「愛人 悦楽の午後」(昭和60/制作:俥企画/配給:株式会社にっかつ/監督:薬師寺光幸/脚本:黒岩幻城/企画:奥村幸士/プロデューサー:照井公咲/撮影:志村敏夫/照明:斉藤政弘/録音:ニューメグロスタジオ/編集:田中修/音楽:PILLAKUN/助監督:東田真一/制作主任:松川充雄/現像:東洋現像所/効果:小針誠一/記録:竹本祐子/メイク:志川あずさ/出演:青木ひろみ・伊藤久美子・河田清志・上田幸輔・萩原賢三・大木祐司・沢田誠志・黒岩幻城・俵山栄子・水美翔・六本木舞・城源寺くるみ)。出演者中、黒岩幻城と俵山栄子は本篇クレジットのみ、配給に関しては事実上“提供:Xces Film”。あと、白井伸明とする資料も散見される、何か文字化けしたみたいな名前の照井公咲が、その他活動の痕跡はガイラ(=小水一男)のスプラッターVシネ「GUZOO 神に見捨てられしもの」(昭和61)の企画くらゐしか見当たらない。
エレベーターが開いて、泡沫女優部の安斉ミカ(青木)が出て来る。楽屋に顔を出すも、水美翔の髪を作るのに忙しいスタイリスト(俵山)から、名無しホステス役のミカは無造作に扱はれる。一方、所属する斉田ボクシングジムの会長(萩原)と女トレーナー・桃代(伊藤)を左右に従へ、連続KOの日本タイ記録に並んだフェザー級ボクサーの北原暁(河田)が大勢の記者部(大木祐司・沢田誠志ほか沢山)に囲まれ通り過ぎ、た後に。次戦の激突が予想される日本王者・バズーカ三浦(上田)がシレッと通路の壁にもたれ、要は身を隠しもせず佇んでゐる間抜けなシークエンスはもう一手間どうにかならなかつたのか。自分で適当に見繕つた衣装にそれはそれとして御満悦のミカ挿んで、滲ませたネオンにクレジットが先行。何某かに乗つたか載せられた青木ひろみがスーッと平行移動するタイトルバック、細山智明が多用した印象も強いが、要は昭和末期に軽く流行つたと思しき香ばしいメソッドの、源は何処かにあるのか否や。
例によつてのエキストラをバラされ、落胆してJOAK-TV局―これ実名使用してるの地味でなくヤバかねえか?―を後にするミカにバズーカが接触。芸能界に顔の効く親爺のコネをちらつかせ愛人にしたミカに、バズーカは斉田サイドに接近しての、試合前の北原に睡眠剤的な薬物を飲ませるミッションを強ひる。とこ、ろで。斉田ジム内の会話に於いては、バズーカ父は医者とされてゐる、脇の甘いちぐはぐさもどうにかならいものか。兎も角配役残り、六本木舞と城源寺くるみは水美翔同様、楽屋を飾る女優部。六本木舞に至つては一言の台詞も与へられない、脱ぐ脱がぬ以前の端役ぶり―水美翔も水美翔で満足に抜かれもしない―は勝手に騙された軽く詐欺。ミカをバラす助監督なり、北原陣営の男トレーナー等々、候補が複数見当たる黒岩幻城は特定出来ず。あとミカがバズーカと出会ふ、バイト先スナックのママさんもノンクレ。
監督第二作「幕末純情伝」(1991/製作総指揮:角川春樹/製作者:奥山和由/主演:牧瀬里穂)が今なほ毀誉褒貶喧しい、以外、軽くググッてみたところで外堀の“そ”の字も埋まらない薬師寺光幸の第一作。確認し得る最古のキャリアが、「アイコ十六歳」(昭和58/監督・共同脚本:今関あきよし/主演:富田靖子)のサード助監督といふ辺りが更に謎、飛花落葉の彼方に出自が霞む。
六本木舞に城源寺くるみ、往時如何にも訴求力の高さうな名前でポスターを賑やかしておきながら、蓋を開けてみると脱いで絡む女優は二人きり―桃代は北原と男女の仲―といふ一種の羊頭狗肉と、一時間にも満たないピンクばりの短尺。一見随分小粒の初陣にも見せ、バズーカ三浦V.S.北原暁のタイトルマッチに際して、ホールを借りてのける辺りは買取系とはいへ流石のロマポ。悪魔に魂を売つてでも栄華を狙ふでなく、案外惰弱に二の足を踏むミカに、桃代がゐるにも関らず、何故だか北原は都合よく入れ揚げる。最終的には全員破滅する非情か無常なラストまで含め、ありがちな物語は大袈裟に破綻すらするでなく、ツッコんで楽しむ訳にも行かない程度。に思はせかけておいて、多用するロングを効果的に利した、カットの繋ぎには所々切れ味を感じさせなくもない。大雑把に片付けるなら暗がりの中寝落ちる落ちないは、偶さかな体調に支配されようなかなか掴み処を欠いた一作。男顔と肉感的な肢体がより琴線に強く触れる、伊藤久美子をお留守に北原が青木ひろみに心を移す展開が、個人的には感情移入に甚だ難い。「あんたアタシが作り上げた最高のボクサーなんだよ」、「誰にも渡さない、渡さないんだからあ」とエモい一途さを爆裂させての、桃代から北原に覆ひ被さる濡れ場が火蓋は完璧に切る反面、カッコつけずに、照明当てろといふフラストレーションは否み難く、弟子がミカを抱くのを終ぞ堪へる傍ら、斉田会長はザクザク喰ふ一戦。さしたる演出上の企図を窺はせもせず、手持ちとフィックスとで安定しない撮影に、アダルトビデオの侵攻に揺れる当時の空気を感じ取つてみたりもするのは、為にする素人考へに過ぎないであらうか。
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