「大江戸淫乱絵巻 復讐篇」(1995/製作:ピンクパイナップル/監督:関根和美/脚本:如月吹雪/プロデューサー:御前順一・松島富士雄・佐藤靖/撮影:川井英幸/照明:金子雅勇/美術:小林和美/録音:杉崎喬/編集:酒井正次/記録:津島由起江/結髪:広川日出明/助監督:小波津靖/制作担当:坂井茂樹/監督助手:安原正恭・西海謙一郎/撮影助手:滝彰志・細野正道/照明助手:水野良昭・里舘統康・玄弘明/美術助手:松永一太・稲村彰彦/編集助手:利光英樹・伊藤伸行/美粧:葭葉透子・高山初香/スチール:石郷岡徹/制作主任:豊岡英郎/制作進行:太田圭祐/EED:村仲康太郎/音楽:エレファンカンパニー/協力:アール・ユー・ピー、奥松かつら、東京衣裳、しみず工房、KSSスタジオ、ニューメグロスタジオ、日本照明、フィルムクラフト、東映化学/制作協力:エクセレントフィルム/出演:新堂有望・萩野崇・諏訪太郎・中根徹・羽田共持・下山栄・皆川衆・中満誠治・岡野博徳・倉田昇一・梅田弘次・樹かず・キクマプロダクション・楠見尚己)。VHSのジャケットとも諏訪太郎になつてゐるのは仕出かしたかと思ひかけつつ、どうやら、太郎から改名して諏訪太朗になつたものらしい。
会津若松の鶴ヶ城城内、夜回りする筆頭与力・沖村か沖邑か興村ケンパチ(楠見)に、沖村が捜す当の渡世人・釘刺し源蔵(諏訪)が自ら接触する。ここで早速関根和美らしい速攻が炸裂してのけるのが、後述する藩主始め度々口に上る苗字は確実にオキムラであるにも関らず、源蔵の呼びかけが何度聞いても奥村、ある意味流石ではある。といふか、仕事しろスクリプタ。抜刀する沖村に、源蔵が懐手のまゝ応戦する適当な立回りを経て、必殺の釘刺しを額のど真ん中にプチュッと気の抜ける音効で叩き込まれた、沖村は絶命する。とかいふ塩梅で、会津藩邸。藩主(中満誠治/a.k.a.杉本まこと/a.k.a.なかみつせいじ)が、沖村の娘・お舟(新堂)と弟の賢吉(萩野)に仇討御赦免状を出す。武芸の覚えもなく、仇討自体の不毛性に現代語で異論を唱へる賢吉に藩主は激おこ、半ば放逐されるやうな形で、姉弟は仇討の旅に出る。旨が決定したところで“仇討とは日本人独特の精神構造が生み出した奇異な風習であり”、云々と適当な解説起動、一頻り語り終へて暗転タイトル・イン。案外呑気な道中を他愛なくなぞるのは本当に束の間、話はザクッと五年後に飛ぶ。お舟は夜鷹に身を落とし、賢吉のクソ野郎は賭場に入り浸つてゐた。
特定し得る限りの配役残り、中根徹は屋台にて隣り合はせる形でお舟がミーツする、腕の立ちさうな賞金稼ぎ・モリシマ博之信。姉弟が逗留し、博之信も敷居を跨ぐ旅籠の主人が皆川衆。お舟と博之信の、恋路の噛ませになる格好の侍は下山栄。問題が、声だけでも容易に気づく筈なのに、樹かずが何処に出てゐるのか全く判らなかつたのが残念無念。
バラ売りex.DMMの中に関根和美のVシネが三本入つてゐるのを発見した、「大江戸淫乱絵巻」三部作第一作。純然たる単なる偶々にさうゐないが、天の恵みかと驚喜した。それは兎も角、jmdbを鵜呑みにするに、関根和美にとつてVシネ初陣。
アバンはもしかすると江戸城内にしても、沖村はあくまで会津藩の人間で、主要な舞台はサムプレイスみ迸る宿場町。何が“大江戸淫乱絵巻”ならといふプリミティブなツッコミ処からそもそもなのだが、賢吉が常駐する賭場に、源蔵が札替係―劇中用語ママ、ジャケのインストでは札差―として普通に納まつてゐたりする無防備なビートが貫禄の関根和美。頑なに背後のお化けに気づかない志村でさへない、右向くだけで目の前の上座に堂々と座つとるがな。時代劇に何の頓着もない、素人の節穴を欺く程度には衣裳や美術なりロケーションは少なくとも最低限の体裁は整へてゐる反面、スタッフの中に殺陣師の名前が見当たらないのが地味でない致命傷。源蔵の得物を釘に設定するのは別に構はないが、日本刀を抜いた博之信と、五寸釘を握り込んだ源蔵が対峙する、間抜けの度を越してファンタの領域に突入した画には悶絶した。寧ろ、釘の先から謎光線でも出ない限り、それどうやつたら刀が負けるんだ。常日頃のピンクよりは潤沢な布陣が関根和美は余程嬉しかつたのか、大して広くもないフレームに、不自然な頭数を詰め込んだカットがちらほら散見されるのも微笑ましい。尤も、細身の体から見事なお椀型のオッパイが隆起した、新堂有望のエバーグリーンな裸は手堅い撮影部の力も借り、十二分に堪能させる。お舟と博之信が遂に結ばれる、濡れ場は即物的な煽情性と、豊かな情感とを併せ持つ手放しのハイライト。一方、シャンゼリオンや仮面ライダー王蛇で知られる、萩野崇の根強いクラスタが今作を目聡く追ひ駆けてゐる形跡も窺へるのは微笑ましいものの、劇中賢吉は自堕落に燻るばかりで、見せ場らしい見せ場が別にですらなく設けられるではない。幾ら関根和美とはいへ、出し抜けにお舟と賢吉に禁忌を犯させる訳にも行くまいが、萩野崇相手に絡み要員の遊女でも一枚擁してゐたならば、後年の評価も一欠片は変つてゐた、のかも。ところで個人を抹殺する、封建的な因襲に対するプロテスト。なる一応統一的な主題も、首の皮一枚繋がらなくもない。お舟の遺志に従ひ、博之信は源吉の首を会津藩主に届ける。姉弟の死を「真見事な犬死でした」と痛烈な皮肉を込めたのに続き、「某にも御赦免状を」と静かに詰め寄る博之信に対し、藩主が僅かに気色を変へ「誰を討つ」と受ける件は、突発的にシークエンスが痺れる。
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