真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「襲はれる女教師」(昭和58/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:斉藤信幸/脚本:桂千穂/プロデューサー:秋山みよ/企画:進藤貴美男/撮影:野田悌男/照明:木村誠作/録音:伊藤晴康/美術:金田克美/編集:井上治/アシスタントプロデューサー:沖野晴久/選曲:細井正次/助監督:児玉高志/色彩計測:森島章雄/現像:東洋現像所/製作担当者:香西靖仁/協力:錦糸町クリスタルHOTEL/出演:風祭ゆき・水木薫・聖ミカ・朝吹ケイト⦅新人⦆・下元史朗・添田聡司・川上伸之・永田豪史・高木常吉・奥村樹里・丹治信恭)。
 最初に根本的な白旗を揚げてさせて貰ひたいのが、ヒロインの、固有名詞下の名前に関して。添田聡司は確かに恵子と呼んでゐる反面、パールマンション203号室の表札が英子となつてゐるのは、何れが正解なのかもう当サイトは知らない、それはこちら側の黒星なのか。ち、なみに。恐らくプレスシート辺り準拠の、各種資料に於ける粗筋文中では英子とされつつ同時にあるいは同様の、キャスト一覧では恵子とされてゐる。さうなると五分五分に思へなくもないものの、こゝはひとまづ、俳優部が声に出す恵子を尊重してみる、ごめんね美術部。
 踏切の向かうに立つ、正直女子大生には見えない完成された美人。小脇に音楽史の教科書を抱へ、この頃は芸大生の津島恵子(風祭)が歩く、枯葉舞ふ往来にタイトル・イン。背後から自転車で接近した、甲斐太郎とささきまことを足して二で割つたやうな暴漢(高木)が、白昼の路上堂々と恵子を襲撃、一応地下道に連れ込んだ上で犯す。田舎者の、哀しさよ。ロケ地を特定しかねる、何処ぞの大学構内。恵子は絵画系の彼氏・今井広之(添田)に、噂されるレイプ被害を認める。相談を持ちかけた恵子のアパートに結局、今井は来なかつた。一人の部屋で今井を待つ、恵子が想起する何時かのクリスマスの夜。就寝中の恵子宅を、ツリーの電飾だけ携へた今井がコソッと来訪。寝込みを騒がす、ソフィスティケイトな一種の夜這ひ。部屋着の差異に気づかない限り、完全なノーモーションで回想に突入する、関根和美ばりの荒業を斉藤信幸が何気に仕出かす。
 ザクッと五年後が、劇中現在時制。配役残り聖ミカは、音楽教師となつた恵子が勤める荒淫、もとい光陰学園の女子高生・八坂ルリ子。奥村樹里と丹治信恭はルリ子が所謂“カンパ”を集める、同級生の菱田愛子と大江一郎、奥村樹里は不脱。そしてモサーッとした髪型が、80年代の仕業にしてもあんまりに映る水木薫は、保健室の養護教諭・夏木一美。メンタルヘルス的にはアリなのかも知れないけれど、保健室で小鳥を飼ふフィジカル衛生上の是非や如何に。下元史朗は日々甲斐甲斐しく車で恵子を自宅―近くのコンビニ―まで送る、同僚教師の白石信夫。永田豪史は恵子から、断じて合鍵は渡して貰へないセフレで浪人生の山上昭、遊んでゐないで勉強せれ。いや、風祭ゆき相手なら遊びの方が重要か。川上伸之は一夜を過ごす恵子ルールに触れた山上の放逐後、ディスコみたいに煌びやかなローラースケート場にて、恵子が新たにミーツする次の若い男・鈴川純一。そして満を持し損ねる朝吹ケイトが、五年の間に結婚してゐた今井の妻・雅代、朝吹ケイトは別に悪くない。その他校内よりも、主に恵子が出没する校外のそこかしこに寧ろ、大量の頭数が投入される。そ、んな中。恵子と今井の再会時、今井と悶着を起こしてゐる髭と、ゲーセンでルリ子の筐体対面に座る正体不明の二枚目が、とりあへず抜かれこそすれ、蒙昧ゆゑ辿り着けぬクレジットの狭間に沈む謎。
 斉藤信幸第六作は、年二本づつ後半は公開されてもゐた、「女教師」シリーズ全九作中第八作。明けての正月映画にせよ厳密には前年、既にれつきとした初土俵を踏んでゐる朝吹ケイトが、二本目であるにも関らず依然括弧新人特記を引き摺つてゐる所以がよく判らない。「女子大生の下半身 な〜んも知らん親」(監督:楠田恵子⦅成城大学⦆=吉村元希/脚本:小宮三和⦅跡見女子短大⦆・松本貴子⦅東海大学⦆)を満足な一本として数へてゐない、一種の差別意識でも酌めばよいのかしらん。兎も角、汚されたり狩られたり、相変らずバイオレントな憂き目に遭ふ、唯一人複数作の主演を果す風祭ゆき的には、シリーズ通算第三作にあたる。三度目の、正直ならず不誠実。
 襲はれ恋人と別れた過去を持つ一方、今はベッドバディを絶やさない案外か予想外に享楽的な生活を送る女教師が、改めて襲はれる、未遂含め二回。何はともあれ斉藤信幸といふと、傑作ニューシネマ「黒い下着の女」(昭和57/脚本:いどあきお/主演:倉吉朝子・上野淳)のしかも次作といふので、勝手に期待して見てみたところが結構どころでなく、派手に宜しくない出来だつた。風祭ゆきの、スレンダーな肢体をひたすらに拝ませ倒す。観客が最も求めてゐる、女の裸をしこたま見せる、その至誠は勿論酌める。さうは、いふてもだな。序盤はおろか前半をも優に通過してなほ、二番手以降を温存。三番手が漸く本格的な絡みを披露するのが四十一分、その後二十五分強がガッチャガチャ。雅代から妊娠を告げられた広之が、見せてみろといふので未だ膨らみ始めてもゐない腹かと思へば、よもやまさかの観音様御本尊。ハモニカを吹きがてら事に及ぶへべれけな導入は、流石に裸映画としての要諦ないし要請に、劇映画が完全に負けてしまつてゐる。昭和58年当時、安定期の概念が発見されてゐなかつた訳でもあるまい。そんな四番手―の処遇―に、火にガソリンを注ぐのが二番手。幾ら一美が白石に横恋慕を焦がす、布石を再三再四打つてゐたとはいへ。一時間も跨ぎラスト五分に突入しての大概土壇場に至つて、藪から棒に水木薫の濡れ場を放り込む。三上紗恵子脚本の荒木太郎に劣るとも勝らない、出鱈目な用兵と木端微塵のペース配分には引つ繰り返つた、卒倒ともいふ。挙句その期に及んで一度ならず二度までも、最中雑にカットを飛ばしてのける始末、もしくは不始末。この点今作に限らず、ロマポに触れてゐてしばしば躓くのが、肝心要である筈にしては、選りにも選つての見せ場で乱れる繋ぎ。そ、れとも。撮影所に籍を置く編集マンの、技術が足らないとも思ひ難い以上、もしかして。最終的には何処かで裸映画を虚仮にした態度の、ひとつの現れなのであらうか。話を今作単体に戻すと、二三四番手がトッ散らかした映画に、止めを刺すのが主演女優である流れはある意味といふか、より直截には逆の意味でビリング通り。鈴川に犯された―シークエンス自体も実は地味に酷い、後述する―恵子は、雅代が最初に出る今井家に電話。来て呉れるやう望む恵子に対し、夜分に余所の女から電話がかゝつて来て、当然不安ないし不審がる雅代の傍ら、今井は一旦黙つて受話器を置く。置き、ながら。そのまゝ家で大人しくしてゐればいゝものを、のこのこ今井が恵子の下に現れる展開には普通に吃驚した。曰く「五年前は僕が悪かつた」、ぢやねえだろ。今また悪いんだよ、輪をかけて悪いんだよ。家には、御子を授かつたばかりの配偶者もゐるんだろ。言葉を選べば頭がおかしい場面は他にもあつて、斉藤信幸らしいロケーションといつてもいゝのか、波止場に停めた車中。三年前亡妻に先立たれた―それもそれで、のちに白石が一美のモーションを、三回忌を方便に断る件と齟齬を来す、去年済ませてる―白石が、恵子に求婚。断られるや勢ひ余つたか端的に箍が外れたか、白石は恵子を手篭めにしかける。裸の腿に鉛筆を突き刺され、撃退された格好の白石が一旦一息ついた流れで、性懲りもなく再度プロポーズを申し出るのには度肝を抜かれた。桂千穂なら幾ら狂つてゐたとて、何をしても許されるだなどとゆめゆめ思ふなよ。兎に角、五年前を取り戻せた格好にして。当然、その間恵子が学校に出てゐなければ今井も家に戻つてゐない、数昼夜に亘る爛れた情交の果て。カーテンを開け放した陽光に風祭ゆきの裸身が霞む、画だけは綺麗な恵子が適当に吹つ切れる奈落の底も抜くクソ以下のラストは、斉藤信幸が斯くも碌でもない映画を撮るのかと、別の意味で衝撃的。こゝまで壮絶な有様だと扱ひは随分ぞんざいでもあれ、出奔する大江と、駅のホームに佇むロング。ショット自体は印象的な、ルリ子が限りなく登場人物全滅に近い死屍累々の中で、実は最も恵まれてゐたとする評価も、この際成り立ちかねない。頭三本が未見につき、最終的な結論は出せないが「女教師」シリーズのワースト有力候補。逆に依然これといつた有望株の特に見当たらない、ベストはと問はれると途端に考へ込んで答へに窮す。

 水の抜かれた、冬のプールに潜んだ鈴川があくまでフレームの中に於いては見えない角度から、恵子の足首をヒッ掴むサスペンス。いや、それさ、立ち位置的に端から恵子には見えとるぢやろ。映画の嘘すら、最早満足につけてゐない。


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 「淫らな唇 痙攣」(2004/製作:国映株式会社・新東宝映画株式会社/製作協力:Vシアター/配給:新東宝映画/監督:田尻裕司/脚本:芳田秀明/企画:朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・森田一人・増田恭一/撮影:飯岡聖英/録音:江口靖志/助監督:松本唯史/編集:酒井正次/監督助手:岩越留美・清水雅美/撮影助手:田宮健彦・原伸也/録音助手:原川真平/制作進行:伊藤一平/ネガ編集:小田島悦子/編集助手:目見田健/タイミング:安斎公一/現像:東映ラボ・テック/協力:KODAK・日本映機株式会社・㈲ライトブレーン・㈲フィルムクラフト・ARIES・㈱タック・請盛博行・大石和世・大野敦子・加藤義繁・樺沢正徳・川瀬毅・小泉剛・坂本礼・菅沼隆・高瀬博行・塚原ひろの・永井卓爾・堀禎一・本田唯一・女池充/作画協力:町田ひらく/スチール・劇用写真:山本千里/音楽:I am frogs 作詞・作曲:三浦細香 音楽録音:方波見寿 ♬『秋の風』・『ストロークの長さ』・『夏の甘い時間』・『八月頃』・『ふたりのファンタスティック』・『ガイドブック』/出演:佐々木ユメカ・真田幹也・堀正彦・北の国・大葉ふゆ・はやしだみき)。プロデューサーの、増子ならぬ増田恭一は本篇ママ。ひろぽんの、寛巳でなく寛己はチョイチョイ目にするが、増子攻めて来る誤クレジットは初めて見た。色々あるもんだ、感嘆してゐる場合か。尤も、単に節穴自慢の当サイトが気づかず見過ごしてゐるだけで、更に一層、雲霞の如くあれこれ溢れ返つてゐるにさうゐない、自慢すな。
 最初に降参、かういふ切り口が定番化するのも我ながら考へもの。とまれ確か64分ある筈の尺が、楽天TVの配信動画―アマプラでも―では小一時間しかない。どうも、Apple TV+だと満尺見られさうなのだけれど、率直なところもう面倒臭い。それゆゑ今回の国映大戦は、その限りを省みもせず吹く与太である。降参といふか、敢然と開き直つてみせたに過ぎないね。
 いきなり濡れ場で火蓋を、切りこそすれ。早速短尺に話を戻すとぎこちなく正常位で挿入してゐたエッサカホイサカが、出鱈目な繋ぎで―既に―口内に出された精をユメカが飲むカットに飛んでみたりと、所以の如何は与り知らぬが本来見せ場たるべき濡れ場を切る、小屋とは真逆のよくいへば斬新な手法を採つてゐる、のかも知れない。閑話、休題。フリーのカメラマン・木島みのり(佐々木)宅にて、クライアントも兼ねる『Wild Punch』誌編集長・櫛田(堀)との逢瀬、不倫の。ググッてみたころこの人これで事務所に籍を置く、置いて貰へてゐるプロの俳優部といふのに軽く吃驚した、堀正彦がまづ地表に露出する起爆装置。華や色気の微塵もない平凡な容姿に、ある意味御丁寧に棒状の口跡。兎にも角にも、あるいは火に油を注ぎ。絡みのカラッキシ出来ない大根あるいはマグロ男優部に対し、演出部による指導も凡そ満足に施されてはゐない。シンプルに能はなかつたのかそれともリアリズムか何かを履き違へ、端からする気がないのか意識的にしなかつたのか。何れにしても結果は変るまい、甚だ不格好で見るに堪へぬ。ユメカも兎も角堀正彦が対応し得る訳がないといふ消極的な理由で、よもやまさか本番とも思ひ難い反面、荒れた臨場感ならあるといへばなくもない絡みは、さりとて動物的な行為の範疇に止(とど)まり、女の裸を愉しませる煽情性ないし精神性は、絶無に近く見当たらない。
 先に進むと翌朝、寝坊したみのりが往来を急いでゐると停車した車の窓から、助手席に身を乗り出した真田幹也が「木島つて人?」。口ぶりを窺ふにみのりとは初対面と思しき、『Wild Punch』誌編集者の樫山慎一(真田)に運よく拾つて貰ふ、二人のミーツで何気にバクチクする不自然、樫山何で判つたんだ。さ、て措き。一行が向かつた先はみのりが写真を撮つて樫山が話を聞く、予定の、五年前に筆を折つた成人マンガ家・森あげは(大葉)邸。ところが当のあげは先生に復帰の意欲なんてサラッサラなく、傍若無人にカメラを向けるみのりの態度にも派手に気分を害し、結局インタビューは取れずに樫山はおめおめ敗走。一方撮るには撮つてゐる、みのりはあげはのいゝ顔が撮れたとか勝手気儘に御満悦。ユメカのエッジで辛うじて形になりは、するものの。YASHICAを万能無敵のひみつ道具か治外法権の免罪符かと勘違ひしてゐる、みのりの造形が大体何時もそんな調子。
 配役残り、四股名みたいな名義の正体不明さがエバーグリーンな北の国は、樫山の同棲相手・高野緑。緑目線でみのりが大学のパイセンにあたる、ありがちに狭い劇中世間の器用さよ。会話の流れなり雰囲気もへつたくれもなく、緑の「しようよ」で自堕落に樫山とオッ始める、へべれけな導入も流石に如何なものか。四天王より基本線の細い七福神の面々が、やゝもすると虚仮にしたかに映りがちな裸映画に、返り討たれる姿はしばしば目にして来た。殊に、一般指向を公言して広言して憚らない、田尻裕司にあつては純度の高い何をかいはんや。はやしだみきは、元編集者で配偶者の以前からみのりと面識のある、櫛田の妻・貴子。ビリング後ろ二人は不脱、につき三番手が存在しない緊縮布陣。その他『Wild Punch』編集部とみのりらが使ふ飲食店を中心に、案外結構な頭数がフレーム内に投入される。その中でも普通に台詞の与へられる、電車の中でみのりに―最初は無断で―写真を撮られる高校生カップルの、男子の方は強烈に何処かで見たやうな気がしつつ、どうしても辿り着けず。
 流石に残弾数もあと僅かの、国映大戦第六十戦は翌年の坂本礼第四作に劣るとも勝らない田尻裕司第七作。田尻裕司単独の視点だと、前作と共有した公開題のフォーマットが形式的な特徴。それに、つけても。まあ斯くも惨憺たる代物が第三位に飛び込んで来てゐた、往時のPGピンク映画ベストテンが幾ら最終的には個々人の投票制とはいへ、どうかしてゐやがつたとこの期に死人を鞭打つほかない、そんなに筆禍が美味いのか。
 好意を以て近づいて来た相手に、怪体な文脈で何故かキレ散らかす。一言で片づけると要は臍曲りか天邪鬼の女が、後背もとい後輩の男を寝取る、一度ならず二度までも。何はともあれ作品世界の醸成を根本的か画期的に阻むのは、一旦引退前編集として担当してゐた、あげはとの関係をも濃厚に匂はせ、ながらも。堀正彦の決して煌め、きはしない魅力の欠如。即ち櫛田が女々にモテてモテてモテ倒す、ジゴロぶりが通らない基本設定のレス・ザン・説得力が豚にも真珠と認識し得るレベルの大穴。談話を取り損ねたのなら、捏造して外堀を埋めてしまへばいゝ。自爆的に出鱈目な、『Wild Punch』のワイルドすぎる編集方針は土台脆弱なリアリズムの底を易々と抜き、描くべきか、描かざるべきか。有体に振り撒いてはみせるあげはの苦悩に関しても、半歩と踏み込むでなく等閑視。ある意味象徴的ではある全篇を彩る、ほどでもなく何となく寄り添ふ程度の、抑揚を欠いたメロディに声量なんて初めから求めてもゐないボーカルを細々と乗せた、I am frogsのトラックはローファイとでもいふと聞こえがいゝのか、省力化された音楽だなあ、といふ印象がより強い。録音レベルを変へたユメカの独白で、みのりの“心の声”を表出してみせる。激しくプリミチブな演出を藪から棒に繰り出すに至つては、どうかしたのか田尻裕司と軽く引つ繰り返つた。あげは先生が描く描かない、透明人間と、隙間云々。独善的に長講釈を垂れ続ける、論理の体を成してゐないみのりの方便は、畢竟ことごとく理解に遠い。唯一普通に見てはゐられる二番手一回きり戦も、然様、ノルマごなしで御座いといはんばかりの、大概ぞんざいな中途で端折る不誠実な不始末。クロウフォビアをみのりが克服する件で、娯楽映画の正道を志向した節を僅かに覗かせ、もするにせよ。そもそもみのりが烏を戯画的に怖がつてゐる時点で、所詮は木に接いだ竹。みのりがみのりなら、樫山も樫山。緑の過去を知つたにも関らず、なほのうのうと同じ轍を踏む神経といふか無神経は琴線を激しく逆弾きする。折角横紙をプチ破り十五分の一オーバーランしたにも関らず、最早時間を持て余すかのやうに漫然としたラストは、樫山が何時の間にかみのりに心を移す、展開上の大飛翔を補完しきれては到底ゐない。面白くなくいやらしくもなく、感情移入にすら難い。淀長いはくの、どんな映画にも一箇所はあるらしきチャーミング、即ち“よかつた”を全力を賭して探し抜く。本当は減点法なんて大嫌ひな、ポリアニスト決死の摸索も終に矢尽き刀折れ、最後に改めて降参。オリジナル版と比べると短い割に、途方もなく長かつた。正直途中で、今回は見るのをやめようかと何度も逡巡した。その意味に於いて、より直截にいふと負の意味に於いては、幾許かの力を有してゐた一作。とは称せようか、1mmも褒めてない、といふかマキシマム貶してる。

 付記< 動画のど頭によくよく目を通してみると、濡れ場がザクザク飛ぶのを始め五分前後間引きされてゐるのは、どうやら元々のR-18をR-15に“修正”。テレビ放送を可能にする過程に於いて、発生した事象である模様。多分、ピストン的な動作が通らない云々、何某かの線が引かれてゐるのだらう
 再付記< m@stervision大哥は今作を女性映画と看破されておいでの、やうではあれ。にしてはユメカあるいはみのりの口を借り、精飲を至極当然の性行為と看做してのける態度は、些かならず如何なものかとも首を傾げる所存


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 「女教師のめざめ」(昭和56/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:藤井克彦/脚本:那須真知子/原作:リチャード・ピーターズ 桂千穂訳 『DENGER TO GET WET』⦅フランス書院刊⦆/プロデューサー:林功/企画:山田耕大/撮影:鈴木耕一/照明:木村誠作/録音:小野寺修/美術:渡辺平八郎/編集:川島章正/音楽:甲斐八郎/助監督:児玉高志/色彩計測:松川健次郎/現像:東洋現像所/製作進行:鶴英次/出演:朝比奈順子・山科ゆり・岸田麻里・野上正義・錆堂連・池田光隆・見城貴信・石神一・田中穂積・田村寛)。出演者中、朝比奈順子にポスターでは括弧新人特記。そして、どうも正しくは 『DANGER TO GET WET』な気がする、原作題は本篇クレジットまゝ。と、いふか。ケッサクなのが原作者とされるリチャード・ピーターズといふのは、訳者を騙つた桂千穂の変名、何だそれ。
 混声のスキャットが起動しての、速攻タイトル・イン、“めざめ”が赤く発色する。花壇の手入れをする「鳳凰学園」美術教師の相川雅子(朝比奈)に、教頭の高橋(野上)が「いやあ綺麗だねえ」。そこは「精が出ますなあ」と来るのが、量産型娯楽映画として然るべき紋切型といふ奴ではないのか、とも脊髄で折り返す疑問はさて措く、どころか。高橋が褒めたのは雅子の指で、挙句「まるで白い蚯蚓だ」だなどとど腐れたレトリックにクラクラ来る。挙句の果ての、その先で。目の下が黒ずんでゐるのを理由に、高橋が雅子の生理中を邪推するに至つては、トバしすぎだろ、昭和。兎も角、あるいは兎に角。クソ教頭は立ち去つたその場に、ローラースケートで突つ込んで来た女生徒の三田かおり(岸田)が雅子に激突。大股開いてスッ転んだ二人のわざとらしいパンチラを、しかもスローモーションで捉へる底の抜けたカットには、腰を抜かすかと思つた。カメラを構へる部長ないし監督格でかおりの彼氏・石井良二(池田)以下、大江(石神)に録音部の鈴木(田中)。ビデオ研究会の面々がそんな雅子とかおりにカメラを向け、首尾よく撮れた狙ひ通りの画に小躍りする。先走るとビデオ研究会が撮影する自主映画のタイトルが、カチンコと記念撮影ボードに台本表紙で、順に「新暴力教室 セックス・ハンター」と「新・暴力教室 セックスハンター」に、「新暴力教室 セックスハンター」。器用に三通り表記が割れてみせるのは、美術部が仕掛けた間違ひ探しの趣でも酌み取ればよいのか。
 配役残り錆堂連は、雅子の同僚兼恋人・伊藤勝也、担当科目は多分英語。見城貴信も、ビデ研部員の島内、大江共々俳優部。山科ゆりは客室添乗員の女手ひとつで一人息子を育てる、良二の義母・貴子、実母と父親の去就は一切不明。麻布まで車で送つた―実際送つたか否かは甚だ怪しい―伊藤を、その後家庭訪問といふか要は寝室招待に連れ込んだ上で喰らふのが、力技の二番手初戦。しかもその様子に、隣室から良二がビデオを回す周到な因果。一方、伊藤を高橋の姦計にカッ浚はれ、雅子が日没後まで数時間は延々ぼんやりしてゐる公園。何しに出て来たのか皆目雲を掴む田村寛は、無駄か藪蛇に雅子を怯えさせる不審者。賑やかしにしても心許ない、田村寛が捌けてからが本番。犬をけしかけ女子手洗に追ひ詰めた雅子を、高橋が強姦する。以降正しく全篇に亘つて登場する、“先生”と名づけられた御犬様はノンクレジット、犬種とか当サイトには訊かないで。その他生徒と教職員の校内と、若干でなくオーバーフロー気味の公園に、相当数の人員が投入。公園にて、トランペット吹いてる謎のグラサンとか全体誰なのよ。時々、正体不明の人物が何故かピンで飛び込んで来る、顕示的な不条理がロマンポルノのワン・ノブ・特色だといふ認識に、漸く辿り着けたやうな気がする。
 全九作をぼちぼち見進めて行く五本目、「女教師」シリーズ第五作。と、いふよりも。nfajにはより新しいデータしか見当たらない、jmdb準拠でのシリーズ第七作「女教師狩り」(昭和57/監督:鈴木潤一=すずきじゅんいち/脚本:斎藤博/主演:風祭ゆき)から更に一年半弱と大幅に遡る、石神一の現状確認し得る最も古いキャリアといふ面を、寧ろ重視したい藤井克彦昭和56年第二作。宝塚上がりの朝比奈順子にとつてロマポ初陣で、当時的には謳ひ処ともなつた、三番手は松竹歌劇団出身。二ヶ月後の朝比奈順子第二戦、「バックが大好き!」(監督:小原宏裕/脚本:伴一彦)に於いても岸田麻里は矢張り三番手で共演してゐる、ついでといつては何だが錆堂連も。
 身持ちの固さは性に対する苦手意識に起因する、女教師が鬼畜教頭の毒牙にかゝる。女教師の恋人は教へ子の保護者に寝取られつつ、生徒達の映画作りも進む。“先生”を巧みに操る高橋から度々凌辱され続けてゐるうちに、雅子が何時しか犬の鳴き声に欲情する形で“めざめ”て行く。浜野佐知が買取系すら撮つてゐない以上、箍のトッ外れたへべれけなミソジニーに一々拘泥してゐてはカテゴリーごと否定せざるを得なくなるゆゑ、こゝは強ひて通り過ぎる。未だ幼さも残す岸田麻里は80年代を超え得る素材でなく、改めて後述する山科ゆりは、半ば飼ひ殺しにされかける反面。角ならぬ窓オナの斬新な機軸で最初に火を噴く、朝比奈順子の適度に熟れた肢体は極上の眼福。美人女教師が、下卑た教頭と生徒達にも犯され倒す。品性なんて、捨ててしまへ。下劣な琴線を激弾きしてゐさへすれば、大人しく戦へたものを。「新セクハン」の中途半端にメタ的な扱ひが、甚だ未整理で展開の円滑な進行を徒に阻む、ばかりか。二番手にして一幕・アンド・アウェイかと一旦は諦めさせかけた、暫し退場したまゝとなつてゐた山科ゆりの二回戦で主演女優をドン底に叩き落す。残酷かつ、なかなか秀逸な構成を採用した末終に雅子が完全に壊れる、バッドエンド裸映画の強度がそれなり以上であつただけに。日活から怒られたのか自分等で気が引けたのかは知らないが、何れにせよ木に竹を接ぐはおろか茶すら濁し損ねる、ドッチラケたオーラスには首を傾げるか匙を投げるほかない。バッカモーン、大好きな大好きな順子ちやんが、不幸にならない方が望ましいに決まつてるだろ!クラスタ諸氏がさうお怒りになるのなら、反論は敢へて差し控へる。素直に女の裸で攻めてゐれば攻めきつてゐればいゝものを、映画的か横好きな色気に水を差されたきらひも否めない一作。朝比奈順子の一点突破で、それで十分それが完成形。さう満たされ得るのが、一番幸福ではあるのだらうけれど。
 備忘録< オラースは自主映画の完成記念撮影を、“先生”のリードを引いた教頭が邪魔をすゆ


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 「肉の標的・奪ふ!」(昭和54/製作:日活株式会社/監督:澤田幸弘/脚本:永原秀一/プロデューサー:三浦朗/撮影:前田米造/照明:川島晴雄/録音:橋本文雄/美術:徳田博/編集:山田真司/音楽:クリエーション/助監督:川崎善廣/色彩計測:森島章雄/現像:東洋現像所/製作担当者:栗原啓祐/出演:鹿沼えり・小川亜佐美・志麻いづみ・飛鳥裕子・吉沢由起・岡本麗・志賀圭二郎・五條博・大河内稔・浜口竜哉・島村謙次・柳田雅夫・織田俊彦)。出演者中、柳田雅夫は本篇クレジットのみ。クレジットがスッ飛ばす、配給に関しては事実上“提供:Xces Film”。
 商社大手の「大興物産」、出社した鉄鋼一課の根津隆(志賀)が、オフィスの窓から往来を見やる。ビリングは無視、何気に綺麗な順―当サイト調べ―で並べてゐるやうに思へなくもない、銘々出勤する鉄鋼一課のタイピスト・吉村京子(小川)。同じく鉄一の文書係で、根津と次期課長の座を争ふ武井の婚約者である上条由美(鹿沼)。この時点に於いては明らかでなかつたが、実は百合の花咲き誇らせる仲の、電算室計数処理係の先輩後輩・池田沙智(飛鳥)と森川みゆき(吉沢)。そして、専務秘書の遠山直子(志麻)。二百人はゐる女子社員の中から、五人の根津いはく“最高”のイントロがてら、「一人だけでも何とかモノに出来れば」とか、朝ぱらから何をこの男はな自由な内心を叙情すると、窓越しのカメラがガーンと引いて鮮烈な筆致のタイトル・イン。
 ザクッと配役残り、専務の堀田(大河内)と部長の山崎(島村)に連れられ、根津は重要な接待の席に。綿を含んだ浜口竜哉と、織田俊彦は接待される側と思しき役人其の壱其の弐。五條博が件の武井で、ほかにこれといつた人影も見当たらないゆゑ、柳田雅夫はもう一人宴席にゐる謎ポジションの男かなあ、岡本麗はその座につくホステス・奈々。その他大興要員を主に沙智・みゆきが遊びに行くディスコ等々、数十人規模の潤沢な要員が用立てられる。忘れてた、普通に団地クラスの大興物産社員寮にあつては、子役をも投入。この辺りの所帯の大きさが、如何せんピンクには太刀打ち能はざるロマポぶり。話を戻すと酒癖の悪い根津が、お役人に矢鱈挑発的な態度をとるのを見咎めた堀田は、武井を伴ひ手洗にトラを隔離しお説教。すると根津は静かに激昂、やをら右ストレートを堀田に叩き込む極大粗相。その場は武井に取り抑へられ、堀田からは出社に及ばぬ旨厳命された根津が、雨の中傘も差さずに悄然とする帰途。奈々の2ドアに小遣ひ稼ぎの白タク感覚で拾つて貰つた根津は、尿意を催し車を停めた奈々を暴行する、手始めに。
 都合七作中、澤田幸弘のロマポ第六作。大雑把に探してみたところ、「肉の標的」を冠した量産型娯楽映画が全部で三本。一本目の「肉の標的 逃亡」(昭和44/国映/監督:大杉虎=若松孝二)は兎も角、小川和久(=小川欽也)の「肉の標的 射る」が今作の五ヶ月半後に封切られてゐるのは、豪快に二番茶を煎じてのける節操のなさが実に清々しい。
 奈々で味を占めたかそれとも、純然たる自業自得で飼ひ殺しに追ひやられ、箍が外れたか。根津は次に由美、そして京子。みゆきと沙智は一緒くた、最後に直子をと矢継ぎ早に凌辱する。適度な距離を置き、腰を据ゑ案外長く回す。要は大半が和姦ではない濡れ場はアクション映画的なスピード感と、下賤な琴線を激弾きする即物的な官能性とを素晴らしく両立。まづ雨中の奈々、京子は車内で。沙智はみゆきに手をつけてゐる間、押し込んだクローゼットの中でそのまゝ手籠めにする予想外の変化球。直子に至つては、堀田は終日外出中の専務室。自宅を普通に急襲した由美―とみゆき―以外、多彩に凝つたロケーションから大いに振るつてゐる。豪華六本柱を擁するとなると、往々にして諸刃の剣と化しがちなのがその頭数。七十分を跨ぐ尺は六人全員に物足りなさを覚えさせるでなく、裸映画的には狂人もとい強靭に充実。陰鬱の一歩手前に無表情な造形を宛がはれた志賀圭二郎の、精悍も剥き出されるが如く映える。唯一の難点ないし欠点はといふと、コミタマなりサブ、影英や水京が出て来ない辺りくらゐ。浜竜とオダトシ、島謙もゐるんだから満足しろ。とは、問屋が卸さないんだな、これが。
 全く以て武井のいふ通り身から出た錆で失墜した男が、最早自棄糞なのか連続強姦魔に変貌。目星をつけた社内の美人を片端から犯し倒した末、うち一人の口添へで一発大逆転の再起を果たす。とかいふ、鬼神と化した浜野佐知が雷雲従へ轟然とスッ飛んで来さうなバイオレント立身出世譚。しかも土砂降りの中ヤリ捨てられ御役御免、以降ワン・カットたりとも顧みられるでなく。一番無体な扱ひの岡本麗と、よしんば相手が顔見知りであつても、おいそれと男の車に乗りはしない。育ちのよさを感じさせる京子の二人は幾分怪しいものの、概ね何れの女もレイプされてゐるうち根津の虜になつて行く。挙句、そもそも当時はさういふ視座の兆しすら覚束ないが、沙智とみゆきに至つてはセクシャリティからガン無視の全否定。幾ら昭和の所業とはいへ、大概底の抜けたミソジニーには匙を投げるのも通り越し畏れ入つた、感心してゐる場合か。とまれ斯くもピカレスクの斜め上だか下を行く出鱈目かへべれけな物語、どれだけ木に竹接ぐ最期であつたとて、兎に角根津が無様か呆気なく死んで呉れないことには、流石に最低限の形でさへ起承転結が満足に成立するまい。あたかも根津が全てを手に入れたかのやうなラストに半ば呆然と、直截にいふならば開いた口が塞がらなかつたのは、腐れ保守の分際で、利いた風な戯言叩くんぢやねえとの誹りも当サイトは免れ得ないであらうか。


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 「⦅本⦆噂のストリッパー」(昭和57/製作・配給:株式会社にっかつ/監督・脚本:森田芳光/プロデューサー:八巻晶彦⦅N·C·P⦆/企画:大畑信政・進藤貴美男/撮影:水野尾信正/照明:矢部一男/録音:小野寺修/美術:後藤修孝/編集:川島章正/撮影協力:浦安劇場/製作協力:青木弘・日高捷夫/助監督:那須博之/選曲:甲斐八郎/色彩計測:高瀬比呂志/現像:東洋現像所/製作進行:霜村裕/出演:宮脇康之・岡本かおり⦅新人⦆・太田あや子・大高範子・金田明夫・吉川遊土・上野淳・鶴田忍・江藤漢・新井真一・石上一・佐藤恒治・玉井謙介・増尾久子・中原鏡子・三崎奈美・森田日記)。出演者中、石神でない石上一は本篇クレジットまゝ。ちな、みに。ポスターは普通に石神一なんだな、これが。となると未だ不安定な名義といふよりも、単に本クレが仕出かした可能性の方が寧ろ大きいのかも知れない。配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。
 開演前の浦安劇場(とうに現存せず)場内、玉井謙介が盆の真ん中に持つて来たそれは電池式なのか、アンプラグドなテレビのスイッチを入れて「はいどうぞ」。ブラウン管に“日活株式会社製作”時代のカンパニー・ロゴが映し出され、劇伴起動。一転、風呂を浴びるストリッパーのみなさん、ビリング順にグロリア(岡本)と、姉貴分のレディ(三崎)。白黒ショーの女(ピンクチェリー?/大高範子)とキリス・アイ(吉川)に、増尾久子と中原鏡子の何れかが声を揃へ、玉謙に合はせて「本日は当浦安劇場に御来場頂きまして」云々、これといつた小ネタも足さない普通の場内アナウンス。レッツ・オープン・ザ・ミュージック!のアタックとともに、舞台に飛び込んで来たグロリアが客席に向かひ両手を広げる見得を切りタイトル・イン。割とてれんてれん躍る岡本かおりがオッパイまで見せ、照明が落ちる形で暗転しての監督クレジット。正直、タイトルバックは早速漫然としてゐなくもない。
 ロングで見た感じ思ひきり住宅街的な立地に存する、案外小さいのが小屋みのある浦劇外景。客引き(佐藤)が、ノンクレの客を捕まへる。グロリアが「どうぞ」と客に手渡したシェービングクリーム?を、自分の体に塗りたくらせる謎パフォーマンス。この辺りズッブズブの門外漢につき、ストの演目なり風俗―劇中では“スプレー”と称される―に関する見識をまるで持ち合はせない、憚りながら悪しからず。アルバイト配送員の洋一(宮脇)は、忽ちグロリアに心奪はれる。
 配役残り、ググってみると今は自身の名を冠した芸能プロダクションを構へてゐる上野淳は、照明係の照一、名に体を表させるポップ感。金田明夫は妹分であるグロリアの―マネジメント的な―面倒も見る、レディのヒモ・孝政、グロリアからの呼称はお兄さん。小水一男に結構似てゐる江藤漢はアイのヒモ、固有名詞不詳。榎木兵衛(a.k.a.木夏衛)と庄司三郎よろしく、ガイラとの兄弟役で全然イケさうな気がする。そして石上一が、最初に出て来た時は幕間のビール売り。三週間弱先行する―日付が合はないのは今作がかつての、フィックス敬老の日封切り―鈴木潤一(=すずきじゅんいち)昭和57年第二作にして通算第三作、且つ「女教師」シリーズ第七作「女教師狩り」(脚本:斎藤博/主演:風祭ゆき)が、jmdb準拠でこの人のデビュー作。弾けるやうな若さに、思はず相好を崩さされる。新井真一は大高範子の相方を務める男、鶴田忍が浦安劇場支配人。グロリアとヤリたい支配人は、その旨孝政に打診。孝政があくまで当人の意思を尊重する一方、金銭の提供も辞さない支配人に対し、軽く気色ばんだ金田明夫が放つ、「俺をポン引きにしないで下さいよ」はスパッと切れ味鋭く通る名台詞。そして太田あや子が、洋一の配達先・竹入か武入好子。見初めた洋一を、レコード針の交換を乞ふ方便で家に上げる盛大なファンタジーを美しく咲き誇らせる。中原鏡子と増尾久子の残つた方は、気がつくと楽屋にもう一人増えてゐるストリッパー要員。楽日の打ち上げ後、アイとレディにグロリアは、男衆(支配人とエトカンに孝政)と一旦別れ三人でディスコに。当時的にはポスターにこの人が載るバリューがあつたのか、不脱の森田日記はディスコの女王様。化粧室にてグロリアと会話を交す件にも以降に効いて来るサムシングは特段見当たらず、木に竹を接ぎに連れて来られたきらひは否み難い。その他小屋の主に客とディスコに、計数十人の頭数が投入される。あと、端々で目につくのがオープンの通行人がカメラの方を見すぎ、あるいは見させすぎ、那須博之もう少し仕事せんか。
 抜けるだけの組に入つてゐた訳でも別にないものの、後年宮脇康之(現:宮脇健)共々ロマポに盃を返す岡本かおり(今は岡本椛里らしい)のデビュー作は、森田芳光がロマンポルノを二本撮つてゐるうちの一本目、商業通算第三作。初代ケンちやんで一世を風靡した、宮脇康之の結局果たせはしなかつた復活作といふ点に関しては、最初で最後の所詮賑やかし。この期に触れる必要性も量産型娯楽映画的に然程どころでなく見当たらないゆゑ、事もなげに等閑視して済ます。
 限りなく少年に近い青年が踊り娘との―土台一方的でしかない―出会ひと別れの末に、幾分かは成長する?とかいふ、大筋ではあるのだらうけれど。ただでさへ尺に比すと頭数の多い中、グロリアと照一に、レディと孝政。チッチッチ妙にスポットの当てられるポン引きと、藪の蛇を突くトメ。洋一のゐないところでとかく分散しがちな焦点を絞り込む統合力を、寸から足らない文字通り童顔の、主演に据ゑるには激しく心許ない依然子供のやうな元子役と、エクセスライクな垢抜けない新人女優の、何れにも求め得ない脆弱なビリング頭二人が直截なアキレス腱。カット割りまで含め、壇上ないし絡みの演出に冴えなり煌めきを窺はせるでなく、裸映画としても全然平板。一日が終る風情を味はふ、好子の愛聴曲が「蛍の光」。洋一が好子に贈つた、「蛍の光」のオルゴールで関係の終了をそれとなく悟らせる。辺りのシークエンスは洒落てゐこそすれ、森田芳光の名前に脊髄で折り返してワーキャーするには必ずしもあたらない、精々水準的な一作。その“水準”もしくは全般的な感触といふのが、画面の厚み込みでロマポの方が、ピンクより基本上といふのは認める。

 但し、個別の面白い詰まらない、素晴らしい他愛ないはまた全く別の話。ジャスタモメン、極めて大事な点を忘れてゐた。夜景も凄まじく映える浦安劇場の、在りし日の姿を35mmで記録した意義は絶大。


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 「大性獣 恥丘最大の絶頂」(2022/制作:ナベシネマ/提供:オーピー映画株式会社/監督:渡邊元嗣/脚本:増田貴彦/撮影・照明:倉本和人/録音:小林徹哉/編集:鷹野朋子/助監督:小関裕次郎/監督助手:高木翔/撮影助手:郷田或/スチール:本田あきら/選曲:徳永由紀子/MA:Bias Technologist/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:生田みく・花狩まい・しじみ・竹本泰志・小滝正大・ケイチャン)。この期の間際に気づいたのが、撮影部セカンドの郷田或(a.k.a.郷田有or郷田アール)といふのはゴダールを捩つてゐるのか。三十年以上に亘る異常に長い助手歴を窺ふに、誰か一人が使つてゐる名義では多分なく、共有の変名にさうゐない。
 画面左から右に電車が横切る、田園の美しいロング。ヒロインが幼少期育ての親である祖父に連れられた、「ほたるの森」と名づけられた豊かな自然を回想、する綺麗な流れをブッた切り。小説家志望のライター・三田さとみ(生田)は、色事、もとい色々懇意の編集者・仲之浦(竹本)から振られた、見るから異端の科学者・城ヶ崎(ケイチャン)が携はる、セックスによつて生み出されるエネルギーを熱に変換した上で動力源として活用する。過去にも何度か見聞きしたやうな、エネルギー保存則をガン無視したトンデモ研究の取材に臍を曲げる。臍を曲げ、ながらも。例によつて仲之浦が適当に言ひ包め、た余勢で突入する絡み初戦。生田みくのボリューミーな肢体を狙ひに狙ひ倒し、アバンから今回の渡邊元嗣はゴッリゴリに攻めて来る、映画は兎も角ピンクを。結局何時もの如く、なし崩し的に与太企画を押しつけられたさとみは、祖父の形見の古いラジオを、店は閉めた電器屋に直して貰つた比較的新しい来し方を想起。中には何も書かれてゐない、小説のネタ帳にさとみが溜息ついた区切りで、赤い月の浮かぶ夜景に、最早ヤケクソのやうな書体で叩きつけるタイトル・イン。
 高木翔法律事務所や「なべエンタープライズ」と、雑居ビルに軒を連ねる「jyogasaki energy laboratory」。配役残り花狩まいは城ヶ崎エネルギー研究所の研究員・森尾日菜子―森魚か森生かも―で、小滝正大が助手の岸和田タモツ。ほんで以て一同が日々明け暮れる、実験の実際はといふと。催淫発情装置を浴びせた日菜子を、城ヶ崎が要は抱いてエネルギーの検出を試みる。清々しいほどの馬鹿馬鹿しさが、グルグル数周して素晴らしい。量産型娯楽映画といふのはかうでなくちやと、実は虚仮にした皮肉あるいは、為にする方便でなく当サイトは心からさう思ふ。しじみは仲之浦が連日買ふのが、高給取りなんだなあと軽く首を傾げさせられるデリヘル嬢・アザミ。ララバイ
 郷田或の名義のみならず、こちらも下手すると三十年くらゐ使つてゐさうな、電器屋時代の城ヶ崎が着けてゐた黄色いYou & meのエプロン。に、なほ止(とど)まらないんだぜ。螢雪次朗なり西藤尚が頭に載せてゐたウィッグ等々、アンティークの領域に片足突つ込んだ小道具が、途方もない物持ちの良さを何気に爆裂させるナベシネマ新作。
 今世紀も明けて既に二十余年、竹本泰志がバナナの皮でスッ転ぶシークエンスを、臆面もなく撮つてみせる渡邊元嗣の豪胆なポップ感には軽くでなく驚かされた、けれど。工藤雅典大蔵第四作ほどではないにせよウィキ曰く十稿まで脚本を直したにしては、同じテーマに取り組むオーピー大の大蔵教授チームに後塵を拝する城ヶ崎が、世界を救ふつもりで世界を滅ぼす化物を生み出してしまふ物語は、オマンタゲーの空騒ぎや大性獣ミダラの造形の酷さに劣るとも勝らず、最終的には平板な作劇が面白くも何ともない。木に螢を接ぐ愛のエネルギーとやらで適当に茶を濁すザマなら寧ろ、城ケ崎のルサンチマンと誠実に向き合ふ方が、まだしも形になつたのか。尤もその場合ナベといふよりも、国沢実の仕事であるやうな気もしつつ。人でも仕事でも、好きになるのが一番大切。屁より薄い腑抜けた説教を、全篇を通じて捏ね繰り回されたとて、呆れ果てればよいものやら匙を投げたらよいものやら、もうどうしたらいゝのか判らない。反面、裸映画的には的確に女の乳尻でヌキ続け、もとい乳尻を抜き続け、直線的にして重量級の煽情性を、これでもかこれでもかと轟然と畳みかけて来る、割に。総じて等閑なのは、大人しく劇に伴つてゐるものと好意的に評価したとしても、選りにも選つて締めの濡れ場で藪蛇な牧歌性を狙ひ損ねる、壮絶な選曲で目出度くなくチェックメイト。ボガーンと弾ける生田みくのオッパイで、胸かお腹一杯になれなければ、素面の劇も女の裸も共倒れる失速作。実に九度の改稿に話を戻すと、数少ない弾を大切に撃ちたい、心持ちも決して酌めなくはない、ものの。さういふ姿勢が四の五の考へず下手な鉄砲を数打つ、撃ち尽くした果てに見えて来るサムシング、が時になくもない。量産型娯楽映画の本質と背反してゐるジレンマを、恐らく大蔵は認識すらしてゐまい。も、しくは。不用意な火種を抱へたくない?それは元々、自業自得の限りで己等が外した梯子だらう。
 備忘録<一件を小説化した、『ほたるが紡ぐ森~大性獣ミダラ~』で念願の作家デビュを果たしたさとみが劇中最強の勝ち組   >次点は目出度く日菜子と結ばれた岸和田


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