ながら留年してゐるゆゑ未だ女子高生の、めぐみ(大沢)と落ち会ふ。ここからの、ひろしとめぐみの逢瀬が今作の白眉。もとい、関良平の文字通り想像を絶するアバンギャルド編集が終にその恐るべき真価を炸裂させる。ひろしの赤いミニの助手席に乗り込み紅を直しためぐみは、静かなところに行きたいとか切り出す。いきなりかよ、あんまりだ、捌けるどころの話では済まない。驚喜したひろしがミニを走らせると、次のカット何故か二人は

 河原で石なんか投げてゐる。

 早速ホテルぢやねえのかよ!続けてコークでもキメてゐるのかめぐみが今度は鬼ごつこをしようだとか言ひ出せば、舞台は移り二人は雑木林に。出し抜けにめぐみが下半身を露に誘惑、木を背にしたハモニカで絡み開戦。矢継ぎ早にカット変ると今度は護岸のテトラポッドの上で後背位、続けて神社の境内でいはゆる駅弁、更に草叢で騎乗位、果てにはロングショットの刈り取り後の田圃にて正常位・・・・・

 田園に死にさうだ。

 ジャンプ・カットどころの騒ぎではない、自由自在といふか縦横無尽といふか、直截に木端微塵といへばよいのか。否、最早さういふ言葉でも足るまい。空前絶後の関良平編集を前にしては、小林悟や小川欽也の映画であつてすら、アカデミー受賞作かと見紛ふであらう。その本質は混沌、あるいは夢幻か。実のところは単なるロー・スペックを通り越したノー・スペックであるなどといふのは、正しく実も蓋もなくなつてしまふので内緒だ。
 といふ訳でひろしはめぐみにうつゝを抜かし家を空けた、即ち兄嫁と義弟二人きりの夜。あきらに膳を据ゑるのかそんなつもりもないのか、正体不明の助走を経つつ、みさは悶々と岩井に電話する。すると折りよく岩井は早苗とセックスの最中だといふので、そのまゝ変則巴戦のテレホンセックスが開始される、

 その発想はねえな。

 斬新過ぎるシークエンスの最中、あきらは漸く重い腰を上げ、新題を体現する夜這ひをみさに対し敢行。といふか、その場合正確には“兄嫁に夜這ひ”でなくてはならないか。二組の情交がグダグダと交錯する中、これまでの鈴木エリカ絡みの濡れ場が目まぐるしく雑多に挿入され、初めから体を成してもゐなかつた映画が覚め際の悪夢の如くいよいよどうにもならない混濁を来たしたところで、ラストは更に後日。ひろしはあきらに、実は妻の、実弟との不貞を知つてゐたことを明かす。兄弟も観客も、少しも釈然とはしないまゝに、一人自信満々のみさが土手越しに姿を現す。てな塩梅でカメラ位置のてんで決まらない、中途半端なみさの引き気味の画がラスト・ショット。観客の恐らくは全てが振り切られたまゝ、少なくとも鈴木エリカ(=麻倉エミリ)は唯一人御満悦。ハーフと思しき容貌も相俟ち、死屍累々の荒野に高笑ひながら屹立する、死を喰らふ魔女の姿すら想起させられる。一方関良平自身の手応へは果たして如何にといへば、このやうな紙一重のその先には、実は更に果てのない虚空が巨大な口を開けてゐた、とでもいふべき映画を撮つてのける御仁の心中を、推し量る術など持ち合はせやうがない。聞きしに劣るとも勝らない一作、一言で今作の本質を言ひ表すならば、「何かの間違ひ」とでもしかほかに言葉が見つからない。このやうな最早偉大とでもしか評しやうもない大迷作を、「わいせつ女獣」一作のみならず少なくとも二本は撮つてゐる関良平といふ存在に、別のといふか逆の意味で震撼させられるばかりである。ある意味必見、一旦関良平を通つておけば、流石にもう恐いものはなからう。

 アバンとラストの二度、意表を突く淡白なイントロで始まる“今夜だけは綺麗に咲いて”、“別れの後独り抱いて”とサビから入る、ニューミュージックと歌謡曲が4:6程度のブレンドの主題歌が流れる。鈴木エリカの声には聞こえなかつたが、クレジットが一切なかつたため詳細は全く不明。“ニューミュージック”なる単語が未だ生きてゐた時代のテイストの曲で、2000年リアルタイム(付近)の作であつたならば素敵なアナクロニズムでもあるが、「さよなら」といふ言葉が轟くブリッジには、個人的には実は普通に心を揺さぶられた。音源があるなら幾らか余計に出しても欲しい、出来れば皿で。
 ついでに、この期に狂ほしいまでに別にどうでもいいが、早苗役の沢井ひかるは、清水大敬の「双子姉妹 淫芯突きまくり」(2002)に登場する、沢田まいと多分同一人物。


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 「わいせつ女獣」(2002/製作:SEKI-プロ/製作協力:クリエイティブ・オフィス・モア/提供:オーピー映画/脚本・監督:関良平/企画:陳汰郎/プロデューサー:北川響子/撮影・照明:小山田勝治/助監督:水島貞之/メーキャップ:田代洋子/スチール:金子優/音楽:入江直介/録音:シネキャビン/編集:フィルムクラフト/撮影助手:伊藤潔/撮影助手:赤池登志貴/製作助手:塩之屋裕介/出演:麻倉エミリ、神咲真子《新人》、デイ・内藤、塚本一郎)。ポスター惹句が、“刺激を求めるこのカラダ”、と“ワイルドにヌキまくれ”。“ワイルドにヌキまくれ”とは、非常に奮つてゐる。惹句は非常に奮つてゐるのだが。
 「タバコ、いいですか?」、「どうも」。字面からはまるで伝はらぬが麻倉エミリの、日本語から非ネイティブと思しきファンタスティックな関西弁が、いきなり映画にキラー・パスを通す、但しオウン・ゴールの。家庭裁判所にて、ストリッパーの矢後ひろみ(麻倉)が旦那の不倫相手といふ当事者として、離婚調停手続内の事情聴取を受ける。ひろみのオッチャン好きといふ属性が語られるのみで、いきなりこのシークエンスに、話の本筋との関連は潔いまでに全くない。
 聴取を終へ、桜咲く春の町を歩くひろみは並木道のベンチでタバコを吸ふ、好みのタイプの渋めの男(塚本)と目が合ふ。ひろみは帰宅するや、ストリッパーだか何だか知らないが、戯れに踊つてみたりなんかする。ぬるいエアロビ感覚のダンスが云々以前に、尻をこつちに向けるのか向けないのか、せめてそこはハッキリして欲しい。今度はひろみは、親友・三村さなえ(神咲)がママを務めるスナックに行く。するとダブルのスコッチを頼む客が現れる、昼間に目を合はせた、ベンチでタバコを吸つてゐた男だつた。一杯入れた男が直ぐに店を後にすると、ときめかされたのだかひろみとさなえは、再び戯れに踊つてみたりなんかする。赤いミニに乗り込まうとするひろみ、お前酒飲んでたよなといふツッコミは、ここでは禁止ではなく有効だ。録音が何故だか微妙に小さいのでディテールのニュアンスがいまひとつ伝はらないのだが、慌ただしい周囲の雰囲気に続き逃げてゐる風の、ベンチでタバコを吸ひさなえの店ではスコッチのダブルを頼んだ男・佐伯譲二が再び現れる。佐伯はひろみを車に引き摺り込み、カーセックスを装ひ追手を撒く。ひろみが車を走らせると、カーラジオからは何処そこ組の若頭銃撃を伝へるニュースが流れて来る。若頭は重傷を負つたものの一命を取り留め病院に搬送され、二人組の実行犯の内、一人は射殺されたとのことだつた。射殺・・・・・?主語は何なのだ、いきなりその場に銃を抜くのに気前のいい司法警察官が居合はせたのか?
 佐伯はひろみの家に転がり込む。ここも録音が何故だか微妙に小さいのだが音楽が流れ始めると、「ウチの曲や!」とひろみは再び再び戯れに踊つてみたりなんかする。一方店のオーナー・本城洋(デイ・内藤)と、さなえがセクロスする。さなえの爆発的に目の粗い網タイツが、今作の何とも形容のしやうがない風情に火に油を注いで拍車をかける。本城は佐伯の行方を捜してゐた。終盤に漸く全貌が明らかになるストーリーとは、殺し屋の佐伯は、相棒と共に本城が属する組織の敵対組織の若頭射殺を請け負ふ。だがそれは嵌められた罠で、本城の組織は自ら雇つた佐伯らを殺し、敵対組織への恩を売らうと画策してゐたのだ。伯父貴の指示を受け佐伯捜索に出た筈の本城は、何故だかひろみ宅を訪れる。本城はさなえだけでなく、ひろみとも関係を持つてゐた。
 ピンク界のエド・ウッドともラス・メイヤーとも評される伝説の迷監督関良平の、歴史的怪作。公開当時故福岡オークラで一度観てはゐたが、是非とももう一度きちんと通つておきたいと思ひつつも、モノがモノだけに正直半分以上は諦めてもゐた複雑な待望の一作である。今回かうして再見の機会に恵まれたことに、まづは桃色の神と小屋とに海よりも深い感謝を表したい。自編集による自由自在といふか縦横無尽といふか、要は木端微塵の展開が観客を眩惑させる、らしい前作「三十路兄嫁 夜這ひ狂ひ」(2000/製作:ワイ・ワン企画/提供:Xces Film)は残念ながら―多分―未見。今回は編集にフィルムクラフトが入つてゐることにより、破天荒な繋ぎが火を噴くといふことは―比較的に―ないものの、殆ど一切の作為と技術とに欠いたまま、だからこそなのかも知れないが妙に狂ひ咲く自意識と、後に詳述するがあるものの決定的欠如とが、矢張り観る者をクラクラさせ倒して呉れることには変りがない。極私的な体験で恐縮だが、小屋で何時もお見かけするアル中気味のおぢいさんが、今作を観ながら頻りに「理不尽・・・・理不尽・・・・」と呟いてをられたのが妙に印象的であつた。今作の本質にこの星の上で最も近づき得たのは、実はこのおぢいさんであるのかも知れない。
 画面の片隅に見切れる者もない四人きりの出演陣は、何れも強力、徒に強力過ぎる。何はともあれ、麻倉エミリは主演女優ならぬ最終兵器。明確に美人の範疇に止(とど)まるエキゾチックな容姿、ギリギリ肉感的といふ徳俵から、足が一歩外に出てしまつた体重。今風にざつくばらんに譬へると、10㎏強増量した徳用リア・ディゾン。更にお芝居とついでに踊りの方もといふと、紛ふことなき素人。無闇にチョーチョーと女子高生言葉に汚染されつつ片言にも似た棒読みの関西弁で、関良平の書く恐るべき怪台詞の数々を連呼する様には戦慄も禁じ得ない。ただ麻倉エミリに関して、唯一積極的に評価し得るのは、その源が諒解可能な形で提示されることは終にないままに、何時でもフレームの中で不可思議なまでに100パーセント自信満々でゐられる点。どういふルートでだか招聘された小山田勝治の他に通常の技術論の枠内に一切の寄る辺を持たない砂上の映画を、辛うじて麻倉エミリの自信満々が一本通つた背骨として支へ抜く。たとへそれが、如何に曲がつてゐたとしても。こちらは微妙にプロの役者らしい塚本一郎はといふと、三代前の曾祖父の隣にクリストファー・ウォーケンが住んでゐた、とでもいつた感じか>どんな感じなのだか全く判らねえよ 雰囲気だけならば悪くはないものの、芝居といふか表情の抽斗をひとつしか持たないことと、濡れ場に入り脱いだ際の、弛みこそしてゐないとはいへまるで締まりのない肉体は、殺し屋といふにはどうにも画的な説得力を欠く。何故だか塚本一郎よりビリングが上に来るのが全く解せないデイ・内藤も、全きアマチュア。この人を強ひて譬へると、竹中直人と和田勉とを足して二で割るとかうなるか。本城がさなえと会話するシーンでは、本城の台詞だけアフレコの音量が小さいこともどうにも非感動的に意図が見えない。フと気が付くと今作、理解に苦しんでばかりである。矢張り理不尽なのか、あるいは不条理とでもいへばよいのか。十五年早くデビューしてゐれば天下を取れてゐたのかも知れない神咲真子は、終始どうにも身の遣り処に困るかのやうに所在なさげにしてゐるのが目につくが、尤もそれは、神咲真子に帰すべき責ではなく、関良平による所作指導の問題であらう。
 最低限繋ぎが一応スムーズなだけで、最終的には関良平の為すがままな展開の正体不明は矢張り絶好調。「あんた死神だなあ、俺のよ」。本城をやり過ごした後の夜、死んだ相棒がかつて遺した言葉だとかいふことで、佐伯はひろみを死神認定する。何ヌカしてやがるんだ、アホかといふ気分にしかさせられないが、御丁寧にも、死神といふキーワードはこのまま全篇を通じて活かされてゐるとは決していはないが、継続して使用される。偶さか出会つた殺し屋と踊り子、踊り子は、殺し屋の死神であつた・・・。かういふと多少安目とはいへフィルム・ノワールの香りもしないではないが、勿論、麻倉エミリを主演に据ゑておいてそのやうな代物が成立し得よう筈もない。
 翌朝ひろみはオフの間の日課といふことで、佐伯は家に置いたままジョギングに出る。又このジョギングの一幕の、麻倉エミリは一人楽しさうにドタドタと走つてはゐるものの、意味もそこにその件が置かれるべき必要も皆無な点には最早清々しさすら感じられる。そろそろ、といふかとうに気付いてゐた方がいい。今作は、観客の為に撮られたものではそもそもないのだ。ひろみを待つ部屋、テレビで自らが起こした事件のニュースを見ながら、画面右端に座つた佐伯は長いタバコの煙を吐く。今回二箇所だけある、映画的に恵まれたカットの内の一つ。ひろみが戻ると、早速佐伯はひろみの体にむしやぶりつく。シャワーをを求めるひろみに対し、「シャワーは俺が流してやるよ」、意味が全く判らない。藪から棒に3Pをしようといふことで、ひろみがさなえを呼ぶ辺りから、関良平の五里霧中は最加速する。シャワーを浴びたさなえが物憂げに鏡に向かふショットが、二箇所だけある映画的に恵まれたカットの内の残りひとつ。ここでの神咲真子の表情には、物静かながら豊かで強い情感が込められてゐる。そこにその画があることに、脈略は例によつて欠片もありはしないのだけれど。
 誰も居ないひろみの部屋に呼び鈴が鳴ると、赤いチャイナドレスに身を包んだひろみといふか麻倉エミリが、画面左手前からフレーム・イン。中央で正面を向く方向に振り返り、来客を出迎へるべく深々と一礼する。何でこんな画をいちいちフィックスで押さへておかなければならないのか、恐ろしいまでに理解出来ない。小山田勝治も現場では余程頭を抱へたか、あるいはグルッと一周して楽しくて楽しくて仕方がなかつたに違ひない。ひろみがさなえを居間に通すと、佐伯はいきなり白いバスローブ姿で登場、やる気まんまんにもほどがある。共に本城と関係を持つさなえのことをひろみは、チョー親友、“何とか兄弟”の女版と佐伯に紹介する、もう滅茶苦茶だ。一旦ひろみは退場、さなえと佐伯は、「お店に来た時の最初の言葉覚えてます?」、「何ていつたつけな・・・」、「スッコチ、ダブルで」。いやそれ、“最初の言葉”もへつたくれもなくて唯の注文だから。戻つて来たひろみは、「チョーいいムード、わあセクシー」。その台詞で口火を切り3Pに突入、もう煮るなり焼くなり好きにして呉れ。3Pの最中少し―フィルムを―長く回すと神咲真子と麻倉エミリとが、フレーム外の何者か―どうせ関良平に違ひあるまい―の方をチラチラ見てしまふことなんて、この際どうでもいい。
 事が済むと店のあるさなえはアッサリ帰宅、佐伯は本城に電話を入れる。罠に嵌められたことはさて措き、プロのプライドとして一度受けた仕事は必ず最後までし遂げるといふのである。若頭を実際に射殺されてしまふと困る本城が慌てると、佐伯は言葉を荒げる。「俺の首で恩を売らうなんて、お前等仁義あんのか?」、「あばよ、マッチポンプ野郎!」。“マッチポンプ野郎”といふのは気が利いてゐる、「あばよ、マッチポンプ野郎!」これは迷ではなく普通に名台詞だ。さなえと本城は、若頭銃撃事件の続報をテレビで見る。何時の間にか、佐伯の本名も面相も割れてゐた。驚いたさなえから佐伯がひろみ宅に潜伏することを掴んだ本城は、直ちにひろみのマンションへと向かふ。一方ひろみの部屋では、同じニュースを見てゐたひろみは佐伯に対する組織の追跡を悲観し、逮捕といふ形での保護を望むべく、容疑者が自宅に居ると警察に通報する。ここで私は理解した。今作の何もかもが判らないといつて何が最も根本的に足りないのかといふと、登場人物の心情の動きの説明が、予め設定された段取りとしても、実際にカメラの前での表現力としても、全く欠如してしまつてゐる。その為何が何だかてんで理解出来ないままに、映画はあれよあれよと一昨日から明後日の方角へと転がり流れ過ぎてしまふのだ。ひろみに通報されたゆゑ佐伯が部屋を後にしようとすると、ひろみは「忘れもんや」とキス。「ありがとよ」、と佐伯が返したところでドンドンドンと部屋の扉を雑に叩く音と共に、まるで抑揚のない声で「警察だ、開けなさい」。早えよ!早過ぎるよ。ひろみが通報してから、ドアが叩かれるまでが十秒弱、日本の警察はどれだけ迅速なのだ。「やべ、サツやて」とひろみ、お前が呼んだんだろよ、といふ以前に、マンションに到着してシンドラー社製のエレベーターに乗り込むところまでは描写されてゐた、本城は何処の平行宇宙に消えた。「あんたの勝ちだ」、「何ていつたの?」、「死神さんの勝ちだ」。そのままパトカーのサイレン音をBGMに玄関口で一発をキメると、何度も挿み込まれる満月を薄い雲が横切りエンド・クレジット。よくよく考へてみると、今作は実は、追はれてストリッパーの部屋に転がり込んだ殺し屋が、そのまま丸一日をセックスしたり無駄話をするだけで部屋からは一歩も外に出ずに過ごすだけの物語なのである。これでハードボイルドを狙つてゐるつもりになれるところが凄い。これが確信犯的な姿勢であつたならば、映画もまた新たな地平へと開けて行く可能性があつたのかも知れないが、これが単なる無自覚と大いなる不作為とにしか拠らない辺りが、関良平がエド・ウッドにも比される伝説の迷監督たる所以。尤もその、余人の凡そ到達し難い、最早天衣無縫の領域にすら突入した大らかさこそが、エド・ウッドや関良平の作品がそれでも一本の映画として、一部とはいへ人々の心を捉へ得るところのサムシングであるといへるのかも知れない。

 世の中何がどうトチ狂つたのか、関良平の前作にして第二作「三十路兄嫁 夜這ひ狂ひ」(2000)が、「兄嫁の夜這ひ すすり泣く三十七歳」と2008年に旧作改題されてゐたりなんかもする。新版公開の貪欲さもエクセスの強みであらうといふのと同時に、機会に恵まれた際には、こちらも必ず出撃したい。


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