真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「ブルセラ編 ザ・盗撮マニア」(1994/企画:サン企画/配給:大蔵映画/監督:市村譲/脚本:夢野春雄/撮影:立花次郎/撮影助手:倉田昇/照明:堀川春峰/編集:酒井編集室/助監督:関口智康/音楽:東京スクリーンサービス/効果:サウンドBOX/協力:ラピス六本木《ランジェリー店》/出演:若菜いつき・夏川葵・林田ちなみ・野上正義・太田始・樹かず・神戸顕一)。
 断固としてさうは見えないが女子高生らしいミカ(ビリングの推定で若菜いつき)が、多分大学生の彼氏(樹かず)と六本木でデート。ホテルで致しながら頻繁に、ミカが下着を履き替へなほかつ古い下着をパッキン付きのビニール袋に保存するのは兎も角、ここの濡れ場に際しハチャメチャに動く手持ちのカメラは全く理解出来ない。動き方が絶妙にランダムで、臨場感といふよりは主に不安感を惹起する。樹かずと別れたミカは当時隆盛のブルセラショップに店長の野上正義を訪ねると、下着を金に換へる。圧倒的に渋い黒の革ジャンに身を包み、昭和の香りを爆裂させつつ外出した野上正義は、街行く女達に下着を売つては貰へまいかと仕入れに精を出す。乗つて来た制服姿の女子高生・ヨシコ(覚束ない消去法から夏川葵)に五千円を渡したガミさんは、路駐したライトバンの中で下着を替へて来るやう求める。バンの中に仕掛けられてある股間を狙つた盗撮カメラを、勿論ヨシコは知らない。ガミさんに紹介されたテレクラを通して、ヨシコはサラリーマンの太田始と会ふ。インスタントにホテルで一戦交へるのはいいとして、まあ、ヨシコの腹の肉の太いこと太いこと太いこと。太田始が、肉の海の中で溺れてゐるやうに見える。さういふ肉襦袢が―しかも女子高生役で―堂々と登場してのけるアメイジングに、時代の太らかさ、もとい大らかさを感じ取ればよいのか。太田始が、といふか太田始も盗撮カメラを回してゐるのに今度は気付いたヨシコは、ガミさんを呼ぶ。筋者風に凄んでみせ、太田始から持ち金とカメラとを巻き上げた返す刀で、ガミさんはヨシコと寝る。場面はガラリと変り、林田ちなみと神戸顕一の夫婦なのかさうでもないのか関係性からよく判らないカップルが、どうやらそれを生業としてゐるらしき、自宅での自分達の情事をビデオに収める。林田ちなみもパンティを売るらしく、履いたまゝ事に及ぶ。プロポーションは普通なものの顔が散らかつてゐるミカに、腹肉のまあ太い太い太い太いヨシコ。林田ちなみの登場に、初めてマトモな女優が出て来たとホッとする。事後パンティにオマケとしてつける林田ちなみのエロ写真を、二人で選ぶ。ガミさんとブラつくヨシコは、制服のミカと合流、二人は高校の同級生であつた。口から出任せの身の上話でガミさんから金を巻き上げるのに成功したミカとヨシコは、二人でホテルに入る。ここでの、野上正義の昔気質を気取るブルセラ店店長の芝居が、今作の映画的頂点か。風呂に入りながらのマッタリとした濡れ場の内に、唐突にエンド・マーク。ところでこの期に気づいたが、制服でフロントを通過出来るのか?
 憚りながら六百本を超えるピンクの感想―十二本に一本は新田栄であつたりもするのだが―を書き倒して来た上で、初めて遭遇する未知なる監督・市村譲。jmdbのデータによると昭和55年のデビュー以降、今作の翌年1995年まで計117本を―殆ど全てに近く―主に大蔵から発表してゐる。サラッと触れてみたが、決して馬鹿に出来る数字ではないのはいふまでもなからう。のうのうと全篇をトレースしたゆゑあはよくばお察し頂けるやも知れないが、実は今作には、統一的な筋を持つた起承転結といふものは一切存在しない。僅かに間にガミさんを挟んでミカとヨシコが繋がる程度で、樹かずも太田始も、用が済めば退場するばかり。二人揃つて麗しい濡れ場要員である林田ちなみと神戸顕一の、撮影したビデオや使用済みパンティも、別にガミさんの店で捌くのか否かも明確ではない。そもそも辛うじて主人公と思しきミカとヨシコ自体が、何らの物語も終に纏はないのだ。場面場面はヨシコの腹回りのほかには目立つた破綻もなく、概ね手堅く纏まつてはゐるものの、それでゐて斯くも鮮やかに明示的なストーリーもテーマも回避してみせるといふのも、腹の据わつたルーチンワークにして初めて可能な、それはそれとしての難事であるやうにも思へる。 1994年といふ数字以上に異常に古びて見える映画の肌触りはそれだけで個人的には心地良く、同時に途中で寝落ちてしまつたとて、さして構ふまい。勝ち負け強ひてどちらかといふならば今作の敗因は、女優部と男優部のバランスが取れてゐない点にあるといへようか。

 因みに1994年作のしかも旧題のまゝではありつつ、今回王冠の大蔵マークではなく、普通に今時のオーピー映画のカンパニー・ロゴで開巻する。久し振りに懐かしいファンファーレが、聴きたくもあつたのだけれど。それと「ザ・盗撮マニア」のブルセラ編以外の他篇といふのは、ザッと探してはみたが見当たらなかつた。


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 出鱈目な日々に追はれながら。とか何とかうかうかしてゐると、本気で年すら跨いでしまひかねない。もう師走だぞ。正直クズはクズなりによく戦つた、未だ一月残つてるけど。あちらこちらを零した心残りに後ろ髪を引かれつつ、仕方がないのでその限りに於いては何処までも暫定的な08年ピンク映画ベスト・テンなんぞ、戯れに捻つてみたりなんかする。別に全部観た上でないと、選んぢやいけない訳でもないか。

 08年(昭和換算:79-4年)ピンク映画ベスト・テン

 第一位「超いんらん やればやるほどいい気持ち」(新東宝/監督:池島ゆたか)
 年間を通しての活躍といふ面では、依然俄然絶好調の松岡邦彦や堅調を維持した渡邊元嗣ならば互角以上の勝負になりさうな気もするが、一作単位としては、今作を矢張り推したい。映画監督の生涯を描いた映画としては、歴史に残り得る傑作とすら血迷へばいへるのではないか。お花畑にロマンティック過ぎる、より直截にいふならば自己陶酔的と見る向きもあるやも知れないが、美しくないものなんて、今既にあるこのありのままの世界だけで十分だ。と、常々心に感じる歪んだ立場からは、このくらゐ臆すること欠片もなくギアをトップのその先にまで捻じ込んでみせるハートは、よしんばそれが蛮勇であつたとて、時に作家には必要ではなからうかと強く賞賛するところである。映画といふエモーションに対する玉砕上等の一大正面戦は、実に天晴ではないか。
 第二位「人妻のじかん 夫以外と寝る時」(Xces/監督:松岡邦彦)
 松岡邦彦四作何れも外れ無し。どの一作を選ぶか非常に迷つたが、終盤の怒涛の突進力に、最も松岡邦彦を感じた。
 第三位「女復縁屋 美脚濡ればさみ」(オーピー/監督:加藤義一)
 加藤義一の本領発揮ともいふべき、とても綺麗な綺麗な娯楽映画。主演女優が心の琴線に触れた点も勿論大きい。
 第四位「桃尻パラダイス いんらん夢昇天」(オーピー/監督:渡邊元嗣)
 太過ぎる穴のことはひとまづ兎も角、大人のSF恋愛映画は考証面にも充実を見せ、深く強い感動を残した。
 第五位「クリーニング恥娘。 いやらしい染み」(Xces/監督:松岡邦彦)
 こちらは松岡邦彦の暗黒面がポップに弾ける痛快作。松岡邦彦も今西守―この人要は、黒川幸則の改名か?―も、手加減といふ言葉を知らない。
 第六位「喪服の女 熟れ肌のめまひ」(オーピー/監督:渡邊元嗣)
 江端英久が実は初めから真実に辿り着いてゐたことを明らかにする場面に於いての、映画的強度の一点突破。美波輝海もさりげなく復活。
 第七位「おひとりさま 三十路OLの性」(Xces/監督・脚本:工藤雅典)
 飯島大介とサーモン鮭山が、側面からソリッドな都会劇の完成を支へる。
 第八位「不純な制服 悶えた太もも」(オーピー/監督:竹洞哲也)
 倖田李梨の殺し屋と、吉岡睦雄と世志男の生け捕り屋とのカットが震へる程に素晴らしい。
 第九位「痴漢の手さばき スケベ美女の喘ぎ顔」(オーピー/監督:関根和美)
 プリミティブな特撮を駆使した関根和美が唯一作気を吐く。
 第十位「濡れ続けた女 吸ひつく下半身」(新東宝/監督:深町章)
 続篇が放棄されたことが重ね重ね残念なSF巨篇。

 順不同の次点に、穴は最も小さい「ふたりの妹 むしやぶり発情白書」(オーピー/監督:渡邊元嗣)・頑丈なエロ映画「変態シンドローム わいせつ白昼夢」(オーピー/監督:浜野佐知)・途中までは好調に走つてゐた「獣になつた人妻」(新東宝/監督・共同脚本:佐藤吏)・「絶倫老年 舐めねばる舌」(オーピー/脚本・監督:山邦紀)等々。

 未見作の主だつたところとしては、公開順に
 「バツイチ熟女の性欲 ~三十路は後ろ好き~」(オーピー/監督:渡邊元嗣)
 「半熟売春 糸ひく愛汁」(オーピー/監督:池島ゆたか)
 「レズビアン独身寮 密室あり」(Xces/監督:新田栄)
 「養老ホームの生態 肉欲ヘルパー」(Xces/監督:下元哲)
 「浮気相姦図 のけぞり逆愛撫」(オーピー/監督:渡邊元嗣)等々。

 個別部門としては兎にも角にも、御祝儀といふのも何だが、畳んだミニシアター―公式には休館状態―から改装オープンした天神シネマに特別賞を。眠れる35㎜主砲が再び火を噴く日が来たならば、少しは流れも変るだらう。
 男優賞に牧村耕次、女優賞に目出度く本格復帰を果たした酒井あずさ。この人の、時間の流れ方は最早おかしい。助演賞は吉岡睦雄・世志男そして倖田李梨の三人組と、飯島大介。新人賞に浅井舞香をとも思つたが、デビューは2007年か。

 幸か不幸か、突出して凶悪な作品の見当たらなかつたワーストは

 第一位「人妻がうづく夜に ~身悶え淫水~」(オーピー/監督・共同脚本:荒木太郎)
 沖縄で映画を撮つて来ました、おしまひ。
 第二位「性犯罪捜査 暴姦の魔手」か、「兄嫁の谷間 敏感色つぽい」(共にオーピー/監督・脚本:関根和美)
 どつちでもいい、そんな気分になれるルーズな二本。
 第三位「如何にも不倫、されど不倫」(Xces/監督・脚本:工藤雅典)
 自堕落な一作。
 第四位「や・り・ま・ん」(国映・新東宝/監督:坂本礼)
 狙つた訳ではないが、今年も坂本礼がこの位置に。真田ゆかりの扱ひ、といふか放置が無体。
 第五位「女囚アヤカ いたぶり牝調教」(オーピー/監督:友松直之)
 亜紗美の、孤立無援も通り越した四面楚歌。別に亜紗美が悪い訳ではないが。



 裏一位は今作を措いて他に無し、「愛人熟女 肉隷従縄責め」(オーピー/監督:清水大敬)
 何故にこの期に清水大敬なのか。
 裏二位は「喪服の未亡人 ほしいの…」(国映・新東宝/監督:渡辺護)
 今作も矢張り、頓珍漢映画にカテゴライズしてしまつて別に差し支へないやうな気がする。


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 「マニア・レポート 剃毛と制服」(2005『異常性欲リポート 激ナマSEX研究所』の2009年旧作改題版/製作:旦々舎/配給:新東宝映画/監督:的場ちせ/脚本:山邦紀/企画:福俵満/撮影・照明:小山田勝治/撮影助手:大江泰介・花村也寸志/照明助手:広瀬寛巳・佐藤竜憲/助監督:田中康文・三浦麻貴/音楽:中空龍/キャスティング協力:株式会社スタジオビコロール/出演:北川絵美・佐々木麻由子・風間今日子・竹本泰志・石川雄也・荒木太郎)。なかなかに簡潔な新題ではある。新版の、意図的に古めかしいタイトル・ロゴも背中を押す。
 開巻はアンニュイな佐々木麻由子ではなく、バイブに狂ふ北川絵美。シリーズ前作を省みたか、いきなりレッド・ゾーンだ。完全に心身の並行を失し、野外にて器具を用ゐた自慰に溺れる北川絵美はTOKYOオルゴン研究所所長・アリアドネ(佐々木)と出会ひ、オルゴン派遣隊・椿姫として生まれ変る。そもそも二人が出会ふガード下から、前作に於いてアリアドネとかぐや姫(北川明花)とが出会ふのと同じロケーションであつたりもする、心身を病んだ女の集まるスポットなのか。配役から片付けると石川雄也は、自らにも制御しきれぬ制服への暴走する愛好に苦しむ吉屋芳彦。吉屋と椿姫の一回五万円也のセッションを窓から歯噛みしながら覗く荒木太郎は、女の陰毛に恐れを抱く山川空夫。以前に矢張りセッションを受けた椿姫の陰毛を剃らうとして、撃退された苦い過去を持つ。風間今日子は、セックスレスの悩みをTV電話かSkypeでのセラピーを通してアリアドネに打ち明け、勧められたヴァギナ・バーベルでの鍛錬に健気に勤しむ橋爪はるか。竹本泰志は、保険所勤務といふ職業柄からか、病的に過剰な衛生観念から妻の肉体に触れることの出来なくなつたはるかの夫・三郎。
 詰まるところは北川絵美演ずる椿姫が、従姉妹である北川明花が配された前作の、共にオルゴン派遣隊であるかぐや姫に。吉屋は変化球か直球かといふ別のあるだけで、暴投であることには変りのない岩田順二(吉岡睦雄)、TOKYOオルゴン研究所の活動は要はただのデリヘルではないかと、現象論レベルでは全くその通りであるとしか思へない排斥を加へる山川が、エキセントリックな元神父・池内健二(なかみつせいじ)。女体に対する屈折あるいは偏向した認識に立ち尽くす三郎が宇野邦治(平川直大)のポジションに、ほぼトレースしたかのやうに相当する。はるかと健二の妻・澄子との相似はオッパイの大きさ以外には認められない―それにしても、本質的には全く異なるが―とはいへ、いはば前篇と殆ど全く同じの、二部作の後篇といつてしまつても概ね過言はなからう。その上で、前作から的場さち(=浜野佐知)の思想的立場には親和するものの、物語全体からいふと木に竹を接いでもしまふ澄子の女性神“ファッキング・ゴッド”の件を差し引いた分、性的抑圧を芸術活動なりスポーツなりに昇華し得る一握りの選良以外の我々在野の衆俗をも、異端の心理学者・ヴィルヘルム・ライヒ提唱の宇宙のオルゴン・エネルギーとやらによつて救済しようとする、アリアドネの姿を通した作品テーマは、より綺麗な形を採つてゐる。前作と全く代り映えしない一作といつてしまへば確かにそれまででもありつつ、物語はよりソリッドに桃色にも更に加速され、教条的にして同時に扇情的といふ旦々舎ならではの離れ業を華麗にやつてのける。針の穴に通すコントロールで投げ込まれた剛速球ともいふべき快作である。実はラストにまで至つても、山川は「ジョーリジョリ」のまま半歩も救はれてなどゐないことに関しては、この際忘れてしまへ。


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 「愛人熟女 肉隷従縄責め」(2008/制作:《有》大敬オフィス/提供:オーピー映画/制作・出演・脚本・監督:清水大敬/撮影:井上明夫/照明:小川満/音楽:近藤浩二《サウンド・チィーバー》/美術:上田秋成/編集:酒井正次/録音:シネ・キャビン/助監督:戸羽正憲/撮影助手:河戸浩一郎/照明助手:八木徹/演出助手:相楽総三/緊縛師:柳亭種彦/ポスター写真・現場スチール:佐藤初太郎/衣裳:衣装レンタル・MASAKO/タイトル:道川昭/演技事務:賀茂真淵/制作進行:由井正雪/車輌部:花椿桜子/出演:沙羅樹・中村京子・浅利まこ・吉野正裕・甲斐太郎・土門丈・吉崎洋二・石部金吉・生方哲・高円寺与助・和泉真吾・後鳥羽上皇・闇金太・大塩平八郎・扇まや・山科薫)。出演者中、多分後鳥羽上皇がポスターには鳥羽一郎。ファンの人が真に受けたらどうするのか、知らないぞ。それにしても、然しタイトルから闇雲である。
 新しい人生を求め十五年に亘る愛人生活の終りを切り出した沙羅(沙羅)に、会社社長の山科(山科)はどうかした勢ひで喚き散らす。初つ端から底を割つてみると、詰まるところはほぼ終始誰かが、どうかした勢ひで沙羅に喚き散らし倒す一作ではあるのだが。即ち、一言で片付けるならば

 まるで進歩してゐない。

 といふとそれで一切が終つてしまふので、兎も角話を進めると。ともあれ最後の情事をコッテリこなした後(のち)、着のみ着のまゝで妾宅を追ひ出された沙羅は、映画を観てゐてそんな風情にも別に見えないのだが、小川に架かる橋の上で佇んでゐるところを、身投げするのではないかと健児(吉野)に止められる。どう考へてもその橋の上から川に飛び込んだところで、死因は水死ではなく墜落死だ。何れにせよ、形はどうあれ結果としては変らないといふのならばもう別に構はないが。「21世紀の石原裕次郎を探せ!」オーディションに落選した人のやうな吉野正裕―雰囲気が伝はるのか伝はらぬのか判らない―は、沙羅をひとまづ今は主の居ない一軒家に匿ふ。とか何とかしながらも当然の成り行きの如く一戦交へつつ、健児は食べる物を買ひにコンビニに行くと一旦退場。したかと思ふと擦れ違つたとしか思へないほど即座に、健児は自分の元ヒモだといふ明美(中村)と、明美の現ヒモ(甲斐)が健児を捜す方便で沙羅を襲撃する。どうかした勢ひで喚き散らしながら沙羅を出鱈目に恫喝する二人、殊に甲斐太郎の姿を観てゐると、役者にとつて清水大敬映画に出演することは自殺行為に近いものがあるのではないかとすら思へて来る。誰が出ても基本どうかした勢ひで喚き散らす演出を強ひられるばかりなので、本来ならば芝居の出来る人間が出ても殺されてしまふだけだ。甲斐太郎は沙羅に、藪から棒な事実を告げる。実はヤクザ者の健児は足を洗ひ姿を消すに際し、明美の金を持ち逃げした上組の金すら奪ひ、終には殺人まで犯してゐたといふのだ。足を洗ふどころではない、手も汚し過ぎの凶悪犯だ。俄には信じられない沙羅に対し、まづ真実と引き換へにと明美はとりあへず沙羅を犯す。ここで、中村京子のオッパイにもボリューム感はあるものの、まあそれにしても太い太い腰周りだなあ、一歩間違ふと甲斐太郎を凌駕するやも知れぬ。甲斐太郎が今度は沙羅にアイマスクを着けると、何故かそれだけで沙羅は意識を失つてしまふ風に場面は転換する。
 妙にボリュームの大きな尺八を伴なひカット明け、後述するシュールな公園での一幕挿み、何時の間にかセーラ服姿であることに加へ、体育館のやうな場所に移動した沙羅の前に案の定どうかした勢ひで喚き散らしながら現れる土門丈は、健児が元草鞋を脱いだ組の親分。この辺りが相変らず清水大敬の鼻持ちならないところなのだが、イングリッド・バーグマンとハンフリー・ボガートを捉へた「カサブランカ」のスチールをいやらしい小道具に、沙羅を重ねて陵辱する。一体健児は本当に殺人を犯したのか否かといふ秘密をちらつかせ、親分は矢張り沙羅にアイマスクを着ける。
 とんでもない物の弾みか出鱈目な何かの間違ひでか、あるいは世界終末の序曲なのか。清水大敬の「双子姉妹 淫芯突きまくり」(2002)以来実に六年ぶりともなる新作は、さういふ塩梅でアイマスクで視界を塞がれた沙羅が、コケ嚇しの尺八に乗せられカット跨いでお色直しと共にランダムに空間移動すると、どうかした勢ひで喚き散らしながら襲ひかかる直截にいふと気違ひのやうな有象無象に桃色に酷い目に遭はされ続けるといふ、逆に悪夢映画の習作―公園に死体が転がるカットに至つては、ある意味前衛的だ―にすら錯覚しかねない、簡単にいへば酷い代物である、簡単にもほどがある。俗物臭が憤懣やるかたない映画愛あるいは基本的には観客の知つたことではない、極私的なメッセージや糞のやうなテーマを、しかも極大のクレジットで振り回し元々大した出来でもない映画にいよいよ止めを刺す、清水大敬病が今回は珍しく影を潜めてゐる辺りが、数少ない救ひにもならない救ひか。先に消化しておくと残る特定可能な出演者は、浅利まこが親分の情婦・魔子。ビリング浅利まこまでが、濡れ場を担当する。石部金吉が親分の子分、吉崎洋二は沙羅を緊縛するために連れて来られた縄師。闇金太は“小鳥を撮つてゐた”探偵で、探偵のクライアントでもある扇まやは、山科からはエイリアンにすら譬へられる妻・まや。闇金太のアフレコは清水大敬がアテてをり、養子の山科がまやの父親から継いだ会社の契約社員役で登場する出演者としての清水大敬は、沙羅を犯す際にも終始無言で一言も喋らない。幸か不幸か脱がない扇まやが誰かに似てゐるやうな気がしたのだが、さうだ、千葉のジャガーだ。他に主だつた登場人物としては、公園での死体役に、山科を撥ねてしまふ別の会社の同じく契約社員。
 サイコ九割の別の意味でのサイコ・サスペンス、あるいは文字通り狂騒的な錯乱映画は、一旦は萎えかけた呆れる余力も更に甦るほどに、最早清々しいまでに下らない真相に着地する。その中盤から終盤にかけての展開には関良平クラスの破壊力を感じると同時に、寧ろ腹を立ててスクリーンに何か物を投げつける元来やつてはいけないマナー違反の行為こそが、今作に対する唯一の正しい鑑賞法―寝ずに鑑賞するならば、であるが―ではなからうか、などと考へ違ひしてしまひかける。ところが、いい加減に時流を採り入れるまやが登場するや一転、といふか正確には二転目、追ひ詰められた山科の最期の爆発的に感動的な呆気なさはグルッと回つて画期的で、実際に激しく笑かされた。そのまゝおとなしく適当に畳んでしまへば迷ふ方とはいへども頓珍漢映画のメイサクとして、歴史の片隅に遺らなくとも全く困らない名前を刻み込めたかも知れないものを。つくづく清水大敬は言葉を選ぶと本当に残念な人なので、殺してしまへばいい山科を生かしておくと健児の扱ひにも始末をつけ損ねた挙句に、甚だ中途半端なオーソドックスに映画を落とし込んでのける。この期に綺麗に纏めようなんざしたところで、とうに通る相談ではないんだよ。ブッ壊れたものはブッ壊れたまゝに、まるで片付きはしないまゝ散らかし逃げるのも、時には逆の意味での節度であらう。

 とはいへ、そんな仕方のない自堕落さまで込みで、如何にも清水大敬らしいともいへる。その意味も含めて、何故にこの期に清水大敬!?といふ今作に関する最大の謎をひとまづ等閑視してしまふと、昨今の全体的に縮小もしくは後退傾向にある状況の中、一社気を吐くことに加へここまでに止(とど)まつたともいへそれでもこれだけの木端微塵を、何はともあれ世に送り出してみせたオーピー映画の勇敢といふか正確にいへば蛮勇に対しては、それはそれとしての評価に値するのではなからうか。などと、時には積極的に勘違ひしてみたりもしてみたい。いふまでもなく絶賛逆方向であつたとて、このベクトルの絶対値の大きさは、貴重では勿論なくとも珍しくはある。
 備忘録的付記< 沙羅が放り込まれるラビリンスは、山科が契約社員の皆さんを動員して仕組んだ正しく猿芝居。それと、事故に遭つた山科は、死ねばいいのに改心する


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 「トリプルレイプ 夜間高校の美教師」(2009/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:亀井戸粋人/撮影:千葉幸男/照明:高原賢一/編集:酒井正次/スチール:佐藤初太郎/助監督:加藤義一/音楽:レインボーサウンド/監督助手:北村隆/撮影助手:郷田或/選曲効果:山田案山子/製作進行:阿佐ヶ谷兄弟舎/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/出演:中條美華・倖田李梨・藍山みなみ・池田光栄・野村貴治・岡田智宏・丘尚輝・都義一・梅沢知子・なかみつせいじ)。出演者中、梅沢知子は本篇クレジットのみ。
 定時制都立光の森高等学校の卒業試験、監督する担任の岩崎亜希子(中條)が、懸命に答案用紙と格闘する生徒達の姿に眼を細める。それは兎も角黒板右に貼られた習字の中には、“心霊”だの“混沌”だの“妖艶”だのと、他愛ない悪ふざけが散見される、別に目くじらを立てるつもりもないが。以前亜希子は、全日制私立進学校の教師であつた。ところが同僚教師・西川哲也(丘)との研修旅行を発端とする不倫が発覚し、ほとぼりを冷ますため一年間といふ期限の口約束で光の森に赴任して来たものだつた。ここで濡れ場の手始めに温泉旅館での、西川と最初の情事の回想。無防備にも二人だけで酒を酌み交しながら、酒を零した弾みで手が触れてしまつたところから戦闘開始。腕を握り言ひ寄る西川に対し「おやめ下さい」と拒む―悪代官と町娘か―僅か二秒後には、亜希子は好調にアンアン悶えてゐたりなんかする。浜野佐知と新田栄か岡輝男との、殴り合ひの喧嘩が見たい。当初は定時制高校に対し明確な蔑視を隠さうともせず、現に前にした生徒の学力の低さには唖然とした亜希子ではあつたが、様々な事情を抱へつつも必死に学ばうとする教へ子達の姿に、次第に心を改めて行く。とかいふ次第のざつくばらんにいふと、新田栄版の「学校」である。無論、当サイトは山田洋二の「学校」など観てはゐない、何が無論なのだ。
 配役残り池田光栄は、栗林運送でアルバイトしながら光の森に通ふ木村竜夫。藍山みなみは、そんな竜夫に想ひを寄せる栗林運送の事務員・山田純子。恥らふ純子の心情を丁寧に描写する辺りに、常ならざる細やかさが感じられる竜夫との濡れ場での、横から体を折り恐らくは初めての尺八を健気に吹く純子即ち藍山みなみの、腰から尻にかけてのラインのムッチリさが、個人的に今作桃色の決戦兵器。なかみつせいじは、学がないといふ無体な理由で父親を捨てた息子に手紙を書く目的で定年後に定時制の門を叩いた、渡辺邦彦こと通称邦さん。ここが巨大なツッコミ処なのだが岡輝男よ、少なくとも戦後日本に文盲なんてさうさうゐないだろよ、空を飛べる超能力者や巨大ロボットばりに荒唐無稽だ。度々男に騙されると物騒にも保健室での自殺未遂なんぞ仕出かす倖田李梨は、ホステスの鈴木かおる、何時の間にか邦さんといゝ仲になる。前時代的なツッパリ芝居を爆発といふか暴発させる野村貴治と岡田智宏は、鑑別所から出て来たばかりの竜夫かつての不良仲間・後藤アキラと古谷五郎。五郎のリーゼントはこれまでにも幾度と見たとはいへ、アキラのまるでスカジャンのやうな滅茶苦茶なトレーナーは、それは実際に野村貴治の私服なのか、一体どういふセンスをしとるんだ。とつくに更正し困惑する竜夫を純子をネタに脅すと無理矢理随へ、看板に謳はれる“トリプルレイプ”を実践に移すべく、教室にて卒業試験を採点中の夜間高校の美教師を襲ふ。
 昨今の激減した、よくいへば厳選されたエクセスの新作製作体制を反映してか、無造作に羽目を外すでなく、今回の新田栄は借りて来られた猫か心を入れ直したかのやうに、基本設定から自動的に予想される、心温まる人情映画に生真面目に取り組む。その分、実は新田栄が秘かに誇るスピード感は若干減じたやうにも映るのは、逆に二兎を追ふに難しいところではある。尤も、明後日から飛び込んで来たアキラと五郎に触発され本来の調子を取り戻したのか、“トリプルレイプ”のエクストリームな描写はガッチリこなした上で、以降の事の顛末を完全に放置して済ませてしまふ辺りは、流石新田栄一流ともいへる、ある意味で。更にところが、評価があつちに行つたりこつちに戻つたりと右往左往する無様さは恐縮だが、今作のハイライトは、邦さんは入院して欠席した卒業試験。試験終了後に息子の信彦(都)が、父から届いた手紙を手に亜希子を訪ねる場面。入院後結局他界した邦さんから息子へ宛てられた手紙には、切々とした感情が然し穏やかに綴られ、最後は信彦が卒業式に来て呉れることを望んで締め括られてあつた。亜希子が目を通す手紙をなかみつせいじが朗読する件を経て、教壇の花瓶を亜希子が邦さんの机にそつと供へるカットには、新田栄と岡輝男の意のまゝにエモーションを操られてゐるのが半分癪ながら、それでもグッと来てしまふのを禁じ得なかつた。詰まるところは、らしくない部分と何時も通りの箇所とが混在したユニークな一作でもありつつ、最終的にはなかみつせいじの父から息子への手紙のどんなにベタでも、ベタだからこその突破力が上回つた感動作といへよう。必殺のワン・カットさへあれば、それだけでその映画は十分だと私は思ふ。もうひとつ雌雄を左右する重要な要素としては、当然のことながら主演女優。本職はストリッパーらしい中條美華は、お芝居の方も無難に及第点はクリア出来てゐる上に、綺麗に整つた顔立ち、脱いでみるとそれほど大きい訳でもないものの上着を悩ましく盛り上げるオッパイ、加へて正直教師としては如何なものかと思へなくもない丈のスカートから覗く、細過ぎず決して太からずな御御足の絶妙な肉感も申し分ない。卒業後の竜夫やかおるのその後を追つたエピローグも、定番といへる手堅さで、トリプルレイプのその後を清々しくスッ飛ばしてのけた荒業なんぞ忘れさせる、覚えてるけど。

 梅沢身知子と同一人物とみてまあ間違ひなからう梅沢知子は、教壇の真正面に座る、ボーダーのパーカーを着たショート・カットの生徒、地味に可愛い。起立礼の号令をかける点をみるに、学級委員的なポジションか。更に数名見切れる生徒役は、スタッフの皆さんか。他にホステスを辞め保険外交員になつたかおるの顧客で、新田栄もオーラスに姿を見せる。ところで信彦役の都義一も、加藤義一と同一人物とみてまづ間違ひあるまい。


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 「よがり妻」(2009/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:後藤大輔/企画:福俵満/撮影:清水正二/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/助監督:佐藤吏/監督助手:加藤学/撮影助手:海津真也/照明応援:小川隆史/スチール:津田一郎/編集助手:鷹野朋子/現像:東映ラボ・テック/出演:水原香菜恵・亜紗美・なかみつせいじ・岡田智宏)。
 出張イメクラ、「夜の未亡人」のピンクチラシを押さへて開巻。踏切側(そば)の安アパート、若夫婦が情を交す。決して顔はその人と判然としない暗がりの中、オッパイだけはしつかりと見せる撮影がさりげなくも巧みに光る。見せないものと見せるもの、明確な意図といふのは清々しい。事後、受胎の核心を語る声で、女は水原香菜恵であるのが判る。それから数年後、玄関口の表札から抜かれる御馴染みペンションといへば花宴。妻の、時雨ではなく光子(水原)の葬儀を弔問した洋美(亜紗美)を、遺された夫である加藤でもなく斉藤伸輔(なかみつ)が迎へる。ところで花宴は、結婚当初開業したペンキ屋を伸輔が潰した後、光子の両親から継いだものだつた。光子とは百合の花香るW不倫関係にあつたなどといふ、正しく衝撃の告白を仕出かす洋美を伸輔が犯す、のは、実は親戚の法事とやらで光子が家を空ける鬼の居ぬ間に、伸輔が「夜の未亡人」から洋美を呼んでのプレイの一幕。ところが帰り際洋美がシャワーを拝借しようかとしたところに、光子が予想外に早く戻つて来る。しかも光子は頭に怪我をしてゐた、交通事故に遭つたのだといふ。シャワーは海の家で浴びろと伸輔から花宴を追ひ出された洋美は、海岸で首にギブスを巻いた鴨成(岡田)が、不倫相手とテレフォン・セックスの挙句にマスをかいてゐる現場に出くはす。いよいよイキさうになる鴨成を、ケタケタ笑ひを押し殺しながら洋美が見やるカットには、亜紗美の脈動的なビート感が活きる。それとこの人は随所で輝く、台詞をキメる時の声の通りが素晴らしい。電話の相手がほかならぬ光子であるとは知らず、洋美はそんなに好きならば奪つてしまへと邪気もなく鴨成を煽る。焚き付けられた鴨成がポップに意を決し花宴に突入するも、いざとなると不甲斐なくまごまごしてゐる内に、一時的にヤル気の伸輔には飛び込みの客と勘違ひされる。受ける岡田智宏がほぼ木偶の坊なので精一杯シークエンスを転がさうとするなかみつせいじも上滑る感が否めない、正味な話冗長に思へなくもないコントが繰り広げられる一方、海の家を見付けられないまゝに我慢も出来なくなつた洋美は、風呂を強奪すべく大胆にも戻つた花宴に忍び込む。
 小川欽也と並ぶこのジャンルの二大巨頭・深町章による伊豆映画、何でも書きやいいつてもんぢやないんだよ。引け目を感じつつも何をやつても駄目な夫、夫が妻の不在の隙間に連れ込んだイメクラ嬢、外に男を作る妻とその間男当人。四人が一つ屋根の下に揃ふまでの構成は概ね秀逸で、充実してゐた。伸輔の情けないながらに誠実な光子への想ひを知つた洋美が、やさぐれたキューピッドを演ずるのかと一瞬思はせた展開は映画的な期待が最高潮にも達するが、残念ながら以降が派手に頂けない。今作の場合は洋美であるが主体はどうあれ、鴨成の正体を割るのが些か早い上に、クライマックスの濡れ場も、趣向としては頗るユニークなものの、その特異さを呑み込ませる段取りには激しく欠ける。落とし処も含みを持たせ過ぎといふか、これではそもそもオチてゐないのではないか。何があつたのかいひたいのか知らないが、後藤大輔が徒に主人公夫婦の妻を子供を産めぬ体にしてしまふ固執も、不要であるやうにしか思へない。途中までは深町章の熟練した娯楽映画として磐石さも誇つてゐたものが、最終的には後藤大輔の感性なり志向との齟齬も窺はせた一作。前半と後半とで、ちぐはぐさが非常に強い。かといつて後藤大輔が自分で撮つてゐれば面白くなつてゐたのかといふと、それはまた全く別個の問題であらう。近年、いい意味で年増女への扉を開けた水原香菜恵を漸く主役に据ゑた待望の一作ではあつたのだが、コメディであれシリアスな大人の恋愛映画であれ、折角ならば十全に纏まつた起承転結で観たかつた。


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 「黒下着の日 主婦は浮気をする」(2001『玲子の秘密 多淫症の人妻』の2009年旧作改題版/製作:ネクストワン/提供:Xces Film/監督:松岡邦彦/脚本:黒川幸則・松岡邦彦/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/プロデューサー:秋山兼定《ネクストワン》/撮影:村石直人/照明:赤津淳一/編集:大永昌弘/録音:中村幸雄/音楽:戎一郎/助監督:堀禎一/監督助手:竹洞哲也/撮影助手:石山稔/照明助手:佐々木英二/編集助手:佐藤崇/メイク:マキ/スチール:山本千里/タイトル:道川昭/ネガ編集:三陽編集室/録音スタジオ:シネキャビン/現像:東映化学/出演:川奈まり子・ゆき・河村栞・本多菊次郎・岡部貴一・牧村耕次)。出演者中本多菊次郎が、ポスターでも本多菊次郎。
 川村玲子(川奈)は生徒の授業ボイコットに心を乱す高校教師の夫・直之(本多)から、元教へ子の東和史(岡部)がコピーライターを探してゐるといふ話を持ちかけられる。玲子は婚前、編集者の職に就いてゐた。とりあへず東と会つてみた玲子は、東を取り巻く淫蕩な魑魅魍魎にも包囲され、次第に爛れた愛欲に絡め取られて行く。フットワーク抜群の色魔といふポジションが、まるでアテ書きされたかのやうな横浜抜きのゆきは、東が玲子との待ち合はせに使ふ喫茶店の預りミストレス・桑田真由。東によると、コーヒーは東が淹れた方が旨いらしい。真由に輪をかけた貪欲な性欲とついでに食欲とを振るふ牧村耕次は、イタリアから帰国した喫茶店オーナー、兼真由情夫の高城庸一。所詮若造の岡部貴一を鼻であしらふ、円熟した好色漢を好演する。純然たる絡み要員に止(とど)まりながらも十分に魅力を輝かせる河村栞は、直之贔屓のホテトル嬢・遥。
 川奈まり子は心に隙間を抱へた風情を綺麗に表現してみせてはゐるのだが、作劇上の段取り的に、玲子がよろめく契機なりあるいは過程は、決して十全に描かれてある訳ではない。よろめかせる側の岡部貴一も若い間男といへば確かに若いものの、色男といふよりは“個性的”と評されることの多からう面相で、存在感も乏しく如何せん魅力に欠ける。桃色方面には何ら不足はないながら、展開の始終は最終的には力を持ち得ず雪崩式に、あるいは済し崩し的に流れて行つてしまふ感は強い、最終盤までは。ところが、初めは如何なものよと首を傾げざるを得ないコンセプトの東依頼分コピーを意外な飛び道具に、華麗なる力技で物語を然るべきハッピー・ピンク・エンドに落ち着かせてみせるラストはお見事。最後の濡れ場の夫婦生活に際しても、一歩軸足を踏み外して勘違ひすれば綺麗に仕上げたくもなりかねないところを、一貫したアグレッシブな煽情性を忘れない姿勢も天晴である。夫婦揃つてお痛をしてもゐるのだが、などといふ素朴な疑問はこの際禁句だ。完全に開花した松岡邦彦の最近作と比較すると、硬さや心許なさが垣間見えもするのだが、反面、画面の硬質感といふ面に於いては、この頃の方が長じてゐたやうにも映る。この件に関しては好き嫌ひに加へ敷居の高低といふ面まで含め、娯楽映画としての落とし処を果たして何処ら辺に持つて来るのが相当なのかといふ問題は、容易に答への出せるやうな議論にも思へないが。

 ここから先は広義にも今作の感想からは全く離れるが、二つ前のエントリーの「口説き屋麗子」と二作、新題に残滓は欠片も感じられないものの二作レイコ映画を並べてみせた、前田有楽の番組センスのさりげないお洒落さには敬意を表したい。


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 「絶倫老年 舐めねばる舌」(2008/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/脚本・監督:山﨑邦紀/撮影・照明:小山田勝治/撮影助手:大江泰介/照明助手:藤田朋則/助監督:横江宏樹・府川絵里奈/助監督応援:沈恩京・小松原唯/編集:有馬潜/音楽:中空龍/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/出演:華蝶楓月・淡島小鞠・池島ゆたか・荒木太郎・佐々木基子・牧村耕次)。
 素晴らしく晴れた河原、草叢の中をツイスト風のジェット・ストリーム・アタックで行進する、ゲートボール・ゲーターズの画にて開巻、若干誇張あり。ともに還暦を迎へ、会社を潰し妻には逃げられた平助(池島)と、こちらはガンで先立たれた六蔵(牧村)。二人に比べると幾分若いが、餅を喉に詰まらせた妻と死別して以来世を捨てた栄吉(荒木)を加へた、欲ならばあり余らせつつ、金も力も挙句に色男も、更に六蔵と平助に至つては余生すらあまり残されてゐないノー・フューチャーな三人組が、暇だけは持て余し何時もつるんでゐた。六蔵・平助は兎も角、栄吉は仕事はどうしてゐやがるのか。けふもヤル気があるのかないのか、それで玉が見えるのか見えないのかよく判らないラフの中で、三人は不毛なゲートボールに興じる。楽しさうにも、別に見えはしないのだけれど。明後日に転がつて行つた玉を、通りかかつた栄吉命名の肉感X(華蝶)が、拾ひ返して呉れる。六蔵を筆頭に肉感Xに劣情の琴線を激しく掻き鳴らされた三人は、栄吉の発案で、こんな俺達でも女にモテるためにはどうすればよいのか、専門家を招き講義を受けることにする。ところで、肉感的でなほかつミステリアスな女だから“肉感X”て・・・・
 そんな次第で六蔵の自宅こと浜野佐知邸に呼ばれた佐々木基子が、生理学専攻のマルグリット。オナニーの勧めを説くマルグリットに促され自慰時の体勢を取らされた三馬鹿の内、とりわけ平助に扮する池島ゆたかの果てしなくだらしないニヤケ顔は絶品。冒頭から折に触れ繰り返し登場する、九十度に曲げた腕を八の字を描くやうに振りながら、胸を前に反り反動として突き出された腰も左右にシェイクするツイスト・ストリーム・アタックも、マルグリットから“フランスで大流行”と紹介されたセクシー・ウォーク。先刻の肉感Xといひ、山﨑邦紀といふ人はインテリなのかバカなのか、時々判らなくなる。続けて登場する、淡島小鞠は社会学専攻のジャンヌ。ここはギミックとしての唐突な威力はさて措き、少し退いて冷静に検討してみると論理が必ずしも十全に繋がつてゐる訳ではないが、老人の性生活を、現実世界に対する諦観の下に妄想の世界に生きるほかないといふ意味合に於いて、ネット上の電脳空間と同一視する過激なジャンヌの議論に、平助と六蔵は臍を曲げ距離を取る。声の張りと凛とした佇まひとが、淡島小鞠はいよいよ形になつて来た。後は横好きの脚本を捨てるのと引き換へに、作品を選ばぬフットワークの軽さが具はればかなり強力な存在たり得ると思はれるのだが。ところで確か主演女優の筈の名前が目出度え華蝶楓月は、ヒールが高すぎて不格好甚だしい歩き方同様、お芝居の方も全方位的に覚束ないものの、そこはどうにか、謎めいた美女属性で回避しようとした苦心は窺へる。
 賑々しいジジイ共の「グローイング・アップ」―別に「ポーキーズ」でも、近くは「アメリカン・パイ」であれ別に何でもいゝ、『どくだみ荘』でも―は、山﨑邦紀一流の諸々ファンタスティックな意匠が鏤められた上で、愉快痛快に楽しく見させる。三人組の中では、荒木太郎が若輩のハンディを些かも感じさせないばかりか、寧ろ牧村耕次が羽目を外しきれてゐないやうにさへ映る。関根組なり深町組で、既に十分に実績はあらう筈なのに。一方、楽しくて仕方がない風が看て取れる池島ゆたかは水を得すぎ、いゝ意味で。それゆゑ、単純な順番からいつても最も主軸を担ふべき、六蔵のパートが最も弱い、といふ物足りなさは残らぬでもない。とはいへそこかしこで入念にヒント―といふか殆ど答へ―も配布済みの、物悲しくも一欠片のユーモアを摘んだラストは、好き放題のスラップスティックを穏やかに着地させる。お腹一杯のエロに飾られた特異な趣味性と攻撃的な笑ひとを、最終的には頑丈な論理が束ねる、久方振りに山﨑邦紀の本領を見せて貰つたともいふべき快作。残り三人の、現し世での姿を置いておいて欲しかつたやうな気持ちも残らなくはないが、それをするとゴチャゴチャと煩雑になつてしまふのと、逃げ場なくただ一人が取り残され、小屋を後にする足取りを幾分重たくしてゐたのやも知れない。

 見慣れない肩書ではあるが助監督応援の沈恩京といふ名前を、これで何か出て来るのかと駄目元でグーグル先生に訊いてみたところ、シム・ウンギョンといふ韓国人が出て来た。ところがこの人がといふかこの子が、子役俳優で十五歳の、しかも女の子。大人の映画の撮影になんて参加させて大丈夫なのか?そもそも法的にも。映画ミニコミ誌『SPOTTED 701』にピンク映画絡みの連載を持つてもゐるやうなので、単なる同姓同名の別人といふ可能性もあるが。
備忘録的付記< 全ては六蔵の恍惚のイマジン。荒木太郎が息子で、華蝶楓月は息子嫁。アバン始め散発的に種は蒔かれる


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 「逆セクハラの危険 私は、変態常習者!」(2000『口説き屋麗子 火傷する快感』の2009年旧作改題版/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/脚本・監督:佐々木乃武良/企画:稲山悌二/プロデューサー:伍代俊介/撮影:佐藤文男/照明:藤塚正行/助監督:竹洞哲也/編集:フィルムクラフト/監督助手:内藤慈/撮影助手:竹俣一・稲葉茂/照明助手:長田はるか・平岡えり/ヘアメイク:パルティール/タイトル:道川昭/出演:沢木まゆみ・葉月蛍・麻生みゅう・なかみつせいじ・岡田謙一郎・加藤智明)。出演者中葉月蛍は、本篇クレジットから略字。
 鳴る目覚ましを、未だ眠る南条麗子(沢木)の代りに既にほぼ着替へも済ませた、夫・俊夫(加藤)が止める。悩ましく横たはる沢木まゆみの寝姿だけで、早くも煽情性はレッド・ゾーンだ。俊夫を送り出した麗子は、興信所から次の標的を指令する便りを受け取る。何某かの仕事をしてゐること自体はオープンのやうなので、俊夫に対しては如何に言ひ包めてあるのか、麗子は依頼人の配偶者の不倫相手を寝取ることにより浮気をやめさせる、“口説き屋”といふ秘密の稼業を持つてゐた。近作にいふ復縁屋とは方法論が若干異なり、直截には、矢張りいはゆる別れさせ屋に当たる。麗子の今回のターゲットは、依頼人の夫・佐伯明(岡田)の部下兼不倫相手・楠田美帆(麻生)。投資のセールスを装ひ美帆に接近した麗子は、美帆に両刀の気配を感じ取ると、男の口説き屋を新たに手配するのではなく、自ら美帆を攻略することを思ひ立つ。ここの舵捌きに於いて、百合シーンの愉悦を導入するといふこと以外に、更にもう一名別の男優部を連れて来なくとも事済む、といふ利点とを両立させる辺りは、さりげなくピンク映画固有の論理として秀逸。そもそも、美帆をオトすのにどうして男の口説き屋が初めから出撃しないのか?などといふ疑問はひとまづ禁句だぜ。麗子は最中にマスをかく男のフラッシュ・バックをちらつかせつつ、麗しく美帆を陥落させる。美帆は佐伯を捨て会社を辞めるが、当然の如くその頃麗子は、手の平を返すやうに姿を消す。
 美帆撃墜の報酬に五十万を得て御満悦な麗子が、俊夫の入る風呂に割り込む羨ましい限りの夫婦生活を経て、次なる獲物は、精神科医の甲斐靖彦(なかみつせいじ/千葉誠樹のアテレコ)と、論文執筆用のセカンド・ハウスにて不自然極まりなくも同居する女・島杏子(葉月)。麗子は今度は、化粧品の訪問販売員に扮し杏子に近付く。ここは正直、依頼人の妻が自宅に連れ込む間男が甲斐、といふ形の方がより相当であるのではなからうかとの疑念は拭ひ難い。二度重なると流石に、不自然に工夫に欠けよう。別邸に乗り込んだ麗子は早速、「無意識下の行動に於ける幼児期の影響」とやらを研究テーマとする甲斐の迎撃を受ける。心の奥底まで見通すやうな甲斐の眼差しに動揺を覚えながらも、プロフェッショナルとしての強い自負も豊かな胸に、麗子は甲斐との対決を決意する。
 妖艶と評すには若干若いが、完成された美貌を誇る全盛期の沢木まゆみと、性の深遠を自在に統べる魔王然としたなかみつせいじとの激突は、スリリングで抜群に見応へがある。“全盛期”といつたが、実は沢木まゆみにとつては今作がピンクデビュー作で、2002年までの―ピンクでは―短い実働期間は、即ち全て全盛期にも思へてしまふのだが。たて続けられる点も予め基本設定に組み込まれた濡れ場は、ダイナミックな構図を、更に美麗に押さへるハイ・スペックな撮影に加速される。なほ且つクロス・カウンターを先に撃つた方が負けるドラマは、女の裸を差し引いた素面の劇映画としても素晴らしく出来てゐる。ここは手放しで激賞したいところではあるのだが、唯一の穴は俊夫役の加藤智明の、どうにもかうにも心許ない弱さ。とりあへず俊夫出演場面に関しては、どうしても画面が緩む感は禁じ得ない。とはいへ桃色サスペンスの傑作として、佐々木乃武良を語る上でも、沢木まゆみを語る上でも外せない必見作といへよう。

 その他出演者として、主には杏子と絡む公園の痴漢男が誰なのかは不明。背格好が近いとはいへ、服装とアングルとで認定を回避した岡田謙一郎、ではないやうに見えた。話は変るがところで頼むから、新題はもう少し真面目に考へてつけて呉れ。折角の映画なのに、あまりにもぞんざいであんまり、語呂からへべれけである。


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 「美少女図鑑 汚された制服」(2004/製作:小川企画プロダクション/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典/プロデューサー:小川欽也/原題:『思ひ出がいつぱい』/撮影:創優和/照明:野田友行/助監督:山口大輔/編集:フィルムクラフト/録音:シネキャビン/監督助手:絹張寛征/撮影助手:原伸也/照明助手:吉田雄三・金谷健児/音楽:藤田満/スチール:佐藤初太郎/ヘアメイク:高野雄一/現像:東映ラボテック/協力:加藤映像工房・ACE/出演:吉沢明歩・冬月恋・林由美香・伊藤謙治・松浦祐也・なかみつせいじ・湯川タケシ)。出演者中、湯川タケシは本篇クレジットのみ。
 故障で運休した通学電車の線路を、シャボン玉を吹き吹き吉沢明歩がホテホテ歩いて来る。幾ら山間のローカル線とはいへ、どれだけ打たれ弱い電鉄会社だ。吉沢明歩は現在と比べると、若いといふよりは垢抜けないといつた印象も受ける。カット変り田舎駅に降り立つ中年男が、緑色のポロを着た伊藤謙治の姿に十二年の時を遡る。
 生徒からは“青ヒゲ”と呼ばれる―別にそれほど髭が濃いでもない―不良教師・中尾友也(なかみつ)の車で、坂上千絵(冬月)が大学入試の推薦と引き換へにその身を任せる。事後自転車通学の千絵は別の高校に通ふ、神山円香(吉沢)がプラプラ歩いてゐるのと出会ふ。二人は生徒が四人だけとなり廃校になつてしまつた中学校の、最後の卒業生だつた。もう二人は男子で、千絵と同じ高校の戸沢正太(松浦)と、中学生当時円香が片想ひしてゐた木津公平。正太は中学時代から千絵にベタ惚れながら何時まで経つてもコクる踏ん切りがつかず、千絵からは煙たがられてゐた。映画監督を夢見る公平はコンテストで賞を取ると親の金を盗んで家出し、東京に行つたきりだつた。円香と千絵がダム建設で水の底に沈むことが決定した中学校の校舎に立ち寄ると、何とそこには公平(伊藤)が居た。飛び出して以来初めて、帰つて来たのだといふ。とはいへおいそれとは実家に出す顔もない公平の思ひつきで、その夜正太も呼び同窓会を開く運びとなる。
 中学男子の股間をダイレクトに刺激した上で、まほかつ女子からも憧れの対象のセクシー女教師。といふいふのは簡単だが甚だ困難なカテゴリーを完成させてしまつた林由美香は、四人の中学の担任・進藤敦子。察した熱い正太の視線を焦らすやうに足を組み換へる所作と、叱責する際の指の美しさが超絶。正太は公平と並んで用を足しながら、最終的には自分が下手を打ち未遂に終つてしまつたものの、敦子に性の手解きを受けかけた過去を語るが、何のことはない、公平も筆卸は敦子に済ませて貰つてゐた。ここでのサラリとした伊藤謙治のイケメンぶりと、思はぬ事実に愕然とする松浦祐也との対照は絶品。おま○こおま○こと痴語を連呼しながらの敦子と正太の濡れ場が、今作桃色方面の決戦兵器。林由美香、流石の仕事ぶりである。今作の敦子を見てゐて、今となつては叶はぬ話だが、もしも「ヱヴァンゲリヲン」を日本で実写化するならば、少し胸は小さいがミサト役は林由美香ではなからうかとフと思つた。あるいは、成長したアスカか。少し戻るが正太が三人と夜の中学に合流する前のファースト・カットでは、中尾が相手役となり地味に巧みな送りバントを以降に繋げてゐる。考へてみればメイン・キャスト四人以外の、半ば濡れ場要員が林由美香となかみつせいじといふ贅沢なまでに磐石な配役は、流石に強い。
 四人は夜の教室で三年前に公平が撮つた8㎜を観たのち、翌日には銘々未来の自分へ向け書いた手紙を納めたタイムカプセルを掘り起こす。目新しいものも、我武者羅に前に出て来るものも特にない、まるで課題制作の秀作のやうな青春映画は、過去の自分から宛てられた手紙に背中を押され終に意を決した正太と千絵の絡みを足掛りに、色褪せることを知らない永遠を輝かせる。公平は正太に気を利かせて円香を連れ出すが、反面それは円香にとつては、公平と二人きりになれる瞬間であつた。2004年の十二年前の1992年の更に三年前、1989年。昭和から平成に跨いだ中学最後の冬、円香は公平の方を一途に向いてゐた。対して公平は、追ひ求める夢だけを見てゐた。やがて故郷も捨て公平は旅立つが、一旦矢尽き刀折れる。それで公平は東京から戻つて来てゐた。円香とひとまづ結ばれ、夢を諦め円香とのんびり田舎で暮らす選択に転びかける公平に対し、円香はかつての望みも捨て、それまでは憧れてゐるだけだつた主体性を振り絞る。よしんば悲劇であつたとしても、少女が初めて自分の人生の主役を演じる、円香のドラマ自体も成長を描いた鉄板として完成されてゐるが、なほのこと円香が公平に送つた、三年前に公平が自身に向けて書いたものに一文字と一記号だけ書き添へた、正しく世界一短いであらう手紙は、残念ながら今作は成人映画につき現役の少年世代に見せる訳には行かないが、かつて少年だつた全ての者の涙腺に、李三脚ばりのインパクトを叩き込む。そこだけ切り取つてみれば、ジャリ向けの今時人生応援歌の如き浅墓なメッセージでもありつつ、実直に積み重ねられた、胸一杯の思ひ出の数々に彩られた物語の頂点に於いて吉沢明歩から繰り出される一言が滂沱の涙で銀幕を水没させる、青春映画必殺の一作。涙を拭き拭きいい映画だつたと席を立つと、劇場最後部では相変らずオッサンがオッサンの尺八を吹いてゐる。平素はピンクの小屋に映画なんて観に来る方がどうかしてゐやがる、といふ視点も節度のひとつとして持ちたいとは心掛けてもゐるものだが、珍しく、少しだけイラッとした、いい映画なんだから偶には観ろよ。今作を前に今強く思ふことは、松浦祐也だけではなく、竹洞組全体でもう一度、下手な作為は捨て真直ぐ映画を撮ることを思ひ出してみてもよいのではあるまいか。臭くともダサくとも在り来りだとも、それが最もエモーションへの最短距離であつたとしたら、時に映画的完成度を放棄してでも、そこに飛び込んでみせる勇気はもつと賞賛されるべきだと常々思ふ。

 最初と最後に見切れる湯川タケシは、第一回監督作「思ひ出がいつぱい」の脚本を手にダム湖のほとりに佇む2004年の公平。小松公典御当人のブログによると、冬月恋のマネージャーであるらしい。


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 「いんび変態若妻の悶え」(2009/製作:多呂プロ/提供:オーピー映画/監督・出演:荒木太郎/脚本:三上紗恵子・荒木太郎/原作:太宰治『キリギリス』/撮影・照明:飯岡聖英/編集:酒井正次/助監督:金沢勇大・三上紗恵子/撮影助手:邊母木伸治/音楽:宮川透/タイミング:安斎公一/協力:佐藤選人・静活・美能瓢吉・銭谷均/DJ協力:大村水都生・森ちえ/応援:小林徹哉、他一名/出演:淡島小鞠・あすか伊央・野村貴浩・なかみつせいじ・岡田智宏・西藤尚・平川直大/協力出演:後藤大輔・広瀬寛巳・吉行由実・里見瑤子・国沢実・江川さん)。例によつて読み辛いクレジットだ、ところで誰なんだ江川さん。
 開巻いの一番、タイトルよりも先に“原作 太宰治”と打たれる。顧みれば既に1998年に没後五十年の、著作権保護期間は経過してゐる。さうなると、昨今の生誕百年にあやかつた原作映画ラッシュへの時流の機を見るに敏な便乗は、販売戦略上ひとまづ効果的であらうとはいへる。
 ぼちぼちの良家の子女・戸山恵理(淡島小鞠=三上紗恵子)は、両親(共に不明)の持つて来る良縁に対しては全て首を横に振つた上で、貧乏画家の井伊六輔(野村)と結婚する。貧しさゆゑの苦労は絶えなかつたが、恵理はそんな生活に満ち足りてゐた。ところが、何の弾みかやがて六輔の絵に世間が追ひつき、六輔は新進画家として成功を収める。暮らしは豊かになつたものの、俄に成金の俗物臭を充満させる夫に幻滅し、恵理は別れを決意する。今で俗つぽくいへば、インディーズのバンドを熱狂的に応援するバンギャの皆さん、あるいは一人。バンドが成長し目出度くメジャー・デビューを果たした時、私達の、私のバンドが皆のバンドになつてしまつたと、正味な話薮蛇ともいへる落胆に囚はれた彼女達彼女はバンドから離れて行く。メジャー志向があるのと同様に、マイナー志向といふものもある訳で、いはゆる“よくある話”と片付ければそれまででもある。あすか伊央と、岡田智宏・西藤尚・平川直大のポジション以外には、概ね細部まで含め原作通りのほぼ忠実なトレースに展開は終始。そのため三上紗恵子が大粗相をやらかすといふこともないのだが、考へてみればこれは反面、下手に改変してしまふと保護期間は経過したといへ一歩間違へれば面倒なことにもなりかねない、といふ事情により支配されてゐるものやも知れぬ。
 原作にも登場する画商の但馬は、含み綿が全く理解不能ななかみつせいじ。実は達者ではない関西弁に、いやましに足を引かれるばかりである。濡れ場要員ながら主演女優に代りポスターを飾る、もつと飛んでも呉れさうで、最終的には然程の活躍も果たさないあすか伊央は、但馬の愛人、兼六輔の絵のモデル、後に秘書のレイコ。当然の如く、二人とは何れも男女の関係を持つ。岡田智宏と平川直大、そしてロングの髪型の所為か、まるで顔が変つて見える西藤尚は、六輔の画家仲間。協力出演勢の内後藤大輔から国沢実までは、六輔との結婚を反対する四方八方からの逆風を恵理がモノローグで語る中に登場する、六輔の悪い評判を口にする人々。ここは恐らくは、何処かに何かで集まつてゐた五人を捕まへて、一遍に―ビデオで―撮つてゐるやうに見える。絵の具を買ふ金に窮し、恵理はレイコの勧めで秘密クラブでアルバイトする。出演者としての荒木太郎の出番は、そこでの客。
 詰まるところ『キリギリス』を一読すればそれで事済みもする一作ながら、残念なことにピンク固有の論理に起因して、拍子抜けする肩透かしと、致命的ではないかとも思へる疑問を抱へてゐる。それは要は、原作のピンク映画化に際し失敗したといふ次第ではあるまいか。まづ一点恵理が、レイコが六輔のモデルを務めてゐることと、ついでに関係も持つてゐることとを知る件。結婚初夜、といふか未だ昼間なのだが、兎も角最初の夫婦の生活の最中に、水着姿のレイコが押入れからゴソゴソと這ひ出して来る。そこで恵理が素頓狂な叫び声を上げるでもなく自暴自棄の3Pを仕出かしてみせるでもなく、何ともなくそのカットはひとまづ通過する。使ひもしない飛び道具ならば、最初から繰り出さなければいい。なほも重大なのは、順番だけからいふと締めにもなる、恵理と六輔の絡み。これが六輔が心変りしてから以降のものであつては、根本的におかしくはないか。屋敷にての現在の体験ではなく、貧しくとも満ち足りてゐた、あばら家時代の回想でなければ、話が通らないのではなからうか。
 恵理と六輔との関係に、至らぬ深読みをせねばならんのかといふ下衆な疑問に関しては、要らぬ心配でもあらうからさて措く。

 以下は狭義の映画の感想からは離れ、凡(おほよ)そ雑記である。今回今作は、第四次の「天神シネマ新興篇」として観たものである。三本立ての残りの二本は、内田裕也助演、監督望月六郎の「JOHNEN  定の愛」(2008)と、いまおかしんじの「獣の交はり 天使とやる」(2009)。天神シネマオープン以来、新作ピンクが来るのは今週が初めてである。この内、絶叫フォーク禅問答については、途方もなく長い109分に今一度付き合ふほどには求道的でもなければマゾヒストでもないので、初めから無視する方向で。「獣の交はり」は、既に一度駅前で観てゐるのに加へ帰りの時間も深くなつてしまふので、「いんび変態若妻の悶え」を一点買ひしてサクッと帰路に就くつもりであつた。とはいへ開巻のさはりだけでも観て画質を確認しておくかとしたところ。これが不思議なことに、不思議なくらゐに上映画質に開きがあるのだ。残念なのは「いんび変態若妻の悶え」の方、全般的にどういふ塩梅でだかへべれけにフォーカスが甘い。恵理が六輔の画家仲間から、結婚式の筈がライトバンに拉致され乱暴される場面に於いては、その件が8㎜で撮られてゐるものや否や判別の自信を失つたといへば、大まかな色合の雰囲気を御理解頂けようか。薄らぼんやりと明るい微妙な画面は間違ひなく本来の飯岡聖英の仕事からはほど遠く、強ひてどちらかといふならば、駅前ロマンよりも幾分落ちる。ところが、今度は「獣の交はり」となると、これが格段に画質がいい。露光寛容度の終に超え得ない壁はあるにせよ、ノイズも見当たらずクリアで、繰り返すが生半可なキネコよりは余程映画として観てゐられる、歴然と駅前を凌駕してゐた。感激ついでについうつかり、スルーする予定が、思はず「獣の交はり」も一本丸々観てしまつた。翌日の体はキツかつたが、心は後悔はしてゐない。後は翌々週に「老人とラブドール」が来るので、エクセス新作の画質にも、不安でなく出来れば期待したい。


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 「熟女後家 肉棒依存症」(1997『未亡人旅館 ~肉欲女体盛り~』の2009年旧作改題版/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:北村淳/企画:稲山悌二《エクセス》/撮影:千葉幸男/照明:渡波洋行/編集:酒井正次/音楽:レインボー・サウンド/助監督:高島平/監督助手:岡輝男/撮影助手:池宮直弘/照明助手:耶雲哉治/効果:中村半次郎/録音:シネ・キャビン/現像:東映化学/出演:松島エミ・杉下なおみ・林由美香・芳田正浩・神坂広志・丘尚輝・桐生一人・佐山初夫・久須美欽一)。脚本の北村淳は、新田栄の変名。出演者中、丘尚輝・桐生一人・佐山初夫は本篇クレジットのみ。
 山間の町、寂れた風景に不釣合ひに映える赤いコートの女が橋の上に佇む。赤いコートの女・早苗(松島)は、遺影の夫(不明、高島平?)に故郷に戻つて来た旨伝へる。亡夫の両親の代から当地の朝日旅館―勿論、要は御馴染み水上荘ではある―に勤める板前の新二(久須美)が、早苗を出迎へる。夫の死を機に早苗は朝日旅館を継ぐことを決意した、やうなのだが、ここがどうにもかうにもちぐはぐ。義理の両親から亡夫が継いだ温泉旅館を、更に未亡人が継ぐ。それはそれで通るのだが、冒頭の、早苗が夫に帰郷を告げる台詞が根本的に合致しない、早苗は夫と別居してゐたのか?よしんばそれにしても、夫は夫で別に郷里を離れてはゐない筈だ。何処かで何かを掛け違へたか、画期的に説明が足りてはゐないのだが、ひとまづ細かいことは気にせず先に進む。その内に、そのやうな瑣末はどうでもよくなる。朝日旅館にはほかに、仲居の美沙(杉下)がゐた。美沙は常連客の野口和夫(芳田)と男女の仲にあり、売り上げを誤魔化しては、和夫に貢いでゐた。朝日旅館を手中に収める腹であつた美沙には、早苗の登場は露骨に面白くない。早苗が目を通した閑散とした宿帳の中に、確認出来ただけで池宮直弘の名前が見られる。
 林由美香と神坂広志は、立場も弁へず敵意も剥き出しにした美沙のスパルタ女将指導に、早苗が健気に奮闘する中朝日旅館を訪れる、既婚者であるか否かは不明ゆゑ不倫、では必ずしもないかも知れないものの、職場での地位をそのまゝ男女関係に持ち込むキャリアウーマンの明子と、部下の小久保か小窪三郎。部屋に案内した美沙に対しても邪険に、二人は早速オッ始める。用がある時は呼ぶからそれまで部屋に来るな、といふ明子の厳命を積極的に無視して、美沙は御挨拶にと早苗を二人が通された「やまゆりの間」へと向かはせる。当然明子の逆鱗に触れてしまふシークエンスが、新田栄のへべれけな自脚本を林由美香が補ひ絶品。事の最中に現れてしまつた早苗を追ひ返した明子は、「こんな失礼な旅館、二度と来ないはよ!」と金切り声を上げつつ、即座の返す猫撫で声で三郎に向き直すと、「さ、しませう」と濡れ場を続行。絶妙な間が笑かせるカットを経て、事後くたびれた三郎が一人汗を流す風呂に、美沙から今度はお詫びにお背中を流して来いと早苗が送り込まれる件が、更にエクストリーム。Tシャツとパンティ姿になつた早苗が浴場に突入、恐縮至極の三郎の背中を流し、前に回ると、カットを割つた訳でもないのに気づかない内に何時の間にか、早苗の肌着は綺麗にオッパイのところだけ濡れ、いはゆる透けチチが露に。ノーブラだつたのか、などといふ無粋な疑問は捨ててしまへ、感動的な映像マジックだ。そのまゝ四の五のいはせぬ勢ひで最後まで済し崩してのけるのだが、ここでの即物的なエロ、エロティシズムなどといふ高尚なものではなくあくまでエロが、兎にも角にも素晴らしい。憚らずにいふが、手狭なジーンズの中で愚息が痛かつたぜ   >憚れアホンダラ
 美沙と結託した和夫が早苗を罠に嵌めようとするものの、いざ前にした若女将は、学生時代の同級生であつた。コロッと早苗に心を変へた和夫に胸を痛めた美沙が一旦は朝日旅館から姿を消してみたりもしながら、最終的には再び戻り、早苗&美沙の二人女三助サービス、美沙の女体盛りと初めから半裸の早苗の野球拳とが売り物のスペシャル宴会コースに、傾きかけた夫の形見の温泉旅館が活況を取り戻すラストは、底抜けの一言に斬つて捨てるのは容易いが、桃色の娯楽映画の、愉快で破廉恥なハッピー・エンドとしては矢張り磐石、完成品のみが持ち得る強度を有してゐる。早苗に向けられた新二の不器用な恋心、なんて気がつけば明後日だか一昨日に置き忘れられてゐることなんて、だから些末は気にするな。出演者中、丘尚輝以降の三名は、ここで女体と刺盛とワカメ酒とに判り易く鼻の下を伸ばして羽目を外すスモール・バジェットな団体客。ところで丘尚輝(=岡輝男)以外の二人、見慣れない名前の桐生一人と佐山初夫の何れかは、新田栄である。新田栄は桐生市の生まれといふことなので、まづ桐生一人であらう。さうなると最後に残る佐山初夫の正体は、清々しく不明。銀幕に女の裸を拝んで、束の間興奮したり楽しい気持ちになる。エンド・マークの出た後に、ひとつ大きなクシャミでもすればすつかり映画の中身は忘れてしまふやも知れないが、最早それで別に構はない、新田温泉映画のひとつの到達点。これも、ではない、これがピンク映画である。新田栄やついでに関根和美らを通らずにあるいは通り過ぎて、ピンクを語る手合は俺の敵だ。

 何処で採り上げたものかタイミングを掴み損ね結局最後になつてしまつたが、jmdbのデータによると、他には同年に矢張り監督新田栄の主演作が一本あるきりの―「喪服教師 のどの奥まで」(脚本:岡輝男/未見)―今作の主演女優・松島エミとは、実は“関良平映画のミューズ”鈴木エリカ、あるいは麻倉エミリその人である。演出指導の成果か元より緩やかな劇中世界への親和か、意外なほどに破壊力は感じさせない。それは兎も角一体幾つの名義を併用も通り越して濫用すれば気が済むのか、女優版の相原涼二だ。ところでさうなると、当該二作でのみ助監督を務める高島平に関しても、何となく匂ふ字面の類似から関良平と同一人物ではないのか、などといふ疑問が湧き上がる。因みに、「喪服教師」も2005年に「高校教師 喪服淫行」といふ新題にて新版公開されてゐる。たとへ観たところで、その根拠があるのかないのか我ながらよく判らない疑問に答へが出る訳でもなからうが、毒を喰らはばとでもいふ寸法で、この際「喪服淫行」も機会に恵まれれば押さへておきたい。


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 「痴漢の手さばき スケベ美女の喘ぎ顔」(2008/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督・脚本:関根和美/撮影:下元哲/照明:代田橋男/助監督:新居あゆみ/編集:有馬潜/録音;シネキャビン/選曲:山田案山子/監督助手:江尻大・府川絵里奈/撮影助手:浅倉茉里子/照明助手:塚本宣威/効果:東京スクリーンサービス/スチール:小櫃亘弘/現像:東映ラボ・テック/出演:青山えりな・日高ゆりあ・木の葉るる・里見瑶子・牧村耕次・天川真澄・なかみつせいじ)。
 例によつて時制がゴッチャゴチャな開巻、関根和美節が早速吹き荒れる、吹いて呉れなくて別に構はないのだけれど。用務員の新田邦夫(なかみつ)が、恐喝JK・結城翔子(木の葉)になけなしの小銭を巻き上げられた苦い過去を想起する。ギャル雑誌を手にベンチに腰掛けた翔子は、自ら股を開き対面のベンチの男の目を誘つておいては覗かれたと因縁をつけ、警察に行く代りの示談だと金を毟り取つてゐた。現在、翔子が何時ものやうにカモを釣らうかとしたところ、意に反しまるで男に押し広げられるかの如く大股開きになつてしまひ、向ひに座つたサラリーマン(江尻大)は目を丸くして歓喜する。女優―実質―四番手の木の葉るるの出番はこの場面のみで、披露するのもパンティまで。この怪現象が透明人間になつた新田の仕業である旨は、正直この時点では些かならず判り辛い。
 新田は、「ルパンVS複製人間」の方のマモーのやうな白髪の―ウィッグを被つた―戯画的なマッドサイエンティスト・木島藤一郎(牧村)が所長を務める物理学研究所で働いてゐた。木島の研究テーマは物質の透明化で、少数精鋭といふか安普請といふべきか、木島以外の研究員は若林いつか(青山)の一名のみ。いつかに向けた淡い恋心、といふか直截にいへば他愛もない下心が、新田の侘しい日々を支へる全てであつた。ある日新田は、漸く完成した透明化の試薬を木島に代りいつかが飲む飲まないで、口論になつてゐるのをドア越しに耳にする。実はいつかに対する恋慕を利用した木島の巧妙な策略であるとも知らず、まんまと乗せられた新田は深夜の研究室に忍び込むと、いつかを救ふ、のと同時に透明化の恩恵に羽目を外すべく試薬を飲み干してみる。すると見事研究は成功し、新田は着た服ごと透明に。その様子を別室から監視カメラ映像で観察してゐた木島といつかは小躍りするが、透明になつた以上見えないゆゑ、新田の身柄をまんまとロストする。

 馬鹿なのか?
 
 モニタリング出来るくらゐの研究室であるならば、部屋をロックするなり、空調から催眠ガスを噴出するなりしろよ。とかいふ間抜けな塩梅で、里見瑤子と日高ゆりあは、野に放たれた透明新田の被害者。登場順に日高ゆりあは、無防備に酔ひ潰れる女子大生・森下沙耶。自宅にまで担ぎ込まれた沙耶は、一時経てシャワーを浴びてゐたところを、新田に犯される。事後、水に濡れると透明化の作用が一時的に停止するといふギミックは、より一層意味が判らない以前に、然程有効に機能を果たす訳でもない。話を戻して、そこで、関根和美が本格的に新田のインビジブルを表現するに当たり、採用した画期的な方法論はといふと。見えないものは、存在しないまゝで撮影する。強い風をオッパイに当てることにより局部的に肉を凹ませ、あたかも揉まれてでもゐるかのやうに見せかける―正直別にさうも見えない―のは、まだそれだけでも手の込んでゐる方で、基本的には、女優のエア・セックスの一点突破で乗り切る。尤もこれは、憚りながらどれも未見ではある、過去の透明人間もののピンクあるいはロマンポルノが通過した、既出の手法であるのやも知れぬ。何れにせよ、女優が上手いこと腰を振りさへすれば、下手を仕出かさなくとも余程それらしく見えるといふ点に於いては、中々に秀逸な方策であるともいへようか。その利点を更に加速する里見瑤子は、腹を空かせた新田に買ひ物帰りをついて来られる主婦・沢渡麻由美。夫・春樹(天川)との夫婦生活の際、新田にチン入もとい闖入される。麻由美と春樹が夕食を摂る脇で新田がバナナを摘むカットでは、新田の口元だけを僅かに残して背景を合成し、バナナが新田が食べたところから消えるやうに見える特殊効果が用ゐられる。それもそれで、どういふ状態なのよといふツッコミはさて措く。結婚後三年、麻由美と春樹は子作り機運全開。いよいよ春樹がフィニッシュしようかとしたところで、後背位であるのをいいことに新田が春樹を押し退け乱入。突き飛ばされ憐れ頭を打つた春樹がポップに情けなく気絶する中、凶悪にも新田は麻由美の中に出し、恐らくは仕込む。沙耶と麻由美を経て、ぼちぼち透明人間である状態に新田が疎外感と寂しさとを覚え始める件に見切れる地味目の美人は、多分府川絵里奈か。
 そんなこんなで、どんなこんなだ。透明化薬の中和剤を試作的に完成させた木島は金策に中座する上で、新田が自らいつかの下に再び現れて以降の終盤に、関根和美がらしからぬ詰めの冴えを見せる。未完成の中和剤には性欲の爆発的な促進と、男根の異常な肥大化といふ桃色に素敵な副作用があり、制止も聞かず飲み干したはいいものの、中和剤の中和剤を求めて悶絶する新田に、私が中和してあげるだなんていつかがその身を捧げるなどといふ展開に至つては、珍しく全力を出した関根和美は矢張り天才なのかと思はず錯覚せざるを得ない。そもそも、能があるのかないのかよく判らない木島らには新田の捕獲が期待出来ない中、新田の方から元に戻して呉れるやう望むといふ流れが、さりげなく論理的かつスマートである。更にそこからどれだけ方便としては底が抜けてゐたとて、主演女優の濡れ場に直結させる舵捌きは、ピンク映画として百点満点に正しい。寝言以下の馬鹿馬鹿しい物語ながら馬鹿馬鹿しいまゝに、復讐譚じみた、スラップスティックの中にも一抓みのハードボイルドを忍ばせる結末にまで振り抜いた完遂は、清々しく煌く。バカ映画といへばバカ映画で、ゴミ映画といへばゴミ映画なのかも知れないが、冗談でも最後の最後まで本気で形にしてみせた逆説的な誠実は、矢張り麗しい。不振の続いた2008年の最後に関根和美の放つた、鮮やかな逆転打といへるコメディSFの佳作。年末の薔薇族映画に関しては、当サイトはのんけにつき憚りながらスルーさせて頂く。

 ところで、なかみつせいじが姿の消える男を演じるのは、実は二度目でもあるのだが。

 以下は再見に際しての面目ない付記< 新田のイマジン中、いよいよといふ段になるといつかから翔子にお相手がスイッチしてしまふ形で、木の葉るるもちやんと裸を披露してゐる


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 「ハイヒールの女王」(昭和60『緊縛 鞭とハイヒール』の2008年旧作改題版/製作:ユニット・ファイブ/配給:新東宝映画/監督・脚本:北川徹/原題:『坂のある風景』/撮影:長田勇市/照明:保坂直宏/編集:菊池純一/音楽:坂口博樹/助監督:井上潔・桜井宏明/効果:小針誠一/協力:JAP工房/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東映化学/出演:竹村祐佳・早乙女宏美・田口あゆみ・彰佳響子・牧村耕治・飯島大介)。撮影助手を拾ひ損ねる。
 枯葉積もる公園を歩く女、女の姿を追ふ男の眼は、偏に女の足下へと向けられる。デパートに勤める良一(牧村)は、ハイヒールとそれを履いた女の足とに、異常に興奮する性癖の持ち主であつた。概ね二十五年も昔の映画であるゆゑ至極当然ともいへ、牧村耕次(当時は牧村耕治名義)がまあ若い。一方、廃屋のやうな屋敷の中では竹村祐佳が、経営する美容院のアシスタント、兼愛奴のリョーコ(早乙女)を調教する。ハイヒール好きが昂じた良一はデパートは休みの火曜日、妻(彰佳)にはゴルフと偽りゴルフバックに道具一式を忍ばせ家を出ると、道端で靴磨きを開業までしてゐた。アクティブな変態だといふ以前に、カラシ色の革ジャンにハンチングの牧村耕治が靴磨き、銀河一ダンディな靴磨きだ。クレジットもないショート・カットのハイヒール要員を一人経て、登場する飯島大介が若い上に今より幾分細く、さうすると男前ぶりが尋常ではない。適当なショバで営業する良一に、刑事の飯島大介が忠告に現れるカットの比類ないカッコよさを、今作の白眉と推したい。飯島刑事に指示された、坂を下りた心寂しいガード下に移動した良一は、具合の悪いハイヒールでお誂へ向きに歩き辛さうに坂道を下つて来る竹村祐佳と出会ふ。勧められるまゝ良一に靴を預けた竹村祐佳は、修理されたハイヒールを受け取つた一週間後の火曜日、S女特有の嗅覚で、良一に本人にも自覚のないM性を見抜く。田口あゆみは、良一に捌けた想ひを寄せる部下の水沢。ショート・カットの女のほかに名もなき端役として、竹村祐佳の美容院に客の矢張り女が一名見切れる。
 北川徹といふのは、昭和58年から昭和62年にかけて、磯村一路が新東宝に於いて使用してゐた名義である。のだが、例によつてこの馬鹿ドロップアウトが磯村一路を一本も観ちやゐないので、その点に関しては潔くホールド・アップしながら通り過ぎる。ハイヒールと女の足とに苛烈に執着する牧村耕治と、暴虐の女王様がハマリ役な竹村祐佳が、飯島大介の司る運命の悪戯で偶さか出会ふ。要は乱暴に譬へるならば「アイズ・ワイド・シャット」(1999/米/監督:スタンリー・キューブリック)の類の、色男が性の魔界に彷徨ひ、かける一篇。画面右に休日だけの靴磨きに秘めた欲望を押し隠す牧村耕治、左に碇止めに足を載せるマドロスの要領で靴を磨かせやうとする、刑事といへば勿論トレンチの飯島大介。といふ抜群に映画的な2ショットだけで個人的には木戸銭の元は取れるのだが、性の魔界に彷徨ふのではなく、あくまで彷徨ひかけるに止(とど)まるだけに、爆発的に物語は中途で映画が終つてしまふのは如何せん如何なものか。仕方がないのでトレースしてみると―何が仕方ないのだ?―竹村祐佳の下からはふはふの体で逃げ戻つた良一は、彰佳響子の求めは横着にも拒みつつ水沢との火遊びで、自らが変態ではない旨を、半ば以上に自己暗示のやうな形で確認する。ところがその次の火曜日、例によつてお忍びで靴磨きを開業する良一は、良一から贈られたカーキのヒールを履いた水沢に見付かつてしまふ。衝撃を受ける良一の姿に被せられるのは、尻尾を撒く良一に竹村祐佳が投げた、何時でも戻つておいでといふシャウト。良一が彼岸と此岸とどちらに転ぶでなく、秘密が発覚したところでバッサリ断裁でもされるかの如く終られては、起承転結の転部で映画が投げ放されたやうにしか見えない。ところが実は、そちらの方は今のところ新版公開された気配はないものの、今作には同年に「緊縛の仕置き」(脚本は井上潔との共同)なる続篇があるとのこと。なのでそちらの方も観た上でないと、最終的な判断は下せないのかも知れない。

 なほ本作は、「緊縛 ハイヒールの女王」といふ新題で(少なくとも)一度旧作改題されてゐるらしいが、時期は不明。


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 「桃尻姉妹 恥毛の香り」(2004/製作:丹々舎/提供:オーピー映画/監督:浜野佐知/脚本:山﨑邦紀/撮影・照明:小山田勝治/撮影助手:大江泰介・宮永昭典・花村也寸志/応援:堀部道将/編集:㈲フィルム・クラフト/音楽:中空龍/助監督:田中康文・三浦麻貴/録音:シネ・キャビン/現像:東映ラボ・テック/スチール:岡崎一隆/キャスティング協力:株式会社スタジオビコロール/出演:北川絵美・野上正義・平川直大・吉岡睦雄・北川明花)。本篇クレジットに於いて、北川明花の下の名前には“さやか”と読み仮名がふられる。
 プラザホテル1295室から、如月(北川絵美)が東京の街を見渡す。「この東京に、私の妹がゐる」。如月と三つ下の妹・弥生の両親は、弥生が未だ一才の時に事故で死去する。如月と弥生は別々の親戚に引き取られるが、弥生を引き取つた藤倉家との音信がその後途絶え、姉妹は生き別れる。十八年後、弥生が結婚するとの報せが、相手の間宮林輔から如月の下へと届く。ところが十九の弥生(北川明花)に対し、間宮(野上)は七十近い老人であつた。如月は、不憫な妹が五十も歳の離れた男の獣欲の犠牲にならうとしてゐるのではあるまいかと早とちりし、俄然上京しての弥生奪還を期したものだつた。呼びもしないのに恋人・原修 (平川)も如月の後を追ひ東京に出て来る一方、如月は鼻息荒く間宮家に乗り込む。ところが如月を待つてゐたのは、弥生の方から望んだ結婚であるといふことと、間宮の余命は半年といふ二つの驚くべき事実であつた。そんな次第で「余命半年の花婿」といふ寸法では、勿論のこと絶対にない。間宮家こと浜野佐知自宅に忍び込んだ藤倉英志(吉岡)が、庭の茂みの中から弥生に鋭く、そして歪んだ視線を送る。英志は藤倉家に引き取られたと未だ知らなかつた弥生を陵辱し、その関係は以降続いた。そんな弥生を藤倉の家から救ひ出したのが、間宮であつたのだ。
 動の如月と、静の弥生、鮮やかに対照的な姉妹を描いたドラマである。未成年の妹の、あらうことか既に男性機能も失した老人との結婚を軸に、英志を動因に据ゑた起承転結は、実に手堅く纏まつてゐる。手堅い反面、手数と工夫とには欠くきらひのなきにしも非ずといつていへなくもないものの、その分潤沢に、実際に従姉妹同士でもある北川絵美・明花の裸は潔く三番手の濡れ場要員を排した賢慮にも加速され、タップリと堪能させて呉れる。間宮や原のといふ訳には必ずしも行かないが、そこは初めから品性下劣な悪役たる英志の妄想といふ形を採つて、如月と弥生の姉妹丼を見事披露せしめてみせた点は完全無欠、超絶怒涛に正しい。観客の見たいものを見せる、それが娯楽映画として最も然るべき姿である筈である。薄味な展開の中で、北川絵美のアクティブを上手く受け如月の尻に敷かれ気味の情けない彼氏を好演する、平川直大のアクセントも随所で効果的に機能する。そして最も特筆すべきは、珍しく控へ目などころか、殆ど殊更に前に出て来ない攻撃的女性主義の代りに、一般映画殴り込み第二作「百合祭」(2001)以降、折に触れ提出される浜野佐知の第二テーマ。必ずしも剛直を伴はぬ男女の性行による愉悦といふエモーションが映画を穏やかに、然れども同時に力強く映画を締め括る。一見すると北川従姉妹の裸はてんこ盛りではあれ粒の小ささも錯覚しかねない一時間とはいへ、浜野佐知の静かな、さりとて強い眼差しと、頑丈な映画的手腕とを感じさせる一作である。
 全くの蛇足ではあるが、オーラスの弥生と、終に勃起は叶はぬまゝの間宮とのセックスに関して。久須美欽一どころか同じガミさんであつたとしても、これが新田栄であつたとしたら何が何だか何時の間にか勃つてしまひ、「勃つたよ、勃つちやつたよウワーイ!」とでもいはんばかりに、エッサカホイサカ致してハッピー・エンド―但し底は抜けた―とならうところである。それはそれとして、まあアリかと思へなくもないのだが。尤も、視座としては兎も角、主要客層に対した方便なりファンタジーとしてならば、勃たずじまひの浜野佐知と勃たせてみせるたとへば新田栄と、現時点で流石に己が勃起不全の懼れに慄く年齢ではないのもあり、どちらがより相当なのか俄には判断し難い。

 ところで、北川絵美・明花の共演作といふと翌年にもう一本あるのだが、何を考へてゐるのだか何も考へてゐなかつたのだか贅沢にも、友松直之の「挑発する淫ら尻」に於いての北川従姉妹は、全くといつていいほど絡まない。


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