真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「幼な妻 絶叫!!」(昭和51/製作:日活株式会社/監督:白鳥信一/脚本:大工原正泰/プロデューサー:海野義幸/撮影:安藤庄平/照明:直井勝正/録音:橋本文雄/美術:柳生一夫/編集:井上親弥/音楽:月見里太一/助監督:鴨田好史/色彩計測:田中正博/現像:東洋現像所/製作担当者:高橋信宏/出演:渚りな・谷ナオミ・坂本長利・水城ゆう・中原潤・島村謙次・あきじゅん・玉井謙介・木島一郎・北上忠行・賀川修嗣・大谷木洋子・原田千枝子・水木京一)。出演者中、賀川修嗣以降は本篇クレジットのみ。クレジットがスッ飛ばす、配給に関しては事実上“提供:Xces Film”。あと音楽の月見里太一は、鏑木創である旨日活公式が変名を水泡に帰す。
 山梨県都留市ら辺の山中、神社の石段を駆け上がるセーラ服の背中。境内に隠しておいたボストンバッグの荷物で、野外更衣―それとも無縁所着替へ―した十七才の沖本順子(渚)が、脱いだ制服に幾許かの未練も滲ませる。橋のロングにクレジット起動、バスに揺られた富士急行谷村町駅にて、順子は宮脇啓次(中原)と合流。二人で東京に駆け落ち、乗り継ぐ電車の、三本目に割と唐突なタイトル・イン。玉井謙介の不動産屋に紹介された、風呂なし手洗と炊事場は共同の安アパート「曙荘」。初期費用が足りなかつたものの、看板が目についた北沢質店に救はれ順子と宮脇は11号室に転がり込む。カーテンはおろか、布団も持たずに。
 配役残り、水城ゆうは一般的な並びでいふと多分10号室の、華美なお隣・野崎ユキ、キャバレー「ニューサービス」(新宿)のホステス。のち宮脇を店に誘ふ際、「ばつちりサービスしちやふからさ!」とかいふ屈託ない弁を聞くに、さういふキャバレット?大体二年後大平に改姓する北上忠行は、宮脇が働く出光興産成城給油所の店長・井村。一方順子の勤め先は、同僚の梅沢クミ(あき)に執心する水木京一や、津田栄三(坂本)が常連客の喫茶店、屋号不詳。水木京一のある意味邪気のない助平男ぶりが、さゝくれた映画に一滴の潤ひを添へる。最初ナンシー・アレンみたいな頓珍漢なウィッグを被つてゐるのに、軽く頭を抱へさせられた谷ナオミは2ドアの外車でスタンドに出入りする、高級バー(矢張り新宿)のママさん・生田エリ。島謙後述、原田千枝子は、津田が順子に着せる下着を買ひに行く洋品店の従業員。賀川修嗣はその間津田家を訪ねる電気料―劇中用語ママ、普通電気代では―の集金人で、大谷木洋子は津田の不在をカガシューに告げる近所の主婦。そし、て。地味に満を持して飛び込んで来る木島一郎が、エリに身勝手な心を残し高級マンションの701号室をのこのこ急襲した宮脇を、文字通り撮み出す精悍な男。首から上のみならず、下にもドーランを塗つてゐるらしく今でいふ日サロ感覚で全身浅黒い。
 告白シリーズ第一作「をさな妻の告白 衝ショック撃」(昭和48/監督:西村昭五郎/脚本:いどあきお/主演:片桐夕子)と、三ヶ月後同じ面子による多分正調続篇「をさな妻の告白 陶クライマックス酔」。翌年の「をさな妻の告白 失エクスタシー神」(昭和49/脚本・監督:磯見忠彦/主演:立野弓子)が告白最終第三作、二年半強の歳月を経て、二ヶ月前に買取系「幼な妻 初夜のわなゝき」(昭和51/監督:渡辺護/脚本:高橋伴明/主演:早川リナ=渚りな)を挿んでの白鳥信一昭和51年第二作。主演女優的には、代々木忠昭和49年第一作「セミドキュメント スケバン用心棒」(脚本:林崎甚/主演:五十嵐のり子)に於いて大谷リナ名義でデビュー後、早川リナ期を通過、再改名した渚りなとしての水揚げ作にもあたる。通して買取系が主戦場の渚りなにとつて、本隊ロマポは今作と、白井伸明昭和53年第一作「《秘》肉体調教師」(脚本:村田晴彦)の実は二本きり。
 “幼な妻”とは、いふけれど。往時は活きてゐた民法737条(未成年者の婚姻についての父母の同意/2022年削除)に従つた上で、正式に婚姻届を提出し受理されてゐる、訳でもなく。要は単なる同棲に過ぎない、若き二人の日々、束の間の。薄い壁を通し島村謙次(アフター客、なんて自宅には連れて来ないか)に抱かれるユキの嬌声がガンッガン洩れ聞こえる中、その頃津田に捕まつてゐる順子は当然未だ帰宅しない曙荘11号室。宮脇が放置したマンガ雑誌が『週刊漫画アクション』で、いはずと知れた上村一夫『同棲時代』(昭和47~48)の頁が開いてゐたりするのは、流石に臆面もなくか大胆不敵に開き直りすぎかも。
 各々の交替制勤務―と生活―が擦れ違ふほど働けど働けど、口に出来るのは食パンと即席麺ばかり。逆の意味で順調に煮詰まる貧しい暮らしの火に油を注ぎ、宮脇が外に女を作る―正確には受動態―どころか、偏執通り越して変質的な津田に、順子は犯される。「失エクスタシー神」の六年後、当時バチバチのアイドル的人気を博した“大明神”原悦子がビリング頭に座る無印大作にして、白鳥信一昭和55年第三作「をさな妻」(昭和55/脚本:鹿水晶子)も想起するとなほさら、あたかもヒロインを心身とも酷い目に遭はせるのが、幼な妻フォーマットなのかと呆れさせられ、ながらも。
 手と手を取り故郷を捨てた筈が、侘しい暮らしに疲れ、何時しか二人の心は離れて行く。挙句の果て、の斜め上だか下。津田が及んだ二度目の凶行から、そのまゝ順子を―恨み節を窺ふに恐らく親の死んだ―実家に拉致する。ありがちな青春残酷物語が、いはゆる監禁飼育ものに転換する衝撃的な展開に、度肝を抜かれるのはそれでも些かならず早いんだな、これが。理不尽な凌辱に曝された女が、それまで知らずに生きて来た性の悦びに目覚めて行く。所詮昭和の昔日を方便に垂れ流された、箍の外れたファンタジーでなければ底の抜けたミソジニーでしかなく、現在の鑑賞には一欠片たりとて耐へ得る代物では土台ないにせよ。兎も角、兎に角力業にへべれけを合はせるクロスカウンターばりの超作劇で、映画がまさかのグルッと一周。順子の伴侶が宮脇には非ず、よもや津田との組み合はせで、思ひのほか綺麗な幼妻噺に着地しようなどとは。それこそ、あるいはこれぞ正しくお釈迦様でも案件。事そこに至る過程を断じて肯んじ難い点に目を瞑ると、空前絶後のアクロバット結末には滅多にない強度で吃驚した。無論、瞑れるかバカタレ、といふ全否定に対して、異を唱へるつもりも毛頭ない。最早それで、別に構はない、保守なのに。あと、枝葉に弾ける徒花にも目を向けると、正真正銘卓袱台を引つ繰り返す、渚りなのスキヤキキックが大笑必至。実際脊髄で折り返した速さにも映る、坂本長利の熱がりぶりは果たして芝居であつたのか否か、マジ火傷するぞ。裸映画の旧弊を等閑視する、天より高いハードルさへ超えられれば、なかなか以上に面白い一作。公開当時ジャスト五十歳、好々爺と称するには些か早い気もしつつ、水京の微笑ましい好色漢ぶり以外の見所で、縄のかゝらない谷ナオミの爆乳も、タップンもといタップリ堪能させる。

 元々マリに買はれたのも順子が心密かに望む、東京美容専門学院の入学費用を捻出する目的で、軽く匂はされかけた三番手による逆転救済も、結局実らず仕舞ひ。最終的に全てを失つた宮脇がたゞ独り取り残される、ナカジュン一人負けの様相をも、何気に呈しなくはない。


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