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真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「裏本番 陶酔ビデオクィーン」(昭和62/制作:坂本政志/配給:㈱にっかつ/脚本・監督:高槻彰/脚本:川端幹人・一ノ瀬教一/プロデューサー:半沢浩/企画:角田豊/撮影:竹内薫・森居祥司/照明:元田朔二/VE:平只彦/録音:鶴原雅彦/撮影助手:近藤孝・妹尾純/照明助手:森岡義文/録音助手:鷹見良・水脇房男/演出助手:蔵前有志男/ヘアメイク:川村和正/スタイリスト:佐藤留子/スチール:今一則・遠山博文/助監督:長田浩一・横濱浩之/製作進行:田島修一・小坂井守/音楽:モスキート/編集:コスモスタジオ/出演:川副ひとみ・森田豊・村上れい・仲山みゆき・碓田清司・目黒高・田島修一・平地宏二・松倉浩・平元秀彦・古都秀一・斉藤吉彦・山梨薫・中尾恵美・夏木宇理・武藤寛)。出演者中碓田清司がポスターには臼田清で、田島修一以降は本篇クレジットのみ。制作もポスターではカンノン・シネマ・ワークス製作、日活配給はポスターに従つた。あと現像に関する記載がないのと、演出助手―本多良宏の変名?―が助監督に先行する、変則的なクレジットは本篇ママ。
 何処ぞ山の中、嫌がる女と無理矢理車中で事に及ぶのは、屋根に載つた撮影部(俳優部的には多分ノンクレ)がサンルーフから狙ひを定める、アダルトビデオのリハーサル。村上れいが女優部のジュンコで、男優部は碓田清司。監督のナカジマ耕太郎(森田)が無造作に本番を号令、画心(ゑごころ)もへつたくれも何もかもない、虚無的な車のロングにタイトル・イン。まだアバンは一山ですら幾らにもなるまい、単なる類型的なロマンクス。
 投げやりにカットをかけた耕太郎が周囲の繁みを見やると、女ターザン扮装の川副ひとみと刹那目が合ひ、即座に女は姿を隠す。途轍もなく素頓狂な主演女優の初登場に、偶さか映画が輝きかけるか、本篇早々底が抜ける。劇中終始ナカジマ組の撮影に追随する、小太りカメラマンに撤収支度を指示、森の中に分け入つた耕太郎の前に、再びターザン女がにへらにへら現れる。下手に文字で触れ難い、直截に評すると白痴的な女―触れ倒しとるがな―に耕太郎が投げた、「お前自閉症か?」といふ大概ぞんざいな挨拶代りに対する、まさかの回答が「違ふ、カルビだ」。片言にせよ言葉を喋れる以前に、固有名詞も持つてゐる、そしてそれがカルビなるスーパーセンス。両親の所在を問ふと小墓を指し示すカルビを、耕太郎はジュンコと同棲する東京に連れ帰る。彼の地はもしかして、カルビ以外にも沢山はじめ人間が生息してゐたりするのかな、ロースとか。過積載のツッコミ処がメルトスルーを起こしさうな序盤は、確かに怪作のパワーを有してゐた、筈なのに、それなのに。
 正直藪蛇な頭数に頭を抱へた、どころか、現に手も足も出なかつた配役残り。仕事の上でも耕太郎が燻らせる、昨今の不調に苦言を呈すプロデューサーか制作会社の社長がいきなし特定不能。二度の出番に亘り、台詞は普通に与へられる。カルビの乱入を招き、ジュンコの撮影が盛大に頓挫。相手役が平元秀彦名義の平本一穂、完全にか勝手に火の点いたカルビから尺を吹かれる形で、ライブな巴戦に突入する助監督は不明。カルビを往来に放ち、手当り次第男を狩らせるゲリラ撮影。第一被食者の浅黒眼鏡が、多分古都秀一。お宅訪問を敢行する、実家通学のセイガクも不明。この辺り、往時のAVに通じてゐれば割と楽勝なのかも知れないが、さういふ造詣も身に着けねばと心がける殊勝は、特に持ち合はせてゐない。続けて路上襲撃されるカップルの、襲はれる方は山梨薫名義の山科薫、アナグラムか、女は中尾恵美かなあ。その場に駆けつける、制服警察官もまた不明。カルビに店先の西瓜をガブリとやられ、怒るより困惑が先に立つ、八百屋の女は名前的にも夏木宇理臭い。アパートの二階から路地まで届く、ラウドな嬌声に誘はれたカルビの侵入を招く大絶賛真最中の女は仲山みゆき、若すぎて少し吃驚した、男は知らん。表通りに面した正門的な、立小便でも仕出かすには激しく開放的―あるいは不自然―なロケーションに背を向けて立ち、カルビに捕獲されかゝる眼鏡は若き高槻彰。その他もう三人挿んで、カルビはビデオレンタル店「リリース」の敷居を跨ぐ。ビデオで見知つてゐた、カルビとカウンター上で豪快な一戦に興じるマッシブな店員が平地宏二、a.k.a.マグナム北斗。今更の限りに及んだ雑感を、思ひついたまゝ平然と垂れてみると、マグナム北斗、何てカッコいゝ芸名なのか。マグナム北斗、声に出して読みたい日本語の領域に突入してゐる。マグナム北斗、あゝマグナム北斗、マグナム北斗。閑話休題、仲山みゆき襲撃時。足がかりの本当に全く見当たらない、二階ベランダにカルビが何時の間にかよぢ登つてゐるのが、如何にしてその状態に辿り着いたのだか甚だ不可思議な、野生通り越して四次元な身体能力が何気に火を噴く謎カット頭。
 モスキートが音楽を担当してゐるといふので拾ひに行つた、今も元気にAVメーカー「シネマユニット・ガス⦅GAS⦆」(ex.カンノンシネマワークス)率ゐる、高槻彰昭和62年第三作。この御仁、映画監督としての実働期間僅か二年。ロッポニカもとい六本全てロマンXといふ、ある意味清々しいか禍々しいフィルモグラフィ中の、通算第五作、禍々しいとは何事か。要は早々に、旧来の量産型裸映画に見切りをつけてゐたのであらう。モスキートに話を戻すとa.k.a.碓田健治(a.k.a.臼田健治)の碓田清司が、臼田清司名義―闇雲にやゝこしい―でボーカルを務めてゐたバンドで、音楽性的には過分にセクシャルな歌詞を除くと、コッテコテに古典的で結構速いビートパンク。一方、実は一部在り物の選曲も併用してゐるのでなければ、いざインストを鳴らすや、案外実直な劇伴に徹してみせる器用さを披露。それなりかそこそこの、演奏力なり振り幅も誇つてゐた模様。何かの弾みで再評価の機運が高まつたとて、別に罰は当たらない気もしなくはない。
 撮影中の山中にて、スランプ気味のAV監督が文明の枠外に生まれ育つた少女とミーツする。箆棒な超風呂敷を猛然とオッ広げてみせたは、いゝけれど。演出部の限りなく放置に近い怠惰あるいは、演者の如何ともしやうがない限界であつたのか。着てゐるものさへ今風に直せば、現代でも普通に通用しさうな男前を台無しにして余りある、口跡からへべれけに不明瞭な森田豊の派手なグダグダぶりが、爆発的に展開の足を引く兎にも角にもな致命傷。中盤はおろか、ジュンコとカルビで要は耕太郎を取り合ふ、序盤の後半で映画が終(しま)へてしまはうとは、よもや思はなかつた。本物のセンシチブな人に映りかねない、ある意味スリリングかキナ臭いカルビの造形も、逆の意味でといふかメタ的に気を揉ませられる、余計に。所詮は人肌を土気色にしか撮れない見せられない、どうかしかしてゐない薄くでなく汚いキネコから、何を望むべくもなく。其処で―カルビが男優部を―剥くの!?と仰天必至の、無防備極まりない一撃離脱必須の破天荒なロケーションと、恐らく貴重なモスキ音源以外には何某かを見出す聞き出すにも俄かには難い。既に死に体のロマンポルノに、ロマンXが寄つて集つて止めを刺した。旧劇に於けるエヴァンゲリオン量産機にも似た印象が、脊髄で折り返す。まんまと拾ひに行つたのは、火中の栗であつたといふ次第。

 そもそも裏表の別が全然判らない、根源的か原初的な疑問はさて措き。シネポ曰く宣材で第一弾を謳ひながら、結局公式―ないし純正―第二弾は日の目を見なかつた。土台徒花に竹を接いだ、ロマンXの裏本番シリーズ。昭和とほゞ命運を共にしたロマポ本体ごと終焉後、死んだ子の骨をピンクに拾はれた系譜を改めて振り返つてみると。まづは大御大を擁し大蔵が轟然と換骨奪胎してのけた、小林悟1989年ピンク映画第一作「田口ゆかりの裏本番恥戯」(主演:田口ゆかり《ロック座》)。90年代に―日活の―嫡子たるエクセス起動、池島ゆたか通算第四作「ザ・裏本番 生いぢり」(1992/エクセス/脚本:切通理作/主演:藤岡未玖)。シレッと旦々舎が飛び込んで来てゐたりする、浜野佐知1992年薔薇族込みで最終第十二作「裏本番 女尻狂ひ」(脚本:山崎邦紀/主演:三田沙織)。そして再び池島ゆたかの、1993年第二作「裏本番 嗅ぐ」(脚本:五代響子=五代尭子/主演:有賀ちさと)と傍系ではあれ、第五弾まで継続してゐた。細々とか、密やかに。


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 「女刑務所 私刑」(昭和53/製作:まづ間違ひなく若松プロダクション/配給:新東宝興業株式会社/脚本・監督:高橋伴明/製作:若松孝二/企画:新東宝興業株式会社/撮影:長田勇市/照明:磯貝一/編集:酒井正次/助監督:磯村一路/演出助手:鈴木敬晴・福岡芳穂/撮影助手:橋憲司/照明助手:西池彰/音楽:浪漫企画?/効果:効果ぐるーぷ大和/録音:ニューメグロスタジオ/現像:ハイラボセンター?/出演:岡尚美・日野繭子・中野リエ・北沢万里子・坂口新子・太田狂子・あかね千里・富塚享・下元史郎・外波山文明・森忍・葉月葉・野上優作・山口銀次・磯貝一)。出演者中、下元史郎の史郎はポスターまゝ。対して外波山文明が、ポスターではまさかの山が消えた外波文明。トバブンメー、初めて見た。巨大ロボット感がなくもない、たとへば、黄金巨人トバブンメーとか。閑話休題、ポスターのみの鈴木虎雄と福田芳―野上優作の前後に入る―は大方、セカンドとサード助監督か。逆に、葉月葉と山口銀次は本篇クレジットのみ。
 帰宅後の当人いはく、休業―を強ひられた―期間が二十四日。と、いふことは。被疑者勾留をマックス消化したのち、嫌疑不十分か起訴猶予で釈放されたと思しき一匹商売の立ちんぼ・市川ナオミ(岡)を、弟でスケコマシ修行中のケンジ(富塚)が出迎へる。後述する、ユリが身を置くヤサが多分ケンジの家で、別に同居してゐる訳ではないやうな気がするナオミ宅。早速出撃支度がてら、ナオミがケンジに青竜会(漢字は当寸法)とだけは付き合はぬやう固く戒める。地味な的確さで物語世界の輪郭を整へて来るアバンを経て、ムショの外景にタイトル・イン。ところで颯爽と白旗を揚げてのけるが、配信動画はタイトルが「女刑務所ザ私刑」で入る、往年の新東宝ビデオ版素材。につき俳優部は順に岡尚美・日野繭子・中野リエ・太田狂子・あかね千里・北沢万里子と下元史郎に、富塚享でなく何故か磯貝一。スタッフも長田勇市と磯貝一、高橋伴明しかクレジットされない大概か凄惨な情報量。それゆゑ、富塚享を高塚享としてゐるのが、本クレと翻刻、全体どちらが間違へてゐたのかゐるのか甚だ覚束ないnfajで不足を補つた。音楽と現像にはてなをつけてゐるのは、nfajが無記載の由。
 恨み節ないし、憎まれ口はさて措き配役残り。森忍は商売を再開したナオミに、首尾よく捕獲されるお兄さん、判り易く絡みが下手糞。発声が不安定で、最初アテレコかと見もとい聞紛ふ下元史郎が、ケンジの兄貴分で青竜会のバッジ持ち。史朗アニキ(仮名)の弟分は消去法で野上優作と山口銀次か、この人等も既に正組員。そして日野繭子が、目下ケンジが攻略中か篭絡中の家出娘・ユリ。いはゆる水揚げを、史朗アニキから急かされてゐる格好。娑婆要員は概ね以上、結局ワルになり損ねたケンジが、ユリを郷里(くに)に帰さうと出奔を試みる。ドスを抜いた、野上優作と山口銀次のうちヤスでない方のロン毛を、ケンジが返り討つた場に駆けつけたナオミは、果たしてそこまでする必要があつたのか、躊躇ひもせずロン毛に止めを刺す。さういふ次第に序盤を丸々費やし、主演女優が漸く塀の中に。北沢万里子が劇中登場する唯一の刑務官、呼称は担当さん。ナオミを入所時メディカルチェック?する一応白衣の男が、本職俳優部ではなささうな口跡からも窺ふに恐らく磯貝一、現代の面子でいふと土肥良成的な風貌。抜かれる順にあかね千里・太田狂子・中野リエと坂口新子は、ナオミ(囚人番号五十三/以下同)が入れられる房の、それぞれアカネ(三十二)と牢名主格(二十五)に腰巾着(二十九)。末尾ゼロの囚人番号(二十)から、死刑囚かとナオミの顔色を変へさせる老婆。たゞ実際には必ずしも、ゼロ番が死刑確定者を指すとは限らない模様。何時も通り絶妙に胡散臭い外波山文明は、定期的に女刑務所を訪問する教悔師、凡そ聖職者には見えねえ。ナオミの姦計でマリコ担当(だから仮名)を別室に引きつけた間、二十五番らに喰はれるコミックリリーフ、あるいは噛ませ犬。マリコ担当が腹痛を装つたナオミと捌けるや、空気を読んだ二十番がいそいそ椅子を片づけ始める、何気に完璧な間のカットが神を宿す。それとプロの女優部といふより、如何にもリアルあばずれを連れて来てゐさうな、素ぽい凄味のある太田狂子が、太田狂子も五番手ポジ―あかね千里は不脱―で脱ぐとはよもや思はなかつた、有難いとは特にいつてゐない。その他、もう一人見切れる史朗アニキの弟分と、ラストで回想される昔日。ケンジと同様の、見習スケコマシであつた史朗に売られたナオミを犯す男、の二人で鈴木虎雄と福田芳に該当する頭数は合ふ一方、八人目の女優部が本当に何処にも見当たらない、葉月葉の名前がどうしても余る謎。
 全体最後岡尚美が下元史朗をブチ殺す映画を、高橋伴明は何本撮つたのか。そんなコーバンの、昭和53年第四作。今作を端緒に、一年に一本づつ「変態」(昭和54/主演:岡尚美)と「緊縛」(昭和55/脚本家不明/主演:丘ナオミ=岡尚美)。そして「犯す」(昭和56/脚本家不明/主演:朝霧友香)の全四作、この御仁は女刑務所“スケムショ”を量産してゐる。後ろ二本が現状アンタッチャブルなのが、どうにかならないものかしら。
 やれ脱獄だ反骨だ、徒に女囚映画といふフォーマットに、専ら政治的な偏つた方向性で固執しもせず。ヒン剥くところからとりあへず始まる私刑“リンチ”の数々と、寸暇を惜しむかの如く狂ひ咲き続ける百合。残された僅かな隙間も、ワンマンショーで埋め尽す。ナオミが収監されてゐる尺の方が寧ろ、頑ななほど忠実に裸映画が充実するのが最たる特色。加減を忘れたハードネスなりダークネスを、毛嫌ひするのでなければ。走り姿が壮絶に不格好な、富塚享の魔走法は最早、御愛嬌のフォルダに放り込んでしまふか仕舞ふにせよ。殊に太田狂子の最期が画期的に頓珍漢な、へべれけな殺陣―と出鱈目な繋ぎ―は良くなくも悪くもフィルモグラフィの端緒らしい、青臭さか微笑ましさもこの際通り越し、グルッと一周した前衛性の領域にすら突入しかねない。反面、演出の成果か、演者が単騎で挙げた戦果なのかはさて措き、「こんなとこに長居してられないんだよ」と、「懐くんぢやないよ」。岡尚美が藪から棒な強度で撃ち抜く、火花の飛びさうな煌きと鋭さは一撃必殺を都合二発放つ。それ、だけに。弟の仇に加へ、自身の忌まはしき来し方。正しく不俱戴天の史朗アニキを―ストップモーションは―ソリッドに始末したナオミが立ち去り際顔に載せる、二本橋の変に色の薄い結構なダサさ弱さは、派手な画竜点睛の欠き処。忘れてた、これでもかこれでもかとでもいはんばかりの、どうかした勢ひでギターがキュインキュイン闇雲に哭き倒す劇伴も、軽く香ばしい聴き処。ところどころ手放しでカッコよく、あちこち素頓狂。それでゐて、あるいはなほかつ。てんこ盛りの女の裸は決して忘れない、なかなかかあれこれ、盛沢山な一作ではある。


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 「鞭と緊縛」(昭和54/製作:若松プロダクション/配給:新東宝興業株式会社/監督:高橋伴明/脚本:羽根木啓/製作:吉岡充則/企画:新東宝興業株式会社/撮影:シャープ兄第/照明:磯貝一/編集:酒井正次/助監督:磯村一路/演出助手:鈴木敬晴・福岡芳穂/照明助手:西池彰/音楽:浪漫企画/効果:効果ぐるーぷヤマト/録音:ニューメグロスタジオ/現像:ハイラボセンター/出演:岡尚美・宮田諭・日野繭子・北沢万里子・浜崎麻耶・今泉洋・下元史朗)。出演者中、下元史朗は本篇クレジットのみ。代りなのか何なのか、ポスターには葉月葉の名前が載る謎出納。撮影のシャープ兄第は小水一男の変名、脚本の羽根木啓も怪しい気はしつつ、正体不詳。それと当サイトが仕出かした器用な誤変換でなく、兄第は本篇ママ、織田か。
 医大受験を折角応援して呉れる貼紙を、無体にヒッ剥(ぺが)す。東大出身者を下衆に揶揄する、週刊誌の与太記事に憂さを晴らす二浪生の満(宮田)に、どうやら予備校の事務員と一緒に暮らし始めたぽい、同棲相手の山﨑美枝子(岡)が二十歳のバースデーケーキと、メスの誕生日プレゼントとを持つて来る。何だかんだオッ始め、仰け反る岡尚美の上半身にタイトル・イン。ち、なみに。宮田諭の生年月日なんてこの期に追ひやうもないけれど、岡尚美なら封切当時公称二十六。
 タイトルバックは主演女優の裸と、満が縷々綴る通り越して書き殴る、“数学できんとが何で悪いとや!”を皮切りに執拗なルサンチマンの発露。原典たる「高校大パニック」(昭和53)を正確にパクるもとい準拠した場合、本来なら“数学できんが何で悪いとや!”となる寸法が何某か企図があつたのか、シンプルに間違へたのかは知らん。とまれこの件、数学のみならず“物理できんとが”以下、“受験に失敗するんが”、“裏口入学するんが”、“医大に行けんのが”までは百歩譲つてまだしも。更に“医者の息子が”、“医者になれんとが”。挙句“女と棲むんが”、“女とやるんが”―何で悪いとや!―と完全に際限を失するに至り、流石に食傷して来た頃合を見計ふかの如く、豪快に“悪い!!”と自己完結してのけたオチの盛大な破壊力に任せ、ピリオドの監督クレジットを滑り込ませるテンポとセンスが天才的。
 所詮恵まれたモラトリアムに漫然と燻る満の、仕送り停止通告を受け。ピンクサロン「ダーリン」で働き始めた美枝子を、独善的な鬱屈を拗らせる満は戯れにパンストで縛り、初手にしては結構ハードに嬲る。配役残り、ビリング下位から最初に飛び込んで来る浜崎麻耶は、予備校にすら行かず、満が逃げ込んだ小屋―成人映画館―にて。座席で男に正対座位で跨る、力技のプレイに乱れるマニアさん、男は端から全く抜かれない。父親が見合写真を送つて寄越した美枝子が、岡山に一週間帰郷。日野繭子はその間満がバーで出会ふ、現役受験生のカズエ。あれゝのれ、高校生が何故カウンターで茶色い酒を飲んでゐるのかは気にしない気にしない、一休み二休み。“半分”といふのが縦なのか横なのかよく判らない、多分アングリーインチ後。今泉洋は、医者を断念した満が新たな道に選ぶ、剥製師の師匠。満の自堕落なサディズムを本格的に点火する、案外重要な送りバントを担当する四番手に続き。かたや煌びやかなまでの三番手ぶりを爆裂させる北沢万里子が、仕事の相談を装ひ家に呼んだ満を喰はうとする、愛犬を亡くした女。尤もその直後、満とカズエが一年ぶりに再会を果たす流れに最低限寄与させる形で、番手の低い女優部をもさうさう無下には扱ふまいとしたのか、何気な深謀なり慈しみが窺へなくもない。あと北沢万里子を満が手籠めにする絡み、最早清々しいほどリップシンクがへべれけ。閑話休題、どうすれば対面立位で届くのか挿せるのかはさて措き、かつて美枝子の菊座を犯したある意味思ひでの公衆便所でマスをかいた満が、手書のプリミチブなフライヤーを見つける。鮮やかな作り事の嘘で満が辿り着く、茶店みたいな店構への会場で―真昼間から―繰り広げられる、アンダーグラウンドなSM緊縛ショー。何か髪の量が凄い下元史朗が、相手役の美枝子を責める男。一種、あるいは一部、情夫も兼ねてゐた気配を覗かせる。その他、その前段。満がかつて美枝子と暮らしてゐたヤサを訪ねてみたところ、顔を出す無駄に精悍な髭男が内トラにしては全体誰なのか。
 満とカズエのミーツ時、ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」(1977/邦ドーナツ盤発売昭和53)なんて天衣無縫に鳴らしてのける、高伴昭和54年第三作、さう端折る人間ゐないだろ。音楽の富を本当に奪取する昔日の大らかさも兎も角、「ストレンジャー」のイントロで肩を揺らす―あるいはリズムを取る―日野繭子の姿には、なかなか香ばしい感興も否み難い。
 <情死した女の剥製>と添ひ寝する、確かに衝撃のラストは一定以上の強度を、持ち合はせてはゐるものの。無造作と紙一重に―結構飛躍の高いか甚だしい―展開を威勢よくザックザク繋ぐ、高速ドラマツルギも昨今のエクスキューズだらけの語り口と比すなら一層、グルッと一周して斬新に映りこそすれ。そもそも剥製といふ営為に関し死んだ動物を姿形だけでも生き返らせるのと、<殺した人間を>生き返らせる間には、根本的か本質的な差異がありやせんか、とかいふ以前に。メスで体中を切り刻む、苛烈なのは苛烈どころでないブルータルな悦虐の果て。何時の間にかか何となく<美枝子が三途の川を>渡つてゐたりするのが、マキシマムな疑問点。土台藪から棒なタキシダーミ自体、時の過ぎゆくならぬ起承転結の転ぶまゝに、木に竹籤を接いだ印象も否み難く、なればこそなほさら、せめて締め―の濡れ場―くらゐコンテクストにもう少し気を配つたとて、罰は当たらなかつたのではなかうか。
 反面、といふか何といふか。勝手に壮絶な勢ひで道を踏み外すか転がり落ちて行く満と美枝子の傍ら、飄々と常識ないし健全さを失はないカズエこと日野繭子の、この人らしいしなやかなスマートさは掛け値なく輝く。


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 「人妻の虜 隣のあさみさん」(2023/制作:ラブパンク/提供:オーピー映画/監督・編集:髙原秀和/脚本・イラスト:福井遥香/音楽:おおくぼけい・竹内理恵⦅Sax,Flute,Clarinet⦆/撮影:下山天/照明:田宮健彦/録音:百瀬賢一/助監督:森山茂雄・小泉剛・末永賢/制作進行:今川健吾/制作応援:石川欣/スチール:本田あきら/仕上げ:東映ラボ・テック/協力:LapisDoll・みゅーたんと/出演:音琴るい・福田もも・佐藤一馬・那波隆史・安藤ヒロキオ・金田敬・今川健吾・山岸逢花)。山岸逢花が最後に来る並びは、本篇クレジット通りなのね、これ。
 ガールズバー店員の姉・ゆず(音琴)が飲み散らかしたまゝ寝てゐる、浅川家の居間。二親等の自堕落さに、二人暮らしで職業不詳の弟・湊(佐藤)が手を焼いてゐると、来訪者を告げる呼鈴が鳴る。こゝで音琴るいは一旦保留、全体どういふ伝手で連れて来たのか、劇団地蔵中毒なる小劇団に参加してゐる―過去形かも―佐藤一馬の見た感じを、一言で片づけるとブックブクに膨らんだ高山善廣。閑話休題、訪ねて来たのは隣か否かはさて措き、マンションの同じ階に越して来た多分専業主婦の桜木麻美(山岸)。お胸の谷間も悩ましい麻美から、御挨拶のタオルを受け取つた湊は脊髄で折り返し鼻の下を伸ばす。伸ばした流れで、もしも仮に万が一、福井遥香が似顔絵のつもりで描いたのであれば、清々しく似てゐない麻美とゆずのイラストにタイトル・イン。仲間内で茶を濁す自主ならまだしも、この辺り一端の商業映画にしては甚だ貧相な、如何にもか半ば構造的なピンク映画の粗末を超えようとする蟷螂の斧的な営為を、この期に及んで髙原秀和に求める方がそもそも野暮なのかしら。とまれ本クレがトメに斥けた山岸逢花も、佐藤周の「若妻ナマ配信 見せたがり」(2020)と、山内大輔2023年第一作「欲情セレブ妻 いやらしい匂ひ」に続く三本目、も?
 この御仁は四十年の無駄に長いキャリアを誇れない割に、未だ斯くも不自然なシークエンスを撮るのがそんなに楽しいか。駐輪機は完備されてゐるけれど屋根のない、ちぐはぐな駐輪場でこれ見よがしに右往左往する麻美が、出がけの湊をキャプチュード。テレビが点かないだなどと、屁のやうな方便で家に上げた湊を麻美が本格的に捕食しかけたタイミングで、桜木家にも来訪者が。配役残り安藤ヒロキオは、麻美が堂々と自宅にも呼ぶ浮気相手の神田翔平。固定か交替制かは知らんけど、夜勤のある仕事の人。竹洞哲也2023年第一作「美乳探訪 不埒な旅路」(脚本:小松公典/主演:通野未帆/三番手)に、第三作「変態園芸 股間を耕す女たち」(脚本:小松公典 With TYPE-CHOP/主演:咲野瑞希/三番手)を経ての三本目。そして現時点に於いて、女優部三本柱唯一、以降も堂ノ本敬太第二作と竹洞哲也2024年第三作―で漸く、二番手に昇格した模様―に継戦してゐる、福田ももはゆずの同僚・舞島京香。尤もコミックリリーフの線でも狙つたつもりなのか、底抜けに陽性とでもいへば聞こえはいゝものの、白痴に二三本毛を生やした程度の酷い造形。ex.あけみみうのみゅーたんとではない、ガールズバーのガールズがもう一人出て来るのと、パッと見おおくぼけいぽく映るカウンターでビールを楽しんでゐる癖に、誰かしら来店するや、ゆず等と「いらつしやいませ」の声を合はせてみたりもする客なのか店の人間なのかよく判らない、謎の男がもう一人見切れる。そして那波隆史が麻美の夫で、大学教授の正一。麻美との齢の差実に二回り、前妻と別れ、教へ子に手を着けたか着けられた仲。偶さか意気投合した京香に連れられ、湊が姉の職場で羽目を外す件。金田敬は、純然たるラピドル客要員。こゝからが、例によつての相変らずな問題。那波隆史―や重松隆志―と同じ芸能事務所「ストレイドッグプロモーション」所属で、ウィキペディアには客2―金田敬が1―とされる今川健吾が、ピンクの方にはどうスッ転んでも何処にも出て来ない。“ピンクの方”とは何事か、どつちが本丸なんだよ。
 渡邊元嗣の「美乳夜曲 乱れる白肌」(2018/脚本:波路遥)と、2019年第一作「快感ヒロイン ぷるるん捜査線」(脚本:増田貴彦)。ナベシネマ主演を二連続で張つた妃月るいが、2021年半年強のAV休業後音琴るいに改名した上で、改めてビリング頭に飛び込んで来た髙原秀和大蔵第七作。四年といふそこそこ長い時間を、金髪ショートに今回フルモデルチェンジしてゐる髪型が加速、正直面影は全然残つてゐない。
 姉弟の前に忽然と現れたNTR系のマニアさん御夫婦が、二人を好きなだけ喰ひ散らかした末、夢のやうに去つて行く。新たな引越先、今度は夫婦揃つて御挨拶するのが、エピローグ的なタイトルバック。といふ、ありがちさがグルッと一周して量産型裸映画らしさと親和しなくもない、星の数ほどといふと大袈裟でもあれ、石を投げれば当たりさうな一篇。裸映画的には佐藤一馬の絡みが外様の初陣にしては満更でもないのと、福井遥香の本領発揮で大輪の百合が掛け値なく咲き誇り、2.5段構への締めの濡れ場。音琴るいと山岸逢花による、温泉に浸かりながらの情交に際して。カット単位で結構派手に光量が安定しない無造作にさへ目を晦まされる、もとい瞑ればそれなり以上の完成度と満足度。捌け際の右フックで気を吐きつつ、三番手は大人しく一戦限定に甘んずる一方、ダブル主演女優の裸はふんだんに堪能させる。片や、劇映画。京香に劣るとも勝らず、基本へべれけに軽躁で魅惑的云々いふより直截にウザい、麻美のキャラクターに関してはこの際髙原秀和の映画ゆゑ仕方ない。豪快にか敢然と等閑視、するとして。多様性の認容と相反する、順位の不毛。果たして普通とは何ぞやといふ問ひと、実に、実に髙原秀和的な。髙原秀和こゝにありといはんばかりの、しかも那波隆史に吐かせるこれぞ髙原調“そんなんで、いゝんです”。ゆずは失敗、麻美は成功で挟み込む終末論。テーマと称するには覚束ないにせよ、個々を掻い摘む限りでは決して魅力的でなくもない、モチーフが諸々振り撒かれはする反面。脆弱な俳優部と、非力な演出部―しかし制作部含め、頭数だけは無闇に多いな―がある意味綺麗に共倒れ。全く以て漫然と、ピクリともクスリとも、燻りもしないのかと思ひきや。麻美が神田と連れ込みに消えたホテル街、悄然と立ち尽くす那波隆史の突発的に見事なショットで、藪から棒に深い叙情を叩き込んでみせたりもするのが、正方向の映画的な御愛嬌。爽快な逆転ホームランを放つた前作と比すまでもなく、特にも何も面白い訳では別にないとはいへ、事石川欣を通つた後ともなると、ラブパンク作で腹が立たない分マシにすら思へて来る、正体不明の安堵―ないし諦観―も去来するきのふけふ。

 外堀について一点、協力のLapisDollは、ガールズバーのロケ―と実際着用する店内コス―で使用する高円寺のコンカフェで、そこのオーナー兼店長がみゅーたんと。但し、2024年の四月下旬、二年八ヶ月の営業を終へ既に閉店してゐる。ついでで今作の、四週間弱フェス先した一般映画版の封切りは2023年十二月初頭。なので恐らく店のラスト半年前後に、撮影が行はれた格好。


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 「噂の女 朝まで抱いて」(昭和55/製作:現代映像企画/監督:高橋伴明/脚本:古川栄三/撮影:久我剛/照明:磯貝一/音楽:浪漫企画/編集:中島照雄/助監督:森遠州・梨田三沙緒・浦島俊幸/撮影助手:藤岡卓/照明助手:西池彰/効果:秋山実/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東洋現像所/協力:銀座アラジン/出演:風間舞子・青野梨麻・豪田路世留・笹木ルミ・下元史朗・大杉漣・鶴岡八郎・上野淳・森村由美・池田恵子・河原崎純・宮田諭・石本種雄・吉田和彦・今泉洋)。出演者中、森村由美から吉田和彦までは本篇クレジットのみ。クレジットがスッ飛ばす、配給に関しては実質“提供:Xces Film”。
 最初に根本的かつ、解けない謎について触れる。脚本の古川栄三が、ポスター以下各種資料には古井栄三。古井栄三なら古井栄三で、現代の映像を企画する会社の、映画の脚本家が古い映像とはこは如何に。と聞こえよがしに変名臭い、正体の存在を勘繰りたくもならうところだが、古川にせよ古井にせよ、何れも今作以外のフィルモグラフィが見当たらず。さうなるともう、古川古井のどつちが正解なのかすら手も足も出ない、そこは古川だろ。
 スーパーから両手一杯買物を抱へ、専業主婦の鈴木ユミ(風間)が出て来る。2ドアの自家用車に乗り込み、まづ上の区がタイトル・イン。下の句は何故か団地の画に被せられるけれど、団地どころかアパートすら劇中登場する訳ではない。一方、鈴木夫妻と顔見知りの御近所で、こちらは共働きの池田(今泉)と妻のケイコ(青野)がバスに乗り遅れる。停留所を通りがかつたユミは、屈託なく同じ方向の二人を乗せて行く。池田家と生活水準の格差を感じさせる、鈴木家にユミが帰宅。画角を凝りすぎて最初何処に賊が潜んでゐるのか実はよく判らない、押入の襖を開けると飛び出して来た自称“抜か六の大島”なるトンチキな―精力自慢の―異名も誇る、文字通りの暴漢・大島(大杉)がユミを襲ふ。粗野にして下卑た大島の造形がほゞ完璧に仕上がつてゐるものの、不用意に舌を巻きすぎた結果、窮屈に湾曲する口跡は些かトゥーマッチ。
 配役残り、自宅で妻が強姦されてゐる間、夫はといふと。下元史朗がユミの配偶者・鈴木で、笹木ルミは鈴木が呑気に遊ぶか時間を潰す、屋号的には個室サウナのトルコ嬢。「と、いふことだ」、超絶の第一声で飛び込んで来る鶴岡八郎が、池田とは俺とお前の仲の探偵・磯村。豪田路世留は浮気調査中の磯村がカモフラージュで連れ込みに同伴する、自分の事務所の事務員。隣室から盗聴する音声に、すつかりアテられたジゼル事務員の余禄に磯村が与る。報告中の本人いはく“余計なこと”の一幕は劇映画的には確かにへべれけながら、裸映画としては断固として正しい、絶対に正しい。上野淳以下七名は一挙投入、「別れてあげるは」の言を結局翻したユミが買ふホストと、その他ホストクラブ要員。たゞし背中しか見せない、男が一人多い。あともう一組と、池田・磯村。各々が密会する店に、ウェイターとバーテンダーがそれぞれ一名づつ見切れはする。
 jmdb準拠で当年全十五作といふのが凄まじい、高橋伴明昭和55年第五作。製作の現代映像企画といふのは主に山本晋也か渡辺護か高橋伴明が、買取系を撮つてゐた会社、石動三郎によると久我剛が興したらしい。
 尺の大体折り返しで引つ繰り返した物語に後半の中盤一捻り加へ、ラストで更に振る凝つた趣向の一作。既に脂の乗つてゐた筈の下元史朗をも青二才に映す、今泉洋と鶴岡八郎が貫禄の狂言回しを務める構成と、そもそもそれを可能ならしめた俳優部の厚みが圧巻。謎解きの合間合間、ビリング頭が割と黙つて座つてゐるだけの一方、青野梨麻は地味に巧みな目配せで、刻々の状況を的確に繋ぐ。無銭飲食で摘み出される大島を、鈴木が遠目に目撃。したミーツからの跨ぎで、「旦那ホントいゝんスか?」。鮮やかな省略の、速さも光る。何より重要なのが、概ね常時複数の情事をカットバックで並走させる、濡れ場に対する真摯な姿勢、ないし至誠。気の利いたサスペンスを単なる小粋な一品に止(とゞ)まらせず、女の裸も質量とも十二分に愉しませる。尤も、基本鈴木家の居間と、目黒エンペラーの二箇所―のみ―で進行する展開の流石に小粒感と、結構か案外有能な、磯村のエクス・マキナぶりは何気に否み難い。絶品のハマリ役で上野淳が脇を飾りつつ、気持ち間延びする最後のメグエン辺りを主に切り詰めて、一時間に収めれば全体がグッと締まつたのではなからうか。さうなるとランタイムからまんまピンクで、幾ら買取系とはいへ、ロマポみが一層薄れてしまふにせよ。

 付記< 矢張り石動三郎がex.ツイッタ上にあげた画像で、古川栄三の正体は本業地方公務員の、本名古川栄一である旨判明
 備忘録< 大島はケイコとの浮気の末慰謝料をビタ一払はずユミと離婚しようとした、鈴木が雇つたマッチポンプレイプマソ


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 「異常な快楽 禁⦅きんしん⦆唇」(昭和56/企画・製作:高橋プロダクション/配給:ミリオンフィルム/監督:高橋伴明/脚本:高橋千鶴子/撮影:鈴木史郎/照明:磯貝一/音楽:しっきよしかず/編集:中島照雄/助監督:水谷俊之・米田彰/撮影助手:遠藤政史・下元哲/照明助手:大宮浩一/効果:内田越允/録音:銀座サウンド/現像:東映化学工業/出演:忍海よしこ・橘雪子・あららぎ夕子・宮田諭・椙山拳一郎・下元史朗)。出演者中、忍海よしこにポスターは括弧新人特記。
 新宿ゴールデン街の朝、店から出て来た苗字不詳えり子(忍海)と恋人の村瀬淳一(宮田)が、ほてほて笹塚まで歩き始め高層ビル群にタイトル・イン、駅間で3.6km。兄と同居のえり子宅を通過、家に女子を招くのが一年ぶりの淳一は、二年前の離婚歴を白状する。
 配役残り下元史朗が、初戦を交へたのち眠る淳一に置手紙を残し帰宅したえり子を、寝ずに待つてゐた性質の悪い兄・まこと、初端からクッソ面倒臭え。えり子曰く“ずつと二人きり”といふ、兄妹の来し方についての外堀は盛大に等閑視。橘雪子がアバンから―間にえり子を挟む形で―三人が都度都度入り浸る、飲み屋の気さくなママ、店名後述。ところで佐々木浩久のex.ツイートによると、脚本の高橋千鶴子といふのは伴明の変名でなく、ゴールデン街勤務の実在する若い女性であつたらしい。トランプ、もといとなると。まこと以下カウンター客四人と雪子ママ(仮名)の五人で、ワイルドワンズの「想ひ出の渚」なんて合唱する件。に於ける、画面左端の一人客がもしかして高橋千鶴子?遂に、もしくは漸くえり子が出奔、淳一と暮らし始める。そんな最中、謎の女と歩く淳一をまことが目撃。俄かに風雲急を告げるあららぎ夕子が、淳一の別れた妻。この人は、裕子と遊子と夕子を完全ランダムで使ひ分けてるのかな。椙山拳一郎は淳一との結婚が継続中の、夕子(だから仮名)OL時代。多分社員旅行の宴会で前後不覚の夕子を手篭めにした挙句、一発で命中させる元上司。清々しい一幕・アンド・アウェイを敢行する、純然たる絡み要員。その他、雪子と夕子の店に計若干名の客が投入されるのとオーラス、イマジン乳児の子役どころかリアル赤ちやんが、ノンクレジットで飛び込んで来る。
 店内までは覚えてゐないが、屋号と看板の特徴的な「もんきゆ」で撮影された高橋伴明昭和56年第五作。当年の、高橋伴明が凄いも通り越し半ばどうかした全十七作。とかいふいゝ意味で底の抜けた喧騒は兎も角、少なくとも、もんきゆが二年は営業を継続してゐた格好。今回もNazarethこそ鳴らさないものの、森田童子を例によつて大絶賛無断使用。あと歌詞でググッてみても全然辿り着けない、王道からは随分離れた謎のアイドル歌謡が、タイトルバックに主題歌感覚で流れる、ニューミュージックかも。
 脊髄で折り返すレベルの短絡さで、結局兄妹が木に竹でも接ぎ気味の情死に至る―悪し様に片付けると類型的な―物語に、往時の一見儚げか切ない雰囲気に偶さか琴線を爪弾かれるのでなければ、この期に殊更、騒ぎだてる旨味も完成度も見当たらない。実の二親等であらうと同棲してゐる赤の他人同士だらうと、所詮えり子に対し、束縛と限りなく同義の苛烈に干渉するまことの腐れ倒した姿と、さういふマッチョ兄貴に、妹が基本唯々諾々付き従ふそもそも歪な関係が、少なくとも政治的と経済的には一元号丸々ドブに捨てつつ、思想的には必ずしもさうでなかつた。平成を経て―依然大して潮目の変らぬ―令和の世にあつて、凡そおいそれと呑み込めよう代物とは認め得まい。高橋千鶴子の正体に関して、前述した佐々木浩久説を鵜呑みにした場合。どうせ例によつて高橋伴明に喰はれ―て捨てられ―たにさうゐないだなどと下衆未満の勘繰りはさて措き、さうなると女が自らかういふ自堕落な心中噺を書いてしまふ辺り、昭和といふ時代の限界が如実に見えて来なくもない。後世の高見から一方的に裁断してのける無粋な物言ひが、苟も保守―反動―を自認する身には些か心苦しくもあれ。
 ビリング頭とトメの男主役が如何せん覚束ない反面、腰の据わつた映画的強度を撃ち込んで来るのが二番手と三番手。妹に男が出来ただの、ゴミみたいな理由で荒れ散らかした末。店で酔ひ潰れたまことを雪子が自宅に捕獲、いや保護。傷心の男を巨体で文字通り包み込む、重量級の優しさを振り撒いた振り抜いた翌朝。目覚めたところ隣に雪子が寝てゐるのに、軽く仰天したまこととの会話。「俺、何かした?」、「覚えてないの?」。「覚えてない、ごめん」、小さく鼻で笑つて「いゝけどね」の、可笑しくて素敵にスマートな一幕。片や淳一の情報を求め接近して来たまことを、興信所の探偵と勘違ひした夕子は「ぢや、ホテル行こか」。軽やかに裸映画の力学を起動させた上で、闇雲な青フィルタに首を傾げさせられる、椙山拳一郎との回想含め二回戦を戦つた事後。まことが差し出した金を「バカにしないでよ」、「といひたいところだけど」と受け取り。別れ際には最初は―淳一の再婚に―ノット・マイ・ビジネスを気取りながら、「ホントは滅入つてゐたの」と自らの惰弱を認め、夕子の方からまことに礼まで述べる。超絶やさぐれた造形が、吃驚するほどエモーショナル。「凄え!」、ノートの液晶の前で、普通に声が出た。正直、理解なり感情移入に端から甚だ難い、えり子とまことはこの際どうでもいゝ。橘雪子の逞しさにホッコリし、あららぎ夕子のグルッと一周したしをらしさにグッと来る一作。大体兄妹のドラマ自体に―徒に―拘泥するならば、フラッシュバックで茶を濁し、締めの濡れ場が一切存在しない実は大概な不誠実が、えり子とまことの歪んだ紐帯に劣るとも勝らず致命的。
 
 あ、あと、一箇所さゝやかな小花が枝葉に。「違ふ、さうぢやない」な淳一の泳ぐ目が印象的な、ラスト前夜。地味にとはいへ決定的に擦れ違ふえり子と淳一から、奥の蜜柑にピントを送るカット尻の、そこで蜜柑に送る意図が綺麗さつぱり判らない。特に何もない虚空にパンしたのち、何事もなかつたかの如く元の位置にシレッと戻る。柳田“大先生”友貴と紙一重の、何気に不条理なカメラワークが狂ひ咲く。


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 「誘ひ濡れ 〜さあやとこはる〜」(2022/制作:ラブパンク/提供:オーピー映画/監督・編集:髙原秀和/脚本・漫画:福井遥香/音楽:おおくぼけい/撮影:下山天/照明:田宮健彦/録音:大塚学/助監督:森山茂雄/演出部応援:末永賢・小泉剛・堂ノ本敬太/撮影助手:王英男/スチール:本田あきら/仕上げ:東映ラボ・テック/同人誌協力:犬井あゆ・とーはに・たまむし・白縫ちせ・花影あると・夜・ピーナッツバター/協力:金田敬・永元絵里子・京本千恵美・西坂伊央里・中村亜海・高橋マシュー・山田はるか/出演:栄川乃亜・燃ゆる芥・初愛ねんね・永澤ゆきの・東野良平・吉田憲明・直樹フェスティバル・森川凛子)。小泉剛のピンク参加は、エク動が封切り僅か三週間強での電撃配信を敢行した、松岡邦彦個人三作目のデジエク第十弾「憂なき男たちよ 快楽に浸かるがいい。」(2019/脚本:金田敬/主演:並木塔子)以来。
 多分品揃へを同人誌協力、頭数は金田敬以外の協力で賄ふ―明確に視認出来たのは永元絵里子と京本千恵美に高橋マシュー―同人誌即売会場。本名でマンガを描く足立沙綾(栄川)の、百合の花薫る新刊『マーヤとチハル』を三菱正樹(東野)が作者当人と、隣ブースのおおくぼけいも軽くでなく引く大袈裟なピュアさで絶賛する。マンガのマーヤとチハルをまづ一人づつ見せた上で、マーヤとチハル二人にタイトル・イン。作品の出自を簡潔に表した、的確なアバンではある。
 本篇頭はタブをチョイチョイ触る、適宜挿み込まれる沙綾先生の制作風景、手先は福井遥香のハンドダブルかも。正直世辞にも整つてはゐない沙綾の部屋を、おうちデートする約束の彼氏・浅見裕太(吉田)が訪れる。第一声から脊髄で折り返す違和感を禁じ難い、吉田憲明の棒口跡は流石に意図的なものなのか?後述する森川凛子の、“嘘臭い笑顔”評も踏まへればなほさら。少なくとも浅見相手には沙綾がイカない、絡み初戦は当然盛り上がらなければ有難味にも欠く。先走ると、要は一回表から躓いてゐたのか。
 配役残り森川凛子は沙綾の母で、偶さか用事で上京してゐたすずこ。沙綾に肌寒い北風を吹かせる世間の代弁者兼、もう一人の主人公に送りバントで繋ぐ係。自らもダンゴムシのペンネームで百合小説を嗜む、三菱が遂に即売会デビューを決断。尤も「百合に男は必要ない」と断ずる三菱は、何処から連れて来たのか人前用の影武者を用意。工藤雅典の大蔵第四作「悶々法人 バリキャリ男喰ひ」(2022/脚本:橘満八/主演:希島あいり/三番手)から二戦目の初愛ねんね(現在はねんね名義らしい)が、影武者を務める宮下美月。本職は女性用風俗嬢、たゞセクシャリティはバイである模様。十億万歩譲つて昭和ならまだしも、平成ですらない令和。セイガクの卒業制作にしては途轍もなく旧い、何なら髙原秀和どころか、渡辺護に劣るとも勝らないくらゐどうしやうもなく古めかしい、堂ノ本敬太の「海底悲歌」(2021/共同脚本:松田香織)からこちらも二戦目の燃ゆる芥はチハルのモデルにして、かつて沙綾とプチ駆け落ちした過去も持つ中野小春。ビアンを原因に職を辞しパーマネント上京してゐた小春が、すずこ同様往来で沙綾に声をかける再会。同じシークエンスを臆面もなく二度繰り出してのける、地味に手数を欠いた作劇は如何なものか、派手かな。東野良平共々、髙原秀和前作「人妻一番! 二人きりトゥナイト」(2021/共同脚本:宍戸英紀/主演:希島あいり)が初陣。総勢で二戦目カルテットを成す直樹フェスティバルは、この人も創作活動してゐた百合クラスタの木崎すすむ、自ら求める愛称はキザッチ。改めて矢張り、荒木太郎に結構似てゐる、直フェス第一回監督作品はまだか。永澤ゆきのはエピローグで乳までなら拝ませる、ウィキにはアシスタントとされるものの、劇中何の作業も特にしてゐない、沙綾にとつて単なる彼女かも知れない浜辺あやか。あと、出番的には森川凛子に先行する、倅から沙綾に代つた電話越し、通俗的な憎まれ口を叩く浅見ママの声の主は無理、辿り着けない。
 よくよく調べると一年先取りしてゐる「つれなのふりや」(昭和54/PANTA&HAL/『マラッカ』収録)を、80’sダサさのアイコンとこの期に唾棄する当サイトにつき、知らなかつたが「頭脳警察」を結成する以前のPANTAが、瞬間的に在籍してゐたGS「ピーナッツバター」。の、2021に発売された1stミニアルバムにメンバーとして参加してゐるおおくぼけいと、ジャケを担当した福井遥香。に、旧弊なロック村に棲む髙原秀和が出会つた契機で、企画が始動した大蔵第六作。閉鎖的かつ専制的にして因習的な、いはばROCK封建社会と髙原秀和の関係については、散々通り越して惨憺たる第二作「トーキョー情歌 ふるへる乳首」(2018/共同脚本:うかみ綾乃/主演:榎本美咲)を想起されたし、俺は思ひ起こさない。子供心に80年代は端からダサかつたけど、今やロックもダサいかー
 最初に女の乳尻方面から攻めると、マーヤとチハルならぬさあやとこはるが、咲き誇らせる筈か咲き誇らせてゐるつもりの百合が、今一つも二つも三つも、てんで満足に開花しないのが根本的な致命傷。画が汚い訳でも別にない割に、変にフラットな距離を保つカメラは当然踏み込みを欠き、所詮片方が寸胴阿亀である土台負け戦を差し引いたとて、よくいつて精々プレーンな絡みは本気で女の裸を撮らうとする、意欲の有無すら最早疑はしい。中学時代を振り返りがてら、沙綾宅にて、沙綾と小春が二人ともスクール水着を着ての一夜。女二人がスク水で、睦み合ふ。これで煽情性が狂ほしく爆裂しないのがある意味不思議な、漫然とした組んず解れつには女の裸云々に加へ、髙原秀和にフェティシズムの根本的な欠落も感じた。よもやR15ver.に余計な色目を使ひ、故意にギアを落とした訳でもあるまいが、裸映画的には竹洞哲也よりも淡白で、全く以て物足りない。ついでに導入したのがよほど嬉しかつたのかウェーブエフェクターを、事に及んでゐる間終始使用するのは効果が半減ヒアシンス、もといしやせんか。他愛ない素人考へながら、次第に昂る官能に乗じて、こゝぞといふタイミングでエフェクト起動。劇伴も猛然と追走し、覚悟を極めたカメラは決死の近接戦を挑む。なんて塩梅で、如何かしら。何でずつとフィックスなの、動けよ寄れよ、その正当な手順の外に、真に濡れ場を救ひ得る便利な近道が有りうるだらうか、黙れ。
 他方、劇映画的にも苦しいのね、案の定。沙綾は家族から愛されて育ち、マンガといふ判り易い夢も―十分現実的に―持ち。行間のダダッ広い、一方的か勝手な認識のみで片づけられるため甚だ判り辛いのはこの際さて措き、小春いはく“綺麗なものしか見ようとしない”。沙綾に対し小春が性質の悪いルサンチマンを実は拗らせてゐた、とかいふ垂直落下の急展開は生硬な脚本を火に油を注いで生硬な二番手が演じた挙句、髙原秀和自体間違つても器用な人ではないゆゑ、大人しく打ちのめされる沙綾の姿は感情移入に果てしなく遠く、力尽きたかの如く映画は一旦塞ぎ込む。と、ころが。徹頭徹尾陽性の造形を宛がはれた、東野良平が起死回生の一撃逆転を放つ。嘘でも幻想でも、いゝぢやない。物語で救はれる、誰かのために。煮詰まるほかなかつた袋小路を、温かな南風でヒロイックな作家宣言にヒッコ抜く。凡そ髙原秀和らしからぬ、豪快な力技が普通に詰んでゐておかしくなかつた一作を見事にサルベージ。斯くも爽快なラストといふのも久々に思へる、六度目の正直で髙原秀和の大蔵初日。基本地に足が着いてゐない浮遊感もしくはホバリングを、舌足らずの口跡で加速。それでゐて意にそぐはぬ、三菱の求愛は頑然と拒否。初愛ねんねが比類ない完成度で形にしてみせる、二次元の受肉に成功したかのやうな超絶の不思議ちやん造形は遠い遥か昔、「制服美少女 先生あたしを抱いて」(2004)の蒼井そらで壮絶な爆死を遂げたリベンジを、この期に及んで髙原秀和が果たしたヴィンテージの感興をも惹起する。

 最後に枝葉を一茂り、愛車はルッククロス―無論、LOOK社のクロスバイクには非ず―のダンゴムシ先生が生計を立てる手段が、今時出前の「OP EATS」といふのは小道具がよく出来てゐる割に、台詞は微妙に聞き取り辛い小ネタ。一点律儀に釘を刺しておくと、オーピーイーツは業務中の配達員に、ヘルメットを被らせた方がいゝぞ、何かと。

 飾るでなく、掉尾を騙つた筆の根も乾かぬうちに。藪を突いて、蛇に足でも生やしてのけるか。OP PICTURES+フェス2023の、全十六本からなるラインナップには何気に衝撃を受けた。堂ノ本敬太の二本目や木村緩菜長篇デビュー作―中篇?―等、外様ないし青田買ひは小栗はるひの二本含め計六本。残り十本の内訳が、竹洞哲也と小関裕次郎に、山内大輔がそれぞれ二本、こゝまでは別に頷ける。大蔵第三作はまだ来てない以上観てゐないが、石川欣が紛れ込んでゐるのも兎も角、髙原秀和が今作の続篇と更に二本。合はせて三本といふ、三本もといふ奇異にすら映りかねない重用ぶりには吃驚した。ピンクの新しい時代なり在り方を摸索するにあたつて、そもそも髙原秀和―や石川欣―を連れて来るセンスもしくはチョイスからどうなのよ、それと常々思つてゐるところでもある。監協こと日本映画監督協会に於いて、理事の要職に髙原秀和が工藤雅典と名前を連ねてゐる―実は浜野佐知もゐる―公式サイトの役員一覧を眺めるにつけ、生臭い政(まつりごと)の気配が漂つて来るやうな気もするのは、下衆が勘繰るにもほどがあるであらうか。


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 「女教師」(昭和52/製作:日活株式会社/監督:田中登/脚本:中島丈博/原作:清水一行⦅光文社・カッパノベルス刊⦆/プロデューサー:岡田裕/撮影:前田米造/照明:熊谷秀夫/録音:紅谷愃一/美術:徳田博/編集:鈴木晄/音楽:蓼科二郎/助監督:黒沢直輔/色彩計測:松川健次郎/現像:東洋現像所/製作担当者:服部紹男/出演:永島暎子・砂塚英夫・山田吾一・宮井えりな・絵沢萠子・樹木希林・久米明・古尾谷康雅・蟹江敬三・鶴岡修・穂積隆信・福田勝洋・織田俊彦・五條博・近江大介・八代康二・堺美紀子・森みどり・あきじゅん・橘田良江・佐瀬陽一・渋江一晃・藤本博之・河野道雄・佐藤義彦・白井孝幸・中原晴子・佐野美智子・桑田みどり・酒井みゆき・福田三千代・坂本万里・宮川みつ子/擬斗:田畑善彦)。出演者中近江大介と、堺美紀子以降は本篇クレジットのみ。
 所沢西部中学校、土曜の夕方。数学担当で生活指導主任の影山徹治(山田)が、未だ校内に留まる生徒にやんはり帰宅を促すどころか帰れ帰れ怒鳴り散らかす、校内放送をラウドに鳴らす。昭和の、ワイルドビート。一方音楽室では、音楽教師の田路節子(永島)がおピアノの練習に没頭。轟く影山の怒号に、節子が気持ち相好を崩してタイトル・イン。何がしたいのか黒のゴミ袋に無数の穴を開けた、不良生徒五人のデスマーチ風ロング。国語と社会科の、瀬戸山貢(砂塚)が下心を以て接近した節子に水を差す。カサブランカとカサベテス大好きオジサンから、今や“ダイウッド”の第一人者として名高い清水大敬―当人以外に担ひ手なんてゐねえ―の、声の張りで些末を捩じ伏せる馬力任せのメソッドに強い近似を覚える、砂塚英夫といふ一人の先達がゐた点は間違ひなくワン・ノブ・新たな発見。撃退された格好の瀬戸山が尻尾を撒く廊下の背中で、五人組がコソーッと音楽室に侵入。気配を察し踵を返した瀬戸山の眼前、穴は空気穴のゴミ袋を被らされた、節子が三年生の江川秀雄(古尾谷)に犯される。こゝで初陣の古尾谷康雅が、ex.古尾谷康雅で古尾谷雅人。改めてみると思ひのほか優作で、この期に軽く吃驚した。
 生徒要員は潔く諦める、配役大体残り。最初オーケン―ノーベル賞貰ふた方―かと思つた久米明は、節子が生徒からの強姦被害を訴へる校長の神野謙三。堺美紀子が校長夫人、自宅行つたんだ。絵沢萠子は秀雄を甘やかす母・明子、息子の粗相を隠匿するのに、瀬戸山を篭絡するのがこの人の脱ぎ処、と倅の癇に障り処。穂積隆信は校長以下、影山と―江川の担任である―瀬戸山の四人で事件の対応にあたる、教頭の安部誠一郎。終盤火を噴く「それどころぢやないんですよ」は、確かにその通りな呵々大笑の名台詞。たゞしその前段、こだまならまだしも、ひかりに乗つた明子を瀬戸山が名古屋に先回り、江川まで無事保護した上で待つてゐるのは何気に時空を歪める謎、飛行機なら出来たのか?鶴岡修は節子の事実上婚約者・浅井文彦、担当は英語。福田勝洋は、節子と同居する浪人生の弟・恵二、沼津が郷里。橘田良江は、職員室で何となく目立つ名なし女教師。登場した瞬間格の違ふオーラを放つ、宮井えりなはこちらも音楽教師の佐藤美也子。樹木希林と蟹江敬三は、教職員組合役員の横山百合子と同分会長の小林悟、小林悟!?史郎とする資料も見られる。この二人、節子に豪快なセカンドレイプを見舞ふためだけに出て来る、純然たる憎まれ役。八代康二と近江大介は、修学旅行の新幹線車中、気づくとゐなくなつてゐた江川を瀬戸山と捜す坂崎と早川。あきじゅんは電話口の明子後方で、目を丸くする事務員、凄まじいチョイ役。五條博は何がどうなつてさうなつたのか詳細は語られない、車サルベージ現場の刑事。そし、て。電撃のラスト三十秒、土壇場・オブ・土壇場で飛び込んで来る、球技の鮮烈な得点シーンを思はせる織田俊彦は、戯画的なトップ屋造形で神野を糾弾する記者。問題が、女中役とされる森みどりが神野邸にも、江川家―で女中の存在に言及する台詞はある―にも見当たらない件、節子宅なんて単なる安アパートだし。
 田中登昭和52年第二作は、百分といふ長尺に最後まで尻込みしてゐた、爾後足かけ六年全九作に亘る「女教師」シリーズの栄えある無印第一作。なかなかに、殺風景な公開題ではある。
 女教師の校内レイプに揺れる中学校が、正しく“それどころぢやない”更なる大事件に激震する。兎にも角にも匙を投げたのが、最初の一件を受けての四者協議。瀬戸山が火蓋を切る、浅井との交際を噂される節子の、処女非処女を詮索しだした瞬間が一発レッド、もしくはチェックメイト。曰く、被害者が男を知つてゐた場合、襲はれたとて然程騒ぐことでもないとする超方便、地殻ごと底を抜いた。そのよくいへば天真爛漫なミソジニーは、現代の鑑賞に素面で堪へ得る代物では凡そない、保守なのに。対して、「処女だらうとなからうと事件の本質に変りはないですよ!」。影山が劇中世界に残された、数少ない良心。校長相手にも平然と脊髄で折り返す、今でいふパワー系の御仁だけれど。要は端から犯人の明らかな、コロンボ式のサスペンスは瀬戸山が気づいてゐなかつた、もう一人の目撃者の存在で裸映画的にも膨らみつつ、最終的には影山が切札的に存在を匂はせる、か要は口から出任せた3rd目撃者!?を在否から、どさくさ紛れに等閑視してのけるのは地味な大穴。返す刀で<美也子は、恵二が手籠めにしてゐる最中に死んで>ゐるよね、といふのは一目瞭然明々白々の大穴。まるで蓮根ばりに、穴の数はまだ増えて行く、食べるとこなくなるぞ。特濃の教師部と比べるとなほさら、江川以外甚だ薄い生徒部はモブ同然、表層的極まりない教育批判は、枝葉も飾り損ねる。気づくと中盤以降西に東に随分退場してしまふビリングは一応頭の、濡れ場らしい濡れ場が実は一度きり。音楽室に於ける初戦は緊迫感を優先したのか、脱ぐといふほど剥かれてもゐない。瀬戸山と、節子から強奪した浅井を渡り歩く、二番手が比較的気を吐くのが関の山。三番手も、画面手前で常に何某かナメてゐないと気が済まない、砂英相手の一試合限定。終盤を完全に支配する、江川の盗人猛々しい暴走にうつゝを抜かしてゐるうちに、裸映画は案外上の空。大味の劇映画がその空白を、補へてゐない訳では必ずしもないにせよ。どうもこの辺り、三桁前後の尺に差しかゝつたロマポが、一般に下手な色目を使ひ始めるきらひは如何せん否み難い。

 とか何とか、いふ次第で。完走の過走ついでの戯れに、シリーズ全作を大雑把に概観してみる、真面目にやらんか。気づけば女教師といふより寧ろ、ツッパリ男子の映画に趣向を変へる羊頭狗肉の今第一作。あと江川が宣ふ、少年犯罪云々からの逆算なのか中学を舞台とするのは今回だけ。木に高橋明を接ぐ大概衝撃の結末を、完全無欠の小宮山玉樹起用法で緩和か昇華する力技の第二作「女教師 秘密」(昭和53/監督:白鳥信一/脚本:鹿水晶子/主演:山口美也子)。漂泊する宮井えりなこそカッコいゝ、ものの、全体的には割と行間のダダッ広い第三作「女教師 汚れた噂」(昭和54/監督:加藤彰/脚本:いどあきお/主演:宮井えりな)。矢張り何時しか女教師は何処吹く風、父娘の素頓狂な更生に物語が帰結。重ねて春休み期間中の前第三作に続き、主役を喰ふサブヒロインが登校しない関係で学校味の画期的に薄い第四作「女教師 汚れた放課後」(昭和56/監督:根岸吉太郎/脚本:田中陽造/主演:風祭ゆき)。当サイト調べで目下確認し得る、石神一の最も古いキャリアたる第五作「女教師のめざめ」(昭和56/監督:藤井克彦/脚本:那須真知子/主演:朝比奈順子)。ジグゾひとピースでレイプ犯を捜す、土台頓珍漢な無理筋さへさて措くと、女の裸的にはまづまづの安定感を誇る第六作「女教師 生徒の眼の前で」(昭和57/監督:上垣保朗/脚本:大工原正泰/主演:三東ルシア)。正直、全く覚えてゐない第七作「女教師狩り」(昭和57/監督:鈴木潤一=すずきじゅんいち/脚本:斎藤博/主演:風祭ゆき)。これがあの「黒い下着の女」(昭和57/脚本:いどあきお/主演:倉吉朝子・上野淳)次作かと、疑ふ通り越して目を覆つた第八作「襲はれる女教師」(昭和58/監督:斉藤信幸/脚本:桂千穂/主演:風祭ゆき)。第七作に劣るとも勝らず覚えてゐない、最終第九作「女教師は二度犯される」(昭和58/監督:西村昭五郎/脚本:熊谷禄朗・城谷亜代/主演:志水季里子)。「狩り」と「二度犯される」に関しては、綺麗に忘れてゐるくらゐだから大して面白くも詰まらなくもなかつたにさうゐない。だなどとぞんざいに等閑視して済ますならば、群を抜いて酷いのは80年代のダサさを結晶化したかのやうな、水木薫の髪型から頭を抱へさせられる第八作。逆に最高傑作はとなると、どれもこれといつた決め手に欠くといふのが偽らざる印象。大した中身もない癖に矢鱈と長く、正直裸も疎かな第一作。首の座らない第三作と風祭ゆきの限界が露呈する第四作に、明確に迷走する第五作。所詮は三東ルシアに恋をするしかない第六作、何れもピンと来ない。なあんて、来た日には。ムスッと黙した小宮山玉樹が一見悄然と、されど幾多の集積に裏打ちされた、一種の自信にも満ちた態度で厳かに降臨する。一個の、確固たる秩序の完成する強度をも湛へた、完璧なカットの一点突破ないし一撃必殺で、第二作「秘密」をシリーズの随一に挙げるのは、苦し紛れの酔狂にもほどがあるであらうか。


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 「淫らな唇 痙攣」(2004/製作:国映株式会社・新東宝映画株式会社/製作協力:Vシアター/配給:新東宝映画/監督:田尻裕司/脚本:芳田秀明/企画:朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・森田一人・増田恭一/撮影:飯岡聖英/録音:江口靖志/助監督:松本唯史/編集:酒井正次/監督助手:岩越留美・清水雅美/撮影助手:田宮健彦・原伸也/録音助手:原川真平/制作進行:伊藤一平/ネガ編集:小田島悦子/編集助手:目見田健/タイミング:安斎公一/現像:東映ラボ・テック/協力:KODAK・日本映機株式会社・㈲ライトブレーン・㈲フィルムクラフト・ARIES・㈱タック・請盛博行・大石和世・大野敦子・加藤義繁・樺沢正徳・川瀬毅・小泉剛・坂本礼・菅沼隆・高瀬博行・塚原ひろの・永井卓爾・堀禎一・本田唯一・女池充/作画協力:町田ひらく/スチール・劇用写真:山本千里/音楽:I am frogs 作詞・作曲:三浦細香 音楽録音:方波見寿 ♬『秋の風』・『ストロークの長さ』・『夏の甘い時間』・『八月頃』・『ふたりのファンタスティック』・『ガイドブック』/出演:佐々木ユメカ・真田幹也・堀正彦・北の国・大葉ふゆ・はやしだみき)。プロデューサーの、増子ならぬ増田恭一は本篇ママ。ひろぽんの、寛巳でなく寛己はチョイチョイ目にするが、増子攻めて来る誤クレジットは初めて見た。色々あるもんだ、感嘆してゐる場合か。尤も、単に節穴自慢の当サイトが気づかず見過ごしてゐるだけで、更に一層、雲霞の如くあれこれ溢れ返つてゐるにさうゐない、自慢すな。
 最初に降参、かういふ切り口が定番化するのも我ながら考へもの。とまれ確か64分ある筈の尺が、楽天TVの配信動画―アマプラでも―では小一時間しかない。どうも、Apple TV+だと満尺見られさうなのだけれど、率直なところもう面倒臭い。それゆゑ今回の国映大戦は、その限りを省みもせず吹く与太である。降参といふか、敢然と開き直つてみせたに過ぎないね。
 いきなり濡れ場で火蓋を、切りこそすれ。早速短尺に話を戻すとぎこちなく正常位で挿入してゐたエッサカホイサカが、出鱈目な繋ぎで―既に―口内に出された精をユメカが飲むカットに飛んでみたりと、所以の如何は与り知らぬが本来見せ場たるべき濡れ場を切る、小屋とは真逆のよくいへば斬新な手法を採つてゐる、のかも知れない。閑話、休題。フリーのカメラマン・木島みのり(佐々木)宅にて、クライアントも兼ねる『Wild Punch』誌編集長・櫛田(堀)との逢瀬、不倫の。ググッてみたころこの人これで事務所に籍を置く、置いて貰へてゐるプロの俳優部といふのに軽く吃驚した、堀正彦がまづ地表に露出する起爆装置。華や色気の微塵もない平凡な容姿に、ある意味御丁寧に棒状の口跡。兎にも角にも、あるいは火に油を注ぎ。絡みのカラッキシ出来ない大根あるいはマグロ男優部に対し、演出部による指導も凡そ満足に施されてはゐない。シンプルに能はなかつたのかそれともリアリズムか何かを履き違へ、端からする気がないのか意識的にしなかつたのか。何れにしても結果は変るまい、甚だ不格好で見るに堪へぬ。ユメカも兎も角堀正彦が対応し得る訳がないといふ消極的な理由で、よもやまさか本番とも思ひ難い反面、荒れた臨場感ならあるといへばなくもない絡みは、さりとて動物的な行為の範疇に止(とど)まり、女の裸を愉しませる煽情性ないし精神性は、絶無に近く見当たらない。
 先に進むと翌朝、寝坊したみのりが往来を急いでゐると停車した車の窓から、助手席に身を乗り出した真田幹也が「木島つて人?」。口ぶりを窺ふにみのりとは初対面と思しき、『Wild Punch』誌編集者の樫山慎一(真田)に運よく拾つて貰ふ、二人のミーツで何気にバクチクする不自然、樫山何で判つたんだ。さ、て措き。一行が向かつた先はみのりが写真を撮つて樫山が話を聞く、予定の、五年前に筆を折つた成人マンガ家・森あげは(大葉)邸。ところが当のあげは先生に復帰の意欲なんてサラッサラなく、傍若無人にカメラを向けるみのりの態度にも派手に気分を害し、結局インタビューは取れずに樫山はおめおめ敗走。一方撮るには撮つてゐる、みのりはあげはのいゝ顔が撮れたとか勝手気儘に御満悦。ユメカのエッジで辛うじて形になりは、するものの。YASHICAを万能無敵のひみつ道具か治外法権の免罪符かと勘違ひしてゐる、みのりの造形が大体何時もそんな調子。
 配役残り、四股名みたいな名義の正体不明さがエバーグリーンな北の国は、樫山の同棲相手・高野緑。緑目線でみのりが大学のパイセンにあたる、ありがちに狭い劇中世間の器用さよ。会話の流れなり雰囲気もへつたくれもなく、緑の「しようよ」で自堕落に樫山とオッ始める、へべれけな導入も流石に如何なものか。四天王より基本線の細い七福神の面々が、やゝもすると虚仮にしたかに映りがちな裸映画に、返り討たれる姿はしばしば目にして来た。殊に、一般指向を公言して広言して憚らない、田尻裕司にあつては純度の高い何をかいはんや。はやしだみきは、元編集者で配偶者の以前からみのりと面識のある、櫛田の妻・貴子。ビリング後ろ二人は不脱、につき三番手が存在しない緊縮布陣。その他『Wild Punch』編集部とみのりらが使ふ飲食店を中心に、案外結構な頭数がフレーム内に投入される。その中でも普通に台詞の与へられる、電車の中でみのりに―最初は無断で―写真を撮られる高校生カップルの、男子の方は強烈に何処かで見たやうな気がしつつ、どうしても辿り着けず。
 流石に残弾数もあと僅かの、国映大戦第六十戦は翌年の坂本礼第四作に劣るとも勝らない田尻裕司第七作。田尻裕司単独の視点だと、前作と共有した公開題のフォーマットが形式的な特徴。それに、つけても。まあ斯くも惨憺たる代物が第三位に飛び込んで来てゐた、往時のPGピンク映画ベストテンが幾ら最終的には個々人の投票制とはいへ、どうかしてゐやがつたとこの期に死人を鞭打つほかない、そんなに筆禍が美味いのか。
 好意を以て近づいて来た相手に、怪体な文脈で何故かキレ散らかす。一言で片づけると要は臍曲りか天邪鬼の女が、後背もとい後輩の男を寝取る、一度ならず二度までも。何はともあれ作品世界の醸成を根本的か画期的に阻むのは、一旦引退前編集として担当してゐた、あげはとの関係をも濃厚に匂はせ、ながらも。堀正彦の決して煌め、きはしない魅力の欠如。即ち櫛田が女々にモテてモテてモテ倒す、ジゴロぶりが通らない基本設定のレス・ザン・説得力が豚にも真珠と認識し得るレベルの大穴。談話を取り損ねたのなら、捏造して外堀を埋めてしまへばいゝ。自爆的に出鱈目な、『Wild Punch』のワイルドすぎる編集方針は土台脆弱なリアリズムの底を易々と抜き、描くべきか、描かざるべきか。有体に振り撒いてはみせるあげはの苦悩に関しても、半歩と踏み込むでなく等閑視。ある意味象徴的ではある全篇を彩る、ほどでもなく何となく寄り添ふ程度の、抑揚を欠いたメロディに声量なんて初めから求めてもゐないボーカルを細々と乗せた、I am frogsのトラックはローファイとでもいふと聞こえがいゝのか、省力化された音楽だなあ、といふ印象がより強い。録音レベルを変へたユメカの独白で、みのりの“心の声”を表出してみせる。激しくプリミチブな演出を藪から棒に繰り出すに至つては、どうかしたのか田尻裕司と軽く引つ繰り返つた。あげは先生が描く描かない、透明人間と、隙間云々。独善的に長講釈を垂れ続ける、論理の体を成してゐないみのりの方便は、畢竟ことごとく理解に遠い。唯一普通に見てはゐられる二番手一回きり戦も、然様、ノルマごなしで御座いといはんばかりの、大概ぞんざいな中途で端折る不誠実な不始末。クロウフォビアをみのりが克服する件で、娯楽映画の正道を志向した節を僅かに覗かせ、もするにせよ。そもそもみのりが烏を戯画的に怖がつてゐる時点で、所詮は木に接いだ竹。みのりがみのりなら、樫山も樫山。緑の過去を知つたにも関らず、なほのうのうと同じ轍を踏む神経といふか無神経は琴線を激しく逆弾きする。折角横紙をプチ破り十五分の一オーバーランしたにも関らず、最早時間を持て余すかのやうに漫然としたラストは、樫山が何時の間にかみのりに心を移す、展開上の大飛翔を補完しきれては到底ゐない。面白くなくいやらしくもなく、感情移入にすら難い。淀長いはくの、どんな映画にも一箇所はあるらしきチャーミング、即ち“よかつた”を全力を賭して探し抜く。本当は減点法なんて大嫌ひな、ポリアニスト決死の摸索も終に矢尽き刀折れ、最後に改めて降参。オリジナル版と比べると短い割に、途方もなく長かつた。正直途中で、今回は見るのをやめようかと何度も逡巡した。その意味に於いて、より直截にいふと負の意味に於いては、幾許かの力を有してゐた一作。とは称せようか、1mmも褒めてない、といふかマキシマム貶してる。

 付記< 動画のど頭によくよく目を通してみると、濡れ場がザクザク飛ぶのを始め五分前後間引きされてゐるのは、どうやら元々のR-18をR-15に“修正”。テレビ放送を可能にする過程に於いて、発生した事象である模様。多分、ピストン的な動作が通らない云々、何某かの線が引かれてゐるのだらう
 再付記< m@stervision大哥は今作を女性映画と看破されておいでの、やうではあれ。にしてはユメカあるいはみのりの口を借り、精飲を至極当然の性行為と看做してのける態度は、些かならず如何なものかとも首を傾げる所存


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 「私の中の娼婦」(昭和59/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:武田一成/脚本:西岡琢也/プロデューサー:結城良煕⦅N·C·P⦆/企画:半沢浩・進藤貴美男/撮影:前田米造/照明:木村誠作/録音:金沢信一/編集:山田真司/音楽:髙原朝彦トリオ/効果:小島良雄/美術:部谷京子/助監督:高橋安信/色彩計測:森島章雄/製作担当:三浦増博/現像:東洋現像所/製作協力:伊豆雲見温泉観光協会/出演:田坂都・大林丈史・朝倉まゆみ⦅新人⦆・有田麻里・荻尾なおみ・水木薫・加藤忠・粟津號・鶴岡修・松熊信義・遠山牛・阿部勉・石渡しあき・浅見小四郎・小倉茂・藤原稔之・荒尾敏明・宮内裕三)。出演者中、小倉茂以降は本篇クレジットのみ。配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。
 製配ロゴから時化の海挿んで、砂を噛む下駄。割と脱力してゐる主演女優が、しやがみ込んでゐたかと思へば、くさめをしてみたり。海を見やる桂子(田坂)を陸(をか)側から抜いた、後姿のロングが恐ろしく広い。桂子が里の中を歩く、今度は海からのロングにタイトル・イン。キッメキメの撮影部がアバンから敢然と攻めて来る一方、一つ目の“の”と“娼”が無駄に赤く着色されてあるタイトルは正直ダサい。
 アフリカの海に遠洋漁業に出てゐる、夫の帰りを桂子が来年に待つ海町。一方、骨壺を抱へ電車に揺られる黒田(大林)の、妻・郁子(水木)は間男宅にて急死。一度寝た不義の発覚を懼れる改札(遠山)を、桂子が軽くあしらふ駅に黒田が降り立つ。過去に一度、郁子と当地を訪れてゐた黒田は、現存した民宿「たつ」の同じ部屋に宿を取る。
 勘繰るに協力を得たよしみに快く首を縦に振つたか振らされたと思しき、フレーム内に雪崩れ込む甚大な現地民ないし縁故人員の頭数にも屈した、松熊信義を見つけられない配役残り。ほかに新生百合族を組んだ望月真美と、赤坂麗。優勝者が何人ゐるんだといふ、同年にっかつ新人女優コンテスト優勝者の朝倉まゆみは不良の千加、「たつ」の女将・たつ子(有田)の娘、ちなみに父親は影も形も出て来ない。黒田が浸かる共同温泉場の岩風呂、隣の湯船で盛大な青姦をオッ始める漁師夫婦は荻尾なおみと浅見小四郎。加藤忠は、黒田が舟の手配を乞ふ漁師。そして鶴岡修が郁子の情夫、ジュンちやんまでしか固有名詞不詳、外科医ぽい。家主が帰宅する以前の、郁子死亡現場に黒田がゐるシークエンスが不可思議といへば不可思議。黒田に対し、「けどよく探しましたね、こゝ」とジュンちやんがグルッと一周して感心する、エクスキューズが一応設けられはする。石渡しあきはへべれけに繁盛するスナックのママで、そこで桂子と何となく距離を近づける黒田に、小指の順番を守れと凄む男が阿部勉。粟津號は、スナック奥の間で桂子を抱く漁師。事後桂子の方からしあきママに支払ふのを見るに、連れ込み代りにでも使つてゐるといふ寸法なのか。その他タイトルバックで桂子と会話を交す魚市場要員を皮切りに、リーダー格兼千加の男でもあるタダシ以下、族のみなさんが十余人。黒田と会話を交す救急隊員に、霊安室の計三人。あと、スナック「しあき」(超仮称)で素面の映画的には木に竹しか接がない、何故か尺をも過分に費やし「兄弟船」を熱唱する謎のオッサン等々が不明。いやホント、オッサン誰よ。
 この辺り、正直門外漢かつ初見につき全く手探りのまゝに、どうもシネフィル受けのいゝらしい、武田一成のロマンポルノ最終第十七作にして監督自体打ち止め作。昭和59といふと当サイトは小学六年生、まあ四十年近くの結構な昔である。近年テレビ畑でも仕事をされてゐないゆゑ、さういふ印象になるのも致し方ないが、監協公式サイトを覘いてみるに現会員。九十二歳の、御長寿であられる。暫し名前を聞かない、米寿の今上御大はお元気しとられるのか。
 シネフィルの連中に受けるとなると、如何にも文芸臭い、お上品な代物なのかと思ひきや。女の乳尻を決して疎かにはしない、腹の据わつた裸映画ぶりが何はともあれ出色。勃つ勃たないでいふならば、ちやんと勃つ。妻を喪つた男と、実は夫を喪つてゐた女。秀逸なミスリードに統べられてゐた、淡々と進行するエロいところはしつかりエロいメロドラマの、盛り上がりなり感情移入をさりとて阻むのは。体躯も身形も扮装も、出て来た時の見た目からパッとしない漫然とした男優部主役。後々“無事故無違反無欠勤”に着弾させる目的を優先させた、諸刃の剣も覚悟の上での魚雷的なキャスティングであつたのならば、ある意味しやうがないにせよ。徐々に凄味を増す田坂都が業の深さを感じさせる桂子と、終始ニュートラルに入りぱなしな黒田の、生の濃淡がフィットしてゐないちぐはぐさが兎にも角にもな致命傷。桂子の告白に続いての、絵画のやうな曇天二連撃。蚊帳越しに桂子を捉へた画なども流石の必殺ぶりながら、少なくとも当サイトには、殊更ヨネゾーヨネゾー有難がるのは些か難い。決してそれを、第一義的に求めてゐる訳ぢやない。尤も一時間を跨いで、実際は託した相手が違つた遺志の残酷な真意が明らかとなる辺りから、足をためてゐた映画が猛然と爆加速。これは凄いものを観た見せられたと、小躍りしかけたのも束の間。結局その時点で残つた大林丈史に、矢張り以降を任せられるでなく。砂浜一面に相当数の花火を適当に挿した、終に美術部が力尽きるぞんざいなカットから、小舟が闇夜の黒牛状態の海に漕ぎ出でるや照明部も共倒れ。“お前”といふのが文脈を鵜呑みにすると郁子を指す、「俺だけだよなあ、お前のことを思つてやつてるのは」。他愛ないミソジニーを黒田が垂れ流す、屁のやうなラストで改めて失速する。


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 「不倫する人妻 眩暈」(2002/製作・配給:国映株式会社・新東宝映画株式会社/製作協力:Vシアター/監督:田尻裕司/脚本:西田直子/企画:朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・森田一人・増子恭一/撮影:飯岡聖英/編集:酒井正次/録音:シネ・キャビン/現像:東映ラボ・テック/助監督:吉田修/撮影助手:田宮健彦・小宮由紀夫・山本宙/監督助手:松本唯史・岩越留美・池亀亮輔/協力:志賀葉一、榎本敏郎、小川満、大西裕、熊谷睦子、坂本礼、躰中洋蔵、城定秀夫、日本映機株式会社、カースタント・タカ、⦅有⦆ライトブレーン/出演:佐野和宏・松原正隆・佐倉麻美・あきのなぎさ・細谷隆広・馬場宙平?・上井勉・小峰千佳・羅門中・朝生賀子・川上寛史?・藤本由紀・佐々木ユメカ)。出演者中、あきのなぎさがポスターには本名義の秋川百合子で、細谷隆広から藤本由紀までは本篇クレジットのみ。といふか画質云々以前に、アホなタイトルバックで日の透けるブラインドに白文字が飛び、俳優部の名前が二人分どうにも読めない、考へろよ。
 敗色濃厚な面接を受けて来た、旧姓岡崎の高田千春(佐々木)はエレベーターで、結婚前に勤めてゐたデザイン会社の同僚、兼当時不倫相手の芳村(松原)と再会する。何故か千春が求職中であると瞬時に察した―別の階から乗り合はせて来た―芳村に対し、千春は夫がリストラされた近況ないし苦境をサクッと告白。一旦別れたのち、五年前と番号が同じ千春の携帯に、芳村から復職を勧める電話がかゝつて来る。ポカーンとする、佐々木ユメカにタイトル・イン。
 配役残り佐野和宏が、千春の夫・良二、目下CADの資格を取るため通学中。佐倉麻美は千春の元後輩で、その後離婚した芳村の現交際相手・小林美佳。一応独身につき芳村サイドでいふと自由恋愛にせよ、美佳には劇中全く登場しない彼氏が実はゐる。そして良二が千春を外で働かせてゐるのに驚く、秋川百合子の変名のあきのなぎさが良二の前妻・本田博子。主たる離婚事由は博子の仕事、あとこの人は不脱。本クレ限定隊に、可能な限りの整理を試みると。ビリング推定で藤本由紀が最初の画面に映る、次に面接を受ける女で、千春を送り出す面接官は川上寛史?かなあ。松原正隆と大して変らない年恰好の社長含め、その他デザイン会社部―屋号不詳―が、多分馬場宙平?から小峰千佳、トム・ウェイツどの人よ。良二の前を歩く、総合資格学院に入つて行く男女二人連れのうち、軽く横顔を拝ませる男の方はa.k.a.今岡信治の羅門中、背中しか見せない女は、何処となく演出部ぽい佇まひを見るに朝生賀子ぽい。隣のベンチで黄昏る男の姿に、アテられた良二が吸はうとしてゐた煙草をボックスに戻す、矢張り職探しに苦しむ中年男は細谷隆広。凄まじく今更だけど、らもんなかて何か由来あるのかな、アナグラムにしては原型が判らん。あと、かつて千春に別れを決めさせた、子供の出来た―当時―芳村夫人の、電話越しの声の主には流石に辿り着けない。
 安い月額料金―月極でないと使へない―だと結局一本毎にポイントを消費させる、理に適つてゐなくもないが使用感としては割とまどろこしい、ビデオマーケットと正直早く手を切りたい国映大戦。第五十四戦は前作「姉妹OL 抱きしめたい」(2001)に続き西田直子と組んだ、田尻裕司第六作。素のDMMが焼野原に刷新された今、ビデマが有難いのは確かに有難いのだけれど。
 アメイジングなフランクさで元の職場に出戻つた人妻が、昔の男と焼けぼつくひに点火する。そもそも無職である以外千春と良二の関係にさしたる問題が見当たらず、忽ち芳村によろめくヒロインの姿に偶さかな下心くらゐしか窺へないのが、埋められぬまゝ放置される最外縁の外堀。十九時半にオフィスで乳繰り合ふのかよ、早えなといふぞんざいなツッコミはさて措き、定時退社した会社に謎の理由で引き返した千春が、抱き合ふ芳村と美佳を目撃。良二からかゝつて来た携帯を鳴らし、芳村のみならず気づかれてゐない訳がないにも関らず、千春との絡みで美佳がその点一切通り過ぎる途轍もない不自然さも、下手に堅実な作劇の中では却つて看過し難い。これ、「G線上のアリア」でなくて「カノン」かいな。千春のフェイバリットが往来で流れての、終に別れた筈の千春と芳村が、熱いランニング抱擁を交すシークエンスの結構なダサさに関しては、カット自体の満更でもない強度に免じてこゝはさて措く、にせよ。跨ぎで―事実上―締めの濡れ場に突入する、本来ならピンクが一番盛り上がるべき流れに、生半可な一般指向が災ひ、ジャンル映画の限界が透けてしまふのが、田尻裕司にまゝ見受けられる自殺点的な致命傷。佐倉麻美共々、感嘆させられるほどデカいデスクトップを睨みつけるオッカナイ形相を中心に、どちらかといふと努めて綺麗に美しく撮らうといふより寧ろ、飯岡聖英は佐々木ユメカを容赦なく捉へてゐたやうにも、m@stervision大哥の御眼鏡に反し当サイトには映つた。所詮この人等に、些末を力で捩ぢ伏せる、強靭な裸映画を望んでも仕方がなく。さうなるとラストの長く回すためだけの長回し―ついでに車道走んなや―が象徴的な、漫然とした一作、であつても全然おかしくなかつたところが。良二も良二で、博子が再就職先の口を利いて呉れる。壮大なラックを同じ映画のしかも夫婦で二発放つ、博子いはく確かに二度とない話に対し、如何にも佐野らしい意固地を拗らせた良二が「自力で勝たなきやダメなんだよ」。これがアテ書きでないなら何なのかといはんばかりの、佐野の佐野による佐野のためのエモーション。脊髄で折り返して命名するとサノーションが、佐野ならではの一撃必殺を轟然と撃ち抜く。


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 「姉妹OL 抱きしめたい」(2001/製作:国映株式会社/配給:新東宝映画/監督:田尻裕司/脚本:西田直子/企画:朝倉大介/撮影:飯岡聖英/撮影助手:板倉陽子・斎藤徳暁/助監督:大西裕・管公平/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/現像:東映化学/スチール:稲葉輝矢/協力:朝尾賀子・石川二郎・今岡信治・落合一衡・草野未有・小泉剛・斉藤一男・佐々木直也・茶園佑記・宮地香奈・シーズクリエイティブ/応援:伊藤一平・菅沼隆・永井卓爾・堀禎一/出演:野村貴浩・松原正隆・伊藤猛・佐藤幹雄・伊賀哲也・金井悦子・中川真緒・足立建夫・乱孝寿)。何か違和感を覚えたのが、個人は五十音順に並ぶ協力の、朝生でなく朝尾賀子は本篇クレジットまゝ。
 開口もとい開巻一番、金井悦子がいきなり、後背位で挿される。結果的にアバンを潔く一幕・アンド・アウェイで駆け抜ける、男優部絡み要員は佐藤幹雄。男が果てると、女は余韻も漂はせず即ベッドを離れる。チャットでなく、直電で二度目―以降―の逢瀬を望む男に対し、金井悦子は生返事。ハンドルが金魚の所以に関しては、飼つてるからと答へる。カット根も乾かぬうちに、大内葉子(金井)がフィーチャーフォンから佐藤幹雄の番号を消去した、往来のロングにタイトル・イン。件の金魚がフィジカルを飼育するのではなく、2001年水準にせよこれはなく映る、原初的なクオリティのCGが泳ぐのを眺めて葉子が自分の時間を愉しむ、今となつては謎めいた風俗に軽くわだかまる。
 葉子の実家である、深夜の大内家。砂嵐を吐くテレビの手前で、母・清子(乱)が飲んでゐる。翌朝、父親の健次(足立)が目覚めると、家内に清子の姿はなかつた。共働きの夫・達郎(野村)と暮らす、葉子の妹で玩具会社に勤務する香(中川)のアパートに、家を出て来た清子が現れる。健次からの電話に香が清子は来てゐないと嘘をつく一方、健次も健次で、忘れ物を取りに帰宅したところ家が無人と茶を濁す。職場の編集プロダクション「飯島出版」に健次からかゝつて来た、電話をにべもなく切つた葉子は、次なるハンドルにネオンテトラを見繕ふ。そんな最中、念願叶つての企画部異動を香が喜んだのも束の間、会社を辞め田舎で農業をやりたいだとか、達郎はありがちか漠然とした寝耳に水を差す。
 配役残り、この人意外と髪型が安定しない伊藤猛は、葉子の上司で元不倫相手のクガ。葉子をランチに誘ふ、女の同僚は手も足も出せず不明。未だスマホのない時代ゆゑ、にしても昼休みに職場のPCで2ショットチャットの「ラブネット.COM」を開く、葉子の大概無防備な行動もどうかとしか思へないが、それはさて措き松原正隆は葉子がネオンテトラでオフる、ケントこと藤川タケヒサ。一夜限りの関係を頑強に宗とする、葉子改め今度はエンゼルフィッシュと、藤川がたけしの名前で図つた再会。大勢の行き交ふランデブー地点、顔の横に差し出した「KENT」の箱で、名乗るメソッドが河島英五の次の次くらゐにダサくて七転八倒の悶絶必至。伊賀哲也は、入れた小銭を吸ひ込んだ、酒の自販機に殴る蹴るする図体のデカい輩。あと清子が蕎麦を食べてゐる店から、出て行く男が多分今岡信治。そんな風に、そこかしこ誰かしら見切れてゐるのかも知れない。軽く結論を先走ると、劇中葉子が使用するハンドルが、順に金魚とネオンテトラにエンゼルフィッシュ。ワンナイトラブに固執する意固地を拗らせてゐる風を、あへていふならば装ひながら。其処には何処かに、見つけて貰ひたい捜し出して欲しい屈折した惰弱さが、矢張り見え隠れしまいか。
 乱孝寿最後の濡れ場、といふ判り易く且つ歴史的なトピックの陰で、野村貴浩のピンク筆下しも兼ねてゐる田尻裕司2001年第二作で国映大戦第四十九戦。田尻裕司的には、通算第五作。
 老母の出奔を契機に、二組の夫婦と刹那的な男漁りに明け暮れる主人公の立ち位置とが揺らぐ、所謂よくある話。一見、自己中心的で冷淡な葉子の造形をこれ見よがしか悪し様に描くのは、一種のミスリーディング。家庭をまるで顧みない夫との関係に疲れ、酒に浸つた実相を家族の中で長女にのみ見せてゐた。即ち、詰まるところ葉子を壊した清子こそ、今でいふ毒親である真相が観客には提示されつつ、展開の中で決して満足に消化か昇華される訳でもない、土台根本的もしくは構造的なアキレス腱に加へ。逆の意味で見事なのが、揃ひも揃つて全員自堕落な主人公とその親族一同。ビリング順に、へべれけにモラトリアムな癖して、妻には何気に高圧的な妹婿。自宅の表でうづくまつてゐた女に、葉子が心配して声をかけてみると泥酔した実の母だつた。割と衝撃的な対面を果たしてなほ、日課のラブネット巡りは欠かさない。即ち、アルコール中毒の母親に劣るとも勝らず、出会ひ系依存症の姉。腐れ配偶者に毅然とした対応のとれない妹と、自らを省みる、術すら恐らく持たず、都合が悪くなると都合よく昏倒する父親。全うな人間が一人も見当たらない、実は壮絶なホームドラマがハッピーエンドに辿り着くだなどと、それは確かに至難の業。藤川に本名を渡す、踏ん切りをつけた葉子は、まだしも新しい一歩を明確に踏み出す。尤も両親に関しては恐らく治療を要する筈の、清子のアル中に関してはスカッと等閑視。健次も別に、甚だしく鈍い呑気ぶりから何も変つてはゐない。夢見た玩具作りと、山梨に移り住む夫。困難な二者択一を迫られた香が、車を出す男と踵を返す女の、ソリッドな別れで答へを出せたかに一旦思はせ、どうやら、最終的にはそれも怪しくなつて来る模様。香はケリをつけられず、達郎は元々身勝手なばかり。ヒロインが開ければ最低限の形にはならうかともいへ、熟年の大内夫妻ともども、互ひに幼い妹夫婦が何れも甚だ覚束ない。雨は降れど地は固まらず、まだまだ全然ぬかるんだまんま。端から目指してもゐなささうだが、斯様に無様なザマで、物語が心地よく着地する訳もなく。
 裸映画的には相方の固定される、二番手が逆の意味で綺麗に出し惜しまれるか持ち腐らされる反面、金井悦子は序盤中盤と十二分に脱ぎ倒し、絡み倒し、はするものの。挙句結局抜け損なふのも兎も角、ドラマの進行に尺を削がれる形で、終盤は寧ろ完全に沈黙。代つて乱孝寿最終戦で、締めを賄ふメモリアルな気概、と行きたい、あるいは行きかける行きかねない、ところではあつたのだけれど。それならば全体何処から拾つて来たのか、どうもカメラの前よりも主戦場は板の上ぽいスポット参戦の馬の骨でなく、そもそもガミさんなり久保チンを健次役に連れて来ない辺りに、量産型裸映画が塵芥を盛大に積もらせた大山と、誠実に向き合ふ意識も所詮窺へず。要は必ずしも乱孝寿でなくとも、脱いで呉れる同世代の女優部であれば別に誰でもよかつたにさうゐない。破格ならぬ、端額のギャラで。何よりガチのマジで怒髪冠を衝いたのが、伊賀哲也との―こゝは手放しで心温まる―ファンタジックな酒盛り経て、清子が往来に停められた、まづ他人のママチャリを戯れに漕ぎ遊んで、ゐると。ストッパーがかゝつてゐなかつたスタンドが外れるのみならず、施錠すらされてゐなかつたらしく、期せずしてチャリンコが走り始める件。日常的はおろか正しく飲んだ直後の飲酒運転で、清子が―満足に扱へもしない―盗んだチャリで繁華街を危なかしく右往左往するシークエンスが言語道断。偶さかな解放感ないし多幸感でも表したかつたのか、よもや表したつもりならば笑止千万、万死に値する。八ヶ月待たされて漸くベルトクロスが納車した、自転車乗りとして渾身の言葉を選ぶと、息するのやめれBBA。犯罪的なハイライトが映画を木端微塵に爆散する、国映大戦史上最悪の惨劇。といふか、正真正銘の犯罪でしかない。きちんと乗らないか乗れないならチャリンコ乗んな、歩けボケ。


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 「痴漢保健室」(昭和59/製作:獅子プロダクション/配給:株式会社にっかつ/監督:滝田洋二郎/脚本:高木功/企画・製作:奥村幸士/撮影:志賀葉一/照明:吉角荘介/音楽:早川剛/美術:村岡鉄雄/編集:酒井正次/助監督:佐藤寿保/製作担当:大久保章/製作進行:井上潔/監督助手:橋口卓明・岩井久武/色彩計測:大輪吉数/撮影助手:池田恭二・片山浩/照明助手:井上英一/編集助手:岡野弘美/スチール:津田一郎/車輌:石崎マサュキ/録音・効果:銀座サウンド/現像:東洋現像所/出演:滝川真子⦅新人⦆・真堂ありさ・織本かおる・林香依兌・藤冴子・青木祐子・高瀬ユカ・葉山かすみ・江口高信・荒木太郎・青嶋卓弘・片岡忠太郎・池島ゆたか・螢雪次朗)。出演者中、滝川真子の新人特記に、藤冴子と高瀬ユカから江口高信、青嶋卓弘と片岡忠太郎は本篇クレジットのみ。配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。あとこれ、色彩計測は誰の変名だ。
 ど頭は意表を突く南米大陸の地図、螢雪次朗のモノローグが起動する、“1984年九月、南米ペルーの港で日本人考古学者の他殺死体が発見された”。殺されたのはインカ帝国史を専門とする高橋教授(スナップ主不明)で、高橋の遺族は高校生の娘が一人きり。さういふ次第で件の真子(滝川)が、八校目の転校先となる「友愛学園」の校長・石橋(池島)と校庭にて対峙、名乗りはせず挨拶したロングにタイトル・イン。ちなみに炎転の連載期間が、昭和58年から60年。
 まづ真子が向かつた先は保健室、最初に、入校手続き的な段取りとして身体検査が行はれる。とかいふ安んじて底を抜く方便、其処で立ち止まるのは料簡の狭い不調法。螢雪次朗が偶々その場に居合はせた好機に情事、もとい乗じて真子に破廉恥検査を施す用務員のモリゾーで、一頻り滝川真子の裸を拝ませたタイミングを見計らふ、織本かおるが本物の保険医・キョーコ先生。モリゾーを放逐するキョーコ曰く、「用務員の癖に、さつさと便所掃除でもして来なさい」。昭和の、最早煌びやかなほどの差別意識。再度ちなみに、佐藤正の『燃える!お兄さん』が燃えたのは六年後の1990年。
 これで生徒会長といふシゲル(青嶋)と、弟分(片岡忠太郎/以下役名不詳につきメガネ)の通学電車痴漢を被弾した真子に、友愛学園で番を張る田中春子(真堂)が接触。今回得た知見が、真堂ありさと早乙女宏美(ex.五月女宏美)はリアルに映る姉妹役がイケたのではなからうか。痴漢に遭つた側に対し、ちよつと可愛いから系の理不尽な因縁をつけて来る春子を、予想外の戦闘能力で真子は圧倒。返り討つた春子に、真子が助力を求める。遺跡から見つかつた巨大なダイヤが日本の密輸団の手に渡つた事実を知り、高橋は消される。ダイヤは学校使用の剥製教材に隠され日本に、該当するブツは全部で八つ。そのうち七つを潰して来た真子が、最後の友愛学園にあるに違ひないダイヤ探しの仲間に春子を引き入れる、思ひのほか正攻法の物語である。
 俳優部残り、ペルーから帰国する江口高信は高橋と発掘調査をともにしてゐた助教授で、真子にとつては婚約者でもある原。荒木太郎は一目惚れした真子との、他愛ない会話に背中を押され野球部に入部する荒木クン。丸刈りの途中で嫁と三波春夫ショーに行つてしまふモリゾーから、ハート型モヒカンに刈り上げられる体当たり演技。を認められたのか中途入部にしては、7番なんていゝ背番号を貰ふ。林香依兌は基本手洗での自慰行為に長々耽り倒す、2年B組―真子もB組で、春子はC組―の春風留子。外界の喧騒を余所に、延々弄つてゐるパワー系の濡れ場要員ぶりも兎も角、そのアイシャドウを、友愛の校則は許すのか。そし、て。絶対に読めない配役に大いに悩まされたのが、藤冴子以下、ラスト五分まで温存される女優部なほ四枚。追ひ詰められた春子がダイヤを逃がした留子の検便容器が、石橋の手許に転がり込みかけたのを、真子が窓の外に蹴飛ばす。それを下で一本足打法を特訓してゐた荒木がカコーン、プリミティブ特撮も駆使する特大の場外弾。結局容器が着弾した先が、女湯だなんて驚天動地の超展開、素面で予想し得る訳がない、ファンタジックにもほどがある。その他、友愛校内のキャッチボール二人組と、tactに元々乗つてゐた原チャリライダー。女湯要員は四人に加へ番台込みでもつと大勢ゐて、更に男湯にも三人―この辺は演出部臭い―と、連行する石橋と原に向かつて「絶対死刑にしてやるからな!」、矢鱈アグレッシブな制服警官等々、十を優に跨ぐ人数が投入される。一応ツッコんでおくと、判決下すのはお前ぢやねえ。
 滝田洋二郎の昭和59年薔薇族含め第七作―薔薇族撮つてたんだ―は、通算八本撮つてゐる買取系ロマポの一本目兼、量産型裸映画的には買取系を主戦場―滝田洋二郎以外では弟弟子のナベ、と山晋―としてゐた滝川真子の銀幕デビュー作、最後のちなみに引退は63年。探つてみると滝田洋二郎の買取系がex.DMMで全部見られるゆゑ、ぼちぼち掘つて行かう。
 少々無理からでも適宜絡みを捻じ込みがてら、案外女の裸も疎かにはせずインカの秘宝争奪戦を繰り広げる。そこかしこ否み難いチャチさにも臆することなく、勢ひに任せ堂々と走りきる王道作。痴漢が本筋に必要ない単なる有体な看板に過ぎず、保健室もワン・ノブ・舞台に止(とど)まる限界にさへ目を瞑るならば。木に三番手を接いだかに思はせた、シゲルが実録隠し撮りの裏ビデオを盗撮した夜の保健室でのキョーコと石橋の逢瀬の中で、ダイヤが校長室にある旨語らせる、力業の限りでもあれ超絶の導入が火を噴く辺りから展開が猛加速。女湯の飛び道具にも驚いたが、無人で暴走するtactに飛び乗つたはいゝものの、運転の出来ない真子が最終的に、あれよあれよと女湯に飛び込む極大スペクタクルには度肝を抜かれた。映画とは、あるいは人間の想像力とは斯くも自由なのか。無事悪党もお縄を頂戴した一件落着後、モリゾーが何時の間にかか何故か仲良くなつた藤冴子を全裸のまゝtactの二尻に乗せる、イヤッホーな多幸感弾けるカットも大団円の枝葉を鮮やかに軽やかに彩る。反面、そこで力尽きた感もなくはない、エピローグの蛇に足を生やし気味が娯楽映画の難しいところ。火の玉ストレートな荒木の告白を形か口先だけ満額で受諾しつつ、真子は満足に足を止めもせず歩き去り、荒木とモリゾーもワーワーしながら銘々適当に捌けて行く。結果フレームの中に誰もゐなくなる、無常観紙一重のぞんざいなラストが、別に象徴的ではないが何となく印象的。そもそも、ペルーの国内法が当時如何に規定してゐたのか、きちんと調べるのも面倒臭いが良識的に考へて、真子が奪還したつもりのインカダイヤ―方便的には一応、安く買ひ叩いた形になつてはゐる―は政府あるいは土地の所有者、何れにせよペルーのものにさうゐない。何ならマッシブな肢体が堪らない南米女が滝川真子と真堂ありさを倒しに来る、外タレ続篇も撮らうと思へば撮れてゐたところですらある。

 と、ころで。神の特に宿りもしない、些末を二つばかり。真子が原を訪ねた象牙の塔、擦れ違ひざま小耳に挟んだダイヤの単語に顔色を変へる、白衣は着てゐるグラサンのアフロの正体や果たして如何に。終盤、邪気のない変態性を爆裂させるメガネが呑気に舌鼓を打つ、春子の代返ならぬ代便(声の主は混同も禁じ得ない池島ゆたか)のオチ。以上二点を、回収しないで放たらかしにして済ます。グラサンアフロは、何時か何処かで見た顔のやうな気も凄くするんだけどな。


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 「海底悲歌」(2021/製作:大阪芸術大学・映像制作集団カナリヤ/監督:堂ノ本敬太/脚本:松田香織・堂ノ本敬太/卒制担当:大森一樹・冨永憲治・金田敬/撮影:佐藤知哉・古川桂一・近藤戀美/照明:山村拓也・平田葉月・中浦亮典・伊藤大晴/美術:宮下承太郎・林龍太郎・南崎壮一郎/録音:鵜川大輝・小林一晴・小山奈々巴/特機:松井宏将/衣装:近藤綾香/制作:山田翔一朗・奥山颯音/助監督:二村俊之介・大河聡・林菜々子・佐藤桂一/編集:堂ノ本敬太/応援:門田啓・梶川翔・北条弘登・鎌倉千夏・的野ちはる/協力:菅野太亮・三井秀樹・畠中光炎・田仲悠介・上中健児・永澤こうじ・御所市役所地域振興課の皆様・御所実業高校事務局・旧御所東高校・陶芸教室『晃炎』・東川酒店・森川商店・新地商店街・はっぴ~じゃぶじゃぶ・タマキチ洋品店・洞川温泉観光協会・げんき大崎プロジェクト・旅館『角甚』・Tegami Cafe・Morison Cafe/キャスティング協力:高原秀和/出演:燃ゆる芥・長森要・生田みく・住吉真佳・小林敏和・波佐本麻里・フランキー岡村・四谷丸終・桜木洋平・佐野昌平・中岡さんたろう・伊藤大晴・川瀬陽太)。出演者中、住吉真佳から伊藤大晴までは本篇クレジットのみで、キャスティング協力の高原秀和が髙原でないのは、本篇クレジットまゝ。
 どうも実際には洞川温泉(奈良県天川村)ぽい天川温泉、一角に停められた「天川コンパニオン」送迎車。コンパニオンの梨奈(生田)が、高校の同級生である運転手の木村(長森)に、もう一人ゐる新人を残し車を出すやう促す。時制を軽く混濁させる、無造作な繋ぎ。木村と撮つた卒業式当日スナップの飾られた部屋で、伊藤文乃(燃ゆる)が一日の終りに日記をしたゝめる。日記帳のハードカバー表紙にタイトル・イン、“背徳の旋律”と副題で蛇の足を生やす。工藤雅典の電撃大蔵上陸作「師匠の女将さん いぢりいぢられ」(2018/共同脚本:橘満八/主演:並木塔子)で初陣を果たした生田みくが、かれこれ五戦目。そこでこゝに飛び込んで来るフィルモグラフィーといふのも、なかなか所謂“持つてゐる”。
 朝の支度をする文乃の部屋に、同居する父親・義昭(川瀬)が現れる、早速へべれけな状態で。アルコールに脳の浸かつた義昭は、実の娘を亡妻・のりこ(波佐本)と誤認し尺八を吹かせる、のに止(とど)まらず机上に押し倒し正常位、といふ絡み初戦。いざ乳を剝く瞬間、何故カットを無駄に割る。いよいよ挿入して以降も以降で、たとへ女の乳尻も満足に見せずとて、男が腰を振つてさへゐれば絡みだとでも思つてゐるのなら大間違ひだ、当サイトはさう憤る。兎も角さういふ次第で文乃は実父と日常的に関係を持ち、それは何時しか、周囲にも知られてゐた。藤原(フランキー)と柴田(四谷)の座敷に浴衣の梨奈が呼ばれる、着付なんてゐないんだね。豪快にも藤原と梨奈が縁側でオッ始めた超絶の間の悪さで、遅れて来た文乃が水を差す。詳らかは語られないまゝに、かつて木村と梨奈の担任であつた文乃は、コンパニオンに転職してゐた。国沢実がよく使ふ物置と雰囲気の似てゐる、雑然とトッ散らかつた空間に、鍵盤楽器の置かれた謎部屋。ドライバーのゐない送迎車に近づいたところ、何処からか洩れ聞こえて来る「別れの曲」に誘はれた文乃が、本当はピアニストを志してゐた木村と再会する。クローズドなストリートピアノの所有権から判然としない、正体不明のロケーションにて。即ち、アバンに於いて取り残される“新人”が、文乃といふ寸法。行きは常に現場直行の文乃が、帰りだけ送迎車に乗るのかよとそこから満載どころか純度100%のツッコミ処で構成されたが如き、壮絶に頓珍漢なシークエンスに抱へ込んだ頭が圧砕されさうになる、流石アマチュアだ。
 配役残り、如何にも其処ら辺にゐさうな輩に映るのが演技力の賜なのか、単なる地金なのかよく判らない小林敏和は木村の同僚。輩二号の桜木洋平と、オーディションで選ばれた当時大学生にしては、堂々たる脱ぎつぷりで三番手の大役―大きいか?―を十全通り越して十二分に果たす住吉真佳は、文乃と木村が忍び込んだ廃校に、二人の人影か気配を追ひ侵入する駆け落ちカップル・雄二と葵。折角盗んだ送迎車はどうしたのか、木村と文乃は電車で海辺の町に。伊藤大晴は無人販売所から無賃で蜜柑をカッぱらつた文乃らを、すぐ脇の茂みから見咎める農家の人。だからそこに人がゐるのかよと呆れさせるくらゐなら、その頭数別に要らなくねといふのは、潤ひを欠いたレス・ザン・心の余裕。佐野昌平と中岡さんたろうは、大の大人が二人ゐて宿代にも事欠くのか、波止場で寝てゐる文乃と木村に、声をかける地場の漁師。佐野昌平が河屋秀俊(ex.川屋せっちん)に似てゐる方で、中岡さんたろうが見事な彫物を背負つてゐる方、出し抜けに。刺青のスタクレも見当たらないゆゑ、まさかのもしかすると本物なのかしらん。
 大阪芸術大学の卒業制作が裸映画を理由に一旦上映中止、五十音順に大森一樹・金田敬・川瀬陽太らの尽力で、上野オークラでの劇場公開に漕ぎつけたとかいふ箔のついた一作。遥か彼方の超昔に似たやうな話―細山智明の「実録 桃色家族性活」(昭和59)―を耳にした記憶が既に定かでないのはさて措き、2021年作を大体順々に消化してゐる―筈の―KMZの番組が、今月の偶さかか堂ノ本敬太と角屋拓海を飛ばしてしまつた事態に伴ひ、配信で事済ませたものである。問題は角屋拓海の「唄へ!裸舞ソング ふれてGコード」(主演:川上奈々美)に、未だ二次利用の沙汰が一切聞こえて来ない件。ついでで悶着しつつ母校に職を得た堂ノ本敬太が、目下第二作「ただいま、性春。」を準備中とのこと。脊髄で折り返した老婆心、もしくは他愛ない素人考へながら、それはシナリオ題に留めておいた方がいゝ気がする。
 小林敏和が寄こした住所を頼りに、木村が文乃宅を二度目に訪ねると不用心か不自然にも鍵が開いてゐて、今も憧れの伊藤先生は例によつて義昭から犯されてゐた。慌てて木村が制止に入つての、情けなく組んず解れつする別の意味で見るに堪へない修羅場。文乃は在りし日の父親に買つて貰つた、ハードカバーで義昭を撲殺する。とても成人男性が死にさうには、見えない殴打で。斯くいふ流れでの、ありがちな逃避行。はてさて、とりあへず途方に暮れてみる。粗が多すぎてといふか、要は三番手以外基本全滅全壊の様相を呈する死屍累々木端微塵の一作につき、何処から手をつけたものか考へあぐねる。もうそれ、何処でもいゝんだろ。
 実は音楽を未だ諦めきれてゐない木村が、後生大事に持て余す何某かエントリーシート系と思しき書類は、結局終ぞ抜かず半ば等閑視した状態で済まされる。ピアノの現況を訊かれ「聴いて呉れる人をらんかつたらただの趣味ですよ」と自嘲気味にうそぶく木村に対し、再び聴かせて呉れるやう乞ふた文乃は「そしたら木村君ピアニストやろ?」。実は実に洗練された会話ではある、自意識を拗らせた芸名から生温かく微笑ましい燃ゆる芥の、令和の今くるよを思はせる阿亀顔―と寸胴体型―に目を瞑れば。特に演者を派手に動かさずとも、そこかしこ不調法な堂ノ本敬太の編集に劣るとも勝らず、心許ない口跡よりも寧ろ甚だ申し訳ないけれど主演女優の御愛嬌な面相が、一言一言の台詞単位で映画を支へきれてゐない。第一次伊藤家訪問時、窓に覗く文乃の姿に相好を崩しかけた、木村の表情が強張る。文乃の背後から、義昭が娘に忍び寄る百万遍は目にした類型的なカット割りは百歩譲れなくもないとはいへ、画面左半分が壁で塞がれる、窮屈な画角はもう少し余所で撮れなかつたのか、ロケ狩れよ。大して機能もしない文乃のアディクト設定に、意匠自体の藪蛇さを棚上げすればそれまで懸命に健闘してゐた美術部が、急に精魂尽き果てる一欠片の意欲も感じさせぬゴミのやうなトンネル封鎖。挙句抜ける目的限定のトンネルを抜けた先が、序盤のピアノ部屋に矢張り劣るとも勝らず凄まじく木に竹を接ぐ、闇雲に煌びやかなネオン部屋だなどといふ地獄絵図。そこに転がつてゐるのが驚愕のレコード・プレイヤーで、しかもLPまで御丁寧に放置されてゐて文乃が「別れの曲」を鳴らす執拗さには、気の遠くなるダサさに精神的な殺傷力すら覚えた。その前段、飲み物を買つて来ると称して一旦捌ける木村が、勝手に蹴躓くのも大人しく撮り直せば?大事な最終盤なのに、一応。柴田が文乃に一体何時挿したのかどさくさ不明瞭な、大概な後背位にもガチのマジで怒髪冠を衝いたが、佐野昌平に続き、文乃が中岡さんたろうからもレイプされる件。正常位の体勢から中さんが仰向けに体を倒す騎乗位移行で、燃ゆる芥の上半身がフレームから外れる間抜けさ加減にも勿論ズッこけた、全力でズッこけた。直截に筆を荒げるとバッカぢやねえの、裸映画ナメてんのか。全般的に画的な旨味にさへ欠き、何気に長く回す、木村と文乃が船着場でうだうだ無駄口を垂れるロング。木村の口から「夜の海つて何か綺麗ですね」といはせたいのなら、頼むからもう少し綺麗に撮つて呉れないかな。木村と雄二に葵も加はる、体育館バスケ。ボールが明後日に転がると唐突に暗転、文乃が意識を失つてゐたぽい魔展開や、所々ガッチャガチャでよく聞こえない録音等々、まだまだまーだまだ、色々盛り沢山なのはもう際限がない、先に進め。そんな、過積載なあれやこれやをも根こそぎ薙ぎ倒す、今作最大最悪のどうしやうもない致命傷は。文乃が柴田から手篭めにされた様子を、抵抗しつつ気持ちよささうにしてゐた旨嬉々と報告する梨奈が、泣きだした木村に「女なんてそんなもんやで」。チェックメイト、その瞬間、この映画が詰んだのを確信した。義昭や漁師は明示的に述べ、木村も木村で否定しもしない、女は男に頼つて生きてゐればいゝとする、どうあれ女なんて突っ込まれれば悦ぶ生き物と看做す古色蒼然としたミソジニーを、旦々舎作の苛烈なヒロインのやうに、文乃が毅然か轟然と爆砕する訳でもなく。濡れ場そのものはそこそこ見事なクライマックスの一戦、「ずつと抱かれて来たんやもん」、「今度くらゐ自分から抱かせてよ」とある程度スマートに火蓋を切り、こそはすれ。木村マターで突入しては意味のない二回戦―は中途で端折られる―の、正しく以前に。その情交を、後背位で〆てゐては締めの濡れ場が締まるまい。そこは女が跨つた男を一方的に貪り倒すエモーションを、ショットとして判り易く見せられる騎乗位、より望ましくは男に尻を向ける、背面騎乗にさうゐない。量産型裸映画固有の文法とは、さういふものなのではなからうか。詰まるところ何がいひたいのかといふと、大蔵は格好の話題性含め、上手いこと新しい血を入れてみせたつもりなのかも知れないが、よしんば時代に即してアップデートされたピンク映画を摸索するにせよ、堂ノ本敬太を連れて来るのは根本的に間違つてゐる。端的にクオリティから低い斯様な無様、渡辺護の旧作でも上映してゐる方がまだ出来もマシ、どうせ何れも旧い。降り頻る特機雨の中に文乃が適当に消えた、トンネルに木村がホケーッと無為に立ち尽くす非力なタイトルバックが、スポイルドな一作を象徴する。率直に負けを認めると、顛末にまんまと釣られた格好か。さうなるとそれはそれで、客を呼んだ時点で映画―または小屋―の勝ちと看做すならば、企画的にはある意味秀逸ではある。
 最後に、文乃の尊属殺が当日夜には、少なくとも遺体発見の体で事件化してゐたにも関らず、ネオン部屋で戯れに点けてはすぐに消すラジオの中で、“この事件は昨日”だなどとニュースが読んでのけるプリミティブな粗忽は全く以てどうしたものか。その後文乃と木村が廃校と漁師宅とでそれぞれ一泊してゐる以上、最低でも二昼夜が経過、時空が歪んでゐる。上野に至つた経緯を真に受けると大蔵は兎も角、大芸はセイガクに撮らせる卒業制作の脚本に、事前に目を通さないのかな。

 筆の根も乾かぬうちの付記< どうやら「海底悲歌」は元々上野でしか上映しない、津々浦々に巡らせる弾では端からなかつた模様。成程、それで漸く、公開から一年にも満たない円盤発売と、一年ちよつとでの配信開始。明らかに他と一線を画す、群を抜いた早さにも合点が行く。だとしても、あるいはそれでもなほ。そもそもオーピー肝煎りの新人監督発掘プロジェクトに出自を持つ、角屋拓海が来ない理由は依然不明のまゝ残される。・・・・も、もしかして、といふのがもしかしないのか。俳優部に、榊英雄が名前を連ねてゐるのがよもや禁忌に触れた?時限爆弾かよ


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 「人妻一番! 二人きりトゥナイト」(2021/制作:ラブパンク/提供:オーピー映画/監督・編集:髙原秀和/脚本:宍戸英紀・髙原秀和/音楽:野島健太郎/撮影:下山天/照明:田宮健彦/録音:田中仁志/助監督:森山茂雄・福島隆弘/協力:末永賢・能登谷健二/スチール:本田あきら/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:希島あいり・七菜原ココ・長谷川千紗・東野良平・重松隆志・小田飛鳥・酒井健太郎・安藤ヒロキオ・直樹フェスティバル・山岡竜生・森川凛子・加藤絵莉・三森麻美・西坂伊央里)。
 トロリーバッグを引き引き、希島あいりが土手を画面奥に進む。振り返り、左手の指輪を抜き放り捨てかけ、思ひ直してタイトル・イン。先走ると当然、アバンを引つ繰り返し手前に歩いて来るのがラスト。そこだけ掻い摘むと、まあ綺麗な構成を採つてはゐる、そこだけ掻い摘むと。
 劇中明示はされないものの、まづ間違ひなく新宿のロックバー「VELVET OVERHIGH'M d.m.x」、屋号の闇雲さが何か象徴的。映画監督で雇はれ店長の和田黎明(重松)が、育成中の若手脚本家・奥野一平(東野)に書かせたホンをVer.Ka,Ver.Ka、もといバーカバーカ木端微塵に酷評するプチ修羅場に、上京して和田を訪ねて来た人妻・相澤か相沢真夏(希島)が闖入。映画を十年発表してゐない和田にとつて、目下の監督らしい仕事は精々地方で開催される映画祭の審査員くらゐ。その出先、戯れに和田からスマホを向けられ女優に口説かれた真夏が、何と家を出て来たものだつた。さうは、いへ。その場の軽口を真に受けた間抜けを、ただでさへ尊大な和田が相手する訳もなく。ぞんざいにあしらはれ激昂した真夏は、珍グダムのジャリタレ主人公なんぞより余程腹から出る見事な発声で、バカッ!と叩きつけ「d.m.x」を飛び出す。後述する一旦中略、橋の上にて一平と再会した真夏が、福本桃彦(酒井)が大将の居酒屋を経て、完全に酔ひ潰れた状態から目覚めるとそこは一平のアパートで、しかも―お乳首をチラ見せする―下着姿。フィクションの嘘を煌めかせそのまゝ居ついた真夏は、二人で和田の鼻を明かさんと一平の尻を叩く。
 「d.m.x」を飛び出したガチのマジで次のカットで、バットマンみたいなラバーマスクで「ワン」と鳴く奴隷男に真夏が引く。凄まじく唐突な木に接いだ竹には面喰ふのも通り越し、普通に度肝を抜かれた。上映素材がフィルムのプリントといふならまだしも、円盤なのによもやまさか飛んでゐるのではあるまいなとか本気で不安になつたぞ。気を取り直して配役残り、山岡竜生のゼロ役目が犬以下の犬もとい豚で、髪をアップにすると令和の早乙女宏美ぽく映らなくもない、七菜原ココが女王様の斎藤華香。マキシワンピとスクエアがエモい小田飛鳥は、一平が橋で待ち受ける中学からの同級生・新山由佳、実は杉原みさおと同じメソッド。小田飛鳥が裸仕事も辞さない御様子につき、ピンク本格参戦して呉れないものか。インティライミに肖つたのか直樹フェスティバルは、一平のバイト仲間・田辺謙司。カウンター下で和田に尺八を吹いてゐる、元カノ・井原未来(長谷川)の露を払ふ背中しか拝ませないロン毛男は、多分能登谷健二。この御仁が一番最初に組んでゐたか入つてゐた、バンドに辿り着けない。過剰気味の前髪が絶妙にオタクみ漂はせる安藤ヒロキオが、真夏捜しに奔走する夫・高志。高志が最初に「d.m.x」の敷居を跨ぐ折、カウンターにもう一人ゐるのは末永賢。改名したのか何となく併用してゐるのか、凜子と名義が二つあるのが紛らはしい森川凛子以下四名は、SMクラブに劣るとも勝らない壮絶なノーモーションで真夏が参加する、スピリチュアルに片足突つ込んだ劇団「キズナアヤトリ」のワークショップ要員。但し、七菜原ココ込みでもなほ頭数の方が一人多い。逆からいふと名前が一人分足らないのは、この際解けなくとて別に困らないミステリー。あと山岡竜生が、キズナアヤトリ主宰。
 驚愕の電車痴漢トリプルクロスを構築した、当サイト選城定秀夫最高傑作「痴漢電車 マン淫夢ごこち」(2016)。工藤雅典の大蔵第三作にして、実に十二年ぶりともなる久々の白星「人妻の湿地帯 舌先に乱されて」(2020/橘満八と共同脚本)。ピンク三戦目の希島あいりを主演に据ゑた、髙原秀和大蔵第五作。しかし最早ヤケクソなのか、とかく昨今、キマッた公開題が散見されるやうに思へて仕方ないのは気の所為か。二人きりトゥナイト、グルッと一周したカッコよさはあるけどさ。
 魔法使ひ昇格を目前に控へた童貞男の部屋に、スレンダーでクッソ美人な人妻が転がり込んで来る。ナベならば脇目もふらず全身全霊を注ぎ込み、好調時の加藤義一でも猛然と突つ込んで来るであらうエクストリームなファンタジー。に、潔く全てを賭ける賢慮を、髙原秀和に望むべくもなく。不用意に色目を使つた各々のドラマに尺を割く、以前に男主役たる筈の東野良平が―無駄に鈍重な割に―甚だ突進力に欠き、本丸の―筈の―エモーションは逆の意味で力強く心許ない。こゝの変貌ぶりは確かに素晴らしい、姿形を変へ要は二番手が二度飛び込んで来る、件の舞台がSMクラブと演劇ワークショップ。何れも結構突飛なシチュエーションであるにも関らず、殊に最初の女王様パートの導入、といふか突入は本当に衝撃的であつた。その、都合二回火を噴く暴力的に無造作な繋ぎを除くと、在り来りな焦燥に端を発する、気紛れな自分探しのアバンチュールに繰り出した人妻が、適当に羽目を外したのち臆面もなく家に戻る。屁より薄く他愛ない、もしくは女優と童貞を強迫的に連呼する痛々しい物語は石川欣が復活した怪我の功名―怪我なのか―で、腹は立たない程度に途方もなく面白くはない。東野良平と重松隆志に、忘れてならない山岡竜生。安藤ヒロキオ以外根本的に場数不足の絡み素人が介錯役に居並ぶ、大根男優部に後ろから撃たれる裸映画も、如何ともし難い女優部の持ち腐れ。といふか誰を連れて来るのも髙原秀和の勝手にせよ、最も肝要なシークエンスである以上演技―ないし艶技―指導くらゐ満足に施して欲しい、仕事しろよ。反面、明後日か一昨日で爆裂するインパクトがex.マギー直樹(マギー一門九番弟子/但しのちに一門系図から削除)といふ、異色の経歴を誇る逸材・直樹フェスティバル、の面構へ。出て来た瞬間目を疑つたのが、フェスティバル齢が若い―のと髪型がマッシュルームな―のを差ッ引くと荒木太郎とほぼ全く同じ顔。と、なると。逆に直樹フェスティバルが出演してゐる体で、荒木太郎を紛れ込ませる復権か復縁の奇策も十二分に画策可能。何なら直フェスの父子二役を騙り、父親役はシレッと荒木太郎。関係の拗れたサラブレッドでなく、あくまで直樹フェスティバルですといふ形にしておけば、ある意味大蔵の体面も保たれる。そもそも、梯子を外した方が悪いにさうゐないのだが。兎も角当然ゆくゆくは、直樹フェスティバル第一回監督作品。本物フェスティバルに対しては、今上御大経由で兄弟子の青木和彦を連れて来て説得して貰はう。

 頑なに中途で端折り続ける中、締めの濡れ場をも遂に挿入、しこそすれ。筆下しの一平が、終に射精には至れず仕舞ひに終るギッリギリの未遂は、真夏の犯した不貞を薄皮一枚軽くする、それはそれとしてそれなりの論理性、あるいは自堕落な免罪符と解したい。に、してもだな。肥大した体躯でモッソモソ不格好に蠢くしか能のない、東野良平の絡みがどうしやうもなく酷くて見てゐられない。つ、いでに。和田黎明の、傲岸不遜な造形が鼻につくばかりでてんでサマにならない重松隆志も、そこは大人しくなかみつせいじの役なやうな気は否めず。


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