真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「女帝と女秘書 指で昇天」(2003『政界レズビアン 女戒』の2007年旧作改題版/製作:ジャパン・ジャスト・アドバンスド・メディア、新東宝映画/配給:新東宝映画/監督:愛染恭子/脚本:藤原健一/企画:小野正/プロデューサー:福俵満・寺西正己/撮影:鍋島淳裕/照明:東海林毅/編集:酒井正次/音楽:飯島健/撮影助手:赤池登志貴/照明助手:原諭/助監督:川野浩司・本間利幸・斎藤勲/制作デスク:石川恭子/出演:愛染恭子・清水ひとみ・川奈まり子・黒沢愛・風間今日子・真咲紀子・翔見摩子・高橋りな・港雄一・りょうじ・亀谷英司・大和啄也/特別出演:鏡麗子・団鬼六・山本竜二)。濡れ場がある、もしくは裸を見せるのはビリング頭から真咲紀子まで、と鏡麗子。
 民友党党首・小沢登美子(愛染)は自身の政治団体「女性を守る会」の助けも借り、女性蔑視と人権侵害の温床だとしてアダルトビデオの根絶を公約に掲げ次の選挙を戦ふ決意を固める。登美子の政治姿勢を快くは思はない民友党幹事長・本田太郎(山本)と大物政治家・大黒龍三(港)は、登美子の政策を阻むべく画策を巡らせる。本田の秘書・長崎直子(清水)は、登美子の過去の醜聞を暴き立てるべく奔走する。真性ビアンの登美子とバイの直子とは、かつて恋仲にあつたがある事件をきつかけに、直子は登美子に捨てられたものだつた。
 PINK‐Xプロジェクト第五弾、自爆覚悟でアダルトビデオに放たれた、ピンク映画からの決死のクロスカウンター、といふのは大嘘である(>なら書くな)。本気で一戦交へるつもりであるならば、それもそれで面白かつたかとも、小生の中の好戦性は騒がぬでもないが。純然たるAV勢の黒沢愛の名が、若い女の裸目当ての観客のための主力装備として配役の中に並ぶ時点で、それも通らない相談ではあらう。話を戻すと、女同士の愛憎も絡めた、永田町を駆け巡る権謀術数―といふ程でもない―を描いた中ロマンである。賑やかしの端役まで含め徒に豪華な出演陣にも支へられ、物語のスケール感は、シリーズ全七作の中では最もしつかりしてゐる。加へて、当たり前のことと片付けてしまへばそれまででもあるが、ちやんとフィルムで撮つてあるし(第二、第四弾はキネコ)。
 川奈まり子は、登美子の第一秘書・野村美智子、ノーブルな顔立ちに映えるメガネが堪らない。(主演を除いては)何処からでも得点出来る強力な女優陣の中でも、役柄としては地味ながら清水ひとみに続くポイント・ゲッター。風間今日子は、第二秘書?の中島さゆり。真咲紀子はAV嬢のめぐみ、「守る会」でめぐみが暴力的に強姦されるAVが爼上に上げられ、登美子はAV根絶を旗印に戦ふ腹を固める。翔見摩子は、「守る会」のメンバー・真弓。りょうじは大黒と本田の下働きも務める、AV女優プロダクション社長・北原。
 ある日北原は、街で一人の女をスカウトする。女をAV女優としてデビューさせる前に、何時ものこととして大黒に献上する。本田の企みで、大黒が女を手篭めにする様子は隠しカメラに捉へられてゐた。本田の事務所で本田、北原とともに、回し放しの定点カメラの割にはアングルは変るはズームは寄るはと妙に器用な隠し撮り映像を見てゐた直子は、北原にスカウトされた女・杉山雀(黒沢)に注目する。雀の首下を飾る大きな三ツ星のネックレスが、登美子が身に着けてゐるのと同じものであつたからだ。
 女同士の愛憎、ポリティカル・サスペンス―言ひ過ぎ―に加へ、ここで生き別れた母娘のドラマが物語に参戦する。ところどころでフォーカスの甘さは見せつつも、三つのテーマがデッドヒートを展開しながら一気に駆け抜けて行く終盤は、実にといふと過大評価ではあるが、それなりに堂々としてをり充実感が味はへる。それはそれとして明後日の方向に出色ながらあちこちルーズさを露呈する演出はさて措き、完成度の高さでその時点での半ば勝ち戦を保障した脚本以外に今作の充実度に大きく貢献するのは、長崎直子役の大物ストリッパー・清水ひとみ。中々の演技力と衰へぬ美しさとを誇り、愛染塾長を堂々と向かうに回す貫禄は流石である。清水ひとみの前にあつては、川奈まり子も風間今日子も、まるで小娘に見える。若き日は互ひに愛し合ふ仲にあつたものの、今は互ひの立場を賭け戦ふ二人の、しかも女。さういふ難しい関係性の成立を、いふまでもなく塾長に頼る訳には行かない中で、見事に物語世界の中に結実せしめてゐる。クライマックス、美智子×大黒、さゆり×本田の乱交が交錯する中、トリの濡れ場を登美子と直子の百合飾る構成には、よしんば決して高くはなくとも、一本の映画の中に於ける頂点がキチンと輝いてゐる。
 ここから先、ポスターには名前の載らぬ出演陣が、何気に、といふかある意味それ以上に豪華。ランダムにクレジットされる特別出演勢の中一応トップの鏡麗子は、大黒と本田行きつけのSMクラブ「クライマックス」目玉のショーで、めぐみを責める女王様。乳は出すが、声は別人のアテレコ。クライマックスの客の中には何と団鬼六先生が!しかも女王様に命ぜられためぐみの、「団先生、私を鞭で叩いて下さい・・・」といふ哀願を受け、めぐみを鞭打つ一幕まである、ポップにノリノリな鬼六先生が微笑ましい。
 その他高橋りなが、「守る会」メンバー。大和啄也は、北原子分格のAVスカウトマン・鈴木。殆ど顔も映らない亀谷英司は、雀とめぐみが宣材写真を撮影される件のチーフ・カメラマン役、ここまでがクレジット有り。更にまだ先があり、幼少時の雀を演ずる子役と、亀谷英司のアシスタント。更に更に、カメオ界のゴッド・ファーザー―何だそれ―飯島大介がクレジットもないまゝに、登美子の過去を知る人間の一人として直子の訪問を受ける、古道具屋・ケンさん役として大登場。
 さうかうしてゐると、最終的には今作最大のウイーク・ポイントといへば、矢張り愛染塾長のシベリア演技といつてしまつては正しく実も蓋もない。とはいへ、愛染恭子といふ一応の金看板なくしては、これだけの布陣は揃はなかつかも知れないとも思ふと、なかなかに複雑な心境ではある。

 ひとつどうしても通り過ぎることの出来ない余りにも愉快な、といふかいい加減なシークエンスは。「守る会」で採り上げられためぐみの陵辱AVに絶句、激昂した登美子は、めぐみ本人に撮影時の状況に関して事情聴取することに。別室にさゆりと真弓が北原を足止めする中、登美子と美智子に、体中につけられた傷も痛々しい下着姿のめぐみ。いたはるやうにめぐみの体を視線で舐めたかと思ふと登美子は、やをらブラジャーをたくし上げると乳首に接吻し、秘裂に指を差し入れると「貴女の大切なここを弄んだ男達に仕返しがしたいの・・・」。めぐみは北原からは口止めされてゐたものだつたが、快感に負け口を割る、何だそりや。女性の人権を守るもへつたくれもあつたものではない、若い女の裸に欲情した小沢先生が羽目を外し、なほかつその結果当初の目的も万事果たしたといふのである。我田引水といふか牽強付会といふか、ともあれいい加減にもほどがある。この大らかな桃色の蓋然性、それは果たしてプログラム・ピクチャーの豊かさなのか貧しさなのか、今はもう、答へを出さうと試みるのも億劫である。
 もうひとつ、返す刀で素敵にハチャメチャなのは。ノリノリの鬼六先生登場場面に続いて、本田・大黒も参戦し以降もひた続くSMショーの模様。赤子に扮した本田が舞台に上がり、麗子女王様に鞭打たれたかと思ふと、続いてモンローばりのブロンドの鬘を着けた大黒が、本田の母親役として登場。ビザール衣装の直子まで加勢して、親子陵虐の宴が、延々、呆れるくらゐに延々と尺をタップリ使つて描かれる。勿論、話の本筋には全く、清々しいまでに一切関係のない枝葉中の枝葉であることは、この期にいふまでもなからう。もしもより高次の知的生命体による、人間の存在の当否自体が争はれる裁きの場が開かれたならば、この映像が証拠として提出された場合、我々は負ける。

 以下は再見時の付記< 登美子が大黒と本田に、アダルトビデオ根絶といふ政策理念を説く件。登美子の台詞「未成年者の不法就労、レイプ製作現場のアダルトビデオは・・・」、とアダルトビデオは様々な犯罪の温床となつてゐることを説くのだが、どうも日本語がおかしい。そこは、「未成年者の不法就労、製作現場のレイプ、アダルトビデオは・・・」といふのが元々の脚本であつたのではあるまいかと推測する。塾長、仕出かされましたね(笑
 もう一箇所書き添へておきたいのは。話の本筋には清々しいまでに無関係な、延々展開される本田・大黒参戦後のクライマックスに於けるSMショー。ついつい加減した直子の鞭に、大黒は「もつと強く打たんかい!」と一喝。港雄一一流の迫力が、物凄くどうでもいいところで発揮される。


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 「変態の恋・蝶 -整形美容師-」(2007/製作:松岡プロダクション/提供:Xces Film/監督:松岡邦彦/脚本:今西守/企画:亀井戸粋人/撮影:岩松茂/照明:鳥越正夫/編集:酒井正次/助監督:竹洞哲也/撮影助手:伊藤祐太/照明助手:宮永昭典/監督助手:伊藤一平/音楽:山口貴子/出演:若林美保・水樹葉子・里見瑤子・世志男・小林節彦・サーモン鮭山・柳東史)。
 何故だかビデオ撮りの、蝶の形を模した凧が空を舞ふショットに、被せられる主人公のモノローグ「ワタシ、日本来レバ、アノ蝶ミタイ美シク生マレ変レルト思ッテマシタ・・・」。普通に本物の蝶を探して撮影は出来なかつたのか、といふツッコミは一旦さて措く。
 農家の長男・木村宏(世志男)が、支那で見合ひ結婚した日本名・雪子(水樹)を日本に連れ帰つて来る。日本の宏の家族は、すつかり惚けてしまつた父親(小林)に、弟・二郎(サーモン)と嫁の峰子(里見)。要は金目当てなのではないかと、二郎は雪子に猜疑を隠さうともしない。兄弟の間は、忽ち微妙な空気に包まれる。一年後、雪子に子供が生まれる。自分の両親にも孫の姿を見せてやりたいと、雪子は赤子と帰国する。ところが、そこから雪子の連絡は途絶えてしまふ。失意に沈む宏に、一ヵ月後再び来日したと妻から連絡が入る。木村家に戻つた、兄嫁の姿を見た一同は驚愕する。雪子は支那で占つて貰つた高名な占ひ師に勧められたからと、何と全身を整形し、名前も沙織(若林)と変へてゐたのだ。挙句に、子供は支那に残して来たといふ。木村家は、俄かに激震に見舞はれる。
 “エクセスの黒い彗星”松岡邦彦の、2007年第二作。何処から手を着ければよいのか、といふか、一分の隙なく正しく全篇を通して解き放たれた松岡邦彦の暗黒が銀幕はおろか、小屋をも揺るがさんばかりの勢ひで轟音を上げ業火を噴き上げる、超絶の怪作である。今村(昌平)映画が重喜劇であるならば、当サイトは松岡映画に、暗黒喜劇の称を冠したい。支那から連れて来た農家の長男の嫁が、子供ごと消息を絶つたかと思ふと、いふに事欠いてさういふ占ひの結果が出たからだなどといふ理由で、姿と名前を変へ帰つて来る。一体脳にどれだけの強い衝撃を受ければこのやうな物語を思ひつくのだ、といつた驚天動地であるが、本筋に限らず、その後の展開、単なる濡れ場ひとつ取つてみても満遍なく実に充実してゐる。
 弟に先を越された宏はAV狂といふ設定で、初夜に早速、嫌がる雪子に口唇性交を強要して眉を顰めさせるのは序の口。ある意味透き通るほどピュアに憧れのAVの世界を実践に移さんと、雪子にメイド服を着させ、ハイヒールを履かせたまま夫婦生活に及ぶ。宏の他愛ない変態性を理解せず素直に喜ぶ雪子は、「カワイイ服、タカイ靴買ッテクレタ」。続けて、「日本ノ家、靴イイカ?」と問はれるた宏は顔は雪子の女陰に埋めたままに、「夜だけはね」、これには普通に爆笑させられた。縦横無尽の松岡邦彦の絶好調に感服し、完敗するばかりである。細かな点では子供が生まれた際にも、未だ子宝に恵まれぬ峰子の複雑な表情をさりげなく差し挿む貪欲も眩しい。
 加へて完璧なキャスティングも、神懸つた光芒を放つ。まづ雪子役の水樹葉子、ザックリ譬へると白石加代子8:池谷早苗2の割合でブレンドしたルックスは、絶妙に支那人の女に見える。台詞も、片言でよいので表情さへそれなりに作れてあれば演技力は然程要請されぬ。恐らく、雪子も沙織も、どちらかは判らぬが何れかの女優―再見しての注:若林美保だ―が両方共アフレコしてゐる。輪をかけて絶妙なのが、沙織役の若林美保。雪子が美容整形した結果といふ設定が如何にもそれらしく見えてしまふのは、配役の勝利かそれとも映画の神の祝福か。ウッカリしたふりをして筆を滑らせてしまふと、実際にこの人張り物でもあるのだが。堅実な演技力でビリングの三番手をガッチリ守る里見瑤子に関しては論を俟たず、普通の役を演じてゐるのを久し振りに見たやうな気がする世志男も、AV狂ひで、やつとこさ支那から連れて来た嫁には翻弄される情けない役柄に見事にハマッてゐる。何より素晴らしいのがサーモン鮭山、後述する。
 再び来日はしたものの、姿と名前を変へた以前に、子供は大陸に残して来てしまつてゐる。二郎は、矢張り沙織には心を開かない。結局木村家に居場所をなくし―ある意味も何も当然だが―再び家を出た沙織は、韓国人マフィア・馳真人(柳)の下に転がり込む。最終的に沙織は馳に金を借り風俗店を開店する羽目になりつつ、沙織と馳の出会ひの一幕も奮つてゐる。面接がてら馳は強引に沙織を抱くと、乳を揉みながら、「コレヨク出来テルネ」。わはははは!手加減しろよ松岡邦彦。乳首を摘むと、「コレ硬イネ」、「コレ本物カ」。1カットたりとて手を抜かず、暗黒喜劇が唸りを上げる。ヤバい橋も渡つてゐるらしき馳が、矢鱈と物騒な電話を「最後ハ、喰ウカ喰ワレルカダネ」と締め括り場面が木村家へと移る変り際が、木村家で飼はれてゐる牛の画といふのも秀逸。
 失意に沈む兄を余所に、東スポの風俗面で沙織が風俗店を開店してゐることを掴んだ二郎が、兄を出し抜き沙織の店・中国エステ店「メリッサ」を訪れる件が今作の白眉。サーモン鮭山も持てる歪みを完全開放、強欲を露にし、肉体に加へ兄が支那に送金した財産の引き換へに、沙織の店の上がりを要求する。激怒した沙織と遣り合ふ修羅場には、恐らくは松岡邦彦は最終的には信用してゐないに違ひない、ありのままの人間といふ生き物の姿が描き上げられる。子供を食はせる為に金が必要だといふ沙織に対し、二郎は入管への密告をちらつかせると、摘発され金を失へば「子供を食はなきやならなくなるんぢやねえか?」。松岡邦彦もさうだが、今西守もまるで手加減といふものを知らないのか。あくまで楽しんで観てゐられる娯楽映画の枠内には止(とど)まつた上で、恐ろしいまでの踏み込みを見せる。圧巻といふ、言葉のほかにない。

 終始ノッペリと明る過ぎる撮影が映画を軽く見せてゐる感もなくはないが、これで画調が硬質あるいは暗目のものともなれば、いよいよ出来上がりが手の着けられぬほど壮絶なものとなつてしまふのかも知れない。だとするならばそれはそれで、案外とちやうどいい塩梅なのであらうか。人間といふ生き物のドス黒い邪悪な本性を、愉快なピンク映画として軽やかに活写する。松岡邦彦を、“黒い彗星”と称するところの所以である。
 他一名、二郎の急襲を受ける直前、メリッサから出て来るだけの若い客が見切れる。


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 「オヤジの映画祭」だなどと、最早どこまで本気で映画を売る気があるのやら。世間と刺し違へる覚悟でクロスカウンターでも放つつもりか一昨日からやつて来た明後日企画で、スティーヴン・セガール(以下セガ)の主演映画が、例によつて日本独自の“沈黙シリーズ”として三本続けて公開された。何にせよ、セガ映画が三本続けて劇場公開されるといふのも、本国ではビデオ(DVDか)ストレート街道を驀進する昨今、極東の最果てくらゐでしか起こり得ない椿事、あるいは珍事であるのかも知れない。そんなセガ、当年とつて56歳。

 「沈黙のステルス」(2007/米・英・ルーマニア合作/製作:セガ、他/監督:ミヒャエル・ケウシュ/脚本:セガ、他/原題:『FLIGHT OF FURY』/主演:セガ)。「ドラゴン怒りの鉄拳」を髣髴させる、といふか当然にそこから取つて来たのであらう、原題だけならば頗るカッコいい。
 折角御国の為に働いたのに、非情な国家からは使ひ捨ての歯車として記憶を消去(それもいきなりどういふ作業だ)されようとしてゐたところを、それでは堪らんと隔離施設を脱走するセガ。そもそも、あのセガをどうやつて隔離し得たのかといふ話でもあるのだが。施設の敷居を内から外へと跨ぐ件が、いきなり奮つてゐる。施設から外へ出るトラックの下部に、潜り込むセガ。も、出発前の最後の検問では、兵士が鏡の付いた棒状の道具を使つて、トラックの下部まで調べてゐる。何故かセガは見付からない。ゲートを通過するトラックをカメラが上から捉へると、セガは荷台の屋根にへばりついてゐる。それは強力に目立つだろ。
 一方エドワーズ空軍基地。最新鋭のステルス戦闘機X-77の試験飛行中に、テロリストに買収されたテスト・パイロットによつて、X-77は強奪される。この、X-77の最新鋭を通り越した超新鋭ぶりが凄まじい。能動“アクティブ”ステルスと称され劇中では「電磁パルスを機体周囲に展開させることにより」とか何とか説明されるが、早い話が要はいはゆる光学迷彩。起動させるとレーダー補足はおろか、目視でも不可視となるといふ正しくトンデモ・スペックである。
 どうにかX-77がアフガニスタンに着陸したところまでは押さへた空軍は、X-77の奪回に、居合はせたコンビニ強盗を殲滅してポリスの御厄介になつてゐた、セガに白羽の矢を立てる。SR-71ブラックバードでアフガンへと向かふセガ、ともう一名。ところで、ブラックバードは旧世紀中に退役してゐる筈だが。復役させたのか?
 一方空軍将軍は、セガらがX-77の奪還に失敗した場合に備へて、海軍提督にシングルモルトのスコッチ1ケースと引き換へに要請を支援。最悪の場合X-77もろとも付近一帯を壊滅すべく、飛び立つ海軍の爆撃機。

 X-77の底抜けた超機能の他は、実はそれ程大きく足を踏み外したところも箍の外れたところもこれといつては見られない、その点では所々がどうにもルーズながらそこそこに纏まつてはゐるものの、その分却つてツッコミ処にすら欠ける如何にもな全方位的B級作。アクション・スターとしてセガは今回致命的に体を動かしてをらず、正味な話セガール拳の見せ場にすら事欠き気味。どうせ素手で既に銀河系最強設定なので、銃を持つたセガのドンパチなんて別にどうでもいいのだ。流れるやうな動きで見栄を切るショットくらゐ、二度三度は見せて欲しい。強ひて見所を挙げるならば、新撮されたものではなく、明らかに他のシーンとは画面のルックの異なるものの、在りものの実機の飛行映像がそれなりにふんだんに見られはするところと、敵の中ボスのオパーイが拝めるところくらゐか。間一髪のところでセガらはX-77の奪回に成功したにも関らず、結局海軍爆撃機は一帯を焼け野原にしてしまふところなど、パックス・アメリカーな具合が最早ゴキゲンである、とでも思はないとやつてられない。頑強、あるいは病膏肓に達したセガファン、実機の飛行映像があれば御飯何杯でもイケてしまふ戦闘機マニア、あるいはどんなB級アクションとて、大スクリーンで観られればそれで満足出来るといふ筋金入りの映画中毒者以外には、決してお勧め切れない一本である。



 空に挑んだ「沈ステ」に続いては、“オヤジ、超人に挑む。”と謳はれた「沈黙の激突」(2006/米・英・ルーマニア合作/製作:セガ、他/監督:ミヒャエル・ケウシュ/脚本:セガ、他/原題:『ATTACK FORCE』/主演:セガ)。最早原題から、早くもどうしやうもない感が濃厚に漂ふ。
 新種の合成麻薬CTX。中毒者は、どういふ訳だか超人的な戦闘力を有する殺人マシーンと化す。CTXの開発を隠密裏に進めてゐた軍の研究所を警護してゐた因縁で部下を失つたセガは、CTXで殺人兵器と化したユニ・ソル軍団と、人外の死闘を繰り広げる。
 要は順番は前後するものの「沈ステ」と同じ人間の監督作といふことで、どうでもいい物語が所々で綻びは見せつつも、かといつて大袈裟に転んで見せてすら呉れずにある意味淡々と西から一昨日へと流れて行く、矢張り凡庸で退屈な全方位的B級作。正直こんな代物を、まんじりともせず観てゐられる自分がこの期に不思議ですらある。これが日々のピンクスとしての修練の賜物であるならば、一体私は何と戦つてゐるのか。“セガール史上最強の敵”と持ち上げられるCTX軍団も、戦闘力は高いのか低いのかよく判らないが、たつた一人のマーシャルアーツ・スター、あるいはエッジの効いたアクション・コーディネーターも擁しない布陣の線はどうにも細い。あちらこちらでの含みの持たせ方といふか匂はせ具合、殊に冒頭研究所を襲撃した賊が使用してゐたものと(多分)同じナノ・テクノロジーを使用した超近代ナイフを、セガに決戦兵器として差し出した辺りで、てつきりセガの部下兼恋人で、CTXの共同研究者でもあるティア(リサ・ラヴブランド)が事件の意外な黒幕なのかと思つて観てゐたところも、結局さういふ観客のミス・リーディングも無し。セガール拳の見せ場はそこそこに溢れるものの、CTXの効果を表現してゐるつもりなのか、淫らに挟み込まれるフラッシュ・バックは強力に邪魔だ。敵も味方も無造作に死んで行くクライマックスの中で、結局セガ以外に生き残る唯一の隊員が東洋人であるといふのは、日本市場に対する配慮か。敵味方殆ど双方全滅した上で、一応の一件落着といふことでセガの運転する車が来た道をブーッと戻つて行くショットから、一切何も付け加へられずにそのまま字幕が流れ始める投げやりなラストには、潔い清々しさすら感じられる。

 とはいへ公式サイトのプロダクション・ノートには、監督のミヒャエル・ケウシュがセガの為にラストを書き直して、ジョークを一節付け加へた。とかいふ記載が見られるのだが、それは一体何処に行つたのだ?
 あともうひとつ、今作に関して明後日の方向で特筆すべきは。どういふ次第なのだかまるで理解出来ないが、通常の同録とアフレコとを併用してゐるのか、いきなり冒頭の初登場シーンから、セガの声が別人の箇所が結局全篇を通して、結構な数散見される。漫然とした粒の小さな物語の中で、一種のアクセントとして機能しないでもない。そこにまで傾ける、注意力が残されてゐたならば。



 「オヤジの映画祭」に棹尾を飾るあるいは止めを刺すは、“沈黙シリーズ”遂に完結 !? なんて心にもない惹句が躍る、「沈黙の報復」(2007/米?/製作:セガ、他/監督・撮影監督:ドン・E・ファンルロイ/脚本:ギルマー・フォーティス二世《公式サイトにあるジル・フェンテスてのは誰だ》/原題:『RENEGADE JUSTICE』/主演:セガ)。原題を訳すると、正義の氾濫、もとい正義の反乱とでもいふことになる。序に今作では、オヤジは死に挑むことになつてゐる。次は、宇宙か時間にでも挑んで呉れよ。
 ギャング同士の抗争に荒れるイースト・ロス。一人の刑事が、悪党の凶弾に倒れる。但し悪党は知らなかつた。刑事の父親は、何とセガだつたのだ。組織の目的も、誰が命令を下したのかも知つたことではない。ただ息子を撃つた実行犯を捜し出し、殺す。最も治安の悪い一帯の、酒屋二階の安アパートに居を構へたセガは、息子殺害の実行犯のみを標的としてゐる筈なのに、みるみる死体と瓦礫の山とを築いて行く。
 今回のセガは、刑事でもなければ軍人でもない。FBIやCIAの類の工作員でも、伝説の凄腕でも何でもない。いはば市井の犯罪被害者の一遺族が、純粋に息子の死を贖はせる為だけに大暴れする物語である。目的は息子を殺した人間を殺すこと、即ち全く以て純然たる復讐で、返す刀で序にギャングを一掃して街を綺麗にするだのといつた、余計な社会正義には一瞥だに呉れない。毒を以て毒を制すといふか、毒を制しに鬼が出張つて行くやうなものである。最早清々しいまでのアンチ・ヒーローぶりである。といふか、セガの職業は、劇中終には明示されない。矢鱈と強い、といふか野砲図に強過ぎる無敵設定は何時ものことなのでさて措くにしても、ハイテク探査装置や市街戦でも展開する勢ひで重火器を揃へてみせる財力とコネクションとを鑑みると、一歩間違へれば(劇中世界の中で)セガ自体が既に堅気の人間でないのかも知れない。(ギャングよりも)「俺の方がワルだぜ」といつた台詞や、息子が刑事とはいへ、妻とは離婚してゐた、他にも息子と過ごす時間は余り持てなかつたといつたキャラクター設定は、さういふ推定に関する傍証たり得るであらうか。
 全てはセガを心ゆくまで暴れさせる為だけにしても、破天荒にも程があるプロットに関してはひとまづ等閑視すると。今作にはメキシコ人ギャングや人種差別的な白人不良グループも少しは登場するものの、悪党のメインは、何処までネーム・バリューのある人なのかは知らないが、エディ・グリフィンをリーダーに据ゑる、悪徳警官と結託した黒人ギャングである。といふことは要は、例へばセガ映画でいへば「DENGEKI 電撃」(2001/監督:アンジェイ・バートコウィアク/製作:ジョエル・シルバー、他)と同じやうな、今時ブラックスプロイテーションである。今時とはいへ、今でも相変らずかういふジャンルが受けてゐるのかどうかもよく判らない。相変らず、矢張り彼の地では一定数の商業的成果が保障されてゐるやうな気も、しないではないが。ともあれ個人的には、正確には何と称すればよいのか判らないのでザックリいふとHIP-HOP系の音楽も纏めて好きではないこともあり、柄の悪い不良黒人が下品な英語でピーピー喚き散らしてばかりのドラマは、少なからず苦手なところではある。
 今作殆ど唯一の収穫は撮影。美しく荒れた画調は(35ではなく、16ミリらしい)、何もかもが最後にカッコ良かつた時代を想起させる。下手に処理してゐる分、回想パートの方が画面がクリアになつてしまふといふ、訳の判らない屈折は御愛嬌である。とはいへ、肝心のアクション・シーンに入ると。最早セガは、どうやらどうにもかうにも動けなくなつてしまつたのか、コマとコマとの間のカットを始め誤魔化し三昧で、元々人を煙に巻く機能性が肝のセガール拳とはいへ、画面が余りにもゴチャゴチャで何をやつてゐるのだか殆ど全く判らない。それ以外のドラマ部分はオーソドックスな、おとなしくも的確なカメラ・ワークに徹してゐるだけに、アクションが始まると映画が乱れてしまふといふ、アクション映画としては致命的な情況を呈してしまつてゐる。その上でなほ、全般としての撮影はウットリと映画を感じさせて呉れる素晴らしいものであるのだが。後もう一つ気になつたのは、セガ自体の衰へを微妙に映画の中に採り入れたのか、劇中セガの手数が若干増えてゐるやうに、今回は見えた。これまではメキョッと片手で首の骨をヘシ折つてゐたところを、両腕でシッカリと、しかも時間を掛けて絞めて止めを刺す、といつた具合に。
 心に残つた名台詞がひとつ。銃を持つた黒人ギャングに、取り囲まれるセガ。「不運な野郎だぜ」と鼻で笑ふギャングに対し、例によつて一瞬の早業で銃を奪ひ取る前に、セガが余裕綽々と言ひ返す一言。「いいことを教へてやる。運は、瞬きする間に変る」。何をヌカしてやがんだとギャング達がポカンとしてゐる隙を突いて、パッパッパッと光速を超えた早業ならぬセガ業で、銃を奪ふ。これはカッコいい名シーンだ。

※ここからは、一部ネタバレにつき伏字
 ギャング組織自体には興味は無い、俺の目的は息子を殺した犯人を捜し出して、殺すことだけだ。とはいひながらも、結局セガは何時もの愉快痛快な無敵ぶりを大発揮して、憐れな悪党共を虫ケラの如くジェノサイドして行く訳だが。クライマックス、派手なドンパチの果てに<終にセガは辿り着いた息子殺害の実行犯である悪徳警官を始末する。すると、そこで気が済んだのか、更なる巨悪である筈のギャングのボスは見逃して>、スタスタと悠然と歩き去つて行くのである。そんなセガの背中に、エディ・グリフィンが「ギャング・スターだぜ」といふ賛辞を呟きで投げるのがオーラスである。この際改めてハッキリいふが、ラストがこんなにいい加減な映画といふのも、滅多に観たことがない。小林悟にも匹敵する破壊力である。さういふ大いなる投げ放しが、それでも大らかに成立してしまへるのも我等がセガならではである。といふならば、贔屓の引き倒しにも過ぎるであらうか。
 珍しいのは、セガがギャングのボスの銃弾を喰らつて昏睡するシーンがある。とはいへカットが変ると、大家の従姉妹の看護士の手当てを受けコロッと目を覚ますのだが。眠つてゐたのは、せいぜい七時間か。



 詰まるところは三本甲乙つけ難い、といふか三本共全て丙だといつてしまつては、正しくそこで話も終つてしまふのだが。ここから先は、純然たる一ファンとしての繰言である。セガ映画なんて観たら観たで、といふか半ば以上に観る前から、どうせよくて別に大して面白くもない映画、悪くすれば地雷を踏む羽目に陥つてしまふことくらゐならば判つてゐる。セガ本人にも、態勢としてのプロダクションにも、昨今衰へが顕著であることは、性懲りもなくセガ映画に付き合つて来た我々は、勿論身に染みて知つてゐる。その上でなほ、あくまで個人的には。一年に一本くらゐは、銀幕にセガの雄姿を拝んでおきたくもなつてしまふところである。今回三本纏めて観たので、あと二年はもうお腹一杯、なんて尻の穴の小さなことは私は言はない。相変らずのセガ映画が、相変らず“沈黙の”何とかといふ適当極まりない邦題で公開される。世の中には、そんな変らないものも残されてゐていいのではないかと思ふのだ。加へて、特に映画になんて全く詳しくなくとも、タイトルに“沈黙の”とついてあれば、即ち誰しもが「ああ、スティーヴン・セガールのアクション映画なんだな」と判る。それは実に、素晴らしく鮮やかなことではないか。


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 「魔乳三姉妹 入れ喰ひ乱交」(2007/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/監督:浜野佐知/脚本:山邦紀/撮影・照明:小山田勝治/撮影助手:大江泰介/ 照明助手:加藤真也/助監督:横江宏樹・小山悟/音楽:中空龍/キャスティング協力:株式会社スタジオビコロール/出演:北川明花・安奈とも・風間今日子・吉岡睦雄・なかみつせいじ・平川直大)。
 荒木太郎でもあるまいに、8ミリ撮りの何処だかの田園風景に続いて、和服姿の北川明花の濡れ場で開巻。又この娘も、恐ろしく和服が似合はない。それはさて措き、少しオッパイが大きくなつたやうに見えるのは気の所為か。
 御馴染み浜野佐知の自宅に住む、理系大学生の三女・入奈(北川)と教師の長女・織葉(風間)。もう一人、重たく余裕の無い夫の愛に嫌気が差して実家に戻つて来た次女・雅美(安奈)、を加へての根本三姉妹。入奈には大学院生の彼氏・曽我則天(吉岡)が、織葉は根本家出入りの会計士・光川敏彦(なかみつ)と男女関係にあり、光川は織葉との、結婚も考へてゐた。近代的な一夫一妻制に疑問を持ち古代女性史の研究を始めた入奈は、同じ女を抱いた男が兄弟と称される、いはゆる“穴兄弟”の、逆バージョン乃至は女性版、即ち、一人の男を複数人の女が共有することによる、“マンコ・シスターズ”なる概念を提唱する。一応お断りしておくと、マンコ・シスターズといふ用語は、実際に劇中で連呼される。自分が雅美や織葉と寝るのか、と当然な困惑を隠し切れぬ曽我に対し入奈は、自分が姉の男達と関係を持つので、曽我にはその記録役たることを求める。
 いはんとするところは判らぬでもないが、棹姉妹あるいは摩羅姉妹とでもいふならばまだしも、選りにも選つてマンコ・シスターズなどとは何事か。山邦紀の趣味性と片付けてしまつてもよい、見たことの無い強烈な変化球が火を噴いたところまでは良かつたが、残念ながらそこから先は木端微塵。旦々舎にしては珍しく凡そまともな商業作たり得ない、ストレートな失敗作となつてしまつた。
 「一本の摩羅に繋がつて姉妹の意思が意識的に交信されるか」、とかいふ研究テーマの下に実地に移さんとマンコ・シスターズ論を振り回す入奈と、能天気な近代人を自認する雅美の夫・桑井銀一(平川)や、観念を現実生活に持ち込まうとする弊を諫める雅美との対比もしくは相克が描かれた辺りまでは、それでもそれなりに順当でもあつたものの。一度は姉に拒まれた入奈が退場したところで始まつた雅美と桑井との夫婦生活に、のこのこ下着姿で戻つて来た入奈を、何故だか雅美が受け容れてしまつてからが酷い。一切の整合性と訴求力とを失つた場当たり的な展開が連ねられるばかりで、何処にも着地を果たさないどころか、そもそも一本の筋の通つた物語としての体すら為してゐない。女がセックスの主導権を握る、といふ浜野佐知の立場性がミニマムなデフォルトとして最低限満たされてあるだけで、仔細の成り行きは、入奈の下を去る際に曽我が残して行つた台詞通りに、主人公の過てる観念が、親しい人を傷付け、親しい関係を根本から破壊したやうにしか見えない。
 終始物憂げな織葉が、何時の間にやら囚はれてゐる、実在も定かではない根本家の故郷“根深の里”に抱く積極的な憧憬も、まるで機能不全。映画を無理矢理締め括る、といふか締め括れてゐない入奈の、「私にとつてこの東京が、根深の里なのかも知れない」といふラストの台詞に至つては全く理解出来ない。

 “魔乳三姉妹”といふネーミングには、事前には強力にそそられたものだが。最終的に物語は支離滅裂なままでも、せめてここは、三機ならぬ六個によるオッパイ・ジェット・ストリーム・アタックだけでも押さへておくべきではなかつたか。それが商業作家としての、良心といふものでもあらう。調子に乗つて大風呂敷を拡げたまではいいものの、一切収拾もつけられずに無様な醜態を曝してしまつた山邦紀の失敗を、挽回する浜野佐知の馬力は今回甚だ残念ながら発揮されなかつた。


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 「京女、今宵も濡らして」(2002/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:岡輝男/撮影監督:小山田勝治/助監督:城定秀夫/音楽:レインボーサウンド/監督助手:田中康文/撮影助手:長谷川卓也・赤池登志貴/タイトル:城定タイトル/出演:沢木まゆみ・小川真実・佐倉萌・久須美欽一・柳東史・竹本泰志・なかみつせいじ・加藤愛子・丘尚輝・城秀夫)。
 舞台は京都、平安時代より続く、近親結婚を繰り返し口寄せの家系を守り続けて来た女系家族・由良家。口寄せとは、要は恐山のイタコといつた、交霊、あるいは降霊術の類である。狙つた―現世で生きてゐる―対象者に、念ずることによつて攻撃を加へる、といつた羽目外しも、今作に於いては見せてもゐるが。家長の寿美子(小川)が由良家の跡取りにと目する次女・雅子(沢木)は、和服デザイナーとして活動すると同時に潜在的な口寄せの能力にも長けてゐたが、歪んだ、暗い血の因習を忌避。外の男である康雄(竹本)と結婚し京都を離れることを望むも、康雄は、半年前に変死を遂げる。
 同年一月末にデビューを果たして以来、三月にして早くもの加藤義一第二作。七月に矢張り沢木まゆみを主演に据ゑた、心に染みるラブ・コメのタイトルから素晴らしい傑作「スチュワーデス 腰振り逆噴射」を経て、十月には新東宝深町章の昭和初期猟奇譚の向かうを張る、「いんらん夫人 覗かれた情事」(脚本:岡輝男/主演:水沢百花)を発表。正しく矢継ぎ早の快進撃を見せる。因みにさうかうしながらも、相変らず小川欽也や新田栄の助監督を同時にこなしてゐたりなんかもする。
 終始ニタニタ笑ひに“第六、あるいは第七のドリフ”すわしんじばりの奇声を上げる怪演に徹する柳東史は、雅子の兄・歌名雄。佐倉萌は歌名雄の妻・千鶴。ところが歌名雄は寿美子の助手・田口哲平(城秀夫)と同性愛の関係にあり、千鶴は結婚以来、夫に抱かれることはなかつた。加藤愛子は、口は利けず少々知能の発達に遅れも見せつつ、何処の男の種とも知れぬ子を孕んでしまつた雅子の姉・美也子。寿美子は美也子が当てには出来ない為、由良家の存続を、本人にはその気が無い雅子に託す。ところで加藤愛子の、加藤姓が気になる。公開当時、今作は加藤義一の京都の実家で撮影した、とかいふ話に何処かで触れたやうな覚えがあるのだが、今回確認は出来なかつた。久須美欽一は、寿美子の怒りを買ひ、呪術によつて寝たきりの体にされてしまつた雅子の父・重造。口寄せの家系を厭ふ雅子に理解を示しながら、同時に雅子が京都を離れることには意外と元気な濡れ場も交へて頑強に抵抗する。十重二十重に雅子を絡める重層的な束縛を描いた展開は、何時もの岡輝男ののんべんだらりとはまるで別物。
 そんな岡輝男の俳優名義丘尚輝は、死んだ恋人の残した財産目当てに、寿美子に口寄せを乞ふ長谷川純平。口寄せの過程で小川真実の濡れ場をこなしつつも、長谷川は、実は千鶴と通じてゐた。口寄せは功を奏し手に入れた金を元に、千鶴と長谷川は京都を離れようとする。但し二人の目論みは秘術により寿美子の知るところとなり、街を捨てんとする千鶴と長谷川を、歌名雄と田口が襲ふ。なかみつせいじは、亜成呉服屋御曹司の平間哲二。雅子の着物デザインを評価し、一緒に京都を出ようと雅子に接近する。序盤中盤で、設定の紹介と千鶴を片付けるところまでをこなし、起承転結でいふと転部で平間が登場。ここからが素晴らしい。先に触れた重蔵と雅子の濡れ場を経て、秘められた真実の存在を、寿美子は雅子に仄めかす。全篇を通して、如何にも魔女然とした小川真実の好演がここで最も光る。決して望みも好みもしないままに、生来の秘術を駆使し、雅子は終に康雄の死の真相に辿り着く。最終的にはどうにもかうにもならない、バジェット上不可避な部分も差し引いた上での全般的な映画としての普請の安さは沢木まゆみの濡れ場の充実感で適宜挽回しつつ、歪んだ運命の連鎖に絶望し翻弄されたヒロインが、忌避した筈の暗い血の慣はしを因襲するに至る展開は、改めて観てみたところ結構充実してゐる。雅子の陶酔“トランス”をそのまま濡れ場に連動させるオーラスは、プログラムされた要請以前に映画の締め括りとして見事に鉄板。丹念な演出と周到な構成力とを武器に、出来得る範囲内一杯一杯で、加藤義一は古都を舞台とした重く暗い、逃れようのない宿命の物語をモノにしてゐる。初見時には安さあるいは薄さが目につきもしたが、改めて実に満足出来た。


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 「欲情教師 狂ひ抜き」(2003『教へ子と教師 いたづら秘め恥ぢめ』の2006年旧作改題版/製作:杉の子プロダクション/提供:オーピー映画/監督・音楽:杉浦昭嘉/脚本:飯原広行・杉浦昭嘉/撮影:芦澤明子/照明:奥村誠/編集:酒井正次/助監督:小川隆史/監督助手:笹木賢光/撮影助手:斎藤和弘・新家子美穂/照明助手:糸井恵美/現場応援:広瀬寛巳/出演:水樹桜・小林達雄・林由美香・岡田智宏・風間今日子・国沢実)。
 高校教師を定年退職した丸尾達治(小林)は、世帯は完全に分かれた二世帯住宅で息子・克之(岡田)、恵子(林)夫婦と同居してゐる。妻とは早くに別れた達治の楽しみは、息子夫婦の生活スペースに仕掛けた盗聴器で二人の様子を覗き知ることであつたが、長くセックスレスの状態にあることに、出歯亀ながら頭を悩ませつつもあつた。ある雨の夜、元教へ子の有川加奈(水樹)が、不意に達治を訪れて来る。結婚も考へぬではない好きな男性が居るものの、どうしてもセックス恐怖症が克服出来ずにゐるといふのである。達治は既に勃たなくなつてしまつてゐたが、加奈の為に一肌脱ぐことになる。
 息子夫婦の不仲と、元教へ子のセックス恐怖症。如何にもピンク映画に相応しいプロットが、二本丁寧に交錯する構成は何といふこともないままに素晴らしく手堅く纏まつてはゐる割に、今作を良作への成就すら妨げるのは、似たやうなことばかりいつてゐて詮なくもあるが、「熟妻交尾 下心のある老人」(2006/監督:新田栄)を矢張り阻害した小林達雄のレス・ザン・魅力。唯単に歳を喰つてゐるといふだけで、一欠片の華も重みも持ち合はせぬこの男に、一本の映画を背負はせることは土台通らぬ相談であらう。加奈のセックス恐怖症の件は、相手役が小林達雄であるだけにひとまづ等閑視することにして。克之夫婦の不仲篇に於いては、作劇上の勘所に於ける自ら手掛けた音楽の、正しく一撃必殺の覚悟を以てした効果的な使用にも加速され、杉浦昭嘉が誠実に志向したエモーションの成就は、部分的にではあれど着実に成功してゐる。プロットの二本柱に加へて、老いてなほの性の悦びまで物語に加味するに至つた日には、杉浦昭嘉のキャリアを決定づける傑作たり得てゐた可能性も感じられただけに、達治のところにもう少しまともな役者を据ゑられなかつたものかと、重ね重ね残念な一作である。

 風間今日子は、克之が通ふお洒落健康「脱ぎつ子クラブ」の“パイデカ”ちやんことナツミ。恵子が「脱ぎつ子クラブ」のスタンプ・カードを見付け、夫婦喧嘩が勃発する。劇中ではスタンプ・カードが残り三回で一回サービスの満回に達すると語られるが、画面上に映し出されるスタンプ・カードは、残り五回であるやうに見える。スタンプ・カードが大蔵直営館のものに見えたのは、小生の気にし過ぎか。下手すると監督業よりも達者な脇役仕事ぶりを見せる無印国沢実は、予め冒頭に伏線も張られた上克之宅を訪れる電気屋。克之のヘルス通ひを知り荒れる恵子に、衝動的に迫られ余得を与ることになる。恵子の電気屋との不貞を、克之は達治の盗聴器を通して知る。激昂する克之ではあつたが、結局どうすることも出来ずに、逃げるやうに「脱ぎつ子クラブ」に向かふ。これまで通して来たパイロットであるといふ嘘も告白した克之を、愛ほしむやうにナツミが恵子の下へと戻るやうに諭す件が、自音楽がスパークする二段構へのエモーションの第一、克之と恵子との仲直りが第二。そこから先、加奈がセックス恐怖症を克服するところで更にもう一段押し上げた第三弾として頂点を迎へられなかつた点はどうにも惜しいが、そこは最早一旦さて措く。“ピンク界のジョン・カーペンター”杉浦昭嘉のフニャフニャしたシンセを主とする音楽は、フニャフニャしながらも、そこには明確な、誠実な映画的エモーションへの志向が感じられる、やうに個人的には思へる。そんな杉浦昭嘉が、2005年の「ラブホテル 朝まで生だし」以来新作を発表してゐない、あるいは出来ずにゐる点は、市井の一ファンとして気懸りなところではある。
 最終的には成就し切れなかつた今作を、局所的にではあれ音楽以外にも飾るのは、史上最強のピンク映画の五番打者・林由美香のポップ&キュート。序盤、克之を求めながらも全くその気のない夫にむくれる恵子、発覚した克之のヘルス通ひに荒れる恵子。電気屋を殴り飛ばさうとした克之は、かはされて無様に転げ倒れる。トボトボと何処へともなく歩き始める克之を、ピントも合はぬ画面奥から呆然と見送る恵子、即ち林由美香の佇まひ。全体的な完成度はひとまづともあれ、突発的にはあつても画面の強度、もしくは輝度を増さしめる確かな実力が、豊かに光る。柔らかく美しい芦澤明子の画作りも、杉浦映画の肌触りには上手く合致してゐる。

 加奈のセックス恐怖症は、高校時代のレイプ被害によるものだつた。そこそこ台詞も芝居もあるままに、クレジットもされない他二名が、加奈を犯した男達として見切れる、片方は杉浦昭嘉か。

 以下は再見に際しての付記< レイプ魔ン二人組の内、後部座席の偽装盲腸が杉浦昭嘉。但し、相方が助手席に座つてるとなると、ワゴン車を運転してる人間の頭数が足らないよね。


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 「川奈まり子 桜貝の甘い水」(2002/製作:小林プロダクション/提供:オーピー映画/監督・脚本:小林悟/撮影:小山田勝治/照明:岩崎智之/編集:田中治/録音:中村幸雄/助監督:竹洞哲也/スチール:佐藤初太郎/音楽:竹村次郎/録音助手:梅沢身知子・織本道雄/タイトル:ハセガワタイトル/現像:東映化学《株》/出演:川奈まり子・斎藤ゆりこ・牧村耕二・薩摩剣八郎・坂入正三)。
 生涯に四百本強の監督作を残し、前年十一月の今作―公開は明けて三月初頭―撮影二日目に倒れ、そのまゝ三日後に死去。正に文字通りの壮絶な戦死を遂げた、“御大”小林悟の遺作である。残りの仕上げは、小山田勝治と竹洞哲也で行つたとされてゐる。

 開巻、歌子(川奈)は電車で痴漢に遭ふ、痴漢氏は坂入正三。走行中の実車輌内での撮影につき、頗る見るに堪へないキネコ画面が、更によくいへば粘着質を以て、直截にいふと延々続いてのけるのはどうにも心苦しい。この期に瑣末なリアリティ如き、最早どうでもよかつたではないか。映画としての潔さに、徹してゐて欲しかつた感は強い。そこそこの洋邸に帰宅した歌子は早速床に就くと、そゝくさと眠つたまゝ自慰に耽り始める。同居する妹夫婦・聖子(斎藤)と村山(牧村)が姉の帰宅した様子に寝室を覗き、絶頂に達し大量の潮を噴き始めた歌子を慌てて世話する。
 明確に説明が足りないゆゑ最初に粗筋を整理すると、元々聖子と交際してゐた資産家―全く登場しない―は、姉の歌子に乗り換へるものの、歌子は結婚後奇病に罹患。処置に困つた資産家は歌子を聖子夫婦に預け別居。聖子と村山は、資産家から金を引き出しながら歌子の世話を続けてゐるとかいふ次第。そこでその問題の歌子の奇病とは、性ホルモンに異常を来たし、性的興奮に伴ひ体内に溜まつた水を、絶頂とともに大量に放出するだなどといふもの。うん、確かに奇病だね。晩年小林悟と親交の深く、今作にも登場する薩摩剣八郎氏の公式サイト内特設頁によると、既に膀胱癌を患つてゐた小林悟が、自らのX線写真から想を得たとのこと。今村昌平の「赤い橋の下のぬるい水」(2001)の翻案であるともいはれるが、勿論小生ドロップアウトそちらの方は未見につき、その点に関しては潔く通り過ぎる。歌子の奇病に関して加へると、万が一絶頂に達し損ねた場合、そのまゝ悶絶死してしまふらしい。最期の作品にしてなほ、清々しいまでの御大ビートである。
 伝へ聞くところによれば小林悟といふ人は、自脚本による撮影に挑む場合、事前にはザックリとしたプロットだけを用意して、残りは撮影しながら適宜詰めて行く手法を採るとのこと。よつて撮影中途で退場した今作に於いては、ただでさへ薄い脚本が満足に補完されるでなくといふかそもそも補完しやうがなく、一応そこだけ掻い摘めば成程充実してもゐる、全盛期川奈まり子の自慰シークエンスで尺をひたすらに繋ぎつつ、説明不足の始終が右から明後日もしくは一昨日へと流れて、行く更に途中でプッツリと幕を閉ぢる。聖子夫婦が買ひ物に出た隙に、痴漢氏が洋邸に忍び込み歌子を犯す。帰宅後姉の異変に気付いた妹夫婦は主治医(薩摩)を呼び、翌日主治医の指示で捜し出した痴漢氏に再び歌子を抱かせ、歌子が絶頂に達したところで生命の危機を脱する、といふのが一応のラストではある。かうして纏めてみると、それなりに物語の体を為してゐるやうに聞こえかねないかも知れないが、実際の映画はといへば、省略されるにもほどがある起承転結が転で投げ出される、といふよりは寧ろ、力尽きでもしたかにすら見える。さう考へると、撮影半ばにして終に帰らぬ人となつた小林悟の姿を、ダイレクトに反映したといへるのかも知れない。ポスターには、通説によるとピンク映画第一号とされる「肉体の市場」(昭和37/製作:協立映画/配給:大蔵映画/監督:小林悟)より四十周年となる旨が謳はれる。ピンク四十周年を自ら飾るべく、既に癌を発症した病躯に鞭打ち正しく決死の覚悟で今作に挑んだことも想像に難くはないが、そこが小林悟のいいところなのか悪いところなのかは兎も角、さういふ鬼気迫る必死といつたものは、出来上がりからは微塵も窺へない。何時もの御大映画を何時ものやうにいふならば撮り流しながら、小林悟は死んだのである。小林悟といふそれはそれとして偉大な筈の映画監督の全貌を未だ掴みかねる今は、たださう記しておくに止(とど)める。

 他に仕事をしてゐる形跡の見当たらない斎藤ゆりこ、寝ても形の崩れぬオッパイは絶妙な大きさの割には張り物臭いが、鼻筋の通つた容姿は演出に因つては冷たくも見える反面、表情を崩すと途端に女性的な温かさも零れ、演技力は些かならず伴はないにせよ、なかなか綺麗な女優さんではある。村山との初登場カット、そこそこの洋邸に住んでゐるのに、居間でコンビニから買つて来たまゝの菓子パンと缶ジュースを、モソモソ袋食ひしてゐる画は、再見してみても矢張り奇異に映る。ついでに村山との一度きりの濡れ場で、カーテンに影を映してしまつたオッチョコチョイはあれは一体誰だ。歌子主治医役の薩摩剣八郎、甚だ悪い滑舌と普段からゴジラの着ぐるみを着用してゐるかのやうな大仰な身振りで、聖子夫婦を叱責する様は御愛嬌である。


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 「鬼の花宴」(2007/製作・配給:新東宝映画株式会社/監督:羽生研司/脚本:吉野洋/原作:団鬼六『鬼の花宴』《幻冬舍アウトロー文庫刊》/プロデューサー:寺西正己・浅木大/ラインプロデューサー:寿原健二/撮影監督:創優和/助監督:泉知良/縄師:桜妓揚羽/音楽:Yoshizumi/演出助手:江尻大、他一名/撮影助手:宮永昭典・池田昌平/照明助手:竹洞哲也、他一名/製作協力:フィルムワークスムービーキング/出演:黄金咲ちひろ・松本亜璃沙・加治木均・宮路次郎・山本剛史・松浦祐也・佐野和宏)。
 地方紙・日報新聞広告部長の岡本(加治木)は、伊織竜介として小説家の顔も持ち、日報紙上に連載を持つてゐた。編集部員として全国紙から何故か日報新聞に移つて来たミステリアスな才媛・久美子(黄金咲)は、伊織のファンであると岡本に接近する。妻・静代(松本)との間では不能であるにも関らず、岡本は久美子に誘はれると案外ホイホイ関係を持つ。日報新聞の主要広告主である新興宗教団体崇徳教教祖・吉岡(佐野)の、過去に性犯罪の容疑者として捜査対象となつてゐたといふ醜聞を久美子がスッパ抜いてしまふ。大スポンサーの怒りを買ひ、日報紙は俄かに激震する。岡本は、吉岡の命を受けた専務(宮路)に強ひられるままに、静代を巫女として一週間吉岡に差し出さざるを得なくなる。
 未だ記憶に新しいヒット作「花と蛇」(2004/製作:東映ビデオ/監督・脚本:石井隆/主演:杉本彩)、の二番煎じ企画「紅薔薇夫人」(2006/製作:株式会社アートポート・日活株式会社・新東宝映画株式会社/監督・脚本:藤原健一/主演:坂上香織)から、更にアートポートと日活も手を引いた、矢張りといふか性懲りもなく鬼六映画である。今回は一般映画の小屋で観たものなので、御馴染み虹色の新東宝カンパニーロゴにはお目にかかれず。
 何処から手をつけたものか、悩むほどの中身が何程か存する訳でもまるでないのだが、兎にも角にも開巻即座に頭を抱へたのは、日報新聞広告部長にして、男女の情愛の本質を描く人気小説家・伊織竜介たる岡本役の加治木均。絶対王様とかいふ小劇団の公式サイトのプロフィールには“ドラマ班エース”とあるから、劇団の看板役者であるのやも知れないが、同時に他の人間が“中心役者”であつたり“一番人気役者”であつたりもするので、その点すら最早覚束ない。ともあれザックリ説明するならば昭和45年生といふ実年齢よりは幾分若く見えるほかは、まるつきり多少色男目の単なるそこら辺を歩いてゐさうなアンチャン。キチンと剃つてゐない髭、ネクタイすら締めない第一釦の開いたワイシャツといひ、吹けば飛ぶやうなミニコミ紙ならばまだしも、幾ら地方紙とはいへ一新聞社の広告部長には全く、どうしやうもなく、恐ろしく見えない。徒に苦味走つてはみせるものの、怠惰な不倫物語ならばまだしも、苛烈な運命に翻弄される悲劇の主人公としての重量感なんぞ端からその身に纏ふこともなく。結論からいふと、いきなり空滑り始めた映画は、終にそのまま挽回されることはなかつた。
 SMポルノとしての二枚看板を担ふは、夫の目の前で陵辱される、妻として松本亜璃沙、愛人に黄金咲ちひろ。松本亜璃沙に関しては、神野太の良心的エロ映画「「親友の恥母 白い下着の染み」(2006/脚本:これやす弥生/撮影監督:今作と同じく創優和)での好演が記憶にも新しい。とはいへその魅力の肝は絶妙な大人の女としての色香と、同時に絶妙なアイドルアイドルした可愛らしさとの同居にあるところと見るものなので、演出のトーンもあるのであらうが、そのアイドル性が、SM映画の被虐のヒロインにしてはどうにも軽過ぎる。ビリングトップの個人的には初見の黄金咲ちひろが、矢張り十八番の全身金粉塗りを披露する「金粉FUCK ずぶ濡れ観音」(2005/監督:荒木太郎/脚本:三上紗恵子)に関しては未見。広く浅い経歴は面倒臭いので通り過ぎると、適当に見た感じはキャノン姉妹の四女、五女辺りに居さうな感じ。ここから先は潔く私的な趣向にも大きく左右されるが、直截にいふと岡本がどうして静代には勃たずに、久美子は抱けるのかが映画を観てゐてどうにも理解出来ない。静代との夫婦生活が儘ならぬ時点で、岡本は性的に不能なものと思つてゐた。さういふ岡本の便宜に関して、展開上一度は原因の触りが説明、されかかりはするものの、最終的に観客に明示されることはない。よく判らないのが、岡本が別に普通に静代は静代で抱いてゐたところで、その後の展開には全く差し支へないし、その分成就される濡れ場も増え、全く不都合もないとしか思へないのだが。ミスキャストに出鼻を挫かれたまま、正体不明な展開を経て、いよいよ邪欲の権化たる吉岡が登場してからの中盤以降のSM万華も、教科書通りの描写が漫然と羅列されるばかり。全篇を通して明る過ぎる撮影にも妨げられ、宗教団体教祖までプロットに担ぎ出しておきながら、業の深さにも似た黒い情炎が蜷局を巻いて、みたりすることも終になかつた。クライマックスを飾る全身金粉塗りの上のレズシーンも、成程画面(ゑづら)としての衝撃力ならば有してゐるものの、事そこに至る過程は大幅といふか全く省略され、といふか殆ど初めから描かれず、おまけに差し挿まれる岡本の描写はまるで意味不明。そこだけ掻い摘むならば兎も角、一本の劇映画としての血肉の通つた求心力は失してしまつてゐると言はざるを得ない。配役の齟齬、テーマにそぐはぬ演出と撮影のトーン、大きな穴と凡庸ばかりの脚本。羽生研司の名前に惹かれて小屋へと足を運んだものではあつたが、凡そ拾ふべく点も見当たらない、度し難い空疎が吹き荒れるばかりのストレートに残念な映画であつた。

 山本剛史と松浦祐也は、吉岡の弟子、乃至は手下。山本剛史は白手袋にストライプのスーツでクール担当、松浦祐也は銀縁メガネにライオンズ帽の、白痴のセックス・マシーン。松浦祐也も期待して観に行つたところではあるが、そもそも初めからあまりいい役ではなかつた。
 かうして一応は一般映画のフィールドに飛び出してしまつたことで、羽生研司が今後ピンクを撮ることは最早ないのか、些か気懸りなところではある。デビュー作「和服熟女の性生活 二十・三十・四十歳」(2001/脚本:遥香奈多/主演:佐々木麻由子・南あみ・くすのき琴美)の瑞々しいポップ性は、今でも脳裏に鮮やかなのだが。
 そもそもよくよく考へてみるならば、そこに於いて全てが決せられるといふ訳では必ずしもないものの。主演女優が、杉本彩→坂上香織→黄金咲ちひろ。縮小再生産、といつてしまへば正しくその一言で片付いてもしまふ。


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 「OL監禁」(昭和60/製作:株式会社ヴイ企画/配給:株式会社にっかつ/監督:加島春海/脚本:覚一生/企画:奥村幸士/プロデューサー:白井伸明/撮影:河中金美/照明:新井真/編集:菊池純一/音楽:ミス・オータニ/助監督:広西真人/出演:平瀬りえ・水島まゆ子・橘雪子《友情出演》・佐竹一男・高岡良平・後藤正人・三宅優司・小松鷹・室井ユキ・百瀬郁夫)。配給に関しては事実上“提供:Xces Film”か。音楽のミス・オータニは本篇クレジットより、各種資料に記載の見られる古山清とは一体誰なのか。
 何がそこまで酒に溺れさせたのか、バーで泥酔する良子(平瀬)は心配するマスター(小松)を振り切り店を後にすると、タクシーを拾ふ。タクシーの運転手・田口和宏(佐竹)は、酔ひ乱れる良子の姿態に目を奪はれる。終に我慢しきれなくなつた良子は車を止めさせると、車外に飛び出し、嘔吐する。良子に続き、田口もタクシーを降りる。田口はただ介抱しようとしただけのつもりであつたが、田口の様子に恐れをなした良子は逃げる。田口は衝動的に良子を追ふと、行き止まりに追ひ詰め、良子を犯す。次の日、田口は良子が車中に残したハンドバッグから勤務先を突き止め、仕事帰りの良子を待ち伏せる。田口は良子を強引にタクシーに押し込むと、自宅に連れ帰り、監禁する。職を転々とする内に、田口は妻子に逃げられてゐた。良子は良子で、幼少時に父が再婚した継母(室井ユキ/声のみ登場)とは折り合ひが悪く、血の繋がらぬ妹・美也子(水島)には婚約者の忠彦(高岡)を寝取られたところであつた。偶さか世界の片隅で出会つてしまつた、互ひに居場所をなくした男と女。さうとも知らず男は女を犯し、監禁する。即物的に歪んだままに、小生の如き即物的に歪んだ輩にはその通貫する暗いビートが心地良くもある、買付け系ロマンポルノの一作である。
 80年度にっかつ新人女優コンテスト一位に輝き、といふ経歴が当時として実質的に如何に評価したものなのかといふ点に関しては最早潔く与り知らぬが、その割にといふか何といふか今作が二年ぶりの映画出演にして、主演作は唯一となる平瀬りえ。簡単にいふとお魚系のルックスは今世紀の目から見るとリファインの余地を大きく残しはするものの、モデル出身、空手の有段者とかいふ肩書きは全く伊達ではなく、スペックの高さを感じさせながらも同時に女性美も兼ね備へたスタイルは抜群。改装中のマンションであることにもつき、昼間でもカーテンを固く閉ざした暗い田口の部屋の中にて、両手両足を拘束された上で延々と繰り広げられる陵辱には、ドス黒い迫力が満ち溢れる。とはいへ部屋の中に篭り放しでは、映画は事済まない。良子の逃亡を恐れ田口は仕事にも出なくなり、差迫る生活の困窮に、田口は良子の身代金を要求することを思ひ立つ。ところが良子の継母は、あつさりと良子といふ娘の存在すら否定する。形式的な内実は異なれど、自らにも似た良子の来し方に愕然とする田口に、良子は自ら美也子の誘拐を働きかける。ところからの展開は些か以上に陳腐、かつ粗雑。「私、こんな生活でも良かつたのに・・・」といふ良子が引絞る台詞で締められるラストは、絶望的とでもいへば聞こえはいいものの、物語を上手いこともう一段押し上げ切れずに、中途で投げ出してしまつた感が強く漂ふ。序盤中盤をドス黒いビートの一点突破で押し切つたまでは良かつたが、そこから先一番肝心の、一体如何にその物語世界を収束させ得るのか、といつた段には必ずしも、といふか明らか寄りに成功を果たせず仕舞ひの限りなく惜しい一作である。結局は最悪の形で、暗い部屋より一歩も何処へも歩み出で得なかつた。ならばいつそのこと、閉ざされた部屋を二人だけの楽園と看做す如きの倒錯の方が、歪むにせよ歪み抜いただけでも、まだしも一欠片の突破、乃至は天晴な潔さといへたのではなからうか。

 本篇クレジットでは友情出演、ポスターには特別出演とされる橘雪子は、回想シーンに登場する田口の妻・幸恵、紛ふことなき重戦車。正直、出て来て呉れなくとも構はなかつた。良子が美也子に忠彦を寝取られる件といひ、回想シーンに入ると途端に照明を強く当て焦点は柔らかくなる撮影は、判り易いといへばこの上なく判り易い。後藤正人と三宅優司は、良子を拾ふ前に田口が乗車拒否する性質の悪さうな酔客。酔客は、三人連れであつたやうな気もするのだが。百瀬郁夫が特定不能ではあつたが、新日本映像―エクセス母体―の公式頁によると、巡査役らしい、何処に出て来たのだかよく判らない。
 本質が宿るのか否かは兎も角細部、田口の煙草はショッポ。ショッポが似合ふ、肌触りの映画ではある。


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 「女3人 すけべ好き」(1994『いんらん三姉妹』の2006年旧作改題版/製作:サカエ企画/配給:新東宝映画/監督:新田栄/脚本:夏季忍/企画:中田新太郎/撮影:千葉幸男/照明:渡波洋行/編集:酒井正次/助監督:国沢実/監督助手:北村隆/撮影助手:島内誠/照明助手:藤森照明/音楽:レインボーサウンド/効果:時田グループ/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:原田ひかり・吉行由美・七重八絵・芳田正浩・杉本まこと・久須美欽一)。脚本の夏季忍は、久須美欽一の変名。
 悶え狂ふ三人の女の姿が、画像処理で万華鏡のやうにグルグル巡る豪快なイメージ・ショットで開巻。
 新婚夫婦のツキミ(原田)とマサオ(芳田)、ツキミは、マサオにセクロスの腕を仕込んでゐる。ツキミはマサオと店で出会つた風俗嬢上がりといふ設定は、原田ひかりの右太股大きな牡丹の彫物を織り込んでの後付か。マサオの父から電話のあつたことと、折り返す旨を事務的に伝へながらの絡みがリアルでいやらしい。最中、ツキミに電話がかゝつて来る。度重なる浮気のバレた姉・カナエ(吉行)が終に離婚、実家に出戻つて来てゐるとやらで、慌ててツキミは郷里に向かふ。一方マサオの父親(久須美)は、結局マサオからの電話はないまゝに、当時米不足の折、田舎よりコシヒカリを大袋一杯に背負ひ上京して来る。
 典型的なオカメ顔の七重八絵は、三姉妹の三女で女子高生のハナミ。旧題新題とも清々しくストレートな看板を更に一切偽らぬ、すけべ好きで淫乱な三姉妹の姿を、妻を案じ実の父親に対して嫉妬に狂ふマサオの未成熟や、ハナミが電車の車中で痴女プレイを仕掛け、逆に面倒を背負ひ込まされる破目になる痴漢氏らを、適当に交へながら描く桃色ホーム・コメディ。適当なのか、適当なんだよ。
 杉本まことがハナミから痴女プレイを仕掛けられる、痴漢氏の小松。勢ひに乗つたハナミが、遂に人目も憚らず電車の車中で尺八を吹き始めるに至り、眉をひそめるその他乗客要員で、国沢実が刹那ながら確実に見切れる。小松がマサオの意地悪な上司でもある、如何にも御都合な世間の狭さはゴキゲン。実は男が眠るとも知らずマサオがベッドに飛び込むギャグを二度繰り返す辺りにも、今作のイイ感じのヌルさが溢れてゐる。全盛期の吉行由実の裸をもう少し見たかつた心は残しつつも、超絶の美しさを誇る主演の原田ひかりはその分タップリと堪能出来る。特筆すべき点は勿論何処にもない上でなほ、低目とはいへ一応の水準には達した、プログラム・ピクチャーの枝幹を主には量的に飾る一作。
 尤も概ねそれなりのセンで撮り上げられてゐる割に、オーラス中のオーラスでひとつミソをつけてしまふのは。クライマックスを飾る順当に、ツキミとマサオの絡み。正常位でエッサカホイサカお盛んな様を一頻り引き気味に押さへたのち、カメラは左にパン。窓から捉へた外景に、“終”とエンド・マークが被さる。のが映画の幕引きなのであるが、視点が動く直前に、原田ひかりが確実に千葉幸男の方を見てしまつてゐる。確かに、観てゐる分にも入れポン出しポンを押さへてゐる間は、平素慣れ親しんだ安定感を明らかに通り過ぎた、些か以上に間延びしたものではあつたのだが。

 ハナミの部屋に初期V系バンドのZI:KILL(活動期間1987~1994)のポスターが見られ、時代を大いに感じさせる。
 弘前大学映研のブログによると、今作は1997年に「好色三姉妹 不倫ぐるひ」と旧作改題されてゐるとのこと。即ち今回は、二度目の改題新版公開といふ格好になる。但し男なら兎も角、不倫に狂つてゐるのはカナエだけではある。


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 「ラブホ・メイド 発射しちやダメ」(2006/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:永井卓爾/監督助手:高杉孝宏・堀井雄一/撮影助手:邊母木伸治・松川聡/照明助手:八木徹/スチール:津田一郎/タイミング:安斎公一/効果:梅沢身知子/録音:シネ・キャビン/現像:東映ラボ・テック/撮影協力:八潮 ホテルタイムズ/出演:白瀬あいみ・華沢レモン・川瀬陽太・西岡秀記・吉岡睦雄・横須賀正一・瀬戸恵子)。出演者中、横須賀正一は本篇クレジットのみ。
 その日を最後に取り壊しての建て直しが決まつてゐるラブホテル「レマン湖」、フロント係の隆(川瀬)は感慨に耽りながら、仏滅で十三日の金曜日でおまけに大殺界、とかいふトリプル・コンボを決めた一日が無事過ぎることを願つてゐた。可愛らしいイラスト―何れの手によるものかはクレジットも無く不明―入りの最終営業を告げるチラシが一枚、風に舞ふ。チラシが舞つた先から不意に、とても普通の感覚では表を歩けさうにない、露出過多の赤い安ドレスに身を包んだ一人の女が現れる。美鈴(白瀬)と名乗つた女は自分はラブホテル勤務の経験があり、けふ一日限りでもいいから働かせて欲しいと隆に懇願する。強引に迫られた隆は仕方なく、貸し出し用にとホテルに置いてあつたコスの中から、メイドの衣装を美鈴に渡す。
 瀬戸恵子の名前がキャストの中に並ぶ時点で、一体何時撮影されたものなのかよく判らないが十二月に封切られた、渡邊元嗣2006年最終作。瀬戸恵子は、公式には昨年(2006年)八月で全ての裸仕事から足を洗つてゐる。松岡邦彦の大傑作「ド・有頂天ラブホテル 今夜も、満員御礼」(九月公開)の向かうを張る、連れ込みを舞台にした堂々たる群像人情劇、であらう筈は勿論ない。渡邊元嗣は横好きで手に余る大風呂敷に手を伸ばすほど愚かでは無論なく、同じラブホテルを舞台にしながらも、新味の一切無いプロットをそれでも100パーセントの覚悟で振り抜いた、壮絶に美しい桃色ファンタジーの傑作を見事モノにしてみせた。前作にして大人のラブ・ストーリーの傑作「妻失格 濡れたW不倫」に平面的な映画的完成度の点に於いては数段劣るものの、その分剥き出されたエモーションは、却つて純化される。
 美鈴は一冊のノートを手にしてゐた。そこら辺の大学ノートの、背を赤テープで補強して、表紙には赤い大きなハート・マークと題字のみが貼り付けられた安普請のノートの名は“ラブノート”。美鈴によれば、願ひ事を書けば即ち叶ふといふ・・・・。ナベ、今度はデスノかよ!とはいへラブノート自体は、クライマックスで明かされる、「このノートは人と人とを結びつけて幸せにするものである」、「このノートに名前を書かれた者は・・・」云々とかいふ効能が結局は最後まで語られはしないやうに、濡れ場濡れ場の口火を切るギミックと、オーラスを爽やかに飾るギャグとして以外には、然程有効に機能を果たす訳では必ずしもない。今作が必殺の美しさを観客の心に叩き込むのは、一日の、そして最後の営業を終へたレマン湖の二人きりの屋上、美鈴が工夫の欠片も欠いたその正体を、終に隆に明かす件。一度はナベの癖に他愛もない蓋然性に腰を振つたかのやうな、フェイントも一度は見せつつ、そこは渡邊元嗣ここにあり。カットの間も乾かぬ内に矢張り知恵を絞らないにもほどがある美鈴、レマン湖―看板から最終的には“レ”の文字は外れる―の更に前から当地に建つてゐた、連れ込み旅館から名前を取つた女の正体が明かされる。美鈴の秘密には工夫といふ概念への志向が一切感じられず、美鈴と隆との別れは、同趣向の別れがこれまで星の数と描かれ続けて来たであらう全く完全に、清々しいまでに類型的なシークエンスである。にも関らず、そのチャチで陳腐な別離の場面が、なほのこと人の心を撃ち抜く決定力を有してゐるのは。
 かつて福田恆存は、大体の大意で次のやうに述べた。ひとつの思想が、たとへその内容は嘘やまやかしで、そのことは当の本人が最も頭では理解してゐたとしても。吐いた当人が本気で信じてゐないやうな思想に、どうして他の人間がついて来て呉れようか。お会ひしたことなど勿論ありはしないゆゑ、観た映画の感触、あるいは手応へのみからいふ。渡邊元嗣は、恐らく本気で信じてゐる。一説によると一週間の突貫工事で拵へやがつたらしいばかりに、頗る出来の宜しくないこの世界には、せめて美しい物語が必要だ。たとへ一時の現実逃避たらうとも、薄汚れた暗がりの中映し出された銀幕の中くらゐは、美しくあるべきだ。スペックとバジェットを欠き、どんなに安くとも底が浅くとも馬鹿馬鹿しからうとも、矢張り美しいファンタジー映画といふものはあつていい筈だ。デビュー二十年(昭和58年オムニバスの一篇にてデビュー)、監督作百本(今作が109本目)も優に超え、名実共にれつきとしたベテランの域に達しながら渡邊元嗣は今なほ、瑞々しいまでに愚直に、映画は美しくあるべきことを信じてゐる、と思ふ。正直これまで特に好きな監督といふ訳では別になかつたのだが、ひとつ歳を取つて四捨五入するとエフジューの中台に手が届くのを目前に控へ、渡邊元嗣の映画を愛する人の多い理由といふ奴が、理解出来るやうになつて来た気がした。即席コーヒーのCM風にいふと違ひが判るやうになつて来たのか、単に枯れて来たものなのかは知らないが。

 主演の白瀬あいみ、触れていいものやら如何なものやら迷ふところでもあるが、造作自体は決して悪くはないものの、顔面の筋肉にどうにも拭ひ切れないぎこちなさが目立つ。ものの、物語が進むにつれ、これがキラキラと輝いて、可愛らしくて可愛らしくて仕方がなくなつて来る。これが、映画の魔力といふ奴か。潔く、シャッポを脱がう。あとこの人は、渡邊元嗣の所作指導の勝利やも知れないが、己の体をいやらしく見せる術は心得てゐるやうに映る。尺八演技、ならぬ艶技もエクストリーム。映画を観てゐるだけで、気持ちいい気分にさせて呉れる。
 登場順に西岡秀記は、701号室から飛び出した風俗嬢(これが誰なのか不明、華沢レモンの二役か?)を追ひ転がり出て来る裕一。仕事のストレスから不能になり、女房は若い色男とのW不倫に走つてしまつた。強精剤を買ひ込んでホテトルを呼び、何とか男性機能の回復を図つたものだつたが、結局果たせず、腹を立てた女には逃げられたものだつた。瀬戸恵子と吉岡睦雄は、702号室に入室するW不倫カップルの翔子と信太郎。翔子が、ほかでもない裕一の妻である。吉岡睦雄のスチャラカ空騒ぎも、ナベの他愛ないドタバタのやうな安喜劇の中では違和感を感じさせないのはひとつの発見。華沢レモンは、夫の浮気に狂ひ七階と八階の間の踊り場でワラ人形、のチンコのところに釘を打つ物騒にも程がある夏見。夏見が、今度は信太郎の妻である。強引な美鈴の計らひで、裕一と共に703号室に無理矢理入室。夏見と裕一のシャワーを浴びながらの文字通りの濡れ場に際しては、オッパイを押しつけたガラス戸を反対側から撮る定番にして必殺のショットを押さへる。一体かういふショットを、歴史上最初に撮つた天才は果たして誰なのか。何気なくも今作は、絡みが何れもアグレッシブに水準が高い。
 横須賀正一は、わざわざ室内から美鈴を呼び止める初登場シーンは一応伏線のつもりなのか、空室になつた701号室に入る男。クレジットすらされないもう二名が、横須賀正一と共に701号室に入つてゐたハードゲイとして乱入気味に登場。一応、それらしい衣装に身を包んではゐる、スタッフの何れかか。不要といへばさしたる要もない三人ではあるが、ギャグ担当の端役としては堅実な働きも見せる。


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 「ザ・スワップ 若妻絶淫調教」(2007/製作・配給:新東宝映画/監督:友松直之/企画:福俵満/撮影:飯岡聖英/助監督:池田勝る/撮影助手:河戸浩一郎・松川聡/監督助手:逆井啓介/タイミング:安斎公一/制作:島田憲司/メイク:久保田かすみ/スチール:山本千里/編集:酒井編集室/ダビング:シネキャビン/現像:東映ラボテック/出演:桜田さくら・風間今日子・神門駿・井上如春)。大河原ちさとの筈の脚本が、何故か本篇クレジットには見当たらない。
 新婚夫婦の本多研次(井上)と沙織(桜田)、沙織が自慰でイク経験はある一方、独りよがりな研次とのセックスで絶頂に達しはせず、そのことに研次は不満を覚え、沙織は引け目を感じてもゐた。研次の強引な勧めで、二人は夫婦交換に精通する―我ながら何だそりや―須藤夫婦とのスワッピングに挑む運びに。沙織は熟練した孝之(神門)の愛戯に、初めて性交でエクスタシーを覚える。初めて目にした妻の痴態に、研次は目を丸くする。次の日からも孝之が忘れられない沙織は、個人的に孝之とコンタクトを取る。一線を跨いだ単なる不倫紛ひな関係を求める沙織に対し、孝之はあくまで夫婦間の愛情を補完するものとしての夫婦交換。であるからして、夫婦交換の相手方に個人的な感情を抱くなどといふのは本義に反する、と諭す。
 何処かで見たやうな気が開巻以来ずつとしつつも、クレジットを観るまでその人と気づけなかつた主演女優は桜田さくら。即ち、微妙に別名義による「絶倫義父 初七日の喪服新妻」(2005/脚本・監督:山内大輔)矢張り主演のさくらださくらである。幾分お痩せになつたのかキレイな研ナオコとでもいつた風情で、直截にいふと些か劣化した感も禁じ得なかつた点は残念である。一方こちらは永井豪のレプリカといつた風の神門駿は、まあまあ及第点。濡れ場の破壊力、他の共演陣との比較、最終的には展開面まで含め劇中世界の支配権を握る、須藤婦人・明美を演じる風間今日子の貫禄は、流石の一言。一方で空疎感といふ余計なところでの同時代性しか身に纏はない井上如春が、如何せん弱い。登場する毎に画面の求心力を、低める方向に作用してしまつてゐる。

 勿体つけた割には調子のいゝ方便この上ない、夫婦交換哲学に関してはひとまづさて措き、明美の不在時須藤家にて孝之と関係を持つた沙織は、何者かが撮影した密会の現場写真を研次から突きつけられる。結局研次は兎も角、元より夫婦関係を修復する気のない沙織が、離婚した上で家を出て行くまでが尺でいふと概ね半分。こゝから全体、話をどう転がすつもりかと思つてゐたところ、時間軸を遡つた別視点カメラの登場により真相を丁寧に解き明かして行く展開は、男女それぞれ二人づつのみといふミニマムな出演陣の中、殆ど唯一にして最大の弱点井上如春の不在にも助けられ、引き込まれ観てゐられる。研次の扱ひの無体さにさへ目を瞑れば、ラストは観客を驚かせるに足る強度も有す。今作の勝因は決定的な道具立てとはいはないまでに十全に組み立てられたサスペンスと、起承転結でいふと転部から作劇上のバトンをビリングは頭の桜田さくらから、風間今日子に手渡した舵取りの秀逸さとに見られる。監督の友松直之まで勿論含めて、さりげなくもベテランの底力が光つた良作といへよう。

 リアルタイムぶりに再見した上での付記(H25/1/19)< オーラス見切れる沙織新夫は不明、定石だと池田勝るか逆井啓介か、あるいは島田憲司か。それと、別に構はないが民放第733条、六箇月の再婚禁止期間をこのラストは清々しく無視してはゐないか?直後に見せて、半年後の出来事なのであらうか


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 「若妻 敏感な茂み」(2002/製作:小川企画プロダクション/配給:OP映画株式会社《本篇クレジットまま》/監督:小川欽也/脚本:池袋高介/撮影:図書紀芳/照明:岩崎豊/音楽:OK企画/助監督:米村剛太/撮影助手:吉田剛毅/照明助手:石岡直人/出演:山咲小春・南星良・清水佐知子・竹本泰志・なかみつせいじ・平川直大・石動三六)。
 瀬戸内瑠璃(山咲)と慎吾(竹本)は、新婚三年目にして早くも擦れ違ひ気味のセックスレス夫婦。同窓会に出席する瑠璃が一時的に実家に戻るのと入れ違ひに、慎吾からは姪に当たる山門真由(南)が就職活動の為に上京して来る。田舎で再会した級友と焼けぼつくひに火を点ける瑠璃に対し、慎吾は慎吾で、真由との二人きりの生活に鼻の下を伸ばす。
 清水佐知子は、瑠璃の姉・加羅品呉美。呉美も呉美で、外に女を作つた夫とは家庭内別居の状態にあり、東京に戻る妹について一緒に家を出て来てしまふ。首から上は一般的なオバサン顔ともいへ、少々重力には屈しつつも女優部中何気にオッパイは一番大きい。単なる看板に止(とど)まらぬ文字通りの熟女枠の中では、比較的以上にマシな部類に入らうかとも思はれる。平川直大は、瑠璃の級友・永野左千夫。田舎に戻り羽を伸ばしてしまつた瑠璃から半ば誘はれるやうに関係を持つものの、事が済むとあつさりと手の平を返される、とても可哀相な役。石動三六は、慎吾の同僚・中本悠貴。オカズに慎吾がマスをかいてゐるところを真由に見付かつてしまふDVDを、貸す為だけに登場。
 上手く行つてゐない二組の夫婦と、一人づつの女と男。六人の男女が部分的には交錯しながら、最終的には何だかんだで、といふか何といふこともないままにそれぞれ納まるべき鞘に納まつて行く。娯楽映画としての着地の安定感のほかには特筆すべき点は基本的には全くないと同時に、ルーチンワークと断じる程にはやつゝけた仕事でもなく。右から左に流れ去る物語は却つて、不作為を通り越した無作為が転じて、山咲小春の絶頂期の魅力を損ふことなくそのままに銀幕に定着せしめる、あくまで結果論でしかないとはいへ偶然な幸福に帰結してもゐる。潤沢な濡れ場に加へ、一度寝ただけで結婚して呉れと東京にまで付き纏ふ永野の処置に困つた瑠璃が、縁側で真由に零す件の当てもない遠くを見やる山咲小春の表情には、必殺の映画的叙情が煌く。

 配役残りなかみつせいじは、呉美の夫・睦夫。今作全くの横道ではあれど注目点は、スケジュールは恐らく事前に予め決まつてゐた筈なので、当日何事かの緊急がなかみつせいじ個人に発生したとでもしか思へないが、どういふ訳でだかアフレコを別人がアテてゐる。なかみつせいじの口の動きに合はせて、独特の間を持たせた口跡を無理して真似して、といふか真似ようとしてはゐるが出来てゐないので、どうにも明らかな違和感がある。声色を変へた平川直大に聞こえなくもなかつたが、誰が声をアテたものかはどうしても聞分けられなかつた。
 チャリンコで走行中に瑠璃からの電話を受け取つた慎吾は、電信柱に激突する、自業自得の極みである。足を怪我し仕事も休むことになつてしまつた慎吾は、瑠璃とは共稼ぎ夫婦につき、日中呉美と家で二人きりになる。今作に於いても、小川欽也はファンの期待を裏切ることなく相変らずやつてのける。頼むから、裏切つて呉れていいんだよ。小川欽也十八番、ハチャメチャに若い男を悩殺する熟女!「暑いはあ」とかいひながら、呉美は慎吾の前で唐突に脱ぎ出すのだが、ブラウスの釦をピリオドを超えて外し出すならばまだしも、この時呉美のトップは部屋着のトレーナー。いきなりガバッと、暑いからといつてトレーナーを脱いで下着姿になつてみせるのである。幾ら何でもそりやねえよ、悩殺といふか、観てゐて俺は脳死するかと思つた。
 三者三様の絡みで畳みかけるクライマックス、山咲小春のいはゆるイキ顔をグルグル回す演出で、瑠璃が絶頂に達した瞬間を表現する。今世紀、即ちかつて夢見られた未来の筈の21世紀に依然さういふ魔法を堂々と繰り出し得るのも、小川欽也ならではであらう。


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