真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「痴漢電車 濡れ初めは夢心地」(2006/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影・照明:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:伊藤一平/監督助手:中川大資/撮影助手:海津真也/照明助手:広瀬寛巳/現場応援:田中康文/出演:日高ゆりあ・星沢マリ・結衣・津田篤・世志男・竹本泰志・野村貴浩・本多菊次朗・牧村耕次・樹かず・なかみつせいじ・横須賀正一・神戸顕一)。出演者中、横須賀正一がポスターにはしょういち。
 大蔵商事営業三課勤務のOL・東条(東城か東條かも)明日子(日高)と、二年間の不倫関係にある上司・船越シュンスケ(竹本)との情事で順当に開巻。事の最中は頻りに妻との離婚を口にしながら、二人の息子・フミヤとマサトシ(スナップ写真でのみの登場、子役不明)を溺愛する船越は、事後に至るや口汚く手の平を返すと、挙句にそのままトンズラするかの如く大阪に転勤してしまふ。傷心を抱へつつ、そこは勤め人の悲しい性よ、明日子がそれでも揺られざるを得ない通勤電車。ここで早くも、乗降口上方に貼られた『AHERA』誌車内広告といふ形で、神戸顕一が見切れを果たす。ラフな本多菊次朗と、淫具も用ゐる熟達したテクニックを誇るダンディな牧村耕次などといふ、端役にしては贅沢過ぎる痴漢AとBを経て、その日の明日子に、アキバ系の青島清貴(津田)が電車痴漢・ジェット・ストリーム・アタックを目出度くもなく完成させる。しかも青島が明日子の体に触れるのは、一週間前と三日前に続く、三度目のことだつた。本多菊次朗と牧村耕次を連破した、明日子が度々露にする敵意も込めた不快感をものともせず、なほも青島は体を離さない。終に堪忍袋の尾を切らした明日子が青島の手を取り声を荒げた瞬間、電車が激しく揺れ、清水正二の手によるハチャメチャなCGと共に、明日子は郷里で過ごした高校時代に放り込まれる。メガネにおさげ髪と、地方在住女子高生のアイコンを可憐に具現化する女学生ver.の明日子は、町内相撲大会を見据ゑ特訓に励む初恋相手の和彦(世志男)に、祖母の戒めに従ひ将来的には結婚を前提とした上で処女を捧げる。ところがそんな和彦を、あらうことか姉のみずえ(星沢)に寝取られる。挙句に悪びれもせず嘲笑する二人に明日子が逆上した次の刹那、現在の姿の明日子は再び、電車内に揺り戻される。とはいへ何故だか他の乗客の姿は消えた車内では、けばけばしい扮装のみずえが如何にもチンピラ風のケンジ(野村)と、痴漢プレイに戯れてゐた。衝撃を受ける暇もなく、色男を台無しにした車掌(樹)を噛ませて、明日子は今度は墓地に飛ばされる。後に家出して上京し、職を転々とするみずえは悪い病を患ひ、早死にしてゐた。フと見やると腕時計は針がグルグル早回り、まるで用を成さぬ不思議な空間の中で、古時計を抱いた時計男(横須賀)が静かに明日子を見守る。今作限定の話だが、横須賀正一は少し目方を増してゐるやうにも見える。
 配役残り結衣は、更に条理を超えた遍歴を重ねる明日子の前に現れる、基本タチの百合担当・雅美。この期にいふのも随分では済まない間抜けさではあるが、この手の一般的な蓋然性には必ずしも囚はれぬ幻想譚にあつては、任意の形で三番手濡れ場要員を実に投入し易い。作劇の特色を利した、素直なファイン・プレーといへよう。順番的には終盤に至つて最後に登場するなかみつせいじは、事件の現実的な真相を街頭ビジョンにて伝へるニュースキャスター。スタジオから現場に上手く繋がらなかつた為、なかみつせいじが仕方なく振つたコマーシャルに際して、「神戸印のたこやき」CMで神戸顕一が珍しくも再登場。序盤の、実誌ではなく『AHERA』の広告バージョンといひ、このたこやきCMも、初めてお目にかかつたやうな気がする。その他乗客要員が、十分に潤沢に登場。少なくとも、出演者枠にはクレジットされない。
 『銀河鉄道の夜』かはたまた『不思議の国のアリス』か、超常的な往き来の末に最初の和彦と最新の船越だけでなく、これまで終始男運の無かつたヒロインが、終に運命のお相手に出会ふまでを描いたファンタジック痴漢電車。冷静に検討してみるまでもなく、最終的な始終の強度は決して万全ではないのだが、厳密には残る詰めの甘さを初めから規定された六十分といふ尺にギュッと凝縮して押し込めると、勢ひで観させる陽性娯楽映画の良作である。封切りは晦日前々日、即ち2007年正月映画らしく、女の裸数以外には全く豪華なキャストは、端々まで賑々しく全篇を飾る。明日子が現実地平に帰還するラスト直前に差し挿まれる、みずえらから「人生は紙一重」だと、前向きに自らの手で幸せを掴み取らせようとする応援歌的なメッセージも、木に竹を接ぎ気味のベタであると同時にだからこそ尚更、結果的には的確な段取りとして最終段の推移に磐石さを付与する。ランダムな明日子の時空移動と同様、軸足を失した映画全体も漫然としておかしくはないところが、案外安定した一作。不可思議な物語を描いた、不可思議な映画である。とまでいふのは、作為的な牽強付会に過ぎるであらうか。兎も角オーラスを穏やかに締め括る日高ゆりあの満ち足りた笑顔は、最早細かな野暮をいふ無粋など失せさせる。

 筆の根も乾かぬ内に改めて。何となく調べてみたところ、オーピーは2004年から2008年の「痴漢電車 夢うつろ制服狩り」(2007/監督:友松直之/主演:亜紗美)まで、五年続けて正月番線を痴漢電車で戦つてゐる。その中で池島ゆたかが登板するのは、最初の「痴漢電車 誘惑のよがり声」(2003/主演:愛田美々)に続き二度目。2005、2006の残り二年は連続で出来栄えは大きく上下させ、「痴漢電車 いゝ指・濡れ気分」(2004/主演:愛葉るび・なかみつせいじ)と、「痴漢電車 エッチな痴女に御用心!」(2005/主演:飯沢もも・真田幹也)の渡邊元嗣が務める。

 誤りに気付いた付記< 何時ものことだが迂闊にも、明けてからの公開を無視してゐた。何と凄まじいことに、少なくとも大蔵映画時代の1990年から毎年毎年延々毎年、オーピーは迎春決戦兵器に痴漢電車を走らせてゐる。


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 「美畜令嬢 おとなしさうな顔して」(1996『深窓の令嬢 レイプ狂ひ』の2011年旧作改題版/製作:旦々舎/提供:Xces Film/監督:浜野佐知/脚本:山崎邦紀/撮影:田中譲二・松本治樹・鏡早智/照明:秋山和夫・渡部和成/音楽:藪中博章/助監督:森満康巳/制作:鈴木静夫/効果:時田滋/スチール:岡崎一隆/出演:遠藤悠美・田口あゆみ・吉行由実・平賀勘一・杉本まこと・甲斐太郎)。
 御馴染みミサトスタジオこと―どうしたことか、公式サイトが開かない―白亜の洋館、庭のプールの水面に揺れる月明かり、タイトル・イン。甲斐太郎に寝込みを襲はれた、その屋敷に住む女子大生・的場由香(遠藤)が母の寝室に助けを求め飛び込むと、母親・菊美(田口)はあらうことか、憚りもせず連れ込んだ由香の高校時代憧れの教師・国坂功(杉本)と、乳繰り合ふ真最中であつた。因みに、由香父親の不在の詳細に関しては、一切触れられず。兎に角、お父さんの“お”の字も出て来はしない。いはば母に男を奪はれた格好の光景に、衝撃を受けた娘が改めて甲斐太郎に犯されるのは、由香が日々苛まされるナイトメア。大学の近くに駐輪場が出来て以来、そこの管理人・長田浩一(甲斐)に強姦される悪夢なり幻想に度々囚はれるといふ悩みを、由香は神経科医・倉旗高志(平賀)に訴へる。倉旗が由香の症状に殊更に深刻に取り組む一方で、そんな夫の姿に対し、妻・奈津江(吉行)はミイラ取りがミイラになりはせぬかと気を揉む。実際に、よくある話でもあるらしい。
 浜野佐知1996年第十作。サラッと書いてしまつたが幾ら量産型娯楽映画とはいへ、一年間に劇場本篇を十作とは箆棒な本数にも思へるが、それで打ち止まらずもう一本加はる当年の前後1995・1997年は、更に上回る十三作づつを浜野佐知は発表してみせてゐる。流石に無茶苦茶とでもしかいひやうのない、怒涛どころでは済まない製作ペースで、私見ではこの辺りの九十年代中盤が、少々の瑣末は捻じ伏せるのも通り越し薙ぎ倒す熱量と勢ひとに満ち満ち溢れた、浜野佐知の最高潮ではないかと常々秘かにでもなく目するものである。その上で今作に話を絞ると、詰まるところは、長田にとつてはとんだ傍迷惑でしかない令嬢のレイプ妄想を軸とした、正直物語としての完成度は決して高くはないサイコ調サスペンス風味の一作。扱けた頬と目の下の隈が心を病んだ女にハマリ役ではあるけれども、正直些か厳しい主演女優の脇で、全盛期の田口あゆみが貪欲な毒婦役を力強く狂ひ咲かせる。対して、少々勿体ないが吉行由実は三番手として、おとなしく物語の周縁に止まる。端的には由香が陵辱されては夢かイマジンかは兎も角非現実オチ、の一点張りで脈略には清々しく欠いた濡れ場の羅列に正直くたびれかけた終盤、論理的な段取りは軽やかにスッ飛ばした一ネタで強引に畳み込むと、フィニッシュは終に真実に辿り着き得たヒロインの、切れ味も抜群な決め台詞で鮮やかに締め括る。まるで絵に描いたやうな、終り良ければ全て良しといはんばかりの力技には当時女帝の強靭な充実が窺へると同時に、下衆が深読みするならば、そこに至るまでのダラダラとした迷走は、深層に隠された真相を巡り奔走する倉旗と由香に軸を据ゑた脚本と、偏に良くも悪くも能動的な菊美の姿に狙ひを定めた演出との、齟齬が生み出したものでもなからうか。


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 「痴漢電車 グッショリ濡らして」(昭和63/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:周知安/企画:伊能竜/撮影:稲吉雅志/照明:守田芳彦/音楽:二野呂太/編集:酒井正次/監督助手:橋口卓明・瀬々敬久/撮影助手:片山浩・冴島敏/照明助手:馬田里庵/スチール:津田一郎/録音:東音スタジオ/現像:東映化学/出演:黒沢ひとみ・結城麻美・徳大寺笙子・橋本杏子・池島ゆたか・香川耕二・新井賢二・ジミー土田)。企画の伊能竜は向井寛の、脚本の周知安は片岡修二の変名。一応律儀にツッコンでおくと、ニーノ・ロータかよ、バタリアンもな(´・ω・`)
 時代はレンタルを豪語する、今風にいへば人材派遣会社とも矢張りいへない―いへねえのかよ―人間レンタル会社「ハッピーレンタル」社長(池島)は、ボディーガードを希望する黒崎悦子(黒沢)からの注文に、どうやら本業はサラリーマンで、レンタル要員はアルバイトらしき香川耕二(以下香川)を向かはせる。悦子と混雑する電車に乗り込んだ香川は、もつと密着して下さいだの、直接ガードして下さいだのと、底の抜けた求めに応じるまゝにミイラ取りがミイラにならぬ、痴漢ガードが痴漢させられる羽目に。すつかり気に入られた悦子から、就寝時の警護にも呼ばれた香川は、友人氏(新井)を自慢がてら連れて行く。固唾を呑んだ新井が庭から覗く中、明確な据膳の気配に香川は小躍りを隠せない一夜。ひとまづ香川は床で眠ることにした上でいよいよお休みなさいといふ段に、今作中最高の娯楽映画としての洗練が、さりげなく煌く。庭で新井が思はず漏らしてしまつたクシャミを、悦子は香川が寒いものと勘違ひしてシングル・ベッドに招くといふ段取りは、何気なくも実にスマートだ。逆からいふと、そのカットが頂点といふのは、一本の劇映画にしては如何なものなのよといふ話にもなるのだが。筆を滑らせるが以降は、結局事の最中に、今度こそ新井の存在に気づいた悦子が、騒ぎ始めハッピーレンタルとの契約も破棄。池島ゆたかからバイト料を貰へずに香川が吠え面をかく反面、悦子に見初められた新井が、棚から転がつて来た牡丹餅を頂くといふのが一幕目のフィニッシュ。
 二幕目、ロマンチックな恋人役でレンタルされた女(徳大寺)は、客の男(ジミー土田)ととりあへず電車に乗る。最終的にはジミー宅にまで乗り込むものの、自身はヤル気まんまんであるにも関らず、まるで乗つて来ないジミ土に業を煮やした笙子は仕事を終へた帰宅後、ムシャクシャが納まらず「レンタルヘラクレス」から男を呼ぶ。要するに、今作に登場するレンタル会社といふのは、単なる出張風俗に過ぎないのではなからうかといふ最短距離の疑問は、この際通り過ぎる方向で。
 三幕目、池島社長は妻・アキコ(橋本)の目を憚りつつ、部下兼不倫相手の倫子(結城)との情事を楽しむ。
 一応何れも意外な結末に落とし込み、且つ痴漢電車も絡める共通項で括られた三幕芝居。結末自体は他愛ない黒沢ひとみ篇から、コント風味な、といふかコントそのものの明後日な破壊力を振り抜く徳大寺笙子篇。朝の食卓での会話に際して、池島ゆたかが不用意に火遊びを自白したのかと一旦錯覚させておいて、更に予想外のサプライズが飛び込んで来る結城麻美&橋本杏子篇と、徐々に落とし処の強度が増して行く構成は意外と秀逸であつたやうにも思へるが、全般的な出来栄えがあまりにもよくいへば穏やかで、それゆゑ全体的な、求心力が発生し難い面は少々苦しい。女優陣に関しても、首から下は正直小粒ながら結構正統派の美人である徳大寺笙子と、圧倒的な安定感を誇る橋本杏子は殆ど二回り後の現在に於いても十二分に戦へようが、曲がつた首から上に未完成感が色濃い黒沢ひとみと、清々しく華に欠く結城麻美に関しては、些かならず時代の波を超え辛い。橋本杏子に最大の大技をサラリと決めさせたところで、チャッチャと映画を畳んでみせれば余韻のひとつも残せたのかも知れないものを、そこから無理矢理噛ませたしかもプレイ内容的には中途半端な電車痴漢で妙に費やす尺は、冗長といふ誹りも免れ得まい。レンタル社会といふ軸で貫いた各篇に、各々趣向を変へたオチを設けたアイデアまでは悪くなかつたが、以降そこかしこの詰めの甘さに大魚を釣り逃がした、非常に惜しい一作である。


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 「妻のいとこ 情炎に流されて」(2006/製作:多呂プロ/提供:オーピー映画/監督:荒木太郎/脚本:三上紗恵子・荒木太郎/撮影・照明:清水正二/編集:酒井正次/助監督:金沢勇大・三上紗恵子/撮影・照明助手:関根悠太・広瀬寛巳/応援:小林徹哉・田中康文・内山太郎/タイミング:安斎公一/出演:平沢里菜子・里見瑤子・愛川京香・淡島小鞠・支那海東・安田憲明・丘尚輝)。応援中、内山太郎だけがポスターでは出演者に名前が並ぶ。協力をロストする。
 1990年バブル華やかなりし頃、当時左団扇の青年実業家・小実晶(支那海)は部下二人(内山太郎、他一名)を連れ手漕ぎボートで大海に漕ぎ出す冒険旅行に。ここで、部下もう一人の禿頭が田中康文でないことは明らかなので、となると、協力勢からの動員でなければ小林徹哉か。一行が辿り着いた南の島は、ヌーディスト島とナレーションでは謳ひながらビキニ上下にパレオといふ、看板を偽るにもほどがあるといふか舌の根も乾かぬ内にとでもいふべきか、兎も角島民は何故か女しか見当たらぬ陽気な楽園。部下二人がチャーム(愛川京香/a.k.a.紅蘭)を交互に抱き、その周囲では何故か仏頂面の淡島小鞠(a.k.a.三上紗恵子)がウクレレを掻き鳴らす中、少し離れた波打ち際にて小実晶が平沢里菜子とイイ雰囲気になりかけたタイミングで、清水正二の手によるホーム・メイド感の爆裂するCGが仕出かすやうに起こす、闇雲なレンズフレアに連動してタイトル・イン。
 時は過ぎ、2006年当時現在時制。泡と共に事業もポップに弾け、小実晶は今では建築家の妻・みつ子(里見)の帰りを主夫として待ちながら、どぶろく作りの研究にしがなく明け暮れる日々。開巻から軽快に躓いた映画が、いよいよ本格的に壊れ始める。寝こける夫に対し、「ハアッ、呑気なもんね」と見事な嘆息混じりの第一声と共に、くたびれ果てたみつ子が帰宅。腰も満足に使はない支那海東が、阿呆みたいに首だけ必死にガンガン振る間抜けな夫婦生活を経て、満ち足りぬみつ子は妙にエクストリームな風呂場オナニー。翌日、カミさんを送り出した小実晶が、どぶろくの本を出版することと店を出す―そこは特区なのか?―こと、そして“南の島で味はつた、体の底から湧き上がるやうな感情を成就させること”といふ三つの夢を開陳したところで、カット変ると四人の画家(荒木太郎と、後の三人は応援勢か)を前に水着でポーズを取る、みつこの従姉妹・知里子(平沢)登場。その場を訪れた彼氏・秀雄(丘)と、服の上からの愛撫だけで猛烈にターップリと尺を喰ふ、驚くほどに長々とした濡れ場を披露。結婚観の相違から秀雄と別れた知里子は、二役である以上当たり前の話でしかないが、かつて南の島で見初めた女と瓜二つである点に関しては非感動的に綺麗に通り過ぎてみせた上で、無人販売所で鬼のやうに安い野菜を買ふ小実晶の前に現れる。ここで淡島小鞠も、世間の猜疑心担当の近所の人役で再登場。配役残り安田憲明は、度派手なクラシックのオープンカーでみつ子を迎へに来る、正体不明の強面・健二。
 2006年五月末の故福岡オークラ閉館の影響と、元々の荒木太郎嫌ひとから回避してゐた同年最終作―挙句に2007年正月映画に相当する、頭を抱へるぜ―に、今回この期に初めて挑んだものである。さうしたところが、聞きしに劣るとも勝らない、壮絶な木端微塵。箱の内側から撮る形で見る者の表情を捉へるテレビに、被害妄想で健二を相手としたみつ子の不貞の現場を覗いた小実晶は、錯乱したのか台風十八号の最中知里子と再び南の島へ。少しカメラが引くと狭さが際立つ南の島での、手篭め気味の小実晶と知里子の濡れ場を通過し、一体ここから如何にこの支離滅裂を畳むものかと別の意味で固唾を呑んでゐると、「台風で心配して迎へに来て呉れたのね?」と、画期的に頓珍漢な台詞とともにみつ子が小実晶に合流。

 ( ゜д゜)ポカーン

 ・・・・ええと、当該“南の島”とやらは何処ぞの南洋に浮かぶ天国に一番近い島ではなくして、単なるそこら辺の国内?ほんでその状況から小実晶はみつ子と帰宅するとなると、勝手に連れて来られた知里子は、一人で帰らないかんの?思ひのほか案外近場みたいなので、それでも別に構はぬとでもいふ方便なのか。いつそのこと、単に横好きの娯楽映画が出来損なつたといふよりは、初めから観客を煙に巻く主旨の、不条理映画で御座いとでも開き直りすらしてみせて呉れた方が、まだしも下手な地雷を不用意に踏んでしまつたと諦めもつかう。重ねて、ただでさへ軸といふものが存在しない滅茶苦茶の更に全篇を通して、商業水準には遠く達しない清水正二作のコンピューターならぬチープ・グラフィックスと、少なくとも映画的には凡そ満足な芝居も出来ない癖に、妙に自己主張の激しい支那海東の顔面とが火に油を注いで散らかし倒す。荒木太郎の三上紗恵子との心中ないしは情死路線の中でも、流石に逆向きに抜きん出た問題作も激越に通り越した壊滅作。強ひていい面を挙げることを試みるならば、今作を通つておけば、後は大概の代物はどれだけ酷からうともう怖くはない、断じて有難くはない一作である。

 リアルタイムのm@stervision大哥のレビュウによれば今作は今村昌平映画の翻案であるらしく、調べてみると成程確かにその通りのやうだ。その限りに於いては、前述したみつ子の映画史上空前に唐突な珍台詞も、オマージュとしては辛うじて通らぬではない。とはいへ、然様なシネフィル臭いコンセプトなんぞ、純正ピンクスの小生にとつては知つたことか。実は、前半で稼いだ平沢里菜子と里見瑤子の裸比率は結構なものなのだが、ここまで映画全体が壊れてしまつてゐては、とてもではないがそれどころではない。こんなザマで幾ら女の裸を見せられたとて、到底首を縦になど振れるものか。どちら様に捧げられたリスペクトであらうとなからうと、とりあへずは小屋に木戸銭を落とした客の前に、独立したマトモなピンク映画を出せ。話はそこからだ。


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 「連込み兄嫁 薬指の技」(1999『義姉と弟 はしたない人妻』の2007年旧作改題版/製作:IIZUMI Production/提供:Xces Film/監督:北沢幸雄/脚本:五代暁子/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/製作:業沖球太/撮影:小山田勝治/照明:渡波洋行/録音:中村幸雄/編集:北沢幸雄/音楽:TAOKA/助監督:堀禎一/監督助手:城定秀夫・寺嶋亮/撮影助手:岩崎智之・関谷和久/照明助手:小倉正彦・和田正宏/ヘアーメイク:鷲野早苗/スチール:佐藤初太郎/ネガ編集:酒井正次/タイトル:道川昭/録音スタジオ:シネキャビン/現像:東映化学/出演:児島なほ・佐々木基子・小松ひろみ・池田一視・藤井浩史・杉本まこと・河合純・前川勝典・牧村耕次《友情出演》)。出演者中、主演女優の児島なほがポスターには児島なお、何と大らかな世界よ。それと、「何で?」と訊かれても回答に窮するが、監督助手に城定秀夫と寺嶋亮の名前が並ぶ辺りが感慨深い。
 大学生の本条和也(池田)が、主演女優の颯爽と街行く姿に目を留める。こゝで、本筋に関る関らない遠く遥か以前の瑣末ながら、以降妙に折に触れ繰り返し抜かれる和也の足下の、紐から薄汚れたコンバースが結構激しく頂けない。何も黒のショートカットであるからいかんといふ訳では必ずしもないものの、丈・太さともボトムとのコーディネートさへなつてゐない、手入れの行き届かぬ靴を幾度と見せられるのは、直截に映画のショットとして見苦しい、リアルでもなほ感心せぬが。吸ひ寄せられるが如く児島なほの後を尾けるも、住宅地の真ん中で見失つてしまつた和也はその日の当初予定に従ひ、贅沢にも勝手に和也の側から重たがる彼女のゆかり(小松)を、既に心は通はないまゝに抱く。離婚歴のある兄・ひろし(杉本)から再婚の報告を受け、兄宅に遊びに行つた和也は驚く。二代目兄嫁のエリカ(児島)こそが、先日自身が心を奪はれた美女であつたからだ。清らかな劇中世界の狭さに一々立ち止まらずにはをれない無粋者は、いつそ映画なんぞ観なければいゝ。靴の汚れが許せぬ神経質はどうなのか、といふツッコミに関してはひとまづ御容赦願はう。ゆかりからの相談を受けた関西弁の共通の友人・佐久間(藤井)が、二人の関係の修復に努めようとして呉れてゐるのにも邪険に耳を貸さず、和也は再び外出するエリカを尾行する。とはいへまんまと勘付かれ、エリカは捕獲した義弟を、美奈子(佐々木)が女主人の外見は変哲ない一軒家に招き入れる。驚くことにそこは、社会的地位のある男達(ファースト・カット左から前川勝典・河合純・牧村耕次)がエリカ・美奈子と乱交に戯れる、秘密クラブであつた。
 現状否定気味の大学生が街で見初めた美しい女が何と実は義姉で、しかも兄以外の男に体を売る秘密を持つてゐた。とかいふ次第の、甘美な中にも一摘みのほろ苦さを加味した近親相姦系青春映画。何はともあれ、容姿もお芝居の方もスマートな児島なほの脇をソリッドに妖艶な佐々木基子が固め、加へて三番手の小松ひろみも、地味な風貌に上手く馴染む終始オドオドしたディフェンシブな態度と、脱ぐと意外に成熟したアグレッシブな肢体とのギャップが、超絶に絶妙な琴線を掻き鳴らす。女優三本柱は、ひとまづ麗しく磐石。さうはいへ、物語的には本来主人公である筈ではないのかとも思へる、和也のバックボーンに関する描き込みなり掘り下げは清々しく薄い。更に、エリカが昼間は高級売春婦であるといふ大風呂敷を、妻が他の男と関係を持つところを見るなり想像すると燃えるといふひろしの、いはゆる昨今いふところのNTR“寝取られ”属性の一点突破に落とし込む大技は有効だとしても、そこから変に余らせた尺を、延々新展開には全く欠いた濡れ場で費やし失速感を加速する漫然とした構成には、強い疑問に首を捻らされるのも禁じ得ない。あるいは、劇映画としての体裁は早々に整へ、残りは兎にも角にも女の裸を見せる本義に専念すべし。さういふ設計乃至は心構へであるのやも知れないが、それにしても、中盤から終盤を中弛ませておいた上で、最後の最後をバシッと締め振り逃げてみせた方が、鑑賞後の感触も大きく変つて来たのではなからうか。などと、素人考へながらに思はなくもない。どうもといふか相変らずとでもいふべきか、北沢幸雄といふ人のペース配分あるいはリズムを、未だ量りかねる一作。寧ろ、綺麗なフィルム撮りの映像で捉へられた美人のオッパイと尻、それさへあれば後は余計だくらゐのブルータルな御仁には、逆に完成形たるのか。


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 「スケベな住人 昼も夜も発情中」(2010/製作:Blue Forest Film/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典・山口大輔/原題:『からつぽ人魚』/撮影監督:創優和/編集:有馬潜/録音:シネキャビン/助監督:櫻井信太郎/監督助手:田辺悠樹/撮影助手:宮永昭典・高橋舞/撮影応援:丸山秀人/現像所:東映ラボ・テック/スチール:本田あきら/音楽:與語一平 Key.八巻祥一 Ba.小川倫広/出演:藤崎クロエ、日高ゆりあ、佐々木麻由子、岩谷健司、毘舎利敬、津田篤、倖田李梨、サーモン鮭山、小町・ルダ・メイ、井尻鯛、岡田智宏)。出演者中、小町・ルダ・メイと井尻鯛は本篇クレジットのみ。
 浜辺にて、黒ジャケット+アロハに短パンの岩谷健司と毘舎利敬があつち向いてホイで雌雄を決さんとする指が、恐ろしい剣幕の佐々木麻由子の鼻の穴に突き刺さる。「この馬鹿兄弟、ナメとるんか」と、鼻血を垂らした佐々木麻由子が広島弁で一喝するのに合はせてタイトル・イン。
 両親の離婚、といふ家庭環境に伴ひ苗字の異なる、兄・青森一郎(岩谷)と弟・和歌山二郎(毘舎利)の兄弟は、半年分溜め込んだ家賃を未亡人管理人・広島響子(佐々木)に体で支払ふ羽目に。素人考へでは結構な話にも思へかねないが、響子のデストロイな性欲に匙を投げた兄弟は、下半身はフルチンのまゝ逃走。そこかしこで衣服と移動手段とを強制調達しつつ、とある海辺の町に流れ着く。ここで小町・ルダ・メイ(=小松公典/一体この人は、何色の名義を使ひ分ければ気が済むのか)は、自動車と自転車を強奪される男の二役。身包みも剥がれるため、最後には矢張りフルチンになる、無闇な脚本家だ。何某かのよく判らない意図があるのか単に仕出かしたか、ゴチャゴチャ前後する編集は無視してガッサリ整理すると、一郎と二郎は、海岸で行き倒れたマイクロビキニの女(藤崎)を助け起こす。記憶を失くしてゐるらしき藤崎クロエに、名無しのノン・ネームから“ノンちやん”といふ徒名をつけた兄弟は、その場に居合はせた訳アリ風情のイケメン・神戸キタオ(津田)の下宿に転がり込む。キタオが暮らす「ほうぼう下宿」のその他住人は、大絶賛枕営業でトップ成績を獲得するや、次の町に渡り歩き最終的には全国制覇の大野望を燃やす、保険外交員の島田一子(日高)。井尻鯛(=江尻大)が、ここでの肉体勧誘要員。更に、袋小路での煮詰まり感を爆裂させる十浪生・京大東大子(倖田)も加はつての恒常的な騒動に悩まされ続けるディフェンシブな大家(岡田)は、ノンちやんは兎も角新たに参戦した一郎・二郎に、焦燥あるいは消耗の火に油を注がれる。ところで、何処かしら陰のあるキタオは、かつて死んだ兄貴分の復讐に所属する組を潰した過去を持つヤクザで、一郎と二郎も一見馬鹿風に見えて、トキオと同じその筋では“血塗れ兄弟”として恐れられた凄腕であつた。ノンちやんを一応軸に何となく楽しい時間が流れる中、利き腕を潰したキタオの命を狙ふ殺し屋・八戸(サーモン)が、「ほうぼう下宿」に現れる。
 佐々木麻由子の境遇と下の名前からある意味明快に窺へるやうに、現にオーピーからは『めぞん一刻』といふ御題を貰つてゐたといふ変人だらけの下宿物語を、ヴィジュアル上はラフなブルース・ブラザーズ調に見えなくもないアウトロー兄弟が、基調愉快に西だか東だかへ流れ流れ行くロード・ムービーが縦糸として貫く一作。明確な主題を伴なつた物語を追はうとは半ば放棄した、当人達は十八番のつもりなのだらうが空回るか上滑ることが多い、自家中毒気味のキャラクター劇に関しては良くも悪くも何時ものこととして、フィルムではなく本職の板の上でも実際にタッグを組むことが多いらしい、岩谷健司と毘舎利敬(=岡部たかし)のコンビネーションはひとまづ完成されてゐる。ただそれにしても、血塗れ兄弟についでにトキオも含め三人筋者を並べた上での終盤のシリアス転調に際しては、兎にも角にもアクション・シークエンスのへべれけさが致命的。締めたいと思しき展開が、ものの見事に非感動的に締まらない。出来ないことを回避もせずにまんまと自爆するのは、商業的には単なる蛮勇に過ぎないのではないか。そもそも、この期にヤクザを出さねば映画が撮れぬ時代でもあるまいし、わざわざ加へてトキオまで、しかも全く同傾向の元暴力団員に仕立て上げねばならぬ意味がよく判らない。スリー・オブ・ア・カインドには揃つたといふよりは工夫のなさがより濃厚に漂ひ、トキオの回想中に後姿だけとはいへ、死んだ兄貴分の女―即ちトキオからは姐さん―役に藤崎クロエが2カット見切れるのは、無闇な観客の混乱を惹起するだけでもなからうか。一郎・二郎兄弟の掛け合ひにしても「ほうぼう下宿」のエキセントリックな面々にしても、そこそこ若干以上には楽しんで観させるものの、そもそもそもそも、このくらゐの奇人博覧会であれば、たとへば山﨑邦紀ならば開巻のイントロダクションで手短に片付けて、チャッチャと先に進む程度の代物にも思へる。だとすると巨大な不満が残るのは、僅かな布切れで本丸を辛うじて隠したのみの、波打ち際に於ける藤崎クロエのショットには結構な桃色の破壊力の轟きが感じられただけに、コメディに戯れることに終始し勿体なくも基本お留守にされた、主演女優の裸はせめて食傷するほどに見せて呉れては欲しかつた。

 純然たる枝葉ながらギラリと光るのは、兄弟の世間といふか渡世話の中で、二郎が子連れのマサミから聞いたといふ形で語る、佐野と井出が女子高生に殺られて死んだとの一節。全くさりげなく通り過ぎられるものだが、これ実は、二年十作前の青春犯罪映画「不純な制服 悶えた太もも」(主演:Aya・松浦祐也)のラストを直接に踏まへたスピンオフ気味のエピソード。即ちここでのマサミとは倖田李梨のダブル・キャストで、佐野と井手は、それぞれ今作には出演しない吉岡睦雄と世志男に相当する。本筋には一切関らない部分であることはさて措き、映画に偶発側面的な深みが発生した瞬間である。
 出演者がもう少し、血塗れ兄弟を追つて、劇中てんで役立たず画面にも映えない刺客二人組が登場。順当に考へると、櫻井信太郎と田辺悠樹か。


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 「続・愛染恭子Gの快感 究極編」(2002/製作:シネマアーク/配給:エクセスフィルム/監督:愛染恭子/脚本:藤原健一/原作:愛染恭子《双葉社刊 Gの快感より》/企画:稲山悌二/プロデューサー:奥村幸士・寺西正己/撮影:中尾正人/照明:小川満/録音:シネキャビン/編集:酒井正次/デジタル編集:亀井享/撮影助手:奥野英雄・田宮健彦/照明助手:深川寿幸/ヘアーメイク:原川潮美/スチール:小林直之/音楽:川口元気/演出助手:横井有紀・林雅貴・吉住亮/衣装:テラーズ/スペシャルサンクス:ジニアス・山崎邸・アクトレスワールド/撮影協力:フィルムワークスムービーキング/協力:《双葉社》週刊大衆・道頓堀劇場/出演:愛染恭子・沢木まゆみ・千葉誠樹・平川直大・竹本泰志・中村英児・銀治・吉住亮・高橋りな・里見瑤子・山科薫)。出演者中、吉住亮は本篇クレジットのみ。四年後の「平成未亡人下宿 痴漢みだら指」同様、スピードは親切だが文字がランダムに上下左右から出て来る薄汚いビデオ画面クレジットが、情報量も妙に多く激しく見辛い。
 下校時間、高校教師の高田邦夫(千葉)と教へ子の樹里絵(沢木)が、世間の目を憚るでなく堂々と校内から一歩外に出たところで待ち合はせ仲良く連れ立つて歩く。ところで沢木まゆみには、成熟した大人の女の容姿が完成してゐる分女子高生の制服が清々しく似合はない。もう少し髪型なりメイクなりで、どうにかその逆説的な劣勢の回避を試みる工夫も出来なかつたものか。さて措き樹里絵と邦夫の情熱的な情事を早速順当に配し、続いてその後結婚式当日のスナップ写真を挿むと、時は過ぎ、早くも倦怠期に突入したのか邦夫は一人のベッドで侘しく自家発電の真最中。とここまで、特にスナップの噛ませ方の秀逸さに、愛染恭子監督作ともまるで思へぬ開巻の流麗さは意外と完璧。とはいへ、使用後のチリ紙をゴミ籠に投げ入れ損ねた邦夫が、ラジカセのスイッチを下手糞な弾みで触つてしまつたところからはものの見事に逆の意味で麗しく、映画の底が四次元にまで抜ける。「ハーイ!土曜の昼のフィーバー、如何お過ごしですか?」、「ハーイ!Gの快感、愛染でえす!」、「ハーイ!皆さん、ヤッてますか?イレてますか?ヌイてますか?」と、愛染塾長(現にこの役名/ハーセルフ)の手数を欠いた素頓狂なシャウトとともに、ラジオ番組「Gの快感」(番組名は正直台詞からの推定)が奇怪に、もとい軽快にスタート。何が“土曜の昼のフィーバー”だ、夜まで待てよ。当時愛染恭子が週刊大衆に連載してゐた与太記事を纏めた、俗流セックス指南書『Gの快感 手取り足取り粘膜講座 女性をイカせる156の法則』(双葉社刊)を基テキストに、リスナー男女の性に関するお悩みに塾長がお答へ下さる、などといふ壮絶なコンセプトのダイナマイト・プログラムである。挙句に、少なくとも塾長の位置からは中の様子が窺へるVIPルームと名付けられた別ブースでは、番組に投稿した都内主婦のKさん(高橋)と、女装癖があるとの夫(山科)が目出度くヨリを戻した夜の営みを昼間から大絶賛本番中、その模様も随時放送される。高橋りな(=高柳麗奈)と山科薫は一言の台詞を与へられもせず、徹頭徹尾エッサカホイサカ励んでゐるのみ。純粋濡れ場要員の称号を冠したい、欲しくないかも知いけれど。因みに「Gの快感」はラジオ局からではなく、何処ぞの雑居ビルだかマンションの一室に設けられた、「愛染塾」に於いて収録される。土曜日―何曜日でも同じことだが―の昼下がりに性の営みを実況生中継、直截な話、海賊放送とでもしか思へないアナーキーさではある。兎も角、だから兎に角、聴視者から番組に送られて来るファックスの用紙にここも巧みに紛れ込ませてのタイトル・イン。スマートと出鱈目との綺麗な同居あるいは混濁ぶりに、呆れたものやら讃へたものやら眩惑を覚える。余談ではあるが、この気の利いたタイトル・インを活かすために、今回は旧題ママによる新版公開と相成つた次第なのであらう。重ねて遅ればせながら、平素当サイトが愛染恭子のことを頑なに“塾長”と呼称するのは、本作に起因する酔狂である。話を戻して、何時しか樹里絵に拒まれる形で高田夫婦はレスの状態にあり、そのことの相談を塾長に寄せつつ「Gの快感」を聴く邦夫ではあつたが、中々高田邦夫改めペン・ネーム“斉藤茂吉”の葉書は採用されなかつた。何でまたここに来て北杜夫の親爺なのかが、説明されることは勿論一切ない。この程度の木に竹を接ぎぶりは、この映画の中では正しく取るに足らない極々瑣末だ。
 必ずしも明示はされないが何れも愛染塾塾生と思しき、三人並んで『Gの快感』を熟読するファースト・カットの並び順に左から平川直大は、本業花屋の相馬豊。銀冶は塾に常駐しディレクター的ポジションを担ふ御手洗聡で、中村英児がカメラマンかカメラが趣味の、ハニーならぬイケメン・トラップを担当する林義孝。竹本泰志は、悩みを抱へる邦夫の周囲で能天気な同僚・国友康之、多分体育科教師。パンチラは披露するものの脱がない里見瑤子は、樹里絵サイドからの打ち明け話を聞く友人・吉川ゆり子。サード助監督の吉住亮は、樹里絵とゆり子を冷やかしに見切れるキモい公園の浮浪者。率直にいつて、猛烈に無駄な役としか思へない。林が遮るゆり子をものともせず勝手に樹里絵にカメラを向けた弾みで、二人はあれよあれよと急接近。邦夫は拒む樹里絵が林との不倫に溺れる一方で、相馬も売り物の贈り物作戦を展開し追随する。漸く愛染塾に招かれた邦夫に向かつて、塾長は藪から棒にスピリチュアルな危険球を放る、「私ね、男女の性の悩みに関して、超人的な洞察力があるの」。いふに事欠いて、“超人的な洞察力”と来たもんだ。如何に頓珍漢な科白とて、何故か不可思議な安定感で撃ち抜き得る塾長の明後日な決定力は、方向はどうあれそれはそれとしてそれなりに、評価すべき点といへるのではないか。いへねえよ?さうかも。とまれ観客と同時に呆然とする邦夫の手を取つた愛染塾長は、テレパスよろしく、巡り巡つた樹里絵との不仲の原因の本丸が、岡田皮フ科で仮性包茎を手術した邦夫が未だ拭ひきれぬ不安感にある旨を沢木まゆみの裸は潤沢に織り込みながらも、論理的な諸々の段取りは華麗にスッ飛ばし看破する。
 下元哲の悪戦苦闘の跡も濃厚に看て取れる、予め完成を阻まれた青春映画「愛染恭子 Gの快感」(2000/監督・撮影:下元哲/原作・監修・主演:愛染恭子)に続き今度は塾長自らのメガホンによる、紛ふことなき塾長映画・オブ・塾長映画。塾長節が吹き荒れるモンド系啓蒙映画、といふ画期的過ぎるコンセプトに加へ、前作にあつては奪はれた恋人の奪還、今回は夫婦生活に直結する夫婦不和の解消と、顛末の着地点の娯楽映画としての手堅さも踏襲される。その上で、続篇映画の世間一般的な傾向にも反した今作の勝因は、大幅に改善されたバランス感覚。マキシマムによくいへば、案外隙のない布陣に周囲を固めさせたのに加へ、愛染塾長と沢木まゆみ、二本柱はそれぞれ、それぞれの意味で堪能させる。自身で演出するのに上手いこと謀殺されたか、塾長比重は低く代つて、ひとまづ沢木まゆみの超絶裸身はお腹一杯に堪能させて呉れる。殊に、個人的に最もヒットしたのは、アクティブも通り越しアクロバティックによく動く、自宅での対林戦。相馬との事後、樹里絵が普通に服を着るだけの何気ないショットも、結構堪らない。沢木まゆみの、短い活動期間の中で基本的には終に抜けず仕舞ひであつた特徴的なお芝居の硬さも、お気楽な企画の現場に気軽に挑めたのか、特には感じさせない。一番肝心な件はガッサリ割愛したまゝに、一応穏やかなエピローグに落とし込む舵捌きには疑問も残らぬではないが、塾長にしか為し得ない破天荒なツッコミ処の数々と、何はともあれ主演女優の美麗オッパイは過積載。散発的あるいは偶発的に飛び込んで来る洗練に、変に感心してみせるのも一興だ。頓馬映画を進んで踏みに行くブレイブな楽しみ方と同時に、少なくとも、沢木まゆみファンの諸兄には手放しでお薦め出来る一作なのではなからうか。

 最後に今作、下元哲でもあるまいし、といふか下元哲は当然そんな無茶を仕出かさないが、短篇ならばまだしも中篇商業映画にあつて、何と全篇をソフト・フォーカスで押し切るといふ前代未聞の離れ業をやつてのけてゐる。端的にいつて、特段の意味があるやうには別にどころか全く見えない、当たり前か。常々映写はしつかりしてゐるところなので、小屋がやらかした訳ではないと思ふ。となると、もしや元々のプリントからの問題か?


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 「年増女のスケベ襦袢 尻が壊れるまで!」(2002『和服妻凌辱 -奥の淫-』の2011年旧作改題版/製作:ネクストワン/提供:Xces Film/監督:松岡邦彦/脚本:黒川幸則・松岡邦彦/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/プロデューサー:秋山兼定《ネクストワン》/音楽:戎一郎/撮影:村石直人/照明:鳥越正夫/編集:鵜飼邦彦/録音:中村幸雄/助監督:堀禎一/監督助手:横井有紀・森角威之/撮影助手:杉本友美照明助手:永田英則ヘアーメイク:岩橋奈都子/スチール:山本千里/制作応援:城定秀夫/タイトル:道川昭/タイミング:冨田登協力:深川栄洋、上井努、サトウトシキ、平川真司、木田弘、日本映機、シネキャビン、報映産業、湘南動物プロダクション、松岡誠、加藤義一、小泉剛、林雅貴、長谷川光隆、日活株式会社、JKS編集室、東映ラボ・テック、セメントマッチ/出演:AZUSA・河村栞・工藤翔子・園部貴一・岡田智宏・沢田夏子・黒川孟・吉田祐健)。出演者中、沢田夏子と黒川孟は本篇クレジットのみ。それにつけても、新題のぞんざいさはここに至ると最早輝かしい。
 平野美紀(AZUSA)が運転する乗用車が、周囲には田畑の広がる田舎道を走る。助手席の饒舌な男は美紀の夫ではなく、その友人・江口則夫(園部)。美紀の夫・英輔(岡田)は、江口の後ろの席で生気なく押し黙る。詳細は語られないが英輔が多額の借金を抱へ、美紀は物騒な取立てからひとまづ逃れるために、江口の伝(つて)で東京を離れた農家に身を隠す手筈となつてゐた。一旦小休止した車から、英輔はそのまゝ降りてしまふ。不意の別れに慌てる美紀に対し、なほも江口が強引に走らせるやう促す車を、農薬をジャブジャブ撒きながら吉田祐健が一流の不穏な風情で見やる。目的地の一軒家に辿り着くと、江口もそこに美紀一人残し立ち去る。部屋の中には、和服超美人と丸坊主の少年(沢田夏子と黒川孟)とが写つた古い写真があつた。当然不安を隠せぬ美紀の前に、その家の主・北日出男(吉田)が現れる。北によると写真の女は北の母親で、少年は幼少期の自らであるとのこと。母の形見の着物を着てみせるやう強要がてら、北は早速美紀を犯す。和服姿で夜は物置部屋に押し込められる、美紀の軟禁生活。北家にはほかにどう見ても北の実娘には見えない、マンガを読み耽る時以外には表情を失つた少女・和美(河村)と、江口の愛犬・ラブリーが、何時の間にかジブシーと名を変へ飼はれてゐた。基本万事に口煩く高圧的に怒鳴り散らしてばかりの北ではあつたが、夜になると、そんな和美を抱いた。取立ての恐怖を持ち出されると美紀は逃げ出す訳にも行かず、北から陵辱される日々が続く。そんなある日、北家に江口が再び姿を見せる。
 配役残り工藤翔子は、江口からも手篭めにされ、終に逃げ出した美紀を救出すると見せかけ回収する、江口の元妻・沢田洋子。フと気づき改めて調べてみたところ、実は今作が工藤翔子にとつて、少なくともピンク最終作となる。してみると、橋口卓明翌年の私立探偵・園部亜門シリーズ第四作に際して、それまでは工藤翔子のレギュラーであつた宮前晶子役の酒井あずさへの変更も、否応なかつたのかも知れない。
 ビリング頭のAZUSAとは、その昔日本テレビ系バラエティ番組「進め!電波少年」内にてデビューした初代電波子改め滝島あずさであるといふギミックは、封切り当時既に十分微妙であつたのもあり、正味な話が更に年月を経た現時点にあつては鮮度は元より、歴史的な価値を見出す物覚えのいい御仁も、決して多くはないのではなからうか。寧ろ、いふまでもなく知らされてはゐまい今新版公開は、現在でも滝島梓名義で、日本茶業界を中心に―またメジャーなのかニッチなのだかよく判らんフィールドだ―活動を継続するといふ、滝島サイドからしてみては正直勘弁して欲しい話かとも邪推し得よう。枝葉的な外堀はさて措き、徹頭徹尾無力なダメ夫も等閑視するとして、曲者揃ひの悪党に囚はれた若妻が、酷い目に遭ひ貪り尽くされる品性下劣系ピンク。美紀を北の下に連れ戻すべくハンドルを握る洋子こと工藤翔子の表情が、江口への憎悪にみるみる歪むショットには、松岡邦彦らしい黒い迫力が漲る。一方で、母子関係に源がありさうな気配も窺はせながら、諸悪の本丸たる北が裡に抱へる巨大な闇についての掘り下げは激しく薄い。それゆゑ、是非はどうあれ劇中世界を支配する悪意への理解なり感情移入は発生し難い。反面、ネーム・バリューとしては一応兎も角、演技者としてはどうにもかうにも拭ひきれない主演女優の覚束なさは、結果的にせよ何にせよ、案外翻弄ものに映えてみたりもする。ところで今作の公開は、2002年の年末。即ち2003年正月映画といふ位置づけも働いてか、微妙に潤沢なプロダクションを持て余した訳でもなからうが、ラスト乱交に付随しての、何しにその場に居合はせたのか感動的に理解に苦しむ英輔の扱ひなり、工夫に欠き決まらない決め台詞とともにジブシーだかラブリーを連れ画面奥に掃ける和美のカットの、しかも間をダサく飛ばしてみせる間抜けな編集。畳み処の脇の甘さに象徴的な、滝島あずさの裸を見せる目的はとりあへず十全に果たしてはゐるものの松岡邦彦作にしては馬力の感じられない、最終的には心許ない一作である。

 末尾に改めて、工藤翔子と同時に、沢田夏子にとつても、確か本作がクレジットに名前の載る最後のピンク映画となる筈。それと、筆の根も乾かぬ内に何だが、工藤翔子に関しては、ラスト・ピンクといふのは実は必ずしも正確ではない。「シングルマザー 猥らな男あさり」(2003/監督:吉行由実)に於いて、ヒロイン(秋津薫)の声をアテレコした吉行由実の、声を更にアテたのが友人の工藤翔子であるといふエピソードを、SNSのコミュニティを介して監督御本人様より伺つた。


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 「セクハラ女上司 パンスト性感責め」(2010/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/監督:浜野佐知/脚本:金澤理奈絵/撮影:小山田勝治/撮影助手:石田遼/照明:ガッツ/照明助手:オオニシセイジ/助監督:加藤義一・金澤理奈絵/応援:田中康文/編集:有馬潜/音楽:中空龍/タイトル:道川昭/協力:株式会社 バンビプロモーション/出演:浅井千尋・淡島小鞠・佐々木基子・平川直大・津田篤・なかみつせいじ)。応援の田中康文が、ポスターにはセットデザイナー。
 半裸に近いボディ・スーツ姿の主演女優が、男をハイヒール責めするショットにて開巻。ひとまづ紛ふことなき、浜野佐知の映画ではある。
 タイトル・イン明け、人材派遣会社「パーソナルエージェンシー」城西支部に、工藤まこと(津田)が試験採用される。ゲテモノ映画史に燦然と輝くダイアン・ソーンのハマリ役、女収容所所長イルザばりの箍の外れた圧力も誇る支部長の新谷早苗(浅井)は、新入社員当時には、専務の八日市勝彦(なかみつ)からセクハラを受けた過去もあつた。尤も、早苗が二十代半ばにして現在のポストを手に入れたのは、その事実を逆手にも取つてのことだつた。ここで立ち止まらざるを得ないのが、カット変り際の台詞が悉く飛びまくるバッド・ラックは、消極的には不可抗力と通り過ぎるにしても、浅井千尋が、男を責めさせると無類の強さを轟かせる反面、一旦受けに回るや、デフォルトでサディスティックな強面を幾ら歪めてみせたところでまるでサマにはならない点。ここは時空を超えた理想論としては、女支部長は時任歩の役であらう。いふても詮ないことならば、千億も承知のつもりだ。札幌・福岡と一年づつ地方支社を巡つた上で目出度く本社帰還を果たした、白石浩二(平川)が城西支部を訪ねる。白石はかつて受けた早苗の新人研修と称した端的なSM調教の、未だ虜となつてゐた。一方、パーソナルエージェンシーからりんご電器―何だこの社名―に派遣され経理課に勤務する本多明子(佐々木)が、何事か重大な疑惑の事実を掴む。その情報を何故か早苗に先んじてキャッチした八日市は、城西支部の女性社員・橋本梨佳(淡島)に接近する。
 平素座付きの山邦紀ではなく、脚本にフリー映像ディレクターの金澤理奈絵を迎へた今作は、先般目出度くロケ地・静岡での先行上映も封切られた、当時鋭意制作中の一般映画第四作「百合子、ダスヴィダーニヤ」(激越に観たい)に筆を滑らせるが執心しピンクの方は半ばお留守になつてゐたのか、男JAPANに宣戦布告し女権を華麗にを通り越し苛烈に復権せんとする、浜野佐知御馴染みの思想的な立場を表面的にテローンとなぞつたばかりの、直截にはちぐはぐさが顕著な一作である。元々山邦紀の筆による場合であつても、わざわざ諸々盛り込んだモチーフが、ケロッと無視されてしまふことはままあるやうだが。将を射らんとした八日市が目星をつけた馬担当の、梨佳が観客は感動的に知らぬ間に早苗から篭絡されてゐたガッサリした省略も別の意味で清々しいが、設けぬ訳には話が通らぬ佐々木基子の濡れ場に際しての、明子側・工藤側双方向の甚だしい薮蛇ぶりに対しては、流石に弁護する強弁も俄には見当たらない。明子の正しく明後日な決意も兎も角、要は商品に手をつけようとする、工藤の態度には色んな意味で大いに問題ありと頭を抱へざるを得ない。この期に抜ける気配すら窺はせない淡島小鞠もとい三上紗恵子にも似た、三番手の処遇に関して見事に仕出かした素人臭を否応なく漂はせる。早苗は悪魔かそれとも女神かといふ視座を一旦は提出した白石の、推論の過程が辿られることも一切ない「矢張りここは、女神の住む部屋だ」―ここでの“部屋”とは、支部長室を指す―といふモノローグは、勿論物語を綺麗に畳み損なふ。ものの、オーラスを締め括るのは、下に敷いた八日市を早苗と梨佳とで文字通り貪り尽くす怒涛の3P。振り抜かれる重量級の煽情性は、注釈抜きで流石浜野佐知一流である。

 以下は地元駅前ロマンでの再見に際しての付記< 八日市が本田明子の件について早苗より先に情報を得たのは、りんごからのクレームを受けて。一旦八日市側につきかけた梨佳が早苗側に寝返るのは、八日市の女性蔑視の真相を突きつけられてのこと。ただ何れにせよ、早苗が梨佳を支部長室から遠ざける為に口を滑らせた、女性軽視を克服する方便には欠いてゐる。


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 「色恋沙汰貞子の冒険 私の愛した性具たちよ…」(2010/制作:フィルムハウス/提供:Xces Film/脚本・監督:山内大輔/企画:亀井戸粋人/プロデューサー:伍代俊介/撮影監督:創優和/撮影助手:柴山明史・酒村多緒/照明助手:宮永昭典・高橋舞/助監督:小山悟/監督助手:北川帯寛・布施直輔/音響効果:山田案山子/ヘアメイク:芦川善美/スチール:阿部真也/編集:有馬潜/音楽:山内大輔/出演:北谷静香・里見瑤子・佐々木基子・柳東史・佐々木恭輔・世志男・サーモン鮭山)。ところで音楽が山内大輔といふのは、耳慣れぬソリッドな劇伴を自分で演奏したのか?
 廃墟か地下室か、薄暗く荒れた一室。乞食のやうなボロボロの服装に帽子を目深く被り、その下に隠された顔は更に所々滲む血で汚れた包帯でグルグル巻きに覆はれた、無茶苦茶に異様な風体の女が自ら設置したビデオカメラに向け、口元を半ば塞ぐ布の所為か、くぐもつた声で語りかける。ここで、途切れ途切れ且つ内に籠りながらも絶妙に明瞭な発声により、包帯女の正体が実はその人であることに、意外と容易に辿り着けぬでもない。兎も角、自死を決意した女は、正しく血塗られたとしかいひやうのない自身の生涯を辿る、ダイイング・メッセージを残さうとしてゐるやうだつた。
 「ふれあいハウス不動産」に三日前に就職したサダコ(北谷)が、社長の前川(佐々木恭輔)が構へるデジカメに向かひ、モデルハウスの玄関で覚束ないポーズを取らされる。室内に入り掃除を命ぜられたサダコがフと振り返ると、超絶の変り身の早さを駆使し前川は全裸に。しかも右手は柱に添へ、挙句に左手は腰だ。以来ホテルですらなく何時もそのモデルハウスで情事に及ぶ、サダコの愛人生活がスタートする。そんなサダコの初体験は、三年―もう少し?―前の女学生時分。正しくゴミ屋敷のやうな実家で、母・美津子(佐々木基子)の情夫・健治(世志男)がサダコの破瓜を散らした。やがて男の味も次第に覚え始める一方、健治が昼夜でいはゆる親娘丼を完成せしめる爛れた生活に耐へかねたサダコは、包丁で健治の一物を切断する。鮮血に塗れのたうち回る健治、ショック描写に、些かの躊躇なし。健治からの性的虐待、といふ方便が通つたサダコは三年間の施設暮らしを経て、前川の会社に拾はれる。前川は、避妊といふ言葉を知らない男だつた。妊娠能力の喪失に怯えつつ三度目に堕胎したサダコは、同じタイミングで前川の正妻・ハルカ(里見)が身籠つたことを知り、箍が外れる。浴室にて前川の腹に突き立てた果物ナイフで続けて男根を抉り取ると、捨てたと称して隠し持つてゐた健治のモノと同じく、物理的にも自分の所有物としてサダコは姿を消す。追はれる身となつたサダコは、変装した上で街娼に身を落とす。そんな折、繁華街の掃き溜めの如き最延部にて、サダコは麻薬売人のキーチ(柳)と出会ふ。コックカッター・ミーツ・ドラッグディーラー、警察の指名手配に加へハルカからも二百万の懸賞金をかけられながらも、セックスと薬とに溺れる日々。キマッたキーチに殴られ卒倒したまま抱かれることさへあるといへ、それでもサダコにとつては漸く辿り着き得た、至福の一時であつた。たとへそれが、傍目の世間一般的には最下層すら突き抜けた、地獄のやうな暮らしであつたとしても。ところが、神は居ないのかあるいは悪魔に魅入られたか、そんなサダコの壮絶な幸福も、長くは続かない。キーチはサダコを、オフ・ビートの強面の巨漢・小林(サーモン)に二百万で売る。と、ここまで。身勝手な好色漢・前川役の佐々木恭輔に、生活無能力者のセックス狂・健治に扮する世志男。スカスカジャンジャンなジャンキー・キーチを快演する柳東史と、正体不明の悪漢・小林が身に纏ふ重量級の得体の知れなさを、静かに充溢させるサーモン鮭山。先走るが、ひとまづ俳優部の頑丈な充実ぶりは全く磐石。
 ファンタジー的には不発気味の反面高水準の実用映画にして、日本語の不自由なタイトルの2007年第三作「性執事 私を、イカして!」(主演:中島佑里・岡田智宏)以来三年ぶりの山内大輔新作は、とりあへず、無闇矢鱈と人死にに関しては大盤振る舞ひの、空振り続きの2010年エクセス振り切り路線の中にあつて、最初の、しかも特大のホームラン。里見瑤子と佐々木基子の濡れ場は、何れもお約束の顔見せ程度に限られる。とりわけ、鮮烈なワン・ショットも叩き込むものの、佐々木基子の出番は画期的に短い。ピンク映画の販促媒体にしては微妙におどろおどろしい、ポスター・スチール写真からはいい意味で予想を裏切り、心を病んだ沢木まゆみといつた風情の北谷静香が機能させる案外正方向の煽情性は、然れども、情け容赦ない正しく修羅場に文字通りズタズタに切り裂かれる。彼我を滅ぼすともなほ已まぬ凄惨な激愛物語は、余程特殊な性癖の持ち主の御仁でなければ間違つても呑気な下心を満足させる筋合のものではないばかりか、暗鬱も激越に通り越し、陰惨としたバッド・テイストをも惹起しかねない。ところがこれで、娯楽映画としては実は極めて誠実。一見、鬼畜系Vシネ時代に原点回帰した山内大輔が好き勝手にし倒したやうにも見せて、特殊造形に費やすバジェットの欠如、といふ消極的な要因も作用してか、見せていいものと、見せてしまつては一線を跨いでしまふものとの分別は、一貫して失はれない。開巻に於いて既に、さりげなく蒔いた種をラストに至つて結実させる構成から完璧な、大胆極まりない驚愕の落とし処に関しても、わざわざ時系列をグルッと丁寧に一周する、過不足ない真相明かしに努める。首尾よく目的を果たし生き残つた者達を、淫らに死に急がせはしない点にも、安定感を覚えた。更に深読むと、名前の目新しさはさて措き映画的に最終的には心許ない、如何にもエクセスライクな主演女優に代り、山内大輔にとつては付き合ひも長い熟練の芸達者に作劇の要を委ねる戦略は、圧倒的に秀逸といへるのではなからうか。さう捉へる時、女の裸は度外視した残虐映画のやうにも思へて、今作が矢張り、特有の力学なり論理なりに統べられた、ピンク映画にほかならないことも見えて来よう。後述するVシネに触れた際には危惧を抱いたものだが、帰還を果たした本篇で本気を出した山内大輔は、従来知る姿から更に加速した山内大輔であつた。女達の歪み抜いた情念が極彩色に狂ひ咲く、スラッシュ・ピンクのエクストリームな傑作。斯様に特殊中の特殊な領域にあつては、逆にルーチンワークにお目にかゝることの方が難しいやうな気もするが。とまれ今作、単なる徒花扱ひには、決して止まるまい。願はくば、それが消える間際の蝋燭の炎でないことを、切に切に祈るのみである。少なくとも作品としての未来は未だ、我々の手の中に残されてゐるではないか。

 最後に余談ではあるが、因みに、サダコと前川の情痴の舞台となる「ふれあいハウス不動産」所有のモデルハウスは、プロジェク太上映の地元駅前ロマンにて予習がてら観た、同じく山内大輔のAVに二、三本毛を生やした程度の2010年凡作Vシネ「美熟女姉妹スワッピング 貞淑な姉と淫乱な妹」(2010/主演:友田真希)に登場する、主人公夫婦(夫は佐々木恭輔)の新居と同じ物件。キッツキツの目張りを入れた佐々木恭輔の造形も、「美熟女姉妹スワッピング」と同様。それが何れ主導によるものかは、佐々木恭輔の他監督出演近作を観てはゐないゆゑ不明。


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 「欲望の海 義母を犯す」(昭和59『白昼女子高生を犯す』の2011年旧作改題版/S59・1 雄プロ作品/配給:新東宝映画/監督:広木隆一/脚本:今成宗和/企画:才賀忍/撮影:遠藤政史/照明:森久保雪一/編集:J・K・S/助監督:富岡忠文/監督助手:高原秀和/照明助手:坂本太/撮影助手:宮本良博・宮田伸二/音楽:PINK・BOX/効果:伊佐沼龍太/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:甲斐よしみ・沖ようこ・首藤啓・下元史朗・ひびき恭子・麻生うさぎ・池島ゆたか・野上正義)。出演者中沖ようこと池島ゆたかが、ポスターでは沖洋子に池島豊。坂本太の名前が照明助手に並ぶ辺りに、時の隔たりが感じられる。単なる同姓同名であつたならば、間抜け管理人の粗忽を笑ふて欲しい。
 「俺の夢」とかいふ藪から棒なモノローグに乗せて、ヤリタイ盛りの男子高校生・西沢―西澤かも―達夫(首藤)がビニ本が散乱する寝床で目覚める。若い義母(ひびき)に部屋に起こしに入つて来られた達夫は、素直に慌てる。心寂しい千葉の海町、自転車を転がす達夫は明らかに地元の人間ではない女子高生二人連れ(甲斐よしみと沖洋子)が、海岸に手向けの花束を投げる姿を目撃。久美(甲斐)の彼氏・アキラ(全く登場はせず)が、後に語られるところによれば未だ死体は上がらないまゝその海で死に、メガネの典子(沖)と二人家出してこの町に現れたものだつた。それが達夫の、第一種接近遭遇。達夫は学校に行くでもなく、ビニ本流通元でもある兄貴分・小野寺(下元)のスナックに遊びに行く。女なんて誰でも入れてしまへばイチコロ的な、ガッハッハ調の女指南を聞き聞き振舞はれたコーヒーを達夫が飲んでゐると、窓の外からその様子を目敏く見つけた巡回中の補導教師(池島)が開店前の店に入つて来る。一方、義息の部屋を片づけてゐたひびき恭子が出て来たビニ本に目を丸くするタイミングで、実父で漁師の野上正義が出がけに顔を出す。妙な物言ひでしかないが若すぎる野上正義は、後妻がおづおづ差し出したエロ本にムラムラ来ると、ひびき恭子を見境もなく息子の部屋で抱く。当然の如く、達夫の青い衝動は、ひびき恭子の存在に否応なく激加速されてゐた。因みに、達夫実母の消息には一切触れられず。「好きな人と、初体験するのが俺の夢」な変型五・七・五の達夫は、久美と典子が、盗んだらしき品を抱へ廃屋に逃げ込む現場に出くはす。着替へをガッツリ覗いた上で、二人に直接接触したのが達夫の、第二種接近遭遇。達夫一人ではどうしやうもないゆゑ、小野寺にも話を通し、久美と典子を匿ふ格好になる。配役残り麻生うさぎは、関心が久美に移り荒れる、小野寺情婦。といふ次第で、今作女優部が全員脱ぐ、典子は本格的な絡みを展開しはしないけれど。
 目下廣木隆一名義で一般映画界で普通に活躍する広木隆一の、デビュー三年目にしてピンク映画第五作は、見るから清々しい童貞臭を爆裂させる主人公が、薄汚れた大人達に揉まれつつ次第に少年から青年への道を踏み出す、でも最終的にはあまりないオフ・ビート系の青春映画。荒涼とした冬の海が象徴的な田舎町の風景に、思春期の道筋すら見えない鬱屈を照らし合はせる手法はストレートに有効ではあれ、よくよく考へてみるに、それは映画に限らず作劇上のギミックと済ませては言葉が雑ならば、技術的な方法論に過ぎぬのでもなからうか。実際には平常、塞ぐ奴は何処にゐても塞ぎ、開ける人間は如何に暮らしてゐやうが開ける、さういふものでもなからうか。ピンクながらに、この頃の映画の画面の分厚さは今となつては圧倒的で、その方便臭い雰囲気にのみコロッと騙されてみせても別に構ひはしないのだが、あくまで達夫の物語としては、仕上げの粗さも否めない。無造作に尽きた尺に屈するかの如く、断裁されるラストには古い時代の新しい映画のやうな肌触りが味はへなくもないにせよ、直前の義母を犯して達夫が筆を卸す件の、あまりにも唐突あるいは強引な捻じ込まれ方には逆の意味で驚かされた。サンプリングされた達夫の、「夢、夢、夢・・・・」といふエンドレスな呟きで濡れ場を埋め尽くす、腰から下を狙つた色気は捨てた異様な演出には、正方向に度肝を抜かれたが。反面、達夫が想ひを寄せるのも知つた上で久美を犯し、果ては売春婦にまで仕立て上げる小野寺の悪漢ぶりの圧巻さと、そんな家出女子高生を悪びれもせずに買ふ、池島ゆたかの醜悪さには血肉が通ふ。とりわけ、しなやかなスケコマシを快演する、下元史朗のスマートにワイルドなカッコ良さが尋常ではない。寧ろ枝葉の筈の下元史朗のピカレスク・ロマンとして力強く起動する映画本篇に対し、女優陣はビリングに従ひトップの当時新人らしい甲斐よしみが、劇中物理的な登場時間の支配率にしても担保する商品的な煽情性の上でも、雌雄を完全に決する。その意味に於いては、新味を出さうとした気配は窺へるものの、軸を女子高生から義母に移した新題は、本作の内容には必ずしも即さないちぐはぐなものともいへる。尤もそれも、よくある例(ためし)と済ませてしまへば、味気なくそれまででもあれ。
 ポスターでは何故か共同脚本に吉本昌弘の名前がしかも前に並び、更に高原秀和が、出演者に名前を連ねる。自信を持つて断言するが、別に見切れはしない。

 バツの悪い付記< 例によつて節穴当サイトが仕出かしやがつたので、コメント欄も併せお読み頂きたい
 三度目の正直的に再付記< 駅前から小倉名画座経由八幡の前田有楽劇場と、都合三度観て初めて気づいたのが、今回新版公開に際して新題がタイトルの文字情報のみをテロッと挿み込むのではなくして、わざわざ本篇ショットに重ねられてある。当然新たな一手間が発生する訳で、かういふ例は、なかなか珍しくもあるやうに思へる


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 「美脚教師 開いて悶絶」(2010/製作:幻想配給社/提供:オーピー映画/脚本・監督:友松直之/撮影:飯岡聖英/助監督:安達守・西村済/撮影助手:宇野寛之・宮原かおり/メイク:三沢友香・江田友理子/スチール:山本千里/制作担当:池田勝/編集:酒井編集室/タイミング:安斎公一/出演:横山美雪・しじみ・山口真里・石井亮・原口大輔・なかみつせいじ・堀本能礼)。フィルムから飛び飛びのクレジットに寄り切られる、正味な話、今上映に際して出演者としてなかみつせいじと堀本能礼の名前はなかつた。
 パソコン教室講師・貝原淑子(横山)と、住宅メーカー営業の彼氏・浜口弘志(石井)の情事に連動させて、淑子の授業が地元ケーブルTV局の取材を受けた際の模様が、少々荒らし過ぎの画質のビデオ撮りにより交互に差し挿まれる。生徒にはリストラ中年の山田康夫(なかみつ)、子育てが一段落したので、再就職を希望して職業訓練を受ける人妻の石井明美(山口)。そして何故その場に居るのかよく判らない、タレント志望の小山沙織(しじみ)らが居た。ここでひとつ、形式的な部分に関して立ち止まらざるを得ないのが、幾ら配役上の方便とはいへ、山口真里が38といふのは些かどころではなくあんまりだ。確かデビュー時には女子大生であつたやうにうろ覚えるので、さうなるとせいぜい三十前後であり、実際その辺りにしか見えない。そして実質的にも、文字通りのイントロダクションに主演女優の絡みと、同時進行させる各登場人物の紹介とを配した構成は麗しく順当なものとはいへ、カットの変り際を主にそこかしこで、素頓狂なSEを矢鱈と鳴らしてみせる悪弊には閉口するばかり。本来ならばスマートに磐石な筈の開巻が、妙に散らかつてしまふ要因にほかならないやうに思へる。友松直之作を観てゐて躓く時と特に気にはならない時とがあるのは、現に使用不使用の別なのか、単なる偶さか個人的な映画に引き込まれるれないによるものなのかは今後のテーマとして、現時点では憚りながら覚束ない。閑話休題、教室に、沙織を連れ戻しに来た柄の悪い高校時代の元カレ・ケンジ(原口)が乱入、その場は騒然となる。公開順に、幾分粘着質ではありながらも堅気のサラリーマンを演じた「移り気若妻の熱い舌技」、その名の通りアキバ系のボンクラ学生に扮した「最後のラブドール 私、大人のオモチャ止めました。」(共に2010)に続き、今作の原口大輔は、スカジャンとジャラつかせた装身具の似合ふヤンキー青年を綺麗に好演。役に応じてまるで違へてみせる佇まひには、演技者としての高いスキルを窺はせる。近年弱体化著しいピンク若手俳優部にあつて、貴重かつ強力な戦力といへよう。叶ふならば、余所の組でもガンガン観たい。再度閑話休題、新潟から上京した沙織は、ひとまづ昔のよしみでケンジの部屋に転がり込む。ところが干渉的な態度に業を煮やし、元カレの下を飛び出して来たものだつた。そんな沙織が、あらうことか生き別れた義理の妹を騙り淑子の部屋に現れる。淑子にとつては薮から高層ピルが突出たやうな話で、当然発生する押し問答の最中、元々その日淑子宅で自慢の手料理を振舞ふ約束の浜口も合流。淑子と沙織が、キャット・ファイト感覚の取つ組み合ひを披露する一幕も経て、一旦浜口は退場。その夜無理矢理割り込んだ風呂にて、沙織は自らが淑子の父親が再婚した相手の連れ子であるといふ事実を明かす。義母―沙織にとつては実母―と折り合ひが悪かつた淑子は、全寮制の高校に入つたまゝ実家を離れ現在に至る。といふ説明原理が一応与へられはするものの、淑子が沙織と対面した上でその人とまるで気がつかないといふのは、流石にスラップスティック調の段取りといへど無理も大きい。兎も角といふか兎に角といふべきか、沙織が淑子と同居しながら教室にも通ふ新生活。授業中の沙織は後方から覗き見たPC画面に、山田が淑子に逢瀬を求めるメールを送信し、受け取つた義姉も義姉で、満更ではない以上の風情であることを看て取る。授業終了後、淑子が落として行つた携帯を渡し損ねた沙織は、仕方なく当初予定に従ひ、冒頭ケーブル局番組を制作したレオーネならぬ「ネオーレ映像」に社長、兼プロデューサーの辻(堀本)を訪ねる。ところで久し振りに観た堀本能礼は、森山茂雄の「ワイセツ和尚 女体筆いぢり」(2007/主演:野々宮りん)以来。とりあへずの写真撮影と称して、辻が言葉巧みにでもなく強引に沙織と事に及ばうとする中、元カノを探し教室に入れ違ひで再度姿を見せたケンジに、明美は俄に接近を図る。
 手放しの大美人・横山美雪と、今をときめく低予算映画界のマドンナ・しじみ(ex.持田茜)といふ超攻撃的な2トップの背後に、安定感抜群の山口真里がドッシリ構へる。限りなく完成形に近い三本柱がそれぞれ咲き誇る、正しく銀幕を飾る何れも充実した濡れ場濡れ場で尺を繋ぎつつ、フと冷静になつてみると、詰まるところは浜口が“義”姉妹丼を達成する以外にはさしたる展開に欠く点に首を傾げかけてゐると、「わいせつ性楽園 をぢさまと私」(2009/主演:水無月レイラ)にも似た強引な落とし処に、不意を撃ち抜かれる。仮に、観客を油断させるところまで計算した上での、お話の薄さだとすればお見事と頭を垂れるしかないが、文字通りの力技で捻じ込むやうに着地させた姉妹のドラマはそれなり以上に力を有する反面、山田の尺八ルネッサンスは純然たる豊潤な枝葉としても、折角辻が十全に提出し得たかに見えた、“自分勝手”といふテーマの軸は完全に等閑視されてしまつた印象は否めない。あるいは入念なミスディレクションなのか、一見姉妹愛に彩られた感動系の結末は、精神の平定を失した狂気も微妙に匂はせる。淑子が明後日に入れ込むのは勝手だが、そこは男目線としては、浜口は普通にドン引くか、少なくとも不安を覚えるところではあるまいか。あるいは、さうしたカットの有無から、真意を逆算することも可能なのか。沙織が姉の男を寝取つた浜口と、淑子は淑子で山田との、二つの情交をカットバックで併走させる友松直之が近作多用する手法も、シンプルに見飽きたものか、求心力ないしは統合力は少々甘い。期待が上がつてゐる分、覚束なさも否めない一作ではあるが、そんな中一際光つたのは明美が、直截にはケンジを喰つてしまふシークエンスに於ける山口真里。全盛期の風間今日子をも凌駕せん勢ひの、頗る扇情的であるのと同時に重量級の迫力を轟かせる。この人は出演作の幅の広さまで含め、現役最強の三番手の座に、ぼちぼち手が届くのではなからうか。

 淑子のパソコン教室には男女取り混ぜて若干名がその他生徒要員に見切れるが、プリントが飛んでしまつてゐるゆゑ、クレジットの有無は不明。

 以下は再見時の付記< 矢張りなかみつせいじと堀本能礼の―ついでに生徒要員も―出演者クレジットはなかつた、何でだろ。


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熟女ソープ 突きぬけ発射」(1998/製作・配給:新東宝映画/監督:榎本敏郎/脚本:井土紀州/企画:福俵満/撮影:京王撮影兄弟会/編集:酒井正次/助監督:小泉剛/監督助手:柳内孝一・吉田弘幸/ポスター・スチール:佐藤初太郎/録音:シネ・キャビン/現像:東映化学/応援:いまおかしんじ・三宅雅之・大西裕・坂本礼協力:維新派、スタジオ デルタ、ブロンコ、ボンテンスタジオ、ソープ・ソフィア、ソープ銀馬車/出演:岸加奈子・MiZUKi・河名麻衣・草壁カゲロヲ《維新派》・伊藤猛・三田昌美・元井ゆうじ・木全公彦・横井有紀・本間優作・吉田修・加茂大輔《維新派》・岡博史・原口敬幸・庄司正幸・内田欽弥・川瀬陽太)。撮影の京王撮影兄弟会が、ポスターには斉藤幸一、要は変名をカミングアウトしたのか。出演者では河名麻衣がポスターには川名麻衣で、MiZUKiがMIZUKI。三田昌美と、横井有紀から内田欽弥までは本篇クレジットのみ。
 特殊浴場の画に被せてタイトル・イン、画面右手からフレーム・インした岸加奈子が、湯加減を見る。最初の舞台は、神戸市のソープ街・福原ソープランド。常連客・平野(不明)に口説かれたソープ嬢のエツコ(岸)は、早番終りで大絶賛未だ日も高い内から店外デートに。とりあへず飯を入れたところで、エツコは一旦公衆電話から何者かに連絡を入れる。商店街をエツコとブラつく平野に、青いドレス・シャツを黒のスラックスにタック・インした出で立ちから判り易いのと同時にサマになる、チンピラの大下安男(草壁)がぶつかる。結構なイケメンの草壁カゲロヲは、大阪を拠点に活動する演劇集団「維新派」の、当時所属俳優。軽く当たつただけなのに、安男が怪我をしたと騒ぎ出すや兄貴分の清(川瀬)も大袈裟に登場。口論となり清に頬を張られたエツコが捌けたタイミングで、二人は平野を捕獲、手短に脅すと治療費名目で金銭を奪取する。居酒屋で祝杯を挙げる清と安男の下に、エツコも合流。要は清はエツコの情夫といふか要はヒモで、先刻の一件は即席のいはゆる美人局といふ寸法であつた。ある意味ヒモはヒモらしく、清が出勤したエツコから借りた四柱推命のムック本を読みながら家でゴロゴロし、安男は安男で、拾ひ集めた雑誌・新聞を百円で売るセコいシノギに明け暮れる。そんな中、清らが籍を置く龍神会の組長が狙撃される。シブチンの兄貴分・森川(元井)の指示を受け清がヒットマン探しに乗り出す一方、森川とは反目し、且つ森川よりも羽振りのいい伊藤猛も動き始める。エツコに言ひ寄りがてら店を訪れた伊藤猛が、通常のピンクの安普請からは信じられないことに、背一面に彫り物をガッツリ背負つてゐるのには驚かされた。エツコは安男の情婦でもある同僚ソープ嬢(河名)との世間話から、向かひの店を事件直後に多額の借金を清算した上で辞めた、不審な女が居るとの情報を掴む。道中、伊藤猛の子分と激しく被る小柄な男(どちらかが木全公彦)を轢き殺してしまひながらも、拳銃を携へた清は安男と問題の元ソープ嬢・青柳梨江(MiZUKi)の自宅を襲撃する。ところが旦那の青柳は不在であつたゆゑ、清は妻宛の絵葉書を頼りに、身柄を押さへた梨江も強制的に伴ひ三人で日本海側に北上し城崎温泉を目指す。
 ポスターに晴々しく謳はれる“関西オールロケのスペシャル篇!”の惹句を偽らぬ、驚異の兵庫県縦断ロケを敢行した一作。直截な話、たとへば深町章が近場撮影+キャスト六人で済ませた標準的な他作とは、どう見ても明らかに予算規模が異なる筈だ。出発点からの体裁の相違が綺麗に結果にも反映したものか、女の裸を主眼に据ゑたピンク映画といふよりも、二人の男の姿を描いたチンピラ映画といふ色彩が全く強い。開巻こそ支配するものの、岸加奈子は男達の周囲を彩る所詮は綺麗処に止まり、河名麻衣はほぼ純然たる―しかも短い―濡れ場要員。MiZUKiは後半の城崎温泉パートは出突つ張りではあるが、如何せん色気が足りない。対して、道中立ち寄つた食堂での三人分の飲み食ひ代金を梨江の財布から偉さうに払ふ清の格好悪さや、不甲斐ない兄貴の代りに弾けて弾く安男の見せ場等々、チンピラ乃至はヤクザの生態を描くことに主精力は注がれ、ゲスト・スターを慮つてか、安男が神戸で電車内やゴミ捨て場から読み捨てられた雑誌類を、城崎では梨江の覚束ない証言を元に“目は細く、鼻は普通、髪は薄い”特徴の青柳を探して回る姿に、決して映画的に不自然さを感じさせるほどではない範囲で、妙にタップリと尺も割かれる。それでゐて、結果的には漫然とした冗長さも否めない、プリミティブな―そこそこ―大追走劇の果てに辿り着いたラストに際しては、安男と清、一体最終的な映画の軸を何れに委ねたものかに関して、どつちつかずなブレを窺へさせなくもない。ネガティブなどんでん返しを構成する青柳の処遇についても、拍子を抜く意外性よりは、取つてつけられた大雑把といふ印象が強い。詰まるところは着地を仕損じたアウトサイドのロード・ムービーともいへつつ、逆に、あるいは寧ろサービス・ショットの潤沢な低予算一般映画とでも捉へるならば、デフォルトの上映時間の短さが功を奏しダレることもなく、意外と戦へるのではなからうか。尤もそれにしては、矢張りタイトルのぞんざいさは相変らずでもあるのだが。

 全員不明の更にその他配役は、飲食店店員や安男から雑誌を買ふ男のほかに、人違ひで足を撃たれる山田。異様に気性の荒い、山田の漁師仲間が五、六名。足を洗ふ腹のエツコの介錯役を務める格好の、変に十全にピンで抜かれる風俗初体験客。


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 「熟れた痴肉 下心丸出し」(1997『淫乱生保の女 肉体勧誘』の2011年旧作改題版/製作:ネクストワン /提供:Xces Film/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》・千葉好二《フィルムキッズ》/プロデューサー:秋山兼定《ネクストワン》/共同脚本:伊藤聡/音楽:斎藤圭/スチール:宮沢豪/監督:黒川幸則/撮影:小西泰正/照明:多摩三郎/編集:大永昌弘/録音:シネキャビン/タイトル:道川昭/助監督:坂本礼・稲葉博文/撮影助手:有賀久雄・岩瀬正道/照明助手:多摩四郎/現像:東映化学/タイミング:武原春道/協力:松岡邦彦・恩庄パウロ・久万真路/出演:吉岡ちひろ・中原志麻・桜井れみ・熊谷孝文・川瀬陽太・今泉浩一・塩田明彦・常本琢昭・松田大・原由貴子・政木麻里・森元修一・星川隆宣)。出演者中、塩田明彦以降は本篇クレジットのみ。凄まじくランダムなスタッフのクレジット順は、本篇に敢へて従ふ。
 折悪く、人の出払つた玩具会社「AKASIA TOY」を訪ねた伊吹生命保険外交員の先崎クミ(吉岡)を、王様か王子様か、王冠を被つた指人形が迎撃する。指人形の主にして、夢を売る会社にしても自由過ぎるだらうと首を傾げぬでもない鮮やかな赤毛社員・郷田猛(川瀬)に、クミは保険に勧誘するでもなく抱かれる。開巻に濡れ場を置いた点に関しては一見つゝがなくもあれ、結論を先走ると、象徴的なちぐはぐさが早速起動したともいへようか。AKASIA TOYを辞すクミと入れ代りに、団扇がトレードマークの絶妙にオカマぽい郷田の同僚(今泉)が戻つて来る。後々女を普通に抱いてゐるところを見るに、あるいはバイなのか。友人・杉山実(熊谷)のバーにて昼間から一杯やつてゐた郷田は、店に現れた、事前には成績最下位のクミに気忙しくハッパもかける、遣り手の先輩・中山ナオ(中原)に脊髄反射でアプローチする。ビリング二番手が然程イイ女にも別に見えない件については、立ち止まらない約束だ。続けて来店した妙な得意満面が憎たらしい顧客(不明)と消えるナオは、何時の間に書いたのか、去り際に連絡先を記したコースターを郷田に残して行く。下戸がいふのも何だが、大人の礼儀上、顧客氏も一杯くらゐは注文して行くべきではあるまいか。今でいふ肉食系にガツガツした郷田に、対照的に終始アンニュイに接する杉山は、同居する彼女(桜井)にノルマごなしの絡みの事後出て行かれる。こゝで再び持ち直し、出番は決して長くもないまゝに、桜井れみが不思議少女風の魅力を淡いやうで案外強く漂はせる。のちに登場する塩田明彦が、実は杉山と出会つた当初から同時進行してもゐた、桜井れみを寝取つた男。一端(いつぱし)のプロ面してゐた筈が、郷田と寝たナオが俄に入れ揚げる一方で、クミは高校の先輩で当時の徒名はニョロニョロであつた、杉山と再会する。
 纏めて整理しておくと、全員不明のその他配役は、一人高水準の美人も含むAKASIA TOY社内要員のほか、スーパー戦隊ばりに色違ひのバンダナを巻いた、桜井れみの荷物を搬出する引越し屋と、クミが飛び込みで回る、商店街の皆さん。
 近年、ともに生煮える「火照る姉妹 尻・感染愛撫」(共同脚本:カジノ/主演:かなと沙奈)・「夜のタイ語教室 いくまで、我慢して」(共同脚本:本田千暁/主演:かすみ果穂)の2009年二作、そして翌年の闇雲な怪作「ある歯医者の異常な愛 狂乱オーガズム」(主演:立木ゆりあ)と、エクセスの断末魔か薮蛇気味に監督作を連発した黒川幸則の、第二作からも遥か遠く一昔前に遡るデビュー作。プロダクションにも実際の出来栄えからも、単なるルーチン作とは明らかに一線を画してはゐながら、かといつて、本来相当に強力であつたらうと思しき主演女優の決定力をも、逆の意味で綺麗に無駄遣ひしてのける。端的には無闇な意匠が振り回されるばかりで、少なくとも商業娯楽映画的には、てんで形になつてゐない。よくいへば若気の至つた頓珍漢ぶりが微笑ましい、一言で片づけると清々しく仕出かした正体不明の一作。当てもなく奇矯にフラつく右往左往に終始し一向に明確な目的地に辿り着く気配を見せない展開を、なほかつ演者の台詞もかき消さん勢ひで異様に―音楽的に、ではなく音量のみ―ラウドな劇伴が徒にかき回す。一応、最終的には杉山・ナオ・郷田の三人を華麗なつもりで煙に巻いた、クミの成長乃至は開眼物語にと無理矢理捻じ込むやうに着地させこそするものの、さうなるとそもそも、開巻がまるで宙に浮いてしまふ。要は全篇が、宙に浮きぱなしと斬つて捨てれば、実も蓋もなくそこで終る話でもあるのだけれど。強ひて今作に歴史的、ないし個人史的な意義を見出さうとするならば、かつては有してゐたものが失はれたのでなく、黒川幸則には、脚本家としては兎も角映画監督としての才覚は元々覚束なかつたのであらうと再確認出来なくもない。あるいは、今回の咎で暫し干されてゐたのが、何某かの因果で挙句のこの期に再召喚されたものかと、改めて途方に暮れるなり勘繰つてみるか。

 吉岡ちひろの裸以外に唯一の見所が、まるでアテ書きされたかのやうな名台詞。喰ふだけ喰つておいて、保険に入る気などサラッサラない郷田がクミに投げた憎まれ口が、「《人間なんて》屁みたいに生まれて、屁みたいに死ぬ」、「屁に保険かけてどうしようつてんだ」。パンクを撃ち抜く川瀬陽太が、文字通り偶さか映画を輝かせる。


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