真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「OL家庭教師 いぢり突く」(2008/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:関根和美・新居あゆみ/撮影:下元哲/照明:代田橋男/助監督:新居あゆみ/編集:有馬潜/選曲:山田案山子/監督助手:江尻大/撮影助手:浅倉茉里子・塚本宣威/効果:東京スクリーンサービス/出演:沖那志帆・香田麗奈・里見瑤子・なかみつせいじ・天川真澄・牧村耕次)。
 大胆にも時間外とはいへ社内で、OLの若宮ちひろ(沖那)が課長の川崎徹(なかみつ)と体を重ねる。いふまでもなく、誠麗しくはない不倫カップルである。事後、妻に勘付かれたとウジウジ困惑する川崎に対し、それならばとちひろは、あつけらかんと別れを告げる。ちひろが同僚兼親友の江藤さくら(香田)宅へ遊びに行くと、同じく同僚で、さくら恋人の宮本一浩(天川)も現れる。そのことはさくらも知つてゐたが、実は宮本は、ちひろの元カレでもあつた。川崎との不倫を清算したといふちひろに対し、宮本は気晴らしがてらに自身も行ふパソコン講師のアルバイトを持ちかける。さういふ話の流れはそれなりに順当として、一回二時間の週二回で、ちひろが手にする報酬が月八万だなどといふのは、東京の物価高を考慮に入れた上でも、些か非常識に過ぎまいか。ともあれ、ちひろは熟年離婚して今は一人暮らしの、父親ほども歳の離れた武藤幸吉(牧村)の家に通ふことになる。武藤はちひろに実際歳の近い娘(全く登場せず)の面影を見、ちひろもちひろで、武藤に父性を感じる。川崎とのことと武藤にパソコンを教へ始めたまでは良かつたものの、翌日以降、差出人不明の、ちひろの不倫を告発する謎の社内メールが繰り返し送付されるやうになる。衝撃を受けつつ、ちひろは送信者を探し始める。果たして一体、犯人は誰なのか・・・・?
 里見瑤子は、川崎の妻・美也子。ワン・シーンにのみ登場の殆ど純然たる濡れ場要員ながら、里見瑤子が何時の間にか手に入れた、今やなかみつせいじをも自在に手玉に取ることに何の不足も感じさせない、女優としての貫禄は光る。更にその他、ちひろ隣席の女性社員(これ新居あゆみか?)と、斜向かひに若い男性社員が一名見切れる、こちらは江尻大。
 社内不倫告発メールの犯人探し、といふと。「妻の母 媚臭の甘い罠」(2007)と、又似たやうなことを仕出かすのかよ!といふ落胆がひとまづは強い。ピンクの安普請で犯人探しのサスペンスは無謀だと、関根和美は同じ過ちを何度繰り返せば気付いて呉れるのか。といふか、ここは、あるいはこここそ、オーピーに横槍の一本も出して欲しい。とも一旦は思つたところが、外堀の埋め方と、小ネタ―武藤からの感謝メールの中では、フォトショのことが“ホットショップ”に―も有効に、謎解きが、粒の小ささは差し引けば思ひのほか、といふか直截には珍しく満足に形になる。主演女優の芝居の弱さはどうしても苦しく、最終的には、関根和美と牧村耕次との組み合はせだと、コッテコテのコメディの方がより強い力を得るやうな気もしないではないが。牧村耕次(御歳五十二歳)自身は未ださういふ歳では必ずしもないにも関らず、巧みな老けメイクで化けた年寄りが、親子ほども歳の離れた娘とイイ仲になる。ピンク主要客層の心の琴線を激弾きする濡れ場を、悪びれることもなく妄想オチで片付けてみせる辺りは矢張り流石関根和美だとも思つたが、そこからラスト・シーンとの間を繋ぐ、伝線の件はさりげなくも抜群に素晴らしい。ほんの短いカットで、後ろを向き閉ざされた主人公の心を前に向かせ、娯楽映画を綺麗に締め括る。長いキャリアは伊達ではない関根和美の、基本的には終始秘められてゐることも多い地力が、地味ながら詰めの一手に鮮やかに発揮された、鑑賞後の心持ちも爽やかな一本である。

 ところで。真相はそれはそれとしても、あの動画は一体どうやつて撮影したのよ、といふ巨大なツッコミ処に関しては、この際幕引きの決まり具合に免じてさて措くべきだ。絡みに際しては下元哲の嗜好あるいは志向に違ひないが、堂々としたスローモーションが随所で火を噴く。


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 「性欲過多症 たまらない人妻たち」(1997『不倫狂ひの人妻たち』の2008年旧作改題版/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/脚本・監督:上田良津/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/プロデューサー:伍代俊介/撮影:創優和/照明:藤塚正行/編集:金子尚樹《フィルムクラフト》/助監督:諸星満門戸/制作担当:真弓学/監督助手:豊田明弘/撮影助手:大塚雅信/照明助手:米久田由美/ヘアメイク:大塚春江/スチール:西本敦夫/録音:シネキャビン/効果:東京スクリーンサービス/現像:東映化学/出演:坂上みすず・杉本まこと・葉月螢・吉田祐健・林由美香・白都翔一・大原猛司《友情出演》)。主演の坂上みすずが、ポスターには坂本みすず。何れの名前でも活動の痕跡を俄かには追ひ難く、もうどちらが仕出かしたのか判らない。それとカメオの大原猛司は、本篇クレジットのみ。
 見るからな連れ込み感清々しいホテル「マリオン」での、山下直美(林)と三谷健一(杉本)の不倫の逢瀬。事後直美は、母の意向で実家に帰り造り酒屋の一人息子と見合することになつた旨、自ら綺麗な別れを切り出す。その頃三谷家では、健一の帰りを待ち呆けた良枝(坂上)が、戯れにテレクラを利用したテレフォン・セックスに興じる、絶頂に達したところでタイトル・イン。漸く帰宅した健一を求めるも疲れてゐると無下に断られた直美は、男(多分白都翔一)に手荒く抱かれる幻想を見る。
 新版ポスターでは略字の葉月螢は、街行く良枝に声をかける、女子高時代のテニス部先輩・原田美由紀。美由紀はOB会にも顔を出してゐないといふので、アバンのテレクラに於ける二十二歳といふ自己紹介に良枝が鯖を読んでゐなければ、良枝とは四年ぶりの再会となる。何でそんなにセレブなのかよく判らないが、美由紀が連れる、そこそこハンサムな若い運転手役は誰なのか全く不明。現在は互ひに既婚だが、当時、美由紀と良枝は美由紀主導で百合の花香る関係にあつた。何故か手には怪我をして妙にオドオドした吉田祐健は、美由紀の夫で脚本家の義彦。美由紀が良枝を伴ひ帰宅すると、夕方締め切りの仕事は終つてゐるのかゐないのか、姿を消すやうに飼ひ犬・ロッキーの散歩と称して一旦退場する。白都翔一は、後に白昼堂々美由紀が自宅に連れ込む間男・佐久間。美由紀と佐久間の、女王様プレイは絶品、作中唯一。佐久間の「美由紀様・・・!」といふ哀願に対し美由紀は、といふか要は葉月螢が、「美由紀・・・?そんな名前知らないねえ、アタシは女王様だよ」。何だこの台詞、

 ドリフの神様コントかよ。

 大原猛司は、身長180センチ、トム・クルーズ似の二十五歳とテレクラでは偽つたものの、実際に会つてみると背丈は良枝とさして変らず、加へて小太りの三十男で待ち合はせた良枝をポップに憤慨させる木村。容姿と歳は兎も角、本物のトム・クルーズ(公称ですら170)も180はなからう、そこは許してやれよ。
 “姿を消した関根プロの新星”(候補)上田良津第四作。大蔵映画(現:オーピー映画)に転戦しての、第五作「不倫告白 ふしだらな人妻」(1998/脚本・監督:上田良津/主演:広瀬真紀)と、第七作にして現時点での最終作「発情乱れ妻」(1999/脚本・監督:上田良津/主演:夢乃)―何れもプロデューサーは関根和美で、製作は関根プロダクション―の二作に関しては、ウッスラとではあれ、硬質で見応へのある印象が残つてゐた。そのため、今回遠征の予定に組み込んだものであつたのだが、結論から述べると、今作の咎でエクセスから放逐されたのかと勘繰りたくなるほどの、正しく何処から突つ込めばいいのか判らない盛大な木端微塵。正直、激しく予想外であつた。
 何から手を着ければよいものやら本当に途方に暮れるので思ひつくまゝに筆を滑らせると、逆サバは考へ辛いゆゑ、最低でも四年ぶりの再会の割に、何時の間に美由紀が良枝のテレクラ狂ひを知つてゐたのかがてんで判らない。美由紀の車に良枝が同乗したところで幕を開ける、高校時代の良枝と美由紀のレズ濡れ場の回想が、てつきり良枝のものかと思つてゐたら美由紀のものであつた点にも面喰はされたが、それ以前に、過去の回想中に、その過去時制よりは現在に近い、別の回想を更に捻じ込む、などといふ画期的にアヴァンギャルドな編集には頭を抱へさせられた。何をいつてゐるのかよくお判り頂けないやも知れないが、何をやつてゐるのだかサッパリ判らない映画につきもう仕方がない。美由紀のアドバイスを受け、日々の生活に刺激をと帰宅した健一を良枝が裸エプロンで出迎へるところまでは百万歩譲つて―普通の夫ならば、理由はどうあれ妻が錯乱したと思ふに違ひない―ひとまづ兎も角とするにせよ、そこからの夫婦生活が、現実なのかさうではないのかも微妙に不鮮明な、唐突な処理も消化不良を伴なふ疑念のほかには何物も生み出さない。木村を袖に再び良枝が原田家を訪れて以降は、美由紀と佐久間の濡れ場で笑かせて呉れる以外は最早支離滅裂。開巻に於いて、さりげなくクローズ・アップされるところまでは手堅かつた筈の、マリオンの紙マッチ。ところが、良枝がそれをたとへば夫の上着から見つけるカットは綺麗に素通りしておいて、二度目の健一と直美の絡み。そもそも何をそんなに怒つてゐるのか、その時点では未だ不明な健一の暴力による尋問に屈しての藪から棒な直美の、しかも不十分な告白を通過した上で漸く、紙マッチを良枝と健一が二人写るフォトスタンドの脇に置いておいたところで一体何がしたいのか。加へて、へべれけなジャンプ・カットを経ての直美のお見合に関しても、直美から健一に別れを告げた時点での既定事項ではなかつたか、物語が一切繋がらない。ここまで映画がグチャグチャだと、上田良津が何も考へずに映画を撮つてゐるとは考へ難いとするならば、何を考へてゐるのだか全く判らない。原田家にて、美由紀に操られた義彦に良枝が陵辱されるところまでは、事の是非をさて措けばピンク映画の展開としては頷けるにせよ、その後三谷家で健一からの電話に出ぬ良枝が、佐久間にも犯されてゐるカットで助走をつけた意味不明は、空前絶後に訳の判らないラスト・シーンで、明後日の彼方の斜め上に飛び抜け、そして映画の底は完全に抜ける。いふまでもなく、それどころではないといふ騒ぎでそもそも軸なんて存在しない以上、良枝・美由紀・直美。三人の女の内、一対誰が主人公であるのかといふのも、実は判然としない。観客を釈然とはさせないこと、その一点に、全てを注いだとでも曲解しないととてもやつてゐられないある意味問題作。正直をいふと、途中で寝落ちてしまつたため渋々二周した上で、改めて愕然とさせられた。
  空前絶後に訳の判らないラスト< 颯爽と正装で街行く女房と擦れ違つた健一が、豆鉄砲を喰らつて終り、ポカーンとするのはこつちの方だ。百合の途中で捻じ込まれる重回想は、美由紀が結婚前、義彦から手篭めにされる一幕


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 「欲求不満な女たち -すけべ三昧-」(2004/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影:長谷川卓也・小宮由紀夫・広瀬寛巳/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:佐籐吏・田中康文/出演:紅蘭・華沢レモン・佐々木麻由子・池島ゆたか・本多菊次朗・樹かず・片岡命・石動三六・かわさきらんこ・モテギタカユキ・つーくん・山ノ手ぐり子・野村貴浩・神戸顕一)。出演者中、女優三本柱以外にポスターに名前のあるのは、順に本多菊次朗・池島ゆたか・樹かず・片岡命、そして神戸顕一。
 ダイエット目的とは思へないが、中年男(神戸)がジョギングに汗を流す。自販機の前で小休止すると、ロング缶のコカ・コーラを流し込む。汗を拭いた中年男が「よし!」と気合を入れ、再び走り始めたところでタイトル・イン。コーラは兎も角炭酸も抜かずにとは、どれだけハードマゾなのか、それから更に走るんだぞ。
 戸田真理子(36歳 専業主婦)、以降主役三名、各篇の冒頭にクレジットが入る。学者の夫(石動)の悪い所を真似た、高校生の娘・レナ(かわさき)も雑誌を読みながら食事を摂る。一応家族は揃つたものの父娘は書物に目を落とす食卓に、無論会話はない。真理子(佐々木)はレナが学校に行くのに化粧をしてゐることを見咎めるが、戸田は「レナのことはお前に任せてある」の一点張りで、満足に取り合つても呉れない。夫婦の生活は既になく、最近レナが女になつたことを意識した真理子は、己が身の寂寞と照らし合はせても激しい焦燥に駆られる。娘のギャル雑誌の中に出会ひ系の広告を見付けた真理子は、バツイチを偽り遠藤(樹)と会ふ。
 倉沢亜由(18歳 女子高生)、正直興味もないものの、エスカレーター式の中高一貫校で福祉科に進学を決めた亜由(華沢)は、学校には行つたり行かなかつたりしてゐる。けふもフレキシブルな創立記念日を採用し、援交相手の山本(池島)と会ふ。ところで個人的には、創立記念日だから休みだとか記憶にないのだが。歳の離れた幼馴染で大学院生の宏介(モテギ)が、援助交際の非を唱へつつ頻りにモーションをかけて来るが、亜由の眼中にはない。
 ジョゼ(本名 小林紀代/29歳 SM嬢)、金魚のクレオとパトラ、インコのカルメンと暮らすジョゼ(紅蘭)は、基本的に出張専門の女王様。さういふ生活との両立は難く、息子のツヨシ(つーくん)は施設に預けてあり、月に一週間しか、一緒に居ることは出来ない。ツヨシの父親のことは、一切語られず。電話越しの声も聞かせない店のオーナーからは新しい店を任せることを持ちかけられるも、さうなると更に一層ツヨシと会へなくなるのではないかと、ジョゼは逡巡する。本多菊次朗は、ジョゼ女王様の常連客・草野。ジョゼと草野との濡れ場では、ワン・カットカメラの影が映り込んでしまつてはゐないか。ところで、実際に本職の女王様でもある紅蘭が、三女優の中では何気に一番ストレートな美人顔でもあるのだが、さうなると強力に疑問が残るのは、翌年同じく池島ゆたかのSM二部作に際しての、どんとこいな体型は一体何なのか。
 片岡命は、ジョゼで風俗筆卸する菊池。山ノ手ぐり子(=五代暁子/つーくん実母)は、亜由の母親。要は山ノ手ぐり子のポジションは、関根和美でいふとほぼ亜希いずみに当たる。野村貴浩は、真理子に手痛い竹箆返しを喰らはせる田中。
 趣向としては、たとへば翌年の「援交性態ルポ 乱れた性欲」(監督:竹洞哲也/脚本:小松公典)と同様、一人一人の女達の全く別個の暮らしぶりと心模様とを、それぞれに描いた映画である。我ながら実も蓋もないが、特に意味も持たない比較としては、年齢も境遇も、抱へた問題―亜由には未だ、抱へるといふ程のものはないのだが―をもバラエティ豊かに違へてみせた形式に加へ、年季と地力とに裏打ちされたひとつひとつの、それぞれ単体としては必ずしも決して劇的といふ訳でもない上でなほ、場面場面に抜群の強度を誇る今作の方に、圧倒的に分がある。立てたコンセプトに対しての、老練かつ入念、そして強靭なアプローチの出足が、断然勝つてゐよう。「援交性態ルポ」に於いてはルポライターである主人公・長田亜由美(倖田李梨)が担ふ、それぞれの女達を繋がらなくとも偶さか重ね合はせる役割を果たすのが、意外なことにも冒頭のジョギング男。触れてしまふがラスト・シーンが、非常に気が利いてゐる。川沿ひの遊歩道と、橋とが交錯する十字路。開巻とバンクのジョギング・カットを経て、画面左側から遊歩道にインしたジョギング男が、上方の橋へ左折する。朝のゴミ出しに出た真理子は、橋の反対側から、遊歩道へ右折する。その日は学校に行く亜由は、付き纏ふ宏介を伴ひながら橋を下りて来て、ジョギング男と擦れ違ふ形で真理子と同じ方向に左折する。そして菊池相手の一仕事終へ朝帰りのジョゼが、画面右手から左へと遊歩道を直進する。のをロングで捉へたショットが、三人の女が唯一同一フレーム内に納まるカットで、なほかつそれぞれの生活が、ひとつの朝の中に重なる鮮烈な瞬間である。変に策を弄して真理子と亜由とジョゼの各パートを劇映画風にリンクさせてみせるよりは、かうした劇中世界内に於いてはあくまで単なる偶然に止(とど)まるままに、それでゐて同時に、観客に対しては明確な意思をさりげなく予示した遣り方は、素晴らしくスマートで、綺麗な映画的余韻を持たせてドラマを締め括る。ただ、その朝のジョギングが開巻のバンクであることに関しては、時制の混乱を微かに覚えぬでもないので、無理を承知でいふならば、出来れば撮り直して、あるいは撮り足して欲しかつた感は幾分残る。

 ところで、ひとつ大いに解せないのは。今作、劇伴の類は一小節も使用されてゐなかつたと思ふのだが、それでゐて、何時ものやうに音楽として大場一魅の名前がクレジットされてゐる辺りがよく判らない。「肌の隙間」(2004/監督:瀬々敬久)に於ける、安川午朗と同じ寸法なのか。


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 「先生の奥さん したがり未亡人」(2006/製作:フィルム・ハウス/提供:Xces Film/監督:羽生研司/脚本:吉野洋/企画:稲山悌二/プロデューサー:伍代俊介/撮影:原田清一/照明:小川満/撮影助手:成田源/照明助手:八木徹/助監督:加藤義一/監督助手:竹洞哲也/ヘアメイク:徳丸瑞穂/編集:フィルム・クラフト/制作協力:フィルムハウス/出演:山本瞳子・日高ゆりあ・瀬戸恵子・柳之内たくま・山本東・牧村耕次)。
 鏡台の前に妻を立たせての、美穂(山本瞳子)と高校教師の夫・桜井英明(山本東)の夫婦生活。夫婦役の演者が二人とも山本姓であることに、本当にたつた今気が付いた。主演の山本瞳子はグッド・ルッキングといへば確かにグッド・ルッキングなのだが、少々、首から上にも下にも人工的を香りを感じる。因みに、映画の中身とは一切何の関係もないが、山本瞳子の改名前AVデビュー時の名義は志村あいん、狙ひ過ぎだ。話を戻して、一通り熱くこなした上での事後、満ち足りた美穂の左手の甲には、蝶の形をした赤い痣が浮かび上がる。美穂はそれは、英明との愛の証だと信じてゐた。蝶の形といふよりは、アルファベットのHに見えるのだが、それはそれでいいか。英明の元教へ子・井村和彦(柳之内)が、彼女の三咲真理(日高)を伴ひ桜井家に食事に来る。英明は暴走族にも入つてゐた井村を更正させ、現在は大学に通ふ井村は、英明のことを恩人だと慕つてゐた。と同時に、井村が恩師の妻に向ける視線に、ただならぬものを感じた真理は臍を曲げる。後に、真理相手に事務的に井村が腰を振る濡れ場演出には、ピンクで映画なピンク映画に真摯に向き合つた姿勢が、確かに看ても取れたのだが。英明の父・正吾(牧村)が、息子とは三つしか歳も違はぬ後妻・敬子(瀬戸)を連れ、東京旅行がてら息子宅に遊びに来る。敬子から釘も刺されつつ息子嫁に性的関心を覚えることを禁じ得ない正吾は、二人で見物に行つた筈の表参道から体調を崩したと偽り一人戻ると、美穂を犯す。台所に手をつかせ腰を突き出させた美穂を、正吾が後ろから責めたてるショットが、私見では今作に於ける桃色の頂点。下着越しに美穂の太股を伝はる愛液が、超絶にいやらしい。結局、さういふ形でも矢張り浮かび上がつてしまつた赤い蝶の痣に美穂が愕然としてゐたところに、追ひ討ちをかけるのを通り越した一報が入る。英明が、交通事故死したといふのだ。失意に沈む美穂に対し、井村は、英明の代りになることを誓ふ。
 瑞々しいポップ性が未だ脳裏に鮮やかなデビュー作翌年の「白衣の痴態 淫乱・巨乳・薄毛」は、三監督(もう二人は、坂本太と佐々木乃武良)によるオムニバスの一篇を担当した故、羽生研司第二箇三分の一作は、大袈裟な破綻も見当たらない代りに、残念ながら中身も殆どない物語ではある。井村が、真理のことはさて措き美穂に熱烈な想ひを抱いてゐることは兎も角、英明没後何時の間にか、美穂の方からもコロッと相思相愛になつてしまふ段取なり手数が、画期的に薄い。美穂が井村の部屋へと向かひ、真理の登場にも阻まれ一旦は手ぶらで戻る復路。三叉路を、往きとは違ふ道に帰ることによつて、心理の決定的な変化を表したのだとしたならば、さりげないにもほどがある。プログラム・ピクチャーといふものは、もう少し懇切丁寧であつていいのではなからうか。ドラマとしての質感を感じさせるのは、局所的に孤軍奮闘する日高ゆりあの熱演くらゐで、案の定誰に抱かれたとて現れる左手甲の痣を見詰める美穂の、「貴方許して、私は女」、「ただの、女なの・・・・」といふオーラスを別に飾りもしないモノローグが、右から左へと流れた映画を一昨日に放り投げる。キリストを信じてもゐない癖に愛の証だの何だのと、小癪なロマンチシズムの名を借りた勘違ひに後足で砂をかける、逞しい即物性がテーマなのかといへば、さういふ、強かさを有してゐる風でも特にない。表面的な煽情性の面に関しては非常に素晴らしい出来映えながら、最終的に何がしたかつたのかといへば、両手の平を上に向け、ポカンと首を傾げざるを得ない。実用性方面に潔く、あるいは開き直つて特化してゐるでもない分、却つて釈然としない心持ちも残してしまふ一作である。

 詰まるところはさしたる説得力も欠くままにルーズな勢ひで済し崩される展開を見るにつけ、実はわざわざ、英明を藪から棒に殺して退場させる必要もなかつたやうにも思へる。美穂が、喪服を装備する訳ですらなし。


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 「星川みなみ いたいけな巨乳」(2004/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:小川隆史/監督助手:伊藤玲奈/撮影助手:小宮由紀夫/照明助手:広瀬寛巳、他一名/衣装・下着協賛:ウィズ・コレクション/出演:星川みなみ・瀬戸恵子・酒井あずさ・熊谷孝文・なかみつせいじ・横須賀正一)。
 イメクラ「魔法の館」ボーイの草野良太(熊谷)は、恋人のOL・広瀬朱理(酒井)とホテルで致した事後、誕生日だといふことでなけなしの金をはたいて買つた指輪を贈る。手放しで喜ぶ朱理ではあつたが、返す刀で、金無し車無し定職無しの良太に三行半を叩きつける。銀幕が、涙で霞むぜ。徹頭徹尾出番は開巻に止まる酒井あずさは純然たる濡れ場要員とはいへ、ここでの演出ならぬ艶出は各ボディ・パーツへの攻めに焦点を絞つた、なかなかにアグレッシブなものではある。自棄酒をあふり不貞腐れて家路に就く良太はゴミ捨て場から、酔つた勢ひか捨てられた者同士のシンパシーからか、一体のダッチワイフを拾つて帰る。その夜はそれを使ふでもなく、抱き締めて眠る良太の零した涙が、ビニール人形を濡らす。翌朝、良太が目を覚ますと、傍らにはムチムチプリンの―別に俺は、一欠片も恥づかしくなんてないぞ―ミラ(星川)が。混乱する良太に、ミラは微笑みかける「ゆうべは助けて呉れてアリガト。私、魔女のミラ☆」。ミラは魔法によりダッチワイフにされてゐたものが、良太の涙で呪ひが解かれたといふのだ。お礼に三つの願ひ事を叶へてあげるといふミラに対し、良太はひとまづセックスを求める。魔法一切関係無いね、それ。
 なかみつせいじは、魔法の館の店長・栗原大吾。ビジュアル的にミス・キャストに見えなくもない横須賀正一は、魔法の館の常連客。他に客役として五、六名登場、スタッフの皆さんか。
 渡邊元嗣ここにあり、を魔界の果てにまで轟かせるキュートなプロットが唸りを上げたところまではよかつたものの、残念ながらそこから先が、今ひとつふたつ膨らまない。魔法の館に出勤した良太の後を、こつそりミラは追つてみる。早速ビラ配りだと良太は退場させられる一方、栗原から面接志望の新人と勘違ひされたミラは、あれよあれよといふ間に横須賀正一の相手をさせられる羽目に。セーラ、ナースにミニスカポリス。ウィズ・コレクションから協賛された数々の破廉恥衣装が火を噴くコスチューム・プレイの果てに、ミラは一万Vの電撃魔法で横須賀正一を悶絶させる。良太は二つ目の願ひとして金持ちになることを要求するが、ミラの魔法で手に入つたのは、たつたの三万円だつた。そこで、横須賀正一から評判になつたこともそれ行けグッド・タイミングと、ミラは良太の為に魔法の館で働き始めるのであつた。だから魔法もへつたくれもない、ただのヒモと風俗嬢か。
 とか何とかいふ次第で、以降は男を寝取られた腹いせにミラに呪ひをかけた張本人でもある、姉魔女のアルドラ(瀬戸)が登場して来たりしつつも、基本的には延々、ひたすらに延々諸々のコスを身に纏つた星川みなみの姿がスクリーンに載つけられるばかり。星川みなみのことを撮るのが、楽しくて嬉しくて仕方がない渡邊元嗣の姿も確かに透けて見えて来ぬではないが、偶さか今回は、逃げ場の無い疲弊に余力の微塵も無いこともあつてか、少々今作にフィットすることも難かつた。冒頭の良太×朱理戦と比すと、基本的にはミラを真正面から押さへることに終始する、正直平板なカメラワークも響く。魔法による何某かの結果ではなくして、初めて良太から自分自身を求められたミラのエモーション、といふ展開は勿論酌めるが、そこに至る過程の薄さも相俟つと、少々落とし処も綺麗過ぎる感は禁じ得ない。ここは同じ咎により今度はアルドラがダッチワイフにされるか、魔法の館に放り込まれるとでもいつたパンチがあつても然るべきではなかつたらうか。威勢のいいロング・ショットにて、良太に魔法をかけるシーンに於いては腹の据わつた大仰なアクションを見せる瀬戸恵子と、軽薄な好色漢を嬉々と好演するなかみつせいじとの弾けた絡みを、腰から下より発せられる欲望としてではなく、ギャグとして観てみたかつたものでもある。


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 「Mの呪縛」(2008/製作・配給:新東宝映画株式会社/監督:新里猛/脚本:藤原健一/企画:衣川仲人/企画協力:石橋健司・赤荻武・遠藤祐司/プロデューサー:寺西正己・藤原健一/原作:団鬼六『妖女』より/撮影:長谷川卓也/緊縛:ハッピーのマスター/音楽:Jack Spiral Crow/エンディングテーマ:TSUMUGI『クロスの呪縛』/ヘアメイク:鈴木理恵/編集:酒井正次/助監督:内田直之・瀬野達也・躰中洋蔵/制作担当:岡田昇/応援:江尻大/撮影助手:大江泰介・糸川潤/企画協力:CINEMA-R/制作協力:アクトレスワールド・藤原プロ/出演:成田愛《新人》・永倉大輔・長澤つぐみ・宮本大誠・深町健太郎・大木隆也・境原英樹・遠藤大輔・山内忠亮・金沢匡紘・矢野浩行・坂元剛・前田輝・青山聖菜・サミルチョードリー・稲葉凌一、他・乱孝寿・重田尚彦)。たつた今改めて気づいたが、監督名から“作”が抜けてゐるのは当サイトの脱字ではない。出演者中、稲葉凌一他は本篇クレジットのみ。ところで総尺は七十分。
 惨殺された画家の中山定吉(不明)の傍らに立つ、和服の老女。結果論としていふと、開巻が<オチを割つて>しまつてもゐる件。
 担当編集者、兼愛人の明美(長澤)を伴つたフリーカメラマンの上村(永倉)はエロ雑誌のグラビア用に、胸の谷間とパンチラを狙ひ街行く女々をカメラに収めてゐた。不意に上村は、一人の喪装の令夫人に目を留める。明美の制止も聞かず撮影を中断、令夫人が入つた画廊に、上村も後を追ふ。画廊では、焼身自殺したとかいふ、中山定吉最後の絵画展が開かれてゐた。ここで展示される、如何にも急ごしらへられた風情が明白な、トロい絵画の情けなさも何とかならないものか。そこに居合はせた旧知の編集者・ヤマザキ(宮本)から、上村は令夫人を紹介される。女は、ガン研究の第一人者と総合病院の院長として高名な高橋源次郎(重田)婦人・茉莉(成田)であつた。約束のレストランを反故にした詫びも兼ねて、上村は明美と熱海の温泉旅館に宿泊する。そこで二人は、底抜けにも廊下を歩きながら痴情を縺れさせる、茉莉と、人気若手俳優・大山時彦(矢張り不明)の姿を目撃する。どれだけフリーダムな、セレブと有名人なのか。俄然好奇心と、下心とを刺激された上村は、明美に茉莉の素性を調べさせる。すると、仕事も辞めたといふ明美が急に姿を消す一方、ヤマザキが上村に接近する。高橋源次郎と結婚する以前の茉莉の恋人・恩田孝之(なほも不明)は、茉莉のインド留学よりの帰国後、心臓発作で死亡。モデルを務めた茉莉との関係を囁かれた中山定吉も焼身自殺、更には、こちらも不倫疑惑の持ち上がつた野球選手のナガオカケンジ(全く登場せず)も、交通事故死してゐた。二度目の交りは死を招くと噂される茉莉に、ヤマザキはスキャンダルの匂ひを嗅ぎつける。
 ある程度配役残り深町健太郎は、ラストの葬儀シーンで最初に見切れる参列者。坂元剛は、恐らく編集長の金田。金田が上村と電話で話す後ろに見切れる、中年男二人が誰なのかは軽やかに判らない。どうも雰囲気から、内トラ臭いが。そして乱孝寿は、車椅子で生活する源次郎の母・キヌ。キヌは高橋の血筋を絶やさぬやう激越に望むものの、茉莉の精神状態は不安定で、しかも対する源次郎は不能であつた。
 気づいた時には未だ継続してゐたのかと正直驚かされた、「紅薔薇夫人」(2006/監督・脚本:藤原健一/主演:坂上香織)、「鬼の花宴」(2007/監督:羽生研司/ラインプロデューサー:寿原健二/主演:黄金咲ちひろ・松本亜璃沙)に続く、新東宝鬼六企画第三弾。流石にことここに至ると大元の―筈の―「花と蛇」(2004/製作:東映ビデオ/監督・脚本:石井隆/主演:杉本彩)を思ひ出すのも容易ではなく、新東宝もかういふ下手な余力があるならば、ピンクを製作して呉れよといふのは意図的に滑らせた筆である。
 兎にも角にも、実も蓋もないが映画を詰んでしまふのが主演女優の成田愛。目にした刹那その姿に心奪はれた、といふ風になつてゐる上村が、仕事の手を止め向けたファインダーに捉へられる、茉莉の喪装ショット。即ちファースト・カットから、観客の心理をも掴み得る視覚上の説得力は一欠片も持ち合はせず。程なく画廊で上村と対面した上では、表情もお芝居も硬いばかり。それは硬質な、といふ訳ではなく、単にぎこちない、といふ意味に於いてである。挙句に濡れ場に突入すればしたで、肉感的といへば聞こえもいいものの、リファインの余地を太幅、もとい大幅に残す肢体には、一歩間違へば数十年前の映画かと見紛ふアナクロ感すら漂ふ。大体が年端も行かないゆゑ、令夫人としての気品も何も望むべくもない点など、最早取るに足らない些末。主演には映画初出演の新人女優をなどと、エクセスでもあるまいに。これが長澤つぐみと配役が逆であつただけでも、出来栄えは相当に変つて来てもゐたのではなからうか。ある意味で、シリーズの傾向ともいへる主演女優のスケールダウンも、かなりの水準で極まつた感がある。それが、高いのか低いのかはよく判らないふりをする。仮に第四弾があつたとして、今回を更に上へか下へ越えようとするならば、重量級か高齢か、何れにせよ箆棒な切り札を繰り出すしかないのでは。
 そも、そも。看板を偽る偽らない、といつた面を除いては、だからといつてそのことが必ずしも評価を下げる要因ではないともいへ、鬼六映画を謳ひながら今作はSMものといふよりは、要は寧ろサイコ・サスペンスである。サドマゾは風味としての意匠にすら止(とど)まらず、上村がさういふ性癖の持ち主であるといふだけで、本筋に限らない物語にさへ鮮やかに絡まない。そもそも、留学中のインドでのレイプ体験に基き抱へた心的外傷は兎も角、茉莉がマゾヒストであるのかさへ、実のところは覚束ない。重ねて、茉莉に関するヒンドゥー教のドゥルガ神云々といふモチーフの晴れやかな機能不全、あるいは消化不足ぶりには、爽やかな笑顔で清々しく無用と断じるほかはない。ただ、今作がSM映画ではなくSS、もといPS映画であるのは兎も角としても、サスペンスの謎解きを生半可に丁寧に行つた分、茉莉が身に纏つてゐた筈の魔性が最終的には何処かに消えてしまつた、といふ難点は拭ひ難い。元々具はらないものに、消えるも消えないもあつたものではない、といへるのかも知れないが。詰まるところは、互ひに力ない肉体が完全ではない夫と、精神を病んだ妻とが取り残されて終りでもある。劇中時間の経過を経て、当初存在した問題から半歩たりとて何ら変化してはゐない。その点が、今作が総じた仕上がりとしてはシリーズ前作の挽回を概ね果たしてゐたとしても、よくよく考へてみると大いに弱さを残す所以である。
 もう一点宜しくない方向に特筆すべきは、“嫉妬。それは究極の媚薬―”だとかいふ次第で、妻と、他の男との情事を別所にて源次郎がモニタリングしてゐる場面から、全く時制が連続したやうにしか見えないカット跨ぐといきなり茉莉が夫の傍らに戻つてゐたりする、唐突極まりない編集が散見される。よしんば、物理的にはその別所が大胆にも隣室であつたりするのだとしても、それにしてもたつた今しがた抱かれてゐた、他所の男はどうしたのかといふ話である。上村が徐々に、茉莉の幻影に心身の平定を失して行く過程の、ホラー風演出に関してはその唐突さが有効ともいへるが、オーラス、さりげなく<誰が殺したのか微妙に判らない上村の死に際>に際して、終に刺された止めが窺へなくもない。

 思ひのほか大勢クレジットされる出演者は、正直、何処に一体そんなに出てゐたのか首を傾げざるを得ない。その中で、ポスター中、坂元剛を除くこれまで触れた主要キャストのほかに名前が特記されるのは、大木隆也・境原英樹・遠藤大輔・矢野浩行の四人。更にこの中から画像検索で容姿を確認出来た遠藤大輔はどの人物にも該当しないため、大木隆也・境原英樹・矢野浩行の三名が、壮年の中山定吉・荒川良々似の恩田孝之・一応今時のイケメン風の大山時彦、の何れかであらうかとは推測出来る。中山定吉に関しては、血まみれで素顔は殆ど判別出来ないが。素性は全く判らないサミルチョードリーが、茉莉のインドでの強姦被害の回想に登場する、現地人役であるのは間違ひなからう。その他に、明美の後任編集・コバ役が、誰なのかも不明。コバといふのも、小屋で聞き取つただけなので、絶妙に自信はない。稲葉凌一はラスト、焼香の列の一番先頭に瞬間的に見切れる。

 何度目かの再見に際しての付記< 金田の取材対象者の、サングラスの巨漢は新里猛作。稲葉凌一の三人後ろに、学生服の江尻大も見切れてゐた。


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 「男漁りの透け襦袢 仏前で…して。」(2001『浴衣未亡人 黒い下着の誘惑』の2008年旧作改題版/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/監督:坂本太/脚本:有馬千世/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/プロデューサー:伍代俊介/撮影:創優和/照明:小野弘文/編集:フィルムクラフト/助監督:城定秀夫/監督助手:下垣外純/撮影助手:宮永昭典/照明助手:平岡えり/ヘアメイク:河村知也/スチール:本田あきら・加藤章/録音:シネキャビン/効果:梅沢身知子/タイトル:道川タイトル/現像:東映化学/出演:時任歩・里見瑤子・林由美香・岡田智宏・千葉誠樹・坂入正三)。
 二百五十年の伝統を持つ、日本舞踊室生流。第二十六代宗家代理の室生冴子(時任)が、名取の日下部理絵(里見)に稽古をつける。冴子の夫にして二十六代宗家(遺影すら登場せず)は一年前に死去、冴子の義姉・尚美(林)は理由は明示されないが生前の宗家から破門。サラリーマンの職も持つ義弟・博之(岡田)は、資質は申し分ないものの室生流を継ぐ意思を見せず、女盛りの肉体を侘しく独り慰めながらも、冴子は健気に伝統の流派を守り抜くべく孤軍奮闘してゐた。とはいへ弟子は次々に尚美の下へと去り、けふも、稽古後に理絵は踊りを止める旨を告げる。冴子は理絵と交際中である博之との仲を心配するが、理由に関しては口を噤んだ。理絵は、博之が兄嫁の冴子に寄せる想ひを知つてゐた。ところで浴室での冴子の自慰を覗く博之が沸き起こる欲情を催す表情が、まるで今にも吹き出しかねないやうにしか見えない辺りは、岡田智宏一流だ。一方、室生流後援会長の黒部和行(坂入)が、二十六代宗家に貸した金の催促を冴子に迫る。実は、黒部は尚美と通じてゐた。尚美は色仕掛けで黒部を操ると、冴子を退け室生流を自らの手中に収めることを目論んでゐたのだ。利子と称して黒田に無理矢理抱かれた冴子は、一月以内に博之を翻意させ、室生流を継がせるといふ無理難題を呑まされる。呆然と亡夫の墓参りに訪れた冴子は、かつての恋人・堤邦彦(千葉)と再会。その後室生と結婚した冴子に対し、堤は尚美と結婚、今は尚美の経営するクラブのバーテンダーに納まつてゐた。
 エロドラマ、もといメロドラマとしての舞台作りは磐石に纏まつてはゐるのだが、要らぬ横好きと、選りにも選つてクライマックスでの致命的な釦の掛け違ひとに、木端微塵になつてしまつた一作。まづは兎にも角にも、全篇を通して蔓延する臭さとダサさが、嫌な意味で堪らない。博之が心の中では冴子の方を向いてもゐると知りながら抱かれる理絵は、よせばいいのに事の最中に、「人を愛して、一番哀しいことつて判る?」。無言の博之に対し続けて、「目の前にゐるのに、見詰めて貰へないことだよ・・・・!」。一言で片付けるが、やかましいよ。今回坂本太の企図したところと、坂本太が求められてゐるところとが、綺麗に乖離してゐる。絡みに、どうでもいい台詞なんて邪魔なだけだから。黙つてオッパイを揉め、おとなしく腰を振れ、気をやれ。堤と尚美の、別れの件も酷い。開店前の店で待ち伏せた尚美は、渡りに船と思へなくもない離婚届を、自ら堤に突きつける。但し、条件がふたつあるといふ。ひとつ目は、この場で尚美を抱き、満足させること。ひとまづ事後、堤からふたつ目を訊ねられた尚美は、「今直ぐここから出て行つて」。何だそりや、もう少し何とか別の落とし処があるだらう。下手糞なカッコつけが、てんで形になりはしない。挙句に出て行けと吐いた尚美からさつさと退場しては、取り残された堤もそれは途方に暮れるほかなからうに。堤の立場に立つならば、この女が何をいつてゐるのか全く判らない。冴子が堤を捨て室生と結婚したのは、手篭めにされたからであつた。とかいふ事実が明らかになつた後では、その上で何故にこの期に冴子が室生流のために粉骨砕身するのかも、矢張りまるで頷けない。
 リアルタイムのm@stervision大哥の足跡を、臆面もなくトレースしてのけるが根本的に出鱈目なのが、致命的にも締めの濡れ場。博之が意に染まぬサラリーマン稼業に身をやつし室生流を継がないのは、その場合、冴子が室生家を離れ姿を消すのを恐れてゐたからであつた。その真意を知つた冴子が、あらうことか、博之が室生流を継ぐのを条件に、一度限りと身を任せるなどといふのは一体全体何事か。それでは黒部を篭絡する尚美と、遣り口が何ら変りはしない。ヒロインが敵役と同じ低みで勝負してゐては、メロドラマとして凡そ成立を果たせまい、同じ穴の狢にもほどがある。一方エロドラマとしては、時任歩×林由美香×里見瑤子。面子自体には基本的に一切遜色はないながら、どうせ脚本が破綻してゐるのだからこの際演技力など度外視してのけると、オッパイの大きな飛び道具が一人欲しかつたやうな気持ちは残る。


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 「セクハラ洗礼 乱れ喰ひ」(2008/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/脚本・監督:山﨑邦紀/撮影・照明:小山田勝治/撮影助手:大江泰介/照明助手:藤田朋則/助監督:横江宏樹・安達守/編集:有馬潜/音楽:中空龍/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/協力:一水社・桃太郎映像出版・ラッシャーみよし/キャスティング協力:株式会社スタジオビコロール/出演:北川明花・安奈とも・佐々木基子・荒木太郎・国沢☆実・石川雄也)。出演者中国沢☆実は、ポスターにも国沢☆実。
 蜘蛛の巣にも似た一種幻想的な模様の入つた、茶葉を使用した中華風煮玉子・茶葉蛋(チャイエタン)のイメージ・ショットで開巻。児童公園、恐る恐る卵から孵るかのやうに遊具から這ひ出て来た男(石川)を、修道女の倉部沙耶(北川)が拾ふ。男は、記憶を喪失してゐた。署名を集める活動中といふ沙耶は、逗留する日本旅館に男を招き入れる。男が記憶を取り戻すにはセクシュアルな要素が必要なやうだとか、何のかんの聖書の一節も引用しながら沙耶はあらうことか体を任せる。換骨奪胎ここに極まれり、嗚呼、何と麗しき世界よ。男が所持してゐたエロ本と、記憶の断片として口にした卵といふキー・ワードとから、沙耶がネット検索で割り出した出版社「Egg&Egg」に、男は向かつてみる。安直さが画期的な展開に、今更ながら新時代の息吹が感じられもする。すると高飛車な女性社員の橋川ユリ(安奈)と、先輩の割にはユリにすつかり顎で使はれる榎本一多(国沢)は、男を見るなり「社長!」と目を丸くする。フレームの大き過ぎる何時ものメガネを外させた国沢実は、意外に地味に精悍な顔立ちをしてゐる。どうやら、男は十日前から消息不明の「Egg&Egg」社長・君塚俊一であるやうだ。穏やかなどころではなく弱々しい現在の姿とは異なり、姿を消す以前の君塚は、過激に攻撃的な男であつた。試用期間のユリを手篭めにすると正社員も通り越し無理矢理愛人に、挙句に社内で堂々と陵辱しては、それを前に無言で立ち尽くすばかりの榎本に対しては、お前は電柱だとまるで人を人とも思はぬ振る舞ひであつた。更にはエロ本出版業以外に、君塚はユリを囲ふ目的で用意したマンションの一室にて、注射針を用ゐ中毒性を持つ違法な薬物を注入した、茶葉蛋を通信販売で売り捌く危ない橋も渡つてゐた。
 配役残り和装の佐々木基子は、君塚の妻・孝枝。個人的には今回初めて気づいたのが、首から上はあまり変らないものの、二の腕の辺りに、キャリアの長さが窺へて来た。荒木太郎は君塚家の税理士にして、この場合勿論孝枝の不義の相手ともなる富田浩介。
 君塚がロストしたアイデンティティーを摸索する物語は、前作「変態穴覗き 草むらを嗅げ」(2007)ほど木端微塵ではないとはいへ、前々作「社長秘書 巨乳セクハラ狩り」(同)と同程度には、十全な着地は果たさないまゝに終幕を迎へる。加へて、己の節穴ぶりも憚らずにぬけぬけといふが、最終的にといふかそもそもといふか、山﨑邦紀が持ち出した茶葉蛋に一体何のイメージを添付しようとしてゐたのかは、実は清々しく判らない。そろそろ、ファンであるからこそ認めるべきかとも思ふが、きのふけふの山﨑邦紀は、かつて感じさせた最強を思はせる輝きは、幾分喪つてゐる。天外な奇想と他では絶対に見られない奇矯な意匠とは従前と変らないにせよ、それらを一本の劇映画として統べる技といふよりは力が、明らかに弱まつてはゐまいか。そんな中、これまでからは意外に思へた輝きを見せるのが、北川“新体操”明花。沙耶はかつてモデルと称して誘ひ出した君塚に矢張り強姦され、修道院に逃げ込む。この回想シーンに於ける、カメアシ役は誰なのか不明。ところがその後ポルノ小説を書き始め修道院を追ひ出されてしまふといふ、出自を沙耶が自ら明らかにしてからの以降に際しては、君塚が半ば中途で投げ出される一方で、与へられた通りに演ずるだけのところから、シークエンスを自ら支配する地点に至つた北川明花の進境が光る。

 君塚が薬物の作用もあつてか、一時的に記憶を取り戻した際に放つ名台詞、「俺が鬼畜なら、お前らは家畜だ!」。劇中時制の、予め殆ど全てを喪つた君塚と、暴君然とすらいへるかつての姿との甚だしい落差は素晴らしく、正しく劇的ではありつつ、残念ながら、一本の劇映画としてその二人の君塚が満足に束ねられる結実がなかつた点に、最終的に今作は尽きる。尤も、最も迫力のある安奈ともの濡れ場を中心に、桃色方面には、勿論今回も何ら不足はないのだが。

 ステルスに備忘録的付記< オーラスは、沙耶根城の旅館「中田屋」、と称した毎度の浜野佐知自宅。劇中二度目の沙耶戦を経て一人目覚めた君塚が、鏡に映る己の顔に向かつて「オマエハ誰ナンダ」、とわざわざスーパーで


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 「やればスッキリ生尻娘」(1998『生尻娘のあへぎ汁』の2009年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:武田浩介/企画:福俵満/撮影:鈴木一博・宮川幸三・馬場元/編集:酒井正次/助監督:高田宝重・中野敏寛/スチール:津田一郎/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:西藤尚・東夕巳・相沢知美・熊谷孝文・池島ゆたか・佐野和宏)。なほ今作、2002年に「うづく制服 快感汁」といふ新題で既に一度新版公開されてゐる。
 開巻は、廃バスでタバコを燻らす女子高生。タイトル・イン明け、背負つた見事な鳳凰を披露すべく、天井から抜いた女が上になつた画で始まる濡れ場。因みに東夕巳(=小室芹奈)の刺青は、故向井新悟さんのものと同様、本物である。天一会若頭・間島(佐野)は敵対する村山組幹部狙撃後逃亡、情婦・咲江(東)を伴ひ隠れ家の安アパートに身を潜めてゐた。間島の行方を探ることを命ぜられた弟分の崎山(熊谷)は、組への忠義と、兄弟の仁義との狭間で揺れる。一方、母親は三年前に亡くし、証券会社に勤める父親・昭一(池島)と、女子高生の娘・奈緒(西藤)の二人きりの森原家。複雑な年頃に片親の親子仲は上手く行かず、さういふ家庭環境も影響してか、奈緒は普通に制服を来て家を出るものの不登校といふ設定ではあるのだが、それにしては奇異に見えるのが朝の風景。不自然にも家の中に一枚きりしかないのか、昭一がネクタイの結びを整へる鏡に、髪型を直す奈緒が父親を押し退け割り込んで来る。ここは関係の冷却した父娘にしては、明らかに距離感が近過ぎる。奈緒は同級生の亜紀(相沢)と同性愛の関係にあり、それはそれとして援助交際に精を出す亜紀は、その人とは知らず森原と関係を持つ。例によつて学校にも行かず、未成年の癖に慣れた手つきで火を点けたタバコを母親の墓に手向けてゐた奈緒は、今の自らと崎山と同じ立場にあつたかつての兄貴分の墓参りに、訪れてゐた間島と出会ふ。共にメインストリームからは外れた者同士とでもいふ訳でか、二人は何となく意気投合する。
 主演の西藤尚、ピンク映画的には、実働は主に1998年から2000年にかけての三年間。監督としては今作の深町章や渡邊元嗣の映画を主戦場に当時ピンクス(ピンク映画愛好の士、の意)の間でアイドル的な人気を博し、PG誌主催の1998年度ピンク映画ベストテンに於いても、今作他の功により女優賞を受賞してゐる。とはいへ、相変らず恣に筆を滑らせ仕出かしてのけるが、個人的には、リアルタイム当初から一貫して、この娘の何処がいいのかサッパリ判らなかつた。締りのない笑顔を振り撒くばかりが関の山の、抽斗は少なく垢抜けないイモ姉ちやんとでもしか思へなかつたのだ。世評も高かつた今作に挑むに当たり、西藤尚ルネサンスの幕が遅ればせながら―遅れるにもほどがある―開くものかあるいはと思ひつつ小屋の敷居を跨いだものではあつたのだが、残念ながら今回も、私には西藤尚の壁を越えられなかつた。依然、印象は一切変らず。零れ落ち気味の少女と生粋のアウトサイダーとの、出会ひと別れの一幕を描いた青春映画、といふ趣向は勿論酌めぬではないものの、殆どデフォルト感覚でもある間島らが辿る凄惨や小室芹奈の本物が持つ迫力と、主演女優の硬度不足との間に生じる齟齬の前に、形にはならなかつたといふ感が強い。要は、それをいつてしまつては万事それまででもあるともいへるのだが、西藤尚の載つたスクリーンにキラキラとした輝きを感じられるか否かで、評価を全く異にする一作といつたところか。その限りに於いては、確かに主演女優が映画を支配してゐるともいへる。

 よくよく考へてみると、女の子同士で情を交しつつも、亜紀は森原相手に援交し、奈緒も奈緒で間島に藪から棒な恋心を、それはそれとして少女の直情さを以てして燃やす。二人ともバイだから、といつてしまへばそこで特に問題もなく成立する話なのかも知れないが、そもそも、奈緒と亜紀の百合は、別に不要であるやうな気も残らぬではない。
 咲江への対抗心から奈緒が訪ねる刺青師は、体格からして高田宝重に思へなくもないが、画面が暗過ぎて判別しかねる。


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 偶には戯れに漫然と、三行感想じみた一般映画に関する雑感など。時には疲躯に鞭打ち一般映画も観ておかないと、時々不安にもなる。

 UMLSのラストに関して、典型的なロング・スリーパーであることにもつき、寸暇を惜しんで眠りたい日々の間隙を突き例によつて小屋で映画を観たのみで、横浜聡子自身の手によるノベライズは勿論、パンフレットの類にも手すら触れてはゐない。その上での、あくまで本篇を相手にした限りでの、個人的な感触である。ラスト・シーン、町子(麻生久美子)は<二度死してなほ、声を聞かせて来る、やうな気もする陽人(松山ケンイチ)の脳を、熊に喰はせて厄介払ひした>、ものと私の歪んだ眼差しには看て取れた。恐らくは初めからその目的を持つてゐもしたのであらう町子の見せる微笑は、これで清々した、といふ表情である。皆が皆さうであるとは必ずしもいはないが、百人の女が居れば、五十一人以上はさういふ生き物であると、私は理解してゐる。即ち、その解釈から当然の如く導き出される帰結として、陽人視点のラブ・ストーリーとしては、今作の結論はバッド・エンドである。
 それはそれとして。今作固有に見られる現象といふ訳ではないが、どうもテーマ曲の使用に際して、それが節度なのかもしくは均衡でも図つてゐるつもりなのか、不必要に、変に控へめに思へてしまふことがままある。もつと思ひきり、ドーンと銀幕をも震はせる爆音で流せばいいのに。寝てゐた観客が驚いて目を覚ますくらゐの、あるいは隣のスクリーンに音がダダ漏れるのもまるで憚らぬほどの。大胆に強引に音楽の富を奪取する、よしんばそれが錯覚に過ぎなくともその瞬間に酔ひ痴れることが出来るのも、小屋ならではでないのか、とも思ふところではある。尤も、今回足を運んだのは世辞にも設備のいい方とはいへないミニ・シアターにつき、私の感じた不満は、映画なり100sの所為といふよりは、単に音響のパワーの問題に過ぎぬやも知れないが。


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 「ザ・妊婦 不倫!多情!淫乱!」(1992『ザ・妊婦』の2008年旧作改題版/製作:吉満屋功/企画:オフィスKUBO/配給:新東宝映画/監督:川村真一/脚本:友松直之・川村真一/撮影:中本憲政/照明:平岡裕史/編集:酒井正次/音楽:遠藤浩二/助監督:小坂井徹/監督助手:藤原健一・新里猛作・佐藤睦/撮影助手:鈴木一博・青木一茂/照明助手:山崎満/協力:若月美廣・中村和愛・藤原健一・シネマジック 宮本良博/制作協力:ペンジュラム/出演:竹村祐佳・摩子・鈴木奈緒・伊籐猛・久保新二・三上寛・井口昇・松岡千穂・青木綾子)。出演者中、松岡千穂と青木綾子は本篇クレジットのみ。但し、何処に出て来たのかも正直力強く判らない。今回新版ポスターに於いて、摩子は“魔子”と誤植、あんまりだ。そもそも、旧題もあんまりなのだが。といふか、新題も新題か。
 臨月の村上真美(竹村)が夕食を作り待つ中、年下の夫・キヨシ(伊藤)は何時まで経つても帰つて来ない。結局帰宅せぬまま翌朝、真美は夫の上司・市川(三上)の電話から、キヨシが営業車で外回りに出たまま帰社せず、けふも無断欠勤してゐるといふ事実を告げられる。因みに三上寛は数日後真美宅を訪問し、白日夢の濡れ場も触りだけ見せる。そんな真美の姿を、隣のマンションから有名作家の久保健二(久保)が、天体望遠鏡と高感度指向性マイクとでモニタリングする。二十年前事故により、臨月の妻・陽子(全く登場せず)と自身も歩行の自由を喪つた久保は、以来妊婦のいはゆる蛙腹に、尋常ならざる偏愛を抱いてゐた。ところでそれではキヨシはといふと、呑気といふか刹那的にとでもいふか、愛人・ひろみ(摩子)と、会社の車で横須賀を当てもなくほつつき流してゐた。二人は神戸から家出して来たといふ、ヒッチハイク少女・沙織(鈴木)を拾ふ。
 書生のタケシ(井口)を伴なひ真美に接近した久保が繰り広げる、軽めのSMを主体とした妊婦ポルノと、キヨシ・ひろみ・沙織による移動範囲の小さなプチ・ロードムービーとは、実は清々しく交錯したりも特にしない。殆ど平行線に近くすらある一篇を、結局臆面もなくキヨシが家に戻り、一方真美は久保と関係を持つたことは秘めたまま、夫婦はひとまづの平穏を取り戻すといふ形で畳んでしまふラストは、別の意味で大胆だといへなくもない。とはいへ、個人的にはその属性は一欠片どころか全速転進で持ち合はせるところではないが、正真正銘の臨月にある竹村祐佳の御姿に、その筋の諸兄は垂涎であらうし、一方別にさうでもない向きに対しては、面子も、廃造船所を主舞台に据ゑたロケーションも頗るフォトジェニックなキヨシらのパートは、映画的に正方向に見応へがある。さう考へると、即ち一見表面的なちぐはぐさは、妊婦ものといふ言葉は悪いがいはばゲテモノ料理を、博い客層に食せしめる為の戦略であつたとしたならば、変則的ではありつつ秀逸な一作といへよう。
 その上で改めて整理すると、時代の為せる業ともいへるのかも知れないが、安手の商売女のやうなパーマ頭は好みではないものの、大人の女の色気を綺麗に放つ摩子と、未だ残す少女の面影を輝かしく振り撒く鈴木奈緒、そこに殆どマンガのやうに手足の長い伊籐猛も加へたスリー・ショットは、遠近の別なく抜群に画になる。美人と美少女と伊籐猛、この三人だけでも、六十分を十二分に戦へる筈だ。対して竹村祐佳は首から上も少々キツく、ギャグは一切封印した久保新二の変態あるいは猟奇演技は、ためにする領域を超え出でるものでもあるまい。ただとりあへず、見事に膨らんだ巨腹―久保チン台詞ママ―は、正しくお腹一杯に拝ませては呉れる。AVの撮影は論外といふ意味で兎も角、ピンクの場合は擬似で事済む、といふか演技するべきであるとするならばそれが本道でもあるので、母体への負担も少なからう。

 川村真一といふと兎にも角にも、野上正義と久保新二によるピンク版「真夜中のカーボーイ」、「髪結ひ未亡人 むさぼる快楽」(1999/監督:川村真一/脚本:友松直之・大河原ちさと/2002年に『愛染恭子 むさぼる未亡人』と改題)を、是が非とも再見したいところではある。


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 「美人家庭教師 舌使ひで性指導」(2001『美人家庭教師 たらし込む快感』の2008年旧作改題版/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/撮影:千葉幸男/照明:高原賢一/編集:酒井正次/助監督:加藤義一/スチール:佐藤初太郎/音楽:レインボー・サウンド/監督助手:北村隆/撮影助手:池宮直弘/照明助手:原康二/効果:中村半次郎/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:椎名みなみ、小川真実、河村栞、浅井康博、平川ナオヒ、なかみつ・せいじ)。出演者中なかみつ・せいじの中点は、本篇クレジットまゝ。
 受験生時代の河合菜々子(椎名)と、家庭教師・四谷文樹(平川)の淫行にて開巻。徹頭徹尾、平川ナオヒ(現:直大)の出番はこの一幕限り。ファンとしては、少々残念。四年後、三流大学「黒百合学園大学」四年生となつた菜々子は、実家の父親が急死したため、学費を稼ぐべく東大生と偽り駿河克己(浅井)の家庭教師の座に潜り込む。克己の父・貴弘(なかみつ)と母・千鶴(小川)は大きな息子もゐながら依然俄然お盛んな夫婦生活に日々励み、そのことを嫌悪する克己は屈折してゐた。現在進行形の学歴詐称は瞬時に克己には看破されつつ、窮状を訴へる懇願が通り、菜々子はどうにか現状に留まる。
 家庭教師初日の帰り際、菜々子が覗いてしまふ貴弘と千鶴の夫婦生活と、後日車で送りがてら何だかんだで繰り広げられる貴弘と菜々子のプライベート・レッスンとが、延々果てしなく続く桃色に底の抜けた展開には映画の以降に大いなる不安も覚えたが、中盤、克己が憧れる同級生・佐々木優花(河村)登場後は、案外持ち直す。予備校ではなく気分転換にテニス教室に通ふ、優花のファースト・カットで河村栞の健康的な色気を弾けさせると、物を落とし困つてゐた車椅子の人(新田栄)を助けてあげる様子を、通りの反対側から克己が見かけるカットで、更に十全に外堀を埋める。克己の淡く不器用な恋心に気づいた菜々子が恋の家庭教師を買つて出る展開は鉄板で、河原に二人寝転んでの、菜々子が人が人を好きになるといふエモーションに関して、人生の動力としての有用を克己に説く件には、ここが顎が曲がつてゐるだけに口跡がどうしてもぎこちなくなる椎名みなみでなければ更に、よくよく観てみると実は意外なほどの決定力が煌く。そこで克己が仰ぎ見た青空に、牧歌的な合成で被せられる優花が、別に笑顔だけでいいものを、お尻を突き出してみせたり、挙句にオッパイまで御開帳してのけるのは微笑ましい御愛嬌。首尾よくデートに漕ぎ着け、更には初デートからホテルに突入した克己が、優花に嫌はれるきつかけとなる顔射が、AVからではなく、両親の夜の営みを見て覚えたものである、といふ辺りも実に心憎い。詰まるところオーラスの菜々子と克己の濡れ場を経たところで、菜々子の首が繋がつたほかは、克己に関しては優花との恋愛問題も、受験に関しても何も別に解決してはゐないのだが、観戦後の心持ちは地味に爽やかな、青春ピンクの何てこともない佳作である。

 ところでとはいへ、旧題も新題もあまりにあんまりだ。確かに正方向に勉強を教へる家庭教師は一欠片も行つてはゐないのかも知れないが、そこまで破廉恥をし倒してゐる訳でもない。ついでに話は一昨日に戻るが、菜々子が覗き見る貴弘と千鶴の軽くサドマゾなプレイを、変に見守る連獅子の歌舞伎人形が挿み込まれる画は、何がしたかつたのかいひたかつたのか、全く以て清々しく判らない。


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 「究極性感 恥穴ゑぐり」(2004/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/脚本・監督:山﨑邦紀/撮影・照明:小山田勝治/撮影助手:杉村貴之/照明助手:廣滝貴徳/応援:河合信治/助監督:田中康文・広瀬寛巳/音楽:中空龍/スチール:岡崎一隆/出演:佐々木麻由子・穂高奈月・佐々木基子・なかみつせいじ・柳東史・平川直大)。本篇の内容に過不足なく対応した、タイトルの完成度はさりげなく高い。
 SEXセラピストの飛水(佐々木麻由子)は、男から求められるばかりではなく、女の内なる獣の解放を説き人気を博する。といふと、まるで浜野佐知に渡す筈の脚本を山﨑邦紀が自分で撮つてしまつたやうにも思へかねないのは、過ぎる早計。クライエントを装つた、鋼鉄のペニスを誇る惨剣(柳)に陵辱された飛水は自信を喪失、活動自体も休業する。惨剣に辱められたショックも兎も角、後門を犯された際に思はず感じた何か新しい扉が開くかの如き直接的な予兆を、飛水は摸索してゐた。当てもなく彷徨ふ飛水の前に、金もなければチンコも勃たぬ無名氏(なかみつ)を連れた、生まれてこの方三十三年間絶頂を知らず、そのための離婚も繰り返してゐた切波(穂高)が現れる。セラピーを求める切波に対しそれどころではない飛水は、とりあへず連絡先を受け取ると適当にあしらふ。スッピンの北斗晶、とでもしか譬へやうもない穂高奈月ではあるが、正しく一人芝居で勝手に進行を牽引する、立て板に水の如きお喋りは決して悪くはない。一方、片やサイボーグへの憧憬とゴムに対する偏愛、片や男色であつたとする説に基づいての芭蕉の俳句の解釈と、まるで噛み合はないテーマを、てんで会話の体も成さぬまゝ相互に勝手に撃ち合ふ、サイボーグに憧れるゴムフェチレズビアン・水無月(佐々木基子)と、俳句好きのゲイ・超空(平川)。そもそもどうしてこのコンビで一緒に居るのかがよく判らない二人と、切波・無名氏と別れた飛水は続けて出会ふ。薄い透明のゴム手袋を常用した水無月の手先に触発された飛水は、出し抜けにアナル拡張に光明を見出す。
 今作自体の内容に触れる前に、あちらこちらに顕著な、過去作との連関を通つておかう。何はともあれ、柳東史演ずる鋼鉄のペニスを持つ男、即ちアイアンペニスといふと、2000年の「変態肉濡れバイブ」中、最終的には主人公に敗北を喫するところまで含め、概ね同趣向のキャラクターが登場する。山﨑邦紀自身の映画ではないが、ヴィジュアル的には眉を剃り落とした惨剣の怪人ぶりは、加藤義一第二作に於ける由良家長男との近似も認められる。自らをゴミ集積場の一袋に目する無名氏ことなかみつせいじの絶望的な寂寥は、矢張り2003年の「変態未亡人 喪服を乱して」に於けるピンク版ポストマンを想起させる。対して、超空の俳句好き設定は、「和服夫人の身悶え ソフトSM篇」(1999)の前衛俳句といふよりは、芭蕉ゲイ説に傾倒する以外は一般的な範囲内に止(とど)まる。飛水あるいは佐々木麻由子のSEXセラピストといふと、同年の「オーガズムリポート 痴女のSEX相談室」(監督:的場ちせ=浜野佐知)も連想されつつ、今作が六月公開で、「オーガズムリポート」が十一月公開であることを鑑みると、恐らくはこちらの方が先か。
 拡張した菊穴に、飛水はゴム手袋に覆はれた手首を捻じ込む。アナルの、しかもフィスト・ファックならば、男も女も、ホモ・セクシュアルもヘテロ・セクシュアルも、更には男性機能が不能であらうと正常であらうとも関係ない、問題ない。飛水が辿り着いた、セックスに特化してゐる点を差し引けばあたかもジョン・レノンの「イマジン」に歌はれた世界のやうな、サイバーパンクとフェミニズムとを大胆に援用した一種のユートピア思想は、確かに、奇想としての完成度は高い。とはいへ、そのテーマは概ね台詞で語られ、天外ながらに話としては肯けるものの、それと、一本の劇映画としてのエモーションとは全く別問題。理屈としては通るのだが、それがその限りに過ぎなかつたりもする。Aからフィストをアヌスに捻じ込まれたBはCのアヌスにフィストを捻じ込み、そしてCも又、Aのアヌスにフィストを捻じ込む。結局、劇中用語で“接続”されるのは、飛水×水無月×超空、飛水×切波×無名氏の組み合はせと、飛水×惨剣のシングルマッチのみ。即ち、三本の線が飛水といふ支点に収束することはあつても、そこから先で交はることがないのである。それをやつては画面(ゑづら)としてギャグになつてしまふのかも知れないが、ここは立場も性癖も全く異にする、六人が互ひに手首から先と肛門とで繋がる、新世界のネットワークを見てみたかつた感は残る。

 過去に向けた目をその後にも転じてみると、佐々木麻由子演ずる性の指南役の前に不能のなかみつせいじが現れる映画といふと、 2008年の「SEX診断 やはらかな快感」(監督:浜野佐知/主演の佐々木麻由子は、ここでは田中繭子名義)が挙げられる。詰まるところは素朴な剛直信仰の枠内から、外に飛び出で得ない側面も見せる今作に対し、「やはらかな快感」に際しては、萎びたまゝの、柔らかい男性自身による性行の愉悦といふ、全く新しい、より深化した視座が提供される。


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 「尼寺の痴漢 便所を覗け!」(2000『痴漢と覗き 尼寺の便所』の2008年旧作改題版/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/撮影:千葉幸男/照明:高原賢一/編集:酒井正次/助監督:加藤義一/スチール:佐藤初太郎/音楽:レインボー・サウンド/監督助手:北村隆/撮影助手:島浩/照明助手:藤森玄一郎/録音:シネキャビン/効果:中村半次郎/現像:東映化学/出演:赤坂美月・林由美香・里見瑤子・杉本まこと・やまきよ・丘尚輝・都義一)。出演者中都義一は、本篇クレジットのみ。
 尼寺・大成山愛徳院の尼僧・浄光(赤坂)が小用を足すのを、寺男の佐竹達也(やまきよ)が開き戸下の隙間から覗き見る。いいぞいいぞ、開巻早速“痴漢と覗き”の覗きはクリアだ。村娘の春日未散(ミチル:里見瑤子)が病気の母のために愛徳院を訪れるが、未散の目的は、実は達也と情を交すことにあつた。その模様を目撃した浄光は、僧服の下に隠した熟れた肉体を思はず疼かせる。一方、借金返済に競馬の大穴を狙ふ田代利尋(杉本)は、浄光の女性器を拝むと御利益があるとかいふ、何処からさういふ発想が出て来たのか藪から棒な噂話を思ひ出し、愛徳院を目指す。林由美香は、田代の妻・静枝。巨大なお世話だが、そんな男とは、別れておしまひなさいといはざるを得ない。話戻して、大胆にといふか破天荒にも汲み取り式便所の浄化槽内に忍び込んだ田代は、勇猛果敢に目的を果たす。勇猛果敢にといふか、頭に、“蛮”もつかうが。そんな田代が漏らす感嘆、「ほう、これがあの尼さんの」、「まるで観音様だ」。下らないにもほどがあるのは、実は全然序の口。仏の道と己が未だ捨てきれぬ煩悩、加へて男達が自らに向ける淫欲の狭間で苦悩する浄光は、邪念を振り払はうと仏教図画を紐解きながらも、結局自慰に溺れてのける。流れろ、もつと低きに流れろ、人間なんて、所詮は四捨五入すれば全部水だ。低きに流れるのと、熱し易く冷め、もとい醒め易いのはそれは仕方のない道理なのだ。そこに大成山の高僧・照輝(丘)が現れる。師長僧侶の選挙を控へた照輝は、照輝も照輝で浄光女陰の噂を頼りに、浄光を手篭めにする。よくいへばアナーキーな展開に、もう大感傷仮面に変身でもしさうな気分だが、ところが、まだまだこれでも五合目。
 処女の陰毛をギャンブルのお守りにする類の、取つてつけられた破廉恥御利益の都市ならぬ山村伝説を軸に、一昨日から明後日へと滑り転がりつつある物語は、ここから画期的なハード・ランディングを撃ち抜く。さめざめと泣く浄光の前に、意欲以前に振るバジェットに欠く映像効果の施された、

 菩薩様登場。

 何処の宗教法人の製作したプロパガンダだよ、因みにトンチキな衣装の菩薩様は、赤坂美月の二役。菩薩様の啓示を受けた浄光が、悩める衆生を救済すべく自らの肉体を開放するとかいふラストは、ピンク映画だからだとかどうだとかいふ地平も遙か高くか低くに超えた、まるで不意に極楽浄土を眼前にしたかの如き、圧倒的な素晴らしさである。素晴らしいか、これ?何だかもう、言葉を探す意欲も十万億土の彼方に消え失せた。傑出してゐるなどとは腕を極められてもいへぬが、これをケッ作と呼ばずして何と呼ぶ。何でもいいよ、それをいつては実も蓋もない。
 足かけ十二年、都合十三作製作された、連作といへるものやら否かは甚だ疑問ながら一応一連の“痴漢と覗き”シリーズの、今作はひとまづの最終作となる。といふ訳で、わざわざ酔狂にも休む予定を翻し足を伸ばしたものであるが、例によつて、詰まるところ今作にも覗きは兎も角、狭義の痴漢は登場しない。

 未だ、今ひとつ掴みかねる存在ではある都義一はオーラス、結婚祈願に愛徳院を参拝する竹内。参拝者の願ひ事の記された絵馬は、あらうことか浄光が用を足す手洗ひの個室内に奉納―最早奉納といへるのか、それは―され、竹内はといふと、浄化槽の中といふかあるいは下から、放たれる尿越しに浄光の観音様を、「南無女体観音菩薩様」と拝む。晴れやかな馬鹿馬鹿しさに対しては、ツッコンだら負けだとかいふのも通り越し、いつそストレートな清々しささへ覚えてしまひかねないが、そこはさて措き。よくよく冷静に考へてみると、田代の場合は、浄光の意は無視し明確に覗いてゐたものであるので仕方もないとして、菩薩様の意も受けたこの場合、要は実は別に放尿は要らなくね?そもそも、何をよくよく冷静に考へてゐるのか俺は、といふ気も我に返ればしないでもないが。


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 「性恥母 義母に責められて!」(2000『義母35才 息子が欲しい』の2008年旧作改題版/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/撮影:千葉幸男/照明:高原賢一/編集:酒井正次/助監督:加藤義一/スチール:佐藤初太郎/音楽:レインボー・サウンド/監督助手:北村隆/撮影助手:前井一作/照明助手:原康二/効果:中村半次郎/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:川島由佳・葉月螢・里見瑤子・村井智丸・丘尚輝・久須美欽一)。出演者中葉月螢が、少なくとも今回新版ポスターに際しては略字。
 三十路バツイチの古川志穂(川島)は定年間近の立花聡一郎(久須美)と再婚、聡一郎の息子・達也(村井)と三人で生活してゐる。聡一郎の前妻はどうしたのかといふ点に関しては、確か語られない。白亜の洋館での平均以上の生活を手に入れた志穂ではあつたが、年齢的に仕方もない聡一郎のセックスの弱さには正直不満も覚え、若く精悍な義息に対し、秘かな欲望を抱かなくもないでゐた。達也には結婚を見据ゑた恋人・神崎美波(葉月)がゐたが、土壇場に来て達也の方から結婚後の生活に対して疑問を感じ、二人は関係を拗らせる。ある休日、志穂が達也に抱かれる妄想での自慰がてら午睡から目覚めると、庭のプールでは、草野球から戻つた達也と、招かれもしないのに遊びに来てゐた志穂の妹・麻子(里見)が水遊びに興じてゐる。実は前夫との離婚事由は麻子を交へた三角関係であつた志穂は、妹との間に確執を抱へてゐた。
 といふ訳で丘尚輝は、これは回想に登場する、麻子を手篭めにしたとの志穂前夫に違ひないと踏んだ脊髄で折り返した予想は、まんまと外した。ならば再び丘尚輝は、直截なところどうといふこともないワン・カットにのみ登場する、何しに出て来たのかよく判らない達也の同僚・宮内優。志穂の元夫も、最終的に全く登場しない。
 言ひ寄られた麻子に加へ、何だかんだで達也は志穂とも関係を持つ。何気に姉妹丼は、今作に於いては一切フィーチャーされない。そんなこんなで整理すると、概ね何の不満もない新生活ながら、老夫との性交渉には満たされず、義息に道ならぬ視線を向けてしまはざるを得ない義母。対して義息も恋人との仲が縺れる中、薮蛇気味に隣の花が赤く見える義母に対し、何時しか複雑な感情を抱くに至る。手堅く纏められた義母ものに、独自色として姉妹の相克を絡めた展開は意外に充実しても見えた、のだけれど。確信犯的に筆を滑らせてのけるが結局如何に物語を落とすのかといふと、超えた禁忌は棚に上げ、出世の決まつた達也は体面を重んじよくいふと順当に、そのまゝいへば済し崩すやうに美波と結婚する。一方志穂はとなると、バイアグラを服用した聡一郎との夫婦生活に即物的に御満悦。などといふのは、中盤まではそれなりに磐石に積み重ねておいて、ネタを振り逃げるにもほどがある。いやらしくも溜めておいた新田栄&岡輝男コンビのルーズな破壊力が、最後の最後で炸裂するや、そこまで付き合つて来た観客の腰も粉と砕く一作。描き損じた岸可奈子のやうな、川島由佳は首から上は綺麗に曲がつてもゐつつ、伸びやかな肢体はアグレッシブな濡れ場演出の力も借り銀幕に映え、桃色の威力としてはひとまづ不足はないのだが。

 久し振りに触れてみるが、新日本映像(エクセス母体)公式サイト内にて紹介されてある、今作のストーリーがあまりにもハチャメチャ。志穂いきつけスナックのママ、なんてことになつてゐる麻子のキャラクター設定から先が、殆ど別の物語である。それと、新題中の“性恥母”といふのも、最早何が何だか判らない。


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