真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「むちむちネオン街 私たべごろ」(昭和54/製作:日活株式会社/監督:中川好久/脚本:大工原正泰/プロデューサー:細越省吾/撮影:森勝/照明:木村誠作/録音:高橋三郎/美術:菊川芳江/編集:井上治/音楽:萩原秀樹/助監督:黒沢直輔/色彩計測:青柳勝義/現像:東洋現像所/製作担当者:田中雅夫/出演:三崎奈美・志麻いづみ・山口美也子・林ゆたか・岡本麗・中野リエ・橘雪子・根岸一正・大矢甫・粟津號・深見博・浅見小四郎・森谷和美・宮崎チカ子・山本夕子・三谷義博・小宮山玉樹・山西拓人・庄司三郎・影山英俊/振付:樋口四郎)。出演者中、粟津號と庄司三郎は本篇クレジットのみ。二人とも寧ろ浅見小四郎辺りより、全然小さな役でもないのに。あとポスターでは、監督の中川好久に括弧第一回監督作品。クレジットがスッ飛ばす、配給は実質“提供:Xces Film”。
 上野駅前を一拍挿んで、次の御徒町駅北口。実はこゝで既に485系のつばさ―かやまびこ―が通過する線路脇、アメ横のアーチ看板から引くカメラが裏側に回るのを待ち、キャバレー「ワイキキ」のネオンサインが灯る。東京音頭がズンチャカ盛大に流れ始める中、直角に近い仰角で火蓋を切るホステスの宮子(山口)以下、尻を捲つてみせるモンロー(中野)と、下着姿の姫子(宮崎)。店長で黒服の本間章吉(小宮山)に、偶さかものもらひでも出来てゐたのか、左目に眼帯をあてたしのぶ(森谷)。番頭格のチョビ髭・後藤(深見)やみゆき(山本)らが踊り狂ひ、さゆり(橘)は佐野(影山)を敢然とヌキにかゝる、賑々しい通り越し騒々しいゴーゴータイム。ノリが悪いもしくは、単なるうはの空。一人ぼんやりしてゐるナナ(三崎)に、柄から悪ければ性質も悪い貝村(庄司)が絡む。傍若無人な貝村のボディタッチを拒んだところ、派手に突き飛ばされたナナの大股開きにタイトル・イン。仲のいゝナナの危機に介入した、宮子も吹つ飛ばされクレジット起動。以降、大乱闘の合間合間に文字列を滑り込ませる、小気味いゝタイトルバック。何か飛んで来たナナの豆鉄砲を喰らつたやうな顔に、被さる中川好久のクレジットは無特記。
 当然出禁になつたのか、俺達のサブが潔く一幕・アンド・アウェイで駆け抜ける一方、さゆりと親密な関係を継続する佐野以外に、水木京一や賀川修嗣もワイキキ店内にほゞ常駐する配役残り。まるでオッパイみたいに二基のガスタンクが窓に映り込む、宮子が暮らす安アパート。多分三谷義博が、お隣の三浪生・キタニ君、志望は東大の文一。後述する大矢甫と、女優部2トップの介錯役にしては、明らかな非力ぶりが映画の見栄えを不用意に下げてゐる風にも思へる、根岸一正はナナが爛れたか拗れた同棲生活を送る義兄の花井敏夫。岡本麗がヤサに飛び込んで来ては、腐れ配偶者よりも実妹を一方的に責める姉のはるみ。泥酔したナナが、戯れに脱ぎ散らかす底の抜けた夜。最初モンローが接客してゐた林ゆたかは、ナナに目をつける如何にも一癖ありさうな色男・高木、それとも直截にスケコマシ。大した身銭も持たず、高級店であるワイキキの敷居を跨いだ大矢甫は、かつて同じ会社に勤めてゐた、宮子の昔カレ・玉野光夫。会社は倒産、玉野は別の女と結婚。根岸一正と大矢甫を凄まじく適当に譬へるならば、作家ないし精神性をスポイルした押井守と、眉毛の立派な国沢実。消去法で恐らく山西拓人が、乳飲み子を背負ひ毎晩店の表でさゆりを待つ、夫の前川。露骨に煙たがる本間から、どストレートな苦言も呈される。粟津號は橘高文彦のピック感覚で札片を撒く、正しく豪遊を繰り広げる自称練馬の大地主、とかいふ御大臣・万田。浅見小四郎はスナック「シャガール」のバーテンダーで、志麻いづみがママさん、本物の。その他嬢と客合はせて十人前後、ワイキキ要員が随時投入される。
 七年の助監督修行を経て監督デビュー、たゞし一本撮つたきりプロデュース業に転じた、中川好久最初で最終作。十万億歩譲つて岡本麗はまだしも、実質二枚看板の山口美也子よりも高いのがなほ火に油を注ぐ、あるいは癪に障る。志麻いづみがビリング二番手に座りながら着物の帯も緩めないのは、流石にあんまりだと軽く憤りを覚えるのも禁じ難い。それならそれでせめて、カメオ注釈でも施すべきではなかつたらうか。
 凡そ人を疑ふことを知らず、一度(ひとたび)男に入れ揚げるや股は滅法緩い。天真爛漫といふと聞こえもいゝが、少なくとも今の目で見る限り、白痴と紙一重にすら映るナナの浮遊した造形は恐らく、往時のしやうもないミソジニーに裏打ちされた、歪んだ理想像の類にさうゐない。はるみに花井を奪還され住むところも失つたナナを、しつかり者の宮子が庇護する、あくまで食費は半分入れさせた上で。疑似姉妹をも思はせる二人が各々、男と結ばれ損なつたり、騙されたりするどちらかといふと救ひのない男ならぬホステスはつらいよ。まづ裸映画的には、不脱の志麻いづみと岡本麗はいつそ無視してしまふと、三番手以降も適宜脱ぎこそすれ、所詮はゴーゴータイムの喧騒を飾る枝葉に咲いた花。よしんば何某かのテーマないしモチーフを背負ふに足るキャラクターには恵まれなくとも、三崎奈美の文字通りむちむちと食べ頃の肢体は、たとへば高木との事後、幾分過剰に回してはゐないかとさへ思はせるほど、全篇通して潤沢に愉しませる。反面、序盤は抑へ気味の山口美也子が、中盤以降猛然とパシュート。「あたしが仕舞つたげる!」、キタニ相手に至高のファンタジーを成就させたかと思ふと、真相を知つた<本当は土方>の万田には、「万田さん、仕事抜けられない?」。銀幕一杯に宮子が湛へる、作り事の中にしか存在しない慈しみ。物語の神様の前髪も掴んだ山口美也子が裸と映画の二兎を見事に仕留める、しかも二発の一撃必殺が兎にも角にも出色。雨の夜、鮮烈にさゆりは散り、「おい学生!酒飲まうぜ」。ナナとワイキキを馘になつた宮子が、へべれけに訪ねたキタニの部屋はもぬけの殻。木に接いだ竹も否めないにせよ、印象的な一幕二幕もなくはなく、何故か宮子の実家が何時の間にか消滅してゐる、山形の雪原。宮子もナナを追ひ二人で口遊む、「真室川音頭」の一節。“夢を見た”“夢を見た”、“夢ーをー見た”のリフレインは、痛切がグルッと一周。ロングにも加速された、スケールの大きなエモーションに到達する。巷説によると初号が不評で云々、中川好久が自信を喪失してかんぬん、といつたところらしいが、間違つても酷い映画ではあるまい、否、決して酷い映画ではない。節穴を憚りもせず断じてのけるが、もつとろくでもない他愛ない、端的に詰まらないロマポなんて石を投げれば幾らでも当たる気がする、ある意味不遇の一作、何より。
 満更でもないどころでない本丸はこの際さて措き、満足に喋らせても貰へず橘雪子と絡むばかりの影英とは対照的に、質量ともふんだんに見せ場を与へられるのがロマンポルノのスーパー座敷童こと、全銀河大好き小宮山玉樹。キャバレット映画に於ける店長、地味な重役を得た小宮山玉樹の活躍を愛でてゐるだけで、木戸銭の元は十三分にも十四分にも取れる。郷ひろみの「誘はれてフラメンコ」に合はせ、楽しさうにゴーゴー体を動かすコミタマ。指名を得た宮子をテーブルに誘(いざな)ひがてら、ツヤッツヤに艶やかな流し目を送るコミタマ。深見博を従へ、いゝ感じの画になる素敵な2ショット。万田周りではまづ強盗事件の有無を確認し、嬢が拾はされる万札を羨ましがる、後藤に対しては「お前もパンツ脱いで行けば」、台詞の一杯あるコミタマ。カットの跨ぎ際にウェイターかバーマンで飛び込んで来ては、サクッとそこで御役御免。量産型娯楽映画の途方もない試行なり集積の果て、遂に小宮山玉樹が完成した至高の十八番芸も確かにいゝけれど、長尺コミタマを味はへる、喜びもまた格別。さうかう、あれこれ考へるに。矢張り、結構いゝ映画なのではないかしらん。中川好久は当時、何を思ふてメガホンを擱いたのか。


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 「痴女昇天」(昭和52/製作:ワタナベプロダクション/配給:日活株式会社/監督:中村幻児/脚本:中村幻児/製作:渡辺輝男/企画:渡辺忠/撮影:久我剛/照明:近藤兼太郎/編集:竹村編集室/音楽:山崎良平/記録:前田侑子/助監督:高橋松広/効果:中野忍/美術:軽沢美術/スチール:津田一郎/製作進行:大西良平/製作担当:一条英夫/衣裳:富士衣裳/小道具:高津映画/タイトル:ハセガワプロダクション/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東洋現像所/出演:杉加代子・中野リエ・高鳥亜美・青山涼子・鶴岡八郎・国分二郎・楠正道)。出演者もう一人、吉田一郎がポスターにのみ載る。製作の渡辺輝男は、渡辺忠(a.k.a.代々木忠)の本名。渡辺輝男はといふか、渡辺輝男もといふか、も?
 WP印のナベプロロゴに続き、ヒャッハヒャッハ単車を駆る三人組のバイカーにサクッとタイトル開巻。尻(ケツ)に高鳥亜美を乗せた国分二郎の多分中型と、125ccですらない、楠正道のダックス50が一緒に走らうとするツーリングに土台無理がある。兎も角クレジット明け、てつきり高鳥亜美は国分二郎のスケかと思はせ、弟分の楠正道から乞はれると怒るでなく、案外平然とシェアする仲のいゝ穴兄弟ぶり。エンストした2ドアのボンネットを開け、途方に暮れる青山涼子(ex.青山涼子で愛染“塾長”恭子)の脇を、三人が通りがかる。エンジンを見るフリとか適当にしがてら、国二と楠正は塾長に食指を動かす。一方、後部座席に二代目社長の鶴岡八郎と、後妻のレイコ(杉)。運転手の谷山(吉田)がハンドルを握り、助手席にはお手伝ひのメグミ(中野)が座る高級セダン。山中の別荘に到着すると運転手が東京に何の仕事を残してゐるのか、谷山はとんぼ返りで帰京。名残を惜しむ、メグミと谷山はデキてゐる風情を窺はせる。さて措き、今回鶴八一行の三人が繰り出したのは、レイコの誕生日祝ひ。メグミの悲鳴に二人が風呂場に駆けつけると、風呂桶で全裸の塾長が意識を失つてゐた、そら吃驚する。ところ、で。俳優部は吉田一郎までで全員出揃ひ、配役は残らないが、軽く面長にした天川真澄(ex.綺羅一馬)、あるいは山西道広的な。見る前は字面で吉岡市郎と勘違ひしてゐた、吉田一郎の風貌に何処かで見た既視感を覚え、画像でググッてみると若き渡辺忠、の要は変名。この時代の買取系なりピンクに、なかなかこの期に手を出しやうもないけれど、チョイチョイ俳優部に紛れ込んでゐておかしくなささうな、ビジュアル込みの手堅さをヨヨチューが何気に披露する。
 改めて後述するが、プロトタイプ的な中村幻児昭和52年最終第七作。本隊ロマポには絶対つけないであらう、公開題のぞんざいさがある意味清々しい。
 そこの仔細は豪快にスッ飛ばし、拉致つた塾長を監禁凌辱するのに鶴岡別邸を拝借してゐた国二一行が、葱を背負つた鴨と富裕層の休日もジャックする。スッ飛ばす割愛自体に、実は蓋然性がなくもない。そのまゝ大人しく、さんざ女々を嬲る犯すに、徹して呉れればいゝものを。所謂“資本家の豚”的な、今となつてはノスタルジの対象とさへなりかねない、教条的な憎まれ口を国二が長々叩きだすと逆の意味で順調に、中盤から映画は躓き始める。荒淫の前妻にさんざ虐げられたかと思へば、上手いこと交通事故でオッ死んで呉れ迎へたレイコが、今度は不感症だつた。繋げなくていゝバトンを国二から貰ふ形で、鶴八も延々恨み節を垂れるに至つては、男優部の長広舌なんぞどうでもいゝ、もつと濡れ場を真面目に見せんか、と完全に匙を投げかけた。尤も、呆れる勿れ四分延々愚痴つた末、自力で鶴岡社長が拘束をパージした際には―空費したかに思はせた尺を―回収してのけた!と一旦感心させる。重ねて、もしくは火に油を注いで。破瓜を散らせたつもりのメグミが、処女でも谷山が二人目―恐らく鶴岡八郎で六人目―でさへなく。挙句レイコからは短小包茎早漏の役満罵倒すら浴びるに及んでは、まるでこの御仁が主役の、鶴八残酷物語の様相をも呈する。何れにせよ、ピンクか買取系なら全員ビリング頭を狙へさうな、攻撃的な女優部のみならず。革のバイクスーツがカッコよく似合ふ、国二と楠正も擁してゐながら。もう少し小気味よく、女の裸を畳み込めなかつたものかと消化不良感を最も強く、残すものかと思ひきや。そこかしこに否み難い無理は、好意的に評価―か等閑視―するならばこの手の作劇に於いてデフォルトの初期装備。知らぬはメグミばかりな、全てを引つ繰り返しはする無体な種明かしに落とし込む。全般的に個々のシークエンスのエッジと展開のキレに欠き、ラストも衝撃といふよりは、木に竹を接ぎ具合の方が上回る。それは果たして、上なのか下なのか。整理すると、外界から隔絶された山小屋を舞台に、過分にバイオレントな乱交の果て、アッと驚く大どんでん返しが爆裂する。要は、総合的な完成度が派手に劣る点まで踏まへるとなほさら、買取系を二本残しての中幻ピンク最終作「ザ・SM 緊縛遊戯」(昭和59/脚本:吉本昌弘)の、素案と看做してさうゐなささうな一作。といふのが、先に触れた試作のこゝろである。
 備忘録< 全部誕生日の余興


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 「女子学生 危険な遊戯“あそび”」(昭和54/製作:幻児プロダクション作品 昭54.10/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:吉本昌弘/企画:才賀忍/撮影:久我剛/照明:森久保雪一/助監督:岡孝通/編集:酒井正次/音楽:山崎憲男/記録:平侑子/撮影助手:渡辺秀一・倉本和人/照明助手:宮沢学/録音:ニューメグロスタジオ/効果:ムービーエイジ/現像:ハイラボセンター/出演:日野繭子・朝霧友香・坂下めぐみ・外波山文明・矢野健一・杉崎宏・尾形秋夫・加倉井和也・市村譲)。出演者中、矢野健一から三人は本篇クレジットのみ。企画の才賀忍は、中村幻児の変名。
 東西大に通ふ女子大生のマキ(日野)と、同棲相手で未だ予備校生のタカオ(加倉井)が駅前にて軽目の痴話喧嘩。二人で同じ電車に乗る、駅のホームに憂歌団起動。タカオが代ゼミに向かふ、往来にタイトル・イン。とはいへ、もしくはモラトリアム。予備校をバッくれたタカオが、青電話をかける画でクレジットは俳優部に突入、一方マキはキャンパスに。鏡に映つた、女の下半身に中幻クレ。尻に手を伸ばす指が矢鱈細く白く、予想外の百合かと面喰らひかけたところ、単に加倉井和也の指が馬鹿に綺麗なだけだつた。
 配役残り、濡れ場の火蓋を切る坂下めぐみは、タカオが自宅に連れ込む浮気相手のタエコ。マキとも旧知の、少なくともタカオとは高校の同級生。この人は、あるいはこの人も浪人した末、結局短大に進んだ口、マキも現役生ではない模様。翌年監督デビューする、市村譲はマキの浮気相手、教授としか呼称されない、多分英文科。互ひの生活に対する不干渉を宗に、マキとタカオはある程度融通無碍な関係。更にマキが教授から得た要は愛人料で、二人暮らしを賄ふ生計、月々幾らふんだくつてるのよ。バンダナに長髪、のち市村教授(仮名)からはインディアン扱ひされるフラワーな外波山文明は、マキとタカオに加へタエコも常連のバー「ひげ」のマスター・キンちやん。アホみたいに若い、アホとは何だ。公開年が、最早四十五年前ともなる冷酷な現実にクラクラ来る。昭和さへ遠く、なりにけり。「君みたいな娘には、滅多にお目にかゝれないよ」。朝霧友香は助教授ならぬ譲教授(だから仮名)が、常套の口説き文句で劇中マキ以外に手をつける、女学生B。尤も名前の重さは兎も角、マキは知らなかつた噂される<パイプカット>を繋ぎこそすれ、所詮一戦交へると御役御免の朝霧友香が要は絡み要員に過ぎず、実質三番手のきらひは否み難い。その他「ひげ」の客で、女二人含め若干名投入される。その中本クレのみ隊は、マキを雑に口説きがてら、服の上からオッパイも突く坊主頭と、クライマックスの遊戯“ゲーム”に、タカオと教授にキンちやん以外で参加するもう二人か。マキが一貫して口にする用語が“ゲーム”である以上、公開題も読み仮名は“ゲーム”とふるべきであつたとしか思へない。
 ちぐはぐなビリングの火に油を注ぎ、ポスターも日野繭子より更に大きく朝霧友香が飾る。何時の時代の、何処の会社。御多分に漏れずミリオンも大らかかへべれけな、中村幻児昭和54年最終第十三作。
 タカオとの仲いゝ小競り合ひの最中、マキが覚えた嘔吐の発作は悪阻で、妊娠二ヶ月だつた。その旨告げられると、切札たる事実を何故かか意地悪く秘しつつ、“処理”の用語も平然と口にする教授に対し、タカオは父親すら問はず手放しに喜んだ。胎児込みでマキを間に挟んだタカオと教授に、今度は逆にタカオを巡るマキとタエコ。二つの三角関係が六芒星を成す構図を、下手にカットを割らず、台詞にも頼らず。フレームの端で日野繭子に顔色を静かに変へさせる、キレッキレの演出で加速しながらも。かといつて、ドラマを物語るのにうつゝを抜かし、ピンクの本義を疎かにするでなく。酔ふと戯れに「ひげ」で脱ぎ始め、偶さかにキンちやんとも寝る。マキの奔放な造形の下駄も履き、案外従順な裸映画といふ印象がひとまづ強い。それでゐ、て。正しく全てを引つ繰り返す、衝撃の告白でタカオ―と観客ないし視聴者―の度肝を抜くや、ビクワイエットの仕草で微笑む日野繭子の、画期的にスマートなショットを叩き込んだ上で、鏡の中カラカラ回る、ベッドメリー挿んで暗転終。一瞬の隙を突き丸め込む、クラッチ技にも似た鮮烈な結末が出色。サクッと快い余韻は、小屋で観てゐたならなほ格別であつたらう。


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 「ブルーフィルムの女 ちつそく」(昭和53/企画:幻児プロダクション/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:才賀忍/撮影:久我剛/照明:出雲誠二/助監督:平川弘喜/編集:竹村編集室/音楽:阿木政治/記録:前田侑子/演出助手:岡孝通/録音:ニューメグロスタジオ/現像:ハイラボセンター/効果:中野忍/制作:三好良一/出演:日野繭子、楠正通、草間二郎、中野リエ、藤ひろ子、武藤樹一郎、水瀬勇、井上弘美、原田英子、新町明、ビル・ドロシー、小川恵)。出演者中、ビル・ドロシーがポスターにはビル・ドロシィ。同じく、井上弘美から三人は本篇クレジットのみ。脚本の才賀忍は中村幻児の変名で、照明の出雲誠二はa.k.a.秋山和夫。今回、静二でなく誠二なのは本クレまゝ。
 スタッフも三人見切れる、ブルーフィルム撮影現場、スタートがかゝつてタイトル・イン。本職は美容師のマスダヒロミ(小川)と、情夫でヤクザのジロー(草間)が早速オッ始める。調べるまでもなく、一目瞭然なのが草間二郎といふのは草薙良一の変名、ロマポには普通に草薙良一で出てゐやがるのに。ピンク用の別名らしいが、脊髄反射で釣られてみせると一段低く見たやうな、小癪な態度が憎たらしい。
 要はジローに誑し込まれるまゝ、手に職も持ちながらアンダーグラウンドどころか、イリーガルな裸仕事を続ける生活にヒロミは難色を示す、当然。片や、劇中8/8mmも勉学に励んでゐる気配の窺へぬ、一応大学生のカキヌマユージ(楠)が、交錯した弾みで盗品を落として行つた、職業不詳のナオミ(日野)を追跡。「ピンク映画だつたらさあ」云々、ユージが小賢しくもない無駄口を叩きがてら、適当な屋上で軽くナオミに手をつけかける。その場を逃げたナオミが―アウトラインの―愚痴をヒロミにこぼすのは、二人が妹と姉の関係。
 配役残り、井上弘美と原田英子はユージ・、ミーツ・ナオミの直前、ナンパする二人組だとすると頭数が合ふ。反面、終盤、ヒロミ勤務先の「英美容室」。正面からも抜かれる客の女は何処の何方よ、といふ謎は新たに発生する。何れにせよ、この人等は不脱。カット跨ぎで連れ込みに飛び込んで来る、聖らかな清々しさを大発揮してのける藤ひろ子は、一回の逢瀬二万円でユージを買ふ、鋳物工場社長夫人・ミナコ。水瀬勇は車を欲しがるユージを、ミナコが連れて行く中古車屋、結局その店では買はんけど。センター分けストレートの長髪が、爆発的に可笑しい武藤樹一郎はユージの親友・ヨウヘイ。ヨウヘイがユージに恋の架け橋を乞ふ、ユキちやんは中野リエ、好きなタイプはジュリー。尤も、ヨウヘイなんて眼中にないユキの興味は、専らユージ所蔵のブルーフィルム、部屋には映写機もある。そしてウォーリーより捜し辛いビル・ドロシーが、ただでさへ薄くでなく暗い8mm映像の中、ヒロミを抱く黒人。正直、結構闇夜の黒牛状態。消去法で新町明は、ヨウヘイとミナコがホテル「本陣」の敷居を跨ぐ写真をネタに、ユージが恐喝を試みる鋳物工場社長。全体、楠正通が―友人も破滅する―軽挙妄動を働く映画を、中村幻児は何本撮つてゐるのだらう。その他、ヒロミを逃がしたジローに指を詰めさせる兄貴分や、金の受け渡しに行かされた、ヨウヘイを現行犯逮捕する官憲部等々が見切れる。
 和泉聖治の、ピンク込みで量産型裸映画ラスト三本の買取系ロマポ(昭和59~60)に、牧村耕治(a.k.a.牧村耕次)と唯二人全作出演してゐる、黒人俳優部で片仮名表記の終ぞ安定しないビル・サムワン。埒が明かんから、何処かアルファベット転がつてないかな。閑話、休題。兎に角ビルはビルなビル何某がビル・ドイシー名義で、既に中村幻児の昭和52年作に出演してゐた事実に小躍りしたのも束の間。十二作後、バンク臭さもそこはかとなく漂はせつつ、黒い彗星のビルが又しても飛来する昭和53年第十一作。返す刀であちこち探してみたところ、「バカヤロー」第四話(昭和63)のビル・ドーシィなんてどうでもいゝにしても、「のぞきのテクニック」(昭和46/監督:梅沢薫/脚本:池田正一=高竜也/主演:真湖道代)のビルト・ドロシィーが、翻刻も満足に出来ないnfaj仕事含めどうにも怪しい。と、いふか。仮にビルト・ドロシィーとビル・ドーシィが同一人物であつた場合、その時点で四捨五入すれば二十年選手ともなる、馬鹿に出来ない息の長さ。
 ミナコに買つて貰つた矢張り中古車で、ナオミとカーセックロスしかけるまで―なら―距離を近づけたユージは、帰りを送らされた往来、上手いこと勝手に歩いて来たヒロミとも出会ふ。その時点でジャスタモメンしたユージが、帰宅後改めてブルーフィルムを回した上で、女がヒロミである旨確認する一方、ジローから獣姦ものの出演を提示されたヒロミは、流石に態度を根本的に硬化。ユージとジロー、二人のクズ男の間で、ヒロミの周囲にキナ臭い暗雲が立ち込めて来る。具体的に何をどうしてゐるのかまるで判らない、小川恵と楠正通の絡みに、ボクシングの試合を映写する。荒木太郎でもあるまいし、意匠を優先させた結果カッピカピに乾いた濡れ場の、煮ても焼いても食へない頓珍漢さは強ひてさて措き。対ジローの鉾として、ヒロミがユージの篭絡を試みる。起承転結の大転換に相応しい、大胆にして有効―さう―なカウンター展開が、ユージの不甲斐なさにも遮られ、以降全く機能するでなく。カッコ悪くも憎めない、ヨウヘイ―といふかクソ若き武藤樹一郎―のコミックリリーフぶりは灯る程度に輝きつつ、所詮端から枝葉。ナオミをジローに手籠めにされたヒロミが、姿を消すのが驚く勿れ五十分前。ビリング頭二人が、完全に捌けてしまつた十分強。順に四番手と三番手が精一杯気を吐きこそすれ、一本のピンクを締めるには些かならず如何せん厳しく、最終的には共々甚だ無様なジローとユージが、せめて最期はカッコよくくたばりさへしない、グッダグダのラストで逆の意味で見事に尻窄み。窒息ならぬ失速するが如き、一作とはいへ。名前の序列も物語本体すら何処吹く風とケシ飛ばし、全てをカッ攫つて行くのがa.k.a北洋子の中野リエ。結構造形が被る点に関しては、積極的に等閑視。何気に小川恵より似合ふメガネと、エクストリームな肩の細さ。結構木に竹を接ぎ気味のザーマス口跡が何故か気にも苦にもならないのは、もしかしてこの人、案外芸達者なのかも。何せ数をこなしてゐないこなせてゐないゆゑ、そこいら辺りの評価が心許ないのは御容赦願ひたい。とまれ自らザクザク乗り込んだ、ユージの部屋。ブルーフィルムを、回させてみたはいゝけれど。羞恥と性的興奮に目を逸らし見悶えるユキを、ユージが手繰り寄せあれよあれよと事に及ぶ。エロく且つエモい、エローショナルな神々しいシークエンスの一点突破で、今作は易々と時空を超え得よう。少なくとも、当サイトの中では。


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 「女犯魔」(昭和52/企画・製作:幻児プロダクション/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:今野覚/撮影:久我剛/照明:磯貝一/編集:中田治/音楽:山崎良平/効果:秋山サウンド/助監督:旦雄二/監督助手:平川弘喜/撮影助手:伊達英樹/照明助手:磯村一路/制作進行:木村信樹/スチール:田中欣一/現像:ハイラボ センター/録音:東音スタジオ/出演:小川恵、石野みどり、立川チヨ、蜂瀬里加、藤ひろ子、泉夕子、森美樹、岡田良、藤田敏六、滝沢秋弘、杉並二郎、尾形勝義、ビル・ドイシー、竜谷誠、和雅?、矢野口健、元町太郎、木乃伊鉄平)。出演者中、和雅?のはてなは日偏に点四つ履いた重、といふ謎の漢字がどうしても出て来ない。脚本の今野覚は、金子裕の変名。
 空港のロングに小気味よくタイトル開巻、福生駅駅前、クレジットに続きモノローグが起動する。「家出したまゝ行方の知れなかつた姉さんから、手紙が届いた」。「真夏の盛り、僕は姉さんの住んでる街を訪ねた」。姉・ミユキ(小川)が可愛がつてゐた犬・ミミの遺骨を携へ、高校生の上田トオル(岡田)が手紙の住所の、同じ平屋が並ぶ集落を訪れる。
 大胆か大雑把なビリング推定で、案外攻められさうな配役残り。最初にTシャツとおパンティでトオルを出迎へるヨーコと、その家にもう一人住む女は、多分石野みどりと立川チヨ。二番手の石野みどりが、ヨーコなら凄くしつくり来る。男衆三人のヒロシとミノルにユージのうち、ヒロシは滝沢秋弘、ミノルとユージは恐らく杉並二郎と尾形勝義。以前は確かにそこで暮らしてゐたミユキが、一緒に出て行つた城南大の高村は小水一男(a.k.a.ガイラetc.)なのだけれど、藤田敏六がこの人を指すのかな。全体、全部で幾つの別名義を使つてゐたのか、野球チームが組めさうな藪蛇ぶり。高村が双眼鏡で情事を覗く、男は竜谷誠。女は泉夕子か森美樹、だと思ふ。そして、ミユキの美人局もしてゐた高村が、トオルを売るマダムが藤ひろ子、輝かしい適役。たゞし、トオルは高村いはくの“童貞ボーイ”では必ずしもない。最初はヨーコらの生活態度に苦言を呈しに来る蜂瀬里加は、裏のタキタ夫人。テレビに出てゐる―か出たことのある―マウンティング一点突破の、ほとんど狂女。旦那は旦雄二、もう少し場数を踏まないと確信は持てないが、矢野口健臭い。場数を踏め、られるのか否かは運ないし、日頃の行ひ次第。致してゐる最中のこのこトオルが来てしまふ、ミユキの元カレ・ヨシダが最大の難問。ビリング推定に消去法を加味して、和雅?のやうな気がする。それか、矢野口健と和雅?が逆かも。ヨシダの今カノ・サチコは森美樹か泉夕子、だと思ふ。ビル・ドイシーは、ミユキ今カレの大体ヒムセルフ。軍人か軍属かは不明ながら、基地の人。実家に住んでゐた時分のミユキを犯す、覆面女犯魔二人は元町太郎と木乃伊鉄平だらう、ミイラだし。といふか劇中現在時制に於いては、坊犯魔の藤ひろ子とタキタ夫人しか実は出て来ない、百歩譲つて変則的な羊頭狗肉。それは、それとして。ミニマムの六人前後ならまだしも、この頭数で男女問はず全員脱いで絡むのは、さうさうない攻撃的な布陣にも思へる。たゞし、本職演出部の俳優部出稼ぎは除く。
 後年、プロ鷹作で何気にレギュラー格を務めるビル・サムワンが相変らず、もしくは終ぞ安定しない名義で飛び込んで来る中村幻児昭和52年第六作。尤も、よくよく掘り進めてみれば、別にこの頃から継続的に活動してゐたのかも知れない。掘り進め、られるのか否かは知らん。
 出奔した姉を捜し、福生の街を弟があちらこちら彷徨する。要は二年前大ヒットを飛ばした、D.T.B.W.Bの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」に近似した趣向の一夏系青春映画。と、一言で片づけて、しまへられればどれほど楽か。なかなかどうして、一筋縄では行かない。ヨーコが提案した五人の協力を断り、一人でミユキを捜す旨トオルは言明する。カット跨いだ次の一幕で、トオルが特に骨を折るでも足を棒にするでもなく、サクッと高村のヤサを訪ねてゐたりなんかする。凡そ物語的な紆余曲折を放棄しかねない勢ひの、インスタントな展開にも畏れ入つたが、そこで尻子玉を抜かれるのは些か早い。まだまだ序の口、全然二合目三合目。トオルは不参加のまゝ、ヨーコとヒロシ以下五人―だけ―で海水浴に繰り出す件。ヨーコはヒロシと、もう一人の女優部はミノル・コージと巴戦。波打際の青姦が並走する濡れ場以外に全体何の意味があるのだか、軽く途方に暮れかけるくらゐ何がしたいのか清々しく判らない。のも、それでも幕下なんだな、これが。前衛性の領域に突入しかねない、不条理な因縁をつけタキタ夫人―あるいはテレビ夫人―が、藤ひろ子に続きトオルを喰はんとするところに、大登場を果たす旦雄二が完全にブッ壊れた造形で火にニトログリセリンを焚べるに至り、映画は言葉を選んで木端微塵。中村幻児がこの時乱心でもして呉れてゐた方が、寧ろ頷けよう大概な惨状を呈する。
 ヨシダの乾いた突き放しぶりで、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」みが再起動したのも束の間、結局トオルがミユキを捜し出すでも辿り着くでもなく、往来で出くはす偶さかな再会には改めて軽く度肝を抜かれた。御都合主義といふか場当たり的といふか、兎に角へべれけな作劇でいよいよチェックメイト。かと、思ひきや。木に悲愴な真実を接ぐ、衝撃の力業が爆裂。愛犬のお骨を届けるもへつたくれもない、そもそもトオル自身が一件の発端、ないし諸悪の根源。劇的な無表情は指導といふ形で演出の成果か、それとも単なる俳優部の限界か。兎も角ヨーコが全てを赦しトオルを受け容れようとしてはみせる「もう済んだことよ」の、脆弱か怠惰な魂を生温かく慰撫する、上手く運べば一撃必殺のエモーションも結局不発のまゝに、トオルは手ぶらで帰郷。ヨーコはヨーコで、ビルとの体液交換を邪気もなく満喫。実や蓋どころか心もない無体なラストが、所詮は右往左往に明け暮れた概ね漫然としかしてゐない一篇を、ほとんど投げやりに締め括る。少しセンシティブかマシな珠瑠美、とでもぞんざいに評すれば、今作の難渋な破壊力が少しは御理解頂けようか。
 木に接がれた悲愴な真実< 覆面二人に手引きされゆ形で、トオユは姉を犯してゐた


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 「恍惚アパート 悶々時代」(昭和52/製作・企画:幻児プロダクション/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:才賀忍/撮影:フランク倉田/照明:磯貝一/編集:中山治/音楽:山崎箱夫/助監督:今村一平/監督助手:旦雄二/制作進行:平川弘喜/効果:秋山サウンドプロ/録音:東音スタジオ/現像:ハイラボ・センター/出演:小川恵・楠正通・橘雪子・北斗レミカ・谷口ちひろ・館山夏代・笹川由加利・吉岡一郎・大島祐二・丸山恵介・岩手弘二・山口音也・団十郎・矢野健二・大久保良三)。脚本の才賀忍は、中村幻児の変名。
 何処ぞの駅前、女とぶつかつた浪人生の大神研一(楠)が手荷物を落とす。この、研一が何かと物を落とす所作が、以後も都合三度蒸し返される。よもや、今年も研一が受験に落ちる工夫がなければ潤ひも欠いた、無体なオチに落とし込む布石かと、思ひきや。布石もクソもない、中盤以降、その造形は綺麗に忘れ去られる。ついでで、アバンを通り過ぎるアウトレンジから抜かれるだけの女も、クレジットされてゐないと女優部の名前が一人分余る。閑話休題、代ゼミ外景に劇伴起動。一転、赤々とした画面。二人の女が合はせたお乳首に、煽情的に叩き込むタイトル・イン。北斗レミカと、後述する山田夫人と大森の妹、便宜上の。三人の裸女に群がられ、研一が悶々通り越して悶絶するタイトルバック。画面一杯のオッパイ―多分コンビニ妹―に刻む、監督クレジットが清々しい。あるいは、クレジットが流れてゐる間さへ、女の裸を疎かにしはしない。観客の劣情と真摯に向き合ふその貪欲な姿勢は、量産型裸映画の本義に跪いた、真(まこと)の至誠にさうゐない。
 研一が風呂なしアパート「清風荘」に帰宅すると、隣室のホステス(北斗)が共用の洗面所にて、ほゞ半裸で歯を磨いてゐる。そこに血相を変へ飛び込んで来た、未亡人大家(橘)が破廉恥な店子を罵つて曰く“淫売ホステス”。昭和よ、竹を割るにも限度があるぞ。研一は五号室で、北斗レミカは六号室。清風荘が忌避しない、四号室の住人は山田夫妻(谷口ちひろ?と旦那は判らん)。淫売ホステスがヒモの大森シンペイ(吉岡)と、それ以外にも連れ込む男達。仲睦まじい山田さん家も、連夜お盛んな夫婦生活。薄い壁越しに受験勉強を妨げる、要は挟撃して来る形の嬌声に研一は日々悩まされてゐた。
 配役残り、最初は往来で研一と偶さか交錯するに止(とゞ)まる小川恵は、山田夫婦が越したのち、四号室に新しく入つて来るアラキあやこ。親の跡を継ぐ流れの、獣医学クラスタ。あやこに一目惚れした研一が呆然とするのが、劇中最後に物を落とすタイミング。こゝからが問題なんだな、あやこを妊娠させておいて、堕胎費用を無理からトレンチのポケットに捻じ込む腐れ彼氏。ヒモのゐぬ間に北斗レミカが自分の部屋に入れる、大森にとつては弟分でもあるパンチ。研一の友人で、一足先に大学合格してゐる角帽。大森と普通に脱いで絡む、見咎める大家に口から出任せた便宜上の妹は、山田夫人のアケミが谷口ちひろなら館山夏代かなあ。純然たる端役を除いても登場人物が結構盛沢山出て来る割に、この時代の俳優部がまあ難攻不落。jmdbとnfajはおろか、切札の別館検索にもまるで引つかゝらないと来た日には、大人しくシャッポを脱ぐほかない。あと、極めて重要な点が、研一にへべれけな色目を使ひこそすれ、橘雪子がビリング二番手の位置に座りながら不脱。果たして、ポスターでは如何に扱はれてゐたのか。
 サブスクリプションでしか映画を売らない、逆からいふとバラ売りしやがらない動画配信が、当サイトは憎々しくて憎々しくて仕方がない。当該サービスでないと見られない一本から数本を拾ふために、一々登録して用が済んだら解約するのも、月額の元が取れる本数見るのも面倒臭いんぢや、ボケ。そこで一本づつ好きな時に好きなやうに見られる、素晴らしい楽天TVで中村幻児昭和52年第一作。これで支払にデビットカードも通すか、Edy決済を復活させて呉れたら最高なんだけど。
 乳尻に特化したありがちな浪人生残酷物語が、途中までは軽快に走らなくもない、途中までなら。所詮はモラトリアムな寂寥に燻る研一に対し、何をトチ狂ふたか半裸の淫売ホステスに性的興奮―と満たされない欲求不満―を覚えたのかと、家賃の催促に現れた大家こと橘雪子が素頓狂に曲解。要はスッキリ抜いて勉学に励めるやう、「あたし協力する」だなどと脱ぎ始めるやギョッと身の危険を感じた研一が、冗談ぢやねえとでもいふ風情で後退りするのが爆発的に可笑しい。2020伊豆映画を最後に、沙汰のとんと聞こえて来ないのが本格的に気懸りな、今上御大・小川欽也が得意とする、熟―しすぎた―女が若い色男を前に、「あゝ、暑いはあ」とか宣ひながら胸元を緩めるどころか、ガンッガン裸になつて行く。神々しいほど馬鹿馬鹿しいシークエンスに、勝るとも劣らない破壊力。底を抜くなら抜くで、そのくらゐ派手にブチ抜いてみせればグルッと一周した、一種の興も生まれて来ようといふもの。話を真面目な方向に戻すと、あやこと研一が初めてコンタクトする並木道の、凄まじく映画的なロングは今や世界中の誰一人、この画を撮り得ないのではなからうかとさへ思へる超絶のクオリティ。小屋の35mm主砲で映写したそのエクストリームを、暗がりの中浴びられた時代を渾身の力を込めて偲ぶ。大森と便宜上妹が致してゐる風情にアテられた研一が、TENGA(2005年発売)なんて未だ遥か遠く存在しなかつた時代。用に供した蒟蒻で、田楽を作りあやこに振る舞ふ。下らなく且つ類型的でなほ、微笑ましい一幕は琴線を生温かく撫でる。
 と、ころが。角帽が絡みの恩恵に与る間もなく、無造作に非業の死を遂げる辺りから、映画が錯綜し始める。研一を苛む呵責、一応のコンテクストもなくはないにせよ、挙句化けて出て来る角帽は藪蛇の火に油を注ぎ、二つ目の死が木に入水を接ぐラストは、あやこと研一が何となく波に揉まれる漫然と間延びしたカットで完全に失速する。締めの濡れ場がどうにも盛り上がらない要因は、主に男優部の下手糞にあると見た。勝手に拝借してゐる筈の、その癖堂々とフルコーラス使用してのける、いはずと知れた森田公一とトップギャランの「青春時代」(昭和51)がある意味象徴的。“道にまよつてゐるばかり”、まるで青春時代特有の迷走が、映画にも伝染つてしまつたかのやうな一作ではある。
 そんな中、それでも一際輝くのは、実は童貞である旨吐露した研一に対し、あやこが「あたしを好きなやうにしていゝは」。フィクションに於いてのみ許された、美しい大嘘がやさぐれたか薄汚れた魂を慰撫する、薄くでなく汚れてるだろ。

 隙あらば俯瞰で撮りたがる、馬鹿と煙より高いところが好きなフランク倉田の正体に辿り着けはせぬかと、試みたものの。倉田姓の撮影部が思ひのほか大勢ゐて、てんで手も足も出なかつた。


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 「⦅超⦆淫力絶頂女」(昭和54/製作:幻児プロダクション作品 昭54.7/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:水越啓二/撮影:久我剛/照明:森久保雪一/助監督:岡孝通/編集:竹村編集室/音楽:山崎憲男/記録:平侑子/演出助手:広木隆一/撮影助手:倉本和一/照明助手:西池彰/効果:ムービー・エイジ/録音:ニューメグロスタジオ/現像:ハイラボセンター/出演:日野繭子・笹木ルミ・青山涼子・野上正義・吉田純・竜谷誠・水瀬勇・土屋信二・山口正・楠正通)。
 御馬様の発走で開巻、双眼鏡を覗くa.k.a.喜多川拓郎を一拍挿む。同棲相手でスーパー店員のサチコ(日野)を伴ひ、今日も今日とて競馬に負けた工員の長尾ヒロシ(楠)は、さりとて性懲りもなく、あるいは臆面もなく。最終レースを前に、サチコを女子手洗に連れ込んだヒロシが、「これでツキが呼べるんだ」とか無理矢理及ぶ後背立位にタイトル・イン、往時の便所が汚い。そのまゝタイトルバックを賄つての佳境、サチコは競走風景のカットバックに、劇伴もキラキラ鳴らす正体不明の予兆に囚はれる。結局12レースも外したヒロシに対し、「何となく1-5がいゝと思つたのよね」、漠然と馬券を買つてゐたサチコが的中。後日、5レースに2-8が入るとのサチコが再び得た予兆に従ひ、ヒロシは一万突つ込む可処分所得的には十分大博打。幸か不幸か、諸経費サッ引いて二十万四千四百円の純利益を得たヒロシは、忽ち調子に乗る。
 配役残り、組んず解れつのキャットファイトで飛び込んで来る笹木ルミと青山涼子(ex.青山涼子で愛染恭子)は、亭主を寝取られたスナック(屋号不詳)のママ・ユミと、寝取つたホステス・ミドリ。野上正義が、劇中仕事をしてゐる風の一切窺へない、よしんば籍を入れてゐたにせよユミの多分ヒモ。後述する、役柄の全く読めなかつた読める訳がない、吉田純からは一度だけタケ?と呼ばれる。こゝからが、登場する頭数と、クレジット俳優部の人数が五つも合はない壮絶な藪の中。ヒロシの同僚・木村と、嬉しさうな顔をするのは無理な、薄い給料袋を手渡す社長。ユミの店に興味を示した、サチコの願望を叶へようと秘かに物件を探すヒロシに、居抜きを紹介する和田不動産の男がまづ不明。売店舗代四百万を狙ふ、軍資金にヒロシが三十万借りる―正確には借りさせられる―サラ金の、若い衆は水瀬勇で竜谷誠が社長、そこはどうにかなる。スナックカウンター席のベレー帽と、サチコの同僚とスーパーの客はノンクレで別に事済むとして、改めて吉田純が、棹に埋め込んだタケ(仮名)の真珠に惹かれたヒロシに零式鉄球、し損ねる真珠師。これで腕はよかつたらしい、ものの、今や完全に酒浸りのへべれけ、妙にリアルに映るのは気の所為かいな。どの映画が最終作となるのかは知らないが、吉田純にとつてこの頃がキャリアの最後期。閑話休題、紹介したタケも呆れる元名人から派手に仕出かされたヒロシに、苦言を呈しながらも手術して呉れる泌尿器科の中山先生と、ヒロシが何処からか連れて来る、謎の買春紳士の二人がまた判らん。整理すると辿り着けないのが順に木村と社長に和田(仮名)、中山先生と謎紳士の―三人無視してなほ―計五名。ところが特定不能のクレジット俳優部が、土屋信二と山口正の二人分しか残らないんだな、これが。この中で、jmdb検索してみたところ土屋信二には美術部の項目が出て来る、昭和43年に、何の参考にもならぬ。かたや五名中、女優部の恩恵に与るのは謎紳士たゞ一人、その他台詞の多さで比較的大きな役だと中山先生。土台この辺り、別作で邂逅するラックに頼るほかない出たとこ勝負の運任せ。
 封切られたのが九月初頭ゆゑ、七月撮影といふのは末と思しき、中村幻児昭和54年第十作。以前に軽く首を傾げた、山崎箱夫なる人を喰つた名義に関しては、単に山崎憲男の他愛ない戯れであるまいかといふ気もしなくはない。
 ガミさん―と堺勝朗―が力の主となる「セミドキュメント オカルトSEX」(昭和49/監督・脚本:山本晋也)の“ポルノパシー”同様、今回は“超淫力”と銘打つた、要は腰から下で司る超能力を題材とした一作。ESP乃至PKの発動条件に、濡れ場を必須とする点が実に裸映画的で麗しい。尤も、所詮自堕落なギャンブル狂である上に、ユミから膳を据ゑられるやホイホイ浮気しようとする。端的にクソ男でしかないヒロシに、エクストリームに可憐なサチコが健気に添ひ遂げる。感情移入に甚だ難い類型的な物語に、匙を投げるのも億劫になりかね、なかつたところが。パチンコ屋の表にて、タケに―ユミと寝かけた―ヒロシが捕獲。すは痛い目に遭ふのかと、小躍りしてゐたら。ユミとタケが致すのを、タケの希望でヒロシが見させられる。木に竹を接ぐのも大概にせえよ、かと思はせた素頓狂な一幕を起点に。一旦失効した超淫力、真珠、見られての情事。そして、そもそも端からキナ臭かつた、ドラゴンバレー金融(仮称)から貸しつけられた三十万。気づくと重層的に張り巡らされてゐた、布石の数々が見事に収斂。絶体絶命の危機を豪快に蹴散らかす、鮮やかな一発大逆転劇への道筋は整つた整へてみせた!これは結構な名作にお目にかゝつたのかと、思ひきやー。娯楽映画に殉ずるもとい準ずる気さへあれば幾らでも力技で捻じ込めた、にも関らず大団円を事もなげに放棄。虚無と紙一重のストイシズム吹き荒ぶ、全てを打ち捨てる途轍もなく乾いた結末を、最早アナーキーなほどの、昭和の大雑把さよ。令和の目には治安の崩壊した騒乱状態とすら映る、レース後の競馬場に底の抜けた量ゴミの舞ふ、盛大な紙吹雪のラスト・カットが徹底的な突き放しぶりで締め括る。
 備忘録<スケコマすばかりの、ヒロシの「地獄だなあ」から間髪入れず紙吹雪エンド


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 「超過激本番失神」(1992/製作・配給:新東宝映画/監督・脚本:中野貴雄/プロデューサー:プレジャー後藤/撮影:下元哲/照明:多摩新町/音楽:藪中博章/編集:フィルムクラフト/助監督:高田宝重/監督助手:山西勝/撮影助手:佐久間栄一/照明助手:林信一/メイク:木下浩美/スチール:つくね二郎/現像:東映化学/録音:銀座サウンド/効果:鴇泉宗正/出演:水鳥川彩・風見怜香・伊藤舞・中村京子・三上ルカ・ジャンク斉藤・西条承太郎・ラッキイ鈴木・ダーティー工藤・ブラボー川上・大橋竜太郎・藤木TDC・松隈健・サトウトシキ・平賀勘一・山本竜二)。出演者中、ジャンク斉藤がポスターにはジャンク斎藤で、ダーティー工藤からサトウトシキまでは本篇クレジットのみ。公開題の、煽情的な単語を適当に繋げた結果、却つて何もかも喪失してしまふニュートラルさが清々しい。
 タイトル開巻、そのまゝクレジット起動。社名に“映画”がつかない方の新東宝が昭和三十年代に狂ひ咲かせた、エログロ映画のポスターでタイトルバックをおどろおどろしく飾る。その毒々しい絵巻で、この映画のコンセプトはほゞ完成してゐる感もそこはかとなく漂ふ。本篇蛇足かよ、せめて惰走といへ。閑話休題、いゝ機会にザックリ振り返ると、オーピーの正確には親会社たる、大蔵映画(ex.富士映画/昭和37年設立)を興した大蔵貢が旧・新東宝(昭和36年倒産)を事実上潰したのち、関西の残党が旗揚げしたのが、細々と現存する新東宝映画(昭和39年に社名変更)の前身、新東宝興業(昭和36年設立)といふ沿革。
 ど頭にスーパーで片付けもとい掲げられる、“帝都の一角に出現した東洋の魔窟”こと“女体渦巻地帯”。雰囲気的には昭和中期の港湾都市、女レスリングのショーが売り物のキャバレー「カスパ」。まづマダムの星影銀子(風見)が、妖艶な踊りを披露する。全盛期を思はせる風見怜香の、パキッとした美貌のみならず、正しくグラマラスな肢体はやゝもすると抜けかねない、劇中世界の底を柔肌一枚繋ぎ止める命綱。店に顔を出した銀子の情夫で、周囲からはボスと呼ばれるカスパの経営者・蛇沼耀一(平賀)を、手下のテツ(西条)とラッキイ鈴木が出迎へる。こゝで西条承太郎といふのは二村ヒトシが男優部時代に使つてゐた名義で、ラッキイ鈴木を適当に譬へると、禿げた中根徹、あるいはうじきつよし。
 配役残り、主人公残すのかよ。水鳥川彩は「カスパ」の新人レスラー・赤城マリ、銛を得物に海女造形。中村京子がこちらははじめ人間造形の、マリの対戦相手・モガンボお千代。伊藤舞はマリと仲良くなる、三ヶ月パイセンの歌川鈴子。そして山本竜二の一役目は、二人の楽屋に何時も通りのメソッドでワチャワチャ闖入する、呆けた雑用係その名もアラカンさん。ところが強い衝撃を加へられるや、アラカンさんは明治天皇にフォームチェンジ、何て自由な映画なんだ。三上ルカは、鈴子と女相撲を取るネームレスレスラー。二人の取組中「カスパ」に現れる、山本竜二の三役目はペン回し感覚で自動式拳銃を回転させるマドロス・ハリケーンの政。どうスッ転んでも山本竜二が小林旭には見えないけれど、一応もしくは無理矢理、ギターを持つた渡り鳥的なキャラクター。それをいふてはアラカンにも見えないが、そこは親族特権―ないし免責―といふ奴だ。ジャンク斉藤は大物の取引を蛇沼に持ちかける、謎の東洋人密輸業者・玄海竜。平賀勘一の戯画的な悪党ぶりと、ジャンク斉藤の絶妙な胡散臭さ。羽目の外し具合が上手いことハマッたのか、この二人の2ショットが見た覚えのない強度で画になる。風見怜香同様、とかく不安定な一作の安全装置として機能する。玄海竜のアジトにて、テツに撃たれて死ぬ照明助手は、林信一のヒムセルフ?そしてまんま多羅尾伴内式に、ハリケーンの政からアラカンさん、明治天皇と三段変身の末行き着く山本竜二の四役目が、正直正体不明の鞍馬天狗。この際いはずもがなながら触れておくと、明治天皇にせよ鞍馬天狗にせよ山本竜二の叔父で、アラカンの愛称で親しまれた嵐寛寿郎の当たり役。といふか、山本竜二が嵐寛寿郎の甥である以外に、アラカンさんとハリ政はまだしも、この物語に明治天皇や鞍馬天狗が出て来る意味なり理由は特にも何も全くない。忘れてた、本クレのみ隊は「カスパ」の客その他、蛇沼と玄海竜それぞれの配下、第三世界のバイヤー等々。カスパの客席に、女が一人ゐるのは誰なのか本当に謎。
 五十音順に上野俊哉・サトウトシキとのオムニバス作「ザッツ変態テインメント 異常SEX大全集」(1991)を経ての、中野貴雄単独第一回監督作品。何時の間にか、あの中野貴雄が―どの中野貴雄だ―ウルトラシリーズでメインライター格を務めてゐる、何気に界隈トップ級の大出世を窺ふに。全体中野貴雄と、恐らく資質的にはより優れてゐた筈と思しき、友松直之は何処で差がついたのか。明後日か一昨日な感慨が、脊髄で折り返して胸を過(よぎ)るきのふけふ。放り投げるだけ放り投げてみた与太はさて措き、第五回ピンク大賞に於ける三人連名での新人監督賞受賞は兎も角、“1996年度リール国際トラッシュ映画祭グランプリ受賞作品”である旨、新版ポスターでは賑々しく謳はれる。と、はいへ。さりげなく疑問なのが、件のリール国際トラッシュ映画祭。試しにググッてみたところで出て来るのは今作と、「恋はシリアルキラー」(1994)のフライヤー画像くらゐしか見当たらない。掴み処を欠いたミステリーの真相や、果たして如何に。
 暗黒街を彩る、女達の死闘。潜伏したアンダーカバー、ソビエトから流出した核弾頭。威勢よくオッ広げてはみせた大風呂敷を、満足に畳む気なんぞどうせ端からない風情は、茶を濁し続けるメタ的な小ネタと、木に竹を接ぎ続ける山本竜二の四変化で白状してゐるも同然。マリが出し抜けに平塚らいてうを持ち出す真意は、流石に測りかねるものの。尤も、一見チンケな活劇をへべれけに垂れ流してゐるかに見せ、実際その通りにほかならない気もしつつ、案外さうでなくもない。とりあへず考証的に配慮したのか、キャットファイトの用語は使はれない女の裸的には疑似百合を除き、ビリング頭は拘束された状態で犯される平勘と、締めの山竜。二番手は当然平勘、三番手は藪から棒も厭はずカット跨ぎで檻の中、二村ヒトシに競り落とされてゐる。三本柱には各々男女の絡みが設けられる上、女同士の取つ組み合ひに関しても、主演女優は四番手と戦はされる三番手に、女優部ラスボスの二番手と激突する三戦。三番手は五番手とビリング頭の二戦に、二番手はビリング頭と、コンタクト程度の初戦を半分に扱ふと計1.5戦。ビリング頭が下位を優先する点まで含め実は完璧な濡れ場の配分に加へ、テツに凌辱された鈴子をマリが鼓舞する流れで、共闘関係が成立する地味に堅実な展開。裸映画として全体の構成は、思ひのほかしつかりしてゐる。さうは、いふてもだな。児戯じみた争奪戦と、コント以下―何せ片方は鞍馬天狗―の起爆解除サスペンスが大人の娯楽映画、のしかも佳境には些かどころでなく割と全力でキツいものもある。いつそ思ひ切つて、DEAD OR ALIVEなオチでボガーンと振り逃げてみせれば。作家性未満の他愛ない趣味性が、観客を呆然とさせるか奈落に突き落とす、抜ける抜けない以前に元々底なしの虚無に、グルッと一周してゐたかも知れないものを。

 何れにしても、それともそもそも。天皇だ原爆だ、斯くもセンシティブ且つキナ臭い題材を、無造作にブン回す映画が小屋で普通に上映されてゐる状況こそ、ある意味一番興が深いともいへようか。だから「ハレ君」も、シレッと封切つてのける訳には行かなかつたのかだなどと、この期に及んで性懲りもなくか往生際の悪く、ジャンクされた映画の尺を数へてみたり。


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 「濡れた唇 しなやかに熱く」(昭和55/製作:幻児プロダクション/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:水越啓二/撮影:久我剛/出演:小川恵・楠正道・立川ぽるの・国分二郎・笹木ルミ・武藤樹一郎・豪田路世留・竜谷誠・市村譲、ほか)。衝撃的なのが何時まで経つても入つて来ない、タイトルはもう最後に入れるのかなあ、と大人しく見進めてゐたところ。結局タイトル・インはおろか、クレジットさへスッ飛ばす配信動画の豪快仕様。破壊ないし、破戒スペックともいふ。頭を抱へがてら軽く調べてみると、どうやら円盤も配信と尺は変らない模様、さうなるとフィジカルでも入つてゐない予感、それとも悪寒。とまれそのため、スタッフ僅かに久我剛まではjmdbに頼り、俳優部に関してはまづ主役の二人を頭に置いた上で、以降は判別出来ただけ、仕方ないので登場順に並べてみた。
 「俺と一緒にゐて、幸せか?」、「あたしが邪魔ぢやない?」。「邪魔になつたら何時でも」、「俺が嫌になつたら何時でも」。安アパートの狭い寝床、小川恵と楠正道が煮詰まり倒した会話を拗らせる。一転晴れやかに、「ギネスに挑戦!キッスマラソン大会」、司会者の立川ぽるのが朗らかに大登場。既に唇を離した一組が見守る中、OLの小森レイコ(小川)と脚本家志望の平野ミチヲ(楠)以下、五組のカップルが微動だにせず長時間キスを続ける。こゝで立川ぽるのといふのは、御存知二代目快楽亭ブラックの正式な改名にカウントされてゐない、順番的には六番目の立川カメレオンと、7th・レーガンの隙間に入る変名。あくまで、仮に今回が最初の使用であつた場合。ついでといつては何だが、この御仁の当サイトが確認し得る最初の量産型裸映画出演は、稲生実(=深町章)昭和53年第七作「痴漢各駅停車 おつさん何するんや」(脚本:福永二郎/主演:久保新二・野上正義)の、一ヶ月前に公開された山本晋也同年第五作、買取系ロマポの「ポルノ チャンチャカチャン」(主演:原悦子)、この時は4thの桂サンQ。恐らく最後は、快楽亭ブラック名義で2000年辺りの多呂プロ作。
 微に入り細を穿つも決して神など宿しはしない、閑話休題。「三月の初め頃だつたかなあ、あいつと初めて会つたのは」、ミチヲがレイコとの来し方を振り返る。半年足らず前、シナリオ公募の締切間近で郵便局に急ぐミチヲと、レイコが曲り角の出合頭で衝突。弾みでミチヲの手から飛び、バケツの水に浸かつた原稿用紙を茶店で一緒に書き直したのが、二人の出会ひだつた。この辺り中村幻児の、アクロバットなミーツに傾けた謎の熱量を感じる。
 配役残り、堅気のホワイトカラー役が清々しく似合はない国分二郎は、レイコの上司、兼ギリ社内恋愛相手のニシオ。尤も結婚の決まつたニシオが、手切れ金代りにネックレスを渡さうとする類の関係ではある。笹木ルミはミチヲが助監督として参加―居眠りしてゐて馘になる―する、ピンク映画撮影現場の女優部、ミチヲとは男と女の仲。おでんの屋台でミチヲと約二年ぶりに再会する武藤樹一郎が、当時同人誌を出してゐた仲間の谷村。そして竜谷誠が谷村の脚本が採用されるドラマ番組「木曜劇場」のプロデューサーで、竜谷誠に抱かれる豪田路世留は、谷村の恋人でミチヲもその存在を知るミユキ。即ち、その手のありがちな浪花節。最後に市村譲も市村譲でレイコが身を任せる、東洋テレビのP。但し、ホテルの表に谷村が迎へに来るミユキとは異なり、レイコは正真正銘の独断で動く。再びこゝで、市村譲の来歴を大どころか超雑把に振り返ると。昭和40年代前半に俳優部でキャリアをスタートさせた市村譲は、今作封切りの二日後に「女高生 いたづら」で監督デビュー。早速五本発表しつつ、この年は俳優部も並行する。翌年から演出部に専念、1995年まで百を優に超える本数粗製濫造してのけた、といつた次第。話を戻すとキスマラのその他参加者五組十名を始め、レイコの勤務先と、ピンクの現場。劇中ミチヲとレイコの二人がチョイチョイ使ふ飲食店に、総勢で三十人前後の結構な頭数投入される。その中でも比較的大きな役は、高田宝重みたいな風貌でオカマ造形の監督と、恰幅がよく座つてゐると大きく見えるけれど、立つてみれば案外背の低い同人仲間もう一人。
 『PG』誌が主催してゐたピンク大賞(1989~2019/1994年までは『NEW ZOOM-UP』誌)の前身、ズームアップ映画祭(昭和55~昭和63)の第二回で、ズームアップ映画賞といへばいゝのか映画祭作品賞が正解なのか。正確な用語が判らないが、要はピンク映画ベストテンの一位なりピンク大賞に相当する栄誉に輝いた、中村幻児昭和55年第二作。個人部門に於いても中村幻児が監督賞、豪田路世留と国分二郎は助演女優賞男優賞を貰つてゐる。
 往時大いに評価された、にしては。放送されたドラマを見てみれば、平野が実際に書いた脚本から大幅に手が加へられてゐた。それを―転がり込んだレイコの部屋で見た―ミチヲがまんまと称賛する間の抜けた粗忽も兎も角、正体不明の絶望に陥つた平野とミユキが、脊髄で踵を返す速さでガス自殺する無体な最期を知つてなほ。レイコがみすみすミユキ―と平野―の轍を踏む、一本調子か手数を欠いたドラマツルギーが兎に角顕著なアキレス腱。最後の区切りか記念感覚でキスマラに参加したレイコとミチヲが、世界新記録を達成したのち、「さよなら」、「うん、さよなら」。思ひのほかアッサリと別れの挨拶を交す、抑制されたラストはスマートな輝きを確かに放つともいへ、決定的な印象は必ずしも受けなかつた。女の裸的にも、不用意な距離から頑なに寄らうとしない―傾向の目立つ―濡れ場には、カッコつけるなよといふ底の浅いレイジを禁じ難い。
 全体的な物語の完成度はさて措き、当サイトの惰弱な琴線を激弾きしたのは、尺のちやうど折返し間際。レイコが帰宅すると、初春のコンクールに結局落ちたミチヲが、ドラスティックに狭隘な廊下で座り込んでゐた。「俺もうダメだよ」的に、どうしやうもなく燻る面倒臭くしかないミチヲに対し、レイコは「あたし何にもしてあげられないけど」、「慰めてあげようか」。ゐないよ!そんな優しい女、現実で起こり得ないよ!そんな都合のいゝシークエンス。それがどうした、半世紀も生きてゐれば、ピンクスでもそのくらゐの実も蓋もない経験則には否応なく達する。世界は素晴らしくなんてないし、人生は美しくなどない。なればこそ、映画が必要なんだらう。せめて薄汚れた小屋のションベン臭い暗がりの中にくらゐ、やさぐれた魂を穏やかに浸す、さゝやかな慰撫を求めて何が悪い。狂ほしく火を噴く、壮絶に麗しいフィクションの大嘘が一撃必殺、千古不磨のエモーション。たとへどれだけそれが、怠惰で情けないものであつたとて。


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 「宇能鴻一郎の濡れて悶える」(昭和55/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:西村昭五郎/脚本:大工原正泰/原作:宇能鴻一郎⦅週刊ポスト連載⦆/プロデューサー:中川好久/撮影:山崎善弘/照明:田島武志/録音:伊藤晴康/美術:柳生一夫/編集:西村豊治/音楽:高田信/助監督:菅野隆/色彩計測:田村輝行/現像:東洋現像所/製作担当者:岩見良二/出演:原悦子・志麻いづみ・小川亜佐美・マリア茉莉・飛鳥裕子・高木均・坂本長利・小松方正・朝霧友香・佐藤弥生・沢木美伊子・田山涼成・浅見小四郎・高橋淳・影山英俊)。
 行進曲的な劇伴をズンチャカ鳴らし、聖フランチェスカ女子大学病院の正門表にタイトル・イン。タイトルバックは泌尿科―器が抜けてゐるのは本篇名札ママ―の女医・小佐根高子(志麻)以下、インターンのビリング順に土手野ジュンコ(原)・マリ子(マリア)・景子(佐藤)・ユカリ(沢木)が飾る。景子とユカリは、最初のカットで画面一番右、パーマの方がユカリ。
 「あたし女医の卵、今はインターンなんです」。本隊ロマポの初陣も宇能鴻一郎案件であつた、原悦子のウノコー調モノローグ、縮めてウノローグで麗しく火蓋を切る。“あたし”が男性器を見たことがないのと、処女である旨告白したのち、四人で繰り出すのはディスコ。神聖な医学の研究を方便に、要はチンコを捜す四人は中年男(小松)をマンハントする。選りにも選つて、何でまた小松方正に白羽の矢を立てた、ブレイブの度が過ぎる。
 配役残り、高木均と田山涼成は戯画的な好色社長の黒木雁高と、ベンツの運転手・吉田。飛鳥裕子は、黒木が高子に居抜き物件をプレゼントしようとした、閉鎖されてゐる「安芸診療所」にさうとは知らず、喉の不調を訴へ来院する和服妻。“あたし”は、立田診療所で内診のアルバイトを始める。2004年以降の現在は医師法第十六条の五を根拠に、一応禁止されてはゐる、往時は知らん。浅見小四郎と朝霧友香は裏口からも医大に入れないアホ息子の達彦と、“あたし”の診療所に到着時、嬌声で度肝を抜きはする、診察台でセックスしてゐる女子高生、シークエンスの詳細が本当に全く判らない。小川亜佐美は白痴造形の看護婦・伊井玉子で、坂本長利が達彦の父親にして院長の金造、母親に関しては綺麗に等閑視される。馬鹿にバッキバキに鍛へあげてゐる影山英俊は、トルコ風呂でバイトするマリ子の客。見学に行つた“あたし”も交へ、超絶の三輪車に突入してみせるのが裸映画的なハイライト。あたかも、劇映画上の佳境があるかのやうな言草ではないか。高橋淳は、神経性の胃炎に何を打たうとしたのか、玉子が間違へて充血促進注射液の「エチルペーストステロン」を、しかも棹に注射してしまふセイガクの患者。何だその薬、ナニを勃たせる以外何か使ひ途あるのか。
 一月五日封切りといふと、流石に第二弾には些か早く。軽く出遅れた正月映画と目して差し支へあるまい、西村昭五郎昭和55年第一作。小川亜佐美ですら三番手で五番手に控へるのが飛鳥裕子、まるで御節料理の如き豪勢な布陣で、謹賀新年に及んだ風情が窺へはする、とりあへず。
 尤も、幾ら肩肘張らないお気楽艶笑譚にせよ、ものには限度といふ奴がある。結局回復不能に、映画が完膚なきまでに爆散されるのが中盤。安芸診療所に誘き寄せ、薬で昏倒させた高子と“あたし”に、葱を背負つた鴨が勝手にやつて来る飛鳥裕子。普通に映画一本撮れる三人を黒木と吉田が、拘束して手籠めにするといふのに乳さへ剥きもせず、てんやわんやあるいはしどろもどろするに延々明け暮れる、どうしやうもないとでもしか匙の投げやうのないグダグダ空騒ぐ茶番に呆れる勿れ怒髪冠を衝く勿れ、総尺の1/4を優に空費する完全にブッ壊れた匙加減には引つ繰り返つた、飛鳥裕子何のために連れて来たの。繰り返す、今作二番手と五番手は、お乳首拝ませてゐない、あと朝霧友香も。その後も倅と結婚して医院を継ぐ、金造からの都合がよくしかない申し出に、何故か“あたし”が揺れる。果たしてこれも昭和ならば通つたのか、凡そ時代を超え難いペイトリアーキな一幕を通り過ぎた上で、特殊浴場の表で再会した吉田と“あたし”が、あらうことか何となくヨリを戻す。屁ほどの臭みもない霞より薄いラストまで、迎春を言祝ぐに足る賑々しさといふより寧ろ、右往左往に終始するへべれけさばかり保つたまゝ一直線、奈落の底ともいふ。所謂おとそ気分とやらで観る分には、これで案外ちやうどいゝ塩梅なのかも、知れないけれど。如何せん、当サイトは下戸につき。かうなると無駄に煌びやかな面子が寧ろ諸刃の剣、胡坐を掻いた感をも否めない一作ではある。


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 「暴性族 襲ふ」(昭和54/製作:幻児プロダクション 作品 昭54.6/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:馬津天三/撮影:久我剛/照明:近藤兼太郎/助監督:岡孝通/編集:竹村編集室/記録:平侑子/音楽:山崎憲男/撮影助手:倉本和人/照明助手:佐久間宏/演出助手:張江肇/録音:東音スタジオ/現像:ハイラボセンター/スチール:津田一郎/出演:川口朱里・青野梨魔・杉佳代子・笹木ルミ・武藤樹一郎・国分二郎・松山英二・安田克也)。出演者中、青野梨魔がポスターには青野リマ。脚本の馬津天三は、掛川正幸の変名。
 前年にタイトーが開発、空前の大ブームを巻き起こしたインベーダーゲームのゲーム画面で開巻。悪友のジン(松山)共々、予備校にも一応通ふ浪人生であるにも関らず受験勉強に励むでなく。本来なら客を呼ぶテーブル筐体を独占して遊び惚ける弟のクニオ(安田)に、COFFEE & SNACK「ヒロ」を営む姉のクミコ(川口)が多面的な小言を垂れる。逆ギレ気味にジンと店を出たクニオは、ナンパを試みるもまるで上手く行かず。クニオを叩(はた)かうとした、ジンのシャツが弾みで手から離れ人が寝てゐる車の中に飛び込む、何気に難易度の高いシークエンスで二人は先輩の山岸(武藤)と再会する。こゝで、後述する杉佳代子がクニオやジンとは面識なささうな気配を窺ふに、山岸は中学の上級生?実際十代くらゐに映る安田克也や松山英二と並べばなほさら、生年が判らないけれど既に完全にオッサンの顔をした武藤樹一郎が、一つ二つの年齢差には凡そ見え難い件。は、兎も角。女を捕まへ損ねた後輩に、俺に任せとけ系のパイセン風を山岸が吹かせた流れで、改めてゲーム画面にタイトル・イン。
 配役残り青野梨魔は、何のかんの言ひ包め山岸の車に乗せ、適当なロケーションで輪姦す若妻。大概な凶悪犯罪を犯しておいて、三人で邪気もなく祝杯を挙げる「ヒロ」に現れる、国分二郎はクミコが結婚も考へる男・金子、但し別居中の妻子持ち。クニオに車の運転も教へた、テストドライバーあがりの自動車教習所教官、とかいふ取つてつけたやうな素性が終盤明かされる。その日は一人でホッつき歩いてゐた、クニオに往来で声をかける笹木ルミは高校の同級生で、女子大生のエリ。そして杉佳代子が、万引きで高校を退学させられた山岸がお礼参りに、例によつて後輩二人と車でカッ攫つて輪姦す女教師。幾ら昭和の、所業とはいへ。流石にヒャッハーの度が過ぎる、何で強姦が茶飯事なんだ。その他ヒロの客要員が若干名と、とりあへず更生したらしきクニオが目撃してしまふ、金子が旅館「たまはら」に連れ込む女が主なクレジットレス。
 六月に撮影して七月の頭には封切られた、中村幻児昭和54年第八作。正しく撮つて出しの興行もとい工業的なスピード感に重ね、当年全十三作といふのも凄まじい。この人がレッスンプロの道を選ばずに、そのまゝの勢ひで撮り倒してゐたとしたら。果たして世界はどう変つたらう、多分大して変らないんだろ。埒の明かない戯言はさて措き、この辺り監督云々いふよりも、ピンクの公開題なんて寧ろこの場合は大蔵の問題にほかならない気もしつつ、翌55年に市村譲が「少女暴性族」を抜け抜けと発表してのける、図々しさが清々しい。
 両親はどうしたのか姉の脛を齧る分際で、モラトリアムな青二才が自堕落な鬱屈を拗らせた挙句、無軌道無法に爆ぜる、割と元も子もない物語。少なくとも今の目からすると、化粧の粉臭い主演―の筈―の川口朱里や同様に時代の波を越え得ない青野梨魔より、ノーブルな女教師像を超絶の完成度でモノにした上で、細身の裸身が理不尽な暴虐に映える、杉佳代子が兎にも角にもポイントゲッター。車の中で突かれるうち、気づくと女教師の御々足が山岸の腰を抱へ込んでゐる。あくまで裸映画的には秀逸でなくもないカットには、吹き荒れよ浜野佐知のレイジ。アバンでは何処の馬の骨かと頭を抱へた安田克也と、初めは華のない小娘然とした―ロングの似合はない―笹木ルミも、映画が進むにつれ案外ハンサムに、一本気の可憐さを猛加速して俄然輝き始めるのは、演出部の勝利か。一方、徒(いたづら)といふかより直截には無駄にドラマチックな、金子の大説教は結局結実しはせず木に竹を接ぐ。僅少の頭数ゆゑ二三番手は二度づつ暴性族に襲はれ、一回戦は和姦の四番手も、二回戦で武藤樹一郎に犯される。反面、川口朱里は結構な序盤に、国分二郎相手にコッテリした絡みを一旦振り抜くにせよ、その後湯の一滴浴びもせず、実は破綻してゐるビリングの均衡―と尺の配分―は響かぬ訳がない。さうなると落とし処を見失ふかにも思はせた展開を、よもやのまさか、奈落の底に叩き込んでみせるんだな、これが。姉に対する金子の不義に逆上、出歯をヒッ掴み飛び出したクニオが、出合頭で<選りにも選つて山岸の車に撥ねられ死ぬ>、どうしやうもないとでもしかいひやうのない出し抜け且つ無体なラストは、心のこもらない選曲まで含めグルッと一周して完璧。ある意味量産型娯楽映画だからこそ許されたのかも知れない、力技中の力技ながら鮮烈は鮮烈な結末を、ゲームオーバー画面で綺麗に締め括る。


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 「女子学生SEXレポート 実地研究」(昭和51/製作・企画:幻児プロダクション/配給:ミリオンフィルム株式会社/監督:中村幻児/脚本:荒井青・才賀忍/撮影:小水一男/照明:磯貝一/編集:田中一/音楽:山崎箱夫/助監督:草間宏之/撮影助手:遠藤正夫/効果:秋山効果団/記録:岩崎宏子/演出助手:旦雄二/録音:東音スタジオ/現像:ハイラボセンター/協力:ホテル シャンティ赤坂/出演したひと:小川恵、北洋子、仁科鳩美、安田清美、青山涼子、笹木ルミ、野口美沙、峰瀨里加、夏陽子、岡田良、深野達夫、大島𧙗二、三重街竜、林光男、山根一男、草間宏司、石田大介、渋谷凡太郎、ガイラ・チャン、矢野口健、団十郎、堺勝朗、竜谷誠)。俳優部のみならず、小水一男から始まるスタッフ陣も“創つたひと”で括られる。二人がかり脚本の荒井青と才賀忍は、それぞれ荒井晴彦と中村幻児の変名。
 「たとへばフリーセックス時代といはれてる一方で」云々、ビリング頭が終始いふほどの意味もない、能書の口火を切る。曰く許すふりして相手の舌を噛めだ睾丸を両手で思ひきり引つ張れだのと、欧州の性教育本に書いてあるとの実戦的な強姦対策法を開陳した上で、繁華街を闊歩するホットパンツの御々尻にタイトル・イン。寡聞にしてそんな小ネタ聞いたこともないが、音楽の山崎箱夫といふのはすは山崎ハコの変名かと脊髄で折り返しかけた、ものの。どうにも裏が取れないのと、普通にズンチャカ鳴らしてみたり、聴き覚えのある在物劇伴を耳にするに、どうやら単なる紛らはしいか人の悪い変名に過ぎない模様。前年世界中で大ヒットを飛ばした、ヴァン・マッコイの「ハッスル」も無断拝借してみせる。ついでといつては何だが、jmdbとnfaj検索にグーグル先生の助太刀を仰いでも、今作以外で山箱名義が使用されてゐる形跡は今のところ見当たらない。山崎箱夫、割とコロンブスの卵みある、二番煎じで石川芹男とか。三番煎じで荒井弓雄、キリがねえ。
 閑話休題、原つぱを逃げる野口美沙を、アテレコ臭いガイラ・チャン(=小水一男)が追ひ駆け、犯す。「イメージの中の婦女暴行に登場する男と女は」、「突如として狼と化した男と、やをら不条理の世界に巻き込まれた可愛い女であります」。肩に提げたテレコからマイクを向ける小川恵に、荒井晴彦がどうでもいゝ講釈を垂れる。大学名不詳の文学部心理学科所属、『強姦されないために』なる散文的な題目のレポート―まさか卒論!?―に取りかゝる広瀨ユカ(小川)の女子寮七号室に、ルームメイトのヨーコ(仁科)がまづ帰宅。夜道で謎のグラサンに襲はれながらも、金的で撃退したルミ(北洋子/a.k.a.中野リエ)もからがら帰還。何気にこの部屋、住人三人全員馬面、瓜実といへ。
 辿り着ける限りの、配役残り。集団強姦の取り調べを受ける、きれいな岡村隆史みたいな一応色男は、馬鹿に髪を短くした深野達夫、暫し判らなんだ。友人のタカシ・コーイチ(何れも不明)と深達が輪姦に及ぶ、タカシの知人・ケイコは青山涼子、のちの“塾長”愛染恭子である。安田清美は、未遂含め四十数回の犯行に及んだ超ベテラン・ある暴行魔(三重街)に自宅で暴行される小塚美沙子(仮名)、職業はインテリアデザイナー。乳よりも尻よりも、ミニスカから伸びる足の美しさが際立つ笹木ルミは、バカボンのパパみたいな酔つ払ひ(だから不明)に河原で手籠めにされる高橋靖子(仮名)、職業O.L。安田清美・青山涼子・笹木ルミの三人が、本クレに於いては“襲はれたひと”の一纏め。話の流れで構成要件的な議論にも触れ、グレーゾーンの紹介に用立てられる泥酔中、係長(手も足も出ないんだつてば)にヤラれてしまふこちらもO.Lのモリヤマ君は峰瀨里加。といふか要はこの件、後述する夏陽子パートと実は同工異曲。とまれ係長がモリヤマ君を形だけ介抱する往来のロングから、跨ぎで“605 赤坂”のドアプレートに繋げる鮮やかな編集がさりげなく出色。量産型裸映画にのみ許された、この清々しいスピード感よ。今度は準強姦(現:準強制性交)の解説で、覗きからの痴漢に及ぶある暴行魔を、寝惚けて配偶者と勘違ひする若妻は夏陽子。若旦那は無理、知らん。最後に竜谷誠と堺勝朗は、ルミとヨーコの二人が卒論指導コンパに繰り出す―ユカは彼氏・シゲオ(にも白旗)との逢瀬を優先―後藤教授と助教授。居酒屋の画面手前に、荒井晴彦がシレッと見切れる。連れの、パッと見南ゆき似の女は岩崎宏子?忘れてた、映画館の客席に、馬津天三(a.k.a.掛川正幸)潜り込んでないかな。
 中村幻児昭和51年第五作は、女子学生のSEXに関するレポートでこそあれ、別に実地研究する訳ではないマイルドあるいはハーフ有名無実。ピンクの公開題に於いて、極めてまゝ見られる恒例ではある、それをいふては実も蓋もない。詰まるところ、頭にセミを載せたり尻にポルノを敷いてみたりする所謂ドキュメント系の、最低限統一的ではあるテーマを追求―今回の場合は強姦―する体で、単発的な濡れ場を漫然と連ねるに明け暮れるルーズな裸映画。全員脱いで絡む頭数を、驚く勿れ三割増しどころか三倍増の九番手まで並べてみせる、豪奢な女優部がそれなり以上面子にも恵まれる一方、三重竜や堺勝朗らオッサン連が芳醇な気を吐く反面、シゲオを筆頭にタカシ・コーイチ辺りのヤング隊が役不足の青二才ぶりを遺憾なく発揮する、男優部の脆弱性は如何せん否み難い。この際面白くない詰まらないは面白ければ寧ろ儲けもの、くらゐに割り切るか開き直つてみせるにせよ、ビリング頭三人を五十分の長きに亘り温存する、箆棒な匙加減には流石に肝を冷やした。結局、ユカとシゲオが漸く結ばれる絡みと、酔ひ潰れたプリテンドで三番手が堺勝朗を、二番手はトメを篭絡する乱交にはハッテンしない4P。を、カットバックの乱撃で並走させるですらないまゝに、小川恵は不在のラストがあつけらかんと底を抜く空気のやうな一作、屁かも。煮え切らない踏み込んで来ないシゲオに業を煮やしたユカが、「男だつたら奪ひなさいよ」とぞんざいなミソジニーを振りかざし詰つた挙句、“性行為において、男が女に対して主体性を確立し得るのは、男が女を強姦する場合である”。オーラスには懐かしのエオン・エキスを引いてのけるに至つては、現在の鑑賞に堪へ得る得るかボケ以前に、タイム・ゴーズ・バイの渦の藻屑と消えるに如くはない積もれば山も成す塵。たゞその消費上等レッツ・ファゲット、グルグル何周かすると最早色即是空と紙一重の無常観さへ漂ふ姿勢は、ポップ・カルチャーの極北たる量産型娯楽映画にとつて一種のらしさなり、潔さと強弁出来なくも決してない、のではなからうか。どうなんだろ、堅白同異も度を越すと歯切れが悪い。

 戯れにググッてみて、古城を模したシャンティ赤坂(昭和48年開業)が一旦の営業停止(2012年頃らしい)と改築を経て2015年に再オープン、今なほランドマークとして現存する息の長さには軽く吃驚した。空白期間を挿んでゐるゆゑ、今年が半世紀の節目にはあたらないのかも知れないけれど。


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 「少女縄人形」(昭和58/製作:幻児プロダクション '82. 12作品/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:望月六郎・吉本昌弘/企画・製作:才賀忍/撮影:高井戸明/照明:山口一/編集:菊地純一/助監督:石川均/監督助手:望月六郎太/撮影助手:牛島昭・新山信人/照明助手:佐藤才輔/車輛:竹林紀雄/製作進行:広木隆一/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/音楽:PINK BOX/効果:内田音響/出演:風かほる・杉本未央・渡辺さつき・佐藤靖・新井真一・荒井三郎)。企画と製作の才賀忍は、中村幻児の変名。セカンド助監督の望月六郎太は何でまた、わざわざ太なんて蛇に足を生やしたんだろ。脊髄で折り返すタイミング的には、「家族ゲーム」でデビューする宮川一朗太より今作の方が半年弱早い。
 土の上でクラウチングスタート、結構劇的な鈍足で走る佐藤靖の、タイムを風かほるが計測する。懲りずにもう一走りする大学生の苗字不詳シロー(佐藤)に、妹で女子高生のアヤコが頑張つてねと声をかけブルーバックにタイトル・イン。ちなみにアバンの記録が、とてもそんな速さには映らない100m11秒6。
 同じ大学のガールフレンド・ユキヨ(渡辺)とホテル街に入るシローを、制服姿のアヤコが目撃。難もない代りに特徴のない馬面、けれどお乳より寧ろ御々尻が素晴らしい三番手が初戦の火蓋を切る。ユキヨでなく、シローの左乳首九時の方向にある黒子を抜いてみせるカットに、含意でもあるのか訝しんでゐると、ユキヨに触れられたシロー曰く、アヤコにも同じ位置に黒子があるとのシミラリティ。当時の水準を知らないが、現代医学では個々の黒子に遺伝性は認められてをらず、この場合も単なる偶さかにさうゐないのはさて措き、当然、その事実を知つてゐる不自然を突かれたシローは、子どもの頃云々と言葉を濁す。一方、アヤコは二人が入つたホテル「京都」の表で、あやとりしながら兄が出て来るのを待つてゐたりする、補導されるぞ。ところでこの兄妹、母親の再婚を理由に、戸建の実家で二人暮らししてゐるのが割と根本的な謎方便。
 配役残り杉本未央は、その後恐らくシローと顔を合はさずアヤコが帰宅すると、家の前でもぢもぢ挙動不審にしてゐる同級生の文子。新井真一はシローの友人でアヤコに気のある、仏文の木村アキラ。多分ユキヨも同じ、シローの学部は不明。もう一人名前が残る、荒井三郎が曲者。登場順でいふと四番目、杉本未央の前。「京都」前でアヤコに接触を図り、煙たがられる「お嬢さん遊ばない」氏の荒井三郎が、誰あらう若かりし荒井晴彦の変名。少なくとも当時、中村幻児と近しい距離にあつたらしい。
 数は少ないものの、ex.DMMでも見られないブツがザッと見渡した感じ新旧二三十本は入つてゐると思しき、楽天TVで中村幻児昭和58年第一作。普通に生活してゐるだけで何となく貯まつて行く、ポイントで賄へるのも便利。レコメンドに、一々踏まないとタイトルの判らないサムネが散見される点を除けば、サイトの使ひ勝手も悪くない。
 文子が郵便受けに投函してゐたシローへのラブレターを、アヤコは目を通した上でしかも破棄。元々男として見てゐた兄に対し、文子の名を騙り恋文通り越した、より実践的なテレフォンならぬレターセックス紛ひの艶文を送り続ける。ヒロインが他人を偽り、直截禁忌に触れるまでには踏み込めない、血族二親等に劣情もとい恋情を綴る。それなりに凝つた大筋に加へ、アヤコが二通目では自分で撮つたパーツ単位のポラロイドを同封する。撮影風景含め実にピンクらしい見事な趣向まで繰り出すにしては、今ひとつ盛り上がりに欠くのが解せない一作。アヤコの手筈で、シローは文子と初めて会ふ実デート。文子の趣味がアヤコが書き散らかした自慰と、本人が本当に書いた編物。凄まじく擦れ違ふシークエンスなどもう少しは面白い筈なのに、如何せん弾まない。もたつく手際の悪さが目につく絡み共々、責はあくまで演出部に求めるのが筋かともいへ、男主役を筆頭もしくは底とする、総じて俳優部の覚束なさは否み難い。シローがユキヨに貸した児童心理学のノートに、件のエロポラが挟み込まれてあるのなんて全く以て無駄な悶着。良くも悪くも三番手ならではの気軽な便利さで、渡辺さつきの二回戦にはどうとでも入れる。目に留まつた自撮りと、シャンプーを取つて貰ふ風を装ひ、洗面台込みの脱衣場にて見せつけられた生乳。黒子を鍵に、ラブレターの秘密にシローがほとんど辿り着く件はあと一手の詰めに欠き、重ねて挿入される赤々とフィルタのかけられた兄妹二人きりの遊園地メモリーは、過剰な情緒を優先したのか説明不足で宙に浮き気味。文中一人称―の主体―が文子からアヤコへと明確に揺らぐ、少なくとも視聴者ないし観客目線では激しく不安定か不可解な四通目にまんまと唆されたシローが、家に誘き寄せた文子を平然と強姦。アヤコも帰つて来る事後には笑つて追ひ返す、無造作な凶悪さは何か、要はこの家族の血筋か。へべれけな導入も厭はず濡れ場の手数には富む反面、主演女優と二番手折角のオッパイを二枚四山擁すにしては、吸ひきれない舐めきれない揉みきれない、格好のエモーションを鷲掴みし損なふ不満は色濃い、即物的にもほどがある。結局、呆然とはいはないが唖然としたのは、申し訳程度に最終盤木に縄を接ぐ「SM ロリータ」(昭和59/監督:影山明文/脚本:知らん/主演:早坂明記)に劣るとも勝らない、壮絶な羊頭狗肉ぶり。昭和のへべれけさで木村がアヤコを、シローは文子を手篭めにしこそすれ、凡そ狭義のサドマゾ的なメソッドなんて一欠片たりとて何処にも垣間見えさへしない。全体“縄人形”なる大仰な公開題の、所以や果たして如何に。と首を傾げるか頭を抱へてゐたところ、よもやもしや、万が一。不調法につき、個々の所作に何某か隠喩でも込められてゐるのなら測りかねる、アヤコが常時嗜むあやとりに由来するといふか、力づくで付会させるモチーフではまさかあるまいな。縄もクソもない、糸である。
 一点興味を惹いたのが、文子の信書をアヤコが開封する際の、風かほるの独白。“ちよつと悪い気もしたのですが、お兄ちやん宛の、文子の手紙を読んでしまつたんです”。“読んでしまつたんです”ぢやねえだろ、といふ刑法第百三十三条的なレイジは兎も角。量産型娯楽映画的には原典を曾根中生昭和48年第六作「ためいき」(脚本:田中陽造/原作:宇能鴻一郎《『週刊新潮』連載》/主演:立野弓子)に求め得る、宇能鴻一郎調モノローグ、縮めてウノローグが十年後の昭和末期に於いて依然、平然と有効性を保つてゐるリーチの長さに感心した。あるいは、女の声で“何々なんです”といふだけで、自ずとウノコーを連想させる支配力の侮れない強さとでもいふべきか。

 何気にラストが衝撃的、何故かスローモーションみたいに見える不思議なフォーム、なほかつ劇中遊んでばかりゐたにも関らず、何時の間にかシローのラップが驚異の一分近く短縮。遂に十秒台に突入してのけるのが、実は劇中最大のツッコミ処。


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 「女教師 汚れた放課後」(昭和56/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:根岸吉太郎/脚本:田中陽造/プロデューサー:岡田裕/撮影:米田実/照明:田島武志/録音:小野寺修/美術:徳田博/編集:川島章正/音楽:甲斐八郎/助監督:鈴木潤一/色彩計測:松川健次郎/現像:東洋現像所/製作進行:三浦増博/出演:風祭ゆき・太田あや子・鹿沼えり・三谷昇・藤ひろ子・小池雄介・花上晃・木島一郎・浜口竜哉・粟津號・北見敏之・ 影山英俊・ 水木京一・南部寅太・溝口拳/協力:松丸家辨太郎一座)。出演者中、粟津號と南部寅太は本篇クレジットのみ、協力の松丸家辨太郎一座も。配給に関しては、実質“提供:Xces Film”。
 最初の画は刑務官も見切れる留置場、都立第一高校に勤務する倉田咲子(風祭)宅に、渋谷署少年係(声の主なんて不明)から電話がかゝつて来る。咲子が名前も知らない、第一高生徒の野本スエ子が補導されたとのこと。ところでその時咲子はといふと、男と乳繰り合つてゐる真最中。「兎に角そちらに伺へばいゝんですね」、とりあへず咲子が受話器を置いた流れで画面左半分を占めるテレビに入れる、案外頓着ない構図のタイトル・イン。アバンは大人しく隠れてゐた小沢(小池)と咲子が背面座位で交はりつつ、一旦俳優部限定のクレジットが先行する。あの男の、名前のない。
 スエ子(太田)を迎へに行つた上で、一緒に住んでゐるのかといふ勢ひで改めて咲子は小沢と寝る。咲子は忘れてゐたが、スエ子は教育実習先である中学分校の生徒だつた。当時手洗でストッキング男(実は南部寅太/現:南部虎弾)に犯された咲子は、ストッキングを被せた男を三人並べた面通しに於いて、体に染みついたシンナーの匂ひからスエ子の父親を犯人認定してゐた。
 配役残り、滔々とした説明台詞も的確なメソッドで卒なく聞かせる粟津號は、スエ子の外堀を埋める担任か学年主任的な山川先生。三谷昇が件のスエ子父・末吉である鼻の差、面通しの場にて睨みを利かせる刑事役で、ノンクレの高橋明が飛び込んで来るのが今作最大の衝撃。台詞の与へられない高橋明はまだしも、粟津號に至つては後述する水京より余程大きな役に思へなくもないのは、ポスターに名前が載る載らぬの不遇に関しての疑問。閑話休題、北見敏之はスエ子をナンパする男・三井。金を払ふ気満々につき、世間一般的なナンパといふのとは少し違ふのかも。咲子の婦女暴行事件はのちにアンパン常習者のフーテンが真犯人―が南部虎弾―である旨明らかとなつたものの、末吉が出稼ぎ先で蒸発したスエ子は、母親と姉を頼り上京、藤ひろ子が母親のサチ。木島一郎は、サチがレジ打ちのパートで働くスーパーの、正確な役職は不明ながら管理職ポジションにある人・杉原。鹿沼えりが紅丸物産に就職した姉のトモ子、一間のヤサに転がり込んで来た、母と妹を邪険に煙たがる。影山英俊は、トモ子が結婚を迫る恋人・遠藤。そして水木京一が咲子と末吉を繋ぐ、掃除夫の同僚。浜口竜哉は小沢と事実上破局を迎へた咲子に、「レイズ・ザ・タイタニック」(昭和55)上映館の表で声をかける男・伊東。当初気配を殺すが如く雑踏に潜んでゐたハマタツが、悄然と一人佇む咲子を認めるや俄かに起動する瞬間が、二つ目の白眉、そんなとこしか見てゐないのか。溝口拳は、殴つた末吉に後ろから石で殴られるヤクザ。伊東との事後、凄まじいタイミングでその場に居合はせた咲子と、末吉を東京から離れさせる動因。咲子と末吉は、末吉にとつて思ひでの場所とかいふ海町の旅館に流れ着き、電車の中で昏倒した父親の様子を見に、スエ子も合流する。松丸家辨太郎一座の皆さんは、そこで大衆演劇を上演中のゼムセルフ、花上晃が座長の板東栄次郎。その、他。どうも根岸吉太郎は、背景に通行人を歩かせてゐないと不安で不安で仕方のない御仁らしく、全篇通して不自然なほど潤沢にエキストラが投入される。その中でも、咲子がスエ子と入る旅館の女風呂に、五十路前後の裸要員をも配してのけるクルーエルな逆眼福には目を覆ひはしないが流石に疑つた、誰得なのよ。
 同年監督に昇進した鈴木潤一(=すずきじゅんいち)の、翌昭和57年第二作が第七作「女教師狩り」(脚本:斎藤博/主演:風祭ゆき)で、西村昭五郎の昭和58年第六作が最終第九作「女教師は二度犯される」(脚本:熊谷禄朗・城谷亜代/原作:佐治乾/主演:志水季里子)。買取系にも門戸を開いてゐる、団地妻はその点もう少し緩いのかも知れない、上の句を共有してゐるだけで括る漠然とした連作構成には正直無理も否み難い、「女教師」シリーズ第四作とされる根岸吉太郎昭和56年第一作。要は、単なる女教師ものといふ話に過ぎまい。兎も角唯一複数作主演を果たす風祭ゆきは、第八作「襲はれる女教師」(昭和58/監督:斉藤信幸/脚本:桂千穂)でも相変らず襲はれてゐる。
 冤罪に加担してしまつた、被害者であると同時に一種の加害者でもある女教師。明確にドロップアウトした父親と、道を踏み外すにしては眼差しのしつかりした娘。三人を軸に、物語が織り成されは、するけれど。風祭ゆきのバッキバキにソリッドな絶対美人ぶりは四十有余年の時を経て、世紀と二つの元号をも跨いだ今なほ、一くすみたりとて輝きを失ひはしない。さうは、いへ。三谷昇相手でも堂々と互角以上に渡り合ふ、二番手が方言まで含め達者な反面、主演女優の口跡が最終的には宙に浮いてゐる、三角形の一角に穴の開いた土台破綻気味のパワーバランスが地味でないアキレス腱。結局咲子はといふと、重たい過去を持て余した小沢と、別れるのが精々関の山。何時しか“女教師”も“放課後”もへつたくれもなく、彷徨するスエ子いはく“欠陥人間”の父娘が、偶さか出会つた剣劇の世界に身を投じて更生を果たす。だなどと大概素頓狂なホームドラマに帰結してみせる、癖の強いドラマツルギーが出色。相手を欠いた咲子が末吉と突入する時点で、既に十分か随分な飛躍をものともせず。早朝の一人稽古を目撃したスエ子が、座長に抱かれる模様をクロスカッティングで放り込む、力技に力技を合はせて来る壮大か壮絶な締めの濡れ場にも軽く吃驚した。結局、咲子と山川が会話を交す、二人以外誰もゐない職員室と、セピア色が判り易い回想パートの手洗。あとはラストのどうもそこら辺の公園臭いグラウンド脇―と出勤時の校門ロング―くらゐしか校内が舞台に使はれず、挙句劇中終ぞ不登校のスエ子が制服姿を拝ませる訳でもない、どころか。咲子とスエ子に山川以外、生徒教職員問はず学校関係者なんて猫一匹出て来やしないぞ。全九作といはれても元々掴み処のない以前に、そもそも相当「女教師」みの薄い、電車に乗らない痴漢電車のやうなフォースである。


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 「ブラとパンティ 変態がいつぱい」(2021/制作:YELLOW COUPLE PICTURES/提供:オーピー映画/『愛は無限大』 監督・脚本・編集:鳴瀬聖人/撮影:中條航/照明:山田拓実/録音:古茂田耕吉/美術:畠智哉/ヘアメイク:ビューティ☆佐口/助監督:横山ひろと/音楽:ありしまこれすけ/整音:中村未来/撮影助手:松園健・佐々木皓大/美術助手:濱崎菜衣/ヘアメイク助手:鈴木愛/協力:浅木大・松田慎介/美術協力:レオーネ/ロケ協力:Pickles Studio・RENTAL STUDIO CLUB HOUSE・カプリ徳丸・Dining & Bar KITSUNE/出演:川北メイサ・天音ゆい・長野こうへい・亀岡孝洋・松本卓也・ケイチャン・春園幸宏・三木一輝・はぎのー・前橋佑樹・小林敏和・唐澤一路・高宮隼人・前澤裕子・佐野加奈・ぶんた⦅柴犬⦆・アベラヒデノブ⦅声の出演⦆/『春つぽい感じで』 監督・脚本・編集:近藤啓介/撮影:荻原脩/照明:堅木直之/録音:中村未来/ヘアメイク:ビューティ☆佐口/助監督:石田義弘/音楽:ICHIRO MIKI/効果:服部俊/撮影助手:松浦凌太郎/照明助手:新甫悠祐/ロケコーディネート:Kazuki/協力:篠塚寿代・向井達也/ロケ協力:恵比蔵・She Knows...・HOTEL SK PLAZA/出演:新村あかり・二葉エマ・函波窓・増田朋弥・伊藤ももこ・小山悠・青矢修・下條麻奈・橘さり・水原睦実・高松未夢・豊岡んみ・郷田彩香・Kazuki・ひと:みちゃん・小村昌士/プロデューサー:名取佳輝/スチール:橋本沙也加/制作協力:YAMATON PRODUCTION/主題歌:『あだると』作詞:はなぢまみれ 作曲:初恋)。出演者中、春園幸宏から柴犬までと、青矢修からひと:みちゃんまでは本篇クレジットのみ。といふか、箍のトッ外れた情報量を、瞬間的な一枚絵で放り込むぞんざい極まりないクレジットに関しては、潔く外王で円盤を借りて来て翻刻した。それでも、エンド・ロール分の尺を十分に費やしてゐる費やせてゐるのもあり、ピンク版とは塩梅が根本的に異なるのだが、希望的観測で情報自体に差分はなからう、多分。
 スーパーマンのテーマは、何時パブリックドメインになつたんだ?観てゐて無駄に冷や冷やさせられる、キナ臭い劇伴鳴らして全体題タイトル開巻。何が映つてゐるのか暫し判然としない、陥没乳首の極接写にビリング頭から亀岡孝洋までと、鳴瀬聖人のクレジットを先行させた上で、ブラジャーを着けたお胸に「愛は無限大」を改めて副題・イン。あれか、坂本龍一がデ・パルマに乞はれて渋々書いた、ボレリッシュみたいなものか。
 店長(亀岡)からの電話で起こされた、遅刻癖のある下着店店員のマコ(川北)は慌ててブラウスの前も留めないまゝ出勤。先輩で片想ひするコウタ(長野)以下、一同の度肝を抜く。ピンク的には横山(翔一)組からの初外征となる長野こうへいが、鳴瀬聖人とは三度目の顔合はせ。マコが思ひきり御膳を据ゑて下さつてゐるにも関らず、幼少期も幼少期の乳児―は人形で誤魔化す―時。授乳中の母親(川北メイサの二役)が寝落ちたため乳房で窒息しかけたとかいふ、方便臭いトラウマを拗らせるコウタは激しく二の足を踏む。一方、傍で見てゐてバッレバレの店長と、コウタに模された要はダッチハズバンドの過程で自我に目覚めたマネキン(の声がアベラヒデノブ)が、マコに対する岡惚れで共闘。店長がDIYで独自に開発した、人間の意識を有機無機すら問はず任意の物体に移す、へべれけなトンデモ装置でコウタをエブエブを先取りしたセンスの、後付けの目玉で喜怒哀楽を表す黄色いブラジャーに変へてしまふ。第一話配役残り、ケイチャンは店長宅に忍び込む、伝統的な造形のコソ泥。タモリならぬブラコウタを往来に放つ狂言回し、“ブラ”の意味が違ふ。天音ゆいは、Cカップを貧乳扱ひするキャスティングには些かならず抵抗も禁じ得ない、マコの妹・ユリ。真中卓也、もとい松本卓也は、一欠片たりとていゝところの見当たらない、ユリのクソ彼氏・モトキ。「最強殺し屋伝説国岡」シリーズ(監督:阪元裕吾)に於ける、国岡の盟友・真中がピンクに飛び込んで来て呉れるのは大いに嬉しい反面、どうもこの人役に恵まれない。本クレのみ隊は、主に店員の数が多すぎる気がする店内要員。犬が何処に出て来たのかは忘れた、ブラコウタのプチ冒険の過程かいな。
 窓際の灰皿に、「春つぽい感じで」副題・イン。“カリスマ”“カリスマ”敬称抜きで皆から呼ばれる、冗談みたいな美容師の神野(函波)は落とした煙草を拾はうとして、元同居人が残して行つたパンティを見つける。掻い摘むほどの物語もないゆゑ、サクサク第二話配役残り。小山悠は、店のイントロ的にカットされがてら神野と会話を交す客・島本。以降吉行由実作に継戦する二葉エマは、神野が任される店の新人美容師・ヒトミ。ピンク映画前作にして初陣、後藤大輔の「牝と淫獣 お尻でクラクラ」(2019/原作・音楽・アニメーション:大場一魅/主演:和田光沙)なんて正直全然覚えてゐない新村あかりが、神野と一緒に暮らすミツコ。伊藤ももこは髪質云々の客・金崎で、「淫美談 アノコノシタタリ」(2019/脚本・監督:角田恭弥/主演:なつめ愛莉)男主役の増田朋弥が、リモコンバイブでヒトミから責められる神野に、前髪をザックリ行かれる三井、眼鏡の有無で大分印象が変る。小村昌士は、ナンパしてホテルに連れ込んだミツコに、第三関節から指を食ひ千切られる男・小村、ヒムセルフでもないのに。本クレのみ隊は矢張り主に店内要員、ひと:みちゃんは侍らしいけれど、ピンクには出て来ない。
 すつかり名前を聞かないが、新作が一応動いてはゐるらしき鳴瀬聖人と、テレビないし配信畑で順調に仕事をしてゐる模様の近藤啓介による、要は今や懐かしの、オムニバス形式で新人が合同デビューを果たす令和の「いんらんな女神たち」。何のものの弾みで、外様同士にこの形で初土俵を踏ませたのかは知らないが、一応組み合はせ的には、二十一世紀の若者にしては旧態依然としたミソジニーが渡辺護と大差なく、かといつて技術的には渡辺護よりも確実にクッソど下手糞な堂ノ本敬太同様、大阪芸術大学出身といふのがこの二人―に限らずスタッフ・キャスト共々わんさか―の共通項。大学なんて所詮入学年次次第ではあれ、年齢的には近藤啓介と鳴瀬聖人、一番若い堂ノ本敬太(1997年生)の順で二つづつ離れてゐる。「いんらんな女神たち」を振り返るにEJDと、永井卓爾は事実上工藤雅典の専属で未だか相変らず助監督の座に留まつてゐる以外、結局、少なくともあるいは狭義のピンク映画監督としては、墓標が六つ並んだばかりではあつた。
 牽強付会気味の繰言はさて措き、呆れ果てついでに一言で片づけると、ブラジャーの意匠と無限大“∞”とを重ね合はせる。その瞬間、確かに弾けはした映画的なカタルシスを除けば1mmも面白くはないものの、娯楽活劇の体を最低限成してゐなくもなかつた鳴瀬聖人より、近藤啓介の方が箸にも棒にもかゝらずまるで詰まらなかつたのは、その後の活躍も見据ゑるとある意味予想外。活動ならばまだしも、鳴瀬聖人が別に活躍はしてゐない。単なる雇はれ店長に過ぎないやうな気も否み難い、カリスマ美容師(笑)が一つ屋根の下で五年寝食をともにした同棲相手がゐるにも関らず、新人美容師との甘美かつ苛烈なSMプレイに溺れる、藪から棒に。観客の股間含め、幾らでも膨らませられさうなお話の割に、端的に脆弱な俳優部と、今一今二今三・・・今五くらゐ攻め込めない演出部。比較的健闘する撮影部が、下手に映画の色で撮つてゐるのが却つて癪に障る、木に竹を接いだ中途半端な狂気は生煮えるか堂々巡るのが関の山。振り返ると案外生真面目にブラジャーで一本お話を構築してみせた鳴瀬聖人に対し、頂戴した筈の、パンティといふ御題をほぼほぼ等閑視してのける、藤啓介の豪快か大概さには畏れ入つた、大蔵こゝは流石に怒つていゝぞ。「春つぽい感じで」で唯一琴線に触れたのが、放逐したミツコが部屋に遺して行つた、いはば忘れ形見のパンティを、神野が売つ払つた父親のガチ形見の腕時計と同じ直し場所に仕舞ふ。そこだけ抽出するならば、スマートに設計されたラスト。さうはいへ本丸が伽藍堂である以上、所詮は花咲くどころか芽吹きもしない枝葉ではある。裸映画的には西村善廣に見えて仕方ない、亀岡孝洋の不用意なといふか、全く以て不要な自己主張が姦しすぎて川北メイサの、折角のオッパイは完全に持ち腐れ。薔薇族でもあるまいし、濡れ場はひとまづ女優部のものと俳優部のみならず、演出部も弁へて欲しい。一方近藤啓介は近藤啓介で、煩瑣なカット割りが甚だ鼻持ちならぬ。裸と映画を秤にかけて、映画を取る手合いは国映勢でとうに見飽きた。上手に撮れるのを、第一義的に観に来てゐる訳では必ずしもないのね。これで、さうなると公開題から弄る必要が生じるのかも知れないが、順番を前後して“パンティとブラ”であつたなら。案外、スカッと小屋を後に出来たのかも、なんて、思ひかけてはみたけれど。近藤啓介が荒廃させた焼野原に、鳴瀬聖人のレス・ザン・中身が火に油を注ぐ、一層埒が明かない惨状のビジョンが見えもしたのは気の所為か。


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