真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 一般映画の短評である。
 我等が世界に誇る“SPEED MASTER”坂口拓こと拓ちやんの監督デビュー作、「魁 !! 男塾」(2007/原作:宮下あきら/監督・脚本・アクション監督・主演:坂口拓)を観に行つた。短評といふところに胡坐をかき、ストーリーその他は一切端折る。
 一言でいふと、よく出来た映画だとは口が裂けてもいへぬが、拓ちやんの男気はしかと受け取つたであります、押忍!
 もう少し言葉を重ねると、第一義的には、娯楽映画とはロジカルに、テクニカルにあるべきといふのが当サイトの基本姿勢である。よしんばさういふ堅苦しいことをいはずとも、今作に際してここがおかしい、あそこがチャチい、何処が足りない至らない、などといつたやうな難癖をつけることは容易い。それこそ、バカにでも出来る。だとしてもなほのこと、第ゼロ義の地平に於いては。今回拓ちやんは、偶さか技術や知識や経験や、おまけに製作環境にも恵まれなくて、成功はしなかつた。完成は果たせなかつた。ただ、拓ちやんの志が辿り着けはしなくとも向かはうとした先は、決して間違つてはゐなかつた筈だ。オーラスで語られる、男は、誰しも心に一本の刀を持つてゐる。後はその刀を磨くか、磨かないかだといふテーマは、一本の映画を通して、拓ちやんからの「俺もかうして磨いてゐるから、お前等も磨かうぜ!」といふメッセージとして確かに伝はつて来る。それは劇中に描かれた登場人物の描写のみを介してのものではなく、磨き抜かれた肉体と技と、そして女子供にすつかり市場が支配されてしまつて久しいこの時代に、敢て負け戦覚悟で男の、男による、男の為の映画を撮らうとした拓ちやん自身の姿とを通してのものでもある。

 とはいへ矢張り負け戦であつたのか、今作がヒットしてゐる気配は今のところ窺へない。だがどうにかして拓ちやんには、次の、その又次の機会にも恵まれて欲しい。さうしてゐれば何時の日か、きつと時代を撃ち抜き国境をも越える、真の傑作をモノにするに違ひない。坂口拓といふ男には、さう信じ込ませて呉れるサムシングがある。
 ただ拓ちやん、お願ひだから次回作はフィルムで撮らうね。そこは最も基本的な、志の問題であります、押忍!


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 「理由あり未亡人 喪服で誘ふ」(2003『変態未亡人 喪服を乱して』の2006年旧作改題版/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/脚本・監督:山邦紀/撮影・照明:小山田勝治/音楽:中空龍/撮影助手:杉村貴之・南靖比呂/助監督:栗林直人・広瀬寛巳・佐藤竜憲/出演:川瀬有希子・里見瑤子・佐々木基子・柳東史・平川直大・なかみつせいじ)。
 フランツ・カフカの『変身』をテキストに、女医・鈴子(佐々木)が患者にカウンセリングを施す。ロング・ショットで、巫女・もみじ(里見)は静謐な神社の境内を歩く。郵便ポストに左手を添へ、立ち尽くす男(なかみつ)。喪服女の歩く足元、タイトル・イン。カット変ると、拘束されたポスト男を、喪服の女・あやめ(川瀬)が鉄鞭で打ちのめしながらの交合。
 濡れ場の合間合間にテンポ良く徐々に語られる、ポスト男とあやめとの出会ひのシーンが超絶にロマンティック。ポスト男は初老で、なほかつロクに仕事もない。女からは見向きもされず、自分はまるでポストのやうに孤独だ、と郵便ポストと自身を同一視してゐた。一方あやめは夫を確かに亡くしてはゐたが、それはもう一年も前のことであり、未だに喪服を着てゐるのは、その方がマン・ハントの際男受けがいいからであつた。自らをポストになぞらへ、郵便ポストの傍らに立つポスト男。そこに歩み寄る、手紙を手にしたあやめ。あやめはポスト男を一瞬凝視すると、ポスト男の口に投函しようとしてゐた手紙を向ける。「ハムッ」と、手紙を咥へるポスト男に対しあやめは、「貴方がポストに見えた」。「どうして判つたんだらう?」と訝しむポスト男に再びあやめ、「ウチに来る?」。「ポストを誘つてるの?」、「私、ヤリマンだから。電信柱でもいいわ」。逃げ場のない人生の孤独に絶望、殆ど人間性をも喪失し己を郵便ポストにすら模した男の前に、通り過ぎ行くことなく現れた女。女は男の口に、手紙を咥へさせた・・・!好色な女は、男が男ですらなく、郵便ポストや電信柱であつてさへも受け容れるといふ、何とロマンティックな出会ひ。世界から零れ落ちた男に、偶さか舞ひ降りた束の間の救ひ、身震ひさせられるほどのシークエンスである。かくも独創的な夢幻、ワン・ショットの刹那を悠久に輝かせる漲る強度。ポスト男とあやめとの出会ひのシーンだけでも、我々はピンク映画に山邦紀あることを大いに誇り得るであらう。あやめがポスト男に告げる別れの台詞が、これ又洒落てゐる。「私ヤリマンだから、次の約束は出来ないわね」、「私が声をかけない時、貴方はポスト」。“私が声をかけない時、貴方はポスト”、まるで最も時代に祝福されてゐた時期の、歌謡曲の一節のやうだ。
 一方、もみじは大麻(おほぬさ)で自慰に耽る。山邦紀は神罰を恐れぬのか。神罰など恐れてゐては、映画など撮れぬに違ひない。もみじが絶頂に達するや、もみじの女陰からは虹色のハレーションが放たれ、仰々しく感動的なシンセが鳴る。
 柳東史は、同居するあやめの義弟・慎二。あやめに想ひを寄せ、奔放な男漁りに明け暮れる義姉に心を痛める。柳東史を抜け作抜け作と罵り倒すバイオレントな黒ver.の平川直大は、街金の取立て・吾郎。後述するもみじに敗北後の駄目ver.も、平川直大の持ち芸。吾郎は慎二の作つた借金の取立てに度々あやめを訪れては、利子と称してあやめとのSMプレイに溺れる。上手い具合に見切れるが吾郎の切る領収書は、(株)旦々舎のものである。いふまでもなくあやめの家は、旦々舎代表取締役浜野佐知の自宅でもあるのだが。
 もみじは天宇受賣命に起源を発するだとかいふ、女陰が有する聖なる力、ホト“陰”パワーに開眼する。ホトパワーにて不浄の俗世を浄化せんと、境内より俗界へと鳥居を潜る。山邦紀の趣味的な奇想が火を噴いたとファンとしては大喜びしてもよい、ところなのでもあるが。残念ながら映画の支柱がホトパワーに移ることから、ポスト男が蚊帳の外へと追ひ遣られてしまつた感は否めない。劇中世界からもすら取り残されることによつて、ポスト男の孤独が更に一層際立つ。などといふのは、さういふ見方をして見えなくもないが、多分山邦紀も、そこまでは計算してゐないと思ふ。
 慎二はあやめの高校時代の同級生であるもみじに、義姉のヤリマンを相談する。あやめの家に逗留するもみじを、借金の形に不動産を狙ふ吾郎は疎ましく思ひ、暴力的に事に及ばうとする。ものの、もみじから迸る負のホトパワーを浴びた吾郎は、不能になつてしまふ。職業上のストレスからカウンセリングも受けてゐた鈴子に、吾郎は相談を持ち掛ける。もみじの力に鈴子は興味を抱き、科学的な見地からの解明を試みることを欲する。
 といふ訳で、ホトパワーを鍵に作品世界は連関を完成させる、ポスト男のことは何処かに置き忘れて。額面通りのカタルシスが成就するクライマックスは、確かに一応の結実を果たせてもゐる。それでも矢張り、吾郎の受けるカウンセリングに判り易くもカフカの代表作まで持ち出しておいての、救ひやうのない孤独に苛まれた初老の男が自らをポストと看做すに至るといふ、提出された変身譚、あるいは拡げられた大風呂敷は、満足に回収されたとは凡そいへない、ところであつたのだが。山邦紀は、映画監督としての決戦兵器を二種類保持する。表面的にも判り易い、自由自在な変幻怪異のアクロバットと、もうひとつ。この人は、数秒あれば永遠を刻み込めるダイナミズムも有してゐる。十秒にも満たぬラスト・カットに叩き込まれた、恍惚あるいは至福に満ちた、まるで終に果たされた全体への回帰でもあるかのやうな同化、乃至は消失。冒頭の超絶ロマンティックも半ば忘れ去られた最後の最後に、穏やかでありつつも、確かな手応へを以て撃ち抜かれた叙情が、冷静な論理的視点からはちぐはぐといへなくもない今作を、余人の手の届かぬ領域へと押し上げる。最終的には映画の体裁の整ひを若干欠くところは惜しいものの、山邦紀の両翼の力強い羽ばたきはよく確認出来よう。傑作とは決していへぬのかも知れないが、同時に決して忘れ得ぬ一本である。

 部分的に、より明示的にちぐはぐなのは。再会したあやめともみじは、積もる話に花を咲かす。寡婦のあやめは、夫を腹上死で喪つてゐた。あやめの上で背中しか見せぬ亡夫は、誰なのか微妙に判らない。それは単なる死後硬直に過ぎずビクビクと脈打ちはしないと思ふのだが、あやめは遺された膣内の剛直に、心臓は死してなほ、生き続けるチンコを感じる。さうするともみじは「ふうん、哲学的ね」。夫の死後あやめは雑踏の中で不意に眩暈に襲はれると、この人混みの中の誰しもが、チンコをぶら提げ、マンコ―実際に呼称される―を持つてゐる。否、今目に映る世界には人間が歩いてゐるのではなく、ただチンコとマンコとが歩いてゐるだけなのではないか。といふ、唯チン論、もしくは唯マン論に到達する。するともみじが今度は、「一種の神秘体験ね」。一連のもみじのリアクションは、台詞が逆ではないか?


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 「腰巻本妻 丸裸の白襦袢」(1999『出張和服妻 -ノーパン白襦袢-』の2007年旧作改題版/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:稲山悌二/撮影:千葉幸男/照明:高原賢一/編集:酒井正次/メーク:桜春美/音楽:レインボー・サウンド/助監督:加藤義一/監督助手:北村隆/撮影助手:池宮直弘/照明助手:藤森玄一郎/出演:青山くみ・しのざきさとみ・佐倉萌・杉本まこと・幸野賀一・岡田謙一郎・丘尚輝)。
 自宅で開く着付け教室にて、夏目しのぶ(青山)が生徒・木島(丘)に着付けを施す。肌蹴た前から木島のブリーフの膨らみにしのぶの目が釘づけになると、左から右に淫らな妄想スタート。木島に尺八を吹くしのぶの姿から、タイトル・イン。
 しのぶは、親友の塚田郁子(しのざき)に乞はれ出張着付に向かふ。リアルの話では、日舞の心得のあるしのざきさとみが、着物を着るのに人の手を借りる必要は無いのだが。同窓会に出席する郁子がバタバタと外出したところで、郁子の夫・康志(幸野)登場、しのぶに言ひ寄つて来る。白襦袢に剥かれるしのぶ、白いドレスシャツの康志、序に塚田邸は妙に豪華な御馴染み白亜の洋館。二人縺れ合ひながらプールになど落ちてみたりなんて、まるで青山くみと幸野賀一の二人を絶世の美人女優と大俳優とにでも錯誤したかのやうな、大時代的なメロドラマ調の濡れ場が展開される。観てゐるこつちは別に錯覚させられもしないので、苦笑を禁じ得ないばかりではあるが。因みに全く別の映画ではあるが、植木屋(佐藤幹雄)がセレブ奥様(荒井まどか)からプール排水口の詰まりを直すやう命ぜられるシーンで、(ミサトスタジオ)屋外プールの水中撮影用ブースの様子を垣間見ることが出来る。
 夫・拓郎(杉本)との不仲に悩みつつ、しのぶは今度はコンパニオンの斉藤成美(佐倉)宅へと出張着付に向かふ。ところで佐倉萌も、しのざきさとみ同様着物を着るのに人の手は要しないのだが、青山くみに関しては知らぬ。着付けを始めたところで、成美の不倫相手兼パトロンが急に来訪する。慌ててクローゼットに押し込められたしのぶは、ついつい覗き見た他人の逢瀬に愕然とする。成美のパトロンとは他人ではなく、拓郎であつたのだ。
 といふ訳で郁子に相談を持ちかけたしのぶが、郁子の勧めでわざと夫の目につかせ嫉妬心を煽る為の、夫以外の男との肉体関係を綴つた日記を書き始める。といふのが今作のメイン・プロットなのではあるが、如何せんここに辿り着くまでに尺を喰ひ過ぎてゐる。残りも半分を割つたところで、相変らず郁子と、同窓会で焼けぼつくひに火が点いた小宮山秀俊(岡田)との二度目の濡れ場を繰り返してゐたりするので、物語の焦点が、しのぶに当てられてゐるのか奔放な性生活を謳歌する郁子に当たつてゐるのだか、勿論今作の主人公はしのぶの筈なのだが、どうにも釈然としない。挙句にしのぶと拓郎とが絆、といふか少なくとも夫婦の生活を取り戻すシークエンスといふのが、岡輝男の書いた脚本といつてしまへばそれまでだが、それにしても無理が大きい。しのぶ宛てに成美から入つてゐた着付け依頼の留守番電話を拓郎が利用し、しのぶを成美宅にわざわざ誘ひ出してそこでセックスするといふのは、何で又さういふ無茶を仕出かさねばならぬのか理解に苦しむ、普通に自宅ですればいいだろよ。そこに帰宅した成美が目を丸くし、拓郎としのぶとが実は夫婦であることを知つた上では激昂する件は可笑しかつたが。
 詰まるところは、夫に読ませる為に夫以外の男とのセックスを描いた日記を綴る、といふプロット自体は決して悪くはないのだが。尺の配分ミスや一番要のところで派手にやらかした舵取りの不手際で、結局は小屋の暗がりの中で首を傾げるばかりの、大袈裟に壊れてゐる訳でもない辺りが一層始末に終へない凡作である。
 時折思ひ出したやうに訳の判らない動きを見せることもある千葉幸男のカメラが、しのぶと康志との濡れ場の冒頭、堰を切つたかのやうに闇雲なズーム・アップを繰り返し繰り出す辺りは、意図は矢張り酌めはしないが微笑ましい。


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 「多淫痴情妻」(1996『濡れまくり痴情妻』の2007年旧作改題版/製作:プロダクション鷹/配給:新東宝映画/監督:珠瑠美/企画:中田新太郎/撮影:伊東英男/照明:石部肇/音楽:プロ鷹選曲/効果:協立音響/美術:衣恭介/編集:井上和男/助監督:近藤英総/現像:東映化学工業株式会社/録音:ニューメグロスタジオ/出演:泉由紀子・杉原みさお・竹田雅則・ホッチャ・真央はじめ・途夢待人・中田新太郎)。脚本も珠瑠美の筈なのだが、本篇クレジットからは抜けてゐる、クレジットするまでもないといふことなのか。それと出演者中、中田新太郎は本篇クレジットのみ。
 何といふか、どう表現すればよいものやら。一言で片付けると、恐ろしい映画である。
 一人社内に残り残業中のOL(泉)、どうも泉由紀子のアフレコが別人臭い―再見注:明らかにアテレコ―のは、この際それどころではないとしても一応触れておく。漸く帰宅するかとした泉由紀子は、エレベーターの中で強姦魔(中田)に犯される。毎度毎度の蒸し返しではありつつ、濡れ場の最中の、妙にテイストを変へたイメージ・ショット?の挿入具合が、珠瑠美の映画は何本観てもまるで理解出来ない。恐らくは意図的に、あるいは執拗に以降も繰り返される点からしてみるに、全く意味がない、とは逆に思いひ難いものの。逃げるやうに、といふか実際に逃げながら会社を後にし乗り込んだ通勤電車で、泉由紀子が今度は痴漢される。痴漢氏は途夢待人、漢字だけだと伝はらないかも知れないので、読みは“トム・ウェイツ”。帰宅した泉由紀子は、エロ絵師の夫(ホッチャ/誰の変名なのか)と夫婦生活。強姦―と電車痴漢―された心の傷は、何万光年彼方の外宇宙へと消えたのか。珠瑠美の映画を真面目に観てゐると、悲しくなる前に頭がクラクラして来る。泉由紀子はホッチャの仕事のためにどんなポーズでも取るは、好きにしてだとかいひつつ、同じカットの中で翻意する、もうどうにでもして呉れ。今回遅ればせながら理解した、珠瑠美の映画を最後まで観通すには、早目の諦めが肝心だ。場面変つて筋トレ用の器具の揃つた部屋、終了した撮影会から一人残つた若いカメラマン(真央)の下に、アーパー・コンパニオン略してアーパニオン(杉原)が戻つて来る。アーパニオンは全裸でマシンに跨ると真央はじめを誘惑、セックロス。何時まで経つても見えて来ない明確な物語の筋に関しては、ここで結論をいふと、そんなものは存在しない。ホッチャは旧友(竹田)と再会、ホッチャと竹田雅則は若かりし頃互ひに痴漢の腕を競ふ火遊びに興じた時期があり、竹田雅則の細君はその時の女で、ついでに杉原みさおであつた。ピンクに於いては半ばデフォルトの、劇中世界の清々しい狭さがスパークする。竹田雅則は若い頃の夢であつた、ライトバンを座敷代りに走らせての乱痴気騒ぎを遂に実行に移すべく、ホッチャを夫婦交換に誘ふ。杉原みさおは車の運転手に真央はじめを呼ばうとするが、杉原みさおの淫乱ぶりに恐れをなした真央はじめは、運転役を悪友に代る、その悪友といふのが再び登場する中田新太郎。中田新太郎が流すバンの中で、飲み食ひする二組の夫婦、やがてスワップ、そしてENDマーク。

 ひとつひとつのセンテンスを掻い摘むと百歩譲れば何が何だか必ずしも判らぬでもないにせよ、逐一目を通してみたところで、話の全体像はてんで見えて来ない。要は“センテンス”を“シークエンス”と読み換へて頂ければ、即ちそれが偽らざる今作の実相を表す。さういふ、恐ろしい映画である。まるで夢でも見てゐるかの如く、場当たり的なシークエンスが漫然と連なり、観客を煙に巻いたまゝ唐突に、あるいは強制終了でもするかのやうに終幕を迎へる。木戸銭を落として映画を観に来てゐて、しかも福岡から八幡まで、込み上げて来るのを禁じ得ない地味な敗北感は何なのか。ズタズタに鋏を入れられた挙句に、滅茶苦茶な再編集を施された洋ピンを観てゐる時のやうな気分。といふと、我ながら珠瑠美の映画を最も明快かつ的確に評し得たやうな気もする。さうか、珠瑠美は日本人出演者による洋ピンを志向してゐたのだ。最早さういふ辺りにでもしておいて呉れ。しておかうよ、御同輩。
 そもそもが、新東宝は何をトチ狂つて、斯様な代物をこの期に改題新版公開などしてゐやがるのか、他にすることもあるぢやろに。


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 「妹のおつぱい ぶるり揉みまくり」(2007/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:岡輝男/撮影:大江泰介/照明:淡紅朱天/助監督:横江宏樹/撮影助手:新島克則/照明助手:泥雷斗/応援:竹洞哲也/音響効果:梅沢身知子/音楽:レインボーサウンド/出演:荒川美姫・合沢萌・華沢レモン・高見和正・丘尚輝・吉岡睦雄)。恐らく今作が、大江泰介にとつて撮影部メインの初陣となる筈だ。
 ウェデイングドレスから、カメラが右にパンするとタイトル・イン。更にパンすると旧姓木下悦子(荒川)と蛯沢俊彦(高見)の新婚初夜。あれれれれ?何だかポスターよりも荒川美姫がカワイクないぞ!(後述)
 五年前。里親(繰り返し登場する夫婦の写真が、誰のものかは不明)の事故死後、悦子の兄・健太郎(吉岡)は高校を中退して町工場に就職し、妹の面倒を見てゐた。健太郎が学費を稼ぎ、悦子は大学に進学する。さういふ兄弟にしては、二人は妙にいい部屋に住んでゐたりもするのだが。働く健太郎に、工場の事務員・高島理恵(合沢)がモーションをかける。妹のことが脳裏をよぎる健太郎は、その日は理恵の誘ひを辞退する。家では悦子が兄の好きなレモン・パイを焼き、健太郎の誕生日を祝福した。とはいへ、悦子と健太郎の誕生日は同じ日でもあつた。実は孤児院から同じ里親に貰はれたといふだけで血の繋がらない妙齢の悦子に、健太郎は女を感じてしまふことを禁じ得ない。一方悦子は、親友・安藤みつき(華沢)とのビラ配りのバイトの休憩中に、女子学生憧れの的の蛯沢を目撃する。みつきに命ぜられ声をかけようと近づいて来た悦子を、蛯沢はいきなりデートに誘ふ。接近する悦子に蛯沢が気づいたところで、運命の出会ひを強引に印象づける劇伴が華麗に鳴り、蛯沢と悦子、それぞれアップで抜かれた二人の髪をそよがせる風が吹く。このシーンに於ける恐れを知らぬ加藤義一のポップ・センスは、今作唯一快調。
 血の繋がらない―但しこのことは当初健太郎しか知らないといふ設定は、残念ながら全く判り辛いのも致命的に痛い―微妙な年頃の兄妹と、互ひの彼氏彼女とを交へた四角関係、蛯沢と理恵は全く交はりもしないのだが。惜しむらくは、このプロットでキュートなポスターワークから事前に想起させられるラブ・コメ路線ではなく、今作が甚だ中途半端なシリアス路線を採つてしまつてゐる点。雰囲気と勢ひさへ備はれば何とか押し切つても行ける時は行けるラブ・コメではなく、シリアスに正攻法のドラマを展開しようには、脚本はあまりにも薄く、主演の二人はどうにも役者が足らない。加へて、苦し紛れの無茶振りぶりも甚だしい。不意に無断欠勤を続ける理恵を健太郎が訪ねると、理恵は昔の男が追つて来たといふ。理恵の部屋で二人で昼間から飲んでゐると、如何にも強面の、昔の男(丘)が風呂から上がつて来る。さういふ部屋でのうのうと飲んでゐることの不自然さ以前に、破天荒にもほどがあるのは、理恵の昔の男とは、実は兄であつた。とかいふ次第で「近親者との愛ほど、ハマッたら怖いものはないのよ・・・」と理恵が健太郎に近親相姦の禁を説くといふのは、幾ら何でも無理矢理どころの騒ぎでは片付かない。「近親者との愛ほど、ハマッたら怖いものは無いのよ・・・」、この台詞自体が次のカットでも御丁寧に繰り返される割に、最終的には別に活かされる訳でもなく。このまま濡れ場を見せずに通り過ぎるのかと思はせた、華沢レモンの扱ひも粗雑。元々は自分が好きであつた蛯沢と、悦子のキス現場を目撃したみつきはショックを受け、激しい憎悪を燃やす。悦子の留守に健太郎を強襲すると、半ば強引に事に及ぶ。ちやうど一戦が終了した頃合に上手いこと帰宅した悦子に対し、アンタが私の大切なもの(蛯沢)を奪つたから、私もアンタの一番大切なもの(兄貴)を奪つてやつたのよ!といふ展開は新田栄映画ばりに陳腐。続いて複雑な夜を過ごしながらも終になし崩されるやうに兄妹が越える一線も、それまでに積み重ねられたものもさして無いままには、単に時間の都合で始められた合計数度目かの絡みに過ぎまい。最も肝心要のシークエンスの筈が、凡そ映画の頂点たり得てゐない。明くる朝兄は仕事へ、妹は大学へと家を出る。健太郎が妹を出迎へた蛯沢に気づいたところで、悦子の背中を押して蛯沢と結ばせるといふのも、事前に健太郎と蛯沢の接点も無く、実に場当たり的なものとしか見えない。オーラス酔ひ潰れた結婚式から独りトボトボと帰る健太郎の、新しい日常の始まりを告げる再会は非常に悪くないが。

 そんなあれやこれやの不備以前に、今作加藤義一が犯した最も許し難い大罪はといへば。悦子が蛯沢といふ彼氏が出来た時点で、メガネからコンタクトに移行してしまふクリシェ・・・・・、思はず沸き狂ふ怒りに我を忘れさうになる。愚劣!愚劣!愚劣!何故(なにゆえ)にこの期に、さういふ思考停止も甚だしい、怠惰極まりない誤謬を繰り返すか。猛省を促したい、だなどと冷静にはとても済ませてをれない。加藤義一の首根つこを掴んで、「これをよく見よ!」とポスターに顔を打ちつけてやりたい。さうポスターでは、文字通り“ぷるり”としたオッパイを露出した荒川美姫が、ずれたメガネを可愛らしく摘み、なほかつ上目遣ひが究極のエモーションを撃ち抜くメガネ越しの眼差しで、今作に対する事前の期待感をエクストリームに喚起して呉れてゐる。新東宝も新作でも酷い時は酷いから、大蔵(現:オーピー)・エクセス・新東宝、三社とも甲乙付け難い、といふか丙種のポスターワークが伝統的に散見される中、今作はポスターが本篇を凌駕した稀有な例である。
 結局終始不発気味の中でも最も破壊力に富んだ濡れ場は、更衣室での理恵と健太郎との一戦か。その際にも矢張り、微妙に疑惑は拭ひ切れないのだが。


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 「スチュワーデス 腰振り逆噴射」(2002/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:岡輝男/撮影・照明:小山田勝治/効果:中村半次郎/編集:フィルムクラフト/音楽:レインボーサウンド/挿入歌:「SheHerTonight」/助監督:田中康文/監督助手:下垣外純・笹木賢光/撮影助手:大江泰介・赤池登志貴/協力:佐藤吏/スチール:佐藤初太郎/メイク:NOZOMI/美術:阿佐ヶ谷兄弟舎/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:沢木まゆみ・林由美香・佐々木基子・風間今日子・岡田智宏・村井智丸・丘尚輝・城定夫・なかみつせいじ)。
 飛行中のペガサス航空機最後部、映画スター・杉本まことを起用したハワイ旅行のポスターからカメラが下がると、喜悦に顔を歪める杉本まこと(なかみつ)本人が。更に視点が下がると、美人スチュワーデス・松嶋桃子(沢木)が杉本まことの股間に顔を埋め、尺八を吹いてゐる。そのまゝ盛り上がつた桃子は「もう好きにしてえ!」と後背座位で杉本まことに跨るや、後ろから乳を揉み込まれながらといふ、シンプルではあれ決定力のあるアングルで悶え狂ふ。沢木まゆみの痴態の邪魔にならない十分後方でなほかつさりげなく、「アァ~、オォ~」と呻くやうにまるで洋ピンの如く大仰で判り易い、演技ならぬ艶技に徹するなかみつせいじが渋く笑かせる。カット変り、杉本まこと主演映画「野良犬地獄」ポスターから再びカメラが下がると、桃子が目覚まし時計に起こされる。臆面もない夢オチながら堂々とポップな開巻に、デビュー第三作にして早くも確かな加藤義一の地力が光る。加藤義一デビュー年の快進撃については、こちらを参照されたし。
 金持ち男目当ての合コンに明け暮れる桃子は、けふもけふとて、同僚スチュワーデス・本上ますみ(風間)のセッティングによる合コンに出撃する。医師の後藤英明(岡田)をロック・オンした桃子は、英明と中座し、その夜はひとまづデートの約束を取りつける。も、友人に乞はれた員数稼ぎで出席してゐた英明が実は医師などではなく、親の零細工場を継いだ、決して金を持つてゐる訳でもない自動車整備士であつた。
 林由美香は、英明の同僚整備士で男勝りの江川遥。実は秘かに想ひを寄せる、英明と桃子との恋路の行方に気が気ではないものの、英明のことを思つて協力しようとする。佐々木基子は、こちらは女性陣の員数合はせで合コンに参加する、オールドミスの先輩スッチー・柴田理恵子。村井智丸はますみに捕まる本物の医師・梁井健一、英明を担ぎ出した友人でもある。丘尚輝は同じく合コン男性陣の中から、弁護士の堀田聡。何時でも大六法を小脇に抱へてゐる造形は、流石にどうにかならないものか。勢ひでといふか何といふか、理恵子と結婚する破目になる、破目とは何事か。ひとまづは二人幸せさうにハネムーンに旅立つ様子も描かれるので、それはそれで又良し。城定<>夫は、銀行員といふので一度は合コンで桃子と仲良くなりかけるも、勤務する銀行の破綻によりけんもほろゝに捨てられる藤本直人。未練を残し、ストーカーとして桃子に付き纏ふ。
 m@stervision大哥がリアルタイムで結論づけられてをられるやうに、今作は青春映画の傑作「恋しくて」(1987/監督:ハワード・ドゥイッチ/製作・脚本:ジョン・ヒューズ)の翻案である、らしい。“らしい”といふのは、例によつて当サイトが、「恋しくて」を未見であるからである。とかいふ次第で、「恋しくて」のストーリーをザッと調べてみると。成程、メインストリームの美女(今作では桃子)に恋をした地味男(英明)と、彼に近しく実は想ひを寄せつつも、複雑な心境を抱へながら地味男の恋の成就に協力しようとする、今でいふところのツンデレ(遥)との三角関係、といふプロットは全く同一である。加へて、地味男がツンデレの手を借りメインストリームの美女に贈らうとするプレゼント(『恋しくて』に於いては耳飾り)も、遥のサイズに合はせたから桃子には合はない指輪、といふより直線的な形にて現れる。尤も、翻案である点に関しては見てない以上大人しく通り過ぎると。英明から渡された指輪に指を通した桃子は、「素敵・・・でも私には大き過ぎ」、「本当はこのサイズに合つた人がゐるんぢやない?」。といふので近すぎてこれまでは判らなかつた自分にとつて本当は一番大切な、本当に自分を一番大切に想つて呉れてゐる人の存在に気づいた英明が、独り口を大きくへの字に不貞腐れてゐた遥に指輪を贈ると、「かういふの欲しかつたんだ」と遙が仏頂面を綻ばせるシークエンスはよしんばオリジナルでなくとも、林由美香のキュートな名演に支へられ完成度は頗る高い、ジーンと来る。そもそも沢木まゆみ×岡田智宏×林由美香といふ、恋のトライアングルのキャスティングが素晴らしく強力である。
 男漁り―但し富裕層限定―に明け暮れてゐた桃子が、英明の純真さや実は陰ながら英明を慕ふ遙の一途さに触れ一時的とはいへ改心し、結果英明は遙と結ばれる。といふのは勿論物語の着地点としては百点満点な訳ではあるが、それでは映画がキレイすぎるといふのかプロローグの夢オチに連なるエピローグとして、実際に勤務中の機内で乗客の杉本まことに遭遇した桃子が、ハチャメチャに過激な肉弾過剰サービスを展開するラストは、桃子の絶頂への到達を大空を飛び行くジェット機に重ね合はせるなどといふ、最早グルッと回つて大胆とすらいへるポップ・センスも鮮やかに決まり、実に愉快で、スマートに映画を畳む。快調に幕を開けると、すつたもんだで笑つて泣かせ、最後にもう一度笑はせてスカッと幕を引く。何かしらのエッジを求める鑑賞眼からは全くの凡庸な一作に映じるやも知れぬが、一点を除いて非常に洗練された、完成度の高い娯楽映画である。加藤義一の初期作の中でも、随一の傑作といへよう。
 少なくともピンクに於いては比較的シリアスな役柄の多かつたやうに見受ける沢木まゆみの、過剰にポジティブな行け行けどんどん演技は、なまじつか容姿が完璧であるだけに却つて人工的にさへ見えてしまふ部分もあれ、沢木まゆみが誇る超絶のオッパイを惜し気もなく放り出し、自ら男に跨り「もう好きにしてえ!」と腰を振り気をやる奔放な媚態には、ゴキゲンな突進力に富んだ幸福感が溢れる、全体この男は何をいつてゐるのだ。オープニングとラストを見事に映画スター・杉本まこととして堂々と飾る、なかみつせいじも正しく絶品。果たして人の眉毛といふものはここまで動くのか!と驚愕させられる、怒涛のマンガ芝居を披露する。

 一点非常にバランスを欠いて、奇異にも思へるのは。当初桃子は英明をイケメン医師と目して狙ひ定める。一方英明は英明で、過去の因縁から桃子に一目惚れする。その英明の過去といふのが、桃子ソックリなかつての恋人・ミキ(沢木まゆみの勿論二役)をストーカーによつて殺されてゐたといふのは、些か話が大仰ではあるまいか。桃子を庇つて英明が藤本に刺される件の背景に、別にそこまで重い話はどうしても必要ではなかつたやうにも思へる。
 最後に小ネタを一摘み、さういふ、濡れ場の恩恵にすら与れずまるでいゝところのない藤本に扮する城定夫といふのは、いふまでもなく城定秀夫その人である。確認出来てゐるだけで、城定夫名義は翌年の第五作と、「さびしい人妻 夜鳴く肉体」(2005/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典)とに。一方城秀夫名義では前作や、他にこんなところにも見かけられる。


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 「続・昭和エロ浪漫 一夜のよろめき」(2007/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影・照明:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/監督助手:関力男/撮影助手:海津真也・関根悠太/制作:高橋亮/出演:大沢佑香・日高ゆりあ・春咲いつか・なかみつせいじ・吉原杏・山口慎次・平川直大・野村貴浩・NANA《子役》・神戸顕一)。出演者中、神戸顕一は本篇クレジットのみ。桜井明弘と大場一魅による挿入歌が一曲づつクレジットされるのだが、曲名に力尽きた。
 舞台は前作から五年後の昭和三十九年、東京オリンピックが開催された年である。東京タワーと、五輪の煙を描く五機のジェット機とを描いた、ホーム・メイド感もあんまりなCGにて開巻。どうやらこれらは、清水正二の手によるものらしい。後に纏めて採り上げることにしてひとまづさて措くと、明子(春咲)が嫁いだ後の風間家は、父・一郎(なかみつ)、母・栄子(吉原)、大学生から社会人になつた弟・茂(前作津田篤から山口慎次に変更)の三人暮らし。茂には新しい恋人の瀬戸山マドカ(大沢)が居たが、マドカは旧家出身の令嬢で二人は身分の違ひに悩むと同時に、マドカには、親同士が決めた許婚の恭助(野村)が居た。そんなある日、酒に酔つた夫・田中聡(平川)に殴られたと、大きな青痣を作つた明子が、娘・ナナコ(NANA)を連れ風間家に出戻つて来てしまふ。
 こちらも前作から連続登板の日高ゆりあは、一郎の部下・桜沢類子。茂の元カノといふ設定はギリギリ活きてゐるやうだが、前作では茂の同級生であつた筈が、今作では茂の先輩といふことになつてゐる。一郎と同じ職場といふことは、新聞記者といふ前作に於ける志望は恐らくは叶はなかつたのか。
 前作は本家公開の翌年に封切られたのに対し、今回は本家の続篇を大胆にも半年先駆けて公開された、明確にピンク版「ALWAYS 三丁目の夕日」路線を展開した、昭和三十年代を舞台としたホームドラマの第二弾である。明子の結婚問題といふ明確な映画の柱を有してゐた前作に対し、今作は茂とマドカとの許されざる恋、明子の家庭問題、更には調子のいいことこの上ない一郎と類子との不倫、の大きく三つに焦点が分散してしまひ、散漫とした続篇企画であるといふ基本的な感想は禁じ得ない。たとへば前作に於ける類子は殆ど濡れ場要員に等しい役割であつたとしても、百合子(池田こずえ)の物語は、同じテーマを抱へた明子との対比として描かれてゐた筈だ。
 大きく三つあるのは分散した焦点だけではなく、大きな穴も三つ開いてゐる。まづはビリングは大沢佑香がトップでポスターも飾るところから見ると、三つのプロットの中でも、マドカと茂との許されざる恋、といふのがメインであらうといふことになる。さうしたところで、髪をちやんと黒く染めろといふのはひとまづいはずにおくが、相手役の山口慎次が酷い、といふか稚拙過ぎる。最短距離でいふとAV嬢よりも芝居が拙い俳優とは何事か、脇にでも置いておくならばまだしも、到底映画を背負はせ得よう手合ではない。藤谷文子にかなりソックリな大沢佑香には煌きの萌芽が見られなくもないものの、これでは映画も成立しようがない。身分違ひの恋が云々、といつた主要なテーマを担ふ筈の台詞の大沢佑香を下回る棒読み具合は、シークエンスを木端微塵にしてしまふ。これが薔薇族映画であつたなら、お芝居はへべれけでも、ルックスが良ければ通る話なのかも知れないが。第二に、幕間幕間に挿入される、東京オリンピック開催を告げるアドバルーンや当時のデパート、あるいは電車等の矢張りあんまりなCG画像。バジェット云々以前の戦場でそれでもどうにかして昭和三十年代の風景を描写しようとしたつもりなのかも知れないが、それにしてもこちらも余りにも酷い。ふざけてゐるのかと思へてしまふ程にチャチく、下手糞な切り絵並みの代物である。国映風の履き違へた一般映画嗜好、もとい志向に与するつもりは勿論毛頭ないが、ピンクといふ土俵の言ひ訳に胡坐をかく訳ではなく、ピンクをピンクとして、その上で最終的には世間一般に本気で討つて出るつもりであるならば、このやうなことをしてゐてはいけない。初めから出来はしないことは潔く諦めた上で、その上でなほ、出来得る限りの正面戦を展開すべきではあるまいか。さうでなくては、これではマトモに戦へない、戦ひにならない。作家性にある程度即した、渡邊元嗣の切り絵とも訳が違ふ。更に最も壊滅的なのは、ネタも割れてはしまふが、明子の問題はそれなりに、一郎の抱へた問題はかなり等閑に処理したところで、恭助も登場しての、駆け落ちを決意し婚前交渉も通過したマドカと茂との許されざる恋物語の行く末。唐突に始まつた締めの濡れ場が、何故かマドカと恭助とのものであつたことには愕然とした。一体何がどうすれば、物語がそこに着地するのかが全く理解出来ない。展開上全く不可解といふ以前に、これでは女は分相応な相手と一緒になるべきであるといふ、パート1とは真逆な帰結になつてしまふ。破壊力すら宿したラストは、一息に今作を失敗作から迷作へと押し出してしまつた。もうひとつ小ネタに触ると、旧家令嬢である筈のマドカが、何といふこともない下宿屋に生活してゐるといふのもどういふ訳か。

 ところで。小屋で今作を鑑賞した諸兄に当たられても、判別出来なかつた方がをられるやも知れないが、キチンと本篇出演者クレジットの最後に名前を連ねる神戸顕一が、一体全体何処に見切れてゐたのかといふと。冒頭晩酌をやりながら、組合運動に熱心な聡が来(きた)る決起集会に備へてノートに鉛筆を走らせるシーン。机上に時代を演出するギミックとして中原淳一の『それいゆ』誌やビラ等が積み重ねられた一番下に、池島ゆたかの近作にて頻出する小道具、神戸顕一が表紙を飾る『AHERA』誌がそれとなく挟み込まれてゐる。さりげない遣り方自体には感心した、それ以上には敢て触れぬ。その他、広瀬寛巳や新居あゆみらが、マドカと茂がデートに使ふ、バー「スターダスト」のその他客要員に、中川大資が、風間家に出入りする三河屋の御用聞きとして見切れる。
 オーラスにひとつ与太、今作池島ゆたかが放つた危険球。偶さか一郎と栄子との濡れ場が始まりかけた瞬間には、正直肝を冷やした。


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 「花と蛇 地獄篇」(昭和60/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:西村昭五郎/脚本:桂千穂/原作:団鬼六『角川文庫刊』/プロデューサー:奥村幸士/企画:植木実・小松裕司/撮影:山崎善弘/照明:田島武志/録音:福島信雅/美術:北川弘/編集:奥原好幸/選曲:山川繁/助監督:北村武司/色彩計測:福沢正典/製作担当者:高橋伸行/緊縛指導:浦戸宏/スタントマン:井口浩水/擬斗:渡辺安章/操演:テイク・1/現像:東洋現像所/出演:麻生かおり・藤村真美・中田譲治・清元香代・染井真理・仙波和之・渚あけみ・平岡正明・益田愛子・平泉成・児玉謙次)。配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。
 羽田に向かふ高速道路を走る一台の車。急かされた車の急ハンドルに合はせられた、クレジットが小気味良い。後部座席の会社社長・遠山義隆(児玉)は、運転手・川田美津夫(中田)の目も憚らず後妻・静子(麻生)の和服を肌蹴、美肉を貪る。素行の悪い娘・京子(藤村)の教育をしつかりするやう静子に言ひつけ、遠山は洋行。静子が帰宅したタイミングで、京子が頭を張るスケバングループ・葉桜団(笑)から、京子のリンチ回避と引き換へに三百万の金を要求する電話がかゝつて来る。遠山家の老家政婦・千代(益田)は首領(実台詞ママ)がどうしてリンチされるのかと一笑に付し取り合はなかつたところへ、玄関から投げ込まれたと、川田が京子の下着が入れられた学生カバンを持つて来る。これは尋常ならざる事態と慌てた静代は、川田に運転させ銀行へ直行。金を下ろし、川田が煙草を買ひに車を離れた隙に、静代は車ごと葉桜団(渚・清元・染井)に拉致されてしまふ。山間の廃屋に連れ込まれた静代は縛り上げられる、そこへ、助ける風でもなく川田が現れる。川田は実は京子と付き合つてをり、川田が博打で作つた借金のために、二人で三百万を要求する狂言を思ひついたのだつた。更にその場へ、川田が金を借りた田代組の若頭・津山淳(平泉)が登場。美しい母娘に目をつけた津山は、調教してSMショウの呼び物とすべく、二人を組長・田代一平(仙波)の待つ山荘へと連れて行く。
 とかいふ次第でのんべんだらりと美しい母娘がお定まりの痴獄に囚はれた後は、こちらも教科書通りの責めが弛目に展開される。唯一女優として映画を背負ひ得る麻生かおりの被虐の痴態に大いに即物的には興奮させられるとはいへ、AVまで含めれば一体同工異曲の類作が果たして何臆本製作されたものやら、ゐるとするならば神ですら恐らく数へる途中で匙を投げてみせるであらう、標準的で平板な一作である。尤も葉桜団メンバーの破天荒なパーマ頭とノースリーブセーラ服(火暴)には頭を抱へさせられつつも、基本的な映画の分厚さには矢張り首を縦に振らざるを得なくもなく、クライマックス、映画は突発的に闇雲にもほどがある暴発を爆裂させる。川田は静代は呉れてやるとの津山の条件で、母娘の調教に加担させられる。も一夜が明けると、手の平を返したかのやうに津山から小遣ひ銭程度の金を渡され川田はお払ひ箱に。静かに激昂した川田は、再び田代山荘に突入。サングラスの子分(平岡)を筆頭に、田代、津山を次々凶刃で血祭りに上げる。葉桜団メンバーからウイスキーを浴びせられた上火を放たれるも、京子以外の葉桜団を全滅させ、終に力尽きる。出し抜けな川田の大暴れに際しては人間炎上スタントまで繰り出し、山荘一軒を丸々焼失させこそしないものの、轟轟と燃え盛る一室から、京子と静代がスローモーションで脱出するショットには、降つて沸くが如く堂々とした映画的興奮が煌く。かういふ辺りは成程、流石ロマンポルノならではと感服させられる。

 折角豪胆な力技で強引に持ち直したところで、ところが映画の着地は川田に手の平を返す津山よりも酷い。筆を滑らせてのけるが、何故だか途端にベタベタと、己等はレズビアンなのかとツッコミも入れたくなるくらゐ仲良くなつた静代と京子の粘着質な様子が、大オチの百合が挿み込まれるでなく、一昨日から明後日へ漫然と流れて終り。オーラスを高速道路を適当に走る車のロングで締める辺りに、半ば確信犯的に投げ放した姿勢が窺へる。


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 「美女濡れ酒場」(2002/製作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/脚本・監督:樫原辰郎/撮影:長谷川卓也/照明:ガッツ/制作:国沢☆実/助監督:城定秀夫/監督助手:大滝由有子/撮影助手:清水康宏/編集:フィルムクラフト/スチール:佐藤初太郎/音楽:黒澤祐一郎/録音:シネキャビン/効果:東京スクリーンサービス/現像:東映化学/協力:ゴジラや・劇団星座・千浦僚/挿入歌:『三丁目の青いバラ』・『月の使者』作詞・作曲:夢野歌子とサビレタボーイズ 編曲:黒澤祐一郎/出演:若宮弥咲・山咲小春・間宮結・竹本泰志・大出勉・野上正義/特別出演:ガイラ・木澤雅博・吉行由実・佐倉萌・北千住ひろし・武田浩介・かわさきひろゆき・木の実葉・岡田智宏・井淵俊輔・ギー藤田・小寺学・新谷尚之・新里勝也・末森みきお・岡村一男・青島ともみ・小泉剛・末吉太平・三浦俊・鈴木厚・サ☆イ☆コ)。出演者中、カメオ勢は本篇クレジットのみ。
 男が夜の街を独り歩く、トランプが鏤められた無機質な部屋での、浮世離れした女と、初老の男の情交。独り歩く男はビルの非常階段を登り、暗い屋上から飛び降りる。「ドスン!」といふ音、「来たは」といふ女に対し、初老の男は「あゝ、救ひやうのない馬鹿がな」。バー「Memory Motel」の店先、仕方ないなといつた風情の初老の男と、倒れる飛び降りた、筈の男、タイトル・イン。
 「場所選べ」、と「Memory Motel」のマスター(野上)にたしなめられた飛び降りた筈の男・郁夫(竹本)は、女・かな子(間宮)の繰るトランプでの勝負を求められる。「賭けるもんないスよ」といふ郁夫に応へてマスターは、グイと郁夫を指差し「命」。郁夫は7のスリーカードにほくそ笑む、一方マスターのカードは、エースのスリーカード。勝負に負けた郁夫は、マスターとかな子が旅に出てゐる間、無理矢理店を任される破目になる。バーテンダーといふ郁夫の素性が、マスターには見抜かれてゐた。郁夫の水割りを飲み腕を認めたマスターは、カクテルを飲むのは次に会ふ際に期し、かな子と旅立つ。郁夫は不承不承ながら、「Memory Motel」を開店する。最初に店を訪れた女・歌子(山咲)は、金を持つてゐなかつた。出鼻を挫かれた郁夫が頭を抱へる一方、歌手だと称する歌子は、酒代の代りに歌を歌ひ始める。歌子の歌に吸ひ寄せられるやうに客は集まり、店は繁盛する。
 大出勉は、カウンターでボイラー・メーカーを注文すると、他の客を帰した郁夫がふと気づくと寝倒してゐた啓太。若宮弥咲は、そんな甲斐性なしの宿六を迎へに来る妻の美代子。サ☆イ☆コは、金も持たず歌を歌ひ出した歌子に郁夫が手を焼くところに現れた、歌子の歌に誘はれた最初の客。“☆”の使用から察しのいゝ方にはお察し頂けるやも知れないが、サイコとは国沢実の俳優部名義である。(国沢☆実ではなく)国沢星実といふ表記も、以前に北沢幸雄のVシネで見たことがある。酒の買出しに出た郁夫に、要らない自転車を三千円で売りつける男でささきまことが出て来るが、クレジットには見当たらない。木澤雅博はそのまんま、ゴジラや店主。ほかは繁盛する「Memory Motel」客要員に多数、尤も実際の画面からは、バー店内といふ次第で元々薄暗い画面、決して大きくはないスクリーン、甚だ残念ながらプロジェク太上映といふ負のトリプル・コンボに屈し、一人も拾ひ上げられなかつた。
 不意に任せられた店は、意外にも繁盛する。常連客との触れ合ひと、歌子との生活。穏やかな束の間の幸せは、やがて直面する残酷な真実に終りを告げられる。救ひやうのない馬鹿どもに捧げられた、静謐なレクイエム。第15回ピンク大賞に於いては、ベストテン一位、脚本賞(樫原辰郎)、女優賞(山咲小春)、男優賞(竹本泰志)、新人監督賞(樫原辰郎)、新人女優賞(若宮弥咲)、技術賞(長谷川卓也)の見事七冠を達成。成程偽りのない救ひのなさがせめてもの美しさに彩られた、珠玉のダーク・ファンタジーである。ステアしない水割りを勧められ水の上に漂ふ酒の美しさに歌子が漏らした、今作を象徴する名台詞、「揺らしたら消えちやふんだね、この幻が」。気配を察した郁夫がシェイカーを振るところに、再びマスターが現れる。何かを確かめるかのやうに郁夫のカクテルを飲むと、「いい腕だ、納得したか?」。酒に事寄せた物語の語り口は、実にスマートで鮮やか。御自身が相当にイケる口であるらしい樫原辰郎が、正しく撃ち抜いた感の強い必殺の一篇である。

 その上で敢ていふが、残りの全ての必殺は認めた上で、今作唯一にして致命的な弱点は、「Memory Motel」に客を集める歌子の歌唱シークエンス。♪君こそは三丁目の青いバラ、君だけは僕だけのパラダイス♪と歌ひ出される歌手:夢野歌子唯一のヒット曲「三丁目の青いバラ」は、昭和40年代歌謡をタラタラと驀進する。そのこと自体は作劇上のギミックを踏まへた上でさて措くにせよ、こゝは雰囲気としては、ベタでも小粋なシャンソンのひとつでもあつた方が、より劇中の空気には相応しかつたやうにも思へる。さて措けないのは、山咲小春の歌。これがもう、金をかけられぬ録音もあるのかも知れないが、素人のカラオケレベルでてんで頂けない。いつそのこと、劇伴で誤魔化し全て切つてしまへとすら思へる。残りの場面の強度は女優・山咲小春ならではであるのも認めるには吝かではないが、残念ながらこの人には、歌も踊りの才もまるでない。歌子が歌ひ始めた途端、映画がガタガタ瓦解し始めるのはどうにも痛い。「Memory Motel」店内に募られた有志らを、舐めるカメラにも散見される野暮つたさが映る。この辺りは、意欲的でない映画ほど事もなく回避し得てゐる風に思へるのは、当サイトの気の所為か。野上正義と竹本泰志、二人のマスターの配役に最強が震へるだけに尚更、以上二点に洗練を欠く惜しい一作ではあれ、そここそが今作のチャーミングであるといふ意見に対して、殊更に異論を唱へるつもりもない。


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 「不倫同窓会 しざかり熟女」(2007/製作:Blue Forest Film/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典/原題:『再会迷宮』/撮影監督:創優和/音楽:與語一平/助監督:山口大輔/監督助手:新居あゆみ/撮影助手:宮永昭典/挿入歌『よみがへる頃』作詞・作曲・唄:ニナザワールド/協力:女舞BAR・加藤映像工房・知野香那子/出演:梅岡千里・青山えりな・倖田李梨・那波隆史・サーモン鮭山・松浦祐也・高見和正・色華昇子・佐々木麻由子)。
 下狩高校三年二組の同窓会、佐藤佳代子(梅岡)と立野法雄(サーモン)がトイレの個室で情を交し、上田真希(佐々木)は店の前で、姿を消した佳代子に苛立つ。真希の初恋相手・神野忍(後述)は、結局その日は会場に現れないことが明らかになる。五年後、ここでカットが変つての五年間の歳月の流れが、画としての説得力をまるで有してゐない点は、バジェット上いつても詮ない限界は認めた上で、矢張り苦しい。五年前から既に不仲の状態にあつた真希は離婚し、祖母の遺した家で、安月給の事務員をしながら一人で暮らしてゐた。相変らずセフレと奔放に遊び歩き女盛りを謳歌する佳代子、元夫の親戚で度々真希宅をラブホ代りに使ふ南野鈴音(青山)らを横目に、過ぎ行く歳月と女としての衰へに寂寞を伴ふ焦りを感じこそはすれ、真希は自分からはどうすることも出来ずにゐた。
 立ち止まつたまま身動きを取れずにゐる最早明確に決して若くはないヒロインが、有難くもお節介な周囲に度々背中を押されつつ、何処かに置き忘れたか失くしてしまつてゐたときめきを取り戻さうとする、大人の青春映画である。
 倖田李梨は、真希・佳代子と同級生の中野晴子。酔ひ痴れて下着姿で踊り呆けるシーンはあるものの、本格的な濡れ場は担当せず。公称スペックからは一回り年の離れた佐々木麻由子と倖田李梨とが、同級生といふのも流石に映画的虚構だけでは片付けられぬ飛躍が大きい。松浦祐也は、鈴音の彼氏、兼鈴音公認の佳代子のセフレ・北田旭。鷹匠見習といふ大胆極まりない設定で、本人ブログによると大蔵関係者の顰蹙すら買つたといふ箍の外れた怪演奇演を大発揮。それはそれで愉快に見てゐられるのだが、これで竹洞組では三作ハチャメチャが続いたことになる。ここいらで、そろそろオーソドックスのど真ん中を披露して欲しいところでもある。変化球は、あくまで変化球に過ぎまい。山邦紀が最強であるところの所以は、そこの辺りを冷静かつ論理的に履き違へてゐない点にある。高見和正は、旭と遊ぶ佳代子がダブルデートを仕込む為に、真希の為に用意した若い男・山崎一樹。後日、真希は初めから抜きで繰り広げられる佳代子×旭×山崎の3Pでは、ピンクでは意外に珍しい二穴責めが展開される。
 一方自らの性に迷ひを感じてゐた法雄は、五年前の最初で最後の佳代子との情交で、自分には女は抱けないことを痛感。棹は兎も角玉は取り、ルミとして鈴音の働くスナック「ソフィービー」のママを務めてゐた。

 脚本にも演出にも更に配役にも、大きな穴は開いてゐない。一部開いてゐないこともないか。ともあれ、目的地の明確なドラマは決して詰まらなくはない筈で、寧ろ成功を遂げてゐてもおかしくはない雲行きであつたのだが。どうにも結局、全篇を通して痒いところに手の届かぬ物足りなさを禁じ得ない所以は、よくいへば妥協を知らず貪欲であるのかも知れないが、竹洞哲也も、小松公典も共に少々欲張り過ぎ。小松公典は、一々いい台詞を書かうとし過ぎてゐる。プロレスに譬へると派手な大技ばかりの試合といふのは、最終的には大味で散漫な試合に堕してしまふ。必殺技といふのは、試合を決める肝心要にひとつだけ火を噴けばいいのではないか。ひとつひとつは印象的な台詞である筈なのに、通して観てしまふとどれも今ひとつ心に残らない。竹洞哲也も、一人一人の登場人物を一々丁寧に描き過ぎる。ピンク映画といふのは、いふまでもなく尺は六十分しか無いのだ。おとなしく、濡れ場要員を設定する潔さも時には必要であらう。(竹洞)組常連の思ひ入れも深と思しき役者に特に、拘泥し過ぎてゐる嫌ひはどうにも否めない。共にもう少し冷確な、取捨選択が必要なのではなからうか。さういふある意味での青い若さが、未だ身の丈に合はぬ大人の青春映画を、惜しいところで取り逃がした主因であるやうに思へる。
 個人的な好き嫌ひといつてしまつては、それこそ実も蓋も無いが。最終的に映画が詰まれてしまふ最後の一手は、オーラス間際、恩師の音頭で五年毎に開かれる劇中二度目の同窓会を期に漸く登場する、真希の初恋相手・忍。生煮え大根、那波隆史が出て来たよ・・・。無駄な動きばかり多くて決定力には全く欠ける大根役者に、佐々木麻由子の相手方も、映画の仕上げを背負はせることも共に通らぬ相談である。忍初登場時の盗難自転車の件も、二十代なのだか三十代なのだか最早どうでもいい体力の件も、何れも恐ろしく不要。堂々とした正面戦を展開し得ないが故に、かういふ小細工を弄さねばならなくなるのかと苦言を呈したくなる。転がる自転車に乗せた物語の着地自体は万全のものだけに、首の据わらぬ物語に止めを刺したミス・キャストは重ね重ね痛い。

 出演者残り色華昇子は、「ソフィービー」初出、カウンター席で一人グラスを傾ける佐々木麻由子の画面向かつて左側後方で、接客するオカマ。結構距離がありピントも合はせられはしない為、客役は識別不能。再見して気付いたが、この映画、熊本ロケなんだな。


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 「密通恋女房 夫の眼の前で…義父に」(2007/製作:フィルム・ハウス/提供:Xces Film/監督:大門通/脚本:有馬仟世/企画:亀井戸粋人/プロデューサー:伍代俊介/撮影監督:創優和/撮影助手:宮永昭典/照明助手:小松麻美/助監督:小山悟/監督助手:伊藤祐太/スチール:阿部真也/衣装:東さなえ/制作協力:フィルムハウス/主演:新藤さやか/出演:華沢レモン・倖田李梨・久須美欽一・竹本泰志・平川直大)。
 自宅で華道教室を開く月影流宗家家元・村上凛子(新藤)に、サラリーマンの夫・正則(竹本)の継父・徳延(久須美)から、折入つた相談があるので上京して来たとの連絡が入る。濡れ場要員ではありつつ開巻から登場する華沢レモンは、華道教室のビアンな生徒・中田由美子。現れるなり稽古もそつちのけで凛子を求め、たしなめられる。
 登場した徳延が、首から大きな一眼レフをぶら提げてゐる辺りに、2007年にさういふおのぼりさんのステレオタイプは流石に通用せんぢやらう、とか首を傾げてしまつたのは私の早とちり。静岡の正則実家は茶葉を卸す商店を営んでをり、若い頃に正則実父に拾はれた徳延はその死後、正則実母と結婚し家業を継いでゐた。正則実母死去後、徳延はここらで社長業は引退し、積年の夢であつた写真館を始めたいので、正則夫婦に静岡に戻り店を継いでは呉れぬかといふのである。藪から棒どころでは片付かない話に、互ひに仕事を抱へる凛子と正則とは困惑する。
 今作に於ける事実上の主人公は、わざわざ“主演”と別クレジットを立てて貰ふムーミン顔のナイス・バディ・新藤さやか、ではなく。実質的に映画を背負ふは、体調不良による休業が伝へられてもゐた大ベテラン・久須美欽一。一応元気に動いてはゐるものの、右と比べると明らかに満足に開いてはゐない左目が、アップになると確実に痛々しい。そこは、アングルが固定されても撮影でカバーしてあげるべきではなかつたらうか、とも思ふ。凛子から聞いた正則の様子に女の気配を感じ取つた徳延は、翌日所用ついでに見かけた義息が、渋谷109の前でホステス・中村明美(倖田)と折り合ふのをキャッチするや尾行を開始。ホテルで一戦交へ出て来た二人の姿を、デジカメに収める。
 平川直大は、村上家を訪れる宅配便の配達員・下田修平。学生時代に凛子にこつ酷く振られた下田は、そのことによつて自分の人生は狂はされてしまつたと逆恨み、思はぬ再会を果たした凛子を強引に上がり込み暴行する。こちらも純然たる俳優部三番手ながらに、平川直大の突進力が、裏あるいは黒バージョンで大いに発揮される。続く展開の大、を通り越した超飛躍を見据ゑた、点火剤として上手く機能してゐよう。凶行の最中に徳延帰宅、下田は綺麗に撃退される。首から提げた一眼レフによる写真好きといふ人物像の説明に加へ、ここで下田が届けた荷物といふのも、事前に徳延が東京での逗留に備へ、静岡から電話で送らせたものであつた。端々のディテールに、伊達ではないキャリアを誇る大門通だけあつて周到な手堅さが光る。だからこそ敢て更に瑣末を突(つつ)くと、大絶賛不法侵入した下田が凛子を襲ふ修羅場に、徳延が帰宅するカット。玄関先にて、徳延が見慣れぬ靴に目を留めるアクションがひとつ足りはしまいか。

 改めて整理すると、上京した徳延の目的は、静岡の商店は正則に任せ、自身は東京で写真館を開くこと。一旦は正則夫婦に申し出を蹴られるものの、徳延は決して諦めない。老獪を通り越して破天荒な徳延の姦計が火を噴き、今作が取りも直さず実は久須美欽一の為に撮られた一本であることが、高らかに宣言されるのはここから。犯されかけた凛子の弱みに乗じ、徳延は正則と明美の逢瀬を捉へたデジカメ写真を突きつける。ネタバレしてしまふが何とそのまま、徳延の戦略とは凛子と正則は離婚に持ち込み、正則は明子と結婚させた上で静岡の商店を継がせ、自身は凛子と所帯を持ち念願の写真館を始ようといふのである!ギリギリ正則を、明子と静岡に戻らせるところまでは呑み込めぬこともないとして、写真館を開くに際して、何で又息子嫁までオトさにやならんの?「えええ!」と文字通り客席から飛び上がりかけたところで、強引に美しいピアノの旋律に無理矢理乗せられた徳延と凛子との絡みがスタート。轟然とした力技に押し切られる他はなかつたが、驚天動地の展開にも程があるながらに、大門通×久須美欽一、二人の大ベテランの熟技あつて初めて可能為さしめられた大技であらうことには、同時に肯かされざるを得ない。久須美欽一の数度繰り出される堂々とした長台詞には、流石に安心して映画を委ねてゐられる確実が光り、何時ものエクセス主演女優は潔く諦めた上で、大門通は揃へた残りの芸達者にそれぞれの持ち芸は披露させつつ、最終的には帰つて来た老名優に奉仕させる。徳延により明子も手際よく攻略済み、追ひ詰められた正則が呆然自失と帰宅したところで、何と妻は義父に抱かれてゐた。愕然とうなだれる正則の前で繰り広げられる凛子と徳延との情事が、オーラスでタイトルを鮮やかに体現してみせた見事な終幕である。“密通恋女房”といふのは、用語としての強度はさて措き何のことだかよく判らんが。起承転結の転の破壊力がいい意味で抜群な、“久須美欽一・ストライクス・バック”を軽やかに告げる痛快作である。


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 「いんらん医院 狂つた夜の営み」(1994『官能病院 性感帯診察』の2007年旧作改題版/製作:サカエ企画/配給:新東宝映画/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:中田新太郎/撮影:千葉幸男/照明:渡波洋行/編集:酒井正次/助監督:夏季忍/音楽:レインボーサウンド/撮影助手:島内誠/照明助手:中田芳夫/監督助手:渡部五郎/出演:田口あゆみ・仲山みゆき・深乃麻衣・清水大敬・山科薫・神坂広志・久須美欽一・丘尚輝)。助監督の夏季忍は、久須美欽一の変名。
 夜の診察室、産婦人科医の小出辰三(清水)と看護婦の桃子(多分仲山みゆき)が、子作り気運満々で一戦交へる。後に紐解かれる設定では小出には妻がをり、更に桃子はレズビアンの筈なのに。開巻を飾る濡れ場として勢ひはありつつ、いきなり新題に違はず夜の営みが狂つてゐる。タイトル・インから患者もゐないので、小出は河原にて時間を潰す。そこに通りがかつた酒屋の御用聞き(丘)が、暫く家を空けてゐた小出の妻が戻つて来たと伝へる。半信半疑の小出の下へ、桃子も急な妻の帰宅を報せに慌てて走つて来る。酒屋の自転車を奪ひ小出が急いで帰宅すると、妻・卯月(田口)は大きなお腹を抱へてゐた。何故か喜ぶ小出は、卯月の後方に申し訳なささうに立つ男(久須美)に気づく。卯月のお腹の子の父親は自分ではなくその男であつたのかと愕然とする小出に対し、卯月は膨らんだ自らの腹部に刃物を振りかざす・・・・!振りかざしたところで子供(子役不明)の風船が割れ、小出は午睡から覚める。久須美欽一が登場するのは、この件のワン・カットのみ。
 最初に相関関係が十全に整理されずに、濡れ場要員の出番も挿みながら徐々に小出しにされるため、中身に乏しい割には終盤に至るまで不用意に判りにくいが、小出は年の離れた看護婦の卯月と結婚する。子宝願望全開で三日と開けずに励むものの、一向に恵まれない。やがてさういふ生活に疲れを感じ始めた卯月は、定期的に長期間家を空け、放浪するやうになる。さういふ卯月が、夢オチをひとつ挿んだのち実際に帰つて来た、さういふ物語である。とはいへそこまでの、あるいはそれだけの説明に尺の大半を費やし、かといつて派手なツッコミ処にも事欠く始末につき、そこから先が特にどうといふ訳でもない。強ひて挙げるならば、田口あゆみと清水大敬が実際のところ然程年の差カップルにも見えない。その辺りがメイン・テーマと思しき小出の卯月への、卯月の側からすれば都合のいゝことこの上ない夫婦愛がどうにも説得力に欠ける所以か。田口あゆみはひとまづさて措くにせよ、残りの二人が桃色の破壊力に不足する点も如何ともし難い。たつた一昔強前の映画であるだけの筈なのに、妙に気前よく古びた映画の肌合ひを味はふ以外には、取りつく島も特にないといつてしまつては正しく実も蓋もない新版公開である。
 
 残り二人の内もう一人、深乃麻衣は小出の患者・チハル、多分。正直、仲山みゆきと深乃麻衣。全く知らないこの時代の女優が二人ゐては、手も足も出しやうがない。チハルは死んだ父親が小出と懇意であつた経緯で小出の医院に通つてゐるものであるが、不倫相手(山科)との間に出来た子を度々中絶し、小出を悲しませる。実際に帰つて来た卯月は、うつすらとながら妊娠の兆候を見せてゐた。神坂広志は旅先で卯月と関係を持ち、卯月を追ひ上京して来た、要はお腹の子の父親かも知れない保坂か穂坂。男が堂々と巨大なアラレちやんメガネをかけてゐる壮絶なファッションには戦慄を禁じ得ないが、1994年(平成六年)時点では未だそのやうな蛮行が許されたのであらうか。
 締めの濡れ場の最中、何故だか小出がおもむろにカメラの方を向く。何事かと思ふと小出は、「こゝでは皆んなが見てるからほかでヤらうね」、「ぢや、失礼」と本当に幕を引くやうに終幕する。清水大敬―と新田栄―にしては、なかなかスマートに映画を畳んでみせた点には好感が持てた。


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 「裸の女王 天使のハメ心地」(2007/制作:セメントマッチ/配給:新東宝映画/監督:田中康文/脚本:福原彰/企画:福俵満/プロデューサー:池島ゆたか/撮影監督:小山田勝治/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/監督助手:田中圭介・内田芳尚/撮影助手:大江泰介・藤田明則/振付:小泉ゆか/スチール:AKIRA/メイク:佐々木愛・町田恭子/現場応援:山崎邦紀・内藤忠司・森山茂雄・柴田裕輔/録音協力:小林徹哉/資料提供:堀尾康之/協力:五代暁子・ジミー土田・ライトブレーン・中根敏裕・石動三六・中村勝則・広瀬寛巳、他/協力:新宿ニューアート・船橋若松劇場・晃生ショー劇場/出演:青山えりな・結城リナ・サーモン鮭山・岡田智宏・池島ゆたか・石川雄也・吉行由美・小泉ゆか・仁豊・葉山瑠菜・淡島小鞠・田中繭子)。脚本の福原彰は、福俵満の変名。出演者中由実でなく吉行由美といふのは、本篇クレジットまま。それと撮影部サードの藤田明則といふのも、朋則の誤字か。
 歌舞伎町一番街開巻、ストリップ小屋「新宿ニューアート」の舞台にマリ(青山)が立つ。同じくストリッパーで、マリとは幼馴染でもあるリン(結城)が袖からマリの踊りを、厳しい目で見詰める。活況を呈する客席の中でも、かぶりつきの席で一際熱狂する山内隆夫(サーモン)と、最後列から、腕を組み冷静に場内を見やる一人の男が。だが男・若林栄太(岡田)が注視してゐたのはマリではなく、隆夫であつた。脱ぎたての下着を贈られ隆夫が驚喜する中マリは捌け、代つてリンが踊り始める。若林が思はずリンの踊りに目を奪はれてゐる隙に、隆夫は姿を消す。マリと隆夫が小屋の表で落ち合ふ他方、若林はリンを捕まへるとマリを隆夫に近付かせぬやう警告する。
 全体的にソリッドな出来栄えは決して悪くはないものの、全般的に何を描きたかつたのかが今ひとつ伝はつて来ない点が弱かつたデビュー作に続く、田中康文第二作。何のかんのとありつつも一筋に踊りを追求する二人のストリッパーを描いた、基本線としては極めて順当な仕上がりの旅情人情喜劇である。
 小屋まで借りて撮影された踊り子映画といふことで、当然に、青山えりなと結城リナがそれぞれ板の上で実際に踊る場面もある。二人とも特にはこれまで踊りの経験はないとのことであるが、ここで、図らずも地金が見えた、といふか雌雄は大きく決せられる。基本的に農耕民族体型の青山えりなは、所作も田舎ホテルのハワイアン・ダンスのやうに一々泥臭く、本人が楽しげに踊つてゐる割には、正直どんなに好意的であつたとて苦笑交じりにしか見てゐられない。対して肉感的な色気には若干欠けながらも細く長い手足を活かした結城リナは、緩やかに伸ばした腕を掲げるだけの動作にも決定力ある艶と華とが溢れ、銀幕を突き抜けて観客の心を射抜かん勢ひの眼差しには、シークエンスを完全に手中に収める強さが満ちる。青山えりなはさて措き結城リナは、カメラ抜きでガチの香盤に載せた場合は兎も角、少なくとも映画のワンシーンの“踊り”としては、極めて高い領域での成功を遂げてゐる。リンのステージは、本来の役目も忘れた若林が思はず目と心を奪はれてしまふことに対する説得力を大いに有する。掛け値なく見応へがあり、素晴らしい。マリとリンが舞台に立つ段、新宿ニューアートの客席は、募られたピンク映画ファンを中心とした有志らによつて埋められる。ここで、心がけとしては評価出来ることは認めた上で敢て苦言を呈すると、若干以上に、客席をカメラが舐める際にひとつひとつの顔を丁寧に追ひ過ぎてゐる。有志一人一人を明確に押さへておかうとする意図が看て取れるが、本来ならばこのカットでは、さういふ作業は必要ではない筈だ。そのため間が微妙に間延びし、リズムの妨げとなつてゐるやうに映る。感謝と敬意の表れなのではあらうが、ここは「タダでエキストラが集められて助かつたぜ」くらゐの勢ひで、商業映画としてビジネスライクに徹するべきであつたのではなからうかとも思はれる。
 配役中小泉ゆかから淡島小鞠までは楽屋の踊り子の皆さん、淡島小鞠が、最も明確に見切れる。吉行由美は、マリとリンの“大”先輩ストリッパー・トシ子。一線を引き気味のトシ子は、熱く踊りへの情熱を口にするマリとリンに、客は―踊りなんて別にどうでもよく―若い女の裸を目当てに観に来てゐるだけなのだ、といふ現実をやさぐれた風情で突きつける。対してマリとリンは、確かにさうであるのかも知れないけれども、なほかつその上で裸だけではなく踊りを以てして原初的な欲求を超えた真の感動を観客に与へたい、とする理想を語る。さりげない遣り取りながらもこの上なく判り易く、田中康文は自らがピンク映画に抱いたであらう想ひを、マリとリンとに仮託する。短い一幕ではあれ、思はずグッとさせられる。ここの会話を通して、マリとリンがともに憧れる、伝説の踊り子・マサエの名前が投げられる。小泉ゆかからトシ子まで、因みに裸はなし。
 マリは、山梨の老舗旅館の跡取りであるといふ隆夫から求婚される。一方、リンは金を無心するホスト・田丸義男(石川)の鼻を折り、東京に居られなくなる。渡りに舟といふ訳でもないが、リンはマリを焚きつけ、姿を消した隆夫を追ひ二人東京を離れ山梨へ向かふ。マリに挿入を試みるも度を過ぎた早漏の為度々果てる隆夫の姿を、汽車を始めとする多彩なSEで盛り上げるマリと隆夫の絡み。山梨に到着した二人が戯れに下着になつて水遊びをしてゐると、何者かに洋服から一切荷物を盗まれてしまふロード・ムービー的展開。田中康文は前作の硬さがまるで別人かのやうに、柔軟な演出が活き活きと光り、快く流れる映画に身を委ねてゐられる。
 隆夫の実家は老舗旅館などではなく、古びた安旅館、例によつて水上荘であつた。田中繭子(ex.佐々木麻由子)は隆夫の母・真弓。若林は、真弓の命を受け隆夫の様子を監視する目的で上京してゐた水上荘の番頭であつた。隆夫の父で本来ならば水上荘の主人・隆英(池島)は、かけてゐたメガネに被雷して以来、気がふれてゐた。マリとリンはマリの隆夫との仲は反対されつつも、ひとまづ下働きといふ形で水上荘に逗留することになる。
 一体何処から持つて来たのか金ラメの度派手な衣装を纏ひ、エキセントリックにUFOからのメッセージと宇宙人による人類の脅威とを叫ぶ池島ゆたかは、やり過ぎといふか田中康文はもう少し制御出来なかつたものかと思へなくもないが、後に再び雷に打たれ正気に戻つてからの落差も鑑みると、プログラム・ピクチャーといふものは、このくらゐ判り易くてちやうどいいのかも知れない。だとするとひとつ惜しいのは、マリとリンの二人で“マリリン”といふ折角のネタが、明示して語られることが終に一度もない点。踊りの稽古に励む二人が意外な伝説の踊り子・マサエ本人に遭遇する件は、ベタであるが故に鉄板。ここでも矢張り、青山えりなの泥臭さは披露されるのだが。以前に青山えりなのメリハリの“ハリ”だけでなく“メリ”の実装を論じたこともあるが、実際にコメディエンヌとしての“メリ”演技に触れてみたところ、青山えりなといふ人には元々の素材に最終的な未洗練が拭ひきれない分、余程小気味よくカットを切らない限りどうにも地べたを摺り足で歩くかのやうに、鈍重にモタモタしてしまふ感は否めない。どうしても、軽やかに舞へない。その辺りに少なくとも今は、たとへば故林由美香や華沢レモンらとの間に、越えられぬ壁があらう。
 互ひに素直になり切れぬ性質(たち)のリンと若林が、森の中で結ばれる濡れ場には締めの濡れ場としての充実が感じられるものの、そこから先の、マリとリンが隆夫―と若林も―を残し水上荘を後にし、再び踊りの世界に戻つて行く幕引きは、流れとして間違つてゐまいが具体的な仕上がりとしては些か詰めが甘いか。隆夫は詰まるところはコメディ要素担当で、リンと若林の物語にもつと明確に、もつと強く移行出来なかつた点もその弱さに作用したやうに思へる。舞台の上で踊る画と、それまでの各場面を鏤めてのフラッシュ・バック風エンディングは、そこに辿り着く過程が弱いだけに、殆ど蛇足に堕してしまつてゐる。序盤中盤の快調な勢ひを維持した加速が祟つてか、肝心要で頂点を捕まへきれずにそのまま映画が流れてしまつた感は残念である。とはいへ焦点が明確な物語を全篇を通して軽快に描いた今作は、代り映えはしない反面、代り映えしないからこそ、安定感の高い正調の娯楽映画として高く評価出来よう。一年に一本などとしみつたれたことをいはずに、田中康文が今作の水準で量産態勢に入れた暁には、昨今質的にも量的にも停滞が否めない新東宝の、大いなる起爆剤たり得るに違ひない。

 ところで最後に、あまり大きな声ではいへない蛇足。森の中でのリンと若林の濡れ場。リンが尺八を吹くところで、一瞬確かに岡田智宏の何かが見切れてしまつてはゐないか。何が?ナニだ(*´∀`*)


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 「ゾンビーノ」(2006/加/監督・脚本:アンドリュー・カリー/脚本:ロバート・チョミアック/脚本・原案:デニス・ヒートン/原題:『Fido』/出演:キャリー=アン・モス、ビリー・コノリー、ディラン・ベイカー、クサン・レイ、ヘンリー・ツェニー、ティム・ブレイク・ネルソン、他)。
 宇宙より飛来した放射能雲が地球を覆ひ、遍く死者は生きた人間の生肉を喰らふゾンビ化してしまふ世界。ガイガー博士(アンディ・パーキン)は頭部を破壊するとゾンビが終に活動を停止する撃退法を発見、人類は長く続いたゾンビ戦争に勝利する。加へて、ガイガーは簡便な首輪によるゾンビの制御技術を開発。ガイガーを創始者とする巨大企業・ゾムコン社が生きた人間の居住エリアをゾンビが徘徊する荒野より隔離する中、大まかにいふとゾムコン社の管理の下、人々はゾンビをペット、あるいは一種の奴隷として共に生活する社会が到来する。出来合ひの世界からは零れ落ち気味な主人公・ティミー(クサン・レイ)の、前の住人はゾムコン社によるゾンビ管理規定に抵触したことから外界に追放されてしまつた為空き家となつてゐた隣家に、ゾムコン社の警備主任・ボトムズ(ヘンリー・ツェニー)の一家が引越して来る。ティミーの家はこれまで、ゾンビ化した父親を撃ち殺したことを心の傷に持つ父・ビル(ディラン・ベイカー)の方針でゾンビを所有してはゐなかつたが、ボトムズ家が六体もゾンビを所有してゐることに感化された母・ヘレン(キャリー=アン・モス)は、夫には無断でゾンビ(ビリー・コノリー)を買つて来てしまふ。ある休日キャッチボールをして呉れる筈の約束を違へてビルはゴルフに行つてしまつた為不貞腐れてゐたティミーは、ゾンビが度々ティミーに嫌がらせをする苛めつ子を撃退して呉れたことから、ゾンビにファイド(英語圏に於いて犬によく用ゐられる名前、らしい)と名前をつけ仲良くなる。
 今作はジャンルとしてはブラック・コメディー、あるいは一歩間違へれば「シザーハンズ」(1990/米/製作・監督・原案:大人になる前のティム・バートン/主演:ジョニー・デップ、ウィノナ・ライダー)のセンのダーク・ファンタジーと勘違ひして呉れることを目論む配給戦略も採られてはゐるが、一言で片付けてしまふと、私はこれ程、イリーガルでアンモラルな映画といふものを観たことがない。ブラック・コメディーといふ方便であるならば、何をやつても許されるのか。個人的にはさういふ、底は抜け脇が甘いにも程がある考へ方には厳然として与さないものである。自堕落、正しくその一言に尽きる唾棄すべきクズ映画。私の人生の中でも五指に入るクズ映画である。残りの四本は思ひ出すのも億劫だ。新年早々に、早くも今年のワーストは一本目にして決定してしまつた。以下詳述する。ネタバレ?以下は“こんなクズ映画絶対に観るなよ”といふ主旨で書くのだ。そんなもの知つたことか。
 開巻概ね三十分にして起こる最初の大事件。ファイドをキャッチボールの相手に選んだティミーが茂みの中に投げ込んだボールを取りに行つた先で、ファイドは近所の覗きが趣味の因業ババアを喰ひ殺してしまふ。この時点で、いきなり脚本に取り返しのつかない大穴が開く。ファイドがババアの足下のボールを取らうとしたところで、驚いたババアは歩行器で挟みつけたファイドの首を繰り返し強打、その結果、首輪によるゾンビ制御からファイドは外れてしまふ。即ち、半ばはババアが自ら掘つた墓穴だとしても、そこには矢張り、ゾンビに関するいはゆる管理責任に於けるティミーの明白な過失が存在する。子供がゾンビを使用する際は首に縄をつけることが必須である、といふ劇中世界ルールも、わざわざ以前のシーンで明示されてゐる。管理責任上の過失だとして相手は子供だ?知るか。親が代りに負へといふ以前に、既にその時点で感情移入なんて出来るかよ。因業ババアとはいへ人死にが出てゐるのだ。その後もティミーの姑息な証拠隠滅の果てに、更なる犠牲者は続出し、ババアの旦那は無実の咎でゾムコン社によるお縄を頂戴する。
 その後の展開に於いてもトム&ジェリーに出て来るチーズ・ブロックのやうに、大穴は数知れず開く。これも元々は苛めつ子らが自ら蒔いた種だとしても、へレンがゾンビ化したティミーの同級生を平然と撃ち殺し、その死体は小屋ごと焼失させて事無きを得る、しかも何れもティミーの目前で、などといふのは果たして一体如何なる了見か。どうしてそれで物語が平然と進行して行けるのだか、全く理解に苦しむ。その件に於いて、制御を再び外れたファイドが、何故かティミーとヘレンだけは襲はないことに関して一切何の説明も為されぬ度し難い怠惰に対しても、愕然とさせられる。
 最終的にはティミーがゾムコン社に回収されたファイドを取り返したい、といふ甚だ私利的な欲求の為に、更なる多くの犠牲者が、しかもビルとボトムズも共に死ぬ。結局騒動の責任は何故か死人の別人に常に課せられ、ビルはゾンビ化不能な埋葬法によつて埋葬、ティミーとヘレンと無事取り返したファイドと、更にビルとの間に身篭つてゐた新たな命とを加へた一家に、隣家からゾンビ化したボトムズを連れた、ティミーの同級生でさりげなくGF的ポジションにあるシンディ(アレックス・ファスト)、いふまでもなく、シンディはボトムズの娘である、が遊びに来る。といふのが、恐ろしくもハッピー・エンドのつもりのラストである。一体どういふ神経をしてゐればこれで、ハッピー・エンドを迎へられるのか。繰り返す。ブラック・コメディーであれば何をやつても許されるのか。人として基本的な感情が、あまりにも蔑ろにされ過ぎてしまつてゐる。どうあつたとて、マトモに飲み込める物語ではない。クライマックスのドサクサで確かに脳天を撃ち抜かれた筈の、もう片方の隣家・テオポリス(ティム・ブレイク・ネルソン)の恋人ゾンビ・タミー(ソニア・ベネット)がラストの一幕では何故か元気に生きて(?)ゐることに関しても、先のファイドがティミーとヘレンのみ襲はない件と同様、不可思議な理由が観客に説明されることはない。凡そ一切の責任を放棄したかのやうな一作である。

 イリーガルでアンモラルな部分以外にも、凶悪に噴飯ものなのは。冒頭ティミーは、ゾムコン社が提供する、そして同級生も親達も周囲は何の疑問も抱かずに有難く押戴く管理主義的な秩序に対し、王様が実は裸なのではないかといふことに唯一気付く少年故の多感な純粋さを以てして、疑義を差し挟むことを禁じ得ない風に描かれる。ものの先にも触れたラストでは、ゾムコン社の提供する技術による仲良しのゾンビとの思ひ通りに暮らす生活を、臆面もなく手放しで享受してしまふのである。私は斯くも、自堕落で恥知らずな物語といふものを観たことがない。加へて、流石にこのやうな代物をそのまま素通りさせては売れぬと判断したのか、あるいは実際の映画の中身は見ずに作成したのか、日本配給のショウゲートは、フライヤーにて犯罪的な不実記載を犯してゐる。フライヤー内“ゾムコン社とは……”と題されたコーナーにはかうある。“ゾンビをおとなしく、従順にさせる特殊な首輪を開発し、長年続いたゾンビ・ウォーから人類を救つた救世主!”(原文は珍かな)。ここまでには、全く何の問題も無い。醜悪なのはここから、“しかし…その実態は、世界の安全を保障する裏で、巨大な権力を所有し、地球はまだ人間が支配してゐると人々に信じ込ませてゐるのだつた…”(同)。これではまるで、といふかこの一文をこのまま読む限りには、ゾムコン社は実はゾンビが牛耳る一種の秘密結社じみた真の巨悪、とでもいつた風になつてしまふ。が、構想段階にはさういふ設定があつたのか無かつたのか、そのやうなことは知らぬ。知り得る訳がない。少なくとも実際に公開された映画の出来上がりの中には、そのやうな描写は一切存在しない。薄汚い嘘を吐かねば売れぬやうな映画を、そもそも買つて来るな。

 子供が無闇に平然と銃を振り回す社会描写は隣国アメリカへの皮肉のつもりなのかも知れないが、その点に関しても、吐いた唾をキチンと回収する作業は全く怠つてゐる。繰り返すが、かつて観た中でも五指に入る唾棄すべき全きのクズ映画。今作と比ぶれば、普段は胸クソが悪くなるばかりの清水大敬でも観てゐた方がまだしも一兆倍マシ。正直ピンクスとして日々鍛へられてゐるつもりなので滅多なことでは堪へないつもりもあるが、映画を観てゐて暴力的に腹が立つた。苛立ち紛れに滅茶苦茶な方向に筆を滑らせるが、買はうとした連中以前に、そもそもこんな映画を通した、税関あるいは映倫にも腹が立つ。かういふ時こそ機能しろ。


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 「THEレイパー 暴行の餌食」(2007/製作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督:国沢☆実/脚本:樫原新辰郎・国沢☆実/撮影:大川藤雄/撮影助手:松下茂/照明:小林敦/音楽:因幡智明/効果:梅沢身知子/助監督:高橋亮・中川大資・関力男/出演:星野あかり・安田ゆり・成國英範・池田光栄・THUNDER杉山・関力男・会澤ともみ・山名和俊・野村貴浩)。本篇クレジットにも関らず、樫原新辰郎は“原新辰郎”だなどと天衣無縫な誤植をされる。
 二人暮らしの姉・北見葵(星野)の入浴を明(池田)が覗く。続く姉とのセクロスは弟の呑気な妄想に過ぎず、明はポップに膨れ面の葵から熱いシャワーを浴びせられる。このまま、明るく軽く楽しい逆「ピンクのカーテン」であつて呉れたならば、どんなにも良かつたことか。主演の星野あかり、眞鍋かをりの廉価版といつた容姿は買へるが、あからさま、といふか見事な張り物、あるいは詰め物具合には、正直この齢―三度目の年男―にもなると興を削がれる。
 明は引きこもりで、葵は弟の面倒を見ながらOLを続けてゐた。葵は弟の前では努めて明るく振舞ふものの、何もかもを一人で背負ひ込み、疲れ果ててゐた。ある日携帯で母親と通話しながら歩いてゐた葵は、男とぶつかり、突き飛ばされる。人に詫びるのに煙草を手にしたままの不遜な男・村岡聡史(野村)は、葵の素質を見抜き、“今とは違つた現実”が見たくなつたら連絡を欲しい、と葵に名刺を渡す。悪くはない発声でミステリアスな色男を気取る野村貴浩は、勝手にしやがれ、といひたいところではあるのだが、何度でもいふ。映画に出る前に歯を直せ。
 ポップでキュートな前作で全盛期の輝きを取り戻して呉れたものかと、ぬか喜びさせられたのも束の間。続く今作は、陰々滅々とした木端微塵路線、といふよりも、そもそもの細部まで含め全般的に物語の出来上がりが出鱈目過ぎる。腹立ち紛れに全部書いてしまふが、上司・池上(成國)から残業中にレイプされた葵は、フラフラと吸ひ寄せられるかのやうに村岡の下を訪れる。そこは、AV撮影スタジオであつた。なし崩し的に強姦DVDを撮影された葵は、箍が外れたのか俄かに女王様然とした性に攻撃的な人格を発現する。一方姉が出演したDVDにショックを受けた明は、フとしたきつかけからティッシュ配りのバイトを始めるやうになる。恐ろしいといふか凄まじくすらあるのは、何とここで映画は終る。全てを一人で背負ひ込み疲れた姉と引きこもりの弟とが、それぞれAV女優とティッシュ配りのバイトになるといふのが、“今とは違つた現実”とやらで前を向いたつもりの映画のラストなのである。何をかいはんや、とかいふどころの話ではない、師匠の小林悟をも想起させ得る底の抜けた破壊力だ。惜しむらくは、恐らくは確信犯的なルーチンワークで撮り倒してゐた師匠に対し、半端に誠実に取り組んでゐるであらう分、国沢実の方がなほ一層罪深いといふ点である。
 安田ゆりは、AV女優の黒沢瑠依。葵の登場で、村岡を奪はれた格好になる。どうでもよかないがこの人、首から上の浮腫みぶりが酷い、何処か内蔵でも悪くされてゐるのではなからうか。THUNDER杉山は葵が村上を訪ねた際に、瑠依を―擬似で―犯してゐたAV男優。クレジットにもポスターにも名前が載る割には殆ど画面に映り込まない関力男は、AV撮影スタッフ。照明役の国沢実の方が余程フレーム内に姿が見切れ、台詞もある。濡れ場は無い会澤ともみ(ex.相沢知美)は、葵の同僚・ミズサワ。

 明がティッシュ配りを始めるところと、続く件といふのが今作を象徴するかのやうに出来が悪く、なほかつ別の意味でも無体。姉の強姦DVD出演を知りショックを受けた明は、引きこもりの癖にフラフラと当てもなく街を彷徨ふ。一方、村上を葵に奪はれ、こちらも茫然自失と歩く瑠依は明にぶつかつてしまひ、結果突き飛ばされた明は街灯で鼻を打ち、鼻血を噴く。明と瑠依の文字通りのファースト・コンタクトが、葵と村上のそれと全く同一といふ工夫の無さ以前に、そもそも瑠依が明にぶつかるシーンがあまりにも頂けない。何と驚くことに、一旦は完全にすれ違つてしまつた瑠依が、不自然極まりなくも斜め後ろから吸ひ寄せられるかのやうに明に接触するといふのである。何の超常現象かと思つた。国沢実も、一体デビューして今年で何年になるといふのか、おとなしく撮り直せ。山名和俊は、鼻血を噴いた明にティッシュを差し出す、ティッシュ配りの先輩。
 後に再び出くはした瑠依に明がさうとは知らずにティッシュを手渡さうとすると、瑠依は明の目を覗き込み、「アンタ、よく見ると凄く綺麗な目をしてるね・・・」。挙動不審な引きこもりにはハマリ役の池田光栄に、少なくとも今作に於ける撮り方では、特段さういふ風に観客席からは感じられないのだが。兎も角、そのまま自宅に招き強引に枝垂れかかるも戸惑ふ明に対し瑠依は、「今夜は誰かの役に立ちたいの、必要とされたいの」、「でないと駄目になつちやふよ」。・・・・・勘弁して呉れよ、今時の惰弱なJポップか、デスれ。そのまま絡みに突入し、事後カメラが上にパンすると、壁にはイエローモンキーの「smile」ジャケと恐らくは全く同構図の、顔を覆ひ座り込む女の絵が・・・・・だから勘弁して呉れよ。逃げ場の無い壮絶な救ひの無さが、白々と吹き荒れる。これはもしかして、実は自爆覚悟の苛烈なギャグなのではなからうか、とすらこの期には錯覚させられかねない。寧ろさうあつて呉れた方が、いつそのこと救はれよう。一応共同脚本といふ体裁を取つてゐるので、何処まで問責したものかといふのも微妙なところではあるのだが、樫原辰郎も、国沢実とは短い付き合ひでもあるまい。どういふホンを渡すと出来上がりがどういふザマになるのか、そろそろ学習して貰ひたい。何時も何時もの繰り返しになるが、よしんば安くとも軽くとも中身はスカスカだとしても、ポップでキュートなコメディ基調の他に、一体国沢実の映画が何処に開けて行かうといふのか。性懲りもなく繰り返される陰々滅々は、そろそろ食傷の向かう側に達しつつある。あるいはとうの昔か。


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