真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「それゆけ痴漢」(昭和52/製作:ワタナベプロダクション/監督:山本晋也/脚本:山田勉/製作:真湖道代/企画:渡辺忠/撮影:久我剛/照明:近藤兼太郎/音楽:多摩住人/編集:竹村編集室/記録:前田侑子/助監督:高橋松広/効果:中野忍/美術:岡孝通/スチール:津田一郎/制作進行:大西良平/制作担当:一条英夫/小道具:高津映画/衣裳:富士衣裳/タイトル:ハセガワタイトル/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東洋現像所/出演:泉リコ・北沢万里子・沢木みみ・笹木ルミ・尼紫杏・沢珠美・野田さとみ・松浦康・滝沢秋弘・深野達夫・竜谷誠・久須美護・岡田良・大山克則・久保新二)。出演者中、沢木みみがポスターには沢木ミミで、久須美護と岡田良は本篇クレジットのみ。逆にポスターにのみ、土羅吉良の名前が載る、自由だなあ。脚本の山田勉は山本晋也、企画の渡辺忠は代々木忠のそれぞれ変名。
 WP印のナベプロロゴから、往来の夜景挿んで、夜の公園へと繋ぐ。のは、いゝにせよ。矢竹正知ばりの、途轍もない無作為な暗さはどうにかならないものか。といふかどうにかせれ、商業映画だぞ。ベンチで致す高校生カップル(尼紫杏と、不完全消去法で岡田良/尼紫杏の役名は小百合)に、先輩後輩の痴漢コンビ・久保新二とヒロシ(滝沢)が右前方から回り込む形で無造作に接近。久保チンの劇中固有名詞はヒロシが“センパイ”としか呼称しないゆゑ、以後パイセンで通す。どさくさに紛れもせず二人が小百合の体に手を伸ばすはおろか、パイセンに至つては尺八まで吹かせる限りなく単なる乱交に近い痴漢現場に、警邏中の制服警察官(ポスターに名前が載る推定で大山克則)が介入。児戯的な追ひつ追はれつの末、世知辛い都会の痴漢に限界を感じたパイセンは、パクッて来た学生鞄の中から出て来たオリエンテーリングの入門書に触発。二冊目の『雪国』(いはずと知れた川端康成)で決定的に背中を押され、旅立ちを決意する。「吊り橋を抜けると、そこは痴漢の国だつた」云々。『雪国』冒頭を結構延々パロディした上で、門脇吊り橋(伊豆城ヶ崎)のロングにタイトル・イン。他愛ないヒロシのボケに対し、体重を乗せたエルボーなり頭突きでツッコむパイセンのブルータルさも楽しいが、受ける滝沢秋弘(a.k.a.滝沢明広)の「どわあ」が絶品。久保チンの「アシャアシャアシャ」や山竜の「ニニニ!」、ほかには螢雪次朗―あるいは黒田一平―の「ジャン!」同様。名物的なメソッドとして語り継がれてゐても別に罰は当たらなかつた、時代の流れの渦か泡(あぶく)に消えた慎ましやかな至芸、滝沢秋弘の「どわあ」がこの期に及んで胸に沁み入る。「どわあ」、ドワらせたら滝沢秋弘は日本一だらう、何だそのコンテスト。
 録音部の装備を携へた二人組・メグミ(沢木)とヤスコ(野田)の顔見せ噛ませて、立ちションするヒロシが、青姦カップル(笹木ルミと変なパーマの深野達夫)を発見。全体何がしたかつたのか、糸にメンソレータムを塗した釣竿―パイセン曰く如意棒―が、笹木ルミの菊穴に誤爆する、凄まじく下らない。
 配役残り、間違つても可愛らしくはなければ、本物にも絶対見えない。用途を何気に謎めかすクオリティの熊の着包みを持ち出し、健気に新田真子、もとい死んだフリをするメグミとヤスコに痴漢するパイセンに対し、「金のかゝつた痴漢やつてんなオイ」と感嘆してゐるのか呆れてゐるのかよく判らない松浦康は、地場の痴漢師・源三。覗きの源三略して、覗源なる異名を誇るらしい、異次元みたい。北沢万里子と、アテレコの久須美護(a.k.a.久須美欽一 or 久須美弦 or 夏季忍)は源三がパイセンとヒロシを覗きに案内する、農作業の傍ら野外夫婦生活に勤しむヨシコとマツジロウ。芸者や花魁ぢやあるまいし、花街感覚のチントンシャンを鳴らすちぐはぐな選曲に出鼻を挫かれる泉リコは、源三が畏怖する深い森の巫女。沢珠美と竜谷誠は、二人が矢張り源三のアテンドで凄い夜這ひに連れて行つて貰ふ、ものの。東京と伊豆を股にかけ、アバンを踏襲する野放図な闇に沈み、何をヤッてゐるのか本当に見えないタケとハナノジョウ。もうこんなの、女の裸の無駄遣ひ。
 吊り橋を痴漢の国に渡つたパイセンとヒロシが、各々下半身に可笑しいけれど深刻めなダメージを負ひ、からがら吊り橋を引き返し娑婆に戻る。即ち伊豆に行つて、伊豆から帰つて来る。今上御大こと小川欽也が後年完成した、現代ピンクの桃源郷・伊豆映画の萌芽ともいふべき山本晋也昭和52年第九作。我田引水、こゝに極まれり。
 必死で大人しく寝てゐる女を、チャチい熊の着包みが犯す、最早神々しいまでに独創的なシークエンス。文字通りの熊手では如何せん衣服を剥ぎ難い、マニピュレイト機能の否応ない限界を、カット割りで回避してのける論理性もキュート。沢木みみと野田さとみをぞんざいに通過した上で、北沢万里子―と久須りん―の下に三人で向かふ道すがら。何処の名画かと目を疑ふほどの、木洩れ日差す無駄に幻想的な超絶のロケーション。散発的な見所はそこかしこに見当たらなくもない割に、統一的な物語なり、明確な主題に端から関心を持ち合はせないと思しき、成行任せ出たとこ勝負のランダムな作劇が、面白いのかといふと決してさういふ訳でもない。量産型娯楽映画の塵を積もらせた大山を、賑やかす枯れ木の如き一作。しかも二段構への、藪から棒な怪異で締め括るオチも、木に竹を接いだ印象が甚だしい。とりあへず、折角それなり以上の女優部を揃へておきながら、乳尻を腰を据ゑ見させる最低限の誠意を、山晋にはもう少し弁へて欲しい。とかくこの御仁、裸映画を本気で撮る気があるのか否か、今一つピンと来ない、寧ろないのか知らんけど。

 話は一昨昨日に逸れるが、与太吹きついでで戯れにググッてみたところ、新田真子が今なほ同人のフィールドで大絶賛現役といふ、思はぬ方角から飛んで来た息の長さに軽く衝撃を受けた。2023年で何とデビュー四十周年、成年マンガ家の平均作家生活がどのくらゐの長さになるのか見当もつかないまゝに、論を俟たぬ数字で些末を圧し潰し得る、偉大な継続にさうゐない。


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 「セミドキュメント 《秘》女肉市場」(昭和51/製作:ワタナベ・プロダクション/監督:代々木忠/脚本:池田正一/製作:真湖道代/企画:渡辺忠/撮影:久我剛/照明:近藤兼太郎/編集:中島照雄/音楽:多摩住人/助監督:高橋松広/効果:秋山サウンド・プロ/美術:日本芸能美術/小道具:高津映画/記録:前田侑子/制作進行:大西良平/タイトル:ハセガワ・プロ/制作担当:一条英夫/録音:大久保スタジオ/現像:東洋現像所/弾語り:東小川万吉・GEN.BAND 瀨戸雄二・江野光治・人見重蔵・川内博隆/協力:レストランホテル 目黒エンペラー前橋 群馬県勢多郡大胡町 TEL 0272-83-3211㈹・ナイトレストラン じゅれびあん TEL 988-4646/出演:真湖道代、南ゆき、ティミ杉本、乱孝寿、山下まゆみ、岡田あや子、秋川瑞枝、ウィリアム・キャンディー、ミス・ボンボン、堺勝朗、市村譲二、深野達夫、森一男、滝沢秋弘、土羅吉良、坂本昭、三條敏夫、高宮俊介、佐々木清人、高瀬竜、岩田富夫、北野清二、小波兼/ナレーター:都健二)。出演者中、南ゆきとティミ杉本が、ポスターでは南ユキとティミー杉本、ウィリアム・キャンディーと滝沢秋弘以降は本篇クレジットのみ。企画の渡辺忠は、代々木忠の変名。
 ナベプロ作ロゴから、南ゆきが湯に浸かる掴み処を欠いたロングにサクッとタイトル・イン。人妻(南)とホストクラブ「ムゲン」(表記不明/現存する大阪のMUGEN Groupとは多分無関係)のナンバーワン・ハヤミジュンイチ(深野)の、同伴出勤を見据ゑた逢瀬。寧ろ誰か真に受ける者が存在してゐたのか、甚だ怪しいレベルの正しく形だけともいへ、“セミドキュメント”の御題目を遵守し素面の劇映画的には中途半端に離れた距離を保ちつつ、気が向くと普通に寄つてもみせる、とかく安定しないカメラ位置が視覚的に如実な特徴。挙句油断してゐると、乳でなく結合部付近の尻を狙つた、藪蛇か闇雲なズームも唐突に仕出かしてみたりする。久我剛の持ちメソッドとも思へないゆゑ、ヨヨチューから特別な指示でも受けたのであらうか。あるいは、限りなく乱心に近い、単なる偶さかな気紛れに過ぎないのかも。それと今回この期に学習したのが、正常位で挿したまゝ終に体位を移行しないと、俳優部が少々オーバーアクト気味に頑張つてみせたところで、動きを欠いた画が如何せん漫然としてしまふきらひは否めず。兎に角、オッパイが男の背中に隠れ見えないのが根本的な致命傷、本末転倒こゝに極まれり。兎も角、一直線に結婚を望んで来る―既婚者の―南ゆきに対し、親爺の遺した借金だ病気のおふくろだと、ハヤミは適当に話を濁す。
 配役残り、「ムゲン」店内で最初に飛び込んで来るのが、意表を突いて東小川万吉。要はキャバレットな生演奏担当といふ格好で、のちに登場するGEN.BAND共々、結構ふんだんに尺を割いて貰へる。東小川万吉を出発点に右から左へグルーッと一望する中、視認出来たのはやさぐれたトルコ嬢のヒロコ(ティミ杉)と、ベテランで三の線のカワナトシヤ(堺)。外国人旅行者(ウィリアム・キャンディーとミス・ボンボン)を、一対二で引き受けるマツキヨウジ(市村)。今回、着衣の状態でカワナにハモニカを吹くやう強ひるに止(とど)まるミス・ボンボンが、一ヶ月後の木俣堯喬昭和51年第一作「ポルノ・レポート 金髪パンマ」(Missボン・ボン名義)に於いては黒い肉襦袢ぶりを豪快に大披露、観るなり見た者の心に傷を残す。閑話、休題。アキちやんと呼ばれる大体ヒムセルフ(滝沢)に、新人なのか、受付的な業務を主に任される土羅吉良。この人がホストなのか、懐の深い店だ。その他、札片をバラ撒いてはカワナに食べられないものを食はせる、陽気は陽気な乱孝寿の狼藉噛ませて、「ムゲン」に初来店するナミキ夫人が真湖道代、女優部としてはラスト・イヤーにあたる。若手ホープ格のダイゴは、ビリング的に森一男かなあ。ハヤミが同伴出勤する信用組合の事務員は、一濡れ場こなす以上山下まゆみ、の筈。あと比較的大きめの役だと、ハヤミがナミキ夫人の身上調査を依頼する、興信所の探偵が判らない。
 マツキが強い胃薬に表情を歪める洗面所に、ハヤミも現れる。皮肉交じりに上辺だけ気遣ふ若きNo.1に対し、マツキが寄越した捨て台詞が「頂上に立つた人間は、あと下るだけだ」。かつてどころでなく刹那的に短いスパンで、マツキとハヤミが交した―のと見事に全く同じ―会話を、今はハヤミとダイゴが交す。何だかんだ生き残るのはプライドを捨て、おこぼれを預かるジャッカルに徹する、カワナで案外あつたりもする。 “女肉市場”とか煽情的に謳ひながら、要はホスト残酷物語なるどちらかといはずとも、男優部がよりフィーチャーされた量産型裸映画的には変化球作。ハヤミが別宅に使用してゐる、今でいふ映える高級ホテルの一室に結婚結婚煩はしい南ゆきを先に入らせた上で、自分は後から来る体でカワナを遣はせる。そのまゝ送りならぬ向かひ狼で堺勝朗が二番手を手籠めにした事後、頃合ひを見計らひやつて来たハヤミが、他のホストと寝た南ゆきを捨てる。実も蓋もない展開に面白味も特段見当たらないが、とりあへず腹を立てるほど破綻してゐる訳でもない。螺旋階段で戯れる、ティミ―杉本と堺勝朗の局部がこれで映り込まないのが不思議な、別に特殊な技巧を駆使してゐる風にも映らない超絶撮影と、真正面からど直球の告白を敢行するものの、マツキは結局ナミキ夫人をハヤミから略奪し損ねる。小雨の中、トレンチの背を丸め往来に文字通り敗れ去る、市村譲二(a.k.a.市村譲)の哀愁漂ふ長回しが数少ない見所。カワナが乱孝寿に魚の骨を食べさせられ、目を白黒させられるのがラストカット。芳醇な堺勝朗の顔芸が、何気に最後は綺麗に締め括る。


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 「ペッティング・モンスター 快楽喰ひまくり」(2021/制作:VOID FILMS/提供:オーピー映画/脚本・監督:山内大輔/撮影監督:藍河兼一/編集・VFX:山内大輔/録音:光地拓郎・大塚学/ベロデザイン 造形・特殊メイク:土肥良成/ガンエフェクト:浅生マサヒロ/ラインプロデューサー:江尻大/制作進行:神森仁斗/助監督:谷口恒平/監督助手:吉岡純平・栗原翔/音楽:Project T&K/効果:AKASAKA音効/撮影助手:赤羽一真/特殊メイク・造形助手:李華㬢/ポスター:本田あきら/仕上げ:東映ラボ・テック《株》/出演:きみと歩実・篠崎かんな・七菜原ココ・加藤ツバキ《特別出演》・安藤ヒロキオ・可児正光・森羅万象)。出演者中、加藤ツバキの特出特記は本篇クレジットのみ。
 ピントを外された、“何か”ゐる水槽にタイトル・イン。結論を先走ると下手糞なくさめが、何某か演出企図があるものやら単なる不調法に過ぎないのか、最後まで判別しかねる森羅万象が薄汚れたオーバーオールでほてほて歩いて来るロング。に、全篇通して徒に乱打か濫用される、虚仮脅しの大仰な劇伴を鳴らす珠瑠美主義、縮めてルミズム。国産有機大豆使用を謳ふ「おいしい納豆」の販売員・三沢(森羅)が、小さなクーラーボックス一つ携へ得意の江口家を訪問、結婚三年目のマリカ(きみと)が藁包を三つ買ふ。まあた随分と、のんびりした商売ではある。その夜、マリカの夫・裕樹(安藤)が四日後の週明けからといふと、出し抜け通り越して出鱈目なオマーン赴任を報告、何て雑な会社なんだ。兎も角その日の夫婦生活と、何気に三沢とも交錯する裕樹の出発後、宅配便を持つて来た裕樹と同じ容姿の男(安藤ヒロキオの二役目)にマリカが犯される、ワンマンショーのオカズ妄想を経て。後始末するマリカに、五年の疎遠といふと結婚式にも呼んでゐない妹のユイカ(七菜原)から電話が入る。や否や、何処からかけて来たのか観音様も乾かぬ早さで、二人ともパチ屋のバイトを馘になつた彼氏のミキオ(可児)と、ユイカが収容人数には余裕のある姉宅に転がり込んで来る。傍若無人な妹カップルにマリカが普通にキレる中、裕樹から国際電話が。ユイカ曰く残して来た姉のケアを義兄に頼まれた旨、マリカが不平を唱へると君は一人つ子であつた筈だといふ裕樹は、続けてマリカに、ペットのプレゼントを用意しておいたと告げる。ユイカらに貸したつもりの、子供部屋(予)にマリカが入つてみるとそこには水槽があり、大人と同じくらゐの大きさの舌を常時文字通りべろーんと出した、一つ目で棘の生えた謎の生き物“ベロ”が入つてゐた。何に一番近いかと問ふならば、ガヴァドン幼生かな。
 配役残り、矢張りマリカを犯す可児正光二役目の宅配配達員と、裕樹が客死し悲嘆に暮れる、マスカラが溶けザ・クロウみたいなマリカを拾ふ安ヒロ三役目のガテン系。に続く加藤ツバキは、ガテン裕樹がマリカの以前に抱いた、矢張り未亡人の沙月弥生。特別出演ゆゑ、精々下着までしか脱がないものかと思ひきや、オッパイを御披露なさる豪気には軽く驚いた。篠崎かんなはマリカを訪ねる、弥生も組合員証を首に提げるNPO法人「全日本未亡人組合」の、城東地区リーダー・佐藤灯里。2014年発足で三万人弱の加入者を擁する「全日本未亡人組合」が、「全国未亡人連合」の後身組織といふのは、坂本太を悼むためだけに吹く与太。その他、加藤ツバキ第二戦の相手を務めるガテン系カニ・クルーズも登場。灯里がお尋ね者であるらしき風情と、ガテン裕樹の正体を埋める。
 七月末封切り、とはいへ。事情は知らないが映倫審査を受けたのはその十三ヶ月前、ともなると。凡そ四ヶ月前に公開された「淫靡な女たち イキたいとこでイク!」(主演:加藤ツバキ)よりも確実に、先に撮られてゐさうな山内大輔2021年第二作。ベビーブーム・マサ( a.k.a.廣田正興)の「魔性尻 おまへが欲しい」(2020/共同脚本:今奈良孝行/プロデューサー:榊英雄/主演:知花みく/二番手)からピンク二作目の篠崎かんなも、2020年七月末で引退してゐる。なので、こゝで谷口恒平は継戦するのか!?なんて、脊髄で折り返して色めきたつのは恐らくぬか喜び。
 人の言葉をも話す怪生物(CV不明/CはCreatureのC)と、存在するのか否か覚束ない妹。納豆の配達員は、回転式も持つて来る。おどろおどろしく且つキナ臭いサスペンスが、棹の休まる暇もない重量級の絡み絡みを、事実上独り身のマリカが溺れる、自慰イマジンの形で一点突破。効果的に虚実を混濁させつつ、剛腕の裸映画として見事に成立する、前半は。後半、要はハネムーン作戦的な生物兵器の大風呂敷をオッ広げると、第三勢力なのか政府反政府の何れかから分派したのか瞭然としない、全未組の立ち位置といふ結構根本的な疑問には強ひて目を瞑れば、如何にもありがちな結末ながら案外スマートな力業で、映画を大破させもせず綺麗に硬着陸。そもそも無理の多い強奪作戦の立案に関しては、それをいひ始めてはこの手の物語は片端から成立しない。損壊後の人体程度ならば兎も角、銃弾が貫通する特効には不意を突かれた。展開の収束に尺を割かざるを得なかつた結果、締めのシン・夫婦生活を主に、終盤裸映画的な失速は否み難い反面、実は争奪戦に全く絡まない、弥生即ち加藤ツバキが要は概ね木に濡れ場を接ぐためだけに、わざわざカメオ出撃する豪快さが清々しい。神が宿りもしない、微に入り細を穿つ悪弊に戯れるなら穴だらけともいへ、強引な力業は強引なりの絶妙な力加減まで含め、そこそこ底堅い一作。川辺に佇む加藤ツバキとタイトルバックを中心に、引いた画の強さが、そこかしこで映画を救ふ。
 尤も、だからベロの食料は人間の粘膜から出る体液だと裕樹から聞いてゐるにも関わらず、餌をやらうとするマリカが所謂バター犬的に表皮を舐めさせるのは、幾らきみと歩実のオパーイ感溢れるオッパイを見せる大義を優先した結果ではあれ、大人の娯楽映画としては些か通り辛いプリミティブなツッコミ処。ひとまづ先にハモニカを吹かせてからで、別に罰は当たらないやうな気がする。あと、介錯役に恵まれなかつた点も酌めなくはないものの、出番自体極々僅かな、二番手の脱がなさぶりが地味に衝撃的。

 世にいふ“かういふのでいいんだよ”を極めた覚悟完了のエロ映画、2019年第一作「若妻トライアングル ぎゆつとしめる」(桜木優希音と真木今日子もまりかと茉莉花)。正にマリカの扱ひに関して、旧弊なミソジニーが古色蒼然通り越して、古色惨憺たる2020年第二作「つれこむ女 したがりぼつち」に続く、マリカ・サーガ第三作。とか、気紛れに掻い摘みかけて。遠くエクセスに遡るか里帰りする幻のプロトゼロ作、2007年第三作「性執事 私を、イカして!」(主演:中島佑里)があるのを完全に忘れてゐた。もしかしたら、十有余年に亘る量産的創作活動の末、山内大輔当人も忘れてゐるのかも知れない。


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 「セミドキュメント オカルトSEX」(昭和49/製作:ワタナベ・プロダクション/監督:山本晋也/脚本:山本晋也/製作:真湖道代/企画:渡辺忠/撮影:久我剛/照明:近藤兼太郎/編集:中島照夫/音楽:多摩住人/助監督:城英夫/効果:秋山サウンドプロ/記録:前田美江子/製作主任:加藤良三/録音:大久保スタジオ/現像:東洋現像所/協力:ホテル 目黒エンペラー (03)492-1211㈹/出演:野上正義・堺勝朗・鏡勘平・乱孝寿・志摩京子・美鈴アイ・南スミ・早川リナ・仁科鳩美・葉山ジュン・吉沢恵子・木村典子・杉本可憐・松原ヨミ江・久保新二・滝沢明広・福岡三四郎・鶴丸昌治・西野泰)。さあて、あれこれ盛沢山。出演者中、美鈴アイと南スミに葉山ジュンが、ポスターでは美鈴愛と南ゆきに多分青葉純。鏡勘平と吉沢恵子・木村典子、松原ヨミ江以降は本篇クレジットのみ。逆にポスターにのみ、愛川彩なる謎の名前が載る、何で然様に好き勝手なのか。監督と脚本の別立ては、本篇クレジットに従ふ。企画の渡辺忠は代々木忠の変名で、製作の真湖道代は同じくヨヨチューの配偶者。二人の結婚が博く昭和42年(真湖道代当時十七歳)とされてはゐつつ、自身を回顧した「週刊代々木忠」の第五十五回「妻」によると2010年の四十一年前とされてゐるゆゑ、さうなると昭和44年にあたる。それと、本クレで拾はれて別に罰は当たらないナレーターの都健二が、今回は等閑視。
 赤バックのナベプロ作ロゴから、ウォーターベッドで志摩京子と、秋弘でなく明広なのは本篇クレジットまゝの滝沢明広が大絶賛真最中。お二人がヤッてはる画に、「愛の言葉で始まる性愛のスタートは」、「肉体といふ物理的愛撫によつてその最高潮を迎へます」。例によつて、生硬な声色含め無闇に観念論的な調子は徒な意匠に過ぎず、テキストの中身自体にも別に意味はない都健二のナレーション起動。ただ今回のミヤコレーションが一味も二味も違ふのが、男のナニから女のナニに脳波改め“性波”を送る性的念力、テレパシーならぬその名も“ポルノパシー”!の存在を晴々しくか白々しく宣言。画期的は画期的な珍機軸を謡つた上で、空想科学的なタイトル・イン。タイトルバック込みのタイトル前後と締めの濡れ場で再度使用する、膣内視点を得るための模型が観音様の方が矢鱈広大すぎて、棹が鉛筆の如くか細く映る女大男小な違和感が否応ない、春川ナミオの世界か。
 志摩京子と滝沢明広はタイトルバックまでで御役御免、とはならず、本篇冒頭も一絡み完遂で飾つたのち。ある意味最大の衝撃がガミさんが晩酌がてら見てゐるテレビ番組の形で、大橋巨泉が司会のユリ・ゲラーを特集した木曜スペシャルを、結構な長さ堂々と拝借してのける大概な昭和のフリーダム。斯くも無法な代物、おいそれとソフト化出来る訳がない、配信してゐるだけで他人事ながら冷や汗が出る。とまれ、すつかり感化されスプーンに曲がれ曲がれと念を送る斎藤三郎(野上)を、「曲がるくらゐならその前に勃つて欲しいは」。一週間御無沙汰の入り婿を、妻の節子(南)が明確な敵意を以て揶揄する。
 辿り着ける限りの、配役残り。ビリング順に堺勝朗と鏡勘平に早川リナは、三郎が籍を置く営繕課の田中課長と福田係長に坂東光子。ポスターでは、一応早川リナが先頭。次いで南ゆき、美鈴愛と続く、誰なんだスミ。一切の脈略を華麗か豪快にスッ飛ばすデフォルトで、要は狙つた女をモノにするポルノパシーの使ひ手―田中自身の用語では“念力SEX”―である課長が、斎藤と係長に吹聴する自慢話中、オトしたホステスが正直固定出来ないが上から潰して行くビリング推定だと葉山ジュン。往来の暗がりでは一瞬美人に見えた、吃驚するくらゐ若い乱孝寿は偶さかミーツした斎藤と忽ち連れ込みにて事に及ぶ、傍目には立ちんぼにしか見えない女。の正体が、実はやくざ(久保)とコンビの美人局。ガミさん&堺勝朗となら何時でも何処からでもジェット・ストリーム・アタックを撃てる、久保チンが係長とは邂逅する機会も与へられず一幕・アンド・アウェイ。念力マージャンで大勝ちした斎藤が豪遊する夜、多分キャバレーの「ハワイ」から持ち帰る女は仁科鳩美。順番に数へてみると六番手に沈む下位が、不遇と難じるほかない結構な逸材。結論を先走るとどうせ本筋といふほどの本筋も存在しないのだから、誰が重きを置かれるもへつたくれもなからう。美鈴アイは交通違反を取り締まる様子に、斎藤が見境なく欲情する婦警。その他主だつたところだと、斎藤が光子に念を送る公園にて、係長もトライしてゐたポルノパシーが誤爆する男と、制服婦警が―斎藤と―やつて来たのに、慌てる目黒エンペラーのフロント嬢が特定不能。地味に大きな謎が、美鈴アイに切符を切られるスズキジュンイチ。当時二十二歳につき、鈴木潤一を平仮名表記にしたすずきじゅんいちであつたとしてもおかしくはないものの、満足に首から上を抜いては呉れない以上―抜く必要もないんだが―何れにせよ断定はしかねる。
 先に挙げたユリ・ゲラーの木スペ「特集!驚異の超能力ユリ・ゲラーのすべて」の放送日が四月四日で、今作の封切りが八月三日。鉄を熱いうちに打ちのめすにもほどがある、山本晋也昭和49年第六作。“FUCK自在のポルノパシー(性的念力)を徹底解剖!!”、ポスターに踊る根も葉もない惹句が清々しい。
 端から田中が会得してゐるポルノパシーを、田中に師事するでなく、斎藤も何となく会得。有難味があるのだか矢張りないのか判断に苦しむ展開が、場当たり的なエピソードの羅列に過ぎないまゝに、迷ひも惧れも捨てた勢ひ勝負で駆け抜ける。よくいへば山晋らしい一作が、2022年視点でワーキャー喜ぶに値するのかと問ふならば。甚だ怪しいか心許ないといふのが、直截な偽らざる当サイトの回答。出し抜けであれ何であれ、琴線にヒットしたのは大胆にも営繕課のオフィス内。劇中最初に、田中のポルノパシーが光子に対して発動する件。目をヒン剥いた堺勝朗と、所謂メスの顔になる早川リナ。ガチョンガチョン寄るズームも乱打する二人のカットバックで、飛躍の高いシークエンスを力任せに捻じ込む剛腕のアバンギャルド演出と、先述したお昼休みの公園から、斎藤と福田が帰社したのが二時半。大目玉を落とす田中の、「何処の時計見たつて二時半なんですよ!」には普通に声が出た。軽演劇の素養を持ち元々オールドスクールの喜劇俳優たる、堺勝朗が他とは一味も二味も文字通り役者が違ふ。最終的に斎藤が辿り着いたポルノパシー通り越したセクソキネシス―今思ひついた適当な造語―の境地といふのが、挿入した節子の観音様の中で、棹をグキッと曲げる―実際に“グキッ”と音効を鳴らす―荒業・オブ・荒業。正直シンプルに痛さうで、抜けなくなりはしまいかとか無用の心配が先に立つスリリングなオチはこの際さて措き。赤バックに手書きのスーパーで、ポルノ映画のボカシが消えよと念じる旨促す、煌びやかに馬鹿馬鹿しい大オチがケッ作、誰も傑作とはいつてゐない。エンドマークも“終”なり“完”なり“FIN”等々でなく、“念”と入れてのける念の入れやう。離れすぎてゐて、意味が判らないけどね。


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 「絶品つぼさぐり」(昭和52『絶品つぼ合せ』の何題?/製作:ワタナベプロダクション/監督:渡辺護/脚本:門前忍/製作:真湖道代/企画:門前忍/撮影:久我剛/音楽:多摩住人/出演:南ゆき・安田清美・長谷圭子・三田恵胡・関多加志・港雄一・松浦康・木南清・五反田二郎・尾川磬・青柳康成・神原明彦)。脚本と企画の門前忍は、渡辺護の変名。
 最初に難渋な状況に関して抗弁、もとい整理しておくと。「絶品つぼさぐり」なる映画は、恐らく存在しない。ラストならぬ、衝撃の冒頭かよ。渡辺護昭和52年第三作「絶品つぼ合せ」と、同じく真湖道代製作で、真湖道代の配偶者である代々木忠の昭和55年第三作「セミドキュメント つぼさぐり」を、混合か混同したチャンポン題ではなからうか、チャンポン題て何だそれ。ソクミルの「絶品つぼさぐり」と、シネポの「絶品つぼ合せ」。二つの全く別個のサイトで同じ粗筋を窺ふに、「つぼ合せ」≒「つぼさぐり」でまづ間違ひないものと思はれる。問題が、日活公式とjmdbで上映時間が六十六分とされる「つぼ合せ」に対し、ソクミルの配信と、nfajが「つぼあはせ」のタイトルで所蔵してゐる16mmプリントは五十八分。8/66すなはち八分の一弱、結構派手に短いよね。挙句といふべきか、単なる半ば因果に過ぎないのか。今回視聴した元尺より多分八分短いストリーミング動画には、一応ど頭にタイトルは入るものの、渡辺護はおろか南ゆきさへクレジットは一切ない。抜けの方が多いスタッフはjmdbと日活公式、ビリングはオクに出てゐるポスターの画像から拾つて来た。と、いふか。誰が出てゐて誰が撮つてゐるのか、自力でどうにかしないと辿り着けない代物、何処のアングラだ。
 のつけから尼が張尺を吹いてゐるのに、さぐるどころか「つぼ合せ」ですらないのかと絶望しかけたのは、首の皮一枚繋がる早とちり。女と男の―画面―手前には、客もゐた。新人王戦に於ける、後遺症が残るほどの落車事故でドロップアウトした元競輪選手・シバタゴロウ(関)と、籍を入れてゐると思しきアサコ(南)が白黒ショーを終へての帰途。ゴロウは足が不自由で、アサコも風邪気味。草臥れた二人が寄り添ひながら長い階段を下りて来る、温泉街ロングの壮絶なエモーションに息を呑む。言葉は雑だがダメ人間をダメなまゝでなほカッコよく、美しく撮る。映画の慈しみに満ちた長く回すショットが、序盤・オブ・序盤にして火を噴く今作のハイライト。二人が帰還したのは、一応芸能プロダクションの体ではあるエイトプロダクション。マユミ(安田)の相方・キンコ(結局ぎりぎり不脱の三田恵胡)が風邪をひいて休んだため、蜻蛉の交尾にアテられた女学生が百合の花咲かせる筋立ての、白白ショーにアサコが再出撃させられる。
 配役残り、順番を前後して松浦康がエイプロ社長のカツタで、港雄一が兄弟格の岩さん。引退後身を持ち崩したゴロウが、博打で作つた借金の形にアサコ共々筋者のカツタに捕まつた格好。a.k.a.君波清の木南清は、二人が出会ふ小料理屋の親爺。長谷圭子は、自分達―だけ―の座敷にアサコとゴロウを呼んだ上で、アサコが気がつくと並行する形でオッ始めてゐる豪快さんカップル、男は五反田二郎かなあ。雑な白塗りのゴロウとアサコが呆然と見てゐる、もしくは見させられてゐるしかない、突き放した画が笑かせる。俳優部の顔を平然とブッた切る、明らかに元版とは異なるにさうゐないアスペクト比からへべれけなんだけど。解散したのが大山組なのか東西組なのか混濁する、脚本の不安定さはこの際さて措き、娑婆に出て来た大山組の松岡が、子分二人を連れ伊香保のシマをカツタらから奪還すべく動き始める。子分二人が五反田二郎でないなら、尾川磬と青柳康成なのは確実。眉を剃つた角刈りと、ギターウルフにゐさうなトッぽいグラサンの別は知らん。ただそれなりに精悍な松岡が、恰幅系の神原明彦にはどう見ても見えないぞ。その辺り、二三本ピンクに陰毛を生やした買取系がパブで平然と嘘をつくのに加へ、本クレも見当たらない以上最早万事休す。
 全ての濡れ場を中途で端折る小癪な不誠実については、消失した八分に免じて一旦等閑視するほかない。無造作に酷使された末、ショーの最中ゴロウは卒倒、不能になつてしまふ。アサコに客を取るやう強ひるカクタに対し、ゴロウとアサコが出奔を画策する一方、エイプロもエイプロで、松岡の出所を受け忽ち危機に見舞はれる。物語が大きく動揺する、中盤から終盤に至る展開までは割と磐石であつたのに。カツタから手篭めにされた、アサコの方をゴロウが責め、アサコもアサコで従順に詫びてみせる―それは従順ではなく盲従だ―地獄の如きシークエンスに、呆れ果てブラウザごと叩き閉ぢるのはまだ早い。その流れでゴロウがアサコを犯すプライベートの夫婦生活を通して、役立たずの役立たずがまさかの回復を遂げる絡みを感動的なクライマックスに設定する、煌びやかなほどの旧弊さこそ渡辺護が渡辺護たる所以。鉄砲玉を買はされたゴロウが、射殺したつもりの松岡が実は弾が外れてゐて、生きてゐるのを自首しに向かつた派出所の表で遠目に目撃。なあんだ、死んでゐなかつたのかでアサコと新しい人生をのほゝんと歩き始める。とかいふ底の抜けたハッピー・エンドはある意味衝撃的、量産型娯楽映画を実際に量産する修羅場の喧騒に於いてのみ許された、一筋縄で行かぬ凄味に眩暈を禁じ得ない、許されたのか。そもそも、角刈りが始末して呉れるカツタはまだしも、何がどうなつてゐるのか本当に判らない壮絶な画質の中、ゴロウを始末しようとした岩さんを、アサコが投石?で殺害する最低正当防衛は何処の棚に上げた。どうも当サイトは、事ある毎に何かと、渡辺護が有難がられるところのこゝろを未だ理解してゐない。

 もひとつ、フレーム外から手動で飛び込んで来る棒状の何かで演者の局部を隠す、原初的なフィジカル修正が琴線に触れる。ヒョイッ、擬音の耳に聞こえて来さうな風情が絶妙。


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 「愛人妻 あぶない情事」(昭和63/製作・配給:株式会社にっかつ/脚本・監督:片岡修二/プロデューサー:半沢浩・進藤貴美男/企画:塩浦茂/撮影:志村敏雄/照明:斉藤正明/録音:酒匂芳郎/編集:冨田功/助監督:橋口卓明/色彩計測:片山浩/選曲:林大輔/現像:東映化学/製作協力:フィルム・シティ、獅子プロダクション/衣裳協力:ジャスメール/出演:浅間るい・堀河麻里・瀧口裕美・池島ゆたか・清水大敬・外波山文明・長坂しほり・下元史朗)。出演者中、清水大敬がポスターではa.k.a.の石部金吉になつてゐて、長坂しほりには特別出演の括弧特記。
 艶めかしく御々足をストッキングに通す瀧口裕美(ex.藤崎美都/a.k.a.滝口裕美)の、傍らに浅間るいと堀河麻里、のみならず。カメラが更に引くと、ノンクレ女優部が周囲にもう二人ゐたりしてタイトル・イン。必ずしもビリングに囚はれない旨、何気に表明する率直なアバンではある。
 ズンドコ十人弱でエアロビクス、常々拗らせてゐるが当サイトは、80年代を憎悪する、何となればダサいから。とまれエアロビがてら、三本柱のイントロダクション。都会の女を気取る倫子(浅間)は地下への下り口で派手にスッ転び、バニーガールのサエコ(堀河)は給仕する際豪快に粗相。そして自動車整備士のケイ(瀧口)が、四苦八苦弄つてゐた車をボガーン★と黒煙吹かせる。改めて後述するとして、実質先頭を走るトリオ編成ヒロインの一角が自動車整備士とか、何て画期的な映画なんだ。よもやまさかのドリフ爆破に藪から棒も厭はずオトすためだけの、破天荒な造形に震へる。よしんば偶さかであれ何かものの弾みであれ、片岡修二には天賦の才が降つて来る瞬間がある模様。は、さて措き。パッとしない日々にありがちなフラストレーションを燻らせる三人は、スワップ誌に想を得たケイの音頭で、各々の愛人を募集するオーディションを開催する運びに。
 配役残り、三人同時のフレーム・イン、控室的な廊下に居並ぶ池島ゆたかと下元史朗に清水大敬が、栄えある審査合格者。順にサエコの愛人となる、一介の公務員だてらに株で儲けた小金持ちの園山高志―フルネームで名乗る―と三河屋を経営する佐伯に、のち表札が抜かれる青年実業家の野沢俊介。佐伯の履歴書が刹那的に映り込みつつ、画数的に下の名前が恭司ではないぽい。野沢は倫子の愛人、被つたケイが佐伯に身を引く。外波山文明はケイから―毛皮のコートに続き―ダイヤの指輪を強請られ音を上げた佐伯が、半ば泣きつくやうにケイを紹介する宝石店店主の沼田。この人の沼田役に大いなる既視感を覚え、別館を漁つてみたところ昭和61年第二作「SM・倫子のおもらし」(主演:下元史朗・早乙女宏美)のほか、驚く勿れ片岡修二の代表作的シリーズ「地下鉄連続レイプ」の、無印第一作(昭和60/主演:藤村真美)・第二作「OL狩り」(昭和61/主演:北条沙耶)・第三作「制服狩り」(昭和62/主演:速水舞)、驚愕のシリーズ三作連続含む、確定もしくは判明分に限つても四本出て来た。一応お断りしておくと、続く最終第四作「愛人狩り」(昭和63/主演:岸加奈子)にも外波山文明は皆勤してゐるものの、単に役名が判らないだけである。当然、更に相当数の外波文沼田作が存在するのにさうゐない。と、いふ以前に。そもそもそれならば下元史朗の野沢俊介や、池島ゆたかの園山高志はなほ底の抜けた数字になるぞといふ話でしかない。あゝ量産型娯楽映画ならではの、清々しさよ。閑話、休題。枝葉なのか本筋なのかは議論の分れさうな、極大問題の当事者となる長坂しほりは、野沢の本妻・亜紀子。その他エアロビあるいはズンドコ隊と、三人の概要に見切れるイントロ部。選抜応募者ならび劇中それぞれが使ふ飲食店要員に、野沢と亜紀子の息子・俊輔役の正真正銘男児、総勢二十人前後がそこかしこに投入される。その中で、若干の台詞も与へられる福々しい禿の愛人選考落選者が、軽く喉を絞つた外波山文明のアテレコ。それは果たして、与へられてゐるといへるのか。
 買取系かと勝手に思ひ込んでゐたら、フィル街なり獅子プロが製作協力に置かれてゐる点を窺ふに、どうやら本隊ロマポであるらしき片岡修二昭和63年第二作。もしも仮に万が一、現にさうであつた場合片岡修二にとつて、最初で最後の本隊作となる。に、しては。長坂しほりを除き、面子的には矢張り買取風味かも。
 三人の女が三人の男を捕まへて、住めばいゝのに要はヤリ部屋に億ションを買ふ、藪蛇なラブアフェア。ただ、その底の抜けたお気楽さも、昭和の豊かさに拠るがゆゑに成立し得た、この期に及んでは枕を濡らすレガシーであるのやも知れない。古本屋の棚の守り神、もというつむきかげん―桃井かおり著、今でも守つてゐるのかなあ―な繰言は兎も角、倫子とケイの当初希望が、野沢で正面衝突。倫子の提案による、逆に二人の何れかを野沢に選ばせる解決策に対し、脊髄で折り返して倫子に野沢を譲つたケイ曰く、「男に主導権握らせたら意味ないもん」。最初からリーダー的に倫子とサエコを引つ張る能動性に加へ、ケイの瞳には、明確な女性主体の思想が輝いてゐる。全盛期の下元史朗をも擁する、男優部込みでも実は瀧口裕美の眼差しが最も強い。亜紀子の存在に尻尾を巻いて来た倫子に、ケイは野沢に文字通りの二者択一させるやう促した上で、「あんたアタシにはさういつたんですからね」。亜紀子も倫子もものともせず、野沢を奪ふ腹をケイが決め詰め寄る際には、「アタシは気にしません」、「奥さんがゐても、愛人がゐても」。大して通つてもゐない癖に何だが、片岡修二史上屈指とすら思へる名台詞・オブ・名台詞を、三番手の位置から瀧口裕美が撃ち抜くカットが、裸を忘れた裸の劇映画として一撃必殺のハイライト。思ひ起こすに、堀内靖博第四作にして最高傑作「桃尻ハードラブ 絶頂志願」(昭和62/主演:脚本:内藤忠司)に於いても、藤崎美都は二人ぼつちのマジカル・ラバーズ・コンサートの大役を担つてゐる。口跡の激しく覚束ない浅間るいと、タッパから恵まれたスタイルはガチのマジで超絶な堀河麻里。二人と比べて「ロマン子クラブ」会員NO 7の出自を誇りこそすれ、瀧口裕美が藤崎美都時代にいふほど場数を踏んでゐる訳でもない割に、明らかな格の違ひを見せつける。にも、関らず。それまで積み重ねて来た、展開もエモーションも何もかも全部御破算に爆砕。結局亜紀子とは別れた野沢と倫子が目出度くか木に竹を接いで結婚するに至る、月光蝶システムで消滅した卓袱台が、屁となつて雲散霧消するラストには尻子玉を抜かれるかと仰天した。ぞんざいな着地点に硬着陸はおろか墜落するといふよりも寧ろ、飛行機が空中分解した趣き。園山が意外と―セックロスに―弱い以外、さしたるドラマも設けられない、二番手の等閑視ぶりも酷い。そんな、既に大概な何やかやに劣るとも勝らず凄まじいのが、撮影時堀河麻里は何処で遊んでゐたのか、ボディスーツで魅惑的に佇む、左から瀧口裕美・浅間るい・長坂しほりの三人でポスターを飾つておきながら、おきながらー!長坂しほりの出番はといふと、門を挟んで往来の野沢を斬つて捨てた亜紀子が返す刀で、倫子も配偶者の高みから葬る短い一幕・アンド・アウェイ。しかもその件さへ、夜分に野沢家の表まで来てみはした倫子が、突入する意気地はなく踵を返しかけた、ところ。そこに偶々野沢が愛車のBMWで帰宅した挙句、わざわざ俊輔くんを抱き抱へた亜紀子まで何故かその場に顔を出す、壮絶に無造作かプリミティブなシークエンス。頼むよ、プロの撮る商業映画だろ。何れにせよ、下着姿でパブに堂々と載つた女優部が、蓋を開けると靴下一枚脱ぎはしないだなどとといふのは、量産型裸映画的には言語道断の羊頭狗肉。ティザーに登場するカッコいゝガンダムが、実際の本篇で開発もされてゐなかつたら、多分みんなキレるよね。濡れ場自体は隙を感じさせないメイン女優部と、馬鹿にならぬ瀧口裕美の決定力。少なくとも良作たり得た芽の幾らでもあつた物語を、破滅的な作劇で木端微塵にブチ壊した末に、犯罪的な長坂しほりの起用法で止めを刺す地味にキナ臭い一作。長坂しほりは別にも何も、全然悪くないんだけど。

 表層的に一点軽く途方に暮れたのが、ソフト化その他に際しての後処理には見えない、しかもチラチラ動くモザイク。正直2022年目線で触れる分には、最早背面騎乗で跨つてゐるのか、ハモニカを吹かれてゐるのか俄かには判然としない。結構壮絶な有様なのだが、当時は今や失はれたコンテクストが未だ生きてゐて、これで案外、何をどうしてゐるのか読み取れたのであらうか。


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