真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「暴虐白衣 下半身処方箋」(1998『暴行診察室 白衣なぶり』の2009年旧作改題版/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:稲山悌二[エクセスフイルム]/撮影:千葉幸男/照明:高原賢一/編集:酒井正次/助監督:加藤義一/音楽:レインボー・サウンド/監督助手:小林康広/撮影助手:池宮直弘/照明助手:原康二/効果:中村半次郎/録音:シネ・キャビン/現像:東映化学/出演:青山りか・風間今日子・七月もみじ・杉本まこと・竹本泰史・田中あつし・丘尚輝・大林明)。出演者中、丘尚輝と大林明は本篇クレジットのみ。
 城南でも城西でもなく、深夜の南西大学病院。看護婦の松本美香(青山)が入院患者・ハマサキの病室を見回りで訪れると、何故か無人のベッドの上には、ミニーマウスのオルゴールの贈り物が。思はず頬を綻ばせる美香を、目出し帽の丘尚輝が襲ふ。音楽とともにクルクル可愛らしく回るミニーマウスが、状況の急変を反映し俄に回転を猛加速する細やかな演出は、正直新田栄らしからぬ。必死に抵抗しつつベッドの下に、猿轡を噛まされた上縛り上げられたハマサキ(大林)の姿を視認し事態を把握したものの、憐れ助けもなく、どうやら看護婦に対する私怨のある模様の暴行魔に美香は犯される。一年後、心機一転美香は共生病院で働いてゐた。新任の婦人科医・滝沢(杉本)が不自然な医薬品の発注に関して疑問を抱くと、婦長の横山響子(風間)は美香を人払ひする。感動的に自堕落なシークエンスだが響子は診察を乞ふフリをして色仕掛けで誑し込むことを試みるが、滝沢は決然と拒否。響子は癒着兼事実上の愛人関係にもある製薬会社セールスマンの大阪(竹本)と共謀し、私腹を肥やすと同時に病院には損害を与へてゐた。ナースコールに呼ばれ出て行つたまゝ戻らない夜勤の相棒・相原ありさ(七月)を、仕方がないので美香が探しに行つてみたところ、ありさは感動的に御丁寧にも給湯室―何と清々しいクリシェなんだ―にて、医師の三浦(田中)と一戦交えへてゐる真最中であつた。色で駄目なら金だと、響子と大阪の滝沢に対する懐柔工作も失敗に終る一方、不謹慎といふか大胆不敵といふか、今度は霊安室にて三浦と待ち合はせたありさが、再びミニーマウスのオルゴールとともに湧いて出て来たサーファーならぬ丘レイプマンに強姦される事件が起こる。滝沢の名前から大阪が思ひ出した、過去に勤務してゐた病院を入院患者への暴行疑惑で辞めたといふ事実を突きつけられ、響子と大阪を理事会に告発しようとしてゐた滝沢は、一転窮地に立たされる。
 本職は踊り子さんとの、主演の青山りか。首から上は垢抜けなくバタ臭いが、適度な肉付きと弾けさうなアクティブさとを併せ持つ肢体は申し分ない。脇を固めるのも隠れた名女優・七月もみじに、煽情性の重低音をバクチクさせる御存知風間今日子。この時期の新田栄作にしてはまるで奇跡のやうに綺麗に揃つた女優部三本柱に加へ、都合二度火を噴く荒技の中を、病院汚職や青年医師の性的スキャンダルが駆け巡るピンクでミニマムな「白い巨棟」は、物語的にひとまづの充実を見せる。ありさの事件を滝沢に結びつける印象操作に成功し勝利を確信した、大阪と響子は無防備にも病院内で金銭を授受。まんまと美香に目撃されると、慌てるでもなく診察台陵辱ビデオを撮影することにより口を封じようとする。撮影画面の中を、騒ぎの気配に駆けつけた滝沢が二人を撃退し美香を救出するカットのスピード感は、一般映画のモキュメンタリーものでも十二分に通らう。かといつて、新田栄の名前が嘘のやうなサスペンス・ピンクの大傑作なのかといふと、さういふ訳でも別にない。丘尚輝二度目の戦線投入の画期的な都合のよさと、滝沢にかけられた嫌疑の最終的な真偽は開放的にさて措かれたまゝ、響子と大阪の退場で、事件は何時の間にか一件落着。レイプ被害によるPTSDも正しく何処吹く風、滝沢と結ばれ手放しに乱れる美香が、大胆に気をやる騎乗位のショットで実は釈然としない物語を堂々と畳んでしまふエンディングには、疑問も確かに否み難い。ともいへ女の裸が主眼のピンク映画としては、高いテンションを維持した濡れ場で半ば振り逃げてみせる戦法は、ある意味正しいといつていへなくもない。この際些末は気にせず勢ひに任せ、あるいは呑まれてスカッと、もしくはスッカーと小屋を後にするのが吉の一作である。


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 「秘密クラブ 人妻専科」(2000『買ふ妻 奥さま《秘》倶楽部』の2009年旧作改題版/製作:O・H・C、国映、新東宝映画/製作協力:《有》幻想配給社/配給:新東宝映画/監督:新里猛作/脚本:高木裕治/企画:朝倉大介/プロデューサー:松家雄二・森田三人・福俵満・友松直之/撮影監督:飯岡聖英/編集:酒井正次/助監督:斉藤一男・飛田真也/撮影助手:岡宮裕・岡部雄二/スチール:山本千里/制作応援:大西裕・中村和樹/現像:東映化学/録音:シネキャビン/協力:《株》アクトレスワールド・《有》ファン・寺西正己・愛染恭子・石川二郎・田村孝之・菅沼悠輔《VAN MEDIA STUDIO》/出演:望月ねね・時任歩・松永えり・稲葉凌一・深澤和明・横塚明・山科薫・藤原健吉・内山一寿・久保和明・千葉尚之・松本あかね)。主演者中、稲葉凌一がポスターには隆西凌。重複して稲葉“俊一”などといふ、謎の名前も見られる。内山一寿も、ポスターでは内山“一男”に。更に藤原健吉・千葉尚之・松本あかねの三名は本篇クレジットのみ、藤原健吉といふのは、藤原健一の変名。面倒臭いといふか、やゝこしいことこの上ない。何だか、新東宝に試されてゐるかのやうな気分すらして来た。
 不安な面持で指定された待ち合はせ場所に立つ望月ねねを、絶妙に顔が抜かれることは回避した、稲葉凌一扮する運転手が回すリムジンが拾ふ。運転手は望月ねねに目隠しを施した上で、あくまで売春ではなく主婦買春クラブ「ロンリーハート」に。矢張り口元以上は決して捉へられない、稲葉凌一の二役目となるロンリーハート代表が、望月ねねを出迎へる。
 「倉田明子22歳 結婚三年目」。妻に興味を失つた夫(横塚)からはすつかり蔑ろにされる明子(望月)は、鬱屈した日々を送る。御近所(松本)からロンリーハートの噂を聞きつけた明子は、牛乳パック「奥様牛乳」のバーコードに偽装されたロンリーハートの電話番号に電話をかけてみる。中途半端な優男ぶりが堪らない深澤和明(ex.暴威)は、明子が通された「やすらぎの部屋」で、明子を抱く男。望月ねねに夫が魅力を感じない、といふ通り難い嘘を等閑視さへ出来れば、明子篇のスタート・ダッシュとしての威力は大きい。深澤和明が明子の裸身を映すために用ゐた鏡は、実はマジック・ミラーになつてゐた。深澤和明に貫かれ乱れる明子の姿に、隣室の「くつろぎの部屋」から、煙草を燻らせながら女王様ルックの時任歩が冷たい視線を注ぐ。
 「桜井美樹27歳 結婚二年目」。公園でのんびりピクニックを楽しむ美樹(時任)と齢の離れた夫(山科)との桜井夫妻を、SKKテレビ「奥さまこんにちは」内の1コーナー「イケてる夫婦を探せ!」のリポーター(稲葉凌一の三役目)が急襲する。ここで漸く、正面からの稲葉凌一の全身が初めてフレーム内に納まる。関白を気取る山科薫は妻のネンネぶりに惚気てみせるが、ロンリーハートでの美樹はといふと、若い奴隷男(内山)に最早清々しいまでに容赦ない責めを加へる、苛烈なサディストであつた。対して今度はマジック・ミラー越しに明子が見守る中、「たかぶりの部屋」では松永えりが、底も浅いが判り易く暴力的な久保和明に強姦される。
 「山田和美25歳 結婚五年目」。十上の夫・一郎(藤原)の不能をその場では優しく労りながらも、和美は如何せん拭ひきれぬ欲求の不満を抱へる。ある日ぼんやりと和美が眺める昼メロが不意に中断されると砂嵐の中、大掛かりにもロンリーハートからのメッセージが山田家のテレビに映し出される。流石にここは少々、ギミックが大き過ぎるか。千葉尚之は、一戦終へた久保和明がスレイブとして引き連れて来る、初めは豚頭のマスクを被つた白痴気味のセックス・マシーン。髷を落とした侍のやうな頭は、実際に剃り上げたのか鬘なのかまでは不明。犬のやうに飲ませようとペット用の器に入れ持つて来た牛乳に和美が逡巡すると、千葉尚之が「俺が飲む!」とガッつき久保和明が慌てるカットは何気に完成度が高い。
 ハーフ多羅尾伴内ばりの活躍を見せる稲葉凌一を狂言回しに、ロンリーハートを上手く活用してみせたり、あるいは仕方なく溺れてしまふそれぞれの妻(をんな)達の姿を描く。ロンリーハートでの体験を機に輝きを取り戻し、会社までサボッてしまふ横塚明から求められ満更でもない明子が、SKKテレビの稲葉リポーターが伝へる和美の無体な結末に触れる瞬間には、三幕のオムニバスを束ねるドラマの頂点としての強度がさりげなく漲る。先頭打者に望月ねね、二番に時任歩と来ると、どうしても苦戦が予想されなくもない松永えりではあつたが、薄幸な役柄にフィットする地味なルックスからは意外にも思へる、脱がせてみると結構大きなオッパイとのコントラストはそれなりに強力。一貫して酷い目に遭ひ続ける和美のパートには、下賤な扇情心をポップに刺激される。兎にも角にも、最終的には再び望月ねねの濡れ場で磐石に締めてみせる構成が、前述した物語としてのハイライトも踏まへると、裸映画としても、裸を差し引いた裸の劇映画としても、何れも麗しく秀逸。ラストに無理なく美樹をも噛ませられれば、更に一段も二段も高みに上つた傑作ピンクたり得てもゐたところであらうが、そこまでには至らなくとも十二分に面白い。稲葉凌一に話を戻すと仕方もない安普請を、逆に転じて劇中世界の求心力を増さしめる方向に作用させるカウンター・ストライクも素晴らしく、映画としてのしなやかさを感じさせる一作である。


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 「失禁・秘所彫り」(1989『縄で濡らす』の2009年旧作改題版/企画・製作:プロダクション鷹/配給:新東宝映画/監督:珠瑠美/脚本:衣恭介/撮影:伊東英男/照明:沖茂/音楽:CMG/編集:竹村峻司/効果:協立音響/美術:目黒優児/現像:東映化学工業株式会社/録音:ニューメグロスタジオ/出演:石原ゆか・風間ひとみ・秋山かおり・牧村耕二・工藤正人・朝田淳史・進藤丈夫・山本竜二)。出演者中、牧村耕二と進藤丈夫がポスターには牧村耕次と木村昌治。牧村耕二はまだしも、進藤丈夫と木村昌治となると全然名前が違ふトリックプレーは、全体何から生じるのか、あるいは何の意図があるのか。それは兎も角問題が、少なくとも今回私が観たプリントには、該当しさうな八人目の登場人物といふのがそもそも見当たらないのだが。
 彫師の省三(牧村)と―推定―内縁の妻の俊子(風間)が乗つたエレベーターに、省三らの隣室に暮らす大学生カップル・山崎伸二(山本)と吉田朝子(石原)が、何事か喧嘩の最中といふ風情で慌ただしく乗り込んで来る。省三と俊子は、苦笑しながら「江戸文化保存会」の表札の揚げられた413号室に帰宅。隣の412号では、朝子が浮気したといふので、縄も取り出した伸二が激しく責めたてる。ここで濡れ場の最中に火を噴く最も顕示的かつ明後日なギミックが、画期的に間延びした暗転。あまりの長尺スローモーに、映写機がダウンした上映トラブルかと思つた。一旦暗くなるのと次のカットに戻るのとに、五秒といふと流石に大袈裟かも知れないが、それぞれ三秒は確実に費やしてゐる。全体何を狙つた、新ならぬ珍機軸なのか。それとこの時点で、朝子によつて失禁はクリア。後述する秘所彫りとともに、今回は実に本篇の中身に即した律儀な新題となつてゐる。逆に旧題は、漠然とするにもほどがあるやうな気もしないではない。欧米人から彫るやう乞はれた省三が渡欧する一方、伸二からは完膚なきまでに心を離した朝子は、最早浮気相手といふ肩書も適当ではないやも知れぬ正男(工藤)の下に走る。一人不貞腐れる伸二を夜の街で拾つた俊子は飲みに誘ふと、完全に捕獲した勢ひで413号室に連れ込む。要は膳を据ゑられた格好の伸二は、俊子の裸身に驚愕する。何と俊子は、背に見事な般若を背負つてゐたのだ。そんなものまで見せられてしまふと、男の恥だ何だといふ以前になほのこと喰はざるを得なからうが、まあ恐ろしい話である。聞くと俊子を自分のものにしようとした省三に、無理矢理彫られたとのこと、重ねてオッカナイ連中だ。荷物を取りに戻つた朝子と伸二が進歩なく揉めてゐるところに俊子が嘴を挟み、朝子を自室に連れ出す。翌日漸く呼ばれた伸二が様子を見に行くと、あらうことか、俊子は薬で眠らせた朝子の秘部に、竜の刺青を彫つてゐた。朝子が伸二から離れられないやうにする、だとかいふ無体極まりない方便であつた。
 恋愛対象を繋ぎ止めるといふか殆ど拘束するために、当人の希望の有無に関らず刺青を彫つてのける。今回珠瑠美が描いたのは無造作に連鎖する、恣な暴虐。十二分どころか度外れてエクストリームなテーマではある筈なのだが、殺風景な集合住宅から殆ど外に出ない意欲を欠いたロケーションに、魅力も威力も不足する俳優部。例によつて例の如く、メリハリなどといふ言葉は初めからその辞書には存在しないかのやうな、テンポの奇妙さだけは漂はせるものの、大枠としては漫然とした珠瑠美の演出。山本竜二着用の適当な太さも酷い、今となつては銀幕のこちら側から観てゐるだけで無性に恥づかしいケミカルウォッシュのジーンズ―PERSONSのロンTを白いパンツの中にタック・インした、正男のファッションにも目を覆ふ―が象徴的な、時代を超える超えない以前にリアルタイムすらそもそも制し得なかつたにさうゐない、何時ものやうに取りつく島もない一作である。本当にこの人は、結構な本数を撮つてゐるにも関らず、一本くらゐキリッとした映画がないのだらうか。唯一善きにつけ悪しきにつけ感触のゲージが振れるのは、すつかり開き直つた朝子の申し出で、俊子は今度は伸二の亀頭にも花―牡丹?―のタトゥーを彫る。張形を使用しての絶賛作業中のカットには、流石に猛烈な痛みを覚えた。悪びれるでなく書いてぬけるが、結局俊子は家を空けてゐる隙の省三を捨て、俊子と朝子と伸二。女二人が伸二を引き連れる形で、新たな悦楽の日々を求め陽気に旅立つて行くなどといふラストは、あんまりな適当さが却つて寧ろ最高だ。
 渋味も感じさせる色男で、短い一幕限りの端役には惜しくも思へる朝田淳史は、戻つて来ない朝子の身を案じた正男の通報により、とりあへず412号室を訪れてみる刑事。秋山かおりは、貪欲な性を謳歌する俊子が都合四人で乱交を楽しむ目的で、413号室に呼びつける愛奴。表情すら満足に抜かれなく、正しく裸要員の名に相応しい。

 ひとつ不可解に特徴的なのが、今作はこれまで御紹介したやうに、メインのモチーフはイレズミ者ならぬ刺青ものである。にも関らず、“刺青”といふ用語は一貫して回避、代りに“一生消えない”といふ注釈を付けたり付けなかつたりしながらも、“ワッペン”とかいふ奇怪な言ひ回しに終始してゐる。因みにjmdbによると、今作の封切りは平成元年の九月初頭。まさか昭和天皇の崩御に何時までも配慮したであるとか、そこまでナーバスであつた訳ではよもやあるまい。もうひとつ、開巻とエンディングに普通に使用されるテーマ曲に関しては、清々しく一切クレジットがないゆゑ誰の何といふ曲なのか全く不明。


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 「どスケベ女医 催眠SEX」(2001『女医・川奈まり子 熟女タブーSEX』の2009年旧作改題版/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/脚本・監督:佐々木乃武良/撮影:佐藤文男/照明:小野弘文/編集:金子尚樹/撮影助手:佐藤琢也/照明助手:平岡エリ・長田はるか/助監督:奥渉/タイトル:道川昭/協力:坂本礼・鈴木敦子、他三名/出演:川奈まり子・佐々木麻由子・里見瑤子・久須美欽一・吉田祐健・岡田謙一郎・千葉誠樹)。監督助手をロストする。
 個人医院の石原医院、診察を受ける大膳五郎(久須美)が院長の石原美枝子(川奈)の体に手を伸ばすが、美枝子は怒り出すでもなく、五郎に触られるがままに任せてゐる。美枝子はアカデミズムと世間からは絶賛黙殺されつつ、患者の性的欲求に応へることにより治療効果を上げる、癒しの治療を身上としてゐた。一方手術室では看護婦の河野真紀(里見)が、馬場良雄(岡田)の血圧を測らうとする。巨根自慢の馬場が怒張を真紀に誇示するや、本格的な濡れ場に川の水が流れるか如く移行。呼びかけに応じない真紀を探して美枝子が手術室のドアを開けたところ、真紀は乱れた白衣を手で押さへながら、馬場の血圧ならぬチン圧を測定中。カフの中で圧力に屈した馬場がついつい発射してしまふと、美枝子は「真紀ちやんちよつと勘違ひしてるのよねえ」。美枝子が呆れたタイミングで、カット開けると一転沈痛な面持で歩道橋の上に逡巡する佐々木麻由子。勤務する大学病院をトラブルを起こし辞めて来たばかりの美枝子の同期女医・橘由香里(佐々木)は、衝動的に自殺を図るも思ひ留まる。ここまで、潤沢に女の裸を盛り込みつつ、場面場面のコントラストも綺麗に効かせた開巻の強度は完璧。金持ちのエロ患者ばかりを宛がはれたことに憤慨し後先考へずに辞表を叩きつけた由香里は、美枝子の理念自体に対しては冷笑しながらも、とりあへず石原医院に身を置く―正確には置かせて貰ふ―ことにする。真紀が強面の由香里の登場に、容易に想起される騒動の予感に楽しげに慄くカットのキュートさも百点満点。的確な配役と精度の高い演出とに支へられ、順調に走る映画は抜群に小気味よい。町内検診で採取した尿検査のサンプルを、検査機関として持ち込んだ大病院にて美枝子は元カレである竹沢和也(千葉)と驚きの再会を果たし、五郎は幼馴染で同じく石原医院の患者である筈の、権藤助六(吉田)が美枝子の医療レベルに見切りをつけその病院に検査入院してゐることに胸を痛める。
 真紀と馬場は一貫して呑気な傍観者に、医者と女としてのプライドを巡る美枝子と由香里。美枝子を間に挟んで、義理と人情とに揺れる五郎と助六。五郎を秘かな目撃者に、焼けぼつくひに火を点けかける美枝子と竹沢。諸々の思惑が絡み合ひながら順当な着地点としてのハッピー・エンドを目指す物語は、そこはかとなくもスマートな娯楽映画として何気なく完成度は高い。どうでもいい頂点としては、由香里の石原医院での初仕事。肛門に指を挿し入れ検診しようとする由香里に対し、馬場は空気も読まずに何時もの調子で自慢のラブ・ガンを御開陳。瞬間沸騰で激昂した由香里が、凶悪にも直腸内を捻り上げ馬場が悶絶するバイオレントで馬鹿馬鹿しいシークエンスには、手放しで愉快に笑かされた。美枝子の論理自体は決して磐石な説得力を有してゐる訳では必ずしもないのだが、雰囲気下町ヒューマン・ドラマを久須美欽一に頑丈に牽引させる戦略はベタベタでもそれなりに有効で、最終的には威力絶大の川奈まり子の裸で有無を言はさず捻じ伏せてみせる。桃色サスペンスの傑作「口説き屋麗子 火傷する快感」(2000/主演:沢木まゆみ)には一段至らないものの、矢張り佐々木乃武良のピンクを語る上で逸品ではなくとも欠かすことの出来ない一品ではなからうかと、それとなく推したい一作である。
 女癖の悪い竹沢が美枝子とヨリを戻さうと口ではいひながらも、ぬけぬけと美枝子の居ぬところでは口説いてゐる看護婦役には、当てはまりさうな名前がクレジット中には鈴木敦子しか見当たらないのだが、決して満足には抜かれない上で、それでも鈴木敦子には絶妙に見えなかつた。それもそれとして、今作中には新題にある“催眠”といふ要素なんぞ、半欠片も出て来はしないのだが。一体エクセスの仕事は、何処まで自由奔放なのか。

 ここから先は純然たる私事ではあるが実は今エントリーで、2000年の「川奈まり子・現役熟女妻 奥まであたる・・・」(監督:坂本太)から2003年の「政界レズビアン 女戒」(監督:愛染恭子)まで全六作となる川奈まり子のピンク出演作(内『政界レズビアン』以外の五作に主演)を、ひとまづ網羅出来たことになる。決して多い数字ではなからうが、少なくともこの人は遺作「川奈まり子 桜貝の甘い水」(2002)に於いて、主演女優として小林悟を看取つたといふ功績はピンク映画史的に特筆されるべきであらう。


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 「わいせつステージ 何度もつゝこんで」(2005/製作・配給:国映・新東宝映画/製作協力:Vシアター/脚本・監督:後藤大輔/原題:『言ひ出しかねて』/企画:朝倉大介/プロデューサー:福俵満・森田一人・増子恭一/協力プロデューサー:田尻裕司・坂本礼/音楽:野島健太郎/撮影:飯岡聖英/編集:酒井正次/録音:福島音響/助監督:伊藤一平/撮影助手:高尾徹・岡部雄二・下垣外純、他一名/協力:大西裕、他/出演:向夏・小滝正太・川瀬陽太・望月梨央・狩野千秋・森田りこ・山内一生・池島ゆたか・中村方隆・福原彰・榎本敏郎・いまおかしんじ、他夥しく多数)。情報量に屈し、諸々拾ひ損ねる。
 テッテレッテレッテー!と、「鬼警部アイアンサイド」のテーマに乗せパンチの効いたタイトル・インにて開巻。
 元妻の早苗(望月)からは時代遅れと匙を投げられながらも、腹話術師の大助(小滝)はホスト上がりの弟子・洋一(川瀬)の面倒も見つつ、けふも相方の人形・チビタ君とともに憲子(狩野)が死別した夫から引き継いだ演芸場の舞台に立つ。大助が洋一とマッタリ過ごす楽屋を、騒がしい物音と共に杖を振り回しながら、盲目のヒカリ(向夏)が訪ねる。大助のファンだといふヒカリは代筆して貰つたファンレターも添へた花束を、出迎へた洋一に手渡す。弟子の背後から二十センチは背の低い大助が応対し、目の見えぬヒカリは、洋一が大助であると勘違ひする。森田りこは、歌舞伎町のイメクラ嬢・ルナ。ルナはヒカちんルナちんと互ひに呼び合ふヒカリの友達で、下手糞な字のファンレターも、ルナが書いたものだつた。意外な、そして昭和の時代を髣髴とさせる展開の鍵の握り方を終盤果たす山内一生は、電車痴漢プレイに戯れるサラリーマン風のルナの客。ヒカリに関心を持つ弟子を慮る方便で、大助はヒカリを尾行してみる。歌舞伎町の雑居ビルに消えたことから、ヒカリが風俗嬢であると早とちりした大助は洋一に釘を刺すが、開き直つてヒカリを指名しようとした二人がルナが勤めるイメクラに駆けつけてみたところ、対面の鍼灸院からヒカリは出て来た。勝手な誤解も解けたといふ流れで、ヒカリと二人羽織の要領の洋一と大助とはビヤホールで酒を飲み、クラブを経由してラブホテルに入る。依然声は大助が演じたまま、洋一がヒカリを抱く。二、三十人は居さうな膨大なその他出演陣は主に腹話術舞台とビヤホール、それにクラブに見切れる皆さんといふ塩梅で、その中からビヤホールに福原彰(=福俵満)といまおかしんじだけは確認出来た。池島ゆたかと中村方隆は、仲の悪いベテラン漫才コンビの一郎と二郎。
 ヒカリは本来は大助に好意を抱いてゐたものの、然れどもその場の勢ひで誤認した洋一に、後にそのまま抱かれる。一方何時しかヒカリに対して寄せてしまつた恋心に、真相を明かすに明かせない大助は苦悶する。女のブラインドと男の腹話術といふギミックとを繰り出し三角関係を一対一の恋愛関係に偽装してしまふなどといふ、ユニークな離れ業に果敢に挑んでみせた、主眼としては切ないラブ・ストーリーである。幾ら目が見えないとはいへ男の胸に抱かれた女が、実際に発声してゐるのがその男では実はないことに気付かない訳がなからう嘘の苦しさに、画面として文字通り直面させられてしまふと映画といふよりは、寧ろ小説であつた方がネタが通り易かつたのではないか、といふそこはかとない疑問も残らぬではない。そもそも、フロントはどうやつて通過したのかといふ更に現実的なツッコミ処も論(あげつら)へよう。尤も、ビヤホールでヒカリが自分のことを話し始めるや、それまでの喧騒がまるで幻かのやうに他の客は姿を消し、大助と洋一が話に神妙に聞き入る件に際して俄に上がる劇伴のレベル。後に、自ら口を開き師匠ではなく自身としてヒカリに接した洋一こそがそれまで大助と思つて来た男だと、体の匂ひからヒカリが気付いてしまふシーンのスローモーション。古臭くも同時に力強いメソッドを駆使することにより、それなり以上に確かな求心力を以て物語に惹きつけられる。弱音を吐きかけたヒカリが、選りにも選つてすき家から実家に電話を入れる場面の凡庸さ、あるいは演出企図を超えた貧しさには、流石に頭を抱へざるを得ないが。加へてラストの、ある意味時代遅れの定番といへなくもない荒業は、二度目の山内一生の退場の仕方からの流れとして読めないこともないが、爆裂する唐突感も拭ひ難い。考へてみれば、幾ら何でも一時間の中にドラマを詰め込み過ぎでもなからうか。洋一と憲子との痴情などは、いつそのこと丸々不要なやうにも思へる。殊に、向夏・望月梨央・森田りこと既に三人脱いでゐる上での、肉塊なんぞ最大出力で積極的に無用だ。一郎二郎の長喧嘩も、果たしてどうしても必要か。大体が、山内一生第三波の鮮烈さを際立たせる為にわざわざ立てて意図的に放棄した訳ではよもやあるまいが、今作中最も古典的な、洋一が立てたフラグは一体何処に消えたのかといふのが最大の不可解である。短躯と盲目とを同じハンディキャップとして一括る大胆なダイナミズムを通すだけの力は有してゐる反面、力に任せ過ぎたか、そこかしこに粗を残す一作でもある。
 目が見えないことを追体験しようとしてみた大助が、まるで座頭市ばりの仕種を見せるのは、まあ御愛嬌の範疇だといふことで。

 下手な筆を横滑らせると、リアルタイムでは観た覚えがなく今回が遅ればせながら初見なのだが、少なくとも監督作に限定した場合後藤大輔といへば、傑作「痴漢義父 息子の嫁と…」(2003)のことは何かの弾みか間違ひとしか思へないだなどと広言して憚らない立場としては、ひとまづの収穫ではあつた。


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 「三十路生レズ なぶり合ひ」(1992『ハードレズ 本番《生》奴隷』の2007年旧作改題版/企画:セメントマッチ/製作:《株》FREE PIT/提供:Xces Film/監督:池島ゆたか/脚本:五代響子/プロデューサー:草野弘文/撮影:下元哲/照明:田端巧/編集:酒井正次/録音:銀座サウンド/緊縛:聖宇武/助監督:柴原光/撮影助手:中尾正人/照明助手:広瀬寛巳/協力:ペンジュラム・劇団 流星舞台、他/出演:雪之丞・芹沢里緒・橘あゆみ・杉下なおみ・しのざきさとみ・栗原良・山本竜二・池島ゆたか・神藤時緒・林田義行/特別出演:片岡修二・山の手ぐり子)。監督助手をロストする。アバウトな新版ポスターにあつては、山本竜二と栗原良と芹沢里緒が特別出演といふことになつてゐる。五代響子といふのは、あくまで暁子のクレジット誤植でなければ当方の誤字でもない。但しそんな―当時―五代響子の役者時名義の山の手ぐり子が、特別出演とはいへ何処に見切れてゐたのかには全く気付かなかつた。基本的にはも何も、舞台は殆ど動かない為可能性の残される場面すら見当たらないのだが。プロデューサーの草野弘文といふ見慣れない名前は、制作会社「FREE PIT」の代表取締役。
 下男の信次(山本)は気配に眉をひそめる中、家庭教師の篠原夏美(芹沢)が、有子(雪之丞)に露出させた尻をスパンキングする折檻を加へる。滅多にミサトな自宅屋敷には戻らない父親で会社社長の佐倉俊邦(栗原)は、夏美と信次とに任せた有子を、そんな話が通るのか、中学からは学校にすら通はせない事実上の軟禁状態においてゐた。有子の母、そして俊邦の妻・万里子(しのざき)は、既に交通事故で没してゐた。女王様と家来の立場にある、夏美と信次の淫らな関係に有子が衝撃と嫌悪とを抱く反面、平賀勘一が出演する、キス・シーンのある昼メロ(?)を有子がテレビで見ることすら、夏美は許さなかつた。そんな有子の現況に、時折佐倉邸を訪れる俊邦秘書のサツキ(橘)は同情を示す。具体的な対策を採らうとするサツキ(橘)が、屋敷を後に車を走らせようかとしたところで、後部座席に忍び込んだ信次が水のないプール的にキャプチュード。ペニパンも装着した夏美は、信次も交へ二人でサツキを陵辱した上にビデオ撮影、邪魔者の口を封じる。一方俊邦は、サディストの富豪・岸田(池島)の花嫁として、純粋培養した上勿論未だ処女の、有子を差し出さんとする文字通りの姦計を巡らせる。ところで、髪に白を少し入れた池島ゆたかがニヤリニヤリとSM富豪として現れた時点で、半分頓珍漢なギャグにしか見えない。杉下なおみは、岸田が飼育する隷女・エムならぬ恵美。神藤時緒と、PG誌(1994年創刊)編集長の林田義行は俊邦の回想シーンに登場する、結婚後も夫のことは蔑ろに、恣な肉欲に耽る万里子の3P相手。神藤時緒といふのは誰かの変名に違ひないとは踏んだものだが、二人とも満足に首から上は抜かれない故、その点に関しては不明。グラサンで顔は隠しつつもその人と知れなくはない片岡修二は、岸田家執事。
 黙つてゐると別に判らないが、池島ゆたか第二作の新版公開である。確か前年の第一作は1997年に旧作改題されてゐた筈なのだが、確認出来なかつた。自分の子供と甚だ疑はしき娘を、亡き妻への歪んだ復讐も兼ね低劣な好色漢に捧げようとする父親。さういふ趣向がひとまづ酌めはするものの、兎にも角にも、自ら出撃した岸田が参戦する中盤以降が、映画が妙な加速でどんどん明後日に一昨日へと反れて行く。19の誕生日パーティーと称して、俊邦はチャイナ・ドレス姿の有子を岸田邸に連れ出す。とりあへず出されたワインに二人が口をつけた―あれ?―ところで、片岡修二がこれ見よがしに不自然な黒幕を引き剥がすと、ガヒョーンといふ古めかしく間抜けなSEと共にそこには檻の中鎖に繋がれた恵美が。俊邦は兎も角有子が目を白黒させてゐると、今度は煌々としたバック・ライトを背負つた褌一枚の岸田が、火を点けた赤蝋燭を両手にジャーンと棒立ちで登場。ここに至るともう、どうぞ爆笑して呉れといはれてゐるやうにしか思へない。映画としての出来はこの際さて措き、感動的に底の抜けた名もとい迷シーンであることに疑ひはない。以降も以降で、都会の街並でもないのにジグザグを気取る。有子の悲運は何故か何処吹く風、夏美を主人に奪はれたくはない信次の暴発や俊邦の女々しい復讐譚にとガクガクに物語の軸がブレ続けた挙句に、気が付くと何時の間にかすつかり開眼した有子が岸田の腹の上でガンガン腰を振り倒す濡れ場で、そのまま無理矢理映画を振り逃げる。勢ひだけならばあるといへば無いこともないのだが、最終的には開いた口の塞がらない一作ではある。実はそんな不発作に於ける最大の見所はといへば、全盛期かと思しき弾けさうな、あるいは爆発的な威力が正しくダイナマイトといへる、しのざきさとみの裸に他ならない。カットとして決して長くはないが素晴らしく強力で、そのルネッサンス目的だけでも、とりあへず今作を通つておく値打ちはあらう。

 それにつけても、新題の“三十路生レズ”といふのは、芹沢里緒と橘あゆみとのことか?何でまたわざわざそこをフィーチャーするのか。全般的な的外れ感に、エクセスも律儀に沿つたのであらうか。


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 「サンクチュアリ」(2005/製作:レジェンド・ピクチャーズ/監督・脚本:瀬々敬久/企画:利倉亮/プロデューサー:江尻健治・山地昇/キャスティング:関根浩一/音楽:安川午朗/録音:山口勉/美術:西村徹/編集:桐畑寛/撮影:芦沢明子・佐久間栄一・横田彰司/助監督:松岡邦彦、他二名/制作:白石香織/協力:スナック ロック、他/出演:黒沢あすか・山下葉子・美向・下元史朗・外波山文明・小水一男・武田修宏・光石研・長門勇、他)。照明とか劇中画だとか、色々拾ひ損ねる。
 殆ど荒野のやうな山の中で拾つたタクシーの中で寝落ちた山本アキ(山下)が目を覚ますと、左腕は手錠で車内の持ち手に繋がれてゐた。慄くことすらなく暴れてみせるアキに対し、ゆつくりと振り返つた女タクシードライバーは、黒木裕子(黒沢)であつた。瞬時に事態を、乃至は裕子の意図を悟つたアキは、一転今度は愕然とする。三年前の夏、アキが暮らす山間の田舎を裕子は裕福な一家の避暑地として訪れた。給油に立ち寄つたガソリンスタンドで、裕子はアキと出会ひ、唇を奪はれる。その後配達に訪れたアキから裕子は刹那的に抱かれる一方、裕子の息子・ミノル(子役クレジットはロストする)がその直後に姿を消す。息子の安否を求め狂奔する裕子は、度重なる携帯電話への無言電話に苛まされつつ、アキに対して強い猜疑を抱いてもゐた。今作はさういふ二人の女の来し方を、端々に現在時制を挿み込みながら、「一年前の冬」、「二年前の秋」、「三年前 夏の終はり」(原クレジットは珍かな)、そして「はじまりの夏」へと、順に遡る形でトレースする構成を採つてゐる。
 登場順に下元史朗は、劇中実行犯ではないが、本庄市保険金殺人事件に於ける八木茂死刑囚のポジションに概ね相当する、アキが勤めるスナックの経営者。どうしたものかヤバいドライブで肥えてゐる長門勇は、給油所を営むアキの父親・辰男。事実上父親は居ないアキの娘・結花役の子役の名前を、矢張り取り零す。本格的な演技体験は初めてらしい、いふまでもなく元サッカー選手の武田修宏は、ミノル失踪後、裕子とは心が離れてしまふ夫・秀雄。サッカーは現役当時日本代表レベルであつたとして、直截にいつて芝居は素人の起用に際しては大人の事情とやらも大いに透けて見えるが、佇まひはまだしも少し声を荒げさせるとまあ台詞が何を喋つてゐるのだか感動的に判らない。ミノルが行方不明になつて間もなく、アキは結花を辰男に押しつけ家を出る。オタク趣味を持つ農夫、といふ複雑な役どころをそつなくこなす光石研は、客として入つた下元史朗の店でアキと出会ひ、最終的には謀殺される夫。外波山文明は、ミノルではなかつた子供の惨殺死体の写真を裕子に照会する刑事。美向は、外波山文明の下を離れた裕子が出会ひモーテルで体を重ねる、猛烈に情緒不安定な女・キリコ。改めて振り返ると今作、キス・シーン以上の男と女による濡れ場は存在しない。キリコは虐待の末に息子を殺してしまつた夫を殺して来たところで、裕子が外波山文明に見せられた死体写真も、キリコの息子のものだつた。短い出演ながら抜群の存在感を見せつける、別名ガイラこと小水一男は、モーテルの支配人。
 当時アルゴ・ピクチャーズの配給により劇場公開もされたとはいへ、撮影はデジタル・ビデオによるほぼVシネである。瀬々敬久の名前もあり、シネフィルの中には今作を激賞する向きも散見されるやうだが、いつか時の流れに押し流されることも厭はない偏屈なピンクスとしては、瀬々敬久が演出する各シークエンスの緊張なり質量を、ビデオ撮りの心許ない画面が支へきれてゐない感触が何はともあれ強い。手前プロジェク太上映で観ておいて何をヌカしてやがる、といつた論難は一旦御容赦願ひたく、それ以前に当の瀬々敬久本人に、実はその点についての頓着が別に無ささうな辺りが、更に心苦しくもあるのだが。そのことはさて措き、終始鬼気迫らん勢ひで充実を見せる始終は、けれども最終盤に至つて二つの綻びを見せないでもない。まづは全ての悲劇の発端たる、ミノルと結花との禁じられた遊び。目撃し激越に逆上するアキのバック・ボーンの描き込みに若干の不足も感じさせることに加へ、ミノルと結花の行為自体に少々飛躍が短絡的に大き過ぎはしないか。それこそここは最早、背中まで45秒のピンク映画ではあるまい。絶望的なラストと思しき無間の着信に関しても、最重要の懸案事項が告白と復讐とによつて少なくとも一応決着してゐる以上、そのことはこの際瑣末でもなからうか。ミノルの情報を求める手製チラシといふ形で、悪意も持つた世間といふ暴風雨の前に雨戸を開けてしまつた時点で、さうなることも当然予想の範囲内の事柄に過ぎないのではと思はざるを得ない。従来型の起承転結方式に背を向けた作劇は、その分といふ訳でもなからうが最後の最後で詰めに甘さを残した印象も残す。


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 「ユニバーサル・ソルジャー リジェネレーション」(2009/米/提供:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント/日本配給:エスピーオー/製作:ピーター・ハイアムズ、他/監督:ジョン・ハイアムズ/脚本:ヴィクター・オストロフスキー/原題:『Universal Soldier A New Beginning』/撮影監督:ピーター・ハイアムズ/編集:ジョン・ハイアムズ/出演:ジャン=クロード・ヴァン・ダム、ドルフ・ラングレン、アンドレイ・アルロフスキー、ザハリー・バハロフ、マイク・パイル、コーリイ・ジョンソン、ギャリー・クーパー、クリストファー・ヴァン・ヴァレンバーグ、他)。
 一度死んだ兵士を蘇生させることによる、戦闘マシーン“ユニバーサル・ソルジャー”(以下ユニソル)同士の激突を描いた「ユニバーサル・ソルジャー」(1992/監督:ローランド・エメリッヒ)から十七年。その間に製作された「ユニバーサル・ソルジャー ザ・リターン」(1999)やTV シリーズのことは事実上無きものとして、第一作以来初めてジャン=クロード・ヴァン・ダム(以下JCVD)とドルフ・ラングレンとが再び相見える続篇である。
 SPに物々しく警護されながらも、ロシア首相子息の兄妹がのんびりと博物館の観覧を楽しむ。表に停めた迎への高級車に二人が乗り込まうかとしたタイミングで、画面右から武装兵士を乗せた大型車が強行フレーム・イン、送迎車を大破させる傍ら兄妹を拉致。何故か少々撃たれたところで死なない兵士は、VIPの人質が居るといふのに結構無造作に発砲して来るロシア警察を相手に殆ど市街戦を展開しつつ、最終的には用意しておいたヘリで首相子息の誘拐に成功する。民族主義のテロリスト・トポフ指揮官(ザハリー・バハロフ)が声明を発表、人質の身柄と占拠したチェルノブイリ原子力発電所の原子炉と引き換へに、拘束された政治犯の釈放を要求する。トポフは“農夫に銃を持たせた”と揶揄されもする自身の組織の他に、JCVDの実息であるクリストファー・ヴァン・ヴァレンバーグ演ずる助手を従へた研究者を金で雇ひ、NGU(New Generation Unisol)と呼ばれる新世代型ユニソル(アンドレイ“ザ・ピットブル”アルロフスキー)を手に入れてゐた。ロシアはユニソルの開発元である米軍に協力を依頼、米軍は現存する五体の初期型ユニソルの内、四体をチェルノブイリに向かはせるものの、NGUとの圧倒的な性能差の前にまるで手も足も出せずに全滅。窮した米軍は、人間性の回復を目的とする更正プログラム「フェニックス・プロジェクト」の過程にあつた最後の初期型ユニソルである、リュック・デュブロー(JCVD)に白羽の矢を立てる。
 迂闊な世間は清々しく今作の方を向いてはゐやがらないやうだが、JCVDやドルフ・ラングレンの名前からそこはかとなく漂ふB級映画スメルには反し、結構どころか大分よく出来かつ、熱い思ひも込められた胸を撃ち抜かれる一作である。目につくツッコミ処といへばそこら辺の廃工場を原子力発電所と称してみせる安普請程度で、実際のところ二線級なのは1400万米ドルといふバジェットのみ。オープニング・シークエンスからカー・チェイスに銃撃戦を畳みかけ、以降も戦争アクションや主に新旧ユニソルが激闘を繰り広げる高スペックな格闘戦と、全篇を通して派手な見せ場がふんだんに盛り込まれる中、とりあへず何を特筆すべきなのかといふと、今時のアクション映画にしては画期的ともいへるのではないかと思ふが、劇場最前列で観てゐてスクリーンの中で何が起こつてゐるのか判らないカットが一つも無い、名匠ピーター・ハイアムズの熟練が火を噴く超絶の撮影がまづ比類ない。類型的なプロットを何気なく97分で一息に観させてしまふ為、ウッカリすると通り過ぎてしまひがちになるのかも知れないが、地味に脚本も計算され尽くしてゐる。共にアラフィフのJCVD(1960生)とドルフ・ラングレン(1957生)のことを慮つてか単に拘束時間の問題か、兎も角中盤まではNGUとその他初期型ユニソルに間をもたせ、リュックと、リュックにとつて元々は上官で、ユニソルになつてからは宿敵ともなるアンドリュー・スコット(ドルフ・ラングレン)とを順々に投入する構成が秀逸。人間であつたものが軍の非人道的な計画によりユニソルといふ殺戮兵器にされた出発点から、再び人間への道を苦しみながらも歩いてゐたところで、再び再び他人の都合に翻弄され、ユニソルとして戦地に赴くリュックの姿は、円熟味も増して来た決して馬鹿に出来ぬJCVDの演技力も相俟つて、普通に素のドラマとしてエモーショナル。対して細かくは書かないが、そもそもNGUを有してゐるといふのに、何で又わざわざこの期に戦力では完全に劣る初期型ユニソルの出番となるのか、といつた疑問に対して綺麗に答へてみせる、トポフ側に起動されたスコット軍曹が参戦する段取りの的確な論理性もスマートに光る。しかも自我を摸索して暴走するスコットを事態の霍乱要因に、一旦収束しかけた事件を再加速させる展開には震へさせられる。実は個人的には、JCVDといふよりは寧ろドルフ・ラングレンのファンなのだが、この人は間違つても演技者として表情が豊かなタイプではなからう。そんなドルフ・ラングレンにとつて、何かの弾みでか目覚めてしまつた自我の萌芽を持て余すかのやうに、闇雲に暴れ倒す人間凶器といふ今作に於けるスコットのポジションは、麗しいまでのハマリ役。そしてこれはJCVD、ドルフ・ラングレン双方にいへることだが、いい感じで年嵩も増し、痺れるやうな色気を醸し出す。その他のキャラクターの見所としては、アンドレイ・アルロフスキーと同じく現役のファイターであるマイク・パイル演ずる、軍務に忠実で有能なアメリカ軍兵士・バーク大尉が、最期まで折れることなき強いハートで、生身の人間ながらにNGUに果敢に挑む場面も燃える。そして何よりもイモーショナル(【imotional】、名詞形のイモーション【imotion】は“in motion”からの合成造語で、体が動き出すほどの強い感動の意)なのは、経験と決死を頼りに本来ならば自身よりも戦闘力の高いスコット軍曹やNGUに対する、リュックのクライマックス・バトルも勿論のこととして、なほのこと素晴らしいのは実はその前段。単身チェルノブイリに突入して行くリュックを捉へた、怒涛の長回しが凄まじく素晴らしい。雑魚キャラを駆逐しながら歩を進めるリュックの姿を追つて、まあ長く回す回す、そしてJCVDが猛烈に動く動く。その撮影自体が、戦闘といふ名で呼ぶに値する困難であつたらうことも想像に難くはなく、齢五十にして「俺はまだまだやれるんだぞ」といふJCVDの魂の叫びが聞こえて来るかのやうで、激越に心揺さぶられる。この嘘偽りだらけの現し世の中で、割らないカットの強さは、アクション映画が俺達に見せて呉れる一つの真実だ。一件落着した後は、下手な蛇足のエピソードなど盛り込まうとする色気も見せずに、ある意味淡白ともいへる手短さで幕を引いてしまふ潔さは、却つて深い余韻を残す。久方振りにドルフ・ラングレンの雄姿を銀幕に見たい、程度の軽い気持ちで辺鄙な場所にあるシネコンにまでチャリンコを走らせたものであつたが、思はぬ収穫どころか、JCVDとドルフ・ラングレンそれぞれのキャリアを語る上で第一作と同様欠かすことの出来ないであらう、随分決定的な名作であつた。

 さうかうしてみるとほぼ完璧な傑作であるかのやうにも思へて来るが、映画にとつて必要なもので、今作に欠けてゐるものを強ひて挙げるとするならば、女の裸が足りないといへば確かに欠片も無い。となると、熱い内に打つべく早く作つて欲しい次作に登場する新機軸は、いよいよ女ユニソルか。何だか「エロティック・パーク」系の物件で、既に何時か何処かで馬の骨が勝手にやつてゐさうな気もしないではないが。


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 「熟女調教 発情の目覚め」(1996『まん性発情不倫妻』の2009年旧作改題版/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:吉行由実/脚本:吉行由実・関根和美/撮影:小西泰正/照明:隅田浩行/助監督:加藤義一/音楽:加藤キーチ/編集:酒井正次/スチール:津田一郎/監督助手:池原健/撮影助手:有賀久雄/〃:岩瀬正道/照明助手:耶雲哉治/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/現像:東映化学/協力:野上正義・旦々舎・細谷隆広・鈴木アヤ・吉橋透・杉山洋介/出演:小川美那子・吉行由実・泉由紀子・伊藤猛・坂田雅彦/友情出演:葉月螢・荒木太郎・五代暁子)。
 製作の関根プロダクションに続いて、「吉行由実 第一回監督作品」のクレジット。フラッシュ・バック風の短いカット割を駆使しつつ、吉行由実がヒステリックにシャワーを浴びる。佐伯由理(吉行)は風呂上りに、新しい家族である恵子(小川)と笑顔で挨拶を交す。由理の兄・慎吾(伊藤)は、職場の先輩である恵子と結婚した。高校生の時に亡くした母―父親の処遇は一切語られない―の面影を感じさせる恵子に、由理は複雑な心境を秘かに抱く。母親の亡骸(小川美那子の二役)の乳房に唇を寄せたまゝ泣き疲れて眠る妹の姿を、実は兄は目撃してゐた。在職当時、恵子は慎吾と共通の上司である課長の土田(坂田)と、六年間に及ぶ泥沼の不倫関係にあつた。土田からの電話に涙する兄嫁の姿を、今度は妹が窓越しに目にする。泉由紀子は、度々外泊はするものの彼氏がゐる訳ではない、百合もとい由理の恋人・ミユキ。エンド・クレジットでは何故か“ユ”の字が少し小さく、まるで“ミュキ”に見える。
 亡き母を想はせる兄の結婚相手に対する、妹の道ならぬ恋情。ヒロインの、あくまで父親ではなくマザー・コンプレックスがテーマといふのは新味を感じさせるが、吉行由実のデビュー作を一言で言ひ表すならば、どうにも際立つのはぎこちなさ。表情に乏しくたどたどしい小川美那子と吉行由実、与へられた中途半端な距離感の中で所在なく立ち尽くし気味な泉由紀子。家族の前での闊達なキャラクター造形が、持ち前の朴訥さとはものの見事に親和せず清々しい仕出かした感を振り撒く伊藤猛。主要キャストの中では嫌味な好色漢をそれでもその限りに於いて好演する坂田雅彦以外は、全員沈む俳優部の惨敗ぶりが、ひとまづ顕著に挙げられよう。シフォンケーキを作る恵子の指先を取つた由理が熱つぽく漏らす、「温めてあげる・・・」の口火から、風にそよぐカーテンの画を挿むと唐突に二人とも全裸の恵子の腹に、由理が安らかに頭を預けてゐたりする感動的に頓珍漢なカットの繋ぎが、最終的な火に油を注ぐ。当事者は眠る間に期せずして秘密に触れた慎吾が黙して語らずといふ状況を、二度繰り返してのけるのも芸がなく、フィックスのカメラの前で、動きを欠いた二つの体がゴロゴロ漫然と転がるのが悪い意味で特徴的な、抑揚を欠いた濡れ場も明確な減点材料であらう。それでゐて、元不倫相手である土田が悪意を込めてかけた電話に触発され、かつての愛欲に溺れた荒んだ日々を想起しつつ、恵子が何時しか自慰をオッ始めてみたりするシークエンスには、決して我意のみに固執してしまふことなきやう、従来風のピンク映画的な展開に対する心配りが垣間見えもする。ぎこちないのと同時に、そこかしこでちぐはぐな一作でもある。それまでのハウス・スタジオではなく浜野佐知の自宅庭で撮影された、慎吾と恵子が佐伯家の庭に水をやるところに、遅れて由理が起きて来るラスト。戯れに慎吾がホースを向けたものだから、「キャアッ!」と半分裏返つた悲鳴をわざとらしく上げる小川美那子を、しかもスローモーションで押さへてみせる画期的な蛮勇は、処女作のみにギリッギリ許された正しく若気の至りとでもしか評しやうがない。劇中由理やミユキの衣装、即ち吉行由実なり泉由紀子の私服の野暮つたさと同様、温かい目で見るならば微笑ましい一作ではある。それにしても一回り以上昔の吉行由実が、現在よりも幾分老けてオッパイも小さく見えるのは、一体如何なる超常現象か。

 友情出演勢は、同じカットながら登場順に荒木太郎が慎吾の右隣に座る同僚で、葉月螢が慎吾から受け取つた扶養手当願ひに土田の認印を貰ひに行く、経理か総務担当の女子社員。二人とも台詞がある一方、五代暁子に関しては完全に見落とした。ほかに残された可能性が見当たるのは、矢張り慎吾勤務先社内くらゐしか見当たらないのだが。


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 「襦袢妻の急所 寝間を覗いて!」(2002『不純な和服妻 覗かれた情事』の2010年旧作改題版/製作:フィルム・ハウス/提供:Xces Film/監督:坂本太/脚本:有馬仟世/撮影:創優和/照明:斉藤志伸/編集:フィルムクラフト/助監督:竹洞哲也/監督助手:躰中洋蔵/照明助手:里舘統康/メイク:パルティール/タイトル:道川昭/出演:星沢レナ・ゆき・中渡実果・千葉誠樹・岡田智宏・竹本泰志)。ロストしたのではなく、撮影助手のクレジットはなし。
 本店営業部長への昇進も決まつたエリート銀行マンの夫・神谷隆文(千葉)に抱かれる薫(星沢)の艶姿に、二階寝室の窓際にまで忍び込んだ不審者が熱い視線を注ぐ。薫は闖入者の存在に気付きかけるが、隆文は一笑に付す。翌朝、颯爽と出勤する夫を楚々と送り出す薫の姿に、通りがかつたくたびれ気味の会社員・立花哲夫(竹本)が目を留める。立花こそが、昨夜の出歯亀男だつた。立花は結婚も約束したオッパイが大きくて可愛い彼女も居ながら、若い女にしては珍しい、和服を色つぽく着こなす薫に心奪はれてゐた。その晩、婚約者・土屋留美(中渡)と会つた立花は、ホテルで一戦交へる。そこまではいいとして、ところが事後、実は勤務先をリストラされてしまつてゐたことを立花が告白するや、留美は脊髄反射で手の平を返し激怒、無体に一切を御破算にするともう今は元婚約者の前から姿を消す。以降、中渡実果の出番は一切全くない。気の毒なくらゐに打ちひしがれた立花は、独りホテルから出て来たところで、あらうことか女連れの隆文と擦れ違ふ。翌日、仕方なく買ひ込んだ求人情報誌に虚ろな目を落とす立花の前を、昨晩隆文とホテルに入つた女・篠原早苗(ゆき)が通り過ぎる。立花が後を尾けてゐることにも気付かず早苗は、驚くことに神谷家へと入つて行く。目下離婚して再びシングルの早苗は、薫の先輩にして親友であつたのだ。それにつけても、知らぬは本妻ばかりなりをほくそ笑みながら、人の亭主を寝取る女といふ役柄への、ゆきのジャスト・フィットぶりは尋常ではない。焼酎「いいちこ」をナポレオンに模したことに倣へば、下町のファム・ファタールといつた風情が漂ふ。早苗が帰つた後、立花は玄関に差し込んだ怪文書といふ方式にて、薫に早苗が隆文と不倫関係にあることを伝へる。傍目には人も羨む絶好調順風満帆な生活を送つてゐるやうに見えながら、それでも抱へた何か心の隙間と、ストーカーに監視されてゐるやも知れぬといふ疑惑に怯える薫は、真偽のほどは未だ定かではない告発に動揺する。
 ピンクスにとつては御馴染みの、中渡実果(ex.望月ねね)とゆき(ex.横浜ゆき)に関してはいふまでもないとして。演出の力もあつてか憂ひを帯びた表情の美しさと、決して大きくはないが形の綺麗なオッパイとが堪らなく、ピンク出演は今作限りであることが重ね重ね残念でもある、主演女優の星沢レナ。何れ菖蒲か杜若、美人若手女優を揃へた三本柱は鉄壁で、返す刀で俳優勢も千葉誠樹・岡田智宏・竹本泰志と、おまけに背も高いイケメンを三枚並べてみせた。野球に譬へるならば全員完投能力のある先発ローテーションになほかつ後ろのリリーフも磐石といふ、強力な布陣を組んだ監督の坂本太は後は脇目も振らず、グッド・ルッキングな濡れ場濡れ場を連ねることのみに全精力を傾注する。特段お話として面白いだとか特筆すべき部分は別にありはしないが、画面も、そしてそれを作り出した技術と志も共に麗しい。そこに描かれてあるものは男と女の欲望と肉の交はりのみではあるものの、一歩退いて全体を眺めてみると、女の裸しかないのではない。女の裸のほかに、一体何が必要だといふのか。さういふ逆説的にストイックな姿勢の、実に清々しいエロ映画である。唯一注文をつけるとするならば、中渡実果の美身が拝めるのが、一度きりといふのが勿体ないといふ点くらゐか。それにしても展開上は致し方なく、無理な深追ひをしなかつた賢明を、寧ろ賞賛すべきであるのかも知れない。無職の割には、立花は妙な高スペックと幾許かの資金力をも発揮。終に屋内にまで侵入した神谷家のそこかしこに盗聴カメラを仕掛けると、薫の痴態を車の中からモニタリングする。そんなこんなでオーラスは、薮からに観察者としての立花の視点を立脚点に見据ゑた薫の、“本当のアタシ発見”物語に何故か着地してしまふのは唐突感も唸りを上げるが、ここは劇映画としての落とし処を摸索したものと、好意的に捉へたい。

 配役残り岡田智宏は、後に隆文と早苗の不貞の事実を確認し一線を越えて開き直つた薫が、W不倫相手にと呼び出す学生時代の先輩・原口雅也。


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 「人妻探偵 尻軽セックス事件簿」(2009/製作:Blue Forest Film/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典・山口大輔/撮影監督:創優和/助監督:山口大輔/編集:フィルムクラフト/録音:シネキャビン/監督助手:江尻大/撮影助手:丸山秀人・高橋舞/スチール:佐藤初太郎/音楽:與語一平/現像:東映ラボ・テック/協力:加藤映像工房・サイデリク・加藤学・大場一魅・荏原妙子/出演:かすみ果穂・友田真希・AYA・松浦祐也・倖田李梨・サーモン鮭山・岡田智宏・那波隆史)。
 沖野浩樹(サーモン)と不倫の情事を悪びれるでなく楽しんだ志村かおる(かすみ)は、ホテルを出て沖野を袖にしたところで、島野探偵事務所の半人前探偵・沼倉英二(松浦)に、捕まつたのではなくあくまでかおるが英二を捕まへる。かおるは夫(全く登場せず)がこれ見よがしに置いた探偵事務所のチラシから、自身が浮気調査の対象となつてゐるであらう節を察してゐた。タイトル・イン明け、晴れてといふか何といふか兎に角離婚したかおるは、挨拶と称して島野探偵事務所に乗り込むと、所長の島野奈美(AYA)に対し大胆にも自身を探偵として雇ふやう求める。必ずしもボケは伴なはずとも小刻みなツッコミが苛烈に応酬される中、食事の筈が菓子を買つて戻つた、タチとしてネコの奈美とは男女ならぬ女女の仲にもある秘書・ハニー倖田(倖田)が登場するまで、気づいてみると実は結構長く回してゐる。竹洞組での経験も豊富なAYA・松浦祐也・倖田李梨も兎も角、かすみ果穂が単なる綺麗処に止(とど)まらない、意外などといつては失礼な地力を感じさせる。強引に“元”人妻探偵生活をスタートさせたかおるは、お目付け役の英二を適宜半殺しにしつつ、事実の存在の如何に関わらず、浮気調査のターゲットに浮気させてしまへば話が早いと自らホテルで喰つてみせるだなどといふ、文字通りのマッチポンプを華麗にキメる、あるいはハニートラップか。英二がビアンの奈美に対する届かぬ想ひにヤキモキする一方、かおるは身辺調査の依頼人である、暴力夫(こちらも一切登場せず)とは別居中の菊池桃香(友田)と会ふ。桃香が調べて欲しい相手とは、同窓会で再会後、男の方は未婚であるものの継続的な不倫関係を持つやうになつた小城聡(那波)。二人は一年に一日だけ日を定めて逢瀬を重ねるが、ある時を境に、小城は桃香の前から姿を消す。ところで、しざかり熟女が―不倫―同窓会で再会した那波隆史と深い仲に陥るといふのは、何処かで聞いたストーリーであるやうにも思へるのは、決して気の所為ではない。2007年の「再会迷宮」(脚本:小松公典/主演:佐々木麻由子)との清々しい相似が、容易に想起されよう。
 竹洞哲也&小松公典コンビといふと、何時も何時も同じ趣旨の感想を書いてばかりでその限りに於いては恐縮でもあるが、例によつて同じやうな特徴を持つた映画ばかりなので仕方もない、とか最大限度で開き直つてみせたりもする。吹かれる風を待つ風車に据わりの悪い椅子、湯水の如く繰り出され続けるイイ台詞。相変らず、貪欲な反面メリハリは欠いた手数が如何せん多すぎる。ひとつひとつを掻い摘めば決定力を有してゐたのかも知れないギミックが、最終的には流れの速いTLのやうな展開の中、何れもが埋没してしまふ感は禁じ得ない。重ねて、黒のスーツで決めた島野探偵事務所の面々は、ビジュアルが抜群に映えるのに加へ掛け合ひの相性も満点。折角順調に走り始めたかのやうに見えた探偵―達の―物語を、桃香と小城のちんたらちんたらした大人のラブ・ストーリーだかが遮る構成には、根本的な問題がありはしないか。乱雑な結果論でしかないのかも知れないが、那波隆史は同じ条件で、相手役に佐々木麻由子で形にならなかつたものが、かういつちや何だが友田真希ではそもそも通らう相談ではあるまい。寧ろ悪し様に筆を滑らせるならば、大根を二本並べて八百屋でも始めるつもりか、といつた話である。尤も、那波隆史と友田真希といふと、工藤雅典の「おひとりさま 三十路OLの性」(2008)と同じ組み合はせであつたりもするのだが、この時は、オフ・ビートの悪漢といふ針の穴に糸を通すが如きハマリ役を那波隆史が得たことによつて、どうにか切り抜けた印象が強い。佐藤吏の「三匹の奴隷」(2009)に関しては、メインは亜紗美のパートにあると見るものなので、ここではいつそ通り過ぎる。
 随分逸れてしまつたので今作に舵を戻すと、当代きつてのソリッド美人・かすみ果穂。四作ぶりに漸く帰つて来たかと思へば、それは一体田村正和のつもりなのか、下手糞な日本語を喋る西洋人の物真似なのかよく判らない悪ふざけに基本終始しつつ、矢張り若手俳優部の他を凌駕する地力と存在感とを発揮する松浦祐也。過去最高のコンディションを保つてゐるやうに見えるAYAに、出番は然程多くはないものの、ハニー倖田の名に相応しい色気とスマートさとをさりげなく弾けさせる倖田李梨。殊に横一列に並んでみせたラストのフォー・ショットなどは画期的にカッコいゝだけに、所々に青春の苦味もまぶすのはよしとするにせよ、おとなしく粋な探偵映画の一点突破で押し切つてゐて呉れたならば、といふ心残りは甚だしく強い。

 最後に、今回の登場人物の役名に関して。小城聡はプロレスラーの小島聡で、菊池桃香が菊池桃子。沖野浩樹は沖田浩之を捩つたやうな気もするが、統一的なコンセプトには辿り着けなかつた。忘れてゐた、配役残り岡田智宏は、かおるが一人占めにした桃香の仕事の報酬で買ふ二枚目男。岡田智宏を、しかも短い濡れ場要員として流し使ふといふのも、なかなか贅沢な話だ。同一人物のやうにも見えた奈美の探偵師匠と、英二父親役が誰なのかはロストした。


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 「レイプ/恥獄」(1989『過激本番 乱-みだれる-』の2009年旧作改題版/製作:《株》旦々舎/配給:新東宝映画/監督:浜野佐知/脚本:山崎邦紀/撮影:稲吉雅志・鍋島淳裕・渡辺保彦/照明:秋山和夫・田中明/録音:長嶋吉宏・山崎新司/音楽:藪中博章/編集:金子編集室/助監督:四宮一志・毛利安孝/車輌:高橋達也/ヘアメイク:小原ナオキ/録音スタジオ:ニューメグロスタジオ/現像:東映化学/出演:栗原早記・沢村杏子・山本なつき・平賀勘一・直平誠・久須美欽一)。出演者中、直平誠は本篇クレジットのみ。今回新版ポスターには脚本が性懲りもなく山_邦紀、ええ加減どうにかせえよ。
 何処ぞの別荘地、石を手にした乾平(直平)を助手席に乗せ、浜野佐知からグラサンを借りた―嘘です―乾吉(平賀)の運転する不審なライトバンが、通りに立つ乾子(栗原)と目配せを交しつつ付近を物色するかのやうに徐行する。後に抜かれる乾子の手元は、残りの九本は黒いマニキュアで、左手薬指だけが赤い。乾平と乾吉は、自転車に乗る道原レイコ(沢村)に狙ひを定める。踏切で自転車を止めたレイコを、電車の通過に合はせたこなれないクロス・カッティングを用ゐて乾平が捕獲する一方、乾子は言葉巧みに小室ハルカ(山本)に接近する。三姉弟は原つぱの真ん中にぽつねんと建てられた、黒塗りのハウス・スタジオのやうな一軒家に二人を監禁陵辱した上、85の誕生日を迎へた祖父・川旗乾之助(久須美)の祝ひの品にレイコとハルカを供すあるいは饗する。
 劇中レイコが口汚く罵るやうにキチガ○の一家が、捕へた獲物の美肉を暴力的に貪る。端的にいふならば、強姦と殺人の違ひがあるといふだけで、要はピンク版「悪魔のいけにへ」とでもいつた一篇。女優陣のルックスは仕方なく垢抜けない反面、容赦なく過激なレイプ描写は二十年の時代を超え得る威力をひとまづ有してはゐる。今作が、頑強なフェミニストである女流監督・浜野佐知の作品である点に基くもしくは躓く巨大な疑問さへさて措けば。とはいへ一旦は脱出失敗したのち、生きるか死ぬかのこれは戦争だとレイコが敢然と腹を括つてからの女達の逃走ではなく逆襲は、浜野佐知の面目躍如もスラッシュ方面の斜め上に通り越してみせる。ピンク史上屈指であらう致死率の高さを誇る一作は、現実的にはある意味も何もトゥー・マッチでしかないといへばないのだが、勧善懲悪ならぬ完全懲悪とでもいはんばかりの勢ひで、自身の思想的立場と同時に観客のカタルシスにもキッチリ形をつけて呉れる力技は矢張り流石といへよう。一応美人の範疇には入るものの、序盤はぎこちなく硬く見えた沢村杏子のルックスが、終盤意を決するに至つて凛々しく見えて来るのは、これこそが映画の魔術に違ひあるまい。
 利尿剤入りのミルクを飲まされた、正確には舐めさせられたレイコが、兄弟に両側から抱へ上げられた体勢で失禁羞恥に咽び泣くエクストリームな濡れ場にあつては、律をも懼れぬ勇猛果敢な踏み込みを発揮。パンティ越しとはいへ実際に排尿させた沢村杏子の観音様に対するクローズ・アップは、観てゐてこちらが逆にハラハラさせられるくらゐまで見せる。順序的には前後してもうひとつ明後日な見所は、わざと逃がしたレイコとハルカを、ほくそ笑む三姉弟が森の中で待ち伏せる場面。ラスタなコーディネイトの平賀勘一が、乾吉の偏執性を表現するメソッドとして、あのアクション乃至はダンスを実際にどういふ名称で呼ぶのかは知らないが、指先まで伸ばした両手を体の前で繰り返し繰り返し横方向に交叉させながら、足はガニ股に開き体全体を左右にスイングする動作を、結構長めのカットの間延々続けてゐるのは間抜けで楽しい。それと平賀勘一は、二十年以上前の映画だといふのに、吃驚するくらゐに変らない。


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 「聖乱シスター もれちやふ淫水」(2010/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画株式会社/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:永井卓爾/監督助手:田辺悠樹/撮影助手:宇野寛之・野口喬/照明助手:八木徹/編集助手:鷹野朋子/スチール:津田一郎/タイミング:安斎公一/効果:梅沢身知子/録音:シネ・キャビン/現像:東映ラボ・テック/協賛:ウィズコレクション/出演:夏川亜咲・一色百音・真田幹也・吉岡睦雄・なかみつせいじ・藍山みなみ)。
 イメージクラブ「懺悔室」での、シスターに扮したイメクラ嬢・小西真央(夏川)と、迷へる子羊役の雇はれ店長・大江克也(吉岡)のプレイ。夏川亜咲がL字に開いた人差し指と親指を振り回しながら、決め台詞を叩き込む度にSEをキュインキュイン鳴らしてみせる無防備なポップ・センスは、何時も通りの渡邊元嗣、微笑ましくも頼もしいぜ。悪魔を吸ひ出すだとかで尺八を一吹き嗜んだ真央は、圧倒的な回復度で再び我に撃つ用意ありな克也を看て取るや、「まだ悪魔がゐる!」と今度は騎乗位へと華麗に移行。どうでもいいのかよかないのかは兎も角、あんたらこんな映画撮つててどうなつても知らんからな。といふか、時代が時代ならばバチカンに小屋ごと殲滅されかねない勢ひだ。キナ臭ささへ漂ふ重大なリスクに関しては気がつかないプリテンドで先に進むと、店長が店の娘と、どういふ経緯で遊んでゐるのかはまるで不明なまゝスッキリ楽しんだ克也は事後、手の平を返すかのやうに真央に馘を宣告する。真央が「懺悔室」の社長と関係を持つたことが、社長夫人(夫妻は共に全く登場せず)に発覚したからだといふのだ。寮も追ひ出され、馬鹿みたいに短い丈の修道服で画期的な脚の長さを輝かせつつ、当てもなく途方に暮れ神社に足を踏み入れた真央の前に、その場所が根城なのか、自らを神様と称するホームレス(なかみつ)が現れる、

 全方位的に自由だな。

 神様との、ドリフの神様コント風の遣り取りを経て、奇跡か単なる場当たり的な方便に過ぎないのか十円玉一枚を手にしただけの真央は、今度は聖オーピー教会の神父・畑中秀人(真田)と出会ふ。何処まで俗世に疎いのかピュアに間抜けなのか真央を本物のシスターと誤認した畑中は、職と住まひを失つた真央を、資金難から閉鎖の危機に瀕してゐるともいふ教会にひとまづ連れ帰る。ところで絶賛童貞の畑中は、悩殺ウィズ衣装で迫る真央すら相手にしないほどの、プリン狂であつた。
 「神父様、信者の大江朱美です」、とハチャメチャな無作為感が最早清々しい第一声で登場する一色百音は、だからオーピー教会の信者・朱美。梨花似のルックスと、そのイメージで固定されれば意外なグラマラスは攻撃力が高い。それもどうなのよといふツッコミは押し殺すとして、夫とのセックスレスの悩みを相談に訪れた朱美の夫とは、誰あらう実は克也であつた。ノーマルの営みでは満足出来ないとの克也の声を受けた真央は、朱美に修道女プレイを伝授し夫婦生活を丸く収める。この辺りの流れは、痴漢電車の初期理論を定立してみせた名作「痴漢電車 いゝ指・濡れ気分」(2004/主演:愛葉るび・なかみつせいじ)も髣髴とさせる。何処かしら影を宿した風情の藍山みなみは、寄付金集めから戻つて来たオーピー教会の本物の修道女・三好礼子。大江夫婦とは大学時代の同級生であり、二人の結婚式直後に出家した礼子は、複雑な視線を克也か朱美に向ける。その他結婚式参列者として見切れる二人は、永井卓爾と多分田辺悠樹か。
 桃色の機動力抜群のヒロインを擁し、神様といふ最大級の飛び道具をも果敢に投入したアクティブでアグレッシブな渡邊元嗣2010年第一作は、礼子の色んな意味で道に反した恋や、真央と畑中のもどかしいラブ・アフェアにと、貪欲に幅広く展開する。宗教的にあるいは無宗教的に、そこかしこに火の粉を撒き散らす大らかな無頓着さはあへて一旦無視するとして、プリン、“レオ・グラシアス”神に感謝する短い言葉、そして奇跡の十円玉。何れも有効に機能する伏線が数々並べられる様には、渡邊元嗣の好調を支へる山崎浩治の充実も漲る。よくよく考へてみるに、最近は良コンディションを維持してゐる藍山みなみの突破力を軸とした礼子の悲恋物語は、よくいへば敬虔ともいへるものの、教義の前に思考停止し為す術なく立ち尽くすばかりの畑中は尻目に、「気持ちを伝へるだけなら、神様はきつと怒んない!」といふ銀幕から観客を撃ち抜く真央の名台詞も引き出し、今作に於けるエモーションの頂点を高らかに貫く。逆からいふと、それ以降落差が鮮烈なオチから百合の花を咲かせるところまでは兎も角、そこで一息に映画を畳み込んでしまはずに、今度は真央と畑中の肉食系・ミーツ・草食系なラブ・コメディへとシフトして行く構成は、運命的な再会に際して若干もたつきを見せるのもあり、六十分にあれこれ詰め込み過ぎた過積載は否めなくもない。といふか、渡邊元嗣相手にこの期にピンクに於けるペース配分を問ふのも野暮な相談であるとするならば、単に手際の問題であるのやも知れぬ。とはいへ「青年よ、性欲に生きろ」などと宣り給ふ天啓を豪快に轟かせてみせた上、古めかしくも爽快感満点なラスト・ショットは、映画を感動的に綺麗に締め括る。その教会に降り立つた神は、ほんで何処の神さんなのよなどといふ狭溢な疑問は、この際忘れてしまへ。2010年もナベが飄々と駆け抜けて行くであらう雄姿を予感させる、何てこともないかのやうに見せかけて確かに充実した一作である。


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 「誘惑教師 《秘》巨乳レッスン」(2009/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:岡輝男/撮影監督:創優和/編集:有馬潜/音楽:レインボー・サウンド/録音:シネキャビン/助監督:竹洞♀哲也/監督助手:江尻大/撮影助手:丸山秀人・高橋舞/スチール:佐藤初太郎/音響効果:山田案山子/現像:東映ラボ・テック/美術協力:阿佐ヶ谷兄弟舎/協力:荏原妙子・金村英明・鯛麻由美・豊坂美帆・新居あゆみ・府川絵里奈/出演:@YOU・酒井あずさ・藍山みなみ・柳東史・中田二郎・岡田智宏・丘尚輝・しのざきさとみ・なかみつせいじ)。公開題の単刀直入さが清々しい。
 まづ形式的な特徴として、形はどうあれ何れも安普請を露呈する手書きの文字情報で明示される、「プロローグ」、「第一章 派遣切り」、「第2章 モンスターペアレント!」、「第三章 学費滞納」、「第四章 学校裏サイト」、「第五章 淫行教師」、「エピローグ 教育格差」の計七章から今作は構成されてゐる。とはいへ各章の独立性が別に高くはなく、それぞれの場面場面のキー・ワードを章題といふ形で提示してみました、といふ程度の判り易さ以外には、わざわざ章立てすることに特段の意義が感じられる訳では別にない、プロローグを除いて。
 主演女優のファースト・カットだといふのに、カメラから顔を背け―こゝは明確な画面設計のミスだらう―ハンサムな同僚教師・西島(岡田)に見蕩れる私立高校教師の松下鮎美(@YOU)が、校長から呼び出される。綿を含み熊倉一雄ばりの口跡を駆使、といふほどでもなく戯れるなかみつせいじ扮する校長は鮎美に、景気低迷と少子化の進む昨今、学校経営の観点から生徒の成績を上げられない教師は馘にする旨を厳命する。いつそ教職に見切りをつけ、永久就職も悪くはないかと思ふ鮎美ではあつたが、同居する恋人の平井和樹(柳)は、先んじて派遣切りの憂き目に遭つてゐた。仕方がないので斜め上に奮起した鮎美は、まづは成績最下位の勝村俊平(中田)をロック・オン、自慢のオッパイを餌にした個人授業を開始。要はバレーならぬ、おつぱい受験といふ寸法である。それはそれとして麗しく羨ましいファンタジーである点には論を俟たないが、ところで、女子生徒に関してはどう攻めるのよ、とかいふ潤ひを欠いた疑問はとりあへず看過の方向で。以降第2章に於いては、数学教師・等々力浩(丘)の前に、最終的には事故で入院した息子の代りに女生徒として―勿論制服も着用するぜ―授業に参加する桜坂君子(酒井)が、地響きとともに華麗か豪快に登場。第三章では父親の経営する会社が倒産し、授業料を払へず退学の危機に瀕した学年トップの才媛・成島さやか(藍山)のために、鮎美が風俗でのアルバイトを始めたところ、変態気質全開の西島が客として現れる。しのざきさとみは、毒を以て毒を制すべく、息子を困らせる君子を懲らしめんと矢張り地響きを轟かせ現れた、等々力ママ。君子と化け猫大激突、もといキャット・ファイトを仕出かしはするものの、特に乳尻は見せず。生徒の母親と教師の母親が大立ち回りを繰り広げてみせる教室といふのも、相当にアナーキーではある。協力勢は最早誤魔化さうとする素振りすら見せずに、その他生徒部と教師要員とをノー・ガードで兼任してみせる。長髪の金村英明などは、感動的に目立つのだが。
 主演が@YOUだといふので、ポスターを初めて目にした時には小川欽也監督作かと、純粋に早とちりしてしまつたのは清々しくどうでもいゝ極私的な些末につきさて措き。客室添乗員ものと並ぶ、加藤義一にとつて得意ジャンルといへよう学園映画は、行動原理の明確な鮎美の奮闘を、何時しか芽生えて行く等々力と君子のロマンスが順調に加速。全体のターニング・ポイントにさやかが飛び込んで来るまで、即ち起承転結の転部までは、そこかしこのチープさや中田二郎のぎこちなさを等閑視さへすればほぼ完璧。尤も、以降の出し抜けに悲惨なさやかの追ひ込み方や、続く藪から棒な展開に関しては大いなる疑問を残す。一方、折に触れ題目のやうに繰り返す「I can change.」から、「I must change.」へと、明らかにそれまでとは異なる一歩果敢な踏み込みを見せた鮎美は、エンド・ロールに向けて終章タイトルを正しく突き破る。元々“We”ではない、“I”なのだ。埋没してしまはうと思へばしてしまへなくもない無責任な集団ではなく、あくまで自分自身が、しかも可能なり希望としてではなく当為として、このクソッタレな世間あるいは世界の変革を志す。変へられる変へられないといつた議論など、犬にでも喰はせてしまへ。変へられようと変へられまいと、変へるといつたら変へるのだ。世の不条理を鮎美が文字通りブレイク・スルーするラスト・ショットに、ヒロインの成長物語として比類なく漲る力強さは、雄々しき決断を何てことでもないかのやうにアッサリ見せてのけるスマートさ含め抜群に素晴らしい。これこそが真心込められた娯楽映画のみが到達し得る領域であり、なほかつ加藤義一の真骨頂。加へて等々力と君子の、鮎美と勝村の顛末も、どちらも爽やかな着地を綺麗に果たす。詰まるところは、途中までとオーラスの出来栄えは優れてゐるだけに、その間の繋ぎの粗雑さが返す返す残念な一作ではある。脚本がもう少し整理してあれば、もつともつと素直な娯楽映画の傑作たり得てゐたのではなからうか。

 それでゐて、草叢に佇む薮蛇に巡り会つた女と男の姿は、そこに至る流れを差つ引けば、画的には妙に強い力を持つてゐたりもする辺りが、重ねて心苦しい。


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