真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「痴漢電車 びんかん指先案内人」(2007/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:城定秀夫/原題:『ヒロ子とヒロシ』/撮影監督:創優和/助監督:小山悟/撮影助手:宮永昭典/照明助手:小松麻美/音楽:レインボーサウンド/音響効果:梅沢身知子/協力:横江宏樹・竹洞哲也・田中康文・新居あゆみ・広瀬寛巳・田中圭介、他二名/出演:荒川美姫・佐々木基子・華沢レモン・岡田智宏・サーモン鮭山・佐倉萌・柳東史・横須賀正一・なかみつせいじ)。PG誌主催によるピンク映画2007年ベストテンの、作品賞・監督賞・脚本賞・新人女優賞受賞作。岡田智宏の男優賞受賞には、今作は然程大きく寄与してはゐないか。
 寿司詰めといふ程ではなく混み合ふ、昼下がりの環状線車中。女の尻に男の手が触れる、痴漢だ。それは女にとつて、意外なことだつた。
 モノローグで語られる、「ヒロ子の三年前」。内向的で地味な女子高生・ヒロ子(荒川)は、通学電車で痴漢に遭ふ女(佐倉萌/電車内で乳も出す)の姿に目を丸くする。と同時に、魅力の乏しい自分が、痴漢されることなどあり得ないとも思つてゐた。ヒロ子は、休みの日にも公園にて―校庭撮影を回避する方便か―サッカーの練習に汗を流す、同級生・イケダ(岡田)に恋をする。意を決してイケダの机に恋文を託さうとしたヒロ子ではあつたが、極度の近視の上オッチョコチョイのヒロ子は、イケダの席の左隣の、女子に限らず男子生徒からも毛嫌ひされるキモオタ・イイダ(サーモン)の机にラブレターを入れてしまふ。間違はれたとはいへ、驚喜するイイダに対し気弱なヒロ子は誤解を解くことも出来ず、そのまま付き合ふ羽目に。処女も喪ひ、以降はいいやうにイイダに弄ばれる。七回目のデートでの、ラブホを舞台にしたヒロ子の初体験シーン。パンティの左脇からイイダがヒロ子の観音様に指を挿し入れるところで、荒川美姫の陰毛が零れ見えるのは、そのシークエンスでのそれはアリなのか?ここまで高校生パート、荒川美姫のメガネがエクストリーム
 高校卒業後、ヒロ子は憧れの上京を果たす。それはイイダから逃れる為と、自分自身を変へる為でもあつた。商品経済が提示するままのオシャレ・ライフ(笑)を満喫するヒロ子はカード地獄にはまり、何時しかピンサロ嬢に身を落とす。
 上京後、哀しいまでに愚かしくもヒロ子は、新しい自分だか何だか知らないが、メガネから“悪魔の発明”コンタクトレンズへと移行する。微妙に目つきに癖、乃至は難のある荒川美姫はメガネにしてゐた方が絶対に、圧倒的に可愛いことに関しては、俺は半歩たりとも退くつもりはない。間に一作挟んで二作同じ過ちを繰り返した加藤義一は、神野太の叡智に学ぶべきだ。
 ピンサロで日に何本もの男のモノを咥へながらも、不器用なヒロ子が、結局報はれることもなく。何時しか休みの日は何をするでもなく部屋に引き篭り、部屋には嫌な匂ひが充満するやうになる。ヒロ子は、自分は腐りつつあるのではないか、さういふ想ひに囚はれる。ここでのヒロ子の生活の荒廃は、もつと容赦なく描いてゐても良かつたやうな気もするが、さういふ露悪趣味からは縁遠いのが、穏当な娯楽作家としての加藤義一の体温であるやうにも思へる。ある日通勤手段の電車に揺られながら、車窓に流れる景色に目をやるヒロ子はフと切なさを禁じ得ず、「こんな筈ぢやなかつたのにな・・・」と涙を漏らす。その時、男の手がヒロ子の尻に伸びて来たのだ。
 矢張りモノローグで語られる、「ヒロシの三年前」。辣腕ビジネスマンのヒロシ(なかみつ)は、朝の通勤電車で時に見かける痴漢(被害者は矢張り佐倉萌)のことは、社会落伍者のすることだと見下してゐた。豪腕に過ぎながらも出世レースのトップを走るヒロシは女子社員の憧れの的で、英雄色を好むといはんばかりに、群がる女子社員を手当たり次第に喰ひ散らかしてゐた。けふもけふとて、部下を携帯電話で激しく叱咤しながら、ミドリ(華沢)とホテルへ向かふ。ヒロシとは大学の文芸部以来の仲になる妻・美々子(佐々木)は、そんな夫の女遊びを知りながらも、自分からは何もいひ出すことは出来なかつた。体を気遣ひ毎日はうれん草の御浸しで夫を迎へる美々子を、ヒロシは辛気臭い女だと軽んじてゐた。ところで、どうやら子供は居ないらしい夫婦ながら、冷凍庫と冷蔵庫の二室しか無い、ヒロシ宅の冷蔵庫は流石に少々小さく見える。
 さうして権勢を誇るヒロシではあつたが、盛者必衰の理が現れたのか、体よく遊ばれたミドリから社内に女子社員相手の蛮行を糾弾する怪文書をバラ撒かれる。元々敵も多かつたヒロシは忽ち失墜し、閑職に追ひやられる。ヒロシはやがて会社をさぼり、環状線にグルグル揺られる日々を送るやうに。美々子との仲は一層悪化し、ヒロシに急立てられるやうに、美々子は家を出て行つた。ある日例によつてサボリ電車に揺られるヒロシは、まるで同じ場所をグルグル回つてゐるやうだ、と人生を見失ふ。その時ヒロシは、泣いてゐるやうに見えた女の背中に目を留める。引寄せられるやうに、ヒロシは女の尻に手を伸ばす。あらうことか、女は後ろ手にヒロシの男根を触れ返して来た。ヒロシは女の手に励まされるやうに感じ、女・ヒロ子は男の手に包み込まれるやうに感じた。その刹那から、ヒロ子とヒロシ、二人の行き詰まつた日々が少しづつ変り始める。
 電車痴漢といふ行為を契機に、失ひかけた人生を取り戻す女と男。凡そ一般的には通らう相談でないことは元より認めた上で、敵は一般ではない映画である。元来一篇六十分のピンクに職業作家として込める良心に定評のある加藤義一は、盟友城定秀夫の決定力の感じられる丹念な脚本を得て、都合のいい物語に疑問を感じさせることもなく、誠実にエモーションを追求した良品をモノにしてみせた。とはいへ、必殺といふには少々足らず、状況を完全に制し得るには些か遠いのは。
 ヒロ子はヒロシに痴漢された次の日、前の日よりも短いスカートを履き電車に乗る。その日も、ヒロシの手はヒロ子の体を求めて来た。ヒロシはヒロ子に、それから毎日痴漢するやうになる。ヒロ子はピンサロは辞め喫茶店で働き始め、ヒロシも会社を退職し、かつて志を抱いてゐた小説を再び書き始める。痴漢したされたその日から、ヒロ子とヒロシとがそれぞれ新しい日々を歩き始めるといふプロット自体はそれはそれとしなくとも素晴らしいものの、尺の都合もあるのやも知れないが、二本の線が併進するばかりの以降の展開は平板といへば平板で、一手間二手間に欠ける、ともいへる。加へてヒロシが書き上げた小説『運命の女』に関する嘘に、ただの主婦ではなく、大学時代は文芸部に所属してゐた美々子が、おいそれと騙されてみせるのも如何なものか。嘘は嘘として、その上でそれを乗り越え夫婦の絆を取り戻す困難に直面して欲しかつた。なかみつせいじと佐々木基子、役者は揃つてゐる。脚本が整備されてあれば、決して越えられぬ壁ではあるまい。締めの濡れ場での、佐々木基子が放つ官能も尋常ではない。
 そもそも、ヒロ子とヒロシの過去パートはそれぞれの独白で語られる。なかみつせいじも、顔を出しての芝居に比しては実は独白はそれ程達者ではないやうな気もするが、基本的に舌の足らない荒川美姫のそれは、明確に逃げ場無く苦しい。世間一般に、討つて出られる水準のものではあるまい。更に、背中越しに痴漢しされるばかりで、互ひの顔を見ることすらなかつた二人が終に偶さか遭遇する感動的なラスト・ショット。千両役者なかみつせいじには勿論全く些かの遜色もないながらに、外光でも眩しかつたのか、荒川美姫の見せる表情が頗る宜しくない。傑作と手放しで絶賛するには、最終的には主演女優がどうにも至らなくはないか。呑気な放言に過ぎることも、いつても詮無いことも百も承知の上でなほのこといふが、さうしてみるならばここは実は、荒川美姫と華沢レモンの役が逆ではどうだつたであらうか?とはいへ加藤義一のことは等閑視するならば、ここで敢て易々と自身のキャリアを決してしまはない辺りが、華沢レモンの、天龍源一郎が全日を割る以前のジャンボ鶴田にも似た、余裕といつていへなくもない。

 その他配役は、柳東史がヒロ子を面接するピンサロ店長、尺八の模擬として咥へさせた人差し指と中指を、チリ紙で拭く前に舐(ねぶ)る小業を見せる。横須賀正一は、失墜し失意のヒロシの前を、ミドリと仲睦まじく歩く若手社員。協力勢は電車乗客と、ピンで抜かれ台詞もあるピンサロにてヒロ子に尺八を吹かれる客。観てゐてその人と知れたのは、佐倉萌以外に唯一の女性乗客の新居あゆみと、ヒロコ・ミーツ・ヒロシの翌日、ヒロシの左隣でスポーツ紙に目を落とす田中康文と、更にその左の広瀬寛巳のみ。痴漢電車といふと、どうも乗客に亜希いずみの姿が見切れてゐないと物足りないのは、私の気の迷ひに違ひない。
 後ひとつ付け加へると、不用意にずれるやうに動いてみたり、数箇所でピントが呆けるカメラが気になつた。


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 「ノーパン若妻 おもちやで失神」(2002/製作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督:国沢♪実/脚本:樫原辰郎/撮影:岩崎智之/照明:奥村誠/助監督:小川隆史/監督助手:竹内宗一郎/撮影助手:赤池登志貴/出演:中河原椿・葉月螢・伊藤猛・井淵俊輔)。四者クレジットされる協力を拾ひ損ねる。
 口跡が悪いのか音響の所為なのか、旦那の台詞がイマイチよく聞き取れぬ若妻・高橋五月(中河原)と夫・誠(井淵)の夫婦生活。誠にせがまれた五月が今将に夫のモノを咥へようかとしたところで、カット変ると空気感もガラリと変へ、伊藤猛が八百屋の店先で胡瓜をガブリと齧る。ここまでは、鮮やかな開巻であつたのだが。
 フリーライターである誠は、ラーメン本の取材旅行へと北海道に向かふ。御近所の佐藤尚子(葉月)を招いておきながら、主婦の矜持など何処吹く風、五月は即席ラーメンの侘しい食事を摂る。料理の苦手な五月は、誠の留守中にはジャンクな食生活を送つてゐた。そんな生活が祟つたのか、五月は尚子の眼前で倒れる。栄養が足りてゐないのだと説教され、五月は尚子が勧める有機農法野菜を扱ふ八百屋へと向かふ。一見無愛想な八百屋の主人・田中栄作(伊藤)に五月は気圧されるが、差し出された野菜ジュースは、思ひのほか旨かつた。翌日何か田中に惹かれるものを感じた五月は、再び八百屋を訪れる。八百屋はその日は閉めてゐた。田中の住居へと裏手に回つた五月は、何事か男女が激しく争ふ様子に身を固くする。中河原椿のお芝居は、始終固いといへばそれまででもあるのだが。あらうことか、室内では田中が尚子と暴力的に事に及んでゐた。驚愕しながらも、何時しか昼下がりの安アパートの通路、五月は自慰に耽り始める。窓越しの五月の視線に気付いた田中は、傍らに転がる胡瓜を尚子に捻じ込む。翌日も八百屋に向かつた五月は配達を乞ひ、家を訪れた田中と情事に至る。五月は、田中に溺れて行く。
 不思議を通り越した不気味な迫力を有した男に、地に足の着かぬ若妻が囚はれてしまふといふ一篇。「俺はただの鏡」、田中は欲求不満の尚子や五月の、自らは投影に過ぎないと語る。魔性すら漂はせた田中の魅力あるいは威力は、劇中満足に発揮されてゐないではない。二人の女を虜にする田中の姿は、虜にするだけの説得力を有して描かれる。田中は五月を問ひ詰める、「行くか?一緒に」。「え?」、「あの店も、潮時だし」。「何処へ?」、「何処か、遠くに」。と続けた後に、「決めるのはアンタだ」。「全てを捨てられるか」、「今背負つてゐるものにケリをつけられるか」。「全てはアンタ次第だ」、と田中は五月に強ひる。この畳みかけには、伊藤猛の朴訥としながらも同時に強靭な突進力が素晴らしく活きてゐる。となると、どうにも肝心要を詰めきれないのは。その、選択を迫られた五月こと、中河原椿のぎこちなきことこの上ない、全方位的な至らなさが最も痛い、伊藤猛を受けさせるのは明らかに荷が重い。田中の深みに嵌つて行く五月の、そもそも誠との生活にどういふ不満を感じてゐたのか、といふ積み上げの薄い辺りも、振り返つてみるならば穴として決して小さくはない。
 撮影の岩崎智之は、「ア・ホーマンス」ばりの前衛的、といふか奇を衒つたカメラワークに挑む。功を奏せてゐるのかどうかは別として、個人的にはある意味微笑ましくもあり、殊更に嫌ふところではない。とはいへ少なくとも実用性の意味合ひの上でのいやらしさからは、遠ざかつてしまつてゐることは恐らく間違ひなからう。そもそも、さういふ衒つた奇が芸として定着し得るには、国沢実の映画には全体的な強度なり緊張度が伴はない。錯覚を利した変則的なカメラワークは詰まらなくはないが、上滑つてしまふばかりの感は否めない。それは勿論、先に挙げた伊藤猛映画の未完成にも繋がる。ネタバレになつてしまふが<結局田中は尚子と街を捨て>、締めは北海道から戻つて来た誠と五月との濡れ場。今度は北陸へ取材旅行に向かふといふ誠に対し、五月は突かれながらも「連れてつて!」と叫ぶ。その叫びは実は田中へ発せられたものであることは観客には明らかで、さういふ構成は意図をキチンと果たせてはゐるのだが、最終的には国沢実の強度不足が、何とも生煮え感を残す一作。何時も何時も同じことばかり繰り返して恐縮でもあるが、この人には軽くてもチープでも、もつとポップでライトで可愛らしいなコメディこそが、自身の志向は別として作品の出来上がりとしては、最も適してゐるのではなからうかと見受けるところではある。


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 「痴女・高校教師 ‐童貞責め‐」(2007/製作:フィルム・ハウス/提供:Xces Film/監督:神野太/脚本:松本有加・神野太/企画:亀井戸粋人/プロデューサー:伍代俊介/撮影監督:小山田勝治/撮影助手:大江泰介・藤田朋則/助監督:羽生研司/監督助手:伊藤祐太/制作進行:小山悟/編集:フィルムクラフト/制作協力:フィルムハウス/出演:浅井舞香・ミュウ・華沢レモン・真田幹也・小滝正大・山本東)。共同脚本の松本有加といふのは、作詞家の松本有加と同一人物なのか?
 深夜の青葉学園高等学校、教室内に置かれたPCのモニターに、保健教師・新城怜子(浅井)と男子生徒の情事の模様が映し出される。
 怜子と体育教師の真木弘道(山本)が、保健室で無理矢理事に及ぶ、無理強ひをしてゐるのは怜子の方。怜子と真木はかつては交際関係にあつたが、底なしの怜子の性欲に音を上げた真木は、怜子とは別れ教育委員会理事の娘でもある葉子(ミュウ)と結婚する。青葉学園の職員用住居、怜子は真木夫妻の隣室に住んでゐた。ある朝出勤しようとした怜子は、時を同じくして出て来た、誰に憚るでなくアツアツな葉子と真木にアテられる。ミュウはボーイッシュなショートカットで、後(のち)には事の最中席を外した夫を、親指を咥へて待つてゐたりなんかする!甘えん坊新妻を超絶に好演。話の本筋に直接的には絡まない葉子の出番は、残念ながら濡れ場を含めてもあまり多くはないゆゑ、なかなかにあることではないが、葉子主演のスピンオフ作といふのも出来れば是非観てみたい。ツン、とオールドミス然に澄まして二人を遣り過ごす怜子ではあつたが、真木が通りに出たところで、先に行くと見せかけた怜子は強襲気味に真木に合流する。大きな意味を有した場面ではないにせよ、ロングで上り坂と更に後方に林立する電柱とを背景に置き、画面右から左に通りに出た真木に、フレームの左外から怜子が駆け寄る。銀幕に映える鮮やかに映画的なショットには、襟を正せさせられる。このカットに加へ、絡みから男優の顔を外すほか、非絡みの場面に於いてもフレームの立体的な使ひ方、あるいは活かし方は絶品。六十分の所詮はピンクに、なほのこと一本の映画として至誠を尽くす、神野太と小山田勝治が熱い。
 主演の浅井舞香、ルックスとしてはあへていふならばお多福顔ともいへ、頭身の高いプロポーションは絶妙に熟れ、何はともあれ、全裸にならうとも、髪を解かうとも外さないメガネが圧倒的に素晴らしい。世の中好みは棹の数だけあれど、浅井舞香の場合はメガネをかけてゐた方がスマートに、より美しく見えることに関しては恐らく論を俟つまい。この世の真実を掴んだ、名匠神野太の前に最早何者も立塞がる者はなし。大きな物語や深いテーマがある訳でもないものの、2007年ピンク映画実用部門の、断トツの最高傑作。未見作も山と残した中で、さつさとさうフライングで断定してしまはう。
 華沢レモンは、不登校の状態から学校に出て来るまでには至つたにせよ、矢張り教室には馴染めず保健室に入り浸る金山亜紀。幾つなのかよく判らないが、華沢レモンは何時までも制服が些かの障壁を感じさせるでなくストレートによく似合ふ。男子生徒はひたすら性欲の対象として貪り尽くすのに対し、怜子が亜紀には温かく接する件は劇中のメリハリとして上手く機能してゐるのに加へ、この星の上で最も美しい映画「キャリー」(1976/監督:ブライアン・デ・パルマ)のP・J・ソールズとシシー・スペイセクを思はず想起させられるのは、小生のニューロン・ネットワークが捻じ曲がつてゐるからにさうゐない。
 銀冶と丘尚輝を足して二で割つたやうな、こちらはどう転んでも高校生には見えない小滝正大は、部活中に怪我をしたからと、怜子が大胆にも自慰に耽る保健室を訪れてしまふ体育会系部員の羽村俊二。怜子の痴態に股間をマンガのやうに大きく膨らませ、飛んで火に入る夏の虫とは正しくこのことだといはんばかりに、擦り傷の手当てをして貰ふと、こつちの方も先生が診てあげる(ハアト)と怜子と保健室の情事に突入。アホみたいに陳腐なシークエンスではあるが、あからさまにチープな劇伴の選曲といひ、神野太が初めからこの一幕を確信的にギャグとして撮つてゐるのはほぼ明らか。そこを捕まへて云々するのは、ピンクであるのをさし措かずとも大人気なからう。
 真田幹也は、中学時代にいぢめに遭つてゐた体験から学校に恐々出て来た亜紀に理解を示し、イイ仲になる真木聡。互ひに処女童貞同士の亜紀と聡は関係を持たうとするものの上手くは果たせず、亜紀は選りにも選つて怜子に相談を持ちかける。初めは亜紀のために文字通り一肌―だけ―脱ぐつもりの怜子ではあつたが、聡が真木の甥であると知るや、元カレの代りにと聡に溺れて行く。
 怜子を主演に据ゑたまゝでは、何時まで経つても怜子が男子生徒相手に延々とヤリ倒すのみにつき、浅井舞香を桃色方面の頗る実用的な決戦兵器として自由に暴れさせておいた上で、神野太が前作に続いて採用した、華沢レモンにドラマの牽引役を担はせる戦略は矢張り鉄板。聡を手に入れた怜子に、意に反して袖に振られた真木が残した捨て台詞も伏線として踏まへつつ、ファースト・カットへと繋がつて行くラスト・ショットは秀逸。ベランダに降り立つ足下ひとつ疎かにはせず全方位的に隙のない、エクセス本流エロエロ映画の中でも、エロエロを差し引いたとて十二分な完成度を具へた極めて高水準の一作である。改めてここで肝心なのは、その差し引いたエロエロ自体が、既に最強クラスでもある点。どうも昨今エクセスの製作本数自体が減少気味なのは少々を超えて気懸りなところではあれ、山内大輔も擁したフィルム・ハウスがこの水準の映画の量産態勢に入つた暁には、向かふところ敵なしにも思へるのだが。


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 「妻の母 媚臭の甘い罠」(2007/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督・脚本:関根和美/撮影:下元哲/照明:代田橋男/助監督:水上晃太/撮影助手:浅倉茉里子・塚本宣威/監督助手:佐久間信隆/選曲:梅沢身知子/効果:東京スクリーンサービス/出演:大城真澄・中山りお・瀬名ゆうり・天川真澄・柳沼宏・牧村耕次)。撮影助手の浅倉茉里子に関しては、“朝倉”茉里子の誤字ではない。少なくともピンクのクレジットに際しては、“浅倉”で打たれてある。
 人事部長の木内貴志(牧村)は、24歳下の美沙(中山)と再婚する。一見幸せな新婚生活を送る貴志ではあつたが、朝刊に折り込みチラシと共に挟み込まれた、怪文書に悩まされる。度々貴志に宛てられた古典的な切り貼りの怪文書は、美沙の不倫と、そのことが公になつた場合妻一人管理出来ぬ貴志の、人事部長としての社会的地位が危ふくなることとを告発してゐた。思ひあぐねた貴志は、美沙の母親・大場智子(大城)を訪れる。美沙にはひた隠しにしてゐたが、貴志と智子とは実は大学時代の先輩後輩で、かつては結婚を考へぬでもない男女の仲にあつた。卒業後疎遠になり互ひに別の相手と結婚した後、貴志の美沙との再婚を期に、驚きの再会を果たしたものだつた。智子は、貴志の力になることを快諾する。
 後日智子は貴志に、美沙が貴志と結婚する以前に交際してゐた、一ノ瀬亮(柳沼)と依然会つてゐる事実を伝へる。衝撃を受けた貴志は、激情のままに今は義母でもある智子を抱いてしまふ。形だけの抵抗は見せつつ、智子も貴志に体を任せる。一方智子は怪文書の犯人に関して、貴志のプライベートに詳しい者に違ひないといふことから、不倫交際を父親に反対されて以来、家を出て別居中にある貴志の前妻との間の娘・杏里(瀬名)の存在を示唆する。
 怪文書が告発する、歳の離れた新妻の不倫疑惑に苦しむ男。男が頼つた妻の母親は、男と若き日には恋人同士にあつた。妻の不倫が事実であるかも知れないことに我を失つた男は、偶さか義母との一線を越えてしまふ。そして果たして、怪文書の犯人とは一体・・・・?といふ、桃色要素に関してもなかなかに凝つたプロットによるサスペンスである。前言即座撤回、サスペンスとしては、特に凝つてゐる訳では別にない。まづ躓いたのが主演の大城真澄、ポスター写真では蕩けさうないい女に見え、事前には大いに期待感を掻き立てられたものではあつたのだが。いざ実際に画面の中で動いてゐるところを前にすると、好みによる部分も小さくはないのかも知れないが、首から上がどうしてもニューハーフ然として見えてしまふ。首から下は矢張り、柔らかさうで堪らない体をしてもゐるのだが。俺は何を無防備に筆を滑らせてゐるのだ、直截にも程がある。怪文書の犯人探しに際しては、一応ミスリーディングの一手が施されてはゐるものの、濡れ場要員まで含めても、登場人物は総勢六名といふ所詮は安普請である。観客があれこれ迷はされるだけの、物理的環境がそもそも整はないことは矢張りいふまでもあるまい。犯人の動機、の説明については、十分意が尽くされてはゐるが。遂に貴志が真相に辿り着いたところで、唐突に挿み込まれる事件の発端となる一夜の回想に於いては、何時もの時制移動がへべれけな、関根和美の悪癖が相変らず披露される。濡れ場で締めはするとはいへ幕引きも展開上は宙ぶらりんなままで、正攻法のサスペンスに大きな破綻は無いといへば無いものの、詰めはあちこち甘く、最終的には派手に仕出かしてゐないだけに却つてツッコミ処にも欠く一作ではある。
 一箇所通り過ぎることが出来かつたのは。怪文書の犯人探しに際して、貴志のプライベートに詳しい者の筈といふ傍証として、貴志が再婚したことを会社には内緒にしてゐるといふ点。扶養家族も一人増えるといふのに、しかも貴志のポストはど真ん中にも人事である。そのやうな方便が通るものか。
 天川真澄は、杏里の不倫相手・飯島幸一。劇中妻とは離婚が成立したといふので、その限りに於いては既に不倫ではない、ともいへる。例によつて、清々しいまでの濡れ場要員である。

 それなりに努力の跡が窺へはするのだが、少なくとも貴志宅と智子宅とは、同じ一軒家にて撮影されてゐる。行つたり来たりされる二軒が実は同じ家だといふことで、舞台転換にも些かならずメリハリを欠いてしまふ感は禁じ得ない。関根映画でウルトラ頻出のこの一軒家は、要は関根和美の自宅といふことでFAなのか?
 智子に唆されるままに実の娘を疑つた貴志は、枯葉散る秋の公園に杏里を呼び出し、激昂した杏里にまんまと完全に訣別されてしまふ。枯葉に彩られた晩秋の公園のショットは、映画的に色彩も豊かで実に美しい。とはいへ、ところで今作の封切りが(07年)四月であることを鑑みると、撮影時期と公開時期とが、ピンクにしては空いてゐるといへば空いてもゐる。


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 「すけべをばさま 娘の彼と」(1994『すけべをばさん 熟れすぎた乳房』の2007年旧作改題版/製作:サカエ企画/配給:新東宝映画/監督:新田栄/脚本:高山みちる/企画:中田新太郎/撮影:千葉幸男/照明:渡波洋行/編集:酒井正次/助監督:国沢実・北村隆/撮影助手:島内誠/照明助手:藤森照明/音楽:レインボー・サウンド/効果:時田グループ/出演:三條俊江・西野奈々美・坂入正三・山科薫・神坂広志・荒川友二)。出演者中、荒川友二は本篇クレジットのみ。今回―後述する―新版ポスターには、堂々と脚本が岡輝男と誤記されてある、ちやんとして欲しい。
 スナック「ロック」にて、カメラマンの柏木直文(山科)と、アシスタントの山岡樹(神坂)がグラスを交す。熟女もののエロ本を手に、これまでは専らセーラ服少女のグラビアを手掛けて来た柏木は、自らも熟女ヌードに挑戦してみようと俄に思ひ立つ。そこに来店するや開口一番、「ねえマスター、最近いい男来ないかしら?」とマスター(荒川)にこれ見よがしに持ちかける秋村としえ(三條)登場。としえは夫・誠二(坂入)が糖尿で勃たなくなつてしまつて以来、男に飢(かつ)ゑてゐた。柏木が熟女ヌードのモデルを探してゐるのを看て取つたとしえは、早速立候補。とんとん拍子に話は進み、カット明けると「ようし、行つてみようか!」といふ柏木のかけ声とともに、場面変つたスタジオで撮影開始。といふ模様を、柏木の背後から抜きながらのタイトル・イン。ここまでで二分強、テンポがいいにもほどがある。新田栄の実は案外と堅実な地力が、発揮された開巻ではある。撮影が始まるや単なるグラビアに止(とど)まらず、柏木の指示で彼女もゐるといふのに、山岡がとしえとの絡みの相手を務める羽目になる。ここで文字通りの全貌が明らかとなる、今作の決戦、ではなく終末兵器こと主演の三條俊江。をばさんパーマにをばさん面にをばさんボディ、看板を些かも偽ることなき、正真正銘の“エロをばさま”―だから後述する―である。誰に似てゐるのかといふと、顔も体型も岡田謙一郎によく似てゐる。個人的には欠片の需要も持ち合はせず、食傷こそすれ我が愚息はピクリとも蠢動だにせぬが、そんな三條俊江を主演に迎へたピンクが製作されてのける辺りに、最早この期には世界の広さすら感じ取ればよいのか。
 西野奈々美は、としえの娘で女子大生のさゆり。貪欲なとしえは、誠二は勃たないまゝに、媚薬と淫具を駆使した夜の営みに日々盛んであつた。さゆりはそんなとしえを「最低、淫乱、メス豚」と口汚く罵り、母親と、性への嫌悪を露にする。一方山岡の彼女といふのが実はさゆりであるところから、劇中世界は連関を見せ始める。冒頭から詳らかなとしえの貪欲に加へ、さゆりの複雑な心象をメイン・プロットとして並べ立てた展開は、さりげなくも巧みである。最終的にはさゆりが母親に対しても、性に関しても理解を示すに至るといふ着地点は、ホームドラマとしても、ピンクとしても全く順当。岡田謙一郎、ではなく三條俊江に脊髄反射で臍を曲げてしまひさへしなければ、実は作劇自体としては決して際物に堕することのない、実直な水準作である。偶さか男性機能を回復した誠二ととしえの夫婦生活に続いて、こちらはすつかり性に目覚めたさゆりと山岡の濡れ場を、最終的には看板を曲げてでも映画の締めに持つて来た点に関しては、新田栄の観客に対する良心と捉へたい。

 例によつて今作は、2003年に「すけべをばさん 年下狂ひ」として既に(少なくとも)一度改題新版公開されてゐる。更に補足すると、新東宝公式サイトのピンク映画配信頁には、「をば様たちの痴態 淫熟」(1994/脚本:高山みちる/主演:鶴見としえ)、「淫臭!! 年増女の痴態」(1995/脚本:岡輝男/主演:如月じゅん)の二本とともに、「エロをばさま」シリーズとして一括りにされてゐる。「エロをばさま」シリーズ・・・・何だかなあ、といつてしまへばそれまででもある(笑)。三作を以てシリーズを成す、といふのは後付に過ぎないやうな気もするが。「をば様たちの痴態」は2003年に「をば様味くらべ SEX自慢」、2007年には再び「人妻を狂はせた 不倫の夜」、「年増女の痴態」は2003年に「年上の女 すけべ大好き」と、それぞれ矢張り旧作改題されてゐる。どうせ「年増女の痴態」も、今年辺りに恐らく再び改題新版公開されるのであらう。

 性にオクテで未だ幼い、といふキャラクター設定の説明も兼ね、山岡の部屋にてさゆりが夢中でファミコンのテトリスを遊ぶシーンがある。1994年といへば、ファミコン(発売1983年)後継機のスーファミことスーパーファミコンすらもが既に1990年には発売されてゐるのだが。新田栄のそこいら方面への無頓着ぶりが窺へるのか、それともあるいは、1993年に発売されたテトリスフラッシュを遊んでゐたのか。ゲーム画面からは、無印テトリスに見えたのだが。


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 「人妻の衝動 不倫のあとさき」(2007/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:関根和美・水上晃太/撮影:下元哲/照明:代田橋男/助監督:水上晃太/録音:シネキャビン/編集:フィルムクラフト/スチール:小櫃亘弘/撮影助手:浅倉茉里子/照明助手:塚本宣威/効果:東京スクリーンサービス/監督助手:伊藤拓也/現像:東映ラボ・テック⦅株⦆/選曲:梅沢身知子/出演:倖田李梨・あいり・中山りお・なかみつせいじ・天川真澄・牧村耕次)。
 夜の桜木家、子作り機運全開のリエ(倖田)と努(なかみつ)の夫婦生活でつゝがなく開巻。翌朝努は、顧問を務める部活の朝練とやらで、何時もより早い時間に慌ただしく家を出て行く。努と職場結婚したリエは、現在では退職してゐた。努が忘れて行つた携帯に、五月といふ見知らぬ女からの着信履歴が多数残つてゐるのを見つけたリエは、猜疑に心を曇らせる。
 “あいり”だけでは色んなあいりが山のやうに現れまるで要領を得ないあいりは、リエの妹・富田聡美。関根和美の2006年最終作主演、2007年第一作助演の“トランジスタ重戦車”坂井あいりとは、明らかに別人に見えたのだが。首から下はそこそこ見られるものの、量産型森公美子とでもいつた風情の坂井あいりに対し、今作のあいりは、まあ若い頃の高木ブーによく似た女優部である。倖田李梨と姉妹には全身全霊を込めて見えねえよ!とか何とかいふ以前に、ピンク界の太田先生こと谷本舞子といひ、よくもまあかう次から次へと前時代的な危険球を放り込んで来るものである。小屋の映写機の所為かも知れないが、画面のルックからこの期に昭和の空気漂はせる、全体的に古めかしい仕上がり自体個人的には嫌ひでないのだが。登場順前後して天川真澄は、聡美の夫・耕一、潔い純然たる濡れ場要員。聡美が、夫が浮気などしてゐまいか詮索しようとした携帯を、風呂上りの耕一が取り上げかけたところで、携帯が手から零れ台詞も一瞬途切れたのを、一々撮り直さない辺りはピンクならではではある。
 聡美に勧められたリエが、努に五月の名前を問ひ質すと、五月とはリエの後任教師で、頻繁な履歴は仕事上の連絡だといふ。基本同じ建物内で終日過ごす筈の教員同士で、然様に携帯で遣り取りを交さねばならないのか、といふ気もしなくはないが。とかいふ次第で、タイミングよく登場する中山りおが五月の正体。室井五月は案の定努の不倫相手で、実はキャバ嬢であつた。前作に於いては仲居と称して矢張りキャバ嬢にしか見えなかつたので、こゝでの今風にギャルギャルした中山りおの登場は、誠にジャスト・フィットした配役とはいへよう。
 桜木家にて、横着したマクドナルドのバリュー・セットを昼食に摂りながらの、再び五月に関する姉妹の会話。同僚教師といふ努の説明にすつかり安心したリエに対し、聡美は学校に電話をかけ確認を取るやう焚付ける。互ひに一番欲しい物を賭けリエが五月の家族を装ひ電話を入れてみたところ、あらうことか、五月などといふ女性教師は存在しなかつた。呆然と打ちひしがれるリエを前に、空気の変化を読んだ聡美はそゝくさ姉宅を辞さうとする。その際、飲料のカップを倒してまで、聡美は忘れかけた未だ手つかずのフィレオ・フィッシュを持ち去る。妙なところで入念な関根和美の演出によるものなのか、それともあいりが単に普通に忘れかけたのかあるいは、置かれたまゝで構はないフィレオ・フィッシュを純粋に欲張つたのか。ブタマン面のあいりに、こちらも上手く合致したアクションである、力の限り全くの枝葉に過ぎぬのはいふまでもない。
 トボトボと、訳もなく職場であつた学校へと向かつたリエは、かつての上司で、現在は妻と死別後教頭職も辞した横山博人(牧村)と再会する。弱り果てつつあつたリエは、図らずも横山にもたれかかる。一方リエとの再会を一旦は喜びながらも、人妻である点を鑑み、横山はあくまでリエと男女の一線を越えるのは固辞する。さういふ構図で、大人のメロドラマを志向した関根和美が真つ向勝負を仕掛けた節は窺へるのだか、残念ながらそこから先に深みが足りない。研修と称して努が五月との不倫旅行に家を空けてゐる夜、リエは横山を自宅に招く。こゝでの倖田李梨の寂寞の憂ひに満ちた表情には決定力の萌芽も見られるものの、最終的には高目ですらない水準作といふところからその先への、一手二手に欠ける。逆に訪れた横山宅にて終にリエと横山とは体を重ねつつも、その上でなほ、横山は「今帰らないと、引き返せなくなる」とリエを送り返す。そこまでの、リエと横山の心情のベクトルが真正面から交錯する様子はそれなりに見事なのだが、唖然とすらさせられなくもない、半年後にリエから横山に宛てられた手紙で語られる、カット跨ぎのいきなりな物語の畳み方には、大いに疑問が残る。現実的には最も穏当な落とし処とはいへ、如何にも取つてつけられた感は拭ひやうもない。物語には、悲しければ悲しいほど美しいといふ匙加減もあるのではなからうか。着地点自体はソフトであれ、そこに至る過程からするとハード・ランディングにも思へてしまふといふ、器用に屈折した幕引きを見せる一作ではある。

 帽子を目深に被つたリエが、夜の街に努と五月の不倫の逢瀬を尾行する件―と、もう1カット―に於いて、あまりの惨状に最早清々しい気分にすらさせられる素晴らしい、もとい凄まじい画質のキネコを使用。呆れるなり難じるよりも先に、普通に吃驚した。


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 「義母の近親相汗 乳繰り合ふ」(2005/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:稲山悌二/撮影:千葉幸男/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:小川隆史/音楽:レインボーサウンド/監督助手:都義一/撮影助手:前井一作/効果:梅沢身知子/製作進行:阿佐ヶ谷兄弟舎/出演:山口真里・葉月螢・横須賀正一・丘尚輝・久須美欽一)。
 開巻いきなり岩原茂(横須賀)は仰天する、茂が未だ幼い頃に妻を喪つた父・孝夫(久須美)が、茂と歳もさほど変らぬ花(山口)と再婚するといふのだ。母さんの若い頃にソックリだらう、などと御満悦の孝夫の言葉に対し、茂は確かに花に亡き母親の面影を見る。とかいふ次第で早速、茂の部屋に声が洩れ聞こえるのも厭はず、花と孝夫の夫婦生活。美しい山口真里の裸がタップリと拝めるのはそれはそれで結構なことではあるのだが、まあこの初戦の闇雲に長いこと長いこと。何とはなしに、映画に暗雲が立ち込める、桃雲といふべきか。
 一夜とカット明け、佳子(葉月)が血相を変へ岩原家へとズンズン歩いて来る。孝夫の弟・育夫(丘)の未亡人、即ち茂からは叔母に当たる佳子は、十五年前死去した育夫の遺言に従ひ、以来男寡の義兄父子の面倒を見て来たのだ。その為佳子は自分の再婚も諦め、肉体の乾きは専ら自ら慰める侘しい日々を送つてゐた。それが故に、義兄再婚の報に立場をなくし、冗談ではないと激昂した訳である。・・・・・ところで、十五年前?一体佳子の劇中設定年齢は幾つなのか。
 俄かに姑然と、佳子は岩原家の家事のしきたりを花にスパルタ指導する。見かねた茂が花を庇ひ立てすると、これまで育ての母のつもりで茂に接して来た佳子は、茂の心が花に奪はれたものと愕然とする。場面変へて私は貴方の母親のつもりだつたのだから、私の乳を吸つて呉れ、血は繋がつてはゐないのだから、と佳子が積極果敢に雪崩れ込む茂との絡みには、事前に佳子の忍び難い心身の乾きが一応敷設済みのこともあり、まだしも肯ける。ところが、花も花で、佳子とは全く別個に茂と関係を持つに至る件は些か飛躍が過ぎる。直截にいへば、粗雑にも甚だしい。後日佳子が茂が好きなケーキを持参しての、三人の喫茶。扇でいふと要の位置に座る茂が、俄かにモジモジ悶え始める。テーブルの下では、花が足の指で茂の男根に愛撫を加へてゐた。孝夫が勃たなくなつてしまつたから、といふ理由にも実も蓋もないが、そもそも出し抜けに一体何処から球を放つて来るのか、岡輝男節とはいへ程がある。
 最終的に佳子と花が揃つて茂に詰め寄り、私達の何れを選ぶのか、と叔母と義母とで女の戦ひを繰り広げるといふプロット自体は、攻めの山口真里と葉月螢に対し、受けるのは横須賀正一といふ配役の構図に説得力が豊かなこともあり、力強く成立を果たしはする。とはいへそれが開陳されるのが、尺も3/4を概ね経過した時点といふのは流石に展開上のペース配分ミス、といふ謗りも免れ得まい。結局、事の最中に帰宅し息子と義妹と後妻の乱交を覗き見た孝夫も、男性自身を回復しつつも終に宴に参戦することはなく。下に山口真里上に葉月螢といふ、後背位を縦に二つ重ねた絡みには攻撃的な意欲が感じられはするものの、要は花×茂×佳子といふ3Pが延々延々繰り広げられるばかりの残り十五分。女優部門の余計な三番手は潔く排した布陣は実は磐石ではありながら、限度を超えて薄い脚本に徒に長い濡れ場が連ねられ倒すに終始した、幾多の観客を眠りの沼に沈めて来たであらうことも想像に難くはない一作。叔母と義母とに挟まれた茂の、「ああこの先、僕はどうなつてしまふのだらう?」といふ苦悶の叫びで映画は幕を閉ぢる。率直な気分でいへば、この先も何も、そもそもそれまでが物語としてどうにもかうにも形を成してはゐない。詰まるところは、女優ツートップといふソリッドな陣形を敷いたまでは良かつたが、その癖に最終的には全員が殆ど単なる濡れ場要員に堕してしまつてゐる。幾らピンクとはいへ映画なのだから、物事には限度といふものがあるのではないか。


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 「浮気妻 裏ナマ覗き」(2002/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督・脚本:関根和美/撮影:倉本和比人/照明:野口素胖/音楽:ザ・リハビリテーションズ/助監督:寺嶋亮/撮影助手:前井一作/照明助手:小綿照夫/監督助手:林真由美/協力:アーバンアクターズ/出演:中渡実果・ゆき・卯月梨奈・江藤大我・竹本泰志・小林三三男)。
 中古とはいへ一軒家に引越した石橋涼子(中渡実果/ex.望月ねね)が夫の留守に一人で荷物を運んでゐたところに、漏電の検査と称した内藤博史(江藤)の不意の訪問を受ける。訝しむ涼子ではあつたが、博史は強引に上がり込むと、部屋部屋に機器を取りつける。夫の不在をいいことに、涼子は御近所の杉原直也(竹本)と、昼下がりの自宅で堂々と不倫の情事に興じる。但しその模様は、博史によつてモニタリングされてゐた。博史は漏電検査を偽り、家中に盗聴カメラを仕掛けてゐたのだ。“一年後”、涼子の夫で、国際線のパイロット・渉(小林)が一週間ぶりに帰宅する。渉は帰国後、一年前に失踪した後輩スチュワーデス・河合翠(卯月)の両親を見舞ひに向かつてゐた。翠は一年前、涼子夫妻の越して来たばかりの新居に遊びに来たその日に、姿を消してゐたのだ。といふ訳で、一年前の一夜の回想。渉帰宅時の“一年後”といふのは、クレジットで明記されるのでまだしも、この辺りから時制の移動がへべれけな、関根和美の悪癖が例によつて大発揮される。だから別に、して呉れなくて構はないのだが。新妻の目を些かも憚ることなく、渉にベタベタな翠に、涼子は暴力的な猜疑を抱く。全体的にだらしない卯月梨奈のキャラクターは、節度といふ言葉を知らぬ翠の配役に上手く合致してはゐる。先の涼子と直也の濡れ場と、ここで涼子の(恐らく)妄想中の翠と渉の濡れ場とは、意欲的なフレーミングといい意味での執着を感じさせる演出とを以てして、満足度は突発的に高い。中渡実果の豊満な乳房を弄ぶ指先をアップで延々と捉へたショットには、観客の見たいものを見せるといふ、娯楽映画に際してまづ第一に肝要とされるべき精神が窺へる。
 続けて、直也が涼子を盗聴器で監視、あるいは観察するに至つた経緯が語られるのだが。ここでもいい加減な時制移動に加へ、飛躍の大きなプロットは脇の甘さに火に油を注がれてしまひ、ひとまづ序盤にして一度目の、映画に止めを刺されてしまつた感が強い。いはゆる出会ひ系で涼子と知り合つた博史は、いざ待ち合はせの段ともなると、思ひのほか美しい涼子の、大人の女の魅力に気圧され遠目にデジカメに収めるのが精一杯で、それ以上はどうすることも出来なかつた。その時以来、博史は自らのことを“忠実な観察者”と称して、涼子をストーキングしてゐたのだ。とつてつけたやうに歪曲した博史の観察者論理も兎も角、待ち合はせで声ひとつかけられなかつた男が、どうして漏電検査を騙り自宅に上がり込むに至るのか。無茶を無理からにでも劇中に定着せしめる説得力は、残念ながら機能せず。名目としては医大を目指し一人暮らしをしながら浪人中といふ博史の部屋に、電話をかけて来る父親の声は、誰のものなのか不明。
 ゆきは、涼子の御近所にして、実は直也の妻でもある沙織。夫を再び海外へと送り出しフと寂寞に囚はれる涼子の前に、公然とアツアツの沙織と直也が現れる。これ見よがしな新婚ぶりを隠さうともしない沙織と、涼子との関係も腹に、複雑な表情を浮かべるばかりの直也。その場は沙織らと別れた涼子はその夜、大胆にも沙織宅を平然を装ひながらも強襲する。薄氷の上で戯れ合ふが如き会食の描写を経て、涼子を送り届けた直也は涼子宅の玄関先で一発キメながらも、天井の隅に仕掛けられたカメラを発見する。自分達の不倫は何者かの知るところになつてゐたのかと、直也は忽ち狼狽する。一方、涼子はといふと。直也帰宅後、渉は一週間の海外フライト中、一人きりの寝室で「私の何が知りたいの?」、「こんなことしなくても、好きなだけ見せてあげるのに・・・」と、探し出したカメラを自ら前に、大胆な自慰に耽る。ここでの起承転結の転がし具合は、力強く悪くはなかつたのだが。血相を変へた沙織が涼子を訪れる。カメラの存在に恐れをなした直也が、不倫を白状したのだ。冷然と開き直る涼子に対し沙織は一旦は激昂するが、渉も交へて話し合ひませうと捨て台詞を残し、その場を後にする。後日すつかり憔悴した風の直也から、涼子に電話がかゝつて来る。沙織が、マンションの屋上から転落死したといふのだ。
 主人公の周囲で、一人は姿を消し、もう一人は不審死を遂げた女。ふたつの事故、もしくは事件が互ひには全く無関係とあつては、そもそも話が始まらない。見るからに怪しげな者の存在は巧妙にでもなく回避、といふかいはば迎撃すると映画はいよいよ二度目に、今度は卓袱台を完全にひつくり返した凶暴に無体な結末を迎へる。強ひていふならば、真相の核となるべき狂気と淫乱とが、積み重ねられたものとしてクライマックスに至るまでに必ずしも十全には用意されてゐないことと、サイコ・サスペンスに於ける観客のミスリーディングも何も、そもそもその為の種を撒く段取りが華麗に通り過ぎられてゐる辺りが、二つの主要な敗因か。
 コメディとしては欠片も面白くはなくとも、のんびりとした心持ちに機嫌と体調とのいい折には浸れないこともない類の映画ではなく、この時期の関根組を賑やかす、画面の片隅を飾る微妙に豪華な共演陣の援軍も一切ないとあつては、ファンとはいへど最早手も足も出しようがない。展開の救ひのなさが映画全体としての救ひのなさに正確に直結する、さういつてしまへば正しく実も蓋もない一作である。望月ねねの桃色の破壊力が、攻撃的に繰り広げられてゐるところは買へはするものの。

 協力のアーバンアクターズとは二家本辰己が設立したタレント事務所で、江藤大我が所属してゐる。


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 「人妻と大学生 密会アパート」(2004『人妻・OL・美少女系 悶絶アパート』の2007年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:かわさきりぼん/企画:福俵満/撮影:清水正二/編集:酒井正次/助監督:佐藤吏/録音:シネキャビン/スチール:津田一郎/現像:東映ラボ・テック/出演:華沢レモン・谷川彩・林田ちなみ・なかみつせいじ・白戸勝功・高橋剛・かわさきひろゆき)。幾ら内容に即してゐるにせよ、また随分と杜撰さすら感じさせる旧題ではある。美少女ではなく“美少女系”といふのも、その“系”とは一体何なのだ。因みに実際の登場順としては、OL・人妻・美少女系。チケット売り場の売り子を、OLといふのは厳密には必ずしも正確でないやうな気もするが、オフィスではないからな。全篇中1/3に特化した新題も、最早清々しささへ感じさせる。
 黒テープで厳重に封印された開かずの間と、初めから部屋には一匹の文鳥。真田竜二(白戸)は開かずの間を決して開けないことと、文鳥を飼ふこととを条件に、大家(かわさきひろゆき/りぼんは配偶者)から破格の安さで部屋を借りてゐた。竜二の部屋に、付き合ひ始めて一週間の彼女・横田美樹(谷川)が遊びに来る。いきなりこの部屋での同棲を申し出る竜二を美樹は到底理解出来ないが、竜二は、チケット売り場で働く美樹の姿を長い間追ひ駆けてはゐた。さういふのは、当代ではストーカーといふ。原因は語られないまゝ、竜二は筋者に三百万の借金を抱へてゐた。ある日美樹が竜二に別れを告げるのと同時に、無造作に菓子缶に詰めた現金を届けに来る。その金は、抱き締めて呉れるなら誰でもよかつたと、竜二と出会ふまでの美樹が体を売つて得たものであつた。
 文鳥が見守つてゐた、竜二の前のこの部屋の住人。三十代の人妻・田中郁子(林田)は大学生・小島友哉(高橋)との交際に溺れ、家庭の全てを捨てこの部屋に流れて来た。ところがやがて友哉は歳の近い若い女と浮気するやうになると、年齢的にも後のない郁子は激しく詰め寄り、痴話喧嘩となる。友哉が吐き捨てた「オバサン」の一言に逆上した郁子は、自らも死ぬ覚悟で出刃を抜く。
 文鳥が来る前からの、この部屋の住人。碇三郎(なかみつ)は勤めてゐた会社が倒産し失業すると、妻娘には逃げられる。けふも日雇ひの仕事に憂き身をやつした三郎は、くたびれた帰り路、何があつたのか行き倒れた少女・遙(華沢)と出会ふ。三郎が連れ帰り手当てすると遙は三郎の部屋にゐつき、束の間で儚くも、二人だけの幸せな生活が始まる。文鳥も、遙が買つて来たものだつた。
 リアルタイムで既に答へは出されてもゐるが、遙と三郎のエピソード1が、竜二と美樹のエピソード3、と郁子と友哉のエピソード2に、文鳥がゐる同じ部屋での出来事といふ以外に、欠片たりとて関つて来ない辺りが最大の難点。加へて、今時のケータイ小説並に安くも、抱き締めて呉れるなら誰でもよかつたと、体を売る美樹の寂寥。在り来りとはいへ、若い男と全てを捨て家を出たまではいいものの、男は若い小娘に奪はれつつある。さういふ年増女である郁子の、正しく後のない焦燥。二人の女の孕んだ情念には、何れも血肉が通つてゐる。美樹の安アイドルのやうな―恐らくは谷川彩手持ちの―衣装には逆説的なリアリティが透けて見え、郁子の荒れた心と覚悟とを、文鳥に雨のやうに降り注がれる餌を以て描いたショットは映画的。対して、人の生き死にが関つて来るとはいへ、遙と三郎のエピソード1が如何せん弱い。菓子細工のやうなロマンティックは映画の題材としては決して悪くはないのだが、チャチからうともロマンティックをきちんと成立させるには、一本60分のピンクを三つのエピソードに割つてしまつてゐては、どうにも尺が足らない。遙と三郎が選んだ結末までが、矢張り些か遠い。エピソード3・2の両篇に於いても、借金だ心中沙汰だと話を揺り動かした割には、畳む段がまるで割愛されて済まされる点に関して穴は決して小さくはない。欲張り詰め込み過ぎた脚本の配分ミスから窺へなくもない、買へはしても成就は果たせなかつた意欲が惜しい一作。書き込まれてはゐたものを、撮影の段に深町章が尺を鑑みて削つたものやも知れないが、さうであつても結果としては変るまい。

 側面的な見所が安アパートの狭い風呂場での、遥と三郎の入浴シークエンス。体を洗つてあげる、と遙が湯船から出て来るカットで、かなり無防備な華沢レモンの陰毛ヌードにお目にかゝれる。無理矢理纏めてみるならば、林由美香の跡目を継ぐ“最強のピンク五番打者”華沢レモンの、代表作たり得ない主演作のワン・ノブ・ゼン、とでもいへようか。


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 「やりたがる女4人」(2007/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:かわさきひろゆき/企画:福俵満/撮影:清水正二/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/助監督:佐藤吏/監督助手:金沢勇大/撮影助手:種市祐介/照明応援:広瀬寛巳/選曲:梅沢身知子/スチール:津田一郎/現像:東映ラボ・テック/出演:里見瑤子・平沢里菜子・藍山みなみ・華沢レモン・なかみつせいじ)。
 暗い海の情景に被さる、作家(なかみつ)自身による小説なのか散文詩なのかよく判らない『セイレーンの歌声』の朗読。朗読の中身自体に特筆すべき点はないが、雲間に女の切れ長の瞳が堂々とした一直線に古臭いセンスで合成される映像には、それはそれとしての幻想が溢れる。絶妙な一筋の光明が、これも合成に依るものなのか、それとも実景として微笑みかけられた映画の神の祝福なのかは、他愛なくすらないプロジェク太上映の情けない画質では判別出来ず。
 秋の夜の作家と妻・依子(里見)の夫婦生活からカット明けると、海岸に骨壷を持ち現れた依子は喪服姿。作家は死に、依子は『セイレーンの歌声』中に遺された作家の意思に従ひ、遺灰を神島(三重県鳥羽市)を望む海岸に撒きに来たのだ。ここでの省略あるいは飛躍は、唐突でなければ些か粗雑か。兎も角、そこに携帯電話でマネージャーを罵倒しながら現れる黒いコートの女が。ステレオタイプに女優然とした落ち目の女優・冬子(平沢)は、作家とかつてパリへの不倫旅行で浮名を流し、巷間も騒がせた仲だつた。依子との夜の営みとはまるで趣向を違(たが)へた冬子と作家の一戦もこなしたところで、海岸に三人目の女が登場。黒いスーツ姿の、作家の秘書・葵(藍山)である。話が横道に逸れるが、といふか。最早あまりの威圧感に、横道ともいつてゐられない。「令嬢とメイド 監禁吸ひ尽くす」(2007/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/主演:夏井亜美)・「欲しがる和服妻 くはへこむ」(脚本:後藤大輔/主演:葉月螢)二作の間―二月公開→六月公開―に持ち直したかに見えたのも束の間、再び上昇基調に転じた、藍山みなみの重量感は只事ではない。佐倉萌や最重時の谷川彩の貫禄は遙後方に通り過ぎ、元々背丈から違ふ原田なつみや紅蘭女王様の体の大きさをも凌駕せんばかりの勢ひである。この人は恐ろしく短い期間に、甚だしく目方が増減するのか。巨体もとい巨大なお世話だが、一体着る物はどうしてゐるのだらう。二の腕の逞しさなどは、体躯の貧しい小生なんぞは完全に引けをとつてしまふ。挙句に、葵も作家と関係を持つてゐたといふ第一の衝撃の事実が明らかになると、冬子からは半ば自嘲の意も込め、プレイボーイと謳はれた作家も落ちたものだ、“こんなチビタンクのメガネの秘書”と罵られる始末。“こんなチビタンク”、藍山みなみは開き直り路線を今後は展開するつもりか。この件には思はず、ビッグ・ファット・ママの伝説をも想起した。目隠し擬似強姦プレイに興じる葵と作家の絡みを挿みつつ、葵が更なる衝撃を依子と冬子に与へる第二の事実を明らかにしたところへ、最後の四人目の女、カジュアルではあれ黒い服に身を包んだ女子大生・奈緒(華沢)が三人の女達の前に現れる。作家の大ファンである奈緒は学祭で作家の講演会を企画し、その縁で当日夜、作家に抱かれてゐたのだ。
 最終的にお話を纏める段が些かならず甘いため、四人の女と一人の作家のエピソードが、有機的に連関してひとつの統一的な物語に完成を果たすことはなく、接ぎ足されるばかりの積み木細工のやうな一作である、といつた感想は否めない。とはいへ年末公開といふ次第で即ち正月映画としての、通常より一名多い女優を、しかも単に頭数だけの問題でなく、里見瑤子・平沢里菜子・藍山みなみ・華沢レモンと、それぞれの役柄に即した正しく理想的な布陣には大いに見応へがある。秋から冬へと移ろひつつある海岸に揃つた四大女優の佇まひを見てゐるだけで、実に豊かな映画的幸福に浸ることが出来る。物語の面白さがどうかうといふよりは、深町章と清水正二、大ベテラン二人の妙手による、味はひ深さを楽しむ映画ともいへよう。作家と四人の女達とのそれぞれの濡れ場を、何れも異なつた毛色で描いてみせる辺りも鮮やかである。いふまでもなく、それも名伯楽の要請に応へ得る、なかみつせいじあつての成果であるのは疑ひない
 豪華四大女優に関して補足すると、脚本の詰めの弱さに最終的には阻害されるにせよ、本妻としてのそれを体現する里見瑤子の安定感。高飛車で攻撃的な女優像を快演する、平沢里菜子のエッジの効いた持ちキャラ。本妻、幾多の愛人の中でもメイン級、職業者としての作家の最も近くに居た女、らの前に現れる華沢レモンの、飄々としながらも物語の鍵を孕んだ存在感。構図的には最後に登場する奈緒が、それまでの三人の女を向かうに回す形になるので、里見瑤子・平沢里菜子・藍山みなみらを相手に一対三で堂々と渡り合ふ、林由美香亡き後の“最強のピンク五番打者”華沢レモンの確かな地力が光る。野球でいふところのクリーンナップ・トリオ概念を理想的に体現した、奈緒役に華沢レモンを当てた配役が、四女優の華麗なる共演の中でも一際目立つ。

 そして何よりも現象論レベルで目につくのは、兎にも角にも矢張り全てをなぎ倒す藍山みなみの重量感全盛期の藍山みなみは、今作の葵を着ぐるみとして中にスッポリ納まつてしまひさうな感すら漂ふ。


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 「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2007/監督:長谷川和彦では又してもない/出演:坂口拓・松浦佑也、他)。かういふ地点から見事実際に映画の完成・公開にまで漕ぎ着けたことに関しては、素直に評価出来さうな気もするが。
 ざつと見渡したところ、映画ファンの多くは今作を概ね高く評価してゐるやうである。“概ね高く”どころではない絶賛の嵐すら、労することなく散見される。にも関らず蛮勇を振り絞る、こともなく。当サイトに於いては決然と一言で片付ける。

 フィルムで撮れ、タコ。

 全篇を通して情けないキネコ画質にやきもきさせられつつ、最終的に追ひ詰められた連合赤軍と完全に包囲した機動隊との、苛烈な筈のあさま山荘攻防シーンに於いて、映画としては完全に詰まれてしまふ。徒に臨場感だけならば溢れてもゐるが、外光はトビまくり、画面の中で何が起きてゐるのだかまるで判然としない。かういふ点にこの期に拘泥してみせるのも、多分に時代からは後れた物言ひに過ぎないことも承知の上でなほのこといふが、小屋に木戸銭を落とした観客に、三時間強も見せる品質の代物では毛頭ない。シネアストとしての若松孝二の良識を疑ふ、とまでいふのは大人気なく、潤沢な製作資金が集まらなかつたならば、90分に収めた上でフィルムで撮ればいいのだ、といふのは流石に暴論に過ぎるか。ともあれ、あくまで映画としては一見の価値無し。ひとつの大事件に対しての、同時代人としてのオトシマエ、としてならば議論はまた全く別である。いはゆる山岳ベース事件。総括、といふ名の仲間内での大量リンチ死。若松孝二は、徹底して一連の地獄を容赦なくトレースした後に、最終的にはその衝撃的な悲劇に対して、一体如何様にしてあの時彼等はさうした事態に至つてしまつたのか、に関して今回ひとつの答へを出す。吐いたばかりの唾を飲み込むやうなことを申すが、その叫びからは、映画監督若松孝二としての、撃ち抜かれた決定力が確かに伝はつて来る。

 ブント関西派の塩見孝也役が我らが拓ちゃんこと坂口拓と知り、拓ちゃんがマジ当てのジェット・パンチで内ゲバを闘ひ抜くシークエンスを期待したが、勿論あらう筈もなく。そもそもが、「お前の観る映画ぢやねえよ」といふ反駁に対しては、おとなしく頭を垂れる。とはいへ無謀といふか勇猛果敢といふか、あの拓ちゃんが展開する、あるいはさせられた観念的な長台詞は、それはそれとして出色。不器用で逆説的なリアリティを狙つた上での配役であつたならば、正しく大ベテランとしての卓見であらう。
 ピンク勢からは、松浦祐也が、何故か“松浦佑也”名義で登場。ほんの少しだけ。一応ピンでは抜かれるものの、台詞も無い。


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 「お葬式の義母 トイレで情事」(2007/製作:松岡プロダクション/提供:Xces Film/監督:松岡邦彦/脚本:今西守/企画:亀井戸粋人/撮影:村石直人/照明:鳥越正夫/編集:酒井正次/助監督:金沢勇大/監督助手:古館勝彦/撮影助手:松宮学/応援:中川大資/音楽:山口貴子/出演:樹翔子・しのざきさとみ・青山えりな・小林節彦・那波隆史・久保田泰也)。
 引越し間際なのか、箱詰めの荷物が未だ片付かない室内。「俺も二十歳だから、そろそろ義母さんとしたいんだよ!」と無茶苦茶な方便で言ひ寄る義理の息子・広矢(久保田)に対し、有賀素子(樹)は手洗ひの個室へと逃げ込む。そこに父・朗(那波)が帰宅。経営する会社の資金繰りに苦しむ朗はバイト代を当て込み広矢にすら無心し、一蹴される。そんな折、素子の実家より電話がかゝつて来る。矢張り借金に苦しむ素子の父・良夫(小林節彦、遺影のみ登場)が、自殺したといふのだ。朗は臆面もなく、良夫の保険金も当てにする。実家に向かふ素子と朗は、良夫の弟・牧夫の娘・エミ(青山)と一緒になる。父親のことを悪し様にいふエミに対し、「どんな親でも、死なれたら寂しいものよ」と素子が諭すと、エミは冷然といひ放つ「ふうん、鬼畜でも」。このカットは青山えりなの強度で決然と締められるのだが、以降映画がその硬質を取り戻すことはない。
 素子の実家・石川家。参列者(二名登場、スタッフの何れかか)が口にする良夫の悪い噂にいたゝまれなくなつた素子の母・富江(しのざき)が、亡夫の遺影を手にトイレに逃げ込まうとしたところへ、牧夫登場。色眼鏡を掛けてはゐるものの堂々と小林節彦の二役である、双子かよ。牧夫は良夫の生前から、富江とは関係を持つてゐた。素子到着、すると今度は牧夫は素子に、良夫の古い日記を見せる。良夫が会社を興した際、富江は取引先の人間複数と関係を持つ。実は自分の娘ではない素子に、良夫は許されない欲望を抱いてゐた。両親の暗い過去に衝撃を受ける素子に対し、牧夫は「俺が兄貴の想ひを遂げてやる」と襲ひかかる。正しく、実の娘に鬼畜と罵られる所以である。
 といふ訳で、未亡人である富江×亡夫実弟の牧夫、素子×この場合は叔父に当たる牧夫、遅れて来た広矢×広矢とは幼馴染のエミ、朗×この場合は義母に当たる富江。そして、勢ひに乗り終に突入する素子×広矢。五つの組み合はせの多彩な濡れ場が、葬式中の筈の一家を舞台に怒涛の勢ひで繰り広げられる。素子と朗の、劇中殆ど唯一関係性としては順当な濡れ場は、冒頭父死去の報せに触れ葬式の支度をする途中で消化済み。諸々の欲望と複雑な愛想とが力強く錯綜する濡れ場濡れ場のつるべ撃ちは、正しく“エクセスの黒い彗星”松岡邦彦十八番の暗黒喜劇、といひたいところではあるのだが。さうともいひ切れずどうにも弱いのは、二度死にかける牧夫の扱ひに明確に表れる、お話の畳み処が必ずしも判然としない点。更に大きいのは、キャスト中に開いた大穴。しのざきさとみと小林節彦は最強に磐石。一見不幸な寡婦を演じつつ、最終的には逞しい女の性をも表現するしのざきさとみ、憎々しい邪欲の権化を貫禄の馬力で体現する小林節彦、何れも文句のつけどころがない。青山えりなの役はもう少し大きくても良かつたやうな気がしないでもないが、持ち前の、メリハリの中で得意な方の“ハリ”で物語のポイントを締め、適宜にアクセントをばら撒く。久保田泰也のところは他の可能性もないとはいへないが、まあこんなものとしても。主演の筈の樹翔子と、夫役の那波隆史にどうにもかうにも厳しさが際立つ。樹翔子はお芝居の方はある程度まではカバーが効く―後述する―とはいへ、容姿が首から下は兎も角、兎にも角にも上が苦しい。悪役専門の某俳優にソックリなのだが、どうしても名前が出て来ないのが口惜しい。要するにオバサンですらなく、オッサンの顔である、しかも人相の悪い。那波隆史に関しては、濡れ場濡れ場のつるべ撃ちの中で、牧夫との関係をダシに義父の保険金目当てに言ひ寄る朗と、富江の絡みが起承転結でいふと転部の要所を担ふ、展開上最重要な絡みと思しきところなのだが、そこでの突進力不足が大きく響く。お話を強引に畳む段に入つても、ただでさへガチャガチャとしたコメディの中で、別の意味で綺麗に上滑りしてしまふ様も興醒めする。タイトルを律儀に回収する節度は買へるものの、連戦連勝を誇る松岡邦彦&今西守コンビにしては初黒星、とまでいふのは酷やも知れぬが、何れにせよ、期待出来る範囲の完成度を具へてゐるとはいひ難い。

 素子宅と富江宅とは、それなりに(?)撮り分けられた同じ一軒家を用ゐて撮影されてゐるのだが。どうでもいいが調度品、といふか要は動産の数々に、差押へられた旨を示す赤い札々が貼られてある。一体どんな物件で映画を撮影したといふのか。
 樹翔子のアフレコは持田さつきがアテてゐることは、実際に映画を観てゐれば特徴ある声で容易に看て取れる。聞こえて来る台詞と、樹翔子の口の動きとが平然と合致しないカットも文字通り散見される。ものの、クレジットその他公式にはその旨を明示した記載はとりあへず見当たらないのだが、シネロマン池袋のWEB上番組表にのみ、何故だかそのことが書き添へてある。


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