真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「むちや振り開花中 浮気つ娘と火照り妻」(2023/制作:オフィス吉行/提供:オーピー映画/脚本・監督:吉行由実/撮影:倉本和人/録音・編集:西山秀明/助監督:松岡邦彦/制作主任:古谷雷太/VFX:中野貴雄/選曲・効果:うみねこ音響/整音:竹内雅乃/監督助手:吉永圭一/撮影助手:郷田或/スチール:本田あきら/ポストプロダクション:スノビッシュ・プロダクツ/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:幾田まち・愛葉るび・広瀬結香・可児正光・野間清史・吉行由実・石川雄也)。封切り僅か三週間の驚愕電撃配信をエク動が敢行してのけた、自身三本目となるデジエク第十弾「憂なき男たちよ 快楽に浸かるがいい。」(2019/脚本:金田敬/主演:並木塔子)まで遡るのかと、思ひきや。松岡邦彦の新作ピンク参加が、吉行由実2020年第一作「小悪魔妻 美乳で誘ふ」(主演:琴井しほり)の矢張り助監督以来。
 女の子がバニーガール姿で接客するガールズバー「Bunny Girls」の、遣り取りを聞くにバイトではない店員・花子(幾田)の居室、苗字は恐らく戸口。花子と一年間の円満不倫中、写真が趣味で花子がモデルのバニガ看板も撮影した、劇中一度もスーツを着てはゐない会社員は会社員らしい悦男(石川)との逢瀬。カメラを向ける悦男の求めに、気軽に応じた花子がぺローンと脱ぎ始めタイトル・イン。線は少なくも、前作「パーフェクト・キス 濡らしてプレイバック」(主演:花音うらら)に引き続き、タイトル画面がシュッとしたグリッドレイアウト、今後定型にするつもりかしら。それはさて措きこの、あれこれ考へるのに途中で草臥れたかのやうな、精度の甘々なぞんざい公開題はもう少しどうにかならないものか。
 登場人物一部後述、職場の先輩であつた悦男と結婚。目下子供のゐない専業主婦の友恵(愛葉)は、帰宅した夫が脱いだ上着をなほさうとして、ポッケのデジカメから花子の存在を初めて知る。偶さか見つけたとの看板で職場を特定した、友恵が出勤時の花子を直撃、といふ風でもなく穏当に接触。怒り狂ひもせず、寧ろ悦男を間に挟んだ花子との御縁すら肯定する不可思議な友恵に、当然当惑を隠せない花子が頭を抱へる一方、花子と一緒の―児童養護―施設育ちで、出張ホストの潤(可児)は半ば腹を抱へる。出店資金を貯めるべく、パブ店員も兼職し奮闘する潤が出したいのは、男娼を売る店に非ず多分何か飲食。ヒロインの幼馴染である可児正光は料理上手といふのが、実は前々作「ママと私 とろけモードで感じちやふ」(2022/主演:花音うらら)とほゞ全く同じ造形。余程吉行由実の琴線に触れるか、理想を反映してゐるにさうゐない。
 改めて配役残り、野間清史は往来で花子と再会する、実父の戸口。吉行由実が戸口の再婚後継子の花子を苛烈に忌嫌ひ、最終的にガチ放逐した鬼義母・昭恵。さういふ放埓な非道がある意味許されるのは、劇中現在昭恵が戸口と普通に社会生活を送つてゐるゐられるのが不思議なレベルの、激越な虐待が行はれてゐた場合にでも限られるやうな気がする。それは放逐なのか、保護なのか。吉行由実も兎も角、刹那的に御役御免の野間清史に話を戻すと、別にこの人がゐなくとも花子の出自は簡単な説明台詞で全然片づきさうな、藪蛇な出演具合は四ヶ月前の「誘惑ママさん レッツラ性春!」(監督:国沢実/脚本:高橋祐太/主演:一条みお)も想起させる。兎に角とかくこの辺り、徒にヘビーな設定を持ち出しては、別に深めるでなく。事もなげにケロッと流してしまふのは近年の吉行由実に特徴的な、邪気のない無頓着。閑話、休題。小栗はるひ第二作「快感メモリー 私が、い~っパイ」(大矢直樹と共同脚本/今村日那乃・紫月ゆかりとトリプル主演)からの二戦目となる幾田まちが、以後髙原秀和大蔵第八作(番手不明)と、吉行由実次作(主演)に継戦。次作一旦退場する、愛葉るびも吉行由実のex.ツイートを見るに、仕上がつたばかりの最新作には加はつてゐる模様。対して、パーキスと二作三番手を務めて打ち止めぽい広瀬結香は、潤と種々雑多なプレイをヤリ尽すほどの、ハードコア常連客・ゆかり。会話を窺ふにこの人も風俗嬢臭いけれど、厳密には職業不詳。その他バニガを主に、若干名の客要員―と店長―が投入される。その中に、松岡邦彦も含まれるのかな。
 令和六年十月十三日、公式ブログで発表されてゐる小倉名画座の番組(10/11~10/17)は、工藤雅典大蔵第五作。で、あるにも、関わらず。関らずー!大きな声を出すな。博多から小倉まで、JR鹿児島本線に揺られいざ小屋に赴くや、変更のアナウンスが少なくともWEB上では特にも何も一切見当たらないまゝ、翌週―の筈―の吉行由実が上映されてゐた2023年第二作。伊達政宗公のオフィ吉ロゴにど頭度肝を抜かれつつ、かうなつたらもう仕方ないと脊髄で折り返し、慌てふためきながらも純然たるゼロ準備でスクランブルした次第。今作の中身自体には案外首を縦に振つたものの、正直KMZには頭来た。かうなると何時かゝるか判つたもんぢやない、工藤雅典はもう外王戦で事済ます。当日時点で、未だ円盤の発売日すら出とらんがな。ち、なみに。併映は、既出の情報通り佐藤寿保1991年第一作。マズルの塞がれた、即ち弾が前に飛ぶ訳のない改造銃がメイン得物の、そこから底の抜けたファニー映画。
 まづ同一女優の比較でいふと、幼ささへ残した前回の今日子ver.二十歳と、今回の自活してゐる花子との対照は、小栗はるひのあれで満更でもなかつた、演出の成果を酌み取るべきなのであらう。幾田まちの演技スキルが、殊更高いのでなければ。花子と悦男が呑気に乳繰り合ひ続ける、安穏とした裸映画。実属性であるスピ風味も気持ち覗かせ、とかく掴み処を欠いた友恵を、花子と潤の二人が生温かく持て余す地味にアップデートされた人情喜劇。それと可児正光の色男が火を噴き倒す、軽くチャラいハーレクイン。よしんばちぐはぐなまゝにせよ、並立する三本立ての骨子が何れもそこそこの水準で安定。小倉名画座に仕出かされた不実に対するレイジも気づくと忘れ、珍作の類に属する前作と、自堕落極まりない前々作。何気に吉行組三本ぶりの白星を、何とはなく楽しめた。三番手の二回戦で展開を大きく動かし、クライマックスへの道筋も整へる。口先―と小手先―ばかりの荒木太郎が出来た例(ためし)の滅多にない、ピンクで映画なピンク映画の肝要を成す、慎ましやかに論理的な構成は震へるくらゐ秀逸にして狂人、もとい強靭。そし、て。カニ・クルーズ渾身の一撃で轟然と雪崩れ込む、二番手による事実上締めの濡れ場。所詮体液交換に過ぎない入れポン出しポンを、キッラキラに輝かせてみせるお花畑ないし絵空事と紙一重のきらめきこそが、吉行由実にとつて最大の持ち味となる主力エモーション。エピローグ的なビリング頭の裸見せ噛ませ辿り着く、のも通り越し捻じ込む。割とでなく力業の大団円をも、思ひのほか大人しく円滑に見させるのは、作家としての成熟の由。
 備忘録< 花子×悦男&友恵×潤のカプリングで、ビリング頭二人がそれぞれ御懐妊


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 「宇能鴻一郎の伊豆の踊り子」(昭和59/製作:ニュー・センチュリー・プロデューサーズ/配給:株式会社にっかつ/監督:藤浦敦/脚本:池田正一/原作:宇能鴻一郎⦅問題小説掲載⦆/プロデューサー:結城良煕/企画:小松裕司/撮影:森勝/照明:内田勝成/美術:川船夏夫/録音:福島信雅/編集:西村豊治/音楽:ジミー・時田/選曲:山川繁/助監督:崎田憲一/色彩計測:喜久村徳章/現像:東洋現像所/製作担当者:香西靖仁/製作協力:伊豆長岡温泉 小川家旅館・伊豆長岡観光協会/出演:朝吹ケイト・小田かおる・中川みず穂・石井理花・津川和也・荻原賢三・島村謙次・浅見小四郎・森口修・浜口竜哉・沢田情児・佐竹一男・土橋亭里う馬・喜田晋平・泉じゅん⦅特別出演⦆・松川ナミ)。出演者中、石井理花がポスターには石井里花。たゞどうも、里花の方が正しいみたい。製作をNCPとしたのは、日活公式サイトに従つた。
 タイトル開巻、即モノローグ起動。「幸せ、こんないゝことつてあるかしら」、「洋介つてかういふこととつても上手いんです」。ストリップ一座「フラワーショウ一座」の花形・月影さやか(朝吹)と、舞台の司会進行兼、さやかのヒモ・洋介(森口)の情事。を襖の隙間から覗く、矢張りストリッパーのカンナ(中川)と虹子(石井)が百合を開花。させた更に隣の間で、アテられた座長の蝶子(松川)とケン(浅見)もオッ始める。のつけから十分を費やし、一同総動員の組んず解れつが盛大に繰り広げられる、女優部全軍投入に限りなく近い大濡れ場がまづ圧巻。初めて見たけれどパンチの効いた、石井理花のオッパイがヤバい。オッパイがヤバい、世界一馬鹿馬鹿しいセンテンスでギネス載れないかしら。
 ザックリ配役残り、荻原賢三と沢田情児は当地を牛耳るドメスティック有力者の太田黒と、その倅・昌也。津川和也は、一座の巡業車がチャリンコを追ひ抜く大学生・草間トシオ。ドロップハンドルの、今でいふブラケット部分にブレーキレバーだけ直付けした、グルッと一周して斬新なビジュアルが琴線に触れる。一旦トシオを追ひ抜いた、車が故障。携帯電話なんて、未だ誰も持つてゐなかつた時代。代車を乞ふべく、トシオの二尻でさやかが単身長岡温泉を目指す。小田かおると浜口竜哉は、この人がトシオを伊豆に呼んだ、大学の同級生である苗字は恐らく小川美佐子と美佐子の父親にして、一座の目的地で実名登場「小川家旅館」の主人・幸次郎。泉じゅんは、小川家への道すがら異変に気づいたトシオが助けに入る、二人組の暴漢に襲はれてゐたカノウ雅子、脱ぐのは半裸に剥かれるまで。土橋亭里う馬が暴漢A、目出し帽で全く人相を窺はせない暴漢Bもゐつつ、ex.立川談十郎自体、その人と平易に識別可能な形で捉へられてゐる訳では必ずしもない、何故わざわざ連れて来た。島村謙次は小川家の番頭、半年ぶりの再会で虹子と熱く情を交す仲。佐竹一男は、「睦芸能社」を構へる興行師・花沢。そして、蝶子相手にはヤクザ以外の何物でもない花沢が、かゝつて来た電話にさへ平身低頭する喜田晋平は、お忍びで遊びに来る代議士センセイ。その他、ストリップ小屋「温泉劇場」に投入される観客要員のうち、二人をカンナが板の上に上げこそすれ、どちらも本職俳優部ではなささうに映る。
 とりあへず、中盤の頭に伊豆で踊子と学生がミーツはするのと終盤、話の出汁程度にフィーチャされる身分の違ひに関しても、河原者とさへいはないものの、漂泊の旅芸人に対する差別意識を美佐子が露にする。あとは「踊り子と私」像越しの初景滝を、一応一拍挿み込むくらゐ。だからウノコー看板だろ!と居直られればぐうの音も出ずそれまでの、カワコー原典風味はほゞ絶無に等しい藤浦敦昭和59年第一作、ロマポ通算第十四作。大体、セイガクが踊子と都合四度、最低でも五回戦まで致してのけるのは、そこは量産型裸映画の本義、逆らふたとて始まらない。尤も、かといつて宇能鴻一郎版『伊豆の踊り子』の、たとへばどの単行本なり文庫本に所収されてゐるのかといつた詳細には、事この期に及ぶと手も足も出せず辿り着けないのに加へ、そもそも主人公からトシオでなくさやかの始末。再度、あるいはよりラディカルな尤も。それにしてはそれにしてで、こゝぞといふところで“あたし”がジューンと来もしない、さやかの宇能鴻一郎調モノローグ、縮めてウノローグ自体甚だ詰めの甘い体たらくであつたりもする。
 娯楽映画らしい紆余曲折を間に挿み、カメオの泉じゅんを除き女の裸もふんだんに盛り込んでの出会ひ、そして別れ。裸映画と劇映画、何れも高い水準でまとまつた手堅い出来映えで、藤浦敦の最高傑作は、もしかすると本作なのかも知れない、とか思ひかけ、ながらも。地雷の起爆装置が地表に露出、あるいは、起動ノイズが爆音を鳴らしてゐなくもない。
 太田黒が謎の強大な権力で無理強ひする、美佐子とトシオの婚前交渉白黒ショー。なる超飛躍を成立せしめるに足る外堀は、決してはおろか凡そ埋めようとする営みを頓着もなく放棄。世辞にも満足に、物語が体を成してゐるとは認め難い。反面、クライマックスの御前白黒は、一座の本番要員たるカンナを浮気者のケン共々、裏切者と蝶子が放逐してゐる刃傷未満の色恋沙汰を最大の布石に、絡みを基に展開を構築する、強靭なドラマツルギが見事の一言。その際、さやかに踊子衣裳を着せてみせ、臆面もなくど真ん中中のクッソど真ん中に火の玉ストレートを放り込む。腹の座つたポップ性も麗しいが、衝撃の相見まで尺を稼ぐ目晦ましに、天狗の面をトシオには被せてゐる何気な論理性も心憎い。さやかが車の窓から、次第に遠ざかるトシオに手を振る。絵に描いたやうな別離がエモーショナルな、タイトルバックも賄ふラストに際して。最終的にビリング頭が終ぞ心許ない一方、地味に地力の差を見せつけるのが二番手。表情と素のお芝居を抜けば抜くほど不安に苛まれる朝吹ケイトより、刻一刻変る状況に応じてトシオとの距離を的確に表現する、小田かおるにどうしても関心が向いてしまふのは最早御愛嬌。何だかんだの末辿り着いた、大団円の安定感は盤石。とはいへ、山々を展望するロングが微妙に雲の多い、天候の不遇は―多分藤浦敦の―日頃の行ひとさて措き、さて措けないのが四番手と、島村謙次の逢瀬。島謙の眼鏡に、照明を映り込ませるプリミチブな粗忽は腐れピンク映画如きと格の違ふ、天下のロマンポルノ様にしては大いにらしくない。
 捩曲つた心性を隠さうともしない、憚りを欠いた憎まれ口は兎も角。それもこれもの全てを霞ませる、兎にも角にもな敗因は。人心を主に劇中世界の有様も風景も、何から何まで純和風の温泉裸映画に、音量から徒にラウドな、a.k.a.ダンディ立川―七代目立川談志から貰つた名跡―ことジミー・時田による、カントリー・ミュージックが壊滅的に親和しないのがどうもかうもかどうしやうもない致命傷。劇伴て言葉知つてるか、伴へよ。そぐふそぐはない以前に、前に出て来んな、久石譲でもあるまいし。土台日本人男女による睦事と、カントリーが呆れ返るどころか吃驚するほど合はない、絶望的か根本的なミスマッチの火に油を注ぐのが、惚れた男と離れるために、別の女を呼ぶ。絶好か格好の、本来滂沱の涙を搾り取る筈の泣かせるシークエンスで、木にクレメンタインを接ぎ続けるちぐはぐ通り越して木端微塵の選曲は、全体如何なる悪い冗談か。藤浦家単位で―三遊亭―圓朝の名跡を預かり、要は落語界に顔が利くのを鼻にかけた、他愛ない自意識が自作を一円も二円も安くしたと首を傾げるほかない、自業自得か自縄自縛に類する一作である。
 忘れてた、照明部に劣るとも勝らず、宜しくないのが美術部。欠片のヤル気も感じさせぬ、フラワーショウ一座営業車のセコい造形は激しくお粗末。あとトシオが繙く、『伊豆の踊り子』の表紙が背表紙を侵食する―著者名の見当たらない―謎文庫は、見た感じ、新潮に軽く手を入れたプロップではなからうか。
 もひとつ、今度は本質を宿す細部を忘れてゐた。前述した婚前白黒ショーに、一座の全員で固唾を呑むカット。中川みず穂が松川ナミも向かうに回し、確かか明らかに他とは一線を画す、強度の異なる眼差しを勿体ぶりもせず撃ち抜く。

 草間号(ザ・仮称)のカッチョいゝブレーキレバーに話を戻すと、今時のブラケットポジションの文字通り礎を築く、ブレーキ操作と変速を一本のレバーに統合した、STI“シマノ・トータル・インテグレーション”が最初に発表されたのが元号も既に跨いだ1990年。往時のシフトレバーは主にダウンチューブ辺り、即ちハンドルに生やすのはブレーキレバーのみといふのが当たり前の、感覚ゆゑに成せる意匠か。と、なるとだ。別に四十年後の現在に於いても、ドロハン乃至トラハンの、シングルスピードなら昭和レバー(ウルトラ仮称)狙へる寸法。


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 「堕ちてゆく人妻 覗かれた情事」(2002/製作:レジェンド・ピクチャーズ/監督:松岡邦彦/脚本:黒川幸則・松岡邦彦/プロデューサー:江尻健司・深谷登/撮影:林健作/録音:岡林正美/キャスティング:伊東守/助監督:永井卓爾/撮影助手:谷崎仁/監督助手:吉田修/メイク:島田万貴子/編集:桐畑寛/音効:藤本淳/スチール:山本千里/制作:山田剛史・竹田比呂子・伊藤敏則/協力:KSKスタジオ・フォーピース・キノックス/制作協力:セゾンフィルム/出演:ゆき・桑折一智・折原栞・吉田祐健・吉村智仁・森士林)。
 深夜の仁科家、配偶者の遅い帰りを、大概待ち草臥れた風情でex.横浜ゆきが仏頂面。いきなりだけどだから、何故さういふシークエンスで、時計の文字盤一枚挿み込む手間を端折るか拒むの。気を取り直して、先に進む。結婚記念日(七回目)のプレゼントに用意した、長包みを朋子(ゆき)は呆れ果て放る。二十有余年前とはいへ、往時でもとうの昔にこれはないだらうと吃驚するくらゐ、クソよりダサいスローモーションで長包みが弛緩した放物線を描き、ポテンと落ちた床にタイトル・イン、一応一分ジャスト。尤も、ワンカットたりとて気の利くなり気合の入つた画の見当たらない、早速漫然としたアバンに暗雲の如き不安が垂れ込める。こんな調子といふか、より直截にはそんなザマで何でまた、このVシネは79分もあるのか、長めのロマポと変らない。
 結局朋子が寝落ちてゐると、夫の健一(桑折)が漸く帰宅、何時か知らんがな。ところでこちらの御二方、健一の趣味は釣りで、一人で行けばいゝものを付き合はされた朋子が、傍らで本を読んで過ごすのが大体休日の常だつた。そんなこんなで朋子が買つて来たのは、貰つた健一が普通に大喜びするテレスコピックロッド。一方、健一も買つて来てはゐたのが、屋外で読書するのにお日様が眩しくないやうにと、見るから適当なサンバイザ。サwンwバwイwザwww、綺麗な落差に草でも生やしたくなりつつ、2002年は未だ、そのレトリックが生まれるには些か早いか。とまれ、改めて呆れ果てた朋子がサンバイザを放り捨て、健一に対しては、カーペットの上に転がつたまゝの長包みを顎で示す。その時点でキレた健一の踵が飛んで来ない、夫婦以前の基本的な人間関係を当サイトは理解してゐなければ、理解を試みようとも別に思はない。全体大丈夫かこの松岡邦彦、全然大丈夫ぢやないんだが。
 兎に角、健一が何時も通り朋子も連れ渓流釣りに向かつた、どうせ近場の山の中。配役残り森士林(ex.根本義久)はそこで仁科夫妻と再会する、三人大学同期の野島俊。健一に渡した名刺の肩書が、夕日新聞株式会社所属のフリーライター。その自由は、本物なのか。ツッコミ処しかねえのかこのレジェンド、ないんだな、それが。野島と一緒の折原栞は、風俗体験ルポの取材でミーツしたセフレのエテ公ならぬエテ子(超絶仮名)、職業キャバ嬢。一応線の細いイケメンはイケメンの、吉村智仁は野島行きつけの店(屋号不詳)のバーテンダー。祐健退店時、「有難う御座います」をいふ―だけの―タイミングを捕まへるのに四苦八苦か右往左往する、お芝居は劇的に出来ない人。そして松岡邦彦らしさを担保、しきれない吉田祐健が野島の友人・スーさん。スーさんといふのはもしかすると鈴木や須藤の類に非ず、スーサイドのスーかも。
 飛び込んで来る、ほどでもなく。地元駅前ロマンの番組に紛れ込んだか忍び込んだ、レジェンド松岡邦彦にぼんやり出撃、真面目にせれ。制作自体は前年らしいものの、多分フィジカル発売日準拠のjmdbに従ひ、2002年作として取り扱ふ。
 何れかの実家が太い可能性を留保、しながらも。健一とも三十前後の若さにして、朋子はそこそこの戸建で専業主婦。要は贅沢な倦怠期を拗らせた人妻が、今は単なるヤリチンと化した男前の旧知に、偶さかよろめいてなんか、してみたり。やがて迎へた決定的な危機は、跨ぎの力学―ないし文法―で有無をいはさず遮二無二雪崩れ込む、締めの夫婦生活で勢ひ任せに誤魔化すか、何となく茶を濁す。今回この期に本町館公式を通して知つたのが、今西守が黒川幸則単独の変名、ではなく松岡邦彦との共有。無駄に長大なランタイムに劣るとも勝らず、斯くも屁より薄い物語―の脚本―に、二人がかりで何をやつてをるのかといふ根本的かつ、限りなくレイジに近い疑問が兎にも角にも強い。たゞ単に面白くない、詰まらないに、止(とゞ)まらず。朋子が最初に野島宅を訪問した際、玄関ドアを完全に開け放し、寝てゐる野島の異常者ぶりも凄まじいが、朋子と入れ替りで現れる、エテ子が往来にて朋子と擦れ違つてゐるのであれば擦れ違つてゐたで、それを撮らない意味が判らない。在りし日のセイガク時代、多分一度きり朋子と野島が接吻を交した、ビデオ映像が残つてゐる―寸前までは朋子を野島が普通に撮つてゐた―のは、一体撮影者は誰なの。出奔時確かに朋子は手ぶらであつたにも関らず、関らずー。何でそのサンバイザが其処にあるの!何次元の狭間から降つて来たの!?差しつ差されつで今西守はべろんべろんに酔つ払つて脚本を書いてゐたのか、時空をも歪ませるモチーフには度肝を抜かれた。この手の底抜け粗忽を目にする度、常々不思議なのが現場で誰も何も思はなかつたのか。全員でハッパでもキメキメ、ラリパッパ撮つてたのか、何時代の話だよ。焦土と化した映画間違へたVシネに、なほナパームをバラ撒き続けるのが、首から下は綺麗な二番手。横から見ると顕著な猿面、なのに腹立たしいアヒル口。憎まれ役ゆゑ順当といへば順当な、鬱陶しい通り越して憎々しい造形を、ただでさへ覚束ない口跡が再加速。エテ子があまりに憎くて憎くて憎たらしくて、途中退席してしまはうかと幾度と逡巡したのは、流石に幾らヒールにせよトゥーマッチ。頼みの綱の祐健も、重低音の殺意もとい悪意を響かせる十八番的な見せ場にすら恵まれず、コミックリリーフにも頼りない、何しに出て来たのかほとんど全く釈然としない体たらく。唯一正方向の見所は、気持ちピンクより甘めに映る、こゝまでノー修正で許されるのかと、軽く驚かされる結構攻めてゐなくもない濡れ場くらゐ。繰り返すか蒸し返すと、撮らない朋子とエテ子の交錯。撮つたら撮つたで誰が撮つてゐるのかと、何処から湧いたサンバイザ。一つで十分致命傷の瑕疵が、三機編隊でジェット・ストリーム・アタックを敢行してのける敢行しやがる、ある意味見事な爆散ぶりが唯一のハイライト、ベクトルの正負なんて訊かないで。イタリアは松岡邦彦より黒川幸則の趣味か、執拗にソンニロードは木に竹を接ぎ続ける。健一が暴れトッ散らかつた居間を、先に帰宅した朋子が片づける一幕。傾いた壁の絵を直すのは、いゝけれど。依然曲つてゐるプリミチブな無造作とか、もう完璧と言祝ぐしかない、逆向きに。一見、箸にも棒にもかゝらぬペッラペラに思はせ、案外なかなかブッ壊れた何気にキナ臭い一作。単に、惨憺たるともいふ。最後に再確認すると、これで尺は際限なく途方もなく果てしなく長い、驚愕の79分、苦行かしら。


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 「セックスドキュメント 連続婦女暴行魔」(昭和50/製作:和泉プロダクション/配給:ミリオンフィルム/監督:和泉聖治/脚本:神田生男・早川崇/撮影:原一男/照明:花田二郎/助監督:荒井慎一/効果:秋山実/編集:竹村峻司/録音:東音スタジオ/現像:ハイラボセンター/協力:ホテル目黒エンペラー/出演:珠瑠美・沢和美・小川美樹・牧圭子・藤ひろこ・高橋恵子・島今日子・河野みどり・相川絵里・港雄一・吉岡一郎・佐川二郎・中台明・三島はじめ・木南清・荒井真・野々村注)。出演者中、藤ひろこと島今日子に相川絵里が、スピードポスターでは順に藤ひろ子・志摩京子・相川エリ。島今日子と志摩京子、音は同じながら凄まじく違ふ。といふのは兎も角、如何にも変名臭い、共同脚本の神田生男といふのはもしかしたら、和泉聖治の父で神田生まれの木俣堯喬かも。ついでといふては何だけど和泉聖治の生地は横須賀で、珠瑠美は世田谷。
 別にプロ鷹と実質は変るまいが、初見の和泉プロダクションに軽く驚く、珠プロないし瑠美プロもあんのかな。照明なる役割もしくは概念の欠如で、大概見えない夜道。後ろからついて来る白シャツの男(後述)を、黒い服の女(いきなり不明)がやり過ごしホッとしたのも束の間、改めて襲はれ犯される。平手で失神した女にもごもご腰を振る正常位に、メタファなのか蜘蛛の画を挿み込んでタイトル・イン。矢継ぎ早“アキヤマセイジ二十二歳、連続婦女暴行容疑で逮捕”とど定番の都健二によるナレーションと、クレジット起動。アバンは刑事二人(佐川二郎と三島はじめ)に対する、アキヤマ(吉岡)の供述といふ寸法。今作、表面的な二つの特徴が、大した意味も成さぬまゝ矢鱈濫用される煩瑣なインサートと、吉岡一郎(a.k.a.吉岡市郎/or 吉岡圭一郎/or 北浦圭一郎)が堺勝朗のアテレコ。
 正直この時代の女優部に手も足も出ない、配役残り。a.k.a.君波清の木南清は、藤ひろこがコーラの配達を注文する三河屋。アキヤマが藤ひろこをレイプするまでで、一旦アキヤマ篇終了。留置場にアキヤマを放り込むため取調室に顔を出す、刑事もう一人は荒井真か野々村注、荒井真なら助監督の変名だと思ふ。“ノグチコウヘイ四十五歳”、“婦女暴行の常習犯だと当人は自首して来るが、犯行の供述は何時も嘘である”。佐川二郎と三島はじめの手を度々焼かせる、薄くでなく汚いノグチが港雄一。ノグチ曰く夜這ひを仕掛けた、朝日町のホステスがまた判らない。面通しの結果被害者当人に否定された、ノグチは放逐されるが如く放免。すると付け髭を剥し、パリッとしたスーツ姿に大変身。ビリング頭の珠瑠美が、愛玩犬・コロ(犬種とか知らん)の保護を装はれ、家に上げたノグチに犯される安藤夫人。尤も女優部の扱ひは、出番の多寡が若干ある程度で概ね等価。所望された冷たいものを用意してゐる隙に、姿を消したノグチもしくは港雄一がベッドの上に申又一丁。「さ、どうぞ」と珠瑠美を招き入れる、衝撃的なカットが捧腹絶倒。即ち、ジェントルな扮装で事に及んだのち、浮浪者然と出頭。画期的な手口で自らの凶行を晦ませる、非常に凝つたノグチの造形に感服至極。城定秀夫と大谷翔平を、足して二で割つたやうな中台明は、アキヤマとの共同正犯を先に吐き、兄貴分を激おこさせるタキザワ。海辺の山にてアキヤマとタキザワが犯す、ケイコとシヅコがまたまた判らない。といふか、要は珠瑠美と藤ひろこ以外全員識別不能。たゞし、a.k.a.関根恵子なんて出て来ない、豪快な同姓同名にさうゐない。小用を足してゐたところ先に犯されたケイコが、会社の同僚であるシヅコも犯させやうとする、残酷な展開も何気に秀逸。そこかしこ、煌めくのは確かに煌めく。あと、結局三人ともに犯される破目になる、劇中設定が女優の女と、暴行された事実自体否定する女が―安藤夫人のほか更に―二人。で、女優部の頭数が合ふ反面、男衆の名前はどうしても一人分余る。
 和泉聖治昭和50年第二作、通算第十作。かれこれ半世紀前の映画ゆゑ当たり前でしかないとはいへ、あの時みんな、若かつた。
 強姦罪―ex.強姦罪の強制性交等罪とex.準強姦罪の準強制性交等罪(それぞれ刑法第百七十七条・百七十八条旧規定)を2023年に一本化、現:不同意性交等罪(刑法第百七十七条)―の、2017年の刑法改正で廃止された親告罪―告訴権者による告訴が訴訟条件―規定を軸に、卑劣な性犯罪者が野放しの現状を憂ゐる体で、女を手籠めにする濡れ場をつらつら連ねる。盗人の猛々しさと紙一重の、低俗な量産型裸映画。量産型裸映画に、高尚さを求めてゐる訳では特にない。タキザワが自白したアキヤマの余罪で、二人とノグチをクロス。至らぬ色気を出し、女優部を目黒のエンペラーな自宅に急襲したノグチが、アキヤマとタキザワに関する、被害届の提出を乞ひに足を運んだ佐川刑事ともう一人にパクられる。平然とバレてしまふたが、ありがちな世間の狭さを逆手に取り、大胆に構築してのけるアクロバチックな大技ラストが、それなり以上の強度で鮮やかに決まる。さうは、いふてもだな。根本的な脇の甘さが「こゝを突いて呉れ」といはんばかりに、ガードをがら空きにしてゐなくもない。
 ミヤコレーションで物々しく全文音読させる、オーラスのスーパー冒頭が“刑法第百七十七条、強姦罪は親告罪である”。だから旧百七十七条はex.強姦罪本体に関する条文で、この場合立法論的に最も問ふべき、親告罪である旨規定してゐたのは旧百八十条である、とかいふ十七年以前に。そもそも昭和33年の時点で、輪姦形態による強姦罪等は非親告罪に法改正済み。なので官憲が独力で持ち込めると判断した場合、アキヤマとタキザワ二人がかりの犯行については、とうの昔に告訴がなくとも公訴提起可能である。


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 「快感メモリー 私が、い~っパイ」(2023/制作:トラウマサーカス/提供:オーピー映画/監督:小栗はるひ/脚本:大矢直樹・小栗はるひ/プロデューサー:東盛直道/音楽:荒川仁⦅東京 ClockWise⦆/撮影・照明:藍河兼一/録音:赤羽一真/メイク:山中優希/編集:板倉直美/整音:阪口和/スチール:MAYA/助監督:高木翔/撮影助手:小関裕次郎・岡村浩代/制作補:門脇萌/音楽協力:Guitar:神蔵守⦅東京 ClockWise⦆ Sax:三浦世名⦅東京 ClockWise⦆/協力:Mine's/ロケ協力:シレーヌ/仕上げ:東映ラボ・テック/制作協力:ソフトボイルド/出演:今村日那乃・紫月ゆかり・幾田まち・星野ゆうき・細川佳央・伊神忠聡・森田さくら・古川奈苗・植村裕太・大野光一・本郷由紀子・佐々木一成・千葉祐輝・小関実衣・鈴木太一)。出演者中、大野光一から小関実衣までは本篇クレジットのみ。
 清掃会社「すつきり清掃」の、何某か給食室みたいな現場。煌びやかにやる気のない筒井今日子(四十歳/今村日那乃/公称で封切当時33)に、退勤時のロッカー室で同僚の金子(古川)が相当どストレートな苦言を呈し、帰りがけには、若い上司の三宮(植村)からも勤怠自体のお叱りを頂戴する。不貞る今日子に二言目には「失礼ですが」と、四十路未婚女の急所を実際失礼にガンッガン突いて来る、化粧品キャッチの益田(森田)が傷口に荒塩を塗り込む。往来で開き直る、今日子のフルを画面右に置いてタイトル・イン。は、いゝけれど。恐ろしく無造作な公開題の入れ具合以前に、今日子が佇む河原道の、途轍もなく漠然とした画作り(ゑづくり)からどうにかならないものかと、逆の意味で爽快に出鼻を挫かれる感も禁じ得ない。さういふ、大雑把に片づけると頓着のなさが度を越す端的にセコいタイトル画は、文字通り忙殺されるにさうゐない、年に二桁は量産型娯楽映画を現に量産するやうになつてからでも、別に遅くないのではあるまいか。
 大胆に中略、秘かにでなく自身に関心を持つ、行きつけのバーの店員・佐々木(星野)と泥酔した今日子が偶さか寝た翌日。あたかも夢オチの如く今日子が自宅で目を覚ますと、傍らに十年前の自分(以下ver.三十路/紫月ゆかり)と、二十年前の自分(同ver.二十歳/幾田まち)がゐた。紫月ゆかりと幾田まちの封切時公称は、それぞれ24と22。十離れて見えるか否かはさて措き、いはゆる阿亀顔の同じ系統に属する、二三番手は同一人物に決して見えなくもない。穏やかな、南風を吹かせるならば。ビリング頭は、根本的に二人と容姿が異なるけれど。
 登場順を前後して、配役残り。目下男日照りを拗らせる今日子の日課が、AVをオカズにしてのワンマンショー。この二人は確かノンクレの、しじみと山本宗介がその俳優部。ex.持田茜と山宗の絡みが、如何にもエーブイぽく見えるのが今作のハイライト、ピークそこ?鈴木太一は、今日子が登録してみる結婚相談所「ハートキャッチ」の相談員・近藤。佐々木が働く店(屋号不詳)にて、ゲーム筐体で仲良く遊んでゐたかと思ふと、男に別の女からと思しき電話がかゝつて来るや、俄かに諍ひ始めるカップルが後述する千葉祐輝と小関実衣の二役でない場合、遠目に特定しかねる。こゝから追ひ着いて、細川佳央はver.二十歳がヒッかける神崎、改めて千葉祐輝と小関実衣が連れのウェーイなリア充男女。伊神忠聡も、ver.二十歳が拾つて来る横山、撃墜王か。佐々木一成は、益田の会社にモニター募集の手を挙げた今日子の、動画撮影にザクザク入るスタッフ。何故かか何時の間にか、佐々木がver.三十路と本格的に深い仲に。大野光一と本郷由紀子は、佐々木実家にてver.三十路がウェディングドレスを試着する際の御両親。何気に大野光一は、森羅万象と兄弟役でイケさうな気がする。
 藪蛇にブッ立てたアクチュアリティの梯子を、盛大に蹴倒してのけた壮絶な第一作「バージン協奏曲 それゆけ純白パンツ!」(2019/主演:神宮寺ナオ・西田カリナ・藤川菜緒・後藤つき)後。東盛直道の「変態ざうさん 私の桃色指導」(2022/主演:白桃はな)衣装と、小関裕次郎第六作「巨乳令嬢 何度もイカされたい」(2023/主演:白峰ミウ)脚本を経ての小栗はるひ第二作。
 豪快に時空を超えた三人の今日子が、互ひに触れ合へれば第四者も普通に認知し得る形で、同じ空間に存在する、どころか。しかも事の最中、ランダムにフォームチェンジして男を仰天させるに至る。自由自在にオッ広げたパラノーマルな超風呂敷を、ある意味見事に全然皆目一切合財畳まない。畳まうとする素振りすら欠片も覗かせない、明後日か一昨日に腹を括つた姿勢はこの際清々しい。ver.二十歳とver.三十路の消滅なり本体への吸収が描かれてはゐない以上、劇中世界に於いて、相変らず三人の筒井今日子が生命を維持してゐる、可能性さへ実は残す。元気出せ佐々木、ならまだワンチャンあるぞ。
 大概な力技に劣るとも勝らず、節穴自慢曲解上等の当サイト―息すんのやめれ、俺―が躓いたのが、思はせぶりなばかりで脚本の整理がついてゐないのか、単に手前の読解力がバカなだけなのか。主に今日子とver.三十路の間で飛び交ふ、徒に抽象度の高い遣り取りが概ねことごとく理解に難いのは、敷居の低さを専らか一般的には求められてゐた、旧いピンク映画観からは一層遠い、甚だ不親切か独善的な映画の設計。木にリングを接ぐ、タケシ全体誰なんだ。特に物事を深く考へてはゐなさうなver.二十歳はさて措き、ver.三十路の昔日子と今日子が何をわだかまつてゐるのか、結局今日子は何処へ向かはうといふのか。元々付かず離れずの佐々木が完全に離れて行つた以外、少なくとも表面的には今日子の立ち位置がグルッと一周して何も変らない。展開ごとマクガフィンといふ訳でもなからうに、お話の流れも行き着く先も、全く以て雲を掴むのは娯楽映画的に結構な致命傷。匙を投げた益田のキレぶり以外、群を抜いて高い横山翔一と比べるとなほさら、外様勢の中でディテールの解像度が明確に低いのも、割と際立つウイークポイント。量的にはまづまづの濡れ場は、劇的に踏み込まず掻き立てず。こゝは外様に特徴的な悪いところで、椅子や机と同じやうにしか、女の裸を撮らない撮れない印象を持つた。今村日那乃には半ば単独で、突つ込んで来るエモーションなり出足の強さを感じなくもないものの、轟々と燃えてゐておかしくなかつた前作に対し、終始漫然と燻り続ける一作といふのが、精々の関の山、どつちがマシなのかは知らん。


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 「快楽温泉郷 女体風呂」(昭和56/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:藤浦敦/脚本:伴一彦・藤浦敦/プロデューサー:岡田裕⦅N·C·P⦆/企画:奥村幸士/撮影:水野尾信正/照明:野口素胖/録音:酒匂芳郎/美術:中澤克己/編集:井上治/音楽:甲斐八郎/助監督:黒沢直輔/色彩計測:高瀬比呂志/現像:東洋現像所/製作担当者:鶴英次/出演:三崎奈美・江崎和代・早川由美・萩尾なおみ・沢木美伊子・高橋明・野上正義・鶴岡修・橘家二三蔵・島村謙次・風間舞子・吉川遊土)。
 ど頭に入る不適切云々注釈が、どの箇所を指すのか微妙に判らない。女風呂にて噂される、明らかに差別的な用法でのオカマなのか、それとも直截に、箍の外れたドンチャンぶりが虎もバターになるくらゐ、グッルグル周回して最早聖らかなクライマックスの宴席大狼藉。観音様に挿した筆で、芸者に“おまん”―までしか撮らない―なんて書かせてゐるのが抵触するのかしらん。多分、いや絶対そこだろ。
 舞台は群馬県四万温泉、芸者二人が歩く、温泉街ロングにサクッとタイトル・イン。桃乃湯旅館の表に、藤浦敦のクレジット。如何にもな屋号の、桃乃湯旅館が現存する―もしくはかつて実在した―物件それとも、美術部が頑張つた成果かの特定には辿り着けず。何せもう、四十年以上の昔。昭和さへ遠く、なりにけり。
 楓の間、枕元には荒淫の風情も濃厚に漂はせる、栞(三崎)と小山ノリオ(鶴岡)の情交は不倫―小山は借金も―の果て心中を決意した、夜は夜でも最後の夜の営み。騎乗位の体勢から男の胸板に体を預けた、三崎奈美の大“おほ”オッパイが悩ましく潰れるスーパーショットが超絶。一撃必殺を鮮烈に刻み込む、時代を超えるエモーションを撃ち抜く。一方二人の気も知らず、隣室から宿泊客の高木(島村)と、芸者のお寿(江崎)が激しい様子にアテられる、お寿はある程度。ところでそんな桃乃湯旅館、何処から降つて湧いたのか敷地内の裏山に、幕末小栗上野介が埋めた軍資金三万両。時価総額で三十億円の埋蔵金が埋まつてゐるかもゐないかな、とかいふ香ばしい騒動に浮足立つてゐた。高木も、まんまと詰めかけたツアー客の一人。
 配役残り、深夜の桃乃湯露天風呂。画面左から仲居の巴(吉川)と悦子(萩尾)、芸者のお糸(早川)に、もう一人名なし仲居(沢木)が皆で湯に浸かり、そこに女将の高野絢子(風間)と、お糸と反目し合ふお寿も入つて来る。といふ次第で女優部全軍脱ぐに止(とゞ)まらず、のち五番手の沢木美伊子をも貪欲に絡む、何気に超攻撃的な布陣、を誇る反面。小宮山玉樹も庄司三郎も影山英俊も織田俊彦も賀川修嗣も―キリがねえ―紛れ込まない、高木と寺田(橘家)―に遅れて加はる小山―以外、発掘隊が内トラばかりの如実に貧相な面子が、とりあへず文字通り顕示的なアキレス腱。ベンツを自分で運転して桃乃湯に到着する野上正義は、十幾つ所有する旅館を、十何人の愛人に任せてゐる一夫多妻的な旅館王・八木沢修介。要は、桃乃湯―と絢子―を買ひ叩きに来た御仁。いけね、高橋明忘れてた。最初は六人風呂を覗いてゐるところトッ捕まり、ポップにトッちめられる高橋明は、桃乃湯の板前・平作。巴の旦那で、ついでに悦子は女子大生のアルバイト。あと先に触れた饗宴ならぬ狂宴、お寿とお糸のほか、脱ぎ散らかす芸者部が更に二人ノンクレで追加投入される。
 濡れ場の恩恵に与るでなければ、笑ひらしい笑ひを取る、面白見せ場を与へられる訳でもなく。橘家は何をわざわざ群馬の山の中まで連れて来られたのだか、清々しく釈然としない藤浦敦昭和56年第二作。
 前述した、トレジャーハンターの駒不足にも当然の如く足を引かれ、お宝狂騒曲が、物語の主軸を成すでは案外ない。寧ろ中盤は平作の他愛ない夜這ひ悲喜劇にすら尺を大きく割き、たゞ単に温泉旅館を舞台とした、色んな組み合はせでの挿しつ挿されつに暫し終始。藤浦敦が5/19本量産した、海女ンポルノ第三作の前作「色情海女 ふんどし祭り」(同じく伴一彦との共同脚本/主演:安西エリ)も想起すると、盛大な羽目外しの活写ぶりに脂の乗り具合が窺へこそすれ、直截な印象としては限りなく新田栄と大して変らない、自堕落もといお気楽温泉映画。木に竹を接ぎ気味の、今でいふシスターフッドなラストは一見痛快で、なくもないものの。何気に公正証書原本不実記載(刑法第一五七条一項)まで犯してのける、綾子の結構通り越して大概な悪党ぶり以前に、よくよく展開の推移を精査してみると、実はヒロインが殆ど全く何もしてゐない。鳶が油揚げをカッ攫ふに近しいへべれけな作劇が、インビジブルな致命傷。良質の娯楽映画と言祝ぐには、些かならず遠い一作ではある。


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 「美姉妹肉奴隷」(昭和61/製作:にっかつ撮影所?/提供:にっかつ/監督:藤井克彦/脚本:大工原正泰/プロデューサー:鶴英次/撮影:鈴木耕一/照明:熊谷秀夫/録音:伊藤晴康/美術:和田洋/編集:奥原茂/助監督:北浦嗣巳/選曲:細井正次/色彩計測:福沢正典/現像:IMAGICA/製作担当:渡辺康治/出演:赤坂麗・清里めぐみ・志水季里子・野仲功・仙波和之・隈本吉成・金田明夫)。
 最初に映る女の尻が、てつきり男に跨つてゐるのかと思ひきや。馴初めなり素性を最後まで何もかもスッ飛ばし木に百合を接ぐ、しかも結果的にこゝの短い一幕でしか脱がない、三番手をアバンに飛び込ませる電撃作戦が鮮やかにキマる。歯科医の弓岡麗子(赤坂)と、患者でもある田崎まり江(志水)の絡みを気持ち見せたのち、麗子がドヤ顔で駆る赤いセダンにタイトル・イン。本篇冒頭、麗子が開業したての、「弓岡デンタルクリニック」。を、マンションの外壁ごとセットを組んでみせるのは、いゝとして。窓の外から寄るカメラが、まり江が載せられた診察台までカットを割らずに辿り着く。ドリーミンなドリーインは壁が―襖の如く―左右に割れる舞台装置的な機構でも採用してゐない限り、流石にどう撮つてゐるのか素人目、ないし節穴には目星すらつけ難い。
 かゝつて来た電話には麗子が出て、姉との関係を知つてゐるのかゐないのか、歯科助手と受付を兼ねる妹の恭子(清里)はまり江を不愛想に送り出す。そこ実は、終ぞ明確に埋められないまゝの外堀。次の患者・滝良平(野仲)が、藪から棒にナイフを突きつけクリニックをジャック。勤めてゐたサラ金「しあはせローン」の金庫から、三千万―しあはせが出した被害届は一億―窃盗した滝の住居がまり江の隣室。お隣と逢瀬を重ねる麗子をその人と知つた上で、滝は医院を襲撃したものだつた。「何が目的なの!」麗子が滝に問ふたところ、脊髄で折り返す速さの答へが「脱げ」。当然姉妹が大人しく脱ぐ筈もなく、滝が先に剥くのは恭子。激しい動きの中躍動的に弾む、清里めぐみの大きな大きなお胸は勿論素晴らしい。絶対素晴らしいし永遠に素晴らしいけれど、妹を庇ひ自ら裸になる麗子の、最終的におパンティも足から抜いた観音様を、男の肩で隠すさりげなく超絶の画角。裸映画が律との熾烈な攻防戦の果て到達した、何気に芸術的な様式美をこそ完璧と貴びたい。とまれ一見、お誂へ向きに舞台が整つた風に錯覚しかねなくもない、ものの。近場に留まつてゐないで、滝とつとと逃げればいゝのに。あるいは、単なる所謂ヤリ部屋といふならまだしも、後々明かされる、滝と同じ安アパートにまり江も暮らしてゐるとなると、通院時の上品ぶつた和服姿と如実にちぐはぐな、間違つても高くはなささうな実際の生活水準。大きめのツッコミ処が決して少なくなければ、別にこれで全てといふ訳でもない。先がまだまだあるのね、もしくは底。
 一旦兎も角、配役残り。清々しい横柄さが憎々しい仙波和之は、開業時にも資金提供してゐる、麗子の恩師・正木義明。追加の援助と引き換へに、事実上の愛人契約を教へ子に迫る。中華レストランで飯を食ひながら、「このホテルに部屋を取つておいた」。人生に於いて、一度は口にしてみたい台詞のやうにも思へつつ、如何せんこの男万事不調法につき、二三遍―上手いこと―生れ変らないと無理にさうゐない。隈本吉成は劇中二人目の通院患者、ゲイバーのママさん的な造形のオカマ・クマダトラキチ、漢字は熊田寅吉かな?金田明夫は、寅ママを使つた麗子の機転で弓岡デンタルクリニックを訪れるのは訪れる、役立たずの制服警官、手配写真くらゐ目を通せ。その他十人前後、軽く見切れる程度の頭数が投入。声のみ聞かせる、滝の盗難事件を伝へるニュースを読む男声の主に、聞き覚えのあるやうな気もしつつ特定不能。
 美姉妹ならぬ、肉奴隷シリーズ第三作の藤井克彦昭和61年第一作。尤も論を俟たず、連作とはいへ大してどころかまるで連関するでなく。美姉妹にせよ肉奴隷にせよ、意味なんてサラッサラない端から求めちやゐない無造作な潔さは、量産型娯楽映画にとつて一つの本質を成す、消費文化と限りなく同義のポップなる概念の神髄といへるのではなからうか。
 幸せを盗んだ男が、美姉妹を肉奴隷にする。一旦絵図通り功を奏するかに思はせた、恭子の腕に巻いた包帯にカプセルを仕込んだ、麗子発案の眠剤コーヒーは当の麗子がかけた電話で水泡に帰す。ガラスで乳房が潰れるど定番の御約束モチーフも臆面もなく、もとい敢然と撃ち抜くエクストリームな風呂場責め。そし、て。半死半生の状態で譫言を口にする滝の口元と、画面左半分を清里めぐみのオッパイで一杯に塞ぐ、一撃必殺にして空前絶後のスーパーショット。部分的には緻密な劇映画と、志水季里子の扱ひが甚だ軽い不足さへさて措くと、超攻撃的な裸映画。正方向の見所も、普通に盛沢山。そして隙あらば高所から撮りたがる、煙のやうな撮影部の半歩間違へば強迫的な悪癖と紙一重の俯瞰傾倒は、本篇頭のドリーミンドリーをある意味拾ふ形で、室内にも関らずあり得ない高さと勢ひでグワーンと天井方向に引くラストカットに結実。始めと終りでセットの利点を遺憾なく発揮、案外綺麗に映画を締め括つてみせる、そこだけ掻い摘めば。
 さうは、いふてもだな。凌辱者の滝に、何時しかといふか直截には何時の間にか、恭子が姉に対抗心すら燃やすほど入れ揚げて、ゐたりするしまつてゐる。幾らストックホルム症候群とかいふ、使ひ勝手だけは悪くない一人歩き方便もあるとはいへ、大概へべれけな論外作劇。滝よりも寧ろ恭子の方が酷い、異性愛―とシス―しか認めない露骨なセクシャリティ差別といひ、所詮昭和の四文字で片づけ得る事済ますのも許されよう、時代の波に押し流されて構ふまい、押し流されるに如くはない過去の遺物。「ギャー!」辺りの、何某かレギュレーションでも存するのかと首を傾げたくなるくらゐ、類型的にぞんざいなカット割りをも微笑ましく言祝ぐに足るストレージの余裕を、当サイトは未だ獲得してゐない、特に欲してもゐない。正負のベクトルが壮絶な撃ち合ひを展開した末に、逆の意味で見事な大爆散を遂げる一作ではある。

 蛇に足でも、生やしてのけるか。美姉妹“を”ではなく、美姉妹“の”肉奴隷。公開題に仕掛けられた、叙述トリック的な変則は面白い。


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 「新妻・乱れ姿」(昭和49/製作:プロダクション鷹/配給:ミリオンフィルム/脚本・監督:和泉聖治/撮影:秋山洋/照明:松沢実/音楽:新映像音楽/効果:秋山効果集団/助監督:早川崇・小野正浩/編集:竹村峻司/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東京録音現像/出演:青木マコ・小杉じゅん・美鈴ちや子・牧令子・吉田純・河東啓介・富島哲・青木けんじ)。
 波打際に猛禽類を配した、多分界隈で一番カッコいゝプロ鷹ロゴ画面。マンションの一室、ともに酔ひ潰れた家主の青木ケンジ(ヒムセルフ)がベッドの上。定住する住所を持たず友人宅を転々とする、フーテンのテツヤ(富島)は床に敷いた布団の中で眠る。訪ねて来た彼女(美鈴)を、ケンジは飲み代代りにテツヤに差し出す。人を人とも思はない無体さをものともせず、女の方から「寝る?」とオッ始まる、話の早いアバン初戦。ところが途中で三番手が吐いた唾を呑み、事は中断。テツヤが臍を曲げるか匙を投げた流れで、多呂プロライクなタイトル・イン。適当に手で破いた新聞紙を雑にコラージュしての、クレヨン手書きクレジット。確かにその時点では、四番手まで女優部の名前が並んでゐたのだけれど。
 カメラを借りケンジ宅を辞したテツヤが、往来で通行人の写真を撮る、凄まじく無造作に。一方、陽光を窺ふに暑くないのか、さそりみたいな扮装のハクい女・ケイコ(青木)が露店で無防備に万引き。その現場もカメラで捉へ、テツヤがケイコに接触。ネガを買取ると、ケイコは一掴みの聖徳太子を脊髄で折り返して切る、切ることの出来る女だつた。
 牧令子が何処にも出て来ない、本格的な謎の残る配役残り。小杉じゅんは、ケイコを相変らずダチ公のアパートで抱いたテツヤが、事後ミーツするこの人も路上の指輪売り・ユキエ。世界観が代り映えしない、きらひは正直否み難い。吉田純はケイコのボディガード的強面、結構無能。それはさて措きこの御仁が懐に忍ばせる回転式、撃鉄を引いたにも関らず、弾倉が回らないプリミチブプロップが今作最大のツッコミ処、吃驚した。底の抜けた扇の要を担ふ、a.k.a.滝謙太郎にしてa.k.a.千田啓介の河東啓介は、タキムラコンツェルンの会長・タキムラケンゾウ。二人の年齢差を見た感じ、ケイコがタキムラの恐らく後妻で、ユキエは五百万持ち出し家出した娘。とかいふ途轍もない世間の狭さが、二番目のチャームポイント。
 気持ち程度でなく、尺が一時間を―何故か―大きく跨ぐ和泉聖治昭和49年第三作、通算第七作。jmdbランタイム69分に対し、配信されてゐるのは67分弱、ついでで円盤は68分。視聴してゐて気づくほど派手に端折つてある、不足なり飛躍は別に感じさせない。たとへば出し抜けに牧令子が一風呂でも浴び、木に女の裸を接ぐシークエンスを丸々スッ飛ばしてゐたりするのでなければ。
 藪から棒にユキエが開陳するスペインへの深い通り越した憧憬に、何時の間にかテツヤもコロッと懐柔。軽率にキナ臭い橋を渡らうとした粗忽な若造が、ありがちな呆気ない最期を迎へる。素頓狂かつ無軌道なドラマツルギで、ぞんざいなチョークラインのラストカットが象徴的な、心なさと紙一重の潤ひを欠いた結末に辿り着く。類型的の一言で片づけたとて、殊更語弊もなからう。ケンジの部屋に転がる、LPのジャケはジュリーを抜いておきながら、実際ラウドに鳴らすのは三上寛の破天荒フォーク。闇雲気味な選曲には耳を塞ぐと、案外どころでなくスッカスカに薄い物語を、単なる素材の劣化かも知れないが、派手に退色した画調で綴る。刹那的な若気の至りと、映画全体の空気感が奇跡的な親和を果たす。それはそれとしてそれなりに、絶妙なバランスを始終が必ずしも獲得し得なくはなかつた、ところが。ひたすら画を弛緩させ続ける随分な馬面と、逆の意味で綺麗な棒口跡。挙句、濡れ場に突入するや突入したで、満足に動けやしない絡み下手。兎にも角にも、ゐない者は仕方ないと牧令子の不在は最早等閑視するとして、女優部三本柱が幸にか珍しく時代の波を比較的余裕を持つて超え得る反面、一篇の商業映画を背負はせるには甚だ心許ない、男優部主役に開いた大穴が三つ目の致命傷。ビリング頭を食ふ勢ひの、二番手と富島哲の情交にしかも二度に亘り、そこにそのインサートを設ける理由なり必然性の皆目見当たらない、三番手と青木けんじの交合を挿み込むアバンギャルド編集が頓珍漢なフォース疑問手。ケイコの他愛ない姦計を無効化する、テツヤが喰らつた喰らはされた筈のオーバードーズが、どういふ訳だか効いてゐない眠剤回避の種明しを、特にも何も全く回収しない大概な無頓着如き、この際取るに足らない些末。埃つぽいほど乾いた感触が決して悪くはないものの、一昨日か明後日な見所も盛沢山。心に残るも残らぬも、その時々偶さかな機嫌と体調次第。量産型娯楽映画が実際量産されてゐた麗しき時代、堆く積もつた大山の、山腹を成す一作。そもそも、面子の中に誰一人新妻なんてゐやしない、いゝ加減な公開題から揮つてゐる。


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 「美乳若妻と巨乳女将 蕩けるお宿」(2023/制作:VOID FILMS/提供:オーピー映画/脚本・監督:山内大輔/撮影監督:中尾正人/録音:大塚学/編集:山内大輔/特殊メイク・造形:土肥良成/音楽project T&K/効果:AKASAKA音効/ラインプロデューサー/助監督:江尻大/監督助手:河野宗彦/撮影助手:榮穣・江森聖弥/ポスター:本田あきら/仕上げ:東映ラボ・テック⦅株⦆/出演:美谷朱里・吉根ゆりあ・二葉エマ・安藤ヒロキオ・森羅万象・豊岡んみ)。
 VOID FILMSロゴ尻からシューゲの子守唄みたいな選曲鳴らして、タイトル開巻。深い霧に霞んだ、結構デカい深山ダム湖(栃木県那須塩原市)。俳優部から起動するクレジットは、オープニングで山内大輔まで走り抜く。屋号の入つたガラス戸を何かにつけ抜く、大絶賛実名登場の温泉旅館「雲海閣」(那須湯本温泉)。浴衣の主演女優が、切り取り方次第にせよ軽く坑道みすら漂ふ、凄い地下通路を経て湯船が二つ並ぶ浴場に。最初の裸見せ、湯を満喫するユカリ(美谷)は、何者かの気配に相好を崩す。
 こゝで、メイン女優部のフィルモグラフィ整理。美谷朱里と吉根ゆりあは、それぞれ小関裕次郎第四作「夜の研修生 彼女の秘めごと」(2021/深澤浩子と共同脚本/主演)と、佐藤周の「若妻ナマ配信 見せたがり」(2020/主演:山岸逢花/三番手)以来の二戦目。二葉エマは外様による「いんらんな女神たち」非公式第三弾「ブラとパンティ 変態がいつぱい」(2021/監督:鳴瀬聖人・近藤啓介)の、近藤啓介パート(主演:新村あかり/二番手)と吉行由実監督生活二十五年周年記念作「ママと私 とろけモードで感じちやふ」(2022/主演:花音うらら/三番手)に続く三戦目。残念ながら現時点で三人とも、以降継戦してはゐない。
 五年前は妻のユカリと泊まつた雲海閣に、江口雅之(安藤)が一人で現れる。別に覚えてはゐなかつた江口を、主人の源五郎(森羅)は朗らかに迎へる、矢鱈。今更にもほどがあるけれど、ガミさんも港雄一も久保チンも、みんな鬼籍に入つてしまつたきのふけふ。その空白を、森羅万象が埋めて呉れてゐるんだなと、改めて再確認した次第。横になつた江口が夢に見る、在りし日の夫婦生活が絡み初戦。起きた江口が浸かる風呂に、女将のタマミ(吉根)も入つて来る。美乳の若妻と、巨乳の女将。めくるめく色事に、お宿は確かに蕩ける。斯くも実際の本篇に超絶ジャストフィットした、ピンクの公開題といふのもなかなか珍しいのではなからうか。
 配役残り、この人は劇中現在時制でユカリとも交錯せず、となると何の方便で雲海閣の敷居を跨いだのだか実はよく判らない。要は木に濡れ場を接ぎに来た三番手の二葉エマが、江口のアグレッシブな不倫相手・ミユウ。たゞし、一般的なドラマツルギ上はへべれけなその立ち位置も、量産型裸映画にとつてはそれでも正しい。断然正しい、断固として正しい。ミユウが敢然と乗り込んで行つたのか、ユカリが毅然と迎へ撃つたのかは兎も角。泣きさうな江口を間に挟んで、ユカリとミユウがバッチバチに対峙する。キナ臭いどころでなくシリアスな三者面談の舞台が、佐倉絆引退記念作「はめ堕ち淫行 猥褻なきづな」(2020/脚本・監督:山内大輔)から気づくと案外空いてゐた、お馴染み喫茶「マリエール」(新宿区歌舞伎町二丁目)。豊岡んみが、如何にも修羅場らしい修羅場に、はらはらするばかりの店員・レイミ。別に貴女が、気を揉んだところで始まらない気も。
 おどろおどろしさの欠片も見当たらない、字面だけ見ると中間的なタイトルに―うつけの当サイトが―勝手に惑はされた、事実誤認の非を潔く認める。2021年が偶さか空いただけで、七月末封切りと盆には少し早いものの、一昨年に引き続き去年も大蔵恒例夏の怪談映画を山内大輔が担当してゐた、2023年第二作、今年も。昔の記録は知らないが、三年連続は二年目の時点で史上初。再起動後今作で十一本目となる大蔵怪談中、複数本自体唯一人の、山内大輔は完全に独走状態の四本を任されてゐる。いにしへの海女ンポルノに於ける藤浦敦のポジションに、近づいて来た感も強い。清大や、国沢実にも撮らせてあげればいゝのに。吉行由実、小関裕次郎もゐる。二本目になる荒木太郎なり、意外と撮つてゐない池島ゆたかとか。
 ミユウが雲海閣を訪れた所以に劣るとも勝らず謎なのが、はきだめが全体誰に何を施したのか。第六チャクラを開いた状態で、多分降霊してゐる赤頭巾の二番手に、よもやサードアイを描いただけ?決して神を宿しはしない、些末はさて措き。各々のキャラクター造形を猛然と加速させつつ、中尾正人のカメラは三本柱をバカみたいに美しく捉へ、深山ダム湖はそれこそ雲海をも思はせる幻想的な霧に恵まれる。江口が、互ひに激しく求め合ふユカリとの情交には炎々たる赤い照明を、半ば一方的に喰はれるに等しい、対ミユウに際しては対照的に青い光を当てる。濡れ場的になほさら、見事なコントラストも撃ち抜く撮影部が恐ろしいほど兎にも角にも絶好調。一枚一枚の画で、完全に他と一線を画してみせる。対して、お話自体の中身はといふと。観客の精巣を空つぽにしてやるぜ、といはんばかりの勢ひで序盤から轟然と突つ込んで来る重量級の裸映画は、終盤に及んで素面の劇映画に幾分道を譲る。その上で、この期に特段目新しくもない、オチ自体の強度は特段喧伝するにはあたらない。あたらない、まゝに。「一杯生きて」、「一杯幸せに」。遺された者に、遺した者が文字通りの激情を正しく振り絞るクライマックス。クソよりダサい在り来りなシークエンスを、なほ臆することなく全力で叩き込む。腹の据つた作家のみが遂に辿り着く手にし得る、覚悟完了したエモーションが一撃必殺。多段式ロケットの如く加速する女の裸を、よもや最後に物語がブチ抜いて行かうとは。荒木太郎が懐いた理想とは異なつたより実戦的なアプローチによる、ピンクで映画なピンク映画こゝにあり。ナベの「おねだり狂艶 色情いうれい」(2012/脚本:山崎浩治/主演:大槻ひびき)も、地味でなく凄惨な死屍累々の果て、正直記憶に新しくはない。恐らく大蔵の御題に従つた結果、壮絶な爆散を遂げた前年の「いんらん百物語 喜悦絶叫!」(主演:宝田もなみ)を当然一敗に数へて、実に十一年ぶりの白星で二勝六敗二分一没収試合といふのが、現行大蔵怪談映画のぞんざいにすぎる概評である。

 尤も、単なる着付の不在かはたまた、偉大なる吉根ゆりあの爆乳を格納可能の、着物が手近に見当たらなかつたのか。女将たるタマミがまるで作務衣みたいな、仲居感覚の格好で館内をうろうろしてゐるのは流石に如何なものか。幾ら源五郎いはくボロ宿とはいへ、旅館映画として何気に致命的なデメリット。つかそこ、雲海閣激おこ。
 備忘録< 死んでゐたのは、三ヶ月前トラクからユカリを庇つた江口。源五郎も何時の間にか故人、ミユウは知らん


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 「スワップ診察室 蜜しぶき」(昭和61/製作:にっかつ撮影所?/提供:にっかつ?/監督:藤浦敦/脚本:池田正一/プロデューサー:鶴英次/撮影:水野尾信正/照明:田島武志/録音:酒匂芳郎/美術:沖山真保/編集:井上治/選曲:佐藤富士男/助監督:北村武司/色彩計測:福沢正典/現像:IMAGICA/製作担当:作田貴志/出演:清里めぐみ・朝吹ケイト・金田明夫・港雄一・野上正義・佐竹一男・大谷一夫・彩結花・梓葉子・森口修三・志水季里子・川上雅代・江角英明)。いよいよ終りかけの、あれこれ微妙な時期、製作と配給もしくは提供を、配信動画でど頭削られると如何せん詰め辛い。ち、なみに。製配とも、ポスターだと㈱にっかつ映画。
 湯気で曇る鏡を、指で拭く。まづお臍、続いて釣鐘型のエモーショナルなオッパイ。結論を先走ると今作、最大の見所はビリング頭のオッパイ、次は二番手のオッパイ。それ以外に何某か求め得るのか、当サイトには訊かないで、知らないから。話が終つてしまひかねない無常はさて措き、唇で繋ぎ、漸く主演女優の顔全体を拝ませる。最近セックスの味を覚えて来た云々、新妻・クルミ(清里)の他愛ないモノローグを挿んだ上で、背中越しの脱衣所フルショットにタイトル・イン。鏡の観音様周囲は、当然曇つたまゝ。律を掻い潜る攻防戦の末、何時しかある種様式美の領域にまで到達。何気に計算され尽した、画面設計の妙が麗しい。
 ところ、が。夫であるタカヤママサト(以後便宜的に高山/金田明夫)は消沈した風情で帰宅すると、飯風呂スッ飛ばしてオッ始めた夫婦生活も、よもやの中折れ。聞くに馘が危ぶまれるほどの大粗相を仕事で仕出かし、その衝撃で勃たないとかいふ。とはいへ労りなり慈しみといつた概念が、この世界には存在しないのか。梯子を外されたか生殺しにされた体のクルミは、情け容赦なく膨れてのける。
 配役残り、バカモン怒号で轟然と飛び込んで来る野上正義が、課長に推挙した高山の失態に激おこの専務。高山の命乞ひにクルミが専務室を訪問、あれよあれまとガミさんに抱かれるのが以後チャイナ・シンドロームばりに抜け続ける、最初の底。教会の表で、クルミがその件に関し敷居も跨がず懺悔―の真似事を―してゐると、適当な天啓を返して呉れる謎御仁が江角英明。川上雅代は高山を出張に送り出したクルミが再会する、高校時代百合の花咲かせてゐたパイセン・サチコ、ex.織本かおる。壁にはジョン・ライドンのポスターなんて貼つてある、サチコの部屋。百合畑を踏み躙る佐竹一男が、出所したてのサチコ情夫。一昨日か明後日な男女平等で、サタカズはいはゆる落とし前的にクルミを犯す。クルミが失神するや、完全に色情狂の如く、藪から棒にブッ壊れて発情したサチコと二連戦。最中再起動したクルミが、ガチのマジの一秒以内で体を高速反転させ、文字通り跳ね起きるアクションが地味に超絶。オッパイのみならず、清里めぐみが身体能力も実は素晴らしい、実に素晴らしい。復権こそ果たされたものの、高山の男性機能は依然不全。買つて来た性生活指南本を、ベンチで繙かうかとしたところ。地面に落ちてゐた、ASSクリニックのチラシをクルミは拾ふ。結局、ASSが何の頭文字であるのかは清々しく等閑視。劇中一切フィーチャされぬまゝ、まさかまんま菊穴ではあるまいな。兎も角クリニックを覘きに行つたクルミを、雑居ビル入口の往来で捕獲する朝吹ケイトが相談員のユカリ、港雄一も相談員、大谷一夫は相談者。何だこの、全員胡散臭い連中。土壇場で高山が踵を返しつつ、クルミはASSが研修会と称した、単なるスワップパーティーに単騎で参戦。こゝからが難問、といふか解ける筈が、絶対ない訳では必ずしもないのか、ノンクレでも見切れさへすれば。クルミとASSの二人に、ユカリと婚約したオーカズ。四人を除いた新規参加者要員が、赤襦袢の令夫人・ヨシエ(志水)とヨシエを最初に介錯するa.k.a.森口修の森口修三、更に女三人と男一人。尤ももう、名前が彩結花と梓葉子(≠梓ようこ)の二人分しか残らない絶望に関しては、潔く白旗を揚げるほかない。
 昭和と命運を共にしたゆゑ、ある意味も何も当り前の話に過ぎない、ともいへ。ロマポ全十九作中十七作目、最後期にあたる藤浦敦昭和61年第一作。今気づいたのがこの人の場合、噺家不在の香盤が却つて少ないのかも。
 詰まるところ、クルミが高山とセックロスしたい、兎に角したい、是が非でもしたい。したいつたら、したいんだつてば!心身の不調に苦しむ配偶者を、気遣ふ素振りなんて欠片も窺へない。概ね徹頭徹尾利己的な性欲に支配された、感情移入の観点からは難も否めないヒロインが、ウチの人のためを箍の外れた方便に、男優部をほゞ総嘗めする途轍もなく軽やかな裸映画。互ひにオーカズの気を惹かうと、クルミとユカリが並んでオナニーを披露する神々しい濡れ場が、四座の巨乳が竜虎相搏つ一撃必殺の大見せ場。反面、高山がディルド改め偽チンコ―実際使はれる用語としては“男の代用品”―で回春を偽装する件は、絶妙にキレを欠く印象も拭ひ難い。矢継ぎ早に一幕一幕を連ね倒す、弾幕感覚勢ひ任せの、有無をいはさぬドラマツルギーで押し切るものかと、思はせて。牡丹餅の重みで棚ごと落ちる、屋台崩しばりの盛大か壮絶な大団円は流石に酷い。ダイウッドに劣るとも勝らず酷い、そんな酷いのか。逆に、どれだけ力技―あるいは直截に無理矢理―だらうと機械仕掛けの総合レジャーランド代表にせよ、大団円の大団円による大団円のための大団円を志向したのであるとしたら、十万億歩譲れなくもないくらゐには酷い。それでゐて最後は、富士を望むロングで何となく綺麗に締め括つてみせる辺り、藤浦敦の作家性といふより人間性に寧ろ近い、したゝかさでも汲み取るべきなのであらうか。

 改めてきちんと調べてみると、藤浦敦のロマポ全十九作。咄家フリーは僅か六本、1/3以下といふ割と顕著な数字が表れた。


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 「昼下りの情事 すゝり泣き」(昭和52/製作:日活株式会社/監督:白鳥信一/脚本:大工原正泰/プロデューサー:海野義幸/撮影:畠中照夫/照明:田島武志/録音:福島信雅/美術:柳生一夫/編集:山田真司/音楽:高田信/助監督:上垣保朗/色彩計測:野田悌男/現像:東洋現像所/製作担当者:田中雅夫/主題歌:『すゝり泣き』作詞作曲:平野修 唄:宮下順子/出演:宮下順子・山口美也子・絵沢萠子・岡本麗・坂本長利・八代康二・藤野弘・飯田紅子・五條博・浜口竜哉・玉井謙介・水木京一・田島はるか)。出演者中、水木京一は本篇クレジットのみ。クレジットがスッ飛ばす、配給に関しては実質“提供:Xces Film”。
 本坪鈴と、柏手の音効。亀戸天神社に参つた宮下順子を、橋の上に抜くロングにタイトル・イン。どフォークなギターに続いて、謎の女性ボーカルが入る主題歌の起動に面喰つてゐると、よもやまさかの主演女優御当人。戯れにググッてみたところで音源が何も見当たらないのは、ドーナツ盤とか出してないのかな。逆に、何処かしらから出てゐれば、レコード会社もクレジットされてゐたのか。兎も角、宮下順子の歌唱が言葉を選ぶと御愛嬌。音程の右往左往する曲調を、一言で片づけるとへべれけな山崎ハコ。畢竟、逆の意味で順調に、タイトルバックから軽く道に迷ふ感は否み難い。
 本篇の火蓋を切るのは、素麺を突く八代康二。舞台的に墨田区か江東区辺りの区会議員・天藤勇吉(八代)の妾・桐川さなえ(宮下)が持たされた、その名もそのまんまBAR「さなえ」。芳しくない客足に、諦めて店を閉めようとすると外は雨。ホステスの夢子(飯田紅子/不脱)を先に帰したさなえは、軒先で雨宿りしてゐた、電気関係の専学生・玉井弘(藤野)と出会ふ。
 何時までも温存される玉謙と水京を尻目に、続々とビリングの狭間から舞ひ降りる大部屋部隊が、馬鹿みたいに豪華な配役残り。「さなえ」が軒を並べる、錦糸町の繁華街「楽天地」。のセットを組んでみせてゐる点に驚かされつつ、往来に森みどり(a.k.a.小森道子)の声がまづ一回響く。山口美也子と絵沢萠子は、さなえの種違ひの妹・みどりと、相変らずか性懲りもなく情の多い母親・初子。八年前さなえを輪姦した、三人組は特定不能。自炊生の弘が、コックとして働き始めた「さなえ」。寝落ち客の賀川修嗣が、ヒドゥンスーパースターズ先鋒。五條博は同僚のみどりから、金を借りてゐるナカサト周二。たゞのバーにしてはピンサロ紛ひの零距離で、夢子にガンッガン二人がかりで絡んで行く、常連二人組に北上忠行(a.k.a.大平忠行)と小宮山玉樹。コミタマをさなえが玉ちやんと呼ぶ、密やかに嬉しいヒムセルフぶり。それとこのコンビ、地味に多い組み合はせにも思へる。リーゼントみたいな髪型に、メタルフレーム二本橋。幾ら昭和の所業にせよ流石にどうかしてゐやがるファッションの、岡本麗はカウンター席で弘に目をつける看護婦の駒田ルリ子。あまり見ない気がする、男臭い造形の坂本長利は初子の新しい情夫・清水源一。「さなえ」の開店前、暖簾を出す隣の小料理屋「あき」の大将で、鶴岡修がシレッと見切れる。何かもう、メイン女優部を二枚か三枚見繕へば、この人等だけで一本撮れさうなどうかした勢ひ。しかも、まだ全部ぢやないんだな、これが。妾宅に夜は天藤が来ない、フラグを一分と待たず回収する、カット尻も乾かない即席展開はさて措き。弘のみずほ荘から、さなえと二人越したやはぎ荘。不在の弘を捜すさなえに呼び止められる、同じやうな白ジャケの人違ひで、振り返ると庄司三郎が飛び込んで来る鮮烈が明後日か一昨日なハイライト。庭にはカコーンなんて鹿威しの鳴る、料亭に逆アフターで弘を連れ込む。遊び方が凡そ看護婦らしからぬ、ルリ子との逢瀬も経て。さなえと正式に別れた弘が、落ち合ふ素性不詳の美人・間野京子がトメの田島はるか、この人も不脱。あと四人、後述する。
 さなえが―途中まで―暮らすマンション「ヴェラハイツ扇橋」(昭和50年築)が、現存してゐるのに吃驚した白鳥信一昭和52年第三作、来年で竣工半世紀だぞ。
 木に竹を接ぎ気味の過去から世間並みの所帯は諦めながらも、初子同様男に縋つて生きるさなえと、さういふ母姉の姿に、嫌悪と一種のミサンドリーをも隠さうとしないみどり。如何にも有体な対比は、みどりが決して異性愛自体を忌避する訳でも案外ない、量産型裸映画的な要請ないし要諦にも腰を折られ、然程どころでなく機能不全。大した魅力も欠いた小倅に過ぎない藤野弘に、往時天下の宮下順子が軸足を失して入れ揚げる。僅かに、筆下しの件には優しいファンタジーが確かに花開かなくもない、所詮ありがちな色恋沙汰は、やがてさなえが若き弘から何となく捨てられる、なほ一層類型的な破局に帰着。一方みどりもみどりで、「出てけ!」、ドンガラガッチャーンのあまりにぞんざいな作劇が、グルッと一周して別の意味で衝撃的。結局さなえとみどりが、高の知れた狭い町の歓楽街にて、仲良く逞しく生きて行く。とかいふ屁ほどの臭みすらない戯けた結末には、呆れ果てる嘆息も萎む始末。要はさういふ、イデオロギーの名には値しない気分的な風潮に従順であつたからこそ、宮下順子も一つの時代を築き得たのであらうが、旧き浪花節の杖を借らぬでは、直立も危ふい遺物のやうな物語。さういふ代物に今更触れたところで、この期に及んで覚える感興は特にない、保守なのに。結局、たとへば影山英俊や大谷木洋子。ゐない人間の名前を挙げる方が寧ろ難しいのかも知れない、幹ごとヘシ折る重みで枝葉を盛大に繁らせる闇雲なノンクレ班なり、先に触れたセット撮影。そこかしこから窺へる、日活の底力が最大の見所。限りなく、映画本体は特に褒めてないね。

 姉妹が底の抜けた再会を果たす、さなえがたかをで、みどりはよしの。女の源氏名が旧日本海軍の艦名に由来する、あくまで本番はNGのユニークサロン「ワールド」、ユニークサロンて。パッと見、大体ピンサロ。浜口竜哉が、“本番”の意味も知らないみどりに手を焼くマネージャー氏。「グッドセアバ?だね」、悪態つくのが何をいつてゐるのかよく聞き取れない、古参嬢で森みどりが改めて顔出し降臨。最後に画面左から玉井謙介と水木京一が、それぞれよしのの進水とさなえの出航を介錯する助平で、日章旗から引く店内カットに二人纏めて滑り込む。BGMは、扱くもとい至極当然軍艦マーチ。喧騒を暫し見せ、「すゝり泣き」再起動、ピンスポを当てた、宮下順子と山口美也子の2ショットで適当に締め括るラスト。よしのの乳に顔を埋める素振りで窮屈に体を折り、首から上を暗がりに逃がす玉井謙介の何気な至芸―と、田島武志の的確な照射―が、漫然とした一作の掉尾にさゝやかな灯を灯す。


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 「SEX相姦図 不倫まみれの人妻」(1997『痴漢と覗き 奥さんのすけべ汁』の2005年旧作改題版/製作:旦々舎/配給:新東宝映画/監督:的場ちせ/脚本:山﨑邦紀/企画:福俵満/撮影:田中譲二・田宮健彦・今井孝博/照明:上妻敏厚・新井豊・荻野真也/編集:㈲フィルム・クラフト/音楽:中空龍/助監督:松岡誠・加藤義一/制作:鈴木静夫/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:北原梨奈・青木こずえ・篠原さゆり・山本清彦・樹かず・伊藤正彦)。
 外出する北原梨奈と、その姿に機材車もといワゴン車の運転席から視線を注ぐ、伊藤正彦―の口元―を手短に抜いてタイトル・イン。こゝで、世間的に何れの名義が主に認知されてゐるのか知らない―当サイト的には後者―が、伊藤正彦はa.k.a.山口健三。ザックリ調べてみたところ伊藤正彦で昭和末期にデビュー後、元号の境目付近で山口健三に改名。恐らくキャリアの最後期、元に戻した模様。
 本篇冒頭は痴漢電車、新妻の早瀬若菜(北原)に、戸建を貸す大家の畑田吾郎(山本)が電車痴漢を働く。実はこの、あるいは二人で度々プレイに及ぶ一連の一幕。後述する侘助が目撃する形ですら一切関らない、純粋無垢に枝葉を彩る女の裸。セット撮影につき、完全に剥いたオッパイを扉ガラスの外側から撮る、非現実的かつ訴求力の高い画も放り込んでのける。同じ理由で、潤沢に投入される乗客要員は、的確に配置される。
 夜の早瀬家、夫の匠(樹)と若菜の夫婦生活挿んで、若菜同様、家賃半額のキャッシュバックと引き換へに畑田が自宅で重ねる、矢張り店子である東山瑶子(篠原)との逢瀬。瑶子のアナルに「締まるー締まるー」と忘我する畑田が、勢ひ余つて女を絞め殺してゐさうなキナ臭い音声情報を、盗聴ライターの侘助(伊藤)がキャッチする。男主人公の名前が侘助、最高といふ以外の言葉が見つからない。
 配役残り、青木こずえは泡を食つた侘助が相談する、『ラジオエイジ』誌の編集者、劇中固有名詞不詳。密談するのに、一々連れ込みに入る清々しさよ。その、他。瑶子の行方不明事件を伝へるアナウンサーと、畑田の固有名詞と住所までは突き止めた侘助が、素性を洗ふ御近所の声を、それぞれ樹かずと篠原さゆりが担当。
 大蔵との手打ちそれとも、古巣エクセスへの女帝帰還!といふ訳では残念ながらなく。金子文子の最期を描いた非ピンクの一般自主とはいへ、遂に浜野佐知最新作の本格的起動を言祝いだ、訳でも別にあるまいが。これまで限られたサイトでしか配信されてゐなかつた、1997年薔薇族入れて第十作、ピンク限定第九作が地元駅前ロマンに飛び込んで来た、のみならず。順に北沢幸雄の「-社員女子寮篇-」(1993/脚本:笠原克三/主演:上杉愛奈)、佐藤寿保の「婦人科病棟」(1994/脚本:五代響子/主演:石原ゆり)、同年坂本太の「人妻下宿」(脚本:大門通=浅尾政行/主演:小栗景子)。そして、大御大・小林悟の「女課長の私生活」(1996/脚本:如月吹雪/主演:三代目葵マリー)と、本家で四本制作された末に仁義なき新東宝が看板を強奪だか無断拝借した、新田栄のライフワーク―でもない―「痴漢と覗き」シリーズ(1989~2000/全十三作)の間隙を他監督が縫つた、傍系全五作の最終作。網羅出来るとは、正直思つてゐなかつた。適当に改題した結果の、サードパーティに関してはキリがないか直截に面倒臭いので、洗ふてみようとトチ狂ふ蛮勇も最早湧いて来ない。
 若菜と畑田が二人で再三繰り出す電車痴漢と、勝手に恋焦がれた若菜に、詫助が向ける双眼鏡。とかく“痴漢”の方が疎かにされる例(ためし)の多い中、木に路線を接ぎ気味ともいへ、「痴漢と覗き」の御題に群を抜いて綺麗に応へてみせた点が、とりあへず麗しい。偶然殺人現場と思しき音声を聞いてしまつた盗聴師が、岡惚れを拗らせる若妻の、生命の危機を回避すべく奔走する。多分「ミッドナイトクロス」(1981/米/脚本・監督:ブライアン・デ・パルマ/主演:ジョン・トラボルタ)的な社会不適合者の、元々捻ぢ曲つたものは捻ぢ曲つたまゝでなほ、逆説的に真直ぐな純愛を描いた物語。若菜に非ず侘助が実質主役となると、まづ篠原さゆりは、ひと絡みこなしたのち殺されるだけの、純然たる三番手に潔く止(とゞ)まる。ビリング頭もビリング頭で、たとへば昨今の面子でいふとかなで自由と佐倉絆を足して二で割つたやうな、北原梨奈がほゞ三十年後の現在でも全然第一線で通用しさうに身目麗しい、反面。童顔をも思はせかねないルックスから、脱いでみると思ひのほか豊かなお胸―と案外大ぶりなどエロい乳輪―を除くと、一本の劇映画を背負ふに足るサムシングには如何せん乏しく、脚本上の配慮も特に図られてはゐない。一度は身を任せつつ侘助を生温かく突き放す、青木こずえが持ち前の絶妙な距離感を投げ捨てるのが精々。浜野佐知映画平素の、女達が激越に希求する主体性の獲得も、苛烈に荒ぶるミサンドリともども完全に鳴りを潜める。最終的に手酷く手の平を返されこそすれ、瞬間風速的にせよ一度は見れた楽しい夢を、チンケな人生を自認するダメ人間が噛み締める。浜野佐知といふより寧ろ、山﨑邦紀が撃ち込んだ精一杯誠実な絵空事は胸に染入りつつ、伊藤正彦の三枚目は三枚目なりの華ないし、表情の欠如から突破力の不足を感じなくもない。土台、中折れさへ頭に載せずポークパイで、工藤俊作を気取るに至つては噴飯もの。色男は一応色男でも歪みきつた色男の、真央はじめが侘助役であつたなら、そんな他愛ない感興も脊髄で折り返す。大体マオックスを連れて来てゐれば、神戸軍団スリーカード―あと二人は大将の神戸顕一と、森純―も揃つたのに。埒の明かぬ、閑話休題。濡れ場的には二番手も一戦きりで温存、主演女優が献身的に手数を稼ぎ続ける構成で、北原梨奈の悩ましい肢体を胸か股間一杯に堪能させる。実に旦々舎らしい、信頼性の高い裸映画。対して劇映画としては、山﨑邦紀が思ひ描いたであらう基本線に、珍しく浜野佐知が大人しく沿つた一作、といふ印象が最も強い。相性のいゝやまきよが迸らせるポップな変態性も、地味に援護射撃を撃つ。
 率直に白旗を揚げさせて貰ふと今回、映画本体は全く与り知らないアキレス腱が、映写も音響―もしくはラウドな空調―もへべれけで、言葉を選ぶとゴミな駅前の上映環境。それゆゑ、侘助が畑田当人とヤサを特定するメソッドは、二回目でどうにか理解した。けれど、果たしてその畑田宅に、そもそも―侘助が拾つた電波を発する―盗聴器を仕掛けたのは誰なのか。終盤の要を成す謎に、終ぞ辿り着き損ねた限界は潔く認めざるを得ない。

 最後に、コンプ記念に傍系前四作も、改めて振り返つておくと。濡れ場を連ねるのに一杯一杯の坂本太と、この御仁にしては、まだマシな部類の小林悟佐藤寿保を新田栄みたいなだなあと思つて見てゐると、最後までまるで新田栄のやうな映画であつた衝撃も大きいが、こゝは素面で完成度の高い、北沢幸雄を随一と推すものである。


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 「誘惑ママさん レッツラ性春!」(2023/制作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督:国沢実/脚本:高橋祐太/撮影・照明:渡邊豊/撮影助手:渡邊千絵/録音:大塚学/スチール:本田あきら/助監督:菊嶌稔章/メイク:ビューティ★佐口/編集:渡邊豊/音楽:與語一平/整音:Pink-Noise/仕上げ:東映ラボ・テック/協力:あぶかわかれん/出演:一条みお・春日えな・瀬名未来・竹本泰志・小滝正大・神澤裕哉・野間清史・森羅万象)。
 「私は人生を、もう一度やり直すチャンスを手に入れた」。プールならぬ、水のないシャワー的に体を揺らす一条みおのセルフ濡れ場。ではなく、傍らに男もゐた。神澤裕哉が眼鏡を外さうとするのを制し、オッ始めたタイミングで今時グルッと一周して目新しい、二十年前の感覚で清々しく作為を感じさせないタイトル・イン。
 勤めを終へたOLの理沙(春日)が、転がり込んだ昨今は専らテレワークの婚約者宅に帰り着いたところ。当のヒロシ(神澤)は、謎の若い女・睦美(一条)と寝てゐた。脊髄で折り返しヒロシを張る理沙を、睦美はまるで母親のやうな口調で叱る。その、数週間前。娘の理沙と睦美(一条みおのゼロ役目)が観に行かうとしたミュージカルは、今時な出演者の体調不良で公演中止。日程を食事に切り替へようとする理沙を遮り、久々おんもに繰り出し草臥れた、睦美は音を上げ帰宅を選ぶ。と、ころが。その頃苗字不詳家(絶対仮名)では、睦美の夫で肩書は社長の史郎(森羅)が、浮気相手の部下・三谷千秋(瀬名)を家人のゐぬ間に連れ込むアグレッシブな逢瀬。不貞の完遂を実直に待ち、妻と娘が帰つて来る絶望的な修羅場。激高し史郎を張るはおろか放逐した理沙は、その状況に於いてなほ覇気のない睦美にも逆上、自らも家を飛び出して行く。令和の仲山みゆき的な三番手と、トメの森羅万象は共々、煌びやかなほど潔く一幕・アンド・アウェイ。
 配役残り小滝正大は、苦節三十年、遂に強力な強精剤「ヤングエナジー」を―自分のために―完成させた、在野の研究者・田野倉。竹本泰志は睦美のみならず、史郎とも旧知の砂田。直截にいふと大好きな大好きな大好きな、今でも大好きな睦美を、史郎にカッ浚はれたチェリー。地味に問題の野間清史は、限りなく何しに出て来たのかほとんど全く判らない、賑やかしさへし損ねる酔つ払ひ。それとも、退場時からの繋ぎが雑すぎるのかな。
 何時の間にか、気づくと結構な御無沙汰。奇捜研シリーズ第三作の2020年第二作「性鬼人間第三号 ~異次元の快楽~」(主演:東凛)以来で高橋祐太がピンクに還つて来た、一月後盆に薔薇族のもう一本―矢張り高橋祐太脚本―控へる国沢実2023年第一作。懐かしついででこの期に確定しておくと、奇捜研第一作「性鬼人間第一号 ~発情回路~」(2016/主演:桜木優希音)の寺西徹で火蓋を切り、次々作の町田政則で度肝を抜いた、一時恒例のベテラン男優部サルベージは完全に終了してゐる模様。
 時空を歪め、もとい超えた回春の果て若返つたヒロインが、これまで誰かのため方便に押し殺して来た、自身の人生を取り戻す。といふと綺麗にも聞こえ、選んだ選択が選りにも選つて娘の婚約者を寝取る。実は睦美とヒロシが互ひに好意を懐いてゐた、とかいふ木に申し訳程度を接ぐ外堀を埋める作業すら、豪快に端折つて済ます。へべれけな作劇が当然の如く火にニトロを焼べる、仲良しの吉行由実監督生活二十五年周年記念作「ママと私 とろけモードで感じちやふ」(2022/主演:花音うらら)にも似た、土台素面では成立し難い物語。を、色男でさへない、大根の男主役が加速する、逆向きに。馬鹿デカいウェリントンによるほゞ一点突破の、一条みおの老け作りが如何せん厳しい―演出まで含め―全般的な安普請如き、この際取るに足らない些末。高橋祐太を呼び戻してこのザマなら、樫原辰郎を連れて来るしかないのか。もしも、仮に、万が一。連れて来ようとしたとして、来て呉れるのか否かは知らんけど、著述業で忙しさうだし。頭を抱へるか、匙を投げるかの二択に、国沢実が相変らず力なく追ひ込まれたものかと、思ひきや。云十年に亘る、直截にいふと盛大な岡惚れを拗らせたか募りに募らせた砂田の一発大逆転エモーションを、竹本泰志が強引に引つ張つてスタンドまで放り込む。アルコールとヤングエナジーのチャンポンで、大体半分くらゐ睦美が若返る、勢ひ任せの大技は兎も角。皮膚の薄さを主に、見やうによつては和製シシー・スペイセクに見えなくもない、ものの。所詮はエクセスライクな主演女優と、ボサッとした青二才的な若さ以外何もかも本当に見当たらない、馬の骨がそもそも感情移入に果てしなく遠い展開を、上手く御し得るもへつたくれもない中。二番手を立会人に猛然と飛び込んで来た砂田の大純情で、終盤に及んで漸くか初めて映画の足が接地。そのまゝ一気呵成にレッツラゴー、二つのセックスがクロスでセックロス、する締めの絡みに敢然と雪崩れ込んで駆け抜ける、ラストは思ひのほか盤石。案外爽やかな余韻に、良作をも錯覚したとて少なくとも当サイトは止めはしない、首を傾げもしない、必ずしも。要は、これで竹本泰志がゐないとどうなつてゐたものやら、と肝を冷やすか、竹本泰志がゐて呉れて助かつた、と胸を撫で下ろすか。何れにせよ、砂田ないし竹本泰志で辛くも首の皮一枚繋がつたやうな、ある意味スリリングな一作である、何だそのメタ映画観。

 限りなく直感と紙一重の推測にのみ従ひ、実直で論理的な検証作業は一切スッ飛ばす。学問に対する田野倉の破天荒か出鱈目な姿勢はこの際さて措き。ヤングエナジーを業務用焼酎に混ぜた上でがぶ飲みする、オーバードーズはオーラスで無事回収。たゞ、一見面白可笑しいオチには反し、いはゆる保護責任者が端から存在しない以上、この状態だとこの御仁死んでしまふしかないよね。といふのはもしかして、足を生やした蛇で藪を突くのを逆の意味で得意とする、如何にも国沢実らしい捻くれぶりが珍しく形を成したブラックジョークなのか、多分でなく違ふ。


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 「夜這ひ海女」(昭和52/製作:日活株式会社/監督:藤浦敦/脚本:佐治乾・池田正一/プロデューサー:伊藤亮爾/撮影:山崎善弘/照明:高島正博/録音:秋野能伸/美術:川船夏夫/編集: 西村豊治/音楽:高田信/助監督:山口友三/色彩計測:田村輝行/現像:東洋現像所/製作担当者:天野勝正/出演:梓ようこ・岡尚美・牧れいか・鈴々舎馬風・中西良太・五條博・八代康二・井上博一・小泉郁之助・衣笠真寿男・庄司三郎・あきじゅん・三原巴・言問季里子・谷ナオミ・中島葵・岡本麗)。出演者中あきじゅんと、三原巴に言問季里子は本篇クレジットのみ。
 海女を覗く、双眼鏡視点。ポン引き・陽三(井上)の手引きで、小泉郁之助が海女を品定め、品定め?抜かれる順で花江(中島)と礼子(梓)に珠美(岡)、奈津(牧)・マキ(岡本)の中から、岡尚美に小泉郁之助改めチョビ髭は目星をつける。主演女優なのか本職の人なのか正直よく判らない、海女が潜る水撮にタイトル・イン。漁に出てゐた夫の帰つて来る礼子が、喜び勇んで帰宅したところ。当の健一(中西)は、友人の圭介(庄司)と将棋なんて指してゐたり。追ひ返される圭介が、盤を中央に載せた長椅子に懸躓く。足を大きく伸ばして仰向きに引つ繰り返る、庄司三郎のダイナミックな転び芸が美しい。事前に礼子は知つてゐた、訪れた月のものを押してオッ始めた、はいゝものの。母体を気遣ふのと、経血忌避が紙一重の健一と礼子が派手に痴話喧嘩。挙句、折角健一が戻つて来たばかりだといふのに、今度は礼子が家を飛び出してしまふ。
 配役残り、礼子と花江がホステスとして働く夜の店、屋号不詳。鉢巻感覚で黄色いタオルを額に巻いた、常連客が多分賀川修嗣。八代康二は礼子が身を寄せたマキの家に、マキを抱きに来る組合長。のちには怪我の手当てに託け奈津を水揚げ、何れも昭和ならではのへべれけなシークエンスながら、絵に描いたやうな狒々爺ぶりがある意味清々しい。谷ナオミは、東京にゐる配偶者と何故か別荘で別居してゐる、謎の令夫人・雅代。五條博が雅代宅に招かれた按摩、かと思ひきや。普通に雅代を抱く、事実上の情夫―あるいは男娼―と思しき信吉。前年五代目を襲名した鈴々舎馬風は、陽三が二十五万の端金で礼子を売るピンサロ社長・熊坂、マチズモの塊の如き造形。御祝儀ビリングなのか、男主役たる中西良太のひとつ上に五代目が来る並びに、正直ちぐはぐさは否めない。鈴々舎御出座と前後して、本クレのみ隊一挙投入。開店前のピンサロ、三原巴と言問季里子が出し物の練習的に百合を咲かせ、あきじゅんは陽三がパチンコ屋でナンパする女。アバンに見切れてゐなくもないが、エピローグまで温存される衣笠真寿男は劇中二人目の双眼鏡御仁、変らない賑々しい日常担当。
 藤浦敦第三作は、ロマポ全十九作―あと三河周名義のロマンXXに、「落陽」(1992/ダミー監督:伴野朗)―中五作量産した、海女ンポルノ第一作。日活トータルだと、全部で九本の三本目。
 海女の夜這ひが恒例か公認の、矢鱈性にフランクな町を舞台とした穏やかな裸映画。礼子と健一の仲違ひを一応の軸に、あきじゅん以外八枚全員脱いで絡む、どころか谷ナオミをもが木に濡れ場を接ぎに来る。トメ三人の方が寧ろ強力にすら思へかねない、闇雲に豪勢な女優部を擁し。特段ワーキャー持て囃すか心躍らせるほど、面白い訳では別にないにせよ、ひとまづ始終は安定。絶妙に演者が波に負けてゐる点にさへ目を瞑れば、波打際で繰り広げられる、締めの夫婦生活はそれなりにドラマチック。それ以上に、地味に特筆すべきが売りの夜這ひシークエンスに際しての、観客ないし視聴者の見たいもの、逆からいふと見せなくてはならないものがキッチリ見える。否、見えさせる。日活撮影部ならび照明部の地力が慎ましやかに火を噴く、完璧な暗さが実は出色。反面、勧善懲悪のカタルシスなり平衡を失し、半歩間違へると平板な手堅い作劇に決定的なミソをつけるのが、腐れ外道スケコマシの陽三が突き指程度の痛い目にさへ遭はず、無傷でのうのうと稼業に明け暮れてゐやがる不用意な放免。結局、礼子を売つた熊坂も、健一に売つた格好につき。憤怒の熊坂が放つ、強面(北上忠行と小宮山玉樹辺り)にトッ捕まつた―仁義すら欠く―陽三が、肋骨の二三本ヘシ折られる。衣笠真寿男には、ギブスでも吊つて営業すればいゝ話。といふか、要はコミタマが見たいだけだろ、とかいふ的確なツッコミは兎も角。真打昇進後初の映画出演にしては、単なる復縁の噛ませ犬扱ひにすぎない、馬風もこれでは報はれまい。


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 「パーフェクト・キス 濡らしてプレイバック」(2023/制作:オフィス吉行/提供:オーピー映画/脚本・監督:吉行由実/ラインプロデューサー:江尻大/撮影:小山田勝治/録音:大塚学/編集:西山秀明/助監督:河野宗彦/小道具:中津侑久/選曲:効果:うみねこ音響/整音:竹内雅乃/グラフィック:佐藤京介/スチール:本田あきら/監督助手:小林義之/撮影助手:ナカネヨシオ/ポストプロダクション:スノビッシュ・プロダクツ/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:花音うらら・小池絵美子・広瀬結香・市川洋・安藤ヒロキオ・野間清史・河野宗彦・吉行由実・森羅万象)。
 一応肩書的には女性学教授の母・山岸綾子(小池)の執拗な干渉を逃れ、念願の一人暮らしを始めた小百合(花音)が実家に荷物を取りに来る。ど初端から結論を先走ると、綾子の木乃伊取りが木乃伊作りに全力で精を出すが如き、チンコの取れたパターナリズムの源なり所以を、結局綺麗にか平然とスッ飛ばしてのける。より直截にはそれで泰然としてゐられる辺りが、浜野佐知とは根本的に異なる吉行由実のレイヤー。あるいは単なる、藪蛇な無頓着。不自然なフェミニズムを、不用意に持ち出す要が何処にも見当たらない。
 本質的かも知れないけれど、閑話休題。この人は娘の意思を尊重して呉れる、義父の武雄(野間)と一緒に山岸家を離脱しようとした小百合が、叶はず綾子に捕まつた流れで、藪から棒なグリッドレイアウトのタイトル・イン。頓珍漢な意匠で木に竹を接ぎ続けるのは、吉行由実にとつて少なくともかつては盟友であつた筈の、清大と三人平成八年組の同期・荒木太郎をフィーチャした戦略では別になからうといふのは、全く以て為に吹く与太。
 配役残り、安藤ヒロキオは綾子が勝手に決めた小百合の婚約者・平川。平川なのに、何故ナオヒーロー当人を連れて来ない。綾子の元部下とかいふ、地味な素性不詳、今は何者なのよ。小百合がロストバージンすら平川で済ませてゐる、苛烈な綾子の支配ぶりは決して地味でない。最初は瞬間的な回想に飛び込んで来る市川洋は、往時家庭教師をしてゐた小百合が唇を奪はれたのが騒動となり、結果―綾子に―教職の夢を断たれた元教へ子の水原弘樹。最終的に武雄ではなかつた、綾子がブルータルな女王様プレイを営む、相手役の奴隷がその時点では不明。二番手一回きり戦を轟然と加速する、広瀬結香と森羅万象は小百合の捌けたメンターを担ふ従姉の瑠美と、齢の離れた夫・達也。達也の造形は、煙草の銘柄風にいへばマイルド鮫島。矢張り多呂プロのみならずダイウッドの想起も狙つた、吉行由実なりの一人同窓会なのか、絶対違ふだろ。さ、て措き。確かに乳は太いにせよ腰周りも太ましい広瀬結香と、森羅万象によるドカーンとした濡れ場が序盤の圧巻、ドカーン。を、クライマックス前で超えてみせようとは、よもや夢にも思はなんだ。綾子に付き合はされるか振り回される買物の最中、小百合はその後進学せず、今はバーのfもとい「promis_9」を開業した水原と再会。河野宗彦と吉行由実は、その格好で家からこゝまで来たの!?と軽く引くレベルの、素頓狂なドレスで小百合が「promis_9」に来店、耳目も憚らず水原に大告白する。凡そ吉行由実以外に撮り得なささうな、無防備シークエンスのカウンター客要員。が、実際にはもう二人ゐて全部で四人。入口から見た背中の並びで、一番左が河野宗彦。右端がEJD、その隣に吉行由実。吉行由実と河野宗彦に挟まれた、既視感を覚えなくもないパーマ頭のグラサンがどうしても判らん。その他小百合と瑠美が艶話に花を咲かせる茶店のウェイターに、小百合に声をかける同性の同僚。「promis_9」最初の来店時、道中で小百合―この時は馬鹿みたいなチークを刷く―をナンパしかける輩三人組等、もう若干名フレーム内に投入される。
 あの小川隆史の最初で最後作「社宅妻 ねつとり不倫漬け」(2009)主演を―里見瑤子のアテレコで―務めた、小池絵美子が実に十四年ぶりともなる驚愕の超復活を遂げた吉行由実新作。オフィス吉行次々作にも小池絵美子は継戦、最初のAVデビュー(2003年)からだと二十年の節目も通過した、何気な息の長さを誇る。
 邂逅以前から水原が瑠美のセフレであつたりする、ありがちな爆発的か圧倒的な劇中世間の狭さが、作劇に及ぼす吉凶に関してはこの際議論を放棄する。それどころで、ないんだな。箱の中に閉ぢ込められてゐたヒロインが、晴れて籠の外に脱する。普遍性の徳俵を割り陳腐に呆気なく堕す、物語もしくは劇映画が屁より薄い反面、二人とも正真正銘のノーイントロで三番手の絡みを豪快に放り込んでのける、裸映画的にはゴリッゴリに攻撃的である印象を最も強く受けた、一旦は。実は偽装結婚であつた綾子が、武雄とは一切関係を持たない。終盤明かされる秘密で俄かに沸き起こる、ほんならあの犬誰なのよとなる原初的な謎。を足がかりに、吉行由実が遂にか出し抜けに辿り着く、辿り着いてしまつた深町章ばりの一昨日通り越して一昨年なベクトルの老成が、今作を珍作なりチン作の領域に易々と放り込む、絶対値だけは無闇にデカい明後日なハイライト。確かに構成上は、計算し尽くした妙もなくはないけれど。気を取り直しての締めを、キラッキラのガーリーガーリーに撃ち抜けば撃ち抜きれれば、まだしも吉行由実こゝにありを叩き込めたところが。そこで絶妙に攻めきれない、若干力尽きた感の否めない枯れたきらひも、老成と評した所以のひとつ。近年顕著な傾向たる、良くも悪くも円熟味の増す一作である。
 備忘録< 小百合の父親は出生半年後急逝した、綾子不倫相手の教授。あと犬の正体は平川


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