「ゾンビーノ」(2006/加/監督・脚本:アンドリュー・カリー/脚本:ロバート・チョミアック/脚本・原案:デニス・ヒートン/原題:『Fido』/出演:キャリー=アン・モス、ビリー・コノリー、ディラン・ベイカー、クサン・レイ、ヘンリー・ツェニー、ティム・ブレイク・ネルソン、他)。
宇宙より飛来した放射能雲が地球を覆ひ、遍く死者は生きた人間の生肉を喰らふゾンビ化してしまふ世界。ガイガー博士(アンディ・パーキン)は頭部を破壊するとゾンビが終に活動を停止する撃退法を発見、人類は長く続いたゾンビ戦争に勝利する。加へて、ガイガーは簡便な首輪によるゾンビの制御技術を開発。ガイガーを創始者とする巨大企業・ゾムコン社が生きた人間の居住エリアをゾンビが徘徊する荒野より隔離する中、大まかにいふとゾムコン社の管理の下、人々はゾンビをペット、あるいは一種の奴隷として共に生活する社会が到来する。出来合ひの世界からは零れ落ち気味な主人公・ティミー(クサン・レイ)の、前の住人はゾムコン社によるゾンビ管理規定に抵触したことから外界に追放されてしまつた為空き家となつてゐた隣家に、ゾムコン社の警備主任・ボトムズ(ヘンリー・ツェニー)の一家が引越して来る。ティミーの家はこれまで、ゾンビ化した父親を撃ち殺したことを心の傷に持つ父・ビル(ディラン・ベイカー)の方針でゾンビを所有してはゐなかつたが、ボトムズ家が六体もゾンビを所有してゐることに感化された母・ヘレン(キャリー=アン・モス)は、夫には無断でゾンビ(ビリー・コノリー)を買つて来てしまふ。ある休日キャッチボールをして呉れる筈の約束を違へてビルはゴルフに行つてしまつた為不貞腐れてゐたティミーは、ゾンビが度々ティミーに嫌がらせをする苛めつ子を撃退して呉れたことから、ゾンビにファイド(英語圏に於いて犬によく用ゐられる名前、らしい)と名前をつけ仲良くなる。
今作はジャンルとしてはブラック・コメディー、あるいは一歩間違へれば「シザーハンズ」(1990/米/製作・監督・原案:大人になる前のティム・バートン/主演:ジョニー・デップ、ウィノナ・ライダー)のセンのダーク・ファンタジーと勘違ひして呉れることを目論む配給戦略も採られてはゐるが、一言で片付けてしまふと、私はこれ程、イリーガルでアンモラルな映画といふものを観たことがない。ブラック・コメディーといふ方便であるならば、何をやつても許されるのか。個人的にはさういふ、底は抜け脇が甘いにも程がある考へ方には厳然として与さないものである。自堕落、正しくその一言に尽きる唾棄すべきクズ映画。私の人生の中でも五指に入るクズ映画である。残りの四本は思ひ出すのも億劫だ。新年早々に、早くも今年のワーストは一本目にして決定してしまつた。以下詳述する。ネタバレ?以下は“こんなクズ映画絶対に観るなよ”といふ主旨で書くのだ。そんなもの知つたことか。
開巻概ね三十分にして起こる最初の大事件。ファイドをキャッチボールの相手に選んだティミーが茂みの中に投げ込んだボールを取りに行つた先で、ファイドは近所の覗きが趣味の因業ババアを喰ひ殺してしまふ。この時点で、いきなり脚本に取り返しのつかない大穴が開く。ファイドがババアの足下のボールを取らうとしたところで、驚いたババアは歩行器で挟みつけたファイドの首を繰り返し強打、その結果、首輪によるゾンビ制御からファイドは外れてしまふ。即ち、半ばはババアが自ら掘つた墓穴だとしても、そこには矢張り、ゾンビに関するいはゆる管理責任に於けるティミーの明白な過失が存在する。子供がゾンビを使用する際は首に縄をつけることが必須である、といふ劇中世界ルールも、わざわざ以前のシーンで明示されてゐる。管理責任上の過失だとして相手は子供だ?知るか。親が代りに負へといふ以前に、既にその時点で感情移入なんて出来るかよ。因業ババアとはいへ人死にが出てゐるのだ。その後もティミーの姑息な証拠隠滅の果てに、更なる犠牲者は続出し、ババアの旦那は無実の咎でゾムコン社によるお縄を頂戴する。
その後の展開に於いてもトム&ジェリーに出て来るチーズ・ブロックのやうに、大穴は数知れず開く。これも元々は苛めつ子らが自ら蒔いた種だとしても、へレンがゾンビ化したティミーの同級生を平然と撃ち殺し、その死体は小屋ごと焼失させて事無きを得る、しかも何れもティミーの目前で、などといふのは果たして一体如何なる了見か。どうしてそれで物語が平然と進行して行けるのだか、全く理解に苦しむ。その件に於いて、制御を再び外れたファイドが、何故かティミーとヘレンだけは襲はないことに関して一切何の説明も為されぬ度し難い怠惰に対しても、愕然とさせられる。
最終的にはティミーがゾムコン社に回収されたファイドを取り返したい、といふ甚だ私利的な欲求の為に、更なる多くの犠牲者が、しかもビルとボトムズも共に死ぬ。結局騒動の責任は何故か死人の別人に常に課せられ、ビルはゾンビ化不能な埋葬法によつて埋葬、ティミーとヘレンと無事取り返したファイドと、更にビルとの間に身篭つてゐた新たな命とを加へた一家に、隣家からゾンビ化したボトムズを連れた、ティミーの同級生でさりげなくGF的ポジションにあるシンディ(アレックス・ファスト)、いふまでもなく、シンディはボトムズの娘である、が遊びに来る。といふのが、恐ろしくもハッピー・エンドのつもりのラストである。一体どういふ神経をしてゐればこれで、ハッピー・エンドを迎へられるのか。繰り返す。ブラック・コメディーであれば何をやつても許されるのか。人として基本的な感情が、あまりにも蔑ろにされ過ぎてしまつてゐる。どうあつたとて、マトモに飲み込める物語ではない。クライマックスのドサクサで確かに脳天を撃ち抜かれた筈の、もう片方の隣家・テオポリス(ティム・ブレイク・ネルソン)の恋人ゾンビ・タミー(ソニア・ベネット)がラストの一幕では何故か元気に生きて(?)ゐることに関しても、先のファイドがティミーとヘレンのみ襲はない件と同様、不可思議な理由が観客に説明されることはない。凡そ一切の責任を放棄したかのやうな一作である。
イリーガルでアンモラルな部分以外にも、凶悪に噴飯ものなのは。冒頭ティミーは、ゾムコン社が提供する、そして同級生も親達も周囲は何の疑問も抱かずに有難く押戴く管理主義的な秩序に対し、王様が実は裸なのではないかといふことに唯一気付く少年故の多感な純粋さを以てして、疑義を差し挟むことを禁じ得ない風に描かれる。ものの先にも触れたラストでは、ゾムコン社の提供する技術による仲良しのゾンビとの思ひ通りに暮らす生活を、臆面もなく手放しで享受してしまふのである。私は斯くも、自堕落で恥知らずな物語といふものを観たことがない。加へて、流石にこのやうな代物をそのまま素通りさせては売れぬと判断したのか、あるいは実際の映画の中身は見ずに作成したのか、日本配給のショウゲートは、フライヤーにて犯罪的な不実記載を犯してゐる。フライヤー内“ゾムコン社とは……”と題されたコーナーにはかうある。“ゾンビをおとなしく、従順にさせる特殊な首輪を開発し、長年続いたゾンビ・ウォーから人類を救つた救世主!”(原文は珍かな)。ここまでには、全く何の問題も無い。醜悪なのはここから、“しかし…その実態は、世界の安全を保障する裏で、巨大な権力を所有し、地球はまだ人間が支配してゐると人々に信じ込ませてゐるのだつた…”(同)。これではまるで、といふかこの一文をこのまま読む限りには、ゾムコン社は実はゾンビが牛耳る一種の秘密結社じみた真の巨悪、とでもいつた風になつてしまふ。が、構想段階にはさういふ設定があつたのか無かつたのか、そのやうなことは知らぬ。知り得る訳がない。少なくとも実際に公開された映画の出来上がりの中には、そのやうな描写は一切存在しない。薄汚い嘘を吐かねば売れぬやうな映画を、そもそも買つて来るな。
子供が無闇に平然と銃を振り回す社会描写は隣国アメリカへの皮肉のつもりなのかも知れないが、その点に関しても、吐いた唾をキチンと回収する作業は全く怠つてゐる。繰り返すが、かつて観た中でも五指に入る唾棄すべき全きのクズ映画。今作と比ぶれば、普段は胸クソが悪くなるばかりの清水大敬でも観てゐた方がまだしも一兆倍マシ。正直ピンクスとして日々鍛へられてゐるつもりなので滅多なことでは堪へないつもりもあるが、映画を観てゐて暴力的に腹が立つた。苛立ち紛れに滅茶苦茶な方向に筆を滑らせるが、買はうとした連中以前に、そもそもこんな映画を通した、税関あるいは映倫にも腹が立つ。かういふ時こそ機能しろ。
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