「美姉妹肉奴隷」(昭和61/製作:にっかつ撮影所?/提供:にっかつ/監督:藤井克彦/脚本:大工原正泰/プロデューサー:鶴英次/撮影:鈴木耕一/照明:熊谷秀夫/録音:伊藤晴康/美術:和田洋/編集:奥原茂/助監督:北浦嗣巳/選曲:細井正次/色彩計測:福沢正典/現像:IMAGICA/製作担当:渡辺康治/出演:赤坂麗・清里めぐみ・志水季里子・野仲功・仙波和之・隈本吉成・金田明夫)。
最初に映る女の尻が、てつきり男に跨つてゐるのかと思ひきや。馴初めなり素性を最後まで何もかもスッ飛ばし木に百合を接ぐ、しかも結果的にこゝの短い一幕でしか脱がない、三番手をアバンに飛び込ませる電撃作戦が鮮やかにキマる。歯科医の弓岡麗子(赤坂)と、患者でもある田崎まり江(志水)の絡みを気持ち見せたのち、麗子がドヤ顔で駆る赤いセダンにタイトル・イン。本篇冒頭、麗子が開業したての、「弓岡デンタルクリニック」。を、マンションの外壁ごとセットを組んでみせるのは、いゝとして。窓の外から寄るカメラが、まり江が載せられた診察台までカットを割らずに辿り着く。ドリーミンなドリーインは壁が―襖の如く―左右に割れる舞台装置的な機構でも採用してゐない限り、流石にどう撮つてゐるのか素人目、ないし節穴には目星すらつけ難い。
かゝつて来た電話には麗子が出て、姉との関係を知つてゐるのかゐないのか、歯科助手と受付を兼ねる妹の恭子(清里)はまり江を不愛想に送り出す。そこ実は、終ぞ明確に埋められないまゝの外堀。次の患者・滝良平(野仲)が、藪から棒にナイフを突きつけクリニックをジャック。勤めてゐたサラ金「しあはせローン」の金庫から、三千万―しあはせが出した被害届は一億―窃盗した滝の住居がまり江の隣室。お隣と逢瀬を重ねる麗子をその人と知つた上で、滝は医院を襲撃したものだつた。「何が目的なの!」麗子が滝に問ふたところ、脊髄で折り返す速さの答へが「脱げ」。当然姉妹が大人しく脱ぐ筈もなく、滝が先に剥くのは恭子。激しい動きの中躍動的に弾む、清里めぐみの大きな大きなお胸は勿論素晴らしい。絶対素晴らしいし永遠に素晴らしいけれど、妹を庇ひ自ら裸になる麗子の、最終的におパンティも足から抜いた観音様を、男の肩で隠すさりげなく超絶の画角。裸映画が律との熾烈な攻防戦の果て到達した、何気に芸術的な様式美をこそ完璧と貴びたい。とまれ一見、お誂へ向きに舞台が整つた風に錯覚しかねなくもない、ものの。近場に留まつてゐないで、滝とつとと逃げればいゝのに。あるいは、単なる所謂ヤリ部屋といふならまだしも、後々明かされる、滝と同じ安アパートにまり江も暮らしてゐるとなると、通院時の上品ぶつた和服姿と如実にちぐはぐな、間違つても高くはなささうな実際の生活水準。大きめのツッコミ処が決して少なくなければ、別にこれで全てといふ訳でもない。先がまだまだあるのね、もしくは底。
一旦兎も角、配役残り。清々しい横柄さが憎々しい仙波和之は、開業時にも資金提供してゐる、麗子の恩師・正木義明。追加の援助と引き換へに、事実上の愛人契約を教へ子に迫る。中華レストランで飯を食ひながら、「このホテルに部屋を取つておいた」。人生に於いて、一度は口にしてみたい台詞のやうにも思へつつ、如何せんこの男万事不調法につき、二三遍―上手いこと―生れ変らないと無理にさうゐない。隈本吉成は劇中二人目の通院患者、ゲイバーのママさん的な造形のオカマ・クマダトラキチ、漢字は熊田寅吉かな?金田明夫は、寅ママを使つた麗子の機転で弓岡デンタルクリニックを訪れるのは訪れる、役立たずの制服警官、手配写真くらゐ目を通せ。その他十人前後、軽く見切れる程度の頭数が投入。声のみ聞かせる、滝の盗難事件を伝へるニュースを読む男声の主に、聞き覚えのあるやうな気もしつつ特定不能。
美姉妹ならぬ、肉奴隷シリーズ第三作の藤井克彦昭和61年第一作。尤も論を俟たず、連作とはいへ大してどころかまるで連関するでなく。美姉妹にせよ肉奴隷にせよ、意味なんてサラッサラない端から求めちやゐない無造作な潔さは、量産型娯楽映画にとつて一つの本質を成す、消費文化と限りなく同義のポップなる概念の神髄といへるのではなからうか。
幸せを盗んだ男が、美姉妹を肉奴隷にする。一旦絵図通り功を奏するかに思はせた、恭子の腕に巻いた包帯にカプセルを仕込んだ、麗子発案の眠剤コーヒーは当の麗子がかけた電話で水泡に帰す。ガラスで乳房が潰れるど定番の御約束モチーフも臆面もなく、もとい敢然と撃ち抜くエクストリームな風呂場責め。そし、て。半死半生の状態で譫言を口にする滝の口元と、画面左半分を清里めぐみのオッパイで一杯に塞ぐ、一撃必殺にして空前絶後のスーパーショット。部分的には緻密な劇映画と、志水季里子の扱ひが甚だ軽い不足さへさて措くと、超攻撃的な裸映画。正方向の見所も、普通に盛沢山。そして隙あらば高所から撮りたがる、煙のやうな撮影部の半歩間違へば強迫的な悪癖と紙一重の俯瞰傾倒は、本篇頭のドリーミンドリーをある意味拾ふ形で、室内にも関らずあり得ない高さと勢ひでグワーンと天井方向に引くラストカットに結実。始めと終りでセットの利点を遺憾なく発揮、案外綺麗に映画を締め括つてみせる、そこだけ掻い摘めば。
さうは、いふてもだな。凌辱者の滝に、何時しかといふか直截には何時の間にか、恭子が姉に対抗心すら燃やすほど入れ揚げて、ゐたりするしまつてゐる。幾らストックホルム症候群とかいふ、使ひ勝手だけは悪くない一人歩き方便もあるとはいへ、大概へべれけな論外作劇。滝よりも寧ろ恭子の方が酷い、異性愛―とシス―しか認めない露骨なセクシャリティ差別といひ、所詮昭和の四文字で片づけ得る事済ますのも許されよう、時代の波に押し流されて構ふまい、押し流されるに如くはない過去の遺物。「ギャー!」辺りの、何某かレギュレーションでも存するのかと首を傾げたくなるくらゐ、類型的にぞんざいなカット割りをも微笑ましく言祝ぐに足るストレージの余裕を、当サイトは未だ獲得してゐない、特に欲してもゐない。正負のベクトルが壮絶な撃ち合ひを展開した末に、逆の意味で見事な大爆散を遂げる一作ではある。
蛇に足でも、生やしてのけるか。美姉妹“を”ではなく、美姉妹“の”肉奴隷。公開題に仕掛けられた、叙述トリック的な変則は面白い。
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