真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「不倫ファミリー 昼から生飲み」(2009/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/原案:五代暁子/脚本:後藤大輔/撮影:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/監督助手:新居あゆみ/撮影助手:海津真也・島秀樹/照明応援:広瀬寛巳/現場応援:田中康文/イラスト:ヒロミ☆ヒロセ/出演:真咲南朋・浅井舞香・山口真里・なかみつせいじ・野村貴浩・柳東史・久保田泰也・アキラ・池島ゆたか・神戸顕一・倖田李梨)。出演者中、神戸顕一は本篇クレジットのみ、であつたのだけれ・・・・(後述
 他愛もないからよりろくでもない寄りのキネコ画質の、講義コントが開巻を飾らない。大学院生・三枝るり(真咲)の不倫相手で準教授・谷原(柳)が、何れも似顔絵風のお面をつけた三名(中川大資と田中康文と新居あゆみか)相手に、ライオンの生態を紹介する。そこに助手としてるり登場、濡れ場も軽くこなす。色々といひたいこともあれ、とりあへず生徒役一番右の似顔絵は、それは荒木太郎ではないのか?
 三枝家は、るりと母・みゆき(浅井)の二人暮らし。父・和彦(なかみつ)はもう十年間、単身赴任で大阪で生活してゐた。当初ならばるりも中高生であつたらうからまだしも、みゆきも和彦を追つて行けばいいものを、大阪に女の存在を感じぬでもないのを懼れてゐた。月に一度帰京する夫を待ちつつ、まさかそれは浅井舞香自身の至福もとい私服なのか、ロリータ・ファッションを常用するみゆきの心の軸足は、判りやすく軽やかにズレてゐた。一方、母が母なら娘も娘、るりは谷原の子を宿したかも知れない不安に慄く。るりの日常が納豆嫌ひの植木職人・勝俣(野村)とそこかしこでそこはかとなく交錯する中、何と大阪で進藤いずみ(山口)との間に息子・ひかる(アキラ)まで儲けてゐた和彦が、いずみの交通事故死を機にひかるを伴ひ帰宅、みゆきは卒倒する。ところでワン・カットのモノローグで処理されるいずみの死には、喪服妻ものに於ける旦那の扱ひに匹敵する、鮮やかな唐突さが爆裂する。
 久保田泰也は、和彦が帰つて来る前日に決まつて、みゆきが家に呼ぶ美容師・尚也。髪と同時に、女性ホルモンの分泌も整へる。池島ゆたかは二度三枝家を往診する、鎮静剤好きの医者。瞬間的に見切れるのみの倖田李梨は、谷原の多分妻。
 娘と母の両面から、家族といふテーマにオーソドックスに切り込まうとしたホーム・ドラマ、といふ趣向はひとまづ酌めぬではないのだが、傑作と称するほどには決して完成度は高くない。みゆきが和彦とヨリを戻す件は、よしんば少々性急であらうと、浅井舞香となかみつせいじの安定感でどうとでも押し込める。人生なんぞ得てして実際にはさういふものであるのかも知れないが、対してるりの問題の解決に際しては、棚から降つて湧いた勝俣に頼りきりである点に大いなる都合の良さを感じさせる。後半を背負はせようとした意欲は買へるとしても、よくいへばセンシティブさを大人びた風情に包み隠すといふ、一つきりしか抽斗を持たないアキラ(ex.つーくん)が切り札を握る終盤には、如何せん弱さも禁じ得ない。少なくとも現時点に於いては、子役としても映画を掌握するに足る決定力を未だ有してはゐまい。野村貴浩もこの人はどうしても芝居が軽いので、この布陣で一つの家族の再生と一人の若い女の将来への摸索、といつた題材に生真面目に取り組むまうとした場合、結果論としてもいへば、浅井舞香となかみつせいじに支配させた頑丈な展開の中で、どさくさ紛れか付随的にるりも纏めて片づける。さういふ戦法が、最も順当であつたのではなからうか。クライマックス台所中の食器を洗ひながら、ひかるが歌ふ「歓喜の歌」には、そこにその曲を持つて来る意匠は理解出来るものの、演技センス以上あるいは以下に、アキラが音楽的には確実に難があるゆゑ、直截に映画の完成度を損なつてしまつてゐるきらひは否めない。顧みれば、和彦を三枝家に帰らせる方便とはいへ、敢てかういふいひ方をすれば、いずみを殺してしまふ意味もよく判らない。単に和彦の前から姿を消すために退場するだけなら、実は三年前にリストラされてゐた和彦を見限つたいずみを、ひかる諸共捨てた上別の男の下にでも走らせれば済む話である。そもそもオープニング・シークエンスから、百獣の王云々がメイン・モチーフとして有効に機能してゐるやうには別に見えない分、要らぬ遊び心といふ以前に、甚だ無様な画面を前にしてはこのやうな一幕、積極的に無用であるとしかいひやうがない。決してルーチンルーチンするでなく、積極的に前に出て来ようとしてゐただけに却つて、全般的に空回つた印象の強い一作ではある。
 そんな中最も心に残つたのは、カット割りの勢ひとテンションとで押し切る、古き良き時代を髣髴とさせるローテクぶりが清々しい、なかみつせいじが空を飛ぶプリミティブ特撮。

 不覚にも、完全に油断してゐたもので、神戸顕一が何処にどういふ形で見切れてゐたのかに関してはロストした。少なくとも、カメラの前に立つた生身の神戸顕一が出演してゐないのは断言出来る。


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 「熟れ頃教師 濡れすぎたパンティ」(1996『発情教師 すけべまるだし』の2009年旧作改題版/製作:サカエ企画/配給:新東宝映画/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:中田新太郎/撮影:千葉幸男/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:佐藤吏/音楽:レインボーサウンド/バイオリン:池山美果/監督助手:北村隆/撮影助手:池宮直弘/照明助手:江口和人・大浦有希子/録音:シネ・キャビン/現像:東映化学/出演:田口あゆみ・高野ゆかり・渡辺幸次・森山龍二・中田新太郎・丘尚輝・沼田八郎・竹村祐佳)。出演者中、沼田八郎が―今回新版―ポスターでは何故か大岡尚一とかいふ名前に。
 高校のトイレで女教師が自慰に狂ふ、私立北村学園音楽教師の石嶺綾音(田口)には、若い男の体臭を嗅ぐと発情してしまふ、最早性癖も斜め上に通り越した特異体質があつた。手書きレベルの投げやりな新版タイトルが、主人公の底の抜けた設定を加速する、もしくは火に油を注ぐ。ひとまづスッキリした綾音に、生徒の岡田義徳(渡辺)が何事か相談を持ちかけるものの、用事があると綾音は無下に放課後の学校を後にする。綾音は自宅で、男子生徒(多分沼田八郎>・・・・飢餓海峡か?)に強姦され登校拒否の三枝静香(高野)に、ピアノの個人レッスンを授けてゐた。実はレズビアンの静香は綾音を求め、再び通学を始めることを条件に、綾音も教へ子に応へる。ある意味、何と穏やかな世界よ。
 義徳の抱へる悩みは、進路に関するものだつた。謎の遺影(誰のものかは不明)の夫とは死別後、スナックを経営しながら女手ひとつで息子を育てて来た母・公子(竹村)は、息子の医大進学を苛烈に切望してゐた。対して、時に金のために客に体を売ることもある母を嫌悪しないでもない義徳はバイオリンに強い興味を抱き、音大を志望する。丘尚輝は、公子を買ふ客・草野康太。ところで、連続する竹村祐佳二度の濡れ場の二つ目は、勉強の妨げにならぬやうにだとかいふ方便での、義徳の性処理であつたりもする。嗚呼、何と何と緩やかな世界よ。ひとまづ綾音宅でバイオリンのレッスンを受け始めた義徳に対し、色んな意味で道ならぬ嫉妬の炎を燃やす静香は気が気でない。
 森山龍二は、今でいふと「相棒」シリーズに於ける杉下右京のやうな造形の綾音夫・定規。他校数学教師である定規は書斎で寝起きする堅物ぶりを発揮する反面、夫婦生活に際しては時に明後日に弾けてみせる薮から棒なアクティビティーも見せる。ハンサムな宅八郎こと―何だそりや―中田新太郎は、第一印象としては嫌味でしかない有名バイオリニスト・清水義貴。
 静香のレイプ被害といふ、本来ならば重大事は清々しく何処吹く風と、物語は義徳の進路問題にいそいそと軸足を移す。それはそれとして思はぬ飛び道具も繰り出しての顛末の落とし処はホームドラマとしては意外と順当で、所詮は木に接いだ竹、あるいは蛇の足に過ぎぬにしても、綾音の不妊も絡めた石嶺夫妻の関係改善も添へられた幕引きは、一見綺麗な娯楽映画に錯覚してしまひかねなくもない。とはいふものの、そもそも、綾音が若い男の体臭を嗅ぐと云々とかいふ話は一体全体何処の忘却の彼方に消えたのだ、といふ腰骨も粉と砕ける巨大な疑問に一旦思ひ至るならば、イイ感じの、もといいい加減な大らかさがチャーミングな一作。妙に高い水準の劇伴として変に映画を支へる池山美果のバイオリンも、この際勿論重要であらうことはいふまでもない。
 オーラスをひとまづ締め括る綾音と定規の夫婦生活の直前、過剰―あるいは違法―サービスはもう行はないことにした公子の店には草野のほかに、新田栄の姿も見切れる、三人目の来店客までは不明。

 例によつて、今作は2003年に少なくとも既に一度、「人妻教師 濡れた放課後」といふ新題で新版公開済み。原題と前回新題と今回新題との比較でいふと、適当さがそれはそれとして実際の本篇にマッチした原題と今回新題に対して、前回新題は少々気取り過ぎであるやうにも思へる。


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 「本番好奇心 奥までぐつしより」(1995『本気汁たれ流し』の2009年旧作改題版/製作・企画:オフィス・コウワ/提供:Xces Film/監督:神野太/脚本:上野由比/撮影:創優和/照明:斉藤久晃/編集:金子尚樹/音楽:伊藤義行/効果:協立音響/製作担当:真弓学/助監督:佐々木乃武良/撮影助手:井深武石/監督助手:片山圭太/出演:宏岡みらい・林由美香・本城未織・久須美欽一・真央元・瀬川稔)。照明助手を拾ひ損ねる。出演者中、瀬川稔がポスターでは何故か鈴木実とかいふ名前に。
 深夜の野嶋家、居候する就活中女子大生の門菜理沙(宏岡)は、洩れ聞こえる姉・翔子(林)とその夫・俊介(瀬川)の夫婦生活の様子にアテられ、居間のソファーの上で自慰に耽る。どうでもよかないが、翔子の声をアテてゐるのは一体誰なのか。林由美香のエンジェル・ボイスが封じられた激越な違和感が、この後慣れといふ消極性の下に解消されることは、勿論終ぞなかつた。先に夫が勝手に果ててしまひ絶頂に達し損ね膨れる翔子に対し、理沙は一人遊びでイッてしまつたことに侘しさを噛み締める。翌日、姉に指摘され前夜文字通り脱ぎ捨てた下着を俊介の目に触れぬやう慌てて回収しつつ、理沙は彼氏・有賀健一(真央)から紹介された、伯父であるとの田所巌(久須美)の建築事務所へと面接に向かふ。紹介時の健一に続きここは最早当然といはんばかりの勢ひで、理沙が田所にも美肉を貪られる一方、翔子と、勤務してゐた会社が倒産してしまつた為レストランを開業しての再起を図るも、諸々のプレッシャーにポップに屈する俊介とはギクシャクしてゐた。田所に身を任せたにも関らず、常(つね)でも情けでもどちらでも構はないがともあれ無常にも理沙は面接に落とされる。完全無欠の麗しい濡れ場特化三番手ぶりを披露する本城未織(林田ちなみの前名義)は、憤慨して健一の下に押しかけた理沙が直面する、自分の時と全く同じ手口で健一が手をつけてゐた就活生・岡津恵美。田所の事務所入り口で理沙と擦れ違ふ、二人組は何れも不明。特に必要な、見切れ要員にも思へなかつたのだが。
 エクセス帰還作「老人と和服の愛人 秘密の夜這ひ部屋」(2005/脚本:これやす弥生/主演:小島三奈)から十年遡る神野太の本篇第三作―その間に、多数のVシネと三本新東宝作とを挿む―は、徹頭徹尾女の裸を銀幕に載せることにのみ全篇が謹んで奉仕する、他の何物かは清々しく一欠片もない一作。起承転結の前半部分としての理沙×田所戦までは兎も角、面接を終へた理沙はその足で開店前のレストランに義兄を訪ね、一応心配して野嶋家に足を運んだ健一とは行き違ひになる。ここから姉妹が互ひのパートナーを盗み喰ふに至つては、殊に翔子が健一と寝る件なんぞ感動的に絶賛必然性も欠く。そのまま話の本筋が姿を現すことも別になく、結局理沙は姉夫婦の店を手伝ふといふところに適当に落とし込む漫然とした物語が、これで妙に求心力を失してしまはない辺りが逆に不思議なくらゐだ。AVも引退した現在は、あるいは何と今も大阪のデリヘルに在籍してゐる主演の宏岡みらいは、時代を超えられない化粧もあつてかルックスの洗練度は決して高くないが、綺麗な形でポヨンポヨンのオッパイは文句なく素晴らしい。脇を林由美香と本城未織とが磐石に固める布陣に隙間は見当たらず、スカスカの脚本を、共に堅実な神野太の演出と創優和(=紀野正人)の撮影とが意外とウェルメイドなエロ映画として支へ行く様がある意味見事な、エクセス・ポルノ高目の水準作といへよう。姉婿と二人並んだカウンター席、藪から棒に理沙がバナナ相手にレロレロと尺八を吹き始め俊介を誘惑するシークエンスの、腰も砕ける馬鹿馬鹿しさを轟音の煽情性で捻じ伏せるダイナミズムは、それでこそエクセスだ。


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 「いとこ白書 うづく淫乱熱」(2009/製作:Blue Forest Film/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典・山口大輔/撮影監督:創優和/助監督:山口大輔/編集:有馬潜/録音:シネキャビン/監督助手:江尻大/撮影助手:野田大輔・高橋舞/スチール:佐藤初太郎/音楽:與語一平/現像:東映ラボ・テック/協力:館山智子・加藤映像工房/出演:赤西涼・かすみ果穂・倖田李梨・久保田泰也・吉岡睦雄・岡田智宏・サーモン鮭山・井尻鯛・なかみつせいじ)。出演者中、井尻鯛は本篇クレジットのみ。
 地元の大学に進学が決まつた栗栖さくら(赤西)は、谷津由幸(サーモン)との結婚を機に寿退職し越して行く高校の担任・斉藤昌美(倖田)を見送るべく、例によつて遅れ気味のローカル電鉄を無人駅に待つ。どうでもいいが、どれだけ田舎の路線とて、日本国内に常態として時間通りに来ない電車など現存するものなのか?話を戻してその頃昌美はといふと、谷津と開巻の絡みをこなす。カット変り駅に待ち惚けるさくらにカメラが戻る直前で、さりげないタイトル・イン。父・政春(なかみつ)がほどよい距離から見守る中、処女のさくらは同じ大学文学部の先輩でもある従姉のもみじ(かすみ)を指南役に、未だ知らぬ性への興味をキュートに募らせる。ところでさくらの母親は既に亡く、遺影が2カット抜かれはするのだが、画面の大きさとプロジェク太の画質とに阻まれ誰の写真なのかは確認し損ねた。同級生で東京の大学に進学する吉田光明(久保田)を相手に、さくらはとりあへずロスト・バージンしてみるが、それは想像以上の猛烈な痛みを伴ふものだつた。大学に通ひ始めたさくらはもみじの頼みで、もみじのバイト先店長・浜口平吉(岡田)とバイト生・寺西烈(吉岡)との、二対二のコンパに挑む。もみじが彼女と別れたばかりの浜口をロック・オンする一方、もみじに片方向で執心する寺西からはブロックするやう、恋の援護射撃をさくらは求められる。とはいへ実のところは浜口は浜口で、寺西をアシストする腹でもあつた。
 元々長めのなかみつせいじの間を更に間延びさせた、病的に朴訥とした政春の口跡は狙つたであらう田中邦衛といふよりは、寧ろ石橋貴明がコントで演ずる保毛尾田保毛男だ。例によつて竹洞組は正攻法を忘れたまゝなのかよと首を横に振りかけたが、よくよく考へてみれば荒木(太郎)調ならぬ荒木臭に似て来た感もなくはない悪ふざけは、幸にもこの点に止(とど)まる。尤も、脚本が淫らに前に出ようとする、直截にいふと往々にして小松公典が徒にイイ台詞を書かうとし過ぎる、手数の過剰さは相変らず。端々の場面場面はそれぞれ魅力的ではあるのものの、逆に全体的に見れば主に音声によつて提供される情報量が何処も均一化してしまひ、最終的なメリハリには大いに欠く。よしんば演者に力量が伴はないならば、もつと竹洞哲也に仕事をさせるべきだ。さうはいひつつ、前作からはまるで別人のやうにフレームの中での顔の作り方を覚えて来た赤西涼と、綺麗なリアルタイム現代美人・かすみ果穂とを得点力絶大の2トップに擁した、少女から大人までのそれぞれの女達が立ち止まりながらも前に進んで行く瑞々しいガーリー・ムービーは、基本線としては概ね形になつてゐる。今回アクティブな淫蕩女といふ持ちキャラではなく、倖田李梨が見せるしつとりとした大人の女も、初めてといつて語弊もないレベルでの完成度の高さを保つ。フォーカスの向かう側に燻(くゆ)る、タバコの紫煙で打ち損なつたクロスカウンターを示唆するショットや、吉田帰郷時に於ける電車の使ひ方なども正しく絶品。依然継続する松浦祐也の不在は矢張り響くが、近作の中では最も手堅く纏まつた、オーソドックスな娯楽映画の佳篇といへることには恐らく論を俟たないであらう。
 とはいへ政春の台詞回し以前に冒頭激しく首を傾げざるを得ないのが、タイトルが入るタイミングを根本的に間違へてはゐまいか。改めてトレースしてみると、さくらが独り恩師を待つ。昌美と谷津の婚前交渉挿んで、タイトルからそのまゝカットを割らずにさくらの前に昌美と谷津が現れる。以降、さくらと昌美の遣り取りは以下のやうに続く。最後の授業を、さくらは昌美に乞ふ。「セックスつて気持ちいいんですか?」、とど真ん中中のど真ん中に球を放つて来るさくらに対し、意表を突かれた昌美は微笑ましく言葉を濁す。そんな昌美にさくらは、「大人は教へて呉れない」。ボンヤリとした現行には些か弱さを感じぬでもないため、この、「セックスつて気持ちいいんですか?」でインパクトを叩き込んだ直後か、「大人は教へて呉れない」でスマートに会話を畳んだところかの何れかであつた方が、より据わりが良かつたのではないかと、素人考へながらに思へる。
  加藤(義一)組と前後して役得を爆裂させる井尻鯛(=江尻大)は、稼ぎがぼちぼちのさくら夫。但しここで声をアテてゐるのが岡田智宏である点に関しては、如何せん混乱も禁じ得ない。

 最後に、再び蛇足がてら折角なので整理しておくと。プロレス者である小松公典の趣味を反映してか、さくら父親の栗栖政春はイス大王こと栗栖正伸、斉藤昌美はデビルは雅美なのでそつちではなく、マサ斉藤(本名は昌典)。谷津由幸はほぼダイレクトに谷津嘉章、浜口平吉は、アニマル浜口の本名・浜口平吾から。寺西烈は白タイツで御馴染みの寺西勇、そしてここが最も難易度が高からうとも思はれるが、吉田光明は力道山次男の百田光雄、ではなく長州力の本名・吉田光雄から、それぞれ名前を取つてゐるものとみて、矢張りまづ間違ひなからう。となると、概ね全日で固めた前回にたいして、今回の括りはジャパンプロレス勢といふ寸法になる。映画の中身とは、別に関係ないが。


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 「獣慾学園 やりまくり」(1998『ザ・痴漢教師2 脱がされた制服』の2009年旧作改題版/制作:セメントマッチ/配給:新東宝映画/監督:池島ゆたか/企画・脚本:福俵満/撮影:清水正二/音楽:大場一魅/助監督:森山茂雄/編集:酒井正次/監督助手:佐藤吏・広瀬寛巳/撮影助手:岡宮裕/録音:シネ・キャビン/スチール:津田一郎/現像:東映化学/緊縛指導:奥津城マリア/出演:杉本まこと・立川みく・篠原さゆり・水原かなえ・佐々木恭輔・神戸顕一・かわさきひろゆき・藤森きゃら・北千住ひろし・山ノ手ぐり子・HITOMI・睦月影郎・おくの剛・石動三六・瀬川ゆうじ・中山のん・生方哲)。出演者中、藤森きゃら以降は本篇クレジットのみ。
 名門校「貞徳学園」二年生の小泉麻子(立川)が、通学電車で痴漢に遭ふ。一旦は眉を顰めながらも、巧みな指戯に次第に麻子は喜悦に震へる。創立四十年となる貞徳学園、放送部員である麻子の操作で、父・健蔵(誰かの肖像画)から学園を継いだ二代目校長・城源寺幹男(杉本)のビデオ撮影されたメッセージが、全校に向け放送されてゐる。詰まらなさうに爪を切りながら校長の話に耳を全く傾けるでもない、城源寺に反目する麻子の担任・島田庸介(佐々木)は、途中にも関らずテレビを切ると、強引に世界史の授業をスタートさせる。その頃、保健室に行つた筈の教室に姿の見当たらない女生徒・中山美枝(水原)は、校長室にて青汁に似た緑色の催淫剤を飲んだ城源寺に抱かれ快楽に溺れてゐた。純情教師・岡本澄夫(神戸)が、放送部顧問でもある狭間恭子(篠原)に求愛するものの、見事に玉砕する。貞徳学園の卒業生である恭子は在学中に城源寺の毒牙にかゝり、現在も性奴の状態にあつた。屋上にて岡本から恋の悩みを打ち明けられた島田は、逆に城源寺の専制を糾弾する企てへの賛同を求める。そんな島田の姿に、地上から城源寺は鋭い視線を注ぐ。放課後、島田は他人を四の五のいへる筋合にもなく、実はこの男も教へ子である麻子と淫行関係にあつた。要はこれでは、犬が飼ひ主に似ただけの話でしかない、単にその犬が、主人の手に咬みつかうとしてゐるだけだ。落ち合ひホテル街に消える二人の姿に、城源寺に雇はれた私立探偵・向田茂夫(かわさき)がカメラを向ける。狙つた下手さなのかネイティブなのかが甚だ微妙な岡本の朴訥さに対し、基本終始無言ながら不審な凄腕としての、向田の造形は意外と綺麗にサマになる。
 愛憎と思惑とが重層的に交錯するピンク・サスペンスは、力強く見応へがある。ものの、そこはデフォルトで尺は六十分と厳格に限定されてあるのもあり、如何せん詰め込んだ各エピソードを消化するのに精一杯で、そこから今一段深みのあるドラマへの昇華には至らなかつた感は否めない。性急な展開の中ひとまづ風情で勝負出来たのは、かわさきひろゆき以外には憂ひ深い表情を撃ち抜く篠原さゆりくらゐであつたやうに思へる。髪も白髪に染め正しく獣慾の権化たる城源寺を好演する杉本まことに関しては、催淫剤の効果で活力を得た際に千葉真一よろしく空手風の見得を切るシークエンスが、数度繰り返される割には些かギャグ。壮絶であるのと同時に感動的に呆気ない城源寺の最期まで含め、全篇を貫く昭和の時代の映画のやうな古めかしいトーンは、ここも意図したものなのか単なる不作為の結果なのか力強く判断に苦しむところではあるが、個人的な好き好みでいへば、決して肌触りは悪くない。さりげないカットながらピンクで映画なピンク映画として重要に思はれるのは、例によつて校長室にて、終に麻子が城源寺の手に落ちる件。パンティ越しに秘裂を往復する指先といふピンクピンクしたクローズ・アップで、麻子と同時に観客に痴漢師の正体をその人と知らせる文法は、実に映画的であらう。
 キャスト中藤森きゃら以降は、生徒教師込み込みで貞徳学園エキストラ部。クレジットは見当たらないが、千葉誠樹も生徒役で見切れてゐる。睦月影郎―の傍らに居るのは、確か内藤忠司である筈だ―と福俵満が教師役である点はいふまでもなからうが、山の手ぐり子(=五代暁子)に関しては些か自信がない。仕出かす時は、セーラ服を着かねないやうな気持ちも残る。逆に一興と思へなくもないものの、プリントの状態が激悪で、細かい部分がよく見えない、斯くも雨が降る映画久し振りに観た。

 例によつて今作は2002年に既に一度、「獣欲教師 校内セックス」といふ新題で新版公開済み。全て杉本まこと(2000年になかみつせいじに改名)を主演に据ゑ計四作製作された「ザ・痴漢教師」シリーズを改めて整理しておくと、今作から第三作「ザ・痴漢教師3 制服の匂ひ」(1999)と第四作「ザ・痴漢教師4 制服を汚せ」(2001/なかみつせいじ名義)まで三作の監督は池島ゆたかで、1997年の第一作「ザ・痴漢教師 制服狩り」は、北沢幸雄の監督による。

 通算三度目か四度目の再見に際しての付記< 絶命する城源寺の緑色の精液を浴びるのは、HITOMI名義の大場一魅。正直を告白すると、“ひとみ”と読むのは知らなんだ。


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 「熟女と犬舐め」(1995『新・犬とをばさん むしやぶりつく!』の2003年旧作改題版/製作:旦々舎/提供:Xces Film/監督:浜野佐知/脚本:山崎邦紀/撮影:稲吉雅志・片山浩/照明:秋山和夫・斉藤哲也/音楽:藪中博章/助監督:井戸田秀行/制作:鈴木静夫/効果:時田滋/スチール:岡崎一隆/出演:野際みさ子・サンディ・林由美香・吉行由美・杉本まこと・山本竜二・リョウ)。
 オールド・イングリッシュ・シープドッグのサンディ(犬セルフ)に女陰をベロベロ舐められたテル(野際)が、喜悦によがり泣く。といふのは、夫・奥山(リョウ)が憚ることもなく―いふまでもなく浜野佐知の―自宅に連れ込んだ愛人・まどか(林)の上げる嬌声に惹起された、テルの淫夢。前夫が潰したゴルフ練習所を買ひ取つた奥山とテルは再婚したものの、妻が何処まで苛烈な処遇に耐えられるのか限界を試さうとする現夫の下で、テルは辛い日々を送つてゐた。サンディの存在だけが、テルの心の支へであつた。ここは、ディテールとして一手間欠いてゐる部分ではないかと見受けるところなのだが、テルがサンディを何時から飼つてゐたのかに関しては不明。若々しい杉本まことは、奥山の部下・組田。テルに羞恥ノーパン給支をさせるべく、強引に奥山邸へと招かれる。意外にも今より若干オッパイの小ぶりな吉行由美は、二代続けて社長と関係を持つ社長秘書・三崎由美。老けメイクを施した山本竜二は、落ちぶれたテル前夫・真鍋。ところで、少なくとも同じ名義では、今作以外に仕事をしてゐる形跡あるいは痕跡が俄には見当たらない謎の主演女優・野際みさ子ではあるが、強ひて誰かに譬へるならばメイクの薄い、もしくは軽武装の色華昇子に見えなくもない。またはアングルによつては、板尾創路にも見える瞬間がある。
 まどかと組田に続き、奥山は三崎も家に上げると、あらうことか緊縛したテルの眼前情を交す。終に精神の平定を完全に失してしまつたのかテルは、ここも正直虚実のメリハリを些かならず欠くともいへ、ともあれ現にサンディと事に及ぶ。すると単に壊れただけに過ぎないのかも知れないが、兎も角藪から棒にテルは主体性を取り戻し「私は、私の人生を生きる」だとかいふ方便で、全方位を向かうに回し暴走し始める。異種交配といふ飛び道具中の飛び道具をメイン・モチーフとして擁きつつ、ヒロインが邪悪な後夫から酷い目に遭はされ続けるなどといふ物語を、ほかでもない筋金入りの頑強なフェミニストたる浜野佐知が如何に描くのかといつた点には、大いに興味を持つた。出し抜けに走り始めたテルに今度は逆に焦燥を隠せない奥山を通して、三崎も狂言回しにいはゆるミイラ取りがミイラになつて行く展開は論理的に鮮やかで、安定性も高い。選りにも選つて林由美香と吉行由美を脇に従へながら、主演女優の容姿には厳しい疑問も禁じ得ないだけに、頑丈な脚本が映画を裏から支へる戦略は極めて有効ともならう。帰宅したところ、文字通り獣の体位でサンディに貫かれてゐるテルの姿に、奥山が愕然とした画で振り逃げるかのやうに畳み込むラストは、まるでショック映画ばりの衝撃度が痛快だ。出来れば、そこに至るまで実際の獣姦シークエンスを出し惜しみしたまゝ引張れれば、なほのことフィニッシュ・ブローの威力を増したやうにも思へるが、それでは映画全体が窮屈になつてしまひ、流石に通らぬ相談か。
 全くの枝葉ではあるが、奥山の対由美戦。リョウ(=栗原良=ジョージ川崎=相原涼二)が立てた右膝で、結合部を巧みに隠す何気ない超絶を、ここに特筆しておきたい。

 公開当時結構話題になつたらしい、同年―実に十一作前・・・・!―の前作「犬とをばさん」(主演:辻真亜子)は未見。改題された気配は多分ないが、ここは矢張り狂ほしく観たい。獣姦ピンクといふニッチ中のニッチともいへるジャンルは、今世紀に突入しても新田栄の「黒犬と和服未亡人」(2003)や松原一郎の「馬と後妻と令嬢」(2006)で、辛うじてその僅かな命脈を保つてゐる。更に今作の翌年にはバター犬ならぬバター猫の登場する、こちらも新田栄の「痴漢と覗き 未亡人と猫」(1996)なる珍品も、過去には存在する。



 絶望的な付記< ・・・・と、したところで。しまつた!さういへばエクセスは2003年までのフィルムをジャンクしたさうだ、

  バカーッ><

 ・・・待てよ、そこら辺の事情は全く与り知らぬが、新版公開はネガからプリントし直して呉れるのなら、可能性は未だ残されてゐるのかな?


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 「後ろから前から」(2010/製作:株式会社スカパー・ブロードキャスティング/配給:日活/監督・脚本:増本庄一郎/製作:渥美雅仁・石橋健司/企画:成田尚哉・平田樹彦/プロデューサー:西村圭二・千葉善紀・東快彦・池原健/音楽:中川孝/撮影:根岸憲一/美術:高橋俊秋/録音:日高成幸/編集:小林由加子/助監督:原桂之介/制作担当:阿部豪/アシスタントプロデューサー:川合絵海子/演出助手:森井勇佑/撮影助手:松林彩・三浦大輔・前田恵利子/小道具:細谷恵子/美術応援:山﨑青・飯原広行/スタイリスト:水野美樹子/メイク:佐々木愛/メイク助手:知野香那子/録音助手:木戸大士/音響効果:Cinema Sound Works/振り付け:玉置千砂子/VFX:鹿角剛司/カラーリスト:信定実希/劇用車:加文字義明/制作進行:角田道明/制作応援:平田光一・藤森俊介・古谷厚・渡邊龍之介/車輌:酒井卓也/制作デスク:新谷友香子/Musicians Vocals:Anney Roth・Liza・大門真紀.・Debby Laurendt・Sarah Harmish/Violin:横山佐紀子/Guitars:石井哲也・金巻兼一・藤里賢一/Synth Programming:岡本正巳・中川孝/Drum Programming:JK Starr Inc./主題歌:『後ろから前から RETURNS』唄:宮内知美 プロデュース:中川孝 作詞:荒木とよひさ 作曲:佐瀬寿一 編曲:中川孝 Guitars:金巻兼一 Vocals:大門真紀.・Monica J.Cooper Synth Programming:岡本正巳・中川孝 Drum Programming:JK Starr Inc. Mixed:内田歩/Recorded At:株式会社スワラ・プロ/Mixer:今井修治/Coordinated:今野康之/宣伝プロデューサー:南剛・大場渉太・小室直子/宣伝:丸山杏子・干谷紀子/宣伝デザイン:高橋ヨシキ/スチール:土屋久美子/メイキング:糸柳亮/営業:山内隆史・増川悦男・中原悠介/『ロマンポルノ・リターンズ』製作委員会:株式会社スカパー・ブロードキャスティング、山崎治人、吉澤壮、松浦睦晋、秋葉千晴、杉原晃史、渋谷恒一/脚本協力:熊本浩弐・藤森俊介/美術協力:日本光電/衣裳協力:GOLLEY'S・KUSHITANI/協力:サークル、黒澤フィルムスタジオ、山﨑美術、Cinema Sound Works、ショウビズクリエイション、エルエーカンパニー、ウェルムーブ、グリフィス、スワラ・プロ、シナリオプリント、フレックス保険/制作プロダクション:アルチンボルド/出演:宮内知美・琴乃・金橋良樹・聡太郎・柴田鉄平・草野イニ・千葉ペイトン・中島真介・山﨑崇史・内藤トモヤ・林寛一・澤純子・花岡玲・小林強・沖田裕樹・酒井一磨・田中誠之・西山美海・高橋康之・梅原梨江・長谷川芳明・谷奈央子・和田光沙・佐藤大助・大元孝夫・柴田貴之・井上雄一・街田しおん・木下ほうか)。出演者中、柴田鉄平から井上雄一までは本篇クレジットのみ。
 改めて気づいたが、映写機がカラカラ回る日活のカンパニー・ロゴは挑発的に笑止。フィルム撮影でない以前に、プロジェク太上映だからキネコですらないんだぜ。
 星光無線のドジな女タクシードライバー・栗山桃子(宮内)は、ヤクザ者の車のお釜を掘り慌ててバックした弾みで、今度は何故か“歩”とプリントされたTシャツを着たデブの運転する車にもぶつけてしまふ。だからお前は、車なんか乗らずに歩いて痩せろ。二人(共に不明)から「体で返せ」と公衆便所に連れ込まれた桃子は、(桃子の車の)後ろから当てられたデブに後ろから、前から当てられたヤクザ者には前から犯される。二人から貫かれるや、桃子は「アア~ン」とポップに欲情。桃子が絶頂に達したところで、軽快に主題歌が鳴り始める。同僚ドライバーの浅間出乱子(琴乃)も交へ、ホット・パンツ姿の二人が洗車すると称して健康的なお色気を弾けさせるPV風のオープニング・クレジットは、原曲に余計な手を入れず素直に現代風にアレンジした主題歌トラックの出来自体が優れてゐるのもあり、安いビデオ撮りにさへ目を瞑れば百点満点に素晴らしい。この時点で、中原俊の箸にも棒にもかゝらない凡作「団地妻 昼下がりの情事」とは幸にも話が違ふぞ、と期待が高まる。何故ああまで酷かつたのか理解に苦しむ中原版団地妻の録音や照明と比べると、あくまで標準的なVシネ品質でしかないものが妙に優れて映る、中原俊は噛ませ犬か。PVのオチに登場し、二人からバケツの水を浴びせかけられる星光無線の管理職(木下)が、桃子に大目玉を喰らはす。トップ・ドライバーの乱子に対し、桃子の営業成績は常に最低。挙句に事故を仕出かされては、とても会社に置いておけないのだ。路上に点々と脱ぎ捨てたパンティでオッサン客(矢張り不明)を誘(おび)き寄せ乗車させると、言葉巧みに遠方に走らせ売り上げを稼ぐ乱子の助言に過剰に従ひ、桃子は女の武器を駆使した運行をスタートする。ところが尺八を吹きながら客にハンドルを握らせるは、背面座位で突かれながら運転するはといつた、軽やかに羽目を外した破廉恥営業に世間が黙つてゐよう筈もなく、星光無線にはタクシー組合からの苦情に加へ、警察からの照会も殺到する。条件反射で御上に引き渡す決断を下した木下ほうかに対し、乱子のアシストもありその場は何とか逃げ出した桃子は、パスタの注文の仕方も知らない、如何にも訳アリな風情の町田(金橋)を拾ふ。中々目的地を告げない町田から漸く聞き出し、桃子は一路、といふか遠路遥々熱海へと車を走らせる。・・・・都内から熱海?常識的に考へれば乗り逃げその他犯罪フラグだ。熱海の土地に殊更な必然性も存在しないため、別に伊豆辺りでも良かつたのではなからうか、といふ直截な疑問は残る。
 今ひとつ高いビリングには遠いものの、もう少しいい女優さんであるやうに個人的には思へる街田しおんは、町田が熱海に残して来た美人妻・マチコ。金橋良樹は、桃子を乗せ単車を転がしてゐたところ、貰つた事故で命を落とした桃子恋人。誰彼構はず抱き締められるなり俄に発情してしまふ桃子の性癖は、手数の多い没カレに仕込まれたものだつた。
 桃子が金橋良樹と交通事故に遭つたのは二十二の時で、それ以前の記憶を失つてゐた。出会ひを求めタクシーに乗る乱子に対し、“自分の行き先が判らない”桃子は、 “客が行き先を決めて呉れる”タクシードライバーの職を選んだ。そんな桃子に、乱子は叫ぶ「でもそれつて、桃子の行き先ぢやない!」。オーソドックスなエモーションへの志向が誠実に感じられるロマンポルノRETURNSの第二弾は、感動的に出来の悪い第一弾を引き合ひに出さずとも、普通に物語に力があり引き込まれて観させる。お笑ひ出身の割にはそこかしこでギャグ演出を滑らせるのは兎も角、増本庄一郎は少なくとも見せたいものをキチンと、おとなしく見せるといふ意味では裸の見せ方も心得てゐる。星光無線に居場所をなくし途方に暮れる桃子のイメージ・ショットに際しても、ノーブラ乳首といふギミックを忘れない周到さも逞しい。実は今年三十五歳といふ宮内知美の年齢を知つた際には激しく驚いたが、ともあれ琴乃と超強力な2トップを組んでの、ガーリーガーリーした前半部分は抜群に充実してゐた。互ひの公称スペックを鵜呑みにするならば十違ふ、宮内知美と琴乃が完全に同世代にしか見えない。且つグラビア時代から数へると二十年も超える宮内知美の芸暦は伊達ではなく、堅実なお芝居と若々しい美しさに加へ芯の通りを感じさせる強い表情は、主演女優の看板に恥ぢず全篇を頑丈に掌握する。尤も、金橋良樹がどうにもモッサリしてゐるのと、桃子と町田それぞれの過去の因縁明かしに若干冗長に手間取るのもあり、乱子が退場する後半に関しては、如何せん失速しなくもない。爆発的に大胆な二段構へのオマージュが臆面もないクライマックスに際しては、 “Flag”と“Frog”を間違へる小ネタは要らなくね?とも思ひつつ、ここぞといふ場面で劇伴のレベルをマキシマムに持つて来る音効は大正解。ベタであるとは過去の集積に頭(かうべ)を垂れるのと同義であり、ゆゑに最も強いといふ保守の姿勢こそが、娯楽作品に於ける論理性の肝であるやうに常々思ふ。桃子と乱子で全篇を観たかつた希望も確かに残らぬではないが、オーラスはレコーディング含めメイキングのカットとともに、イカした主題歌が磐石に締め括る。相変らず未見であるオリジナル版(昭和55/監督:小原宏裕/主演:畑中葉子)との比較をここは一切さて措けば、鑑賞後の心持ちも清々しく爽やかな、実に綺麗な娯楽映画の快作。要はロマンポルノRETURNSをザックリ総括するならば、正確無比な一勝一敗である。

 増本庄一郎は、今作が長篇映画のデビュー作であるとのこと。次回作も大いに観たい気分にさせられるので、その時は出来ればフィルムで撮つて欲しい。

 以下は再見に際しての付記< 和田光沙が、多分バス停の列の中に並んでる


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 「触る女 車内で棒さぐり」(1989『痴漢電車 朝から一発』の2009年旧作改題版/企画:《株》旦々舎/配給:新東宝映画/監督:浜野佐知/脚本:山崎邦紀/撮影:稲吉雅志・福本淳/照明:秋山和夫・田中明/音楽:藪中博章/編集:金子編集室/助監督:毛利安孝/制作:鈴木静夫/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東映化学/出演:林こずえ・山岸めぐみ・秋本ちえみ・直平誠・芳田正浩・小多魔若史・米田共・中村憲一・山崎邦紀・山本竜二)。出演者中、芳田正浩は本篇クレジットのみ。代りにといふか何といふか、ポスターには高橋達也とかいふ名前が見られる。この辺りのフリーダムさは、一体何から生まれて来るのか。何気ない、新題のソリッドさは推しておきたい。
 セックスと金とにだらしない彼氏・コーイチ(直平)との生活に疲れた数奇頼子(林)に、藪から棒にもほどがある、あるいは爆発的に棚牡丹な話が転がり込んで来る。頼子の前に現れた弁護士・真田(山本)によると、アメリカに在住する頼子の大叔母(全く登場せず)が、頼子に日本円で二十億もの遺産を相続させるとのこと。当然そのためには条件があり、それは再従兄弟の大三郎と結婚した場合に限るといふものであつた。頼子には面識のない大三郎の所在は確認されてをらず、手懸りは私鉄沿線に出没する痴漢グループと行動を共にしてゐるらしいといふ情報と、特徴的な一つの目印。数奇一族には割礼に似た奇習があり、三才の時に、男女とも性器に星型の入墨を彫つてゐた。頼子の小陰唇の内側にあるのと同様、大三郎の亀頭にも星のマークがある筈だつた。それはどうでもいいが、いやよかないが話を聞いてゐるだけで果てしない激痛を覚える。二十億中一億の成功報酬を約した親友の涼子(山岸)を伴ひ、痴漢電車に果敢に突入した頼子は、肉を切らせて骨を断つべく痴漢されつつ痴漢師の一物を調べて回る。
 物語を痴漢電車に入線する画期的な力技も兎も角、今作に際して個人的に最大の収穫は、同年三作前の「痴漢電車 やめないで指先」にも登場するもののその際には叶はなかつた、痴漢師軍団の面々の特定に概ね辿り着き得た点。小多魔若史・米田共・中村憲一の三人がどれがどの人なのだか判らなかつたのだが、内藤忠司に鼻髭を生やした感じの小男にして、今作に於いては一味のリーダー・オタマジャクシ先生が、本職はマンガ家でもある小多魔若史。元々器用な人なのか中々以上に、腰の据わつた俳優部ぶりを披露する。残る二人に関しては中村憲一が寡黙な若い男で、米田共が最年長の年配の男。初登場時には涼子に電車痴漢する一方頼子に口内射精してしまひ、後にオタマジャクシ先生を二人に紹介するグラサンは、山崎邦紀。実はオタマジャクシ先生以外のメンバーは、それぞれの住居最寄り駅の駅名をコードネームとして呼び合ふのだが、そこは地方民の哀しさよ、上手く聞き取れなかつた。映画前半までに登場する痴漢は、オタマジャクシ先生と山崎邦紀に、中村憲一。
 男性自身に星印を持つ顔の判らないターゲットを、クロスカウンターを放ちながら痴漢電車の車中に探す。正しく愉快痛快、かつ大胆不敵な物語ではあるが、正直二つ目の無茶に関しては、破天荒も度が過ぎ底が抜けてしまつた印象も強い。なかなか大三郎に辿り着けない頼子に、オタマジャクシ先生が助言を与へる。野外プレイをする者があれば痴漢は必ず覗きに来る―そしてその場でマスもかく―ので、その際に確認すればいいのだといふ。そこで涼子がハニー・トラップを仕掛けた上、頼子がこれまでに貸した金の即時一括返済もちらつかせ、コーイチに新宿公園で青姦を展開させるなどといふ、正しく無理難題を呑ませる。清々しく三番手の秋本ちえみは、コーイチが新宿公園に連れて来る女。ここで集まつた痴漢はオタマジャクシ先生に山崎邦紀と、中村憲一は退場し、新たに米田共と芳田正浩の計四人が参戦。後に頼子相手にミッチリ絡みもこなす芳田正浩は、ナニに黒子があるだけの早とちりされる男。今回初めて気付いたが、この人若い頃は、今でいふと嵐の二宮和也のセンだ。
 閑話休題、流石に神宮決戦への導入に際しては、何を斯様に大掛かりで面倒臭い真似をせねばならぬのかと、些か立ち止まらざるを得ない。ここでさういふ野暮を言ひ出したくなる気分になつて来るのも、そもそもはといふか有体にいへば、当時の評価はさて措き、三人の女優陣が如何せん弱いのだ。主演の林こずえは首から下の柔らかさうなムチムチぶりは申し分ないものの、首から上は正直曲がつてゐる。脇を固める山岸めぐみの垢抜けないロリータ感は洗練度が頗る低く、残念ながら時代を全く超え得る類のものではない。純然たる濡れ場要員たる秋本ちえみはルックスは三人中最も纏まつてゐる一方、プロポーションの方はといへば少々寂しい。更に三つ目の荒業を炸裂させつつ最後は意外にイイ話へと強引に落とし込むラストまで含め、冷静に頭で考へてみれば起承転結の構成としては実は抜群の強度を誇つてはゐるのだが、主力装備に不足があるだけに、娯楽映画の秀作になり損ねた一作といへよう。

 「やめないで指先」の更にその先を行き、エンド・マークは通例の“FIN”ではなく、“・わ・”→“・わ・り”→“お・わ・り”→“・わ・”→“お・わ・”→“お・わ・り”などといふ、まどろつこしい割には、少なくとも今の目からすれば甘酸つぱく無駄の多い終り方を仕出かしてみせる。


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 「ピンサロ嬢 優しい指と激しい舌」(2005/製作:フリークアウト/提供:オーピー映画/監督・脚本:国沢☆実/撮影:岩崎智之/助監督:城定秀夫/監督助手:横江宏樹/撮影助手:矢頭知美・小中健生/音楽:因幡智明/効果:梅沢身知子/出演:葵しいな・水沢ほたる・渡辺弓絵・川口篤・竹本泰志・かわさきひろゆき・平川ナオヒ・THUNDER杉山・水原香菜恵)。出演者中、THUNDER杉山と水原香菜恵は本篇クレジットのみ。
 ハメ撮りのAV屋(THUNDER杉山)を相手に、千秋(葵)は処女を捨てることにする。時間が押してゐると投げやりに急ぐ千秋に対し、終にTHUNDER杉山もキレる。そんな高校時代の思ひ出話を、千秋は妙にウェットな常連客・長沢(かわさき)に語る。夫とは離婚後、新しい男に入れ揚げては騙され続けて来た母親(一切登場せず)を嫌悪する千秋は、男は自らが金と快楽とを手に入れる為の道具に過ぎないと完全に割り切る、ある意味天職ともいへるピンサロ嬢であつた。他人と深く関ることを拒む千秋は、その割に高校の同級生で現在は区役所に勤務する、青山(川口)とルームシェアといふ形で同居してゐた。旧居から退去しなければならなくなつてゐた折に同窓会にて青山と再会した千秋は、マザコンで女の扱ひに不得手な青山とならば、男だの女だのに煩はされずに済む生活を送れると思つたのだ。とはいへゲイでもなければインポでもない青山にとつては、当然さうは行かなかつた。ある日店に根暗な一見客・甘木(竹本)が現れる。写真指名された千秋が席に就くが、「眠れなくて」だなどと、クールでも気取つたつもりか銀幕のこちら側の傍目からは噴飯ものの間抜けな方便で来店した甘木は、千秋にまるで関心を示さうとはしなかつた。自尊心を激しく傷つけられた千秋は、その後相変らずな風情ながら、店に通ひ始めた甘木を次第に意識し始める。そんな千秋に顔の曲がつた両刀使ひの先輩ピンサロ嬢・楓(渡辺)が、さりげない嫉妬心を結構最短距離で燃やす一方、こちらも千秋に心を乱す青山は、葱を背負つて接近して来る同僚の美紀(水沢)を、無防備にものこのこ訪ねて来た自宅で衝動的に犯す。
 ワイルドなジゴロ風に、物凄くカッコよく肩で風切りながら登場したものの、最終的には素晴らしい落差で感動的に無様に陥落する平川ナオヒは、千秋に女々しく未練を残す昔カレ・沖田。店内に朗らかに見切れる水原香菜恵は、その他ピンサロ嬢要員。台詞もそこそこ与へられる割には、芳田正浩似のピンサロ店マネージャー役が、誰なのかが判らない。
 本来ならばうつてつけであらうマネージャー役も他人に任せ、今回は珍しく劇中に姿を見せない国沢実の自脚本による今作は、自閉した自堕落な暗さが如何ともしやうがないばかりの、大蔵(オーピー旧社名)もこんなものお蔵に放り込んでしまへとさへ思へる代物である。他人と深く関ることの出来ない人間が、その癖他人、殊に異性に対する関心の完全な滅却も勿論出来ず。それならば潔く自らの、それが人として全く普通な惰弱さを認めるところからしか如何程の道も拓けて来はしないであらうに、主人公は選りに選つて明後日な決意を固め、始末に終へぬことに一昨日で胸を張る。「人の心に立ち入ることが出来ない」から、「ありのままの自分を曝け出して生きる」ことにしたとかいふ、何をヌカしてゐやがるのだかまるで判らない甘木も、ネガティブな勇断で終の孤立の覚悟を決めることもなく、君は僕の理解者だと惨めに千秋に縋りつく。そんな情けない甘木を袖にしたまでは良かつたが、美紀と連れ添ひ歩く青木の姿に、千秋の砂上の自我は揺らぎかける。そこからの、ラスト・シーンが木端微塵に頂けない。自分は、所詮は己も含めて銘々が身勝手な他人との交はりの中で、決して自らが傷つくのが怖いのではなく、傷つけるのが怖いのだと再び力強く歩き始めるといふのは一体全体何事か。それはヒロインの自立でも雄々しい屹立でも何でもなく、純然たる単なる虚勢に過ぎまい。大体が、初来店時の甘木の様子に千秋がプロフェッショナルとして、同時に女としての自負から反発する件に於いて既に、千秋と外部とを繋げるチャンネルは決して遮断されてはゐない。成人映画とはその名の通り、大人の娯楽である筈だ。国沢実は観客を馬鹿にしてゐるのか、中学生でもなからうに、斯くも怠惰な強弁が通るものか。反面教師としてならば成立し得る余地も無くはないのかも知れないが、観て腹の立つ娯楽映画といふものも如何せん如何なものか。岩崎智之による硬質な撮影は光りつつ、女優三本柱にどうにも決定力を欠いてしまふ布陣の脆弱性も、矢張り響く。国沢実の隠々滅々路線の中でも、嫌な意味での攻撃力が極めて高い、逆方向に極めつけの一作である。

 ところで、そんな国沢暗黒映画にあつて地味に頻出アイテムでもある座り込み両手で顔を覆つた髪の長い女の絵が、例によつてといふか何といふか、兎も角甘木の部屋にも見られる。


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 「団地妻 昼下がりの情事」(2010/製作:株式会社スカパー・ブロードキャスティング、日活株式会社/配給・宣伝:日活/監督:中原俊/脚本:山田耕太/製作:渥美雅仁・石橋健司/企画:成田尚哉・平田樹彦/プロデューサー:西村圭二・千葉善紀・東快彦・池原健/音楽:元倉宏/撮影:伊藤潔/美術:大庭勇人/録音:日高成幸/整音・音響効果:深田昇/編集:太田義則/助監督:神村正義/撮影助手:鏡早智、他二名/制作プロダクション:アルチンボルド/出演:高尾祥子・三浦誠己・遠藤雅・志水季里子、他意外と多数/特別出演:白川和子)。
 住人の減少から、閉鎖された棟すら目立つ団地。画面右半分を占める映画タイトルに団地スチールが等閑に横滑つて被さるタイトル画面のチープさに、早くも猛烈な危惧が胸を過(よぎ)る。御多分に洩れず団地を出て行く高橋夫妻(不明)から、別れの挨拶がてら使はなくなつたベビー用品を食品会社に勤務する斉藤友次(遠藤)が受け取る一方、流産経験のある妻の清香(高尾)は、そのことも知つてゐる筈なのにと臍を曲げる。気を取り直すべくその夜の夫婦生活は、何となくギクシャクして上手く行かない。ここから加速して映画が躓き始めるのだが、清香の心の、あるいは殊更に仲違ひしてゐるやうにも見えない斉藤夫妻の隙間の積み上げが、画期的に不足してはゐないか。あの新田栄でも、偶さかヤル気を出すか調子のいい時にはもつと幾らでも十全に、しかも超速の手際良さで段取りを整へる。自治会会議にのこのこ闖入して来た浄水器「エコビュアラー」の間抜けなセールスマンが、斉藤家にも戸別にやつて来る。絶妙に不安定な遣り取りの末に即決でエコビュアラーを購入した清香を、実は無効力を馬鹿正直に告白しに戻つて来たセールスマン・哲平(三浦)は、その場の勢ひで抱いてしまふ。志水季里子は、団地妻には終になれぬまゝ生涯をその内団地で終へつつある、自治会会長・前川。特別出演の白川和子は「水は大切よ」が口癖の、成果を上げられない哲平を解雇するエコビュアラー社長。そのほかに素行の不良な哲平の息子・アツシ、馘になつた哲平とは対照的に、課長に昇進した前妻と前妻が連れて行つた娘、清香を不自然なシークエンスでカツアゲする二人組み女子高生、団地の皆さん等々、薮蛇とも思へるほど結構大勢劇中に登場する。後述するが、一般映画並に頭数を並べてみせる前に、先にすべきことが幾らでもあらうに。
 昨今、いよいよピンクの命運が尽きつつあるのかも知れない情勢なんぞ何処吹く風とさて措き、降つて湧いた復活、あるいは懐古企画“ロマンポルノRETURNS”の第一弾。とりあへずお断り申し上げておくと、日活ロマンポルノ第一作でもあるオリジナル版(昭和46/監督:西村昭五郎/主演:白川和子)は、憚りもせずに未見である。兎にも角にもどうしやうもないのが、お話が云々とか何だとかいふ以前に、録音と撮影が壊滅的に酷い。台詞が無造作に反響する録音と、主演女優の顔に平然と影を落として済ます撮影―乃至は照明の欠如―は商業映画の水準では凡そなく、下手なVシネよりもなほ劣る。改めていふことなのか判りきつてゐるいはずもがななのか判断に苦しむところでもあるけれど、無論フィルムで撮つてなどゐない。百兆歩譲つてテレビで視聴すれば案外普通に見えるのかも知れないが、だとしても、木戸銭を取つた客に対して小屋で上映するには根本的に値しない。碌でもないとでもしかいひやうのない、てんでお粗末な出来栄えである。塞がらなくなるまで口を開けてみたい被虐体質の御仁以外には、一ピンクスとして悪意を持つたとて到底お薦め致しかねる。気を取り直して筆を先に進めるにしても、中原俊は元々デビューはロマンポルノ(昭和57/『犯され志願』/矢張り未見)であつた割には、どうやら一般映画に進出してゐる内に濡れ場の撮り方をお忘れになつてしまつたやうだ。抽斗が一つ限りしかなささうなお芝居の方は兎も角、折角の美しい高尾祥子の裸身を、まづは真直ぐ逃げることなく見せておくべきだ。結合部を巧みにブロックするでもないのに、女の裸とカメラとの間に無駄に置いた遮蔽物も、おとなしい賞味の妨げにしかならない無闇なカット割りも共に不要であらう。夫以外の男との情交に向けて昂る清香の情念を、意図的に火勢を上げたガスコンロで表現してしまふ、腰も砕けるアナクロなセンスもどうなのかといふ話である。そこはいつそのこと、笑ふべき箇所なのかとさへ思つた。直前のカットとの繋がりがへべれけなことに関しては敢て気付かないフリをするとして、頭からオチが容易に予想出来るラスト・シーンに於けるスローモーションの不可思議なぎこちなさまで、徹頭徹尾出来が悪い。技術的なことは正直よく判らぬが、どうしてああも派手に滑らかに動かないのか。民生用の機材で編集した、自主映画でもなからうに。結局高尾祥子唯一人しか脱がない点に関しては、カテゴリーが違ふ以上どうかういふつもりはない。ただせめて主演女優の裸くらゐはお腹一杯に堪能させ、少なくともその限りに於いては観客を満足させ家路に就かせることは出来なかつたか。直截にいふと、何を考へてこの期に日活がこのやうな代物をでつち上げたのだか、最大速力で理解に苦しむ代物である、徒花にさへなるまい。

 ここからは、厳密には映画本体の感想とは無関係な概ね雑記である。今作の当地福岡市での公開状況は、日活が運営する単館「シネ・リーブル博多駅」での、前売りも出さない一週限りの上映が、しかも朝10:15からの一回のみ。オッサン相手の成人映画を朝イチ上映のみとは一体全体何事かと、前日に時間を調べてゐた折には激昂したが、勘繰るにこの出来といふか要はこの様(ざま)では、親のいふことだから仕方がないが、小屋は小屋で積極的に客に観せたくない気分になつたとしても、最早ある意味無理からぬ話である。だからといつてあくまで一客としては、間違つても縦に振れる首ではないが。


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 「痴漢股ぐらのぞき」(2003/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:かわさきりぼん/企画:福俵満/撮影:清水正二/編集:酒井正次/助監督:佐藤吏/録音シネキャビンスチール津田一郎現像東映ラボ・テック出演:麻白・山口玲子・水原香菜恵・なかみつせいじ・山名和俊・かわさきひろゆき)。を、プロジェク太上映の地元駅前ロマンにて、「股ぐらを見せる女」といふ新題の2007年新版、ではなく、2009年にインターフィルムよりリリースされたDVD題、「肉体の悶」として観戦。色々やゝこしい。
 戦後さう遠くない山梨の温泉町、敵対する新興愚連隊のリーダー・佐々木(名前しか登場せず)を刺殺した罪で服役してゐた檜垣貞男 (なかみつ)が、五年ぶりに娑婆に戻つて来る。組から唯一人出迎へた弟分の冴島雅人(山名)は、檜垣の情婦・真澄(麻白)にスカートを自ら捲らせた上女陰を覗き込み遊んでゐた。当然激昂する檜垣ではあつたが、女は真澄ではなく、真澄とソックリの頭の弱いパン女・憐(いふまでもなく麻白の二役)であつた。真澄の所在に関しては冴島が口を濁す一方、佐々木の元情婦・雪(山口)を現在囲ふ組長の内藤(かわさきひろゆき)は、帰つて来たばかりの檜垣に纏まつた金を投げ寄こすと無下に厄介払ひする。檜垣のやうな狂犬を手元に置いておくと面倒が多い、檜垣が塀の中に居る間に、世間は変つてしまつてゐた。そんな檜垣に、冴島が追ひ討ちをかける事実を伝へる。敵の女と愚連隊のメンバーに追はれた真澄は、冴島の実兄(一切登場せず)が営む温泉旅館に一時匿はれる。檜垣が臭い飯を喰ふ五年の間に、二人は結婚してゐた。冴島を殴り飛ばし、内藤とも喧嘩別れのやうな形で飛び出した檜垣はひとまづ佐々木の墓参りに向かつた墓地で、憐と再会する。母親と幼い弟達に呉れてやれと、内藤から渡された金を蓮に与へた檜垣は、憐を伴ひ真澄の暮らす旅館を目指す。
 時代に自然にフィットする容姿と妖艶な色香とが素晴らしい水原香菜恵は、檜垣が真澄と兄を殺害するのではないかと危惧した冴島が雇ふ、女殺し屋・幸子。他二名(何れも不明)の客も見切れる居酒屋にて食事を摂る檜垣と憐に、他二名の目を引きつつ幸子が接触。その際に幸子が発する第一声が、中々にダイナマイトな珍台詞。「アンタいい男ねえ、アタシにも一杯呉れない?」、女連れの男を捕まへて、幾ら何でもいきなりその切り口はあんまりだらう。もしかするとVシネ版のクレジットは、ピンク時よりも若干情報量が少ないのかも知れないが、他にオーラス直前に憐の客役としてもう一名登場。
 深町章定番の戦中戦後昭和シリーズから、今回猟奇風味は全く差し引いた今作は、勇猛果敢に譬へるならばサム・ペキンパー映画の如く、勝手に移ろひ行く浮世に身の丈を合はせ損ねた、アンチェンジドな男のドラマである。入念な演出と出色の撮影とによつて、傑作と手放しの快哉を叫びたくもなるところでもあつたのだが、物足りなさを強く感じさせる部分もなくはない。三人のエキストラを除けば、総勢僅か六名に止(とど)まる登場人物が互ひに殺し合ひ、少なくとも半数が死んで行く現代ピンクにしては極めて稀に見る展開の中で、檜垣がキチンと辿る呆気ない運命と、ラストを叙情豊かに締め括る儚い寂寥とは、素晴らしく完成されてゐる。ただその二つを繋ぐ、一手間二手間に欠いてもゐまいか。所詮一人では生きて行けさうにはない、さりとて自分のやうなヤクザ者と一緒にしておく訳にも行かない、憐を真澄の旅館で住み込みの女中として面倒見て貰はうとした、兄貴分の意図を知つた冴島が愕然とする、新美南吉の『ごん狐』風のショットや、あるいは檜垣と内藤を始末し、組の実権― と、この際ついでに雪も―を握らうとした冴島のありがちな権謀術数なりを盛り込んでおいた方が、より一枚も二枚も物語が分厚くなつたのではなからうか。リアルタイム当時に既に語られてゐるやうに、佐々木殺害時の状況に関するブレ等、脚本上の粗は顕在的にも散見される。今一つのところで頑丈な娯楽映画への扉を開けることが叶はなかつた、惜しさも残す一作である。そこに敢て詰め切らなかつた余裕を見る向きに対しては、殊更に異論を唱へるつもりはない。

 ただ、ここは私的な嗜好にも依るが、憐のヴィジュアル的な造形は、流石に少々散らかし過ぎでもあるまいか。そのムチャクチャな頭は、パンパンといふよりは寧ろルンペンだ。ここはもう少し小奇麗にしておいた方が、素直に画になつたやうに思へる。


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 「隣人妻たちの性狩 しとめたい!」(2000『いぢめる人妻たち -淫乱天国-』の2009年旧作改題版/製作:旦々舎/提供:Xces Film/監督:浜野佐知/脚本:山﨑邦紀/企画:稲山悌二《エクセス・フィルム》/撮影:小山田勝治・アライタケシ/照明:上妻敏厚・河内大輔/編集:《有》フィルム・クラフト/音楽:中空龍/助監督:松岡誠・椎名健大/制作:鈴木静夫/録音:シネ・キャビン/現像:東映化学/出演:黒田詩織・小川真実・篠原さゆり・彩木瑠名・鏡麗子・中村和彦・柳東史/special thanks:なかみつせいじ)。special thanksのなかみつせいじは本篇クレジットのみ。これどうでもいいけど、新題の“性狩”といふのは一体どう読めばいいんだよ。実際のビリングは、special thanks挿んで柳東史がトメ。
 団地の前に停車する、一台のセダン。売上を達成し社長賞の百万円特別ボーナスと五日間の休暇とを手にしたスーパー店長・白丸克雄(柳)は、彼女の秋川彩花(黒田)を伴なひ東京近郊の集合住宅を訪ねる。早くに両親を亡くし施設育ちの白丸は、三つの時に生き別れた姉“カナコ”を探してゐた。興信所に調査を依頼したところ、その団地に白丸と同郷の施設出身のカナコが四人居り、その内の何れか一名が白丸の姉ではないかといふ。二人目以降の所在の確認を彩花に任せ、白丸はまづ三号棟に住む一人目の団地妻・石神加奈子(小川)の下を訪れる。ところが白丸を出迎へた加奈子は、喪服姿だつた。恐らく宣材写真を流用した遺影のみ登場の夫(なかみつせいじ)を、一週間前に交通事故で喪つたばかりだとのこと。そんな相手に自分の用件を切り出したものか否か逡巡する白丸に対し、「これを見て下さる?」と加奈子が祭壇の下から取り出した荷物は、ゆうパックのバイブ詰め。加奈子が小包みの仰天の中身を明かしたタイミングで、デッテレーレレと軽快にメイン・テーマが鳴り始める劇伴のセンスがあまりにも秀逸で激しく笑かせる。目を白黒させる白丸に、到着を待たずに亡夫が事故死してしまつたといふ因縁つきのジョイトイを突きつけた加奈子は、「供養だと思つて、私に使つて呉れない?」。未亡人だとか何だとかいふ以前に、実の姉である可能性のある女を前に当然二の足を踏む白丸に対し、加奈子は自分は確かに施設に暮らした過去を持つものの、母親は未だ健在である事実を開陳。他の“カナコ”の情報をちらつかせ、なんだかんだした勢ひで半ば逆手篭めにする。
 登場順に彩木瑠名は、白丸が会ふ第二の団地妻・宮平可奈子。パートの休み時間の可奈子に接触する白丸に、ム所上がりの「モンテローザ」バーテンダー・木村(中村)が離れた木陰から不穏な視線を向ける。続いて鏡麗子は、どう考へても不自然だが地下室で白丸と待ち合はせる、羽村カナコ。この人のカナコの字を、劇中から拾ひ損ねた。最後に登場する篠原さゆりは、現在は団地住まひでなければ妻でもない、両義的に元団地妻・沢井佳那子。
 やまきよ(山本清彦)に替り今回は柳東史が、贅沢にも五大女優からひたすらに仕留められたり、あるいは苛められる一篇といふ以外には、二作前の前作「いぢめる女たち -快感・絶頂・昇天-」との間に物語としての連関は全くない。その上で今作の特色は、決して「いぢめる女たち」の出来が劣つてゐるといふ訳ではないが、より勝り極めて頑丈な、娯楽映画の傑作である点。翻弄され続ける憐れで情けない男が終に辿り着く終着駅たる、今作の黒田詩織と前作に於いては時任歩は兎も角として、残りの四人を、全て生き別れた姉探しといふ縦糸にて繋げ得た、形式的なアドバンテージがまづ挙げられよう。「いぢめる女たち」にあつては里見瑤子と佐々木基子に関しては金の無心といふテーマで括られるが、鈴木エリカは純然たる佐々木基子のスレイブ(護衛機)に過ぎず、風間今日子に至つては正直唐突さも拭ひ切れない。一方今作は、小川真実が抜群過ぎるスタート・ダッシュあるいは先制パンチを華麗に決めるのに続いて、彩木瑠名と鏡麗子が煽情性を爆裂させながら矢継ぎ早に畳みかける展開の磐石さと、後述する四番まで含めての打順の完璧さは比類ない。更に役者としては最も弱さも感じさせる彩木瑠名には、アウトサイダーな間男として中村和彦を噛ませ補完するといふ、さりげなく光る手堅さが実に麗しい。一つ一つの僅かな繋ぎのカットとて、全て後々に活きて来る堅固な論理性も、全篇を貫く。そして何よりも、鏡麗子が持ち前の女王様キャラで白丸にほぼ止めを刺したところで、鈍痛な唸りとともにいよいよ登場する、主将格の篠原さゆりが兎にも角にも素晴らしい。帰結を素朴な結婚制度の礼讃と捉へるならば一抹の意外感も残らぬではない点はさて措き、それまでのアグレッシブながらコメディ基調のトーンを一転、直面した人生の残酷な悲哀を自身の将来の展望への推進剤と化す、重量級の人間ドラマへと一息に昇華させる。薄汚れた畳が更にビシャビシャになつてしまふのも構はず、佳那子がサントリー角瓶を秘裂に突つ込み壮絶な自慰に正しく溺れるシークエンスには、猛烈な劣情を掻き立てられるのと同時に、見てはいけないものを見せられたしまつたかのやうな、否、見てはいけないものを見せられたそのものの、激しい罪悪感をも覚えさせられる。これは即ち、何と画期的な離れ業をやつてのけた濡れ場か。地獄に堕ちつつある姉を、さりとてどうすることも出来ず、白丸は彩花と新しい家族を作り上げて行かうとする決意を固める。その上でなほ、白丸が四人のカナコに加へて彩花にまで虐げられる桃色の悪夢にうなされる件は、ポップに浜野佐知的で御愛嬌である。さういふ意味合も込めて全方位的に高い完成度を誇る、前世紀の掉尾を飾る―今作は2000年末公開の、2001年正月映画である―に相応しい超強力な一作である。

 失はれつつあるものを惜しんでみせるのも柄ではないが、かういふ映画が何気なく飛び込んで来てみせるところが、量産されるプログラム・ピクチャーの一つの強みともいへるのではなからうか。

 以下は再見に際しての付記< 無理矢理吹かせたハモニカに喜悦する佳那子が、フと漏らした一言に白丸がハッとさせられるカットの鮮烈さに、改めて括目した


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 「禁断の記憶 人妻が萌えるとき」(2009/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:岡輝男/撮影監督:創優和/編集:有馬潜/録音:シネキャビン/音楽:レインボーサウンド/助監督:江尻大/監督助手:加藤学・小森俊平/撮影助手:丸山秀人・高橋舞/音響効果:山田案山子/現像:東映ラボ・テック/出演:小鳥遊恋・藍山みなみ・相楽かごめ・岡田智宏・丘尚輝・井尻鯛)。出演者中、井尻鯛(=江尻大)は本篇クレジットのみ。
 医師の宮園浩典(丘)と看護婦の松井美沙(相楽)が、断崖から転落したらしく、海岸で記憶を喪失した状態で発見された男の容態について語り合ふ。力なく車椅子に乗せられたクランケは記憶はおろか意識の有無すら判然とせず、まるで快方の兆しは見られなかつた。ここは正直関根和美ばりに時制の移動にメリハリを欠きつつ、一年前、宮園とは結婚三年目の妻・和音(かずね/藍山みなみ)は、明確な理由が語られるでなく早くもの倦怠を感じぬでもなかつた。その頃矢張り担当してゐた記憶を喪つた女の治療に供すべく、宮園はスケッチブックを押入れから引つ張り出す。そんなもの、別に新しく買へばいいのに。翌日、とはいへ間抜けな宮園が忘れて行つたスケッチブックを届けに病院に向かつた和音は、大胆にも白昼の診察室にて美沙と不倫に及ぶ夫の姿を目撃する。その際宮園は、和音の体はまるで鉄のやうに冷たいと、口汚く美沙にこぼす。妙に胸元も悩ましく露な女性患者の姿を見た和音は驚く、女は高校時代の同級生でピアノの天才と騒がれた、蕪木律子(小鳥遊)であつた。因みに、小鳥が遊ぶと書いて読みは“たかなし”、リアルで会つた体験はないが実在するお洒落な苗字である。和音は律子に、高校時代律子が和音にピアノを聴かせて呉れたこと、二人でピアノも弾いた上、接吻も交し肉体関係すら持つてゐた過去を伝へる。和音は美沙との一件を突きつけると宮園とは離婚、指を怪我しかつてのやうには必ずしも演奏出来ない律子と、ゆくゆくは二人でピアノ教室を開く将来の夢も見据ゑた新生活をスタートさせる。二人で出かけた楽しいショッピング、和音が手洗ひに外した隙に、通りがかつた岡田智宏が一人の律子に声をかける。こちらも同級生だつた稲葉正樹(岡田)によると、当時高飛車な蕪木と地味な和音こと旧姓小林との間に、和音が律子に語つたやうな接点はない筈だつた。過去を知る第三の男の出現に混乱を窺はせる律子を、和音は稲葉から強引に引き離す。
 他人の不幸に豪快に乗じながらも、和音が健気に築かうとした偽りの幸福が、稲葉の登場によつて俄に動揺を見せる展開の衝撃が映画的で実に素晴らしい。いふならば江戸川乱歩いはくの“現し世は夢、夜の夢こそ誠”を真正面から撃ち抜く物語は、まるで暗黒面に堕ちた際の渡邊元嗣のやうなプロットではあれ、かといつて全ての罪を藍山みなみにひつ被せはしない。幸薄い女が懸命に作り上げたこの場合必ずしも事実ではなくとも真実は、死を経ない生まれ変りも伴なひ美しく、そして力強く輝く。あくまでその限りで、因果応報をさりげなく予感させるラスト・カットまで含め正しく完璧。冒頭部分が少々整理されてゐないのと、美沙が患者を乗せた車椅子を押す、そこら辺の何の変哲もない児童公園でしかないロケーションの貧弱さにさへ目を瞑れば。矢鱈と特殊な患者の多い病院だなといふ点に関しては、さういふ専門病院だといふ好意的な解釈にでもしてしまへ。小鳥遊恋と藍山みなみ、若干のオーバー・ウェイトをムチムチと強弁して済ませられぬでもない、肉感的な2トップによる百合も強靭に麗しく、正直これまでの戦績は決して芳しくはなかつた加藤義一ダーク・ファンタジーの中では、屈指の成功例といへよう。

 一箇所微笑ましくチャーミングなのが、律子がスケッチブックに描いた妙に上手いピアノの絵を見た宮園が、律子はピアニストか音楽教師であつたのかと推測を巡らせる件。その素描は音楽教師といふよりは、寧ろ美術教師の手による水準に見える。出演者残る井尻鯛は、過剰気味の報ひも受ける稲葉が語つた現実の過去に登場する、自棄を起こした律子の恩恵に与る男、役得の極みである。
 再見に際しての備忘録< 開巻の車椅子男は、身を破滅させられたゆゑ崖から突き落としたものの、一命を取り留めた律子を、改めて始末しようとして和音に返り討たれた稲葉。即ち、劇中同じポイントから二回人が転落させられ一回未遂


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 「連続絶頂 イキまくる女達」(1995『エロドキュメント 超・変態実話』の2009年旧作改題版/製作:サカエ企画/配給:新東宝映画/監修:新田栄/構成:岡輝男/企画:中田新太郎/撮影:千葉幸男/照明:渡波洋行/編集:酒井正次/音楽:レインボー・サウンド/助監督:森満康巳/監督助手:北村隆/撮影助手:島内誠/照明助手:渡辺厚/効果:中村半次郎/録音:シネ・キャビン/現像:東映化学㈱/出演:佐賀照彦《某文学部学生》・鶴見としえ《アルバイト風俗嬢》・中川明《某広告会社勤務》・高野ゆかり《O.L》・愛田まなみ《O.L》・水沢まりも《O.L》・望月薫《風俗従業員》・野口慶太《ホスト》・大岡尚一《スナック店員》)。出演者中、野口慶太と大岡尚一は本篇クレジットのみで、中川明が今回新版ポスターには中川あきら。
 早稲田一文四年の松川雅彦(佐賀)は、卒論にも取りかゝらず零細広告会社「ワールド広告社」の、三行広告作成のアルバイトに応募する。雅彦を迎へたワールド広告社の北原(中川)は、自身が二文の出身であるのもあり雅彦を秒殺で採用する。これもある意味、学閥といへばいへるのか。その夜、丘尚輝でなく大岡尚一名義を使用した岡輝男が、接客も疎かに文庫本に目を落とすグラサンのバーテンを務める恐ろしく狭い店にて、北原は雅彦に、自分がワールド広告社で働き始めた当初の思ひ出話を語る。かつては文学を志し故郷も捨てたものの、当時の北原はあたかも現在の雅彦のやうに、行き詰まり煮詰まつてゐた。無断欠勤し燻つてゐた北原は、「掃除・洗濯・料理」といふ謎の風俗三行広告にフと惹かれ、女を自室に呼んでみる。現れた中年女・靖江(鶴見)は、家政婦のやうにテキパキと散らかり倒した北原の部屋を片付けると、暖かく美味しさうなうどんも振舞ひつつマッサージするだのしないだのといつた方便から、「けふは特別よ」を連呼する絶賛本番行為を展開。特殊な性癖の持ち主なのか何故かすつかり靖江に感激した北原は、麗しきエロ広告に進むべき道を見出したのだつた。
 配役残り高野ゆかりは、自分だか真実だかを探すだとか称して要はドロップアウトした雅彦に、ポップに匙を投げる彼女・美佐子。北原は雅彦を実地教育にと、建前上はその場で出会つた男女の会員が事に及ぶ秘密パーティー、「LUCKY 7」に繰り出す。地味に所々で見かける望月薫は、玄関先で二人を応対するだけの「LUCKY 7」従業員・薫。愛田まなみと水沢まりもは、愛田まなみが当初北原が見初める悦子、水沢まりもがさういふ流れで雅彦と対する格好になるみかげ。とはいへ最終的には、怒涛の4Pへと突入する。三枚目が妙に気取つてみせるのが微笑ましい野口慶太は、雅彦に復讐を期する美佐子がラブホテルに呼んだ出張ホスト・タケル。美佐子は雅彦の心を苦しめるために、ホストとのセックスの模様をビデオに収める。
 新田栄と岡輝男が監督と脚本ではなく、監修と構成を謳つてゐる点からも窺へる、過去には前年の「性告白実話 ハイミスOL篇」も想起される擬似ドキュメンタリーといふ体裁には、矢張り形式的にも一欠片の意味もない。今でいふところの、モキュメンタリーといふ用語を持ち出さうなどといふ気分は全く憚られてしまふほどに、実際の本篇は清々しく純然たる、何時も通りの水準の劇映画に過ぎない。その上での今作の特色は、ビリング二番手の高野ゆかりから水沢まりもまでの若い女優三人が、意外にも吃驚させられるくらゐ粒が揃つてゐる点。愛田まなみは正調のスレンダー美人で、コンビを組む水沢まりもはルックスとしては愛田まなみと好対照のアクティブさを具へる一方、プロポーションの方も愛田まなみに負けず劣らず美しい。高野ゆかりは首から上こそ些かの難を感じさせなくもないにせよ、絶妙に少女の匂ひも残すか細い肢体には、正直なところ下賤でもある嗜虐心が掻き立てられずにはをれない。高野ゆかりと野口慶太の濡れ場には、雅彦に対するリベンジといふ単なる煽情性に留まらない文脈を織り込むことにも着実に成功し、美佐子が元カレに対し「真実よ」とVHSビデオ―時代を感じさせるアイテムではある―を突きつけるカットには、まるでらしからぬ映画的緊張度が漲る。さうなると感動的に解せないのは、さういふ磐石な三本柱を擁しておきながら、何でまたわざわざ鶴見としえ(『エロをばさま』シリーズ第二弾での公称スペックを真に受けるならば、少なくとも当年41歳)が堂々と主演の座に坐つてゐやがるのか、といふ不条理なミステリー。オーラスも御丁寧に靖江が相変らず「けふは特別よ」の決まらない決め台詞を振り回す、今度は対雅彦戦で締め括つてしまふ頓珍漢は最早さて措き、高野ゆかり・愛田まなみ・水沢まりもの三人に謹んで全エモーションを集中して投入するのが正しい観戦体勢といへるのではなからうかと、腹を括る次第である。

 ところで今作、例によつて2003年に少なくとも既に一度、「変態実話 前から後ろから」といふ新題で新版公開済みである。


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