真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「変態露出狂妻 肉欲さらし」(2006『人妻アナ露出 秘められた欲求』の2009年旧作改題版/製作:多呂プロ/提供:オーピー映画/監督:荒木太郎/脚本:三上紗恵子/撮影照明:飯岡聖英/編集:鵜飼邦彦/演出助手:金沢勇大・三上紗恵子・江尻大・内山太郎/撮影・照明助手:松澤直徹・成田源/ポスター:本田あきら/車両:小林徹哉/応援:鈴木康夫/セット協力:縄文人/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/タイミング:安斎公一/出演:MIHO・淡島小鞠・華沢レモン・三浦英明・縄文人・竹本泰志/特別出演:西藤尚・内山太郎)。出演者中、主演のMIHOがポスターには若林美保、但し旧版ポスターに於いてはMIHOのまゝ。要は今回新版に際し、若林美保の名前を前面にフィーチャーした格好となる。正確なビリングは、三浦英明と縄文人の間にカメオ部を挿む。
 夫・由明(竹本)と夫婦で営むレストラン「ペジテ」のチラシ撒きに歩く夏江(MIHO)は、突き当たりの林道で奇矯な衣装の不思議少女(淡島)と出会ふ。金髪ウィッグに白塗りした上での着物姿で登場といふか出現するや、生足を露に乳も放り出し踊り狂ふ淡島小鞠ファースト・ショットのやんごとないメソッドの古さには、荒木太郎が大敬愛する渡辺護への、強い憧憬に似た影響が看て取れもするのか。矢張り、煮ようが焼かうが喰へないけれど。風に舞ふチラシに誘はれるかのやうに夏江は、四周どころか直方体の床以外五周がガラス張りといふ風変りな建物に忍び込む。そこで自慰に耽り始める夏江の艶姿を、何時の間にか現れた粗野な正体不明の男(縄文人)が注視する。ディテールは今一つ見えないが、由明が講師的に出入りする平成大学―1994年に設置された福山平成大学とはウルトラ別物―の学生アルバイト・一場(三浦)の自身に向ける只ならぬ視線を意識しつつ、ペジテ定休日の毎木曜ともなると夏江は謎の建物に出向き、そこで縄文人に犯される幻想的な日々を送る。特別出演の西藤尚と内山太郎は、見切れるペジテの客。
 簡単に掻い摘むと、一見何不自由なく幸福に見える人妻が、人智を超えたコンタクトを機に性の迷宮へと囚はれて行く、とでもいつた寸法の物語である。お芝居あるいは表情は少々硬いが、本職はストリッパーだけあり若林美保の舞踏には、どれだけ取つてつけられたものであれ、流石に局面局面を支配し得る決定力が漲る。とはいへ、地の日常の描き込みが非感動的に薄いことと、さうなるととかく地に足の着かない始終だけに、縄文人の何処まで行つても所詮は素人芝居が最終的には大きく響く。いふならば若き間男ポジションの一場を演ずる、三浦英明の力ない棒立ちぶりも顕著で、たかだか六十分そこらの映画の割には、メリハリを欠いた夏江のペジテと謎の建物との往き来に、妙な途方のない長さを感じさせられもした一作ではある。それでゐて、終に縄文人がペジテを急襲する件に披露される、女体盛りの妙な完璧さは若林美保のダンスと同様、ちぐはぐで微笑ましい。ひとつ気になるのが最後まで由明と夏江の、いはゆる夫婦生活が描かれはしない点で、彼岸から此岸へとひとまづ帰還を果たした旨も説明するべく、竹本泰志に映画を畳ませてゐたならば、全体的な据わり心地も大きく変つてゐたのではなからうか、とも思へる。

 機能不全のファンタジーも兎も角相変らず根本的に頂けないのが、華沢レモンの裸への辿り着き方。一場はどうやら大学は休学中らしく、同級生にして彼女・ユリ(華沢)が、呼びもしないのに由明は外出中のペジテを訪れる。すると、にも関らず一場は夏江に対して告白し、しかもその現場を目撃したユリは、ショックを受け退場する。既にこの時点でルーズな無造作さに開いた口も塞がらないが、以降夏江がなほも迫る一場を、出し抜けに踊り始めいなす頓珍漢なラブ・アフェアは、無駄遣ひあるいは藪から棒な若林美保のポテンシャルに免じて通り過ぎるとしても。由明が戻つたところで一連を切り上げると、次の場面はユリは陸上部員とのことで、練習中の平成大学グラウンド。グラウンドとはいつたものの実際のロケーションは、一応金網では仕切られた、用途のよく判らない山の中の空き地でしかなかつたりもするのだが。さて措き、とりあへずグラウンドに自ら捨てた女を訪ねた一場は、夏江にフラれたからヨリを戻さうなどと、ユリと舌もといカットの根も乾かぬ内に青姦をキメる・・・・観客を馬鹿にしてゐるのか?何だこの、怠惰極まりないシークエンスは。執心するのは自身が追及する作品世界のみで、カテゴリーあるいは商業上、当然の前提として要請される要件に関しては全くお留守か。それはとんでもなく、不誠実な態度であると断じざるを得ない。今更ながら改めていふが、三上紗恵子はもう少しといふか少しでは足りないが、兎に角三番手濡れ場要員の消化法といふテーマを、もつともつと真面目に追求するべきだ。斯様な木に竹すら接ぎ損なふやうなザマでは、ピンク映画としててんで話にならぬ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「究極尻美人 抜かないで」(1992『裏本番 女尻狂ひ』の2010年旧作改題版/製作:旦々舎/提供:Xces Film/監督:浜野佐知/脚本:山崎邦紀/撮影:河中金美・田中譲二・植田中/照明:秋山和夫・川添秀芳/音楽:藪中博章/編集:㈲フィルム・クラフト/助監督:森山茂雄/制作:鈴木静夫/メイク:小川純子/スチール:岡崎一隆/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:三田沙織・早川よしみ・小泉綾・杉本まこと・芳田正浩・栗原良)。ポスターには名前のある平賀勘一が、驚く勿れ本篇クレジットから抜けてゐる。
 尻のイメージ・ショットとクレジット込みのタイトル・インに続いて、開巻は西条あやめ(三田)と、恋人・藤森亮一(芳田)の事実上婚前交渉。事後、藤森が結婚への段取りを急ぐ一方、既に仕事は退職してゐるにも関らずあやめの腰はどうにも重い。帰宅したあやめの部屋のドアは、借金取りからの手荒い催促の文句で埋め尽くされてゐた。あやめは以前海外旅行のために組んだローンを膨らませ、今や方々から金を借り完全に首が回らない状態にあつたのだ。藤森との結婚の前に、如何に借金を整理すべきかとあやめが悩んでゐると、呼鈴が鳴る。訪れたのはオッカナイ借金取り、ではなく怪し気な平賀勘一。尤も、怪し気でない平賀勘一といふのにも、あまりお目にかゝつた心当たりはないのだが。さて措き多重債務者の救済に取り組んでゐるとかいふ柿本庄司(平賀)は、あやめに―実際には浜野佐知の―自宅にて運営する「世田谷TVデート」でアルバイトをしないかと持ちかける。テレビ電話を通じて会員の男と会話し、相手のリクエストに応じた画像を適宜送ることで時給二万円。要はテレビ電話を使つただけの単なるテレクラではないかと、最短距離で正解に達し臍を曲げるあやめに対し、柿本はあくまで救済であるとの正しく一点張り。何ともいへぬ絶妙な平賀勘一の胡散臭さが味はひ深く機能、底の抜けた遣り取りをも、妙な支配力で定着させる。背に腹は代へられないあやめは、仕方なく柿本の話に乗ることに。尻好きの会員・竹田秀昭(杉本)の洗礼を受けつつひとまづTVデートを続けるあやめは、人妻で同じくTVデート嬢の鳴沢沙也(小泉)が、会員の太田昇(栗原)と“御対面”と称して、柿本宅で会ひセックスしてゐるのに衝撃を受ける。これではテレクラどころか売春ではないかと、全く以てその通りとしかいひやうがなくあやめが騒ぎたてると、柿本は相変らずだから救済だと強弁し、しかも御対面した場合、十万円を支払ふと回答する。どうでもいゝが時給二万円だ十万円だと女にそれだけの額を渡して、一体柿本は客からどれだけ法外な料金を取つてゐるのか。兎も角、新たに連れて来られた女子大生デート嬢・沢木真美子(早川)に竹田も奪はれたあやめに、柿本は重ねて御対面を強要する。そんな折、藤森が会社の同僚から面白いものを借りて来たと、「世田谷TVデート」のテレビ電話機を持つてあやめの部屋に現れる。
 実は今なほ新作が製作され続けてゐる、アリスJAPANの看板タイトル「女尻」シリーズに肖つての旧題であらうが、女優三本柱の訴求力が今ひとつ薄いのもあつてか、いふほど尻々してゐる訳でもない。物語自体も、動きに欠くロケーション同様大きな展開には乏しい。藤森があやめ宅から、へべれけな認証を突破し「世田谷TVデート」にアクセスした件で正直種も明ける、微笑ましいオチによる一点突破は、腰も砕ける間抜けさが堪らない平賀勘一の絶品ショットの力も借りそれなりに形にならなくもないものの、元はといへば、そもそもあやめが自ら蒔いた種ではないか。主人公たるあやめに、自身の不徳を省みる契機が与へられるでないまゝに訪れる、都合のいいハッピー・エンドに関しては幾らメジャー・コードの娯楽映画とはいへ、平衡が保たれない不安定に伴ふ不満も拭ひ難い。浜野佐知らしい強靭な女性主義の雄叫びもとい雌叫びも不発に終り、全般的に粒も小さめの一作ではある。主モチーフとしての、当時的には真新しかつたのかも知れない直截にいへば新機軸風俗も、流石に凡そ二十年後ともなるとこの期には到底鮮度も失してゐよう。ところが、正にその点が全く逆転することもあるのが、今回改めて発見した新版公開の側面的な醍醐味。映画の本筋からは清々しく横道ながら今の感覚で見てみるとある意味画期的なのが、「世田谷TVデート」が提供するサービスの、インフラ上の基幹を担ふテレビ電話。テレビ電話とはいへ静止画で、しかも白黒。SONYのロゴが確認出来るゆゑ、昭和末期に発売された「みえてる」か。堪へきれなくいはずもがなに触れてしまふと、“見える”と“tel”を合はせて“みえてる”、何と鮮やかにポップなネーミングか。固定電話にコードで接続して使用し、送信者側が自分で確認した画像を、受信者側にジワーッと送る。予想外のシンプルさに軽く驚かされたのが、藤森が持参したテレビ電話を、あやめの部屋でセット・アップするシークエンス。手提げ袋の中から取り出した、牛乳パックを二回りばかり大きくしたかのやうな装置を机の上にドーンと置くと、コードをガチャッと電話機に繋いではい、完了。とりあへず機器を固定電話に直接続するといふ光景に、逆の意味での新鮮さを覚えた。当時の電話回線をそのまゝ使用してゐては、それは白黒の静止画像を、ジワーッとしか送れないのも仕方あるまい。仮に現に「みえてる」であるとするならば、画像をオーディオテープにデータとして保存可能といふのも更に凄い。実際の使用には送受信者双方が同じガジェットを有してゐなければならないのだが、ジワーッとした受信カットが劇中見られるのを窺ふに、撮影には最低実機を二台揃へて挑んだのであらうか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「質屋の若女将 名器貸し」(2000/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:岡輝男/企画:福俵満/撮影:清水正二/編集:酒井正次/助監督:佐藤吏/出演:里見瑤子・荒井まどか・しのざきさとみ・かわさきひろゆき・神戸顕一・入江浩治)。出演者中、ポスターに名前のある丘尚輝が本篇クレジットには載らず。ところで2003年に「質屋の女房 筆おろし」といふ新題で、既に一度旧作改題済みではある。即ち今回は旧題ママによる、二度目の新版公開といふ寸法になる。
 田舎町の駅前に降り立つたさくら(里見)は、テレカで公衆電話をかけかけて思ひ留まる。2000年といふと、幾ら何でも若い娘はもう大概が携帯電話を持つてゐた頃合でもなからうか、とは思へるのだが。かくいふ私は、今現在に於いても持つてゐないが。話を戻して、かと思ふと如何にも思はせぶりな風情で急に嘔吐するさくらの傍らを、シンキチ(かわさき)が自転車でテローッと通り過ぎる。シンキチ(新吉?)はさくらの母親・桃代(しのざき)が営んだ「さくら質店」の番頭で、さくらは母の仕事を嫌ひ、家出以来十年ぶりに初めて郷里に戻つて来たものだつた。ところが桃代は一月前に、クモ膜下出血で死去してゐた。さくら質店を守るシンキチに、ひとまづ変らぬ実家の様子を案内されたさくらは、蔵の前に差しかゝるや表情を曇らせる。桃代はそこで近所の城東大学に通ふ金のない学生達に、彼等の若い肉体を質草として金を貸してゐた。さくらが家を出たのは、そんな母の行ひを激しく嫌悪したからであつた。そんな次第で回想シーン兼しのざきさとみ唯一の濡れ場に登場する神戸顕一は、かつての城東大学法学部一年生・魚住。腰に手拭ぶら提げた、ポップなバンカラぶりを好演する。
 さくらが帰郷したのは、暴力男(欠片も登場せず)からお腹の子供を守る為であつた。一方その頃近隣一帯はリゾート開発と、それに付随する地上げとに揺れてもゐた。荒井まどかは、男を替へる度に贈らせたブランド品を質に入れ金に換へる、自称“ラブ・マスィーン”の持ち主ことナオコ。シンキチを誑し込み、まんまと言ひ値で買はせる。今回持つて来たブツの貢ぎ主は、ナオコの腹の上で死んだとのこと。シンキチもその話を聞かされておいて、よくそんな女を抱けるな。入江浩治は、シンキチの留守にさくら質店を訪れては、人騒がせにも店先で行き倒れる城大現役苦学生。不憫に思つたさくらは入江浩治に飯を食はせるものの、伝統といふ方便の一点張りで挙句に自身も母のやうに喰はれる。そんな中、地上げヤクザの一味に襲はれたシンキチが、そこそこの怪我をして帰つて来る。
 アウトラインとしては母に反発し家を飛び出した娘が、遺された質屋を継ぐ継がないの一騒動。とでもいつた塩梅になるのであらうが、兎にも角にも、どんでん返りはしないが逆の意味で“衝撃のラスト”とでもいふべき、映画史上空前の大蛇足が噴いて呉れなくとも構はない業火を轟かせて呉れやがる一作。少々強引でもあるが、道を踏み外しこそすれ、魚住が仁義を通しに来るところまでならば結構正調の人情映画、たり得てもゐた筈なのに。そこからの取つて付けられた頓珍漢な一幕が、着地に木に竹を接ぐどころか、完全に卓袱台を引つ繰り返し映画をバラバラに壊してしまふ。さくらが桃代の立場に理解を寄せる段取りで既に隠しきれなかつた飛躍もしくは説明不足が、取り返しのつかないレベルで逆向きに加速され正しく万事休す。そんな無体の伏線が、わざわざ十全に敷設されてゐる辺りが一層悲哀を増しもしよう。百万歩譲つて岡輝男が書いてしまふのは仕方のないこととしても、それをそのまま撮つた深町章も深町章だともいへまいか。乱暴をいふが、少しの台詞も与へられる魚住の子分・井口(丘)が運転する黒塗りのセダンが水上荘を後にしたところで、映画を畳んでゐればまだしも印象はまるで変つてゐたのではなからうかと思へる。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「美人秘書 密通テレホンSEX」(1994『美人秘書 テレホンONANIE』の2006年旧作改題版/製作:プロダクション鷹/提供:Xces Film/脚本・監督:珠瑠美/撮影:伊東英男/照明:石部肇/音楽:鷹選曲/美術:衣恭介/効果:協立音響/編集:井上編集室/出演:藤本侑希・川島亜弥・本城未織・樹かず・石垣泰教・杉本まこと)。小林豊とする資料も見られるが、少なくとも本篇に助監督クレジットは見当たらない。
 ひとまづ電話をかけながらの、主演女優の自慰にて開巻。
 出社した女専務の坂出嘉代(川島)は、ドアに“来客中”のマグネットが昨日から貼り放しであつた瑣末に小言を垂れつつ、英文化卒の秘書・島村昌子(藤本)に英訳させたプレス―薮蛇ぶりが半端ない―に目を通す。すると、流石珠瑠美だとこの際感服するほかはないのか、書類の中から出て来た、昌子が私的に書いたオナニーに関するレポートだか散文詩だかを延々羞恥朗読。・・・・・

 何だこの謎展開?

 一体この人は、何を食つて生きてたらかういふ画期的に頓珍漢なシークエンスを思ひつけるのか。一々立ち止まつてゐると一切先に進めないので、一旦通り過ぎる。嘉代は劇中早くも藤本侑希二度目となる全裸自慰を昌子に命じ、しかもその様子をテレコに録音する。音源をネタに―動画に納めない辺りに、時代が感じられもしよう―嘉代は自身の明後日に旺盛な性欲の饗たる旨を、昌子に厳命する。ホテルに待たせたホストの健ちやん(杉本)との密会に飽き足らない嘉代は、支社から転勤して来た村木次郎(石垣)に狙ひを定める。不満足な物語しか存在しないのにメインも端役もないやうにも思へるが、杉本まこと(なかみつせいじの旧名義)も石垣泰教―村木は僅かに昌子とも接触するが―も、共に川島亜弥の相手を務める為だけに登場し事後は潔くスッパリ退場する超絶の濡れ場要員ぶりを、後述する本城未織(林田ちなみの旧名義)と同じく披露する。嘉代×村木戦と、晶子の独り寝とが交錯する夜は感動的に中途で放棄。二人の女優の濡れ場をシンクロさせておきながら、どちらも達することないまま平然と放置して済ます荒業といふのにも、初めてお目にかかつたやうな気がする。改めていふが、流石珠瑠美だ。映画的に別の意味でバイオレントな一夜明け、昌子はプリミティブにも腕つぷしに物をいはせ嘉代に逆襲に転じる。ここで吹き抜けるやうに登場する本城未織は、昌子が嘉代をよがり泣かせる目的でピンクチラシを元に調達した女。嘉代が達する直前に、今度は昌子が本城未織を制した再び一夜明け、ジャンボ機と、成田空港のショット。嘉代が非常勤役員として社内にも潜り込ませる、夫・勇作役の樹かずファースト・カットが、無造作も底が抜け激しく笑かせる。嘉代と昌子二人の専務室に、現在の目からは冗談のやうに馬鹿デカいサングラスをかけた勇作が、当初の予定を違(たが)へバンクーバーより緊急帰国。飛び込んで来るなり勇作は自分が外遊する間に散らかり放題の、自宅の様子の文句を性急にいふだけいふや、「帰る!」と退出。な、何だこりや?何しに現れたのかこの男は。それはカミさんに難癖をつけに来たのかも知れないが、それにしてもピンポンか。文字通りの顔見世ならぬ顔見せだ。カナダからの因縁はさて措き、昌子からは明確で勇作には曖昧な、互ひに対する記憶があつた。誰あらう勇作こそが、昌子の初体験の相手であつた。
 予め全ての意味を拒んだかのやうな、まるで難渋なコンセプトを抱いた芸術映画かの如き一作。吹いた与太の中身が自分でもよく判らないが、実際に訳の判らない映画である故この期には仕方がない。それでゐて星の数ほど全篇くまなく鏤められたツッコミ処の数々に対しても、果たして何処から手をつけたものやら途方に暮れる。とりあへず以降としては、自宅での夕食に招いた昌子に、嘉代の方から勇作を宛がふ。といふ流れになりはするのだが、その段にも、先に勇作が席を離れ、すると嘉代は目の前に座る昌子から筆記具を用立てると、書きにくからうにナプキンに何事か記して渡した中身が、“カレと 今夜ファックOK”。面倒臭い女だな。直接口でいへよ、そんなどうでもいい文句。大体がオープニングから、美人かどうかは意見も分かれさうなところでもあるがそれはさて措き、“秘書”が“テレホンONANIE”してゐることに関しては清々しく―原―看板を偽らないが、全くその限りで、特段どころか欠片も後々に有効に機能する訳では一切ない。主人公の初めての男といふことで、折に触れ挿入される勇作のイメージ・ショットの不安感すら惹起しかねないランダムさも何時もの珠瑠美で、鷹選曲のアヴァンギャルドに自由奔放な選曲も相変らず。濡れ場には感動的に親和しない徒な不協和音や妙に荘厳なシンセを、絡みに被せる感動的にちぐはぐなセンスを発揮したかと思ふと、それでゐて締めの昌子と勇作との一戦に際しては、堂々としたオーケストラで「ボレロ」を鳴らし、劇映画としてはまるで体を成さない一作を不可思議な安定感で締め括つてみせる。尺が満ちるか尽きると起承転結を転まででバッサリ打ち切つてしまふ、よくいへば―いへないが ―破天荒を故小林悟や小川欣也が仕出かすことも時にあるが、珠瑠美の場合はしばしばその更に先だか後を行き、そもそも起承転結が起から木端微塵。転までは一応あつらへた映画を放り投げる御大や小川欽也と、破壊力が大きい方は果たしてどちらなのか。俄には判断に苦しむところである、といふか、率直にいふとこの人の映画を観てゐると変なトリップ感でクラクラして来るので、最早そのやうな直截にはどちらでもどうもかうもないやうな問題を、一々アレコレ思案する野暮な余力なんぞ綺麗に霧消してしまふ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「密室女性トイレ 洩れる喘ぎ声」(1995『色情女子便所 したたる!』の2010年旧作改題版/企画:セメントマッチ/制作:オフィスバロウズ/提供:Xces Film/監督:池島ゆたか/脚本:岡輝男/撮影:下元哲/照明:田中二郎/編集:酒井正次/スチール:本田あきら/助監督:高田宝重/監督助手:瀧島弘義/撮影助手:便田アース・田中益浩/照明助手:横田彰司/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:柚子かおる・田口あゆみ・風見怜香・青井みずき・湯川恭子・杉原みさお・稲田美樹・丘尚輝・三浦丈典・吉見厚太郎・池島ゆたか・神戸顕一・平岡きみたけ)。出演者中、稲田美樹から吉見厚太郎までは本篇クレジットのみ。
 それなりに豪奢なホテルでの、御手洗太郎(平岡)と紀子(柚子)の新婚初夜。とはいへ中々事には及ばず、しかもユニット・バスに篭つてしまつた新郎の様子を、訝しんだ新婦は見に行く。さうしたところ、それまで婚前交渉は持たなかつた太郎は紀子に、衝撃的な告白をする。自分はトイレでないと、女を抱けない男だと。当然仰天する紀子に、太郎は今日に至る童貞喪失からの来し方を語る。高校一年の時、太郎は悪友ら(丘尚輝以下稲田美樹・三浦丈典・吉見厚太郎)と結託し、鬼英語教師・篠塚都子(田口)に逆襲する悪巧みを企てる。ジャンケンで負けた太郎が、女子便所での都子の排尿音を録音する破目に。ところがまんまと見つかつた太郎はトッ捕まると、そのままエクストリームにも都子から放尿を浴びせられ、挙句に筆を卸される。都子は既に結婚退職した高校三年の時、太郎の父親・浩司(池島)は、アグレッシブに肉感的な後妻・千枝(風見)と再婚する。浩司が、前妻即ち太郎の実母と、如何なる形で別れたのかは不明。千枝と父親のダイナミックな夫婦生活を覗き見た太郎は、未だ都子に喰はれた際のショックを引き摺るのもあり、部屋ですればいいのに手洗ひに駆け込み自慰に燃える。とそこに、事を終へた千枝登場。父親よりも心なしか大きな義息の息子を、義母はペロリと平らげる。太郎の正しく偏向した性癖は加速され、その後も実は同じ形で継続した千枝との関係の中で決定づけられる。大学に進学、太郎にも初めての彼女らしい彼女・鶴田弥生(青井)が出来る。とはいへ相変らず普通にベッドの上では致せない太郎は、そのことを理由に弥生からはフラれる。刺青鮮やかなイメクラ嬢・雪乃(湯川)との一戦は、場所柄便器が用意されてありどうにか乗り切れたものの、依然憚り以外での不能を克服出来ぬまゝ、太郎は社会人に。勤務中にも関らず『ちびまる子ちやん』を読み呆ける造形がジャスト・フィットな、向かひの席の女子社員・高木由佳(杉原)とイイ仲になりかけた太郎は、由佳を女子トイレに誘ひ出すことに成功する。スリリングな逢瀬を重ねたまではよかつたが、遂に訪れた外部での―要は世間一般で標準的な―デート。弥生以来再び仕方なく太郎が白状した画期的に限定的な男性機能の限界は、由佳にはポップに嘲笑されたどころか、更には暴露された同僚ら(丘尚輝以下三名のダブル・キャスト)からも“トイレの太郎君”と―これはシナリオ題でもある―嘲弄の的となつてしまふ。遂に居た堪れなくなつた、太郎は退職する。劇中現在時制に於いても、終に完全に臍を曲げるか匙を投げた紀子は、バスタブの中に自身が蹴落とした太郎を捨て、ホテルを飛び出して行く。ここまでで社内カット、果たして1995年当時幾つであつたのか、兎も角流石の貫禄で画面に映える部課長役を好演するのは、ある意味大助監督―ダイスケ監督ではない―の名をも冠し得るであらう高田宝重。
 他人との接触を忌避した太郎は、交通調査員の職に就く。そんな虚ろな太郎の前を、軽く見下すかのやうに紀子が通り過ぎ、公衆便所へと消えて行く。配役中残り、妙にマッシブな神戸顕一はそこで用を足す紀子を犯さうとした、破廉恥漢・鮫島洸一。その場に太郎が助けに入り、すんでのところで紀子は事無きを得る。それが太郎と紀子の、又してもトイレが鍵を握る出会ひであつた。
 改めて整理すると、都子に特殊な嗜癖を刷り込まれた太郎が、千枝からは無造作に火に油を注がれ、雪乃を一枚噛ませて弥生と由佳に二連敗した後(のち)半ばドロップアウトしたところで、矢張り便所で出会つた紀子に、一度は拒絶されながらも最終的には受け容れられる。要するに全篇を貫き手洗ひでの濡れ場を延々手替へ品替へ繰り返し倒す訳で、その限りに於いては、一本調子といへば一本調子といへなくもない。加点法からはダメ人間像を好演するとも評価出来る反面、直截には平岡きみたけの魅力不足は如何ともし難く、一本の映画を背負はせるには如何せん荷が重く見える点も、地味ながら確かに際立つ。とはいへ、パッとしない主演男優をカバーして余りある、異様に豪華な全六人態勢の女優陣の顔ぶれが粒も揃つた上にバラエティ豊かなのもあり、ひたすら反復されるシークエンスの割には、決して飽きさせたり中弛むことはない。一本調子を逆に一点突破と捉へるならば、清々しいまでの麗しさと純粋さをも誇らう。兎にも角にも素晴らしいのは、ぽつねんと間抜けではあれ同時に感動的なラスト・ショット。それなりに波乱万丈な太郎の苦悩の道程を、温かな幸福感とともに綺麗に締め括る終幕は、娯楽映画の着地としては猛烈に磐石。正しくショットといふに相応しい強度を以てして、穏やかながら叩き込まれた完璧なハッピー・エンドが実に心地良い。煽情性の観点からも全く遜色なく、当時PG誌主催のピンク映画ベストテンの第二位に選出されたのも全く成程と肯ける、完成度の高い娯楽ピンクの秀作である。

 最後にあれこれを整理すると、主演の柚子かおるは、泉由紀子と同一人物。jmdbのデータによると、デビュー間際に今作一度きり使用した変名のやうだ。但し、クレジットに名前は見当たらなかつたが、紀子の声は吉行由実(当時は由美か)のアテレコ。更に、今度は青井みずきは相沢知美と同一人物。どうやら青井みずきでAVデビュー後、子役時代の名義に戻したのが相沢知美らしい。丘尚輝=岡輝男といふのは、最早この期にいふまでもあるまい。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




 「新婚OL いたづらな桃尻」(2010/製作:OKプロモーション/提供:オーピー映画/監督:小川欽也/脚本:岡桜文一/協力:関根和美/撮影:吉田剛毅/照明:江戸川涼風/助監督:加藤義一/編集:有馬潜/音楽:OK企画/録音:シネキャビン/監督助手:竹洞哲也/撮影助手:深瀬寿樹/照明助手:多摩川太郎/効果:東京スクリーンサービス/現像:東映ラボテック/スチール:津田一郎/出演:愛葉るび・佐々木基子・倖田李梨・ひらかわなおひろ・石動三六・津田篤・なかみつせいじ・久保新二)。協力の関根和美が、ポスターには脚本監修。出演者中、ポスターに名前のある松本格子戸が本篇クレジットには載らない。
 歩道橋の上、リクルート・スーツ姿の中森ならぬ中村明菜(愛葉)が、くたびれた風情でウイダーinゼリーを入れる。斯様な小ネタに、一体如何程の意味があるといふのか、そもそも2010年に中森明菜かよ。新婚の明菜は専業主婦を夢見てゐたものの、前妻への慰謝料に加へ住宅ローンまで抱へる夫・真一(なかみつ)がリストラされてしまつたゆゑ、仕方なく就職先を探してゐるものだつた。面接先・鳩山商事の社長・猪野(久保)の直截な、あるいは下卑た視線に臍を曲げつつ、帰宅した明菜は結果を勝手に落胆する。そんな妻を真一が慰めるやう抱いてゐる最中に、猪野から連絡が入る。明菜がOK商事田中社長(全く登場せず)の紹介を受けてゐたのを理由に、採用することにしたといふのだ。そんなこんなで喜び勇んで初出社した翌日、早く着き過ぎた挙句無防備にもオフィスで寝込んでゐた明菜が、数人の男性社員から嬲りものにされる淫夢を見る一幕をわざわざ挿み込みながらも、兎も角初日の業務がスタート。ここで佐々木基子は、明菜を起こす掃除婦・松田清美。明菜が配属された部署の面々は、部署長の松本格子戸に、顔も抜かれる石動三六。満足には捉へられない更に二名と、研修中の浅野長雪(津田)。浅野の隣の席に着き抽斗を開けた明菜は、中にエロ本が仕込まれてゐるのに仰天する。憤慨するもひとまづ明菜は、邪気のない洗礼の張本人でその時点では外出中の―席は石動三六の隣―岡本健太郎(ひらかわ)の残した指示に従ひ、資料室へと「男女の初体験データ2008年版」―何だそりや―を取りに行く、だけにしては果てしなく果てしなく、何故だか異様に果てしない遠路へと旅立つ。一方、過剰なスカーフが実に効果的に映えるお局OLの石川熊世(倖田)は、ポップ極まりなく給湯室にて、自身がロック・オンするエリートでイケメン―熊世談―の岡本が明菜に奪はれてしまふのではないかと明々後日に歯噛みし、清美は清美で無理矢理にでも濡れ場を消化するべく、浅野の実は童貞に狙ひを定める。佐々木基子も佐々木基子だが、今回津田篤の激越にどうでもいゝ起用法が、実に清々しい。
 脚本担当の、どうにも変名臭い岡桜文一の素性は掴めないが、監督に小川欽也、脚本監修として関根和美と、新田栄が沈黙する中ある意味目下最強の布陣で挑んだ違ふ意味での注目作。何はともあれ別の意味で感動的なのが、女の裸や無闇に枝葉ばかり繁らせるエピソードは過積載される反面、兎にも角にも明菜が何時まで経つても何時まで経つても資料室にどうしてだか辿り着けない頑丈な不条理。よもや資料室といふのは、今作に於けるマクガフィンなのではあるまいやとすら勘繰りかけたが、勿論当然そのやうな訳が絶対にある筈がない。何時の間にか下着が白から赤へとチェンジする、まるで間違ひ探しのやうなミスを披露する無頓着も横道に含め、結局粗忽に自爆した明菜は、初日で馘の憂き目に遭ふ。問題なのが、といふか最早逆の意味で素晴らしいのが、意外と入念な伏線も踏まへた上での、そこから明菜と真一夫婦が辿り着く歴史的に呆気ないハッピー・エンド。適当としかいひやうのない落とし処の猛然と襲ひかゝる無造作さには、寧ろ衝撃を受けた。画期的な棚牡丹ぶりには一歩間違はなくとも腹のひとつも立ちかねないところでもあれ、世相の暗く厳しい昨今だけにこのくらゐのルーズさを、南風の穏やかさとも尊びたい。とさへいふのは、映画の観方が惰弱に過ぎやがるとの、誹りも免れ得ないであらうか。

 とかく明菜がギャースカギャースカ騒ぐセクハラは、実際には岡本が仕込んだエロ本以外には、明菜の自意識過剰か夢オチか妄想で、それほどどころか全く大したことはない。さういふ要は自堕落な物語に於いて、側面から―本筋も満足に成立しないのに、側面も背面もないやうな気もしなくはない―飛び込んで来ては獅子奮迅あるいは猪突猛進の大活躍を見せるのが、大昔はさて措き、少なくとも近年小川組に出演した覚えの俄には思ひつかない久保新二。事前には小川欽也のよくいへば老獪が、苛烈なアドリブの鬼である久保チンをどのやうに料理するのかといつた点に興味を覚え、なほかつ昨年末野上正義さんが逝去されたのもあり、「超いんらん やればやるほどいい気持ち」(2008/監督:池島ゆたか/脚本:後藤大輔)でのカメオ出演以来、新作では久々ともなる久保新二のコンディションや果たして如何に、とも思へたものである。さうしたところが蓋を開けてみると、久保チン超絶相変らず(*´∀`*) ウルトラ何時も通り。あるいは動ける動けるともいふべきか、久保チンが動く動く。文字通り寸暇を惜しんで動き倒し、正しく機関銃の如くギャグを撃ち続ける。遂には、持ちネタ「鮫肌のやうな餅肌」も飛び出す大サービス。こゝに来ての久保新二の健在ぶりは全く以て頼もしい限りで、俄然2010年度の助演男優部門の、超強力な最有力候補である。端的にはルーチンルーチンした一昨日映画に過ぎないにせよ、小川欽也×関根和美×久保新二、ベテラン中の大ベテラン達がそこかしこに仕掛けた飛び道具が妙に飽きさせない、不思議な魅力に満ちたそれはそれとしてそれでも味はひ深い一作ではある。
 これはためにする方便ではなく本気でいふが、三年後の小川欽也監督50周年記念作品を、当サイトは心から祈り願ふ。

 付記< 鳩山商事更に二名は石動三六の対面が加藤義一だから、もう一人も竹洞哲也かなあ


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




 「愛虐の館」(昭和62『SMマドンナ 愛虐』の2010年旧作改題版/制作:ユープロビジョン/配給:新東宝映画/監督:伊集院剛/脚本:田辺満/撮影:富田伸二/照明:井藤裕/助監督:鬼頭理三・田村良太・井上一郎/VE:小谷憲一/撮影助手:渡辺弐/出演:芳村さおり・春川かおり・中川あずさ・石原ミカ・マグナム北斗・嶋弘史・三条雅樹・葵マリー)。当時の配給はミリオンフィルム(=ジョイパック、現:ヒューマックス)、出演者中、嶋弘史と三条雅樹は本篇クレジットのみ。
 とりあへずいの一番に劇中世界のバック・グラウンドとして、SMの女王・葵マリーが、SM界の発展の為に女王引退と、新女王任命とを決意したとかいふ顛末がサクッと字幕で語られる。
 交際一年半の彼氏・幸次(マグナム)とドライブを楽しむ麻紀(芳村)は尿意を催し、林道で車を停めて貰ふ。この時点で二番目に顕著な―一番目に関しては後述する―特徴は、“麻紀、おしつこがしたくなる”といつた風に、脚本のト書きに相当する部分が、一々クレジットにより文字情報としても提供される点。といふと、実に浜野佐知の「冴島奈緒 監禁」(昭和63)と全く同じ体裁を採つてをり、なほかつ実は今作の方が一年早い。更に遡るものもあるのかも知れないが、当時狂ひ咲いたトレンドか何かなのか?ともあれ、森の中で用を足し安堵したのも束の間、麻紀は地獄のローパーばりに頭上から降つて来た網に、尻も半分露に捕獲される。一方、一服しつつ彼女の帰りを待つ幸次も、グルグル巻きにされた状態から、体を回転させロープを解く様子を逆回転する―だけ―などといふチープ・トリックを恥づかしげもなく駆使し捕縛される。二人は妖しい館に拉致され、麻紀は館の女主人(春川)、奴隷(中川あずさと石原ミカ)と人間犬(嶋弘史と三条雅樹)が各二匹づつ畏まる中、女王(葵)の面前に引つ立てられる。とはいへ、“館”といふのは設定としてさういふことになつてゐるといふだけで、外景ショットひとつおろか、実際の責めは、せせこましい集合住宅の台所で平然と行はれてゐたりもする。どんな訳だかそんな訳で、エクストリームなのだか漫然としてゐるのだかよく判らない勢ひで、麻紀へのひとまづ苛烈な調教がスタートする。ところで、個人的には葵マリーといふ名前ならば知つてゐたものの、不勉強にも画像情報は一切持ち合はせてゐなかつたため、まさかこんな単なる更年期を明後日に拗らせたかのやうな変哲のないババアが出て来るとは思はず、失礼ながら女王の御姿と台詞の清々しい棒読みぶりには正直激しくズッコけた。
 最短距離で片付けると要は同じく伊集院剛の「懺悔M」(製作年不明)と同様の、SMキネコ物件である。先に勿体つけた最も顕示的な特色といふのも、この点を指す。尤も、物語らしい物語なんぞ一欠片たりとて存在しなかつた「懺悔M」と比較すると、元々ゼロの期待度の低さもあつてか何だこりや(´・ω・`) と開いた口が塞がらぬこともなく、意外や意外劇映画として案外観させる。スモークと強烈なバック・ライトを背負つた葵マリーのシルエットが、ビッシビシ鞭を振るひながら歩み寄り、最終的には宇宙刑事感覚で大見得を切るカッコいいイメージ・ショットでアクセントを適宜つけると、麻紀がM性に目覚めるまではお約束もしくは惰性としても、対して幸次は幸次でサディストに開眼する展開は、そこかしこで中川あずさと石原ミカのシークエンスに寸断される割には、何故か最低限軸として一作を貫く。圧巻なのは思ひきり不意を突かれたクライマックス、一応用意されたミニマムな祭壇らしき空間にて、女王は女主人を新女王とする―但し、春川かおりが二代目葵マリーなのかといふと、必ずしもさうではないやうだ―戴冠式と戴鞭式を済ませると、新女王と旧女王、それぞれ二匹づつの奴隷と人間犬とは、“アタシ達の知ることの出来ない世界に戻つて行く”のである。そして奴隷の麻紀と御主人様の幸次は主を失つた館に住みつき、幸せに暮らすのであつた。まるで、「めでたしめでたし」とでもいはんばかりに起承転結を十全に纏め上げるのに成功したことに加へ、何と、しかも思ひのほか綺麗なファンタジーに着地してみせた!SMビデオを水増しする手法により一本のピンク映画をでつち上げる、などといふそもそもの無体をも軽やかに吹き飛ばす、豪快な大技には不思議なくらゐに心洗はれた。これまで通つて来たこの手の代物の中では唯一正方向に評価出来よう、悪くも良くも異色作である。

 ところで、jmdbのデータによると元尺は84分とあるので、単なるタイトルだけを挿げ替へた旧作改題ではなく、どうやら再編集も施されてゐるやうだ。24/84即ち三分の一近くを切るといふのも、普通に考へるならば無茶も通り越して出鱈目な話だが、現に観た今新版から、別にそのやうな破壊的な飛躍に頭を抱へさせられるのかといふと特にさうでもない。冗長どころの騒ぎにも済まないSMビデオ部分をバッサリ行つた―あるいは、今気付いたが初代葵マリー女王の治世下を、延々トレースでもしてみせたのか?―ものだとすれば、殊更な違和感も感じられない以上、これはこれで功を奏してゐるともいへるのではなからうか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「生撮り 一度は見たい、分娩室」(1992『生撮り 産婦人科診察室2』の2006年旧作改題版/製作:新映企画株式会社/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:亀井よし子/企画:伊能竜/撮影:千葉幸男/照明:伊藤肇/編集:酒井正次/音楽:レインボー・サウンド/助監督:高田宝重/撮影助手:片山浩/照明助手:石井克彦/出演:藤本亜子・夏みかん・藤沢麻理亜・冴樹里奈・野澤明宏・久須美欽一)。企画の伊能竜は、向井寛の変名。監督助手クレジットは落としたのではなく初めからなし。
 今回は―未だ?―小出ではなく、津山産婦人科医院。勤務一年の小山リエ(藤本)と先輩の篠原清美(藤沢)、二人の看護婦が忙しく立ち回る中院長の津山健三(久須美)が、子宮後屈で不妊を相談する大沢千恵子(冴樹)を診察する。とはいへ、娯楽映画としての気軽さを考慮してかあるいは直截に単なる無頓着か、妊娠を切望する素振りを見せはしながらも、千恵子が深刻さを窺はせることは別にない。津山の明後日に巧み過ぎる触診は千恵子をよがり泣かせつつ、事後もとい診察後リエと清美は、駅前に新しく山田病院が開業してからの、患者数減少を心配してみたりもする。そんな津山医院を前に、一組の男女が怪しげに謀議を交す。その内女の方の本田たま美(夏)が、生理周期の不順を訴へ来院する。すると、生理不順の原因は子宮の未成熟だとかいふ診断を下した津山は、「もつとSEXして、子宮を発達させないと治らないなあ」だの、「これは女性ホルモンの不足だ」だのと称しながら、二人の看護婦の前、堂々と診察台―実は今作中、診察室と診察台は出て来るものの、狭義の分娩室を見せては呉れない、酷いよエクセス―の上でたま美を抱く。そもそも、ここに至る以前に、綺麗に関係の詳細はスッ飛ばした清々しさで、津山はリエに手をつけてゐたりもするのだが。後日、電話で呼び出したリエに接触したたま美は、起爆装置が露見した判り易い好条件での、リエの南西大学病院への転職を持ちかける。すつかりその気になり、洋服を買ひに出かける為にリエは休み、津山も会合で外出した清美一人きりの津山医院を、今度はたま美の相方、即ち胡散臭い男女の男の方・佐々木裕介(野澤)が訪れる。当然の如く、一応休診状態にはあるのだが。とかく強ひてよくいふならば、なだらかな映画ではある。佐々木は南西大学病院の医師を騙ると、リエを篭絡したたま美と同様に、清美を口説く。要はたま美と佐々木は人を動かして利益を得るいはゆるヘッドハンターのコンビで、二人は今回、金になる看護婦に狙ひを定めたものだつた。
 人買ひあるいは人売りの来襲に揺れる、個人医院を舞台とした微笑ましい下町一騒動。といふ、一応は起承転結を貫く物語が、辛うじてなくもない。尤も、展開を繋ぐ局面が合間合間の僅かな隙間に、適当極まりなく流し済まされてしまふ残りの尺を、延々底の抜けた濡れ場濡れ場がひたすらに埋め尽くす。一言で片付けるならば、全うな劇映画を求める観点からは、明々後日から一昨日へと転がり過ぎて行くやうな一作である。女の裸を銀幕に載せる。ひとまづその主眼だけは頑として果たしてゐはするだけに、近年何処そこの国映が仕方なく垂れ流す―過去形にするべきか―作家主義だか一般映画志向だか知つたことではないが、生煮えるばかりで箸にも棒にもかゝらない代物よりはマシともいへ、要はその手の代物よりはマシとでもしかいひやうのない、別の意味で綺麗なルーチンワークである。ここでの“別の意味”には、何故か通常33.3%増―末尾にて後述する、前作の好評を反映してか?―の、四人並んだ全員脱ぐ女優陣の中に、決定力溢れる魅力を誇るポイント・ゲッターも居ない反面、観る者の心に傷を残すほどのお化けも居ないといふラックまで含まれる。どうして、木戸銭を落としてさういふ余計な心配までしなくてはならないのか。とまれ、劇中―劇といへるほどの劇でもないのだが―正しく乱れ撃たれる絡みの内、唯一関係性として無理なく呑み込めるものが、仕事上だけではなく男と女としてもペアを組む、たま美と佐々木の一戦といふいはば側面にしか存在しないなどといふ大らかなゴキゲンさは、幾ら新田栄とはいへ些かあんまりであらう。

 あれこれ調べてゐると、実はリエと津山は、1997年に「痴漢婦人科 前から後ろから」とも改題された、同年五作前のシリーズ前作(未見)に於いて既に目出度く結ばれてゐたらしい。さうはいはれても正直、それはこの期にはそんなこと知らねえよ(;´Д`)


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「髪結ひ未亡人 むさぼる快楽」(1999/製作・配給:新東宝映画/監督:川村真一/脚本:友松直之・大河原ちさと/脚本協力:森本邦郎/企画:福俵満/撮影:中本憲政/編集:酒井正次/音楽:サウンドキッズ/助監督:西垣孝誠/監督助手:石川二郎・川澄成/撮影助手:飯岡聖英・すえよしまこと・小岩井貴子/スチール:本田あきら/制作主任:藤原健一/制作進行:中本歩/録音スタジオ:シネキャビン/現像:東映化学/協力:《有》ライトブレーン・《有》ペンジュラム・木村たつ子・森山茂雄/制作協力:《有》ファントムラインジャパン/出演:野上正義・久保新二・愛染恭子・藤ひろ子・港雄一・篠原真女・藤田明日美《新人》・樹かず・中村和樹)。出演者中中村和樹と、藤田明日美の括弧新人特記は本篇クレジットのみ。
 方々のイメージが編み込まれた下町に、高級老人ホームのスリッパ履きのまゝの、上野(野上)が数十年ぶりで彷徨ふかのやうに舞ひ戻つて来る。上野は神社にて目撃した和服姿が上品な老女・綾子(藤)に、バニラ・バーを手渡し有体にいふならばナンパする。女子高生の孫娘・サオリ(藤田)が帰宅するのを待たず、今野(港)は家業の肉屋は若い衆に任せ、京子(愛染)が女主人を務める未亡人理髪店へといそいそ出向く。とはいへ、京子の未亡人設定についてはタイトルにさう謳はれるだけで、劇中明示的な描写は必ずしもない。店に酒も置き入り浸る今野を露骨に煙たがる樹かずは、京子の店の若い従業員、呼称されないゆゑ固有名詞は不明。後(のち)の愛染塾長唯一の絡み―尤もストイックにも、藤ひろ子はここでは含まない女優三本柱は、全員一度きりしか裸を披露しない―に際しては、いはゆる若いツバメも担当する。樹かずが先に達しさうになつた局面での、「もうダメ、御免なさい、イキさう・・・・」といふ痛切な台詞は笑かせる。ハハハハ、謝るな謝るな。若いボーイ(中村和樹?)に顎でコキ使はれるポン引きの久保田(久保)は、夜の繁華街を徘徊する上野と再会する。久保田と上野とは、互ひに―実際の愛称でもある―“ガミちやん”、“久保チン”と呼び合ふ仲の幼馴染であつた。再会した旧友を惚(とぼ)けた顔で、顎をペロッと舐めることにより漸く認識する野上正義が、堪らなくチャーミングだ。敢て女の裸に頼らない、名優達をフォーカスしたジャンル的には異色のピンク映画が、何気なくも明確に起動する。旧交を温めた久保田は上野を京子の店に連れて行き、今野こと“コンちやん”にも引き合はせる。樹かずはさて措いた一同は、共通のカッコいい兄貴分である“マーちやん”(全く登場せず)の思ひ出話に花を咲かせる。上野を探す謎の美女・みゆき(篠原)が町に現れる一方、上野が逢瀬を重ねる綾子に興味を持つた久保田は、逗留中の旅館に忍び込んだところ綾子がマーちやんと会話してゐるらしき様子に驚き、最終的には愕然とする。綾子が話しかけてゐたのは、マーちやんの遺骨に対してであつた。
 2002年に既に一度、「愛染恭子 むさぼる未亡人」と改題された新版を観た際に衝撃にも似た深い感動を叩き込まれ、長く再見を切望してゐた一作。愛染恭子の“裸仕事”引退記念作品「奴隷船」(2010)の―成人指定ながら―一般公開に併せ催された、「愛染恭子エロス七番勝負!」の一環としてニュープリントが焼かれたものらしい。あの愛染恭子をも緩衝材に、野上正義と久保新二、港雄一の働きが如何せん弱いのは否めないが、兎も角ピンクを長く支へて来たベテラン俳優達の賑々しくも同時に逃れやうのないペーソスも漂ふいふならば同窓会企画が、やがて若き日に皆のヒーローであつたマーちやんの遺骨を軸に、劇映画として十全な目的地も得て力強く動き出す構成は全く磐石。と、手放しで褒め称へたくも、なる気分ではあつたのだが。改めて、叶つた念願に気負ひつつ努めてフラットな観戦も心掛けてみたところ、正直お話の中には、ガチャガチャと未整理な穴がそこかしこに開きもする。そもそもガミちやんは、マーちやんとの関係を知らずに綾子とミーツしたのか?といつた出発点に於ける無造作な飛躍もしくは説明不足―冒頭の神社での綾子の上野に対する会釈が、如何に解釈したらよいものか判らない―や、綾子がパクられた後にも、何故かマーちやんの遺骨がガミちやんと久保チンの手許に留まる豪快な不自然には、当然の如く強い疑問が残らぬではない。公が一旦手をつけた用地を、どれだけの金を積んだのか、一私人が容易に買ひ戻せてしまふ点にも、世間常識的には首を縦に振り難い。だが然し、斯様ないふならば瑣末は、半券と一緒に何処かに仕舞つてしまへ。演者はともに不明な、若い男女の刑事(こつちが中村和樹かも、女は木村たつ子?)に引つ立てられる綾子が起動した静かで物悲しい叙情は、久保チンとガミちやんがひとまづの悲願を果たした帰途、ピンクを跨いだ映画史上空前の高みへと到達する。その時夕暮れ時のゆりかもめが彷彿とさせるのは、長く苦しい回り道と旅路の果てに、終に陽光暖かなフロリダへと辿り着いた長距離バス。さう即ち、今作のラストは丸つきり「真夜中のカーボーイ」ぢやないか!などといへば、何をこの腐れピンクスは、頓珍漢に突つ込んでゐやがると人は笑ふやも知れぬ。今作が郷愁を核に抱く時点で、二本の映画が扱ふ主題は完全に別物ともいへ、達成感の余韻に浸る間もなく直面させられた悲痛な別離が撃ち抜く、珠玉のエモーションは正しく同種のものではあるまいか。同時に同じだけの、強度も有してゐよう。改めて再戦を果たした上で、なほのこといひたい。ピンク映画版「真夜中のカーボーイ」、ガミさんと久保チンによるニューシネマ。とかく“傑作”を安売りしたがる手合は好むところではないのだが、老いた者も貧しき者も罪を犯した者も、胸一杯の真心を込めて精一杯美しく描く。映画―に限らぬが―といふものは、かういふものではなからうか、かうあるべきではなからうか。素晴らしい、心の震へを禁じ得ない。強く深く心に染み入る、矢張り傑作である。

 ここから頭を冷やして、ピンク映画に特化した冷静な検討も試みると。ある意味全員濡れ場要員といつていへなくもない脱ぎ役女優三本柱ではあるが、マーちやんの思ひ出をマドンナ役としても共有する京子役の愛染塾長はまだしも兎も角、ビリングも下位の篠原真女と藤田明日美に関しては、一層その傾向が強まりかねない、ところではあつた。ともいへ、みゆきはシュートを決めるガミちやんにアシストを出す展開上の重責を担ひ、サオリも久保チンが丁寧に積み重ねるフラグを、都合二度介錯するさりげない大役を果たす。介錯するのは二度目、立てるのは通算三度目のフラグからラブホテルに一旦退避しての、サオリVS.久保チン戦は流石に強引だなあとも思つたが。ともあれ、若い女の裸担当をも物語本体への回収を諦めない情熱と論理は、地味ながら確かに光る。ガミちやんと久保チン、円熟の 2トップを演ずる野上正義と久保新二の二枚看板に関しては、ヨイヨイ芝居が少々くどさを感じさせぬでもない野上正義に対し、平素のある意味苛烈なアドリブもほぼ廃し、渋味の利いた正攻法でドラマをガンガン牽引する、久保新二に分があると看做すものである。団扇柄(?)でラメのカッチョいいジャケットに、対照的に如何にもオッサン以降が無頓着に履きさうな、判り易くモッサリモッサリしたジョギング・シューズを合はせた衣装も完璧だ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「お掃除女子 至れり、尽くせり」(2010/制作:ネクストワン/提供:Xces Film/監督・脚本:工藤雅典/企画:亀井戸粋人/プロデューサー:秋山兼定/撮影:井上明夫/照明:小川満/助監督:高田宝重/監督助手:関谷和樹/応援:佐藤吏/撮影助手:河戸浩一郎/照明助手:八木徹/スチール:伊藤太/ポスター:MAYA/編集:三條和生/編集助手:高橋幸一/録音:シネ・キャビン/音楽:たつのすけ/現像:東映ラボ・テック/出演:星野あかり・佐山愛・酒井あずさ・深澤和明・園部貴一・平川直大・竹本泰志・清水大敬・野上正義)。
 スター俳優(笑)柏倉啓太郎邸、因みにミサトではない。啓太郎(深澤)が不倫相手の若手女優・緑川梨奈(佐山)と破廉恥なローション・プレイに励む中、女優志望で個人経営の零細清掃業者「レインボー清掃」の田沢友美(星野)と、啓太郎マネージャーの玉虫秀之(平川)が、事が終るのを仕方ない風情で待つ。友美は、こちらは額面通りの大女優で啓太郎の妻・柏倉真理江(酒井)への体面上、啓太郎と梨奈との火遊びの痕跡を消す仕事を請け負つてゐた。「たかがTVだろ後にしろ、シャワーが先だ」だなどと、部屋から漸く出て来た啓太郎が玉虫を邪険にあしらふカットなどを見てゐると、深澤和明風情に斯様な台詞を吐かせて恥づかしくならないのかと、観てゐるこちらが何故だか妙に居た堪れない気持ちになつて来る。玉虫は以前から関係を強要してゐると思しき友美を貪りながらも、一応職業マネージャーらしく、MHS―これは何の略だ?―テレビ局プロデューサー自宅での、オーディションの話を振つてみせたりもする。自宅オーディションとかいふ時点で、どう考へてもここはフラグしか立ちはしないのだが。くたびれた友美が安アパートに帰宅すると、ダメ弟の健次(園部)が、プラグに繋がないエレキギターで戯れてゐた。ロッカー気取りで碌に働きもしない弟との生活にも、友美は疲れてゐた。時勢でも織り込んだ―結果論からいふと、それどころではない―つもりか、アパート別室の住人で、追ひ詰められ首吊り自殺したTV制作会社社長が垂れ流した糞尿を片付ける仕事を、誠意を感じさせない管理人(竹本)から頼み込まれる一幕も挿みつつ、友美はMHSテレビ局プロデューサー・岩谷剛志(清水)宅へと向かふ。カルカチュアライズされた業界人像を、数少ない持ち芸ともいへるギャーギャー喚き倒す強騒さで快演する清水大敬は、今作中殆ど唯一の、ゼロではなくプラス方向にミスではないキャスト。ど派手でダボダボの、どうせ間違ひなく私服であらう上下揃ひの衣装も凄い。布陣の薄さはいふても詮なく、ここでも梨奈を侍らせる岩谷に、犯されまではしないものの桃色に酷い目に遭ふ平板にお約束の展開を経て、結局友美は手ぶらで帰ることに。ところで玉虫には易々とその身を開いておいて、岩谷宅で友美が見せる激しい拒絶には、よくよく考へると齟齬を感じさせなくもない。話を戻してメソメソ歩きながら泣きじやくる友美に、梨奈がハンカチを手渡す件には、階段を一歩跨いだ者が未だ下方に留まる同輩を見やる、温かい力強さがさりげなくも満ちる。打ちひしがれ帰宅した友美を、健次と、隣室の独居老人で、若い頃は役者であつたとの萩村一夫(野上)が、祝ふ心積もりで迎へる。とはいへ負けて帰つて来た友美は荻村に対し、役者であつたなどと嘘ではないのか、「アンタなんか映画でもテレビでも見たことないはよ!」と無体な八つ当たりを爆発させる。健次に友美を支へてやることを託し肩を落とし退室した荻村は、その夜死去する。竹本管理人に再び乞はれ、荻村の部屋を片付けてゐた友美と健次は、いはゆる大部屋俳優時代の萩村こと、要は野上正義実際の在りし日のスチールを大量に発見する。
 何はともあれ、工藤雅典、三作続けて不作。何処から触れるべきやら途方に暮れさせられる種々の貧しさが、兎にも角にも全篇を覆ひ尽くす一作。とりあへず脊髄反射で顕示的なのは、不思議なまでにどうしやうもない画面の暗さ。最早照明といふ役割の不存在すら疑はれるほどに、室内シーンの多くが馬鹿みたいに暗い。屋外に移るとその不安が解消されるやうに見えるのは単に外光に頼りきつただけの気の所為で、平然と発話中の登場人物の表情を、無造作に日陰で隠してみせたりする始末。主演の星野あかりは胸は少々詰め物臭いが止め絵的な容姿は非の打ち所なく麗しい反面、反比例するかのやうな他愛ない大根ぶりを、動かせて演技をさせるや誇れはしないが発揮してしまふ。三文具合には前後に落ちない深澤和明も、いやしくも裸になつてのシークエンスを演ずる以上、どうでもよかないがもう少し体を絞るべきだ。といふか、管理人の端役で遊ばせておくくらゐならば、ここはどう考へても、柏倉啓太郎役は竹本泰志ではなからうか。ところでこの二人は、深澤和明が竹本泰志主宰の劇団に所属する、といふ関係にある。演者と演出家、ここではどちらかといふと後者の責に帰するのが妥当なやうにも思へるが、健次のロッカー描写の、ギャグとして―それにしても笑へぬが―でなければ煮ても焼いても喰へないメソッドの古さも逆向きに際立つ。姉の危機を察知した健次は、ジャンル的な何時の間にかさでオトした真理江と、柏倉邸へと急ぐ。その際、仮にも大女優が、夜道をチャリンコ二尻で移動するか?ラスト・シーン、依然友美に纏はりつかうとする玉虫は、姉を援護するべく健次に足を箒で払はれ撃退される。その際にも、平川直大は掃除の汚水をわざわざ自分で掴んで零すなよ!まるでボケてすらゐるかのやうな、限りなくお粗末なツッコミ処も散見される。啓太郎が出し抜けに狂気に至る起承転結の流れも、クライマックスのチャチな修羅場まで含め粗雑なばかりで、そもそも星野あかり×佐山愛×酒井あずさと抜群の綺麗処を三枚並べた割には、濡れ場の威力も非感動的に決して高くはない。元来、減点法の映画観戦は好むところでは全くないものだが、それにしても、それはそれとしてタイプ・キャストを好演する清水大敬と、後々重要な伏線として機能を果たす梨奈のハンカチのほかには、加点すべき点が如何せん俄には見当たらない。何やらとんでもない血みどろ映画らしい、三年ぶりに奇跡の復活を果たした山内大輔の最新作は依然未見の限りではあるが、新版公開に於いて強靭な小屋の番組占拠率を未だ誇る新田栄さへ終にさし措いた2010年エクセスは、さうはいへどもどうにもかうにも打率が低い。それにしても僅か五作しかない中で、黒川幸則の「ある歯医者の異常な愛 狂乱オーガズム」に関しては必ずしも直接的には立木ゆりあの死亡は描かれないともいへ、薮蛇に濃厚な死の香りは、果たして些か如何なものか。暗く厳しい昨今だからこそ、逆に求められるのは暖かい南風ではなからうかと、個人的には正直望むところである。

 七月末公開の今作、陽光からは初夏の撮影も窺はせるが、率直なところお芝居の範疇には収まりきるまい、昨年末に逝去された野上正義さんの衰へぶりには、この際映画は完全に等閑視した次元で身につまされる。最終的には、このやうな力なく無様な代物が名優の誉れ高かつたガミさん最後の仕事かと嘆きかけ気を取り直し調べてみたところ、撮影時期は兎も角、九月公開のもう一作出演作があるらしい。ひとまづ胸を撫で下ろさうかとしたところが・・・・今度はあ、荒木太郎かよ。御当人もさう思つてをられるのではないかと下衆が邪推するものだが、誰しもに否応なくやがて訪れる死自体は仕方のないこととしても、ここはその最期の作品は、せめて友松直之に撮つてゐて欲しかつた、勝手な希望は残る。生前の御功績を偲びつつ、合掌。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「痴漢電車 夢指で尻めぐり」(2010/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:近藤力/撮影監督:創優和/編集:有馬潜/録音:シネキャビン/音楽:レインボーサウンド/助監督:竹洞哲也/監督助手:櫻井信太郎/撮影助手:宮永昭典・丸山秀人/スチール:佐藤初太郎/音響効果:山田案山子/現像:東映ラボ・テック/協力:広瀬寛巳・山口寛人・鍋島宇宙・新居あゆみ・米山理人・エバラマチコ・山口大輔・野村蓮司・星野勇人・白井良平・柳沢聖人・矢樹修二・上田展康・かめいとも子・タランチュラ原田/出演:かすみ果穂・紺野和香・ほたる・倖田李梨・津田篤・竹本泰志・柳東史・サーモン鮭山・平川直大)。
 一両の満員電車に乗り合はせる男女、ダンサー志望の女子高生・日比恵都(かすみ)は、出がけに平川直大が兼任するサル彼氏に阻まれつつ、履き潰したダンス・シューズをお守り代りにオーディション会場へと急ぐ。童貞で対人折衝能力の欠如を拗らせる就活生の伊沢道晴(津田)は、未だ強く感じる疑問を克服せぬまゝリクルート・スーツ姿で電車に揺られる。日野猛(竹本)は社員旅行先の熱海で知り合つた、二十近く歳の離れた妻・来夏(紺野)との倦怠期を、車中での痴漢プレイで打開すべく電車に乗り込む。そして和服未亡人の町田名(ほたる)は、事故死した亡夫・靖(柳)の遺品の中から出て来た期限切れの定期券を手に、在りし日の夫の日常をトレースしようとしてゐた。無造作な車内アナウンスとともに、人身事故で電車は一時停車する。その弾みで会場への遅刻の絶望と同時に、大切なダンス・シューズを落としてしまつた恵都は痴漢(演者後述)に遭ふ。名は名で、御馴染みのグレーの一張羅に身を包んだ広瀬寛巳に、靖にしか触られたことのない秘所を弄(まさぐ)られる一方、猛も妻の体に手を伸ばす。ほどなく電車は動き始め、銘々の人生も、半分動き始める。結局オーディションには木端微塵に落ちた恵都は一旦就職するものの、心的外傷を抱へた電車で通ふのを嫌ひ退職、自転車通勤で事済むイメクラ嬢になる。ところが人の話を鳥のやうなお頭(つむ)でまるで聞いてゐない、イメクラ「妄想爆裂都市計画」―し損じた足し算のやうな店名だ―店長(平川)は、そんな恵都を電車セットの部屋に配属し閉口させる。一対一の電車痴漢のみでは行き詰まりを感じた猛は、第三者を噛ませたいはゆる「他人棒」プレイに活路を見出す。サーモン鮭山は、ここでの他人棒氏・沖田博昭。名はひろぽんとの関係をぐずぐず継続させるも、ホテルにまで連れ込まれさうになると、頑として抵抗する。結局コロッと社会に出そびれた道晴は、薄暗い部屋で一方的に送られて来るスパム・メールに目を落とす、虚ろな日々を送る。意を決して出向いた妄想爆裂都市計画では、恵都いはく“指名ではなくお節介”ナンバーワンの森野さつき(倖田)に、筆卸をして貰ふ、ではなく初物を喰はれてしまひながらも、道晴は恵都と再会する。再来店し今度は恵都を指名した道晴は、互ひにスパムとケイトと名乗る。
 通常に発話される台詞も、明瞭とはいへ扱ひとしては背景音と同じレベルで聞こえもするが、あくまで主軸は各々のモノローグを、童謡「森のくまさん」の輪唱に似た形で重複させた部分を基点に、次の話者が新たな局面に移行させることにより全篇を通して展開を紡いで行く。といふ、極めて独自な手法で編まれた意欲作。プログラム・ピクチャーとしては極めて異色な体裁を採つてはゐる反面、物語自体は―恐らく意図的に―欠片も奇抜なものではなく、全体の核を成すのは、「僕は君のことが好きだ」などといふ、大人の娯楽映画としては逆にどうなのよと思へかねないくらゐに、プリミティブ極まりないエモーションではある。丹念に追求され尽くした丁寧な個々の繋ぎ―あるいはこの点に関しては、音楽理論に於ける対位法の素養があれば更に今作に対する理解が深まるのやも知れないが、それは残念ながら当方の手には全く余る―は特殊な意匠も全く無理なく観させ、恐らくは小屋の主要客層であるお父さん方が、置いてけぼりにされることも特にはないのではなからうか。斯様な次第で、量産型娯楽映画としての軸足は決して失はない上での試作機的な実験作といふ有り様は、素晴らしくユニークである。ところがそれが劇映画としての面白さに必ずしも直結しはしないのが、難しいと同時に、別の意味で面白いところ。道晴・ミーツ・恵都、あるいはスパム・ミーツ・ケイト。二人が恐々と自己紹介を交した時点で、それまで積み重ねた機軸を決然とかなぐり捨てる、あへていふならばチャンスがあつたのではあるまいか。そこから標準的な文法を用ゐた上で映画をクライマックスの高みへと遮二無二叩き込む、戦法も残されてゐたやうには思へる。狙つた趣向をよくいへば貫き通した、逆からいふならばそれに固執した代償に、全般的なメリハリと、作劇上の勘所とを失した印象は強い。道晴と恵都の物語を成就させる段に、副次的に名にも前を向かせしめたまではいいにせよ、名も落とした形見の定期を拾ふ契機が与へられ得た筈の、猛は独り置き去りにされた感が漂ふことも気に懸る。大体が、ラストに際し名は再び書き始めた日記に、「好きな人が、できました。」と認(したた)める。その、“好きな人”とは一体誰のことなのかも、説明が足らず力強く判らない。繰り返すが面白いのか詰まらないのかといへば最終的には惜しいところで大きな魚を逃がした他方で、一風変つた映画そのものの形は頗る興味深い。立体的かつ変則的な両義性が、それはそれとして実に魅力的な一作である。

 潤沢な協力勢は、概ね車中の乗客要員か。その中でも、発端の一日に恵都に電車痴漢を働く、妙なイケメンは一体誰なのか。山口大輔の名前が、協力の中でもビリング的に、他とは明らかに別枠にされてゐたことが気にはなるのだが。最後に特筆したい瑣末として、今回柳東史の出番は、衝撃的に短い。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「新釈 四畳半襖の下張り」(2010/製作:株式会社竹書房・新東宝映画株式会社/配給:新東宝映画株式会社/監督:愛染恭子/脚本:福原彰/企画:加藤威史・衣川仲人/プロデューサー:藤原健一/永井荷風伝作『四畳半襖の下張』より/撮影・照明:田宮健彦/録音:高島良太/衣装:野村明子/ヘアメイク:中尾あい/スチール:中居挙子/音楽・三味線指導:マーサ☆リノイエ/編集:酒井正次・鷹野朋子/整音:シネキャビン/タイミング:安斎公一/現像:東映ラボ・テック/助監督:浅木大・小島朋也・安隋泰宏・布施直輔/撮影・照明助手:河戸浩一郎/メイク応援:山口かな子/制作応援:躰中洋蔵・能登秀美・貝原クリス亮・伊佐野美奈/制作協力:藤原プロダクション/出演:麻美ゆま・石川ゆうや・春野さくら・鶴西大空・中谷千絵・プッチャリン・仙若・藤岡範子・北島さくら・あさきたかじん・マーサ☆リノイエ・なかみつせいじ・速水今日子)。ポスター上に表記されるアートディレクターの前田朗が、本篇クレジットには見当たらず。逆に出演者中、プッチャリンからマーサ☆リノイエまでは本篇クレジットのみ。
 昭和七年東京深川、志乃(速水)が女将を務める待合「ふじ屋」にて、米問屋「榎木屋」放蕩息子の光三(石川)と、光三が座敷で見初めた芸妓の曽根子(麻美)が落ち合ふ。一戦交へ、曽根子は男の甘言なんぞ真に受ける口ではなかつた筈だが、死んだ母親に似てゐるとかいふベッタベタな告白にもコロッと絆され、“理想の女”とやらを探してゐるとかいふ光三に身請けされることに。曽根子が本所に宛がはれた、直截にいふならば妾宅でそれなりに恵まれた生活を送つたのも束の間、光三は翌年夏女中の水江(春野)に手を出すと、曽根子の下には寄りつかなくなる。光三が単なる小娘にしか別に見えない水江に対し、「俺の“理想の女”は、お前に違ひない!」だなどと口走つてみせるのは、ある意味リアルではある。そして晩秋、困窮し質屋(鶴西)を誑し込まうとするも事後無下に突き放された曽根子は、お腹の光三の子供共々打ちひしがれる。
 ジャンル映画の要を押さへておくと、今作中濡れ場を担当するのは麻美ゆまと春野さくらのみで、予想されぬでもない速水今日子は不脱。配役残り浅草芸人のプッチャリンは、太鼓持ち兼務のチンドン屋のやうな―現に太鼓も持つが―団子売り。なかみつせいじは団子売りの元締め、且つ光三の友人・丹波。新天地を求め、満洲に旅立つ。主人と同じく、劇中世界にスムーズに溶け込むルックスの持ち主の中谷千絵は、ふじ屋の女中。藤岡範子と北島さくらは光三が遊び歩く短いカットに於いて、石川ゆうやが“歌舞伎町のジュリー”こと沢田王子としてオーナーも務める、新宿ゴールデン街のBAR「ダーリン」表に見切れる街の女。江戸太神楽パフォーマーの仙若とポップ―ポップスに非ず―三味線奏者のマーサ☆リノイエは、開巻に姿を見せるお座敷要員。あさきたかじんといふ正体不明の名義が特定出来ないが、残される可能性としては、光三に凄んでみせる借金取り辺りか。
 カワノゴウシの「珍・監禁逃亡」、対照的に芦塚慎太郎の大傑作「妖女伝説セイレーンXXX」に続く、最早開き直つたかのやうに新東宝が竹書房に一枚噛ませた上で連作する、一応ピンクの番線に含まれてはゐるものの、一目瞭然、従来型のピンク映画とは非なる以前に似てすらゐないシリーズに属する一作である。唯一の長所に先に触れるとするならば、入念なロケハンと衣装・小道具の勝利により、昭和初頭の雰囲気を伝へることには、とりあへず以上にひとまづ成功してゐる。和装は世辞にも別に似合ひはしないが、麻美ゆまの最終的にはバタ臭く垢抜けない容姿は、当時の熟(こな)れない洋装―殊に髪型―には逆にフィットする。さうなると他方、春野さくらに関しては、たとへば深町章の戦中戦後昭和譚に放り込まれた、吉沢明歩と同様の大穴が開きもするのだが。話を戻して、さういふ文字通り表面的な外堀は兎も角、対してお話本丸の方はといふと、互ひに百戦錬磨の色事師と芸妓の丁々発止の床の遣り取りを描いた筈の原作を戴きながら、性戯の苛烈な応酬を殊更にフィーチャーするでもなく綺麗に通り過ぎて済ませたばかりか、「身請けされてはみたけれど」な曽根子の芸妓残酷物語から、挙句に最終的にはメロウ極まりない曽根子と光三の夫婦善哉―もしや、だからこその“袖子”ではなく“曽根子”なのか?―に着地してみせる展開は、成程確かに、“新釈”の看板に偽りはない。といふか、新解釈過ぎて最早本来の羊の頭は完全に何処かへ吹き飛んでしまつてゐる。新ガンダムが一切対MS戦を披露しない、「ガンダムOO」劇場版にも似た明後日な破壊力だ。ところが斯様な映画総体のそれはそれとして豪快ではある無体さも更にさて措き、兎にも角にも致命的なのが、ファースト・カットからプロジェク太上映下にあつても明瞭に無惨なビデオ画質。麻美ゆまの肌の荒れを妙に克明に捉へるばかりで、如何程の情感も湛へ得ない白々しい画面からは、安手の昼メロに酷似した物語も相俟ち、裸の多いTVドラマでも見せられてゐるかのやうな気分にさせられる。昨今の正直末期的な新東宝の苦境に際し、愛染恭子御大の御登板を願つた節は窺へぬでもないが、端的な出来栄えとしては、火に油を注いだ結果と難じざるを得まい。そもそも、潤沢な演出部や制作部と比すると、何故か僅か二名しかクレジットされない撮影部の手薄さに、露な急所を看て取るべきであるのやも知れない。

 以下は再見に際しての付記< 配役オーラス光三に凄んでみせる借金取りは、節穴の推測が珍しく当たりあさきたかじん。即ち、Lenny周りでときめく麻木貴仁の平仮名表記である、銀幕デビュー作となるのではなからうか


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「責め絵の女」(1999/製作:ENKプロモーション/提供:Xces Film/監督:剣崎譲/脚本:月岡よみ/企画:稲山悌二 エクセスフィルム/製作:駒田慎司 ENKプロモーション/原案:冴月嶺/撮影:牧逸郎・木根森基・薮田政和・山内泰/照明:北井哲男・田村正宏・岸田和也/緊縛指導:有末剛/助監督:溝口尚美・山口友尚/ネガ編集:不動仁一郎/スチール:渡辺哲/美粧:井谷裕子/衣裳:三宅寿恵/タイトル文字:森口美夏/製作:竹内和歌子・太田美希/作絵:太田美希/録音:立石幸雄 東洋スタジオ/リーレコ:日映新社/現像:東映化学/フィルム:フジフィルム/制作協力:クラブダウン・ランジェリーショップ エリー・関西映機・報映産業・AC/DC・翔の会・大谷優司/出演:イヴ《神代弓子》・梁井紀夫・門田剛・宗忍・鏡彩花・藤田喜昭・渡辺哲・亀山英一郎)。ポスターその他各種資料には、タイトルが「イヴ十五周年記念作品 責め絵の女」とあるが、実際の本篇に於いては「イヴ15周年記念作品」と開巻ど頭で謳はれ、本篇タイトルは―もしかすると、今2010年新版に限つてのことやも知れぬが―あくまで「責め絵の女」のみ。
 画廊といふよりは何処ぞの飲食店―協力のクラブダウンか―を借り切つて催された、漸く時代に追ひ着かれた異端の美人画家・室生柊青の個展。主催した美術プロデューサー・榊原祐司の妻・弓枝(イヴ)が、柊青の責め絵に見入る。榊原(門田)が美術ライターの矢島修一(亀山)と歓談するところに、秘書の牧村綾子(宗)を伴ひ室生(梁井)が現れる。既に泥酔状態の室生は、エログロ扱ひされ長かつた不遇の時代に拗らせた鬱屈を、場内に爆発させる。そんな不遜な室生も、自作に心を奪はれてゐる風の、弓枝の姿には目を留める。榊原に乞はれ、手伝ひとして室生の下へ向かふことになつた弓枝は、室生宅に足を踏み入れるや目を丸くする。スケッチブックを手に苦渋する室生の前では、縄をかけられた状態で半裸の綾子が、自慰に耽つてゐたからだ。自分は秘書兼半ば情婦も込み込みのモデルであるとの綾子の告白を、呆れるくらゐにジャンル的な清々しさですんなり受け容れた弓枝は、自身も同じ役割を果たす旨求められる。一方、創作中に度々重病フラグを立てる室生は、終に一旦昏倒する。往診に訪れた医師の青柳(渡辺)は、弓枝に衝撃の病状を告知する。三年前に胃の悪性腫瘍を全摘出したものの、今やそれは肺や肝臓にも転移し、室生の余命は幾許もなかつた。それでももつて半年とはいへど入院加療を主張する青柳に対し、弓枝は近親者ですらないにも関らず、芸術家としての天命を全うさせてやるやう、勝手に主張する。長く絵の描けぬ状態の続いた、室生は弓枝に関心を移すと同時に再び筆を執り始め、反面綾子からは心を離す。その嫉妬も交へ室生をいはば金蔓としてしか見てゐない綾子や、榊原の姿に激しく幻滅した弓枝は、自らが室生一世一代の大作を支へ抜かんと、明後日に決意する。
 無頼派気取りのあぶな絵師と、夫からは期待されたミイラ取りの使命も殆ど何処吹く風と、死に急ぐミイラの背中を進んで押す女との、性愛の情欲と創作の情熱とが重層的に交錯する、エクストリームを本来ならば志向したと思しき一作。とりあへず滞りなく進展するお話が掴めなくはないとはいへ、あのイヴちやんがまるで大女優かのやうに映りかねない―その限りに於いては、周年記念を祝ふ看板映画としては申し分ない、ともいへるのだらうが―直截に片付けるならば貧相な布陣と、工夫を欠いた平板な展開からは、狙つた筈の情念の質量なんぞ、凡そ窺ふ術さへない。イヴちやんの美しい裸身にテロンと生温く纏はりつく縄からも、表面的に要求されて然るべき苛烈さなんぞ特には迸らない。一昨日な見所としては、室生が呆れるほど淫らに多用する、吐血ギミック―その鮮やかな赤さからは、吐血といふよりは寧ろ喀血といふべきか―の底の抜けたポップさばかりか。映画全体の薄さから長閑ささへ漂ひかねない、自爆もとい自縛した弓枝を前に、室生が最期の気力を振り絞り画筆を走らせる荒野での一幕を経て、大作「責め絵の女」は完成し、室生柊青は終に絶命する。榊原にも綾子にも素気なく別れを告げた弓枝が、背景に景勝地の滝を置いた上で朱色がひとまづ鮮やかな橋の欄干に、中途半端に緊縛放置されるといふ半分呑気なラスト・ショットの頓珍漢さが、終始痒いところに手の届かない今作を、別の意味で見事に集約してみせる。

 配役残り鏡彩花は、妻を他の男の家に遣つた間に、榊原がのうのうと火遊びにうつつを抜かすホテトル嬢。最早輝かしいまでの、大絶賛三番手ぶりを爆裂させる。今回の名義は藤田佳昭ではなく藤田喜昭は、柊青に招聘される緊縛師。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「異常体験 いぢくり変態汁」(2010/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/原題:『フツーの人たち』/撮影・照明:小山田勝治/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/監督助手:新居あゆみ/撮影助手:石田遼/照明助手:藤田朋則/編集助手:鷹野朋子/スチール:津田一郎/タイミング:永瀬義道/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/現場応援:田中康文/劇中絵:溝淵ゆう子/出演:真咲南朋・倖田李梨・澪・竹本泰志・なかみつせいじ・野村貴浩・日高ゆりあ・松本格子戸)。劇中絵を担当する、“油性マジック画家”とのミズブチユウコの本来の名義は、溝淵ではなく溝渕ゆう子らしいが、本篇クレジットに於いては確かに溝淵ゆう子で打たれてある。セメントマッチが仕出かしたのか、ピンク映画参加用に僅かに弄つた変名であるのかは不明。
 未だ映画を観てゐるだけでの物件の特定にまでは至らぬが、池島ゆたか映画鬼頻出のシティ・ホテルでのあやか(澪)と、合コンで知り合つた編集者・高橋(野村)の情事。何程かクリエィティブな出会ひを求め味見したはいいものの、まるで面白味に欠ける高橋の人間に幻滅したあやかは、相手の腰を下から両足で固定し、自ら腰を激しく使ふ高速ピストンで男を速やかに果てさせる。などといふ、潤ひのない実証性の如何は兎も角、児戯じみた外連が堪らない文字通りのフィニッシュ・ホールドを披露。豪快な荒技で一息に搾り取るや、あやかは無体に高橋を袖に振る。ここで、一人だけ録音レベルがおかしく聞こえる松本格子戸は、あやかが戻つて来たものかと高橋に錯覚させる、冷やかし役のホテルのボーイ。
 タイトル・イン明け、骨董品マニアの老人・加賀州詠(なかみつ)の前に、オクノスミ女子大卒で世知辛い就職活動を嫌ひ現在は骨董屋「懐古堂」アルバイトの、ユイ(真咲)が古伊万里の品々を拡げる。「アタシ、変つてるんです」、だなどと―演出上の―意図的に底の浅さが爆裂する自己紹介をユイが垂れ流すところに、州詠の息子が縁側から上がり込んで来る。息子は人気作家の、加賀永幸(竹本)であつた。永幸の青木賞受賞作「カルマの森」や、代表作「イノセント・ハピネス」の愛読者であつたユイは、誘はれるままにほいほいとミサトな永幸邸―詰まるところは州詠宅も、ミサトスタジオの和室ではあるのだが―へとついて行く。喧嘩の絶えない前妻とは離婚して間もなく、且つポップな色男ぶりを晴々しく炸裂させる永幸にコロッと篭絡されたユイは、元々作家志望であるのもあり彼女兼いはば書生として、永幸邸に住み込むことになる。ここは俄然ピンクのギヤをトップに固定し清々しく愛欲に溺れつつ、永幸の担当編集者である高橋にユイが書いたものをとりあへず見せてみたりもする中、ある日派手に諍ひながら、永幸が元嫁を連れ帰つて来る。元嫁とは、作詞家に女優―更には画家―と一応マルチに活躍する才を誇らぬでもない、暴発的に奇矯な閨秀・安井礼子(倖田)。礼子は他に行く当てがないからとかいふ永幸の方便で、藪から棒にスタートする破目になる三人での同居生活。依然腰から上下の別を隔てず激突する永幸と礼子とが巻き起こす渦の中に、ユイも否応なく飲み込まれて行く。
 結果論としては1/4程度しか何しに出て来たのだかよく判らない絡みレスの日高ゆりあは、あやかの友人・真美。官僚とやらの長田―劇中その声すら聞かせない電話越しにしか存在せず―と自慢げに交際し、あやかの脊髄で折り返した対抗心を掻き立てる。ところで近作の日高ゆりあを観てゐると、もう少し眉毛を描いた方がいいやうに思へるのだが。それともあれか、その公家のやうな顔が、オッサンには与り知らぬ今時の流行なのか?
 今作はウディ・アレンの、「それでも恋するバルセロナ」(2008)の翻案であるとのこと。が、例によつて半ばわざわざお断りするまでもなく、まあこの腐れピンクスがウディ・アレンなんぞ観てゐよう筈もない。寧ろ筆を滑らせれば、「ウディ・アレンの映画が好き☆」、なんてお洒落さんとは話が合ふものか合はせるものかぐらゐの勢ひで、臍の曲がりを拗らせすらする与太者である。なので、その点に関しては開き直つて截然と通り過ぎて済ますが、特段それで、大勢に影響しないやうにも覚える。何となれば、端的に片付けるとウディ・アレンもへつたくれもなく、兎にも角にもオチがないといふ印象に極まるゆゑである。それはユイにもあやかにも、そして真美にも。永幸と礼子、更には州詠まで交へて翻弄され倒した挙句に、終にユイは逃げ出す。すると一種の緩衝材を失つた永幸と礼子は、再びかつてのやうに何物も生み出さない不毛な衝突に終始する。そこで、自らも顧みた上で州詠が息子―法的には元―夫婦に対し、“第三者の存在”として贄となるべきユイのやうな俗物を必要とするのだと二人の本質を喝破する件は、なかみつせいじの安定感も機能し鮮やかに決まる。ところまではいいのだが、そこからユイが何となく高橋とくつゝく一方、若干前後して真美も伴つたあやか再登場には、些か驚かされた。ビリング上も画面からシンプルに窺へる女優としての地力の上でも、澪は明確に女優三番手と思へたからである。そのため、開巻のあやかと高橋の一幕は、三番手濡れ場要員を物語が熟する以前の序盤に飛び込ませる、それはそれとして決してなくはない大胆な戦略かと、勝手に早とちりしてゐたのだ。話を戻すとユイが何となく高橋とくつゝく一方、道端で「ラブ・ミー・テンダー」―竹本泰志は知らないが、池島ゆたかはプレスリーの大ファン―をトランペットで朗々と演奏する、などといふ良くも悪くも破天荒なメソッドを駆使し、永幸はあやかを誘惑。そのまゝ竹本泰志が女優部三冠を麗しく達成する、永幸の対あやか戦で振り逃げてみせる終幕には、激しく拍子抜けした。これでは単に、永幸&礼子のエキセントリック・カップルが、脱ぐ女優がもう二人ゐるからといふだけの理由で、ユイとあやかを順々に捕獲したに過ぎないのではなからうか。それでは作る側の便法があるのみで、一本の劇映画としては少々どころではなく弱い。ユイと高橋が交際を始めたはいいにせよ、結局映画は永幸とあやかで畳んでしまふ―礼子はまだ不在―以上、即ち殆ど通り過ぎられるやうなユイのハッピー・エンドには、一体今作のヒロインは誰なのかと、据わりの悪さばかりも残しかねない。重ねてここは穿ち過ぎであるやも知れぬが、殊更に表層的な真美の描かれ方からは、そもそも電話の向かうの、長田の存在自体を疑はせる契機も成立し得まいか。その点が、先に総括として挙げた“オチのなさ”について、三本柱を成すユイとあやかだけではなく、純然たる端役でしかない真美の名前も加へた所以である。自身の才能を開花させる道具に第三者の俗物を喰らふ、といふ永幸と礼子の造形までは見事であつたが、それを如何に十全な起承転結の中に組み込むかに際しては、必ずしも成功を収めてゐるとはいひ難い一作である。

 只ならぬ不穏な雰囲気を振り撒いておきながら、礼子のファースト・カットが、恐々とユイが見やつた画面奥からスタスタ普通に歩いて登場して来るなどといふ、平板な無造作さには逆向きに呆気にとられた。そこはたとへばカットを変へ、ベタでもドーンと煽るやうな画で迎へる一手間は設けられなかつたか。礼子に関してはほかにも、それなりに扇情的かつダイナミックである筈のポールダンスを、スタジオの使用時間もあるのだらうが白昼の光の中でノッペリ撮つてしまふ点にも、演者を見殺しにしたに近い強い疑問を感じた。永幸や礼子のキャラクターはそれなり以上に魅力的であるだけに、竹本泰志や倖田李梨のスター映画として突破せんとするコンセプトも酌めぬではないが、さうするとそれにしてもどうにも、如何せんキレに欠く部分が散見される。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「欲望温泉 そろつて好きもの」(2004/製作・配給:新東宝映画/脚本・監督:深町章/企画:福俵満/撮影:清水正二/編集:酒井正次/選曲:梅沢身知子/助監督:佐藤吏/録音:シネキャビン/スチール:津田一郎/現像:東映ラボテック/出演:華沢レモン・水原香菜恵・佐々木基子・白土勝功・茂木孝幸・本多菊次朗)。を、プロジェク太上映の地元駅前ロマンにて、「どいつもこいつもみんな好きもの」と改題された2008年新版、ではなく、同年にインターフィルムよりリリースされた殆ど変らないDVD題、「欲望《秘》温泉 そろつて好きもの」として観戦したものである。スチールがもう一人元永斉。
 買物帰りの華沢レモン、左足の踝を右足で掻くカットは、結果論としては特に伏線でも何でもないやうだ。応接間では刺々しい剣幕の水原香菜恵が、本多菊次朗と佐々木基子の老夫婦に詰め寄る。本多菊次朗にはポップな老けメイクが施される反面、佐々木基子は和服を着ただけで特には普段通り。開巻の、物理的にのみ平穏な修羅場の内訳は、温泉ホテル社長・川合(本田)とその妻・梅子(佐々木)の息子・太一(白土)が、勤務するゆり(水原)が社長を務める芸能プロダクションの金を一千万持ち逃げしたといふ騒動。そんな次第で今作の舞台は御馴染み水上荘、ではなく、今回は塩川温泉廣友館、旅行ブログか。
 川合は警察に通報するなり告訴するなり好きにしろと、一旦はゆりに啖呵を切つてみせる。とはいふものの何のことはない、案の定帰つて来てゐた太一は匿はれてゐた。現金にも口止め料として三百万を寄こせといふ川合に対しては廣友館の従業員・洋子(華沢)との、強欲にも一千万全額を要求する梅子には同じく板前の藤巻(茂木)との不倫の事実を逆手に取り、太一は両親を撃退する。まあ確かに、欲望温泉の面々が、揃つて好き者ではある。根本的に顧るならば、欲望惑星の面々が、揃つて好き者でもあるのだが。洋子は洋子で太一とも関係を持ちいはゆる親子丼を達成する一方、部屋を掃除する呑気なカットを都合二度も費やし、所在に関して太一が口を割らない、一千万の行方を探る。ところで、オープニング・シークエンス時より、川合は正体不明の激しい偏頭痛に度々見舞はれる。よもや重大な腫瘍か何かではあるまいやと、終に重い腰を上げた川合は町の診療所へと向かふ。後に2シーン登場する診療所の山口先生役は、見慣れぬ顔であるのと情けない上映画質とに阻まれ、特定不能。
 直截にいふと、予想される以上―あるいは以下か―のルーズさが、漫然と別に火も噴かない一作。診察を経て明後日に思ひ詰めた川合の、他愛もない落とし処も容易に予想し得る重病杞憂を、一体如何にドラマの中で機能させるものかと思ひきや。藤巻相手にディスコミニュケーションが麗しい件を通過するところまではいいとして、その後に華沢レモンと水原香菜恵との絡みを二つ重ねる時点で、展開が一旦手にしかけた求心力も一昨日に失し、完全に物語が濡れ場に呑み込まれてしまつてゐる。水原香菜恵の裸も盛り込む方便とはいへ、ゆりが藪から棒に廣友館を手中に収めることを思ひ立ち、川合篭絡に動き始める件は幾らピンクとはいへ粗雑に過ぎる。挙句に万事を華沢レモンに背負はせる終盤の大技といふか荒技は、流石にあまりにも乱暴で、未完の小さな大女優にも些か荷が重い。稚拙な姦計に全てを失つた川合の、「ノーイッケツーッ!」のシャウト―いはずもがなを注釈すると、“脳溢血”である―には、浜岡賢二の『浦安鉄筋家族』実写版とでもいふべき妙な突破力が漲り、それでも意外に何となく据わりが良いかのやうに映画を無理矢理締め括る。

 以下は再見に際しての付記< 山口先生役は、派手に老けメイクを施した佐藤吏


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ